能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

拍合と拍不合・・・拍子のつづき

「拍合(ハクアウ)」と「拍不合(ハクアワズ)」と書きましたが、これは観世流の表記でして、金春流では「拍子合・拍子不合」と表記されていますし、金剛流では「拍子合・拍子ニ合ワズ」、喜多流では拍子に合わないところでは「拍子ニ合ハズ」と記されていますが、拍子に合うところでは「小ノリ」や「大ノリ」といった表記になっています。
この「ノリ」の話は明日にまた・・・。


なぜか宝生流の謡本にはこの「拍合(ハクアウ)」と「拍不合(ハクアワズ)」に類する文字の表記がありません。まあ雰囲気でわかるって言えば分かるんですが、ちょっと独特ですね。


拍子に合う部分では、何らかの形で囃子のリズムに合った形で謡が謡われます。
何らかの形、というのは昨日の喜多流の謡本の表記に出てきた「小ノリ、大ノリ」といった「ノリ地」の違いが大きく三種類あるからなのですが、この話は別途、明日にでもまたふれるとして、もう一つの形、拍子に合わない謡に話を進めます。


「拍子に合わず」というのは、文字通り囃子の刻むリズムとは合わせずに謡うということで、オペラのレシタティブに近いといったら良いのか、リズムとは直接に結びつかず、流れるように謡が謡われます。
一つの句では頭の方をゆっくりめに、徐々に流れるように謡って、句の最後をやや長めに引きます。


では全く囃子とは関係ないのかというと、そうでもないんですね。
大鼓と小鼓が手・・・ある決まりで組み立てられた一連のリズムを、例えば「ここでは三回繰り返すので、その間にこの一節を謡う」とそんな感じで緩く全体として合わせている感じなんです。
この辺りが能の音楽の、まさに能らしい部分と思うのですが、いかがでしょうか。


それでは拍子に合う部分は・・・これは明日につづきます

スポンサーサイト

平ノリ、中ノリ、大ノリ

拍子に合う謡には平ノリ、中ノリ、大ノリの三つの種類があります。
どうも喜多流では平ノリではなくて小ノリというらしいのですが、習ったわけではないので、多分そうだというとことろでお許しを・・・。


さて、この三つを説明するためには、まず能の拍子が八拍を基本にしているということをお話しておく必要があります。
拍子は八拍の繰り返しを基本にします。もちろんどんなものにも例外はあるわけで、トリ地やオクリ地、片地などといって、四拍や二拍で次の地に移ってしまうこともあります。とは言え、今回はそこまで詳しくお話するつもりはありませんので、ともかく八拍が基本とご理解下さい。


さて、日本語の韻文は七五調と言われるように、一句が十二文字から出来ていることがともても多いですね。いくつか謡の文句を思い出していただけると良いのですが・・・
例えば「葵上」の一節
「人の恨の深くして。憂き音に泣かせ給ふとも。生きて此世にましまさば。」
なども十二文字が基本になっています。


この十二文字を八拍にあてて謡おうとすると、基本は一拍に二文字を置き、適当に間を開けて辻褄を合わせることになるでしょう。この合わせた謡い方が平ノリということになります。
先ほどの葵上の一節は
「ひぃとのうぅらみのぉふかくして。うぅきねにぃなかせぇたもうとも。いぃきてこぉのよにぃましまさば。」
と一句について三カ所ほどを引いて謡うと十五文字分になり、次の句との間に一文字分の間を開けてちょうど八拍に合わせることができます。


一方、間を引かずに謡う場合もあります。
例えば海士の玉の段の一節
「南無や志度寺の観音薩埵(タ:パソコンの環境で表示できない場合もあるかもしれません)の力を合はせてたび給へとて。」は
「なむやしどじのかんのんさったのちからをあわせてたびたまえとて。」
と続けて謡います。聞いているとトントンと拍子が進む感じ。こうしたリズムの乗せ方が中ノリ、あるいは修羅ノリと呼ばれます。
修羅物で良く使われる謡方です。


そして三番目が大ノリ。
これは八拍に対して、一拍に一文字をあてて謡います。ゆったりと大振りな謡になります。
本当は増ブシ(マシブシ)といって、一文字を二文字分以上の長さで謡う節のことも説明しないと、正確ではないのですが、とりあえず三種のノリがあるというところを、今日は書いてみました。
能を観るときに、ちょっと気をつけると「あ、ここは謡方が違う」「これは大ノリか?」といった気付きがあるかもしれませんね。

天地人之会を観に行く

金剛流の天地人之会を国立能楽堂に観に行きました。
ちょうど国立競技場で、Jリーグナビスコカップの最終戦、千葉・鹿島の決勝戦があって千駄ヶ谷駅前は大混雑でした。


天地人之会は、金剛流能楽師の工藤寛さんの会で、東京金剛会での工藤さんの演能を観て、ぜひと思ってチケットをとっておいたものです。
工藤さんの望月の披キということで、能が二番、狂言一番の番組。
金剛宗家永謹師が、杜若に日蔭之糸と増減拍子の小書きをつけての上演。
それに工藤さんの望月。ワキは関西から村山弘さんを迎え、アイには萬斎さんという配役。
そして狂言は万作さん、石田幸雄さんの樋の酒。
と、まあ望月の披キを祝っての番組という感じです。


せっかくの会なのに空席がちらほら。ちょっともったいない感じですね。
どうしても国立能楽堂のスケールで、金剛や金春の会だと空席が出てしまう感じです。


しかし能も狂言も、それぞれに面白く拝見することができました。
望月の獅子、最後のところで装束が乱れてしまったのが大変残念でしたが、ハプニングに動ぜず最後までキチンと舞われたのはさすがにプロ。子方の熱演もあり、全体として良い能だったと思います。


附け祝言は、お祝いでもあり、樋の酒にちなんでということもあるのか、猩々のキリ。
私は飲めないクチですが「秋はやっぱり酒盛りだなあ・・・」と思った次第。

能役者、高橋亘さん

宝生流の高橋亘さんからコメントをいただきました。
いやあ、こうして公開しているのでプロの方が読むことも十分あり得るのですが、何分素人の戯言的な部分もあり、プロの方からみれば
「なに書いてんだか・・・」
と思われることも少なくないかなあ、と想像しています。
そんな中、コメントまでいただいてしまうと恐縮(しかも「デカい」なんて書いちまったし)でありますが、何分素人の道楽ですので、ご容赦のほど。


