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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

融のつづき

さて正中での語から「君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見え渡るかな」と古今集、紀貫之の歌を引いての謡、そして地謡の下歌、上歌へと続いていきます。

上歌の「恋しや恋しやと」で立つ気配を見せると「慕へども願えども」で立ち上がって三、四足ほど出て「音をのみ鳴くばかりなり」の謡に、モロシオリしつつ下がって大小前に立ちます。ワキも立ち上がってシテを向き、物語に落涙したと言いながら名所教えを乞います。

シテが教えようと答え、ワキは目付柱の先、遠く見やる態で音羽山かと問います。シテも同じ方角を見て音羽山候よと答え、この後、ワキに向き直る形を交えつつ、ワキ正方向に中山清閑寺、やや右へ今熊野、さらに幕方に里一村の森の木立を見て、ちょうど幕の右端の方角に稲荷山。
後見座の奥に藤の森。「野山につゞく里は如何に」と笛柱の奥、地謡の方角に深草山を見て、竹田、淀、鳥羽と見やる形です。ロンギとなって一度、シテ・ワキ向き合い、さらに地謡裏の遠方に大原を見ます。ワキがワキ柱の方角を見「西に見ゆるは何處ぞ」の謡に、シテは正面からゆっくりとワキに向きを合わせて「松の尾の嵐山も見えたり」と謡います。
名所教えの方角取りは金春流も同様なので、先般の山井さんの時と同じですが、何度観てもこの場面の面白さを感じるところです。昔、京の都でこの能を観ていた人たちは、名所の数々を現実の場所として知悉していたのでしょうから、田舎から出てきた旅僧に教える気持でこの場面を観たのかも知れません。
さて、汐時も早過ぎて、とシテが思い出したように謡い、「忘れたり」と両手打ち合わせて田子に寄ると、目付柱近くで舞台先まで進み、両の桶を舞台から下ろして汐汲む形。下がって両方の桶を見ると、ワキ座から常座へと進み、桶を置いて中入です。

アイ六条あたりに住まいする者が進み出て、東山に出て心を慰めようなどと言って型通りにワキに気づき、ワキの求めで正中で融の大臣のことを語ります。
源融は嵯峨天皇の皇子で、清和天皇の御代、貞観十四年八月に左大臣に任ぜられたが、遊舞を好み、何事か世に面白きことがあるかと問うた。ある人が陸奥国千賀の浦で塩焼くほど面白いものはないと言ったので、塩釜をうつし、塩を焼かなくてはそれらしくないだろと、難波から汐を汲み、海に千人、道に千人、此の所に千人、都合三千人に汐を運ばせて塩を焼かせた。
かの業平も「塩釜にいつか来にけん朝なぎに 釣する舟はこゝに寄らなん」と詠じたとか。かの大臣はそうして一生を過ごし、寛平七年七十三歳にて亡くなったが、相続する人もなく、この地もこのようになってしまった。貫之の歌にも詠まれたと承っている。
と語り、その後は型通りのやり取りをワキと交わして下がります。
さてこのつづきはまた明日に
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融 粟谷明生(第22回初秋ひたち能と狂言)

喜多流 日立シビックセンター 2018.09.01
 シテ 粟谷明生
  ワキ 宝生欣哉
  アイ 野村万之丞
   大鼓 亀井広忠、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 杉信太朗

金曜日の夜は久しぶりに銕仙会を観に行って来たのですが、このあたりの話はまたいずれということで、ひたち能と狂言の続き、粟谷明生さんの融について書いておこうと思います。

ワキは羽衣に引き続き宝生欣哉さん。今度は諸国一見の僧ということですが、二ノ松あたりで名乗り、下歌、上歌と謡い、その上歌の終わり近く「宿の名残も重なりて」あたりで橋掛りを歩みだし、「都に早く着きにけり」と常座に出て上歌をおさめました。
「これは早都に着きて候・・・」と詞。「心静かに一見せばやと思ひ候」と言ってワキ座に着座、前シテの出となります。

