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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

邯鄲のつづき

一夜の宿を貸して欲しいとシテが言い、アイが招じて立ち位置を変えます。シテは舞台正中へと出、アイが後見から受け取って正中に据えた床几に腰を下ろします。アイは角に出て座し、シテと向き合っての問答です。

羊飛山に行って自身の一大事を尋ねようと思うと言うシテに、アイが邯鄲の枕を勧めます。シテがその枕はいずこにあるのかと問うと、アイが台上の枕を示しシテは一寝入りしようと思い立ちます。
アイが一眠りの間に粟のおだいをこしらえておこうと言ってシテの床几を外します。シテは一畳台に向かうと正面を向いて腰を下ろし、枕を見込んで夢の告を得ようと言って「ひと村雨の雨宿り」と謡って地謡に。シテは横になり唐団扇で面を覆う形になります。この地謡のうちにワキと輿舁が出、輿舁は一ノ松に控えて、ワキが一畳台の横まで進み、地謡の終わりに、一畳台を二つ扇で叩いてシテの目を覚まさせる形になります。

ところで先に進む前に、アイは栗のおだい・・・すなわち栗粥を拵えておこうと言いますが、その後、大蔵流では幕に向かって旅人がお泊まりになるので栗のおだいを拵えるようにと声をかけます。一方、和泉流では今回もそうでしたが、自ら拵えておこうと言ってそのまま下がります。ちょっとした違いですが気になるところです。

さてワキに声をかけられて、シテは目を覚ました形で起き上がりワキと向き合います。白大口に側次を着けたワキは、楚国の帝の位をシテ盧生に譲る勅使と言いシテと問答。
シテの謡「天にもあがる心ちして」でシテは立ち上がり、地謡が続けるなか、台を降りると輿舁が後ろから輿を差し掛けます。シテは正先に出て着座し輿舁二人は輿を鏡板に置いて切戸から退場、真ノ来序の囃子となります。

シテ、ワキは立ち上がりゆっくりと一畳台へと進みます。シテは台に上り後ろを向いて掛絡を外し、この間に子方、ワキツレの一行が出てワキ正側に一畳台のシテと向き合う形で着座します。
シテがワキ正に向き直ると地謡が「有難の気色やな」と謡い出します。ここをもって舞台は楚国の王宮ということになります。

さて昨日「子方に代わり」と林美佐さんの肩書きに書かせていただきましたが、本来は子方が勤めるところ、当日予定されていた中村昌弘さんのご子息千紘さんがインフルエンザを発症されたのだそうです。当日の朝、急遽、子方の装束でも着けられるということもあって同流シテ方の林美佐さんが代役と決まったとか。装束の制約というのもありましょうが、当日の朝に言われて舞台に立てるというのは、能らしいことでもあるものの、やはり林さんご自身が日頃、様々な修練を惜しまない姿勢であるからのことと思います。
この後、その林さんの子方の舞にもなってきますが、このつづきはまた明日に
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邯鄲 高橋忍(第1回士乃武能)

金春流 国立能楽堂 2018.12.01
 シテ 高橋忍
  子方に代わり 林美佐
  ワキ 殿田謙吉
  ワキツレ 工藤和哉 野口能弘 吉田祐一 大日方寛 御厨誠吾
  アイ 高野和憲
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 吉谷潔、笛 小野寺竜一

国立能楽堂の企画公演の翌日、同じ国立能楽堂で金春流の高橋忍さんが、初めての個人の会を催すことになっていまして、思い切ってこちらにも伺いました。

当日は金春憲和宗家と中村昌弘さんによる翁の素謡から始まり、前宗家金春安明さんや本田光洋さんをはじめとする仕舞六番。野村萬斎さんのシテで狂言蝸牛といった番組でした。
観世流では、翁を素謡として謡うときには神歌と言いますが、金春では翁の名で謡うようです。中村さんがご自身のブログに書いておられましたが、下掛では千歳を狂言方が勤めるので、千歳の謡は常日頃謡ったことがなく、珍しい機会だったとのこと。なるほど流儀による違いはこんなところにもあるのか、と思った次第です。

