能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

CDの囃子・・・つづき

一枚、とても気に入っているCDがあります。



「能楽囃子 至高の四重奏」というビクターから出ているもの。たぶん、もう何十年か前に出た、たしか能楽囃子大系とかいうレコードの一部をCD化したものではないかと思うのですが、確証はありません。



このCDには五曲の囃子が収められています。
道成寺、鶴ノ舞、鈴ノ段、猩々乱、獅子の五曲なのですが、囃子といっても他のCDにあるように中ノ舞、神楽といった囃子だけではなく、一曲目の道成寺では物着から鐘入りまでが、謡、足拍子などとともに入っています。
鶴ノ舞というのは、新作能「鶴」で使うために創作された舞だそうです。



能楽囃子大系というレコードは、もはや絶版になってしまっていて、内容の確認がとれないのですが、おそらく私が能楽を観るようになった、ちょうどその頃の録音ではないかと思います。
そのため、当時活躍中で既に亡くなられた名人級の方々が多々演じておられます。



一曲目の道成寺は、なんと伝説の人となった故観世寿夫さんのシテ。地謡が八世銕之亟静雪、当時の静夫さんなど。笛が故一噌幸政さん、現在活躍中の幸弘さんのお父さんですね。
大小は安福建雄さんと、北村治さんで、こちらはいずれもご健在で活躍中ですが、掛け声が若い!



他にも、幸円次郎さんや安福春雄さん、柿本豊次さん、大倉長十郎さんなどなど、私も遠い記憶の彼方になってしまった、懐かしい方々の演奏が聴けます。
あのレコード盤の方は復刻されないんでしょうかねぇ・・・たしかもっと沢山の曲が入っていたと思うのですが・・・またまた明日につづきます

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CDの鐘入り・・・さらにつづき

さてこのCD、生の演能でしか感じられないような「何か」が、かなり伝わってくる感じなんです。どの曲もそれぞれに良いのですが、中でも道成寺は聴きどころ。



物着のアシライから始まるのですが、これが既に妖しい雰囲気。
北村治さんは大倉流なので、大鼓だけではなく小鼓もアシライの手を打っています。笛のアシライがまた音も良く出ているし、なんとも言えない絶妙の間で気分を盛り上げる感じです。小柄な一噌幸政さんが、なんだかちょっとつまらなそうな感じに座っていた姿が思い出されます。



乱拍子の北村さんの小鼓も、気迫がCDからも伝わってきます。
この乱拍子は大鼓や太鼓は入らず、小鼓だけで拍子を刻み、ところどころ笛があしらう訳ですが、何度聞いても奥が深い。いったい誰がこんなものを思いついたのか、不思議さを感じます。
さらに急ノ舞から鐘入りまでが録音されていますが、おそらく袴で演じているのでしょうし、鐘の落ちる音はありませんが、鐘入りの辺りは息をのむ感じです。



ところで、私は少しだけ一噌流の笛をかじっていたこともあって、囃子を聞いているとどうしても笛に注意が行ってしまいます。
このCDでは、一噌幸政さん、寺井政数さん、藤田大五郎さんの三人が笛を吹いていますが、三人三様に味わいのある笛です。



寺井さんは森田流で大柄な存在感のある笛方でした。一噌流と森田流ではかなり旋律が違いますし、人によっても差し指が違うので同じ流儀でも聞いた印象が随分違います。
寺井さんの吹く序ノ舞や中ノ舞は妖しい感じもして大変魅力がありました。このCDでは鈴ノ段吹いておられます。
シテは山本東次郎さん。鈴を振っている音と足拍子が入っているだけですが、私が初めて観た三番三は東次郎さんでして、これまた大変懐かしい。



懐かしい話ばかり書いていても仕方ありませんが、ともかく生が第一とは思っているのですが、こういうCDもあるというご紹介でした。

私はどうして・・・

能楽に興味を持ったきっかけというのが、どうにも思い出せません。
小中学生の頃だったろうと思うのですが、取り立てて家庭環境の中で能楽に親しむような機会があったわけでもないし、今更ながら不思議です。



ずっと後になって、亡くなった父が、若い頃にほんのちょっとだけ謡を習ったことがあったとか、伯母の実家の父上が宝生の稽古をしていたとか、そんな話を聞きましたが、それは私が学生時代に能楽のサークルに入った後のことでしたので、関係あるとは思えません。



強いて言えば、歴史とか、古典とか、何かにつけて古いものに興味があったということなのでしょうが、それはなぜかと考えると振り出しに戻ってしまいます。
本当はとっても文学・歴史に興味があったのに、学生時代は会計学を専攻し、職業は金融関係。これはまあ、田舎で暮らしていくための方便みたいなもので、仕方ないんですけど、人生って不思議なものですね・・・と歌の文句のような感想です。



理由が分かっても別に何が変わるわけではないのですが、ちょっと気になります

血縁のありなし

この間、金剛流について書いたときにもふれましたが、血がつながっているかどうかというのは、それほど重要なことではないと思っています。



それというのも、江戸時代までの「家」というのは現在でいう会社のようなもので、商売にせよ芸事にせよ、もちろん大名家も、家という形を取ることで代々続いていく一つの経営体なわけです。
当然に凡庸な当主では家運を傾けてしまうので、必要に応じて養子をとったり、別家をたてて「家」の永続をはかろうとしたということですね。



もちろんどうしても血統、血がつながっていることが重要だと考える人ももちろんいるわけで、そうしたときに血筋が絶えないようにするのが、親戚筋に跡を継がせるという方法。
例えば徳川幕府は初代の家康の時に、既に御三家として尾張、紀伊、水戸に徳川を名乗る家を置き、宗家の血筋が絶えそうになったらここから将軍を出すことにしたわけです。



案の定、わずか四代目の家綱は子がないままに亡くなり、この時は弟の綱吉が。さらに綱吉も子供が無かったため甥の家宣が将軍になりますが、その家宣の子である家継で家系が絶えてしまい、紀伊家から吉宗が将軍となったわけです。



女性天皇、女系天皇の問題では昨今も大騒ぎになりましたが、もともとそうしたことがあるので戦前まで宮家として天皇家の血統を伝える家がいくつもあったのでしょう。
とは言え、天皇家や将軍家ならいざしらず、血統が絶えるのを慮って親戚筋を然るべき身分で残しておくなどということは現実にはほとんど不可能なわけで、通常は養子を迎えたり、別家から跡継ぎを迎えたりするのが普通だったようです。



