能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

観阿弥の能・・・つづき

ところで観阿弥自身のことについて少しばかり。



観阿弥は言わずと知れた世阿弥の父。1333年(元弘 3)に生まれ1384年(至徳元. 5.19)に亡くなったと言われています。



観阿弥の「阿弥」というのは、時宗の阿弥号にちなんだものでしょうね。徒然草の89段、有名な猫またの話には「何阿弥陀仏とかや連歌しける法師」が出てきますが、これは「なんとか阿弥陀仏とかいう」法師なんですね。



この阿弥号は同朋衆(どうぼうしゅう)も名乗っていました。
同朋衆というのは、室町幕府以降、多くは一芸に秀でて将軍や大名に召し抱えられた者たちですが、阿弥号を名乗っているために、時宗門徒であると言われています。
また観阿弥や世阿弥も、足利義満の庇護を受け、しかも阿弥号を名乗っていることから同朋衆であったと言われています。



しかしこの辺りはどうも議論があって、観阿弥・世阿弥は同朋衆でもないし、時宗門徒でもないという有力な説もあるようです。
確かに義満の庇護、寵愛を受けたと言っても、それですぐに同朋衆だったと決めつけるのは難しいのかもしれません。また阿弥号を名乗るのは、芸術・芸能で身を立てている者たちの、一つの決まりのようなもので、別に時宗門徒とは限らないとも言われます。



世阿弥は観阿弥について、山田猿楽の出身と書いていますが、実は伊賀の服部氏の一族だという説もあるようです。真偽のほどは分かりませんが、服部の一族ということだと歴史ロマンがまたまた広がりそうな話ですね。

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観阿弥の能・・・さらにつづき

自然居士と同様に、ほぼ同時代の有名人を主人公に仕立てるという意味では「百万」も曲舞の名手という女性を登場させています。
「百万」という能自体は世阿弥の作とされていますが、観阿弥が得意としていた「嵯峨の大念仏の女物狂」をもとに改作されたというのが通説です。



観阿弥の能について何日も書いていますが、実は私なりのこだわりがあります。
世阿弥があまりにも巨大で、能の大成者としても別格なために、能とは世阿弥の能のように幽玄の味わいのある夢幻能が本来の姿という、どうもそういう説明がされがちな感じがするからなのです。



もちろんそうした能が素晴らしいものであることは間違いありませんが、世阿弥より前の時代にも、また世阿弥より後の時代にも、別な系譜の能は成り立っている訳です。
例えば生没年は不詳ですが、世阿弥以降の時代の人といわれる能作者の宮増が作った能では、脇能でも荒々しい神が登場し豪快な舞を舞ったりします。
いやむしろ脇能の様々な曲の中で、高砂や弓八幡など閑雅な雰囲気のある曲は、どれも世阿弥の作ったもので、世阿弥以外の作者による脇能は宮増の作ったような曲趣が普通だとも言えます。・・・私自身は前にも書きましたが、脇能としては高砂などの曲趣の方が好きですが・・・



いずれにしても、世阿弥以降に能が現在のような形に大成していく以前の時代、様々な芸能を取り込みながら、能をまとめ上げていった観阿弥の事績を思うと、いささか感慨深いものがあります。

初めての能楽鑑賞(つづき)・・・事前の準備

観に行きたい公演が決まって、チケットも入手した。さて当日までにどうしようか、ということですが、私は、観に行く能のストーリーと簡単な解説、できれば全体の大まかな構成などを調べておくと良いと思っています。



能楽は、台詞の部分を含めて独特の発声をしますし、いわゆる「古文」なわけですから、聞き取れないところも当然に出てきます。また節のついた謡の部分は、和歌をベースに置いたつづれ織りのような章句になっているし、様々な仏教的知識などが土台になっているものも少なくありません。これを耳から聞いて理解するのは大変です。



かといって、能楽自体はやはり歌舞劇、劇なわけですから、やはり上演中は舞台上に集中したいもの。
そのためには、全体の流れ、何をテーマとして劇が進行するのか、といった基本的なことは、前もって理解をしていた方が、楽しく「観劇」に集中できます。
能楽といっても、基本はエンターティンメント。観て楽しむものであって、聞いて観て感じたいものと思います。



古文とは言っても、要は日本語ですから、読めばある程度の意味は分かります。このブログをご覧になっている以上、ネット接続はOKということでしょうから、先にご紹介した半魚文庫さんのプロジェクトから、観に行く予定の能を探し出して前もって原文を読んでおくだけで、全然、違うと思います。
もちろん、シテ方5流、ワキ方3流、狂言方2流ありますから、その日の組み合わせで詞章は微妙に異なります。半魚文庫さんの底本とはもちろん違いがあるでしょうし、仮に謡本を持っていて、その流儀の能を観に行ったとしても、ワキや狂言の部分は謡本の通りにはいきません。
ですから細かい言葉よりも、全体の流れを理解するという意味で読んでおくと良いのではないか、と思います。



また「古文は弱くて」とおっしゃるなら、様々なガイドブックがありますから、こうしたものを読まれるか、あるいはネットで曲名を検索されると、プロによる解説や、私の書いているような観能記も出てきますので、こうしたものを参照されるのもいいかもしれません。・・・と宣伝などしてみたりして・・・

初めての能楽鑑賞(つづき)・・・狂言をめぐって

能楽の準備は良いとして、狂言の準備はどうなんだ?



