能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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悪坊 宮本昇(五雲会)

大藏流 宝生能楽堂 2006.12.16
 シテ 宮本昇
 アド 榎本元 大藏彌太郎


酔った男が無理に出家を道連れに宿屋に入り、大騒ぎの末に寝入ってしまいます。
機転を利かせた出家が、男を出家姿に変えて逃げてしまうと、酔いから覚めた男はやがて出家の志を立てて托鉢に出るという、不思議な話。


今昔物語に良く似た話があり、もともとは仏教の説話らしいのですが、よく知られた話のようです。この悪坊と、良く似た悪太郎という曲も、同じ話を典拠として作られているようですね。


実は昨年十二月の五雲会も、最後は悪坊と乱。
なんだか時間がスリップしてしまったような感を受けました。


さてまずはアドの出家が傘を持って登場します。西近江の者だが東近江に行くところという話。すると長刀を肩にした悪坊が酒に酔って小謡を謡いながら登場してきます。
「浜松の音はざざんざ」これは、当時ずいぶんと流行った小謡らしく「樋の酒」でも酔った太郎冠者が謡いますね。


シテ悪坊の宮本さんは大髭をつけ、酔った風情であっちへフラフラこっちへフラフラの登場。
先に出ていた出家の榎本さんを見つけると、声をかけ共をしたいといって無理に連れになってしまいます。
道々悪坊は長刀を振り回しては出家を脅し、大騒ぎの末に定宿へとやって来ます。
さてこのつづきはまた明日に

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酔狂人の改心・・・悪坊つづき

定宿に着いたと、悪坊は出家を中に通し、亭主を呼んで食事を用意するように言いつけた後、長刀や刀を置いて、出家に腰を揉めと命じて横になります。


さて出家が悪坊の腰を打つと、酔いが回ったのか悪坊はうつらうつら。
「これで良いか?」とだんだんに打つ手を強くしていくとガバっと目覚める。これを繰り返す内に本当に寝入ってしまいます。


出家は悪坊が寝入ったのを確認すると、亭主にあの男は誰かと確認します。
亭主が言うには六角殿の同朋である悪坊という者で「大の酔狂人」と乱暴者の名が高いという話。出家は亭主に逃がしてくれと頼み、自分が持っていた傘や衣などを置いて、代わりに悪坊の長刀、刀や小袖を取って持って行ってしまいます。


出家は立ち去る前に長刀を一振りし寝ている悪坊に悪態をつきます。
この日の開演前に能楽堂の通用口あたりで人待ち顔だった榎本さん、そのうちなにやら動きを繰り返していたのですが、この長刀一振りの所作だったようです。


さて件の悪坊、ようやく目を覚ますと長刀などがありません。
かわりに衣や笠などがあり、しばらく不審に思っていますが、これはさぞかし佛が自らを仏道に引き入れるために方便によってこのような姿にされたのだろうと得心し、托鉢に出掛けます。


なんとない味わいのある曲です。
(20分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

乱 水上優(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2006.12.16
 シテ 水上優、ワキ 梅村昌功
  大鼓 亀井実、小鼓 鵜澤洋太郎
  太鼓 麦谷暁夫、笛 一噌隆之


曲は猩々。猩々は酒好きの妖怪ですが、登場した猩々は本来は太鼓入りの中ノ舞を舞います。この中ノ舞に代えて「乱(ミダレ)」という特殊な舞を舞う場合、曲名を猩々乱、あるいは単に乱と称します。宝生では乱だけですね。


この猩々という曲。もともとは前後二場の構成だった思われるのですが、おそらくは切能として長年にわたって半能の形で演じられているうちに、前場が省略されてワキの語りだけになってしまったのだろうといわれています。


石橋も半能で演じられるのが普通ですが、まだ石橋の場合は二場物として演じられることもあり、金春流ではその場合、プロ同士の間で丸能と呼んでいるという話を、以前にこのブログでも書きました。


猩々はもはや前場が演じられることはなく、しかも中ノ舞に代えて乱が舞われる方が普通になっていて、中ノ舞の猩々を観る機会の方が少ないような気がします。
なぜか宝生流の若手は、まず五雲会で石橋を披き、その後に別会で道成寺の披き。そして翌年年末の五雲会で乱を披くというコースを進むようです。


水上さんも昨年三月の別会で道成寺を披き、今年の乱で若手としても一人前ということになるのでしょうね。
おめでとうございます。


さて舞台の進行の方は明日につづきます。

乱のつづき

まずは名宣リ笛でワキが登場してきます。


ワキは唐土(モロコシ)かね金山の麓、楊子の里に住む高風と名乗ります。梅村さんのワキですが、朗々と声を張って祝言に花を添えるような雰囲気での名宣リでした。
この高風、親孝行のおかげか、霊夢に従って楊子の市で酒を売っているうちに、次第に富貴の身となりました。
ところが、市毎にやってきては酒を飲んで行く童子を不審に思い、名を尋ねたところ、海中に住む猩々であるとの返事。さて今日はその猩々を潯陽の江に出でて待っているという次第を述べます。


実は観世流だけには大瓶猩々という曲がありまして、こちらは二場物。
ワキの高風は市毎にやってくる童子を不審に思い、名を尋ねてみようと思うと述べて童子を待ちます。すると童子がやってきて、ワキとの問答の末、自らは猩々であると述べて中入りする形になっています。


猩々ももともとはこんな形だったのでしょうけれども、半能として演じられているうちに、前シテの童子の部分はワキの語りの中に吸収されてしまったということでしょうね。


語り終えたワキがワキ座に着座すると下り端の囃子でシテの猩々が登場してきます。
下り端は天女や妖精の登場などに奏される出の囃子で、伸びやかで乗りの良い囃子。猩々が怪しい妖怪ではなく、目出度い妖精であることを象徴するような感じです。


これを受けた地謡「老いせぬや、老いせぬや。薬の名をも菊の水」も独吟などで良く謡われますが、渡リ拍子のなんとも長閑な謡です。


現れ出でた猩々は、赤頭に赤地の唐織、緋の大口と赤尽くしの装束。猩々の面自体も赤く彩色されています。白いのは足袋だけという、なんとも目出度い登場です。
さてこのつづきはまた明日に

乱さらにつづき

猩々は地謡との掛け合いで謡を進め、月を見る所作や、波がどうと打ち寄せる様を両手を打ち合わせる形で表現したりなどしながら、舞台を回ります。


そして「声澄みわたる浦風の」というシテの謡に、地謡が「秋の調べや残るらん」と受けて舞に入ります。


本来の形ではここから太鼓入り中ノ舞になるのですが、乱の場合は「乱」という特殊な舞になります。といっても本来の乱という特殊な部分の前後に、中ノ舞に準ずる部分が付いた形なので、まず通常の中ノ舞のように舞い始めとなります。