同じ名字を名乗っていると親子や兄弟ではないか、とすぐ思ってしまうのが、こうした「家」の制度に馴染んでいない現代人の傾向かもしれません。
狂言の茂山家も茂山千五郎家と茂山忠三郎家に全く血縁が無いのは、狂言ファンの方ならよくご存知の話ですね。

扇の話

箸から刀まで、扇子一本を使い分ける落語ほどではありませんが、能でも扇は大変重要な役割を持っています。



囃子方や後見を含めて、扇を持たずに舞台に上がることはありませんね。
とは言え、すべて同じ扇かというとそういう訳でもなくて、概ね、シテやワキなど装束を着ける場合は中啓という、閉じた状態で半分開いたような・・・変な表現ですが、特殊な扇を使います。
この形ってエライお坊さんなんかも使いますよね。



一方、囃子方や地謡、後見などは普通の扇、鎮扇(しずめおうぎ)を持ちます。
仕舞や舞囃子を舞う際に使う扇も、やはり鎮扇です。



唐突ですが、むかぁし、熊野の仕舞の稽古をしているとき、ある方がシテの謡「月を蔵(カク)して懐に、持ちたるあふぎ」を、そのままに「もちたるあふぎ」と謡って、一同???
よく見ればちゃんと「オオギ」と仮名が振ってあるのですが・・・素直な方でした。



シテは中啓以外にも唐物や天狗などを演じるときには団扇のようなものを持つ場合があります。

鎮扇・・・扇の話つづき

シテが持つ中啓は役柄によって概ね模様が決まっていて、神扇とか修羅扇、鬘扇、鬼扇などと呼ばれています。流儀によって若干の違いがありますが、基本形は一緒ですね。
一方、鎮扇の方は流儀によってかなり違いがあります。


観世流では流れる水をモチーフにした観世水(かんぜみず)といわれる模様を扇面に描きます。宝生流は五つの雲を配置した五雲。金春流では五つの丸をあしらった五星の模様を用いています。金剛流の扇は金剛雲といわれるつながった雲か描かれたものや九つの丸が描かれた九曜星など。そして喜多流は三つの雲が描かれた扇を用います。


仕舞を舞うときは中啓ではなく鎮扇を使いますが、扇面は中啓の修羅扇や鬘扇などと同じ絵柄のものを用いる場合や、また仕舞扇用の絵柄のものを用いる場合もあります。


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写真は頂き物の宝生流仕舞扇。金地に葉の緑と桜の花びらをあしらったデザインで気に入っています。よく見ると金地が宝生流らしく五つの雲の形になっています。長さ尺五分ありますが、観世流ではもう少し長い尺一寸の扇を使います。

上掛りと下掛り

これまでも度々にわたって上掛りと下掛りという言葉を使ってきました。
能のシテ方五流のうち、観世・宝生の二流を上掛り、金春・金剛・喜多の三流を下掛りといいます。
どうしてこういう分け方がされるのか、本当のところは良くわかりません。能楽師の方のお話や書物などを見ても、これが決定版という説には、今までの所出会っていない状況です。



ですが、私の知っている限りのお話を書きますと、まず上掛り、下掛りは古くは「京がかり」、「大和がかり」といわれていたそうで、大和猿楽四座のうち、早くから京都に出て活動を始めた観世系と、奈良に残った金春系という分け方だったのではなかろうか、と思います。



しかし現在の五流の能を観て、私としては、上掛り二流とと下掛り三流の間に、明確なグループとしての違いは感じられない、というのが正直なところです。
もちろん、いくつか形の上で違いはありますし、なによりも謡本で詞章を比べてみれば、観世・宝生の二流と、金春・金剛・喜多の三流では異なる部分が多いことは確かです。特に節付けのない詞の部分での違いが大きいようです。



けれども、歌舞劇として能を観る上では、グループ分けする程に大きな違いがあるのかどうか、良くわかりません。
四月五月と、喜多・金春・金剛の三流を観ましたが、共通点よりも金春流と喜多・金剛二流の違いの方が感じられたくらいです。



とは言え、前々から気になっている上掛りと下掛りですので、もう少しこの違いについて書いてみたいと思います・・・明日につづく

謡本の違い・・・上掛りと下掛りの違い

上掛りと下掛りとグループ分けした時に、形として目に見えるのは、詞章の違いでしょう。これは謡本を比べてみれば分かることですが、観世・宝生の二流と、金春・金剛・喜多の三流では異なる部分が多いことは確かです。
特に節付けのない詞の部分での違いが大きいようです。



現在では各流の謡本が出版されていますが、江戸時代までさかのぼると必ずしも各流の謡本があったわけではないようで、国立能楽堂の所蔵資料などでも、江戸時代の上掛り系謡本、下掛り系謡本といった形のものが展示されています。



どうも金春禅鳳といった古い時代から、既に観世系と金春系には詞章の差異があったのだそうです。
能の曲自体は、観阿弥や世阿弥、元雅といった観世の作者たちの手になるものも、金春の禅竹や禅鳳の手になるものもあって、いずれも各流で演じられたりしていますが、もともとの詞章は当然同じだったのに、流儀としての主張があって少しずつ変化してきたでしょう。



宝生、金剛、喜多の各流が長く独自の謡本を作らず、宝生は観世の謡本をベースに、また金剛は金春の謡本をベースにしていたため、二系統の謡本になっていたようですね。



とは言え、各流それぞれの主張があって、現在ではおおよそは二系統になるものの、流儀毎の違いも少なからずあるようです。

銕仙会6月定期公演を観る

このところ下掛り三流が続いたので、そろそろ観世を・・・という訳でもないのですが、今日は出張で夜が空きそうだったため、銕仙会を観に行ってみようと思い、ダメもとでチケットの予約をしておいたのですが、うまく観に行くことができました。



小督と鉄輪の能二番に、狂言は鱸包丁。小督が清水寛二さん、鉄輪は山本順之さんのシテです。
鱸包丁は和泉流石田幸雄さん。年初の番組予定では萬斎さんのシテになっていたのですが、9月の見物左衛門とシテを交代された由。このため銕仙会のホームページには、先にチケットを手配してしまった人にはご相談に乗りますという趣旨の掲示が出ていました。