これは基本的に準備不要、と思っています。狂言は「言」の文字が示すとおり、言葉による劇です。そして口語の方は、室町から現代に至るまで、全く聞き取れない程大きくは変化していないからです。
例えば「この辺りの者でござる」とか「これは羽黒山より出でたる山伏です」といった名乗りは、わざわざ解説をしなくても十分意味が理解できると思います。
確かに発音が違うもの、例えば「今日は清水に参ろうと存ずる」は「こんにったきよみずに・・・」と発音しますから、初めての時はとまどうかも知れませんが、わざわざ前もって解説書など読まなくとも、とりあえずは楽しめると思います。



むしろ、室町時代から数百年を越してきた曲がほとんどなのに、その笑いの現代に共通するところに驚くのではないか、と思います。



ただし以前にも書きましたが、連歌など、現代人がたしなまないものをベースに置いた狂言は、分からなくともあきらめるしかない・・・と思っています。本物が理解できなければパロディは成り立ちませんものね。
それと、何曲かですが、全く笑いの要素の無い狂言もあります。鶏猫(けいみょう)や類曲の牛盗人、箕被(みかずき)などですが、後世の人情話的なもの。私は実際には箕被しか観たことがありませんが、狂言イコール笑いを想像していると、肩すかしを食ったような感じがするかも知れません。



狂言の台本に相当するものは、残念ながらネット上では公開されていません。古典文学全集などには何種類か収録されていますので、もしどうしても前もって目を通しておきたければ、図書館などを利用する手があるかもしれません。

五月の金春会定期能

今月の金春会は能が三番で、金春憲和さんの氷室、本田光洋さんの田村は白式の小書付き、そして辻井八郎さんの杜若。狂言は善竹十郎さんの文蔵でした。



雨の中をコートまで着込んで出かけたのですが、観客が少なくて申し訳ないような感じでした。
私は正面席にしたのですが、正面はまずまず埋まっていたものの、私の処からよく見えるワキ正面席はガラガラ。国立能楽堂のワキ正は200席弱くらいあったと思うのですが、ざっと数えたら30人そこそこでした。
なかなか良い番組だったと思うのですが、もったいないなあ。



各曲それぞれに面白く拝見しました。
氷室はあまり上演の多くない曲ですし、田村の白式は上掛りでは見ませんね。面も天神かなあ。杜若はポピュラーですが、さらっとした演出で面白かったですね。
それぞれの感想などは、また一曲ずつ更新していくつもりでいます。

氷室 金春憲和(金春会定期能

金春流 国立能楽堂 2006.5.7
 シテ 金春憲和、ツレ 中村昌弘
  ワキ 森常好
  アイ 善竹富太郎、善竹大二郎
   大鼓 高野彰、小鼓 幸信吾
   太鼓 三島卓、笛 藤田次郎



氷室は宮増の作った脇能ですが、以前にも書いた通り世阿弥の脇能とは別の系譜と言っても良い感じで、後ツレ天女が天女舞を舞いますが、後シテの氷室明神は舞働を主に、氷を宮中に届ける様を見せるという趣向です。



まず作り物の一畳台と山が運ばれてきて大小前に置かれます。これが氷室山という設定。
次第の囃子でワキ、ワキツレが登場。ワキは亀山院に仕える臣下ですが、従者を連れて丹波の国の氷室山にやってきた趣向。するとシテ老翁とツレ若い男が姿を現します。翁は氷室守で氷室の謂われを語り、今夜の氷調(ひつぎ)の祭りをご覧になれと告げて室の中に姿を消します。



作り物に中入りの形で、装束のつけ替えは作り物の中ですませます。一方、ツレの若い男は橋掛りを退場して中入り。囃子は来序。ツレが幕に入ると囃子の調子が変わり、オモアイが登場してきます。



オモアイは氷室の神職。ワキの臣下に立ち寄ってくれたお礼を申し上げ、雪を降らして見せようといい同僚を呼び出します。二人で雪乞いをして雪を降らせ、雪を丸めて室に納めて退場します。
このアイの所作はなかなか面白い。
天に向かって「雪コウコウコウ、霰コウコウコウ」と雪乞いをします。
コウコウコウは「乞う」なのでしょうか、なんだか「雪コンコンと」と聞こえる感じもします。
さらに二人して「雪マロメ」・・・マロメは「丸め」でしょうね。まず雪を集めては「コロバカセ、マロバカセ」と転がします。二人で転がす形ですが、二人の手の開き具合がだんだん広くなり、雪の玉が大きくなっていく感じが出ています。
少し転がすと、手が冷たくなったと言って手に息を吹きかけ、また雪玉を転がします。なかなか見せ場のあるアイです。



養老の替間(カエアイ)である薬水のように、一曲の狂言として演じることのできるようなものもありますが、取り立てて替間という訳でもないのに、アイがかなり活躍します。この辺りも宮増作の特徴なのかもしれません。
この続きはまた明日に・・・

氷室・・・つづき

アイが退場すると出端の囃子で後ツレ天女が登場し、天女舞を舞います。
あまり上演の多い曲ではないので確証はないのですが、たしか他流では前ツレの男と後ツレの天女は別の演者になったと思います。しかしこの日は中村昌弘さんが通して演じました。前ツレが直面の男で、後ツレが天女というのも落差があると思うのですが、うまくまとめていた感じです。
天女は優美なというよりも、ちょっと田舎臭い・・・というと言葉は悪いかも知れませんが、素朴な味わいのある雰囲気で、ツレの舞としては重すぎず軽すぎず、この曲の雰囲気に合っていたように思います。



天女の舞の後、観世流なら後ツレのワカ、地謡と続くところですが、いきなり作り物の山の中からシテの謡。これはちょっとビックリでした。
地の謡「紅蓮大紅蓮の」で引き廻しが取られ、後シテ氷室明神が登場します。手には氷を模ったのか、変形した五角形のような形の板を持ち、舞働から謡に合わせて氷を献上する様を見せます。



やっぱり、脇能とはいうものの、高砂や弓八幡などの作品群とは随分印象が違いますね。シテの憲和さん、本当にお父様、安明先生とそっくりな声、謡い方です。地頭の安明先生、ちょっと舞台の様子が気になるような感じを受けましたが・・・



