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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

仲光またつづき

地謡は「猛き心もよわよわと はや領状を申しけり」に続けて「仲光余りの嬉しさに」と謡い、仲光は立ち上がって美女丸を立たせ地謡座前に。ワキは笛座前に座し、仲光は正中へ。
「御盃や菊の酒 仙家に入りし身の 七世の孫に逢ふ事も」の謡に、仲光は満仲に酌をし、さらに美女丸にも酌をして正中に戻り「一世の契の二度逢ふぞ嬉しき」の謡に両手を突いて畏まります。

仲光は体を起こし「親子鸚鵡の盃の」と謡い、地謡が「幾久しさの酒宴かな」と謡うと、ワキが仲光を向いて「いかに仲光」と声をかけます。目出度き折なれば一差し舞う様にと言い、続く地謡の「幾久しさの酒宴かな」の繰り返しに、仲光は袖の露取って正に向き直り答拝から笛の吹き出しで男舞を舞います。
男舞は他流同様、中ノ舞ほどの重い位で、目出度き折とはいうものの仲光の複雑な心情を表現しています。
二段のヲロシで常座に着座、片シオリした後に立ち上がって舞い続けますが、三段でも正先で一度腰を下ろしガッシして立って舞うなどの型があります。「愁傷之舞」の小書が付くと舞の途中で着座してシオルと聞いていましたが、今回は特段の小書は付いておらず、このあたりは中森先生の演出ということなのかも知れません。

ともかくも深い思いを感じさせる男舞を舞上げるとシテのワカ、上扇から開キ、大左右して下がり常座に着座します。「あはれやげに我が子の幸壽があるならば 美女御前と相舞せさせ 仲光手拍子囃し 只今の涙を感涙と思はゞ 如何は嬉しかるべき」と謡いつつ片シオリ。
地謡が「思ひは涙 外目は舞の手」と謡い続け、シテは立ち上がると左の袖を返して左へ向き直りサシて「上露も下露も」と開キつつ下を見、右から小さく舞台を廻って「昨日は歎き 今日は喜の都に帰る」の謡に満仲を向いて正中で座して両手を突きます。ワキが立ち上がって美女丸を立たせ「恵心の僧都は美女を伴ひ」でワキ、子方が橋掛りへと進みます。
シテは正中から常座、さらに橋掛りへと二人を追い「仲光も遥に脇輿に参り」で一ノ松で美女丸の前に下居、ワキは二ノ松に立ちます。「かまへて手習学問ねんごろにおはしませと 御暇申して帰りけるが」の謡に、シテはやや下がって両手を突き別れの挨拶の形。
シテが立ち上がって舞台に戻る一方で、ワキが子方の後ろに回って歩みを進め、シテは正中から二人を見送る形ですが「暫しは御輿を見送り申し」の謡に常座までゆっくり出て、繰り返す「暫しは起こしを見送り申して」で片シオリして下がり「うちしをれてぞ 留まりける」で常座にて正面を向きモロシオリして留となりました。
(72分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

本曲に登場する満仲はもちろん実在の人物ですし、美女丸は恵心僧都こと源信の弟子として後に源賢法眼として大成します。仲光や幸壽については詳細は分かりませんが、当日の葛西聖司さんの解説に「残酷な物語を昇華するために」こうした物語が作られたとありましたが、仏の加護によって美女丸が後々、立派な僧侶となった仏教説話として理解できるということでしょうか。
中森貫太さんの熱演と、子方二人の好演が光った一番でした。
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仲光さらにさらにつづき

シテは常座から正中へと出て両手を突き、ワキ座で床几に腰を下ろした満仲に、美女丸を討ったことを報告します。
仲光と満仲のやり取りが続きますが、美女丸を失った(と信じている)満仲は、幸壽を自分の子としようと言い出します。仲光は幸壽が元結を切って失せてしまったと言い、自分も暇乞いをし出家したいと言います。
地謡が下歌、上歌と親子の哀れを謡ううちに、幕が上がって美女丸を先に立たせたワキが登場してきます。

