能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

蟻通 朝倉俊樹(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.5.19
 シテ 朝倉俊樹 ワキ 工藤和哉
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸信吾
   太鼓 小寺佐七、笛 槻宅聡


本日からは5月の宝生流五雲会の鑑賞記です。


狂言は別として、能で舞台に傘を持って出るというのは、この蟻通と、邯鄲の小書が付いた時くらいではないでしょうか。そう言う意味でもちょっと珍しい曲。
そのせいか、様々な能楽関係の本でも、蟻通の写真というとまず間違いなく傘をさしたシテの写真が使われていますね。


当日いただいたパンフレットの藤城継夫さんの解説には「本脇能物」とありましたが、観世など他流では四番目物として扱うのが普通に思います。
確かに当日は一曲目が蟻通で、その後に俊成忠度が出ましたから脇能の扱いなんですね。


さて曲の方は、まず次第の囃子でワキとワキツレの一行が登場します。
舞台に進み出た一行は向かい合って次第を謡い、ワキが正面に向き直って「これは紀貫之にて候」と名のります。
紀貫之がワキというのがこの曲のポイントですね。風折烏帽子に白の大口、単衣狩衣の姿で風格があります。
ワキツレは従者で、この日は則久さんと大日向さん。素袍上下の従者姿です。


ワキの詞に次いで道行の謡になりますが、貫之一行と思って見ているせいか、道行の謡がなにやら風雅な感じ。諸国一見の僧とは相当に雰囲気が違います。


さて道行の謡が終わるとワキツレはワキ座へ着し、ワキ一人が正中へ進みます。
ワキのやや長い語りで「あら笑止や。俄に日暮れ雨降りて」と急に雨が降り出した様子。ワキの謡もなかなかに難しい節付け。
「乗りたる駒さへ臥して」と正中で安座。いかにも馬が倒れて投げ出され、さらに「前後をわきまへず候はいかに」と困り果てた風が伝わってきます。


謡い終えるとワキは立ち上がりワキ座へと着座しますが、このつづきはまた明日に

スポンサーサイト

蟻通のつづき

アシライの囃子でシテが登場してきます。老宮守という設定で、翁烏帽子に小格子厚板、白大口に狩衣を肩上げにし、左手に長柄の傘、右手には松明を持っての登場です。
静かに橋掛りを進んで一ノ松で立ち止まり、松明を二度ほど振って「瀟湘の夜の雨しきりに降って」とサシの謡。
老宮守という設定に相応しい枯れた味わいのある謡です。上手いなあ。


「社頭を見れば灯もなく」とやや右を向き松明を差し上げて社殿を見る心。趣ある型です。「よしよし御灯は暗くとも」と橋掛りを進んで、松明を振りつつ舞台へ入り常座に止まりました。


ワキはこれに合わせるように立ち上がり、シテに呼び掛け問答になります。
この問答でシテの宮守は、ここが蟻通の明神であり下馬しなければならぬところ、ワキが気付かずに通り過ぎようとしたので物咎めを受けたのだと諭します。
社殿を照らすように松明を上げつつ問答を続け、さらに語りつつ後見座に向かって、傘を渡して扇に持ち替えます。


シテはワキに名を問い、ワキが紀貫之と答えると、歌を詠んで神に捧げるようにいいます。ワキは驚きつつも「雨雲の立ち重なれる夜半なれば。ありとほしとも思うべきかは」と即興の歌を詠みます。


シテはやや面を伏せ、歌を味わう風情でこの歌を繰り返します。
「ありとほしと」は、雨雲で見えぬけれども星は在るということと、蟻通をかけている訳ですが「ありと」の後に気持ち間を置いて、この掛詞を味わう感じです。


歌を繰り返すと、シテは「面白し、面白し」と面を上げ、ワキとの掛け合いから「あら面白の御歌や」と謡いますが、この一句は大変に赴き深い節付け。能の面白さが一句に凝縮されているような感じです。
さてこのつづきはまた明日に

蟻通さらにつづき

シテの謡を受けて地謡となり、シテはこの謡を聞きつつ正中へ出て下居。肩上げを下ろして居グセになります。


この曲、最初の場面設定からしてそうですが、ワキがかなり活躍します。
クセは通常、地謡が謡を進め、途中シテが上羽(アゲハ・・・クセの途中で上音で謡われる句。上端とも)を謡って地謡が続ける形になりますが、この曲ではワキが「かかる奇特に逢坂の」と謡って立ち上がり、正面に向き直って倒れている馬を引き立てる所作。馬が立ち上がったとして「誰か神慮のまことを仰がざるべき」と下居して平伏します。
なかなかのワキの見せ場です。


平伏から直ったワキはシテに向かって祝詞を上げるように求めます。
シテは立ち上がって常座へ向かい幣を受け取ると正中へ出て下居して答拝。「いでいで祝詞を申さんと」と謡い出します。囃子はノットへ。
このノット、何度も書いてますが好きなんです。さらにこの曲では途中から太鼓が入ります。キチンとしたリズムを刻むことは、この世ならぬものの到来を示すのだそうですが、蟻通の明神が現れたという設定なのでしょうね。


シテは立ち上がって立廻をみせ、さらに謡い舞いしますが「仮に姿を見ゆるぞとて」とワキを見込むと、さっと向きを替え後ろ向きに御幣を捨てて、すすっと歩を早めて一ノ松まで進み、そのままゆっくりと退場します。


これに代わってワキが立ちあがりユウケンをして、留めの拍子。
大変趣深く、味わいのある能でした。
脇能と解釈するとなると、ノットのところから蟻通明神が老宮守に降り、神となったということなのでしょう。またシテはあくまで宮守で、巻絹のように一時的に神が憑いたと見れば四番目ものということなのかもしれません。


余談ですが傘と松明。宝生は長柄の傘なんですね。観世では普通の傘をさしますが、長柄は宝生だけかもしれません。
松明については、先日、金剛右京さんの生前の言葉を三宅襄さんが聞き書きした「能楽藝話」という本を読んでいましたら、右京さんが松明を振っては傘が焼けてしまう。これは燈籠を持つべきとおっしゃっていたとか。今では金剛も松明を持って出るようですが。
(55分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

雁大名 深田博治(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2007.5.19
 シテ 深田博治
  アド 竹山悠樹 野村万之介


和泉流では雁大名(ガンダイミョウ)ですが、大藏流では鴈盗人・・・と解説本に出ていたりするのですが、大藏の鴈盗人は明治以降廃曲の扱いになっているようで、上演記録がありません。
というわけで、実際には和泉流でしか観られませんね。


さて素袍に洞烏帽子のシテ大名、長裃姿のアドの亭主、そして太郎冠者の三人が登場してくると、アドの二人は後に控え、シテの大名が名のります。
「遙か遠国の大名」と、先日観た入間川などと同様に威張っての名宣リ。