小督、鉄輪それぞれに面白く拝見しました。ワキ正を取ったせいでもあるのですが、鉄輪の地頭が浅見真州さんで、大変印象的でした。来週は浅見真州の会を予約してまして、いよいよ楽しみになってきました。
出張仕事の方は、ちょっとキツかったのですが、お陰様で気分転換することができました。
とは言え、さすがに夜の部を観て帰ってくると自宅は11時過ぎ。これでも水道橋駅あたりを走っての結果ですので、曲毎の鑑賞記はまた明日以降に・・・

小督 清水寛二(銕仙会定期公演)

観世流 宝生能楽堂 2006.6.9
 シテ 清水寛二、ツレ 西村高夫、トモ 浅見慈一
  ワキ 村瀬純、アイ 竹山悠樹
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸正昭
   笛 槻宅聡



能の曲名というのはちょっと不思議で、小督というからには小督の局がシテなのかと思いきや、シテは姿を隠した小督を探しに行く源仲国。小督はツレで登場します。研究したわけでもないので良くわかりませんが、こうした曲名の付け方にも案外、日本人の美意識が潜んでいるのかもしれませんね。



この曲、ベースは平家物語の小督の巻。清盛の威光を恐れて失踪した小督の局を想い、高倉院の嘆きは深く、勅使を弾正大弼である源仲国に使わして小督を捜させるというのが発端です。
ワキの勅使が名宣リ笛で登場し、舞台に入って常座で名宣リます。(観世の文字使いに従って「名宣リ」と書いていますが、名乗り、名ノリとの表記も同じです)



村瀬純さんのワキは、大柄な方でもありまさに勅使向きの堂々とした雰囲気です。しかし常々想うのですが、村瀬さんの謡の声には、モンゴルのホーミーとは言いませんが、どうも倍音が複雑に含まれているような不思議な感じがあります。あれはおそらく生来のもので真似できないと思うのですが、聴いていてなかなか味わいがありますね。



さて常座での名宣リの後、橋掛りに進んで幕内に呼び掛けます。揚幕が上がってシテの出「誰にてわたり候ぞ」と問いますが、勅使の「これは宣旨にて候」の声にすかさず座して畏まります。この辺りは細かいところですが、なかなか面白い。



シテ清水寛二さん、風格があって直面が良い雰囲気です。茶の単衣狩衣に水色系の大口、翁烏帽子を着けての登場でした。観世流大成版謡本の装束附には風折烏帽子とありますが、翁烏帽子もよく使われるようですね。



ワキとの問答から地の上歌となり、シテワキが入れ替わってワキはそのまま退場。シテは常座まで進んで「急ぐ心の行方かな」と、立出でる風情を見せて中入りとなります。
ここで中入りというのも妙なバランス。シテが中入りしているので、ここまでが前場で後が後場ということになりますが、この能全体は場面展開が四つの部分に分かれているような印象を受けます。
というわけで、今日はこの中入りまで・・・つづきは明日に

小督・・・つづき

中入りの後はツレ小督の局の出となりますが、それに先だって片折戸と柴垣の作り物が出されます。
観世は作り物を出すのが先なので、ツレ・トモ・アイの順に並んだ一行は囃子なしで登場し、ツレが舞台中央を仕切った片折戸を開けて、トモと脇座に着します。
ツレの唐織が紅系に対して、トモは水色系が主の唐織りと対比が綺麗です。



このツレ一行の出から後シテ一声の前までは、世を忍ぶ小督の局がアイの女の求めで琴を弾きながら、身を嘆く哀切深い場面。
後シテの出から駒の段、シテが小督の局を捜し歩くのが次の場面。
そしてシテが招じ入れられて、文のやり取りから男舞を舞って去るまでの長い場面・・・と、おおよそ後場は三つの場面に区切れるますが、複式夢幻能とは違った、より後代に通じる劇作かなあ、と思いますが・・・。



西村さんのツレ、格の高さが出ているように感じました。
このツレはなかなか難しいところかな、と思います。あまり悲しみ、想いが強く出過ぎると、シテを仲国にした作者の意図と違ってしまうような気もしますが、良い具合だったかな、と思いました。



後シテは橋掛りを進んで一ノ松あたりで一声。観世流以外では前シテが直垂上下で後シテで狩衣に装束を替えたと思うのですが、肩を上げただけで前場と同じ装束です。
地頭、銕之丞さんの引っ張りもあるのかもしれませんが、全体にゆったりめの運びで格が高い雰囲気を感じます。
舞台に入ってからの駒の段も十分聴かせる感じで風情がありました。清水さんの直面、全く表情が動かず、プロだから当然とは思うものの、まるで面を着けているような感すら受けます。
遠い世阿弥の時代には表情を作った役者が多かったようで、このあたりを戒めた伝書もありますね。
・・・ちょっと長くなったので、もう一日つづきを

小督・・・さらにつづき

駒の段は仕舞でも良く演じられますし、謡としても平家物語に沿った味わい深いもの。
能では写実的な演技を避けようとする傾向が強いので、流儀によって差はあるものの、謡に合わせた所作はあまりしません。駒の段は、拝領の馬に乗って嵯峨野を探し回る訳で、謡にも「駒を駈け寄せて」とありますが、手に持った鞭で馬に乗ったことを示すだけです。



やがて琴の音が聞こえてきたので、もしやと思って聴いていると曲は想夫恋。「夫を想いて恋ふる名の想夫恋なるぞ嬉しき」と謡われます。シテは抑えた演技で「嬉しき」で、すっと面を上げ二足下がりましたが、ようやく見つけた喜びと安堵が二足に込められていた感じです。



ようやく尋ねあてた小督の住まい、お目にかかりたいと申し述べますが簡単には入れてもらえません。ツレ、トモやりとりの上で「さらば此方へ御入り候へ」と声がかかります。
シテは後見座で肩上げをおろし、その間に片折戸、柴垣が片づけられます。



シテ仲国が院からの文を渡し、これから長い問答、クリ・サシ・クセと動きのない場面が続くわけですが、ここがまた見せ所。
地頭の銕之丞さん、かなり力が入ってまして、ワキ正から見ていると迫力あります。