一声が奏されて前シテ、無地熨斗目、水衣に腰蓑を着け、右肩に田子を担っての登場。常座まで進んで一セイ。「うら寂びまさる」あたりでまとめて握っていた田子の紐を放して桶を下げた形とし、サシ、下歌、上歌を省いて「あまりに苦しう候ほどに しばらく休まばやと思ひ候」と(たぶんそんな感じのことを)言って田子を置き、常座に立ちました。

このワキ、シテの出の形、7月に観た山井さんの笏ノ舞と同じです。今回は特段の小書はないので、シテ明生さんの考えでこの形を取られたのだと思いますが、融の前場はシテ、ワキのやり取りが多く、名所教えなどもあって長丁場ですので、このあたりを詰めるのも見所としては観やすい感じがします。

この後は汐汲みを廻っての問答になりますが、途中「や 月こそ出でて候へ」でシテ、ワキが幕方に月の出を見る形となりました。観世流とは方角が逆で揚げ幕の方が東になりますから(喜多流の方が古い形のように思いますが)月の出で幕方を見上げる形です。
「僧は敲く月下の門」「推すも」「敲くも」「故人の心」と謡い継ぎ、「目前の秋暮」とシテは小さく左右に面を使って、地謡の上歌。五、六足出て「籬の島隠れ」と目付柱方を見、ワキと向かい合ってツメてから左に回り、正中あたりから常座へと進んで「千賀の浦曲を眺めん」と正面を向きます。
ワキが塩釜の謂われを語るように求め、シテは大小前から正中辺りまで出て下居、語となりますが、このつづきはまた明日に
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羽衣さらにつづき

序「それ久堅の天といつぱ 二神出世の古・・・」が謡われ、常の形ではシテのサシがあってクセになりますが、霞留の小書では「久堅の空とは 名づけたり」からサシを省いてクセの「春霞 棚曳きにけり久堅の」に続きます。

クセはしばらく地謡を聞き「月清見潟富士の雪」で立ち上がると、四足ほど出て四拍子踏み開キ。左に回って大小前でシカケヒラキ、左右打込、扇広げて上羽と、常のクセの形です。
「落日の紅は」と雲扇…は観世流なので…カザシヒラキ、六つ拍子踏んで扇カザシ、地ノ頭から大小前「白雲の袖ぞ妙なる」と左右打込し、直して合掌「南無帰命月天子本地大勢至」と謡って合掌を解き、常座に進んで正に向き直り、序で答拝して序ノ舞となりました。

霞留は序ノ舞が盤渉序ノ舞になり、初段の途中から調子が黄鐘から盤渉へと上がります。杉信太朗さんの笛、いつもながら良く鳴って伸びのある音なので盤渉が冴える感じがします。
さてこの小書では三段目が破ノ舞の位になりますが、二段あたりから常よりも速い感じになっていました。三段を流れるように舞上げると、シテ、地の謡、破ノ舞の一連の部分が省略されて、地の「東遊の数々に」へと続きます。

二度目の「東遊の数々に」でシカケヒラキ、「其の名も月の色人は」と扇左肩二ソムケ…観世流で言う抱扇の形、左に回って大小前。さらに小さく一廻りすると「七宝充満の宝を降らし」とアフギ(招キ扇の形)から、扇を左右持ち替えて左の袖を抑え「國土にこれを施し給ふ」と扇を落とします。宝を國土に施す意での所作と思いますが、霞留独特の形。
シテは橋掛りへと移り、「浦風に棚曳き棚曳く」と一ノ松で左右見渡し、二ノ松あたりに進むと、ぐっとしまった謡に「愛鷹山や富士の高嶺」と、左の袖を懸けて空中高くから遥か地上を見下ろす形。左の袖を被くと「天つ御空の 霞に紛れて」の謡に、そのまま幕に入ります。
立ち上がっていたワキが常座へと進み、「霞に紛れて」までで地謡が謡を止め「失せにけり」は謡わずに囃子だけが奏される中、ワキの留拍子で終曲となりました。
小書が付いた上に、さらに省略もあり、また仮設舞台で橋掛りが短いことなどもあって、50分に満たない上演時間でしたが、充実した羽衣を観た感があります。
(48分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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