能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

日立で能を観る

薪能から火がついて・・・という訳でもないのでしょうが、地方でも薪能などをきっかけとして能楽の公演が行われることが多くなってきました。


今日は我が家からさほど遠くない日立市で「能と狂言の会」があり、日立シビックセンターにお出かけです。
このセンターにはプラネタリウムがあり、こちらは以前にも覗いたこともあるのですが、音楽ホールの方は初めて。勝手がわからないので、前の方の席を予約しておいたのですが、いささか前過ぎて舞台を見上げる感じ。国立能楽堂で言えば、前の五列くらいまでは白州に入ってしまいそうな距離です。
ちょっと失敗したかなあ、と思ったのですが、そうは言ってもこんな間近に高名な先生方を見る機会もなかなかないので、これはこれで良しとしましょう。


・・・そうなんです。
曲は能が二番、花月と黒塚。そして狂言の清水ですが、シテは花月が粟谷能夫さん、黒塚が粟谷明生さん。狂言は野村万蔵さん。
さらに、重鎮、粟谷菊生先生の地頭に友枝昭世先生の副地頭。ああ、生の昭世師が目の前に・・・というだけで感動してしまった次第です。


地方の薪能などの場合、フルメンバーというのも大変なので、地謡6人とか、能は一番だけといった場合も多いと思うのですが、なかなか豪華な会で、正直のところ「この入場料では赤字なのではないか?」と思うのですが・・・
ま、それは主催者側の事情ということで、個人的には大変楽しく拝見しました。
花月、清水、黒塚という演目は、見所に初心者が多くても、割合楽しめる番組だと思います。
隣席の方たちも、どうやら能楽は初めての様子でしたが、堪能されたように感じました。


音楽中心の多目的ホールのため、いささか残響があって能楽堂とは異なった印象になりましたが、これはこれで案外悪くないと思っています。
さすがに囃子方は二番とも同じですが、槻宅聡さんの笛が大変に良く鳴っている感じで、ヒシギがホール全体を締めたような印象を持ちました。


地元なものですから、久しく会わなかった方にも出会ったり、そうした意味でも面白い一日でした。
東京の能楽堂とはまた違った雰囲気でしたね。
曲毎の鑑賞記は明日以降に順次アップします。


ところでホール入り口で、おそらくは面打ちの同好会の方の作品だと思うのですが、展示が行われていました。
ホウホウ、と思ってみていると、なんだか紋付き袴の人で見ている人がいる。
なんと粟谷菊生先生でした。この面打ちの会の方と思われる紳士と二人でなにやら話しておられた様子。
こんなに近くで、ニアミスというのも初めてでした。

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花月 粟谷能夫(ひたち能と狂言)

喜多流 日立シビックセンター 2006.9.2
 シテ 粟谷能夫、ワキ 宝生欣哉
  アイ 野村扇丞
   大鼓 亀井広忠、小鼓 観世新九郎
   笛 槻宅聡


この花月という曲にはいささか思い入れがあるのですが、それはさておき、この曲は世阿弥の作という説もありますが、少なくとも世阿弥時代、あるいはもう少し古い時代の作なのではないかと思います。
自然居士と同じく、シテが喝食の面を着け芸尽くしをするという設定、また間狂言が極めて重要な役回りをするところなど、後の時代の能とはいささか異質なものを感じます。


さて今回は会場が音楽主体の多目的ホールということで、能楽堂に比べると残響があり、いささか感じが違います。さらに仮設の能舞台ということもあり、見所との距離が大変近い。
私は会場の状況も良くわからないままに、いつもよりもさらに前の方の席を取っていたので、舞台を見上げるような感じになってしまいました。
とは言っても、距離が近い分、いつもよりも臨場感はありまして、それなりに面白く拝見しました。


なんと言っても地謡を粟谷菊生、友枝昭世の両先生が引っ張っていて、それがすぐ目の前というのも豪華。
地謡前列手前は佐々木多門さん。四月の自主公演能では是界のツレを熱演されていましたが、装束無しで拝見するとお若い。しかし謡う姿はきまっておりました。


一同着席の後、次第の囃子でワキ、欣哉さんが登場。
いつもながらスッキリした謡で、次第から道行を謡いました。旅僧姿ですが、筑紫彦山の麓に住む僧で、出家する以前に七歳の子供が行方知れずになり、それを機に出家した旨を明らかにします。
さて清水寺にやってくると、狂言と問答になります。この間狂言の活躍はまた明日に

狂言の関わり・・・花月のつづき

自然居士などと同様に、この曲では狂言の役割が重要になっています。
ワキに、何か面白いものを見せてくれと呼び掛けられて、シテの花月を招く形になりますが、ワキとの問答から、登場したシテとの問答へと、狂言を中心に物語が展開する感じです。


野村扇丞さん、いつもながら真面目な芸風ですが、さらに熱演の風。舞台との距離が近いので余計にそう感じたのかもしれませんが・・・


狂言に呼び出されるようにしてシテが登場してきますが、花月は喝食ということで、少年の設定です。このため二十歳前など、お若い能楽師が演じられることの多い曲でもあり、直面・・・面を着けずに演じることも少なくありません。
しかし本日は粟谷能夫さんという、円熟の域に達したシテなので、また別の趣があります。声を引き立てて少年の雰囲気を出すという演出もありますが、落ち着いた雰囲気を大切にされている印象を持ちました。


左手に弓、右手には矢を持ち、水衣を肩上げにし色大口に烏帽子姿のシテは、登場してくると自らの名前「花月」の由来を述べます。
この花月の由来、月は常住としても、花(くゎ)は、春は花、夏は瓜、秋は果、冬は火、と数え上げますが、これも芸の一つ。この後、小歌、弓ノ段、曲舞、鞨鼓などなど、芸尽くしが続きます。


それにしても特異なのが、この名宣リに続く小歌です。
「来し方より、今の世までも絶えせぬものハ、恋と云へる曲者」という謡ですが、これはどうやら当時の流行歌だったらしく、節使いも拍子も、能の謡としては破格です。
「身は、さらさら、さらさら、さらに」と続く中に、二度目のさらさらの頭の「さ」を、「さ、あー、あー、あー、あー、あー、あー」と引いて謡う節回しは大変印象的。
しかもアイは扇を広げて口に当て、シテは後から右手をアイの背に回しそっと肩を抱く風情で、ともに舞台を巡ります。
これはなかなか怪しい場面ですね。
なお、この小歌、観世では「来し方より」の一句をシテが謡い、その後を地謡が続けますが、下掛りでは「来し方より」の一句をアイが謡うようで、本日も扇丞さんの謡から始まりました。
つづきはまた明日に

