能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

巻絹 神楽留 関根祥人(研究会)

観世流 観世能楽堂 2006.9.20
 シテ 関根祥人、ツレ 清水義也
  ワキ 森常好、アイ 石田幸雄
   大鼓 柿原光博、小鼓 北村治
   太鼓 三島元太郎、笛 一噌仙幸

もう十日以上前のことになってしまいましたが、観世流研究会の鑑賞記。
まずは巻絹ですが、この曲にはいささか思い入れがありまして、しかも関根祥人さんのシテ、神楽留の小書きと、期待し過ぎかも知れない状況で観に行きました。

もっとも巻絹という曲自体はさしたるドラマ性がある訳でもなく、むしろシテに神楽を舞わせ神懸かりの様を見せることを主眼として作られたような気がします。

舞台はまずワキの登場。名宣リ笛で、アイを伴い重々しく登場したワキは、勅命により千疋の巻絹・・・絹の反物を三熊野に奉納する旨を述べ、到着が遅れている者がいるので着き次第報告するようにとアイに告げてワキ座に着します。

さて件の使いの男、ツレ清水義也さんが登場します。
ツレの男は巻絹を挟んだ竹を肩にしての登場です。
この巻絹というか、実は白水衣をたたんだものですが、能楽独特の省略のしかたですね。一疋は二反、おおよそ24メートルほどの長さになりますから、竹に挟んだ一枚の布程度では、この男の千人分を集めても千疋には足りませんね。

さてツレは、サシ、下歌、上歌と謡い、都からはるばる山々を越えてやって来る様を示しますが、ようやく熊野に着いたものの音無の天神に立ち寄り、ここで冬梅に心を奪われてしまいます。
ひとしきり心中に和歌を手向けた後、再び立って勅使のもとに向かいますが、遅参した男を勅使が許すはずもありません。
このあたりは明日につづきます。
スポンサーサイト

巻絹のつづき

ツレの男は案内を乞い巻絹を献上しますが、ワキは遅参を責めてアイにツレを縛り上げさせてしまいます。
「その身の科は免れじと」の地謡の一句の後、打切の手の間に、ワキがアイに呼び掛けてツレを縛り上げさせます。森さんが歯切れ良く「如何に誰かある」と問い、アイの石田さんの素早い受け答えが小気味よい感じです。

そしてシテの出になります。
小書きというのは特殊演出で、例えば熊野の村雨留なら、中ノ舞の途中で急に雨が降ってきた様子に舞を切り上げてしまうといった形です。今回の小書き神楽留も、神楽に関しての小書きですが、実は小書きが付くと装束も変化することが少なくありません。
巻絹の常の装束は白の水衣に緋の大口、前折烏帽子に手には御幣を持つという形です。白い衣に赤い袴ですから、まさに神社の巫女さんの姿を模した形ですね。
これが神楽留の小書きによって、唐織りを腰巻の形に着け、白の長絹に烏帽子も風折烏帽子・・・小立烏帽子のような感じもしたのですが、さらに手には木綿を付けた梅の枝を持って登場します。
冬梅の咲く音無の天神を象徴してかと思いますが、大変風情のある装束ですね。

シテは「なうなう」とワキに呼び掛けながら橋掛りを進みます。縛られている男は、音無の天神に参詣し歌を手向けた者であるので、縄を解くようにと求める訳です。
シテは音無天神の巫女ということなのでしょうが、不思議の神通力を持っているようで、男が心中に手向けた歌を知っているという設定です。このため、男が上の句を詠むと、直ちに下の句を付け、「とくとく免し給えや」と縄を解いてしまいます。
この型がとてもキレイでした。関根祥人さんの能は、これまであまり観てはいませんが、実に型が美しいと思います。

さてワキもこの様子に納得せざるを得なくなります。
この後、和歌の徳を巡って、クリ・サシ・クセとシテの謡、舞が進んでいくことになります。
複式能ではないので、シテが登場するまでが短い分、シテが登場してからがこの舞クセを中心に和歌の徳をたたえる部分と、神楽を中心とした神懸かり部分の二つを使って、二つのテーマを見せるような構成になっていますね。
さて神楽からは明日につづきます。

神楽と神懸かり・・・巻絹さらにつづき

舞クセの後、ワキはシテに祝詞を捧げるように述べます。

シテは御幣、この日は小書きが付いていたので梅の枝ですが、これを手にして目付に座し「謹上再拝」と左右に振ります。熊野の霊場を讃えると囃子がノットになり地謡との掛け合いから神楽へと進みます。

私、この神楽が好きなんです。
一噌流の神楽の唱歌は、なんだか都はるみの涙の連絡船とちょっと似た節回しなのですが、ま、それはさておき、神楽は天女ノ舞から広がっていったという中ノ舞などの舞物とはまた違った系統の舞です。
常の神楽は狭義の神楽の部分を舞った後、直りとして御幣を扇に持ち替え神舞の型を舞います。これが神楽留の小書きのために、狭義の神楽の部分だけで舞終えますが、これはまたなかなか風情があります。
この日は中正面の席だったのですが、前後左右とシテ祥人さんの微妙な動きがわかり、さらに舞が面白く感じられました。もともと中正は割合好きな席ですが、中正面から見る舞の面白さを再確認した感じです。

神楽の後を地謡が受けた後、小書きのためにイロエが省かれて「証誠殿は、阿弥陀如来」とシテの謡からキリに入ります。
さらに「三世の覚母たりで」橋掛りに進み、一ノ松で「満山護法」とキメます。ここからはさらに神懸かりの態になり、常の舞台上ではなく橋掛りで様々に神懸かりの様を見せますが「これまでなりや」とすーっと舞台に戻り「神は上がらせたもう」から神懸かりが解けます。
この変化が最後の見せ所ということでしょうか。

思わずこのあたりで涙が出そうになってしまいまして、我ながら驚きました。
取り立てて悲しい話でも、思いを込めた話でもないのですが、ただ舞の面白さ、美しさを観ているだけで感動するんだなあと、しみじみと思った次第です。
もっとも融なんかも、ストーリーとしては取り立てて何もないと言っても良いような能ですが、やっぱり感動すると泣けますものね・・・

腰祈 野村萬斎(研究会)

