能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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経正のつづき(式能鑑賞の記)

まずはワキが登場してきますが、二番目のワキは福王茂十郎さん。高砂のワキ和幸さんのお父様ですが大柄な方で迫力あります。
ワキは経正追悼の管弦講を催すと述べた後ワキ座に着し、その後シテが管弦講にひかれ登場してワキとの掛け合いになるくだりは、宝生とも基本的に変わりがありません。
その後シテは正中に座して謡が進みます。


ワキの「青山の琵琶おのおの楽器を調へて、糸竹の手向を勧むれば」に応えて、シテは「亡者も立ち寄り灯の影に」と扇を開いて立ち上がり、扇を左手にとって正面に出て「手向の琵琶を調むれば」と扇を抱えて琵琶を抱く心持ち。
座して目付柱の上を見上げ「不思議や晴れたる空かき曇り」と空を見上げる風となります。


このあたり、ある程度は謡いに沿って所作が進みますが、その後の「月にならびの岡の松の」からは、サシ込・開(ヒラキ)、右ヘ廻リ、左右打込ヒラキなど、抽象的な型で構成されていて謡に結びついた型はありません。
抽象的な型の連続の中に、如何に情緒を感じさせるかというところですね。
このあたりは宝生ともあまり変わりがありません。


クセでも抽象的な型が繰り返される形です。
仕舞を習ったことがある方はおわかりだと思いますが、型にはそれぞれ名前が付いていまして、上にも書いたサシ込というのは、両手を下げた構えから扇を持った右手を上げながら出る型で、宝生ではシカケと言うようですね。
サシ込の後は通常は両手を広げながら下がる開という型をします。他流ではヒラキと表記するようですが・・・
明日につづきます

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経正さらにつづき

型の話をもう少し。舞の型はもともとは何か意味があったのかもしれませんが、長い年月の間に抽象化されて、意味のない舞の手になっている物がほとんどです。
もっとも、例えば「雲扇」と言って、左手を差しだした上から右手に持った扇を被せ、左手をやや下の方に、右手はやや上の方に引き分ける型がありますが、これなどは日月などが上るのを遠く見やる象徴のようで、そういう謡のところで取られる型です。こうした、ある程度、何かを象徴するような型も見られます。(宝生では引分ヒラキ、金春では天ノ扇などというようですが)


さて能の方はクセの後もカケリからキリへと、流れるように進みます。
全体として抽象的な型の繰り返しが多いのですが、その分だけ、いかに気持ちを出すかが難しいかも知れません。


管弦講を楽しむ風情のクセから、瞋恚のゆえに姿を現してしまい灯を消そうとするキリへ気分の変化が楽しめます。
「あの灯を消さんとてその身は愚人夏の虫の、日を消さんんと飛び入りて」と六拍子を踏んで正先へツメて飛び入る形。さらに「嵐とともに灯火を吹き消して」と扇を開いて二つほど煽ぐ形など、このあたりは謡に合った象徴的な型を見せ「魄霊は失せにけり」と左袖を被いて下居、姿を消した形ですね。その後は静かに立って留めの拍子は踏まずにそのまま退場となりました。
小品ですが、好きな能の一つで、集中してみることが出来ました。


ところで経正は清盛の弟である経盛の長男。経盛には三男があり、経正、経俊そして敦盛の三人、つまり経正は敦盛の兄にあたります。
この経盛は母の身分の問題もあったのか、従二位中納言まで昇進した弟の教盛よりも昇進が遅れて正三位修理大夫で終わっています。そのためか経正以下の子供達も昇進が遅れて、経正は正四位下皇太后宮亮、敦盛は無官です。


そうした背景も、この能の雰囲気を形作る基礎になっているのかも知れません。
(35分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

口真似 野村万之介(第47回式能)

和泉流 国立能楽堂 2007.2.18
 シテ 野村万之介
  アド 月崎晴夫 深田博治


別の曲名、別の話になっていても、中核となる部分が同じという組み合わせが、狂言では少なからず存在します。
狂言はもともとキチンとしたストーリーがあったわけではなくて、物真似やちょっとしたエピソードを面白く見せていたのが、繰り返して演じられるうちにだんだんと劇化して定着していったようですから、好んで演じられたショートコントが、別々の話の中に組み入れられて定着していったということかと思います。


この口真似も後半の部分は察化(サッカ。咲嘩とも)の後半と同じです。要は、太郎冠者が主の口真似をして、最後は客を突き倒して、しかも「ゆっくりして・・・」と呼び掛けて退場する面白さを見せようということでしょう。


察化では都の伯父を連歌の初心講の宗匠に頼もうと、太郎冠者が呼びにやられます。ところが太郎冠者が伯父の顔を知らなかったことから、すっぱを伯父と勘違いして連れてきてしまい、騒動になる展開。
一方この口真似では、もらい物の良い酒を一緒に飲んでくれる人を探してこいと主に言いつけられるのが発端。


太郎冠者は知り合いの男を訪ねて連れてきますが、この男、実は酒癖が悪いために仲間はずれにされている由。
さてこのつづきはまた明日に

またまた観世会定期能を観に行く

先月に引き続いて、観世会の定期能を観に渋谷の観世能楽堂まで行ってみました。


別ブログでも書いたとおり、本日は普通列車の旅・・・ですが、現在無料のグリーン車だったので割合快適でした。
それはさておき、本日の番組は・・・
能が三番で、寺井栄さんのシテで巴。梅若六郎さんの熊野、こちらは読次之伝と村雨留の小書がついています。さらに関根祥人さんの須磨源氏。
狂言は野村万蔵さんのシテで入間川。


今日はそれぞれに興味深く、まさに能楽を楽しんだ感じです。


巴はここ一年、いろいろと思いを巡らせている能ですが、今日はまた一つ得るものがあった気がしています。寺井栄さんのシテは初めて拝見しましたが、最後は思わずホロリ。
以前は今ひとつ好きになれない曲だったのですが、昨年の閑能会で祥人さんの巴を観て以来、いささか気になる曲になっています。


六郎先生の熊野は改めて述べるまでもありませんが、本当に趣のある能。あまりに評判が高いので、逆に敬遠したりあら探しをしたり、ついついそんな見方をしてしまうのですが、素直に上手いなあ、と本日も堪能。


関根祥人さんの須磨源氏。この曲自体はあまり期待していなかったのですが、やっぱり問題は演者なんだと再認識。すばらしい早舞におもわず涙腺が緩んでしまいました。
来週は桃々会で大原御幸をされるとか。私は行けませんが、これは楽しみですねぇ。


入間川。万蔵さん上手いなあ。このところ拝見するたびに感銘を受けることしきりです。萬さんの味のある年季の入った芸はもちろんですが、二人の掛け合いは実に見事。
と、いうわけで本当に観に行って良かったと思っています。


