能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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忠度 三川泉(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.03.11
 シテ 三川泉、ワキ 宝生閑
  アイ 山下浩一郎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 住駒幸英
   笛 中谷明


四月に入ってしまいましたが、未だ三月の観能の記録。
本日から11日の宝生会月並能の鑑賞記に入ります。


まずは宝生流の長老、三川泉さんのシテで忠度。
忠度は昨年の七月に金春の井上貴覚さんの演能を観て以来ですが、下掛りのかつお若いシテの演技との対比もあり、興味深いところ。


まずはワキの登場ですが、角帽子に着流しの旅僧姿でワキツレの従僧を連れての登場です。まず次第を謡った後、自らは藤原俊成に仕えていた者だが卿と死別し出家した旨を名のります。さらにサシ、下歌、上歌と西国行脚の道々を謡い、須磨の浦に至ったと着座をするわけです。


このところ宝生閑さんの舞台を拝見していて、あらためて見事だなあと感じることが少なくありません。
ワキ方ただお一人の現役の人間国宝ですし、あたり前といえばそうなのかも知れませんが、微妙な謡の間や声の張り方、抜き方、ちょっとした所作に、ハッとすることがあります。ワキですから謡にしても所作にしても、そんな違いが出ようもなさそうなのですが、やっぱり全然違うんです。


そして前シテの出。無地熨斗目着流しに水衣、浦の老人の体ですが、なにやら由ありげの様子。右手に杖をつき左手には小枝を持っています。
サシの謡の後、山陰の一本の桜に持ってきた小枝を捧げます。


各流とも桜の作り物は出しませんので、桜の木があるつもりで枝を置く形になります。この位置は流儀によって様々で、正先に置く流儀もあり、昨年の金春流井上さんのときは目付柱に近いあたりでしたが、この日は常座から二、三足進んだあたりに下居して、枝を置いての合掌でした。
この桜の木は亡き人のしるしということで、ワキ僧たちとの問答になります。
さてそのつづきはまた明日に

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忠度のつづき

ワキがシテの老人に対し、山中のこととて「老人は山賎(ヤマガツ)か」と問いますが、シテは「この浦の海士」であると答えます。
山中に海士とは不思議な話なので、ワキがこれを問い直しての問答が続きますが、問答のうちに日暮れ時となってしまい、ワキはシテに一夜の宿を貸してほしいと頼みます。


この願いに対して、この曲の主題の歌「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」が紹介され、この歌とその作者である平忠度を巡って物語が展開することが明らかにされます。


シテはこの花の陰ほどの宿はあるまいと述べ、ワキがなるほど花の宿は良いとしてその主は誰なのか、と問うのに答えて、シテが歌を示すわけです。
主題がかなり早い段階で明らかにされ、ワキもシテの詞を受けて再度歌を唱えて「詠めし人は薩摩の守」と明らかにしますね。
後シテが誰であるのか、明確に名前まで示される形になりますね。


ワキは僧ですが、そもそも俊成ゆかりの者と名乗っていますし、見所に時間をかけて想像させるよりも、よりストレートにイメージを膨らませる方を選んだという演出なのかも知れません。
しかもシテは「御僧に弔われ申さんとて、これまで来たれり」と、自らが忠度の霊であることを明らかにして中入りとなります。


金春の井上さんの時も、このあたりはお若いなりになかなかに趣深い演技を見せ、謡もいささか強い感もなきにしもあらずでしたが、全体としては深みのあるいい謡でした。
今回の三川さんの前シテは、さすがに年功を積まれたシテらしく趣のある謡。最初はいささかお声が小さいな、という印象だったのですが、観ているうちにいつの間にかそうした感じも無くなりまして能に引き込まれた感じです。
・・・つづきは明日に

忠度さらにつづき

ワキはアイを呼び出し、ところの謂われを尋ね、また不思議な老人の様を語って一夜の宿りの後、都に立ち帰って定家にこの由を報告しようと述べ、まずは一夜をこの地にて明かすことにします。


ワキの一行がが待謡を謡います。
一声の囃子で後シテ、忠度の霊が登場してきます。サシの謡の中に、詠み人知らずとされている千載集の歌に作者をつけて欲しいという自らの望みを述べます。
千載集には俊成の撰により忠度の歌「さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」が収められていますが、忠度が勅勘の身であったため詠み人知らずとしてあります。これを定家に伝えて、作者忠度の名を出して欲しいという願いですね。


そしてこの願いを述べた後、自らが命を落とした一ノ谷の合戦の様を謡い舞う形になります。
地の下歌「年は寿永の秋の頃」から、この合戦の様になるわけですが、他の修羅物とはいささか異なり、シテは忠度の霊として自らの様子を語るうちに、源氏方の岡部六弥太忠澄と組み合いになり、忠度が討ち取られたところからは、自らがその六弥太となってその後を語ります。


さらに「御身その花の・・・」とキリの地謡となるところからは、再び忠度の立場に戻りますが、詞章からいうと中入り前の霊である老人に戻った風情で、この形で姿を消すという、いささか不思議な構成となっています。


金春では一ノ谷の合戦に入り「皆々船に取り乗って海上に浮かむ」の後にカケリが入りました。戦の場面の盛り上がりということなのでしょう。
本日の宝生流や観世流を含め、他の流儀では六弥太が短冊の歌を詠ずるところに立廻りが入りますが、観世では「行き暮れて木の下陰を宿とせば」の後に立廻りとなるのに対して、宝生では「行き暮れて」で立廻りとなり、その後「木の下陰を宿とせば」とシテが謡います。少し違いますが、いずれにしてもこの曲の主題ともなっている和歌の情趣を引き立る形ですね。
(100分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

胸突 野村万蔵(宝生会月並能)

和泉流 宝生能楽堂 2007.02.11
 シテ 野村万蔵、アド 小笠原匡


私が知らないだけなのかもしれませんが、この曲、あまり上演されないと思うんです。
このところ東京では万蔵さんが何度かされている程度ではないでしょうか。


借金取りを巡る話で、借り手がいかにそれを逃れようとするか、とまあそのあたりが見せ所なのですが、シテの借金を返さない男にアドの貸し手が返済を迫る前半は、かの八句連歌と似たような話です。


そのあとが、胸を突かれて痛いという騒ぎになるのですが、八句連歌と比べるとちょっと単純ですね。
このあたりで、上演が少ないのかもしれません。融と須磨源氏のような関係かも。


さて、まずはアドの貸手が登場し、借手のところへ借状を持って返済を求めにやって来ます。
小笠原さんのアドですが、長裃の姿で「万蔵と申す者」に金を貸したとが返さない。「使いを遣わせば、さんざんに悪口を言い、あまつさえ打擲する」始末なので、いよいよ自ら借金取りに出掛けてきたという次第です。


