FC2ブログ

能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

来殿 高橋亘(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.10
 シテ 高橋亘、ワキ 高井松男
  アイ 山下浩一郎
   大鼓 柿原光博、小鼓 森澤勇司
   太鼓 助川治、笛 一噌隆之


うかつにも宝生流は来殿と書き、他流は雷電と書く同じ曲・・・と思い込んでいたのですが、実は別曲。
といってもまるっきり違うわけではなくて前場は同じ。後場になって、雷電では菅丞相の怨霊が現れてワキの僧正と対決しますが、来殿では大富天神の神号を得た道真が貴人の姿で現れて早舞を舞うという形。


なんでも幕末の加賀藩主前田斉泰が、宝生大夫友于とともに雷電の後場を改作したものなんだそうで、明治になってから雷電に替えてこの来殿が宝生流の所演曲になったとか。
加賀の前田氏は本姓菅原氏といわれていて、このあたりから、道真が雷神となって暴れ回る形を、貴人姿で早舞を舞う形に変えたということなのでしょうね。


本当に改作するなら、前場の途中から思い切って詞章を手直しすれば良かったのではないかと思うのですが、間狂言の最後のところで急に、異香薫じて音楽聞こえ、と転換して天満天神が登場するので、なんとも違和感の残る形です。
藤城さんの解説にも「やや木に竹をついで感じ」とありますが、「やや」ではなく「かなり」というところ。


しかしストーリーの違和感を別として、前場、後場それぞれを別物として鑑賞すれば、菅原道真を巡る二つの能を観たようなもので、案外それぞれに面白い部分はあります。


というわけで、明日は前半から

来殿のつづき

来殿の前場は雷電と同じです。
まずはワキの延暦寺の座主、法性坊の僧正が、ワキツレの従僧を従えて登場してきます。高井さんのワキに、井藤さんと御厨さんのワキツレで、まずは正中で重々しく「比叡山延暦寺の座主。法性坊の僧正にて候」と謡い、仁王会を執行うと語ってワキ座に向かい、床几に座します。


そののちサシ「実にや恵みもあらたなる・・・」と謡いますが、さすがに格の高い僧侶ということで、高井さんの謡も格調高いもの。


サシから上歌になり「名にし負ふ比叡の御嶽の秋なれや」と謡うあたりで幕が開き、黒頭に面は三日月だと思うのですが、単狩衣に白大口でかなり怪しい雰囲気です。
観世の雷電だと前シテは童子または慈童の面に水衣が常の形ですから、来殿の方が前シテの装束としては、ずっとおどろおどろしい感じがします。


この雰囲気にシテ高橋亘さんの謡が合っていて、とても良かったんです。
以前にも高橋亘さんの謡の声の話を書きましたが、お父様の高橋章さんに良く似た謡で、正直のところ素人が聞いていると旋律が追い難い、同時にいくつかの音が重なっているような不思議な感じの謡です。
宝生流全般にこういう印象はあるのですが、この謡が前シテの怪しい雰囲気を一層際だたせている感じです。


シテは深更にワキを尋ね、菅丞相と気付いたワキが「はや此方へ」と招じ入れます。ワキはここで床几を外し下居。シテ丞相と心うち解け話そうという形かもしれません。
シテも常座から正中へ進んで下居。
問答から、クセへと進み、師弟の契、上人の恩を謡う形。居グセですがこれも良かった。シテの気力の充実が伝わってくる感じでした。
しかしこののち、シテは無実の罪を蒙った時平の讒言のためと、言ううちに様子が変わってきてしまいます。
このつづきはまた明日に

来殿さらにつづき

シテは「をりふし本尊の御前に」と中腰で正先のあたりを見込む形。力が入ります。
石榴があるつもりで、この石榴を取って噛み砕き、妻戸に吐きかけると火炎となって燃え上がるという次第。


ワキが印を結んで火を静める間に中入りとなりますが、橋掛りの途中から歩を速め、最後は走り込むように中入り。
この形では、やはり後場は雷神が荒れ狂うという方が納得がいくのですが、この後のアイの語りの最後に、急に異香薫じて音楽聞こえと、雰囲気が変わり、後場はワキの待謡「なほも奇特を松梅の。色香妙なる音楽の。聞こゆる事ぞ有り難き」とすっかり風雅な形になってしまいます。


これを受けて出端で後シテが登場。
融や須磨源氏と同様な形で、中将の面に品があります。高橋さんは堂々とした体躯ですが、この日の早舞はいささかゆったりめで、天神としての堂々とした雰囲気が強調された感じ。
先日、このブログに高橋亘さんご自身から書き込み頂いたところでは、太鼓の助川さんからのアドバイスということだったそうですが、あの時の記憶では笛の一噌隆之さんが複雑に膨らませた差し指でゆったりと吹いておられた印象が強く、私ゃ笛が引っ張ってゆったりとしているのか、と思っておりました。


早舞の後、短い謡の中に「幾千代まで栄うる春の。神の末こそ久しけれ」と目出度いままに留めとなりました。
なかなか面白かったというのが全体の印象です。気になっていた高橋亘さんの演能も観られたし、良かったなあというところ。


ところでこの謡の詞章。前場ですが、やはり素直に読めば道真が師の上人を訪れて幼少の頃からの恩を感謝するという風に読めますよね。
でもこの謡の法性坊は法性房尊意僧正と思われるのですが、この方は貞観八年(866)の生まれで、承和十二年(845)年生まれの道真より21歳も年下です。どうやって幼少の道真を教えたんでしょうねぇ?
(55分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

«前のページ;  | HOME | 

カレンダー

« | 2007-06 | »
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。