和泉流 観世能楽堂 2006.9.20
 シテ 野村萬斎
  アド 石田幸雄、月崎晴夫


萬斎さんシテの狂言を観るのは久しぶりです。別に避けている訳ではないのですが、金春流だと圧倒的に大藏家、善竹家の狂言の場合が多いこともあって、金春の会を観る比率が高い分だけ萬斎さんが遠のくような感じです。


それはともかくこの腰祈という狂言、山伏の法力を笑い飛ばしてしまおうという、いわゆる山伏狂言の類ですが、シテは山伏ではなく祖父(オオジ)。
この祖父の腰が曲がっているのを、山伏が法力で伸ばそうとするドタバタを描いています。


山伏のことを、祖父が「キョウノトノ」と呼びます。さてこれが良くわからなかったのですが、どうも「卿の殿」と言って、部屋住みのまだ若い山伏をさす言葉だそうです。確かに修行中の駆け出しだから上手く法力が使えなかったと、まあそういう意味もあるのかもしれません。
しかし他の山伏ものでも、狂言に出てくる山伏は、およそ法力が上手く使えずに、失敗して笑われるという形。それだけ、普段の生活に登場してくる山伏が威張っている煙たい存在だったのかもしれませんね。
実は私の祖先は遡ると、江戸時代以前に修験道のようなことをして生計を立てていたらしく、山伏の背負う笈も親戚の家に伝わっています。
きっと煙たい存在だったんでしょうねぇ。


さて狂言の進行は明日につづきます

萬斎さんの熱演・・・腰祈のつづき

さて腰祈の進行ですがが、舞台上には太郎冠者が先に出て座っています。
その後からアドの山伏、卿の殿が登場してきます。


この狂言、囃子を使うのがもともとの形だそうで、狂言の次第の囃子で山伏が登場し、最後はシャギリで留める形があるのだそうですが、この日は囃子は出ませんで、静かに山伏役の石田さんが登場しました。
巻絹のアイとは打って変わって、まさに狂言の山伏の態。当たり前ではありますが、見事です。


さて、祖父のもとへ行くといって案内を乞いますが、これに応える太郎冠者と場所が入れ替わり、山伏はワキ座に進む一方で、太郎冠者は幕に向かって、祖父に卿の殿が来たと告げます。
すると祖父、萬斎さんの出。体をほぼ90度に曲げ、撞木杖をついて「イェイ イェイ」と登場してきます。


養老の替えアイ薬水でも、この腰の曲がった老人姿で登場しますが、この体勢はかなりハードではないでしょうか。
しかも耳の遠い演技で、一ノ松あたりでは「卿の殿」を「今日は魚(トト)を呉れる」と聞き違えたりしながらの登場になります。
さらに舞台に進み鬘桶に腰を下ろして応対となりますが、この腰掛けた形もなかなかに大変な姿勢です。しかも面をつけているので、かなりハードだと思うのですが、このあたりは実に面白おかしく振る舞います。


その後は、祖父の腰を伸ばそうと、山伏が祈り、伸びすぎて天を仰いだ格好になってしまったため、今度は逆に直そうとして、祈りすぎて前に倒してしまう始末。
まさに法力はあるものの、上手く使えない山伏の姿を笑い倒してしまおうという趣向ですね。
祖父は怒って、年寄りをなぶりに来たと、卿の殿を追い込んで留めとなりました。
囃子を使って、シャギリで留める形もあるのだそうですが、腰の曲がった祖父がよたよたしながらも、若い山伏を追い込むという形も、なかなか面白いように思います。

旅行中です

台風並の風雨だった金曜日に旅行に出かけて、三日目になりました。初日こそ悪天候だったものの、昨日、今日と上天気です。
泊まりがけの旅行は、久しぶりですが、たまには良いかな、と思っています。昨日は富士山の手前に愛鷹山がそびえる景色に、羽衣のキリの謡が浮かびました。
観能記の更新は今日までお休み。明日から再開します。

善知鳥 武田尚浩(研究会)

観世流 観世能楽堂 2006.9.20
 シテ 武田尚浩、ツレ 藤波重孝
  子方 藤波重紀
  ワキ 工藤和哉、アイ 深田博治
   大鼓 柿原弘和、小鼓 曽和正博
   笛 藤田朝太郎


旅行もあってさらに間が空きましたが、先月の観世流、研究会の鑑賞記を続けます。


この曲名、善知鳥と書いてウトウと読みますが、喜多流では烏頭の表記をしますね。
ウミスズメ科の海鳥の名前ですが、さてこの鳥をなぜウトウというのか、またなぜ善知鳥と表記するのか、これには諸説があって良くわかりません。
善知鳥と表記するについては、一説に「葦原に住む千鳥なので、善し悪しいずれにも言い換えて、悪千鳥・善千鳥とも書いたのが善知鳥と表記されるもとになった」と言いますが、はて本当のところはどうでしょうか。


ウトウという名も、いわくがありそうですが、謡曲では、この鳥は親が「うとう」と鳴くと子が「やすかた」と応えるとしています。要は鳴き声だということですが、はてそう聞こえるのかどうか、残念ながら実物を見たことがないのでわかりません。


さて、囃子・地謡が着座すると、ツレと子方が登場してワキ座に着きます。いわゆる出し置きの形です。出し置きについては千手の観能記でもふれましたが、舞台上に出ていても居ないという設定ですね。
続いて名ノリ笛でワキ工藤和哉さんが登場。旅の僧が陸奥外の浜に向かう途中に立山に立ち寄ろうと思ったと述べ、さらに進んでサシの謡になります。
立山の光景の恐ろしさを見、やがて下山とワキ座に向かいますが、ここでシテの呼び掛けです。


武田さんのシテは声の高さを落とし、凄みのある謡です。この間の千手のツレとは全く違った印象の謡。凄惨な・・・と言ってもいいような感じを受けました。
陸奥へ行くならば、昨年の秋に死んだ外の浜の猟師の妻子を訪ね、簑笠を手向けてほしいと申し出ます。
そしてワキに證として、自らの着ている衣の袖をちぎってに渡し、姿を消します。ここで中入り。
シテは橋掛りで演技をし、舞台には入りません。いささか不思議な演出ですが、さてこのあたりは明日へとつづきます