小督の返事も受け取り、シテ仲国は帰ることになりますが、ここで酒宴となって男舞が舞われます。男舞は安宅や小袖曽我など、武人が酒宴になった席で舞う形が多いのですが、仲国は文官ですし、武人の舞とは違った雰囲気を出すことが必要なんだろうと思います。そうした意味でも風情のある男舞でした。通常は三段に略すところ、五段に割合ゆったりと風格高く舞った感じです。



舞終えて「駒にゆらりとうち乗り」、確かに馬に乗った風情。
橋掛りでの留めですが、拍子は踏みません。銕仙会らしく、シテ・ツレ・トモが幕に消えても拍手なし。囃子方が立ってようやく拍手がでましたが、ああ、これなら余韻がありますね。

鱸包丁 石田幸雄(銕仙会定期公演)

和泉流 宝生能楽堂 2006.6.9
 シテ 石田幸雄、アド 高野和憲



鱸包丁というのは初見ですが、正直のところこれはちょっと難しい。
いえ、何分狂言ですから話そのものが複雑という訳ではないのですが、説明を受けないと言葉が分からないところが少々ありまして、なかなか笑うところまでいきません。



話は簡単で、宴席で使うために鯉を求めてくるように頼まれた甥が、手に入れることもせずに「獺が鯉を半身喰ってしまった」と嘘を言う。これを見破った伯父が、鱸をご馳走すると言って、逆に料理の話だけで甥を懲らしめるというストーリー。
鱸料理の仕方話の部分はまさに見せ場で、この上手さに感心はするものの、なんとなく腑に落ちず、後で調べてみたのですが、要は最後に「鱸は法定(ホウジョウ、北条・放生などとも)が食べてしまった」というオチが理解できなかったということに気付きました。



ホウジョウは嘘の意味だそうで、獺(かわうそ、ウソあるいはオソ)が鯉を食べてしまったという嘘に対して、包丁にホウジョウをかけて、その嘘(ホウジョウ)が鱸を食ったという二重三重の謎掛けになっている訳で、ここが分からないから腑に落ちなかったということでした。



萬斎さんのシテの予定だったのが、石田幸雄さんに変更になったのですが、石田さんの芸はまた味わい深くて、私としては好きな狂言師です。
この鱸料理の仕方話も見事でした。



そうそう鱸の打ち身の話が出てきますが、打ち身は室町の中期頃まで刺身と並んで行われていた料理法で、刺身よりも分厚く切るなど料理法に違いがあったようですが、この狂言の中で伯父が解説するとおり、鯛と鯉だけに限られた料理法だったために、室町後期には刺身と混同されて、無くなってしまったとか。
そういう意味でも、古い時代の狂言なんでしょうね・・・

鉄輪 山本順之(銕仙会定期公演)

観世流 宝生能楽堂 2006.6.9
 シテ 山本順之、ワキ 森常好
  ワキツレ 舘田善博、アイ 深田博治
   大鼓 安福光雄、小鼓 亀井俊一
   太鼓 観世元伯、笛 寺井宏明



鉄輪はあまり品位の高い能ではないので、物凄まじく演じられれば良いということかもしれませんが、山本さんシテは単に凄まじいというよりも、もう少し悲しい、特に後シテが悲しい雰囲気を持っていたような感じがしました。



狂言口開ということで、まずアイ貴船神社の社人が登場し、丑の刻参りをする女人に「願いが叶う」と告げよとの霊夢を見たと語ります。
この言葉を受けてシテの登場。シテは笠をかぶって面を見せませんが、これは着セリフのところで笠を取り、ここで泥眼の面を見せる演出を際だたせているのかもしれません。



前シテは泥眼。これは面の白目に当たる部分と歯に金泥が施されていて、見た目に異様な感じを受けます。
残念ながらワキ正からだと、この面の肝心の眼の辺りが良く見えません。そんなわけで笠をとったときのインパクトはありませんでしたが、なんとも言えない妖しい雰囲気が感じられます。



シテの女は鬘桶に座り、神社に参詣の様子となりますが、ここでアイがシテに呼び掛け「身には赤き衣を着・・・」と夢のお告げを語ります。
お告は、さらに鉄輪を頭に載せ三つの足に蝋燭を灯し、怒る心を持てば願いが叶うと続きますが、女は「人違いでは」と返します。



しかしそう言ううちにも顔色が変わり・・・ということで地謡の力の入った謡となって中入りになります。この謡「美女の容と見えつる緑の髪は空さまに」あたりまでは、ねっとりと絡みつくような謡。「立つや黒雲の」と運びが早くなります。
もう少しテンポを上げてシテが走り込むか、と思っていたのですが、謡のうちは抑えめ。中入りも橋掛りまでは、まだ気が急きつつもしっかりと、橋掛りのうちに徐々に歩を早めた感じでした。
つづきは明日に・・・

鉄輪・・・つづき

中入りの後は、ワキツレの男が登場してきます。
舘田善博さんのワキツレでしたが、なんだか飄々とした感じで、取り殺されそうという緊迫感はありません。そこがまた愛嬌のあるところで、変に深刻になりすぎずに良いのかも知れません。



ワキツレは近頃夢見が悪いので安倍晴明にみてもらおうと述べ、幕に呼び掛けます。
揚幕からはワキ安倍晴明の出。男との問答になりますが、清明は占うまでもなく「女の恨みを受けて今日にも命が危ない」と告げます。



ワキツレの求めに応じて調法することになり、ここで作り物が出されてきます。
作り物は、まず一畳台が置かれ、さらにその舞台先に三重棚が置かれて、烏帽子と鬘が載っています。
ここでノット。この囃子はホント好きなんですが、短いのが残念。
謡では「茅の人形を人尺に作り夫婦の名字を内に籠め」と謡いますから、等身大の藁人形を作って、男と後妻に見立てたということなのでしょうが、作り物では烏帽子と鬘でこれを象徴し、生々しい演出はしません。