シテの芸尽くし・・・花月さらにつづき

小歌の終わりに「恋こそ寝られぬ」の一句で、シテはアイを目付柱の方に突き放します。放されたアイは目付柱に向かい「花に目がある。いや目かと思えば鶯・・・」と独り言。
仮設舞台のため、目付柱は胸の高さほどですが、特に違和感は感じませんね。あれで柱が全くないとシテも困るのでしょうが、あの程度の高さというのはうまく考えたものかもしれません。


さて鶯が花を散らすと一騒ぎして、アイはシテに持っている弓矢で鶯を射てほしいと告げます。ここから弓ノ段。弓矢を持って舞い、さらに矢をつがえて弓を引き絞ります。実に流れるようで、力の入るところ抜けるところ、見事でした。
弓ノ段の終わりは、弓矢を捨てますが、投げ捨てるのではなく手渡した形ですね。


シテはさらに清水寺の謂われを謡う曲舞に進みます。この花月のクセは仕舞でも良く演じられるのでお馴染みです。


さて曲舞の後、ワキは、花月をよくよく見れば我が子と気付いたと述べます。
この親子の再会、気付いたもののすぐには親子であることを告げないという形の曲もありますが、花月ではワキは即座に我が子であると述べ、アイも「瓜を二つに割ったような」似た姿だと認めます。
そして鞨鼓。鞨鼓は鼓の原型ともなった楽器で両面を撥で打ちますが、鞨鼓の舞では鞨鼓を身に付けて打ちながら舞う様を見せます。初めと終わりは中ノ舞を撥を持って舞う形で、鞨鼓を打つしぐさを見せるのは中間の部分、ここが狭い意味での鞨鼓の舞ということになりますね。


鞨鼓を舞上げると山廻りの謡に合わせての舞になります。
私、この謡が好きでして、筑紫の国彦山に登り七つの歳に天狗に掠われてから、讃岐の松山、雪の白峯。伯耆の大山から「丹後丹波の境なる鬼ヶ城」へと、次々に山々が読み込まれています。鬼ヶ城はもちろん大江山ですね。


最後にシテは撥を捨て、扇に持ち替えて父とともに仏道の修行に「出づるぞ嬉しかりける」と喜びを示して留めの拍子を踏みます。
ほぼ一時間の上演でしたが、なんだかあっという間の感じでした。隣の席の方たちも「一時間も経っていたんだねえ」と感慨深い様子。
謡と囃子、舞の一体感がなんとも言えず心地よい一曲でした。

清水 野村万蔵(ひたち能と狂言)

和泉流 日立シビックセンター 2006.9.2
 シテ 野村万蔵、アド 小笠原匡


清水(シミズ)は本当に狂言らしい狂言と言っても良いのではないかと思います。そのため上演も多く、珍しさはありませんが、見ていて楽しいことは間違いありません。
今回のような地方公演にはうってつけの曲ではないかと思います。


アドの主人とシテ太郎冠者二人が登場してくると、主人は茶の湯に使う清水を汲みに行くようにと太郎冠者に命じます。
太郎冠者の返事は不承不承。このあたりから度々客席から笑い声が起き、なかなか良い雰囲気での進行となりました。


太郎冠者は、何かにつけて自分が用事を言いつけられるのが不満な様子。野中に清水を汲みに行くなど女子供でも出来る仕事と独白します。
しかし主人の命令には逆らえず、清水を汲みに行く羽目になります。
水汲みに当たって汲み方を知っているか、と主人に問われ、太郎冠者は知らないと答えます。
そこで主人は、浮いている木の葉を除け、下の方を掻き回さぬように、真ん中から汲めと言いますが、太郎冠者は「そのようなことなら知っている」と答えます。
太郎冠者の面白くない気持ちがこの問答からも十分うかがえますね。


以前にも何度か書いていますが、野村万蔵さん、良介さんの名前で出ていた頃からのファンです。とは言っても追っかけをするほどのことはありませんが、良介さんの持っているなんとも言えない雰囲気が好きです。
お兄さんの耕介さんが急逝されたのは本当に残念なことでしたが、結果として良介さんが万蔵の名前を継がれたのはファンとしては喜ばしい限りです。


この清水でも、万蔵さんの持つ味わいが遺憾なく発揮されていたように感じました。
つづきを明日に・・・

鬼を真似る・・・清水のつづき

さて不承不承出かけることになった太郎冠者ですが、うまい子細を思いつきます。
主人が大切にしている桶を置いて、泣きながら返ってくることにしたわけです。


主人がどうしたと聞くと「鬼が出た」との返事。主人は大事にしている桶のことが気になって仕方ないので、桶はどうしたのかと問いますが、太郎冠者は鬼に投げつけたところ、バリバリと音がしたので鬼が食ったのだろうと返事します。
しかし桶が惜しい主人は、取り戻しに行くと言って聞きません。
そこで太郎冠者は野中の清水に先回りして、鬼の面を被り主人を驚かすことにする訳です。


この鬼の面を後見座に行って被り、アドの主人がやってくると「取って噛もう」と脅かします。
主人は驚き命乞いをしますが、それに対して悪乗りした太郎冠者は「召し使っている太郎冠者に酒を飲ませろ」とか「蚊帳を吊ってやれ」などと言いだし、主人に約束させる始末。
とにもかくにも主人は這々の体で逃げ戻り、太郎冠者に鬼が出たことを告げます。


鬼の面、武悪を被っての演技は、やはり大変だろうと思います。舞台にとても近い席だったので、万蔵さんの滴る汗が見えます。


さて太郎冠者の時はどうだったか、と主人が問うのに答えて、太郎冠者は、鬼が「取って噛もう」と恐ろしげに迫ってきたと述べますが、それを聞いていた主人、この「取って噛もう」という声が、清水で出会った鬼と同じ声だと気付いてしまいます。


ここからがまた見せ場で、なにやら主人が気付いた様子に太郎冠者も警戒し、鬼はどのように脅かしたのかと問われても、打って変わって小さな声で「取って噛もう」と繰り返します。
この落差が面白いところで、万蔵さんのこうしたところの飄逸振りはなかなかのもの。表情がなんとも言えません。
結局は主人に見破られて追い込みの形で終わりますが、何度見ても楽しい狂言です。


ところでこの鬼の真似ですが「取って噛もう」とする場合と「いで食らはう」とする場合があります。最近見たところでは、大藏の確か千太郎さんか基誠さんだったと思うのですが「いで食らはう」としていた記憶があります。

とりあえずの御礼

3000アクセスになりました。
6月24日にこのブログを開設して以来ですので、76日経過ということですが、ご来訪の皆様、わけても度々訪問頂いている皆様に感謝いたします。