その後、本来の乱になるわけですが、ここでは酔った猩々が波に戯れる様を表していて、体を深く沈ませたり、特殊な足捌きをみせたり、まさに「乱」という名にふさわしい、変則的な舞になります。
宝生の型自体は、この流儀らしくあまり派手なものではありませんが、一つ一つの型を丁寧に舞われた感じで、好感持てる乱でした。


この乱というのは、猩々ともう一曲「鷺」にもありますが、鷺の乱はなにぶん鳥を表しているので、猩々よりも軽やかな感じです。


乱を舞上げると、シテはワキの方を向き、高風が心すなおであるので壺に酒を満たして返そうと言い、キリの「よも尽きじ」の謡になります。
猩々のキリは仕舞でも良く舞われますが、酒を言祝ぐ目出度い舞です。
年の暮れに目出度く一年を終わるには、やはり猩々でしょうか。


さてこれで水上さんもまた立派に中堅どころとして活躍されていくことになりますね。
今後の一層のご活躍をお祈りしています。
(60分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

経政 大友順(12月宝生夜能)

宝生流 宝生能楽堂 2006.12.20
 シテ 大友順、姥 ワキ 安田登
  大鼓 佃良太郎、小鼓 鳥山直也
  笛 寺井義明


経政もポピュラーな曲ですが、このブログではまだ鑑賞記を書いていませんでした。昨年の秋以来の鑑賞です。
歴史上の人名としては経正が正しいのですが、どういう訳か能では経政と表記していたようです。ただし観世流と金剛流では経正と書いていて、私はどうもこちらの方がしっくりくるのですが・・・


シテ平経正は、幼い頃から仁和寺の稚児となり、御室の五世覚性法親王、六世守覚法親王の寵愛を受けた琵琶の名手です。
この寵愛を受けたというのがいささか意味深な感じですね。まあ覚性法親王にはその道の噂もあるようで、すべて含めてそういうことなのかも知れませんが、それはさておき琵琶の名手であったことは確かなようで、青山という琵琶の名器を渡されていたと言われています。


古来、唐土から伝えられた琵琶の名器は獅子丸、玄象、青山の三つで、そのうち獅子丸は唐土から戻る際に海中に没し、御物として伝えられたのは玄象、青山の二つと言われています。この話は能「玄象」あるいは「絃上」に述べられています(最近では昨年夏に梅若六郎先生のシテで観ました。このブログにも鑑賞記があります)が、この青山を預かっていた訳です。
(ちなみに一説には玄象と絃上は、別の琵琶という話もありますが)


ところで平家は木曾義仲に追われるようにして、都落ちをするわけですが、この際に、経正は仁和寺の守覚法親王を尋ね、青山を預けたことが平家物語に見えます。
大切な琵琶が戦乱で損傷することの無いようにとの配慮だったということでしょう。


平家ははや西海の藻屑と消え、守覚法親王は仁和寺の僧都行慶に管弦講を催して、かの経正を弔うようにと命じます。
これを発端としてこの曲が展開するわけです。その流れはまた明日に

経政のつづき

まずワキの僧都行慶が名宣リ笛で登場します。
宝生能楽堂のホームページで見た番組ではワキは鏑木岑男さんになっていたのですが、当日の番組では安田登さん。鏑木さんの体調はいかがなのでしょうか。今となっては一昨年、平成17年11月の五雲会でお見かけした時は立ち居振る舞いがいささか大変そうな感を受けましたが・・・


さてワキは常座で、守覚法親王の命によって管弦講を催し、青山の琵琶を手向けて、かの経正を弔う旨を語って脇座に着きます。


多くの修羅物では、旅の僧、諸国一見の僧がワキとして登場し、武将の霊と出会うわけですが、この曲では生前の経正とも縁のある行慶という、特定の人物がワキ。しかも僧都ということで、常の僧よりも格が高い雰囲気です。
装束も着流しではなく、大口をつけ格の高い雰囲気を出しています。


不思議なことに、修羅物でも、ワキやツレが亡くなった武将と関係のある特定の人物の時は、二場物ではなく一場物で、いきなり武将の幽霊が登場することが多いようです。
清経などもその形ですが、この曲でもワキの謡から地謡とつづき、青山を手向けて管弦講をしているとシテ経正の幽霊が登場してきます。


経政の能では様々な解釈があるようで、装束も流儀や演者によって長絹にしたり単法被にしたり様々です。この日は黒垂に梨打烏帽子、白の鉢巻きを締めて、白大口に長絹の形。貴公子としての経正を強調したということでしょうか。大友さんも何分美形ですし、当日も熱心な女性ファンが少なからずお出での様子。大友さんに合った装束だったように思います。


ワキは、夜の灯の幽かな中に姿の浮かぶのは誰かと問いますが、シテが経正の幽霊と答えると、なぜか「そも経政の幽霊と、答ふる方を見んとすれば、又消えぎえと形もなくて」と、姿が見えないと謡います。
シテ、ワキの掛け合いの謡ですが、観客からは見えているシテの姿を「形もなくて」と見えないものにしてしまうのは、能の大胆なところかもしれません。


声ばかりの経正に対して、おのおの楽器を携えて、亡き経正には青山を供え、管弦講を進めると、琵琶の音が聞こえて夜遊の楽になるという趣向です。


この掛け合いの後の謡、舞がまた聞かせどころ、見せ所ということです。
さてこのつづきはまた明日に

経政さらにつづき

シテ、ワキの掛け合いの中に、シテは「不思議や晴れたる空かき曇り、俄に降りくる雨の音」と目付柱の上を見上げる型。ワキがこれに続けて「頻に草木を払ひつゝ、時の調子もいかならん」と続けます。
さらにシテの「いや雨にてはなかりけり、あれ御覧ぜよ雲の端の」を受けて、地謡は「月にならびの岡の松の・・・」と謡い出します。
このあたりから、なんとも言えず良い謡なんですよね。
私、大変好きな謡です。


「第一、第二の絃は・・・」からのクセも名文で調子も良く、何度見ても飽きない曲の一つ。
中に「情(ココロ)声に発す。声文(アヤ)をなすことも、昔を返す舞の袖」と一節がありますが、今は亡き近藤乾三さんの書かれたものを読んでいたら、この「心声に発す」という言葉が好きだと書いておられて、感ずるところがありました。
その話は、いずれまた別の機会に。


さてクセでは管弦講の夜遊の面白さを表している訳で、幽玄の雰囲気の中に謡舞が進みます。が、地謡が「あら名残惜しの、夜遊やな」と謡い、カケリに入ると、修羅の苦しみが俄にやってくるわけです。