鑑賞記は・・・式能が終わったあとになりますね。メモはちゃんととってあるので、いずれまた。

「能の花 狂言の花」の一年

このブログの前身になるココログでの「能の花 狂言の花」を始めてちょうど一年になりました。


別に楽天でブログを書いていまして、それ以前の観能記はそちらにもあります。
けれども楽天のブログのほうは、日常様々な話題も書こうとと思っていまして、能楽専用のブログということで、この「能の花 狂言の花」を始めたわけです。


その後、6月にFC2に引っ越してきたので、このFC2のブログ開設一周年はもう少し先ですが、3月から6月の記事も、こちらに移してありますので、そういう意味では一周年。


この間、鑑賞記を書いたのは、能が翁を含めて63番、狂言が27番です。
観たのはもう少し多いのですが、まだ鑑賞記更新中ですので・・・
能にまつわる豆知識みたいなものも書きたいなあと思っているのですが、なかなかそこまで手が回りません。
いずれ機会を見ながら、と思っています。


しかし、こうして勝手なことを書き連ねてきてみると、自分が本当に能楽好きなんだなあと、しみじみ思います。
昨日の観世会でお見かけした87歳の方の域に達するには、まだまだ何十年もありますが、少しずつ見聞を広めて、楽しんでいきたいと思っています。


本日はこのあと、狂言「口真似」の鑑賞記の続きを更新するつもりです


ご来訪いただいた皆様、これからもよろしくお願いいたします

口真似のつづき

まず登場したアドの主人月崎さんが酒の相手を求める旨を述べて、シテを呼び出し相手を探してこいと命じます。
シテの万之介さん、大分お歳をめされた風貌になってきましたが、そこがまた妙に飄々とした感じになってきて、味のある雰囲気ではあります。


誰か探してこいと言われて出掛けた太郎冠者、はてと考えた末に「上の町のヒロハル殿」を呼びに行くことにします。狂言では役名が決まっていない登場人物に呼び掛けたり、その人物を話題にする場合に本名を使いますが、この場合もアドの深田さんのお名前ですね。「そうかヒロハルさんか」と妙に納得したりして・・・


さて主人は太郎冠者の連れてきた男を見て、あれは大の酔狂人、酒癖の悪さのために仲間はずれになっている男だと、冠者を叱ります。
叱られた太郎冠者は男を帰そうとしますが、さてそうも行くまいと主人は冠者を止め、仕方がないので男を座敷に通し、冠者には以後は自分の言うとおりに真似をせよと命じます。
この自分の言うとおりに真似をするようにというのが、この曲のテーマですね。
言われた太郎冠者は、面白くなかったのか、主人の口真似を嫌というほどそのままに行います。


主人が太郎冠者に「杯を出せ」と言えば、そのままに太郎冠者も男に「杯を出せ」と言います。驚いた主人が「やい、杯を出せとはおのれがことじゃ」と太郎冠者を叱ると、冠者も男を「やい、杯を出せとはおのれがことじゃ」と全く同じに叱る始末。


主人が太郎冠者を叩いて叱れば、冠者も男を叩いて叱る。
とうとう最後には、主人が怒って太郎冠者を引き回して突き倒し、男に「それにゆるりとござれ、おっつけお料理を申しつけましょう」と言って退場してしまいますが、なんと太郎冠者も男を引き回して突き倒し、そのうえで「それにゆるりとござれ、おっつけお料理を申しつけましょう」と言って退場します。


分かっていても面白い狂言の一つですね
(15分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

葛城(大和舞)本田光洋(第47回式能)

金春流 国立能楽堂 2007.2.18
 シテ 本田光洋 ワキ 工藤和哉
  ワキツレ 高井松男 梅村昌功
  アイ 善竹十郎
   大鼓 亀井実、小鼓 亀井俊一
   太鼓 金春惣右衛門、笛 藤田六郎兵衛


葛城(カズラキ)は観世流では四番目物として扱いますが、もともと太鼓入り序ノ舞を舞う曲でもあり三番目物として扱う流儀もあります。
というわけで金春では三番目物ということなんでしょうね。ただし今回は大和舞の小書が付いているため、太鼓入り序ノ舞ではなく神楽が舞われました。それでも三番目?かなあ・・・


何はともあれ、昨年の鑑賞ですっかり疲れてしまった式能に、また今年も行ってみようと思い立ったきっかけの一つがこの本田先生の葛城。ここ数年間ですっかり本田先生の能に魅せられております。


さて葛城の神といえば一言主で男神です。
国津神で賀茂氏がその祭祀を執り行っていたとか。
役行者が葛城山から金峯山へ岩橋を架けようとした時に、前鬼や後鬼はよく働いたものの、一言主は顔が醜いから見られたくないという理由で昼間は働かなかったために、怒った役行者が蔦葛で縛って谷底へ落としたという伝説があります。


なぜにこの男神を女神に変えて登場させたのか、このあたり不思議なところですが、絵馬の鑑賞記でも書いたとおり、男神を女神に、女神を男神にといった変化は、能ではそれほど珍しいことではありませんね。


割と好まれる曲のようで、上演回数も多い方ではないでしょうか。
曲の流れは明日につづきます

葛城のつづき(式能鑑賞の記)

ワキは旅の山伏、ワキツレの供の山伏達を伴い出羽の羽黒山を出て葛城山までやって来たと謡います。小柄な工藤さんが謡い出すと大きく見える感じがします。
雪が降ってきたので木陰に立ち寄ろうと、ワキ座へ行きかかります。


すると幕から呼び掛けの形でシテが登場してきます。
シテは雪を置いた笠をかぶり、右手に杖、左手には雪のついた木の枝を持った姿です。観世では杖を使いませんが、杖を持った姿は雪深さをさらに象徴する感がありますね。
かぶった笠にも雪を置き、白一色の装束で一面雪の世界を表すような綺麗な装束着け。
雪の山道で難儀しているワキ山伏達に同情し、自分の庵で一夜を過ごすようにと勧めるわけです。


いつもながらシテの呼び掛け、ワキとの掛け合いから、謡に引き込まれます。本田先生、かならずしも美声という訳ではないのですが、なんとも深い謡です。前シテの出の謡から能に引き込まれるという経験は以前はほとんど無かったのですが、本田先生の能では少なからずそういうことになりますねぇ。


さてワキの一行は感謝してシテに従いますが、舞台を一巡する中に庵に到着したとして、シテは大小前に、ワキはワキ座に着座します。寒さも寒し、シテは「しもと」を持ってワキに寄り、湿った篠懸を干すようにと差し出しますが、ワキは「しもと」とは木の名前かと尋ねます。
これに答えてシテが語るには、しもとは葛城山に縁のあることであり、さらに古歌を引用しつつワキをもてなします。


さてワキが山伏らしく勤めをしようとすると、シテは蔦葛で身を縛られていて三熱の苦しみがあると訴え、加持祈祷を乞います。そして我が身は葛城の神であると明かし、中入りとなります。


