能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

十三段之舞

後場は流れるように舞へとつながります。


十三段之舞と言っても、十三段に分けた特別な舞があるという訳ではありませんで、黄鐘早舞五段、盤渉早舞五段、急ノ舞三段を舞って都合十三段になります。
舞を巡るあれこれの話は、いずれ別の機会に書こうと思っていますので、詳しくはそちらに譲りますが、一つの舞の中に序破急がある感じで見事な舞でした。


最初の五段はややゆったりとした感じ。通常の早舞の型で五段を舞い、常座に戻りますがここで舞の終わりを示す形の、扇を持った右手を下げる所作をせずに、そのまま答拝の形になって二度目の五段の舞に入ります。


二度目の五段では、途中から笛の調子が一段高い盤渉調に上がり、型も変化に富んだものにかわります。だんだん興が乗った感じで運びが速くなり、舞の動きに吸い込まれるようでした。
そして急ノ舞三段。運びはいよいよ速くなっていきますが、少しも雑な感じにならず、流麗さと速さが両立した素晴らしい舞でした。


舞の終わりは正中に座した形になります。通常では常座に戻って「あら面白の遊楽や・・・」の地謡を聞き「それは西岫に・・・」と受けながら動き出しますが、しばらくは座したままの形。
長く、そして速さのある舞の後で、息を整える意味もあるのだろうと思いますが、逆にそれが趣ある感じになっています。もっとも「それは西岫に」の謡も少しも息が乱れた感じはなく、浅見師の体力にも驚きを禁じ得ませんでした。


キリは「あら名残惜しの面影や」と橋掛りを進み、その遠ざかる後ろ姿に引かれるようにワキが立ち上がりますが、観ている方もワキと同時に立ち上がりたい衝動を感じました。静かに立ち去るシテの後ろ姿を、ただ呆然と見送りました。
融のキリはいつ見ても感動してしまいますが、この日は特に、なんとも言えない満足感と惜別の想い。まさに「名残惜しの面影」でした。

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豪華な仕舞(浅見真州の会)

「浅見真州の会」の鑑賞記の最後として、能以外の話。


当日は、山本順之さんの謡に北村治さんの小鼓で一調「松虫」、そして仕舞二番が演じられました。松虫は渋い、大人の芸ですね。


仕舞二番は、宗家清和師の源氏供養と銕之丞さんの弱法師。久しぶりに素顔の清和さんを拝見しましたが、さしがにお歳の顔になられましたね。
各種パンフレットなどの写真は、お若いときのままですが、年月が流れているのだから当然ではあります。
もちろんその分だけ、仕舞にも趣深くなったように感じました。しっとりとして良い曲です。


銕之丞さんは、本当に機会がなくて、この春の翁以外はもう何年も装束能を観ることもなく、仕舞だけしか観ていませんが、いや弱法師、良かったです。


弱法師(ヨロボシ)の仕舞は、盲目となった少年俊徳丸が日想観によって日輪を見る「おう、見るぞとよ」の一節が白眉ですが、装束も面もつけないのに見事に弱法師の世界が広がり、なんだか泣けてしまいそうでたまりませんでした。
半眼・・・ほとんど目を閉じたようにして演じられていたのが印象的な仕舞でした。

山姥 山田純夫(潤星会)

金剛流 国立能楽堂 2006.6.24
 シテ 山田純夫、ツレ 工藤寛
  ワキ 高井松男、アイ 石田幸雄
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸信吾
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之


しばらく前の話になってしまったような感じがしますが、金剛流の山姥の鑑賞記。


小書きのない、下掛りの山姥ということで、浅見さんの雪月花之舞と、どのように印象が違うものか、楽しみに出かけました。アイも和泉流、石田幸雄さんでということで、大藏流とは微妙にことなりますね。


ツレ、ワキの一行がまず登場してきますが、ワキの高井松男さん、渋くて良い謡。何度も拝見している高井松男さんですが、私の印象としては、今まで観た中でも一、二といって良い趣のある演技でした。


ツレは紅入唐織の着流しで、浅見さんの会の際にはツレの鵜沢久さんが水色を基調とした唐織を壺折に着けていたのと比べると、かなり印象が違ってきます。どちらかというとツレはあまり高い格に置かずシテとの対比を際だたせる、ということなのでしょうか。
ツレ工藤さんの謡もサラサラと運びも速めで、そうした印象を強めました。工藤さん、良い声です。東京金剛会での野守のシテとはまた違った雰囲気で、機会あれば違う曲も拝見したいですね。


ツレ、ワキの一行はアイの案内で上路越えの道を進むことになる訳ですが、途中にわかに日が落ちて暗くなってしまいます。先日の山本則直さんは驚いたように上方を見回し、急に暗くなった感じを所作で示していましたが、この日は「俄に日の暮れて候」の一言のみで所作はありませんでした。
少しずつですが違いがありますね・・・つづきは明日に

金剛の山姥・・・つづき

前シテは呼掛けで登場し、そのまま正中まで進んで下居りの形です。
真の山姥を巡るやり取り後、中入りとなりますが「暮るるを急ぐ深山辺の」で始まる地謡が「言うかと見ればそのまま」でかかってシテも動きを速めますが、その後は歩を緩めて通常の感じで静かに橋掛りを進んで中入りしました。


浅見さんの会ではツレとワキが座を替えて、ツレが鬘桶に腰を下ろしましたが、この日は下居のままシテの出を待つ形です。


後シテの衣装は緑を基調にした色合い・・・残念ながら色には詳しくないのでなんと表現したらいいのか分からないのですが、萌黄と言ったらよいのか薄い緑系の大口で、上は枯れ草色といった感じ。山姥の後は茶系の装束を使うことが多いように思うのですが、深山の木々、下草と一体化した山姥の風情を出すねらいなのかもしれません。
登場した山姥は「よし足引の山姥が」でいったん鬘桶に腰を下ろします。鬘桶の使い方も前回との違いがあって、なかなか面白く感じました。


「そもそも山姥は」と立って、山姥の曲舞に入りました。
山姥は恨みを持った鬼ではなく、自然の中に生じた人間にあらざるものということなのでしょう。あまり感情を込めた舞ではなく、むしろどこか超然とした雰囲気が良いのだろうと思います。
いささかハプニングがあって驚いたりもしましたが、一週間の間で山姥を続けてみることになり、対比の面でも面白く鑑賞しました。