その瞋恚によってか、燈火の中に人影が見え、経正の姿かとワキが謡います。


シテは我が身が人々に見えてしまう恥ずかしさに「燈火を消し給え」と謡いキリになります。
自ら燈火を消そうと飛び入り、吹き消した燈火とともに魄霊は失せてしまったと、終わります。燈火に飛び入るところは、火を消そうと飛び入る様が浮かんでくるような足使いの型でした。


あまり深い重みのある曲ではありませんが、キラリと輝く小品で、好きな能の一つです。大友さんのシテもあまり重く構えず、良い雰囲気だったと思います。
(35分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

10000アクセス

昨年の6月開設以来、10000アクセス昨年になりました。
ご来訪頂いた皆様に感謝いたしております。


できれば一日の記事を、あまりスクロールせずに読める程度に・・・と思っているので、鑑賞記が数日にわたってしまい、このところ鑑賞記以外の記事がほとんど出てきません。
これも一つのスタイルということで、ご容赦頂ければと思っています。


それにつけても能楽ってホントに面白いなあ、とここにきてしみじみと思うようになりました。
微力ですが、少なくとも鑑賞記は続けていきたいと思っています。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


なお、リンクのところに「能の鑑賞記索引」と「狂言鑑賞記索引」へのリンクを設定してあります。
これまでこのブログで書いた鑑賞記へのリンク集になっています。
鑑賞記を書く都度メンテナンスしていますので「どんな曲だろう」などと、興味のある曲があれば、ご参照いただければと思います。

お茶の水 大蔵吉次郎(12月宝生夜能)

大藏流 宝生能楽堂 2006.12.20
 シテ 大蔵吉次郎
 アド 大藏彌太郎 大藏教義


大藏流と和泉流で全く同じ曲もありますが、名前は同じなのに内容が違うものもあり、逆に名前は違っているのに内容は同じというものもあります。


このお茶の水は大藏流の曲ですが、和泉流には水汲みという曲があり、これもほとんど同じ内容。ただし全く同じという訳でもなく、登場人物や話の筋立てに相応の違いがあります。どちらが先なのかは分かりませんが、基礎となる同じ話があって、それぞれに別の形に進化していったのかもしれませんね。


さて登場するのは、アドのとある寺の住持。住持は翌日に茶の客があるので、新発意(シンポチ)を呼んで水を汲みに行けと命じます。
シテ新発意はアドの後について登場していて控えています。いわゆる出し置きの形で、住持に呼ばれて舞台上の登場人物になる訳ですね。


ところが呼び出されてきたシテの新発意は、いつものとおりに門前の女「いちゃ」を水汲みに行かせるように主張して、自分は行こうとしません。
このため住持は怒って「ようおりゃる。すっこんでいさしめ」と新発意を叱りつけ、シテは狂言座に座ります。


叱りつけはしたものの、新発意が行かないと言うのはいかんともしがたく、門前の「いちゃ」に頼むことにして、舞台を回り、一ノ松で幕に向かって「いちゃ」を呼び出します。


「いちゃ」が出てくると、住持は新発意に頼んだものの水汲みに行ってくれないので代わって行ってほしいと頼んで桶を渡し、一端退場します。
教義さんの女振りはなかなかのもので違和感がありません。狂言の女は得てして強くがさつな設定が多いと思いますが、この曲では夕暮れの中に水を汲みに行く心細さが話の伏線にもなっていますので、いささか可憐な部分も残した女という形。


さてこのつづきはまた明日に

お茶の水のつづき

水汲みを頼まれた「いちゃ」は清水に行き、日も暮れかかり人里遠い所でもあるので寂しさを紛らわすため小歌を謡いながら水を汲みます。
鬘桶を置いて蓋を取り、扇で水を汲み入れるという形。謡う小歌も清水寺や地主の桜を謡ったもので、なかなか面白い。


さて「いちゃ」が水を汲んでいると、水汲みを断った新発意が後から追ってきた風で、舞台に入ってきます。「やんややんや」といちゃの小歌を褒めますが、「いちゃ」は恥ずかしいと大騒ぎ。
新発意は「いちゃ」に声をかけて、小歌を謡いながら女の袖を引きます。
女は別の小歌を謡いながら二人は相舞の風で並んで謡いながら水を汲み出す始末。
結局は、二人ともなんとなく気になっている中ということのようで、まさにじゃれ合っているような次第ですね。


掛け合いで、あるいは同吟で、謡いながらの水汲みをし、互いに戯れあって手に手を取っての謡い舞。最後にいちゃが新発意を突き飛ばします。


さて二人が戯れあっていると、住持が帰りが遅いと心配して様子を見に登場してきます。
心配してきたものの、水汲みを断った新発意まで一緒で、二人で戯れあっている様子。
いちゃは新発意を隠そうとしますが、住持は怒って女をつきとばし新発意を扇で打ちます。いちゃはこれを止めようとしますが、住持は今度はいちゃを打とうとする始末。新発意が住持につかみかかって組み合いに。


大騒ぎの末、女が住持の足を取り、新発意と女の二人で住持を打ち倒し、いちゃが「いとおしの人よ、こちへござれ」と呼び掛け、二人連れ立って去っていくという形。


男女の戯れ合いを中心にした狂言ですが、なかなか叙情的で微笑ましく見られますね。
(20分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

龍田 波吉雅之(12月宝生夜能)

宝生流 宝生能楽堂 2006.12.20
 シテ 波吉雅之、ワキ 高井松男
 アイ 善竹十郎
  大鼓 原岡一之、小鼓 住駒匡彦
  太鼓 小寺佐七、笛 小野寺竜一


斑鳩の里を流れる竜田川は、百人一首の業平の歌「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」でも有名な紅葉の名所。
この竜田川近くに竜田神社があります。
この能は、この竜田川と竜田神社をめぐる縁起を能に展開したものです。


実は竜田神社の本社、龍田大社は数キロ離れた隣町の三郷町立野にあります。伝説では聖徳太子が法隆寺を建てる際に良い場所を探していると、龍田明神が翁の姿になって現われ守護神になろうと言い、そのお告げに従って法隆寺が建立されたとか。
さて守護神、龍田明神は立野の地に鎮座していて法隆寺までは遠いというので、竜田川の近くの現在地に竜田神社を創建したと言われています。


この斑鳩、竜田神社のあるあたりがその昔の坂戸の地で、坂戸座の発祥の場所。私は見たことがありませんが、境内にはそれにちなんで能楽金剛流発祥の地の石碑があるそうです。


祭神は龍田姫、龍田彦と言われ風の神ということです。風の神らしく、実は龍田大社の本宮は、山麓の大和川沿いの立野の地ではなく、信貴山から続く山並みにあったという話もあります。