それにつけても冷蔵庫ができるまで、夏場に氷を手に入れようとすれば、冬の寒いうちに氷を蓄えておくしか無かったわけで、大変だったはずです。氷室という地名も全国各地に散在しているようですね。
この能の舞台になったのは丹波の国の氷室、現在は京都府ですが、亀山天皇の頃に氷室が置かれた様子です。

文蔵 善竹十郎(金春会定期能)

大藏流 国立能楽堂 2006.5.7
 シテ 善竹十郎、アド 大藏教義



文蔵は大藏にも和泉にもある曲ですが、黙って旅に出てしまった太郎冠者を懲らしめようとやって来た主人と太郎冠者のやりとりを巡る話。



主人は太郎冠者が京へ上ってきたというので、京の話を聞きたくて、とりあえず太郎冠者を許すことにします。
太郎冠者は京に住む主人の伯父のところに寄って、なにやらご馳走になってきたのですが、さてその名前が思い出せない。「主人が常々読んでいる語り物を食べた」というので、何を食べたか気になって仕方のない主人は、語り物を諳んじることになります。
やがてその中に「文蔵」の名前が出てきて、太郎冠者は「それを食べた」と言うのですが、文蔵は食べ物ではありません。主人が温糟粥(うんぞうがゆ)の事と気付き、「主に骨を折らせた」と言って叱るという流れです。



同じ大藏流でも、山本家の「文蔵」とは、また違った印象の演技でして、狂言の場合、家毎の違いがとても大きい感じがしますね。
以前に観た山本東次郎さんや、泰太郎さんの文蔵と比べると、シテ主人の語りのテンポが緩く動きもあまり激しくありません。発音も微妙に違う感じで、東次郎さんは食べ物の名前を数え上げる中で「饂飩(うんどん)」と発音していましたが、十郎さんは「うどん」と発音していました。
山本家では主人が語る最中は、腰を下ろした鬘桶を後見が抑えます。それくらい座ったままで合戦の様子を熱演しますが、十郎さんの主人はもっとゆったり構えた感じでした。
とは言え、物語が進むごとにだんだんと調子が上がって「文蔵に」という言葉に食いつくように、アド太郎冠者が「それを喰いました」と語りを遮るわけです。



ところでこの主人が語る石橋山の合戦、室町時代には独立した語り物としても人気があったのがうかがえます。
頼朝の先鋒、佐奈田(真田とも)与一義忠は、敵将の俣野五郎景久とあたって組み敷いたものの刀が抜けず、駆けつけた長尾新五、新六兄弟に斬られてしまいます。文蔵は佐奈田の郎党、陶山文三家康(家安とも)でしょうか。
世阿弥とほぼ同時代の役者と思われる「金剛」の作った能には、この石橋山合戦を題材にした「佐奈田」という曲があったそうです。それだけ人気のあった話なのでしょうね。

田村(白式) 本田光洋(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2006.5.7
 シテ 本田光洋、ワキ 宝生閑
  アイ 大藏吉次郎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎
   笛 松田弘之



本田光洋師の能は、まず何を観ても外れがない・・・と思います。
この日も満足。



さて田村の白式ですが、これは下掛り・・・金春と金剛にある小書きのようですね。さらに喜多流では「白田村」と曲名そのものを替えてしまうようですが、どうも形は金春の白式に近いらしいです。
余談ですが、喜多の場合「白式」の小書きではなく「白○○」と曲名を替えてしまう例が他にもあるようですし、野守には「青野守」という演出もあるようですね。



白式の小書きが付いたために、前シテの装束は白の水衣の童子姿。
金剛の白式では喝食面に喝食鬘らしいのですが、観たことがないのでなんとも言えません。まあ、前シテを童子とするのか、喝食とするのかは、神か仏かの違いでどちらを強調したいかというシテの好み問題・・・という説もありますので、もしかしたら裁量の範囲なのかもしれません。



まずは東国方より出でたる僧であるワキの一行が登場し、清水寺に向かう由を述べます。宝生閑師のワキに、大日向さんと野口さんのワキツレ、良い感じの謡です。
折しも清水寺は春の花盛り、やがて一声の囃子にひかれるように前シテ童子が姿を現します。



童子は坂上田村麿の御願によるという清水寺の来歴を語り、さらに僧の求めに応じて名所を教えます。
まずは南の中山清閑寺から今熊野まで、舞台中央から橋掛り、遠く揚幕の方を見やる風情。次に北に鷲尾寺とワキ柱の方を見やります。「や、御覧候へ」と音羽山に上る月を見上げ「春宵一刻値千金」と謡います。このあたりは風情あるところで、上る月にふと気付いた感じが「や、」の一言に込められていました。



そしてクセの舞からロンギを経て中入。
中入では橋掛りまで進んで「月のむら戸を押し開けて」と扇で戸を開く形から「内陣に入らせ給いけり」と揚幕に入ります。
・・・続きは明日に・・・

田村(白式)・・・つづき

田村は語りアイで、その後はワキの待謡になります。



いよいよ後シテの登場となるわけですが、白式の名の通り後シテも白の衣装。ただし黒垂で梨打烏帽子に白の鉢巻き、鍬形をつけての登場です。面は天神かな、耳まで彫ってあって不思議な印象の面です。
通常、小書きがつかなければ、鍬形は付けず面は平太を使うところでしょうけれど、随分印象が変わります。



ところで烏帽子ですが、先端を左か右かいずれかに折ります。たしか粟谷家のホームページか何かで「昔、勝った方が左で負けは右と思い込んでいた人がいた」という話を読んだ記憶があるのですが、勝ち負けではなく、左折が源氏で右折は平家。
謡曲「烏帽子折」に、子方の牛若丸が「三番の左折に折りて賜はり候へ」と言い、シテの烏帽子屋が「これは仰にて候へども。それは源家の時にこそ。今は平家一統の世にて候ふ程に。左折は思ひもよらぬ事にて候」と答える場面がありますね。
坂上田村麿は源平以前の人ですから、どちらということはないのでしょうけれど、勝修羅ということもあって、左折にするのが普通のようです。



