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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

俊成忠度またつづき

カケリでは常座から角へ出て角トリ。左へ回って大小前で小廻りして開キ。足拍子二つ踏んで正先へ出、今度は右に回って角へ。地謡座へと向かい、大小前へと回って小廻りして開キ、カケリを終えます。

ツレが声を上げ、忠度の様子が変わったことを知らせます。シテの詞で修羅王が梵天に攻め上り、帝釈天が修羅王を追い下したと謡って、修羅道での戦いに忠度が巻き込まれて苦患を受ける様子となったことがうかがえます。
シテは太刀抜いて、修羅道の戦いを見せますが、常座にむかって小廻りし「こはいかにあさましや」の地謡に安座します。
シテは「ややあってさゝ波や」と謡い、地謡がこれをうけて「ややあってさゝ波や。志賀の都はあれにしを。昔ながらの。山桜かな」と千載集に取られた忠度の歌を謡い込み、この歌に梵天が感じて修羅道の戦いを免れたと謡います。シテは立ち上がって舞台を廻り、続く「灯火を背けては。共に憐れむ深夜の月。花を踏んでは同じく惜しむ。少年の春の夜も」の謡に常座から正中へと出て、角柱に向かって「はや白々と明けわたれば」と雲扇。角から常座に進んで小廻りし、袖を返して留拍子を踏み終曲となりました。

「灯火を背けては」白氏文集巻十三、春中盧四周諒と華陽観同居すの第三句と第四句ですが、和漢朗詠集におさめられていて多くの和歌にも影響あった様子。経正のキリや西行櫻など、謡曲でも多々引かれているところです。
本曲の作者は内藤河内守、左衛門ないし藤左衛門といわれる細川家の家臣だった人で、戦国時代に守護代であったと言われています。先日も書いたように、よく平家物語や和歌に通じた教養人と思われますが、当時の武士の教養はなかなかのものだった様子です。

金井賢郎さんは、以前にも書きましたが、宝生のシテ方としてはやや異質な謡・・・おそらくは声の質が太いので他のシテ方の皆さんと印象が違うのだと思います。しかしこれまた以前書いたように所作の美しさがあり、本曲でもカケリやキリの舞などに多々それを感じたところです。
またツレ俊成は亀井雄二さんでしたが、12年前に澤田宏司さんのシテで俊成忠度を観た時も俊成は亀井さんでした。さすがに12年の風格をまとって格調高い俊成であったと感じたところです。
(39分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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