それはさておき、神社の縁起を能としたものは少なくないですね。
二場物だと後場で祭神が現れて舞を舞いますが、この曲も祭神の龍田姫が後シテとして現れ、神楽を舞います。
曲の流れは明日につづきます

龍田のつづき

まず大小前に引廻しをかけた宮の作り物が据えられます。
観世では一畳台が持ち出され、小宮はその上にしつらえられますが、この日は一畳台無しの宮だけでした。


続いて登場するワキは、日本全国を巡って六十余州に法華経を納める回国の僧。従僧を従えて登場し、次第を謡った後、奈良から竜田川にやって来て、川を渡って龍田明神に参詣しようとします。


すると幕から呼び掛けでシテが登場してきます。
シテは里の女の様子ですがは古今集の「竜田川 紅葉乱れて流るめり 渡らば錦中や絶えなん」といった歌を引き、竜田川を渡ると神慮に背くことになるからと、渡河をやめるように諭します。
波吉さんの鬘物というのは観たことがなかったのですが、なかなかしっとりとした謡で風情があります。
装束は紅入唐織の着流しですが、この唐織が白地に紅葉柄を散らしたもので、龍田らしいとても綺麗なものでした。


さて不思議なことに、女は明神に参詣するなら川を渡らない別の道を案内しようと、ワキ一行を導き、明神に案内します。
ワキは怪しんで一体何者かと問いますが、これに答えてシテは龍田明神に仕える神巫(カンナギ)であると身を明かし、ワキの一行を明神へと案内します。


ワキは境内にきてみると、冬だというのに神木の紅葉が盛りに色を見せており、これを拝むわけです。


能には季節があるという話を以前に書きましたが、実はこの龍田は冬、十一月の曲。霜月で木々も枯れているというのに、色鮮やかな紅葉の木が一本、これこそ神木ということですね。


さてその後はまた明日につづきます

龍田さらにつづき

シテは夕暮れの龍田の峰を見上げ、またさえ返る川音を聞くと、宮めぐりを始めようと立って舞台を一巡し、実は自分は龍田姫であると名乗って、一畳台に据えられた宮の作り物に中入りします。


謡だけでつないでいきますが、紅葉の名所竜田川、さらに霜月となり木々も枯れた中に神木の紅葉の色と、いかにこの風情を謡の中に醸し出すか、面白いところです。


「お、高橋憲正さん!」
中入りしたシテは宮の作り物の中で装束を替えます。後見が宮の中でこの装束替えの着付けを行うわけですが、この日の後見は佐野萌さんと武田孝史さん。
ところで替の装束は切戸口から別途に風呂敷に包まれて持ち込まれてきます。これを携えてきたのが高橋憲正さん。正面やや右手の席を取っていたので、私の所から作り物の後に控えた憲正さんが良く見えます。ちょっと儲け。


さて中入りの後は、アイの所の者がワキの尋ねに答えて、龍田明神の謂われを語ります。
アイが語りを終えると、ワキが神前で通夜をします。
これを受けて、出端の囃子の後に、後シテが作り物の中で謡いだし、地謡が続いて謡う中に引廻しが外されて、シテの姿が現れてきます。


古より御鉾の守護神である瀧祭の神と、当社龍田明神は同体であると謡われ、クリ、サシ、クセと謡が進む中で、シテが作り物を出て舞い始めます。


古歌を引きつつ、紅葉の色を主に置いて、謡が展開していきます。
さらに時が移って「月も霜も白和幣」と深夜に及ぶ頃。謹上再拝とシテは神楽を舞い始めます。
派手さはありませんが、冬の夜の神楽を思わせる趣深い舞でした。神楽の舞上げの後は夜が明け始める頃となり、神は上がらせ給うと留めになります。
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

鸚鵡小町 浅井文義(萠の会)

観世流 宝生能楽堂 2006.12.24
 シテ 浅井文義、ワキ 宝生欣哉
  大鼓 國川純、小鼓 鵜澤洋太郎
  笛 一噌仙幸


金剛流、豊嶋三千春さんの鸚鵡小町をテレビで見て、感じたことをブログに書いたのが7月のこと。その鸚鵡小町の鑑賞記をはからずも、さほど間をおかずに書くことになりました。


浅井文義さんが鸚鵡小町をされるのはパンフレットで知ってはいたのですが「暮れの忙しい時期だし、パスだなあ」と思っていました。
それが、とある子細でチケットを譲って頂くことになり、それならば観てみようと思い立った訳です。
私、基本的に流れに逆らわない方なので、良いか悪いか判断がつかなくとも、嫌だと思わなければとりあえず受ける、やってみることにしています。これを大事にしてると、なんだか幸運が向こうからやってくるような感じがします。


それはさておき鸚鵡小町。
夏の記事ともいささかかぶりますが、ちょっと整理をしておきたいと思います。


鸚鵡小町は老女物の一つ。金剛では卒塔婆小町、鸚鵡小町、関寺小町の三曲を三老女と称するようで、かなり重い曲として扱われているようです。
観世流などでは、三老女といえば姨捨、檜垣、関寺小町の三曲を指すのが普通で、鸚鵡小町はその次のランクといっても良いかも知れません。


しかし百歳になった小野小町を主人公にしているという意味では関寺小町とも共通する部分がありますね。
和歌の鸚鵡返しを巡るやりとりがテーマとして大きいので、老女そのものに対するフォーカスがいささか弱くなっているかもしれませんが、いずれにしてもなかなかの重い曲です。
今回は、浅井さんが以前に見たという葛飾北斎筆の七小町屏風に描かれていた鸚鵡小町が若い姿だったことに基づいて、浅井さんなりの解釈ということで、かなり若い姿での小町となりました。
その舞台進行は、また明日に

風邪をひいてしまいまして・・・

昨日は久しぶりに更新をお休みしました。
なにぶんにも、キーボードに向かう気になれないというのは、どうしようもないものです。
今週は何かと忙しい予定だったので「気をつけなくては」と思っていたのですが、用心していてもダメなものはダメということですね。


そんな訳で、今日は久しぶりにお休みを取って臥せっていたのですが、午後になってようやく起き出して、パソコンを立ち上げてみました。


今晩には、浅井さんの鸚鵡小町の観能記、つづきを更新するつもりでいます。
私は、老女物はもう少し年齢のいった方がなさった方が良い、とも思うのですが、今回の浅井さんの鸚鵡小町は、ご自身の五十代という年齢もあってか、常の解釈より若い小町として登場されて、これはこれでなかなかに面白い試みと感じました。