準備が整い、ワキ安倍晴明が祈りを捧げると、後シテが登場してきます。
面は橋姫。さすがに凄まじいのですが、どうもこの面自体が悲しい感じもたたえています。
シテは散々に恨みを述べ「殊更恨めしき、徒し男を取って行かん」と凄みますが、清明に寄って降ろされた神々に阻まれて恨みを遂げられず、鬼となって姿を消してしまうという能です。



なんとも激しい物語ですが、地頭の浅見真州さんがどっしりと構えて微動もせず、シテさながらの謡い振りで大変印象に残りました。
あまり品のない物語に高い格調が与えられたような感じです。

浅見真州独演三番能

能の会は、時々、とんでもない番組が組まれることがあります。



今日の浅見真州独演三番能、「浅見真州の会」の第15回公演ですが、ちょうど公演当日の今日17日、65歳の誕生日を迎えられたという浅見真州師が、能三番のシテを演じるというものです。しかも翁付きですので、実質的には四番分のシテということです。



浅見師はかつて独演五番能も演じられたことがありますが、残念ながら観ておりません。
またかつて関根祥六師、最近では関根祥人師も独演五番能を演じていますが、いずれも観る機会に恵まれませんでした。



五番とはいかないまでも、今日の三番能は「翁 弓矢立合」に始まり、「山姥 雪月花之舞」「求塚」そして「融 十三段之舞」と、大変な番組。
しかも求塚の地謡は地頭が梅若六郎師、副地頭が梅若万三郎師、この二人が一緒に地謡するなんてあるんでしょうか、という感じです。
他に東次郎さんの「末広がり」、山本順之さんと北村治さんで一調「松虫」
仕舞が二番で宗家清和師が「源氏供養」、銕之丞さんが「弱法師」という豪華な番組でした。



朝の11時から休憩を挟みつつも、夜7時過ぎまで、途中で帰る人もほとんどなく、見所全体が魅了されたような一日でした。
ちょっとまだ興奮が冷めていない感じです。
予定していた電車に乗り遅れたこともあり、まだ家に着いてあまり時間が経っていません。
明日からまたまた観能記を少しずつ書いていこうと思っています。・・・今回は中身が濃いので、さてどんな風に書いたものか・・・と考えてしまいますね

翁 弓矢立合 浅見真州(浅見真州の会独演三番能)

観世流 国立能楽堂 2006.6.17
 翁 浅見真州、武田志房、観世恭秀
  千歳 浅見慈一、三番三 山本則直
  面箱持 山本泰太郎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤速雄
   脇鼓 大倉源次郎、鵜澤洋太郎
   笛 松田弘之



「翁は能であって能でない」といった言い方を時々耳にしますが、翁は能ではありませんで、これは古来から伝わる儀式ととらえた方が良い感じがします。
この翁にはいくつかの小書きがあります。
もともと数日にわたって勧進能を演ずる場合などは毎日少しずつ違う形をとるので、初日の式、二日の式、三日の式、四日の式などといった微妙に異なる演出がありますが、観世流では小書きのない場合、四日の式を演じます。



こうした通常の翁のほかに、この弓矢立合や舟立合のように翁が三人登場する形や、父尉延命冠者や十二月往来といった特殊な形もあります。が「能であって・・・」という話を含め、この辺りは追って「翁を巡るあれこれ」としていずれ別に書きたいと思います。



ともかく弓矢立合。これは翁が三人登場し相舞を舞うという特殊な演出。
金春流では古式を守り、毎年十二月の奈良春日大社の「おん祭り」の際に弓矢立合を演じます。ずっと以前にこの弓矢立合を一度観たことがあります。ここ二十数年前からは夏の銀座金春祭りでも、弓矢立合が演じられているようなので、一度機会があれば観てみようかと思っているのですが、なかなか時間がとれませんね。



この金春流の弓矢立合は古来から伝えられた形である一方、観世流の弓矢立合は江戸時代の観世大夫元章が作ったものと言われていますから、かなり違うはずなのですが、残念ながら奈良で観たのは随分昔の話。もはや「観た」という程度しか覚えていなくて、比較のしようもありませんでした。



ともかくも観世の弓矢立合は初見です。
舞囃子として上演されるのは、時々番組でも見かけるのですが、はたして金春流以外で装束を着けて弓矢立合を演じることがあるのかどうか、まず見かけたことがありませんが、どうなんでしょうか。
さてその具体的な進行は、また明日へとつづきます・・・

弓矢立合・・・つづき

今回の次第は基本的には四日の式の流れに従い、千歳之舞の後の「総角やとんどや、尋(イロ)ばかりやとんどや、座して居たれども、参ろうれんげりやとんどや」の謡の後が、弓矢立合の謡に変わり、翁三人の相舞になるという形です。
翁還りの後は、常の揉之段、鈴之段と続きますから、要は翁が面をつけ翁の舞を舞って翁還りをする部分がすっぽりと弓矢立合に置き換わった形ですね。



開演十分前にはお調べが始まり、五分前には後見が火打ち石で切り火、いやが上にも気分が盛り上がります。
面箱持の山本泰太郎さんを先頭に、極めてゆっくりと橋掛りを進みます。
面箱持が二ノ松あたりに進んだところで、ちょうど翁の浅見真州さんが揚幕から橋掛りに入ったくらい。その後にちょうど橋掛りの柱一本分くらいの間を開けて武田志房さん、さらに柱一本分空けて観世恭秀さん、と翁が三人のため行列が常の翁よりもだいぶん長くなった感じです。



進行は常の翁と基本的には同じで、面箱持はワキ座まで進み、翁三人は常の翁と同じ笛座前に、ちょうど舞囃子の時のような形でシテの翁が前に、ツレの翁二人が後に並んだ形で「とうとうたらりたらりら」と翁の謡が始まります。
今年は銕之丞さんの翁を二度観ていますが、銕之丞さんの能楽堂全体を揺るがすような謡とはまた違った深みのある謡。「所千代までおわしませ」は武田さん、「鶴と亀との齢にて」は恭秀さんと、三人出ているので謡も分けて謡う形ですね。



小鼓三丁取りの音が響き、千歳之舞。
千歳之舞はもともと稚児舞からきたのではないかといわれていて、それだけに少年が演じたりしますが、浅見慈一さんくらいの格になると千歳之舞自体も格調が高い感じになりますね。