ところでこの日の地謡は宗家安明師の地頭に吉場さんの副地頭。座・SQUAREの四人の皆さんと本田さんのご兄弟。このチームは若手中心ですが、金春では最もまとまりの良い感じがしています。
安明さんの声が全体を引っ張っているのですが、聞いていて大変心地良い。・・・ああ、私はこの金春の謡が好きなんだなあ、としみじみ思った次第です。
つづきは明日に

葛城さらにつづき

アイ所の者が呼ばれ、岩橋伝説を語り、さらなる供養を勧めて退場します。
善竹十郎さんの間語り。山本家の芸などを観ると、本狂言でも割合に真面目なというか様式的な発声をされるので、語り間との落差が少ないのですが、大藏家、善竹家の皆さんだと同じ大藏流でも、本狂言では写実的な雰囲気、間狂言は様式的な雰囲気で、落差が大きいように感じます。


続いてワキ、ワキツレが夜を徹して読経するうちに、出端で後シテの出。


葛城は大和舞の小書付きで演じられることが多いように思います。この小書は観世、宝生、金春の三流にあありますが、少しずつ違いもあるようで、観世流では小書が付くことによって雪山の作り物を大小前に出し、装束も常とは替えますが、金春では作り物は出しませんね。


装束も観世の大和舞では天冠に蔦紅葉をからませて、緋の大口に白の舞衣といった形で出ますが、この日の本田先生は同様の天冠に若紫の色大口、浅葱の舞衣、大変綺麗な装束です。


シテはワキとの掛け合いの中で不動明王に縛められて「蔦葛の這いまとはるる」身を示し、されに岩橋を巡る謡から神楽へと移ります。
これ、実は私は前々から疑問なのですが、謡では「大和舞いざや奏でん」として太鼓入り序ノ舞に入るのが常の型。
そうなんです。常の序ノ舞を舞うときに「大和舞」と言ってるんですよね。


それだというのに、さらに大和舞の小書をつけるとなぜに神楽になってしまうのうか、どうも解せません。
ま、個人的には神楽が好きなので悪くはありませんが・・・
神楽は御幣を持たず扇を持ったままでの舞でしたので、いささか感じが変わります。笛の譜は直りを吹かず最後まで神楽の形でした。


舞上げた後は、ノリ地の謡に合わせて優雅に舞い、葛城の夜の岩戸にぞ入り給ふ、と留めになります。
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

左近三郎 大藏彌太郎(第47回式能)

大藏流 国立能楽堂 2007.2.18
 シテ 大藏彌太郎、アド 大蔵吉次郎


左近三郎は「さこのさむろう」と読みますが、文荷でも手紙の相手を左近三郎とする形があるように、特に名前に意味はないようです。


比較的最近、といっても江戸時代に作られた曲らしく、以前にこのブログでもちょっと触れた「狂言記」に鹿狩として出ているものが最も古い形のようです。
和泉流では出家猟人という名で、番外曲になっているようなのですが、今回は大藏流ですので、彌太郎さんと吉次郎さんのご兄弟での演技となりました。


どうも、もともと説教で語られていた説話に拠ったらしいのですが、台詞もそれらしく宗教問答的な部分が少なくない曲です。
説教は、今でこそ「お説教」と、あまり聞きたくないものに分類されてしまいますが、中世から近世まで、説教節は芸能のジャンルとしてもてはやされていたようで、説教師は人気があり、現代のスター並みの扱いだった様子がうかがえます。


山椒大夫や信徳丸(能の弱法師の原典とも言えるものですね)、小栗判官など、説教節の有名なもののありますが、現代では説教節そのものはほとんど聞かれなくなってしまっていますね。


この狂言では左近三郎というシテは猟師。一方のアドは出家で、この二人が出会ったところから物語が展開します。
つづきは明日に

左近三郎のつづき

まずはシテの左近三郎が登場します。
折烏帽子にたすきで肩を取った掛素袍姿。括り袴で弓を肩に矢を手に持って、猟師の出で立ちです。
これから狩に行くと述べて舞台を回り、狩へ急ぐ形。


するとアドの出家が傘を肩に登場します。吉次郎さんのアドは飄々とした味を出していて武張った左近三郎との対比が面白い。
アドはシテのと問答の中で宗旨を聞かれて禅宗と答えますが、悪坊のアドも禅宗で、やはり肩に傘を担いで登場してきます。似た形ですね。


シテは狩の門出に見たくもないものを見てしまったので嬲ってやろうと、出家に近づき強引に道連れになってしまいます。
出家に対し、魚を食うか、内儀はあるか、などと問いかけ、その度に弓に矢をつがえて出家を脅して無理矢理に肯定の返事をさせて嬲ります。


さらに自分を檀那に取ってくれと言いますが、出家は殺生をする狩人は駄目だと断ってしまいます。ここから宗教問答のようになり、シテは達磨大師の説を説いたりアドがこれに応じたりなど様々に言葉を交わします。
この掛け合いは年季の入った演者でないと、なかなか味が出ない気がしますね。


様々に言い合う後に、シテは坊主を射て出家になろう、と弓に矢をつがえて構えますが、出家は古歌を引きながら見事にこの問答をやり過ごします。
いつか二人は意気投合してしまい、三郎が我が家に出家を誘い、連れだっての退場。


猟師が出家の機転で発心に至るという話。
昨日も書いたように、悪坊にも通じる出家話ですね。
(15分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

宝生会月並能を観に行く

先月は思いもかけない葬儀のためチケットを持ちながら断念した宝生会、今月はキチンと観てまいりました。今回もご厚意により・・・おかげさまでチケットをいただきまして、この場を借りて御礼申し上げます。


さて月並能は久しぶりですが、なかなかの盛況でした。
曲も三川泉さんのシテで忠度、大坪喜美雄さんのシテで誓願寺、そして田崎隆三さんのシテで藤戸と、それぞれに面白そうな番組。狂言は万蔵さんのシテで胸突でした。


鑑賞記はしばらく後になりそうですが、今回もメモは取ってきましたので、いずれ整理してと思っています。
いやぁ、メモしておかないと忘れちゃうんですよねぇ、やっぱり。
鑑賞記の方もブログに公開して皆様に読んでいただくのはもちろんですが、同時に、というよりもむしろ自分自身のために書きとめているという感じです、忘れちゃわないように・・・
昔観たものも記録がないので、すっかり記憶の彼方にいってしまっています。
それが、鑑賞記の形で残しておくと、読み返したときにその時の情景も思い出されてきたり、けっこういいものなんですよね。


それにつけても宝生の能は確かに渋いかも知れません。
休憩時間に、お稽古をされているらしいオバさまたちが「観世さんと違って宝生は型が地味なのよねぇ」とか「でもお謡は宝生の方がいいわよねぇ」と力説されていました。


確かに観世だと「ほらどうです観てください」的な印象もありまして、思いを内に込めるような曲は、宝生の良さが出るような気がしますね。
亡くなった観世寿夫さんは宝生好みで、謡も型もずいぶんと宝生流を取り入れておられた印象があります。


ともかくも、ちょっとしたハプニングもありましたがまずは能らしい能を観た会でした。
昨日から腰が痛くていささかつらかったのが残念でしたが・・・いてて

俊寛 小倉敏克(第47回式能)

宝生流 国立能楽堂 2007.2.18
 シテ 小倉敏克、ツレ 辰巳満次郎 小倉健太郎
  ワキ 森常好、アイ 野村万蔵
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 北村治
   笛 一噌仙幸


昨日は宝生会を観てきましたが、延々と時間のかかっているこの式能の鑑賞記も、ようやく四番目、宝生流の俊寛までたどり着きました。喜多流では鬼界島ですね。
法勝寺の執行俊寛僧都がシテの曲ですが、俊寛は平家物語でご存知のとおり、鹿ノ谷の山荘で平家を滅ぼそうと陰謀を企てていたものの、ことが露見して平判官康頼・丹波の少将成経とともに鬼界島に流されてしまいます。
これが発端。


ところが清盛の娘、高倉天皇の中宮徳子が懐妊したことにより、この御産の御祈りのために恩赦があり、康頼と成経は許されて都へ帰ることになるのですが、その赦免状に俊寛の名前はありませんでした。


この一連の俊寛を巡る話を能に劇化したのがこの俊寛という能です。
どうして三人のうちで俊寛だけが許されなかったのか、平家物語を読んでもあまり合理的な説明にはなっていない感じなのですが、俊寛から見れば極めて理不尽な話であろうだけに観ているものの心を打つ部分があり、能だけでなく歌舞伎でも好んで演じられる演目になっています。


実は私、いくつか弱い能がありまして、この俊寛もその一つ。まず「俊寛」というだけで気持ちが盛り上がってしまう感じです。ついつい泣けちまうんですよねぇ・・・そんなわけでいささかテンション高く観能したもの。
そうそう、地謡は宝生会や五雲会でお馴染みの若手の皆さんも多々ご出演。後列手前は以前このブログにもコメント頂いた高橋亘さん。なかなかお能を拝見する機会が無くて残念です。前列奥に橋憲正さん、お、ヘアースタイルを変えたようですね。
能の展開は明日につづきます

俊寛のつづき

まずは名ノリ笛でワキの赦免使とアイの従者が登場してきます。
ワキは森常好さん。素袍姿に胸に赦免状を入れての登場。なかなかの貫禄です。アイは野村万蔵さんですが、従者にしては貫禄がありすぎるくらい。なんだかここ数年でとても芸が大きくなられた気がします。
さて、ワキは成経と康頼の赦免状を持って鬼界が島へ渡ると述べ、アイに舟を用意するように命じて中入りします。これが発端。


代わって、囃子の中をツレの成経、康頼が登場します。
成経の健太郎さんと康頼の辰巳さんの二人は正先で向き合って次第を謡い、さらに正面を向いて名乗ります。なかなかに思いのこもった謡です。
二人はまた再び向かい合うと、鬼界が島に紀州熊野の三社を勧請して参詣していると謡います。


シテはツレの謡が終わると、一声の囃子で水桶を持って登場してきます。観世流では角帽子に無地熨斗目、しけの水衣に腰簑という姿で登場するのが普通ですが、宝生流では角帽子ではなく花帽子が基本の形。小格子厚板ですね。
僧侶か賤しい男かわからないような複雑な形であることには変わりありませんが、花帽子だと布地に包まれた中に俊寛の面がまるで生きている顔のように見え、よりリアルな劇的効果を持つように思います。


一ノ松で一セイを謡いますが、流人の身の心境を謡う深い謡です。
シテはサシを謡いながら舞台に入り、常座に立つとツレの康頼が問い掛けます。


これを受けてシテ、ツレの問答になりますが、俊寛は持った水桶をツレに指し示し、酒を持って迎えに来たと言います。もちろん中身は水という設定ですが、シテは水を酒として二人に酌をします。
三人で水を酒に酌み交わしながら、遠き都を思い出し涙にくれるという場面。抑えた謡、所作の中に思いが凝縮されるような場面です。


さてアイが船の作り物を持ち登場すると、一ノ松あたりに船を置き、自分は船の艫の部分に乗って棹を持ち船を操る形になります。
いよいよ赦免使が鬼界が島にやって来るところで、ワキ登場し船の中央部分に立って謡い、アイが鬼界が島に着いたと告げて到着となります。
到着した赦免使と俊寛達の顛末は明日につづきます

俊寛さらにつづき

到着した赦免使は、赦免状をシテに渡すのですが、シテからさらに手渡されたツレ康頼が読み上げます。
しかしこの赦免状には成経と康頼の名はあるものの、俊寛の名はありません。


シテは自らも赦免状をよくよく見たうえで、ワキに「筆者の誤りか」と問いますが、ワキの返事は「俊寛一人をば此島に残し申せとの御事にて候」と厳しいものです。
この返事に俊寛は悲嘆にくれ、謡に合わせてシオリを繰り返して泣くばかりの有様を示し、クセに入ります。
クセは居グセで切ない謡が続く中、前半はたたんだ赦免状を持っていたものを、後半では開いてさらに読み返し、裏を返しても自分の名がないことを確かめて、謡に合わせる形で二度ほど膝を打って、赦免状を捨てモロジオリとなります。能の形としては号泣というところですね。これはちと涙無しに観るのは難しいほど。小倉さんの熱演でした。


さらにアイが二ノ松あたりに片づけておいた船を一ノ松あたりに持ち出し、艫綱を常座の方に引きます。
アイは舳先に、ワキは艫の方に乗り込み、ツレを促して船に乗せる形。
シテは「僧都も船に乗らんとて」と康頼の袖に両手をかけて引き留めますが、ワキに制せられ、せめてはと艫綱に取り付きますが、これもワキが両手で断ち切ってしまいます。


船中の三人は、都に上れば助命嘆願する、帰洛を待てなどと声をかけるものの、その声も幽かになると謡がつづき、ワキ、ツレは退場。アイも船を持って姿を消し、一人残ったシテが幕の方を見てシオリをして留めになります。


このあたり歌舞伎ですと、俊寛がこけつまろびつ艫綱に取りすがり、涙ながらに手を振りながら船を見送る場面がより写実的に描かれます。
能の場合、謡の詞章としては俊寛の悲嘆が強烈に描かれていますが、演技自体は抑制されて、まさに能らしい展開。この抑制された悲しみが、私がこの曲を好きな理由の一つでもあります。
(60分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

茶壺 野村萬(第47回式能)

和泉流 国立能楽堂 2007.2.18
 シテ 野村萬
  アド 野村扇丞 野村万蔵


茶壺を背負った男が酒に酔って道で寝込んでしまうと、通りかかったすっぱがこれを自分のものにしようと算段する話。
いずれも自分のものだと取り合いになりますが、所の目代が裁きに入ります。


取り合いするものを目代が裁きに入る形は、狂言では割合よくみられるもの。
目代が片方の味方をして、一緒に追い込まれる展開や、この曲のように「中から取れ」と言って、目代が取っていってしまうものもありますね。


この「奪い(バイ)あふものは・・・」あるいは「論ずるものは・・・」というのは、中世ではよく知られたことわざだったようですが、もともとの意味としてはどういうところだったでしょうね。


さて舞台の方は、まず茶壺を連尺で背負ったアドの男が酒に酔って小謡を謡いながら登場するところからはじまります。扇丞さんの人の良さそうな雰囲気が、いかにも欺されそうな感じに見えます。
良い機嫌で酔った男は、休んでいこうと正中で地謡座の方を向いて横になってしまいす。この時に茶壺に模した鬘桶に付けた連尺の左肩のみを外し、右肩はそのままに寝るところがみそ。


程なくシテのすっぱが登場し、寝ている男を見つけて起こそうとします。が「熟柿臭や、熟柿臭や」と酔っているのに辟易する風。
シテの萬さん、いかにも酒好きそうな雰囲気でして、その萬さんが「熟柿臭や」と言うあたりにまたおかしさがあります。
見れば寝ている男はなにやら荷物を背負っている様子。ちょうど良いものを見つけたと持って行こうとしますが、片方の連尺には寝ている男の肩が入ったまま。そこで外した方の連尺に左肩を入れて男と背中合わせに寝てしまいます。
さてこのつづきはまた明日に

茶壺のつづき

目を覚ましたアドの男は、知らない男が連尺の片方に肩を入れて寝ているのにビックリ。さっそく茶壺の取り合いとなってしまいます。


アドの男は「出会へ出会へ」と大声で呼び、これにこたえて所の目代が登場してきます。
目代はまず茶壺を預かったうえで、何をもめているのかと尋ねます。


これに答えて、アドの男は主人の言いつけで栂尾に茶を詰めに行っての帰り、酒に酔って道に寝込んでいたところ、見知らぬ男が来て、外した方の肩に自分の肩を入れて茶壺は自分のものだと言い出したと、ことの子細を語ります。


ところがこの一部始終をシテのすっぱが盗み聞きしていて、目代が今度はおまえだと問いかけると、寸分違わず同じ返答をします。


これでは判別がつかないので、目代は茶の入日記(イレニッキ)を言わせることにします。
男は仕方を交えながら、入日記を謡い舞いしますが、今度もすっぱは盗み見していて、すっかり真似る始末。
それでは、と目代は二人相舞にせよと言いますが、アドの男の真似をしながらシテのすっぱも相舞を続けます。
この微妙な遅れ方がシテの腕の見せ所。この一曲のハイライトでしょうね。この曲も何度か見ていますが、萬さんのこのあたりの呼吸はまさに見事なもの。少し遅れながら、節目節目では合わせ、アドの男が調子を外させようとするのにからくもついていく様は絶妙でした。


さてなんとか相舞も終わり「さてどうか」と詰め寄る二人に、シテは「昔より、論ずるものは中から取れ」というからと、自らが茶壺を持って逃げてしまい、二人が追いかけつつの退場となります。
(25分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

東京金剛会を観に行く

昨年の三月以来ちょうど一年ぶりに東京金剛会を観に出かけました。
書きかけの式能の鑑賞記も、いよいよ残すところは最後の一曲。ちょうど金剛流の葵上だけになりまして、これも何かの縁かもしれませんね。


東京金剛会の例会は午後1時半からで、能二番と狂言一番それに仕舞が五番ほどという番組です。
ですが、これに先立って午前11時半から研修能あるいは普及能として能一番が演じられます。
せっかく遠方から出かけることでもあり、ま、私が貧乏性ということもあって、朝早くから出かけて研修能、榎本健さんの「藤」から拝見しました。


いずれ鑑賞記のほうは、今月の観世会、宝生会と書き終えた後で、この研修能を含めて書きたいと思います。


藤は観世・宝生・金剛の三流にある曲ですが流儀によって詞章の違いが大きい曲と聞いていました。
金剛の藤は初めてですがなるほど観世の謡本と相当に違います。こんな曲もあるんだなあ、というところですが、いずれ鑑賞記の中でこのあたりも触れてみようと思います。


例会は熊谷伸一さんの「花月」と金剛永謹さんの「船弁慶」。どちらも面白い曲ですし、興味深く拝見しました。
わけても宗家の船弁慶は白波之伝の小書きがついていて、初めて拝見しましたが「さすが舞金剛」と言われるだけあるダイナミックな演出でした。これもいずれ鑑賞記で書きとめておきたいと思います。


狂言は大藏彌太郎さんのシテで口真似。よく拝見する狂言ですし、彌太郎さんのシテ、しかもアドも今回と全く同じ教義さんに宮本昇さんでも観ていますが、やっぱり笑っちゃいますネ


今月三度目の観能で、やや家中の顰蹙を買っておりますが、行って良かったなあ、と思っています。

葵上(梓之出)種田道一(第47回式能)

金剛流 国立能楽堂 2007.2.18
 シテ 種田道一、ツレ 工藤寛
  ワキ 高安勝久、ワキツレ 椙元正樹
  アイ 吉住講
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸正昭
   太鼓 金春國和、笛 内潟慶三


言わずと知れた葵の上。
場面展開の面白さ、後場で般若の面をつけたシテの動きなど、見せ所の多い能で、外国人にも人気がある曲とか。海外公演でも良く演じられてきたようです。


光源氏の正妻である「葵の上」は、物の怪に憑かれて病床に伏していますが、梓巫女に占わせると、物の怪は六条御息所の生霊と明らかになります。六条御息所は車争いの事件以来、葵の上を深く怨み、その怨みと光源氏へ思慕が募って、生霊としてさ迷いだしてしまった訳です。


源氏物語の葵の巻を劇化した能ですが、源氏物語によれば、賀茂祭(葵祭)の御禊の日に、身分を隠して見物していた六条御息所の一行と、同じく見物に来ていた源氏の正妻である葵の上の一行が、見物の場所をめぐって車争いを起こし、葵の上の一行の権勢にまかせた乱暴によって六条御息所の牛車は破損してしまいます。
六条御息所は見物人であふれる一条大路で恥をかかされ、葵の上を深く恨むことになったと、事件の発端になる車争いの話が書かれています。


この能、最初にも書いたとおり大変人気のある曲で、そのためか様々な演出(小書)も作られています。この日は梓之出の小書がつきました。具体的な展開は明日につづきますが、小書について一つだけ。
この曲には古式という小書があります。これは最近、といっても二十年ほど前に作られたものですが、登場人物が増える小書です。
この曲の詞章を良く読むと、登場人物と謡の中身が合っていないことに気付きます。葵上は世阿弥の作とされていますが、実は近江猿楽で演じられていた曲を世阿弥が改作したようで、古い形では車の作り物が出され、青女房が登場していたらしいのですね。
古式の小書はこれを復活したものですが、さて実際に見てみると・・・世阿弥の改作は詞章と辻褄の合わないところは出たものの、能の緊迫感、面白さという意味では正解だったと・・・私は思いますね。


曲の進行は明日につづきます

葵上のつづき

まず後見が登場し、小袖を正先に広げて置きます。
この広げた小袖が、病床に伏せる葵の上という設定。このあたりが極めて能らしいと、この曲の評判を高める原因の一つにもなっているのではないでしょうか。


さらに出し置きの形でツレの照日の巫女が登場してワキ座に着座します。梓弓の名手ですが、梓弓はもともと弓弦を引いて音を出し魔よけとしたもの。この弓を引くことで霊を下ろす技にも長けているわけです。
この能の古い形では、ワキツレが先に登場してツレを呼び出す形だったという話もありますが、出し置きの形に整理してしまったことで、能としての緊張感は高まったような気がします。


続いてワキツレの朱雀院の臣下が登場し、葵の上の病状が重篤なので照日の巫女という梓の上手に物の怪を占わせると述べて、地謡前に着座しワキ座のツレに梓を引くよう命じます。
これを受けて大小が梓ノ手を打ち、ツレが「天清浄、地清浄・・・」と謡い出します。私、ここが大変好きでして、ツレの謡の聞かせどころですね。工藤寛さんは昨年の工藤さんの会「天地人之会」での望月のシテ以来ですが、安定感のある謡で好感が持てます。


常の型では、ツレの謡の後、あらためて一声の囃子が奏され、これによってシテ六条御息所が登場して、一ノ松で一セイを謡います。さらに二ノ句を継いで、次第からサシと、車争いの車に掛けてでしょうけれども、車から輪廻、無常を謡います。この謡がまた聞かせどころ。


しかしこの日は小書のため、ツレが「天清浄、地清浄・・・」と謡い始めると直ぐに幕が開き、ツレの謡のうちにシテが橋掛りを進んできます。梓之出は各流にある小書ですが物語の展開の緊張感を高めるためか、一ノ松まで進んだシテは、一セイ以降の謡をバッサリ切って「梓の弓の音は何処ぞ」の謡と謡い出します。
一セイ、二ノ句以下のシテの謡は聞かせどころと思うのですが、各流にこの小書があるところを見ると、劇的な面白さを望むケースも多かったのでしょうか。


さてこのつづきはまた明日に

葵上さらにつづき

ツレは招き寄せた生霊の有様を口にしますが、ワキツレはこれを「大方は推量申して候」と受け、さらにシテに名を名乗れと迫ります。


シテは自ら六条御息所の怨霊と名のり、自らの思い、怨みを切々と謡います。
さらに語る内に激情に駆られ、後妻打ちに及びます。ツレとの掛け合いの中に、正先の小袖に寄り、扇で打つ型。そして謡に合わせての立働きになります。
この地謡の最後で、枕に立てる破れ車、うち乗せ隠れ行こうよ、と謡うのに合わせて、持っていた扇を捨て、着ていた唐織りを被いて後見座にクツロぎ、物着となります。


被いた唐織りを後見が広げてシテの姿を隠す内に、面を般若に変え髪を乱しますが、中入りせずに物着の形で処理してあるのも緊張感を持続させますね。


ワキツレはアイを呼び、ワキ横川の小聖を呼んでくるように言いつけます。
アイはこれを受けて一ノ松あたりから幕に向かって呼び出します。
ワキの登場の謡は、重々しく、力ある行者の風。ワキの高安流宗家、高安勝久さんは名古屋が活動の中心なので、東京で拝見する機会は多くありません。私は式能で観ているだけです。


ワキはおもむろに橋掛りを進み、正先の小袖の前に着します。
ノットの囃子に合わせて祈祷を始めるわけですが、以前にも書きましたが、私、このノットが好きでして、もっと長く奏しないものかなどと思ったりする次第。


いよいよシテが悪鬼の姿となって、唐織りを被いたまま常座に出て膝をつきます。
ワキが祈りの囃子で、数珠を揉んで祈る中、シテは姿を現して唐織りを腰に巻き付け、やがてこれを落としながら打杖で激しくワキと闘います。
ワキの高安さん、かなり大きく後に下がるため、何度か地謡前列と接触した感じで、いささか地謡は迷惑そうな風に見えましたが・・・ともかくシテはワキの法力に調伏されて打杖を捨てて安座。


ここから地謡も一転して、中ノリの刻むような謡から、経文読誦の功徳によるシテの成仏を謡う謡へと変わり、留めとなります。小書のせいもあり短時間に凝縮された形で楽しめました。
・・・が、番組には附祝言の記載があったのに、皆さんそのまま退場。うーん、本当はついたのか、番組が間違いだったのか???
(45分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

巴 寺井栄(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2007.03.04
 シテ 寺井栄、ワキ 高井松男
  アイ 吉住講
   大鼓 守家由訓、小鼓 幸信吾
   笛 中谷明


ようやく2月の式能の鑑賞記を終えまして、今月初めに観た観世会定期能の鑑賞記に移ります。


巴は昨年9月の金春流山井綱雄さんの演能を観て以来半年ぶり。
どうも以前はあまり好きな曲ではなかったのですが、昨年2月の閑能会で関根祥人さんの巴を観てから、いささか考えが変わりまして、シテを演ずる能役者が巴という女性の何処に焦点をあてようとしているのか、もう少し観てみようと思っています。


さて囃子、地謡が着座すると、次第の囃子でワキ僧とワキツレの従僧が登場してきます。木曾の山中に住む僧で、都へ上る途中に近江国粟津原にたどり着いたという設定。着流しの旅僧姿です。
義仲にちなんで木曾の住人を持ち出し、さらに義仲終焉の地である江州粟津原に場面設定を持ってきた訳ですね。
ワキは高井さん、趣ある謡でした。次第から名ノリそして道行と謡いワキ座に着します。しかしながら、ワキツレに則久英志さんが出ていまして、私としてはついつい則久さんに注目。隠れファンでして・・・
余談ですが観世の謡本では、名宣リ笛で登場したワキの名のりには「名宣」と、次第などで登場したワキが謡の後で名のるときは「名ノリ」と表記してあります。ちょっとした使い分けですね。


さてワキが落ち着くと、アシライの囃子でシテが登場してきます。
サシの謡「面白や鳰の浦波静かなる、粟津の原の松陰に、神を齋(イオ)ふや祭事。げに神感も頼もしや」と謡ってシオリます。
この登場の際に扇を持って出る場合、数珠に榊を持って出る場合とありますが、本日は何も持たずに登場。
この謡、文言から言えば泣くような意味はありませんが、にもかかわらずシテが涙を見せる訳で、不審に思ったワキがその訳を問いかけることから話が展開していきます。