そのあたりが上手く伝えられれば良いのですが、いずれにしても、今晩には・・・

鸚鵡小町のつづき

まずはワキが名宣リ笛で登場してきます。
ワキの新大納言行家は、歌道に熱心な陽成天皇の命によって、往年の和歌の名手である小野小町を尋ねることになります。


小町は百歳の姥となって、近江の国の関寺あたりにいるという話があり、行家は帝から小町の境遇を憐れむ歌を預かって出掛けています。帝はあまねく人々から歌を求めたものの気に入った歌がないので、小町に歌を送り、この返歌によっては小町にまた歌を詠ませようとして考えてのことでした。
この経緯を述べたワキはワキ座に着します。
お馴染み宝生欣哉さんのワキですが、やはり随分と格の高い感じでの名宣リとなりました。こういう謡をされると、閑先生にさすがに似ているなあと思う次第。


一声の囃子でシテの小野小町が笠をかぶり杖をついて登場してきます。
ここは百歳の姥の姿であり歩みも覚束ない風情で演技するところですが、一足毎に極めてゆっくりとした運びながら、もう少し若い感じ。毅然とした老女といった態での登場でした。


三ノ松で杖を両手に抱きしばし休息した後、静かに歩みを進めて一ノ松に止まり、昔は芙蓉の花のような身であったものの、今は衰え果てて、杖つかねば歩む力もない老いの身となってしまったと嘆きます。


シテが舞台に入り常座に進むとワキが「小町か?」と声をかけます。
シテとワキは掛け合いを進め、ワキは関寺あたりは閑居するには面白いところと評しますが、これを受けてシテは地謡に従って立ち出でて、関寺あたりから見渡せる名所を教えます。


シテはさらに都路を物乞いしつつ歩く身の上を語りますが、ワキは懐中から文を取り出し帝からの歌をシテに見せようとします。
ところが、シテは「あらありがたや候」とは言うものの「老眼と申し文字もさだかに見え分かず候」と、見えないのでワキに読むように促します。


しかし老眼って言葉は、えらく古くからあるんですね。
いや、いささか老眼の気味でして・・・
このつづきはまた明日に

鸚鵡小町さらにつづき

ワキは下がって下居し、帝からの歌を詠みます。
「雲の上はありし昔にかはらねど、見し玉だれの、内やゆかしき」
という歌。
これに対してシテ小町は「さればこそ、内やゆかしきを引きのけて、内ぞゆかしきとよむ時は、小町がよみたる返歌なり」と、「や」を「ぞ」に一文字変えてこれを返歌とします。
ワキは、そのような返歌はためしがあることか、と問いますが、小町はこれぞ鸚鵡返しというのだと教えるわけです。
これが鸚鵡小町という、この曲の題にもなってくるわけですが、歌の技法の一つということですね。


シテはクリ・サシと鸚鵡返しの返歌の由来を述べ、そしてクセで、自身のかつての姿と、今のやつれ果てた姿をくらべ嘆きます。居グセですが、このあたりをジッとした姿でどう表現していくかはシテの腕の見せ所でしょうね。


そしてワキの勧めで、業平が玉津島明神で舞った法楽の舞をまねて舞うことになり、後見座にくつろいで物着となります。
このあたりは地謡も極めて難しい節付けで、間も難しく、地の「風折烏帽子召されつつ」のあと、シテの「和光のひかり玉津島」までの間が大きく取られていて、一瞬絶句されたかと思ってしまいました。


さて物着では唐織りを脱いで長絹を着、風折烏帽子をかぶって舞になります。長絹は黒地に鳥が描かれた文様。大変に素敵なデザインですが、やはりよぼよぼの老女ではなく、もう少し若い毅然とした老女といったイメージを強めているように感じました。


物着から舞に入りますがこれは中ノ舞ですね。格としては序ノ舞の格でということになろうかと思いますが、なんといっても序がありません。
途中、三段で扇を左手に取った後、ヲロシで下居します。ここは歳のために途中で舞も覚束ないというところでしょうけれども、この日はもっと若い設定ですので、疲れ果ててというよりも物思う中でという風情。


舞上げた後は、日も暮れワキ行家も都へ帰ってしまう中、シテ小町はひとり関寺に帰るという設定になっています。
(120分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

岩船 鈴木諷矢(萠の会)

観世流 宝生能楽堂 2006.12.24
 シテ 鈴木諷矢、ワキ 宝生朝哉
  ワキツレ 宝生閑、殿田謙吉
   小鼓 大倉源次郎、大鼓 亀井広忠
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之


子方として舞台に上がるようになった子供達も、やがてシテを演じるようになります。
とは言っても、ある程度大きくなるまでは面をつけないので、直面のような形で能を演じることになります。
今回のシテ鈴木諷矢クンはこの日の後見をしていた九皐会の鈴木啓吾さんのご子息。
浅井先生の会には以前から子方で出ていたようですが、面はまだまだとしても、いよいよシテをするということなんですね。


さてその相手のワキは宝生朝哉クン。こちらは欣哉さんのご子息で、この日の番組をよく見て頂くと、なんとワキツレが宝生閑、殿田謙吉とあります。
ああ、お祖父さまがワキツレをなさるという滅多無い番組。


私も閑さんがワキツレをされるのは、何十年ぶりかで見ました。お父様の弥一さんがご存命の頃はワキツレで出ておられましたが、弥一さんが亡くなった後にワキツレとして出られるのを観た記憶はありません。
たしか11月の友枝会では、昭世さんのシテに閑さんのワキ。雄人さんのシテに欣哉さんのワキ。そして雄太郎クンのシテに朝哉クンのワキ、と三代それぞれの組み合わせでの上演だったようです。


されはさておき、地頭も銕之丞さんが勤めるなど、シテの将来を祝するような配役ですね。当初は小鼓に鵜澤速雄さんを予定していたそうですが、夏に急逝されたため大倉源次郎さんにお願いすることになったとか。囃子方も錚々たる配役です。
曲の進行はまた明日に

岩船のつづき

実はこの岩船、観世流では二場物の前半が省略された、いわゆる半能の形が現在の正式な上演形式になっています。
このためワキ、ワキツレが出て次第、名ノリのまで謡うと、それに続く道行以下を省略して待謡になります。


もともとの岩船の形では、ワキの勅使はワキツレの従臣を連れて登場し、勅命によって住吉の浦に市を立て高麗唐土の宝を買い取るべく、住吉まで下向すると名ノリを述べ、道行を謡います。
すると真ノ一声で前シテ童子が登場。市の人ということですが、目出度い言葉を連ねた地謡の後に、ワキが「姿は唐人なのに大和詞で、しかも銀盤に玉を据えて持っているが、一体何者か」と問います。