猟師の幽霊・・・善知鳥のつづき

善知鳥の前シテは橋掛りでワキ僧に袖を渡し、舞台には入らずにそのまま中入りとなります。これはなかなかに風情のある演出。
そもそも老人の形で出てきますが、明らかにこれは去年秋に亡くなった猟師の幽霊でしょう。何かのしるしを求められて
「今はの時までこの尉が、木曾の麻衣の袖を解きて」
と、自らの着る水衣の袖をちぎって渡します。


しかしこの後の謡にも、アイの語りでも、ハッキリと幽霊だったとは述べられないままに話が進行していきます。
立山の霊地という設定で、霊も生身の人間も一体に交錯するということなのでしょうか。この雰囲気を武田さんのシテと工藤さんのワキで、深く表現した感じでした。


ところで袖のやり取りを見ていて、工藤さんが思いのほか小柄だったんだなあ、とあらためて思いました。
本田芳樹さんの半蔀のときも、女であるシテに比べて、ワキの僧が小柄かなあ、と思いましたが、芳樹さんが大きいから当然と納得したところです。
しかし武田さんはさほど大柄という感じもしなかったのですが・・・


さて中入りの後、ワキは橋掛りに向かい外の浜、在所の人と呼びます。これに応えてアイが進み出て、ワキの問いに答えます。
このワキ、アイの問答はさほど長いものではありませんで、猟師の家を教えてもらってそこへ向かうという設定のための問答。


そして、ツレの謡になります。
出し置きの形で出ていたツレと子方ですが、ここで登場人物に加わるわけですね。
ツレの謡の後、ワキが訪ねてきて、これまでの経緯を述べます。
ツレが片袖の無い衣を、ワキはシテから渡された片袖を取り出し、さてこそ亡き猟師からの手向けと涙します。そしてワキの読経から後シテの出へと続いていきます。


このつづきはまた明日に

亡き猟師の苦しみ・・・善知鳥さらにつづき

ワキは正先で笠を手向け「南無幽霊出離生死頓證菩提」と謡い、静かに下がります。
さていよいよ後シテの出となりますが、腰に羽簑をつけ黒頭の幽霊姿です。


現れた猟師の幽霊は僧の供養に感謝しますが、さてツレがその姿を見て子方とともに立ち上がり子方を前に出します。この子方に向かってシテは「あらなつかしやと言わんとすれば」と駆け寄りますが、子方は下がって座ってしまいます。
この気を入れた謡、駆け寄る姿は後シテの見せ所の一つでしょう。武田さんのシテは、今回初めて拝見したのですが、なんとも哀れで悲しい猟師の霊がその場に現れた感じでした。


この曲の子方は謡がありません。駆け寄るシテから下がって座ってしまうという、この演技のために出されているのではないかと思いますが、ある意味、たいへん効果的な子方の使い方かもしれません。
阿漕や鵜飼など、殺生の罪とそこから生ずる苦患を描いた能は他にもありますが、子方を出して親子の情を絡めた分だけ、この曲の深みが増している感じがします。


クリ、サシ、クセと殺生を生業とせざるを得ない身を謡い、立働きが続きます。
そしてシテの「うとう」という一句の謡からカケリになります。
この「うとう」の一句は、善知鳥の親鳥が子を呼ぶ声を象徴します。
シテの武田さんは、それまで音程を抑えて絞るような力ある謡でしたが、この一句だけは高く、長く、悲しく謡いました。子を持つ親である我が身と、親鳥を重ね合わせた一声。なんとも悲しく、カケリにつながっていきます。


カケリの後も深い悲しみが感じられ「済(タス)けて賜(タ)べや御僧と言うかと思えば失せにけり」まで一気に進みますが、観ている方も息をするのも忘れて見入ってしまったような感じでした。


さて猟を生業とすることをこんな風に描くべきなのかどうか、中世の宗教観は理解を超える部分がありますが、いずれにしても、先日観た千手のツレで気になっていた武田さん。こんな早い機会に、しかもこんなに味わい深い能を拝見することができて、私としては正解の観能でした。

廃絶した流儀

宮城県にお住いの三神さんという方から、コメントをいただきました。
ワキ方春藤流の保存伝承をされているそうです。


コメントの方にも書きましたが、春藤流は終戦の時に廃絶となりましたが、それまでは鏑木岑男先生のお家が宗家預かりとなっていたそうです。
下掛り宝生の安田登さんが、春藤流の資料も探しておられるようですが、三神さんのところでも、謡は伝えておられるものの、資料の類はほとんど無いに等しいご様子ですね。


進藤流の方は謡本や型付けなどの資料も残っていて、法政大学の研究所にあると、どこかで聞いたことがあるのですが、詳細は不明です。


公的には廃絶した流儀ですが、三神さんのような形ででも、保存伝承がされているのは、有り難いことですね。
今後とも、活動が続くこと、お祈りしています。

柑子 野村萬(萬狂言 水戸公演)

和泉流 水戸芸術館 2006.09.23
 シテ 野村萬、アド 小笠原匡


水戸でも毎年、萬狂言の公演が行われるようになって何年になるでしょうか。
春の野村万作抄、秋には萬狂言と、水戸の芸術館では二つの狂言公演が定期的に催されています。
最近は、大藏千太郎さん、基誠さんの公演などもあり、水戸近辺でも狂言の会が観られるようになってきました。


さてこの柑子という狂言、小品と言って良い短めの狂言で、登場人物も主人と太郎冠者との二人きりですが、なかなか味わい深いものです。会のはじめに野村扇丞さんの解説があり「上品な狂言」と評していましたが、なるほどそんな感じがします。


話は実に簡単で、前の晩の宴席で土産にもらった柑子、ま「みかん」ですね。この柑子、三ツ成りで珍しいともらってきたのですが、主人から預けられて持ち帰ってきたはずの太郎冠者が、三つとも食べてしまっていて、その言い訳をするという、言ってみればそれだけの話です。
とは言え、その三つのみの一つずつに、どうして食べてしまったのかという言い訳をするのが面白いわけでして、それぞれにウィットのきいた話になっています。


萬さんの太郎冠者、練れた芸と言ったらよいのか、面白くて品のある太郎冠者でした。
こういう狂言らしい狂言は、観ていてほっとします。

牛盗人 野村万蔵(萬狂言 水戸公演)