昆布売 野村万作(潤星会)

和泉流 国立能楽堂 2006.6.24
 シテ 野村万作、アド 竹山悠樹


潤星会は能一番と狂言一番、それに舞囃子という構成。狂言は和泉流の昆布売でした。


昆布売のストーリーは、供も連れずに自ら太刀を持って出かけた大名が、出会った昆布売に太刀を持たせようとしたことから生じた喜劇。
太刀を持たせたところ、嬲られたと憤った昆布売と立場逆転して、大名が散々に弄ばれる面白さ。さらに様々な節回しで昆布売をせよ、ということで謡節や浄瑠璃節、踊り節と、様々に繰り出す面白さ。二つの面白さを合わせたような形になっています。


昆布売に太刀を持たせようとするのは二人大名と同じような筋立てになっていますね。持ち方が分からないという昆布売に、自分の太刀は左に主人の太刀は右に、と大名が教えるあたりも同じ。


狂言は、古くはキチンとした台本はなかったらしく、かなりアドリブの部分もあったのではないかと思います。
「前半のここまでは○○と同じ」などという書き方がされている曲も少なくないようです。
様々な節を見せる面白さは呼声にも通じますね。
浄瑠璃節ではツレテン、ツレテンと三味線の真似を入れますが、これは和泉流だけだったのではないか、と、いささか不確かな記憶ですが・・・三味線を入れた浄瑠璃が出てくるところから見ると、おそらくは江戸時代になってから作られた狂言なのでしょうけれど、なかなか面白くできています。


相変わらず万作先生の芸は見応えがありますね。
シテの大名がまさに適役。偉そうに出てきたのに、なんともしまりがない大名を好演。見事な芸でした。

翁の話

先日の翁、弓矢立合の小書き付きでした。その小書き以前に、この翁っていったい何のだろうという話を少しばかり書いてみたいと思います。


と言っても、翁というのは実は大変奥が深く、研究者の間ではここに踏み込んでしまうと危ないといった話もあるそうです。そんなわけで、翁をめぐっては様々な話がありますが、大系立って説明をするのは難しいようです。
いずれにしてもそんな知識があるわけでもないので、まとまった話は書けませんが、翁をめぐるあれこれを、折に触れて少しずつ書いてみようかと思っています。


よく「翁は能にして能にあらず」と言われますが、「翁は能ではない」とはっきり述べている方もおられます。まずはこのあたりから話を始めてみたいと思います。


「能」という言葉が使われ始めた頃には「猿楽の能」「田楽の能」という表現がありました。この言い方が示しているのは、「能」イコール「猿楽」ではなく、「能」は猿楽や田楽という異なったジャンルの中に共通的に出てきた芸能だということでしょう。


田楽では一忠や喜阿など、観阿弥に影響を与えたと言われる能の名手や、世阿弥と人気を競り合った増阿弥などが有名です。
その後、田楽は廃れてしまい、地方の民俗芸能としてのみ残っています。


現在でも各地に様々な田楽が残っていますが、私の生まれ育った茨城県北部には西暦851年から72年毎に行われてきたという、東西両金砂神社の磯出祭礼の大田楽があります。この話は別の機会に譲るとして、ともかく田楽には曲芸的なものもあり、わざわざ「田楽の能」といったのは、田楽の中の様々な芸能の一つとして「能」が出てきたという意味でしょう。


一方の猿楽は、現代の能楽につながってくるわけですが、こちらも「猿楽の能」という表現から考えて、能以外の猿楽があったということになりましょう。その「猿楽の能以外のもの」の最たるものが「翁」ではないかという話です。・・・明日以降につづきます

大和四座・・・翁の話(その2)

猿楽は古くは滑稽な物真似を主体とした芸能だったという説があります。この辺りはどうも本を読んでも「これだ」という説にはお目にかかりません。本当のところは良くわからないのかも知れませんね。


そしてその猿楽の発展の中で、歴史的な経緯は今ひとつハッキリしないものの、特に大和四座の重要な使命として「翁猿楽の奉仕」というのがあったらしいのですね。
田楽の中にも「四方固め」といった舞が残っていますが、神様の前で天下泰平を祈るというのは、古い時代の日本人にとってはとても重要なことだったのでしょう。相撲も神事だったわけですが、あの四股を踏むという形にも、これと共通した日本人の意識があったのかもしれません。


村の祭りは生産者である村人たち自らが演じ手ともなって行われますが、そうした歴史の中から、こうした神事の奉仕を専門とする集団が生まれてきたと言われていて、そうした中で大和、春日大社に奉仕する四座が、現在の能楽の源流となってきたということですね。
従って四座の主たる使命は翁猿楽の奉仕にあるわけですが、あわせて物真似など様々な芸を見せていた中に、田楽の影響なども取り入れながら「能」が演じられるようになってきたということのようです。


四座の翁は、代々の長老によって演じられていたようで、一方、あわせて演じられる能を初めとする芸能は、若手や他の座から入った芸人によって演じられていたらしく、観阿弥も言い伝えでは山田猿楽の出身と言われています。
要は翁猿楽を中心とした芸能奉仕集団である結崎座に参加した芸人だったようで、観阿弥はその芸名として「観世」と呼ばれていたらしいのですね。
細かいことは忘れてしまいましたが、室町期の誰かの日記に「親の観世、子の観世」という話があり、親の観世が観阿弥、子の観世が世阿弥であることから、おそらく観阿弥と世阿弥は「観世」という芸名で活躍する座のスターで、芸名を世襲したのではないでしょうか。
・・・この回、もう少しつづきます

能のスター競演・・・翁の話(その3)

だんだん翁から離れてしまっていますが、もう少し芸名「観世」からの続き。


同様に円満井座には金春権守、坂戸座には金剛権守といった人気役者が出たようです。
観世は結崎座の外から参加した芸人だったわけですが、名人として人気も出、なんといっても将軍足利義満の目に留まったことから、とうとう結崎座で翁を演じるようになったらしいのです。
このあたりの事情は金春権守や金剛権守も同じだったのではないでしょうか。
また外山座では、観阿弥の長兄にあたるといわれる宝生太夫が活躍していたようです。


こうしてみてくると翁はあくまでも神事であって、能とは一線を画するのがお分かりいただけると思います。


観阿弥を境として、翁は長老ではなく一座の太夫が演じるものになったようですが、金春流だけは古い形を残し、奈良に限っては江戸時代末期まで、幕府に仕える金春太夫とは別に、座の長老衆の末裔と思われる集団が翁の奉仕をしていたようです。
翁は神事であるということで、常の能とはまったく異なった形になっているわけですが、さらに長い年月の中で、様々なバリエーションが生まれてきたようで、一般的な翁、千歳・翁・三番叟が舞う形の他に、弓矢立会や船立会のような立会いの形、父尉延命冠者という特殊な形などがあります。


とは言え、一般的な翁(観世流の場合は四日の式ですが)これ以外の翁が演じられるのは滅多にないことです。
また狂言にも風流といって、翁に加えて演じられる特殊な形がありますが、これもあまり演じられることはありませんね。

鉄輪の女・・・鑑賞記とは離れて

先月の銕仙会では、山本順之さんの鉄輪を観ましたが、鉄輪は学生時代から興味の尽きない曲です。


嫉妬をめぐる話としては「葵の上」や「道成寺」など有名な曲がありますが、それだけ女の嫉妬というのはドラマ性が高いということなのでしょうか。劇としても盛り上げやすいのかも知れません。


とは言え嫉妬をテーマとしてとりあげながらも、それぞれに扱いが微妙に違います。


道成寺では、自分から逃げていく男自身に対する執念がテーマになっています。
一方、鉄輪では別の女性に対する嫉妬の結果として、後妻打ち(ウワナリウチ)を持ち出していて、そういう点では葵の上との共通点が大きいと思います。
しかし葵の上ともまた違った描き方になっています。


葵の上は六条御息所という高貴な方が主人公であり、その出現も、我知らぬうちに生き霊となってさ迷ってしまったという形。一方で、鉄輪の方は市井の女ですし、我と望んで丑の刻参りをするという、話としてもあまり品のない、現代のお昼の連続ドラマや推理ドラマにも通じそうな話が基本です。しかしそれにしてはいささか奥が深い。


おそらく、その深いと感じる最大のポイントは、後シテが般若ではなく、この一曲だけで用いられるのが基本である橋姫という面を使うことに象徴されていると思うのです。すなわち、恨む心を持ちながらも、嫉妬の裏腹としての恋心も捨てきれず、鬼になりきれない生き霊として現れてくるところにあると考えています。
・・・つづきは明日に

目に見えぬ鬼・・・鉄輪の女つづき

般若も人間の心は残しているとされていて、本当に鬼になってしまうと面も真蛇を使うことになろうかと思います。


一方、般若よりもさらに人間の部分が多く残されているのが生成り。鉄輪でも生成りを用いることもありますが、鉄輪の標準的な面である橋姫は角もなく、生成りよりもさらに人間の心を多く残しているという象徴だろうと思います。


ノットで始まる陰陽師や高僧の祈りに引かれて登場してくる鬼女は、おおかたは「祈」や「舞働」によって怒りの風体を示し、最後は調伏されるか成仏するか決まりがつきます。
しかし鉄輪では、ワキ安倍晴明は三重棚に神を降ろした後は、下がってひたすら座ったままです。取り殺そうという恨みの果ても、清明の降ろした神々に阻まれて弱るところも、すべてシテの一人芝居。
それはむしろ鬼になりきれない恨む女の悲しさの象徴ではないのか、とも考えたりします。


「足弱車の廻り逢ふべき時節を待つべしや。まづこの度は帰るべしと、いふ声ばかりはさだかに聞えて、いふ声ばかり聞えて姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける。目に見えぬ鬼となりにけり」と終わりますが、思いが果たせぬままに、とうとう本当の鬼になって姿も見えなくなってしまったという、なんとも壮絶な終わり方です。
逆を言えば、この最後の瞬間までは人としての悲しみを背負っているが故に、まだ人の世にとどまっていたということか、などと考えみたりしています。

上掛りと下掛り・・・形の上では

観世・宝生の上掛り二流と、金春・金剛・喜多の下掛り三流の違いについても時々ふれていますが、今日も一つ。


詞章については確かに上掛り、下掛り二系統の差異が見られますが、それ以外となるとなかなか難しいところ。
ハッキリと形で分かるのは下居した時に、どちらの足を引くかというところでしょうか。
下居は片方の膝を立てた座り方ですが、この際に上掛り二流は右足を引き左膝を立てます。一方、下掛りの三流は左足を引いて右膝を立てる形になります。これは仕舞の最初の構えでも同じですね。


これ、袴の類の時はどっちでも良いと思うのですが、着流しの形になるときは正直のところ、上掛りの形の方が綺麗だなあと常々思っています。
というのも着物の袷せは右前ですから、右足を引くと着物の裾が自然と下がります。一方、左足を引いて右膝を立てるとどうしても裾が乱れた形になりがちなんですよねえ。いったいどうしてこういう形になったのか分かりませんが、不思議だなあと思います。


ワキは下掛り宝生でも下居では左膝を立てます。これは脇座に座ったときの見栄えの問題からかもしれません。
しかしさらに不思議なのは、下掛りでもシテとして出るときは左足を引きますが、ツレとして出るときに右足を引くことです。下掛り諸流の能はあまり番数を見ていないので、必ずそうかどうかは分からないのですが、ワキと同じ側に並ぶことが多いからか、とも思ったりしています。


こうした違いはあるのですが、そうした違いを知らずに能楽堂に出かけて、五流の能を観たときに、さて違いが分かるかといわれると、どうですかねえ・・・というのが感想です。むしろ謡だけを聞いていると、旋律的には観世・金剛・喜多の三流と、宝生・金春の二流の二グループに分けた方が良いくらいな印象があります。
このあたりはいずれまた、もう少しふれてみたいと思います。

舞のあれこれ

中ノ舞とか早舞とか、能の中で一曲の中心に置かれる舞には様々な種類がありますが、少しばかり舞をめぐって書いてみたいと思います。


初めて能を観たときに、まず吸い込まれるように眠くなってしまうのが、この舞の部分ではないでしょうか。
ストーリー自体とは直接に関係しませんし、笛を中心とした囃子が心地よく、序ノ舞などではゆったりとした動きで前後不覚になってしまったという方も少なくないのでは、と思っています。


もちろん、こう書くくらいですから、私も能を見始めた頃は、舞の部分、とりわけ三番目ものの序ノ舞は不得手としていまして、舞のあたりはほとんど記憶に残っていないというそんなことも多かったように思います。
今でも心地よく眠気を催すようなことがありますが、それはそれで良いのではないかとも思っています。
気持ちよく寛げたという意味では、能を観たことがリフレッシュになっているのかも知れませんしね。


とは言え、この舞は、もともと舞という独立した芸能が能の中に取り込まれてきたのでしょう。
民俗芸能として残っている神楽などには、かなりストーリー性のある舞、例えば八岐大蛇の話とか、岩戸開きの話だとかを、舞に仕立てたものも見られます。


一方、古くからある舞楽のように極めて抽象的なものもあります。
舞楽の蘭陵王などは、もともとはストーリー性のある話が基礎にあってそこから抽象化されてきたようですが、最初から何らのストーリーもないものもあります。
ともかく、様々な形の中から、舞として抽象化されてきたものが、能に取り込まれて今のような形になったということのようですね。

舞と働キ

囃子によって、シテが動きを見せるというのは、舞事と働事の大きく二つに分けられます。


舞事は、まさに「舞」で、序ノ舞や早舞といった「○○舞」のほか、楽や神楽、鞨鼓など様々なものが含まれます。
一方の働事は、舞働やカケリ、斬組、立回りなどが含まれます。舞に比べると、具体的な動きのあるものが多いのですが、舞働などはかなり抽象的な動きで、名前の通りに舞と働キの中間的な感じですね。
簡単に言ってしまうと、舞事の方が長く、働事は短め。前者は決まった形を繰り返すような部分が多いのに対し、後者は繰り返しが少ない・・・と、そんなところでしょうか。


舞も、序ノ舞をはじめ○○舞と呼ばれるグループと、楽や神楽、獅子などではいささか構成が違います。
○○舞のグループは、もともと天女ノ舞が基本になり、これが分化してきたと言われています。序ノ舞、真ノ序ノ舞、中ノ舞、天女ノ舞、早舞、男舞、神舞などがありますね。
また笛の調子が変わるものがあって、早舞は黄鐘調で始まり途中から盤渉調に調子が上がりますが、ずっと黄鐘調のままで奏する黄鐘早舞もあります。


逆に序ノ舞は最後まで黄鐘調であるのが通常の形ですが、途中から盤渉調に調子が上がる場合もあり、これは盤渉序ノ舞と呼ばれます。黄鐘調と盤渉調については、いずれ囃子のあれこれの中でふれたいと思っています。


一方、楽や神楽なども繰り返しを基本としていますが、天女ノ舞の系譜とは異なったところから出来上がってきたようで、いささか形式が違っています。

呂中干の舞

楽や神楽は天女ノ舞系の舞事とは、いささか違いますが、とは言え繰り返しを基本とするところは共通です。
違いとしては、ノリ拍子と渡リ拍子のいずれを基本としているのか、あるいは呂中干の地が全体にわたる基本となるものか独特な部分を持っているのか、といった点があります。
このノリ拍子と渡リ拍子の違いも、いずれ囃子をめぐるあれこれの中でふれたいと思います。
また、独特な部分というのは、例えば神楽の前半部分は繰り返しでもなく、答拝や御幣を振るなど独特の所作を持っていますが、こうした部分と、呂中干の繰り返しの部分が合わさって出来上がっている舞ということです。


さて呂中干の舞は、ある曲節を何度も繰り返して進行しますが、ただ延々と繰り返しているだけではしまりがないので、大きく段と呼ばれる区切りがついています。その段の区切りの後にはオロシという部分があって、全体の変化をつけています。
いずれにしても繰り返しが主なので、能を見慣れている方ならば主たる旋律はなんとなくでも覚えておられるでしょう。


黄鐘調と盤渉調などの違いはありますが、様々な名前が付いている舞も、基本形は共通で、一番の違いは速さといっていいと思います。
笛には一噌流と森田流、藤田流の三流があり、それぞれ旋律が違いますから、いつ能を見に行っても共通とは言えませんが、同じ一噌流なら序ノ舞を見ても中ノ舞を見ても、笛の旋律はほとんど変わりません。
早舞は途中から盤渉調に調子が上がるのが普通ですから、聞いていると印象が変わりますが、それでも基本形が同じなのは聞いていても分かります。

鸚鵡小町をテレビで観る

能楽のテレビ放送というのは本当に少ないし、何より、以前にも書きましたが「能楽は生が一番」という考えなので、ほとんどテレビで能を観るということはありません。
ですが、今日ははふと惹かれてしまいまして、ほぼ2時間を費やして鸚鵡小町を観ました。シテは金剛流の豊嶋三千春師、京都金剛能楽堂での録画です。


 シテ 豊嶋三千春、ワキ 福王茂十郎
  大鼓 石井喜彦、小鼓 荒木賀光
  笛  光田洋一


老女物というのは、まさに能らしいジャンルだと思います。卒塔婆小町、鸚鵡小町、姨捨、檜垣、関寺小町の五曲が老女物として尊重されていますが、概ねこの順番に重い扱いとなっていきます。
以前にも紹介しました大角征矢さんによる昭和25年から平成11年までの50年間にわたる観世流の上演回数統計でも、卒都婆小町は249回上演されているのに対して、鸚鵡小町は65回、姨捨は61回、檜垣が25回、そして関寺小町が12回と、重い扱いの曲ほど上演回数が少なくなっています。


これら五曲のうち、姨捨、檜垣、関寺小町の三曲を三老女として特に重視するのが一般的ですが、金剛流では卒塔婆小町、鸚鵡小町、関寺小町の三曲を三老女と称するようで、鸚鵡小町の扱いも相当に重いようです。今回の豊嶋三千春さんの上演も金剛流としては30年ぶりとか・・・


曲の扱いが重いため地謡も裃姿で囃子方は長裃です。後見はオモ後見の金剛宗家だけが長裃。しかも切戸口ではなくオモ後見だけはシテに続いて橋掛りから出るという特殊な形でした。