シテの童子は龍女の宝珠であり帝へ捧げるものと答えます。そして、さらに何者かと問うワキとの掛け合いの謡いを続ける中に、シテは「岩船が来る」と述べます。
ワキはさらに不審をつのらせ何者かと重ねて問うに答えて、シテが答えるには、天の喜見城の宝を帝に捧げんと天の岩船に宝を積んで寄せてくる、その岩船を指図する天の探女であると自身のことを明かします。
そして住吉の松の緑の空の嵐とともに姿を消してしまう・・・というのが前場になっています。
中入り後は語りアイの後に、地謡の「久方の天の探女が岩船を。とめし神代の幾久し」の謡があり、早笛で後ジテが登場するのが本来の形。


しかし観世流では半能の形が基本となっているため、名ノリの後の道行以下がありません。このためシテの登場の前に、ワキ、ワキツレ同吟で待謡を謡うのですが、もともとの詞章に待謡が無いため、別曲「右近」の待謡を謡ってシテを待ちます。


朝哉クン、大変元気の良い謡。閑さんがキチンと間をとっておられて、謡をリードしていましたが、何はともあれこうしてプロとして育っていくんでしょうね。


いよいよ早笛でシテの出となりますが、このつづきはまた明日に

岩船さらにつづき

後シテは日本の龍神。神を敬い君を守る龍神は、宝の船を守護して住吉の秋風に岩船を寄せてきます。
大ノリの地謡に合わせて、龍神のもとに八大龍王が海上を飛行して宝の船の綱を手に巻き、岩船を引き寄せ数万の宝を帝に捧げて千代の御代を言祝ぐという目出度い舞を見せます。


シテ、諷矢クンの船出を祝う目出度い能ということでしょうか。
早笛に誘われるように颯爽と登場。元気いっぱいでまさに走るような登場でした。なかなか度胸あります。こりゃあ大物になるか。
能の観客というのは、そもそも観客としての人口が少ないこともあり、演者との一体感、親密感が他の演劇よりも総じて強いような気がします。
もちろん歌舞伎や現代劇などにも、そうしたファンは少なくないのですが、観客数そのものが違うため、演者と親密と感じている観客の比率は能の方が高いように思います。


次代を担う子供達の初舞台、初シテ、初面も、観客としては一入の思いがありますね。
わずか15分ほどですが、今年最後の観能の曲となり、目出度い気分になった次第です。
ところでキリの部分は仕舞としても良く演じられますが、その昔、学生時代に稽古していた頃の話。
ある人が、この岩船の仕舞を稽古することになり、まずはやってみな、ということで最初の一句を朗々と「はっけんりゅうおうはア、かいしょおにひぎょおし」と・・・
「はっけんりゅうおう!?」


よく見れば、観世の謡本では「八大竜王」の「大」の字に濁点がついています。これ「ダイ」と読めという意味なのですが、確かに「犬」に見えなくもない。
なるほど、思いもかけないことってあるんだなあ、と思った次第でした。
(15分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

金春会を観に行く

ほぼ一月振りの観能となりました。
一月の前半は各流の正月の会で翁が出たりで楽しみな時期ですが、今年は諸般の事情で前半は家を離れることができず、今年の初観能は金春会定期能となりました。


新宗家 安明師の高砂、本田光洋先生の熊野、そして守屋さんの弱法師となかなか良い番組。宗家のお披露目の会は四月九日の予定ですが、これは平日なのでさすがに無理ですね。
なんでも国立能楽堂がこの日しか空いていなかったという話もあるようですが、宗家の翁をはじめ、前シテが高橋汎さん、後シテが本田光洋さんの高砂、これは舞序破急ノ伝という小書が付くようなのですが、滅多に上演されない形ではないかと思います。


欣三さんの羽衣替ノ型や、穂高さんや高橋忍さん、山井さんに本田芳樹さんと、お若い方達の石橋群勢など、お披露目らしいなかなかの番組。
各流宗家の仕舞もあり(喜多流は友枝昭世さんですが)観に行きたいところですが、年度初の平日ではなあ・・・いくらなんでもちょっと無理


しかし今日の金春会。開場の15分ほど前に着いたのですが、国立能楽堂の前庭にぐるっと列が出来ていて、金春会としてはなかなかの入りでした。
一月の会だから、ということもあるのでしょうかね。まあ、ガラガラの見所で見るのも寂しいので、ちょうど良かったのかもしれません。


幸いにうまく狙っていたあたりの席に座ることが出来まして良かったのですが、前の席の方がね、ちょっと不思議な動きをしてまして、いささか気になったのが残念・・・


それはさておき、翁こそ付いていませんが、お正月らしい新宗家安明師の高砂で、これはなかなか良かった。高砂好きの私としては嬉しいところです。
本田先生の熊野は、幕から出て三ノ松での謡いを聞いただけで参ってしまいました。上手いなあ・・・としみじみ。
守屋さんの弱法師も面白かったのですが、例によって地謡がいささか揃わず残念な。


鑑賞記は萠の会が書き終わったあとで。

狂言遊宴の話(萠の会)

宝生能楽堂 2006.12.24


当日のパンフレットによれば、浅井さんが東京学芸大学の能楽研究会を指導するようになった昭和48年、当時教鞭を取っておられた外村久江教授と出会われたのが今回の催しのきっかけとなっているそうです。


外村先生が研究されていたのが、鎌倉時代に武士階級が好んで歌ったという早歌。ソウガと読むらしいのですが、これを元に、こうした歌謡が歌われていた当時の雰囲気をということで、中世の武士による宴席のような形に構成されたのがこの日の狂言遊宴でした。


昭和48年というと、おそらく浅井さんは二十代前半。まだ独立されたか、間もなくされるかという時期だったのではないかと思います。
私が初めて浅井さんの能を拝見したのが昭和50年前後。たしかその頃、浅井さんは25歳で観世流では最も若い能楽師と言われていた記憶があります。
あの頃から考えると隔世の感がありますね。


パンフレットには出演者として、野村萬、宝生閑、櫻間金記、粟谷能夫、野村万蔵、三島元太郎・・・と、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方が入り乱れて18人。一体どんな演目になるのか興味津々で開演を待っておりました。


さて開演となると、宝生閑さんを先頭に全員が一列に並んで登場し、盛久の道行を謡いながら橋掛りを進んできます。割合長い謡なので、舞台を回りさらに橋掛りへ戻り幕の前まで行ってまた戻ってくるという次第。
ここで口上になり、中世の宴を模してということで、再び舞台に進んで一同がぐるっと車座のような形で座して宴の形になりました。


宝生閑さんはここで静かに切戸口から退場。次の岩船の準備ということでしょうか。
代わって野村万蔵さんが、まさに狂言回し的な形で全体を進行。まずは野村萬さんを呼び出して海道下りを謡ってくれるように頼みます。


これを受けて萬さんが進み出て「海道下り」
この後、順に出し物を見せ合うような形で進行するのですが、一つ終わるたびに皆で手を叩いて「やんややんや」と褒めるのも、いかにも宴席のような雰囲気で、観ている方もなんだか楽しくなってきました。