ながの訴訟が相整って、安堵の御教書もいただき、暇もいただいたので早速に国許に帰ろうという次第。
ですが「在京中、肝を煎らせたお方に、ざっと振る舞いをしよう」ということで太郎冠者を呼び出します。
肝煎り・・・は落語などでも世話役の意味で出てきますが、肝を煎らせたは「世話になった」ほどの意味でしょうね。


大名は呼び出した太郎冠者に、振る舞いに役立ちそうな肴はあるかと問いますが「ございません」とのきっぱりとした返事。竹山さんの太郎冠者、なかなかそつのない雰囲気を出しています。なにぶん、このあとで太郎冠者が奇策を思いつくという展開になるので、ボケた太郎冠者とはまた違った雰囲気です。


さて何もなくては仕方ないということで、肴屋町へ行ってなにか求めて来ることになり、太郎冠者は早速出掛けます。
シテの大名は後に下がり、太郎冠者が舞台を廻って肴屋町に至った設定。座しているアドの亭主のところに大きな雁を見つけ、亭主に問いかけます。
さてこのつづきはまた明日に

雁大名のつづき

太郎冠者、亭主に問うと「初雁でござる」との返事。いかほどかと問えば「五百疋でござる」というのですが、いささか高いので「三百疋」にせよと亭主に求めます。
しかし「初雁」なので負けられないと亭主が言うところを、また買うので手始めにということで負けてくれと太郎冠者が重ねて交渉。亭主もそれならばと三百疋で手を打ちます。この辺りのやり取りも、なかなか才覚者の太郎冠者という感じを出していますね。


さてそれでは三百疋で、ということで早速太郎冠者は雁を持って帰ろうとします。
が、亭主は慌てて太郎冠者を押しとどめ、代わりを置けと求めます。


代金を払うのは当たり前の話ですが、太郎冠者は「頼うだお方の身内の太郎冠者」と名のり、代金を支払わずに持って帰ろうとする様子。
亭主は「頼うだお方も知らないし、ましてやその身内の太郎冠者など知らない」と言い、どうでも代わりを置かなければ、雁は渡さないと言い張ります。
ま、これは当然な話ですが、この常識人の亭主を万之介さんが、味のある演技で演じていました。


さて代わりを置けと言われた太郎冠者は持ち合わせがないので、それでは持ってくるから取り置いてくれと言い主人の処にもどります。亭主は遅くなると売ってしまうとは言うものの、ひとまずは了承して冠者を見送ります。


さて太郎冠者は舞台を廻り、主人のもとに急ぎ戻り報告をするわけですが、初雁を求めてきたと報告すると、シテの大名は雁はどこにあると問います。
太郎冠者が渡してもらえなかったと返答すると、自分の身内の太郎冠者と言ってなぜに雁を持ち帰らなかったのかと言う始末。
「代わりが無いので渡してもらえず金を取りに戻ってきた」と太郎冠者が説明すると、大名は「いつぞや渡しておいた鳥目はどうした」と問います。
なんだか妙な雲行きの話になってきますが、この辺りの大名の偉そうなのに困った感じを深田さんがうまく表現されていたように思います。
さて今回はもう一日、明日につづきます

2万アクセス

おかげさまで、ブログ開設一周年を目前にしたところで、20000アクセスに到達したようです。
20000アクセス目の方は、たぶん、今年の2月頃から何度かご訪問頂いている方と思いますが、本当にありがとうございます。


さてこのブログ、もともとは能を見てみようかと迷っている方や、能を少し見始めたくらいの方向けに、ちょっとした「へ~」話を書こうというつもりで始めたのですが、このところ観能記がメインで、しかもいささかマニアックになってしまったようです。


どんなものを書いていくのか、ときどきご訪問頂いているSantalさんがご自身のブログに書いておられるのと同様に、正直のところ迷いはあります。
ただ、今のところ、鑑賞した能や狂言の記録を書いておくことで、自分自身の記憶が鮮明になったり、振り返ってみて、より深く楽しめたり、といったことがあるので、しばらくはこの形でのブログを続けていこうと思っています。
昨年3月以降に観た能・狂言の鑑賞記を掲載していますが、何度も登場する曲がある一方で、まだまだ能の現行曲の半分もカバーしていない状況ですので、いましばらく、この形を続けてもいいかな、と思っています。


ただ、このブログ開設時の「初心者むけ」という趣旨も大事にしたいので、近いうちに、また「能楽マメ知識」的なものも書いていきたいな、と思っています。
(このブログ開設当時はそうした記事を書いていたのですが・・・カテゴリーの「能狂言のイロハ」あるいは「能狂言のあれこれ」をご参照下さい)


なんにつけても、まだしばらくはこのブログを続けていきたいと思っています。
ご訪問の皆様も、引き続きよろしくお願いします

雁大名さらにつづき

太郎冠者は、永の逗留で預かった鳥目はすべて使い果たして一銭もないと答えます。
大名も手持ちはなく、困った末に「代わり無しに肴のただ整う分別はないか」と太郎冠者に問います。


太郎冠者は考えた末に一計を思いつき、亭主の前で雁を取り合う喧嘩をし、隙を見て雁をせしめてしまおうと、主人に答えます。そしてまずは大名が肴屋町に出掛け、素知らぬふりで雁を求めることにして、太郎冠者は後から出向くということで、アドの冠者はいったん後見座へクツロぎ、シテの大名は舞台を廻って肴屋町に向かいます。


さて件の店にやってくると、早速に雁を買おうと値を問います。亭主は太郎冠者の時と同様に五百疋と答えますが、大名は「侍の値切るのもいかがか」などと言って五百疋で買うと同意します。そして亭主に雁を持ってこいと促すのですが、ここで太郎冠者が亭主に「三百疋を持ってきたのでその雁はこちらへ」と言って雁の取り合いになります。


亭主と太郎冠者がもめていると、ここにシテの大名が割って入り、今度は大名と太郎冠者が雁を取り合っての喧嘩となります。
もめているうちに大名が太刀を抜き斬りつけようとするので、亭主がこの喧嘩は預かると言って仲裁に入ります。


亭主が大名を止めようとしている隙に、太郎冠者は雁を掠め取り、亭主は切り戸口から退場してしまう訳です。


まんまと雁をせしめた二人。さらに大名は故郷の家人への土産として袱紗まで掠め取ってきています。二人が大笑いをして留めになりますが、悪事が露見して追い込みの形で終わる狂言が多い中では、いささかひねりの利いた狂言ですね。


ちなみに雁は羽箒で表します。これは雁礫でも同じですね。
大藏流は廃曲扱いと先に書きましたが、本来は洞烏帽子を使うのだそうです。これも鴈礫と同様で、流儀の決まりということなのでしょうか。
(25分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

