能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

囃子のあれこれ

能の囃子は、大鼓、小鼓、笛に太鼓の四つの楽器からなっています。
太鼓は入る曲と入らない曲がありますが、要は三人ないし四人で演奏をするということですね。歌舞伎の囃子と比べると随分コンパクトな構成です。
これに謡一人を加えると、そうですね、雛人形の五人囃子の形になります。
唯一の例外は翁で、小鼓が三人になります。



さて囃子方も、それぞれの楽器毎に諸流あって、大鼓では葛野流、高安流、大倉流に観世流、石井流など。
小鼓も幸流、幸清流、大倉流、観世流。
笛は一噌流、森田流、藤田流の三流。
太鼓は金春流、観世流の二流。
と様々なのですが、残念ながら、それぞれについて述べるほど詳しくありません。



笛は唯一、メロディーを奏でますが、残りは打楽器です。
もちろん楽器ですから音が大切なのは間違いないと思うのですが、むしろ重要なのは「間(ま)」。それも指揮者がいませんから、お互いに相手の気合いをはかりながら、この「間」を取っていくわけです。
このお互いの気合いをはかりながら・・・というのがいかにも日本的な感じがしますね。



たしか川崎九淵だったと思うのですが、自ら打った囃子の録音を聞いて「間が録音されていない」と怒ったとかいう話を聞いたことがあります。残念ながらその言わんとすることを理解できるほどには、囃子のことはわかりませんが、なんだか囃子の奥の深さを感じるような話だと思います。



ちなみに川崎九淵師は明治初期生まれで葛野流大鼓の名人といわれた方。能楽界で初めて人間国宝になるなど大きな足跡を残しています。
昭和三十年代初頭には引退されているので、話に聞いただけの方ですが、ともかく凄かったようです。この川崎九淵と並び称されるのが幸流小鼓方の幸祥光。こちらは亡くなる直前に私の観能歴が開始しまして、ほんのちょっとだけ時代が重なりました・・・。



*このブログでは能楽師の名前に師をつけたり、○○さんと表記したり、はたまたなんの敬称も付けなかったりとバラバラですが、一応の目安として、なんにも付けていないのは既に故人となった方で、歴史的人物の扱いのつもり。○○さんは、多くの場合、私の好きな能楽師の方で若手を中心といったところです。

スポンサーサイト

能舞台の話

能舞台は三間四方の板の間を中心に、見所から見て右側に地謡座、奥に後座、左手に橋掛りを配した形になっています。
古くはこの全体が屋外にあるのが普通で、現在でも神社の能舞台などは屋外に置かれていますね。


現在では国立能楽堂をはじめとして能楽堂といわれるところは、この舞台から舞台上の屋根、白州、そして観客席まで全部ひっくるめて大きな建物の中に収められています。
このブログではいちいち断りをせずに、舞台上の各部分の名称などを用いていますが、今回はご参考ということで、おおよその位置などを掲げておきます。
下のサムネイルをクリックすると舞台図が表示されます。


 20060623220916.jpg


能舞台には四本の柱がありますが、最も目につくのは目付柱。これがあるために能舞台がよく見えないという問題があるのですが、一方で面を着けたシテにとっては自分の位置関係をはかる重要な目印となります。この目付柱のあたりを角(スミ)といいます。舞での重要なポイントですね。


一方、舞台奥、橋掛りに近い方の柱がシテ柱。この柱に近い舞台左手奥を常座といいます。舞台に入ったシテやワキが最初に名乗ったり、最後にトメの拍子を踏んだりなど、これも重要なポイントです。
その他、一ノ松や切戸口など良く出てくる位置については舞台図を参照ください。

見所・・・能舞台の話つづき

能舞台は古くは屋外にあって、一般の庶民は舞台を取り囲むように地面に敷物を敷いたりなどして、座って見物をしていたようです。また貴人は能舞台と白州をはさんで対峙する建物の中にいて、そこから能を観たということのようです。



矢来能楽堂は正面の奥が座敷になっていて、ここから障子を開けて舞台を見る形になっていますが、さしずめ現在の椅子席が庶民用で、座敷が貴人の席という造りになるでしょうか。
杉並能楽堂や銕仙会の青山能楽研修所のように全席が座敷というところもあり、これはこれで趣深いものがあります。



観客席は舞台に真っ直ぐに向き合うのが正面。舞台左手側がワキ正面(ワキ正)で、正面とワキ正の間の扇形の部分が中正面(中正)といいます。昔は舞台右手側、地謡の後にも席があって、地裏と呼ばれていたそうですが、現在、こちら側から能を観ることはありませんね。



各種の能会は全席自由の会もあれば、指定席だけの会もあります。指定・自由半々といった形もありますね。
指定される場合はやはり正面席が一番高くて、ワキ正がそれに続き、目付柱が邪魔になる中正は一番お安いのが普通です。
ですが案外、通の方でワキ正を好まれる方もいます。能が立体的な動きを特徴としているからなのですが、この話はまた別の項目で。



私は中正面も気に入っています。シテはおおよそ、常座、角、大小前、正中で所作をしますから、微妙な位置関係で中正でも目付柱がほとんど気にならずに済む席があります。
こういう席が見つけられれば、前後左右とシテの動きを立体的に捉えることが出来て、とても面白く能を観ることができます。
ただし能楽堂と、上演される曲によって、どの席が良いかは微妙に変わります。全席自由の時などにいろいろ試してみるのですが、掘り出し物の席を見つけるのも観能の楽しみの一つです。

橋掛りの効用・・・能舞台の話つづき2

能の面白さに、思いの外大きな影響を持っているのが橋掛りではないでしょうか。



歌舞伎の花道ほどではありませんが、遠い道のりを表したり、あるいは舞の途中で舞台だけでなく橋掛りまで使うことで、舞に劇的な広がりを持たせたり、使い方によって大きな効用があります。