「総角やとんどや・・・参ろうれんげりやとんどや」と翁の舞につながるところですが、ここで翁三人が右を向いて静に立ち、大小前に進んで相舞となります。
ここからが弓矢立合になるわけですが、このつづきはあと一日分ということで明日へ・・・

桑の弓蓬の矢・・・弓矢立合のつづき

詞章も、ここからが弓矢立合。
「桑の弓蓬の矢の功(イサオシ)は實(マコト)にめでたかりけり」と変わり、囃子も小鼓は頭取だけ、それに大鼓と笛が加わる通常の形になります。



記憶では金春流の弓矢立合は、弓矢立合として独立して演じられていたように思います。したがって小鼓は最初から一人だったと思うのですが、このあたりもハッキリと覚えてはいないので仕方ありませんね。



常の翁では重々しく舞台上で翁が面をつけますが、弓矢立合は直面の相舞ということで、「参ろうれんげりやとんどや」から立って大小前に向かいます。そういうところから考えても、舞囃子として演じるというのも存外、省略された形とばかりは言えないところかもしれません。
いずれ別の項目で書こうと思っていますが、江戸時代の謡初之式では三流の大夫が相舞で弓矢立合を舞ったそうで、おそらく形としては舞囃子といっていい形だったのではないかと思います。



今回の会では翁の装束でしたが、シテ浅見真州さんの佩いた太刀が長くて、正面を向いた肩越しに先が見える程でした。
翁三人の相舞が終わると翁還りとなり、小鼓三丁取りに笛があしらう、常の翁の囃子の形に戻ります。



翁三人と千歳が退場して三番三の舞。山本則直さんの三番三でしたが、気迫の入った気持ちの良い舞でした。



翁自体は、繰り返しになりますが儀式としての側面が大変強く、弓矢立合だからといっても別にストーリー性が出てくるわけでもありませんから、観てどうのこうのということはないのですが、なんだかとても清々しい気分になります。それが最大の目的なのかも知れませんね。
細かく書けば様々にありますが、また翁については別の機会に「あれこれ」書くこととして、明日は次の曲に移りたいと思います。

山姥 雪月花之舞 浅見真州(浅見真州の会独演三番能)

観世流 国立能楽堂 2006.6.17
 シテ 浅見真州、ツレ 鵜澤久
  ワキ 森常好、アイ 山本則直
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤速雄
   太鼓 金春國和、笛 松田弘之



山姥は四番目ないし五番目に置かれますが、観世流では雪月花之舞の小書きがつくと脇能扱いになります・・・というより脇能扱いにするときは小書きをつけるといった意味合いなのかもしれません。鬼と神とは極めて近いということでしょうか。



まず、ツレの百万山姥(ヒャクマヤマンバ)という都の遊女一行が善光寺参りのために境川さしかかります。アイの所の者に道を尋ねると三つの道があるとの返答。中でも険路である上路(アゲロ)越えの道を選ぶことにします。
アイの道案内で一行は道を進みますが、にわかに日が暮れてしまいます。



ここでシテの「なうなう旅人お宿参らせうなう」と呼掛けが入ります。
この一声で参ってしまいました。この一声がなんとも言えず深い。
さてシテは橋掛りを進みながら、この辺りは人家もなく自分の庵に泊まるようにと勧めます。そして山姥の歌の一節を聴かせて欲しいと求めます。



実はツレ百万山姥は、都で山姥の山廻りを曲舞に作って評判を得ている遊女なのですが、その百万山姥が、真の山姥のことを心に掛けないので、恨み言を述べに現れてきたという話。真の山姥が現れたというわけです。



真の山姥は自らの正体を明かし、夜すがら山姥の一節を謡ってくれれば、舞を舞おうと言って姿を消してしまいます。
「移り舞を舞うべしと、言うかと見ればそのままかき消すやうに失せにけり、かき消すやうに失せにけり」という中入り前の謡、「言うかと見れば」から気を掛けて運びが早くなり、これに合わせるように、二、三度廻って一ノ松まで走るように進み、その後はスラスラと中入りとなりました。・・・このつづきは明日に

雪月花・・・山姥のつづき

中入り後はアイとワキの問答。これはなかなか面白い問答になっています。
最後にオチまでついていますが、道成寺のアイでも思うのですが、少しコミカルなアイが気分を変えて、よりシテの演技を際だたせるような気がしますね。



さてアイの語りが終わると、ツレ、ワキ、ワキツレが立ち上がって待謡になります。
ツレは脇座前で鬘桶に座ってシテの出を待つ形ですね。



囃子も緩急をつけて、何事かが起こる感じが伝わってくると後シテの一声になりました。
常の山姥では、この後シテ、ツレの問答からやがてシテのクリ、サシ、そしてこの曲の主要部分のクセへと展開します。
が、この日は雪月花之舞の小書きがついているため、クリの前、地謡の「よし足引きの山姥が山廻りするぞ苦しき」でシテが杖を扇に替えた後「吉野龍田の花紅葉、更級越路の月雪」の謡が入り、中ノ舞となりました。



中ノ舞も常の中ノ舞よりも緩急がつき、二段の地あたりから運びが早くなって、三段のオロシで一度ぐっと抑えた後、急ノ舞のような運び。



山姥は、何かの恨みがあって鬼になったわけではないので、単なる鬼女ではない、自然神のような部分も持っているように思います。
この日の山姥は、まさに鬼女を通り越した先の、神がかった気が漂っていたように感じました。



都合二時間におよぶ山姥。その前の弓矢立合から通算で三時間と少々。
こんなに充実していて、この先、後二番もあるのに・・・いったいどうなってしまうのか、と驚きながら、なんだかジーンとしてしまい、じっと座っていました。

金剛流潤星会を観る

先週、観に行ったばかり・・・ではあるのですが、昨年に引き続いて金剛流山田純夫先生の潤星会を観に行ってきました。


先週の土曜日もここにいたなあ、と思いつつ、国立能楽堂のベンチに座って開場時間を待っていると、やけに人が集まってきます。
開演45分前の開場時間には、けっこうな人数になっていました。
結局、ほぼ満席状態。正面のみが指定席ですが、正面はもちろん、ワキ正も中正もほとんど埋まっていました。この間の東京金剛会が嘘のようです。
どうも能楽は初めて、に近い方が多かったような気がします。