俊成忠度 澤田宏司(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.5.19
 シテ 澤田宏司 ツレ 亀井雄二 辰巳和麿
  ワキ 安田登
   大鼓 佃良太郎、小鼓 鳥山直也
   笛 藤田太郎


忠度の後日談・・・みたいな曲で、シテはもちろん忠度ですが、その忠度を討ち取った岡部の六弥太がワキとして登場します。
案外面白い能だと思うのですが、修羅物としては清経、忠度、敦盛などと競べると少し上演も間遠かな、というところ。
五雲会では17年の2月に高橋憲正さんのシテで観ていますが、これでいよいよ憲正さんに惚れ込んだ一番です。


さて舞台はまず、ツレの俊成が従者を従えて登場してきます。
亀井さんの俊成は角帽子の沙門姿。俊成は忠度の都落ちの際には既に出家していたはずですから、僧形は当たり前の形なのでしょうけれども、観世流では風折烏帽子に大口、長絹の公達の姿で出る方が普通のように思います。


トモの辰巳さんは素袍上下の従者で登場し、俊成がワキ座に床几を置いて座し、トモが控える形です。


続いてワキ岡部の六弥太が登場してきます。
侍烏帽子に白の大口、掛直垂の姿で、背には短冊をつけた矢を負っています。
一ノ松まで進んで、ここで名のります。安田さん、大変貫禄があって舞台が締まる感じがしますね。
師の鏑木岑男さんの謡に衝撃を受けてワキ方になろうと思ったと自著には書いておられますが、その思いがあったからか、迫力のある謡です。
さてこのつづきは、また明日に

俊成忠度のつづき

六弥太は、西海の合戦で忠度を討ったが、その後、忠度の尻籠(シコ:葛藤のつるなどで編んだ矢を入れる道具)を見ると短冊があった。忠度は俊成卿と和歌の道で師弟でもあった由を聞いており、その短冊を俊成のお目に掛けようと、尋ねてきた訳です。


このあらましを一ノ松で述べた後、舞台に進み常座で案内を乞います。
案内にトモの従者が答え、ツレに取り次いで、俊成と六弥太の面談になります。


ワキは背に持った矢を取り出し、短冊の付いたままツレに差し出します。
ツレは矢を受け取り、短冊を見ると「旅宿の花」の題で「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」と歌が書き付けられています。
ツレが歌を詠み上げると、地謡がこれを受け、ワキが立ち上がって笛座前に着座します。
この地謡のうちに幕が開き、シテの忠度が登場して静かに橋掛りを進んできます。
梨打烏帽子に白大口、長絹の優美な姿。平家の公達、忠度らしい出で立ちです。


地の謡いっぱいに常座まで進みサシ謡。
ちょっと説明しにくいのですが、いささか弾むような印象のある謡。ツレとの掛け合いになります。


シテは、千載集に自分の歌を載せてくれたお気持ちは有り難いが、詠み人知らずと書かれているのが残念、と語ります。
シテ、ツレの歌を巡る問答から、地の上歌「さざ波や志賀の都は荒れにしを・・・」の謡で、シテは足拍子を踏み、角へ向かい、左の袖を返して左へ二、三足。
舞台を廻って常座に戻り「なにはのことも忠度なり。疑はせ給ふな」とワキ座を向いてヒラキます。


ワキの詞のうちに、シテは正中へ出て床几に腰を下ろします。
ツレは「凡そ歌には六義あり」を和歌の本義を謡いだし、シテ、地の掛け合いからクセに移っていきます。
このつづきはまた明日に

俊成忠度さらにつづき

クセの謡「出雲の国に居まして」でシテは立ち上がり、クセの舞になります。
クセの部分の舞は基本形が決まっていて、この曲も特段変わった所作はありませんが、平家の公達らしい趣ある舞。品がある感じです。


このクセの終わりは「あら名残惜しの夜すがらやな」と扇を閉じて常座で後ろを向き、カケリに入ります。
優美に和歌の徳を謡い舞いしているうちに修羅の苦患が訪れた風。


帝釈、修羅の争いのさまから、忠度も「すは敵陣は乱れ合い。喚き叫べば」と太刀を抜いての型になります。
太刀を使い打つ型、変化もあって面白い。


「立つも立たれず」と刀を捨て、「こはいかにあさましや」と正中で安座。
地謡が気を変えて「ややあってさざ波や。志賀の都は荒れにしを」と謡うに合わせて、再び立ち上がり、春の夜も白々と明けわたり、忠度は姿を消したと留めになります。


小品ですが、案外味わいのある能。
シテの澤田さんは、二年ほど前に忠信のシテを拝見していますが、このところはツレばかりでした。この俊成忠度のような曲も味わいがありますね。
(35分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

宝生会月並能を観に行く

今年はご厚意でチケットを頂いたりしたこともあって、宝生の月並も二回に一回は観ている計算です。今回は能が「加茂」、「籠太鼓」、「来殿」の三番に、狂言が「水汲」一番という番組。


東京に向かう途中の柏近辺から、不安定な天候で土砂降りの雷雨になりました。
これで番組の最後が雷電ならそのものズバリだったのですが、宝生流の来殿は雷電とは後場が異なり雷神は登場しません。
私はてっきり加茂と賀茂のように表記が違うだけと思い込んでいたので、ちょっとビックリ。


加茂は武田孝史さんのシテ。脇能ですが高砂などのグループではなく嵐山などに近い構成の曲。変化があって面白いのですが、都合一時間半。「おっそんなにかかったか」という印象でした。


籠太鼓は三川淳雄さんのシテ。この曲、雰囲気は悪くない、趣ある曲なんですが、どうも前々から「狂い」の必然性が解せないんですねぇ。
なんであそこで「狂い」になってしまうのか、一方のワキも「狂った」途端に許すなんて言ってしまうのか、なんだか腑に落ちません。いえ、今日の演技自体がどうこうではないんですが、そのあたりの収まりが悪くて、私としては今ひとつしっくりしない感じが残る能です。


来殿は最初に書いた通り雷電とは後場が異なります。菅丞相が大富天神の称号を得て神になり、融と同様に貴人の姿で現れて早舞を舞うという趣向です。
今回の観能目的の一つはこの曲。シテの高橋亘さんには、以前このブログにコメントを頂き、併せて今年の出演番組をお知らせ頂いたのですが、なかなかスケジュールが合わずに拝見できずにいたところです。


今回はやっとスケジュールが合いまして観に行くことができましたが、考えてみるとこれまで高橋さんのシテは夜討曽我など現在物しか観ておりませんで、早舞を舞うような曲は初めてです。
これがなかなか良い雰囲気で、堂々たる貴人振りでした。