建礼門院徳子を主人公とする大原御幸では、シテの女院(徳子)と阿波の内侍、大納言の局の三人の尼が、橋掛りを使って立ち並ぶ姿が、まるで一幅の絵のような効果をもたらしています。
また翁のはじめ、太夫を先頭に進んでくる一行が、橋掛りまでずっと並ぶ姿も趣深いものがあります。



橋掛りは、独立した建物である能舞台に、楽屋から出て行くための便宜的なものが起源だったのでしょうけれども、その価値を活かす方向に能の演出が進んできたということだと思います。
もっとも古い時代には、まさに楽屋から出てくるための通路であったため、舞台奥側、松の絵の描かれた鏡板の方に橋掛りが作られていたものもあったようですし、また橋掛りが舞台の右側、逆勝手になる場合もあったようです。



上座・下座による立合の形が現在でも行われている黒川能では、左右に橋掛りがある形の能舞台が用いられるようです。
この黒川能というのは山形県鶴岡市の旧櫛引町地区に数百年にわたって伝えられてきたもので、現在の五流とは異なる古い時代の能の姿を伝えているといわれています。
残念ながら黒川能を見たことは無いのですが、いずれこの黒川能についても書いてみたいと思っています。

能の分類

現行能・・・能は短く見積もっても、世阿弥以来700年ほどの歴史を持っています。歴史の話はいずれ別項で書きたいと思いますが、この長い歴史の中で、おそらくは数え切れないほどの演目が作られてきたのだろうと思います。けれども時間の経過の中で磨かれて現在まで伝えられている演目は200曲あまりというところでしょうか。



各流によって違いもあり、また明治以降、最近になっても作られている、いわゆる新作能もありますが、古典に属するものとしては、おおよそ200ととらえて良いかと思います。
これらの能はいくつかのカテゴリーに分類することが出来ます。



例えば夢幻能と現在能という分類があります。
能の前半で不思議な人物が登場し、ワキの演ずる旅の僧などに出会います。なにやら昔の物語や、あるいは草木の精を巡る謂われなどを語って姿を消します。後半になると、その物語の主人公の幽霊や草木の精などが登場する形です。



いわゆる複式夢幻能と呼ばれる形で、能の典型、あるいはこれこそが能であるといった評価をする方もありますが、けっしてそれだけが能ではありません。



歌舞伎の勧進帳の元とも言える安宅をはじめ、斬り組みのある曲などもあり、幽霊など登場しない現在能といわれる形式の能も多々存在します。



またシテは面をつける曲が多いのですが、面をつけない直面(ひためん)の演目も少なくありません。直面かどうかで分類することも可能です。
さらにどんな舞が舞われるのか、いつの季節の能なのかなど様々な分類がされています。



そんな中で広くいわれているのが神男女狂鬼(しんなんにょきょうき)の五種類の分類。シテの性格付けによっての分類ですが、これは五番立てという演能形式と深く関わった分類法です。

五番立て

以前にも書きましたが、江戸時代に幕府の式楽として能の形式が定着してくる中で、演能は翁付き五番立ての形式が正式とされるようになりました。

この翁付き五番立てというのは、儀式的な能である「翁」と脇能といわれるジャンルの能を続けて演じ、次に狂言をはさんで二番目物。さらに狂言をはさんで三番目物という具合に、翁と脇能を翁付きの一番と数えれば、能五番と狂言四番を交互に演じる形式です。

現在では五番立ての形で能狂言が演じられるのは稀ですが、定例的なものとしては能楽協会主催の式能があります。
年に一度、一部・二部に分けて演じられますが、一日を通して観るのはなかなか大変。正直のところ体力勝負といっても良いかもしれません。
椅子席に座って一日中観るという形自体に無理があるのかも知れません。
やはり日本人らしく、座敷や桟敷にでも座って、時々飲食を交えながらくつろいで見るべきものか・・・とも思います。

歌舞伎も江戸時代は朝から晩までの一日中観劇するのが基本だったようで、弁当を持って朝から出かけて、一日中、食べたり飲んだりしながら楽しみにふけったということでしょう。
私は機会なく、本物の歌舞伎を生で見たことはないのですが、江戸時代の歌舞伎の演目は上演に大変長い時間がかかるものが多く、仮名手本忠臣蔵も通しでは12時間くらいかかったのではないかと記憶しています。
さらに東海道四谷怪談の初演は、この仮名手本忠臣蔵と入れ子のような形で交互に演じられて、二日を要したという話を聞いたことがあります。

大相撲もそうですが、エンターテインメントはもっとのんびりと楽しむべきものなのかもしれません。

初番目から・・・五番立てのつづき

翁付き五番立ては、現在の式能の場合朝10時に開演し、途中休憩をはさみながら夕方5時過ぎまで演じられます。

もっとも聞くところによると、江戸時代以前では現在に比べると一曲の上演時間がだいぶん短かったようで、曲のテンポなどが現在とは異なっていた様子です。
五番立てでも現在ほどの時間はかからなかったらしいのですが、果たしてどんなものだったのか。確か古い時代の進行で演能するという試みが最近あったように記憶しているのですが、どんな感じだったのか興味深いところですね。

ともかくこの五番立てという演能形式によって、能楽は大きく神男女狂鬼の五つのカテゴリーに分類されるようになったということだろうと思います。

五番立てで翁に続いて最初に演じられる能が初番目物。一般には「神」様がシテとしてなることから神能ともいわれます。また翁を主とすれば従の関係にもなることからか、脇能という言い方もありますね。

脇能に続いて脇狂言が演じられますが、狂言の話は別の機会ということで、二番目に演じられる能、二番目物。戦で死んだ武将の幽霊が主人公となるため修羅物ともいわれます。武将ということで「男」なのですが、実は巴一曲だけ主人公は女性です。

三番目物は「女」性を主人公とし、女性の鬘にちなんで鬘物とも呼ばれます。

次の四番目物は「狂」で、代表的なものは狂女物がありますが、この四番目物は狂女物だけに限られるわけではありません。「女だけじゃなくて狂男か・・・」と、もちろん男物狂の曲もありますが、それだけではなく要は他のカテゴリーに入らない雑多な曲があって雑物とも呼ばれたりします。