扇は勝修羅扇だと思うのですが、それにしては派手なデザインで、金地に旭日と老松を描いたまでは通常と同じとしても、さらに赤い雲が描かれています。白式の時専用なんでしょうか、それとも金春の勝修羅扇はこのデザインなのかなあ。
金春の田村は以前にも小書き無しで観たことがあるのですが、そのときは取り立てて扇には注意が行きませんで、どんな扇だったか記憶していません・・・残念。



ちなみに旭日と老松を描いた勝修羅扇は、いわゆる勝修羅三番の屋島、箙、田村のシテが用い、立浪に日輪を描いた負修羅扇はその他の修羅物のシテが使います。負修羅扇は、なんとなく西海に沈む夕日って感じで、平家を象徴するような感じがしますね。



使う面が違うせいが大きいのかも知れませんが、後シテは力強い舞姿で、千手観音の仏力・霊験を表す感じが良く出ているように感じました。本田先生、謡にも舞にも隙が無く、気分が盛り上がります。



田村という曲、祝言性が強く、修羅物という扱いはどうなのか、とよく取りざたされますが、白式だとさらにそういう雰囲気が強くなるという印象を持ちました。

杜若 辻井八郎(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2006.5.7
 シテ 辻井八郎、ワキ 安田登
   大鼓 大倉三忠、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 小寺佐七、笛 中谷明



杜若という能は、正直のところ今まであまり感心したことがありません。ある意味、中途半端な印象もある曲、と思っています。



諸国一見の僧が三河の国までやって来ると、杜若の花が今を盛りと咲いている沢辺に行き当たります。僧が花に見入っていると若い女に声をかけられます。
女は「ここは三河の国、八橋(ヤツハシ)といって杜若の名所だ」と告げます。



ワキ僧は「八橋は古歌にも有名な場所だが、さて誰の歌だったか」と問うと、女は伊勢物語第九段を引き「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる着ぬる旅をしぞ思ふ」という歌を紹介して、在原業平の歌であることを教える訳です。この伊勢物語の九段は古文の教科書などにも載っているので、お馴染みの話。



さてシテの女は、自らの庵で一夜を明かすようにと僧を誘い、ここで物着になります。
女は初冠に長絹の姿になり、これは業平の冠と高子の后の衣であると述べる訳です。ワキ僧は怪しんで、女にいったい何者かと問うのですが、これがまたあっさりと「杜若の精なり」と女が答えるんですね。
業平は極楽の歌舞の菩薩の化現なので、詠んだ歌の功徳によって草木までもが人間と言葉を交わすということなのですね。そして業平の昔を偲んで舞を舞うという次第になっています。



とてもきれいな曲ですしクセも面白いのですが、どうもそれだけの曲になってしまうような感じがして、これまであまり感心したことが無かったのだろうと思います。
・・・明日に続く・・・

杜若・・・つづき

この杜若、世阿弥の作という話もあるのですが、世阿弥作の名曲「井筒」と比べると、なんだかぼわーっとした雰囲気の能で、今ひとつ分かり難い感じです。
井筒では、業平を待ち続けた紀有常の娘の霊が現れて、業平の残した形見の衣を着けて舞い、さらに自らの姿を井戸の水面に映して見るという、ある意味ドラマ性のハッキリした構成になっているのですが、これと比較すると、なんとも杜若の話は頼りない感じ。



女は杜若の精であり、業平と高子それぞれの形見を着けることによって、業平と高子も重層的に重なっていくのでしょうけれども、だからといってそこにハッキリしたドラマ性があるわけでもないので、結局振り出しに戻って「草木の精の登場するぼわーっとした能」になってしまうような気がします。



しかしこの日の辻井さん「なうなう」の呼掛から、思いの外に強めの謡。詞にもメリハリがあって、想像していたぼわーっとした感じとは随分違う印象でした。
曲全体の運びも割合に早めで、クセから序ノ舞へと徐々に調子も上がっていく感じ。序ノ舞は本三番目のような重いゆったりとした舞ではなく、もう少し軽やかな感じで長さを感じさせませんでした。



正直のところ、純粋な三番目物という雰囲気とはいささか違う感じを受けたのですが、これはこれで面白い。ああこんな杜若は良いかもしれない、と思った次第です。
考えてみればこの曲は太鼓入り序ノ舞で、キリの感じといい、いわゆる本三番目物とは一線を画していますし、昔は五番目に置いたという話を聞いたこともあります。そんな意味で、面白く観させて頂いた感じがしています。



地謡も高橋忍さんの地頭でしたが、全体として小気味よく進めている感じで、楽しく聞くことができました。
しかしこの曲に限らずではあるのですが、金春流の謡、拍子当りの難しいこと。どうやら流儀の特徴でもあるらしいのですが、「エエッー!?」というところがいくつか。地謡は一糸乱れぬ謡で、全員が同じように謡っているので間違った訳ではないらしいし・・・
これでは囃子方も大変でしょうねぇ・・・などと思いながら、聞いておりました。

初めての能楽鑑賞・・・つづき・・・何を着ていこうかと

観能の当日、さて何を着ていこうか・・・
まあ今時そんなことを悩む方はいないとは思うのですが、もし迷っても、少なくとも「能・狂言だから」という意味では心配いりません。



昔は着物の方も少なからず見かけましたし、それなりに正装というか、キチンとした服装の方が多かったようには思いますが、別に気にする話でもなく、いわゆる「普通の」服装でOKです。
とは言え、今でも和服の女性も見かける機会があり、それはそれなりに風情がありますね。



