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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

善界・是界・是我意(ぜがい)について…能の曲あれこれ

善界はいわゆる切能、五番目物で、主人公は大唐の天狗の首領である善界坊。善界の表記は観世流のみで、他流では宝生、金春、喜多の三流が是界、金剛流は是我意と書きます。作者は、能本作者註文には竹田法印宗盛とありますが、宗盛は誤りで正しくは竹田定盛(じょうせい)です。定盛は室町から戦国時代にかけての医師で、八代将軍義政の病を治したことから法印の位を与えられたという人。歌にも優れ、謡曲もものしたと伝えられます。
先行する作品として「是害坊絵巻」ないし「是害房絵詞」という鎌倉末期の絵巻物があり、これをもとに能を作ったのではないかと言われています。この絵巻物は、平安中期に書かれた宇治大納言物語に取材して作られたとされていますが、宇治大納言物語は散逸してしまい確たるものではありません。ともかくも絵巻物では、是害房(是害坊)という中国から来た天狗が,叡山の僧と法力競べをして打ち負かされ,日本の天狗に介抱されて賀茂河原で湯治し帰国するという話だそうで、たしかにこれを本に作られた能という筋書きになっています。

本曲のあらすじを書いてみます。大唐の天狗の首領である善界坊は、中国では少しでも慢心をみせた修行者を、残らず天狗道に引きずり込んできましたが、神国といわれる日本でも仏法の妨げをなそうと、遙々日本にやってきます。善界坊は愛宕山の有名な天狗太郎坊を尋ね、太郎坊の庵室に招じ入れられると、一緒に仏法の妨げをしようと持ちかけます。善界坊が思いの程を述べると、太郎坊は比叡山こそ日本の天台山であると教え、僧侶の慢心につけ込んで仏法の妨げをする相談をします。
善界坊と太郎坊は不動明王の威力についても語り合い、所詮魔道のものは敗北せざるを得ないが、それでも仏法に敵対してしまうと、天狗の宿命を述懐します。話し合っている善界坊と太郎坊ですが、太郎坊は時刻も移ったのでもろともに立とうと声をかけ、二人は立って比叡山を目指し出発します。
二人が立ち去ると、比叡山飯室(いむろ)の能力(のうりき)がやってきます。能力は、都で善界坊が仏法の妨げをするので、飯室の僧正が勅命を受けて祈祷のために都に赴くことになった。自分は一足先に都に向かうと言って歩み出しますが、急に大風が吹いて辺りが暗くなってしまい、やむなく引き返すと言って立ち去ります。
飯室の僧正と従僧が登場し、僧正が車に乗り込み、従僧が両側に立って付き従い都に向かいます。ところが途中で突如嵐となり、稲光や雷鳴の凄まじい様になってしまいます。すると善界坊が天狗の本性を出して現れ、僧正を魔道に引き込もうと、車の長柄を掴んだりして争いますが、僧正の法力に負け姿を消してしまいます。
ざっと以上のような話になっていますが、能の天狗は本曲に限らず、前場では山伏の姿で登場し、後場で天狗の本性を現すという形が多いようです。もっとも天狗の本性といっても、よく見かける鼻の高い赤い色をした天狗の面とは様子が異なり、通常は天狗出立という装束で、半切という金糸銀糸を使った大口袴に袷狩衣を着け、赤頭に大兜巾といって大振りの兜巾をのせ、大癋見の面をかけます。大きな羽団扇を持っていることもあって天狗と言われればそう思えなくもないのですが、絵本に出てくる天狗とはずいぶんと形が違います。
違うのは前場も同様で、山伏として登場しますが、この山伏出立という装束は、大口袴に一般には縞模様の水衣を着て、頭には兜巾、首から篠懸を掛けます。これまた実際の山伏と比べるとずいぶん形が違います。実際の山伏も篠懸を掛けますが、白衣の上に着る白い上下の上着全体を篠懸といい、能装束でいう首にかける形の篠懸は結袈裟といいます。
また後場で後シテ天狗が登場する際には、囃子方が大癋(おおべし)という囃子を奏します。この囃子は大天狗などの登場の際に奏されるものですが、力強くかつ極めてゆっくりと奏されます。いつぞや聞いた話では、この大癋は大天狗が空を翔る様を表すもので、ジェット機がもの凄い早さで飛んでいるのに地上からはゆっくり見えるように、大天狗も凄まじい早さで飛ぶのだが、遠くなのでゆっくりに見える。そういう気分で奏すると聞いたことがあります。
ところで天狗と呼ばれる怪異は、主には修験道の行者のうち特に力のあった者が伝説化されたものと思われます。もちろん他にも天狗の源流はあるようですが、山伏との関係が深く、それが能での前場が山伏で後場が天狗という形に反映されているように思えます。
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この項、おわり
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楊貴妃(ようきひ)について…能の曲あれこれ