最後の五番目物は、切能とも呼ばれ「鬼」を主人公とします。

祝言・・・五番立てのつづき2

翁に始まって、能五番と狂言四番が交互に演じられ、最後の五番目物、切能で一日の能が終演となります。

切能は鬼と書きましたが、若干の例外はあるものの、多くは鬼神や妖怪などを主人公にした能です。切能は一日の締めくくりですから、猩々のように目出度い妖怪であればそのままでも良いのですが、最後に変な鬼の話では縁起が悪い。ということで古くは祝言能、神能の後半分が演じられたりしたようです。

その祝言能がだんだん省略されて、附祝言ということで祝言能の代わりに、高砂や嵐山など祝言曲の一部分が謡われるようになりました。

通常は高砂の最後の部分「千秋楽は民を撫で萬歳楽には命を延ぶ。相生の松風颯々の声ぞ楽しむ、颯々の声ぞ楽しむ」が謡われることがほとんどです。が、その日既に高砂が演じられていた場合などには、嵐山の「光も輝く千本の櫻、光も輝く千本の櫻の栄ゆく春こそ久しけれ」などが謡われることもあります。
要は祝言能の代わりですから、養老や猩々など、祝言能とされる曲の小謡なら基本的には問題ないわけです。

現在では五番立ての能会は滅多にありませんが、通常の演能会でも基本は五番立てに沿った形になっているので、最後が目出度くない曲の場合などは、附祝言を謡う場合がありますね。

宝生流では「五雲」という独特の祝言小謡がありこれを謡うこともあります。私は一度しか聞いたことがありませんが、「謡うも舞うも宝生の 流れ久しき栄えかな」という、きっと宝生を習っておられる方などは、誇らしい気分になれるのではないかと思える謡ですね。

神能

翁に続いて最初に演じられる曲で、神様が現れて舞を舞うというのが基本です。顕現する神様は、住吉明神や蔵王権現など具体的に特定されている場合もあれば、単に所の神の場合もあります。

神能と分類される曲も、大きく二つの系統に分かれるといっていいかもしれません。
一つは世阿弥の作になる高砂や弓八幡など。
前半ではシテの老人とツレの老婆などが、ワキの勅使や神官の前に現れ、様々な奇特の話を聞かせて姿を消します。後半になると若々しい神が顕現し、舞(神舞)を舞うという形です。また老松などのように後シテが老神となるものもあります。

もう一つの系統は金春禅鳳の作と言われる嵐山などで、後半部分で様々な神々が登場し絢爛豪華な印象があります。

登場する神々も、高砂や弓八幡、養老などは若々しい男の神ですが、老松や白楽天のように老いたる神が登場するものもあります。また西王母や呉服のように女神が登場する曲もあれば、嵐山の蔵王権現は荒ぶる神の姿です。

「翁」は能というよりは儀式に近いので、五番立てで最初に演じられる能は神能といってもいいのだろうと思いますが、その最初に演じられるものが神能であるところにも、能の独特の世界が象徴されているような気がします。

私個人としては高砂など閑雅な趣のある神能が好きなのですが、それにつけても昔の人たちはどんな想いで、こうした神能を観たのだろうか・・・とふと思うことがあります。いずれこうした話も項をあらためて考えてみたいと思っています。

修羅物あれこれ

神男女狂鬼の二番目、男にあたるのが修羅物です。戦いの中に死んだ武将の幽霊が主人公で、夢幻能の形式をとっています。

悟りを開かない限り、天・人間・修羅・地獄・餓鬼・畜生の六道を輪廻し続けなければならないという六道輪廻の思想が色濃かった時代、戦に明け暮れた武将の魂は死の後に修羅道に堕ちて苦しみ続けていると考えられていたのでしょう。

修羅物の多くは複式能の形式をとり、前半では老人などの姿で現れます。古戦場などに立ち寄ったワキの旅僧に、かつての戦を物語り供養を頼んで姿を消すというのが良くある形ですね。
後半になると、シテは生前の武将の姿で現れ、古の戦いの様を見せ修羅の苦しみを訴えますが、僧の読経の功徳によって成仏するというのが基本的なパターンでしょうか。

こうした基本線のためか、多くの曲の主人公は平家の武将で、忠度や清経、敦盛などの公達がシテとなりますが、平家物語に素材を取り「あわれ」を感じさせる演目となっています。

もちろん形式やシテの性格などには例外もあって、中でも、箙・田村・屋島の三曲はそれぞれ梶原源太景季、坂上田村麻呂、源義経を主人公とし、いずれも戦には勝っていますから勝修羅三番と呼ばれて、武士に人気のあった曲といわれています。
また巴は、木曾義仲の愛妾であり美貌の女武者といわれた巴御前をシテとしていて、修羅物としては唯一女性が主人公の能です。

鬘物

女といっても、生身の女性ばかりではなく、草木の精なんていうのもありますが、基本は女性を主人公にした舞中心の演目です。

観世流の場合は、全210曲の現行曲のうち32曲ほどの演目が鬘物に分類されていますが、羽衣や熊野、野宮、井筒など人気曲が多く、これこそ能の神髄といったとらえ方もされたりします。
しかしながら、本当に能らしい能であるだけに、初心の方には正直のところあまりお勧めできません。特に、太鼓の入らない序ノ舞が舞われる曲を本三番目物といって、まさに幽玄を感じさせる曲が多いのですが、要するに動きが緩慢でぼわーっとした印象の曲が多いんですね。