さてそのコメントの中で、高橋さんのお祖父さまにあたる、人間国宝、故高橋進さんが「能楽師なんて嫌な呼び名だね。能役者だよ。お客様に気に入られる役者にならなきゃ。」とおっしゃっておられたという話。さすがだなあ・・・と思うことしきりです。


高橋進さん(一端は「進師」と書いたのですが、上記の趣旨から「さん」に直しました)は、晩年の舞台を拝見したことがありますが、まさに宝生らしい素晴らしい芸の持ち主だったと記憶しております。
宗家も故英雄師の頃で、近藤乾三さんともども宝生の重鎮としてご活躍でした。


調子に乗って言わせて頂くと、能楽の場合、観客はかつては何らかの形で謡や仕舞の稽古を受けている素人がほとんどで、まさに「先生の芸を拝見する」的な形が多かったのではないかと思うのですが、昨今、そういう関係を離れた純粋な「観客」が増えてきているように思います。
私も、そんな訳であえて稽古するという関係を作らずに、現在のところは一観客に徹しています。
流儀も、シテの有名、無名、年齢にもこだわらず、気が向いた会を気が向いたように観ていますが、こんな見方をするようになってから、なんだか能楽が本当に面白くなってきたような気がしています。


さて高橋亘さん、来年は竹生島に来殿(他流では雷電)、忠信を演じられるとか。
これはなかなか楽しみであります。
一層のご活躍をお祈りしています。

杜若 金剛永謹(天地人之会)

金剛流 国立能楽堂 2006.11.03
 シテ 金剛永謹、ワキ 安田登
   大鼓 安福建雄、小鼓 曽和正博
   太鼓 桜井均、笛 中谷明


どうもこの杜若のような、草木や花の精をめぐる能っていうのは弱いんですよねえ。
と言いながら去年と今年だけでも四回ほど観てますが、五月の金春会で辻井八郎さんの杜若を観た鑑賞記でも書きましたように、同じ伊勢物語を下敷きにした世阿弥の名作「井筒」などと比べると、なんだか中途半端な印象もあります。
とは言え今回は金剛流。
金剛の杜若は初見ですし、日蔭之糸と増減拍子の小書き付き。舞金剛ともいわれる金剛流ですし、序ノ舞物をどう演じられるのか、楽しみにしていたところです。


まずは名宣リ笛でワキ安田さんの登場。
安田さんはロルフィングという身体技法をなさっていて、この関係での著書もあります。最近では「ワキから見る能世界」という本を上梓されていて、これがなかなか興味深い本です。
それはさておき、登場したワキは諸国一見の僧であると名宣リ、東国行脚の旅に出て三河の国にたどり着いたと道行を謡います。


三河の国八橋は杜若の名所、ワキが眺めているとシテの女が呼び掛けながら登場してくるという趣向です。
衣装の唐織りには八橋の文様が描かれている様子でした。


永謹さんは大柄で、声も低音が良く響く謡をされます。しかしそれが女を演じる上での違和感にならないところが、また能の不思議なところですね。
このつづきはまた明日に

華麗さを増す小書き・・・杜若のつづき

登場したシテは、この場所は八橋と言って杜若の名所であり歌にも詠まれていると告げます。ワキは誰の歌かと問い、シテがこれを受けて伊勢物語の話を展開するわけです。
伊勢物語九段の東下りは古文の教科書にも出ていましたし、大変有名な一節ですが、これを杜若の精が示すというところが、この能の主眼でしょうか。


シテの女は素性を明かさないままに、ワキ僧を自らの庵に誘います。
シテに伴われてワキは庵を訪れます。ここで物着となり、囃子の打つゆっくりとした物着の手のうちに、後見座に向かったシテは長絹と初冠を着けます。
長絹は高子の后のもの、初冠は業平のもの、この両方を杜若の精が着けることによって、シテは杜若の精であるとともに、業平、そして高子の三つが重層的に重なった意味を持つことになります。


今回の杜若には日蔭之糸と増減拍子の小書きがついています。
どちらも金剛流だけの小書きで、日蔭之糸の小書きがつくと物着で着ける初冠に梅の心葉と日蔭之糸が着けられます。
日蔭之糸は紅色の絹紐でした。
神社の巫女さんが神事などの時にもこの日蔭之糸を着けたりしますが、たしか白か青の色のものが普通だったように思います。古くは日蔭の蔓と言って植物を用いたという話を聞いたことがあり、そちらがもともとの形のように思います。
日蔭之糸という小書きは金剛流だけにしかありませんが、初冠に日蔭之糸や心葉を挿す形は他流でもみられます。心葉というのは冠に挿す梅などの花を言いますが、これも藤を挿す流儀もあり、最近では杜若そのものを挿す場合もあるようです。


金剛の場合、日蔭之糸の小書きと増減拍子の小書きは両方つくのが通例と聞きましたが、日蔭之糸が装束の小書きであるのに対して、増減拍子は舞の小書きになります。
明日はこのつづきを

舞金剛・・・杜若のつづき

増減拍子の小書きは、クセの「一度は栄え。一度は衰ふる」のところで、「栄える」という陽の言葉が入った句「ひとたびは栄え」で陰の拍子を、「ひとたびは衰ふる」の陰の句で陽の拍子を踏むという小書きです。
いくらなんでもこれだけではありませんで、さらに序ノ舞が盤渉調に変わり、イロエの位置も常のクセの前ではなく、序ノ舞の後「昔男の名を留めし」のところに入る形に変わります。
さらにイロエからシテは橋掛りに入り、勾欄越しに杜若を見回す型が入ります。


序ノ舞が盤渉調になったり、イロエの位置が変わったりする演出は、観世や宝生の小書きにもあります。
杜若の面白さを引き出そうとして、各流ともに様々に試みが行われたのでしょうけれども、序ノ舞を盤渉にしたり、イロエを変化させるという形が、多くの支持を得たということなのでしょう。


確かにこの日も、私自身、序ノ舞が初段に入り盤渉調に調子が上がった辺りから、舞に引き込まれまして、最後まで面白く拝見することができました。
永謹さんの舞は、大柄な方だけにゆったりと大振りな感じで、舞金剛の名に値する雰囲気を醸し出しています。
昨年拝見した通小町とは、また全く違った雰囲気で楽しむことが出来ました。


杜若も存外悪くないな・・・と、だんだん思うようになってきています。

樋の酒 野村万作(天地人之会)