水汲は大蔵流の「お茶の水」と同曲ですが、かなり構成が違っています。いずれにしても個別の鑑賞記は五月五雲会の鑑賞記が終わりましたら、順次書いていきたいと思います。

藤 佐野由於(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.5.19
 シテ 佐野由於 ワキ 宝生欣哉
  アイ 高野和憲
   大鼓 内田輝幸、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 桜井均、笛 藤田朝太郎


3月に東京金剛会で「藤」の研修能を観ましたが今回は宝生流。
金剛会ではなにぶん研修ということで、能の善し悪しを感ずる以前のような部分もありましたが、今回はベテランの佐野さんの舞台でもあり、なかなかに楽しめました。「藤」っていうのも案外面白い曲なんだなあと思った次第。


今回は作り物は出ず、次第の囃子でワキ僧と、ワキツレの従僧が登場しました。
・・・ただし当日いただいたパンフレットには、藤城継夫さんの解説に「舞台正先に松立木の作り物が出され」とあります。そのためロビーにわざわざ「本日は松立木の作り物は用いません」といったお知らせが貼ってありました。


先日の金剛会では藤懸松立木台が出ましたし、観世の謡本にも作り物が明記されていますが、さて宝生流ではもともと出さないのが普通なのか、それともこの日はたまたま出さなかったのか、どちらなんだろうと考えてしまいました。
しかし藤城さんは長年「わんや書店」で雑誌「宝生」の編集にあたられた方ですし、宝生流の解説を書き間違えるとは思い難いので、この日はたまたま事情あって使わなかったのではないか、とひそかに想像しています。


さて、宝生欣哉さんのワキはいわゆる大口僧で、ワキツレの則久さんと高井さんと登場。
加賀の国に下り名所旧跡を一見したので、これより善光寺へ参ろうと語って道行を謡います。
このつづきはまた明日に

藤のつづき

道行に続いてワキの詞で越中の国くずみの郡氷見の里に着いたと述べられます。
例によって、ワキが多枯の浦(宝生ではこう書くのかも)の景色を見やりながら、古歌を詠じているとシテが呼び掛けで登場してきます。


常盤なる松の名たてにあやなくも、かかれる藤のさきて散るやと・・・と、これは金剛のときとと同じ歌ですね。「おのが波に同じ末葉の萎れけり、藤咲く多ゴ(ゴは示偏に古)の恨めし乃身ぞ」と観世の謡本にはありますが、これは観世だけなんですね。


さて歌を詠じたワキが「ふる事の思い出でられて候、あら面白や候」と語るうちに幕が上がりシテの呼び掛け。幕から出たシテは幕前で立ち止まり、正面を向いて「田子の浦や汀の藤のさきしより、うつろう波ぞ色に出でける」という古歌を謡います。これこれは金剛も観世も同じ歌をひきますね。


ワキとの問答のうちに舞台へ進み常座でワキを見る形から地の上歌になり、角へ出てワキを見込む感じ。ワキの方へ進みながら舞台を廻って正中から常座へと戻ります。
作り物の出ていた金剛の会では、角で花に向かって開く型があり「この花を心なく詠め給ふはうらめしや」の一句の「この花」に合わせた形でしょうか。
作り物が出ていないと、そのあとの「詠め給ふはうらめしや」とワキに焦点が当たってきますね。


シテは自らを「花人」と思し召せと言い、目付柱の方へ三、四足ほど出ると「かへさの雁の入る雲の」と目付柱の遠くを見やる風情。「松にかかれる」の地の謡で、正先にあるはずの松を見込む形。
そしてワキに向かってツメた後、静に中入りとなりました。
とても良い雰囲気だったのですが、笛に送られて静かに中入りする姿が良かったせいか、ここで拍手がパラパラと・・・やっぱり間違えたんですかねぇ、あれは。
明日につづきます

藤さらにつづき

高野さんのアイは、趣ある語り口。語りアイの場合、概して和泉流の方が真面目な・・・というとなんですが、様式的な印象を受けます。


ワキの待謡を受けて後シテが登場してきます。
装束は藤の立物をつけた天冠に緋の大口、紫の長絹という、この曲としては通常の形。一声の囃子で登場して「偽りか空しき空に散る花の、あだなる色に迷いそめけん」と謡ったのちワキとの掛け合いになります。


優美ですが、謡も割とさらさらとした運びです。人の思いを切々と謡うという曲ではありませんし、この季節の花の精ということで、人間の情念を離れた透明感のある感じです。
シテ、ワキの問答から地謡へと移ると、シテは常座から歩を進め左の袖を返してワキを見込む形。これは金剛の際も同じでしたが、そこからクリ、サシと続いて「奈古の浦回もほど近き、眺めに続く景色かな」とユウケンしてクセに入ります。


短いクセは特段特別な型もありませんが、運びに緩急があって趣のある舞でした。
「浦吹く風に小夜更けて」とするすると角へツメたのち、ゆっくりと左へ回って「友呼ぶ声や」とワキ座まで進みましたが、この辺りの動きの緩急は、藤の花が風に揺れる感じとでも言えばよいのか、たゆたうような趣がありました。


クセに続く序ノ舞は型通りのものでしたが、むしろ序ノ舞の前後の方が面白かったように感じました。


序ノ舞の後もたゆたうような雰囲気のままに舞が進み、「春のみじか夜明くる横雲に」と笛座前から目付柱に向かって雲扇。夜が明けて花の精も姿を消す頃合い。
静かに留となりました。
(85分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

成上り 月崎晴夫(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2007.5.19
 シテ 月崎晴夫
  アド 石田幸雄 破石晋照


長裃の主が太郎冠者を連れて登場。
アドの主、石田さんが「今日は初寅ではないか」と言い、例年通り鞍馬に参詣することにします。
この曲、清水の縁日なので清水に参詣するという形もありまして、たしか以前に大藏で観た時は、そういう設定だったように記憶しています。


さてアドの主とシテの太郎冠者は「毎年参詣するのは目出度いことではないか」などと言いながら舞台を廻り、鞍馬にやってきます。
御前に参ろうと言って、拝をし両人は通夜をすることになり、それぞれにまどろみます。
アドの主はワキ座側にやや体を傾け寝た風。シテの太郎冠者は太刀を肩にし手を添えて寝入ります。


二人が寝入った風になると、アドのすっぱが登場してきます。
初寅とて参詣の人も多い中で「仕合わせをいたそうと存ずる」と堂々の宣言。
見れば太郎冠者が太刀を持って寝入っている様子。さっそくこれを狙って舞台に入り、太郎冠者に近づいて太刀を奪おうとします。


