FC2ブログ

能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

しびり 茂山千作(国立能楽堂特別公演)

大藏流 国立能楽堂 2019.03.21
 シテ 茂山千作
  アド 丸山やすし

痿痢や痿痺、あるいは痺とも書かれる本曲ですが、10分少々の短い曲でもあり、狂言方の初舞台としてもよく演じられます。
鑑賞記としては、もう12年ほど前に一度取り上げていますが、あのときシテ太郎冠者を演じた高澤龍之介さんは、子供ながら堂々たる舞台でしたが、その後は能楽界から離れてしまったのか、消息を見かけません。そう言えば観世紘顕、智顕、喜顕さんの三兄弟も素晴らしい子方でしたが、その後、みなさん能楽界を離れた様子です。

それはさておき、この小品を千作さんが演じるというのが、また面白いところ。
簡単に粗筋を書くと、今晩急に客が来ることになったため、主人は太郎冠者にそのもてなしのため和泉の堺で酒肴を整えてくるように、と命じます。
しかし来客の度に用事を申しつけられてはかなわないと思った太郎冠者は「いたしようがある」と、突然に痛がります。
主人が問うと、持病のしびりで歩けないと言う。主人は太郎冠者の額に塵をつけ、しびりの治るまじないだと言いますが、太郎冠者は自分のしびりは高じたしびりで、そんなことでは治らないと言います。太郎冠者は、親が子だくさんで兄弟たちには家や蔵を譲ったが、自分には持病のしびりを譲った、そういう謂われのあるしびりなのだと言い募ります。仮病と見破った主人は、使いが来た風で伯父御殿がご馳走するので太郎冠者を伴って来るようにと言うか、だが太郎冠者はしびりで行けないので次郎冠者を連れて行くと言え、と命じた風に声を出します。
太郎冠者は慌てて、しびりは言い聞かせれば治るのでお供に行くと言い出します。早速言い聞かせてみよと主人に言われ、太郎冠者はしびりに治るように言い聞かせます。
主人の言うままに立ち上がり、前に出たり下がったり、跳んでみたりしますが、治ったと言う太郎冠者に、主人は伯父御のことは偽り、歩けるならば和泉の堺に行ってこいと言います。
太郎冠者は和泉の堺へと言われると、またしびりが出てくると言って痛がりますが、最期は主人の叱り留。

ばかばかしいと言えばばかばかしいのですが、日頃面倒な事を言いつけられている使用人の精一杯の抵抗とみれば、案外奥深いものがありそうにも思います。
短時間ですが、茂山千五郎家らしい、はっきりした物言いで、かつまた千作さんの味のある舞台、楽しく拝見しました。
(12分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
スポンサーサイト

知章のさらにつづき

中入ではアイが登場し、ワキとのやり取りから知章の最期を語ります。前回、中所さんの演能の際の鑑賞記に、善竹大二郎さんの間語りを略記しましたが、網谷さんは同じ大蔵流でもあり、ほぼ同様だったと思います。和泉流は少し違うように思いますが、角当さんの演能の鑑賞記では、和泉流竹山悠樹さんの間語りだったものの、ほとんど記録をとっていなかったため、残念ながら比較が出来ません。

アイが下がるとワキが謡い出し、待謡に。続く一声の囃子で後シテの出となります。
黒垂に梨子打烏帽子、朱の縫箔に浅黄の色大口、法被肩脱ぎの形で登場し常座にてサシ込み開キ、サシを謡い出します。
さらに一セイ、地謡の後「後の山風上野のあらし」と謡いつつ、三足ほど出て幕方を振り返り、正に直すと七つ拍子踏んで角へ。角トリして左に回り「浮み出でたるありがたさよ」と常座に戻り小廻りしてサシ込み開キ、合掌します。

シテ、ワキの謡から地謡となり、シテは開いて拍子を踏み「うつす絵島の島隠れ」とサシ込み開キ「行く船を 惜しとぞ思ふ我が父に」で七つ拍子踏んでヒラキ。正中に出て常座に回リ「西海の藻屑となりし浦の浪」とワキに向いてサシ込み開キ「重ねて弔いてたび給へ」と供養を求める形となります。

ワキがその時の有様を委しく語るようにと求め、地のクリでシテは大小前から正中に進んで床几に腰を下ろします。以前にも書いたとおり、シテサシ、続く地謡で知章と従者監物太郎の討死が謡われ、クセではその隙に御座船へと逃げ延びた知盛の様が謡われます。
上端までは床几に腰を下ろしたまま謡が進み、その後シテは立ち上がるとクセの後半を舞います。
さらにクセの後、ロンギの地謡「げに傷はしき物語 同じくは御最期を 懺悔に語り給へや」から、シテは知章の最期を仕方に舞う形になります。
この辺りが特に本曲の難しいところと思うのですが、さすがにベテランの井上さん、見事にそのあたりの気分をとらえ、観ている方はなんの違和感もなく知章の最期に、父知盛の思いに共感したところです。
(72分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

知章のつづき

まずは次第でワキの登場。無地熨斗目に水衣、角帽子の着流し僧。角当さんの時はワキツレを伴っての出でしたが、今回は中所さんの時と同様にワキのみの演出です。
次第を謡い名乗り、さらに道行と謡って着きゼリフ。

知章とは誰だろうと謡いつつ向きを換えてワキ座に向き、謡い終えて歩み出します。するとシテの呼び掛け。シテは直面、段熨斗目に掛け素袍、ワキに何を言っているのかと問いかけます。シテワキの問答の形で進みますが、この部分の詞章のおさまりがしっくりしないのは以前書いた通り。上掛と下掛の詞章の違いなのでやむを得ないところです。

問答のうちにシテが舞台に入り、二人合掌して塔婆供養の偈文を読みます。この偈文、大日経・・・大毘盧遮那仏神変加持経にあるらしいのですが原典をあたっていません。曹洞宗などでは卒塔婆供養としてよく唱えられるようです。ひとたび卒塔婆を見れば、永く三悪道を離れ、それを造立する者は、必ず安楽国に生まれる、といったところでしょうか。
ともかくも祈りを捧げた二人は、知章の最期について言葉を交わします。

シテは知盛が名馬井上黒に乗って二十余丁の海面を泳がせ、御座船に辿り着いたことを語りますが。この井上黒、信州須坂は井上の産だそうで、後白河法皇に献上され、法皇が平家に与えたものとか。名馬の誉れ高く、戦場から生還し法皇のもとに戻されたそうです。
このシテの謡に続いて地謡となりますが「越鳥南枝に巣をかけ胡馬北風に嘶えしも」と続くところ、謡本には「越鳥」は「エツテウ」と謡うようにとわざわざ注記があり、実際にそう謡われます。「えっちょう」ではないのかと思うのですが、蟻通も同じく「エツテウ」と謡うことになっています。不思議ですが、何かしら謂われがあるのでしょう。他流はどうなのか疑問ですが、調べておりませんので・・・

続いてロンギとなり、シテは一門の者と明かして姿を消します。
前二回の鑑賞記では「後影も失せにけり」の謡の後、送り笛で中入となりましたが、今回は「芦邊をさして行く田鶴の」で常座に向かい「浮きぬ沈むと見えしままに」の謡を聞きつつそのまま橋掛りへと進み「後影も失せにけり」と幕に進んで中入となりました。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

 | HOME |  次のページ»

カレンダー

« | 2019-05 | »
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad