舞のあれこれ
中ノ舞とか早舞とか、能の中で一曲の中心に置かれる舞には様々な種類がありますが、少しばかり舞をめぐって書いてみたいと思います。
初めて能を観たときに、まず吸い込まれるように眠くなってしまうのが、この舞の部分ではないでしょうか。
ストーリー自体とは直接に関係しませんし、笛を中心とした囃子が心地よく、序ノ舞などではゆったりとした動きで前後不覚になってしまったという方も少なくないのでは、と思っています。
もちろん、こう書くくらいですから、私も能を見始めた頃は、舞の部分、とりわけ三番目ものの序ノ舞は不得手としていまして、舞のあたりはほとんど記憶に残っていないというそんなことも多かったように思います。
今でも心地よく眠気を催すようなことがありますが、それはそれで良いのではないかとも思っています。
気持ちよく寛げたという意味では、能を観たことがリフレッシュになっているのかも知れませんしね。
とは言え、この舞は、もともと舞という独立した芸能が能の中に取り込まれてきたのでしょう。
民俗芸能として残っている神楽などには、かなりストーリー性のある舞、例えば八岐大蛇の話とか、岩戸開きの話だとかを、舞に仕立てたものも見られます。
一方、古くからある舞楽のように極めて抽象的なものもあります。
舞楽の蘭陵王などは、もともとはストーリー性のある話が基礎にあってそこから抽象化されてきたようですが、最初から何らのストーリーもないものもあります。
ともかく、様々な形の中から、舞として抽象化されてきたものが、能に取り込まれて今のような形になったということのようですね。