ただし何でも良いとは言っても、そこはそれ舞台を観に行っているので、後ろから見て邪魔になるような服装、持ち物だけは避けて頂けると有り難い。まあ服装で、そんなに邪魔になるというものもないでしょうけど。隣の方が大きな荷物を持っていたりすると、正直言って邪魔だなあと思う時もあります。



それと、ご本人はほとんど気にしていないのだろうと思いますが、思いのほか気になるのが飴。
といってもべたつくからではなく、音の方です。携帯電話は、おおかたの能楽堂で開演前に「マナーモードにして」とか「電源を切って」と注意をしているので、そうそう間が抜けた人も少なくなっている感じですが、飴を袋から取り出す音、包み紙を開く音、これがけっこう気になります。
音を立てちゃまずいと思うのか、そぉっと時間をかけて取り出すので、それだけ長い時間、シャラシャラという音が続きます。
これ、案外お年寄りに多いんですよねぇ。



思わずグチになってしまいましたが、ともかく、衣服や持ち物などは取り立てて気にせず、初めての能楽鑑賞に出発OKです。

初めての能楽鑑賞・・・何を持って行こうかと

当日持って行った方が良いものって、あるでしょうか。



私は基本的には、会場入り口に置いてあったり、事前にチケットを入手したときに渡される番組だけでOKと思っています。
ちょっとしたあらすじ程度は記載されているのが普通ですし、前もって、能の本文や全体の流れに目を通していれば、当日は何も見ずに、ひたすら舞台上に集中した方が、充実した観能ができると思います。



多くの場合、能楽堂では当日上演される曲目の謡本が販売されています。これを買っても良いのですが、謡本と舞台上を見比べなくてもなあ・・・と。
もちろん好き好きですから、回りに迷惑さえかけなければ、謡本を見ても何らかまいませんが、せっかくの演技を見落としてしまいそうな気がして、私は持っていても上演中に謡本を見ることはまずありません。



そのほかに、私は持って行ったことはないのですが、オペラグラスを持っておられる方も少なからず見かけます。席が遠い場合など、確かに良いかも知れません。
もっとも他の演劇に比べると能楽堂の観客席は割合狭いので、後の方の席でも「遠くてよく見えない」ということは、あまり無いだろうと思います。



観客席500とか言っても、正面、脇正面、中正面と舞台を取り囲むように観客席が配置されているので、舞台からの距離は割合近くなりますね。



ついでながら、上演中は撮影・録音は禁止というのが普通。開演前に舞台の写真などを撮っている方を見かけたことがありますが、開演前ならOKでしょうね。
記念に・・・ということだったのでしょうか。

東京金剛会を観に行く

金剛流の能を東京で観る機会は、あまり多くありません。定例会としては、この東京金剛会が年に四回。それ以外は、宗家金剛永謹師の会や、山田純夫さんの潤星会、遠藤勝實さんの翔雲能などが年に一度ずつといったところでしょうか。
むしろ、国立能楽堂の定例公演などで探した方が確実なくらいです。



そんな訳で、私自身もほとんど観たことがないのですが、今年の式能での今井清隆さんの玉葛が気に入りまして、今井さんが出る本年第2回の東京金剛会を観に行くことにしたわけです。



番組は普及能として工藤寛さんのお話と蓮元早苗さんの「羽衣」。ここでいったん会が終わり、あらためて例会能として、今井清隆さんの「采女」、山本則俊さんの狂言「茶壺」を挟んで、工藤寛さんの「野守」、他に仕舞が四番ほどでした。



東京金剛会は、午後1時半からの例会能がメインで、それに午前中から普及能ないし研修能が演じられるという構成です。
「例会能の入場券で普及能や研修能も観られます」という構成になっていて、普及能や研修能が終わると半券を持って外に出ることもできます。案外面白い構成ですね。



もっとも、五番立ての演能はほとんど無くなって能二番や三番が普通になっていますが、それでも五番立てを尊重して番組を組むことが多いので、羽衣、采女と三番目物を続けて並べるといった番組は、まず組まないでしょうね。
羽衣は普及能で、采女からが例会だという構成だからこそ、こんな形があるんだろうと思います。
おかげで、序ノ舞を続けて二番観ることになりましたが、同じ三番目物でも羽衣と采女では相当に曲趣が違うので、対比ができて面白く観ることができました。



それぞれの感想などは、また明日から・・・のつもりです。

羽衣 蓮元早苗(東京金剛会普及能)

金剛流 国立能楽堂 2006.5.20
 シテ 蓮元早苗、ワキ 野口能弘
   大鼓 高野彰、小鼓 幸信吾
   太鼓 徳田宗久、笛 寺井宏明



羽衣は先日の喜多流自主公演能で舞込の小書き付を観て、このブログにも観能記を書きましたが、金剛流では初めてです。



正直のところ、あまり女性がシテをされる能は観ていません。別に女性が良いの悪いのということではなく、男女差別をするつもりもないのですが、たまたま何度も繰り返して観たいと思う程に「いいなあ」と思った女性がいなかったというだけのことではあります。
とは言え、一般的に女性がシテが女性である能を舞うのは、男性の能楽師よりも難しいように思うのですが、蓮元さんの羽衣は割合さらっとした演技で、好感を持ちました。



ワキ、ワキツレが登場し、一声からサシ、下歌、上歌と謡って、ワキの詞になりますが、野口能弘さんの若々しい白竜で小気味よく始まった感じ。
ワキの「古き人にも見せ」で「お幕」の声が聞こえ、シテの呼掛。シテの謡も重すぎず良い具合。ただし、さすがにキーが高いので、シテワキ同吟のところでは、いささかワキが苦しそうな感じでしたか。



