能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

観世会定期能を観に行く

観世会を観ようと出かけました。
今年は2月、3月と続けて観ているので観世会も三度目。私としては今までになく多いのですが、なんだか原点回帰というか「やっぱり観世が肌に合う」と思うところもあり、気になる曲の時だけでも観に行こうというのが最近のスタンス。


ただし以前書きましたが、なにぶん観世会は年間20万円を払って特別賛助会員にならないと指定席が取れないので、私のように時々観たいという物好きには自由席しかありません。その自由席でも最低区画で8,400円となかなかお高いので、少しでも早く行こうかと家を七時前に出発。


本日の番組は高橋弘さんのシテで歌占、梅若万三郎さんの楊貴妃、これは台留(ウテナドメ)の小書付。そして観世恭秀さんの船弁慶、こちらは前後之替の小書付きです。


能三番のほかに、狂言は大藏彌太郎さんの鐘の音。さらに仕舞が四番で難波、経正クセ、鐘之段、船橋というところでした。


入れ込んで出かけたのですが、その甲斐あって割合面白く鑑賞しました。
今回は何を目的に・・・と言えば、なかなか観る機会のない万三郎さんの楊貴妃を目当てにして行ったのですが、うーん、シテは良かったんですけどねぇ・・・良い能だったとは思うのですが。


収穫だったのは歌占。高橋弘さんの能は観たこと無かったかなあ(ここ数年の記録にはありませんでしたが)ああ、まさに観世らしい能だなあと思った次第。とても面白く拝見しました。ただ、お歳から言って面をつけられても良かったかなあ、と思ったりもしましたが。


狂言も、鐘の音はこのところ和泉流が続いていたのですが、今回は大藏流だったため構成の違いを楽しませて頂きました。


仕舞四番、順に宗家、武田志房さん、坂井音重さん、そして関根祥人さんだったのですが、祥人さんの船橋が印象的でした。この間の宝生会、金井雄資さんの船橋も良かったのですが、関根祥人さんでもぜひ観てみたいと思った次第です。
個々の鑑賞記はまたいずれ

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水掛聟 高澤祐介(国立能楽堂定例公演)

和泉流 国立能楽堂 2007.6.15
 シテ 高澤祐介、アド 三宅右近 三宅右矩


高澤祐介さんの狂言は大変気に入っているのですが、なかなか拝見する機会がありません。
今回はたまたま出張の夜ということで、水掛聟を観ることができました。いやあラッキー。


さてこの水掛聟という狂言、ある意味なかなか深い話です。
まずはシテの聟が鍬を担いで登場します。「このあたりの百姓でござる」と型通りの名乗り。続いて、今日も田を見回ろうと思うということで「百姓ほど忙しいものはござらん」などと言いながら舞台を廻り、自分の田んぼにやって来ます。


さて「今年は良うできた」などと田を見廻していると、水がないことに気付きます。
よくよく見れば、畦を止めて隣の舅の田へ水が流れ込んでいます。


舅がこんなことをするとは思わないものの「全く油断がならない」と、鍬を使って畦を直して自分の田の方へ水を取り、さて「山の手の田が心許ない」と、一度山の田を見回ってから再び来ようと言って、ひとまず退場します。
高澤さんの狂言は久しぶりですが、実直な農民らしい雰囲気で良い展開。


さて代わってアドの舅、右近さんが鋤を担いで登場してきます。
こちらも田の様子を見回りに来たのですが「照りが強いによって水が大切」などと言いながら田を見てみると水がありません。


隣の聟の田には水があり、これはいけないと鋤で畦を再びもとのように戻し、自分の田に水を導きます。
さらに「油断のならないことじゃ。自身、番のいたそうと存ずる」と、ワキ座前に立って番をすることにします。
このつづきはまた明日に

水掛聟のつづき

山の田の見回りを終えて聟が再び登場してきます。
と、舅がいるのを見つけ仲良く話し始めます。


舅が聟に、雨乞いの寄り合いの様子を尋ね、聟は「相撲と踊りのどちらにするかでもめたが最後に踊りをすることに決まった」旨を話します。
実に仲の良い舅と聟の雰囲気が出ていましたね。


ところがこの話のうちに、舅が鋤で畦を直し、これを聟が見とがめて言い合いになります。
聟は「聟子というて聟は子ではござらぬか」聟の田に水がなければ一緒に引いてやろうというのが親だろう、と迫ります。
一方の舅も、舅は親、親の田に水がなければ引いてやろうというのが子であろうと譲りません。


言い合いしているうちに、双方実力行使ということで鍬や鋤で畦を直し始め、聟がふるった鍬の勢いに舅に水が掛かります。すると舅が仕返しに聟に水をかけ、泥水を掛け合う喧嘩になってしまうという次第。


ここに騒ぎを聞きつけて娘が登場します。
娘が喧嘩を止めようと聟の足を取ると、聟は舅の足を取れと言います。娘が舅の足を取ると舅は聟の足を取れと言います。これを繰り返し、最後は娘が舅の足を取って聟が投げ勝ちます。
娘は橋掛りへ進み「愛しい人ちゃっとござれ」と聟を呼び、舅は「来年から祭には呼ばぬぞよ」と言って留め。
これは貰聟の後半と同様ですね。大藏のお茶の水にも通じる形でしょうか。


昨日「ある意味深い話」と書きましたが、この狂言、水を巡る百姓の思いと、親よりも夫を選ぶ娘という二つのテーマを笑いの中に展開しています。
面白いだけでなく、見ようによっては考えさせられる話と思うのですが・・・
(20分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

車僧 白頭 近藤乾之助(国立能楽堂定例公演)

宝生流 国立能楽堂 2007.6.15
 シテ 近藤乾之助 ワキ 森常好
  アイ 野村小三郎
   大鼓 山本哲也、小鼓 幸清次郎
   太鼓 三島卓、笛 槻宅聡


高橋章さんがご病気ということで近藤乾之助さんが代演。
実は私すっかり勘違いしていまして、てっきり曲は是界の白頭だと思っていたので、能楽堂で「代演で曲も変わったのか」と一瞬思ってしまった次第でした。


今回は別ブログにも書いた通り、水掛聟の後の休憩の時間に、隣に座ったアメリカ人の女性に話しかけられまして、そのため例の国立能楽堂の秘密兵器、液晶の字幕を英語モードにしてときどき見ていたせいで、いつにない発見があり、これはこれで面白く鑑賞することができました。


まずは一同が着座すると、後見が椅子車の作り物を持ち出してきて、ワキ座にワキ正を向けて据え付けます。(Chariotって解説してありました。なあるほどネ)
すると次第の囃子になり、ワキの車僧が登場。森常好さんの堂々とした僧。沙門帽子の大口僧で格式の高い感じがしますが、なにより堂々とした感じがこの車僧にはピッタリです。