杜若や胡蝶など、草木などの精が主人公という曲に至っては、とりたててストーリー性があるわけでもなく、正直のところ「だからどうなの」という話です。
もちろんそこにこそ、世阿弥など先人が能に求めた美の極致があるわけで、これを楽しめれば最高です。
中には「前世の契り浅からぬ」人もいて、こうした曲を初めて観てもいきなり能の虜になってしまう方も無いわけではありませんが、そうは言っても、一般的にはなかなか理解できにくいもの。
できればもう少し動きのある曲をお勧めします。ゆったりと演じられるだけに、一曲の上演時間も長目のものが多いんですね。

大原御幸に至っては、舞も無いし、いわゆる所作事も無いのに2時間近くかかります。
ある大原御幸の演じられた会で、割と能を観ることには慣れておられると思える初老の男性二人が休憩時間に「なんであんな曲をやるのかねぇ」「動きがなくてなぁ」と話しているのを聞いたことがあります。
でも、本当は面白いんですけど・・・ねぇ

狂ということ

四番目物は雑物と言われるように、他に分類できない様々な能が含まれています。
その中でも「狂」といわれるくらいなので、物狂いの能が典型的でしょうか。

この「物狂い」というのは、能としてみた場合は、百万や隅田川など、子を失った母親が狂女となって我が子を探し求めるといった、ドラマ性の高い趣深いものになっているのですが、では「狂う」とはどういうことなのか、と言われると、どうもうまく説明できません。

能が生み出された時代の日本人の感覚と、現代人の感覚は大きく違っているわけで、どうにもうまく理解できない概念、言葉というのも少なくありませんが、その中でもこの「狂う」というのは筆頭かもしれません。

隅田川のワキが「面白う狂うて見せ候へ」と言ったりするのをみると、自発的に「狂う」ことができると思われていたわけで、現代感覚での「狂人」とはだいぶん意味合いが違うような感じです。
なにがしか神懸かりのような状態のことを言うのかも知れません。

また男物狂いというのもあって、高野物狂では「出家する」と書き置きして行方知れずとなった若君を求めて家臣が物狂いになるという設定で、女物狂いとはいささか異なった設定になっています。歌占では子供と生き別れて物狂いとなった父親ということで、こちらは隅田川などにも通じそうですね。

いずれにしても現代人の感覚としては、今ひとつ理解しがたい物狂いですが、能では重要なテーマとなっています。

雑物・・・四番目物つづき

狂女物以外の四番目物となると、実に雑多で様々なものがあります。
正尊や烏帽子折など派手な斬り合いのある曲、邯鄲や天鼓など中国を舞台とした曲、自然居士や望月など芸尽くしの曲など、ストーリーの面白さで見せるもの、舞や謡の面白さで見せるもの、活劇的なもの、様々なジャンルのものが含まれています。
中でも、葵上や道成寺、それに安宅などの曲は有名でもありますし、初めて能を観るときに選んでも失敗しない演目と思います。

私が「好きだな」と思う曲も、ここに分類されるものが少なくありません。
情念といったらいいのか、執心といったらいいのか、現代のドラマにも通じるテーマのものもあります。

砧は、そんな中でも名曲といわれていますが、世阿弥自身が、後世の人はこの能の味わいが分からないだろうと予言したことでも有名です。
その言葉通り、江戸時代などにはほとんど上演されなかったらしいのですが、昭和に入ってから再び注目されるようになり、現在では人気曲の一つ。
現代にいたって、ようやく世阿弥の残した能の味わいが理解されるようになったということなのでしょうか。

ところで観世流の場合は、この四番目物と次の五番目物、両方の性格を持った能として「四五番目物」という分類をたてて、23曲を配置しています。
夜討曽我や正尊といった活劇的なものを始め、望月、自然居士など、一般には四番目物と分類される中から特に選んだという感じですが、羅生門のように一般には五番目物と分類される曲も含まれています。

切能

最後の五番目が切能と言われる演目。神男女狂鬼でいうと「鬼」の能ということになります。

「鵺」や九尾の狐を取り上げた「殺生石」のように、明らかに妖怪の類のものもあれば、菅原道真の怨霊が主人公の「雷電」、酒呑童子が主人公の「大江山」、さらに「是界」をはじめ天狗を主人公とした曲など、様々な性格の主人公がありますが、要は「異界から来たるもの」ということなのでしょう。

概して上演時間が短く、にぎやかな曲、豪快な曲が多いのも特徴です。
五番立てで観ていると、さすがに四番目物あたりからは疲れが溜まってきますし、一日の最後ということで、スカッと楽しめる曲を持ってきたということでしょう。

この切能に属する曲も、初めて能を観るにはお勧めの曲が少なくありません。
ここで興味をひくのが「鬼」ということ。
鬼というと赤鬼、青鬼といった、角の生えた鬼を想像してしまいますが、必ずしもそれが鬼のすべてではありませんね。
この鬼を巡る話は、いずれ別項目として触れてみたいと思います。

仕舞

能の会で割合ポピュラーな形は、能二番と狂言一番といったところでしょうか。
これだとあまり長時間にもならず、各曲それぞれに雰囲気の違いも楽しめるプログラムかと思います。



ところで、この形や、あるいは能一番と狂言一番といった形の会の場合、ほかに仕舞が数番入ることも少なくありません。



仕舞というのは一曲の能のハイライト、謡をバックに舞や所作のある部分を見せるということで、クセやキリ、段物、道行などの部分が演じられます。
特にクセの部分は長さも手頃だし、もともと別の芸能だった曲舞が取り入れられた部分で、それなりの完結性もあるので良く演じられますが、クセの話はまた別の項目で・・・



さて仕舞は紋付・袴で舞われ、囃子も入りません。地謡も3、4名とシンプルな構成ですが、それだけにシテの技量があからさまに出てしまうような気がします。
素人として稽古をする場合は、謡と仕舞から入りますが、実はシンプルな分だけ本当に「見せる」仕舞を舞うのは難しいように思います。



仕舞を見て「うまいなあ」と思ったり、感動を覚えたりすることは、正直のところあまり多くありません。それだけに仕舞で「おおっ!」と思った方は、その後、能を観てもまずハズれませんね。