ところが良く寝入ったと見える太郎冠者ですが太刀にちゃんと手を掛けていて、たやすく奪うことができません。


思案したすっぱは竹を手に再び太郎冠者に近づき、太刀の代わりに竹を握らせてまんまと太刀を奪ってしまいます。
大藏流ではこのまますっぱは退場してしまいますが、ここは後見座にクツロギました。
すっぱの破石さん、万作一門の若手で舞台にも良く出ておられるようなのですが、私はこの日が初めて。なかなかに元気の良いすっぱでした。
このつづきはまた明日に

初モブログfrom水道橋

金曜日の出張。明日の土曜日はもともと五雲会を観に来るつもりだったので、思いきって東京に泊まってみることにしました。
さらに、せっかく泊まるのに夜がもったいない・・・と、国立能楽堂の定例公演へ。狂言「水掛聟」と能「車僧」面白く拝見して、先ほど本郷の旅館に到着しました。
旅館?・・・そうなんです。ビジネスホテルとかって狭いじゃないですか。それで思いきってお安い旅館に。お風呂もトイレも部屋にはありませんが、なんとも昔懐かしい部屋で、すっかり寛いでいます。
さて国立ですが、狂言は久しぶりに高澤祐介さんのシテを観て満足。一方の車僧は白頭の小書が付いて近藤乾之助さんのシテ。高橋章さんがご病気のため代演ですが、見事な舞台でした。
が、隣に座ったアメリカ人の芸術の先生お二人に話しかけられ、しどろもどろ。なんでも日本の芸術などを観に二週間ほどの予定で来日中らしいのですが、私の説明でわかっていただけたかなぁ?すっかり舞い上がってしまいました。
ま、面白い経験させてもらった夜ですねぇ

五雲会を観てきました

さすがにくたばっております。
なにぶん夕べは慣れぬ旅館泊まりでいささか寝不足気味。この状態だと能四番に狂言二番の五雲会はちょっときつい。


ですが、ともかく全曲観て参りました。


曲は以下の通りで、まず能ですが
 八島 シテ 水上優
 小袖曽我 シテ 佐野玄宜
 杜若 シテ 佐野登
 船橋 シテ 金井雄資
そして狂言が
 柿山伏 シテ 吉住講
 舟ふな シテ 高部恭史


水上さんの能を観よう、というのが今回の第一の目的だったのですが、八島、良かったです。水上さんらしい、品の良い能。前シテもなかなかに良かったです。
あんまり早く能楽堂に着いてしまったので、ちょっと時間調整にコンビニに向かったところ、出勤途中の水上さんとすれ違いました。余程に声をかけようか、と思ったのですが、大事な演能前にまずいかなと思い、そのまますれ違いました。
普段歩いておられる時も端整な雰囲気でして、お人柄が出ている感じです。


さて「八島」以外も、体調不十分ではありましたが堪能。
小袖曽我は佐野さんのご兄弟でしたが、さすがにご兄弟ということなのか、あんなに息の合った相舞はなかなか観られませんね。
佐野玄宜さんは五雲会初シテで、開場前に入り口に姿を出され、並んでいた何人からか「おめでとうございます」の声がかかっていました。


杜若は、不思議な魅力があって、植物の精ってこんな風に表現すると良いのか、と思った次第です。とても良い印象でした。


金井雄資さん、良いですねえ。
船橋って曲の良さもあるのかもしれませんが、すっかり目が覚めました。前々からお上手とは思っていたのですが、後場では観ているほうのテンションも上がってしまいました。


狂言二番もそれぞれに面白かったのですが、いずれも万蔵さんがアドで実に素敵でした。


良い会だったと思うのですが、ともかく、本日はちょっと疲れておりまして、これにて寝てみようと思います。
鑑賞記は本日もお休みさせていただきます。
したがって今日の五雲会の分は、しばらく先になってしまいそうです・・・

成上りのつづき

出張で泊まりだったり、昨晩は疲れていたことなどもあり、で、鑑賞記が溜まってますので、今日は朝のうちに「成上がり」のつづきを書いておこうと思います。


すっぱが下がると主が目を覚まし「東が白うだ」と太郎冠者を起こし、まだ暗い中を出発します。
二人して舞台を回っているうちに、太郎冠者は太刀が竹に変わってしまっていることに気付き、主に「世間に成り上がりと申すことがござるがご存知か」と問います。


山の芋が鰻に、蛙がカブト虫に、ツバメが飛び魚に、嫁が姑に成り上がるなどと冠者が言いますが、主は嫁が姑になるのは次第送りで成り上がりではあるまいなどと返します。
さらに太郎冠者は「熊野の別当のくちなは太刀」の話を続けます。別当の太刀は世の者には蛇と見えたが、家の者が取りに行くと太刀であったなどという話。
いきなり怪しい話をした後で、太郎冠者は主の太刀も「はや成り上がって青竹になりました」と主に竹をみせます。


ここで大藏流では主が叱って留。まさに曲名通り「成上り」がメインテーマになっていますが、和泉だとこの後があります。


アドの主は、いたづら者が取り換えたものであろうが、このような人出の多い日はさらにほかの者を狙って徘徊していようから、と二人してすっぱがやって来るのを待つことにします。


すると後見座にクツロいでいたアドが立ち上がり、太刀を持って登場してきます。
主と太郎冠者はすっぱの持っている太刀に気付き、主がすっぱを捕らえます。


ここから後は太刀奪や真奪と同じで、主がすっぱを後から抑えているのに、太郎冠者がしっぺいを当てようとして外されたり、主に「縄を持ってこい」と言われて、縄をなったりのドタバタになります。


先日の真奪では石田さんの太郎冠者に大笑いでしたが、この日は石田さんが主ですっぱを抑え、月崎さんが縄をなう側。これまた大変面白く拝見しました。


ただ、この後半の部分がなかなかに面白いだけに、逆に成り上がりの様々を述べた部分がいささか霞んでしまいますね。
(20分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

石橋 橋憲正(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.5.19
 シテ 高橋憲正 ツレ 金森良充
  ワキ 大日向寛
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 住駒充彦
   太鼓 助川治、笛 藤田次郎


いやもう高橋憲正さんの石橋というだけで盛り上がっての観能。
大鼓の飯島六之佐さんは東京ではほとんどお見かけしませんが、金沢在住の大鼓方。
金沢ご出身の高橋憲正さんのシテということでお出になったのでしょうか。なかなか良い感じの大鼓でしたが、その話はまたいずれ。


さてこの石橋。古くは獅子と言ったらしいのですが、一度廃絶した能で江戸時代初期、おそらく秀忠の頃に再興されたようです。
このためか、流儀によってかなり違いますし、小書も様々。
連獅子のように紅白二人で獅子を舞う形もあれば、四人出る形もあります。