シテの借手は出し置きの形で出ています。
アドがやって来て案内を乞うのですが、あれは確かに「小笠原匡殿」・・・別な曲の時も書きましたが、狂言では役名が決まっていない場合、演者の名前を使うことが普通。でも一般的な演劇の感覚から言うと、ちょっと不思議な感じですよね。
ともかく、シテは貸し手の取り立てに会っては面倒と、居留守を使うことにします。
さてこの二人の問答は明日につづきます。

胸突のつづき

シテは「留守」と答え、アドに「誰か」と問われると「隣の者」と答えてその場をやり過ごそうとします。
アドは、借り手の作り声と気付き裏へ回ってみようとしますが、一方のシテも今の内に逃げてしまおうと裏へ回り、鉢合わせしてしまいます。


シテは「これは嬉し悲しうお目にかかりました」と妙な挨拶。アドはともかくも借りた金を返せと迫りますが、今少し、近々にはきっと、などと言ってシテは何とか先延ばししようとします。
こういうやり取りなどの言い回しや表情など、私、万蔵さんの芸が大変に気に入っています。なんとも言えないおかしさがあります。


なかなかハッキリとしたことを言わないシテに腹を立てたアドが、家に連れて行くとシテの胸倉を取ります。連れて行く、行くまいか、と引き合いの末に、アドがシテを突き放してシテは倒れ込んでしまいます。


するとシテは大きな声で痛い痛いと騒ぎだし、あばら骨を三枚まで突き折られたと言いつのります。
慌てたのはアドの方で、外聞も悪いのでなんとかシテを静かにさせようと「利分の料簡しよう」と言いますが、急に開き直ったシテは「なんじゃ、利分の許そう?」とさらに痛い、痛いと大騒ぎ。


困ったアドが「ならば元利ともに許そう」と言うと、急に調子が良くなった様子で「どうやら気がハッキリとしてきました」と、元気つきます。このあたりの現金さがまた見せ所でしょうか。


シテは調子に乗って、借状をアドから貰い受け判のところを破ってしまって「さらりさらりと済みました」と、実は借金を棒引きにして欲しくて痛がったことを明かし、アドが追い込みます。
なかなか面白いと思うのですが、万蔵さんの芸に寄るところが大きいかなあ・・・
(15分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

誓願寺 大坪喜美雄(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.03.11
 シテ 大坪喜美雄、ワキ 工藤和哉
  アイ 小笠原匡
   大鼓 佃良勝、小鼓 亀井俊一
   太鼓 大江照夫、笛 藤田朝太郎


五流にある曲ですが、一節に世阿弥の作とは言われているものの本当のところは作者不詳というところでしょうか。
そもそも誓願寺というのは京都、新京極にある浄土宗の名刹で、現在では浄土宗西山深草派の総本山になっていますが、このお寺、女人往生の寺として古くから女性の信仰を集めていたようで、清少納言が当寺で剃髪して尼僧になったと言われているそうです。
また和泉式部が娘の小式部内侍に先立たれた後に、この寺に詣でて四十八日間参籠し、念仏三昧に入って霊夢により女人往生の信仰を得たとも伝えられています。


女人往生に関して、柳田国男はこの誓願寺が熊野比丘尼の養成所のようになっていたとの説を唱えていたようで、そうだとすると、この寺と熊野との関係も推測できるところですね。


誓願寺は飛鳥時代の創建と言われていますが、その後、法然上人に譲られて浄土宗の寺となり、その法然上人の高弟である善慧房証空(ぜんねぼうしょうくう)上人が守って、西山派のもととなったということですが、証空上人の孫弟子にあたるのが一遍上人。


これでこの能の登場人物である和泉式部と一遍上人、そして舞台の誓願寺と熊野が結びつくことになります。


しかし現在の誓願寺は新京極、ここって修学旅行などでもお馴染みの繁華な街。お土産を買う場所的な印象なのですが、京都の町も千年の都ですから、大きく変化してきたというとこですね・・・
能の展開は明日につづきます

誓願寺のつづき

まずはワキの一遍上人とワキツレ従僧が登場してきます。
工藤さんも一遍上人ということで、一段格が高い雰囲気を出していました。装束も小格子厚板に白大口、銀鼠のような色の水衣に数珠を持ち、着流し僧よりもかなり格が高い感じです。
ワキは熊野本宮で六十万人決定往生の札を弘めよとの霊夢により都へ上ると述べて、道行を謡い、都、誓願寺に到着します。
ワキ座で床几に腰を下ろし貴賤の人々の集まる寺内の様子を賛嘆していると、前シテの女が登場してきます。


いささか珍しいのは、シテが登場すると直ぐにシテとワキ掛け合いの謡になってしまうこと。シテの詠嘆や独白は無くいきなり掛け合いというのは、ワキが一目で、シテを群衆の中でも特別な人物と認めたということなのか、いささか考えさせられるところです。


掛け合いから地謡へつなぎ、シテはワキの前までするすると進んで下居し、往生の札を受け取ります。
シテは正中に戻ってワキに向って下居し、札には「六十万人決定往生」とあるが、六十万人しか往生できないという意味かと問います。


ワキが答えて言うには、この六十万人は、熊野での霊夢にあった四句の文の、それぞれの句の最初の文字を連ねたもので、その四句とは「六字名号一遍法、十界依正一遍体、万行離念一遍証、人中上々妙好華」であると説明し、弥陀の教えは十方世界を遍く照らすので六十万人などと人数を限ることはないと述べます。


シテはこの詞に安堵したと言い、地謡のうちに念仏を讃え、佛と上人と一体に拝むと申し述べます。そして上人に、昔から「誓願寺」と打った額を、上人直筆の六字の名号に変えることをご本尊のお告げと言い、自らは和泉式部であると身を明かして姿を消してしまいます。
ここで中入り
このつづきはまた明日に

宝生会月並能を観に行く

先月に引き続き、ご厚意の頂きもののチケットで宝生会を観に行ってまいりました。
能が橋章さんのシテで嵐山、小林与志郎さんの采女、そして波吉雅之さんのシテで須磨源氏の三番。狂言は山本則直さんのシテで察化でした。


能楽堂はけっこう空席がありましたネ。いつも以上にお若い方が少ない感じでしたが学生の皆さんは春休みも終わって学業に忙しいのかも知れません。


それぞれ味わい深い能でしたが、言葉は悪いかも知れませんが、宝生の能ってホントに地味だなあとしみじみ思った次第。嵐山の後シテでも、観世だったらツレの舞の後は地謡がもっと派手目の謡い方になって、早笛で後シテが豪快に登場・・・という感じですが、派手さよりも渋さが勝った感じです。これはこれで流儀としての主張なんだろうと妙に納得して鑑賞。


采女も近藤乾之助さんの地頭で実に味わい深い一番でしたが、もう少しで二時間という長大な曲なので、さすがに意識も飛んだところがあります。昨年観た金剛の今井さんの采女とはずいぶん違った印象でした。
狂言は山本家の皆さんでしたが、こちらもまた渋い。でも察化(サッカ)は予想外に面白かったですね。


個別の鑑賞記は、東京金剛会の鑑賞記の後で、と思っています。
ちょうど先月の宝生会の最後の部分を書いているところですから、まだちょっと先になりますね。


ところでシテが絶句したとき宝生流は地頭がつけるんでしょうか?
私は後見がつけるものとハナから思い込んでいたのですが・・・割とそうした場面に出会う機会の多い某流儀では常に後見がつけていたようですし、観世でもそうだったと思いますが

誓願寺さらにつづき

アイの「所の者」が登場し、誓願寺の縁起や本尊の謂われ、さらに和泉式部がこの地で往生を得たことを述べ、ワキ一遍上人とやり取りの末に、上人自筆の名号の額をかける旨を触れて退場します。


ワキは立ち上がり、六字の名号を書き付けると述べ、ワキツレ共々に待謡で、その額を掛けると異香薫じて花降り、音楽が聞こえ出す様を謡います。


後シテは出端の囃子にのって登場すると、常座から正先を見込んで六字名号の額を拝する形で「あらありがたの額の名号やな」と謡います。
和泉式部の霊は歌舞の菩薩となり、極楽から舞い戻った形。


紫地に金の文様の舞衣に緋の大口、天冠を着けた形は、和泉式部の霊というよりも、やはり天女の姿なんでしょうね。


二十五菩薩も来迎して、誓願寺はさながら極楽世界になったと謡い、さらにクリ、サシ、クセと誓願寺の縁起から、極楽往生の道を説きます。
クセも舞クセで優美な舞。宝生なので派手さはありませんが、優美さが漂う心地よい舞だったと思います。
さらに自ら極楽の歌舞の菩薩として舞うということで、太鼓入り序ノ舞となります。


舞い上げた後、さらに諸菩薩は御堂に掲げた上人の手になる六字名号の額を拝すると謡い舞い、合掌して常座で留めとなります。


以前、呂中干の舞の話を書きましたが、宝生や金春など各流の舞を観ていると、初段、二段と段の切れ目の直前は呂から中、干へと一つずつ変わっていくのが良くわかります。観世流はどの段も呂で次の段になりますが、観世だけが特別だというのが、しみじみわかりますね。
(110分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

藤戸 田崎隆三(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.03.11
 シテ 田崎隆三、ワキ 森常好
  アイ 野村万蔵
   大鼓 國川純、小鼓 観世新九郎
   笛 槻宅聡


後シテが猟師や漁師の霊ということで、阿漕、善知鳥とともに三曲並べて紹介されることもありすが、この藤戸は佐々木盛綱の仕業を巡る怨みの話がベースになっていて、ストーリー性ある曲。いささか他の二曲とは曲調が異なっています。
シテも前場では漁師の母として現れ、ワキと対峙する形。後場でその漁師の霊となって現れるという形で変化があります。


もともとは平家物語巻の十が原典で、寿永三年(平家方では元暦元年)の藤戸合戦の際に、源氏の武将である佐々木盛綱が、わずかな手勢を率いて馬で海を渡り、対岸に布陣した平家方に斬り込んで、源氏勝利のきっかけを作った話がもとになっています。


この合戦では、源氏方は備前藤戸に布陣し、一方の平家方は対岸の児島に布陣していたのですが、その間には海が横たわっており、船を持たない源氏がなすすべもなく平氏の陣をただ眺めているばかり。
その時、なんとか手柄を立てたいと思っていた佐々木盛綱は、浜で一人の若い男と出会い、この男の案内で浅瀬づたいに対岸へ渡る道筋を会得します。
これが源氏勝利のきっかけとなるのですが、さて盛綱は道筋を教えて貰うと、この若い男を殺してしまいます。
おそらくは戦いの前に秘密が漏れることをおそれたため、と同時に自分だけの手柄にしたかったためなのでしょう。


この殺された若い男、漁師の怨みを描いたのがこの能です。
というわけで能の次第は明日につづきます

藤戸のつづき

まずはワキ佐々木盛綱とワキツレの従者が登場してきます。
目出度く藤戸合戦に勝利し、盛綱は頼朝から勝利のきっかけを作った恩賞として備前児島を所領として与えられます。
その初入部ということで、一行が児島にやってくるわけです。


児島に到着すると、盛綱は従者に訴訟のある者は申し出るように触れよと命じます。
これを受けてシテが登場してきます。


前シテは男の母。
中年の女の姿での登場となりますが、無地熨斗目に無紅唐織着流しの装束。扇を持たずに登場します。身分の賤しい中年の女という扮装。
通常、唐織の下には摺箔という白系統の平絹の小袖を着けますが、この曲では無地熨斗目という老人や僧などの着ける小袖を着けています。漁師の母という身分を装束で表そうという工夫なんでしょうね。
この藤戸のほかには安達原でも無地熨斗目に無紅唐織の組み合わせになりますが、こちらも同様の意図ということでしょう。


登場してきたシテの女は、訴訟ありげにワキを見てさめざめと泣く様子。
私は学生時代に観世流の稽古をしていたこともあり、若い頃はあまり宝生の能は観ていなかっのですが、シテの田崎さんは宝生の能楽師としては割とお若い頃から拝見している方です。
ちょっと枯れた感じの声が、年齢を重ねるに従って味が出てきた感じで、この曲のシテにはまさに似つかわしい感じがします。


さてそのつづきはまた明日に

藤戸さらにつづき

なにやら故ありげなシテの姿を不審に思ったワキがその理由を問います。
シテは我が子を波に沈めただろうと問い、ワキの盛綱は一度は突っぱねますが、シテの重ねての詰問に、若い男を殺したことを認め、その様を語ります。
この「語」はワキの聞かせどころ。


シテは語を聞き、ワキに死骸を隠した場所を問います。
このやり取りからクセにつながり、前半はジッとこらえて居グセの形ですが、上げ端を謡うと一度腰を浮かしてモロシオリ「とてもの憂き身なるものを」とワキをを見上げると、すっと立ち上がり「亡き子と同じ道になして・・・」と激情のままにワキに詰め寄る見せ場。


しかし止められて大小前まで退り、再びモロシオリの型。深い思いが込められた感じでした。
老母を家に帰そうとアイを呼び、狂言オクリ込みの中入りとなります。アイの万蔵さんが声をかけながら家に送る形ですが、シテはモロシオリから立ち上がる際にゆっくりとワキを見込みます。思いが残る感じです。


中入りは狂言オクリ込。シテを幕まで介添えし、幕に入ってしまうと舞台に戻って管弦講の触れをします。


さてワキは法要を営むこととして、ワキツレ共々待謡でこの由を謡います。
ワキが座に戻り一声の囃子で後シテの出。
ここは下掛りだと太鼓が入り出端になるらしいのですが、そうなると随分と感じが違ってこようかと思いますね。


後シテは腰簑を着けた漁師の姿に杖をついて登場します。
「御弔いは有り難けれども恨みは尽きぬ」と恨みのほどを述べ、地謡によって自らの殺された有様を仕方話に見せる形になります。


謡では「成仏得脱の身となりぬ。成仏の身となりぬ」と最後には弔いの功徳によって成仏を得たと謡いますが、なぜか常座で手に持った杖を捨てるように前方に放し、モロシオリしてから留めの拍子を踏みました。
うーん、この最後の型は深い意味がありそうですねえ・・・
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

藤 榎本健(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2007.3.17
 シテ 榎本健 ワキ 御厨誠吾
  アイ 大藏基誠
   大鼓 内田輝幸、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 小寺真佐人、笛 栗林祐輔


ようやく三月の観能の最後、東京金剛会の鑑賞記になりました。


この藤という曲、観世・宝生・金剛の三流にあるのですが、あまりメジャーとは言い難い曲です。いわゆる三番目物で後シテが序ノ舞を舞いますが、植物の精がシテという意味では杜若などと同様の曲趣というところでしょうか。
とは言え、杜若に比べると上演回数はぐっと少ない感じです。
藤の花の精が舞うということで綺麗な曲とは思うのですが、今ひとつ盛り上がりに欠けるかなあ・・・というところでしょうか。


ところでこの曲、流儀によって詞章に相当の違いがあるということで、金剛では初見ですし金剛の謡本も持っていませんので、どのくらい違うのか、いささか興味を持って出掛けたところです。
そのあたりは曲の進行の中でも触れていきたいと思います。


榎本健さんは初めて拝見しましたが、今回は研修能ということでまさにお稽古中の曲といった部分もありましたね。
ワキも御厨さんが勤められ、なんと高井松男さんが梅村さんとともにワキツレに入られていました。なあるほど、こちらも研修ということですね。御厨さん相当に気合いが入った感じを受けました。


まず舞台は後見が藤懸松立木台を持ち出してきて正先に据えます。
そして曲はまずワキの旅僧が次第の囃子で登場するところから始まります。
ワキは都の僧ですが、加賀の国にしばらく逗留してここかしこの名所を見物してみたので、さらに足を伸ばして善光寺へ行ってみようと述べます。


さてこのつづきはまた明日に

野村万作抄を観に行く

この野村万作抄という催し、水戸芸術館が開館して間もなくから毎年催され、回を重ねて今回で十五回目になりました。
本日の番組は萬斎さんのシテで隠狸と、万作さんのシテで六人僧。
いずれも面白い狂言で、楽しく拝見しました。


開演に先立って、石田幸雄さんの解説ということで、二十分ほどのお話。
初めての方にも参考になるようにということで、役の性格による名のり方の違いなどを実演を交えながらの解説。これがまたなかなかに面白いお話でした。


隠狸はそれほどでもありませんが、六人僧は割合上演の少ない曲で初見です。
曲の鑑賞記はいずれ掲載しますが、この野村万作抄、最近はあまり観ていなかったので、久しぶりに楽しい会を観て満足しています。


水戸の芸術館は1990年に水戸市制100周年を記念して開館した施設で、コンサートホールと劇場、それに美術館が一体になっています。
万作さんはこの芸術館のオープン当初から関わりを持たれ、野村万作抄の形で年一度の定期公演を続けてこられました。


会場となるACM劇場は、建築家の磯崎新さんがシェークスピアの時代のグローブ座に着想を得て設計したもので、舞台を客席が取り囲むように円筒形に立ち上がっている不思議な形。
これが能・狂言に妙にフィットします。


舞台も客席に張り出した形になっていて、正面奥が両開きの扉になっている設計。
このところは仮設の能舞台を組んでしまうので、正面奥は松の絵になってしまいますが、十年以上前の野村万作抄で茸(クサビラ)を上演した際に、この正面奥の扉も利用して、茸がぞろぞろと出てくる様を表現したり、といった斬新な演出もありました。
萬斎さんの奈須与市語も記憶に残っています。


萬斎さんの人気が高まって、すっかりチケットが取りにくくなってしまったため、あまり観に行っていないのですが、やっぱり面白かったなあ・・・
来年も観に行こう!っと。

金剛流「藤」のつづき

東京金剛会の鑑賞記を続けます。


加賀の国から善光寺へという道筋は、いつぞや山姥の鑑賞記でも書きましたが、鉄道などの無い時代には主要な道だったのでしょうね。現代なら京都から長野善光寺に行こうとして金沢を回る人はいないと思うのですが・・・


ともかくワキの僧、善光寺へ向かおうと加賀の国を立ち氷見へ向かい、藤の名所である田子の浦にやって来ます。この田子の浦、現在では静岡の田子の浦と同じ表記ですが、観世の謡本では「多ゴ:ゴは示偏に古」と表記します。確認したわけでは無いのですが、もしかして金剛では「多胡の浦」と書いているのではないかと想像しています。


それは後におくとして、さてワキ僧が今を盛りと咲いている藤の花に見とれて「常磐なる松の名たてに、あやなくも、かかれる藤の咲きて散るかな」という古歌を口ずさんでいると、前シテ里の女が呼掛で登場してきます。
これ、観世の本では「おのが波に同じ末葉の萎れけり、藤咲く多ゴ(ゴは示偏に古)の恨めし乃身ぞ」と謡うことになっています。流儀によって若干の詞章の違いというのは良くあることですが、引いている歌が全然違うというのは少ないほうですねえ。


女は「田子の浦や汀の藤のさきしより、うつろう波ぞ色に出でける」という古歌を謡い、この地は歌に有名な藤の名所なのに、妙な歌を口ずさんでいるのは無粋なことだと非難します。この女のひいた歌、続後拾遺和歌集におさめられた藤原房實の歌だそうですが、観世の本では下の句が「波の花さへ色にいでつつ」となっています。


シテ、ワキの掛け合いから地謡へとつなぎながら、さてその古い歌などをひいてこの地の謂われを語る女人は誰なのだという問いに、シテが自らこの藤の花の精であると明かして姿を消してしまいます。
ひかれる歌は万葉集の内蔵縄麻呂の歌「多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざしてゆかむ見ぬ人のため」観世ではシテの「かの縄麻呂の歌に」の句に継いで地謡がこの歌を謡いますが、良く聞き取れなかったものの、金剛ではシテの章句にもこの歌が織り込まれているような感じでした。
ここで中入り。さてこのつづきはまた明日に

金剛流の「藤」さらにつづき

中入り後はアイ所の者が登場しワキとの問答から居語りに「たごの浦」の由来を述べます。基誠さん、またまたヘアースタイルを変えたような・・・


ワキの待謡から後シテの出になります。
実はこの日、能楽堂に向かう電車の中で、ワキ方安田登さんの書かれた本「ワキから見る能世界」を読んでおりまして大変に感銘を受けたところ。影響受けやすい私のこととて、すっかりワキ僧の気持ちになってシテの到来を待つ気持ちでした。この本の話はいずれまた機会を見て・・・と思っています。


さて後シテは藤の立物をつけた天冠に、緋の大口、紫の長絹の優美な姿で登場してきます。
まさに藤の花の精という姿。仏法の縁にひかれて歌舞をなさんと現れたと言い、クセの舞に展開します。
クセは舞グセ。扇を広げて構えたところから、地謡の「眺めに続く景色かな」で片ユウケンを二つしてクセに入ります。割と短めのクセですが、型どおりの展開ですね。


クセから序ノ舞へ入ります。観世では序ノ舞を舞い上げたあとのワカ「面白やゆたに吹くなる春風に」の頭の句「面白や」をシテが謡って序ノ舞に入りますが、この日は地謡のままに序ノ舞へ。舞い上げたあとの詞章も全く違っています。
ちなみにこの序ノ舞、観世流では太鼓入りが常の形とされていますが、太鼓無しにも演ずることができるよう型附けに書かれています。


序ノ舞を舞い上げると大ノリの地に乗って、優美にキリの舞。春風に誘われつつも、謡い舞いするうちにはや紫の曙となり、たなびく霞に姿を消してしまいます。
舞は・・・研修中ということで
(85分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

花月 熊谷伸一(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2007.3.17
 シテ 熊谷伸一、ワキ 工藤和哉
  アイ 大藏千太郎
   大鼓 安福光雄、小鼓 野中正和
   笛 内潟慶三


昨年九月に喜多流、粟谷能夫さんのシテで観て以来の花月。いささか思い入れのある曲です。喜多と金剛なので、似た印象になるかなと思いつつ鑑賞。


一同着席の後、次第の囃子でワキの工藤さんが登場してきます。紺の無地熨斗目の着流しに水衣。いわゆる旅僧の姿ですが、舞台に入り常座で斜め後ろを向く形で次第から道行を謡いました。
旅僧姿ではありますが、筑紫彦山の麓に住む僧で、出家する以前に七歳の子供が行方知れずになり、それを機に出家した旨を明らかにします。


さて清水寺にやってくると、狂言と問答になります。
ワキは清水寺・・・ところで、能をよく御覧になる方はご承知でしょうけれども、清水寺はキヨミズデラではなくセイスイジと読みます・・・に着いたと常座で謡った後、正中へ出て幕のほうを振り返り「清水寺門前の人の渡り候か」と呼びます。


これに答えてアイの千太郎さんが狂言座から立ち上がり、ワキとアイの問答になります。
自然居士などと同様に、この曲では狂言の役割が重要になっています。
ワキに何か面白いものを見せてくれと言われ、シテの花月を招く形になりますが、ワキとの問答から、登場したシテとの問答へと、狂言を中心に物語が展開する感じです。


このつづきはまた明日に

花月のつづき

大藏千太郎さんのアイ、いつもよりも一段力の入った感じ。花月のアイはやはり常のアイとはいささか感じが違いますね。


狂言に呼び出されるようにしてシテが登場してきますが、花月は喝食ということで少年の設定です。
若い能楽師が演じる場合、直面・・・面をつけずに演じることも少なくありません。


この日は常の形ですので、喝食の面をつけ、左手に弓、右手には矢を持ち、水衣を肩上げにし色大口に烏帽子姿で登場。
登場してくると自らの名前「花月」の由来を述べます。
この花月の由来、月は常住としても、花(くゎ)は、春は花、夏は瓜、秋は果、冬は火、と数え上げますが、これも芸の一つ。この後、小歌、弓ノ段、曲舞、鞨鼓などなど、芸尽くしが続きます。


登場したシテとアイの掛け合いも、上掛りと下掛りでは若干異なります。そしてこれに続いて花月前半のハイライト小歌になります。
「来し方より、今の世までも絶えせぬものハ、恋と云へる曲者」という謡ですが、これはどうやら当時の流行歌だったらしく、節使いも拍子も、能の謡としては破格です。
この小歌、以前にも書いたとおり観世流では「来し方より」の一句をシテが謡い、その後を地謡が続けますが、下掛りでは「来し方より」の一句をアイが謡うようで、喜多でもそうでしたが、この日も千太郎さんがこの一句を謡って地謡に。


金剛の能はあまり観る機会が多くないのですが、地頭の力というのを感じることが少なくありません。
この花月は宇高通成さんが地頭。まず地取り・・・最初に登場したワキなどの謡の後に、その句を引き取って地謡が繰り返すことを言いますが、この地取りでもう「上手い・・・」と引き込まれてしまいました。
この小歌に至っては何をか言わんやであります。
つづきはまた明日に

花月さらにつづき

小歌は節回しも印象的ですし、アイが扇を広げて口に当てシテが後から右手をアイの背に回しそっと肩を抱く風情でともに舞台を巡るという、いささか怪しい場面。
小歌の終わりに「恋こそ寝られぬ」の一句で、シテはアイを目付柱の方に放します。
放されたアイは目付柱に向かい「これなる花には目がある。いや目かと思えば鶯・・・」と独り言。


鶯が花を散らすと一騒ぎして、アイはシテに持っている弓矢で鶯を射てほしいと告げます。
ここから弓ノ段。弓矢を持って舞い、さらに矢をつがえて弓を引き絞ります。弓ノ段の終わりは「殺生戒をば破るまじ」と大小前に座して弓矢を捨てました。喜多の粟谷さんのときは弓矢を手渡した形でしたね。


シテはさらに清水寺の謂われを謡う曲舞に進みます。この花月のクセは仕舞でも良く演じられるのでお馴染みです。


さて曲舞の後、ワキは、花月をよくよく見れば我が子と気付いたと述べます。
そしてアイの所望によって鞨鼓へと移ります。物着からシテの謡を地謡が引き取り鞨鼓。さらに鞨鼓を舞上げると山廻りの謡に合わせての舞になります。
以前にも書きましたが、私はこの謡が好きでして、筑紫の国彦山に登り七つの歳に天狗に掠われてから、讃岐の松山、雪の白峯。伯耆の大山から「丹後丹波の境なる鬼ヶ城」へと、次々に山々が読み込まれています。


最後にシテは撥を捨て、扇に持ち替えて父とともに仏道の修行に「出づるぞ嬉しかりける」と喜びを示して留めの拍子を踏みます。
なんと言っても地謡、地頭の力量を感じた一曲でしたが、熊谷さんも大柄なお体が不思議と舞に合って面白く拝見。謡も良かったですね。
(50分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

口真似 大藏彌太郎(東京金剛会)

大藏流 国立能楽堂 2007.03.18
 シテ 大藏彌太郎
  アド 大藏教義 宮本昇


二月の式能では和泉流、野村万之介さんのシテで拝見し、また今回と全く同じ配役で一年ほど前に観ているのですが、何度観ても面白い、とまあ狂言はおおよそそうなってしまうのですが、楽しい時間でした。


登場は三人一緒ですが、先頭がアドの主人教義さん、次にシテの彌太郎さん、そしてアドの宮本さんの順。シテは太郎冠者の出で立ちなので常の裃ですが、アドの二人は長裃になります。


まずは主が正面に出て口上。
さる方よりご酒を一樽(イッソン)到来したが、一人たぶるのも寂しいので、誰か相手がほしいとのべ、その相手を太郎冠者に探させようと冠者を呼び出します。


呼び出された太郎冠者は、まず自分ではどうか言います。主人が「心安い」人が良いと言ったからなのですが、主人はそれに答えて、酒を飲むようで飲まず、飲まぬようで飲む。帰らないのかと思うと、いつの間にか居なくなってしまうような、そういう面白い人が良いのであって、どうして太郎冠者となぞ酒を飲むか、と言います。
このあたりのやり取りは和泉流とは少し違う感じがするのですが、残念ながら記憶が曖昧です。


さて言い付けられた太郎冠者、どこへ行こうかと思案して「下ノ町の昇殿」にしようと思い立ちます。万之介さんは「上ノ町の博治殿」と使いましたが、上下の違いはちょっと面白い。
早速に舞台を一回りしてアドの男のもとで案内を乞い、主人が招いているので来てほしいと頼みます。
男は「そちの頼うだお方とは知り合いでない」ので行かれぬといったんは断りますが、ぜひにと言われて太郎冠者に同道することになります。
このつづきはまた明日に

口真似のつづき

太郎冠者は男を連れ帰ると主人に報告しますが、誰を連れてきたのだという問いに太郎冠者が「下ノ町の昇殿」と答えると、あの人はご酒のうえが悪しうして・・・と言い、追い帰せと太郎冠者に命じます。


しかし太郎冠者は「それでは後日会ったときに言葉がまずかろう」ととりなし、主もそれではふるまってから帰そうということになります。
万之介さんのときは、主から「あれは大の酔狂人」と言われて太郎冠者が「では追い帰しましょう」というのを、主が「そうも行くまい」と引き留める形。微妙に人物設定が違う感じになりますね。


さて主人は、もてなすのは良いとして給仕する者がいないと言い出します。太郎冠者は「それこそ私がおりましょう」と言いますが、主人は「汝のような腰の高い者がつかえるものか」とやり込めます。
太郎冠者、早速に腰を折って身を縮めますが、主は「物事に仕付けない者を腰が高い者」というのだ、と説明しますが、とは言え、ほかに雇い人が居るわけでもないので、太郎冠者に自分の言うとおりに真似をするようにと命じて、同席させることにします。


ここからの騒動は言わずと知れた形ですが、「太郎冠者お杯を持て」と主人が言うと、太郎冠者も客の男に「太郎冠者お杯を持て」と言い、主人が「やい太郎冠者、お杯を持てとは汝に言いつくること」と言えば
、「やい太郎冠者・・・」と全く同じに真似します。


最後は客を挟んで、主人と太郎冠者が引き合いの後に、客を押し飛ばしたうえで「それにゆるりとござれ、おっつけ私がお杯を持ちましょう」と言って終曲。
この曲「お料理を出しましょう」と「お杯を出しましょう」と二つパターンがありますが、前回万之介さんのときと今回で、ちょうど両方を観ました。
(20分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

喜多流職分会自主公演能を観に行く

喜多六平太記念能楽堂は年明けから舞台の改修工事をしてまして、これが三月末に終了。
竣工記念ということで、四月の職分会自主公演は昨日21日と今日の二日にわたって公演がありました。
昨日は翁、高砂、船弁慶に、狂言は万作さんの文蔵。そして今日の第二日は白田村に羽衣の霞留、猩々乱の置壺と、三曲とも小書き付きの特殊演出。


最初にお子さん達の仕舞が五番。それから能が三番に狂言一番という構成。


仕舞は、内田貴成、友枝雄太郎、狩野祐一の年少組三人が、それぞれ金札、西王母、竹生島。そして高林昌司、谷友矩のやや年長組二人が嵐山、岩船。
舞台改修竣工記念ということか、おめでたい仕舞が勢揃い。
お父さん方は、地謡を中心にバックアップというところ。


子供さん達の仕舞を見ていると、流儀の特徴がハッキリするような感じです。
なるほど、あの型は分解するとこういう動きなんだなあ、と妙に納得したり・・・
仕舞を見たせいか、その後の能でも、打込の型などの観世流との違いが良くわかるようになりました。


それにしても内田貴成クン、本当にまだ小さいんですね。去年四月の自然居士の子方で観て以来ですが、一年前はもっと小さかったわけで、舞台も大変だったでしょう。
今日の仕舞はなかなか堂々としてましたね。


諸般の事情で朝早くから能楽堂に並んだので、楽屋入りする能楽師の皆さんを多々、お見かけしました。
内田さんは貴成クンを連れご夫婦で。なんだか微笑ましい。


則久さん運転の車でワキ方の殿田さん一行が登場したり、怪しいサングラスにマスクの人がやって来たと思ったら亀井俊一さんだったり・・・
帰りに急いで能楽堂から出てきたら、粋なダブルのスーツを着て工藤和哉さんが人待ち顔に佇んでいらっしゃいました。
楽屋口はあるものの、表から入ってくる道が一つしかない喜多の能楽堂らしい出来事です。


それぞれの鑑賞記は金剛会、四月の宝生会などの後でアップの予定です。

船弁慶 白波之伝 金剛永謹(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2007.3.17
 シテ 金剛永謹、子方 加藤愛花
  ワキ 高井松男、アイ 大藏吉次郎
   大鼓 安福建雄、小鼓 幸清次郎
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌庸二


この日のチケットは当日取り置きということにしてしまったため番組の詳細がわからず、白波之伝の小書が付いているのに途中で気付きました。
この小書は観世流の重前後之替と似ている感じですが、どこがどうなるのかは曲の進行にあわせて追々書いていきたいと思います。


まず子方の義経とワキの弁慶、ワキツレの郎等が次第の囃子で登場します。頼朝と不和になったため西国におもむくこととして、津の国の「大物の浦」に着いたと謡います。


午前中の研修能とワキ、ワキツレが入れ替わって、高井松男さんの弁慶に梅村さんと御厨さんの郎等。
子方はワキ座に置かれた床几に腰を下ろして物語がはじまります。


大物浦に着いた一行は、所の人を呼んで舟を頼むとしてアイを呼び出しますが、この日は間狂言はここでは出て来ず、子方が床几に腰を下ろすと、すかさず弁慶が常座から橋掛りを見込んで、静御前がついてくるのを確認するという形になりました。
ワキとアイの問答が飛んだ形ですが、なにぶん金剛流で船弁慶を観るのは初めてなので、これが常の形なのか、小書が付いたからなのか、残念ながらわかりません。
が、狂言とのやり取りがカットされた分だけ、物語の展開が速い感じになりますね。


ワキ弁慶は子方の義経に向かい、静がついてくるので、ここから帰すべきではないかと述べます。義経の了解を得て、弁慶は橋掛りを進み、幕の内を静御前の宿と見立てて声をかけます。
このつづきはまた明日に