なお金春流では鸚鵡小町を現行曲としていませんね。それと、曲趣からいうと卒塔婆小町は四番目物でもあり、いささか他の四曲とは異なる感じがあります。この曲だけが観阿弥作でもあり、老いたりとはいえ小野小町の勝ち気で明敏な性格が表現されているようで、雰囲気が違うような気がしますが・・・明日、もう少しこの鸚鵡小町の話を続けたいと思います。

鸚鵡小町・・・つづき

これまでも時々書いていますが、能にはストーリーとしてはほとんど起伏のない「え、それでなんなの?」といった曲が少なくありません。


この曲もストーリーの骨子は、陽成天皇の勅使、新大納言行家が、帝の歌を携えて百歳の姥となった小野小町を訪ね、その返歌を受け取って帰る。と、まあそれだけの話です。要は才色兼備の誉れ高い天下の美人である小野小町が、百歳の老婆となったその姿、老残を見せようというのがテーマであって、ストーリーはあまり重要ではないのでしょうね。
老女物五曲のうち三曲は小野小町が主人公であるのも、若き日の栄光と老残との対比が、観客にも説明抜きで理解しやすいからか、とも思います。


鸚鵡小町の鸚鵡は和歌の鸚鵡返しから出た話。
帝の歌「雲の上はありし昔に変わらねど見し玉だれの内やゆかしき」に対して「内ぞゆかしき」と一字だけ変えて返歌とし、これは古来からの鸚鵡返しという技法だと説くくだりから来ています。
クリ、サシ、クセと、この鸚鵡返しを巡っての趣深い謡が続きます。


もっともこの「雲の上」の歌は十訓抄に出てくるもので、流罪から許されて都に戻った藤原成範に対して、とある女房が詠みかけ、これに成範が一字を変えて返したとあり、この話を下敷きにしたようです。


十訓抄と言えば、博雅の三位が名笛「葉二つ」を手に入れた話もありますね。陰陽師のネタ話ですが・・・陰陽師のシリーズはなかなか面白い。
萬斎さん主演で映画化され、陰陽師自体も、萬斎さんも様々に注目されましたね。
作者の夢枕獏さんは、陰陽師以降それ以前の作風から大きく変わって、不思議な世界を作られた感じがしています。
・・・と、鸚鵡小町から話が離れてしまったので、明日またつづきを

老女の舞・・・鸚鵡小町のつづき

老女物だけに、囃子も地謡もかなり高い格。今回の録画では大小、笛は関西で活躍されている重鎮の方たちですが、私の場合は東京でしか能楽を観ていないので、たぶんこれまで拝見したことのない方ばかりだったと思います。


地謡は松野恭憲さん、宇高通成さんと強力な布陣で、この重い曲を見事に謡いきっておられた感じです。
ワキ、福王茂十郎さんも、東京での公演はあまり多くないので、拝見する機会は少ないのですが、テレビの画面を通しても、演技の品のようなものが伝わってくる感じで、老女に対峙する勅使の雰囲気を上手く出されていたように思います。


さて行家の求めで、シテ小町は業平の昔を偲んで法楽の舞を舞います。
イロエの後、ゆったりと破掛りで舞に入ります。
この舞、序ノ舞と解説されていることも多く、テレビで解説された山崎有一郎さん(横浜能楽堂館長)も「序ノ舞物」と紹介されていましたが、実は中ノ舞を序ノ舞の格で舞うのだそうで、確かに常の序ノ舞よりもさらにゆったりと舞われるものの、基本形は中ノ舞ということのようです。


二段のオロシのところで下居。百歳の姥が舞の途中でへたり込んでしまった風なのでしょうか。ようやく立ち上がってよろよろと舞い始め、二段で舞上げてしまう形です。


正直のところ「ああ面白かった」という能ではありませんが、生きること、老いることの意味を考えさせられるような曲で、老女物が重要視される意味が少し分かったような気がしました。
山崎さんの解説も大変興味深いもので「テレビでの観能も悪くはないなあ」と思った次第です。
もっとも生で観たら、また違う印象を持ったのかもしれませんが・・・

御礼など

気付いたらアクセス数が1000を超えていました。
ご訪問頂いた皆様、ありがとうございました。
素人の戯言中心のブログでして、詳しい方からみると誤りの部分などもあろうかと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。


今日は金春流の若手の会を観に行ってきたのですが、鸚鵡小町の話が途中でしたので、こちらを優先して更新をしました。
明日は、金春の話に移りたいと思っています。


梅雨の終わりなのか、関東でも強い雨が降っています。

座・SQUARE第9回公演を観に行く

昨日は、金春流の若手四人で結成された会「座・SQUARE」の第9回公演を観に行ってきました。


金春流は大和四座の円満井座を起源とし現宗家は80世金春安明師。つい最近、御尊父信高師から宗家を継承されました。
80世って、いったいいつから続いているんだろうか?と思ってしまいますが、言い伝えでは流祖は聖徳太子時代の秦河勝と言われています。
本当のところはどうなのか、いささか不明ですが、ともかく長い歴史を持っていることは間違いなさそうです。しかも世阿弥の娘婿だった金春禅竹は、世阿弥の影響を強く受けながらも流儀独自の主張を守り、その後の金春流独特の伝統を残す礎ともなったようです。


しかし近年は流勢があまりふるわず、プロの能楽師の数では喜多流などよりも多いものの、人気の面では今ひとつの状況のようです。


そんな中、平成10年に若手能楽師四人が結成したのが「座・SQUARE」。少しだけ年長の高橋忍さんをリーダー格に、辻井八郎さん、山井綱雄さん、井上貴覚さんの四人がメンバーです。
それ以来、毎年会を重ねて今年が9回目の公演だそうです。


私は一昨年の第7回から見始めた新参者ですが、若い演者たちの意気込みが伝わってくるようで、楽しみな会と思っています。
今回は最初に辻井八郎さんの挨拶があり、新宗家安明師の四天王となるべく頑張るといったお話がありました。なんだか気合いが入っていて好感を持ちました。


四人の同人で一回の公演では能が二番ですから、二年見ないと全員の能は観られませんね。
今年は井上さんの忠度と、山井さんの山姥。山姥は先月の浅見真州の会からほぼ一月の間で三番目、ということになりました。
もっとも来年は10周年記念で、翁、羽衣、石橋を四人で演じられるとのこと。
これは来年も観に行かなければ。