能楽をめぐるあれこれは、だんだんテーマが書きにくくなってくるかもしれませんが、もうしばらくは日々更新を続けてみようと思っています。


一方で、能楽鑑賞は継続中ですので、観能記の方はタネが尽きる心配はなさそうです。
最近は、その時の感想よりも曲の解説の分量の方が多くなってしまった感じですが、能楽を御覧になる際の下調べなどとして、ご利用頂いても有り難いかな、と思っています。


今後ともよろしくお願いいたします。

黒塚 粟谷明生(ひたち能と狂言)

喜多流 日立シビックセンター 2006.9.2
 シテ 粟谷明生、ワキ 宝生欣哉
  アイ 吉住講
   大鼓 亀井広忠、小鼓 観世新九郎
   太鼓 大川典良、笛 槻宅聡


能の二曲目は黒塚。観世流だけが曲名を安達ヶ原といいますが、なにぶん観世流から入ったため、私としては安達ヶ原の名前の方がなんとなく親しみがあります。
安達ヶ原は陸奥、今では福島県二本松市と伝えられていて、二本松市には鬼婆伝説を動く人形を使って再現した「黒塚劇場」のある「安達ヶ原ふるさと村」という施設があります。
二本松は智恵子抄で有名な智恵子さんの生家もあって公開されていますので、機会があれば一度訪ねられても良いかも知れませんね。


それはさておき、この黒塚という能はその安達ヶ原の黒塚伝説を下敷きに作られていますが、単におどろおどろしいという構成ではなくて、なかなかに味わい深い曲のため、割に上演回数の多い曲になっています。
いささか疑問の残るところも多い曲なのですが、それは追々、ふれていきたいと思います。


さて舞台にはまず作り物の萩小屋が持ち出されます。引き廻しがかけられシテはこの中に入っています。
次第の囃子でワキ、ワキツレ、そしてアイの一行が登場し、那智の東光坊の阿闍梨、祐慶の一行であり諸国を廻って、陸奥安達ヶ原に向かうところと述べます。
ワキツレは則久英志さん。


この一行、安達ヶ原に到着したものの、日が暮れてしまいます。
ふと見れば灯りの点る家。早速ここに宿を借りようということになります。
ここで引き廻しが外され、萩小屋の中に座したシテのサシ
「げに侘人の習いほど、悲しきものハよもあらじ」と、閑かに謡が始まります
つづきは明日に・・・

里女の嘆き・・・黒塚のつづき

萩小屋の中のシテに、ワキ、ワキツレが声をかけ宿を乞います。
シテは一度は断りますが、ワキが重ねて乞うために、とうとう宿を貸すことにして作り物から出てきて正中に着座。ワキ、ワキツレはワキ座に着座します。


今まではシテの入った作り物がシテ里女の家で、ワキの一行は家の外から声をかけていたわけですが、シテが作り物を出て着座したところから、舞台全体が家の中という設定に変わり、作り物は今度はシテの閨(ネヤ)という設定になります。
このあたりの舞台や作り物の使い方は、まさに能らしいですね。


舞台の設定が変わるのに合わせて、後見が枠かせ輪(ワクカセワ。カセは木偏に上下、峠や裃の山偏・衣偏の代わりに木偏を書いた字)を持ってきます。
これは糸繰りの道具なのですが、見慣れぬ道具に「何と申したる物にて候ぞ」とワキが問います。さらにワキの求めに応じて、シテはこの枠かせ輪を回し糸を繰る様を見せます。


糸繰る手を止めて、クセでシテは六道輪廻の苦しみを嘆きますが、再びロンギで地謡と掛け合いながら糸を繰ります。このクセを挟んだ前後で、微妙に輪を回す速さが違う感じを受けました。
最初はゆっくりと静かに回しますが、ロンギでは謡に合わせて少し回し、また回し、そして回す手が速まってきて、ふっと止め「いかに客僧達に申し候」と、ワキに声をかけます。何かを思いきったような、そんな感じが出ていました。


シテはあまりに夜寒なので山から薪を取ってくると言い、つっと立ち上がって橋掛りに向かいますが、「や」と常座あたりで立ち止まり、振り返って「閨の内を見るな」と、繰り返し言い置いて中入りとなります。
この振り返った感じも、また、向き直って足を速めながら橋掛りを進む感じも、なんとも言えない恐ろしさを内包しているように感じられます。


中入りするとアイが舞台に入ってきて、閨の内が気になって寝られないと大騒ぎになります。道成寺の能力や山姥の所の者など、後場で鬼女などが登場する曲のアイは、えてして気分を変えるような演出になっていますね。
明日につづきます

能「黒塚」の意味するところ・・・黒塚つづき

どうもこの黒塚という曲、解釈に迷うのですよねえ。
そもそも、この女は何をしていたのでしょうか。
閨の中は死屍累々としていたというのですが、何のために人を殺していたのか、このあたりは能の中では何も触れられていません。有名な黒塚伝説を下敷きにしているのだから自明ということかも知れませんが、それにしては伝説と設定が違うような気がします。


さらに疑問なのが、阿闍梨一行をどうしようとしたのかということ。
そもそも宿を貸すことを渋っていたのですから、殺してしまう魂胆で泊めたのではなかったのでしょうけれども、さて山から薪を取って帰って来た際に阿闍梨一行が閨を覗いていなかったら、どうしたのでしょうか。
何事もなく翌朝一行を送り出したのかどうか、不思議な話です。


山に出かける前に、わざわざ足を止めて「閨の内を見るな」と言い置いて行くのも、本当に見られたくないと思って念を押したのか、「見るなと言われれば余計に見たくなってしまう」人間の性を踏まえての一言なのか、解釈が分かれるところでしょう。


観世流では薪を背負った形で後シテの出となりますが、この日は薪を左手に持った形でした。この形の違いも、どちらの解釈を取ったのかと考えると、なかなか深いものがあります。
私としては、手に持つ形の方が「はからずも見られてしまった」という雰囲気に近い気がしています。


もっともこの話、殺すために仕掛けたという解釈と、知られたくなかったのに見られてしまったという解釈の二つだけではなく、知られたくない秘密ではあるが、他ならぬ阿闍梨には浅ましい姿を現しても救ってほしかったのだ、という解釈も成り立ちましょう。どうもそのあたりが正解のような気もしているのですが・・・


ともかく力量のあるシテの演技に圧倒された感じです。
最後は橋掛りを進んで揚幕の前で一度立ち止まり、舞台の方に振り返って、ワキを見込んで一足下がりました。羽衣の舞込みのように、このまま後ずさりして幕に入るのかと一瞬思いましたが、もう一度向き直って常の幕入りの形でした。
このワキを見込んで後ずさりする形が、なんともやるせない悲しさを表しているような感じを受けまして、やはり「救ってほしかったのではないか」と、再度思った次第です。