明日に、もう少しつづきを書いてみたいと思います

狂言遊宴つづき

萬さんの海道下りに続いては、櫻間金記さんによる早歌「熊野参詣」これが今回の眼目ということですね。
浅井文義さんが助音ということで二人で謡う形でしたが、万蔵さんから「本日は特に見本で」と紹介があり、ここで見所も大笑い。なんとも楽しい雰囲気で続いていきます。


早歌と言っても、さほど早いわけでもなく、まずは能の謡くらいに感じですが、万蔵さんの解説に、早歌以前に流行っていた催馬楽などに比べれば余程に早いのだそうです。
謡に似た感じですが、やはり節使いが違うので金記さんもいささか謡いにくそう。


このあとは粟谷能夫さんが立って簓之段(ササラノダン)を舞い、さらに鞨鼓を舞いました。この鞨鼓で興に乗った形で鵜澤久さんが立ち、鞨鼓を二人で舞う形。喜多と観世と、普段なら一緒に舞うことはあり得ないところですが、これまた大変面白く拝見しました。


最初の道行などでは囃子方の皆さんも謡っていましたが、さすがに鞨鼓などは囃子の出番。このところあまり拝見する機会がないのですが、八反田智子さんの笛は好きでして、鞨鼓もとても良かったと思います。


さらに笠之段、放下僧小歌とつづき、まさに宴席のよう。
芦刈の笠之段や放下僧の小歌はもともと好きな謡ですが、これらは確かに常の謡よりも「歌謡」的な色彩の濃い謡で、笠之段の「風の上げたる古簾」の観世流の節付けなど大変しゃれた旋律ですし、小歌の独特の拍子当たりと節付けは聞いているだけで楽しくなってきます。
私、正直のところ、ずっと昔にこういう席に連なっていたことがあるのではないか、とまあ夢のようなことをふと考えてしまいました。


最後にまた野村萬さんの音頭で鉢叩歌を歌いながら、全員が舞台を廻り退場となりました。
本当に楽しい企画で、ぜひまたこういうものを観てみたいものと思っています。
全部で40分ほど、夢のような時間でした。

高砂 金春安明(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2007.01.21
 シテ 金春安明、ツレ 金春憲和
  ワキ 宝生欣哉、アイ 善竹富太郎
   小鼓 観世新九郎、大鼓 安福光雄
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之


言わずと知れた高砂。年に一度や二度は必ずと言っていいほど観ることになる能ですが、まだこのブログで鑑賞記を書いたことはなかったので、曲の流れも書いてみようと思います。


高砂は典型的な脇能で、世阿弥の作と言われていますが、二場物で前シテが高砂の地で松の木陰を掃き清める老夫婦。後シテは一転して住吉明神となり颯爽と神舞を舞う対比が面白く、新春らしい目出度さのある曲です。
ともに白髪となるまでの夫婦のありようも説いて、好まれる曲ですね。


昔は結婚式には高砂の謡を謡ったと良く言いますが、実際にはどうなのでしょうか。少なくとも私の周辺では見かけたことはありません。高砂というと新郎新婦が座る一段高くなった席、くらいの意味になってしまったとかいう話もありますね。
一般には「高砂や」と、これはワキの待謡ですが、の部分が謡われたようで、本来は仲人さんが謡うのでしょうけれども、このところ仲人自体を立てない結婚式が多くなりました。


それはさておき、この曲のワキは肥後の国、阿蘇神社の神主友成で、従者二人を連れて肥後を立ち、都へ向かいますが、その途次に播磨の国、高砂の浦に立ち寄る次第。
まずは真ノ次第で三人が登場し、次第を謡い、名ノリで阿蘇神社の神主友成である旨と、都へ初めて上ることとしたが、そのついでに高砂の浦にも寄ってみようと述べます。さらに道行で高砂の浦に着いたと謡ってワキ座に着きます。


ワキは宝生欣哉さん。勅使や高位の神官のワキの時は、登場の際に伸び上がるような所作を何度かしますが、欣哉さんの型はとても安定感があって私は好きです。これがふらついたり、少将不安になるワキの方もいますよね。


さてこのつづきはまた明日に

高砂のつづき

続いて真ノ一声でシテ尉とツレの姥が登場してきます。
ツレの姥が先に立ち、一ノ松で振り返って、三ノ松に留まったシテと向き合っての謡になります。
この高砂のように老夫婦の形でシテとツレが出るものも少なくありませんが、この場合、一声を二人でゆったりと謡い、続いてサラサラとツレが二の句を謡って、再び二人でゆったりとあとを続ける形の謡いになりますね。
しかし安明さんと憲和さんの親子、いつもながらお声がそっくり。同吟のところなど、まるで一人で謡っているような感じです。


ところで昨日書いたように、高砂の謡が結婚式で謡われることは少ないのですが、結納で高砂人形を飾ることもあるようです。もともと関西の風習だと思うのですが、高砂の尉と姥を人形に仕立てたもの。
さてこの人形、普通は尉は熊手を、姥は杉箒を持っています。実はこれは上掛りの形。金春流など、下掛りでは尉、姥ともに杉箒を持って出ます。


舞台に入った二人に対して、ワキの友成は高砂の松とはいずれかと問いかけます。
高砂と住吉の松には相生の名があるが、かたや播磨の高砂と摂津の住吉では国も隔てた遠隔の地。なぜにそれに相生の名があるのかという問いかけです。


これに対して、シテは自分は住吉の者であり、一方の姥はこの地の者なので姥に答えさせようと言います。が、友成は夫婦と見えた老人二人がところを隔てて住む者とは、とさらに不審を募らせます。
これに対して、姥が「うたての仰候ふや。山川万里を隔つれども、たがひに通ふ心づかひの妹背の道は遠からず」と返します。心が通えば遠距離恋愛もなんのその、単身赴任だって怖くないと、言ってしまっては叙情がないかもしれませんが、なかなか意味深な言葉です。


実はこの二人の老人こそ、高砂と住吉の松の精。友成の前に人の形になって姿を現した次第です。
シテは「住吉にまづ行きてあれにて待ち申さん」と、小舟に乗り追い風に任せつつ住吉を目指して去っていく風にて中入りとなります。
この中入りの型、観世流では帆が風をはらむように水衣の両袖を広げて橋掛りを進みますが、安明先生は正中で船に乗る型をし、一度両手を広げて風を受ける風情を見せた後は、両手を納め静かに橋掛りを退場しました。これもなかなか面白い型ですね。