楊貴妃は三番目物、いわゆる鬘物(かずらもの)で、太鼓が入らない大小序ノ舞物です。
能楽研究家の故野上豊一郎さんは、その著書である解註謡曲全集の楊貴妃の項で、本曲の主題について「愛し合った二つの魂が幽明所を異にして置かれた場合の仮定である」として、「『天に在りては願はくば比翼の鳥と作らん、地に在りては願はくば連理の枝と為らん』と 誓った二人の愛人も、一たび死に依って隔離さるれば、ただ永久の愛惜の念が残るだけで、会者定離の大法を如何ともすることができないというのが主題である」とし、そして「それを東洋史上に於ける最大の代表的愛人なる玄宗皇帝と楊貴妃の上に適用したところに、この作者の野心的構想が窺われる」と書いています。
そんなもんかいな、というところですが、その野心的構想が窺えるとされた作者は、世阿弥の娘婿である金春禅竹であるというのが定説です。五流それぞれにあり、割と好まれて上演されるように思います。

本曲は本当に動きの少ない曲で、一場物で中入もないので場面の変化もほとんどありません。しかも作り物の中で床几に腰を下ろした形で、引廻しが下ろされて姿を現したシテも、直ぐには動かずワキとの問答などを続けますので、これまで観た限りでは、最初にシテが立ち上がるまでに開演から四十分ほどかかっていました。
その後も、曲舞、イロヱ、序ノ舞と舞はあるのですが(イロヱを入れない場合もあります)、実にゆったりと嫋やかに舞うので、九十分という上演時間がかなり長く感じられます。
それだけに、謡の詞章や、その謡い方に込めた演者の思いをどこまで感じられるか、この辺りが大事かなと思うところです。その詞章ですが、本曲は、おおよそ白楽天の長恨歌を原典としています。古典の教科書に出ていたりするので、目にされたことがあるかも知れませんが、長恨歌を知って謡を読んでみると、かなり忠実に長恨歌の世界を能化しているのが分かります。
長恨歌は七言古詩と呼ばれる形式で、百二十句からなる長大な詩ですが、八句からなる七言律詩を十五連ねた形になります。謡曲の詞章との関連から、長恨歌のうち冒頭の一連、途中の八連・十連・十三連、そして最後の十五連を文末に掲載しておきます。
十連目の冒頭「悠悠生死別経年:悠々たる生死 別れて年を経たり」からが、まさにこの能のあらすじにあたるところで、道士が皇帝の思いを遂げるため、天に上り地に入り楊貴妃を探して海上の仙山に到り、太真と名乗る仙人となっている楊貴妃を見出します。
道士は、楊貴妃に巡り会えたことを戻って皇帝に報告するので、なにか形見の品を頂きたいと頼みます。楊貴妃は形見として釵(かんざし)を道士に与えますが、道士は世に同類の物があるのでお二人しか知らない言葉などあればそれをしるしにしたいと重ねて頼み、楊貴妃がそれに答えます。楊貴妃は「天に在らば願はくは比翼の鳥とならん。地に在らば願はくは連理の枝とならん」と言い交わした誓いの言葉を告げ、承った道士は帰ろうとします。すると楊貴妃が道士を止め、先ほどの釵を返させて冠に着け、霓裳羽衣の曲を舞います。舞い終えた楊貴妃は再び釵を道士に渡して見送り、涙を流して留まる、というのが一曲のあらすじです。
その見出した楊貴妃が作り物の中から姿を現す場面では、地謡の上歌が「梨花一枝 雨を帯びたる粧いの」と始まりますが、これは十三連の「梨花一枝春帯雨:梨花一枝 春雨を帯ぶ」から。続く「太液の芙蓉の紅 未央の柳の緑も」は八連の「太液芙蓉未央柳 芙蓉如面柳如眉:太液の芙蓉未央の柳 芙蓉は面(かんばせ)の如く柳は眉の如し」から、そして「六宮の粉黛の顔色の無きも」は、一連の最後「六宮粉黛無顔色:六宮(りくきゅう)の粉黛(ふんたい)顔色(がんしょく)無し」からと、まさに長恨歌の詩句がちりばめられています。
どこが、どれと関連するかなどと、読み比べてみるのも面白いかも知れません。

長恨歌 白居易

漢皇重色思傾国 御宇多年求不得 楊家有女初長成 養在深閨人未識 
天生麗質難自棄 一朝選在君王側 迴眸一笑百媚生 六宮粉黛無顔色 
(中略)
帰来池苑皆依旧 太液芙蓉未央柳 芙蓉如面柳如眉 対此如何不涙垂 
春風桃李花開夜 秋雨梧桐葉落時 西宮南苑多秋草 宮葉満階紅不掃 
(中略)
春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂 侍児扶起嬌無力 始是新承恩沢時 
雲鬢花顔金歩揺 芙蓉帳暖度春宵 春宵苦短日高起 従此君王不早朝 
(中略)
悠悠生死別経年 魂魄不曾来入夢 臨・道士鴻都客 能以精誠致魂魄 
為感君王展転思 遂教方士殷勤覓 排空馭気奔如電 昇天入地求之遍 
(中略)
風吹仙袂飄隋挙 猶似霓裳羽衣舞 玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帯雨 
含情凝睇謝君王 一別音容両渺茫 昭陽殿裏恩愛絶 蓬廢宮中日月長 
(中略)
臨別殷勤重寄詞 詞中有誓両心知 七月七日長生殿 夜半無人私語時 
在天願作比翼鳥 在地願為連理枝 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期 
(白氏文集)
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この項、おわり
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白鬚のつづき