附祝言は高砂。金剛や喜多の謡は観世流と感じが似ているので、観世の謡を聞いているような錯覚を起こしそうです。宝生、金春だと同じ高砂でも全然感じが違うんですけど。

各流の謡本

あまり物を集めるという趣味はないのですが、数少ない能楽関係のコレクションの一つ、各流の謡本をお見せしようと思います。
とは言っても、別に珍しい物ではありませんで、現行の稽古用一番本です。


シテ方五流の羽衣を並べてみました。
各流謡本
上段の左から観世流と宝生流。下段は同じく左から金春、金剛、喜多の各流です。


別にたくさんあるコレクションの中から羽衣を選び出した、という訳でもありませんで、観世流は習っていたので他にも何冊か謡本を持っていますが、その他の各流はおおよそ、この羽衣一冊きりです。各流の違いなど、どうしても見比べてみたくなって買い求めたものです。


写真はサムネイルになっていますので、クリックするともう少し大きな写真が表示されます。
表紙の図柄は各流独特ですね。
観世と金剛はどちらも檜書店製のためか、同じサイズです。宝生と金春の謡本がわずかに大きく、一方で喜多の謡本がわずかに小さいのが、おわかりになるでしょうか?


各流の謡本それぞれについて、明日から少しだけ書いてみようと思っています。
なお、著作権の問題もあるかもしれないので、写真は画質を落としています。
あしからず・・・

観世の羽衣・・・謡本のつづき

まずは観世流の現行一番本、羽衣です。
表紙は黒地に金で観世千鳥が描かれています。
五番綴の初心者用謡本は、表題の書かれた部分のような茶褐色の地に黒で観世千鳥が描かれた表紙になっています。
羽衣観世
この現行本は、現宗家 清和師のお祖父さんにあたる二十四世観世左近 元滋が訂正著作者になっていて、大成版と呼ばれています。
なお大成版でも古い本では、一番本で茶褐色の地に黒で観世千鳥の表紙のものがあります。


観世の謡本は、江戸時代から本阿弥光悦の手になるという「光悦本」をはじめ、様々なものが出版されてきましたが、現在のものは字も比較的読みやすく、良くできているという評価がされています。


中を開けると、こんな感じです。
観世本文
上の表紙の写真も、この中身の方もクリックすると、大きな写真が見られますが、昨日も書きましたとおり、著作権の問題もあろうかと思いますので、画質を落としています。
あまり良くわからないかもしれませんが、ご容赦下さい。


さて中身ですが、候など特定の文字は草書のかなり崩した字体で書かれていますが、全体としては行書くらいの感じで、比較的読みやすい表記だと思います。
本文の右側には記号が書かれていますが、これはゴマ節といって、要は音符のような物です。
各流で微妙に違いがありますが、その違いなどは、いつか項目をあらためて比較してみたいと思っています。


上部の余白に挿絵が見えますが、観世の本では上部に、ところどころにこうした挿絵が添えられているほか、小謡や舞囃子などの初めの部分に、その表記が付けられています。


様々な謡本が刊行されてきたと書きましたが、実は以前にも書きました梅若流の独立問題から、独立問題が解消した今でも梅若本と、そして九皐会本が刊行されているようです。私は残念ながらどちらも見たことがありませんが・・・

宝生の羽衣・・・謡本のつづき

昨日につづいて、今日は宝生流の現行謡本です
羽衣宝生
この版は著作者が宝生九郎となっていますが、昭和になってからの版で十七世 宝生九郎 重英の手になるものですね。
宝生流も江戸時代から様々な謡本を出版してきたようなのですが、私はひょんなことから、この版の一つ前の版の羽衣も持っています。確か昭和版と呼ばれているはずで、昭和初年の版なのですが、型押しの表紙でなかなか趣があります。


現在の版はその昭和版の少し後に刊行された様子ですが、黒地に金で五雲が刷られた、重厚な感じの本になっています。


中を開けると特徴的なのが、上部余白の記載。
宝生本文
観世と同様に挿絵が入っていますが、他にも要所要所に謡い方の注意点や節付けの解説が入っています。
稽古本としては良くできていると思います。


ただし五流の中では一番、字の表記が難しいように思います。
まあ、江戸時代の黄表紙などのような読みにくさではありませんから、まずまず読めますが、変体仮名なども使われているので、若い方にはちょっと大変かもしれません。


表紙裏に、七寶と五雲という二つの小謡が載っています。
どちらも宝生流独特の小謡ですが、解説では『たとえば、謡会の初めに「七寶」を、終りに「五雲」を謡います」と書かれているとおり、会の前後に謡われることが多いようです。
一度、宝生の会を観ていて、附け祝言で五雲が謡われるのを聞いたことがあります。


昨日同様、著作権の問題も考慮し、画質を落として掲載しました。ご容赦下さい。

金春の羽衣・・・謡本のつづき

本日は金春流の羽衣の謡本です。
羽衣金春
金春流は江戸時代初期から謡本を刊行していて、明治以降も何種類かの謡本を刊行したようです。
現行の版は前宗家、といってもつい先日、ご子息金春安明師に宗家を譲ったばかりの、七十九世金春信高師が著作者になっています。


金春の現行の版は、何が驚くって、開けてみると楷書で書かれていることですね
金春本文
表紙も紺地に吟で松の葉が描かれたスッキリしたデザインですが、全編楷書の読みやすさは抜群です。漢字の振り仮名も丁寧に付けられています。
ワキ(男)、シテ(女)と、シテ・ワキが初めて登場するところには男女の別が注記されているのもユニークですね。
写真は、観世・宝生の謡本で御覧に入れた部分よりもう少し後のところ、クリ、サシ、クセとつながっていくところです。
巻頭に解説があるのは他流と同じですが、本文余白には特段の注記などはありません。
独吟や小謡などの場所が示されている程度です。


観世・宝生の謡本は割合似た感じですが、金春の謡本はかなり違った印象で、並べてみると面白いと思います。

金剛の羽衣・・・謡本のつづき

金剛の現行謡本です。
羽衣金剛
金剛流は江戸時代には謡本を刊行しなかったそうで、下掛り系の謡本を自流用に直して使っていたという話があります。
金剛流としての謡本は明治になってから刊行されたもののあまり売れなかったようで、その後、観世流の謡本を刊行している檜書店に出版元を移して現在に至っているようです。


