能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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楊貴妃 台留 梅若万三郎(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2007.7.1
 シテ 梅若万三郎 ワキ 森常好
  アイ 大藏基誠
   大鼓 國川純、小鼓 観世豊純
   笛 一噌仙幸


まず大小前に引廻しをかけた宮の作り物が出されます。引廻しは一般的には紫などが多く用いられますが、楊貴妃の住まいする太真殿という設定のせいか、柿色といったら良いか朱系統の色。
次に次第の囃子でワキが登場し、次第を謡います。


ワキは玄宗皇帝に仕える方士、神仙術である方術を使う道士です。森さんのワキで、堂々とした道士ですが、謡は大変に穏やかな感じ。この曲の雰囲気にあった印象です。
楊貴妃が殺された後、皇帝の嘆きが深く、貴妃の魂魄のありかを探せとの命が下ったと語り、続いて道行を謡い、常世の国の蓬莱宮に着いたと述べます。


ワキは橋掛りに向かって「処の人」とアイを呼び出し、楊貴妃の消息を聞きます。
ワキと一緒に登場し狂言座に控えていたアイが立ち上がり答えるのですが、その中で、楊貴妃は太真殿に住み、望郷の思いに沈んでいることが明かされます。


アイは基誠さん。問答を終えるといったん狂言座に着座し、あらためて立ち上がって切戸口から退場。するとワキは正中へ出、蓬莱宮の壮麗な様を謡った後、太真殿の額が掛かった宮があるので、まずはこのあたりを徘徊していようと、作り物を見る形になります。
このつづきはまた明日に

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楊貴妃 台留のつづき

作り物の中からシテが謡出し、蓬莱宮での寂寥と懐旧の心を謡います。
ワキが貴妃に「唐の天子の勅の使方士」と名のり、唐帝の使いと聞いて引廻しが下ろされ貴妃が姿を現します。
木月さんと関根祥人さんが後見でしたが、「げにや六宮の粉黛の顔色無きも」のあたりで引廻しをそのまま下におろし、ワキの詞が始まってから取り去りました。ちょっとした扱いですが、良い雰囲気です。


この曲、全体に動きが少なく、謡が中心の能。にもかかわらず全体では一時間半ほどにもなります。
それだけに謡を楽しめるかどうかも重要なところ。
長恨歌をもとにした謡ですが、漢文のキビキビした言葉運びをもとにしながら綴れ織りのような謡曲の詞章に展開されていて、読み比べてみると面白い。


ワキが玄宗皇帝の嘆きの深いことを伝えると、シテは悲しみを募らせます。
ワキは早速に地上に戻り皇帝に奏聞しようとしますが、さてその形見に何か賜りたいと所望。


貴妃は玉の釵(カンザシ)を渡します。天冠に用いる鳳凰の立て物ですが、これを釵に見立てます。しかしワキは、世の中に類のあるものなので信じて頂くのが難しかろうと、二人だけで交わした言葉を証にしたいと、重ねて頼みます。


これに答えてシテが「初秋の七日の夜、二星に誓ひし言の葉にも」と謡い、地謡が続けて比翼連理の誓いを謡うわけです。
長恨歌の「七月七日長生殿、夜半人無く私語の時、天に在りては願はくは比翼の鳥と作り、地に在りては願はくは連理の枝と為らんと」の部分ですが、謡にするとまた趣がありますね。
地謡の上歌になって漸くシテが立ち上がります。ここまでで40分少々。
このつづきはまた明日に

楊貴妃 台留さらにつづき

ワキは帰ろうとしますが、作り物を出たシテはこれをとどめ、先ほどの釵は驪山宮で霓裳羽衣の曲を舞った際に差した物と述べ、ワキから釵を受け取って物着になります。
一度天冠を外して立て物を取り付けて再び天冠を着けたのだと思うのですが、後見座で後を向いているので良く見えませんでした。


物着の後はシテの一セイからイロヱとなります。このイロヱの笛の掛りがなかなかに風情があって素敵でした。
イロヱは舞台を一回りするだけですが、ゆったりした動作に気品があります。
台留の小書のためでしょうけれど、クリ・サシが省略されて、イロヱのあとはクセになります。


クセは曲舞の基本形をなぞっていくわけですが、上げ端の前「たまさかに逢いひ見たり。静に語れ憂き昔」ではワキに向き合って左手を差しのべる型。これはなかなかに風情あります。一般的なクセの上げ扇の型よりも、この曲の雰囲気を盛り上げる感じがします。


さらに生者必滅、会者定離の理を謡い舞い、序ノ舞へと進みます。
序ノ舞も実に静かな動きの中に品が漂います。


序ノ舞の後はノリ地の中に冠を外して釵に見立てた立て物をワキに返します。
「勅使は都に帰りければ」とワキは釵を受け取り、シテとすれ違って常座から橋掛りへ進みます。
ここに笛のアシライが入り、続いて「さるにても、さるにても」と謡いつつシテが招き扇をすると、ワキは二ノ松あたりに平伏して名残を惜しむ形。良い雰囲気です。
「君にはこの世」とシテは正中で下居してシオリ、ワキは再び立って遠ざかる中、シテは立って正を向き、作り物に横から入って「伏し沈みてぞ留まりける」と下居。


台留(ウテナドメ)の小書がついているため、作り物に入って残り留の形です。謡が終わった後、シテは前から作り物を出てヒシギとなりました。


品格のあるシテの舞で、全体としてはとても良かったのですが・・・解ってはいてもちょっとなあ・・・
(93分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

金剛永謹能の会を観に行く

なんだか慌ただしくて、昨日は更新しないでしまったことに先ほど気付きました。いやはや。その辺の事情は別ブログにそのうち書くかもしれません。


が、それはそれとして、今日は国立能楽堂に金剛永謹能の会を観に行ってきました。
春日龍神の龍神揃。これはなあ、ちょっと見たことがないぞ、というわけで、金剛能楽堂のホームページで見かけて直ぐにチケットを予約した一件です。


龍神揃のように龍神や龍女が多数登場する小書は宝生と金剛の二流にしかありませんが、それぞれに若干の違いがあるようです。
金剛流では、明治以降は京都が流儀の中心地となっているため、東京で龍神揃の小書が演じられるのは江戸時代以来だそうです。(解説のお話では関西では15年か20年に一度くらいの割では上演されているそうですが)