和泉流 水戸芸術館 2006.09.23
 シテ 野村万蔵、奉行 野村萬
  太郎冠者 野村扇丞、次郎冠者 吉住講
  藤吾三郎の子 野村虎之介


狂言が劇として完成度を高めてくる中で、鶏猫(ケイミョウ)や、この牛盗人のように、笑いのない狂言が出来上がってきたのでしょうね。
落語で言う人情話のような狂言で、言ってみれば「ええ話やなあ」というところでしょうか。


この牛盗人は和泉流だけの曲で、もともとは違う筋立てだったようですが、現在は鶏猫とほぼ同じ筋立てになっています。
鶏猫の方は、どうやら廃曲になってしまった「羊(ヒツジ)」という能があり、これを狂言で演じようとして作られたらしいのですが、牛盗人はもともとあった別な狂言を、この鶏猫の筋立てで演じるようになったのではないかと言われています。


鳥羽の院の離宮の牛が盗まれて、その犯人を訴え出た者には何でも願いを叶えるという高札を、奉行が立てさせます。するとこの高札を見て、「藤吾三郎という男が盗人」だと子供が訴え出てきます。
この子の訴えをもとに藤吾三郎が召し捕られるのですが、さてそれからのやり取りがなかなか泣かせます。


子方、藤吾三郎の子が大変重要な役回りです。
万蔵さんのご子息、虎之介クンが熱演しましたが、堂々とした演技でした。さすがに万蔵家の跡取りという感じです。
萬狂言では今年の初めから各地でこの牛盗人を上演していますが、ある意味、万蔵家の跡取りとしての虎之介クンのお披露目的なところがあるのかもしれません。


しかし人間、思い込みというのはスゴいもので、この狂言は本当に笑うところのない曲だと思うのですが、取り立てて笑いを誘うようなところでもないのに、時々、客席から笑いがちらほら。同じ台詞、所作を、普通の演劇でやったら絶対笑いは出ないだろうなあというところでも、笑う方がいます。
狂言だから笑うもの・・・と、最初から決めて見ているのではないか、とふと思ってしまいました。

五雲会を観に行く

今年三月以来、半年ぶりの五雲会です。
例によって能が四番、狂言二番と盛りだくさんの番組ですが、今回は割合短めの曲が多くて、12時開演、5時終了というところでした。
しかも途中に10分ずつの休憩が三度あり、五雲会としては割合ゆったりと見られた感じですか。


曲は、能が今井泰行さんのシテで咸陽宮、山内崇生さんの生田敦盛、大坪喜美雄さんの鳥追、そして高橋亘さんのシテで熊坂。
狂言は高野和憲さんのシテで諜生種(ホウジョウノタネ)と竹山悠樹さんの酢薑の二番でした。


今回は咸陽宮と、鳥追がワキの活躍が観られる能になっていて、番組としても面白い組み方かなあと思ったところです。


ところで今回は最初の曲、咸陽宮に萬斎さんがアイとして出演の予定だったため「こりゃあ混むかもしれない」と、いつもよりかなり早めの電車ででかけました。
が、開場30分前に着いたところ、ほとんど並んでいる人がいません。
たしかに一番前にならんでいる三人は萬斎ファンの方らしく「今日で三日目よ」とか「あたしは四日目」などと話しておられましたが、萬斎ファンがぞっくりという感じではありません。
結局、開演になっても半分近くは空席だったような感じでした。


と、実は今回の最大のお目当ては、咸陽宮のツレ夫人に高橋憲正さんが出るというところだったのですが、この夫人、あんまり活躍する場がないんですよねえ。
なんか舞でもあると凄く良かったんですが・・・


個別の鑑賞記は明日から順次、更新をしていくつもりです。

咸陽宮 今井泰行(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2006.10.14
 シテ 今井泰行、夫人 高橋憲正
  ツレ 東川尚史 金森隆晋
  ワキ 殿田謙吉、アイ 野村萬斎
   大鼓 内田輝幸、小鼓 住駒俊介
   太鼓 大川典良、笛 成田寛人


シテが秦の始皇帝という、ある意味珍しい曲です。


まずは大小前に一畳台が持ち出されて引立大宮が立てられます。観世流ではなぜか台だけで大宮を立てませんが、それも一つの主張なんでしょうね。


続いてアイの官人が登場し「燕の国の地図と樊於期(ハンオキ)の首を持ってくる者には思いのままの恩賞を与える」と告げて狂言座に着します。
まず間狂言が登場して口上を述べる形の始まり方を狂言口開(キョウゲンクチアケ)と言いますが、唐服姿の萬斎さんが重々しく宣旨を触れました。
萬斎さんはこの咸陽宮のアイの後、目黒の喜多の能楽堂に移って、塩津さんの石橋でアイを演じる予定。ご活躍ですね。


さてこの曲は登場人物も多くて、狂言口開の後にシテの始皇帝の一行が真之来序という重々しい囃子で登場してきますが、シテ始皇帝のほかに、主ツレ(オモツレ)として花陽夫人、その侍女のツレがこの日は二人。ワキツレの侍臣が三人となかなかの人数。
さらに敵役として、ワキ荊軻とワキツレ秦舞陽が登場します。
これだけの人数になると舞台もいささか狭い感じです。


さて物語がどう展開するのか、これは明日に続きます

5000アクセス

気付いたら5000アクセスになっていました。


FC2での運用を開始して4ヶ月ほど。皆様のおかげでアクセス数も徐々に増えています。
どちらかというと初心の方向けに、鑑賞記というよりも曲目の解説的な記事が多くなっていますが、これはこれで私のスタイルということで、もうしばらくこんな形で続けてみようか、と思っています。


出来るだけ間違いはないように気をつけているつもりですが、勘違いや入力違いなどあり得ようかと思います。
もしお気づきの節は、コメントなどいただけると幸いです。


今後ともよろしくお願いいたします。

咸陽宮のつづき

シテの一行は主ツレの夫人を先頭にツレ侍女が続き、シテの皇帝、そしてワキツレ侍臣が登場し、夫人達はワキ座に、シテは一畳台へ、そして侍臣はワキ正側にならびます。これで咸陽宮の宮殿、阿呆宮という設定ですね。
シテが重々しく「そもそもこの咸陽宮と申すは・・・」とワキツレとの掛合いで謡いだします。今井さんの皇帝はなかなか貫禄がありますね。


