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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

熊野さらにつづき

道行は謡だけでつなぎますが、地謡もここは思いを込めた謡振り。


一同は車に乗ったという形で、シテのみが車に入りますが、車中、少し周囲を見回したりするものの、あまり動きはありません。
しかしこのあまり動きのない車中の型が、大変に深い雰囲気を醸し出していました。
多くの方がご承知の通り、六郎さんは大変大きなお体で、正直のところたおやかな女性という感じからはほど遠い体型でらっしゃるのですが、それがだんだんにたおやかな女性の悲しみの姿に見えてくるんですね。
このあたりは、まさに名人の技なんでしょう。


車を降りたもののシテは正中で下居して合掌し「仏の御前に母の祈誓を申さん」と祈る形。しかしワキに呼ばれて花見の宴になりクリ、サシ、クセと進みます。
クリでは病母に思いを馳せる風。大小前から正面へ二足ほど出てシオリます。
またサシの「花前に蝶舞ふ」の一節は聞かせどころ。


本田さんの時はクセは前半座ったままでしたが、観世では舞グセです。
この頃はもう体型の違和感などどこかへ行ってしまっていまして、いつの間にか熊野の世界に引き込まれてしまった感じです。


中ノ舞はイロヱガカリ。地の「深き情を人や知る」でシオって立ち上がり橋掛りへと進み、二ノ松で立ち止まって戻りながら舞へと入っていきます。
下掛りでは破ガカリなので常座からの舞い出し。このあたりは印象が変わってきますね。
さらに村雨留めの小書がついているため、中ノ舞を途中で打ち切って「なうなう俄に村雨のして」とシテの謡になります。熊野の村雨留というのは何度見ても気持ちが盛り上がる感じがします。舞をもっと見ていたいという気持ちもするのですが、途中で打ち切ってしまうことで、より思いが凝縮されるような感じです。
舞の手の一つずつに微妙な思いを感じました。
(85分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

須磨源氏 関根祥人(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2007.03.04
 シテ 関根祥人、ワキ 宝生欣哉
  アイ 小笠原匡
  大鼓 亀井実、小鼓 森澤勇司
  太鼓 観世元伯、笛 寺井宏明


この曲、珍しいというほどでもありませんが、あまり上演回数が多い方ではありませんね。源氏と聞くとついつい恋物語のような曲を想像してしまいますが、構成、主題はむしろ融に似た感じ。世阿弥が改作した曲と言われています。


前シテは須磨のあたりの老人で、柴を負っての登場。須磨といえば光源氏ゆかりの地でもあり、前場はこの古を語る形。
後場では、その光源氏の姿となって早舞を舞う次第で、前後の設定といい融と良く似た形になっています。


とは言え、前場は源氏物語の巻名を織り込んだりしているものの、取り立てて感銘を呼ぶようなドラマ性も見られません。
後場の光源氏の登場も、須磨の地を懐かしんで兜率天から下ったという設定に、何かもう一つ盛り上がりがほしい感じがするところ。
どうも融と比べてしまうからかもしれませんが、なんとなく食い足りないような感じのする曲です。


金春流では現行曲としていませんし、他流でもあまり上演回数が多いと思われないのも、このあたりに理由があるのかもしれません。


さてこの曲を祥人さんが、どう演じたか。つづきはまた明日に

須磨源氏つづき

まずは次第でワキ、ワキツレの一行が登場します。
ワキは日向の国、宮崎の社官、藤原の興範(オキノリ)と名のります。


一行は伊勢神宮参宮のため、九州から遙々旅を続けてきたとの設定。道行では春三月、船路を進み淡路から須磨の浦に着いたと謡います。
須磨の浦には光源氏が植え置いたという若木の桜があり、これを一見しようというワキ一行。


すると一声の囃子でシテの老人が登場します。
装束附けでは無地熨斗目着流しに水衣が常の形になっていますが、この日は小格子で一ランク高くなった感じでしょうか。とは言え脇能の前シテなどと比べると老人の姿としては軽めの装束ですが、死後に兜率天に住んでいるとは言え神様ではありませんから、四番目、五番目の扱いの能としては順当なところかもしれません。


右手に杖を持ち、柴を負った姿で登場したシテは、長めの謡と詞で若木の桜のあたりにやって来て、さて山桜を眺めようと述べて下居します。
なにやら由ありげなシテの姿に、ワキが問いかけて、若木の桜を巡って問答となります。祥人さんの謡はかなり力の入った感じで、老人というにはいささか強いかなというところでしたが、今は天に住んでいる光源氏の仮の姿を表現したということでしょうか。


そしてワキの求めに従って、クリ、サシ、上歌と光源氏の物語を老人が語る風情の謡が続きます。
この謡では、語呂合わせのように源氏物語各巻の名が織り込まれています。
「われ空蝉の空しき世を案ずるに、桐壺の夕べのけむり・・・」どうも、さほどの名文とも思われないのですが、ついには太上天皇に准ずる位を授けられるまでの、源氏物語のあらましを読み込んだ謡。あらすじを巻名で綴ったような謡なので、深い趣などの出しにくいところ。ある意味淡々と進む、という感じですね。


さてその光源氏は、今は兜率天に住む身となっているが、今宵の月に天降り姿を現すだろうと述べて、老人は姿を消します。
このつづきはまた明日に

須磨源氏さらにつづき

中入りでは狂言の間語り。
アイの語りで光源氏の須磨での行跡がもう一度整理され、さて先ほどの老人は、その光源氏その人が仮に人間に現じて興範と言葉を交わしたのだ、と明らかにされます。


さてはさらなる奇特を拝もうと、興範の一行はこの地にて月の出を待ちます。
このワキの待謡を受けて、出端の囃子で後シテ光源氏が登場します。


指貫に「鈍青の狩衣」の詞章通りの単狩衣、初冠に、面は今若かなあ。中将よりも若い印象ですが、どうも不思議なお顔でなんとなく百済観音を思い出してしまったところ。
いずれにしても典型的な貴人の姿。いよいよ融と似た雰囲気で、早舞へと流れるように進みます。


正直のところ「やっぱりなあ須磨源氏だし、こんなものだなあ」と思って見ていたというのが本音です。悪くはないのですが、取り立てて面白くもない能という感じです。
それが早舞になり、五段の舞を見ているうちに祥人さんの舞にすっかり引き込まれてしまいました。
上手いなあ、早舞ってこんなに面白かったんだと、あらためて思い直した次第。十三段だったらどんなに良かったかと・・・なんとか機会を見て、また関根祥人さんの能を観てみたいと思いました。


さて早舞を舞い上げた後は地謡との掛け合いの中に、謡い舞いし、夜明けとともに姿を消すという趣向。ここの謡もさして名文というものでもないので、演じる方はとらえどころが難しいか、と思います。
早舞から終曲まで、光源氏の神々しさを感じて舞を楽しめればそれで良しと、いうところなのかも知れませんね。
(80分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

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