曲全体の流れは、ポピュラーな曲ですし前回の記録もありますので繰り返しませんが、全般に重すぎず、テンポもあって楽しめました。
衣を返す、返さないの問答のところでは、シテの「こなたへ給わり候らへ」と気を入れてワキに迫った感じに対して、ワキの「しばらく」で軽く二足下がり、気を変えたのが雰囲気としても伝わってきて面白く感じました。



金剛流の序ノ舞というのはたぶん初めてですが、型が多いのかそれとも、個々の型がちょっとずつ動きが複雑なのか、動きが多いなあという印象を持ちました。が、この話は采女との対比で、明日以降にまた・・・

采女 今井清隆(東京金剛会例会能)

金剛流 国立能楽堂 2006.5.20
 シテ 今井清隆、ワキ 野口敦弘
  アイ 山本則秀
   大鼓 柿原崇志、小鼓 鵜沢速雄
   笛 中谷明



采女は三番目物で、世阿弥の作という説もあるようですが、本当のところはどうなんでしょうか。
味わいのある曲とは思いますが、いささか冗長な感じがしないでもありません。というのも、前場にシテの語りが二度あってかなり長め。さらに後場では三番目らしくクセがあり序ノ舞が舞われるという構成なのですが、前場の二度の語りがどうも収まりが悪い感じがするんですね。



そのあたりもあってか、観世流には江戸時代から美奈保之伝という小書きがあり、思い切ってこの前半を整理しています。喜多流にもそうした試みがあるらしいのですが、良くはわかりません。ちなみに美奈保之伝は観世大夫元章の作らしく妙な名前ですが、元章の話はまた機会があれば。



ともかく、全部を端折らずに、序ノ舞を五段で舞ったりすると2時間20分くらいかかるらしいので、観ている方も大変ですが、今井師の采女は2時間まではかからなかったと思います。もっとも実際の時間がどうかは別としても、観ていて少しも長い感じがせず、見入ってしまった感じです。



諸国一見の僧であるワキ、ワキツレの一行が名乗り笛で登場。ワキ僧は舞台正中まで進みますが、ワキツレは橋掛りで下居し名乗りを聞くかたちですね。その後、サシ、道行となって、都から南都、春日の里についたことになります。



次第の囃子で前シテが登場、手には小枝を持っています。前シテの里女はなぜか木々の茂った森にさらに木を植えるのですが、その植える木を象徴しています。このシテの謡、深みがありました。思わず「うまいなぁ・・・」としばし堪能。
さて不審に思ったワキの問いかけに対して、シテは春日社の謂われを語るのですが、これが一つめの語り。
さらに地の下歌、上歌と続いて春日山の風情が謡われた後、シテが今度は「猿沢の池を見たことがあるか」とワキに問いかけます。シテの誘いで、ワキも共々に猿沢の池に来てみると、シテはこの池辺にて経を読み仏事をなしてほしいとワキに頼みます。
そして二度目の語りになるわけですが、この続きはまた明日・・・

采女・・・つづき

さて頼まれたワキ僧ですが「読経・仏事はたやすいけれども誰に向けて回向すればよいのか」とシテに問います。
これを受けて、シテの第二の語りなります。



昔、天の帝(あめのみかど)の御代に一人の采女がいたが、はじめは帝の寵愛を受けていたものの、帝の心変わりを恨んで猿沢の池に身を投げた、と物語ります。
シテ、ワキのやり取りから地謡へとつながりますが、里女は「我は采女の幽霊」とあかして猿沢の池に姿を消します。これで中入りになるのですが、この中入り前「水の月取る猿沢の」と水面を覗き込んだ姿が見事な絵になりました。その風情を残したまま、静かに笛の音に送られるような中入りでした。



アイの語りの後、ワキの謡で読経、仏事をなし采女を弔っていることが示されます。



後シテの出、鵜沢速雄さんの鼓がなんとも優しい感じで風情がありました。緋の大口に白の長絹。長絹は花車の文様で華やいだ雰囲気。とても綺麗です。



池に身を投げた女の霊という設定なので、後シテはそのつらさを訴えるけれども、僧の読経の力で成仏する・・・と、そういう展開になるのが普通ですが、この采女という曲では、既に僧の読経によって成仏したという姿で現れます。
そのため、クリ、サシ、クセと続く采女の昔語りも、既に成仏した身から思い起こされる古の栄華であって、暗さがありません。序ノ舞も優美に舞われ、さらなる弔いを求めつつ猿沢の池に姿を消していくという次第になっています。



ともかく、全体に暗さが無く優美な曲。女の霊、しかもかつて宮中に仕え帝の寵愛を得た女ですから、優雅さがさらに加わった感じでした。
太鼓入り、太鼓無しの違いはあるものの、羽衣と同じ序ノ舞を舞うわけですが、見ている印象が全く違います。所作は同じなのに全く違う印象を受けた訳ですが、序ノ舞の入る曲を二番続けて観るということで、余計にその対比が際だった感じがしました。

茶壺 山本則俊(東京金剛会例会能)

大藏流 国立能楽堂 2006.5.20
 シテ 山本則俊
  アド 山本則秀、山本則重



いわゆる集狂言ということになるのでしょうが、酔っ払いの男から茶壺を盗もうとする、「すっぱ」の顛末。
幕が上がるとアド酔っ払いの男と、目代が登場してきます。男はあっちへフラフラこっちへフラフラと、演技しながらの登場。一方、後から出てくる目代は出番に備えて登場してくるので、こちらは着座するまで、ただただ静かに歩むだけ。このあたりが狂言の処理の面白いところでもありますね。



アドの男は茶壺に見立てた鬘桶を背負っていますが、正先まで出ると寝てしまいます。ここで肩にかけた紐を片方だけ外す訳です。
この頃合いを見計らってシテのすっぱが登場。この茶壺を盗んでやろうと、空いている片方の紐を肩にかけて寝る姿。