船弁慶のつづき

ワキに呼び出された形で前シテ静御前が登場し、弁慶が義経からの伝言として「ここから都へ帰るように」言葉を伝えると、幕前で扇を持ってシオリます。さらに、自ら義経に確かめたいと、橋掛りを進んで義経と言葉を交わす形。
正中に進んで子方に向かって下居しますが、以前から書いているように下掛りは下居の際に右膝を立てる形になります。この形だと唐織の合わせ目が立てた膝の側になってしまい裾が乱れがちです。そこを永謹さんはさりげなく右膝に手を添える形で裾の乱れを抑えました。・・・細かいところですが、素敵な気配りと思います。


さて、義経から直接の言葉を聞いて静も納得しますが、この地謡のうちにアイが静かに登場して狂言座に着します。


ワキの勧めで、静が別れに舞を舞うことになりますが、観世ではシテが「その時静は立ち上がり・・・」と謡い、地謡が「波頭の謫所は、日晴れて見ゆ」と受けて、ワキの詞「これに烏帽子の召され候へ」で物着になりますが、この日はワキがまず「烏帽子の召され候へ」と静に烏帽子を渡し物着となって後に、シテが「その時静は立ち上がり・・・」と謡い出す形でした。


ここからイロヱがありシテのサシ謡。ワキへ向かって片ユウケンを二つし、大小前に構えてクセに入ります。


以前にも書きましたが、この越王勾践の臣下陶朱公の故事を引いて舞うクセは、私の大変気に入っているところ。
型を詳しくは書きませんが、趣深いクセの舞です。


このクセに続いて序ノ舞を舞い中入りになりますが、上掛りでは中ノ舞のところ、下掛りは序ノ舞にするのが通常の形のようです。いえ正直を言うと、私はてっきり中ノ舞が始まると思っていたのですが、笛の吹き出しに「あれ?」そうなんです、笛を聞いて初めて序ノ舞と気付きました。


しかも途中から笛の調子が上がり盤渉調になりました。この盤渉序ノ舞になるのは小書のためのようですが、ゆったりとした舞が少しずつ変化し始める感じです。二段のオロシで子方に向かってシオリ、これをワキの弁慶が扇で差して制する形になります。
序ノ舞も段が進むにつれて、悲しみから優美さへと感じが変わるようで、なかなかに見事な舞でした。


舞い上げると、シテのワカから地謡が受け「船子ども」と気を変えて、優美な気持ちから一転して船出を急ぐ気分に。さらにシテは「静は泣く泣く」と正中で下居して片シオリ、烏帽子をとって中入りになります。
ワキがアイを呼び、ここで初めてアイが登場。オクリ込みになりますが、正中でシオル形のシテの後にアイが寄り添い、そっと立たせる風。そのまま幕入りまで、送りながら声を掛け続ける形になります。これは小書のためですね。
このつづきはまた明日に

船弁慶さらにつづき

幕までシテを送ったアイは戻ってくると常座で短い独白をし、静を宿に送り届けたとワキに報告。
これを受けてワキが船を出すように求めます。アイは幕に走り込んで船の作り物を持って走り出、ワキ座前に船を据えます。


一行は船出しますが、風が出て波が寄せて来る次第。アイは肩を脱ぎ波頭という急な調子の囃子に合わせて懸命に漕ぎます。
しかし風向き悪く、ワキが橋掛りを見込んで「あら不思議や海上を見れば」と平家一門の霊が浮かび出たことを示します。


常の形ではここで早笛の囃子になりますが、白波之伝の小書により、地謡のうちに幕が上げられ摺箔に白の法被、黒頭に鍬形をつけた白式の形でシテが姿を現し、平知盛の幽霊と名のります。
各流の替の型では、ここで半幕にしてシテの下半身のみを見せ、名のりの後に幕を下ろして早笛で登場する形もありますが、白波之伝では一度は幕から出て幕前で名のって形をキメ、下がって幕に入り、あらためて早笛の囃子で登場してくる形ですね。


舞台に進み出た後シテは、手に長刀を持ち、義経一行を海に沈めようと、波を蹴上げ、長刀を扱いながら舞働へと続きます。
波を蹴立てる足を何度か見せ、型も特殊になります。何度も飛返リ・・・金剛では「飛回り臥す」型でしょうか、長刀を持ったまま飛ぶ型も見せます。


舞働の後に長刀で子方と切り結んだ後、攻め立てられた形で橋掛りへと下がり三ノ松から幕前まで逃げる形。と、ここで長刀を落とし(すかさず幕間から後見が長刀を引き取りましたが)、太刀を抜いて再び橋掛りからワキ座の子方のところまで、攻め進んでくる形です。
しかし子方との斬り合い、さらにワキが数珠を揉んでの応戦に、さしもの力も弱り、太刀を首かせにしてクルクルと小廻りに、舞台から橋掛り、二ノ松あたりまで後退し、ここで義経一行を見込むと、そのまま後ろ向きにしさって幕に入りました。


国立能楽堂お長い橋掛りを最大限に使った活劇で、さすが金剛流ならではの感があります。大変面白い能を拝見しました。
(85分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

国立能楽堂四月企画公演を観に行く

本日昼からの会議で出張したため、帰りに国立能楽堂の企画公演〈蝋燭の灯りによる〉という催しを観てきました。


狂言一番、能一番。狂言は和泉流、石田幸雄さんのシテで真奪(シンバイ)。
能は金春流の高橋汎さんのシテで西行桜。


蝋燭能って、昔はあまり見かけなかったような気がするのですが、このところ割合演じられる機会が多いようですね。
思った以上に趣があり楽しめたのですが、帰ってきてお風呂に入ったら、はや本日も終わろうというところ。
とりあえず本日は寝てみますか。明日も仕事ですし。
蝋燭の灯りによる催しの話は明日、もう少し書いてみます。

蝋燭の灯りによる・・・国立能楽堂企画公演

夕べはさすがに疲れてまして、直ぐに寝てしまいました。


さて昨晩の国立能楽堂の企画公演ですが、時々お邪魔しているブログ「サンダルウッドな胡椒」のオーナーSantalさんもいらっしゃっていた様子。
先日の喜多流自主公演能第二日もご一緒だったようで、いささかビックリしています。
お顔も存じませんのでブログにコメントしているだけですが、昨年の「萠の会」でもご一緒した様子です。


さて、蝋燭の灯りで能楽を観る・・・っていっても暗くて見えないんじゃないのぉ、と思っていたのですが、さすがに舞台を照らす最小限のライトは点けてました。ただし観客席の方は照明を落としてしまっているので・・・これではメモが取れませんね。やむなくメモは断念しました。


蝋燭は正面と脇正面に各々十本ずつ。橋掛りにも二本ずつ五カ所に分けて置かれていましたので、都合三十本ほどの蝋燭が灯されて舞台を照らしたわけですが、蝋燭の灯りだけではさすがに暗くて良く見えません。
上に書いたとおり、最小限のライトで舞台を照らしての上演でしたが、光量を絞っていることもあり、また蝋燭の灯りが揺らぐこともあって、なかなか趣ある舞台になりました。


