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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

楊貴妃のつづき

ワキがワキ座に着くとシテが作り物のうちから謡い出します。
観世では「昔は驪山の春の園に」と謡い出しますが、喜多流など下掛りではまず「あら物凄の宮中やな」とあって「昔は驪山」の謡になります。
粟谷家のサイトには、観世の能役者でも最近は「あら物凄の宮中やな」とあった方が良いと言っている人もいるという話が出ていますが、たしかにこの一句があるのとないのでは謡い方も違うように思います。


ワキが「唐の天子の勅の使方士」と名のると、シテは「なに唐帝の使いとは」と気持ちをそそられる様子を見せます。この謡、少しだけ早くなってシテの気持ちの変化が現れた感じです。


シテ、ワキが掛け合いで謡うところ、最後の章句「寂寞たる御眼のうちに涙を浮かべさせ給えば」をシテ、ワキ同吟で謡います。この「涙を浮かべ」あたりで引廻しを外し始め、下ろさないままに横に広げる形にして、地謡「梨花一枝、雨を帯びたる粧いの」の打切で引廻しを平行に下ろしシテが姿を現しました。


観世会のときはもう少し先「実にや六宮の粉黛の」あたりで引廻しを下ろしていますので、やや早く登場した感じ。


ふと「おや}と思ったのは、後見の高林白牛口二さんも佐々木宗生さんもこの引廻しには触らず、若手お二人が登場して引廻しをとったこと。ほう、喜多では一畳台を持って出るような感じで、別途に後見が出るんですな。


姿を現したシテとワキとの問答がつづき、シテは床几にかかったままですが、何度かシオリの所作をします。何度も繰り返すのでうるさくならないよう、気をつけてされていたような感じです。
さてこのつづきはまた明日に

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