和泉流 国立能楽堂 2006.11.03
 シテ 野村万作
  アド 石田幸雄、竹山悠樹


これは楽しい狂言で、主人の留守に太郎冠者と次郎冠者が酒を飲んでしまうという、棒縛りに似た構成の曲です。


用事の出来た主人は、太郎冠者と次郎冠者を呼び出して米蔵と酒蔵の番を言いつけます。
太郎冠者には米蔵の番を、次郎冠者には酒蔵の番を任せて出かけていきますが、この使用人達がそのままおとなしく見張りをしている訳もなく、酒蔵の番をしている次郎冠者が早速に酒を飲み始めます。


この様子をうかがっていた太郎冠者が「自分にも飲ませろ」と言い、とはいえ番をしている米蔵を離れることも出来ないために、何か良い思案はないかと二人で考え込みます。
と、次郎冠者が竹の樋を持ち出してきて、これを米蔵に渡して、酒を樋に流し太郎冠者に飲ませるという算段を思いつくわけです。


この酒を飲む所作、シテ太郎冠者の万作さんの芸、また飲ませる側の次郎冠者、石田さんの芸、いつもながら観ている方が心から楽しくなってきます。
私は何度も書いていますがほとんど飲めないクチなので、酒を飲んで「うまい」という感覚が今ひとつつかめないのですが、万作さんの表情を観ていると本当に美味しそう。
あれは一つ飲んでみたいよなあ・・・と思わせる芸ですね。


酔うにつけ、せっかく頑張っていた米蔵の番も放り出して、太郎冠者も酒蔵に合流し、二人で酒盛りを続けることになります。
さてこのつづきはまた明日に

樋の酒のつづき

二人が小謡を謡ったり、舞を舞ったり、酒盛りで盛り上がっていると、主人が帰ってきます。
帰ってきてみれば米蔵は無人、酒蔵では二人が酔っぱらっています。
橋掛り一ノ松辺りが米蔵の設定ですが、そこから舞台を見やって、二人の様子に主人が怒って酒蔵にやって来ます。


この後は例によっての騒動になり追い込みの形になりますが、ちょっと凝っているのは、先に次郎冠者が幕に入った後も、シテの太郎冠者が舞台に残り「この間にもう一つ」とさらに酒を飲もうとするところ。
主人は気付きますが、なにやら理屈を言いながら、さらに一献飲み干して太郎冠者も幕入りとなります。
いや、これは楽しめました。


この曲、大藏流では明治以降廃曲の扱いになっているそうですが、時々演じられている様子。今年も山本家で上演されているようです。
大藏の場合はいささか筋が異なっていて、太郎冠者と次郎冠者は常々悪さをするので、主人は出がけに、それぞれを米蔵と酒蔵に閉じこめていってしまいます。
このため二人は別々の蔵に閉じこめられたまま、まさに樋を通じて酒盛りを行うわけで、この別々の蔵の中で酒宴を行うというところが見せ所になっているようです。


樋の酒という題からみても、こちらの方が古い形ではないかと思いますが・・・

望月 工藤寛(天地人之会)

金剛流 国立能楽堂 2006.11.03
 シテ 工藤寛、ツレ 元吉正巳
  子方 山根あおい、ワキ 村山弘
  アイ 野村萬斎
   大鼓 柿原光博、小鼓 観世新九郎
   太鼓 小寺佐七、笛 槻宅聡


敵討ちは、日本の文化わけても演劇では避けて通れない重要なテーマの一つではないかと思います。
日本の三大敵討ちというと、曾我兄弟の仇討ち、鍵屋の辻の決闘そして赤穂浪士の討ち入りの三つですが、歌舞伎ではいずれもが劇化されているのに対して、能の場合は室町期から式楽という体制側の芸能になっていたために、江戸時代になってからの鍵屋の辻や赤穂事件は取り上げられていません。
一方曾我物は、事件が起きたのが1193年と鎌倉時代初期の話でもあり、好んで能にも取り入れられた様子で、小袖曾我や夜討曾我など数曲が現行曲としても残っています。
おそらく敵討ちの話というのは大衆受けしたということなのでしょう。


能には曾我物以外にも、放下僧など敵討ちをテーマにした曲がいくつかあり、それぞれ人気のある曲ですが、この望月はそうした敵討ち物の中でも、なかなか良くできた曲だと思います。


この曲ではツレによる盲御前の謡、子方の鞨鼓の舞、そしてシテの獅子と三人三様の芸尽くしの形に構成されています。この芸尽くしと敵討ちの話が絡み合っての展開ですから、人気のある曲になるのもうなずけるところ。
ただし上演回数は大変多い・・・という訳ではありません。


というのもこの曲では獅子が舞われることもあって、重い扱いの曲になっているから。シテの工藤寛さんもこの日が披キでした。
獅子は石橋(シャッキョウ)とこの望月にしかありません。金剛流だけにはこの他にも獅子が舞われる内外詣(ウチトモウデ)という曲がありますが、ともかく大変重い扱いになっています。
そんなわけで囃子方、地謡も裃を着けての上演でした。
さて曲の次第は明日につづきます

望月のつづき

地謡・囃子方が着座すると静かにシテの出になります。
度々書いていますが、出の囃子無しに登場するというのは難しいのではないかと思います。
シテの工藤さん、ゆったりと振る舞い、格調があります。
名乗った後に、主君の安田友春が望月秋長に殺され、難を逃れた自分はここ近江の国、守山の宿で兜屋という宿屋の主人になっていると語ります。


・・・おっ。そうなんです。観世流で望月を見慣れている方は、不思議に思われるかもしれませんが、最初に登場した時点でシテは自らの素性や事の経緯を語ります。
観世では、登場したシテは「近江の国 守山の宿、甲屋の亭主である」と名乗りますが「さる子細あって」というだけで、子細を語らずに、ツレ・子方の出を待ちます。


これ、どうも観世流の方がいつかの時点で詞章や演出を直したらしく、金剛流以外の各流でも、登場したシテは事の子細を語る形になっているようです。
亡くなった主君の名前、安田友春も、観世では安田友治ですし、兜屋も甲屋と違っています。他にも違いがありますが、それはおいおい


さてシテの名宣リに続いて、次第の囃子でツレ(友春の妻)と子方(友春の遺児 花若)が登場します。
ツレと子方は故郷の信濃の国を離れ、守山の宿に着いたところ。宿を求めて兜屋を訪ねます。
シテは二人を招じ入れると、独り言の風で「なんと不思議のことに、宿泊を求めてきた客は、亡き主君の北の方と、遺児花若である」と述べて、あらためて二人に名乗ります。
シテが独白する形は狂言では普通ですが、能ではあまり見かけませんね。


それにつけてもたまたま宿屋の主人になっていると、そこへ亡くなった主君の妻子が泊まるというのも、随分上手くできた話ですが、さらに驚いたことには、そこへ主君の敵、望月秋長までもがやってくるという話。
さてこのつづきはまた明日に

望月の登場・・・望月さらにつづき

ワキ望月秋長とアイの従者が次第の囃子で登場します。
安田友春と争ったため取り上げられた領地を、ようやく本領安堵してもらい故郷に帰る途中、守山の宿に泊まるという設定です。


宿を取れと命じられたアイが、良さそうな宿ということで兜屋をに決め、亭主に案内を乞います。このやり取りの中で、望月から「名を明かすな」と言われていたにもかかわらず主人の名を聞かれて「望月の秋長」と言ってしまい、あわてて「・・・ではおりない」と打ち消します。


現在物ではアイが重要な役回りをする曲が少なくありません。この望月もそうした曲の一つですね。作者不詳でいつ頃作られた曲なのかわかりませんが、活劇としても面白い構成です。萬斎さんのアイは、とぼけた雰囲気を出しつつ、しかも軽すぎず、能の展開に深みが増した感じです。


シテの亭主は「言語道断のこと・・・」と驚きます。亡き主人の妻子に加え、敵までもが同じ日に泊まりに来るという偶然。さっそく主人の妻子に報告におもむきます。


この辺りの立ち位置の処理は能らしい約束事ですが、先に登場してきていたツレと子方は地謡前に座しています。ワキとアイはシテに案内される形でワキ座に座します。要はワキ、アイ、ツレ、子方の順に並んだ形になるわけですが、あくまでもワキ一行と、ツレ・子方は別の部屋に通されているという設定。
したがってシテはあらためてツレと子方に呼び掛けて橋掛りに誘い出し、ここで望月秋長がやって来たと告げるわけです。


子方が勢い込んで、望月がやって来たのかと問い返します。
子方の山根あおいさん。いくつくらいかなあ、大変しっかりしたお子さんです。余程に稽古もされたのでしょうけれども、最後まで見事に勤められました。
上手だなあ・・・などと思っていたらついつい涙腺が緩くなりそうな気配。我ながら歳かな、などと思ったり。
さてこの項、もう一日つづきます

観世九皐会11月定例会を観に行く

とある方から九皐会のチケットを頂くという幸運があり、一年ぶりに九皐会を観に出かけました。お陰様で心から感謝しております。
矢来の能楽堂は9月の円満井会でもお邪魔していますが、舞台と客席が近い分、一体感が増すような気がしますね。


曲は遠藤六郎さんの佛原と佐久間二郎さんの船辨慶、狂言が山本則俊さんで昆布売でした。


佛原は平家物語に出てくる佛御前の霊が主人公の曲であまり上演回数の多くない曲。
前にもご紹介した大角征矢さんによる「観世流演能統計」だと150位。観世流では年に一度くらいの割で上演されるかなあ、という程度です。宝生は現行曲としていないようですし、他流でもほとんど上演されていないのではないでしょうか。


一方の船辨慶は圧倒的な人気曲。まあ、実に良くできた構成の曲ですし、当然といえば当然なのですが、観世流だけでも年に20回を超える上演があるようです。


それぞれの鑑賞記録は例によってまた明日から書いていきたいと思います。
今日はこの後、望月の最後の部分をアップしようと思っています。

獅子の舞・・・望月さらにつづき

シテは謀って、ツレが盲御前に扮して望月に近づくことにします。
三人は望月の部屋を訪ね、酒を供し、盲御前の謡を聞かせることにします。ツレは曾我物語の一節を謡おうとしますが、まさに敵討ちの話でして、アイは止めようとします。ワキはこれを許して謡が始まりますが、最後の「敵を討たせたまへや」の句に重ねるように、子方が「いざ討とう」と叫びます。山根あおいさん、ここもなかなか上手い。


すかさずワキとアイが刀に手を掛け身構えますが、ここは活劇としても見せ所。
シテの「八撥を打とうということ」との取りなしで、今度は子方が鞨鼓の舞を見せることになります。
一方シテは獅子舞を見せることになり、用意をすると言って中入りになります。


アイの短い立ちシャベリの後に、子方の鞨鼓の舞。これもなかなか上手です。
舞上げた後に、子方が一句謡って幕を見込むと乱序の囃子。石橋と同じ獅子の出の形で、一度幕を半分上げてシテの下半身を見せ、幕を下ろした後、あらためて幕が開いて後シテの出になります。(これを半幕といいます)
観世流では鞨鼓が終わるとすぐに乱序が始まり、子方の謡がありません。微妙に違いますね。


石橋は伝説の霊獣である獅子が現れて舞うという設定ですが、望月はあくまでも人間が獅子の舞をするという形のため、赤頭も短く金無地の扇二枚と緋縮緬で獅子頭らしい形を作ります。金剛流だけにある内外詣も、神官が獅子舞を舞うという設定なので、望月と同じ装束ですね。(一度テレビですが観たことがあります)


シテの獅子舞、石橋のように一畳台上で舞うようなスリルはありませんが、勇壮な雰囲気で楽しめます。惜しむらくは最後の方で獅子頭がずれてしまったことですが、最後まできちんと舞上げました。
舞上げると「余りに秘曲の面白さに」望月が盃を重ねて眠ってしまったとの地謡になり、シテは衣を被って伏せて、ここで獅子頭を取って白鉢巻きの姿に変わります。


観世流だとこの間にワキは笠を残して切戸口から退場してしまいますが、他流だとワキは寝入った形のまま座し、準備の整ったシテと子方がワキを襲って胸倉を取る形になります。その後、ワキは笠を残して退場、シテと子方が笠に斬りつけ敵討ちの成就で留めになります。
観世流も古式の小書きが付くと、ワキがすぐには退場せずに他流と同じ形になるようです。古式というくらいで、こちらがもとの形ということですね。


いささか鑑賞記も長くなってしまいましたが、盛りだくさんの曲で、大変面白く鑑賞しました。工藤さんの熱演、子方の好演、ワキ、アイそれぞれに活躍があり、工藤さんの能はまた観てみようと思っています。

佛原 遠藤六郎(観世九皐会11月定例会)

観世流 矢来能楽堂 2006.11.12
 シテ 遠藤六郎、ワキ 宝生欣哉
 アイ 若松 隆
  大鼓 柿原崇志、小鼓 幸正昭
  笛 藤田大五郎


昨日も書いたとおり、あまり上演回数の多くない曲。初見であります。
平家物語によると、白拍子の妓王は清盛に気に入られ、妹の妓女ともどもに寵愛を受けていますが、やがて若くて美しい佛御前が登場して清盛の寵愛がそちらに移ってしまいます。
妓王、妓女の姉妹は清盛から追放され、母の刀自ともども嵯峨野に身を隠しますが、ある日、その妓王を佛御前が訪ねてきます。妓王・妓女をみて明日は我が身、と思った佛御前は清盛のもとを離れ、妓王達とともに出家して尼となります。


観世にはありませんが妓王という曲もあり、こちらではシテの佛御前がツレの妓王ともども清盛の前で舞を舞うという現在能もあります。


妓王・妓女の物語は割と有名ですし、滋賀県にある妓王寺の由来にもなる話です。そういう意味では、もう少し注目されても良い曲のような気もしますが、今ひとつ盛り上がりに欠けるというか、序ノ舞物で美しくはあるものの、せっかくの物語性がうまく活かされていない印象がありますね。


さてまずは次第でワキ、ワキツレの一行が登場します。
都の僧達ですが、白山禅定のため秋深くなった白山を訪ねゆく途中、加賀の国、佛の原にたどり着きます。
うかつにも私、現代と同じ白山禅定(ハクサンゼンジョウ)と読むとばかり思い込んでいたのですが、きっちりシラヤマゼンジョウとワキの謡。白山はすべてシラヤマ。たしかによく見れば、謡本の白山のところに小さく「ラ」と書いてあります。
もっともシラヤマでないと、道行の「遙々と越の白山知らざりし」が掛詞になりませんよね。


さて草堂に一夜を過ごそうとしていると、里の女が呼び掛けてきます。
このつづきはまた明日に

佛原のつづき

現れた女は、今日は今は亡きある人に縁のある日、ぜひも供養に読経してほしいと頼みます。


シテの遠藤六郎さんは九皐会の重鎮。たしか新潟県長岡のご出身だったかと思うのですが、渋い芸風です。


ワキは当然の事ながら誰を弔うのかと尋ねます。
ここでちょっとハプニングがあったのですが、気付かれた方もあまりいなかった様子なので、続けますと・・・シテは、昔、佛御前という白拍子がこの地より出でて都に上り有名になったが、後に故郷に帰ってここで亡くなった。その跡がこの草堂と告げます。


さては佛の原という地名も昔を留める名残かと、ワキは供養を行うこととし、さて佛御前の物語を語ってほしいとシテに問いかけます。


クリ、サシ、クセと佛御前、そして妓王、妓女の物語をめぐって謡が続きます。
クセは居グセ。しみじみとこの物語を聞かせるという趣向でしょうか。謡とし聞くとなかなかに趣のある曲ではあります。
しかもなんだか謡が難しい。地頭は観世喜正さんでしたが、こりゃあ素人じゃ謡えないなあ、という感じです。


さてその物語も終わり、ワキはシテに、自身は一体どういう人なのかと問います。
シテは「草堂の主は佛よ」と言い置いて草堂の中に入り中入りとなります。


つづきは明日に

7000ヒット

本日、7000アクセスを超えました。
ほとんど毎日、ご来訪頂いている方もいらっしゃるようなのですが、本当にありがとうございます。


鑑賞記以外の、能楽を巡る豆知識のようなものは、だんだんタネが少なくなってきている感じなのですが、能楽鑑賞自体は当面、今のような調子で続けて行ければと思っていますので、鑑賞記の部分はしばらく続けられそうかなあ・・・と思っています。


振り返ってみれば、学生時代に能楽に接するようになってから三十年以上になります。
途中、鑑賞からも遠ざかっていた時期もありますが、最近は「我ながら本当に能楽が好きなんだなあ」としみじみ思ったりしています。
昔の記録も取っておけば良かったのですが、ないものは仕方ありませんので、せいぜいこれからも楽しみながら鑑賞記でも書いていければと思っています。


5000アクセスから7000アクセスの間では、宝生流の高橋亘さんにもコメントをいただきました。これも記念になるエポックでした。


さて今夜もまた、鑑賞記のつづきを書こうかと思います・・・

佛原・・・さらにつづき

中入りの後、アイの語りがあります。
三番目物らしいノーマルな展開ですね。


ワキの待謡に引かれるように後シテの出。一声で出てサシを謡います。
白拍子の姿ということで、緋の長袴に白地の長絹、風折烏帽子を着け、太刀をいた姿での登場。優美な雰囲気を醸し出します。
観世流では緋の大口が標準的な装束附けと思いますが、長袴に太刀をくというのは、より白拍子の姿を強調したということでしょうね。


後シテは登場すると短い謡の後序ノ舞に入ります。
ゆったりと昔をよみがえらすような舞。さすがに間もなく80歳になられる遠藤さんなので、流れるような動きという訳ではありませんが、一つ一つの型が美しい形にきまる感じです。
序ノ舞を舞上げて大ノリでの地謡との掛け合い、そして平ノリに替わって留める形。
後場も物語的にはさしたる盛り上がりはありませんので、序ノ舞を見せるのが最大のポイントということでしょう。


せっかく物語性のあるテーマを置いている割には、盛り上がりの少ない曲ですが、序ノ舞の美しさ、白拍子の儚さが出せればそれで良しということかもしれません。
ある意味で教科書的な感じで、三番目はこのような作り方というのにキチンと沿った能ですし、謡も聞いてみるとなかなかに深みのあるものですが、その割には面白さというのが、いささか欠ける感があります。
どうも佛御前という名前自体が大変に暗示的なので、逆に上手く物語を作れていない感じもしますね。
(90分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

昆布売 山本則俊(観世九皐会11月定例会)

大藏流 矢来能楽堂 2006.11.12
 シテ 山本則俊、アド 山本則秀


昆布売はこのブログでも、6月の潤星会の際に万作さんのシテで観たものの鑑賞記を書いていますが、今回は大藏流。流儀の違いなどにもふれながら、書いてみようかと思います。


まず最初にシテとアドについて。
実は私どこでどう勘違いしたものか、この昆布売は、大藏流では大名がシテで昆布売がアド、和泉流では昆布売がシテで大名がアドと思い込んでいました。
それが、6月の万作さんの昆布売の際に万作さんがシテで大名を演じておられるのを観て「おや?」と思ったのですが、野村家は特別か・・・と、変に納得しておりました。


しかし今回の大藏流山本家の昆布売では、シテ則俊さんが昆布売でアドの則秀さんが大名ですので、これは最初の思い込みが全く逆だったということですね。


というわけで、まずはアドの則秀さんが素袍に洞烏帽子の大名姿で登場「これはいずれもご存知の者でござる」と名乗って狂言が始まりました。
自ら太刀を持っての登場です。これがこの曲の鍵になっていますね。


一方、シテの則俊さんは通常の上下姿、登場すると「若狭の小浜の召しの昆布売り」と名乗ります。
なんでも北海道で採れた昆布が、若狭の小浜で陸揚げされ、ここから京などへ売りに出ていたらしいのですが、足利将軍家に献上されたことから「召し」の昆布と言われるようになったとか。由緒正しき昆布売ですね。


さてシテとアドのやり取りは明日につづきます

昆布売のつづき

アドの大名は、下人をすべて用事に出してしまったため、出かけるのに太刀持ちがおらず、自分で太刀を持つ羽目になったもの。
たまたま道で出会った、シテの昆布売に太刀を持たせようとするわけです。


持たされる方は良い迷惑ですが、昆布を全部買ってやるという大名の申し出で、太刀を持つことになります。


しかし太刀を持ったを幸いに、嬲られたと怒った昆布売に大名が散々に弄ばれることになるわけです。


昆布売は大名に「昆布を売ってみよ」と言うわけですが、この際に節を付けて売れと注文をつけます。
和泉流では謡節や浄瑠璃節、踊り節と節を変えて売ることになりますが、大藏流では平家節、小歌節、そして最後は同じく踊り節で売ります。


最後のにぎやかに大騒ぎするという形は、やはり踊り節が適当だということですね。


浄瑠璃節は一番遡っても1500年代の初頭。万作さんの昆布売では三味線の真似を入れていましたが、三味線が浄瑠璃に取り入れられてくるのは1600年に近い頃になってからのようです。
一方の小歌は1500年代初頭の閑吟集が白眉といわれるように、もっと古い時代の芸能ですから、そこからだけ考えると大藏流の方が古い形で、その後、浄瑠璃の流行などを取り入れたということなのかも知れません。


なにはともあれ、最後は踊り節で大騒ぎし、太刀ばかりか刀まで取って昆布売が逃げていくという、なかなか面白い一曲です。
(30分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

船辨慶 佐久間二郎(観世九皐会11月定例会)

観世流 矢来能楽堂 2006.11.12
 シテ 佐久間二郎、子方 奥川恒陽
 ワキ 宝生欣哉、ワキツレ 大日方寛、芳賀俊嗣
 アイ 山本則秀
  大鼓 上條芳暉、小鼓 森貴史
  太鼓 助川治、笛 小野寺竜一


これはもう人気曲ですし文句なく面白い能といって良いと思います。
前シテが静御前、後シテは打って変わって平知盛の幽霊という、一人のシテが男女を演じ分ける面白さもあり、しかも前シテではイロエから中ノ舞を見せ(序ノ舞の場合もありますが)、後シテでは一変して早笛で走り出て舞働き、長刀を使っての豪壮な動きを見せます。


佐久間さんは九皐会の若手でも安定感のある方で、昨年は熊坂を拝見しましたがこれも大変印象が良いシテでした。
子方も重要な役所ですが、奥川恒陽くんは同じく九皐会の奥川恒治さんのお子さん。昨年は七騎落と邯鄲で拝見しましたが、堂々とした舞台です。将来が楽しみ。


さて舞台の方は、まず子方の義経とワキの弁慶、ワキツレの郎等が次第の囃子で登場します。頼朝と不和になったため西国におもむくこととして、津の国の「大物の浦」に着いたと謡います。


子方はワキ座に置かれた床几に腰を下ろし、さて物語がはじまりますが、このつづきはまた明日に

静の舞・・・船辨慶のつづき

ワキの一行は、アイの船頭を呼び船の用意を頼みます。
そしてここまで同行してきた静を都に帰すこととして、シテの静御前を呼び出します。


前シテ静御前の登場、三ノ松あたりでワキと問答の後、舞台に入り子方の義経と語らって別離を覚悟する流れになっています。
そしてその門出を祝う舞を、ということで物着で烏帽子を着けイロエになります。


この後はシテの語り舞。越王勾践の臣下陶朱公の故事を引いて舞います。ここは私の大変気に入っているところ。
陶朱公はもとは范蠡といい、呉との戦いに敗れ会稽山に逃げ込んだ越王勾践を助けた話は有名です。
南北朝時代の武将児島高徳が、隠岐に配流される後醍醐天皇を励まそうと桜の幹に刻みつけた詩「天、勾践を空しゅうすることなかれ、時に范蠡なきにしもあらず」でも知られています。(もっともこの話いささか怪しいようで、いつぞや高島俊男さんの「お言葉ですが」を読んでいたら、その辺りの考証が書かれていました)


この范蠡、勾践が覇をとなえた後は身を退いて陶朱公と名乗り商人になってしまいます。
クセの謡「功なり名遂げて身退くは天の道と心得て」は、学生時代に初めて聞いたときからずっと心に残っている詞章。人間引き際が大事で、一つの仕事を成し終えたらそこにしがみつかないようにしたいもの、と常々思っています。


それはさておき。このクセに続いて中ノ舞を舞い、中入りになりますがこの辺りもなかなかの見せ場です。
前場だけでも十分に楽しめる能なのですが、贅沢なことに後場まであります。


アイの立ちシャベリから船の準備となり、いよいよ弁慶一行は船出となります。
さてその後は、明日につづきます

船辨慶さらにつづき

アイは幕に走り込んで船の作り物を持って走り出てきます。
この日の則秀さんも、わずか10秒ほどで船を持って戻ってきました。


私は観たことがありませんが、狂言の小書きで早装束というのがあり、この船を持っての出入りに装束も替えてあっという間に登場して来るのだそうです。
このブログにも時々コメント頂いているあめみこさんが、萬斎さんの演じた鑑賞記を書いておられますので、参考にさせて頂きました。


さて一行は船出しますが、風が出て波が寄せて来る次第。アイは肩を脱ぎ波頭という急な調子の囃子に合わせて懸命に漕ぎます。
しかし風向き悪く、ワキが橋掛りを見込んで「あら不思議や海上を見れば」と平家一門の霊が浮かび出たことを示します。


囃子は早笛になり、手に長刀を持ち太刀を帯びた後シテ、平知盛の幽霊が走り出ます。
後シテの「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり」という名乗りは有名ですが、ぞくっとする感じがします。


義経一行を海に沈めようと、波を蹴上げ、長刀を扱いながら舞働きへと続きます。
この後は子方義経とシテの斬り合い、さらにワキが数珠を揉んでの活劇となります。
シテの佐久間さん、長刀の扱いには自信を持っておられる様子。ちょっとした所作に自信のほどがうかがえます。
そういえば、以前観た熊坂も長刀物でしたね。


ともかく「大変面白い」と言って良い能でして、初めて観るならお勧めの一曲でありますね。
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

よく分からない能面の話

能楽にまつわるあれこれを書いていながら、ほとんど触れてこなかったのが能面。
正直のところ、よく分からないんですね、私。


まず種類が良くわからない。
若い女の面である小面(コオモテ)と姥を並べられれば、さすがに違いは分かりますが、やれ若女だ、孫次郎だとか、微妙に違う面がいろいろとあって、舞台で見てもさてあれがなんだったのか、今ひとつ分からないということが少なくありません。


しかも流儀によって主張が違うのか、同じ曲でも観世ならこれで、宝生ならこれ・・・といったような使い分けもあります。


それと、なんと言ってもよく分からないのが、面を照らす、曇らすという話。
女性の面について特に言われる話で、面を少し仰向けにすることを「面を照らす」といって明るい表情になる。一方、うつむくことを「面を曇らす」といって、悲しい表情、憂いを含んだ表情になる。
と、いうのですが、実際に能楽堂で見ているときは、前の方の席だと基本的にシテをずっと見上げているような形になり、微妙な違いではよく分かりません。
後の方だと今度はやや見下ろした形になってしまうので、これもよく分からない。


よくテレビの解説番組などで、面を手に持って上を向けたり、下を向けたりして「ホラ、表情が変わるでしょう」などとやったりするのですが、たしかにそのときは「なるほど」などと思います。
しかし演能中に、正面から見たり、ワキ正から見たり、見上げたり、見下ろしたり、様々な位置から観ている観客が、その違いをを感じ取っているものなんでしょうか・・・これがどうにも良くわかりません。


分からない、分からないと、そればかり書いてしまいましたが、明日ももう少し、分からないを続けてみたいと思います。

よく分からない能面の話のつづき

さて分からない話をつづけます。


昨日の話は私が個人的に分からないのですが、歴史的にもよく分かっていないのが能面の成り立ち。
もっとも、能楽の成り立ちそのものがよく分からないのですから、そこで使われる面の成り立ちがよく分からないのも、当然かも知れませんね。


おそらくは舞楽や伎楽の面などの影響を受けて出来てきたのでしょうけれども、これら能楽以前の芸能の面が中国などからの渡来物であったのに対して、能楽の面は日本で形作られてきたということですね。


古い時代には、能面の種類も現在のように様々ではなくて、鬼神や老人、女、そして男など、大まかな区分しかなかったようです。
なんでも観阿弥や世阿弥時代の記録には、額の長い女の面は少し切りつめて・・・といった話も出てくると聞いたことがあります。おそらくはかなりアバウトに、女であると分かれば良い程度のものだったのではないでしょうか。


ところで数年前に横浜能楽堂で「秀吉が見た『卒都婆小町』」という企画がありました。
江戸時代初期頃まで、一曲の演能時間は現在の6割程度と言われていて、テンポ良く演じられていたらしいのですが、これを実際にやってみようという試みで、卒塔婆小町を50分ほどで演じたそうです。
今なら一時間半ほどの上演時間がかかりますから、随分と雰囲気が違うと思います。


それほど変わっているのなら、当然のことながら能面も大きく変化しているのだろうと思います。
能面はとても大切にされていて、室町時代からのものと言われる古い面もあるそうですが、ほんとうにその面が数百年の時代を超えてきたものなのか、本当のところはどうなのでしょうか・・・
これもまた、よく分からないところです。

翁の面

分からない、分からないと二日もつづけてしまいましたが、せっかく能面のことを書き始めたので、もう少し書き続けてみようかと思います。


最初に特殊な面、翁面の話。
翁の話は以前、数日にわたって書きましたが、やはり「能」というにはあまりにも宗教的儀式なんだろうと思います。


そのハイライトが、大夫が舞台上で面を着けることではないかと思います。
翁の大夫は、白式尉(ハクシキジョウ)という面をつけますが、狂言方の演じる三番叟は黒式尉(コクシキジョウ)という色の黒い面をつけます。


いずれも一般の老人の面とは全く異なった形式、表情で、特に切顎といって顎の下半分が分かれています。
別に分かれていても、声が聞き取りやすいといった効果は感じられないので、おそらくは宗教的な意味があるのではないかと思いますが、これも本当のところはよく分からないようです。


いずれにしても、狂言の中で、例えば「清水」のように「鬼の真似をするので鬼の面を被る」といったもの以外、能楽では舞台上で面をつけるということはありません。
唯一、この翁だけが例外。
これだけでも、翁が「能ではない」ということが明らかになる感じです。


翁では、このほかに特殊な形として、父尉 延命冠者という演出があり、これには父尉と延命冠者が面をつけて登場します。
これも翁系の特殊な面で、一般の能では用いられません。


舞台上で面をいただく大夫の姿は大変厳かです。
面に神が宿って、その面をつける大夫が神の化身としてその場の平安を言祝ぐのでしょう。そして一般の能の面も、これに準じて、面に鬼神や霊が降りると考えられていたのかもしれませんね。

鬼の面

翁は儀式的なもので別格と考えて良いと思いますが、それ以外の一般の「能」で、どうしても面をつけなければならないと思われるのが、鬼神の類。
さすがにこれを素顔で演じる訳にはいきませんね。


そもそも能楽以前から鬼の面というのは存在していて、追儺(ツイナ)の面や、伎楽面、土俗の面などが能楽に取り入れられたと言われています。
詳しいことは分かりませんが、鬼をめぐる伝説や信仰には奥の深いものがあり、能楽自体にも様々な伝説が取り入れられていますね。