なかなか面白い催しで「こんな能もあるんだなあ」思いましたが、万作さんシテの狂言「咲嘩」と併せて、いずれ鑑賞記を書きたいと思います。


ですが本日はそれよりも・・・本日全席自由だったので早めに出掛けたのですが、たまたま私の直ぐ後に並ばれた方、実は前々から気になっていた男性。もうここ二、三年前から気になっていたのですが、実にいろんなところでお見かけします。
五雲会でお見かけしたかと思うと金春会にも出現。喜多の自主公演でもお見かけします。東京で良く能を御覧になる方なら、きっとどこかで見かけておられる方だと思うのですが、それくらいいろんな能の会を御覧になっている様子です。


本日はたまたま前後に並ぶことになり、かつ待っている時間が結構あったので、思い切って声をかけてみました。


訥々と、という感じで能を観ることについていくつかお話を伺いましたが、これがとても「イイ話」だったんです。
「(ある演能について)絶対的な善し悪しなんて無くて、自分の体調とかもすごく影響する・・・」とか、「三番立てとか、そんなに集中して観られない。二番でも大変」とか、私も実は密かに思っていたようなことを話していただきました。
以前このブログに、宝生流の高橋亘さんにコメントをいただいたときに、観能記にいわゆる悪口的なことを書かないことについて、いずれ考えを書きたいといった趣旨の返事を書きましたが、実は今日その方と話したようなことが、その理由になっています。


ここ数日のうちにこのあたりをもう少し書いてみたいと思います。

能を観ること、感じること

昨日のつづきを少しばかり書いておこうと思います。


昨日の金剛永謹能の会で、列に並んだ方とお話ししたことを書きました。さてその話からのつづきです。
昨日の番組は狂言一番に能一番だったのですが、そこから「能三番とか、そんなに集中して観られない」という話になりました。「二番だって大変かもしれない」とも。
でも、その方、私が知っている限りでは三番立てでも五雲会の四番立てでも、きちんと全曲を鑑賞している様子。


「五雲会なんて能四番ですよね」と話をむけたところ「あれはいいんだ。四番あれば一つは当りがある」・・・なるほど。「観られるならば一番でも多く観た方が良いと思う」ともおっしゃっていました。


このあたりは全く同感です。私も正直のところ三番立てとかになると緊張が続きませんが、でも極力、全曲観るようにしています。思いもかけず良い能にめぐり合う可能性もありますものネ。


さらに共感したのは「絶対的な良し悪しなんて無いし、自分の体調にもすごく影響される」という話です。確かに習いたての素人の能と、名人上手といわれるプロの能なら、万人の評価が一致するかもしれませんが、プロ同士の比較はとても難しい。
流儀によっても主張があるし、個々の能役者にもそれぞれに曲のとらえ方、演技の仕方に主張があるでしょう。
・・・もっとも昔、宝生の野口兼資さんは「理屈はない、ただ稽古したとおりにやるんだ」というようなことをおっしゃっていたそうですが・・・


ともかく、演技上の解釈、見せ方について、どちらが正しいと判定することは難しいでしょう。能に限らず芸術一般というのはそういうものだと思うのです。
例えば、生前には全くかえりみられず極貧のうちに亡くなった画家の作品が、死後に素晴らしい芸術ともてはやされるような例は枚挙に暇ありません。


素晴らしい鑑賞眼と言っても、結局は個人の観方であって、絶対真理ではない、要は好みだと思うんですね。
それと始末が悪いのが自分の体調やメンタリティー。ものすごく影響するんです。だから例えその時「なんだかなあ」と思った場合でも、別な状態で観たら全然違う感想を持ったかもしれません。
その方は「調子が良いときよりも、落ち込んでいるときの方が良いような気がする」とおっしゃっていました。「不調なときは、薬や酒よりも能が効く」んだそうです。


まあ、そんな訳で、私は自分の気に入ったところだけを書くことにしています。
もちろん好き嫌いはあるのですが、嫌いなところを書いても自分も気持ち良くないし、読まれた方も気分を害するかもしれません。


とりあえず、自分が「良かった」と思えるところを書いていると、なんだか得したような気にもなれるんですネ。
そんな訳で、私の観能記にはあまり悪い話が出てきません。


ところで、そのほかにもその方とはいくつかお話をしたのですが、「宝生の若手は層が厚くて楽しみ」ということでも同感でした。
「仕舞を見るとすぐわかる」といったお話もされていましたが、確かに私も仕舞を拝見して「この方の能を見てみたい」と思うことがありますが、こうした場合はだいたい「当り」ですね。


さて今日は、後ほど7月観世会の船弁慶の観能記も書こうと思っています。
では後ほど・・・

船弁慶 前後之替 観世恭秀(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2007.7.1
 シテ 観世恭秀、子方 小早川康充
  ワキ 福王茂十郎、アイ 大藏千太郎
   大鼓 大倉正之助、小鼓 幸正昭
   太鼓 三島元太郎、笛 藤田次郎


という訳で、本日二件目の更新は、7月初めの観世会の鑑賞記。
まずは観世恭秀さんの船弁慶からです。


やっぱり船弁慶って面白い能だと思うんですよね。
前シテが静御前で義経との別れを見せて舞い、後場では同じ演者が知盛の幽霊として現れて弁慶と対峙するという変化の面白さ。間狂言の演技なども含め、見どころ満載の曲。


それだけに人気もあったようで、各流に様々な小書があります。
このブログでは、昨年11月の観世流佐久間二郎さんの演能と、今年3月の金剛永謹さんが白波之伝の小書付で演じられた際のの鑑賞記を載せていますが、今回は前後之替の小書つき。前場も後場も替の型になるという意味でしょうね。


観世流の常の形では、前場の静御前はイロヱから中ノ舞を舞いますが、この小書がつくことによってイロヱが省かれ、中ノ舞の途中で橋掛りへ向かい下居してシオリます。


また後場の出で、半幕でシテの姿を見せた後いったん幕を下ろして早笛で走り出たり、装束が白式になって鍬形をつけた独特の姿で登場するなどの変化がありますが、細かくは進行にあわせて記しておきたいと思います。
能の進行は明日から