ひとしきり落ち着くと、ワキ荊軻とワキツレ秦舞陽が登場してきます。
この二人、実は始皇帝を暗殺しようと狙っていて、恩賞のかけられた品を持ってきたと近づくわけです。
殿田さんの荊軻に大日向さんの秦舞陽ですが、お二人ともなかなかに力の入った演技。
橋掛りで一ノ松と三ノ松あたりに分かれて一セイ、サシ、上歌と謡って、いよいよ宮殿に向かいます。


いったん二ノ松あたりまで下がって、アイの官人に案内を請います。
さて案内を受けて二人は歩みだすわけですが、後ろから進む秦舞陽は「身体がわなないて進みかねる」と安座してしまいます。これを荊軻が立たせて再び歩みを進めますが、能にしては細かい設定ですね。


案内を乞われた侍臣達は、皇帝に二人が到着したことを報告すると、笛座前に移動。
代わって二人がワキ正に出て礼をします。まず秦舞陽が樊於期の首を献じるとして扇を広げて皇帝の前に進み、皇帝の右に座します。続いて荊軻が進み、今度は一畳台の左側に、二人で皇帝を挟むように座します。
ここでシテが「箱の底に剣の影・・・」と床几から立ち上がるのを、左右からワキ・ワキツレが袖を捉え、ワキが一畳台に差し込んであった剣を取ってシテの胸先へ当てます。
これはなかなかの見せ場ですね。


ツレの三人は「あさましの御事やな」とシオります。
さてシテがどうするか、この後は明日に続きます

咸陽宮さらにつづき

実は、以前にも書きましたが高橋憲正さんのファンでして、この咸陽宮も憲正さんを目当てに見に行ったというところも無きにしも非ず。
ただ、この主ツレの夫人。あんまり見せ場がないんですよね。


シテの皇帝は、死ぬ前に毎日聞いている花陽夫人の琴を聞きたいと言い、夫人が琴を弾くことになります。
しかし特段の所作があるわけではなくて、最初に夫人がサシを謡った後は、地謡が場面を謡っていく形。本当は憲正さんの舞の一つでも見たいところですが・・・
それはそれとして、この琴を聞くうちに、荊軻と秦舞陽が少しずつ顔を背け出し、やがて寝入ってしまった形となります。


この機をとらえてシテの皇帝は袖を振り払って立ち上がり、台を飛び降りて後見座へ向かいます。
ワキは剣を投げつけるなど立廻りの形になりますが、先にワキツレが、続いて奮戦を見せるワキが、切戸口から退場し、シテは正先で剣を打ち下ろして、拍子を踏んだ後、左袖を颯爽と巻き上げて、常座で留の拍子を踏みます。


取り立てて奥深いところのある曲ではありませんが、ワキ・ワキツレの見せ場も多く、ワキ方の習い物になっているそうで、それだけに写実的な演技となっています。
時々、こういう曲を見るのも面白いかもしれませんね。


・・・ところで、この項と直接の関係はないのですが、喜多の粟谷菊生さんの訃報に驚いています。先月、9月2日に日立での能と狂言の会で元気なお姿を見かけたばかり。今朝ほど、日経新聞の読んでいたら横浜能楽堂の山崎館長が書かれた追悼文を見つけて、それまで全く知らなかったので本当にビックリしました。
まさに惜しい方を亡くしたと思います。ご冥福をお祈りしています。

謀生種 高野和憲(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2006.10.14
 シテ 高野和憲、アド 野村万之介


謀生種(ホウジョウノタネ)と読みます。
謀生というのは嘘のことで法定と書いたりもします。「嘘のタネ」と、簡単に言ってしまうとそういう曲名ですね。
鱸包丁では、この謀生を包丁に掛けてさらに曲名でも遊んでいる感じで、包丁捌きの仕方話もあり、謀生を扱った狂言としてはこちらの鱸包丁の方が奥深い感じです。


しかしこの謀生種も簡単な構成ながら、狂言らしい狂言と言ったらよいのか、良く民話にある嘘比べを狂言にしたような素朴な味わいがあり、捨てがたいなあ、と思います。


シテは嘘つきの伯父を持った甥。いつも伯父の嘘に負けてしまうので、なんとか一泡吹かせたいと、嘘を考えて伯父を騙しにいこうという算段です。
一方、アドはこの伯父。


若さからくる勢いの甥と、年を経たことからくるのか一枚上手の伯父。この対比を高野さんと万之介さんの組み合わせで、面白く拝見しました。


狂言の筋を読んでも仕方ない。実際に見れば一目瞭然・・・の部分もありますが、嘘比べの一つの形として明日はこの狂言の展開を書いてみようと思っています。

謀生種のつづき

さて、伯父になんとか一泡ふかせようと嘘を考えてきた甥は、伯父を訪ねると、甲斐の国の富士の裾野の宿に泊った話を始めます。
この宿で、富士の山にカン袋を着せようという騒ぎになったという話。そんなことが出来るわけがないと騒いでいると、ある男が両手、両足、口に竹べらを持ち続飯(ソクイ)を練り始め山ほどの続飯を練った。さらに国中の紙を集めて、この紙を続飯で繋ぎながら富士山を包んでしまったという話です。
ちなみに続飯はご飯を練って作った糊のこと。


この話に、伯父は何事でもないように、近江の国の湖を茶に点てて飲み干した話というのをはじめます。
近江一国の者を集め、畿内中の茶を挽いて湖に入れて掻き回し茶にして飲み干したというわけです。しかもこの茶を飲む際に、たった泡をふーっと吹いては飲み、ふーっと吹いては飲んだので、その泡が固まったばしょをアワヅガ原というのだ・・・というオチまで付いています。
甥は粟津が原は、かの義仲の古戦場と指摘しますが、伯父は臆することもなく、その粟津の原のそばに新アワズガ原と言って去年できたのだと言う始末。


今度は甥が摂津で海の向こうの淡路の草を食うような巨大な牛を見た、と言うと、伯父は三里四方の太鼓を見たと返します。
甥が、そんな大きな太鼓に張るような皮はあるまいというと、お前が摂津で見た牛の皮だ。とこれまた伯父が一本。


さて伯父は、この甥をさらにからかってやろうと、自分がこんなに嘘が上手いのは嘘のタネ謀生種を持っているからだが、一粒やろうと言います。
これへ下されと甥が手を出すのを、庭に埋めてあると様々に掘らせてからかうという、ある意味、狂言らしい狂言ではないかと思います。