さてこのつづきはまた明日に

高砂さらにつづき

間狂言は所の者。語りアイで、高砂住吉の松の言われ、高砂の明神と住吉の明神が一体分身であることなどを語ります。
さらにワキの一行に、住吉への参詣を勧め、舟を提供すると語ります。
途中「や、御覧候へ」と、神慮のゆえか一段と追い手の風が吹いてきたと中腰に振り仰ぐ形があります。
十二月の五雲会では富太郎さんの文担に大笑いしましたが、このアイはまた趣があって良かったように思います。


ワキの一行はその舟を使った風で、実は正先に向かい合って立ち、待謡を謡うわけです。舟の作り物を出す必然性もないので、すべて省略してしまうわけですが、まずは能らしい展開。
そしてこの待謡が、結婚式でかつて謡われた高砂の謡「高砂や この浦舟に帆を上げて」という謡です。


後シテは出端の囃子で登場しますが、前場ではゆったりと、かつ居グセであまり動きもなく、長閑な雰囲気だったのに対して、颯爽と若き男神としての登場になります。


謡も流れるように早く、所作も綺麗。
面白いことに、この能、中入りの両袖を広げる型もそうですが、ところどころに思いのほかに写実的な型がちりばめられています。
流儀によってそれぞれに違いますが、雪景色の中を「梅花を折って頭に挿せば 二月の雪衣に落つ」と謡うところ、金春では左の袖を広げやや上を見回す形で面を切る型があり、これが雪か梅の花びらが落ちるのか、なんとも風情のある形になっています。


続いて神舞。
私、脇能の神舞が大変好きでして、なんとも有り難い感じになります。
なんにつけてもお正月らしい目出度い舞。
昨年の最後は岩船で、今年の最初は高砂、と、今年の観能も目出度く進めていきたいと思う次第です。
(85分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

狂言 宝の槌 善竹十郎(金春会定期能)

大藏流 国立能楽堂 2007.01.21
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹大二郎 野島伸仁


脇狂言の曲なので、めでたい曲ということで「末広がり」などと共通する部分の多い曲です。
実際、途中までの進行は末広がりとそっくり。


まずアドの主人が長裃姿で登場して「宝比べが流行る」と言い、太郎冠者を呼び出して何か験奇特のある自慢できるような宝があるか、と問います。
しかし太郎冠者の返事は「無い」ということなので、主人は太郎冠者に都へ上って求めてこいと言いつけます。


命じられた太郎冠者は舞台を回り、都へとやって来ますが、宝がどのような物でどこにあるかを聞いてこなかったことに気付いて「宝買おう 宝買ひす」と呼ばわって歩きます。このあたりは末広がりと同じですね。


善竹十郎さんの、まさに田舎者が都に上ってきて感心している様の演技は楽しいもの。都の家々が、軒と軒、棟と棟を連ねて仲良さそうに立ち並んでいる、と語り、感心して眺めます。


それにつけても「宝買おう、宝買ひす」と呼び歩くというのもどうかとは思いますが、ともかく太郎冠者が呼ばわりながら歩いているとアドのすっぱが登場してきて、一ノ松で名のります。例によって都あたりを歩き回っている心の直ぐない者と名乗っての登場。一つ田舎者をだましてやろうということです。
さてすっぱが何をどうだますのか、明日につづきます

宝の槌のつづき

すっぱは冠者に声をかけ、太鼓の撥を鎮西八郎為朝が鬼ヶ島から持ち帰った打出の小槌だと言って売りつけます。
そして呪文を教え、試しに腰の物を打ち出してみるように勧めます。


太郎冠者が呪文を唱えて撥を打つと、すっぱは自分の小刀を冠者の前に投げ出して「出たは 出たは」と言って囃すので、冠者はすっかり打出の小槌と信じてしまい、小刀と腰に差して撥をもらって帰途につきます。


さて帰宅した冠者は主に宝と言って撥を渡しますが、主はこんなものはいらないと捨ててしまう始末。冠者はあわてて「南無宝」と撥をおしいただき、すっぱの言ったとおりに説明して、腰の物を見せ、これを打ち出した打出の小槌と説明します。


すっぱが太郎冠者に撥を渡す際に、手は洗ったか?と問いますが、太郎冠者が主人に渡す際も同じ問答を繰り返します。こうしたちょっとしたところにおかしさが出てくるように思いますね。


主も、それではと信じ始め、試しに馬を打ち出してみようということになります
が、しかし呪文を唱えて打っても馬が出てくるわけがありません。
冠者は焦って、馬の足を八本にして出そうなどといい、そんな必要はないと主人に言われて打ち出しますが、何も出てきません。今度は後先に頭をつけて出そうなどと言って時間稼ぎをしようとしますが、主は普通の馬を出せと言い張る始末。さらに口のない馬にしようなどと繰り返しますが、いずれにしても馬は出てきません。


冠者はそれでは打ち出すから乗り留めてくれと言って小槌を打ちますが、主は冠者を馬かと思ってうしろから押さえて大騒ぎとなります。


最後は困った冠者が「おっつけ馬も出ようが、主が立身して普請をする瑞相に、番匠の音がかつたりかつたり」と落とし、主が「それこそめでたけれ」と受けて留めになります。


末広がりと同じように展開しますが、末広がりが最後まで脇能としての目出度さを強調して終わるのに対し、後半は目出度さよりも笑いの度合いが強調された感じの曲ですね。
(30分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

熊野 本田光洋(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2007.01.21
 シテ 本田光洋、ツレ 本田布由樹
  ワキ 村瀬提
   小鼓 幸清次郎、大鼓 国川純
   笛 藤田朝太郎


今年は諸般の事情で一月は家を空けにくいため、観能はどうしようかなあと思っていたところでしたが、新春から本田光洋さんの熊野があるというで、これは外せないな、ということで金春会を選んだ次第。


昔から「熊野、松風に米の飯」と言われるくらい、熊野や松風は何度観ても飽きない、誰もが好きな曲と言われています。
確かに良くできた能で、筋立ての面白さ、謡の展開、舞の見どころなど、人気があるのもうなずける出来になっています。


どうして「熊野」と書いて「ゆや」と音読みするのか、よく分かりませんが、女性らしいたおやかな感じがするからでしょうか。
もっとも謡の詞章では「御名も同じ今熊野(みなもおなじいまぐまの)」と謡っていて、なんだ「くまの」さんじゃないの、と思うのですが、さて本当のところはどうなのか。
喜多流だけ「湯谷」と書きますが、この方が納得がいくかもしれませんね。


さて件の熊野ですが、遠江の国は池田の宿の長であったものを、平清盛の次男、宗盛が寵愛の末に都に久しく留め置いていました。
熊野は遠江に残した母を気遣って、しきりに暇乞いをしているのですが、宗盛は一向に許そうとしません。
これを発端として能が展開します。
つづきはまた明日に

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