船弁慶のつづき

常の形の如く、子方、ワキ、ワキツレが登場。
揃っての次第から、ワキの名ノリ。ワキ、ワキツレのサシ謡と続き、子方の謡「判官都を遠近の」で、ワキ、ワキツレは下居し義経の前に畏まる風。
続いて三人が立ち上がり「まだ夜深くも雲居の月」と謡い続けます。


一行は大物の浦に到着し、知り合いの者を尋ねて宿を借りることにします。
子方はワキ座に床几を使い、ワキツレは並んで座しますが、子方に近い方の一人はやや下がって座す形。福王流の特徴でしょうかね。


さてワキ弁慶は、宿を借りようとアイに声をかけます。弁慶はかねて昵懇の間柄らしく、宿を借りる相談は簡単にまとまります。さらに舟の用意も大丈夫との言葉もあります。


話がまとまると弁慶の心配は静御前。都へ返そうと義経に言上します。
子方は、ともかくも計らひ候へと答えるので、これを受けて弁慶は橋掛りへ向かい、橋掛りの入り口当たりで幕内に向かって呼び掛けます。


「君よりの御使に」あたりで割合はっきりとシテの「お幕」の声が聞こえました。
シテは語りながら幕を出、三ノ松あたりで正面を向いて立ち止まります。
静は弁慶の計らいと疑っているため直に義経に真意を質したいと言い、弁慶はそれではと静を伴って舞台に入り、正中で下居し平伏して義経に静の到来を告げます。
シテは続いて舞台に入り、正中で下居。
問答の末、義経が静に酒を勧めるよう命じ、別れの涙にむせぶものの、一差し舞うことになります。


ここまでは正中に下居したままですが、「その時静は立ち上がり」と立って笛座前に向かい物着で烏帽子を着けます。金の、いわゆる静烏帽子ですね。この後のイロヱは小書のため省略されてサシの「伝え聞く陶朱公は勾践をともなひ」に続きます。
クセが続きますが、心なしか重い感じで、謡に緩急がありねばるような感じがします。
このつづきはまた明日に

船弁慶さらにつづき

クセに続く中ノ舞では二段で扇を左に取り、橋掛りに入ってシオって下居。別れに涙する形ですね。
この中ノ舞、下掛りでは序ノ舞ですが、上掛りは中ノ舞になっています。
モノの本には、前後之替の小書が付くと序ノ舞になると書いてあるものもありますが、この小書では中ノ舞のままが普通に演じられる形だと思います。


中入りでアイが登場し、立ちシャベリの後、ワキに向かって座して問答。弁慶が船はどうしたと問いかけ、アイは畏まったと一度狂言座に向かい、用意が出来たと戻ります。


ワキ、ワキツレの問答から、ワキはアイに船を出すように命じ、アイが幕に走り込んで船を携えて走り出てきます。
何度見てもこのあたりの場面展開は面白い。能としては極めて劇的ですね。


千太郎さんのアイは上手いなあ。力一杯漕ぐ感じ。遠く怪しい雲に驚いた様子から、高まる波にしーし、し、しと抑えようとする型。ここは間狂言の見せ場ですが、やはり大藏と和泉では微妙に違います。


さてその波濤の中に、地謡の「主上を始め奉り、一門の月卿雲霞の如く、波に浮みて見えたるぞや」で幕をゆっくりと巻き上げ、床几に座したちょうど面のあたりまでの半幕で、後シテ知盛の姿を見せます。
そのままシテは「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤」と謡い出し、地謡の「声をしるべに」でゆっくり幕を下ろし、早笛でシテが走り出ます。


波を蹴立てる足を見せたり、義経との斬り合い。「祈り祈られ」と橋掛りに向かい「遠ざかれば」までで幕前まで進みます。ここから長刀を持ち直し再び義経に迫りますが、「追っ払い祈りのけ」と退けられて、橋掛りへ進み「また引く汐に」と走り込んで、ワキが留めます。
なお観世流には重前後之替というのもありまして、前後之替の習事がさらに重いものになって、静の舞が盤渉序ノ舞になったり、後シテの装束が白式になり流レ足を使ったりなどの形になります。そうなんですね、それって金剛の白波之伝と似た形ですね。
(77分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

翁 辻井八郎(座・SQUARE第10回公演)

金春流 国立能楽堂 2007.7.16
 翁 辻井八郎
  三番三 山本東次郎、千歳 山本凛太郎
   大鼓 柿原弘和、小鼓 鵜澤洋太郎
   脇鼓 古賀裕己 田辺恭資
   笛 一噌幸弘


本日からは金春流の若手四人の会「座・SQUARE」の第10回記念公演の鑑賞記。
まずは辻井さんの翁からです。


今年二回目の翁ですが、前回の老練な喜多六平太さんに対して、お若い辻井さんの翁ということで、また期待の高まるところ。
しかも千歳は同じ山本凛太郎クン。二月の式能の時は途中で烏帽子が少しずれてしまいましたが、そうしたことを感じさせない、良い千歳でしたね。


さらに今回は東次郎さんの三番三。ホントに久しぶりです。もっとずっとお若い頃に拝見したきりで、なかなか機会がなく今日まで来てしまった感じです。


翁の開演に先立っては鏡の間で神酒を頂いたりする儀式があるそうですが、これは素人が拝見する訳にはいかないので、実際にはどのようにしているのか・・・と興味あるところです。切り火を行って清めたりもするのですが、片幕にして橋掛りへ向かって切り火をする場合もありますね。
今回は楽屋内だけの様子でしたが、窓の御簾越しにほのかに明るくなるのが見て取れると気分も盛り上がります。


時刻ちょうどに幕が上がり、面箱、翁、三番三と静に登場。下掛りなので千歳と面箱持を狂言方が兼ねる形です。辻井さんも緊張の様子ですが、厳粛な雰囲気でとても良い感じ。
千歳は目付柱のあたりまで進んで座し、翁が正中から正先へ出て片膝を付き深く礼をしますが、これが思いのほか長い時間で、しかも翁烏帽子の先端が舞台に着くほどの深い礼でした。心のこもった感じがしますね。さすがに辻井さんはお若いので型に乱れがありませんが、老齢のシテではあそこまで深く礼をされるとうまく立ち上がれなくなってしまいそうです。
このつづきはまた明日に

翁のつづき

正先での礼から立ち上がった翁は笛座前に座し、千歳が面箱を翁の前に据えます。今回は早速と申し込んだ関係で正面の二列目という席でしたので、一つ一つの所作が良く見えます。
千歳が箱の蓋を開け、翁自らが白式尉の面を袋から取り出して箱の上に置きます。これを合図に橋掛りに並んで座していた一同が立って舞台に入り、それぞれに着座します。


笛が直ちに座着キを吹き、小鼓が打ち出しますが、いつもながら私、この小鼓三挺の音を聞くと身が引き締まる感じがします。今回は鵜澤洋太郎さんが頭取で大変良い雰囲気です。


笛、鼓が一度切れて、翁の謡い出し。堂々とした謡ですが、地の「たらりあがりららりとう」に続いて笛がヒシギを吹き、千歳が立って正中へ進み「鳴るは瀧の水」と謡い出して千歳之舞へと進みます。半年前に観たばかりですが、凛太郎クン今回も凛々しい千歳之舞。将来が楽しみです。


千歳之舞は、途中に千歳と地の謡が入って前後二節に分かれますが、その千歳の謡で翁が面をつけ始めます。
千歳之舞が終わると、翁は扇を開き「総角やとんどや」と謡いながら、自ら面箱を自分の正面から外して立ち、常座で立った三番三と見合った後に正中へ進んで達拝します。このあたりは各流、ほぼ同じ進行ですね。


翁は「千早振る、神のひこさの昔より」と謡い出します。
観世流では初日の式、二日の式、三日の式、四日の式、さらには法会の式と、謡も微妙に変わりますが、たしか他流ではそうした分け方は無かったか、と記憶しています。
もっとも観世流は通常、四日の式を演じますが、これが他流の通常の形と同じということですね。


そして地との掛け合いのうちに翁の舞へと進みます。
翁は大小前で目付を見込み、ゆっくりと一足出しては爪先を上げ静かに下ろす、という形で角まで進みます。これは金春の特徴なのかな、他流では見かけない形と思いますが。
このつづきはまた明日に

翁さらにつづき

翁之舞はそんなに複雑な動きをするわけでもなく、要は舞台を巡って四方を祝うという儀式でしょうけれども、各流、案外異なった動きになっています。


今回は、左袖をかづいてうつむき加減に扇で口元を隠す形のまま舞台を一巡りし、今度は左の袖を巻き上げ面を上げてやや上方を見上げる形で扇で口元を隠す形をとり、これで舞台を一巡りするという所作がありました。


翁が舞を終え、翁還りとなると、今度は三番三の舞。
これがねぇ、良かったんです。揉ノ段から、面箱とのやり取りを経て鈴ノ段となるわけですが、見事でした。
東次郎さんの三番三、本当にしばらくぶりでしたが、年齢を感じさせない見事な舞。
山本家の三番三は割とよく観ているのですが、常の狂言でもそうなのですが、東次郎さんはどこがどうとうまく言えないものの、何かひと味違う感じがします。


揉ノ段、鈴ノ段いずれも見ほれてしまいまして、メモもとっておりませんので、ただ「良かった」という感想のみです。
萬斎さんの三番叟も見事ですが、また違った意味で良いものを拝見しました。


余談ですが、金春の翁というと、春日若宮おん祭りにて演じられる「弓矢立合」や、興福寺薪能にて演じられる「延命冠者」「父尉」など、古い伝統のあるものを伝えていて、私も春日大社若宮での弓矢立合は観ていますが、当然といえば当然ながら「普通の翁もやるんだなあ」と思った次第です。
(70分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

羽衣 替ノ型 高橋忍(座・SQUARE第10回公演)

金春流 国立能楽堂 2007.7.16
 シテ 高橋忍、ワキ 宝生欣哉
   大鼓 安福光雄、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 松田弘之


羽衣には様々な小書がありますが、金春の替ノ型も観てみたいものと思っていたところ、今回は高橋忍さんのシテで拝見することが出来ました。
この替ノ型の小書、「替」というくらいで常とは違うわけですが、どうも演じ方は相当にバリエーションがあるようです。ものの本には「盤渉にすることもある」などと書いてありますが、それ以上の説明は書けなかった様子。要はシテの考えに任されている部分が大きいということなのでしょうね。


一同着座すると後見が羽衣に相当する紅い舞衣・・・これ後で着けてみてわかったのですが、この時点では長絹だと思っていました・・・を一ノ松あたりの欄干に架けます。
この日は作り物は出しませんでしたので、羽衣を欄干に架けた形ですね。


欣哉さんのワキに、大日向さんと御厨さんのワキツレ。一声の囃子で登場してきますが、舞台に入り、向き合って一セイ「風早の、三保の浦わを漕ぐ舟の、浦人さわぐ波路かな」を謡うと、ワキは後見座に竿を置き、橋掛りに向かいます。


二ノ松近くまで行き、ちょうど柱のあたりでサシ「これは三保の松原に・・・」と謡いますが、「白竜と申す漁夫にて候」の後は、「万里の好山に・・・」から上歌の終わり「釣り人多き小舟かな」までをバッサリと省略して、ワキの詞「われ三保の松原にあがり」へと続きました。
先日観た喜多流の羽衣、霞留の小書も、作り物は出さないので欄干に架けた長絹を取り上げる形ですが、このときは「釣り人多き小舟かな」まで舞台上で謡って、それからワキが橋掛りへ向かいました。なるほど、いろいろと違いがあるものです。
このつづきはまた明日に

羽衣のつづき

ワキが「いかさま取りて帰り」と欄干に寄り、舞衣を取り上げて舞台へ進みつつ「家の宝となさばやと存じ候」と詞を述べるうちに幕が上がり、シテが姿を現して「のうのうその衣はこなたのにて候」と呼び掛けます。


縫箔腰巻に天冠の姿ですが、天冠には牡丹ですね、大輪の花が咲いた形。ワキと問答をしながら橋掛りを進み「天上へ帰らん事も」と一ノ松で止まってワキを見込みます。


ワキに衣を返して欲しいとシテが言いますがワキは衣を返しません。
ワキ「白竜衣を返さねば」に続けてシテが「力及ばず、せんかたも」と謡って地謡が「涙の露の玉鬘・・・」と続けます。以前にも書いた記憶がありますが、この後「天人の五衰」の句が出てきます。三島由紀夫の豊饒の海を思い起こす一句。