観世流などでは半能の形で演じることが普通なので、私も能楽を観るようになってからも久しく前場を観たことがありませんでしたが、宝生流では前場はツレが出る形に整理されているので、半能にしない方が通常のようですね。
そんな訳で前場を観たのは宝生流のものが最初です。
そうそう、金春でも半能が普通の形なので前後を演じる時は丸能というのだと、宗家がご自身のブログに書いておられた話を、いつぞやこのブログでも書きましたが、石橋を巡る話は、各流にいろいろとあるようです。


この日はツレが金森良充さん。お若いシテにさらにお若いツレですが、なかなか良く演じておられたように感じました。
舞台の進行はまた明日に

石橋のつづき

まずは後見が一畳台を持って出ます。
紅白の花を立てた一畳台を舞台正先に持ち出し、その後方、橋掛り寄りに、斜めにもう一台の一畳台を置いてワキの出となります。
宝生流は最初に一畳台を出しますが、他流で半能にしない場合は中入りで一畳台を出すのが普通の形のようですね。


ワキは大日向さん。一曲目の蟻通ではワキツレでご出演でしたが、さすが石橋のワキは大江の定基、出家して寂昭法師ということで沙門帽子に白大口、紫の水衣に掛絡をかけた高僧の姿。沙門帽子も銀の格調あるものでした。
大日向さんもかなり力が入った様子で、朗々と名のりました。


ワキの名宣リを受けて、ツレの出になります。
ツレとは言っても、前シテをツレの扱いにしているわけで相応の重さで登場することになります。
樵童の姿ですが、田村の前シテと似ていると言えば似てますね。


常座まで進み「松風の花を薪に吹き添へて」と一セイを謡います。ツレですが舞台へ入ると後見が二人とも出てきて後見座に着座。シテ同等の扱いということでしょうね。


サシから下歌、上歌と山路を進んできた心を謡い、ワキ正面の方を見やる形。
するとワキが立ち上がり声をかけます。
ワキはこれが清涼山の石橋かと問い、ツレはまさしくこれがかの石橋で、向は文殊の浄土と答えます。
ワキが早速に橋を渡ろうと二足ツメると、ツレは「暫く候」とワキを止め、この橋を渡るに古の高僧達は難行苦行、捨身の行にてここに月日を送ったもの。たやすく渡ろうとするのは危ういことだと語ります。


ツレ、ワキの問答がつづき、地の謡が受けて「上の空なる石の橋」とゆっくり謡い出します。宝生らしい重みのある謡。
「面は尺にも足らずして」とツレは面を使って見廻す感じから「下は泥梨も白波の」と遙か下を覗き込む形。舞台を左に回って常座に戻り、ワキに向かい合ったところから正中へ出て下居し、クリ、サシ、クセと進みます。
このつづきはまた明日に

石橋さらにつづき

クセは居グセ。重い謡で、途中「上には瀧の糸」の「上には」のところ。あるいは「例えば夕陽の雨の後に虹をなせる姿」の「虹」のところなど、ところどころかかった謡になり、メリハリがつきます。
いやが上にも緊張が高まってきます。


上げ羽の後「向は文殊の浄土にて」とツレが立ち上がり「夕日の雲に聞こえ」と笛座の方を見やる形から、来序で中入りとなります。


アイが出ないのも宝生独特の形で、来序から乱序へ切り替わります。
太鼓の助川さんが、ツレが幕に入るのを確かめるようにちらと見て乱序に。


この間に後見、寺井さんの指揮の下、一畳台の位置を若干手直し。微妙なところだと思うのですが、その微妙さが演技には影響大きいのでしょうね。


乱序に変わると直ぐに半幕になって、シテの下半身が見えます。「おおっ!」という期待感。
一度幕が下ろされた後、露の手から一気に幕が上がってシテの出になりました。


橋掛りを進み、欄干に足をかけての型。無駄のない動きです。
舞台に入って獅子になりますが、動きのキレの良さ、気迫など、何とも言えない充実感を感じました。
頭を振って面を上げた後、ふわっと赤頭が降りてくる様が獅子の雰囲気をさらに高めた感じ。


一畳台を飛び移り、白花に足をかけて静止したり、静と動が見事に切り替わって良い獅子を見せていただきました。最後は「獅子の座にこそ直りけれ」と飛び安座。残り留で囃子に合わせて留の拍子。最後まで堪能しました。
半年間楽しみしておりましたが、憲正さんのさらなるご活躍、お祈りしております。
(55分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

加茂 武田孝史(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.10
 シテ 武田孝史、ツレ 野月聡 小林晋也
  ワキ 森常好、アイ 吉住講
   大鼓 亀井広忠、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 金春國和、笛 一噌幸弘


宝生は加茂ですが、他流では賀茂。
賀茂神社というのは、上賀茂神社と下鴨神社をまとめていう言い方ですが、その賀茂神社の縁起をもとに作られた脇能の一曲。金春禅竹の作と言われていますが、なるほどそれらしい雰囲気の曲です。
金春禅鳳の曲とされる嵐山とも似た構成になっていて、同じ脇能でも高砂や弓八幡などのグループとは一線を画します。


前シテと後シテが別な人格であることも共通しています。
この加茂では前シテは里女ですが、実は御祖神である秦の氏女。ところが後場ではその天女姿の御祖神はツレとして登場し、シテは別雷神となります。
嵐山も前シテ・前ツレの老夫婦は実は木守・勝手の明神ですが、後場では木守・勝手はツレで登場し、シテは蔵王権現になりますね。


上賀茂神社は賀茂別雷神社(カモワケイカヅチジンジャ)で、祭神は賀茂別雷命。一方の下鴨神社は賀茂御祖神社(カモミオヤジンジャ)で賀茂別雷命の母の玉依姫命および玉依姫命の父の賀茂建角身命をお祀りしていることから御祖といわれるわけですね。


ところでちょっと不思議なのは、神社の縁起では玉依姫命が白羽の矢によって身籠もって生まれた子供が別雷神。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命ですが、謡本を読む限りでは白羽の矢こそが別雷神で、その子を生んだ秦の氏女とその子も神となったという次第。
このあたりの微妙な違いはどうしてなんでしょうね。


余談ですが、なんでも日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている八咫烏(ヤタガラス)は下賀茂神社の祭神である賀茂建角身命の化身なんだそうです。


前置きだけで一日分になってしまいましたので、能の次第はまた明日に

加茂のつづき

一同着座すると、後見の和英さんが矢立台を持って登場。
白羽の矢を立てた形ですが、矢といっても細めの竹竿に白い矢羽根の形を付けたもので、けっこうな大きさです。


正先に台を据えて後見が退場すると次第の囃子。
この日は、観に行けるかどうか見極めが付かずにチケットを申し込むのが遅くなったため、申し込んだ時には既に正面席は完売。正面が無い時はワキ正の前の方とお願いしておいたら一番前でして、柱の関係で正先あたりはいささか観にくいものの、囃子方はバッチリ。
囃子方をこんなに近くで観たのも久しぶりなのですが、次第の最初、笛の音から魅了されまして、加茂のような曲は囃子を聴くだけでも楽しめますね。
大小が広忠さんと源次郎さんで、これまた気迫ある演奏。