常座で次第を謡い、続いて「降り暮るる空は小倉の峯の雪・・・」と上歌を謡います。
さらに「嵯峨野のあたりに車を立て、四方の景色を眺めばやと存じ候」と語りますが、ここで幕が開きシテが「いかに車僧」と呼び掛けます。


ワキはこれに答えつつワキ座の作り物へと進み、車に乗りこんだ風で床几に腰を下ろします。
さてシテの方は・・・このつづきはまた明日に

車僧のつづき

一方のシテは問答を続けながら橋掛りをゆっくりと進み、「さてお僧の住処は」と問うあたりでシテ柱から舞台に入り、ワキと「火宅の出車、廻れど廻らず、押せど押されず、引くも引かれぬ」と掛け合ううちに常座からワキに向かってツメます。
この後の展開を期待させる掛け合い。


前シテは直面の山伏姿。近藤先生の風格ある所作がただ者でない雰囲気を出しています。
中入り前にはキビキビとした動きを見せ、来序で中入りです。


この曲、そもそも謡の詞章がとても面白い。登場してきた前シテとワキの問答は、車、輪の言葉を使い、禅の教義につながるようなものになっています。
ワキの「浮世をば廻らぬものを車僧、乗りも得るべきわがあらばこそ」は、輪廻と車の輪と、さらに我を掛けているのでしょうけれども、なかなか深い詞章です。


さてシテが中入りすると、囃子が狂言来序に変わりアイの溝越天狗が登場してきます。
常座で長い立ちシャベリ。前半の子細を語り、さらに太郎坊から車僧を「魔道に引き入れるため」なんとしても笑わせて心に隙を作らせよと命じられたと語ります。


このシャベリが長いのですが、面をつけややうつむき加減にシャベリ続けるのは、ハードなのではないかと想像しています。野村小三郎さんは名古屋の野村又三郎さんのご子息だそうですが、これまで機会なく拝見したことがありませんでした。


その後、溝越天狗は何とか笑わせようと様々な態を見せ、お尻を振ったり、さらに「こそこそこそ」と車僧をくすぐろうとしますが、ワキは微動もせず最後に一つ扇で打ちます。
これに恐れをなしてアイが退場し、後シテの出となります。
このつづきはまた明日に

車僧さらにつづき

大ベシの囃子に、羽団扇を持ち背には打杖を差した天狗姿の後シテが登場してきます。白頭の小書が付いて、もちろん白頭ですが、装束も白系になり所作もゆったりと格が上がります。


登場したシテは一ノ松で「愛宕山、樒が原に雪積もり・・・」と歌い出します。
謡ううちに静に橋掛りを進み、地謡の「煩悩あれば菩提あり」で常座へ。さらにシテの「太郎坊の行者もあり」でイロヱが入ります。


このイロヱのうちに橋掛りへ進み、一ノ松で地謡の「祈らば祈るべし」の謡に。
地謡に合わせての足拍子。そして前場と同様に、シテとワキの問答が続きます。


実はこのイロヱのあとは舞台に見入ってしまって、メモをとっていません。
白頭の小書によってシテは老体ということになり、当然に所作もキビキビした激しさは抑えられて、格調高い雰囲気となります。


この雰囲気が、車僧という曲が持つ問答の面白さ、深さにうまく合っているように感じました。
前場もそうでしたが、後場もシテとワキの問答はまさに禅問答の趣です。
そもそも輪廻を象徴する輪を持つと同時に、法そのものの象徴でもある車を持ち出しているところからして、この曲の趣旨がわかろうというもの。
そうなると、激しい動きよりも、抑制された白頭の方が、この曲にはより合った形なのかもしれません。


この曲の白頭の小書は宝生と金剛にあるようですが、とても良い能を見たなあという思いが残りました。
・・・白頭の小書って、"Hakuto" version って解説されてました。バージョンなあ・・・
(70分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

八島 水上優(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.16
 シテ 水上優 ツレ 内藤飛能
  ワキ 御厨誠吾、アイ 山下浩一郎
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 住駒匡彦
   笛 成田寛人


水上さんの能を観よう、観ようと思っているのですが、なんだか上手くタイミングが合わず、昨年の乱以来半年ぶりの鑑賞。
今回は前夜から泊まりだったので、朝のうち時間をもてあまして町を歩いていたら、出勤途中の水上さんとすれ違いました。
とは言え私は良く存じ上げているのですが、水上さんは私の顔はご存じないので、ここは演能前でもあり、ま、そのまますれ違ったという次第です。


さて曲は八島。観世流だけは屋島と、現在の地名と同じ表記をしますが、いずれにしても平家物語の屋島の戦いをもとに作られた能。
シテが義経で戦に勝っているため、田村、箙とともに勝修羅三番と言われますが、前後を通してなかなかに深い能だと思っています。


まず舞台はワキ、ワキツレの登場。
着流し僧で、御厨さんのワキに、梅村さんと野口能弘さんのワキツレ。都の僧が、西国行脚をこころざし、四国屋島に向かうという設定です。


次第の謡ののちワキが子細を語って、三人での道行。
御厨さんのワキ、私気に入っております。この日は力み無く、良い具合に力が抜け趣が出ていた感じです。


道行のうちに讃岐の国、屋島の浦に着き、日暮れのために見つけた塩屋に一夜の宿を借りようとします。
さてこのつづきはまた明日に

八島のつづき

一声の囃子でシテ、ツレが登場してきます。
ツレは一ノ松まで進み、シテは二ノ松あたりに立ち、正面を向いて謡い出します。


シテは老漁師、ツレは若い漁師の姿ですが、いずれも釣り竿を担いでいます。
二人は月が出た海上の様を謡い、シテ、ツレの掛け合いで謡い、シテは釣り竿を下ろし手に持って舞台に入ります。
ツレは正中へ、シテは常座に進んで、シテのサシ。


割合にサラリめの謡ですが、味わい深いものがあります。
下歌、上歌と。春の海辺の景色などを謡います。
この謡の最後でシテとツレは立ち位置を入れ替わって、シテは正中で床几に座し、ツレは角に下居する形となります。これで塩屋の中に入ったという設定ですね。


現れた二人の漁師を塩屋の主と思い、ワキは一夜の宿を借りたいと声をかけます。
ツレの若い漁師が立ち、ワキの言葉をシテに伝えますが、シテは「あまりに見苦しく候ほどに、お宿は叶うまじ」と、宿の提供を断ります。


ツレがこれを伝えると、ワキは都から来たのでこの浦は初めてであり、なんとか一夜泊めてほしいと重ねて頼みます。
この都から来たというところにツレが反応し、シテも都人と聞いて宿を貸そうと返答します。