ところで、こうしたシテ・ワキと地謡が掛け合う形で謡が進む部分は、流儀によってどの句をだれが謡うか、微妙に違ったりします。
ちなみにこの「力及ばず、せんかたも」の句は、シテが続けて謡うのが金春の形。他流は「力及ばず」と「せんかたも」の二句に切りますが、観世・宝生の上掛り二流はシテが「力及ばず」と謡い「せんかたも」はワキが謡うのに対し、金剛・喜多の二流はシテの「力及ばず」の後「せんかたも」をシテ・ワキ同吟としています。
微妙なところですが、実際に聞いてみるとシテだけが謡った場合、シテとワキがそれぞれに謡う場合、シテが謡ってその後同吟となる場合、それぞれに印象が違いますね。
こういう違いは随所にありますが、意識して気をつけてみるのも案外面白い。


ともかくシテは悲嘆にくれる訳ですが、その姿に同情したワキは衣を返すことにして、その代わりに天人の舞楽を見せてほしいと申し出ます。
先に衣を返して欲しい、先に返せばそのまま天上に帰ってしまうだろう・・・というやり取りの後、ワキは羽衣を返し物着となります。
このつづきはまた明日に

羽衣さらにつづき

ワキから衣を手渡しに受け取ったシテは、後見座にクツロぎ物着となります。
この日の装束は一昨日書いた通り朱の舞衣。大変綺麗な姿です。
通常は物着で長絹を着けます。観世流の装束附けでは「長絹または舞衣」となっていて、小書が付いた場合など舞衣を着ける場合もありますが、他流では珍しいのではないでしょうか。このあたりはシテの考えということでしょうね。


ともかく物着を終え、舞衣を着けたシテは常座に出て「少女は衣を着しつつ」と謡い出します。ワキとの掛け合いから地謡が引き取って「東遊びの駿河舞、この時やはじめなるらん」と謡い、続く地取りの間にシテは一回りして大小前に進み、地謡のクリ。そしてシテのサシへつながり、扇を開いてユウケン。クセに入ります。


春の長閑な雰囲気を謡うクセは、この仕舞でも好んで舞われる部分。
高橋さんの能は、昭君とか半蔀とか、女性がシテの曲ばかり観ているような感じですが、とても良い雰囲気です。


東遊びの舞の曲・・・との地謡から序ノ舞。
序ノ舞は盤渉ですね。さらに後段でテンポが速まり破ノ舞の格になった感じで、舞い上げるとワカから破ノ舞を省略してキリの「東遊びのかずかずに」へとつながります。


このあたり、金春らしい節使いの謡と舞が調和してなんとも言えない、良い雰囲気です。小書のためか、キリの謡は緩急がつき、「御願円満国土成就」とぐっと締まります。「七宝充満の宝を降らし」と招き扇から宝を降らすように扇を下ろしつつ前へ出、左へ廻って「時移って」と橋掛りへ進みます。


「浦風にたなびき」と一ノ松で羽根扇。さらに「浮島が雲の」と謡がぐっとしまり「愛鷹山や富士の高嶺」と一ノ松で下を見下ろす型になります。ああ、天に舞い上がったなあ、としみじみ思うところ。
「かすかになりて」あたりで右の袖をかづき、するすると滑るように幕に入って、最後はワキが留める残り留めの形、いや綺麗でした・・・
(65分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

素袍落 山本則俊(座・SQUARE第10回公演)

大藏流 国立能楽堂 2007.7.16
 シテ 山本則俊、アド 山本則孝 山本東次郎


番組ではシテが則直さん、小アドが則俊さんになっていたのですが、則俊さんがシテを勤め、三番三を舞った東次郎さんが伯父で登場。・・・則直さんどうなされたかのか、気になりましたが、とは言え東次郎さんの伯父は出色。楽しく拝見しました。


さてまず長上下姿の主人が立ち、明日は日柄も良いので伊勢参宮しようと思い立った旨を述べて太郎冠者を呼び出します。


古代には斎王や勅使以外の伊勢参宮は許されなかった訳ですが、中世になると御師と呼ばれる下級神官達の活動によって一般の伊勢参宮も広く行われるようになってきたようで、この狂言もそうした時代背景のもとに出来上がったということでしょうか。
さらに時代が下ると「おかげまいり」といった熱狂的なイベントも出てきますね。
ついでながら御師は熊野御師など一般に「オシ」と読みますが、伊勢は「オンシ」と読むんだそうですね。


話は戻って・・・主は太郎冠者に、急に伊勢参宮をすることにしたので太郎冠者を伴っていくことにした。前々から約束があるので今から伯父のところへ行って誘ってくるように命じます。


太郎冠者は今日の明日では伯父様も行けないだろうと答えますが、主人は自分も無理だろうと思うが約束なので念のために行ってこいと重ねて命じます。
さらに主人は「伯父様は気の付く方なので、太郎冠者が共をすると言えばきっとはなむけをするだろう。すると下向の折に土産をめいめいにやらねばならないので、誰と行くかはまだ決まっていないと言え」と言います。
こちらもまた随分と気の回る主人ですが、さて太郎冠者がどうなるか
このつづきはまた明日に

素袍落のつづき

太郎冠者は伯父のもとへ行き案内を乞います。
伯父は冠者の口上を聞き、明日ではあまりに急なので行かれないと答えます。さらに「さて供には誰が行くぞ」と問います。
太郎冠者は主人の言い付け通りに、まだ決まっていないと答えるのですが、そこは気の利く伯父のこと、誰と言って他におるまい、太郎冠者が供をするのだろうと門出を祝って酒を飲んでいけと冠者に酒を勧めます。


太郎冠者、酒好きという設定です。
それでは、と一杯、二杯と盃を重ねます。奉公人らしく遠慮がちな太郎冠者が、酒については遠慮が無く、催促をしたりするのが面白いところ。伯父は下戸だからと飲まないので一方的に飲む形になります。


最初の盃は「うーん、うーん」と勢いよく飲んでしまい、伯父に風味はどうかと聞かれても「このあたりがヒンヤリといたいただけで風味が」わからなかった、と次を催促。
いかにも酒好きの様子です。
太郎冠者の酔っ払いぶりは大変に雰囲気が出ていまして、本当にお酒好きでいらっしゃるのかな、ふとそんなことを考えたりしました。