生田敦盛 山内崇生(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2006.10.14
 シテ 山内崇生、子方 近藤颯一郎
  ワキ 安田登
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸正昭
   笛 藤田朝太郎


修羅物なんですが、この曲は子方が出たりでちょっと雰囲気が違います。
金春禅鳳の作と言われていますが、なるほど子方を重視するというところは禅鳳らしい作品ということなのでしょうね。


敦盛を主人公にした能といえば、まずは「敦盛」がありますが、子方を出すことで全く違った面を表現した感じです。
喜多流以外の四流で現行曲としているようですが、金春流だと生田ですね。


さて、囃子方、地謡が着座すると、後見が紫の引廻しをかけた藁屋を持ち出してきます。シテが中に入っているわけですが、この藁屋が大小前に据えられます。
すると静かに、子方とワキが登場してきます。
囃子なしに登場してくるというのは、実は案外難しいのではないかなあ、と思っています。咸陽宮のアイもそうですが、なんにも音のない中で静かに登場するのは、逆に気が張っていないと格好が付かない感じがします。


子方、近藤颯一郎さんは近藤乾之助さんのお孫さんだそうですが、おいくつなのかなあ。随分と背丈が高いのですが・・・中学生になり立てくらいですかね。
角帽子の出家姿です。観世の装束附けでは襟が浅黄になっていますが、襟は赤で子供らしさを表現しているのかもしれません。


ワキの従者は安田登さん。
最近NHK出版の生活人新書シリーズで「ワキから見る能世界」という本を上梓されました。
さっそく買い求めて読んでいますが、なかなか面白い本です。
安田さんご自身については、また機会を見てどこかで書いてみたいと思っています。


さてこの子と従者を待ち受けているものは・・・明日につづきます

生田敦盛のつづき

子方とワキの二人が登場すると、まずワキの随行の男が子方の身の上を説明します。
法然上人が賀茂に参詣の折に二歳ばかりの子を拾ったが、さて十歳あまりに育ち、説法の折にこの子の父母のないことを物語っていたところ、聴衆の中から若い女が走り出て我が子であると名乗り出た。
父は亡き平家の公達、敦盛であると申し出たという話。


子方、敦盛の子は、せめて夢になりとも父の姿に会わせてほしいと、賀茂の明神に七日の参詣を続け、今日がその満参の日という設定です。
賀茂の社に参詣するという形で、子方が正先、ワキが斜め後に着座します。


子方は「ありがたや所からなる御社の」とサシを謡い出し、地謡が受けて父との再会を祈る様が謡われます。
すると子方は、夢になりとも父の姿を見たければ津の国生田の森へ下れとの霊夢を見ます。
そして早速に生田へ向かう道行です。


子方の颯一郎クンなかなかしっかりした謡ぶりで、安心して見ていましたが、気になって調べてみたところ初舞台は割合最近で三年ほど前の様子。あまり小さいうちからは舞台に出されなかったのかもしれませんね。


さて作り物の藁屋の方は、引廻しがとられて床几に座ったシテ敦盛の霊が姿を現し、人間の身のはかなさを謡います。
こういう場面でシテが謡うサシは、仏教的無常観を強く表した難しい言葉を連ねたものが少なくありません。
この曲も「五蘊本より皆空、何によって平生この身を愛せん」と始まりますが、これ耳で聞いているだけでは何を言っているのか分かりませんね。
雰囲気が伝われば良いのかもしれませんが・・・


つづきは明日に

親子の情愛・・・生田敦盛さらにつづき

現れた若武者の姿にワキは一体どういうことかと驚きますが、シテは自分は敦盛の霊であると明かします。
この名宣リに、子方は「我が父か」と駆け寄ります。


シテは山内崇生さん。なかなかに美しい若武者姿です。
我が子が僧形となっていることを哀れんで、平家一門の都落ちや一の谷の戦の有様を語りますが、このクセの部分もなかなかの見どころ。
さらに親子の対面を喜んで中ノ舞を舞います。


修羅物の多くは二場構成で、まずは怪しい老人が現れてワキの僧にさる武将の生前を語り、成仏を祈ってほしいと告げて姿を消します。
中入りの後に、その武将の幽霊が現れて古の戦いの様を見せ、さらに修羅道での苦患を現し、僧の読経によって成仏していくという形ですね。
したがって舞事も、戦いでの高揚感を示してカケリを舞うといった形が多いと思いますが、この曲では親子の情愛をテーマの一つに持ってきているためか中ノ舞。
修羅物としては珍しい展開ですね。


とは言え武者姿の中ノ舞もまた風情のあるもので、山内さんはまさに適役かと思いました。


しかしこの親子の情愛も長くは許されず、地獄からの使者が到来し修羅道の苦しみを見せることになります。
懇ろに弔いて賜び給え、と言い置いて姿を消すという次第。
やはり修羅物・・・ですね。

鳥追 大坪喜美雄(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2006.10.14
 シテ 大坪喜美雄、子方 佐野幹
  ワキ 工藤和哉、アイ 深田博治
   大鼓 國川純、小鼓 曽和正博
   笛 小野寺竜一


鳥追は五流にありますが、宝生以外では鳥追舟といいますね。
四番目物の人気曲の一つで良くできた能だと思います。


九州薩摩の「日暮の里」の領主である日暮の某は訴訟のために都に上り、はや十年以上が経っています。
残された妻と、子の花若は、日暮殿の家人である左近尉(サコノジョウ)の世話になっています。
しかしさすがに十年を過ぎて、左近尉ももう面倒が見切れないと、田の鳥追いをするか嫌なら出て行ってくれと迫ります。
これが物語の発端になりますが、シテはこの日暮殿の妻で、子方を伴っての登場となります。


一方、左近尉はワキ方が演じますが、やがて登場してくる日暮殿もまたワキ方です。
この両者はいずれも大変重い役で、どちらをワキにし、どちらをワキツレにするかは微妙なところ。流儀によって違ってきます。


下掛り宝生では、先に登場してくる左近尉をワキにしていて、この日は工藤和哉さんが勤めました。
一方の日暮殿は高井松男さん。ワキツレの扱いですが両ワキと言っても良い感じですね。