ツレはワキに向かう時は立ち、シテには下居して相対します。このあたりは微妙な使い分けですね。
さらに、都と聞いて懐かしいと涙にむせぶ様子。


ワキは此処は源平の合戦場であった由、その様子を語ってほしいとシテに乞い、これを受けてシテの語りとなります。
このつづきはまた明日に

八島さらにつづき

シテの語りは元暦元年三月十八日の戦。平家が一町ほどの沖に舟をならべ、源氏が汀に出ていると、兵船一艘が漕ぎ寄せ、源氏方の三保の谷の四郎と、平家方の悪七兵衛景清が、兜の錣を掴んでの組み合いとなり、景清が錣を引きちぎった話から、さらに佐藤継信が義経の身代わりとなって能登の守教経の矢に当たって討たれた話。さては菊王も討たれて、双方分けた次第を語ります。


この仕方話もなかなかの聞かせどころ。
端正な、と言えばよいか、水上さんらしい実に品の良い前場で、老人の姿はしているものの老人を感じさせない、武将の霊であることを暗示する演技でした。


語り終えた後、潮の落つる暁ならば修羅の時になるべし其の時は我が名や名のらん・・・と地謡が謡い、さらに「よし常の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ」と中入りになります。
この「夢ばし覚まし給ふなよ」もちろん義経の名を掛けているわけですが、それにつけても「夢を覚ますな」と言うからには、これ全体がワキの夢であると象徴するような詞章。以前に紹介しました安田登さんの本にも、この話が出てきます。実に意味深なところです。


間狂言は錣引きの話から弓流しの話などを語り、義経への供養を勧めて退場。替の間では那須与一語が演じられることもありますが、この日は小書はありませんので、常の形。
そしてワキの待謡になります。


後シテは梨打烏帽子に白鉢巻、袷法被に半切で、右の片袖を脱いでの着付け。長絹を着けて出る平家の公達などと違って、まさに武将の甲冑姿の象徴ですね。
後場も端正なと言ったらいい、スッキリした印象で、良い能でした。
(85分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

柿山伏 吉住講(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2007.6.16
 シテ 吉住講、アド 野村万蔵


教科書にも出ていたりするので、極めて馴染み深い狂言ですね。
何度か観ていますが、やっぱり面白い。良くできた曲だと思います。


まずシテの山伏が登場してきます。
山伏をあらわす独特の歩き方です。登場の際に囃子方が次第を奏するのがもともとの形だと思うのですが、囃子無しが普通になったようですね・・・私が観てないだけかも知れませんが・・・


囃子無しで登場しても、シテは次第「貝をも持たぬ山伏が、貝をも持たぬ山伏が、道々うそを吹こうよ」と謡い「これハ出羽、羽黒山より出でたる山伏」と名のります。
シャベリながら舞台を廻るうちに、後見が鬘桶をワキ座前に出しておきます。


シテは「喉が渇いた」のですが、柿の木を見つけます。もちろん件の鬘桶が柿の木という訳ですが、柿を食おうと周囲に声をかけるものの誰もいません。
そこでまずは刀でかち落としてやろうと刀を振り回すけれども取れません。
そこで礫を打ってみようと試みますが、さっぱり当たりません。


そこで木に登って勝手に柿を取ることにして、鬘桶の上に立ち木に登ったという形です。早速に柿を取って食べる所作。「あむあむあむ」と食べると、また一つ。さらに手を出すと今度は渋柿。口直しに大きなヤツと、次々と柿を食べる所作をします。


そこにアド柿の木の持ち主が登場してきます。
万蔵さんの柿主、やっぱり味わいがありますねぇ。
柿の木に登って、勝手に実を食べている山伏を見つけますが、山伏の方は木に身を隠して隠れたつもり。
間の抜けた山伏なので、柿主は一つ山伏を嬲ってやろうとします。
このつづきはまた明日に

柿山伏のつづき

柿主は「木に隠れているのはあれは犬じゃ」と言います。山伏は早速に「びょうびょうびょう」と犬の真似をします。
すると柿主は、犬かと思ったがあれは猿じゃ、と続けます。山伏はまたまた「きゃあきゃあきゃあ」と猿の鳴き真似。


さて次には「猿かと思ったが猿でもない、あれは鳶じゃ」と柿主が言い出し、さらに鳶であるからには飛ぶであろう。飛ばなければ鉄砲を持ってきて撃とうと言います。


この犬だ、猿だというあたりは、ほかにも色々とバージョンがあるようで鳥だの、猫だのということもあるようですが、いずれにしても最後は鳶ということで、山伏を木から落とそうという趣向ですね。
もっとも、飛びそうなものだと柿主が拍子を取りながら囃すという形もありますが。


さて山伏はとうとう鳶の真似をして木から飛び降りますが、飛べるわけも無し、したたかに腰を打って「あ痛、あ痛」と大騒ぎ。柿主に怒って、尊い山伏に鳥獣の真似をさせ、さらには飛ばせたために、腰を打った。宿へ連れて行って看病せよ、と妙な言いがかりをつけます。


柿主はすっかり山伏を馬鹿にして、さっさと帰ろうと橋掛りへ進みますが、山伏が祈ると橋掛りの途中から祈り戻され、舞台に戻ってきます。
調子に乗った山伏が、宿に連れて行けと再び命ずると、柿主は「おのれまことじゃと思いをるか」と山伏を追い込んで終曲。山伏をおぶってから振り落として退場する形もありますね。


いやホント、面白かったです。吉住さん熱演でした。万蔵さんの余裕あるとぼけ振りがまたなんとも。
(15分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

小袖曽我 佐野玄宜(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.16
 シテ 佐野玄宜 五郎 佐野弘宜
  母 藪克徳、従者 辰巳和麿
  団三郎 今井基、鬼王 金野泰大
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒俊介
   笛 一噌幸弘


曽我物というのは何曲かありますが、その中ではこの小袖曽我が一番良く演じられますね。曽我兄弟の男舞の相舞というのが、なかなかの見せ所ですし、母の勘当を解いて敵討ちに向かうという武士らしい晴れやかさも魅力なのかもしれません。


まずはツレの母と従者が出し置きの形で登場してきます。
他流ではツレ母とアイの春日局が登場しますが、宝生流では男の従者を出すんですね。


続いて次第の囃子で、シテ十郎祐成とツレの五郎時致、団三郎、鬼王の四人が登場してきて、次第を謡い、シテが曽我の十郎祐成と名のります。


この先を続ける前に、そもそもこの人たちはなんなのだと、曽我物語の伝説の話をいささか書いてみようと思います。ご存知の方は読み飛ばしていただければ幸い。


さて平安時代末期、現在の伊豆地方に勢力を張っていた豪族、工藤祐隆がそもそもの発端。
祐隆には祐家と祐継二人の子がいますが、伊東に住した嫡男の祐家は祐隆よりも先に亡くなってしまいます。祐隆は、本来は嫡孫である祐家の子伊東祐親に所領を残すべきだったのでしょうが、伊豆半島の東半分にも及ぼうかという所領の大部分を、後妻の連れ娘との間の子である祐継に与えてしまいます。