散々酔った末に伯父から素袍を貰い、冠者は辞退します。主人から土産が面倒なので「はなむけ」を貰わないように言われているとすっかりしゃべってしまう次第。
伯父はそれならば主人には内緒にして、この素袍を自分の名代ということで伊勢参宮に連れて行ってくれと、実にうまい言い回し。


この慈悲深い、人の良い伯父様を東次郎さんが熱演。うまいなあ、ホントに良く気が付く良い人という雰囲気です。
もう一日続けます

素袍落さらにつづき

太郎冠者は酔っ払いながらも主人のもとに戻ってきます。
橋掛りを一ノ松あたりへ進んで謡いながら歩く形。
すると太郎冠者の帰りが遅いと迎えに出た主人が見つけて声をかけます。


冠者は声をかけられて舞台へ入り、主人と問答になりますが、酔いが回って話がくどくなり主人が腹を立ててしまいます。
この酔っぱらった問答ぶりも良かったですね。ホントに酔っ払いがぐだぐだと話しているような感じです。


調子に乗った太郎冠者は謡いながら舞台を回っているうちに、頭に載せた素袍を落としていまいます。やがて落としたことに気付いた太郎冠者はうろうろと素袍を探します。
この落とした素袍はすかさず主人が拾い、探し回っている太郎冠者に、俄に機嫌が悪くなったがなぜかと問いかけたりします。


とこうやり取りがあり、主人と太郎冠者が素袍を取り合って留めになるという次第。


ところで太郎冠者と伯父とのやり取りの中で、「こなたにはお祓い、奥様には伊勢白粉、お子様方には笙の笛」をお土産にしようというくだりがあります。白粉に笙の笛は伊勢の名産で、参宮の土産物としてよく買われたそうです。
この三つを酔う中で、こなたには伊勢白粉、奥様には笙の笛、お子様方にはお祓いと、妙な話になってしまうのも、面白いところですね
(37分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

石橋 古式 山井綱雄(座・SQUARE第10回公演)

金春流 国立能楽堂 2007.7.16
 シテ 山井綱雄、ツレ 井上貴覚
  ワキ 森常好、アイ 山本則重
   大鼓 柿原光博、小鼓 観世新九郎
   太鼓 古屋潔、笛 一噌隆之


石橋。古式の小書き付きなのですが、なにぶん金春の石橋を観るのは初めてなので、獅子が紅白二頭になる以外にどんな変化があったのか、実はわかっておりません。ともかく半能ではなく、前後ある形(金春の先生方は石橋の半能でない場合を丸能という、と宗家のブログで拝読した話を以前書きましたが、その丸能)でしたので、面白く拝見しました・・・石橋の前は、静と動の対比という意味でも、味わい深いと思っています。


まずは名乗り笛でワキが登場してきます。半能であれば、まず牡丹の花の付いた一畳台が運ばれてきますし、前後あっても宝生流だとまず一畳台を出しますが、今回は間狂言の後に出る通常の形です。


存在感のある森さんの名乗りの後、一セイの囃子で前シテの出。
小格子厚板に水衣、尉髪の老人姿。面は小尉でしょうか。薪を背負っていて、薪には藤かな・・・花が添えられています。上掛りでは前シテが童子が通常の形(もっとも宝生はツレ)ですが、下掛は老人が基本の形。なかなか雰囲気のある老人です。


簡単に石橋を渡ろうとするワキを押しとどめ、石橋の謂われを語ります。
このつづきはまた明日に

石橋のつづき

シテはワキと共に石橋を見、下を覗き込んだりし、ワキの「なほなほ橋のいはれ御物語候へ」の言葉に正中で下居して語る形になります。
このあたりは先日の宝生流でも、シテとツレの違いはあるにしても、基本的に同様の動きでした。


山井さん、前シテが老人の曲もけっこう観ていますが、うまいです。
謡がお上手なんですね。もともと声が良いところにもってきて、お歳に似合わず趣ある謡をされます。
この前シテもなかなかに聞かせました。


地謡の「神変仏力にあらずは」で立って「向いは文殊の浄土」とワキ正へ向かって二足ほどツメ、さらに「しばらく待たせ給えや」とワキへあしらって来序で中入りとなります。


シテが幕に入ると囃子が狂言来序に変わり、アイの仙人が登場してきます。「せがれ仙人」って言っているのですが、どんな字を書くのかわかりませんし、はてどんな意味なんでしょうね。
ともかくアイの仙人は登場すると、常座で立ちシャベリ、石橋の様子などを語ります。ひとあたり話し終えると橋掛りを振り返り「獅子が来ると申すか」と問う形。
獅子が出てくる勢いに、命を失うかも知れないが、命を失っては橋を渡ることも出来ないと述べて、謡い、一回りして退場します。


アイが幕に入ると一畳台が持ち出されます。
まず白花の台を正先へ、花は正面から見て右側に立っています。続いて赤花の一畳台をややずらして、先の台の奥側の橋掛り寄りに並べます。
いよいよ期待感が高まりますがこのつづきはまた明日に

石橋さらにつづき

乱序の囃子が始まると直ぐに半幕で白獅子の姿を見せます。
半幕は揚幕を巻き上げるわけですが、ちょうど胸のあたりまでしか見せません。見えたと思うと幕が下ろされ、露の手。


その後、ゆっくりと幕を上げ、白獅子が登場して三ノ松で構えます。
一度幕内に下がってから走り出てきて、一ノ松で欄干に足をかけます。幕内には赤獅子が控え、白獅子の移動に合わせて橋掛りを進み、白獅子が大小前、赤獅子が一ノ松に進んで激しい舞。


シテの白獅子、山井さん、ツレの赤獅子、井上さん、いずれも小気味よい動きで台へ上がったり、台を移ったり、切れの良い舞でした。


途中で赤白入れ替わって、白が一ノ松へ向かい赤が正面で舞う形。
さらに入れ替わって、と躍動的な舞が続きます。


宝生と違って台上の花に足をかける型がないので、花には足をかける横の枝がありません。が、ちょっと驚くのは、シテ、ツレが舞いながら花の横をすり抜けると装束が触れて花が回ってしまうこと。
私は先にも書いた通り、金春の石橋が初めてなので驚きましたが、ある方のお話では別の機会に金春の石橋を観た際も花がクルクルと回ったということです。ほー。