アイは白鬚明神の末社ということで、賢徳の面をかけ、括り袴に緑の褸の水衣、末社頭巾の姿で常座に出て立ちシャベリ。当社のめでたき子細を申し上げる者もないので、明神が自ら賤しき漁夫と現じて勅使に申し上げたのだと、最前は漁夫の老翁に身をやつした明神が現れた子細を述べ、人の寿命が六千歳であった頃から湖水の辺に釣り糸を垂れ、湖が七度まで葦原になるのを見届けた長寿の神であると讃えます。その神が、舞楽をなして勅使を慰めようとされる。今宵は天燈龍燈の日でもあるが、末社も一曲仕れとのことなので、ここまで罷り出たと言うと角に進み出ます。
進み出たアイは勅使に気付いた態で常座に戻り「お礼を申し上げようと存ずる」と言って再び角に出ます。座して礼を言い、一曲仕ろうか仕るまいかと勅使に尋ねるように言うと立ち上がって常座に戻り、型通りに勅使が日本一の御機嫌でにっこりされたと言って「めでたかりける時とかや」と謡いつつ常座から正先を回って大小前に進み三段之舞を舞います。
アイが舞い納めて退場すると出端が奏されて、地謡が「八少女の返す袂の色々に禰宜が鼓も声澄みて神さび渡れる折からかな」と謡い出します。これを受けて作り物の内から後シテが謡い出し、大ノリの地謡が続けて謡うに合わせ、先に作り物の方に向き直っていたワキが立ち上がり、後見が引廻しに手を掛けて「白鬚の神の御姿現れたり」で引廻しを下ろし、後ジテが姿を現します。悪尉の面をかけ白垂に鳥兜、白の半切に白の袷狩衣を着けて床几に腰を下ろしています。
ワキは腰を下ろして両手を突き明神を拝する形になります。シテがワキを向きつつ「舞楽の曲を奏しつゝ勅使を慰め申さんと」と謡い、地謡が続けて謡う中、シテは立ち上がって台を下り、両手を上げつつ出て袖の褄を取り、正中に出てテオを併せ広げつつ下がり、あらためて答拝して楽を舞います。
ゆったりと舞い、大小前で楽を舞上げると「面白やこの舞楽」とシテが謡い、地謡が続ける中、シテはサシて正先に出、目付柱に向かって行きカカリ、直して幕の方を向き、正面に直して左へ回ると、ワキ座前にたって幕方を向き「湖水の面鳴動するは天燈龍燈の来現かや」の謡に常座へ進んで雲扇して、天燈龍燈を迎える形となります。
出端が奏されてシテは作り物に入って床几に腰を下ろし、緋大口に水色の長絹、天冠をつけた天女が両手に天燈に擬した火焔盆を持って出て笛座前に控えます。続いて早笛が奏されると、法被半切に赤頭、龍戴をのせた龍神が出て一ノ松に立ちます。地謡が「天地の両燈あらはれて」と謡い出し、天女と龍神は火焔盆を一畳台の両端に立てられた杉の台上に置き、舞働の相舞となります。
天女、龍神が舞上げると、シテが「かくて夜もはや明方の」と謡い、地謡が続け、天女と龍神は「おのおの明神に御暇申し」とシテに向かって礼をし、正面に向き直ります。シテは「明神も御声を上げて善哉善哉と感じ給へば」の謡に、扇を広げて招き扇。「天女は天路に又立ち帰れば」と天女が立ち上がって橋掛りへ。「龍神は湖水の上に翔って」で龍神が正先へ出、ガッシして立ち上がると幕に走り入ります。
「明け行く空も白鬚の」の謡にシテは立ち上がって台を下り、左の袖を返して向きを変え、両袖を巻き上げて常座で袖を戻すと「治まる御代とぞ なりにける」の謡にユウケンをして左の袖を返し、留拍子を踏んで終曲となりました。
(112分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
長時間の一番でしたが、シテの舞う楽があり、天女や龍神が現れて舞働を見せるなど、なかなか面白い作りの曲と思います。一方で前場のクリ、サシ、クセは動きもなく、難解な詞章でもあるので、太平記に書かれた玄恵法印のエピソードを知らないと、観ていてもかなりたいへんかなとも思います。
この曲が作られた頃は、観客は当然に太平記を読んでいる人々だったのだろうと想像します。しかし時代が下り太平記が当然の教養でなくなったと想像すると、本曲をどう捉えればよいのか、難しくなってしまったのではないかと思います。白鬚神社の祭神は猿田彦命であり、その前提で本曲を観ると訳が分からないだろうと思うのです。しかもその前場が長く、全体が長大な曲になっている。そのあたりが、本曲が滅多に上演されない曲となった一因ではないかと想像しています。
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この項、おわり
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