このつづきはまた明日

寺井さんの巴つづき

問いかけられたシテは、行教和尚が宇佐八幡に詣でた際に詠んだ歌「何事のおはしますとは知らねども。忝さに涙こぼるゝ」を引いて返答します。有難涙を流すという意味でしょうね。
シテの登場でサシの謡のままにシオル型となりましたが、金春の山井さんのときは、サシの謡は橋掛りで謡い、さらに舞台に入った後に、常座から三、四足進んで下居。合掌して神社に参詣し「昔のことの思い出でられ候」とシオル型でした。
下掛りではこの形になっているようなのですが、涙を流す意味が解りやすいものの、いささか意味合いが違ってきて複雑になりますね。


さらにシテはワキに対して何処の国の者かと尋ねます。
ワキは木曾の国の者と答えますが、木曾の国の者ならば粟津原の神の名を知っているべきに、と木曾義仲がまつられた社殿に参詣するように勧めます。


ワキは「不思議やさては義仲の・・・」と謡いながら数珠を取り上げ「神前に向かい手を合わせ」と合掌。地謡がこれを受けての謡のうちに、シテは常座から正中へ出て下居。
「さるほどに暮れて行く日も山の端に」と目付柱の方に向かい、面を上げてさらに幕の方を遠く眺める風から「入相の鐘の音の」と少し面を伏せて鐘の音を聞く心。
「いずれも物凄き」と立ちあがり「我も亡者の来たりたり」と自ら亡霊であることを明かしての中入りとなります。
なかなかに趣のある型附けです。


中入りの後は間狂言が登場しますが、アイは神社に参詣にきた里人という設定。
いわゆる語りアイですが吉住さんの歯切れの良い語り。
吉住さんは本狂言よりもアイでお見かけすることの方が多いような気もしますが、好感持てるアイです。
この地での木曾義仲と巴との物語を語った後に、ワキ僧に弔いを勧めてアイは切り戸口から退場します。


ワキ、ワキツレの待謡から後シテの出。
明日につづきます

寺井さんの巴さらにつづき

後シテの装束は観世流の場合かなり幅広に選択できるようになっています。
梨打烏帽子に長刀を持って軍装での登場にはなりますが、下は白大口か色大口、あるいは模様大口の選択もありますし、上も唐織を壺折に着ける場合もあれば長絹の場合もあります。
昨年二月の閑能会、関根祥人さんの時は替装束の小書を付けて法被肩上げの甲冑を表した装束で出ました。今回は唐織壺折に緋の大口でしたが、この装束をどう選ぶかでシテをどう表現するのか、能役者の考え方、捉え方の見せ所ということですね。


長刀を携えた女武者として登場し、橋掛りするすると進んで常座で長刀を一振り。女ながらも勇ましい姿です。


義仲の最後に立ち添えなかった憾みを示し、その執心で現れ来たったとシオリます。
ここで長刀を後見に渡し、扇に持ち替えて床几に腰を下ろしてクセとなります。
金春では長刀をかき抱いたまま床几に腰を下ろし、クセも長刀を携えたままでした。こちらの方が武者としての勇ましさが強調される感じがします。
クセからロンギへと謡が進み、義仲の最後の様を仕方話に見せることになります。


途中で再び長刀に持ち替えて敵との一戦を示し、橋掛りへ入って敵を追い払う様を見せ、義仲の最後の場に立ち戻ります。
義仲の遺骸に別れを告げ、烏帽子を取り、外した太刀を義仲の形見と左袖に抱えて女の姿として落ちのびる形。
小袖を引きかづく型もありますが、唐織はそのままに左袖で太刀を抱えただけで女の形を表現したわけですが、間延びせず良かったかと思います。


問題はそのあと「ひとり落ち行きし後めたさの執心を」で、突然にホロっときてしまいました。それまでもシオル型は何度か出てくるのですが、あまり思いを込めた感じを受けませんでした。それが、この最後の一句に思いが集約されているように感じたところです。
義仲の最後に立ち添えなかった憾み、というのを文字通り「うらみ」と思っていたのですが、「後めたさの執心」に思いを込めると、はからずも生きながらえてしまった我が身を恥ずる気持ちと、亡くなった義仲への惜別の情とを、この一点に集約したようで深く感じるところがありました。
(80分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

狂言 入間川 野村万蔵(観世会定期能)

和泉流 観世能楽堂 2007.03.04
 シテ 野村万蔵
  アド 野村扇丞 野村萬


この曲の鍵は「入間様(イルマヨウ)」という言葉使い。言ってみれば逆さ言葉で、武蔵国入間のあたりで流行っていた遊びらしく、わざと反対の意味の言葉を使ったりするもの。道興准后という人が15世紀の終わり頃に著した「廻国雑記」という書物にも「惣じて申しかよはす言葉なども、かへさまなることどもなり」とあって、都の人にも有名だった様子です。


この入間言葉をテーマに、都から東国方に帰国する大名をシテとして作られた曲。
まずは大名が太郎冠者を従えて登場し、長々と在京して訴訟していたところ、ようやく叶って安堵の御教書をいただき、さらに新知を拝領したうえに、国許へのお暇までいただいたと述べて、太郎冠者を呼んで共をいいつけて東へ下る形になります。
この間、大名、太郎冠者に続いて登場してきたアドの男は出し置きの形で笛座前に着しています。


シテの万蔵さん、いつになく重々しい雰囲気。「遙か遠国の大名」という名のりも相当に武張った感じです。
太郎冠者の扇丞さんを従えて東国に下る途中も「不奉公で手討ちにした者もあり」などと大名の性格を示すような詞もあって、その後の伏線となっている感じです。


さて大名と太郎冠者は舞台を廻りながら、正中で目付柱の先に遠く富士を眺める風を見せたりなど道行となり、橋掛りへ入って二ノ松あたりから戻ってくると一ノ松あたりで「大きな川へ出た」ということになります。


ここでアドの入間の男が立って名のり、所用で川向かいへ出掛けようとするといってワキ座に出ます。この男の姿に大名が呼び掛けたところから、狂言らしい展開となります。
このつづきはまた明日に

デザインを変更しました

このブログらしいテンプレートは無いかなあ・・・と、しばらく前から探していたのですが、今回「夢幻華亭」さんの素材を利用して、デザインを変更してみました。


我ながらだいぶん印象が変わったように思います。
能と狂言の鑑賞記索引のページも・・・実は別のサイトに置いてあるページなのですが・・・デザインを合わせてみました。


デザインを変えたからといって、別にブログの文章が変わるわけでもないのですが、まずは気持ちの問題ということですね。


三月から四月にかけての月末・月初は、年度の変わり目ということで思いのほか慌ただしく、能楽鑑賞もままなりませんね。
というわけで、次は四月の二週頃に出掛けてみるつもりです。
もっとも、三月に観た観世会、宝生会、東京金剛会の鑑賞記が、まだまだ途中ですので、まずはそれを仕上げてから・・・でしょうか。
今日は、観世会での万蔵さんの狂言「入間川」の鑑賞記のつづきを更新の予定です。
また後ほど・・・