現在の版は濃紺地に金で九曜が描かれていますが、旧版は褐色の表紙。
旧版しかない曲もあるので、全曲をそろえると旧版、現行版が混在することになります。
訂正著作者は金剛巌になっていますが、これはおそらく二世巌、現宗家 永謹師のお父様ですね。


中身は筆字の行書くらいの感じですが、割合読みやすい文字。
上部の余白には、金春流と同様に挿絵や解説の記載はありません。
金剛本文
檜書店の発行のためか、観世流の謡本とサイズも作りも基本的に一緒です。

喜多の羽衣・・・謡本のつづき

このシリーズの一応の最後は喜多流の現行謡本です。
羽衣喜多
著作者は亡くなった喜多節世(サダヨ)師。現六平太 長世師の弟さんですね。
喜多の謡本の発行権は、先代の喜多実師により、二男の節世さんに認められていたのでこういう形になっているのだそうです。


観世と金剛の謡本は檜書店で、宝生と金春の謡本はわんや書店で入手することができます。
いずれもホームページもありますし、通信販売にも対応していますので、お稽古していなくても手に入れることはさほど難しくはありません。
・・・私は、まあ公演の際に能楽堂に開かれる出店とか、神田の檜書店、わんや書店を訪ねて買っています。
しかし、この喜多流の謡本はなかなか入手しにくくて、確実なのは喜多六平太記念能楽堂で買い求めること。稽古でもしていれば、先生を通して手に入るのでしょうけれど、一般人には入手し難いです。


他の四流に比べると、大きさも少しだけ小振りで、なんと言っても中の用紙が、薄いクリーム色の紙を使っているのが特徴的です。
文字はほとんど楷書と言って良いくらいきちんとした行書体。大変読みやすい字体です。
ちょっと見た感じは金春の謡本に似ていますが、金春流とは違って上部の余白には、ちょっとした解説や挿絵が入れられています。
喜多本文
五流それぞれの謡本を見てきました。とりあえず今回は眺めただけというところです。
表記のしかた、記号の違いなどについては、いずれまた機会を見てふれてみたいと思っています。

円満井会定例能を観に行く

久しぶりに円満井会を観に行きました。
金春流の会ですが、宗家に近い若手を中心とした会。会場も矢来能楽堂なので、いっそうアットホームな感じがします。


矢来は見所も狭いし、楽屋の入り口が客席横の通路奥にあるため、演者の皆さんも観客と同じ正面玄関から出入りされます。
このため本日も、シャツ姿で到着した辻井八郎さんと通路で出くわし、さらに壁のポスターを眺めていたら後を通り抜けていった背広姿の方の後ろ姿が、どうみても高橋汎先生。(頭の形に見覚えあり。)
早めに着いたので正面の席を取りましたが、前から四列目でもかなり舞台には近い感じです。


番組は能が三番と狂言一番、それに仕舞が六番の構成です。
能は山井綱雄さんの巴、本田芳樹さんの半蔀、それに中村昌弘さんの黒塚。
狂言は磁石で、山本泰太郎さんシテと番組にはあったのですが、シテで登場したのは則直さん。代演のお知らせも特になかったのでビックリでした。


巴、半蔀、黒塚と、いずれもポピュラーな曲ですし、たまたまここ一年ほどの間に複数回観ている曲ばかりなので、なかなか面白く拝見しました。
流儀か、演者か、それぞれに解釈があるようで、同じ能でも随分違ってくるものだという印象を新たにしました。


曲毎の鑑賞記は明日から書かせて頂きます。
どうも花粉症にでもなったようで、いささか不調です。

巴 山井綱雄(円満井会定例能)

金春流 矢来能楽堂 2006.9.17
 シテ 山井綱雄、ワキ 野口能弘
  アイ 山本則秀
   大鼓 高野彰、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 中谷明


巴は修羅物としては唯一、女性が主人公の曲です。しかも修羅物の一般的な形では、シテは戦いの中で死んでおり亡霊として現れてくるのが普通ですが、巴は幽霊として現れるものの戦いの場からは落ちのびています。
そのため後場が、戦いの場面の再現と、義仲との別れの哀切という二つのテーマを持つことになり、他の修羅物とはいささか異なった印象になります。


こうした構成の特徴や長刀を持った女性の立廻の面白さなどから、巴は割合人気があるようで上演回数も多いのですが、私としては、あまり良い印象を持ったことのない曲の一つでした。
ところが、今年2月の閑能会で関根祥人さんの巴を観て、正直のところ巴という能のとらえ方が違ったような感じになりました。
この時は替装束の小書きが付いていたので余計だったのかもしれませんが、自害した義仲のもとを去る巴の哀切が痛いほど伝わってきて「こんな曲だったのか」と目を開かされた感じがしています。


さてこの巴、山井さんがどう演じられるのか、大変楽しみに出かけたわけです。


木曾義仲は源頼朝や義経とは従兄弟に当たる武将。中原兼遠の庇護のもと信濃で成人し、頼朝や義経に先んじて上洛し平家を都から追い払いますが、後白河法皇と不仲になり範頼、義経の兄弟に攻められて宇治川の戦いで亡くなります。
巴御前はこの義仲の愛妾。兼遠の娘と伝えられています。
能の進行は、また明日につづきます

義仲を弔う女・・・巴のつづき

一同着座すると、ワキ・ワキツレの出になります。
ワキは木曾の山中から都へ上る途中に、近江国粟津原にたどり着いたと述べてワキ座に着座します。野口能弘さんのワキでしたが、私、野口さんのワキは割と一生懸命な感じが気に入っています。
シテは橋掛りを進んで一ノ松で立ち止まってサシを謡いますが、橋掛りが短いのを見込んでか、いささか歩みがゆったりめの感じを受けました。
いつもながら山井さんの謡は深みがあり、あの体からどうしてこんな声が出てくるのかと思うところです。


舞台に入り、常座から三、四足進んで下居。合掌して神社に参詣し「昔のことの思い出でられ候」とシオル型。
さてワキが何事かと尋ねたことからワキ・シテの問答になります。
ここで行教和尚が宇佐八幡に詣でた際に詠んだという歌「何事のおはしますとは知らねども。忝さに涙こぼるゝ」が引かれます。


実はこの社は木曾義仲を祀ったもの。木曾から出てきた旅人ならば、粟津原の神の名を知っているべきに・・・と述べて、シテはワキに参詣を勧めます。
さて日も暮れる中、シテの女は「我も亡者の来たりたり」と、自らも幽霊であることを明かし、名は里人に聞いてほしいと、草の葉陰に姿を消します。
ここで中入り。