鬼の面は、細かく分ければかなり多くの種類がありますが、大きくは「べし見」や「飛出」、それに「天神」や「悪尉」、「顰(シカミ)」「獅子口」などといったものがあります。
一般的に「能」というと、ゆっくりしていて眠い物といったイメージ、三番目鬘物のイメージが強いと思うのですが、鬼神面はこうしたイメージとは、全然違った物ですね。


実物を見て頂くのが一番ですが、随分と派手にできています。
「べし見」の面は口を吽形に閉じた形の面で、大べし見や小べし見など何種かありますが、これに対して「飛出」の面は口を阿形に開け、目を飛び出さんばかりに大きく見開いた形。これにも大飛出や小飛出など種類があります。


しかしこれらのど派手な面も、きらびやかな衣装をまとった後シテがつけて出てくると、不思議と違和感がありません。
石橋などは、よく写真で紹介されていますが、面だけを取り出してみると、随分すごい形相です。
それが全体としてみると、うまくおさまってしまう。このあたりも、面をめぐる分からない話の一つかもしれませんね。

演者の想い・・・粟谷明生さんの黒塚

今年9月に、日立で粟谷能夫さんの花月粟谷明生さんの黒塚を観た話は、このブログにも書きましたが、たまたまネットで検索をしていたところ、粟谷能の会のサイトで明生さんが書かれた黒塚の演能についての記事を見つけました。


「黒塚の白頭について」という題ですが、小書の話だけでなく実際にはこの能を演じるうえでの様々な工夫、想いが書かれていて、いたく感じるところがありました。


安達ヶ原・・・どうも観世から入ったので、こちらの方が馴染みがあるのですが、この曲は何度か観ていますが、今回の観能は今までにない感銘を受けた感じがしています。
今回の観能記録も、読み返してみるとあの時の感動がよみがえってくるような感じがします。


どこから鬼になるのか、なぜ鬼なのか、あの時もいろいろと考えましたが、明生さんの書かれた記事を読むと、シテ自身が様々に考え工夫した末の演技であったことがよく分かります。
それだからこそ、観ている方も感じるものが多いということなのでしょうね。


喜多流でも、後シテは通常は薪を背に負って出るが、小書が付くと「抱き芝(だきしば)」といって薪を抱きかかえる形になるのだそうです。
あの形も大変に感慨深いものがありました。


演者の想いのようなものを聞かせて頂くと、また能の世界が広がるような気もします。
また機会あれば、粟谷家の能を観てみたいもの、と思っています。

宝生会秋の別会を観に行く

体調不良にもかかわらず、行ってまいりました宝生会 秋の別会


本日の番組は、能が三番。
張良、姨捨、山姥 杖之型
それに狂言が鐘の音、仕舞が六番という構成です。


いやあ、まずは姨捨。宝生の重鎮、近藤乾之助さんのシテで二時間を超える大曲、堪能させていただきました。
前シテも良かったのですが、後シテのなんという品格。
さながら月光の中に浮かび上がったような、品位と、静謐と言ったらよいのか、後場も一時間以上の長さだったのですが、その間、一分の隙もない見事な能でした。


老女物、正直のところは、なかなか楽しむ域には到達できませんが、今日はなんだか一つステップを上れた感じがしています。


いわゆる三老女、姨捨・檜垣・関寺小町の三曲ですが、宝生ではどういう理由か檜垣を演じないことにしており、関寺小町も明治に十六世宗家が舞って以来、演じられていません。このため、宝生ではこの姨捨が実質的には老女物の最高峰、その名に値する能でした。


が・・・実は、本日開演前にいつものとおりパンフレット漁りをしておりましたところ、えらいものを発見。
今井泰男さんが、来年の九月、その関寺小町を演じられるという話。
なんと宝生では上に書いた通り、明治36年の宝生九郎知栄以来104年ぶりの演能になるとか。


いやあ、観たい!と思ったのと同時に、自分に観るだけの力があるのか!?と、不安になってしまいました。
今日の姨捨も、正直のところは楽しめるかどうか不安だったのです。


が、今日の姨捨を観て、良いものは良いと感じられそうだ、といささか強気になっております。


張良、山姥を含め、個々の鑑賞記は明日から順に書いていきたいと思っています。

張良 渡邊荀之助(宝生会秋の別會能)

宝生流 宝生能楽堂 2006.11.26
 シテ 渡邊荀之助、ツレ 小倉伸二郎
 ワキ 則久英志、アイ 吉住講
  大鼓 柿原弘和、小鼓 幸正昭
  太鼓 小寺佐七、笛 一噌幸弘


張良はワキの活躍する能で、ワキ方の重い習い物となっています。
あまり上演回数の多い曲ではありませんが、たまたま機会があって、このところ年に一度くらいの割で観ています。
このブログでは初めての登場ですね。


張良というのは漢の高祖、劉邦の臣下で鴻門の会での活躍で有名。蕭何、韓信とともに劉邦の三傑とされる人物ですが、劉邦に使える以前、始皇帝暗殺を試みて失敗し下邳(カヒ:ヒは丕におおざと。機種依存文字なので表示されない場合はあしからず)に隠れ住んでいた時代の逸話がこの能の主題になっています。
出典は史記などでしょうけれども、この話、中世ではどうやら人気があったらしく、幸若舞や御伽草子などにもありますね。私も能楽として知る以前から、どこかでこの話を読んだ記憶があります。


さてまずは名乗り笛でワキ張良が登場し、ある夜不思議な夢を見たと語ります。
ワキの則久さんは、大曲なだけにいささか緊張しておられるように感じましたが、真面目な芸風で好感の持てる方です。たしか国立劇場の伝統芸能伝承者養成研修を受けてプロになられたと聞いたことがあります。
どちらかというと、まだワキツレで拝見することの方が多いのですが、期待の若手ワキ方と思います。


さて、ワキの語る夢というのは・・・下邳の土橋(ツチハシ)で馬に乗った老人と出会ったところ、老人は左の沓を落とし、張良に沓を取って履かせよと命じます。張良はむっとしたものの、老人がただならぬ気配でもあり、また老いたる人を尊ぶのも大事なことと、沓を取って履かせました。
老人は張良を「誠の志ある者」と言い、五日後に兵法の大事を伝えようと約束し、夢が覚めたという話です。


さてこの後は、明日につづきます

 | HOME |  次のページ»

カレンダー

« | 2006-11 | »
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。