狂言「入間川」のつづき

大名が横柄にものを問うと、男も横柄に返します。大名は腹を立てたもの、太郎冠者にいさめられて言葉を直して問いかけると、男もそれなりの応対をしてくる様子。これには大名も気をよくして、川の名を問うと「入間川」との答。


大名は、さてこの入間川を渡るのにどこで渡ればよいのかと男に尋ねます。
男は「ここは深いので上へ回れ」と言いますが、大名は「この川は入間川だな」と念を押すと、そのまま渡り始めてしまいます。


男も太郎冠者も大名を止めようとしますが、大名はかまわず川を渡り、案の定深みにはまってしまいます。
助けられた大名は太刀に手をかけ男を斬ろうとします。というのも「このあたりは入間様と言って、昔から逆さ言葉を使う場所なので、ここは深いから上へ回れというのは、ここを渡れということだと思った」という理屈。これもまた勝手な思い込みで随分な話ですが、件の入間の男、これに騒がず大名に「弓矢八幡、成敗いたす」と誓わせて「やら心安や」と述べます。
大名が入間言葉を持ち出したのを逆手にとって「成敗する」と誓わせたので逆に成敗できないだろうという理屈です。


ここから逆さ言葉を使っての応酬になります。
命を助ける、助けない。忝ない、忝なくもない。物を与えても、祝着にもござらぬ・・・などなど、やり取りが続いて、大名は様々な物を男に与えます。


そこでアドの男が、頂き物を持って帰ろうとすると、大名が引き留め「入間様を除けて真実を言え」と持ちかけ、男が「身に余ってかたじけのうござる」と言ったのをタネにして、与えた物を取り返し退場するという形。
男はこれを追い込んでの終曲となります。
萬さんのアドも見事でしたが、万蔵さんのシテ、このところ見る度に上手いなあと思うことしきりです。
(30分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

熊野 読次之伝・村雨留 梅若六郎(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2007.03.04
 シテ 梅若六郎、ツレ 木原康之
  ワキ 殿田謙吉
   大鼓 柿原崇志、小鼓 亀井俊一
   笛 一噌庸二


またまた熊野。1月に観た本田光洋さんの熊野の記憶がまだ鮮明ですが、この度は梅若六郎さん。読次之伝と村雨留の小書がついています。


読次之伝というのは文ノ段の小書。
登場してきたシテ熊野はツレから受け取った手紙を黙読した後、舞台に入り、ワキ宗盛に面談を求めて手紙を見せます。そしてこの母からの手紙を読むわけですが、一月の金春会の鑑賞記に書いたとおり、この文は上掛りではシテの独吟。一方、下掛りではワキが二句ほどを読んで、その後はシテとワキの連吟になります。
これが読次之伝の小書がつくと、観世でも下掛りと似た形で連吟、あるいは交互に読む形などになるというもの。


また村雨留の小書がつくと、中ノ舞を舞っている途中で村雨に花が散るのに気付いて舞をやめてしまう、という演出になりますがこれはなかなかに趣ある演出です。
今回は六郎さんのシテですし、ついつい過剰に期待してしまうのですが、期待に違わず・・・の能でした。


ツレの木原さんは初めて拝見しましたが、ツレらしいツレ振りというか声を高めに取りシテを引き立たせる感じでした。
明日は曲の展開に沿ってつづきを

「熊野」読次之伝・村雨留のつづき

まずは名宣リ笛でワキ宗盛の登場。
このところ殿田さんのワキを拝見する機会が多いのですが、私個人的には大変気に入っているワキ方です。なんでもご出身は金沢とか伺っていますが、年代的にもまさに「良い味」が出てきたところかと。


熊野の宗盛は、熊野を手放そうとしない嫌な奴的な設定で、平家物語の描く宗盛像に従ったということなのでしょうけれども、そうは言っても相応の身分もあり、悪賢いタイプの悪人ではありませんから、ワキとしても相応の品位が必要ということでしょう。


ワキの登場に続いてツレ朝顔が登場してきますが、一度舞台に入り常座で謡った後、橋掛りで幕に向かって案内を乞います。木原さんの謡は昨日も書いたとおり、調子を高めにとったツレらしい謡。


これにこたえてシテ熊野の登場です。
シテのサシ謡の後、ツレがシテに近づいて手紙を手渡します。


シテはツレから渡された手紙を黙読しますが、読み終えるとこの手紙を持って宗盛のもとへ行くことにします。
シテは橋掛りでツレと入れ違い、ツレを従えて舞台に入り、文ノ段へと進みます。


先日の本田さんの熊野では、ワキのもとに近より、二人して寄り添う感じで文を読みましたが、この日はシテが手紙のことを述べると、ワキは「なにと故郷よりの文と候ふや、さらばもろともに読み候べし」と言い、一度立ち上がって、舞台やや中央に寄ったあたりで再度床几に座します。
シテは正中で床几に座し、まずワキが文を読み始め「涙に咽ぶばかりなり」まで、ほぼ半分を謡います。これを受けてシテが「ただ然るべくは」からの残り半分を謡いました。
この謡は趣ある謡で「老いぬればさらぬ」からは、思いが深く入った風。
「涙ながら」のところで大鼓の柿原さんの掛け声がかぶりますが、これが実に良い。


しかし結局は暇乞いはかなわず、花見へ行くことになってしまいます。
ということで明日にもう一日つづきます

ふと気付いてみれば15000アクセス

気付いてみれば15,000アクセスを超えておりました。
まだ開設して一年にはなっていませんが、おかげさまでアクセス数がのびています。


ところで、このブログのスタンスとして、あまり能楽を御覧になったことの無い方に、能楽の面白さをお伝えできれば・・・ということで、鑑賞記などを中心に書いてきているのですが、このところ、いささか書き方が通向けになってしまっているかなあ、と反省しています。


とは言え、曲の流れやシテ・ワキなどの動きを記録しておこうと思うと、どうしても専門用語が入ってきてしまいます。
「常座から進んで正中で下居」
と書いてしまえば簡単なことなのですが、これを能楽用語を使わずに書こうとすると大変です。


基礎的な用語の解説は、このブログを書き始めた頃にある程度は書いておいたのですが、これと現在のブログをどう結び付けるか、さらにもう少し用語解説のようなものも増やしていこうか、などと密かに考えているところです。


直ぐになにかが出来るような状況でもないのですが、少々気長に考えていこうか、と思っています。


いずれにしても、引き続きよろしくお願いいたします。

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