間狂言が登場しますが、アイは神社に参詣にきた里人という設定。
いわゆる語りアイですが山本則秀さんの歯切れの良い語りです。
この地での木曾義仲と巴との物語を語った後に、ワキ僧に弔いを勧めてアイは切り戸口から退場します。


ワキ、ワキツレはワキ座を立ち、五条辺りを訪れた風情を出して、待謡を謡います。
さて後シテの出は、明日につづきます

観世流 研究会を観る

今日は東京に出張しまして、帰りに渋谷の観世能楽堂に寄って研究会を観てきました。
能が二番と狂言一番、それに仕舞三番の構成ですが、とても充実した会でした。


能は関根祥人さんの巻絹と武田尚浩さんの善知鳥。
狂言は萬斎さんの腰祈です。


巻絹は神楽留の小書き付きですが、上手いなあ・・・
久しぶりに能を観ていて泣きそうになってしまった。
まあ、巻絹にはいささか思い入れがあるので、私としても仕方ない部分もあるのですが、それにつけても今年2月の巴といい、関根祥人さんの能には魅せられてしまいます。


それと武田さんの善知鳥。
これもなあ、好きな曲なんですが、やっぱりそれを超える何かがある感じでした。
先だっての千手のツレを観て、武田さんの能を一度観てみたいものだと思っていたのですが、思いのほか早くに機会が巡ってきました。
しかも、期待を外さない善知鳥。


萬斎さんの腰祈、萬斎さんのシテで狂言を観るのは本当に久しぶりなのですが、なかなかの熱演。この曲は初めて観ましたが、面白い狂言です。


いずれ、円満井会の観能記を書き終えたら、おのおのの曲について感想を書いてみたいと思っています。


ともかく、附祝言までキチンと聞いて、ホンの少し前にようやく家にたどり着いたところですので、本日は円満井会観能記の続きはお休みです。


また明日に・・・

涙のわかれ・・・巴さらにつづき

一日おいてしまいましたが、巴の最後です。


後シテは長刀を持ち、烏帽子を着けた軍装姿。甲冑を着けた姿を現しています。
登場して一ノ松に長刀を突いて立ちサシを謡い出しますが、舞台に入ってワキに回向の感謝を述べます。
シテはその後、巴が最後まで義仲と同行しながらも、女であるために義仲の最後に付き従えなかった怨みから、今もこの義仲終焉の地にとどまっているとシオリます。
そこから床几にかけての語り、さらに長刀を振っての仕方話へと展開します。


実はこの途中で烏帽子が前に下がってしまって、シテ自身は見えるのかどうか不明でしたが、どうも気にる状況でした。しかし橋掛りに入ってから舞台に戻るところで、シテの山井さんご自身が直されました。
・・・その後の休憩時間に、楽屋近くで山井さんが親しい観客の方と話しておられて「すぐに気付いて頃合いをみて直したら、どなたか『あ、自分で直した』と言う声が聞こえた」などと話しておられました。舞台と客席が近いせいか、演者からも観客が良く見えるんですねえ・・・


通常の修羅物では、シテは戦乱で死んだ武将ですから、仕方話の後はワキにさらなる回向を頼んで姿を消すというのが一般的な形ですね。
しかしこの曲では、こののちシテは長刀を捨て、烏帽子・太刀を置いて、女の姿で落ちのびるところを演じます。
自らが奮戦している間に、義仲は自害しており、その死骸に別れを告げて落ちのびるという設定。これは平家物語とは違うストーリーになっていますが、劇としてはこの展開の方が絵になる・・・ということでしょう。


さて女の姿に戻った後をどう演じるのかは、これはいろいろと考えがあろうかと思いますが、持った笠を投げ捨てる所作などもあり、義仲の最後から遠ざけられた怨み、その執心をテーマにしての演技だったようです。
この辺りは、関根祥人さんとは違った解釈ということですが、確かに謡の文句からみればこの方が素直な解釈で、巴の演出としては一般的かもしれませんね。

磁石 山本則直(円満井会定例能)

大藏流 矢来能楽堂 2006.9.17
 シテ 山本則直
  アド 山本則孝 若松隆


狂言は磁石。番組にはシテ山本泰太郎さんになっていたのですが、いざ始まってみるとシテとして登場してきたのは則直さん。これにはビックリしました。代演の表示も無かったので、最初は何が起こったのか理解できなかったほど。


さてこの曲、まさに狂言らしい展開で、シテは「すっぱ」。
アドの遠江国、見付(ミツケ)の者が、登場し都へ上る途中に近江国坂本の市に立ち寄り見物しているとシテが声をかけます。


アドの則孝さんは歯切れの良い語り口で、私は割と気に入っています。
さて当然ながら、シテはアドと初対面で、実はこのシテ「すっぱ」は人売り。アドを欺して宿屋に売りつけてしまおうとしています。
この赤の他人のアドに、シテがいかにも知人のように声をかけ、様々な技巧を凝らしながら自分の定宿に連れて行こうとするところが前半の見どころですね。
袖をひいたり、則直さんの演技でなかなか楽しめました。


さて宿屋まで来くるとアドはすぐに横になってしまいますが、それを見てシテは小アド宿屋の亭主を呼び内緒の相談を始めます。
アドの男はそっと起き出して、この二人の話し合いを立ち聞きしますが、なんと、自分をこの宿屋に売ろうという相談であることに気付いてしまいます。


さてこれですぐに逃げ出すかと思いきや、この見付の男もなかなかしたたかで、逃げる前に宿屋の主人から自分の代金を掠め取ろうと、床を叩きます。小アドはこれに答えて金を渡しますが、塀越しという設定なのか、金を投げ上げ、落ちた金をシテが集めます。顔を見ていないので、シテかアドかわからなかったということですね。


さてシテが起きて床を叩き、亭主に金を催促すると「もう渡した」との返事。
それでシテはあわてて宿屋の主人から太刀を借り、見付の男を追いかけます。
さてその後は・・・明日につづきます。

したたかな男・・・磁石のつづき

さてアドの男は逃げたものの、追いかけてきたシテと正先で出くわします。
ここからが後半の見せ場ですね。


見付の男は、唐土と日本の境に磁石山(ジシャクセン)という山があり、自分はその山に住む磁石の精だと述べます。
そんなバカな話はないのですが、このあたりの飛躍が狂言の面白いところ。


アドは磁石の精だけに、シテの抜いた太刀に引き寄せられる風を装います。シテは太刀を抜いてアドを切ろうとしているわけですが、太刀をかざすと、アドは太刀を呑もうとする始末。
一方、太刀を隠すと、磁石の精の振りをしているアドは弱る風情を見せます。
なんどかこれを繰り返し、シテが太刀をすっかり鞘に収めてしまうと、アドは倒れて横になってしまいます。
則孝さんの倒れ方がまた見事で、これだけでも笑いを誘います。