ちなみに仕舞を舞うときの紋付・袴は、地謡などよりも少しだけ派手な物を着けるようで・・・素人ではそんな何着も用意できませんが、そこはそれプロは、同じ会で地謡もされる場合、ちゃんと着替えをされることが多いようですね。



いつぞやの会で、能が始まったのに地謡が四人。なんだあ???と思っていたら、直前に仕舞を舞われた某先生が地頭で、紋付袴を取り替えていたらしく、ワキの名乗りが終わったところで後列四人の地謡が登場したというのがありました。

舞囃子

仕舞以外で割とよく見かけるのが舞囃子です。能の舞、序ノ舞や中ノ舞、神舞などを中心に、その前後の部分を含めて演じます。



舞働など舞の部分自体が短いものもありますが、序ノ舞などを主体として、その前後を含めると、かなり長時間の出し物になります。
例えば羽衣では、能の場合はクセの後に序ノ舞、短い謡が入って破ノ舞、そしてキリと続きますが、舞囃子としてクセから序ノ舞そして直接キリへと続けて舞う形が良く行われます。この形だと時間にして30分くらいでしょうか。しかも羽衣の一番面白い部分でもあり、ちょっとした能を観たくらいに楽しめますね。



ただし仕舞と同様に紋付袴で演じ、面や装束を着けないのが普通です。地謡は3名から5名程度といったところで、割合シンプルな構成です。



仕舞は舞台中央、大小前あたりに並びますが、舞囃子ではシテと地謡は笛座前あたりに斜め、角の方向を向いて座ります。
仕舞でもそうですが、二人静や小袖曽我のように、シテ・ツレ二人で舞うようなものもあります。



通常、面や装束を着けないシンプルな形のため、仕舞同様にシテの技量で面白さが全く変わってしまう、そこが良いところかも知れません。
どんな構え、どんな面(おもて)の使い方、そしてどんな気分で演じようとしているのかが、装束を着けない分だけよく見えるような感じがします。

素謡、独吟、連吟など

仕舞や舞囃子はプロの会でも割合拝見する機会の多いものですが、素謡や独吟などは、あまりお目にかかりません。一方で「○○先生門下の会」などという素人の発表会を見に行くと、むしろこちらが中心。



素謡(すうたい)というのは一番の謡曲全曲を、シテ・ワキ・地謡等の役を決めてひたすら謡うというもの。囃子が入りませんし舞もありませんから、同じ一番でも能と比べるとだいぶん時間が短くなります。が、まさに謡だけで全曲を伝えるわけで、案外それなりの面白さがあります。



プロは舞台上で謡本を見ることはありませんが、素人の会では通常、素謡は謡本をみて謡う場合が多いようです。もっともシテ・ワキなどを素人が勤め、地謡はプロという形も少なくないので、この場合は前列に並んだシテ・ワキだけが謡本を見ているなどという形になりますね。
この謡本ですが、木製の四角い箱のような見台(けんだい)に置いて見ます。見台は桐でできているんだそうで、たたむと平らな板になり簡単に開いて台にすることができます。



独吟、連吟は一曲のうち聞かせどころを、文字通り一人で謡うのが独吟、複数人で謡うのが連吟です。独吟や連吟で謡う場所というのは決まっていて、謡本に独吟の部分が注記してあったり、また独吟集なども出版されていますね。
ちょっと稽古にも慣れて、少々謡にも自信が出てきた方なんかが、師匠に勧められて・・・といったところでしょうか。
もちろん、素謡や独吟、連吟もプロが能会で謡うこともあって、これはこれで素晴らしいものもあります。

囃子とのコラボ

その他の演目として、謡と囃子がからむものとして一調があります。
一調は文字通り楽器は一つだけですので、謡一人に小鼓といった形になります。もちろん大鼓の一調や太鼓の一調もあります。



囃子が入ったときと入らないときでは謡い方に変化があります。この話はいずれ別に項目をあらためて書きたいと思っています。能のリズムの取り方、地拍子(じびょうし)は現代のリズム感覚からいうと大変特殊な感じがするのですが、日本人の古来からの感覚を理解する一つの手がかりではないのか、と思っています。



それはさておき、この囃子、特に小鼓と謡との絡みはなかなか面白いものです。
残念ながら小鼓を習ったことがないので、正直のところ本当の面白さまで理解しているとは言い難いのですが、それでも独吟とはまた違った面白さを感じます。



この一調に笛が入ると一調一管となります。また同じ一調一管でも謡が入らずに、笛と打楽器だけという形もあります。
笛が、いわゆる舞の部分だけを吹く形が一管。やはり笛だけを聞かせるということになると、呂中干を繰り返す形では面白味が少ないのか、あるいはここが笛方の腕の見せ所ということなのか、獅子や鈴ノ段など難しい曲が選ばれるような感じがします。



獅子の旋律は独特で私の好きなものの一つ。翁の鼓の手と獅子の笛は、一度聞くと、二、三日は頭らか離れなくなってしまいます。



素謡に囃子をつけた形、要するに能一曲を所作なしで演ずるのを番囃子(ばんばやし)といいますが、これはあまり演じられませんね。そこまでするなら、能を演じてしまえばいいのではという気もしますが・・・

半能、袴能

普通に装束を着けて能を演じる場合でも、一曲全部を演じない場合があります。さすがに前半部分だけを演じるという話は聞いたことがありませんが、後半のみを演じる物を半能といって、特に石橋(しゃっきょう)や猩々(しょうじょう)などの半能が良く演じられます。



別にどの曲は半能で演じても良いとかダメだとか、決まりがあるわけではないらしいのですが、前半があまり面白くないとか、後半部分だけを際だたせたいとか、いくつかの理由から前半部分を省略して演じられる形が出てきたようです。



観世流は特にこの傾向が他流よりも強いようで、猩々の前半は既に謡本からも消えてしまい、一場物と構成されています。また石橋は謡本では長い前シテ部分が残っていますが、演じられるのは稀なようです。