福王流だと左近尉がワキツレで、日暮殿がワキ。観世の謡本でも最初に出てくる左近尉にワキツレと表記されています。
隣の方が宝生流の謡本を広げていまして、失礼ながらそっと覗き込んでみたところ、当然のことですが左近尉に「ワキ」と表記されていました。
さて物語の展開は明日につづきます

鳥追のつづき

まず子方とシテが登場して地謡前に着座します。いわゆる出し置きです。
そして左近尉(サコノジョウ)が登場してきますが、昨日書いたとおり下掛り宝生なのでワキとして工藤和哉さんが素袍姿での出となりました。


左近尉は橋掛りで、主君である日暮殿が訴訟のため京に上ったままであり、その北の方と一子花若がいるが、この花若を雇って田に来る鳥を追わせようと思う、と述べます。
そして舞台に入りこの旨をシテに申し出るのですが、当然のことながら「主人の留守に、その一子に対して田の鳥を追えとは・・・」とシテは怒りを示します。


これに対して左近尉は、留守というのは五十日、百日、半年、一年ほどのことを言うもの。十年も主人のいない間に生活の面倒を見てきた自分は不義理な者だろうか、と反問します。
確かにこの話は左近尉に理があるように思えますね。
「砧」では、九州芦屋の某は三年に渡り訴訟で留守をしていますが、某を待つ妻は「今年も帰れない」という使いの話に病に伏せって亡くなってしまいます。それが十年ともなれば、随分な話かもしれません。
この当時は、こんなにも訴訟に長い時間がかかったのか、その間の領地経営はどうしていたのか、歴史的な興味もありますが、まずは話を先に進めます。


シテは、鳥追いをしないなら出て行ってくれという左近尉の言葉に、最後は花若ともども二人で鳥追いをすることにします。そしてシテ・子方の中入りと進みます。


入れ替わって次第の囃子で日暮殿が登場します。ワキツレとして高井松男さん、アイの従者を従えています。
ようやく訴訟がかなって帰国してきた訳ですが、なにやら鼓の音などがします。
アイに見に行かせると鳥追舟の由。見物していこうとワキ座に着します。
さてそのつづきは明日に・・

鳥追舟の母子・・・鳥追さらにつづき

日暮殿がワキ座に着座すると、後見が鳥追舟を持ち出してきます。
能の舟は、ご存知の方もおられると思いますが、竹で組んだ枠だけといったら良いようなものです。この舟に鳥追舟ということで、葉を付けた竹を前の方に立て、後方には鞨鼓を括り付けた台を立てて、この間に紐を渡して鳴子を四つ五つ下げたものです。
これはこれでなかなか風情があるのですが、後見が持ち出してきてワキ正に据えました。


後シテが子方を先にして登場し、左近尉が続いて素袍の肩を脱下げにして棹を手に登場します。そして順に舟に乗り込み、左近尉が舟を漕ぎ出す形になります。


ところで、竹や鞨鼓、鳴子などは舟の右舷、正面客席から見ると左側に取り付けられています。ワキ正側から見るとシテの姿はこうした作り物の向こう側になります。
この鞨鼓などを舟の右舷に置くのか左舷に置くのかは流儀によっても違うようで、確か観世流では左舷、正面席から見て右側にあったと思います。


この後、仕舞などでも演じられる鳥追ノ段につながっていきますが、これも舟から降りて舞う形と、舟に乗ったままで舞う演出と両方あります。
実は鞨鼓が舟の右舷にあるのか、左舷にあるのかは、この鳥追ノ段を舟の中で舞うのか、外で舞うのかにも関わってきます。
この日は舟の中でそのまま舞う形でした。これだと正面から見ているとシテが子方の後になり見難いし、動きも小さくなってしまいがちですが、しかし自然の流れとしては舟から降りるのも変ですし、制約された中でのシテの動きというのもまた能らしい雰囲気があるように思います。
いずれにしても微妙なところですが、それぞれに主張がありそうですね。


やがて日暮殿が鳥追舟を近づけよと呼び掛け、花若から事の子細を聞いて左近尉を討とうとします。しかしシテは、そもそも長年の留守が原因と日暮殿を諭し、ハッピーエンドとなるわけです。最後の謡では花若が家督を継いで栄えたとの文句があり、日暮殿、シテ、子方はそのまま幕に入って、左近尉が留めの拍子を踏む形。
なかなかに味わいのある一曲でした。

酢薑 竹山悠樹(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2006.10.14
 シテ 竹山悠樹、アド 月崎晴夫


酢薑というのは上演回数の多い曲で、この曲の鑑賞記ももう何度書いたか・・・という感じがしているのですが、この「能の花 狂言の花」のブログではまだ初めてなんですね。我ながらちょっとビックリです。


さて話はまずアドの薑(ハジカミ)売りが登場するところから始まります。
この薑、現在では生薑・生姜のことですが、古くは山椒もハジカミと言ったらしく、山椒を「ナルハジカミ」生姜を「クレノハジカミ」といった呼び分けもあったそうです。
この狂言の薑売りも、古い時代にはどうも山椒の皮を売っていた商人のことだったようなのですが、最近の解説では生姜売りとされているのが多いですね。


この登場した薑売りは、ひとしきり舞台を回るとワキ座あたりに座して休みます。
すると代わってシテの酢売りが登場してきます。この酢売りが売り歩く声に、薑売りが待ったを掛けます。
自分に許しがなく商売することはならない・・・という話。
なぜかとシテが問うと「からく天皇の御時に・・・」という系図の話を始めます。この天皇の時に自分の家の祖先が宮中に呼ばれ、商いの司を許されたという訳です。
しかも「唐門をからりと通り過ぎ」とか「唐紙障子をからからと」など、薑の辛いに寄せて「から」の付く言葉を様々に織り込んでの話。


これに対してシテの酢売りも「推古天皇の御時に・・・」とこちらも系図の話を始めますが、薑売りの「から」に対してこちらは「す」の付く言葉を様々に織り込みます。


前々から「推古天皇」は良いとして、薑売りの言う「からく天皇(からこ天皇とも)」はないよなあ、などと思っていたのですが、この曲、大変親しまれているからなのか、演出のバリエーションもたくさんあるようで、酢売りが「からこ天皇はあるまい」と突っ込みを入れる場合もあるそうです。
月崎さんの薑売り、実に良い感じに受け答えが進みます。
さてこの二人の物売りがどうなるか、これは明日に続きます