ところが祐継が早く亡くなると、祐親は祐継の嫡男工藤祐経の後見人となり、実質的にその所領を横領してしまいます。
このため工藤祐経は伊東祐親をたいへん恨んでいました。


複雑な人間関係ですが、このつづきはまた明日に

小袖曽我のつづき

時に伊東祐親が巻狩を催した際に、工藤祐経は郎等二人を使わして、祐親の嫡男で河津に所領を持ち河津三郎と言われた祐泰を殺してしまいます。
この河津祐泰の二人の子が一萬丸と箱王、後の十郎祐成と五郎時致という訳です。


その後、祐泰の妻の満江御前は二人の子を連れ、同じく豪族の曽我祐信に嫁し、一萬丸は元服して曽我十郎祐成を名のり、箱王は箱根権現に稚児として預けられています。
伊東氏の一族は、平家方についたために以後没落してしまい、一方、先見の明があったのか、工藤祐経は頼朝に仕えて頭角を現していました。


十郎、五郎の兄弟は、父河津祐泰の敵を討とうと、長年工藤祐経をつけねらっています。
箱王は出家を嫌って出奔し、北条時政を頼って元服して五郎時致を名のり、いよいよ兄弟敵討ちと、従者の団三郎、鬼王ともに出掛けるというのが、この能の発端になります。


ところが、五郎の勝手な元服を母が許さず勘当。この勘当を解いて晴れて敵討ちに向かおうと、四人は母の館にやって来たわけです。


能に戻って、四人は向き合った形で謡を続けます。
建久四年五月半ば、富士の裾野で頼朝の命で巻狩が催されることになった。これを機会に工藤祐経を討とう謡い、母の館に着いた風で、シテは「案内を乞うから」と一同を待たせて声をかけます。五郎は橋掛りへ、団三郎と鬼王は切戸口から退場。


これに従者が答え十郎を招じ入れます。五郎ならば帰せと命じられている訳ですが、十郎はそれを察してか、自分のみが母と面談します。
十郎と母の面談の合間に、五郎は物陰から中を見る風。


十郎は母のもとを辞し「日本一のご機嫌にて候」と、橋掛りに控えている五郎の処へ行き、五郎に母との対面を促します。
このつづきはまた明日に

小袖曽我さらにつづき

五郎は常座に進み声をかけますが返事はなく、五郎の声を聞きつけた母が「なほ重ねての勘当」と言い切ります。


うち萎れる五郎を橋掛りから十郎が招き、五郎はシオリながら橋掛りへ進みます。
十郎は五郎を連れ、今度は二人して舞台に入りワキ座の母に向かって平伏します。
そしてクリ、サシ、クセと、読み覚えた法華経を読誦して母の現世安穏後生善所を祈り、あるいは念仏して亡き父への廻向とする、親思いの五郎の姿を、十郎が母に訴える謡が続きます。


「御恋しさも一つまた」と二人両手をついて一礼し、暇乞いしますが、その巻狩の狩り場に向かう兄弟を、心にもかけて頂けぬかと、二人シオリながら橋掛りへ向かいます。


この姿に、母が勘当を許し、二人は橋掛りから戻って正中に平伏します。
そして母と語り合ううちに「あまりの嬉しさに祐成お酌に立ちて」とシテは立ち上がって扇を広げ母に酌をする形。そして門出を祝う酒宴となって、男舞の相舞。


これが見事なくらい、シテ十郎の玄宜さんと、ツレ五郎の弘宜さんの息が合ってるんですね。さすがご兄弟とは思いますが、それでも余程に繰り返して稽古されたのではないでしょうか。あるいは幼少の頃からご一緒に稽古されていたということなのかもしれませんが、息の合った相舞でした。


舞の後も小気味よい謡、舞いの中に、雲扇からシテは常座、五郎は一ノ松で留拍子を踏んで終曲となりました。
佐野玄宜さんは五雲会初シテとか、お目出度い機会に、門出の能ということで良い選曲でしたね。


ところでこの曲、小袖曽我とはいうのですが「小袖」はどうなってるんでしょうかねぇ?どこにも出て来ないのですが、不思議ではあります。
(60分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

杜若 佐野登(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.16
 シテ 佐野登 ワキ 安田登
   大鼓 内田輝幸、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 徳田宗久、笛 一噌隆之


杜若はこの時期上演も多く、ポピュラーな能なので、このブログにも既に二度ほど登場しています。どちらかというとドラマ性の無い、ぼわーっとした感じの能なのですが、今回はまた違った意味で「案外面白い」と思った次第。


さてまずは名のり笛でワキが登場してきます。
実は不思議なことに、前回この曲を観た昨年11月の金剛永謹さんの時も、その前に観た昨年5月の金春流辻井八郎さんの時も、ワキは安田さんでした。
偶然といえば偶然なのですが、安田さんは例の「ワキから見る能世界」を読んで以来、気になっているワキ方。
あれ以来、ついつい安田さんが出てくると、能をワキの視点で観ようとしている自分に気付きます。


安田さんに注目して観ていると、案外運びが速い。変に重々しくなくて、むしろすたすたと進む感じ。確かにこの曲、つらい思いの末に幽霊になって・・・といった曲でもなし、諸国一見の僧は道を急ぐのかもしれません。


さてワキの詞から謡へつづき「かほよ花とも申すやらん」のあたりで幕が開いて、シテの姿が見えますが、ワキはそのまま「あら美しの杜若やな」とワキ座に向かい、シテの呼び掛けに振り返って幕の方を向きます。


シテはワキとの掛け合いのうちに静かに橋掛りを進み「旅の心ぼよめ」のあたりで後見座前に至り、ここで正面を向いて「妻しあれば、はるばる来ぬる」と舞台に入り「この杜若をよみし歌なり」と常座でワキを見やる形になります。
このつづきはまたのちほど

座・SQUARE第10回記念公演を観に行く

一年間、楽しみに待っていた座・SQUAREの記念公演に行ってきました。


昨年の第9回公演の際に頂いたパンフレットの裏表紙。第10回公演が決定しましたというお知らせが書かれていて、これを見てからですから、まさに一年です。


座・SQUAREは金春流の若手四人の会で、例年は能二番を四人のうち二人が舞うという形ですが、今回は総出演。
まず辻井八郎さんが翁を勤め、続いてリーダーの高橋忍さんのシテで羽衣の替ノ型。
狂言、仕舞を挟んで、最後は山井綱雄さんのシテに、井上貴覚さんのツレで石橋の古式という番組でした。