獅子の舞の終わりでは、正面から見て左が赤獅子、右が白獅子となり、台の花とは逆になります。
この後、地謡に合わせて舞い、最後は「獅子の座にこそ直りけれ」で右の白花の台に白獅子、左の赤花の台に赤獅子が飛び安座して着し、残る囃子のうちに、白獅子のみが立ち上がって台を下り、留めとなりました。


赤白の獅子は、白が親獅子で赤が子獅子と思っていたのですが、どうも感覚的には親子ほど性格に違いがないような感じで、それぞれが同格に近い形で舞った印象を持ちました。
(66分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

寶の槌 大藏千太郎(第30回納涼能第2部)

大藏流 国立能楽堂 2007.7.20
 シテ 大藏千太郎、アド 大藏基誠 吉田信海


今年三度目になる宝の槌。今回は能楽協会の表記に従って宝を旧字にしてみました。
2月の式能では東次郎さんシテで拝見しましたが、同じ大藏流とは言うものの、やはり山本家と大藏家では雰囲気が違います。
1月には善竹十郎さんのシテで拝見していますが、ご親戚でもあり基本的にはこちらと同じということですね。


もっとも、この宝の槌で太郎冠者がすっぱに教えられる謡い物は、絵馬の間狂言に登場する蓬莱の島の鬼達の謡うものと同じです。昨年観た絵馬では、奇しくも今回の出演者と同じ千太郎さん基誠さんご兄弟に、吉田さんの三人がアイでした。


曲の流れは、善竹十郎さんシテの鑑賞記と基本的に同じですので省略しますが、宝・・・実は太鼓の撥を万疋で手に入れ、主人のもとに戻ってきた太郎冠者、自信ありげな雰囲気を千太郎さんがうまく演じた感じ。


頼まれもしないのに、馬を出しましょうなどと大見得を切り、すっぱに教えられた謡い物を謡って打ち出そうとしますが、出るわけもなく繰り返す訳です。
この謡い物を、最初は堂々と、次はやや焦って、三度目は、と演じ分けるのはシテの腕の見せ所。千太郎さんのこういう演技は実に適役。


結局は何も出て来ないわけですが、最後の番匠の音がかつたりかつたりは、謡い物の最後のところ「月氏国(ぐゎっしこく)にくゎったり」にかけて、主人がきっと加増になって普請する大工のおとが「かったりかったり」と囃して、主人が機嫌を良くする、ということのようですね。
(25分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

石橋 連獅子 田崎隆三 宝生和英(第30回納涼能第2部)

宝生流 国立能楽堂 2007.7.20
 シテ 田崎隆三 宝生和英
  ツレ 朝倉俊樹、ワキ 宝生閑
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 幸正昭
   太鼓 金春惣右衛門、笛 一噌隆之


続く時というのはこういうもので、石橋も観ない時は何年も観ないのですが、今年三度目の、しかも間4日置いての鑑賞。
金春の古式に宝生の連獅子、いずれも赤白二体の獅子が登場する形です。
しかも前後あって比較しやすいところですね。


獅子が二体以上になっても、基本はシテとツレというのが他流の扱いだと思います。
金春の古式では前場もあったので、前で山人として出た方がシテで、もうお一方がツレの扱い。半能でも、もともとは前場がシテ一人なわけですから、自ずと後場に登場するのはシテとツレという決まりになりそうですね。


一方、宝生流では前場の童子、今回は小書のため老人ですが、これがツレの扱いなので、後場の獅子は両シテの扱いのようです。ということで、このブログも今回はいささか変則的な書き方になっております。


以前にも書いた通り、前場の終わりにツレが幕に入って、直ぐ後場シテの出になるという宝生流の独特の形のため、まず最初に一畳台が持ち出されてきます。


このつづきはまた明日に

石橋 連獅子のつづき

まず赤の花がついた台、続いて白花の台。そして三番目にピンクの花をつけた台と三台が持ち出されます。
舞台正先に、正面から見て右に赤花を立てた台が右へ、左に白花を立てた台が左に並べて置かれます。さらに白花を立てた台に斜めに接する形で、左にピンクの花を立てた台という配置。
小書がないときは台二つを一つは正先に真横に、もう一つは斜めに接する形に置きますから、通常の形に加えて右にもう一つ台を並べた形ですね。


今回はツレが朝倉さんで、前場もなかなかの見物。
老人の姿は、四日前に見た金春の形と基本的に同じですが、薪に花は添えられていませんでした。


ワキが宝生閑さんで、さすがに趣があります。
地謡も緩急あって飽きさせません。
謡い中心ではありますが、中身の濃い感じの前場が終わり、ツレが静かに来序で退場していきます。


来序の最後のあたりで惣右衛門さんがちらりとツレの様子を見て、幕に入る間合いを計った感じです。


ツレが幕に入ると囃子が乱序に変わって半幕に。
半幕では赤獅子の姿が見えます。金春の古式は白獅子が先に出ましたが、宝生の連獅子は赤が先ですね。
露の手が打たれて、いよいよ赤獅子の出。三ノ松あたりで欄干に足をかけ、さらに一ノ松まで進んで飛び返り、後を振り向いて白獅子の出を待つ形になります。


もう一日続けます

石橋 連獅子さらにつづき

続いて白獅子が登場して二ノ松あたりまで進んで、赤獅子と向き合う形になり足拍子。赤白が入れ替わり、さらに入れ替わってと展開の早い舞の中に、赤獅子が舞台に入って台に上がり、白獅子は二ノ松あたりで頭を振る獅子独特の型。


赤獅子は軽快に台上で舞い、ピンクの花を立てた台に移ります。これに合わせて白獅子が舞台に入ります。今度は入れ替わって赤獅子が橋掛りへ入り一ノ松で欄干に足をかけ、獅子の最後は白獅子が正中、赤獅子が二ノ松で座す形。


ここからキリの謡になって赤獅子は一度欄干に足をかけ、再び舞台に入ってきます。
留で赤獅子が台上へ飛び安座、一方の白獅子は笛座前に座す形でした。


めまぐるしい動きでメモもしきれませんので、かいつまんでの記録ですが、大変面白かったという印象です。


金春流 古式の際は、赤獅子と白獅子が同格のような印象を受けましたが、この会では明らかに親獅子と小獅子といった性格の違いが出ていて、赤獅子は敏捷に台へ飛び上がり、飛び降り、激しく動く一方で、白獅子は激しい部分も持ちながらもずしっとした重さを感じます。