ワキ・ワキツレは播州室の明神に仕える神職。森常好さんの堂々たるワキに、舘田さんと常太郎さんのワキツレ。脇能らしい歯切れの良い謡で、次第からワキの詞、そして道行と進みます。


続いて真ノ一声でシテ、ツレの出になります。
ツレが先に立ち、一ノ松まで進んで振り返って幕前のシテと向き合う形で一セイ。続いてツレがサラリと二ノ句。再びシテ、ツレ同吟と、脇能の典型的な出の形ですね。


シテ、ツレともに里女という趣向で、シテは水桶を右手に持っています。
賀茂の河原に水汲みに出た風ですが、清々しいような良い雰囲気です。
謡ううちにシテが正中、ツレがワキ正に立ちますが、これに対してワキが立ち上がり問いかけます。
矢立の台の謂われを問う訳ですが、シテ、ツレはこの矢を見る風情で、ワキとの問答になります。
このつづきはまた明日に

加茂さらにつづき

ワキの問いに答えて、シテは秦の氏女の物語を始めます。
むかし賀茂の里に秦の氏女という女性がいて朝夕に川辺で水汲みをしていたが、川上より白羽の矢が流れ来たったので取って帰り庵の軒に挿しておいたところ、懐妊してしまった。
その子が三歳の折に、人々が子供に対して「父は」と問うたところ、この矢を指したが、矢は鳴雷となって天に昇ってしまった。これが別雷神であるという話。さらにその母子も神となったとか。


ツレはワキツレに並んで座し、シテは水桶を持ったまま謡い舞う形になります。
地謡との掛け合いのうちに「うつろふ影はありながら、濁りなくぞ水むすぶ神の慮」と左右に川面を見回す型から水桶を置いて合掌し、下がって下居。


さらに「御身は如何なる人やらん」との謡に「誰とは今は愚かなり・・・」と語り、ワキに向かって中腰に見込む型から立ち上がって、サラサラと小廻りに回り、後は来序でゆっくりと幕入りとなりました。


代わってアイの末社の神が登場し、立ちシャベリの後に三段ノ舞を舞って退場。
後ツレの出となります。


後ツレは御祖神、天女ですが、白大口に紫の長絹、天冠を着けての登場。天女ノ舞を舞った後、角へ出て「緑の袖を水に浸して涼をとる」と袖を広げて扇で水をとる型。さらに雲扇して後シテ別雷神を待つ形になります。


後シテは早笛で豪快に登場。赤頭に袷法被、半切の嵐山などと同様の形に唐冠を着けての登場です。
舞働からキリまで、ある意味あっという間ですが、面白く拝見しました。・・・私は概して脇能が好きですが、ストーリー性は乏しいものの、ある意味とても能らしい能を観たという感じがします。
前場の里女、アイの末社の神、後ツレ天女、そして別雷神とバリエーションがあって、飽きませんね。気が付いたら一時間半が経っていました。
(90分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

水汲 野村萬(宝生会月並能)

和泉流 宝生能楽堂 2007.6.10
 シテ 野村萬、アド 野村万蔵


大藏流では「お茶の水」。名前も違いますが、演出もいささか違っています。
以前にも書きましたが、お茶の水ではまずとある寺の住持が登場し、新発意を呼んで水を汲みに行くよう命ずるところから始まります。


呼ばれた新発意が、いつものとおりに門前の女「いちゃ」に行かせるように主張して、自分は行こうとしないため、怒った住持はやむなく「いちゃ」に水汲みを頼む次第になります。


一方この「水汲」ではアドの「いちゃ」がまず登場してきます。
万蔵さんのいちゃは、頭に小袖を載せ「野中の清水に行って洗い物をいたそうと思います」と述べ、なにかとシャベリながら登場してきます。
一度、常座で立ち止まり、ワキ座前あたりに出て座して小袖を下ろし、水に濯ぐ形。
万蔵さんのいちゃはなかなか色気がある感じで、この曲らしい雰囲気です。


小袖を二、三度動かすだけなのですが、これが洗い物をしている風に見えるから面白いところ。濯ぐ形をした後、座して少し待つ形になります。


するとシテの新発意が鬘桶を下げて登場してきます。
新発意は水汲みを命じられたので出掛けてきたと述べ、柳の水や醒ヶ井の水などは名水だが、とりわき野中の清水は名水だなどと言いながら清水に近づいてきますが、門前のいちゃがいることに気付きます。


新発意は日頃いちゃに言い寄っている様子で、その返事を聞かせて貰っていないと、いちゃに後から近づき、目隠しをしてしまいます。
このつづきはまた明日に

一周年

このブログを開始して一周年となりました。


記事自体は、その三月ほど前からココログで書き始めていたものをまるごと移転してきたので、昨年三月のものからありますが、このブログとしての運用はちょうど一年。
能楽にまつわるものだけのブログで、どこまで続けられるだろうか・・・正直のところ先が見えない感じだったのですが。なんとか一年続きました。


ここしばらく、鑑賞記は一番の能について三日、狂言は二日のペースで書いています。
一日で終わらせたら・・・と思わないでもないのですが、出来れば一日分をスクロールせずに読める程度に抑えたいなあという気持ちがあって、こんなスタイルになっています。


当面は鑑賞も続けるつもりなので、しばらくはこんなペースで更新をしていければ、と思っています。
もう少し、鑑賞記以外の記事も書きたいと思っているのですが、余り欲張ると続きませんし
「無理しない」のがモットーなので・・・


今後ともよろしくお願いいたします

水汲のつづき

急に目隠しをされたいちゃは驚いて振りほどきますが、見れば寺の新発意。どうしたのかと問うと、新発意は「後を追ってきた」と答えます。
これは嘘ですね。嘘なんですが、このあたりの機転が日頃いちゃを憎からず思っている心情をうまく表しているように思います。


さらに新発意は、お茶の水を汲みに来たのだが「水というものはものにあやかるの」だから、誰が汲むかでお茶の味も違うもの。ぜひともいちゃに水を汲んでほしいと迫ります。
結局、いちゃが水汲みを引き受けますが、新発意の方は「上を汲めば塵や葉が入る。下を汲めば砂が立つ。中の方を汲むと良い」などと、なにかとちょっかいを出したがる風。