他の流儀でも石橋は半能形式で演じられることが多いのですが、たまに前後通しての上演もあります。本来は半能が特殊な形式なので、番組には「半能 石橋」などと表記すべきなのですが、半能の方が通常なので「能 石橋」と表記されていても通常は半能。では前後通しの場合はどうするのか。
これは金春安明師がブログに書いておられるので、そちらを参照頂けると良いのですが、金春では能楽師の間では「丸能」と呼んでおられるそうです。ただし番組に「丸能」という表記はしないので、ちょっとした工夫をされているという話です。



能一曲を面・装束を着けずに演じるのが袴能。文字通り袴で演じる能です。
袴能の形で演じるのにはそれなりに理由があってのことでしょうが、古くは夏の暑い時期に装束を着けずに演じたのがもとらしく、袴能は夏、七月の季語にもなっています。
今ではどこの能楽堂も冷房完備ですので、夏場でも装束能が演じられ、袴能をみる機会は減っていますね。

初めての能楽鑑賞

ところで、まだ能を観たことがないのだけれど、どうしたらいいか・・・という話を。
別に、能や狂言といってもエンターティンメントですから、そうそう難しく考えることはないのですが、でもせっかく観に行くなら楽しく観たいもの。
そういう意味で、こんな風にしたらどうでしょうというお勧めです。このテーマ、折に触れて書いていこうと思いますが、まずその一回目ということで。



まず、あまり番数の多い会を選ばないこと。
一見お得のようですが、番数が多ければ正直のところ疲れます。別に寝てしまっても良いのですが、せっかく入場料を払っているのにもったいないし、回りの観客の迷惑になることもあります。
できれば能一番に狂言一番程度のものを選ぶと良いのではないでしょうか。



次に曲。できるだけ緩急あるものを選ばれると良いと思います。そうした意味では修羅物や狂女物などがお勧めかと思います。修羅物は前後二場の夢幻能の形をとる場合が多いので、能らしいゆったりさと武将の動きの対比もあって楽しめるのではないでしょうか。



また狂言も、ともかく笑えるようなものとの組み合わせなら、なおけっこうだと思います。狂言の話もいずれ少しずつ書いていこうと思っていますが、正直のところ連歌をテーマにした物などは相応に歌の知識が無いと、面白さが分かりません。パロディーが面白いのはオリジナルを知っているから・・・ということもありますよね。



初めて観に行くという場合、入場券の入手のしやすさや会場へのアクセスの問題もあります。そうした意味では、関東にお住まいなら国立能楽堂の普及公演や定例公演などがお勧め。
日本芸術文化振興会のサイトにアクセスすれば、今年度の予定が参照できます。



また、地域のホールなどを使っての普及活動的な能公演もあります。
お住まいの地域でこうした催しがあれば覗いてみるのもいいかもしれませんね。

喜多流職分会自主公演を観に行く

このところ何かと忙しくて、今月初めての観能が今日になってしまいました。



という訳で、4月の喜多流職分会自主公演能を観に出かけたのですが、余裕を持って出かけたつもりが、目黒駅でいつもと違う出口から出てしまったために道を勘違い。
山手線の線路に沿った方向に歩いていたので、全く方向違いという訳ではなかったのですが、結局は遅刻して仕舞を見落としてしまいました。



最初が仕舞三番で、まだ終わる前に能楽堂にはたどり着いたのですが、さすがに途中で入るのも気がひけたので、ロビーのモニターで鑑賞。
自然居士の能から席に着きました。



番組は、能が自然居士、羽衣が舞込の小書付き、そして是界に白頭の小書付きの三番。
あとは狂言の鬼瓦と、仕舞が最初に三番、途中に一番といったところです。
能狂言のそれぞれについては、また明日から気になったことなど含めて、書いていくつもりです。



喜多の自主公演は午前11時45分からですが、途中1時過ぎに休憩があり、この時間に二階のレストランで食事をされる方が多いようです。
私は途中済ませてきましたが、この休憩を利用して二階席の探検に。



正式な能楽堂で二階席があるのは、この喜多六平太記念能楽堂くらいかもしれません。
あまり席数は多くありませんが、たしかに舞台を見下ろす感じで障害物なしに舞台が観られますね。
水戸の芸術館にあるACM劇場は能舞台のように張り出した舞台を、3層の客席が取り囲む12角形の劇場ですが、ここの二階席に上ったときと似たような印象です。
上から見ると、面の陰影などは分かり難くなってしまいますが、全体の構成は逆によく見えたりしますね。



会自体は各演目とも楽しめました。
が、またまたちょっとしたハプニング。どうも最近、能を観に行くと必ずなんかありますねぇ

自然居士 内田成信(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2006.4.23
 シテ 内田成信、子方 内田貴成
  ワキ 殿田謙吉、アイ 善竹十郎
       大鼓 柿原光博、小鼓 古賀裕己、笛 寺井宏明



いや自然居士(じねんこじ)を観たのは本当に久しぶりであります。
この曲、以前にも書きましたが、かれこれ三十年近く前に櫻間道雄の舞を観て以来、私のお気に入りの曲のひとつです。



この能、世阿弥の父、観阿弥が得意としていたという話がありますが、シテの芸尽くしを見せようという趣向の曲ですね。とは言え、長く伝えられてきた曲だけあって、単なる芸尽くしに終わらず、ストーリーとしても良くできています。



京都東山、雲居寺(うんごじ)で自然居士が七日の説法をし、今日が結願(けちがん)というその日に、少女が両親供養のためとして、身を売って買い求めた小袖を添えて諷誦(ふじゅ)文を差し出します。
少女は親の追善ということで、前日から人商人に時間をもらってきているのですが、なかなか戻らないからと、ワキの人商人主従が連れ戻しにやってきます。