アドの作戦なのですが、シテはこれに見事に引っかかり、最後は逆に太刀を取り上げられて、アドに追い込まれてしまうという構成です。


この手のすっぱものでは、悪事の露見したすっぱが追い込まれるという形が普通で、この磁石も基本は変わりませんが、それにつけてもアドの見付の男、やけに賢くえがかれています。
これだけ頭の利く人物設定も珍しいところで、すっぱに欺される純朴な人物といった設定の方が普通ですね。
この気の利いた男を則孝さんが好演していましたが、則直さんのシテもまた味のある悪人ぶり。楽しい舞台でした。


ところでこの磁石、古くはギシャクという題名だったようです。
お経に出てくる霊鷲山(リョウジュセン)、お釈迦様が法華経などを説法したとされる鷲の形をしたインドの山と伝えられていますが、この別名が耆闍崛山。
「ぎじゃくせん」あるいは「ぎじゃくつせん」などと読まれるようですが、こちらが山の名前の現地での発音を伝えていて、意味が鷲の山ということのようです。磁石山はこの耆闍崛山のパロディということですね。

萬狂言 水戸公演

円満井会の鑑賞記はまだ途中ですが、そんな中を、昨日は萬狂言の水戸公演に行ってきました。


水戸芸術館は、開館当初から野村万作さんの公演が定期的に行われていて、今年で14回になりました。
これに加えて、数年前から萬狂言も毎年秋に公演が行われるようになり、春は野村万作抄、秋は萬狂言と楽しめるようになっています。


さてその萬狂言、今回は柑子と牛盗人の二曲でした。
牛盗人は今年の春から各所で、万蔵さんのシテに万蔵さんの長男虎之介クンの子方で公演されていますが、水戸では虎之介クンの登場は初めてではないかと思います。


それぞれに味わいのある狂言でしたが、この鑑賞記は後日あらためて書きたいと思います。


さて能楽を観る都度、鑑賞記をブログに書き連ねていますが、自分でも何を観たのか混乱しそうなので、能と狂言に分けて鑑賞記の索引を作りました。
リンクの項目に、「能の鑑賞記索引」と「狂言鑑賞記索引」へのリンクを張ってあります。
一応、五十音順に曲目を並べ、ここから鑑賞記の最初の日の記事に飛べるようにしてみました。
このブログ内の記事だけですので、今年3月の金春会以降の鑑賞記だけですが、振り返ってみると、一曲毎に思い出がありますね。

半蔀 本田芳樹(円満井会定例能)

金春流 矢来能楽堂 2006.9.17
 シテ 本田芳樹、ワキ 工藤和哉
  アイ 山本則重
   大鼓 柿原弘和、小鼓 幸正昭
   笛 一噌隆之

円満井会、能の二曲目は半蔀。
主人公は光源氏と契を結んだ夕顔の霊で、作者は室町時代に管領細川家に仕えた内藤左衛門という素人作者と言われています。

夕顔を主人公にした能としては、その名もずばり「夕顔」がありますが、金春・宝生の二流は夕顔を現行曲としていません。そのためか、この二流での半蔀の上演が多いような・・・私が観た回数が多いというだけかもしれませんが・・・気がします。
夕顔は、都五条あたりに住む名前も知られない女ですが、その住処に夕顔があり、この花にちなんで夕顔と呼ばれています。夕顔の花のはかなさが、主人公自身のはかなさを象徴するような印象です。

ワキは雲林院の僧で、夏安居の終わりに立花供養を行っていると、女が現れて夕顔の花を手向けるという、なんとも風情のある始まり方になっています。
半蔀には立花供養という小書きがあって、ワキの出に先立って正先に立花を出し、シテがこの立花に夕顔を挿し入れるという演出があります。
本日は小書き無しなので、何も出さずに、登場したシテは正先に夕顔の枝を置きましたが、形としては立花がある方が自然で、こちらの方がもともとの形であろうと言われています。

ある本には立花供養の小書きは金春以外の四流にあると、解説されていますが、上演回数は少ないものの、金春流でも立花供養の小書きを演じます。昨年、高橋忍さんのシテで拝見しましたが、なかなか風情のある舞台でした。その前は、昭和五十年代に先代宗家の金春信高師が演じたきりとか。

さて曲の進行は明日につづきます

夏安居の終わりに・・・半蔀のつづき

ワキの雲林院の僧が登場し、安居も終わったので花の供養をしようと述べます。

夏安居(ゲアンゴ)は陰暦の4月16日から7月15日までの90日間、僧侶が一カ所に定住し、集団生活をしながら修行することを言います。もともとはインドの雨季にあたる時期で、釈迦の時代からこの時期は遊行せず修行に励んだとか。
夏安居が終わる時が解夏(ゲゲ)。映画のおかげでこの解夏という言葉も少しだけ知られるようになりました。

さてワキ僧が花の供養をしていると、静かにシテ里の女が登場してきます。
ワキの工藤さんが小柄なせいか、シテの芳樹さんがとても大きく見えます。本田芳樹さんは金春流の重鎮 本田光洋師のご子息ですが、なかなかしっかりした芸風で、おそらくは小さいときからかなりの稽古をされてきたのではないか、と想像しています。
この日は、もしかして体調を悪くされていたのではないかと思うのですが、いささか謡の感じが普段と違った印象でした。

さて、登場したシテとワキの問答、シテが夕顔の花を供養したのを見て、ワキは「白き花のおのれひとり笑(エミ)の眉を開けたるは、如何なる花を立てけるぞ」と問います。
この笑の眉を開けたるというのは言い得て妙な表現ですね。
シテは、黄昏時に咲く花、夕顔であると答えます。ワキは女の名を問いますが、シテはそれには答えず、名乗らずとてもいずれ分かること、自分はこの夕顔の蔭よりやって来たのだと述べ、夕顔を残し立花の蔭に姿を消してしまいます。

ここで中入り。

前場は短く整理されていて、この夕顔を巡るシテとワキの問答に全体が凝縮されている感じです。
中入りではアイが登場し居語りで、光源氏と夕顔の話を述べ、ワキの僧に五条辺りへ行ってみることを勧めます。
さてワキが五条を訪ねる子細は明日につづきます。