狂言「真奪」は十分少々の短い演目なので、始まったかと思うと直ぐに休憩。
ちょっとチラシなど見てこようかと席を立って、戻ってくると携帯片手に蝋燭の灯された舞台の写真を撮っている方が何人もいましたね。


休憩後の西行桜は金春流、高橋汎さんのシテ。趣のある良い能でした。
新宗家、安明さんの地頭で、良くまとまった地謡。金春らしい謡をしばし堪能。


鑑賞記録はいずれこちらに・・・今回はメモがないので今のうちに要点だけでもまとめておこうと思っています。


明日からは四月の宝生会の鑑賞記をアップします。

嵐山 高橋章(宝生会月並能四月)

宝生流 宝生能楽堂 2007.4.08
 シテ 高橋章 姥 朝倉俊樹
  木守 辰巳孝弥、勝手 澤田宏司
  ワキ 宝生閑、アイ 山本則孝
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 曽和正博
   太鼓 小寺佐七、笛 小野寺隆二


脇能と分類される曲はおよそ四十番ほどありますが、シテの性格づけや舞の種類などにより、さらにいくつかのグループに分けられます。
例えば高砂や弓八幡のように、前シテが老人として現れ、後場では若い男神となって颯爽と神舞を舞う曲・・・私は大変好きですが、神舞物とでも言ったらいいのか、養老や志賀などといった曲もこのタイプですね。


また老松や白楽天のように老体の神として後シテが登場するタイプのものもありますし、東方朔のように老体でも楽を舞う曲もあります。


そうした中に、後場でシテ以外に様々な神が登場して絢爛豪華な舞台を繰り広げる一群の曲がありまして、この嵐山や賀茂、竹生島などが該当します。これらの曲は金春禅竹や禅鳳の作と言われていて、高砂などのグループとは一線を画する感じがします。


本日はその嵐山。実はこの曲、ちょっと不思議なところがあります。
前場で登場するシテの尉とツレの姥、謡の詞章からみると木守明神と勝手明神の仮の姿と見えるのですが、後場では木守、勝手はツレが演じ、シテは蔵王権現として登場します。こんなのって嵐山くらいしか思いつきませんが、前シテの本体を後ツレが演じる珍しい形ですね。


さてその進行は明日につづきます

嵐山のつづき

舞台はまず後見が桜立木を持って登場し、正先に据えるところから始まります。
続いて真ノ次第でワキの勅使とワキツレ従者の一行が登場します。最近、何度か書いてますが、このところ宝生閑さんのワキを観ていて「上手いなあ」としみじみ思います。この日も幕を出て橋掛りを進んでくるだけで格の違いを感じました。


次第の謡「吉野の花の種取りし嵐の山に急がん」は、吉野の千本の桜は名花であるものの都から遠く行幸もかなわないので、嵐山にその桜を移しおかれたという話を謡ったもの。ワキの一行はこの嵐山の桜を見に出掛けてきたわけです。
次第、道行と、サクサクと運びの速い謡で小気味よい感じです。


さてワキ一行が花を眺めていると、前シテの尉と前ツレの姥が登場してきます。二人揃って杉箒を持って、ここだけみると高砂の出と良く似ています。
橋掛りで向かい合って一声を謡い、二ノ句を謡って舞台に入ってくる形も同じですね。


舞台にはいるとシテは常座に、ツレは正中に立ってサシ、下歌、上歌と謡い嵐山の春の気色を愛でる風。
これに対してワキが何者かと問うて問答となります。


シテは嵐山の花守と答え、嵐山の桜は神木であり、木守勝手の神々がこの花を守っている。その神慮のゆえに嵐の山の名にもかかわらず、風にも花が散らぬ通りを述べます。
下歌に「風にも勝手木守とて夫婦の神は我ぞかし」とあって、この尉と姥が木守、勝手の両明神であることが明かされます。


さらにこれに続く中入り前の上歌「笙の岩屋の松風は、実相の花盛り・・・」は独吟にも良く謡われますが、なかなか趣ある謡で、私は好きな部分です。
この謡の中に、雲に乗って南の方へ姿を消したと、中入りになります。
来序でシテ、ツレが姿を消すと、代わってアイの末社の神が登場してきます。


末社の神は立ちシャベリですが、則孝さんの歯切れの良いシャベリ。さらに三段之舞を舞っていよいよ目出度い気分を盛り上げます。
さてそのつづきはまた明日に

嵐山さらにつづき

後ツレの出の囃子は下り端。渡リ拍子の地謡「三吉野の、三吉野の」は、猩々の「老いせぬや、老いせぬや」と同じリズムですが、この謡の間に橋掛りから舞台へと進みます。


木守、勝手の両神は若き男女の姿で登場してきます。今回はツレとしての登場ですが、子方を出す場合もあります。昨年の閑能会では、かの関根祥丸クンと観世智顕クンの二人が子守、勝手を勤めました。
そうなんです。なぜか観世流では木守ではなく子守と書きますね。読みはいずれも「コモリ」ですが、神様の名前は木守になっていたと思います。
しかも観世流では子守は男神、勝手が女神ですが、宝生流では木守が女神で勝手が男神ですね。たしか喜多流も観世と同じだったかと思いますが、「子守」なら女神の方が相応しいかも・・・などと思ってみたり。


さて二人は登場した際に桜の枝を持っていますが、これを扇に持ち替え、幕を見込んで招キ扇をし天女ノ舞を舞い始めます。観世では中ノ舞を舞いますが、このあたりもちょっと違いますね。
招キ扇は蔵王権現を呼ぶという象徴ですかね。舞の終わりは大ノリの地謡になり「蔵王権現の来現かや」と雲扇の型をして、シテを迎える形となります。


早笛の囃子でシテが登場してきます。
普通、早笛で登場した後シテは舞働キを舞いますが、なぜかこの嵐山では舞働キを舞わず、地の謡に乗って舞い、留める形になります。
観世流だと、後ツレの舞にしてももう少し派手な印象がありますし、早笛での後シテの登場も豪快な感じ。舞働キを舞わない分だけ逆に動きが派手な印象ですが、宝生だと全体に地味な(と言うと言葉が悪いかもしれませんが)印象。豪快さよりも格の高さが強調されているような印象です。
最後の「光も輝く千本の桜の栄ゆく春こそ久けれ」は附祝言でも、割と良く謡われますね。


ところでこの日のシテ高橋章さんは宝生流を代表する役者のお一人。これまでも何度か拝見していますが、味わい深い能をされます。
が、この日ふと気付いたのは、以前このブログにコメントをいただいた高橋亘さん(章さんのご子息ですが)不思議な声というか魅力ある謡というお話を書いたことがあるのですが、この声というか謡方というか、お父様と大変良く似てらっしゃるのだと、あらためて認識した次第です。こうして芸は伝承されていくんだなあ・・・としみじみ思いました。
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

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