やがて酔っ払いの男が起き出して、騒動になるのですが、ここで初めて目代が登場します。
盗人が掠め取ろうとして騒動になり、所の目代が仲裁に入るというのは、割合と多いパターンですね。どちらが本当のことを言っているのか判定する訳ですが、この曲では茶壺を担いできた次第を語らせて判断することになります。
この舞語りを、相舞ですることになるのですが、アドの舞よりもほんの少し遅れるシテの所作、謡が見せ所、聞かせどころということでしょうね。



さすがに則俊さんの芸で、その微妙な遅れ具合が面白く見られました。
しかし、目代は面倒になったのか、結局、自らが茶壺を取って逃げ出してしまい、男とすっぱが目代を追いかけるという形になっています。
目代が判定する形の狂言では、すっぱが逃げだして、残る二人が追いかける形が普通ですが、そのあたりはいささか珍しいかもしれません。

野守 工藤寛(東京金剛会例会能)

金剛流 国立能楽堂 2006.5.20
 シテ 工藤寛、ワキ 大日向寛
  アイ 山本則重
   大鼓 亀井実、小鼓 古賀裕己
   太鼓 桜井均、笛 内潟慶三



野守は世阿弥の作で五流にありますが、切能らしい豪快さを持った曲で、キリの部分の仕舞も良く演じられます。
工藤さんは午前中の普及能で解説をされていましたが、この野守はなかなか見応えがありました。この秋にご自分の会で望月を演じられるらしいので、是非観に行こうという気になっています。



お調べが済んで囃子方が舞台に出、地謡も揃うと大小前に塚が運び出されます。が、地謡が一人足りません。アレ?と思ったら、実はこの直前に地頭の宇高通成さんが仕舞で出ておられて、着替え中だった様子。途中からの出になりました。
以前にも何かの会で地謡が四人しか出ていなくてビックリしたことがありますが、仕舞に出ていた後列四人が途中から出てきて一安心でした。



それにつけても宇高さんの地頭、これは良かった。
直前に仕舞を観ているので声も耳に馴染んでいて、地頭の宇高さんが地謡をぐいぐいリードしているのが良くわかりました。
前の曲、采女では松野恭憲さんが地頭でしたが、こちらも地謡が良い感じで、二番とも能にとっていかに地謡が重要かを再認識した感じです。



さて、作り物が運び出されるとワキの出になるのですが、ワキは羽黒山の山伏。実は私、ひそかに大日向さんのファンなのですが、山伏という設定のせいか、いつもより謡も力強い感じでした。山伏のワキというのはあまり多くありませんが、なかなか良いものですね。この後はシテの出になりますが、この続きはまた明日・・・

野守・・・つづき

さてシテの登場ですが、前シテは尉。杖をついての登場ですが、あまり老体を意識しすぎず、妖しい力強さを隠した感じ。一声も重くなりすぎず、工藤さん、なかなかの美声でお上手。



ワキは出羽の国羽黒山の山伏で、葛城山に登ろうと春日野のあたりまでやって来たところ。一方シテは春日野の野守の翁です。
なにやら水を張ったところがあり、ワキが謂われを尋ねると、この水は野守の鏡というのだとシテが語ります。さらに「野守が朝夕影を映すので野守の鏡と呼ばれているが、真の野守の鏡とは鬼神の持つ鏡を言うのだ」とも語ります。



この野守の鏡を巡って、さらに古の鷹狩りの折の奇譚が語られるのですが、このあたりの運びも重すぎずほどよい感じ。シテは塚の内に姿を消した、ということで作り物に中入りの形になります。
作り物の中で装束を替えるわけですが、後見の松野さんが大柄なこともあり、なかなか大変なご様子で、引廻しがあっちへ膨らんだりこっちへ膨らんだりでした。
アイの語りが終わった時点では、まだ頭がつけ終わっていない様子。アイとワキの問答、さらにノットからワキの謡になってようやく準備ができた感じでした。



まず塚の中からシテの謡が聞こえ、やがて塚の後側からシテが回り出てきます。後シテは鬼神ですが手には鏡を現す小道具、なかなか迫力があります。
この後は仕舞でも良く演じられるところですが、舞働も小気味よく、面白く拝見しました。最後は両袖を巻き上げた形から飛び安座。派手な型ですが綺麗にきまりました。



附祝言は「月の都に・・・」と始まり、一瞬「あれ?」と思いましたが、融ですね。附祝言に融は珍しいかなあ・・・

東京金剛会のあれこれ・・・仕舞など

一週間経ってしまったので、記憶の曖昧な部分も多いのですが、能三番と狂言一番の鑑賞記録以外に書いておきたいことを二つ三つ・・・



今回の収穫は、東京で観る金剛流も機会は少ないものの楽しめるということ。
現在では京都が中心になっている金剛流ですが、宗家をはじめ、松野恭憲さんや今井清隆さん宇高通成さんなど、京都で活躍中の方が出演されているだけでなく、工藤寛さんのように東京で活動する金剛流の能楽師にも見るべき方がいらっしゃることを確認しました。
それにつけても今井さんの能、松野さん、宇高さんの仕舞、これは質が高い。良い表現が思いつきませんが「上手いなあ・・・」と思った次第です。



松野さんはどうも左の膝を少し悪くされているのではないかと思いますが、いささか動きに不自由が感じられたものの、趣深い山姥の仕舞を見せて頂いた感じです。今年は山姥を何番か観ようと思っているのですが、楽しみが増したように思います。



仕舞は二番で、松野さんの山姥が先。で、実はその後の番組を失念していまして、さて次の仕舞でシテの謡が始まったら「おおっ!」っという感じ。いや謡に深みがあって、しかも舞も見事。番組を確認して「ああ、この方が宇高さんなのか」と初めて分かりました。是非、演能も拝見したいものです。