酢薑のつづき

この二人、喧嘩になるかと思えばさにあらず、いずれも怪しい系図を言い合った後は、秀句比べをしようという話になります。
この日の演出ではアドの薑売りが秀句比べを言い出すと、酢売りの竹山さんがスッと横を向き、自分は秀句が得意なのでしめたもの、という趣旨の台詞を言います。なかなか細かいですね。


ここから、二人が同道しながら、「から」と「す」のつく言葉を言い合うという、この曲の中心的な部分になります。


これもやり取りされる秀句には様々なバリエーションがあるらしく、本当は見る度に書き留めておくと後々面白いのでしょうけれども、ついつい流れを観て笑っているだけになってしまいます。
いずれにしても、それぞれが「から」と「す」のつく言葉を言うわけですが、ひとつ二つ言うと、二人で大笑いというのを何度か繰り返します。


結局、二人は意気投合して一緒に商いをすることになり、明日の約束をして分かれる前に、ひとつ二人で笑おうということで、舞台前方に進み出て二人で笑って留めます。
私としてはアドの月崎さんの笑いの方が、自然にこみ上げてくるような感じがして、好感を持てたところです。


この留めの形も、薑売りが先に退場し、シテの酢売りが何がしかの台詞を言って留める形や、シテとアドがそれぞれ言葉を交わして留める形など、様々あるようです。
それだけこの曲が好まれて演じられているということなのでしょうね。

熊坂 高橋亘(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2006.10.14
 シテ 高橋亘、ワキ 宝生欣哉
  アイ 竹山悠樹
   大鼓 原岡一之、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 三島卓、笛 寺井義明


この曲の主人公「熊坂長範」は、かの石川五右衛門と並び称せられる大盗賊で、平安末期に活躍したといわれますが、実は本当に実在した人物なのかハッキリしたことはわかっていないようです。
しかも大盗賊とはいうものの盗みの話などはあまり伝わっておらず、もっぱら、金売り吉次に伴われて奥州へ下る牛若丸・・・後の義経一行を襲ったものの、逆に牛若丸に討たれてしまったという話ばかりが有名です。


長範を主人公とする能は、この「熊坂」と、もう一曲「烏帽子折」との二曲が現行曲となっていますが、いずれもこの牛若丸に討たれたエピソードを中心に据えています。
ただし扱い方は全く違っていまして、この熊坂は夢幻能の形をとって、後シテ長範の霊が牛若丸に討たれた様を一人語り舞う形。


一方の烏帽子折は現在物で、シテの長範が子方の牛若丸や吉次の手下達と斬り組を演じる活劇仕立てになっています。
このため烏帽子折を「現在熊坂」と呼んだり、あるいはこれとの対比で、この熊坂の方を「幽霊熊坂」と呼んだりといったこともあるようです。


登場人物も、烏帽子折では牛若丸をはじめ吉次や弟の吉六、手下達など十数人が登場するのに対し、熊坂はシテ・ワキとアイの三人だけの構成。
同じテーマも料理の仕方で全然違った物になるという例ですね。
さて能の展開の方は、明日につづきます

怪しい僧侶・・・熊坂のつづき

まずは次第の囃子でワキの旅僧が登場します。
宝生欣哉さんも、どちらかというと小柄な方で、武将などの役よりも旅の僧といった役の方がなんとなく落ち着く感じがします。
なかなかに味わいのある謡で、都から近江路を通って赤坂の宿に着く様を謡いました。


するとシテの呼び掛け。
シテもワキも角帽子の僧形ですが、ワキの姿と比べるとなんとなくシテの方が怪しい感じを漂わせています。
しかも高橋さんデカい。
この春の夜討曽我の時も思いましたが、欣哉さんと並ぶとえらい違いです。
もっともこれが後シテではうまくはまった感じがしましたが、それは後ほどの話。


ともかく登場してきたシテとワキとの問答になります。
シテはとある古墳を示して、今日はさる者の命日なので回向をしてほしいと頼みます。しかも古墳の主が誰なのかとワキが問うても、シテは答えず、ただ回向を頼むだけ。
そしてシテがワキを自分の庵室に案内する形で、シテが正中、ワキは脇座に着座します。


ワキの僧が持仏堂を見回すと絵像や木像の形もなく、大薙刀や鉄の棒、そのほか兵具が様々に置かれている始末。ワキは不審に思ってその訳を尋ね、これに答える形で居グセになります。
高橋亘さんの声、不思議な声で魅力があるんですよね。
こういう謡の声をされている方が、他にも何人かいらっしゃるので、そういう技法なのかもしれませんが、倍音が混ざったような深みがあります。


やがてシテは立ち上がり、寝室に入ると見えたものの、姿が消え失せてしまう・・・と、ここで中入りになります。
しかしこの中入りまでの間には熊坂長範の名前は全く出てきません。赤坂の宿という地名のみが示されますが、珍しい形かもしれません。
中入りの後は明日につづきます

長範の幽霊・・・熊坂さらにつづき

シテの中入りに代わってアイが舞台に出て語ります。
赤坂の宿の者という設定で、このアイの語りで熊坂長範の名が出、その事績が語られます。そしてアイは長範への供養を勧めて下がります。


ワキが長範の供養をしていると後シテの出になります。
面は長霊ベシミでしょうか、半切に法被、頭巾を着けた重装備姿。これが大柄な高橋さんにやけにピッタリ合った感じで、迫力があります。


登場した後シテは橋掛りを進み、一ノ松で謡い、型を決めます。
さらに舞台に進み常座でワキに向かいます。
長範らしく長刀を持っての登場。


さらに舞台中央に進み、正中で床几に掛けて、ワキの問いに答える形で、吉次一行を襲った様を語り出します。
話が進むにつれ、床几に掛けたままの足拍子から、さらにシテは立ち上がって牛若丸との戦いの仕方話を進めます。


まあこの熊坂の最大の見せ場はこのあたりということでしょうね。
繰り返しになりますが、なかなかに迫力のあるシテ。宝生らしく、跳んだり跳ねたりというところはありませんが、面白く拝見しました。
最後は力も弱り「松陰にこそ隠れけれ」と留めの拍子を踏んで終わります。

 | HOME |  次のページ»

カレンダー

« | 2006-10 | »
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad