能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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察化 山本則直(宝生会月並能)

大藏流 宝生能楽堂 2007.4.08
 シテ 山本則直
  アド 山本則孝、遠藤博義


このところ口真似を観る機会が多いのですが、この察化の最後の部分は口真似と同様になっています。違うのは前半で、主人の酒の相手ではなく連歌の宗匠を頼もうと都の伯父を迎えに行くという設定。


それにしても解せないのは、この「察化(サッカ)」という名前。
大藏流では察化ですが、和泉流では咲嘩と書いてやはりサッカと読ませるようです。これはアドの「すっぱ」の名前とされているのですが、良くわかりません。
後で書きますが、アドの主人はこの男を見て、シテ太郎冠者にあの男は「みごひのさつか」という大すっぱだと教えます。


この「みごひのさつか」に見乞の察化などという字をあてるようです。
この意味も今ひとつ良くわかりませんね。
ただし「目」あるいは「属」または「嘱」の漢字には「さっか」の読みがあり、人の姓として用いられていますので、この「目」あたりにかけたのかも知れません。
「属十三(さっか じゅうぞう)」という作家が昔いましたが、この「属(サッカ)」ですね。(もっとも属十三は勝目梓さんをはじめ、数人の作家によるユニットですが・・・)


余談ついでに、「目」や「属」をサッカと読むのは、四等官のさかんに由来するという説があります。本当のところはわかりませんが、なかなか面白い説ではありますね。


さてまずはアドの主が登場し、シテ太郎冠者を呼びます。
連歌の初心講の当番になったものの、田舎のこととて宗匠に頼む者もいないので、都の伯父を呼んでこいと言い付けます。


太郎冠者はこれを受けて都へ出掛けますが、さて伯父がどこにいるのかも聞かずに出掛けてきてしまったことに気付き「こちの頼うだ人の伯父御様のお宿はござらぬか」と、なんとも間の抜けたことを呼ばわりながら、歩き回ります。


このつづきはまた明日に

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察化のつづき

ここに登場するのがアドの察化。太郎冠者に声をかけ、自分が伯父だと名のります。そのうえ一緒に行ってやろうと、太郎冠者と連れだって主のもとに向かいます。


舞台を一回りして橋掛りに入り、主のもとに戻ったという設定で、太郎冠者は察化を待たせ、主を呼びます。
主は、太郎冠者が伯父を見知らず、しかも伯父の住まいも教えぬままに行かせてしまったので大変心配していた、と語ります。
そして伯父の様子を物陰から見てみようと、扇を開き骨の間から透き見る形で橋掛りを見やります。太郎冠者もこれにならう形ですが、なかなか面白い演出。
さて伯父の姿を見た主人は「あれは都に隠れもない、みごひのさっかというて、大のすっぱじゃ」と、太郎冠者に教えます。


太郎冠者は、すっぱならば縄をかけようと勇み立ちますが、主は事を荒立てては面倒と振る舞いをして帰すことにし、察化を中に通します。この「すっぱならば縄を」という切り替わり、則直さんの太郎冠者が良い味です。


主は察化と太郎冠者に、しばらく話でもしてゆっくりされよと言って一端引っ込みますが、二人が話し合う様子をのぞき見していると、太郎冠者が主人の趣味は「ぐいす」を取ることだと説明し、察化に「うぐいすのことか」と問い直されるなど、どうも太郎冠者の話がチグハグで自分が恥をかきそうに思います。
そこで太郎冠者に、おまえのような者を出しておいては恥をかくと言って、自分の言うとおりに口真似をするようにと命じるわけです。


ここからは口真似とまさに同様の進行ですが、それ以前の太郎冠者と主人のやり取りで、太郎冠者が憤慨している様子が伝わってくるので、なぜ太郎冠者が口真似をし続けるのか、このあたりが「口真似」よりも納得いく感じです。
最後は冠者が察化を突き倒したうえで「それにゆるりとござれ、おっつけお盃を出しましょう」と言って退場する形です。
(30分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

采女 小林与志郎(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.4.08
 シテ 小林与志郎 ワキ 森常好
  アイ 山本泰太郎
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸清次郎
   笛 一噌庸二


三番目物の優美な曲ですが、いささか長い。序ノ舞を本来の形の五段で舞ったりすると2時間20分ほどもかかるでしょうか。本日は2時間弱というところでしたが。


さてまずは、諸国一見の僧であるワキ、ワキツレの一行が名乗り笛で登場します。
ワキの僧は舞台正中まで進みますが、ワキツレは橋掛りで下居し名乗りを聞く形ですね。その後、一同が舞台へ進み、サシ、道行を謡って、都から南都、春日の里についたことになります。


続いて次第の囃子で前シテが登場。
手には小枝を持っています。前シテの里女はなぜか木々の茂った森にさらに木を植えるのですが、その植える木を象徴しています。
流儀によって若干の違いがあるようですが、この日は常座で次第、サシ、下歌、上歌と謡った後、そのまま常座で下居して枝を置いて合掌。さらに「明くるを春の景色かな」と立ち上がって謡う形でした。


さてワキは木々の茂った森にさらに木を植えようとするなぜかと、シテに問いかけます。これに答えて、シテは春日社の謂われを語ります。もともと木々の少ない春日山の地に影向した社のため、氏人が木々を植え続けてこのような森となったという次第です。
さらに地の下歌、上歌と続いて春日山の風情が謡われ、シテは舞台を回って三笠山と春日大社の景色を見渡す心。


シテが「猿沢の池を見たことがあるか」とワキに問いかけます。シテの誘いで、ワキも共々に猿沢の池に来てみると、シテはこの池辺にて経を読み仏事をなしてほしいとワキに頼みます。


これはどうしたことか、というつづきはまた明日に

采女のつづき

シテの頼みに対してワキは「仏事はたやすいけれども誰に向けて回向すればよいのか」とシテに問います。
このワキの問いに答えて前半二つめのシテの語りになります。


昔、天の帝(あめのみかど)の御代に一人の采女がいたが、はじめは帝の寵愛を受けていたものの、帝の心変わりを恨んで猿沢の池に身を投げた、という語り。
一曲の前半にシテの語りが二つもある曲は珍しく、これがこの曲が長大になっている一つの原因でしょう。


たしかにいずれも趣ある章句で捨てがたい味はありますが、なかなかこれは演じる方も大変なようすで、この日は途中絶句もあり、観ている方も大変です。


そんなこともあってか、観世流では江戸時代の観世大夫元章が美奈保之伝という小書を作り、この前半部分をバッサリと整理しています。大胆な改革を行ったため、評価の是非が分かれることの多い元章ですが、この小書は是の方ですね。


シテ、ワキの掛け合いから地謡へつながり、シテは「我は采女の幽霊」とあかして猿沢の池に姿を消します。


アイは春日の里。采女の故事などを居語りします。
泰太郎さん、いささか痩せたような印象でしたが、どうでしょうか。
アイの語りはワキ僧に供養を勧め、ワキの謡で読経、仏事をなし采女を弔っていることが示されます。
この語りも曲調に合わせて重め。格は高い感じになるのですが、このあたりは意識が飛んでいる方も少なくないですね。


さてその後はもう一日、明日につづきます

采女さらにつづき

後シテの出。昨年、金剛流今井清隆さんのシテでこの曲を観たときは緋の大口に白の長絹。長絹は花車の文様の華やいだ雰囲気でとても綺麗でしたが、本日は長絹が薄い浅黄のような色で、やや抑えた感じ。このあたりも宝生らしいといえば宝生らしいところでしょうか。
僧の読経によって成仏したという姿で現れます。


今井さんのときの鑑賞記にも書きましたが、四番目物などでは、入水したという設定であれば、まずはその苦しみを訴える姿で登場し、最後はワキの読経で成仏するという形になろうかと思います。
しかしこの曲では三番目物らしく、既に読経で成仏した形で後シテが現れるため、クリ、サシ、クセと続く采女の昔語りも、古の栄華を思うもので苦しみのようなものはありません。
序ノ舞も優美に舞われ、さらなる弔いを求めつつ猿沢の池に姿を消していくという次第になっています。


クリ、サシ、クセと続く謡い舞い、しっとりとした感じです。
宝生らしいクセ舞で、さらに続く序ノ舞も派手さはありませんが、しみじみとした味わいを感じさせます。


序ノ舞を舞上げた後は「月に鳴け同じ雲井の時鳥」と謡い、続く地謡に合わせて様々な型を見せます。
この謡は帝の万代までの国土安穏を言祝ぐもので、三番目物のキリらしい謡。最後にさらなる弔いを頼んで姿を消すという形です。


金剛流の今井さんの采女ではなんとも言えぬ優美さを感じましたが、この日の采女は大分印象がことなりました。金剛流と宝生流の違いがかなり感じられたところです。
(115分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

リンク集

このFC2のブログ、フリーページが作れないので「能の鑑賞記」と「狂言の鑑賞記」の索引を別サイトに置いています。
このためこれらにリンクを張って、通常はリンクが置かれるエリアに「能狂言の鑑賞記」というタイトルをつけて置いてあるのですが、これだと普通の「リンク」が無くなってしまいます。
ずっとこの状態で使ってきたのですが、やはりリンクを張っておきたいブログなどがありまして、この度「能楽関連リンク」として、別ページにまとめ掲載してみました。


良くお邪魔するブログやホームページを掲載しています。
ご連絡せずにリンクを張っていますので、もし都合悪い場合はご連絡下さい。早速に対応いたします。

須磨源氏 波吉雅之(宝生会月並能四月)

宝生流 宝生能楽堂 2007.4.08
 シテ 波吉雅之 ワキ 殿田謙吉
  アイ 遠藤博義
   大鼓 大倉正之助、小鼓 幸信吾
   太鼓 金春國和、笛 松田弘之


三月の観世会、関根祥人さんのシテで拝見して間もなかったので、観世、宝生の違いが意識できた感じです。珍しいというほどではありませんが、どちらかというと上演回数が少ない方のグループに入る曲。昔風に近い百番と遠い百番に分ければ、遠い百番の曲だと思いますが、三月、四月と観ることになったのもなにかの縁かもしれません。


波吉さんは昨年12月の龍田以来。前回は女神でしたので、今回は違う雰囲気を期待しました。


さてまずは次第でワキ、ワキツレの一行が登場。ワキは日向の国、宮崎の社官、藤原の興範(オキノリ)と名のります。殿田さん堂々とした雰囲気で好感持てますね。


一行は伊勢神宮参宮のため、九州から遙々旅を続けてきたとの設定。道行では春三月、船路を進み淡路から須磨の浦に着いたと謡います。
須磨の浦には光源氏が植え置いたという若木の桜があり、これを一見しようというワキ一行。


すると一声の囃子でシテの老人が登場します。
無地熨斗目着流しに水衣の姿。右手に杖を持ち舞台に進んで常座で一声、サシと謡います。観世では柴を負った姿で登場しますが、宝生では杖だけ。そのせいか謡も二の句「松ならでまた煙と見ゆる、これや真柴の影ならん」がありませんね。
なにやら由ありげなシテの姿にワキが問いかけて、若木の桜を巡って問答となります。


そしてワキの求めに従って、クリ、サシ、上歌と光源氏の物語を老人が語る風情の謡が続きます。
そのあたりはまた明日に

須磨源氏つづき

地のクリの謡でシテは正中へ進み、下居して杖を置きます。


シテのサシ謡を地が引き継ぐ形で光源氏の生涯が謡われます。
十二歳で初冠、箒木の巻で中将、紅葉の賀の巻に正三位と輝くような道をたどるなか、二十五の年に須磨に隠棲し、都に迎えられるまでの間を過ごし、さらにその後は内大臣から太政大臣、太上天皇に准ずる位を授けられるまで進むのですが、この須磨に住んだ期間はどうだったのか、この能の舞台を思い起こさせる謡になっています。


流儀の長老、今井泰男さんの地頭ですが、抑制の利いた謡でしみじみと典雅な雰囲気が感じられます。
源氏物語各巻の名が織り込まれていますが「われ空蝉の空しき世を案ずるに、桐壺の夕べのけむり・・・」どうも、さほどの名文とも思われないので、深い趣などの出しにくいところ。逆に難しい謡と思うのですが、良い雰囲気でした。


さてその光源氏は、今は兜率天に住む身となっているが、今宵の月に天降り姿を現すだろうと述べて、老人は姿を消します。
シテは「今は兜率の」と謡って立ち上がり「天降りこの海に影向あるべし」と下を見回す形で面を使いながら角へ二、三足。
「かように申す翁も」と気持ちを変えて、ワキに向かって二足ほどツメ、さらに右へ回って常座に向かって、正面に向き直ります。


中入り前の「雲隠れして失せにけり」で持っていた杖を手放し、向きを変えて橋掛りへ進みますが、手を離れた杖がカタンと音を立てて舞台に倒れるのが「雲隠れ」を象徴するような印象がありました。


もう一日つづきます

須磨源氏さらにつづき

中入りで狂言の間語り。遠藤さんの語りですが、やはり全体の雰囲気に沿ったゆったりとした語り。この中で光源氏の須磨での行跡がもう一度整理され、さて先ほどの老人は、その光源氏その人が仮に人間に現じて興範と言葉を交わしたのだ、と明らかにされます。


さてはさらなる奇特を拝もうと、興範の一行はこの地にて月の出を待ちます。
このワキ、ワキツレの待謡を受けて、出端の囃子で後シテ光源氏が登場します。


指貫に単狩衣、初冠に面は中将。老懸(おいかけ)をつけた形です。観世流の装束付けには老懸の記載はありませんし、この間の関根祥人さんの際にもつけていませんでしたが、ちょっと印象が変わりますね。
老懸というのは馬の毛をブラシのように束ねて扇形に開いた飾りで、用途も起源も良くわからないようなのですが、武官のみが冠の紐につけます。雛人形の下段に武官の人形がありますので御覧になると気付かれると思います。
須磨に赴く前の源氏はたしか大将に昇進しているはずですが、武官ですからその象徴として老懸を着けるというのも意味があるということでしょうね。
もっともそれなら冠の嬰は巻嬰であるべきなのでしょうけれど、そこは様式的な能装束のことですから、有職故実に縛られるものでもないということでしょうか。


喜多流の粟谷明生さんが、粟谷家のサイトで須磨源氏を演じられたときに冠鬘を着けた話を書いておられます。
融やこの須磨源氏など貴人の後シテは、各流とも面をつけて初冠をかぶるだけの形が基本ですが、これだと演者の耳や髪が見えてしまいます。
粟谷さんとしてはこれにどうにも違和感があり、冠鬘を着けたということのようです。


融でも黒垂を着けてみたり色々と工夫される場合がありますが、今回の老懸は演者の生の部分を隠すという意味でも一定の効果はあったように感じます。いつぞや融を観ていて、床屋に行ってきてばかりと思しき演者の髪ばかりが気になって、全く集中できなかったこともありますし・・・


さて先日の関根さんの須磨源氏では、後シテの出から流れるように早舞へ進み、時間の経過を忘れてしまうようでしたが、この日は宝生らしいと言えば良いのか、しっとりとした雰囲気があり、また印象の違った光源氏を観た思いです。
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

隠狸 野村萬斎(野村万作抄15)

和泉流 水戸芸術館 2007.04.14
 シテ 野村萬斎、アド 高野和憲


四月の宝生会月並能鑑賞記を終えて、今日からは水戸芸術館で観た野村万作抄の鑑賞記です。
いやあ、萬斎さんのシテを、しかも本格的な狂言で観るのは久しぶりの感じがします。別に避けているわけではないのですが、萬斎さん出演の会はチケットが取りにくいという問題もあり、ついつい間遠に・・・


それはさておき、この隠狸、和泉流のみの曲で大藏にはありませんが、なかなかの曲であります。シテの太郎冠者とアドの主人二人きりの掛け合いの面白さということで、ある意味、狂言らしい狂言と言っても良いかと思います。


まずはアドの主が登場し出し置きの形で登場していた太郎冠者を呼び出します。
萬斎さんの太郎冠者、呼ばれた時にパッと表情を動かして、それから立ち上がって返事をしていくわけですが、このあたりの表情の処理は、他の演者ではあまりお目にかからない感じがしています。
これがなかなかに面白い、わかりやすい雰囲気を醸し出すもとになっているような気がします。


さて主人は太郎冠者が狸を釣ると聞いたが本当かと尋ねます。太郎冠者は釣ったことがないと答えますが、主は太郎冠者の狸をあてにして、狸汁を振る舞おうと案内を出してしまったので市へ行って買って来いと命じて笛座前に下がります。


実は太郎冠者、狸釣りをするわけで、昨夜も狸を釣っています。これを主には隠しているのですが、この隠した狸を巡るやり取りがこの曲の面白さ。
ともかくも太郎冠者は昨夜釣った狸を売りに市へ出掛けると行って中入りになります。


代わって、笛座前に下がって座していた主が立ち上がり、常座で、実は太郎冠者は隠しているが酒を飲ませるとありのままを話す、と述べて市へ様子を見に出掛け、太郎冠者を待つと言って舞台を一回りし、再び笛座前に座って太郎冠者の登場を待ちます。
このつづきはまた明日に

隠狸のつづき

太郎冠者はぬいぐるみの狸を持ち「狸は、狸は、大狸」などと言いながら舞台に入り、狸を売り歩きます。
ちょうど「大狸はいらぬか」と狸を差し出したところへ、主が出て「えい、太郎冠者」と呼び掛けたので、太郎冠者はあわてて「売ろうならば、買おう」と言ったのだと言いつくろいます。


こうした掛け合いがこの曲の面白さを醸し出しますね。
さらに主はここで酒を飲もうと言いだし、太郎冠者は持っていた狸を隠そうと算段。結局は後に隠して座ることにします。


主が手酌で酒を飲む間にシテは狸を腰に結び付けますが、主はこれを見透かしたように太郎冠者に酒を勧め、舞を所望します。この時の舞は小舞の「兎」。
主は舞にかけて、兎ばかりが狸が出たようだと言いますが、太郎冠者はこれを受けて、狸の取り方を得意になって説明してしまいます。


主はすかさずよく知っているな、と突っ込みますが、太郎冠者はあわてて「話に聞いた」と言い訳。さらに主が「花の袖」の小舞を舞い、太郎冠者に、もそっと長い舞を舞うようにと所望します。


渋る太郎冠者に連舞にしようと持ちかけ、主と太郎冠者が鵜ノ段を舞いますが、この舞のうちに主は狸を抜き取ってしまいます。
さらに主は先ほどの兎の舞を教えてくれと言い、連舞をはじめると「兎ぢや」のところで「狸ぢや」と狸を差しだし、逃げる太郎冠者を追い込んで終曲となります。


久しぶりに狂言で思い切り笑った感じがしています。やっぱり面白いなあ。
(30分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

六人僧 野村万作(野村万作抄15)

和泉流 水戸芸術館 2007.04.14
 シテ 野村万作、参詣人 石田幸雄 深田博治、
  妻 月崎 晴夫 竹山悠樹 野村 万之介


こちらは一転して登場人物6人というにぎやかな狂言。これも和泉流にしかありませんし、しかもあまり上演されない曲なので、観る機会の少ないない狂言のひとつ。
登場人物い多いし、展開も演劇的な要素が強いもので、狂言記には見えますが、さていつ頃の作なのでしょうか。
でも話はどこかで聞いたような・・・そうなんです。これ落語の大山詣りの原曲ともいって良いもの。どおりでどこかで聞いた話です。


大山詣りと言えば亡くなった志ん朝さんのCDが絶品ですが、その話は別ブログででも触れるとして、狂言の話。
まずはシテの参詣人が、二人の仲間を連れて登場します。


シテが笠をかぶり常の裃姿で登場。アドの二人の男は出し置きの形になるので、シテに続いて登場してきますが、笠は手に持ったまま、しずかに笛座前に着座します。
この登場の際、笠をかぶった万作さんの横顔がふと萬さんにとても良く似ていると思いました。
萬さんと万作さん、今となっては舞台上で競演されることはありませんが、万作さんがお父様の六世万蔵さんにとても良く似ていらっしゃるの比べて、萬さんのほうは少し顔立ちが異なっています。しかし、笠の下の横顔がビックリするくらいに似ていて「さすがに兄弟」と思った次第です。


さてシテ万作さんは「後世一大事と存ずるによって諸国仏詣に」出ようと思うと述べ、同行することを約束した友人達のところへ急ぎます。


舞台を一周し、同行の友の家に着いたと案内を乞います。
これに答えてアドの男、石田さんが立ち上がりシテとの問答の後に三人揃っての旅立ちとなります。
このつづきはまた明日に

六人僧のつづき

旅に出た三人ですが、後世を願う気持ちは同じと、様々に話ながら道を進みます。
途中、話の中から「仮にも怒る心など持たぬがようござる」とシテが言いだし、とは言え三人とも凡夫のことなれば、怒らないようにしようといっても怒ってしまうこともあるだろうから「腹を立てまいという誓いをたてよう」ということになります。


三人それぞれに、どんなことがあっても腹を立てない。腹を立てたら口が閉じついておしになってしまう・・・とか、盲目になってしまう、あるいは腰が抜けて歩けなくなってしまうなどとの誓いを立てます。
このあたりの表現は、例の差別的表現とかなんとかいう話になりそうですが、古典のことですから、ここはご理解いただきたいところ。


さて誓いを立てたり、話をしたり、道中を進んできますが、道の途中で疲れたから一休みということになり、三人してふと横になります。
シテは身を横たえると直ぐに眠ってしまいますが、アドの二人は横になったら体が休んで逆に頭がさえて寝付けません。


二人して起き出し、シテの様子を見るとすっかり寝入っています。
起こそうとしても目を覚ます気配がありません。


ここで悪戯っ気を出した男が、シテが寝ている間に髪を下ろしてしまおうと言い出します。
もう一人は、気が進まぬなどと抵抗しますが、結局は二人してシテの髪を下ろして法体にしてしまい、寝たふりをしてシテの寝覚めを待つ形。
やがてシテが寝覚めて二人を起こすと、二人は起き出して初めて気付いた風に「その風体はどうしたのだ」とシテに問います。


髪を下ろした形は白い頭巾をかぶって表しますが、気付いたシテは二人の仕業だろうと詰め寄ります。しかし二人は「腹を立てない誓いをしたろう」と言い、シテは言葉を返せなくなってしまいます。
シテは一度、故郷へ立ち帰ると言い、二人はそのまま高野山へ向かうと言い、それぞれ別れて進むことにして、二人が中入り。
シテは二人が退場すると、必ずや仕返しをしてやろうと言って故郷へ向かうことにします。
狂言としては、なかなか複雑な場面構成の曲。いささか長いので、このつづきは明日にもう一日つづきます。

六人僧さらにつづき

シテは舞台を回って橋掛りに向かい、アドの男の女房を呼び出します。
たまたまもう一人の男の女房も来ていたという次第で、二人の女が登場してきますが、これに対してシテは「高野山へ向かう道の途中で川に落ちて二人が亡くなってしまった」そのために法体になって帰ってきたと嘘を言います。


驚いた女達は、自分たちは生きている甲斐がないので二人ともに死ぬと言い出しますが、シテは男達のあとを弔うため尼になるべきだとそそのかして、女達に髪を下ろさせてしまい、その下ろした鬢の毛を高野山に納めてくると再び旅立つことにします。
月崎さんと竹山さんの女房振りは、なかなか板に付いていて違和感がありません。


ここで女二人は中入り。
シテは舞台を回って高野山へ向かう風。すると今度はアドの男達が登場してきます。
出会った男達に、シテは「故郷へ戻ってみると、男三人が連れだって仏詣に行くと言って出掛けたものの、実は他所の女を連れて遊びに出掛けたという噂が広がり、これを信じた女房達は嫉妬のために死んでしまった」と嘘を言います。


男達は初めは信じませんが、シテが女達から預かってきた鬢の毛を示し、これが遺体から切り取ってきた証拠と見せると、すっかり欺されて悲嘆にくれ、シテのそそのかすままに出家することにして髪を下ろしてしまいます。


さてこの三人が故郷に帰ってくると、女房二人が尼の姿となって再登場して来て、三人と出会います。
真相に気付いた男達が怒ってシテの両手を取り、どうしてくれようかと息巻くと、シテの男の女房が尼の姿で登場してきて「騒ぎを聞きつけて自分も出家することにした。これもなにかの縁」と言います。
万之介さんの女房ですが、これが渋い。なんだか枯れそうな雰囲気の尼振りで、妙に納得感がありました。


この女房の言を受けて、こうして六人が出家の形になったのも仏の導きと、男達は諸国へ出家の旅に出、女達は在所で仏道に仕えることにして、謡い舞いで終曲になります。
狂言には珍しいストーリー性のある話ですが、なかなか楽しく拝見しました。
(45分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

ネットのトラブル

いやはや驚きました。
昨晩は水戸芸術館で立川志の輔の独演会を聞き、「いやあ笑ったなあ」と機嫌良く帰ってきたのですが、さてブログを更新しようと思ったらネットに接続できず。
何度やり直してもダメなので、あきらめて寝てしまいました。


夜中のうちに復旧したようですが、当家のルーターは、一度障害が起きてしまうと電源を入れ直さないと自動で復旧できないので、今朝は慌ただしくてそのまま。
結局、先ほどネットが使える状況になりました。


しかしネットに接続できないって、ホントに不便。
いかにインターネットに染まって生活しているか、身にしみて良くわかります。


そんなわけで昨晩は能楽鑑賞記も更新できませんでした。
今晩から、四月の喜多流職分会自主公演能、第二日の鑑賞記を書き始めます。


それではまた後ほど・・・

白田村 中村邦生(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2007.4.22
 シテ 中村邦生 ワキ 殿田謙吉
  アイ 竹山悠樹
   大鼓 亀井実、小鼓 住駒匡彦
   笛 中谷明