人商人は強引に少女を連れ去りますが、これを聞いた自然居士が説教を中断して助けに向かうという、なかなか活劇的な話。



商人の舟に追いついた自然居士は、命を取られても、助けられない限り舟を降りないと気色ばみ、業を煮やした人商人たちは、舞の上手と誉れの高い自然居士に様々な舞を舞わせて嬲り、その引き替えに少女を返すことにします。
そして自然居士の舞尽くしになるという趣向。
中ノ舞、簓の舞、さらに物着から鞨鼓と、舞が続きます。舞上手のシテであれば、まさに見どころということですね・・・続く

自然居士 内田成信(つづき)

私、喜多流の能はあまり観ていませんで、自然居士も初めてです。
観世では狂言口開で、まず登場したアイ雲居寺辺りの者が、幕内のシテ自然居士に呼び掛け、シテがおもむろに登場すると、続いて子方の女が登場して諷誦を差し出します。
その後、ワキの人商人が登場するのですが、喜多流ではまず名ノリ笛でワキ、ワキツレが登場し、その後にアイとシテの問答ということで、随分違った印象になります。



さらに子方は「女」ではなく「幼き人」とされていて・・・これは、子方の内田貴成クンがとても小さくて、唐織りは無理そうなので「幼き人」にしたのか、それとも喜多流ではこれが決まりなのか、どちらか判別できませんが、ともかく女とはしないままに話が進みました。



内田成信さんの能は初めて拝見しましたが、しっかりした演技で好感が持てます。
自然居士は喝食・・・半僧半俗の修行者で、喝食自体は本来、少年なのでしょうが、もう少し年上の青年修行者といった設定かと思います。
青年らしい正義感、行動力と、優しい気持ち、そして舞の上手という、好感持てる人物設定ですが、その若々しい正義感あふれた雰囲気を良く出しておられたと思います。



舞も良かったのですが、中ノ舞の前あたりから、ちょっとしたハプニングがありまして、ついついそちらに気をとられたために、今ひとつ舞に集中できませんでした。ちょっと残念です。



善竹十郎さんのアイが、子方を慈しむような優しい雰囲気を出しておられて、風情のある舞台でした。

鬼瓦 善竹十郎(喜多流職分会自主公演能)

大藏流 喜多六平太記念能楽堂 2006.4.23
 シテ 善竹十郎、アド 善竹富太郎



いわゆる大名狂言というカテゴリーに分類される曲。田舎の大名が訴訟のために都に長逗留していたものの、ようやく事が片付き帰国することになったので、在京中に信仰していた因幡薬師へお礼とお別れの参詣をするという次第です。



シテの大名とアドの太郎冠者が登場し、シテは「遠国(おんごく)に隠れもなき大名です」と名乗ります。
ご存知のように、この時代の「です」は現在のような丁寧な言い回しではなく、相当に武張った言い方だったそうですが、「隠れもなき」と自分で言うくらいなので、まさに精一杯威張った感じなのでしょう。



主従して薬師のお堂に参詣しますが、さて今回の訴訟が万事うまくいったのも、この薬師に参詣していたおかげということで、大名は自分の領地にも薬師を勧請しようと考えます。
そのためお堂の様子など、二人でよくよく覚えておこうと見て回るのですが、欄間、蛙股、破風と数え上げる中で、破風の上の鬼瓦を見て大名が泣き出してしまいます。
理由はというと、国元に残してきた妻に似ているから、という話。鬼瓦と似た女房というのもどんなもんだろうというところですが、その女房が恋しくて泣き出してしまう大名のおかしさ。
この曲、和泉にもありますが、この女房の例え方が微妙に違っていますね。



善竹十郎さんの大名はなかなか味があって、この妙な田舎大名のおかしさが伝わってきます。アドの太郎冠者は、泣き出した大名に素直に従って「そういえば似ている」と相槌を打ちますが、こちらはこちらで妙な田舎者らしい真面目さが感じられる演技でした。



太郎冠者が「これから領地に戻るので早晩会える」と言い、二人で笑って帰ることにします。
この最後にひと笑いする形式が笑い留め。笑い終わった後、ふっと真顔に返るのですが、これがとても良かった。
実は私、この狂言の笑い終わった後にふっと真顔に返るところが好きでして、これは若い頃の野村萬さん・・・当時の万之丞さんが絶品だと思っていましたが、この鬼瓦も良かったです。見所からも、真顔に戻ったところで、逆に笑いが出ました。

羽衣(舞込)粟谷幸雄(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2006.4.23
 シテ 粟谷幸雄、ワキ 宝生欣哉
      大鼓 高野彰、小鼓 住駒匡彦、
      太鼓 大江照夫、笛 内潟慶三



羽衣というのは本当にポピュラーな曲で、年に何度か観る羽目に・・・いえ観る機会があります。それだけ良くできた能ということなのだろうと思います。
三番目物のまさに能らしい能という感じがしますが、一方で、一場もので太鼓が入るなど、いわゆる本三番目物の要件を満たしていませんね。昔は四、五番目に置いたらしいのですが、それもなるほどと思わせるところがあります。



囃子についてはいずれ少しずつ書いていこうと思っていますが、この太鼓が入るか入らないかで曲調が変わってきます。太鼓のようにリズムをキチンと刻むものは、それだけ人間から遠いものを象徴するらしく、異界からの客人(まれびと)である天人には相応しいのでしょう。



それにつけても「春霞、たなびきにけり久かたの月の桂の花やさく」と始まるクセ、なんとも言えない春の風情です。謡だけを聞いていても良いくらい。



粟谷幸雄さん能は初めて拝見しましたが、七十代半ばになられますか、さすがに流れるような優美さという訳にはいきませんが、深みのある羽衣だったように思います。
クセの後半の謡から調子がかなり高くなった感じがしましたが、ゆったりと格の高い感じの序ノ舞から、「左右左」の地の謡も調子が高く、破ノ舞はすっきりとした感じです。