さて狂言を含めて他の演目については記載を省略して、邯鄲の舞台に話を進めます。
邯鄲はこれまで三度ほど鑑賞記を書いていまして、三度目は同じ金春流の本田布由樹さんの小書無しですので、今回と基本は一緒です。
観世流関根祥人さん月リンク
喜多流粟谷明生さん月リンク
金春流本田布由樹さん月リンク

舞台にはワキ座側に一畳台が出され、引き立て大宮が載せられます。
まずは狂言口開で、アイ高野和憲さんが宿の女主人の出立で登場し、枕の子細を述べて台上に枕を置き狂言座に下がると次第、シテの出になります。

紺地に金模様の半切、緑地に金模様の法被に掛絡をかけ、唐団扇を持っての登場です。橋掛りを進む歩みから、人生に悩む若者の迷いを示すような雰囲気を感じたところです。常座で次第を謡いサシ。名乗って道行を謡いつつ大小前まで進むと向きを変え、正面を向いて邯鄲に着いたと述べ、旅宿しようと言ってシテ柱あたりまで行き、狂言座に向かって案内を乞います。
さてこのつづきはまた明日に
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調伏曽我をめぐって

鑑賞記、この項の初日に、曽我物は現在演じられているものは四曲だが廃曲になったものもあるといったことを書きました。
詞章などが伝わっている限りでは、この四曲の他に切兼曽我、元服曽我、伏木曽我などが知られています。切兼曽我は金剛流のみの曲でしたが明治以降に廃曲になったようで、梅若実日記には明治14年に金剛唯一が演じた記録があります。
元服曽我はかつて宝生、金剛、喜多の三流にあり廃曲となりましたが、現在でも喜多流のみ参考曲としているようです。最後の伏木曽我は600年ほど前に絶えてしまった曲ですが、最近、観世流の加藤眞悟さんが復曲されたようです。
このほかにも、長い能楽の歴史の中では、曽我物語にまつわる能が作られていたのだろうと想像するところです。

ところで、曽我物の鑑賞記は今回を含めて5回書いていますが、いずれも宝生流です。宝生流は五雲会にほぼ毎年のように小袖曽我か夜討曽我が出るなど、曽我物の上演が多いような気がします。観世流では小袖曽我くらいで、あまり曽我物を見かけないように思いますが・・・

ところでこの調伏曽我、国立能楽堂での記録を見ると、前回は金剛流宗家永謹さんのシテで平成23年3月24日に上演されています。
今回の観能の際に国立能楽堂で久しぶりにお目にかかった方から、まさかこの時期にやらないだろうと思ったのだが公演があったと後で聞いてビックリしたというお話を伺いました。「まさかこの時期」というわけで、あの東日本大震災の直後のことです。
24日は木曜日で、私はこのチケットは取っていませんでしたが、実は13日の某会のチケットを持っていました。こちらこそ「まさかこの時期に・・・」と思ったのですが、なんと公演があったという話を後日知り、本当に驚きました。
当時は常磐線も止まってしまい、常磐高速も通行制限がかかった状態で、とても観に行けるような状況ではありません。それどころか、自宅は瓦が全部落ちてしまい、会社も営業継続のため停電の中で復旧作業に取り組んでいる状況でしたので、観能の件はすっかり意識にはありませんでした。

公演が中止になったわけではないし、このチケットのことを思い出したのはしばらくして震災の動揺がおさまってからでしたので、払戻しを交渉しようなどという気にもなりませんでしたが、「ああ公演したのかァ・・・」となんだか割り切れない気持になった記憶があります。
公演する方はそれまでの準備や経費もありましょうし、また御覧になれる方たちは楽しみしておられたでしょうから、上演されたこと自体は良かったと、頭では理解しているつもりでした。が、自分が被災者になってみると、なんだか忘れ去られているようで、割り切れなかった気持が、今でも時々思い出されます。

この項終わり
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