白田村・・・そんな曲あったかいな、という感じですが、喜多流独特の扱いで、金春や金剛でいう「田村」の白式なのですが、喜多流では小書がついたというよりも曲名そのものを変えてしまいます。


喜多流にはこの白田村のほかにも、式能での喜多六平太さんの翁について書いたときにふれた「白翁」や「白是界」なんていうのもあって、別曲に近いほどに格の高い演出をするようです。
「青野守」なんていうのもあるらしいのですが、いずれにしても観たことはありません。


以前にも書いたことがありますが、この田村という曲、修羅物のカテゴリーに入っているものの、他の修羅物とは大きく異なっていて、むしろ脇能として扱ったほうが良いくらいの感じです。
というのうも、主たるテーマが坂上田村麻呂の観音信仰であって、修羅道に落ちた苦患のようなものは全く出て来ません。シテが源平の武将ではないというのも異色ですね。
前シテは童子ですし、構成上も前後にクセがあるという珍しい形になっています。


さて舞台はまずワキの東国の旅僧とワキツレ従僧が登場し、桜が満開の清水寺に到着したところから始まります。着流しのまさに旅の僧の雰囲気。ワキツレは則久さんと御厨さんでした。


このつづきはまた明日に

白田村のつづき

ワキの一行が桜を眺めつつ、さて当寺の由来などを尋ねようと誰か訪れるのを待っていると、前シテの童子が登場してきます。


この前シテを童子で演じる場合と喝食で演じる場合があり、白田村の前は喝食とどこかで聞いたような記憶があったのですが、今回は黒頭の童子。金春の白式では白の水衣で出ますが、萌黄の水衣に右手には箒を持った通常の形でした。ただし着付けは白地の箔でしたので常の形とはやはり印象が違いますね。


あまり重すぎず良い雰囲気。常座で一声「おのづから春の手向けとなりにけり地主の桜の花盛り」を謡いますが、この後のサシから下歌、上歌が省略されて、直ぐにワキの詞「いかにこれなる人に尋ね申すべきことの候」へとつながります。
小書のためでしょうが、短くなった分だけ緊張感が高まる感じがします。


シテはワキの問いに答えて清水寺の来歴を語ります。謡でない詞の部分は、上掛りと下掛りでは随分と詞章が異なっていて、これまた興味深いところ。


地謡が受けての謡のうちにシテが舞台を舞い巡る形ですが、中村さんのシテは初めて拝見しましたがスッキリとした印象で綺麗です。
ワキの問いかけで名所教えとなりますが、まずは笛柱を見込んで南に見える中山清閑寺を見る形。時々お邪魔しているブログ「サンダルウッドな胡椒」のSantalさんが書かれているように、観世と方角が逆なので観世流に親しんでいるといささか違和感がありますね。
ついでながら観世では「あれこそ歌の中山清閑寺」と言いますが、下掛りの本では「あれは清閑寺、歌の中山」と逆順になっているようです。


さらに前場のクセとなり、楊柳観音の霊験を巡って舞い、やがて雲扇から扇で戸を押し開く型をして田村堂に姿を消してしまいます。これで中入り
このつづきはまた明日に

白田村さらにつづき

最初に書きましたように、田村という能を祝言能と考えると、さて後シテが平太の面で出てくるのはいかがなものか、という意見がでてきます。
平太は八島や箙などにも用いられる面ですが、なんとなく暗さが漂います。昔からそうした言い伝えはあったようで、田村は祝言能であって平太は祝言には掛けない面だから使うべきではない、と書かれた伝書もあるようです。


そんなことからか、この白田村や金春・金剛の白式、さらに観世の替装束などの小書がつくと、後シテの面は平太ではなく天神や大天神といった面に変わります。金春の本田光洋さんが白式を演じたときもそうでしたが、この天神という面は不思議な感じのする面です。
天神といえば菅原道真で、この面は死して神となる前の道真を表しているんだそうです。


さてワキの待謡を受けて後シテが登場してきます。
天神だとは思うのですが新しい面なのかちょっと印象が違います。烏帽子に鍬形をつけた独特の形ですが、烏帽子は左右に折らず真っ直ぐ。梨打ち烏帽子ではないような感じだったのですが・・・
白の法被に白系の半切。これは金春の形と同じですね。もっとも白田村は白の狩衣を肩上げにするという話もあるのですが、装束付けはシテの考えで替えられる部分も多いので一概には言えませんね。


田村の後場は勇壮な雰囲気で好きな展開ですが、常の形よりは緩急がついた感じです。登場して床几に腰を下ろし、しばらくは床几に掛けたまま仕方話の形。「土も木も我が大君の神国に」で立ってカケリへと入っていきます。
地の謡は「黒雲鉄火をふらしつつ」で締まり、シテの「あれを見よ不思議やな」から気を変えてかかった感じになります。
シテは直ぐに橋掛りへと進み、橋掛りを使っての勇壮な形。


中村さんはこれまで地謡や後見で拝見していただけでしたが、筋の通った能をなさる感じで大変好感を持ちました。
(75分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

五月の五雲会を観に行く

行ってきました五雲会。楽しみにしてたんですよ高橋憲正さんの石橋。
憲正ファンの方ならお分かり頂けると思うのですが、昨年暮に今年の番組が発表になって以来はや半年、待ち望んでいた今日がやってきたという感じです。


実際には乱序で登場して獅子を舞い、続いてノリ地で舞うほんの20分弱のことなのですが、おかげさまで堪能しました。


もちろん今日は朝から出かけて一曲目の蟻通から狂言も残さず拝見しまして、それぞれに面白い会だったのですが、でもなあ・・・良かったですよ、獅子。
宝生の石橋は初めてではありませんが、なんだか印象が違った感じ。もそっと地味な印象を持っていたのですが、さながら大輪の牡丹のような獅子でした。


能楽堂でお目にかかった憲正ファン仲間(勝手に仲間にしておりますが)の方の情報では、憲正さんの地元金沢からも観能のため団体でいらっしゃっているとか。それだけの甲斐はありましたでしょうね。


ちなみに本日の番組は、朝倉さんの蟻通に澤田さんの俊成忠度、佐野由於さんの藤に石橋と能が四番。狂言は万作先生の一門で、深田さんのシテで雁大名と月崎さんの成上りの二番。
いずれも万作先生が後見をされていました。