さらに、いちゃの小歌を久しく聴かぬので是非にも謡ってほしいと頼み、いちゃが小歌を謡いながら水を汲み出すと、新発意は橋掛りへ行き、一ノ松あたりで扇を開いて、自らも小歌を歌い出します。


大藏の「お茶の水」では、もともといちゃが住持に頼まれて水を汲みに来ているので、この小歌を謡うまでの流れも大分違いますが、そもそもこの和泉流の演出は、より男女の情感の方にウェイトがかかっているようで、この先の小歌のやり取りなどに細やかな詞や所作の気配りが見られるように思います。


いちゃと新発意が交互に歌い継ぐ形から、いちゃの歌で新発意が舞い初め、舞いながら再び舞台に入って、いちゃに近づきます。
そしていちゃの手を取りますが、いちゃは手を払って立ち上がり、二人で相舞の形。
なんだか万蔵さんのいちゃがやけに色っぽい。


さてそうこうするうちに、新発意がさらにいちゃに近より、いちゃは恥ずかしいととうとう水桶を新発意に頭から被せてしまいます。
新発意は「悉皆濡れ鼠じゃ」と言い「はァくっさめ」とくしゃみをして留めに。


大藏のお茶の水が、後に登場する住持と新発意の取っ組み合いにも相当のウェイトを置いているのとは違い、もっぱら男女の機微に焦点をあてた形。面白く拝見しました。
(25分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

籠太鼓 三川淳雄(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.10
 シテ 三川淳雄、ワキ 工藤和哉
  アイ 野村扇丞
   大鼓 柿原弘和、小鼓 北村治
   笛 槻宅聡


籠太鼓の籠は牢屋の牢と同義なんだそうで、後見が出してくる籠の作り物はまさに牢屋の意味ですね。
牢舎につけられた時の鼓を狂乱して打つところから、籠太鼓の曲名をつけたのでしょう。
さてそういうわけで一同着座すると、まずは後見が籠の作り物を持ち出してきて大小前に据えます。本当に枠組みだけのもの。
すると名宣笛でワキの松浦の何某とアイの従者が登場してきます。
ワキは梨打烏帽子に白鉢巻、直垂上下の武士の姿。従者は太刀持ちですね。


この曲は間狂言が重要な役回りをします。冒頭の部分は工藤さんのワキと扇丞さんのアイの掛け合いで進行する形になります。
ワキは名乗で、自分は松浦の何某であるが召し使う「関の清次」が口論の末に敵を討ってしまったので牢に入れてある旨を述べ、従者を呼び出します。


従者に対し清次の番をしっかりするようにと申しつけますが、アイは「さてもさてもかような不憫なことはこざらん」などと言い、清次に同情的である様子を見せ、牢に向かって話しかけます。
しかし返事がないので、牢内を確かめると清次が抜けた後。慌ててワキに報告します。
人の良さげな雰囲気を扇丞さんが良く出しておられたと感じました。


この清次へ同情的な物言いをしているところが伏線なのでしょう、ワキの何某はだからこそ以前よりかたく申しつけてあるのに、油断したのだろうとアイを叱ります。
そして清次に親はないかと問い、アイが無いと答えると、子はないかと問い、これまた無いと答えると、妻はないかとさらに問いかけ、アイの「妻はいる」との返事に急いで妻を連れてこいと命じます。
このつづきはまた明日に

籠太鼓のつづき

アイが橋掛りへ向かいシテを呼び出すと、現れたシテ「清次の妻」は幕前で、夫が科人として捕らえられたうえに自分まで罪に問われるのは情けないと嘆きますが、アイがシテを急き立てるようにして橋掛りを進み、アイは狂言座に着し、シテは舞台に進んでワキと対峙します。


ワキはシテに清次の行方を尋ねますが、夢にも知らぬと返答しないため、夫の代わりにとシテを牢に入れることとします。
地謡が「今の女を引き立てて」と謡い、この打切の間にワキが「いかに誰かある」とアイを呼び出し、女を牢へ導きます。


ワキはアイに対して、籠に太鼓を付け一時ごとに時を打って番をせよと命じ、アイが籠に鞨鼓をくくりつけます。
アイは時を打つということで「どーん、どんどんどん、ななつ、どーん、ここのつ、どーん、とお。や、一つ打ちすぎた。一つ取っておいて明日の足しにしよう」などと、太鼓を打つ所作をします。
緊張した場面が続く中で、アイの所作が空気を和らげる感じになりますね。


この後、シテはサシの謡で思いを述べるうちに狂気をあらわし、アイがワキに報告します。
ワキは早速に籠に立ち寄り、狂気の故をを問い、夫の所在を知らせれば牢から出そうと言いますが、シテはたとえ夫の所在をしっていても、夫を失うことになるのに所在を教えたりはできない、ましてや所在など知らないと拒みます。
この言葉に、ワキは「優しき女の言い事や」と感じ、女を牢から出すことにして自ら牢の戸を開け、シテに出るように促します。


シテは牢内で片袖を脱ぎ、いよいよ狂気の様を現して牢を出、イロヱになります。
片シオリしなが籠を出、後見が脱掛けの形を整えてイロヱ。いよいよ狂気の様ですね。
このつづきはまた明日に

籠太鼓さらにつづき

シテは籠につけられた鼓の故を問い、高揚した感じでカケリになります。
修羅物のカケリとは違って、苦患を表すわけではありませんが、中年の女らしい狂気からくる高揚と弱さが同居したような感じのカケリ。


こののちシテは、今度は鼓を打って心を慰めたいと言い、地謡との掛け合いから、鼓を打つ形へとなります。
そして、この牢は夫の身代わりに入ったもの、なつかしやと自ら再び牢に入って戸を閉めてしまい、籠のうちでシオリます。


これにワキの何某も感じ入り、夫婦ともに許すと言い、シテは戸を開けて正中に下居して合掌。後は常の如く留となります。


クルイの様の表現など、三川さんの丁寧な演技で趣ある能だったと思うのですが、しかし、私としては、どうにもこの能は腑に落ちないんですよねぇ。


夫の居場所を決して明かさないような気丈な女が、どうして牢に入っただけで狂気となってしまうのか。また、狂気になったと聞いて駆けつけた何某が、なぜ簡単に許すと言ってしまうのか。
どうも話として釈然としない感じです。


頂いたパンフレットの藤城さんの解説にも、古来、これは謀の狂との説がある旨が記されていますが、偽りだとしてもなんとなく解せない感じがします。
このために感情移入ができず、なんだか消化不良になる感じ。


中世的な意味での「狂い」がキチンと理解できれば良いのでしょうね。百万の狂気などはある程度理解できるのですが、この籠太鼓や高野物狂なんかは理屈ではわからない世界のように思います。
(50分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

 | HOME |  次のページ»

カレンダー

« | 2007-06 | »
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。