もう一つ、この松野さんと宇高さんが、采女と野守の地頭をされたのですが、前にも書いたとおり、地頭が地謡にとって、ひいては一曲の能全体にとって、いかに大きな影響力を持つのか、つくづく認識した感じです。
そんなわけで、様々に収穫のあった東京金剛会でした。

金剛流について

東京金剛会のついでに金剛流について少し。



金剛流も当然のことながら幕府の式楽だったわけですから、宗家は江戸に屋敷を構えていたのだろうと思います。それは各流とも事情は同じなのですが、地方への広がりが極めて少なかったのは金剛流の特徴かも知れません。
観世流はもちろん、宝生流や喜多流などは、役者を抱えた藩が全国に少なからずあって、現在に至るまで地方にも活動が見られるようです。金春流もそういう意味では広がりがあります。しかし江戸時代に金剛流を採用したのは、確か米沢藩上杉家だけだったという話を聞いたことがあります。



一方で各流とも京都には役者がいましたから、金剛流にとっては江戸か京都、それ以外は米沢というのが江戸時代の様子だったのではないでしょうか。



現在の金剛流宗家はもともとは京都在住の野村家ですが、江戸時代末期、まだ江戸に坂戸金剛家が健在なうちに、金剛の姓を許されて別家となっていたそうです。
時々、坂戸金剛とは別の家で歴史もない、といった論調の批判を目にしますが、血がつながっているかどうか、というのはそんなに重要なことではない、と私は思っています。その話はいずれまた。



それはさておき、金剛流は舞金剛と言われるそうですが、確かに今回の何番かを観ただけでも舞の面白さは感じられました。同じ曲を何番か見比べてみると、もっと良くわかるんでしょうけど、それは追々。
どうやら邯鄲の飛び込みもされるらしいので、機会があれば是非拝見したいですね。

その年の流行?

昨日はSantalさんからコメントをいただきました。ありがとうございました。
やはりコメントをいただいたりすると嬉しいですね。書くこと自体が楽しいので書いているのですが、それでもなにがしかの反応があるとはげみになります。



さて「同じ曲を観る」という話から・・・実は、前々から思っているのですが、どうもその年の流行の曲というか、なんとなく傾向があるような気がしています。
今年、山姥を何番か観てみようと思っていると書いたのですが、決して山姥を何番か観ようと思って捜したのではなく、たまたま、この会とこの会と・・・と選んでいたら、山姥を複数回観ることになりそうだということなのです。



昨年は各流の道成寺を都合四番、観世・宝生・金春・金剛と観ました。
これは、たまたま「道成寺の披きを観に来て」と、お誘いを受けたのが一番。学生時代に稽古をつけて頂いた先生が何度目かの道成寺を演じられるというので観に行ったのが一番。ここ数年、追っかけよろしく観ている若手の方の披きが一番。
ということで道成寺を三番観ることになり、しかもたまたますべて流儀が違うので、ここまでくれば五流の道成寺を一年に全部観てやろうと思ったということです。
ただし喜多流では道成寺が極めて重い扱いで、昨年は東京近郊での演能が無かったので四流で終わりました。



昨年は張良も二度観ましたが、これもあまり演能回数が多い能ではないのに、昨年は割合演じられたような感じを受けています。一昨年は、これもあまり演能回数の多くない正尊が何度か出ていたように記憶しています。



別に他流の会の演目を見て番組を決めているわけではないと思うのですが、たまたま重なってしまうのか、何年かに一度「そろそろアレをやってみよう」と思う時期が一緒なのか、なんとなく今年はこれが多いなあという傾向が出るのかも知れません。
もっともちゃんと統計を取ったわけではないので、私がたまたま同じ演目が出る会を選んでしまっているのかも知れません。



いずれにしても各流を含めて演能回数を調べたような統計にはお目にかかったことがないので、感想の域を出ませんね。
・・・ちなみに観世流だけなら「謡曲の統計学」というサイトに大角征矢さんという方が調べた戦後50年間の演能回数調査が掲載されています。リンクして良いかどうか不明でしたので、名前のみ紹介しておきます。グーグルで検索すればすぐ出てきます。



私としては、本当は観たことがない曲もまだまだたくさんあるので、いろんなものを観てみたいのですが、山姥以外にも今年中に何番か同じものを観ることになりそうです。既に羽衣は三番観てますし・・・

一枚のCD・・・能楽囃子

格好をつけるわけではないのですが、私が能や狂言を観ていて、最も注目しているのは演者の気です。



といっても、別に超能力者や霊能者でもありませんから、気が見えるといったわけではないのですが。それでも目に見えるものだけではない「何か」が、本当に感動する舞台からは伝わってくるような気がしています。
ビデオやCD、DVDといったものを見たり聞いたりするのも決して悪くはないのですが、でもどうしてもこの得体の知れない「何か」が伝わる量が少ないような気がします。



それともう一つは、観客の参加。
その場にいるということは、能楽に限らず演劇でも音楽でも、演者も観客も一つの場を共有しているわけです。能楽の場合、狂言の笑いは別としても、観客が手拍子をとったり歓声を上げたりといったことはありません。
けれどもある瞬間、客席を含めてほぼ全員が、何か同じものを共有していると感じられる時があります。



道成寺の乱拍子。客席はおおかた水を打ったように静まりかえり、その中に小鼓の裂帛の気合い、シテのほとんど動くことを忘れたかのような凝縮された舞、こんな時に、明らかに何かが共有されていると思いますし、またそれを感じさせる仕掛けとして、この不思議な乱拍子というものができあがってきたのではないか、と思っています。



そんなわけで、やはり生の空間を共有するのが第一ということで、ビデオやCD、DVDなどはあまり見聞きしていないのです・・・が・・・この続きはまた明日

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