鑑賞記は六月になりそうですが、メモを整理しておくつもりです。

見物左衛門 野村万之介(喜多流自主公演能)

和泉流 喜多六平太記念能楽堂 2007.4.22
 シテ 野村万之介


一人狂言というのは極めて稀。この見物左衛門の他には茂山家が復曲した独り松茸があるくらいだそうです。この見物左衛門も金沢の三宅派が番外曲の扱いで伝えてきたらしく、従って三宅家と金沢系の野村家のみが演じます。
ネットで調べてみると、上演記録で引っかかってくるのは万作家の皆さんがほとんどですね。


この見物左衛門ですが、当の見物左衛門が出掛ける先が深草祭のバージョンと花見のバージョンとあって、今回は深草祭。花見のバージョンはほとんど演じられないようです。
今年4月9日の「第3回伝承の饗宴 ユネスコ世界無形遺産チャリティ」で萬斎さんが花見バージョンを演じられたようですが、御覧になった方はラッキーですね。月曜の夜だし難しいところでしょうけど。


さてシテの見物左衛門が括り袴に笠をかぶった姿で登場してきます。
賀茂の競べ馬、深草祭を見に行こうと思うのだが、一人で行くのではなく、ぐづろ左衛門といって毎年一緒する人がいるので誘っていこうと思うと述べて、ぐづろ左衛門の家に向かいます。


・・・狂言のテキストってなかなか手に入りにくく、家によって詞もまちまちなので、私の鑑賞記はおおよそその場で耳からはいるのを書き取ったものです。が、この見物左衛門のように様々な人の名前や、見聞きしたものの名前が出てくると、正直のところ「はて何でしょうか、それは?」というところが少なくない次第。
この後もメモをもとに書いてみますが、ぐづろ左衛門といい、いささか怪しいところはご容赦下さい。
というわけでこのつづきはまた明日に

見物左衛門のつづき

ぐづろ左衛門の家で案内を乞うと早くも出掛けた後という次第。家のうちに案内を乞う訳ですが一人狂言なので、出掛けたという返事をされた風に演じるわけです。


ぐづろの家を離れて深草祭に向かうと、途中で福右衛門という男と会います。福右衛門に深草祭に同道しようと持ちかけますが、福右衛門は刀がないので行かれないとの返事。
やむなく一人道を進むことにしますが、祭の刻限を聞くとまだ早い。それではと九条の古御所を見物することにします。


まず御厩から見物しようと進みます。姫栗毛(?)、黒毛など馬を見て褒め、さらに御所の中へと進み八景の押し絵(?)などを褒めます。洞庭の秋の月、遠浦の帰帆、瀟湘の夜雨などと聞き取れましたので、おそらくは瀟湘八景を絵柄にしたものを褒めるところでしょうか。


掛け物が達磨など三幅一対で素晴らしいとか、畳が「うんげいべり(?)」や「高麗べり」だとか、柱が黒塗りに蒔絵が施されているなど、様々なものを褒める子細。あたかも見ているように褒めるところが狂言師の腕というところですね。


そうこうするうちに馬子達の装束が出来たというので出て行くと、梅の木バラのスイ右衛門(?)に柿ノ本の渋ヌリ右衛門(?)といったのが馬に乗って登場し、落ちねば良いがと言っているそばから落ちた、などと見物様を次々に語っていきます。


節句の祝い幟が立っている様から、今度は相撲を取るというので見物しようと笠を小脇に前へ前へと出て行っての相撲見物。
ついには自分でも相撲を取ることになり、両手を上げて相撲の様。このあたりが最大の見せ場ということでしょうか。一番目は見事に相手を投げて勝ちますが、もう一番とろうと言われ今度は投げられてしたたかに腰を打ったさま。「また来年もまいろう」と留めになります。
万之介さんの熱演でした
(20分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

羽衣 霞留 狩野鵬(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2007.4.22
 シテ 狩野鵬 ワキ 工藤和哉
   大鼓 高野彰、小鼓 亀井俊一
   太鼓 金春惣右衛門、笛 槻宅聡


良く演じられる曲には、やはり時には違う演出で観たいという要請もあったのか、小書の種類も多いように思います。
この羽衣も、観世流では三つ(ほかに梅若系の小書がもう一つあるようですが)、喜多流にも三つの小書があります。


喜多流の小書は舞込、霞留そして雲井之舞とありますが、雲井之舞は大正四年の大正天皇即位式に際して催された天覧能の際に十四世喜多六平太が演じた形で、確か時間の制約があったために大幅に章句を短縮して形を整えたと聞いたことがあります。


残る舞込と霞留ですが、この日の小書「霞留」は幕末の土佐藩主である山内容堂の求めで作られたものだそうです。十四世喜多六平太は六平太芸談の中で、この霞留について、舞込と大体は似たようなものだけれども、どうも無理をして作った様な跡があると述べています。


どうやら舞込の方がもともとあった小書のようですが、こちらは昨年、粟谷明生さんのシテで観たのが大変に趣あって良い能でした。
舞込は、宝生流の盤渉や金春流の替之型などとも構成は似た形のようですが、観た印象としては宝生の盤渉とは随分違った感じを受けました。(金春の替之型はまだ観たことがありませんが近いうちにと思っています)


さて曲の次第はまた明日に

羽衣 霞留のつづき

まずは後見が登場しますが、作り物は持ち出さず一ノ松あたりの欄干に長絹を掛けます。
囃子が入りワキの白龍一行が登場してきます。工藤さんのワキに高井さんと井藤さんのワキツレ。釣り竿を持つ角度が微妙に違うのが気になりましたが、またそれはそれで絵画的に面白いかもしれません。


作り物がないので、上歌の終わり「釣り人多き小舟かな」でワキは後見座に竿を置き、そのまま橋掛りを二ノ松あたりまで進んで向き直り「われ三保の松原にあがり」と語ります。「これなる松を見れば」と欄干に掛かった長絹を見、「いかさま取りて」と衣を取って立ち上がり舞台へ戻ります。


そのワキの後ろ姿をシテの呼び掛けが追います。ワキはワキ座まで進み「これは拾いたる衣・・・」と言葉を返しますが、これを受けて橋掛りを進みながらシテの詞が続きます。狩野さんが小柄なせいか、失礼かも知れませんが可愛らしい印象です。


一ノ松あたりで歩を止めてワキを見込む感じで「かなしや羽衣なくては・・・」と詞を掛けます。この後のシテとワキのやり取りが続き、地謡が受けた後「天の原ふりさけ見れば」とやや右を向いて遠く見やる感じ。趣があります。
地謡の下歌から、上歌と進むにつれて橋掛りを進み、シテは舞台へ。