観能記は明日以降に・・・

忠度 井上貴覚(座・SQUARE第9回公演)

金春流 国立能楽堂 2006.7.17
 シテ 井上貴覚、ワキ 殿田謙吉
  アイ 榎本元
   大鼓 亀井広忠、小鼓 観世新九郎
   笛 一噌隆之


修羅能は現行では二十曲を少し下回る曲数ですが、その中でも平家の公達を主人公として趣深い曲の一つ。和歌に造詣が深く、藤原俊成卿の弟子でもあった忠度を主人公にしているだけに、主題も和歌をめぐったものになっています。


まずワキ、ワキツレが登場し、自らは藤原俊成に仕えていた者だが卿と死別し出家した旨を述べます。そして西国行脚のため須磨の浦に至ったと着座をするわけです。
そして前シテの出。浦の老人の体ですが、なにやら由ありげにある様子。山陰の一本の桜に持ってきた小枝を捧げます。
各流とも桜の作り物は出しませんので、桜の木があるつもりで枝を置く形になります。正先ではなく目付のあたり。やや柱に近いあたりに下居して枝を置いての合掌でした。


この桜の木は亡き人のしるしということで、ワキ僧たちとの問答になります。
この曲の主題の歌「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」が、早い時点で紹介され、この歌とその作者である平忠度を巡って物語が展開することが明らかにされます。主題がこんなに早い段階で明らかにされるのは割合に珍しいように感じます。
前場でシテがこの歌を唱え、ワキも受けて再度唱えて「詠めし人は薩摩の守」と明らかにしますね。


井上さんの能は何度か拝見していますが、前シテもなかなか趣深い演技。謡は老人にしてはいささか強いかなという感じがしないでもありませんでしたが、深みのある良い謡と感じました。


ワキは僧ですが、そもそも俊成ゆかりの者と名乗っていますし、見所に時間をかけて想像させるよりも、よりストレートにイメージを膨らませる方を選んだという演出なのかも知れません。
しかもシテは「御僧に弔われ申さんとて、これまで来たれり」と、自らが忠度の霊であることを明らかにして中入りとなります。・・・つづきは明日に

霊の語り・・・忠度つづき

忠度の霊の望みは、詠み人知らずとされている千載集の歌に作者をつけて欲しいということです。
千載集には俊成の撰により忠度の歌「さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」が収められていますが、忠度が勅勘の身であったため詠み人知らずとしてあります。これを定家に伝えて、作者忠度の名を出して欲しいという願いですね。
そしてこの願いを述べた後、自らが命を落とした一ノ谷の合戦の様を物語るわけです。


地の下歌「年は寿永の秋の頃」から、この合戦の様になるわけですが、他の修羅物とはいささか異なった構成で、シテは忠度の霊として自らの様子を語っているのですが、源氏方の岡部六弥太と組み合いになり、忠度が討ち取られたところからは、六弥太となってその後を語ります。


さらに一場の物語が果て「御身その花の・・・」と地の謡が変わるところからは、再び忠度の立場に戻りますが、詞章からいうと中入り前の霊である老人に戻った風情で、この形で姿を消すという、いささか不思議な構成となっています。


観世流では後シテの「行き暮れて木の下陰を宿とせば」の後に立廻りが入り、この曲の主題ともなっている和歌の情趣を引き立てますが、金春では一ノ谷の合戦に入り「皆々船に取り乗って海上に浮かむ」の後にカケリが入りました。
戦の場面の盛り上がりということなのでしょうね。
たしかに修羅物という構成から考えると、この金春の設定の方が無理がない感じがします。


後の席のご老人が連れの方に「井上さんの型が素晴らしい、特に六弥太になって忠度の死骸を見やる形が絶妙だった」と絶賛しておられたのが印象的でした。
たしかに平家の公達を思わせる品のある姿でしたね。

六地蔵 大藏吉次郎(座・SQUARE第9回公演)

大藏流 国立能楽堂 2006.7.17
 シテ 大藏吉次郎、アド 宮本昇
 アド 大藏千太郎、大藏基誠


すっぱが仏像の真似をして田舎者を騙すというドタバタ劇。仏師と同じテーマですが、仏師ではすっぱ一人が仏師と仏像を演じ分ける構成なのに対して、六地蔵というくらいで、三人が六体の地蔵を真似ているうちに、真似が露呈するわけです。


人数が多いだけドタバタも大騒ぎで、なかなか楽しい曲。
シテのすっぱも仲間二人共々に地蔵の真似をしますが、和泉流ではシテは地蔵をせずに、あと三名が登場してくる形ですね。


しかし、仏師でもそうですが、田舎者が形が気に入らないというのに応えて様々に印形を変える訳ですが、これが無茶苦茶でばれてしまうという話。
本当に田舎者を騙して儲けてやろうというならば、できるだけそれらしい形をすればいいわけですが、それでは喜劇にならないということでしょうか。いつもながら不思議な構成だなあと思う次第。


すっぱと仲間たちは、最後に笑いながら、許してくれと逃げていきますが、儲けようというよりも、田舎者を嬲ってやろうとした、ということなのかもしれませんね。

山姥 山井綱雄(座・SQUARE第9回公演)

金春流 国立能楽堂 2006.7.17
 シテ 山井綱雄、ツレ 中村昌弘
  ワキ 森常好、アイ 大藏教義
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜沢洋太郎
   太鼓 吉谷潔、笛 一噌幸弘


いやあ6月17日の浅見真州の会からちょうど一月。この一ヶ月間で浅見真州の会潤星会に続いて三度目の山姥です。こう続けて観ると、いっぱしの山姥通にでもなった感じです。ツレは中村昌弘さん。ご本人のブログでも山姥の稽古から本番まで、演者の視点から話が書かれていてとっても興味深いのですが、ブログ上はお名前を明かしておられないのでリンクは遠慮させていただきます。


ツレは紅入唐織の着流し。まあ観世でも基本はこの形なので、先月の雪月花之舞で鵜沢久さんが演じた唐織を壺折りに着け鬘桶に腰を下ろすという形は、かなり百万山姥を重く扱ったということなのでしょうね。
常の演出らしく、重すぎずシテを引き立たせる感じに演じておられました。