曲は、金剛永謹師の舞囃子で「半蔀」と、万作先生の狂言「昆布売」。
そして山田さんの能「山姥」です。


先週、雪月花之舞の小書き付で山姥を観たばかりですが、流儀も違うし小書きも無いので、また違った雰囲気を楽しみました。
・・・いささかハプニングがありましたが、それはそれで・・・


観能記は、この間の「浅見真州の会」の分が終わってから書こうと思っています。

FC2でブログを開始

3月初めからココログで能楽にまつわるブログを書いてきました。


しかし、どうも使い勝手に今ひとつ満足できなかったため、どこか良いブログはないかと探していたところ、「FC2が良い」との情報。
そこで、ここ二、三日試し運転をしていたのですが、なかなか良さそうなので思い切って引っ越ししてきました。
どうぞよろしくお願いします。


FC2では過去分の更新も可能なので、3月初めのものから基本的に全部引っ越しをしています。
現在は先週、国立能楽堂で観てきた「浅見真州の会」の観能記を書いています。


つづきは明日に・・・

末広 山本東次郎(浅見真州の会)

大藏流 国立能楽堂 2006.6.17
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則孝、山本泰太郎


三番とは言え、五番立ての形式に沿った番組ということなので、脇能扱いの山姥の後は脇狂言、末広です。
「すえひろがり」ですが、大藏流では「末広」とのみ表記することがあるようですね。
脇狂言としては、末広の他にも何曲かありますが、やはりこの曲が一番良く演じられているような気がします。年に何度も観る機会がありますね。
シテの果報者は烏帽子、素袍姿で勢いよく登場してきます。脇狂言らしい演出ですが、こういう出は東次郎さんらしさが余計に引き立つ感じがします。
太郎冠者は則孝さん。すきっとした芸風で、私は好感を持っています。


果報者が冠者に末広を買ってくるように命ずる訳ですが、
「地紙よう、骨に磨きをあて」などと好みまで言う割には、肝心の末広が何であるかを告げず、また冠者も確認しないままに都に買いに出かけてしまうそそっかしさから、すっぱに騙されるという筋立て。
国語の教科書などにも取り上げられているので、良く知られた話ですが、よく知られている話をキチンと演じるのが、また演者の腕ということでしょうか。


アドのすっぱは泰太郎さん。こちらも烏帽子に素袍上下で、いかにも翁の後の脇狂言という雰囲気です。
すっぱに買わされた傘を持って冠者が帰ってきますが、当然に大騒動。さて冠者はすっぱに教えてもらった囃子物で主人の機嫌をとりますが、この囃子物が聞こえてきたときのシテの表情の変化が、いかにも東次郎さんらしい演技でなんだかホッとする感じがしました。


実はこの日の朝少し早めに着いて、能楽堂に向かって歩いていたら、ちょうど一台の車。東次郎先生が着物姿で自ら運転しての登場でした。いつぞや宝生能楽堂でも、ちょうど東次郎先生の到着に居合わせたことがありましたが、ちょっと嬉しいですね。

ブログを並行稼働中

能楽関連の話を書くために、ココログからこちらFC2に引っ越しをしてきた訳ですが、相変わらず楽天広場のブログの方も、ほそぼそと更新を続けています。
楽天広場は日常の雑多な話など、様々なものを書いています。


他にもう一つ。これは能楽に関する、まあ楽屋落ちに近いような話とか、そのままいろんな方に読んで頂くと誤解を与えてしまいそうな話を書いているページで、一応パスワードをかけてあります。こちらは本当に更新が稀で、ここ一月以上更新していませんでした。
要するに、無理して書く話でもない、ということなのですが、今日は久しぶりにこのパスワード付ブログの方も更新してみました。


楽天広場には、また別の話を書こうと思っています。


そんにに無理をする話でもないので、毎日更新といったことにこだわっている訳ではありません。できるだけ気楽にやっていこうと思っています。

求塚 浅見真州(浅見真州の会)

観世流 国立能楽堂 2006.6.17
 シテ 浅見真州
  ツレ 馬野正基、長山桂三
  ワキ 宝生欣哉、アイ 山本東次郎
   大鼓 安福建雄、小鼓 幸清次郎
求塚は地謡に梅若六郎師と梅若万三郎師が並ぶという、なんとも贅沢な曲でした。


一同が着座すると、舞台大小前に作り物の塚が出されてきます。
ワキ、ワキツレは西国より都見物に上る僧の一行、摂津の国、生田の里に着いたと謡います。すると若菜を摘む女たちがやって来る、ということで、シテとツレ二人が登場してきます。


ツレが先に出て、二ノ松あたりで振り返りシテと向き合う形で一声を謡います。早春のまだ淡雪が残る野で若菜を摘もうと謡いますが、シテの謡は若菜摘む春の明るさの中に、不思議な哀切が漂っていました。


独演三番という試みの凄さを、ここであらためて感じたところです。
翁、山姥も、それぞれ全く異なった演技を要求されるわけですが、とは言え「翁」は一種の儀式ですし、翁付きの形で、翁ともう一番の能が同じシテで続けて演じられるのは割合見慣れています。
このため山姥の時には、シテの性格の違いとその演じ分けということをさほどに意識しませんでした。
しかし、さらに「求塚」と続いてくると「こうも性格の違うシテを演じ分けられるものか」とあらためて感心した次第です。


別々の機会に観れば「ああ良かった」の印象で終わってしまったかもしれませんが、こうして続けて観ると、いかに性格の違うシテを演じ分けているのか、シテの技量の高さを再認識した形です。
ともかく、そう思わずにはいられないくらい、山姥とは全く性格の違う若菜摘みの女として浅見さんが登場してきました・・・続きは明日に

求塚・・・中入りを挟んで

シテとツレ二人は若菜摘みに興じますが、ツレのお二人は早秋の野辺の明るさを表すような謡、所作振りで、調子を高めた二ノ句はなかなか良い感じでした。


ワキが一行に声をかけ、生田には求塚があると聞くがどこか教えて欲しいと尋ねますが、ツレは知らないと答え、若菜摘みを続けます。
やがてツレは若菜摘みを終えて退場しますが、シテ一人が由ありげに残ったので、ワキが故を問うと、最前の求塚を教えようと塚の所に導きます。