美女丸が一ノ松、角帽子に水衣着流しのワキが二ノ松に立ってワキの名ノリ。比叡山の恵心僧都と名乗り、子細あって満仲の館に急ぐと言い「かうかう御座候へ」と子方を進ませて鏡板にクツロがせ、自らはあらためて一ノ松から案内を乞います。
シテが立って常座に出て応対します。シテ仲光にワキは「さても幸壽が事は候」と、幸壽の亡くなった子細を含んで声をかけますが、それ以上は言わずに満仲への取り次ぎを頼みます。
仲光が満仲に取り次ぎ、シテは大小前に着座し、ワキは常座に腰を下ろして満仲に向かい合います。満仲が何のための御出でかと問うと、ワキは美女丸の事を申し上げようとやって来たと言い、仲光に申しつけて斬ったと答える満仲に、ワキは心を静めて聞くようにと言って美女丸の子細を語り出します。
美女丸を斬れとの満仲の命に、仲光は主君を手にかけることはできないと迷い、我が子の幸壽の首を切って美女丸として御目にかけたのだと語ります。この言葉のうちに美女丸が出てワキの後ろに立ち、ワキは「されば我が子に代へて思ふ程の」と言いつつ立ち上がって美女丸の後に立って角へと出します。
美女丸は角で両手を突き、ワキは下がって下居します。

満仲は、幸壽が亡くなったのであれば何故に共に自害しなかったのかと美女丸に詰問しますが、ワキは、諸事をさし置いて幸壽が供養と思って美女丸を助けてやって欲しいと言います。
仲光も満仲を向いて両手を突き、地謡に。「猛き心もよわよわと」の謡に、満仲は一度立ち上がった床几に腰を下ろし「領状を申しけり」と美女丸を許した形になります。
さてこのつづきはもう一日明日に
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仲光さらにつづき

シテは上体を起こし「あはれ某御年の程にて候はゞ」と謡い出します。「心に任せぬ口惜しさは候」と面を伏せると、幸壽が「いかに父上」と立って寄り、小鼓方の前に下居してシテに向き、自分の首を取って美女御前と言って主君の目に掛けるようにと言います。

シテは幸壽に向き直り「美女御前に御命に代らうずると申すか」と腰を浮かせ、「さすがに仲光が子にて候」と腰を下ろして正面に向き直り言葉を続けます。
たしかに幸壽の首を取って薄衣に包み夜に紛れて御覧に入れれば、定かには御覧にならないだろうと言い、立ち上がって「御命に代り候へ」と言って幸壽を立たせ階あたりへ。美女丸も立ち上がって角に進み、シテは笛座前で後ろを向いて後見に肩上げしてもらいます。
シテは「時刻移りて叶ふまじと」と言いつつ立ち上がると、「太刀おっ取って仲光は 我が子の後に立ち寄れば」と言いつつ幸壽の後に寄り太刀を構えます。
美女丸が「美女は余りの悲しさに」とシテを止め「泣き悲しみて制すれば」とシオリます。
しかしシテが「なうお主の命に代る事 弓矢取る身の習ひなり」と言う詞で美女丸は下がり、階近くに下居して「悲しやな互に争ふ命の際」と言い、幸壽も階近くに進み出て交互に謡い、シテも交えて地謡に。主君と我が子、仲光も決心がつかず「猛き心にも 弱り果てたる気色かな」の謡に、仲光は下がり腰を下ろします。
子方同士が向き合って謡い、幸壽の「代り申さずは 弓矢の家の名ぞ惜しき」から地謡に。「彼方此方も稚き」と聞いて二人は正面に向き直り、シテは立ち上がると美女丸に寄りますが、面を切って「主君をばいかで手にかけんと」で太刀を抜き、太刀を構えたまま常座に進んで鞘を落とし「我が子ぞと 思ひ切りつヽ親心の 闇討に」で幸壽の後に立って拍子を踏み幸壽を斬る形。直ぐに袖を広げて美女丸を遮る形となり、その間に幸壽は切戸口から退場します。「我が子を夢となしにけり」でシオリ、正中に立ちます。
下掛の「満仲」ではこの後、美女丸が仲光の捨てた太刀を取って腹を切ろうとし、これを仲光が止め美女丸を諫めますが、この下りは上掛にはありませんで、次のアイとのやり取りに移ります。

アイが角に出てシテに向かい、只今の様子を見て落涙してしまったと告げます。
シテはこれを受けて心中を察してくれと言い、美女丸をお供して逃れて欲しいと頼みます。
畏まって候と承ったアイは、美女丸を立たせると、美女丸を諭しつつ橋掛りを進み、恵心僧都のもとを頼ろうと言って退場します。
シテは後見座で肩上げを下ろし、この間に満仲が切戸から出てワキ座で床几に腰を下ろします。

シテ仲光が立ち上がり、満仲へ報告に参上しますが、さてこのつづきはまた明日に
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