しかし当日のパンフレットにも山井さんが一言書いておられますが、この山姥のツレは登場してから1時間半ほど、ずっとワキ座に立て膝で座ったまま。
いつぞやはホンの三十分ほどの地謡で立てなくなった方を見ましたが、すんなり立つだけでも大変なことでしょう。正座であれば微妙に腰をずらしたり、むしろ対応の方法がありそうですが、あの形はつらそうですね。もちろん中村さんは見事に立たれましたが・・・


ツレの謡では山姥を恐れる詞章が出てきますが、動きとしては座ったままですし、実際のところ山姥も恐ろしい存在というよりも、超自然的な不思議の存在。そういう意味ではツレの謡も変に力を入れたりせず、すんなりとして良かったのではないかと思います。


ところで地謡が「よし足引きの山姥が」と謡い出す前、シテとツレの掛け合いのところ、「え?謡い間違えた!?」と思ったのが「法ならぬ」の一句。


ツレは「法(ノリ)」と謡ったようで、すぐにシテの謡い。おや?と思ったのですが、隣の方がたまたま謡本を開いていまして、そっと覗いてみると、ツレ「法」シテ「ならぬ」と、ここはツレ・シテが分けて謡うんですね。
流儀によってこんな所にも違いがあるなあと、つくづく思った次第です。
続きは明日に・・・

山姥の舞・・・続き

しかしなあ・・・山井さんの能を拝見するようになったのはここ数年のことですが、舞台を拝見していてなんだかジーンとしてしまうことが少なくありません。この日の山姥もまた引き込まれてしまった感じです。


わけても後シテ
「あれ? 山井さんってこんなに大きかったか?」
なんだか、舞台上でひとまわり大きくなったような感じを受けたんですね。どちらかというと小柄な方なのですが、存在感というか、単に装束だけの問題ではないと思います。
後シテは白頭なんでしょうか、常の山姥鬘ではないようでしたが、小書き無しで白頭を使うこともあるのかどうか不明です。


山姥は、鬼女とは言っても、恨む心や怒る心の末に人間が鬼になったという訳ではなく、自然の中から出現してきたものですから、逆に演じるのが難しい感じがします。ですがシテの流れるような動き、舞が、その自然から生み出されて自然とともにある山姥を表現しているような感じを受けました。


クセの詞章は仏教を基礎に置き、ある意味難解ですが、この自然から生まれ自然とともにある山姥を表す表現としては、実にうまくできた言葉と思います。
「仏法あれば世法あり。煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり。衆生あれば山姥もあり」と続く一節はお気に入りの詞章の一つです。


舞終えて名残を惜しみつつも「行方も知らずなりにけり」と留め、静かに舞台から去っていく後ろ姿をついつい名残惜しく目で追いかけてしまいます。いつぞや山井さんの融を観たときもそうでしたが、本当に名残惜しい能でした。


ところで、自然から生まれ自然とともにある山姥を表現するということでなのでしょうけれど、山姥のアイはなかなか面白いものの一つ、明日はこのアイの話を・・・

アイ語りの面白さ・・・山姥のつづき

アイの役割にはいくつかのパターンがあり、語りアイという場合には夢幻能で前シテが示した話をもう一度整理して語るという形が一般的ですね。


しかし山姥のアイは、所の者として道案内に立ながら、急に暗くなってきたと言って驚いたり、中入りではワキの問いかけに答えて、山姥の成り立ちを語るなど、なかなか面白い役回りになっています。
この中入りの語り、ワキが「山姥というのは、そもそも何がなるのだ」と問うのに答えてアイが三つの説を語ります。


これには二つの類型があって、一つは団栗(ドングリ)・野老(トコロ)・木戸の三つをあげるもの。
もう一つは靱(ウツボ)・桶・木戸の三つをあげるものです。浅見真州の会では大藏流山本則直さんが前者を、潤星会では和泉流石田幸雄さんが後者を語りました。


団栗が熟して谷に落ち、木の葉が着いて団栗が目となり、山姥になるのだと語ります。
また野老というのはヤマイモ科のツル性多年草でオニドコロのこと。ヒゲ根のある曲がった形が老人を思わせるので、海にいて曲がった腰と長いヒゲのエビ(海老)に対して、山にあるので野老と書いたらしいのですね。
このトコロ。四、五月頃に五日も十日も雨が降り続き、山が崩れることあり、その崩れたところからトコロが現れると、塵芥がこれに取り付いて、トコロのヒゲが白髪になって山姥になる・・・と語ります。
木戸はいずれの型でも共通ですが、団栗・野老に対しては、もう一つの類型では靱と桶が取り上げられます。こちらはどういう話なのか、これは明日につづきます・・

ちょっとした駄洒落オチ・・・山姥さらにつづき

靱(ウツボ)は矢を入れる道具ですが、外側に毛皮をかけた毛靱もあり、中世には猿皮をかけた猿靱が流行った時期もあったようです。・・・これが靱猿の話につながるわけですね。
さてその毛靱を山に落としてしまうと、毛が髪になり胴ができて山姥になると語ります。


また桶は、山里に古い桶があると、小さな桶が頭になり底が抜けて目ができる一方、大きな桶が胴体になって山姥になるという話です。


そして、いずれの類型でも最後は木戸。
山にある古い木戸が人の形になって山姥になるというのですが、ここまで聞いたところでワキが「木戸ではなく鬼女であろう」とオチをつけるわけです。


もっとも石田さんのアイでは、このワキのオチに対しては特にコメントをせず、直ちに前シテの言い残した言葉につながって、ツレを促すところになりましたが、大藏ではこのワキの言葉に、さらに「田舎者なので木戸とばかり思っていたが、さすがに都の人は賢い」といった台詞が続いて、笑いを誘う感じです。


道成寺もそうですが、長い緊張を要する能の途中で、アイのちょっとした笑いを誘う演技が料理の口直しのような感じに、上手く効いているというところですね。

舞の段

しばらく間が空きましたが、舞の話のつづきです。


さて舞には段があるということですが、段というのは一つの区切りを示す部分で、ここではゆっくりと、そして区切りを示すようにハッキリとした旋律が吹かれます。


舞に入るときは掛リという部分から入ります。
掛リの中で呂・中・干・干中の地が繰り返され、最後に呂の部分、例えば一噌流の中ノ舞なら「ヲヒャラーイホウホウヒー」が吹かれて、段になります。
最初の段の後にはオロシの部分があり、また地が繰り返されて、最後に観世流の場合は、再び呂があって次の段になりますが、この最初の段から次の段の前の呂までを初段と言います。他流では最初の段は呂、次の段は中、その次は干と上がり方が変わるんだそうですが・・・