当日は舞込の小書きが付いていまして、キリの途中から橋掛りでの舞になります。
「三五夜中の空に又」と抱え扇で面を上げ、かなり上空にかかった月を見た風情。「さるほどに」で正中で回り、ここから橋掛りに進みました。
「愛鷹山や富士の高嶺」で、一の松辺りから遠くワキを見込んで名残を惜しむ感じ。さらに左の袖をかえして、そのまま後ずさる形で幕に入っていくという型でした。留めの拍子はワキが踏みましたが、こんな形もあるんですねぇ。

是界(白頭)佐々木宗生(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2006.4.23
 シテ 佐々木宗生、ツレ 佐々木多門、
  ワキ 森常好、アイ 善竹大二郎
   大鼓 亀井実、小鼓 曽和正博、
   太鼓 小寺佐七、笛 寺井久八郎



是界(ぜがい)はいわゆる切能、五番目物で、主人公は大唐の天狗の首領である是界坊。もっとも観世では善界と書きまして、私はこちらの方が馴染みがあります。



さてこの是界坊、中国では少しでも慢心をみせる修行者たちを、残らず天狗道に引きずり込んできましたが、さて神国といわれる日本でも仏法の妨げをなそうと、はるばる日本にやってきます。
愛宕山の有名な天狗の太郎坊を尋ね、一緒に仏法の妨げをしようと持ちかけ、比叡山を狙います。が僧正の法力に負けて消える。という話です。
言ってみれば、さほど深みはない、切能らしいといえば切能らしい曲ですが、案外面白いと思います。



シテ是界坊が直面の山伏姿で登場し、日本にやってきた由を語り、愛宕山へ向かいます。
幕内のツレ、太郎坊に呼び掛けるとツレの出。ツレも直面の山伏姿です。
シテツレのやりとりから、クリ、サシ、クセと展開しますが、クセは居グセ。



この居グセ、久しぶりに迫力のある居グセを観たという感じです。シテの佐々木宗生さんとツレはご子息の多門さん、二人とも気力充実し、居グセの間、微動だにしません。
多門さんは気合いが入っている様子で、徐々に顔も紅潮しうっすらと汗が浮かんできました。



後シテの出は、大ベシですが、これが妙に重い感じ。あれ?どうしたのかと思ったら、幕が開いて、白の装束に白頭のシテ。そうそうすっかり白頭の小書きが付いていたのを忘れていました。
白頭だけあって実に格の高い天狗。ゆったりとした登場です。



作り物の車が出てワキの僧正が乗り込んでいますが、イロヱのあと、シテが車の轅に取り付き引っ張るという型。さらに舞働になりますが、この途中から早くなり、キリは小気味よく進行しました。



附け祝言は高砂。観世の節ととても良く似ているので、一緒に謡えそうな気がしてしまいます。

半魚文庫さんのおかげ

世の中には奇特な方もいて、金沢美術工芸大学で日本文学の助教授をされている高橋明彦さんとおっしゃる方が、ご自分のホームページ「半魚文庫」で謡曲三百五十番をテキスト化しようというプロジェクトをされています。



底本として日本名著全集『謡曲三百五十番集』と、赤尾照文堂『謡曲二百五十番集』を用いているそうですが、前者は野々村戒三という方が校訂した昭和3年刊行の本。
また後者は昭和53年の刊ですが、いずれにしてもこの利用について著作権の問題はクリアされています。
また半魚文庫でテキスト化されたものもフリーデータとされていますので、自由に利用することができます。



このブログで謡曲の本文を書く際は、観世流大成版と、この半魚文庫さんのテキストいずれかに寄っていますが、テキスト化されているので、ついつい半魚文庫さんのテキストを切り貼りしてしまいますね。
それに、例えば先日の羽衣のクセの出だし「春霞。たなびきにけり久かたの。月の桂も花やさく。」は観世流大成版だと「春霞。靉びきにけり久方の。月の桂の花や咲く。」となっていまして、靉なんていう字を拾うのも大変。



また観能の際も、観能しながら謡の練習をするつもりもありませんし、全体の流れを確認したいときにちょっと見る程度なので、一曲を見開きで1、2枚程度に小さめにプリントして持っていくなど、重宝しています。



もっとも謡本には出の囃子の記載などもあって、これはこれで重宝するんですけどね。

観阿弥の能・・・自然居士から

自然居士は観阿弥の作と伝えられています。
もちろん現在の自然居士が、観阿弥の作そのままということはないでしょうけれども、確かに世阿弥の作と言われる多くの曲とは雰囲気が違う感じがします。



そのほかにも、吉野静や通小町、卒塔婆小町など観阿弥の作った能といわれている曲があります。いずれも、時代を経る中で改作されてきたのだろうとは思いますが、それでも世阿弥以降の幽玄とはまた違った、能の面白さがあるように思います。
吉野静など、シテは静で序ノ舞を舞うので三番目物の扱いになっていますが、義経一行の吉野下りという緊迫した状況の一シーンであって、活劇的な面白さと舞の美しさを併せてみせてしまおうという、ある意味で欲張りな企画ではないでしょうか。



自然居士は観阿弥よりも少し前の時代に実在した人物らしく、大阪府阪南市が自然居士の生まれた地とか。その住居のあった辺りと伝えられる場所に「自然居士の大いちょう」といわれる銀杏があり、大阪府の天然記念物に指定されているそうです。
喝食(かっしき)というのは、禅宗の寺にいる食事係などを勤める少年だったようですが、自然居士は成年になっても髪をおろさず、喝食姿のまま、しかも舞や歌などを用いて説教を行ったと伝えられています。仏教者の側から見ると、掟破りのような感じですが、民衆には人気があったのでしょう。



この自然居士を主人公に、さらわれた子供を取り戻すという活劇に仕立てた観阿弥のセンスはなかなかのものかと思います。観阿弥自身が舞の上手だったわけですが、自身の舞をただ見せるのではなく、こうした活劇、民衆に人気のあったいわばアイドル的な存在を持ち出した上で、そこに舞をはめ込むという、エンターティナーだった訳ですね。

 | HOME | 

カレンダー

« | 2006-04 | »
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。