金春流の翁、今回のような普通の形を観るのは、実は初めてなんです。
春日大社の若宮御祭とか、屋外で立合の形は観たことがあるのですが、当然、こうした形の翁もあるんですよね。とっても良い翁でした。
他の曲ともども、いずれ鑑賞記は個別に書かせて頂きますが、辻井さんが物凄く真剣に取り組んでおられるのがひしひしと伝わってくる感じです。
翁、いいなあ。
しかも今回は東次郎さんの三番三。ほんとうに久しぶりに拝見しました。観ていて泣きそうになってしまいました。
千歳の凛太郎クンは式能以来二度目ですが、本日も堂々とした舞でした。


羽衣の替ノ型、ものの本によると「舞は変わらないが盤渉にすることもある」などと書いてありますが、実は定式がないんだそうで、演者の工夫次第のようです。
高橋忍さん、私はたまたま昭君とか半蔀とか、女性がシテのものばかり観ていますが、本日の羽衣も良い雰囲気で、とても綺麗でした。
装束も、型も工夫があったように思います。


石橋は、金春で観るのは初めて。
そのため古式の小書は付いているものの、どこまでが小書無しの形と違うのか不明。
ですが、いずれにしても半能形式ではなく、前後ある形なのでなかなか楽しめました。
前シテも謡中心ですが、後場との対比もあって面白い。このところよく観ている宝生流だと、前はツレが演じますが、前後の静と動を一人の演者が演じ分けるというのも、また見どころかと、思いますね。
後場は紅白の獅子の舞、たしかに石橋は面白い能ですね。


地震もあって新潟、長野の方々、大変かと思います。いささか申し訳ないのですが、本日は能楽鑑賞にいそしみました。

杜若のつづき

佐野登さんの杜若、鑑賞記を続けます。


シテ、ワキの掛け合いは、伊勢物語の「東下り」をめぐってつづき、「かたみの花は「今ここに。とシテはワキに向かってツメ、地謡がこれを引き取ります。


地の謡の後、シテはワキを自らの庵に招じ、ここで物着。
物着アシライのうちにシテは後見座へ向かい、唐織を脱いで紫の長絹に初冠の姿になります。
と、初冠は垂纓に老懸。そうなんですね。先日の須磨源氏の際に初めて気付いたのですが、宝生流では初冠は垂纓に老懸の形のようなんです。
この間書いたように、有職では老懸を着けるのは武官で、武官の場合は纓は巻纓ですから、垂纓に老懸の形は無いはずですね。少なくとも観世流では、初冠は巻纓に老懸ですし、確か金剛永謹さんの時も、日蔭之糸をつけてはいましたが、巻纓に老懸だったと記憶しています。・・・辻井さんはどうだったかなあ


ま、いずれにしても、こんなところにも流儀の違いがあるのは面白い。
能装束としてどちらが美しいか、そのあたりに主張があるんでしょうね。


物着を終えたシテは「なうなう、この冠唐衣御覧候へ」とワキに姿を見せます。
高子の后の御衣という唐衣と、在原業平がつけたという初冠を同時に身に着けることによって、不思議な世界を作り出すわけです。


ワキは「冠唐衣は先々置きぬ」と、この不思議な装束のことはさておいても、一体「御身は如何なる人ぞ」とシテに問いかけます。
これに対してシテは「杜若の精なり」と我が身を明かすわけです。
さてこのつづきはまた明日に

杜若さらにつづき

この日の佐野登さんのシテ、私はとても良い印象でした。
悲しいとか悔しいとか、あるいは懐かしいとか恋しいとか、そうした強い感情は感じられず、かといって無生物的というわけでもなく、情趣はありながら感情の起伏のようなものがない。
まさに植物的なと言って良いような、穏やかな情趣。
ああ、植物の精ってこんな風かもなあ、と思った次第です。


ワキとの問答から地謡の「袖を都に返さばや」の謡となり、イロヱ。
イロヱは舞台を一巡りして常座から大小前に行くだけですが、業平の昔語りに入るために気を変えるということでしょうか。


クリ、サシ、クセと謡が進みます。
クセは舞グセです。「然れども世の中の、一度は栄え一度は衰ふる理の」というクセの謡出しはじっと聞く感じ。
金剛永謹さんの時は増減拍子の小書がついていたので、この「栄え」と「衰ふる」のところで陰の拍子と陽の拍子を踏みましたが、比較してみると足拍子一つが思いのほかに面白い違いを出しているのがわかります。


二段クセのやや長めの謡い舞いですが、ここも変に感情が入らずに、それでいて雰囲気のある舞。
そして「花前に蝶まふ。紛々たる雪」のシテの謡に、地謡が「柳上に鶯飛ぶ片々たる金」と続けて、序ノ舞になります。


序ノ舞からキリへと、ゆったりと、かといって決して重々しくはない舞が続いて留めとなりました。
杜若の精なあ・・・確かにそういう風に感じられました
(70分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

舟ふな 高部恭史(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2007.6.16
 シテ 高部恭史、アド 野村万蔵


舟ふなもポピュラーな狂言で、能の会には上演されることが多いのでけっこう観てますが、このブログに鑑賞記を書いたことはまだありませんでした。
たしか、大藏流では舟船と書いたように思いますが、いずにしても読みは「ふねふな」。舟を「ふな」と呼ぶのか「ふね」と呼ぶのかで言い争いになるという狂言。


舞台はまずアドの主人が長上下姿で、シテの太郎冠者を従えて登場してきます。
主人は「物見遊山へ行こうと思うが、さてどこへ行ったものか」と太郎冠者に問います。ま、このあたりからして、ぼけた主人と賢い太郎冠者という設定になっていまして、あとの展開が予想出来ようというところ。


太郎冠者は、いろいろ考えているよりもとりあえず西の宮へ行ってはいかがかと進言し、早速に向かうことにします。


主人が先に立って舞台を廻り道中を進んでいくと、大きな川へ出たと立ち止まります。
冠者は神崎の渡しであると答え、主人は「ものが見ゆる」あれを呼べと冠者に命じます。太郎冠者は早速に、渡しの舟を「おーい、ふなやーい、ふなやーい」と呼びます。


高部さんはこれまで拝見したことがありませんでしたが、まだお若いのかな、熱演ではありましたが。


さて主人は冠者に「ふな」ではなく「ふね」と正そうとしますが、太郎冠者は賢しげに、そんなことは人前で言ってはならない。例えば「ふなつき」などと、舟を「ふな」と呼ぶいくつかの例を示します。
主人も「ふね」の例を出そうとしますが分が悪い。
さてこのつづきはまた明日に