舞は五段で舞うのを原則としますから、掛リの後に初段、二段、三段、四段、五段と都合全体で六つの部分からなるべきなのでしょうけれども、観世・宝生の上掛り二流は、なぜか四段までの舞を五段と言います。先日の十三段之舞も、早舞五段は四段までしかありませんが、掛リを含めれば五つのブロックに分かれています。


ところで五段の舞は、現在では三段に略して舞うことが多いのですが、三段に略するときは上掛りも下掛りも、掛リ、初段、二段、三段と、四つのブロックで舞います。
したがって観世流の十三段之舞は、実は段数で言うと11段、掛りを含めたブロックの数では14のブロックを舞っていることになります。
これじゃ十一段之舞か十四段之舞になってしまいますねえ・・・
ともかく日本人は七五三というように奇数好きですから、どこかの時点でもともと五段、六ブロックあった舞を一段縮めたものの、呼び方としては縁起良く五段のままにしたのではないか・・・と想像しています。

舞の段のつづき

どこで段になるのか、笛を習われるとすぐ分かりますが、そうでなくとも型の上からも見分けることもできます。


掛リの間は扇を閉じているのですが、掛リの終わりで打込みという型をして扇を広げ顔の前に扇を持ってきます。
この顔の前に持ってきた扇を、頭上に上げるようにして右に下ろす型・・・これを上げ扇といいますが、これをするところが初段です。
その後は右へ行ったり左に行ったり、扇を上げたり下げたりいろいろな型をした後に、扇を返して逆手に持ち、ややつぼめます。ここが二段。二段目は扇を逆手に持ったまま舞います。
その扇をもう一度開いて左の手に取ったところが三段です。三段目は扇を左手に持って舞います。
そして右手を少し前に出しその腕の上に左手に持った扇をかぶせてから、前方に大きく払いのけるような型をします。これをハネ扇といいハネ扇の後は扇を右手に持ち替えます。ここが四段になります。
これは観世流の型で書きましたが、各流ともこの基本形はあまり違っていなかったと思います。(お!?下掛りの五段はどうするんだろう? 考えてみると下掛りの五段の舞をほとんど見てませんね)


また三段に略すときは、上掛りでは掛リの後は、五段の舞の初段、三段、四段を舞って三段の舞としますが、下掛りでは初段、二段、四段を舞って三段にしますね。どうしてこんなところが違うのか良くわかりませんが、不思議なことです。


別にこんなことを知っていなくとも、上手の舞は本当に魅了されてめくるめく世界に引き込まれてしまうのですが・・・
たまに段数を数えてでもいないと、という舞もありまして・・・

笛の話

囃子のあれこれを書こう、と思ってはいるのですが、なかなか筆が進みません。


とりあえず自分でも少しだけ吹いたことのある笛の話から、少しずつふれてみようかと思います。
能の笛、能管(ノウカン)は竹製で、高級品は百年以上も経ったような煤竹を材料に使い、そのまま加工したものもありますが、さらには一度竹を割って裏表を逆にし、竹の外側の堅い部分が内側になるようにしたものもあります。
いずれも桜の皮を細く剥いだものを巻いて仕上げてあります。


内側と、息を吹き込む歌口の回りは赤い漆で、それ以外は黒い漆で仕上げられています。また頭の方・・・歌口から指で押さえるのとは反対側の短い方・・・には鉛が仕込まれていて、ちょうど歌口のあたりが重心になるように調整されています。


雅楽で使う龍笛ととてもよく似た形ですが、大きく違うのは「のど」があること。これは歌口と最初の指孔との間の部分で、内側が狭くなっているところです。
これがある意味は本当のところは良くわからないのですが、どうもヒシギという甲高い音を出したり、西洋音楽などにはない独特の音階を出したりすることに関係しているようです。


能管は一本一本で、微妙に音程も違っていて、合奏することができません。
まさに能楽の囃子のために、独自に進化してきた独特な笛ということですね。
・・・明日につづきます

唱歌と指附・・・笛の話つづき

笛を覚えるときは、まず唱歌(ショウガ)を習います。


例えば一噌流の中ノ舞だと「ヲヒャーラー、ヲヒャヒューイヒヒョーイウリー」といった感じですね。まずはこれを唱えて覚えることになります。
もちろん笛を習う場面だけではなく、舞の部分の大小の手も、あるいは舞の型も、この唱歌を唱えながら覚えていくことになりますね。
先日、呂中干の舞について書きましたが、呂中干も笛の唱歌を覚えていれば良くわかります。


けれどもこの唱歌というのは、要するに笛の音らしく聞こえるように言葉が附いているだけで、楽譜ではありませんから、ヲが何の音で、ヒャは何の音といった形に整理することはできません。当然ながら唱歌を覚えても、即、指使いが分かるわけではないんですね。


この指使いの方は指附として別に稽古します。もっとも能管はリードがありませんから、ただ吹いてもすぐ音が出るという訳にはいきません。早い人でも数日。遅い人だと何ヶ月も音が出ず、吹き込む息のフーとかスーとかいう音だけといったこともあります。
その間も指附に従って指はキチンと稽古しますから、初めて音が出たときには、その曲は大方吹けるようになっていた、なんてことも起こります。


音が出ないのに、夢中になって息を吹き込んでいると、だんだん酸欠状態になり、指がしびれてきます。最初の頃はコントロールがうまく効かなくて、舞の後半にきたら指がしびれて、ちゃんと笛の孔が押さえられなくなってしまった、などということも起こりますね。


そういえば余談ですが、孔と穴。現在は穴の字ですべて済ませてしまいますが、けっこうこの使い分けにうるさい人もいて、底がなくて小さく向こうへ抜けている、例えば針のアナや笛の指アナは孔の字を書くべきという方もいます。
大きい小さいではなくて、底があるかどうかが決め手だという説もあって、人孔などという文字を見かけたことがあります。
これマンホールのことです・・・つづく

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