FC2ブログ

能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

樋の酒 山本則秀(三人の会)

大藏流 国立能楽堂 2020.03.22
 太郎冠者 山本則秀、次郎冠者 茂山逸平
  主 山本則重

樋の酒は、以前にも書いた通り和泉流では現行曲としていますが、大蔵流では「上演することもある」という程度で、私がざっと調べた限りでは、山本家と茂山千五郎家が時折上演している様子です。
その山本家の則秀さん則重さんと、茂山千五郎家からは逸平さんとのコラボ。こういう家を超えての共演も珍しいところですが、かっしりした山本家の芸風に逸平さんが加わると実に面白い。なんだか新しい酒が醸されるような、面白さを感じました。

以前にも書いたように、和泉流の樋の酒では、主人は二人の使用人にそれぞれ酒蔵と米蔵の番を命じますが、大藏流では主人が二人を米蔵と酒蔵に別々に閉じ込めて出かけてしまいます。しかも主人は次郎冠者が下戸だと思い込んでいて酒蔵に閉じ込めるのですが、実は次郎冠者は大酒飲みという設定です。その、実は酒が大好きな次郎冠者を逸平さんが、くだけた様子で演じ、山本家の二人のかっしりした感じの演技との対比がたいへん面白く感じられたわけです。

主人のとっておきの酒を勝手に次郎冠者が呑み始め、太郎冠者には米蔵と酒蔵の間に樋を渡して酒を送ります。それぞれが、それぞれの蔵の中で声を頼りに盛り上がり、謡を謡い舞を舞うという形。和泉流では米蔵を預かった太郎冠者が持ち場を離れ、二人が酒蔵で酒盛りをしますが、最後まで別々の蔵で、二人一緒に七つ子を謡い舞いするなどの大藏流の設定もなかなかに面白いものです。

ブログでは何度か樋の酒を取り上げていますので、筋などはご参照いただくとして、実に面白い一番だったと記しておきたいと思います。
   和泉流 野村万作さんの樋の酒 鑑賞記初日
   和泉流 三宅右近さんの樋の酒 鑑賞記初日
   大藏流 山本東次郎さんの樋の酒 鑑賞記初日
(20分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
スポンサーサイト



半年ぶりの能楽堂

本日は、第15回奥川恒治の会 記念大会「一角仙人」を観に、国立能楽堂まで出かけてみました。3月の三人の会以来、半年ぶりの能楽堂です。しかも半年前と同じ国立。
7月からは、様々な対応のうえで能楽も公演が再開されていますが、地元茨城では不要不急の東京行きは控えるようにという要請もあり、出かけにくい日々が続いていました。
ようやく今月になって県の要請も解除され、そろそろ出かけても良いかなと思ったのですが、さていざとなると、どこで何をやっているのだろうか、という状況。昨年末に手に入れておいた年間番組の類は、だいぶん変わっているのだろうし・・・と思い、おなじみ九皐会のサイトをのぞいてみたところ、奥川さんの会が演目を変更して開催されるとのこと。早速、チケットを購入して本日を迎えました。

座席は半分で、前後左右は空席になるように文様紙が置かれています。国立能楽堂の職員の皆さんのアイデアだそうですが、無粋にならないよう最大限の気遣いという次第。それでも脇正面、中正面は空席が見受けられました。まだまだ満席になるほどには、観能に出かけてくる人がいないということなのでしょう。
もともと、今回の公演は第15回記念ということで、道成寺を上演する予定だったようですが、上演時間が短くなるよう、一角仙人に差し替えての上演になったようです。上演が少なく珍しい、しかもなかなかに面白い曲です。
見所も本来の半分未満の入りで、勿体ないような舞台でしたが、狂言の武悪ともども、十二分に楽しませていただきました。

半年前の三人の会の記録がまだ終わらない。どうも気持ちが乗らないのはコロナ禍の影響も大きいのかも知れません。このままでは先に進めないので、まずは三人の会の鑑賞記を書き、続いて本日の会の鑑賞記を書いてみようと、少し前向きな気持ちになりました。

清経さらにさらにつづき

地謡とシテの謡が続きます。
「さては仏神三宝も」と謡ってシテは両手を打合せ、続く地謡の「捨てはて給ふと心細くて」でサシて「一門は 気を失ひ」と幕方を見、正面に直すと「力を落として足弱車の」で立ち上がります。「すごすごと」でタラタラと下がって「還幸なし奉る」で左右「あはれなりし有様」の謡に腰を下ろして両手を突き、左の手を上げてシオリます。
地謡が気分を変えて「かかりける所に」と謡い出しクセに。シテは立ち上がり正に打込むと「また船に取り乗りて」と二つ拍子踏んで開キ、「実にや世の中の うつる夢こそ誠なれ」の謡に、常座から橋掛りへと進みます。同じ銕仙会系の小早川さんが恋之音取の小書でなさった時も、金春の本田光洋さんが恋ノ音取の小書付でなさった時も、いずれもここで橋掛りに入っています。音取の小書がつくと橋掛りへ進むようなのですが、五流必ずそうなのかどうかは分かりません。音取の出の際も、笛を吹いている時に歩むのか、笛が止まった時に歩むのかは、流儀による違いがありますし、先にシテが床几に腰を下ろしたところで17行ほどの謡が省略されたと書きましたが、本田光洋さんの恋ノ音取では「さても一門は九州山鹿の城へも・・・」の部分の省略はありませんでした。

ともかくも「保元の春の花」と一ノ松で正面に向き、常の形では舞台上で見せる型を橋掛りで舞います。
「一葉の船なれや」と七つ拍子を踏み二ノ松へ。さらにさして幕前まで進んで「多勢かと肝を消す」と二つ拍子。「さるにても八幡の」で向きを変えて橋掛りを戻り「心魂に残ることわり」と常座に立ちます。ここからは常の形になり「あぢきなや とても消ゆべき露の身を」と上扇。大左右から舞台を廻るなどして「腰よりやうでう(横笛)抜き出し」と扇を笛に見立てて構えワキ正に向いて笛を吹く形。舞台を廻って「この世とても旅ぞかし」とツレと向き合って下居。ここから船中の最期へと場面が移り、「西に傾く月を見れば」と幕方に雲扇。「いざや我もつれんと」と常座で下居して合掌。「南無阿弥陀仏弥陀如来 迎へさせ給へと」で直して立ち上がり、正へサシて小さく回リ「船よりかっぱと」と二つ拍子踏んで海に飛び入った形。タラタラと下がって常座に座して「うき身の果てぞ悲しき」とシオリます。
この後のツレの「聞くに心もくれはとり」からのシテとのやり取りは省略され、キリのシテの謡「さて修羅道に遠近の」となります。キリでは「是までなりや」と謡が締めて、シテはツレに向かい別れを告げる風。直すと徐々に謡が速くなり「頼みしままに」でシテは橋掛りへと進みます。謡はそのまま「仏果を得しこそ有難けれ」まで謡いきり、シテは幕前で合掌し、囃子が残リ留の手で終曲となりました。
当日のメモ、この留に「すごく良かった」とのみ記してあります。ホントにボキャブラリーが貧困で残念ですが、去りゆく清経の霊を心が追いかけていくような、何ともいえない心持ちがしました。
(78分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

 | HOME |  次のページ»

カレンダー

« | 2020-09 | »
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。