納涼能を観る

しばらく前に能楽協会から「納涼能」のお知らせ葉書を頂いたのですが、平日だしなぁ・・・とそのままにしておいたわけです。と。降ってわいたように出張の話が出てきまして、「行けるかも」と思い直し、協会に電話してみました。


さすがに期日が迫っていて、指定席は正面の外れの方に二席ほど、あとはワキ正か中正しかないという話。迷ったのですが、仕事の関係でギリギリになるかもしれないので、ワキ正を予約しました。


が、番組は舞囃子に仕舞、狂言、ここまでは良いとして、能は宝生流の石橋で連獅子の小書き付き。石橋の連獅子でワキ正は失敗なのですが、その話は置いて、番組の全体を。


まずは金剛永謹さんのシテで鶴亀の舞囃子。
鶴亀って能は一度しか観たことがありません。謡曲の鶴亀は稽古を初めて最初に習うのでファミリアーなんですが、なんだか能としてはありがたみが薄いような気がして、あえて観ようとはしないでしまうんですよねぇ。
しかしこの舞囃子、なかなか良かったです。楽が変化に飛んでいて飽きません。ズーンと響く重い足拍子が印象的でした。


仕舞が三番。観世は梅若万三郎さんの屋島。金春が本田光洋さんの東北キリ。そして喜多の香川靖嗣さんが笠之段を舞いました。それぞれに名手の誉れ高く、また流儀の違いからくる変化もあり、見慣れた仕舞ですが面白く拝見しました。


狂言は寶の槌。よく出る曲ですが、狂言の常として、まあなんど観ても面白いというところ。鑑賞記を後日書きたいと思います。


最後に休憩を挟んで石橋。これね、面白かったんですよ、とっても。でも最初に書いた通りワキ正はもったいないです。
席に着いてしばらくしてから「ハタ」と気づいたんですが、いまさら気づいてもどうなるものでもなく、そのまま鑑賞。振り返ってばかりいたので首が少し痛くなった感じ。
こちらの鑑賞記も後日書きたいと思います。


佐藤先生を正面いつものあたりの席にお見かけしたので「指定して席を取られたのですか?」とうかがったところ、偶然とのことでした。偶然にしてもすごい・・・

舟ふなのつづき

太郎冠者は「船競ふ(ふなきおう)堀江の河の水際に来いつつ鳴くは都鳥かも」の歌を引いて「ふな」が正しいと主張します。


対して主人は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆくふねをしぞ思ふ」と謡いますが冠者はすかさず「ふな人も誰を恋ふとか大島の浦かなしげに声の聞こゆる」と、またまた「ふな」となっている歌を示します。


これに対して主人は先ほどの「ほのぼのと・・・」の歌を繰り返す趣向。


実はこのあたりちょっとメモがいい加減で、もう一巡りこの歌のやり取りをしているのですが、このあとなのか、この前なのかわからなくなってしまいました。


ここで太郎冠者の引く歌は三首で、もう一首は「ふな出して跡はいつしか遠ざかる須磨の上野に秋風ぞ吹く」のはずなのですが、この三首をどの順番で出してくるかは、家によって台本が違うようなのですね。


ともかく太郎冠者の三首に対して、主人は同じ「ほのぼのと・・・」の歌を繰り返し、早口で謡って「猿丸大夫の早歌」などと言い、太郎冠者から笑われてしまいます。
この万蔵さんの早口、なかなかのものでして、なんと言っているのか分からないくらい。


主人は一つ思いつき「仕方で謡おう」と三井寺の一節「山田、矢橋の渡し舟の・・・」を謡い出し「・・・ふねもこがれて出づらん」まで謡いますがここで止まってしまいます。実はこのあとが「ふな人もこがれ出づらん」だからなのですが、太郎冠者は詰まってしまった主人に代わって、謡ってしまいます。


なんとも賢しい太郎冠者というところですが、主人が「時々は主に負けて居よ」と叱って留めになります。
(12分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

喜多流自主公演能を観に行く

先月の喜多流職分会自主公演は友枝昭世先生ご出演のため大混雑だったようですが、今月は朝からの雨もあってかだいぶん静かでした。整理券も11時の開場の時は、まだ100人いったかなあという位。開演の時でも脇正面は三分の一くらいしか埋まってませんでした。
が、今回の目当ては一曲目の粟谷明生さんの盛久だったので、私はちょっと早目からスタンバイして、正面の二列目といささか前の方で着席。


最初は仕舞が二番で自然居士と兼平。
兼平、とんと観てないなあ。うまくタイミングが合わなくて、そんな稀曲でもないのですが・・・石橋なんかたまたま週に二回も観たりしてるんですけどねぇ


続く盛久・・・期待通りでした。明生さんの能は、昨年、黒塚を拝見しましたが見事でしたので今回も期待して観に行ったところです。それとブログに苦心されたことなど書いておられて参考になります。読んでるだけでも楽しい。
盛久ってなかなか面白い能だと思うんですよ。世阿弥自筆の本なんていうのも見つかっているようですね。いささか先になりますが、いずれ鑑賞記にそのあたりの話も書いてみようと思います。


そのほか能が二番。友枝雄人さんの楊貴妃と笠井陸さんの鉄輪。狂言が三宅右近さんで樋の酒。さらに籠太鼓の仕舞という番組。
楊貴妃も最近、梅若万三郎さんの台留を観たところですが、対比してみると面白い。
鉄輪も好きな曲でして、面が妙にリアルでしたが・・・


いずれも鑑賞記に感じたところを含めて書くつもりです。が、しばらく先になりそうですね。


ところで休憩時間にボーっと舞台を眺めていたら、いきなり声をかけられてビックリ。おなじみの佐藤先生でした。
なんとこの一週間で三度もご一緒したという奇遇。まあ、喜多の自主公演はよくいらっしゃっているようなので、当然といえば当然なんでしょうけど・・・

船橋 金井雄資(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.6.16
 シテ 金井雄資 ツレ 東川尚史
  ワキ 高井松男、アイ 野村扇丞
   大鼓 原岡一之、小鼓 森澤勇司
   太鼓 大江照夫、笛 小野寺竜一


ワキ高井さんにワキツレ梅村さんは山伏姿。次第の囃子で登場して次第を謡い、ワキの詞で熊野の山伏だが東国修行に向かうと述べます。
道行を謡い、上野の国佐野に着き、ここで宿を借りようとします。


ここに一声の囃子でシテ・ツレの男女が登場してきます。
ツレの女が先に立ち紅入唐織の着流し、後からのシテは白大口に掛素袍、直面での登場です。この地の男女の霊なわけですが、生前の姿で現れたという設定ですね。