蔀の中に消えゆく姿・・・半蔀のつづき

中入りの後、後見が半蔀屋の作り物を持ち出してきます。
夕顔の蔓がからんでいて、夕顔の住まいという設定ですね。引廻しがかけられて中にシテが入っての登場となります。

半蔀屋ということなので正面の戸は半分から上だけ。蔀戸を開ける時は、これを竹で下から突き上げて固定する形にします。

ワキは五条辺りに出たとの謡。
すると引廻しが取られてシテが姿を現します。上半身は作り物に隠された形になりますが、夕顔の蔓がからんだ竹の格子越しに姿が見えるのはなかなか風情があります。
シテは作り物の中で、一セイ、下歌、上歌と謡い、「さらばと思い夕顔の、草の半蔀押し上げて」で、蔀戸が押し上げられて、作り物から出てきます。

ここで、後見が作り物の後から、シテの動きに合わせて竹で蔀戸を突き上げます。シテが蔀戸を押し上げて出てくるように見える訳です。
後見は本田光洋師、さすがにシテの動きにピタリと合わせ、さながらシテの芳樹さんが上げた手で戸を押し上げられたように見えました。

シテは光源氏との思い出を、クセで語ります。舞グセで、ここも見どころですね。
さらに自らの歌に対する光源氏の返歌を謡って序ノ舞に入ります。
留めでは、夜の明けぬうちにと再び半蔀の中に入って姿を消す形。
前半を思い切って削り、後半も半蔀から現れ、半蔀に姿を消すという、なかなかうまい構成の曲です。人気曲なのも納得できますね。

黒塚 中村昌弘(円満井会定例能)

金春流 矢来能楽堂 2006.9.17
 シテ 中村昌弘、ワキ 森常好
  アイ 遠藤博義
   大鼓 佃良太郎、小鼓 観世新九郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 小野寺竜一


能の三曲目は黒塚。今月初めには粟谷明生さんのシテで喜多流の黒塚を観ていますが、お若い中村さんがどう演じられるのか、これまた楽しみにしていました。


中村さんは某所でブログを書いておられて、この黒塚の苦心談も既にアップされていますが、ご自分のブログを積極的にはお知らせされていないようなので、リンクは控えます。グーグルなどで探し出されるのも楽しいかと・・・


中村さんはまだまだお若いし、演能回数もあまり多くないと思うのですが、一生懸命さが伝わってくるような気持ちの良い舞台で、面白く拝見しました。
ワキは森常好さん、ワキツレ舘田善博さんとの登場。安定感がありますね。
シテは紫の引廻しをかけた萩小屋の中に入っての登場です。


ワキ、ワキツレが着座すると引き廻しが外されてシテが姿を現し、泊める泊めないの問答の後に萩小屋からシテが出てきます。
やがて枠カセ輪が持ち出されてきて目付に置かれます。枠カセ輪(カセは峠の山偏を木偏に変えた字)は目付に置く場合と、正先に置く場合とがありますが、粟谷さんのときは正先で今回は目付、はからずも同じ月に両方の形を見ることになりました。
この置く位置、なんでもないようですが、案外その後の展開に重要なポイントか、とも思います。
つづきは明日に

嘆く里女・・・黒塚のつづき

枠カセ輪を回しながらの次第、クセ、ロンギと前半の山場が続くわけですが、それだけにこの回し方、回す速さが見せ所ということですね。
人の世のはかなさ、六道輪廻の苦しみを、回る輪に託しての謡、所作ということになりますが、ロンギの最後で謡のテンポが速くなるのをきっかけに、輪を回す手が急に速くなって「泣き明かす」と、枠カセ輪から手を放して、両シオリの型になりました。


両シオリは両手を上げて泣く形で、いわば号泣。
そのためか、ここでしばらく間があって気持ちを切り替えた風で、ワキに向かって、夜寒なので山へ薪を取りに行ってくると言葉をかけました。
先日の粟谷さんの場合は、輪を回す手を速めて「泣き明かす」のところでふっと手を止めて、何かを思いきったように、すっとワキに「あまりに夜寒・・・」と呼び掛けました。ちょっとした違いですが、随分と印象が変わりますね。


シテは山へ薪を取りに行くために立ち上がりますが、目付から左回りに向き直って常座の方向へ進み、常座あたりでふっと立ち止まって「のうのう妾が閨の内・・・」とワキに呼び掛けます。念を押した後は、静かにゆっくりと退場しました。
正先に枠カセ輪が出してある場合は、常座に向かう途中での萩小屋との位置がずっと近くなります。このためワキを振り返るときに、閨を隠すような感じが強くなると思いますが、一方で、枠カセ輪を回す場面の舞台上のバランスから考えると、目付に置く形も捨てがたいように思えます。このあたりは流儀の主張もあるのかもしれませんね。


ところで、前回も今回も下掛りの流儀のために、下居のときは左足を引いて右膝を立てます。
しかしこの形では枠カセ輪を回す際に形が良くないのか、どちらも枠カセ輪の前で足を逆に右足を引いて左膝を立て、輪を回す形でした。


つづきはまた明日に

怒れる姿・・・黒塚のつづき

アイは阿闍梨の従僧ですが、前回の和泉流野村家と今回の大藏流山本家では、同じことでも随分と違う印象になるものだ、と再確認した次第です。


前回の吉住さんのアイは、シテが幕に入ってしまうと、いきなり閨の中が気になって仕方ないと大騒ぎしながらの登場になります。様子をうかがいながら起き出す形も、かなり大きな動きで、剽軽な雰囲気を漂わせます。


一方、この日の遠藤さんは抑えた感じで里女への不審を述べ、気になって眠れずに目を開けても、二度にわたって立ち上がるだけ。立ち上がったとことでワキに諫められて、また寝ようとします。
ようやく三度目で阿闍梨のそばを抜け出しますが、ここで「見ろと言われると見たくないが、見るなと言われると見たいという性分」を語ります。
吉住さんの場合はまず最初にこの台詞から始まりますが、この台詞をどこで言うかだけでも随分と印象が変わるものですね。


さて後シテの出ですが、薪を背に負って回した紐を左手で押さえた形。赤頭です。
後シテは怒れる鬼女の姿を現して、迫力もありました。下から上に面を突き上げるようにすることで、面にかかっていた赤頭がふわっと上がり、角の生えた般若の面が生を持ったかのような感じが出ます。なかなか良かったか、と思いました。


安達ヶ原の黒塚伝説をもとにしたこの能、前回の粟谷さんの観能記にも書きましたが、実に様々な解釈が可能だと思います。
今回の中村さんの黒塚は、ある意味、とてもオーソドックスな、まさに怒れる鬼をそのままに演じた感じでした。これが、謡の詞章をそのまま素直に解釈した姿なのかな、と思います。
中村さんはお若いし、これからも様々な能を演じて行かれることでしょう。いつの日か、今回とは違った解釈で黒塚を演じられることもあるのだろうか・・・などと、想像した観能でした。

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