シテのシオル姿から、ワキが不憫に思い衣を返そうと申し出て物着になります。このあたりは常の形と変わりませんね。


物着で長絹を着したシテは常座に立ち「少女(オトメ)は衣を着しつつ」と謡いますが、天女というよりも少女という雰囲気がありました。
地のクリのあと、シテのサシ謡「しかるに月宮殿のありさま」から次の地謡との掛け合いが飛ばされて、クリの最後「久方の空とは名付けたり」からいきなりクセの「春霞」へとつながります。これは小書の関係でしょうね。


このつづきはまた明日に

羽衣 霞留さらにつづき

クセは普通に舞われますが・・・もっとも喜多流の常のクセの型っていうのを知らないので、小書で変化しているのかどうか本当のところはわかりませんでした。が、ともかく可憐なクセの舞。


「南無帰命月天子」と扇を閉じて合掌する姿も良い感じです。地謡の「東遊びの舞の曲」の謡で合掌を直して常座へ進み序ノ舞に入りました。


霞留の小書では序ノ舞の三段目がすぐ破ノ舞になってしまいます。正直のところもう少し舞を見ていたいなあという感じがするのですが、ここを詰めてしまうのがこの小書の主張なのでしょうね。


この短い序ノ舞、破ノ舞のあとはキリの「東遊の数々に」で、常座から角へ向かい、今度は右へ回って「御願円満国土成就」と大小前から一度回って正面へ招き扇。「国土にこれを施し給う」と正先へ進んで扇を落とします。この小書特有の型らしいのですが、七宝充満の宝を降らすということなんでしょうね。


そのまま「時移って」と橋掛りへ向かい「浦風にたなびき」と一ノ松で見回す形。左へ回って「三保の松原」と二ノ松あたりへと、謡に合わせて舞い廻りながら幕に向かって少しずつ進んでいき「天津御空の」と袖をかづいて「霞にまぎれて」で幕に入ります。
地謡は最後の「失せにけり」を謡わず、ここは囃子だけになり、シテの進む姿を見計らって立ち上がったワキが留めの拍子を踏んで終曲となります。


正直のところ舞も短いし、なんだか物足りないような名残惜しいような感じがするのですが、むしろその気分を楽しめということなのかもしれませんね。
天女を見送った白竜のような気分になってしまいました。
(55分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

猩々乱 壺出 長島茂(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2007.4.22
 シテ 長島茂 ワキ 宝生欣哉
   大鼓 佃良勝、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之


一日の能の会、三番の能が三番とも小書付きというのも、舞台ひらきの意味があるからでしょうか。
しかも三番目は猩々乱と、まさに祝言です。


壺出の小書がついていますが、乱には各流様々な小書があり、観世流と金剛流にはこの壺出に似た置壺という小書があります。いずれも最初に正先に作り物の大きな壺が出されて、柄杓で酒を汲むという型があります。


ただし観世、金剛の置壺では、ツレも出るため乱が相舞になるとか。このあたりは壺出とは違っています。


壺を出すという意味では宝生の小書である七人猩々が、宝生としては珍しい派手な小書で、壺が出るほかに、ツレの猩々が六人出て文字通り「七人」猩々となりますが、さすがに何年かに一度といった程度しか演じられませんね。残念ながらまだ観る機会がありません。


なにはともあれ目出度い能で、しかも一日の最後ということで楽しい気分になりました。
まずは後見が紫の布で覆って作った壺を持ち出してきます。
正先に壺が据え付けられると、名宣リ笛でワキが登場してきます。
宝生欣哉さんのワキですが、装束が金色を基調として目映いばかり。こんなのもあるんですねえ。
そのつづきはまた明日に

猩々乱 壺出のつづき

乱なのでワキは正中まで進んで名のります。
乱がつかない猩々の時は常座での名のりの形になるはずですが、乱でない猩々ってなかなか観る機会がありませんね。


もともと前後のある能だったのでしょうけれども、半能の形で演じられるのが基本形になってしまって前場が消失しているので、ワキは名のった後に気を変えて不思議な猩々の話に移ります。
「潯陽の江の辺にて・・・」と謡いますが、この最後で背中に差しておいた柄杓を取り出し、壺の口に置いてシテの出を待つ形になります。


シテの出の下り端の囃子、割合好きなんです。なんだか妖しいけれども剽軽な感じもします。大小が良かったですね。
さて地謡の「老いせぬや」の謡でシテが登場し、一ノ松あたりに留まります。
「御酒と聞く」とシテの謡い始めで扇を開き上げ扇の型。


実は良くお邪魔するブログ「週番日誌」を書いておられる佐藤先生も不思議に思われたようですが、この「御酒と聞く」までシテは扇を閉じたまま。・・・乱のときは扇を開いたまま登場する、と私も思い込んでいたので「?」というところでしたが、小書のせいなのか不明です。


乱は各流それぞれに型の違いもあり面白いのですが、喜多の型はかなり下半身の力を要する感じです。あれは修練を積まないと舞えませんね。
乱の中ノ舞から乱に入るところで壺に立ち寄り、左手で広げた扇に柄杓を取って酒を汲む型があります。波を蹴立てる足の型。橋掛りに入って一ノ松あたりで舞い、二ノ松から幕際まで橋掛りを使い切る形で舞った後、再び舞台に入って今度は爪先立ちで歩む型など、面白い型が続きます。
舞い上げた後キリの「汲めども尽きず」で再び壺に立ち寄って柄杓で酒を汲み、飲み干して「足下はよろよろと」舞い、「尽きせぬ宿こそめでたけれ」と留めになりました。
目出度い気分です。
(45分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

真奪 石田幸雄(国立能楽堂企画公演)

和泉流 国立能楽堂 2007.4.26
 シテ 石田幸雄
  アド 深田博治 竹山悠樹


4月26日の夜、出張帰りに立ち寄った国立能楽堂の企画公演。〈蝋燭の灯りによる〉という催し。
最初は和泉流の狂言で真奪でした。


太刀奪(タチバイ)とよく似た曲ですが、太刀奪では相手の太刀を取ろうとして自分の持っていた太刀を取られてしまいますが、この真奪(シンバイ)では、立花の真を取ろうとして揉み合っているうちに真と太刀を取り違えてしまうというのが発端。
違うのはここまでで、後半は同じ。狂言ではこういう同工の曲が少なくないですね。


さて、まずはアドの主人とシテ太郎冠者が登場してきます。
主人の深田さんは長上下、シテの石田さんは半上下。通常の主人、太郎冠者の姿なのですが、今回の企画「蝋燭の灯りによる」ということで、ほのかな灯りの中で観ると、なんだかいつもよりも重々しい感じがしてきます。
十二、三分の小曲なのですが振り返ってみると「観た」という充実感がありました。


さてこの主従「立花の流行ることおびただしい」が、近く会があるので真を探しに行くことにします。
私、残念ながら生け花については門外漢でして良くわかりませんが、室町時代から流行した「立花(タテバナ)」がもともとの形のようで、この中で中心に立てる枝を真(シン)というらしいです・・・違ったかナ


その真を探しに二人が出掛けるのが発端ですが、二人が歩いているとちょうどその真を持った男がやって来るという幸運。
男は立花の真として良いものを持ってきてくれと頼まれ、届けに行く途中です。


さてこの後の騒動は明日につづきます

真奪のつづき

アドの男の竹山さんは手に真(松の枝のようですが)を立てて持って登場。これは良い真だなどと言いながら橋掛りを進みます。


太郎冠者はこれを見つけて早速に手に入れようとします。主人はいったんは止めるものの、太郎冠者は早速のところ男に真を譲ってくれと交渉を始めます。
「主人は見ての通り立派な人物なので礼は存分に」などと言いますが、約束のある男は真を譲ろうとはしません。


結局、真を巡って奪い合いになり、太郎冠者は男から真を奪い取りますが、持っていた主人の太刀は男の手に残ってしまいます。
太郎冠者は真を得たことを主人に報告。主人も喜びますが「太刀はどうした」と冠者に問いかけます。ここで太刀を男に渡してしまったことに気付きますが、既に男は太刀を持って行ってしまった後。主従は男を捜すことにします。男がこのあたりに住んでいる者という設定ですね。


男は太刀を持ってやって来ます。これに主人が組み付いて後から羽交い締め。まんまと太刀を取り返し、さらに太郎冠者に男を痛め付けるよう命じますが、太郎冠者は口ばかりでなかなかうまくいきません。
男を縛れと命ぜられ、縄をなう始末。泥縄の言葉どおりを演じてみせる次第。


ドタバタの末に、縄をない終えた太郎冠者は主人の後から縄を掛けようとして、主人を縛ってしまい、男はまんまと逃げ果せたという形になっています。


ない終えた縄を輪にして地面に置き「ここへ入れ」と太郎冠者が呼び掛けたり、細かいところに笑いが隠されています。
なにぶん見所の方は照明が落とされていてメモできませんでしたので記憶だけですが、蝋燭の灯りということで、今ひとつ演者の表情が見えにくいところが逆に想像力をかき立てるような感じで楽しめました。
(15分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます。実際は13分くらいだったかと思います)

西行桜 高橋汎(国立能楽堂企画公演)

金春流 国立能楽堂 2007.4.26
 シテ 高橋汎 ワキ 殿田謙吉
  アイ 野村万作
   大鼓 安福建雄、小鼓 曽和正博
   太鼓 金春惣右衛門、笛 一噌庸二


蝋燭の灯りによるという企画、休憩を挟んで能の西行桜。先に書いてしまいますが、大変趣のある良い能でした。
金春流の能を観るようになって四年ほどになりますが、高橋汎さんは仕舞や地謡ではお目にかかるものの、ご縁がなくて能は拝見したことがありませんでした。
金春流の長老で確か七十代半ばかと思いますが、奈良のご出身で先代宗家信高師の一番弟子だとか。


この西行桜という曲、ワキの西行法師に対してシテ桜の古木の精が現れるのですが、桜の精は老体であるが老人ではない・・・とあらためて感じた次第です。
この表現は難しい。老練なシテが初めて表現できる境地かもしれません。老体をとっているけれども、桜の精らしい華やかさ、若さも併せ持っている。不思議な魅力のある曲です。


まず舞台には塚の作り物が出され、大小前に据えられます。
後見は本田光洋さんと横山紳一さん。今年は一月、二月に本田先生の熊野、葛城と観ましたが、三月の秀麗会はスケジュールが合わず半蔀を断念しました。轍の会も無理かなあ。
それはさておき、作り物が据えられるとワキ西行法師とアイの能力が登場してきます。ワキの装束は大口僧で名のある僧侶を示す姿ですね。
ワキは床几に腰を下ろし、庵の桜が盛りになったが今年は思う子細あって花見を禁制にするのでその旨を触れるようにと、アイに命じます。
これを受けてアイが常座で触れますが、万作さんらしい渋い能力でした。


このつづきはまた明日に

西行桜のつづき

能力が触れ終わると次第の囃子になり、ワキツレの花見の人たちが登場してきます。
宝生欣哉さんを先頭に、則久さん、御厨さんに大日向さんと都合四人が登場。舞台がにぎやかになりますね。


この花見人たち、登場してくると揃って次第を謡い、花見人の代表的な立頭が名のります。昨日は東山地主の桜を見、今日はまた西山西行庵の桜を見ようと急ぐところという由。早速にと道行を謡い西行の庵にやって来ますが、案内を乞うと、出てきた能力は今年は花見禁制と命ぜられているので見せることは出来ないと断ります。
しかし「はるばる来たのだから」と重ねての頼みに、アイは西行の機嫌をみて問うてみると引き受けます。


花見人の一行は橋掛りに後ろを向いてクツロぐ形。アイも後見座にクツロぐとワキの謡になりますが、なかなかに趣ある謡でした。
この謡、西行が一人景色を眺めながら、仏法と四季の移り変わりの縁をしみじみと感じ入るところで、ここで感じ入ったがゆえに、一度は禁じた花見を許そうという気持ちに結びついていくわけですね。


さてアイの問いかけに、ワキは花見人を迎えることを許し、アイは柴戸を開けると言って「ざらざらざら」と扇で戸を開く様を演じます。


花見人の一行は中に入りワキとの掛け合いの謡になりますが、それぞれの立場の違いが謡い方に表されていて、面白い。
ワキツレといっても花見人の立頭はなかなかに難しいところ。こういう形でワキ方によって舞台が進行していく能は少ないですね。


さて、招じ入れはしたものの、やはり世捨て人の西行としては一人静かに花を友としていたいわけで、この心情を引き取っての地謡のうちにワキツレ一行は切戸口から退場します。金春にはワキツレが退場しない演出もあると聞いたことがあるのですが、今回は普通の形。


さてその地謡の後に、作り物の中からシテの声がして引廻しが下ろされます。
このつづきはまた明日に

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