ツレが一ノ松、シテは二ノ松あたりで向かい合って一声を謡います。
さらに正面に向き直ってシテのサシ謡「往事渺茫として何事も。身残す夢の浮き橋に」続いて二人向き合って「なほ数添えて・・・」と謡います。


二人は下歌、上歌と、後の世のため生死の海を渡る船橋を作ろうと謡い、上歌の後半「二河の流れはありながら」で向きを変えて橋掛りを進み、ツレは目付に、シテは「誠の橋を渡さばや」の謡いっぱいに正中に出て、ワキに向かって「いかに客僧」と呼び掛けます。
シテはワキに対して橋の勧進に入るように勧めます。
橋を架けるといった勧進は出家がするのが普通のこと。ワキはシテ・ツレが俗の身であるのに橋を架けようと思い立ったことを褒め、この橋の謂われを問います。


橋をめぐってシテ、ワキの問答が続きますが、このつづきはまた明日に

船橋のつづき

ワキの問いに、シテは万葉集の歌に「東路の佐野の船橋とりはなし」とあることを指摘します。これはその後の伏線。
さらにシテは、ワキ達が山伏なので特に橋を渡してほしいと言いますが、ワキはなぜ山伏だと特に橋を渡すべきなのかと問い返します。


これに答えて役行者が葛城の岩橋を架けた話を語り、地の下歌に、シテはシカケ開キ。打切の間にツレが動き、上歌の「処は同じ名の」でワキツレに並んで地謡前に着座。
シテは「袖打ち払い」と左袖を上げてワキを見、左へ廻って大小前から常座へ進みます。
金井さんは月並や五雲会などで度々お見かけしているので、自分としてはよく知っている能役者と思い込んでいたのですが、あらためて記録を調べてみると、なんとシテを拝見するのは初めてでした。
それにつけても上手いなあ。この袖を上げた姿などの形の良いこと・・・。
たしか、観世の関根祥人さんと同年とお聞きしたような記憶があるのですが、注目すべき方ですね。後場でこの思いをさらに強くしましたが、それは後の話。


ワキは先ほどの万葉集の歌を引き、この「とりはなし」が「取り放し」と「鳥は無し」と二つの読みようがあるが、どういう謂われかと問います。


これに答えて、シテは正中で下居して船橋をめぐる男女の物語を語ります。
昔この船橋を道として、男が忍妻に夜な夜な通ううちに、二親がこれを厭い、橋の板を取り放して置いた。それを知らずに橋を渡り、水に落ちて死んでしまったという話。


これを地謡が引き取り、さらにクセになります。
「船橋も古き物語。誠は身の上なり我が跡弔いてたび給へ」とワキに向いて合掌。
合掌を解いて「夕日漸く傾きて」と上げ端を謡い、立ち上がって「中有の道も近づくか」と正先へ出「橋と見えしも」と下を見廻す形。
謡に合わせ舞いつつ、最後に小さく廻って常座で正面を向いて中入りとなります
このつづきはまた明日に

船橋さらにつづき

ツレは中入りせず後見座にクツロギ、アイの語りの後、ワキの待謡。
黒頭に袷法被を肩脱ぎにし半切を着けた後シテが登場してきます。


これに合わせて、後見座にクツロいでいたツレが立って正中へ出、シテが一ノ松に留まる間にツレの謡で「行者の法力で成仏した」と述べますが、代わってシテは自分は妄執が強く浮かびかねると述べ、地謡の「これ見給へ浅ましや」で舞台へ入り、常座でシカケ開キします。


ワキが昔を懺悔し給えと促し、シテは仕方話に昔を語り出します。
ツレはワキ座に着座し、シテ・ツレの掛け合いの謡。「共にこがるる思い妻。宵々に」と謡って立廻り。観世流では「思い妻」と謡って立廻りになり、その後「宵々に」となりますが、宝生流の形の方がメジャーなようですね。


地謡の「丑三寒き」で橋掛りへ進み、「岸に見えたる人影はそれか」と立ち上がったツレを遠く見込みます。
「心うれしや」とユウケンの型も、シテの心の変化が現れた形。


さらに舞台へ進み「放せる板間を」と正中へ出て「かっぱと落ちて沈みけり」で拍子を踏んで飛び安座、面を伏せます。
この変化、まさに逢瀬の喜びが一転して水に落ち沈んだ苦しみへと変化するところ。思わず息を止めて見入ってしまいました。


この後執心の様をキリで謡い舞う形ですが、実に重く悲しい様。打杖を抜いて振り上げるなど、邪淫の悪鬼の様になります。
最後の最後で、昔語りの懺悔と行者の法力によって「浮かめる身とぞなりにける」となり、打杖を捨てて合掌し留の拍子を踏みますが、本当に最後に成仏して良かったと思う雰囲気でした。
たいへん良くできた能、良い演者でした・・・
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

歌占 高橋弘(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2007.7.1
 シテ 高橋弘 ツレ 松木千俊
  子方 観世喜顕
   大鼓 亀井実、小鼓 森澤勇司
   笛 寺井久八郎


本日より、7月の観世会の鑑賞記です。


この歌占という曲、いささか不思議な感じのする能です。
大体が「歌占」などという占いは、この曲を知るまで聞いたこともありませんでした。歌で吉凶を判断する占いということなのですが、この能の形だと短冊を数枚弦につり下げた弓を持ち、占いを求める者に短冊を引かせて、その短冊に書かれた歌から占うというもののようです。


さらにこの曲を特徴付けているのがシテの扮装。
翁烏帽子に白垂を着けています。通常、白垂を着ければ老人の姿ということで、尉面をつけるのが普通でしょうけれども、この日は直面。観世流の装束附けでは邯鄲男の面を用いることもあります。
下掛りでは演者が老人でない限り直面ですね。


要は一度死んで蘇ったために白髪になってしまったという不思議な人物をあらわしています。このため白垂でも若い演者なら直面。老齢の演者の場合は邯鄲男や若男などの面をつけ、装束からこの不思議な話を表すわけです。たしかに若いシテが直面に白垂で出てくると、かなり違和感があります。・・・高橋さんは、微妙なところでしたが。


この不思議な人物である度会何某と、生き別れた息子の幸菊丸の再会譚を縦糸に、地獄の曲舞を横糸にして織り上げた形です。


まずは子方とツレが登場し、次第を謡います。
ツレは白山の麓に住む者と名のり、近頃どこの者とも知れない男巫がやって来て歌占いをするのだが、これが良く当たるので今日は占いをして貰おうと思うと述べます。
このつづきはまた明日に

歌占のつづき

子方を伴って登場してくるツレの役、下掛りではワキが演じますが、上掛りではワキが出ずにツレが演じる形になっています。


子方とツレはワキ座に着座し、代わって一声の囃子でシテが登場してきます。
シテは昨日も書いた通り、若い男なのに白髪という設定。一セイ、サシ、下歌、上歌と和歌の功徳を謡い、歌占いを勧めます。