そしてシテが語るには、昔この地に住む菟名日乙女(ウナイオトメ)という女に、二人の男が思いを寄せたものの、乙女はいずれとも決めかねて悩んだ末に生田川に身を投げて果てた。ところがその骸を入れた塚を二人の男が尋ね来て、互いに刺し合って果ててしまった、というのです。
話す途中から「その時わらは(ワ)思うよう」と一人称になり、自らその乙女の霊であることをほのめかしますが、その原因となった我が身を助けて欲しいと言い残し、塚の内に中入りとなります。


語りアイで、菟名日乙女の故事がもう一度語られます。
そしてワキの待謡から、太鼓が入り「南無幽霊成等正覚」とワキが続けて出端の囃子。
この読経の声に応えて、塚の中からシテの謡が聞こえてきます。塚の中も苦しみの世界であり、そこに僧侶の読経が聞こえて有り難いと謡います。


太鼓はこの世ならぬもの、人を離れた非日常のものを表す時に使われると言いますが、まだ塚の中にいて姿を現さないシテを、塚から呼び出すという意味があるのかも知れません。
「火宅の住處(スミカ)御覧ぜよ」と引き廻しが下ろされてシテが姿を現すと太鼓入りの囃子も終わりました・・・続きは明日に

乙女の苦患・・・求塚さらにつづき

姿を現したシテは、読経の声に「有り難い」とと感謝を示しますが、すぐさま命を落とした二人の男の霊に苛まれ、また二人の男に的とさせた鴛鴦(オシドリ)が鉄鳥となって襲いかかります。この苦しみの様を一人示すわけです。


この能はつらいです。
「こはそもわらは(ワ)がなせる科かや」とシテが謡いますが、この一節に引っかかってしまいます。
そもそも二人の男に言い寄られ、いずれとも決めかねて身を投げたのが地獄に堕ちる罪科なのか。苦しいだけでなく、理不尽なものを感じてしまうことで、さらに苦しみがつのっている感を受けるのですね。


観世流の求塚は昭和の二十年代になってからの復曲だそうですが、この詞章そのものは古くから伝えられたものですから、中世の人たちの死生観が反映されているとは思います。
変成男子の言葉の通り、古くは女性が成仏することは不可能とされた時代もあり、そもそも女性であることそのものが、罪を作るというに近いような捉えられ方をしていた時代もあったろうと思います。
そうした中で、この一節はどのように捉えられてきたのか、現代ではどう捉えていけるのか、その後も様々な考えが過ぎります。


この一節の後も、苦しみの姿を示しますが、やがて地獄の鬼も去って少しの間、苦患の隙間がやってきます。暗き中をシテは火宅に戻るとして、塚に入り扇で表を隠して留めになります。


多くの能では僧侶の読経の力でシテは成仏し救われるのですが、この曲では苦しみに一時の隙が訪れただけで、本質的な救いは見えていません。
実に救われない能ですが、その苦しみを痛い程感じた一曲でした。

融 十三段之舞 浅見真州(浅見真州の会)

観世流 国立能楽堂 2006.6.17
 シテ 浅見真州
  ワキ 殿田謙吉、アイ 山本則重
   大鼓 亀井広忠、小鼓 曽和正博
   太鼓 金春惣右衛門、笛 一噌幸弘


融(トオル)は月の能と言っても良いかも知れません。


ワキの諸国一見の僧は都へ上り、六条河原の院跡に立ち寄ります。
荒れた屋敷跡に佇んでいると不思議な老人が現れます。不思議というのも、都の中、海辺でもないのに汐汲み姿。
いぶかって尋ねる僧の問いに、老人は、ここ六条河原の院は融の大臣の屋敷跡で、いにしえ大臣が陸奥、千賀の浦の塩釜を移し、海水を引かせて塩焼きをした故地であると語ります。


そして池水に浮かぶ小島・・・籬が島を老人と僧が見やると、ちょうど月が上ります。
「や、月こそ出でて候へ」というシテの一句。この一句がこの能の鍵になっているいるのではないかと考えています。


もちろんシテが登場して最初の謡が「月もはや出汐になりて」と始まりますから「月」が鍵であるのは初めから明白なのですが、とは言えこの「月」が実際に上ることによって、融の大臣の栄華の姿が僧の眼前に現出する扉が開くのだろうと思います。


上手のシテの「や、月こそ出でて候へ」の一句は、確かに舞台に月を上らせます。そして月が上ることによって、老人は後シテ融の大臣の栄華の姿を現すことが可能となるのです。
さてこの日の融の姿は・・・明日につづきます

月の出・・・融のつづき

11時の開演から、既に7時間近くが経って、見所も相当に疲れてきているのでしょうけれども、ほとんど席を立つ方がいません。そんな中で演技が進行します。


シテの「や、月こそ出でて候へ」の声に、ワキは、籬が島の森の梢に差し入る月光に古の姿が偲ばれると言います。
シテの返答は「何と、只今の面前の景色がお僧の御身に知らるるとは」と、僧が月光の中に、昔、融の大臣が池に舟を浮かべて遊んだ姿を垣間見たことに、驚きを示します。


このあたりのシテ、ワキの問答は趣深い。ワキは重ねて融の大臣の昔を語るようにシテを促し、さらに月光の中で京の名所名所を教えて欲しいと頼みます。
名所教えは融前場のハイライトの場面ですが、シテとワキの呼吸が合うとき、見所の後方にさながら京の山々が浮かび上がってくるようです。音羽山に始まり、歌中山清閑寺、大原、嵐山まで京の名所が詠み込まれています。


老人は長物語に忘れていた、と言って、汐汲を始めますが汐曇りに紛れて姿が見えなくなってしまいます・・・中入り


語りアイの後にワキの待謡、そして後シテの出となります。
異界からの到来を告げるように太鼓が打たれ、後シテ融の大臣が登場します。
融後シテの常の装束は狩衣に指貫ですが、小書きがつくと替の装束になり白の大口。さらにこの日は、心葉、日陰糸のついた初冠姿。これは綺麗でした。まさに栄華の絶頂にある大臣の再来のようです。


「忘れて年を経しものを」とサラサラと流れるように謡いがつづき、栄華の昔を象徴する舞へと導かれていきます・・・明日につづきます

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