ツレはシテに若白髪の理由を問います。
これに答えて、シテは「自分は伊勢二見浦の神職であるが、国々を回るうちにある時頓死してしまった。その三日後に蘇ったがこの通り白髪となってしまった。」と語ります。
ツレは納得し、歌占を引いてくれと頼みます。


ここで歌占いの場面となります。
シテが正中で床几に座し弓を前に構えると、ツレが弓弦につけられた短冊の一つを取ります。短冊には「北は黄に、南は青く東白、西紅の染色の山」とあります。


シテはすぐさま、須彌山を詠んだ歌と言い、父のことを尋ねているだろうと断じます。
そしてこの歌を判じようと言って語り出すのですが、これが大変に難しい内容。昔の人はこれを聞いてわかったのでしょうかねえ
ともかく、父は命にかかわる難しい病気だが、蘇生するであろうと語ります。
この歌を判じる間に、何度かツレを見込みますが、これがなかなかリアルな感じです。


続いてシテは子方に短冊を引くよう勧めます。
子方が引くと「鶯の卵の中の郭公(ホトトギス)、己(シャ)が父に似て己が父に似ず」という歌。これも父を尋ねるものです。
子方は例の、故元昭さんのお孫さん三兄弟の三男、喜顕くん。元気よく歌を詠み上げました。


さてこのつづきはまた明日に

歌占さらにつづき

シテは子方の選んだ歌を判じ、既に父に会っているという占いであることに不審を感じ、子方と互いに名のり合い、生き別れた親子であることが明らかになります。


このやりとり、シテの謡はなかなかに抑揚があり、思いを込めた感じ。観世らしいといえば観世らしいということなのでしょうけれど、私としては肌に合う感じです。


「時も卯月程時も合ひに合ひたり」のあとの「や」の心。「今啼くは郭公にて候か」と目付柱の上を見やる形から、「鶯の子ハ子なりけり。子ハ子なりけり」とやや面を伏せ思案する形。そして「不思議や御身ハ何処の人ぞ」とかかって、子方とのやり取りになりますが、このあたりも実に面白い。


そして親子の再会から、シテは子を連れて伊勢へ帰ると言います。
これに対してツレは、目出度いことだが別れに「地獄の曲舞」を舞うように求めます。


この地獄の曲舞はもともと独立した謡物であったのが、古くは「百万」に取り入れられて舞われていたようです。この百万の曲舞を世阿弥が差し替え、使われなくなった「地獄の曲舞」を元雅が取り上げて一曲の能に仕上げたのが、この歌占ということのようです。


次第から、クリ・サシ・クセと謡が続きますが、クセの最初の上ゲ端のところで立ち、舞います。下居のうちにも「往事を思へば」とやや面を伏せ考える風を見せるなど、型としても面白いところ。舞い上げると一セイからノリ地になり立廻となります。


立廻のうちに橋掛りへ入り、一ノ松で「あら悲しや」とシオリます。ツレが「面色変わり」とシテの変化を謡いかけ、神懸かりの状態でキリへ。ここも見せ所。「天に叫び」「地に倒れて」と飛び安座。ここはタラタラと下がる型をする場合もありますが、飛び安座が効果的だったように思います。
最後に「神は上がらせ給ひぬ」と覚めて、子方を先へ進ませ留めになります。
ああ、能を観るのは良いよなあ、と思った次第。
(55分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

鐘の音 大蔵彌太郎(観世会定期能)

大藏流 観世能楽堂 2007.7.1
 シテ 大藏彌太郎
  アド 大藏教義 大藏吉次郎


鐘の音も良く演じられる狂言ですが、シテが四つの寺の鐘の音を聞き分け、演じ分けるところが一つの見せ場。
このブログでは昨年秋に和泉流野村萬さんのシテで観た際の鑑賞記を載せていますが、今回は大藏流でもあり、この時との比較をふまえつつ書いてみたいと思います。


まず登場人物が、和泉流ではシテの太郎冠者とアドの主人の二人なのですが、大藏では仲裁人が登場するため三人となります。
このため主、太郎冠者、仲裁人の順に登場してきますが、仲裁人は後方に控えて登場を待つ形になります。


教義さんが主人。息子が成人したので近々、太刀の差し初めをしようと考えているが、黄金の熨斗付けの太刀を作ってやろうと考えている。ついては鎌倉に行って付け金の値を聞いてくるように、と太郎冠者に命じます。
お若い教義さんの主人なので、息子が成人したという台詞がいささかそぐわない感もしますが、まあそこはご愛敬。


命じられたシテは「付け金」を「撞き鐘」と聞き違え、「撞き鐘」の音などを聞いてなんの役に立つのだろうと独りごちたものの、鐘の音も縁起良いかと勝手に納得して鎌倉に向かいます。
とは言え闇雲に歩き回っても仕方ないので、どこから回ろうかと思案の末、五大堂へと向かうことにします。
さてこのつづきはまた明日に

鐘の音のつづき

まずやって来たのが五大堂。五大堂というと松島を思い浮かべますが、鎌倉五大堂は明王院。早速に撞楼を探し、目付柱のところで鐘を撞く所作をしますが「グワン」という音。二度ほど撞きますが「こりゃ破鐘じゃ」と、次の寺へ行くことにします。


次は寿福寺へ参ろうと舞台を回りますが、さて寿福寺では、まず修復が良くできたと感心してあたりを眺め、撞楼へ向かいます。
ところが「撞木が結い付けてある」ため、鐘を撞くことが出来ません。


そこで礫をうってやろうと、石を取って投げつけると「チーン」と音が小さい。礫が小さいから音も小さいのだろうと大きな石に替えてみますが、やはり「チーン」と似たようなもの。
そこで次の寺に行ってみることにします。


次は極楽寺。「ことのほかの大寺でござる」と、感心した風。ここでは撞楼は山の頂上という設定。正中から鏡板の方を見やり、山の頂上の撞楼を見上げると僧が登っていくのを見つけます。これは鐘を撞くのだろうと、正中で正面を向いて下居し、鐘の音を聞く形になります。
鐘の音は「コーーーーーン、コーーーーーン」と響きのかたい音。


次に「鎌倉位置の建長寺が残っていた」と建長寺へ向かいます。
橋掛りへ行き、一ノ松あたりから建長寺に着いた風で、シテ柱のあたりに門があることにして、この門を越えて寺内に入った形。


撞楼を探して、ワキ柱のあたりで鐘を撞きます。
鐘は「ジャーンモーンモーンモーンモンモン、ジャーンモーンモーンモーンモンモン」と余韻を響かせたいい音。
これを最後に主人のもとへ帰ることにします。
このつづきはまた明日に

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