赤獅子、宝生和英さんでしたが、正直なところ予想外に良かったという印象です。
実は記録をひっくり返しても和英さんの能を観てなかったんですねぇ・・・我ながら意外なんですが、まあ宝生の能をしみじみ観るようになったのはここ三、四年のことなのでやむを得ないところ。


とは言えご病気の宗家に代わってということか、後見に出られることが多いので、お姿はよく見かけています。その後見での立ち居振る舞いと、この獅子の舞にいささかギャップを感じて「予想外に」と思ってしまったのですが、田崎さんの重厚な獅子と両シテとしてひけをとらない素晴らしい獅子だったと思います。
今度は他の曲でシテを拝見してみたいものです。
(55分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

盛久 粟谷明生(喜多流職分会自主公演)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2007.7.22
 シテ 粟谷明生、ワキ 森常好
  アイ 前田晃一
   大鼓 柿原崇志、小鼓 曽和正博
   笛 一噌幸弘


本日から7月の喜多流職分会自主公演の様子を書いてみようと思います。
まず最初は粟谷明生さんの盛久です。


この盛久という曲、元雅の作といわれていますが、奈良に世阿弥の自筆本が残っていまして応永三十年(1423)八月十二日の日付が入っているとか。
前年に世阿弥は観世大夫の座を元雅に譲っていますが、足利義教が将軍となって以来、徐々に世阿弥父子が遠ざけられ始めた頃ですね。
世阿弥がどんな思いでこの本を筆写したのか、いささか感慨深いものがあります。


さて舞台はまず出し置きの形でシテ盛久が登場し、笛座前で床几に掛かります。
ワキの土屋の何某とワキツレの太刀取りと輿舁も続いて登場してきますが、ワキは一度後見座にクツロぎ、ワキツレ太刀取りと輿舁は橋掛りに控えます。
ワキはあらためて常座まで進んで名のります。


ワキは、丹後の成合寺に潜んでいた主馬の判官盛久を生け捕り、鎌倉へ下るところと述べ、これに対してシテが「如何に土屋殿に申すべき事の候」と呼び掛けて問答になります。


この冒頭の部分、観世流ではいきなりシテとワキが問答しながら登場してきます。
実は先ほどの世阿弥自筆本も、カタカナ書きで「イカニツチヤトノニ申ヘキコトノ候」と始まっていて、これは観世の本と同じです。


シテ、ワキが問答しながら登場するというのは随分と珍しい形なので、後世、シテの出し置きとワキの名乗りという一般的な形に整理されたのかもしれません。
さてこのつづきはまた明日に

盛久のつづき

盛久は関東に下る前に清水に参詣したいと申し出、ワキは橋掛りに控えた輿舁達に輿を立てるよう命じます。命じたワキは後見座へクツロぎ、シテは正先へ下居して合掌、輿舁が後に付く形。


シテはサシを謡いますが「あら御名残惜しや」と心のこもった謡。
粟谷明生さんの能は、昨年日立で黒塚を観て以来で、なんとかもう一度観てみたいものと思っていたところでしたが、謡もいいなあ。
一セイの「いつかまた、清水寺の花盛り」で気を変えて立ちますが、こののびやかな謡が気持ちを切り替えて東国に向かう心境を表す感じがします。


輿舁が後から差し掛けて輿に乗った形。
清水寺を出で、音羽山、松坂、逢坂の関から勢田の長橋を渡り、鏡山と地名を織り込みながらの謡が続きます。
海道下りの道筋を謡った道行。昨年暮れの萠の会の際の狂言遊宴で一同登場するときに謡われた部分。能夫さんの地頭ですがこれまた良い謡でした。


「熱田の浦の」と一同橋掛りへ進みシテは一ノ松へ、ワキは後を抜けて二ノ松あたりへ。汐見坂橋本、浜名と進み「田子の浦うち出でて見れば真白なる」と橋掛りから舞台へ進んで「猶明け行くや」と舞台に入って「早鎌倉に着きにけり」で輿を外して地ノ頭あたりでシテは床几を使います。
床几にかかってサシを謡い、独白の風で「天晴れ疾う斬られ候はばや」と述べますが、これがまた深い。


直面の曲というのはとても難しいと思うのです。
要は自分の顔を面にするわけですが、慣れないとどうしても目が泳いでしまう。今さらこうしたことを持ち出して褒めるまでもないとは思うのですが、まさに生身の顔ではなく面として演技されていることが深く実感されて良い場面でした。
このつづきはまた明日に

盛久さらにつづき

覚悟を決めた盛久に、ワキが頼朝から誅せよとの命が出たと伝え、シテは日頃清水の観世音を信仰してきたので経文を読誦したいと申し出ます。そして胸元から経文を出して広げ「或遭王難苦臨刑欲寿終、念彼観音力刀尋段段壊」という観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈、法華経の第二十五品ですね)の一部を読み上げます。


シテはこの意味を説き、さらに命が助かりたいからこの文を誦するのではないと言って、さらにワキに経文を見せながら二人で「種種諸悪趣地獄鬼畜生、生老病死苦以漸悉令滅」と読み上げ、経文を押し頂き左手にまとめてシオリます。


地の上歌のうちにしばしの時間が経過し、盛久はまどろんだという設定でしょうか。シテが「あら不思議や。少し睡眠の内に」と語り出します。
ワキはゆっくりと立って歩き出しますが、シテの詞が終わるあたりで急に歩みを速めて常座へ向かい、振り返って、かかった言い振りで「既に八声の鶏鳴いて」と時至ったことを告げ、盛久斬首の場面となります。


由比の汀に着いたとワキが述べ、シテは大小前から正中へ進んで座し、経文を広げて覚悟の形。後からワキツレの太刀持ちが進んで太刀を振りますが取り落としてしまいます。
ワキツレの詞に、ただ取り落としたばかりでなく、落とした太刀が経文の如く二つに折れて段々になってしまったことがわかります。


シテ、ワキはこの奇瑞に驚きを謡い、この顛末が頼朝の耳に入って「召に随い盛久は鎌倉殿に参りけり」と後見座にくつろいで物着となります。


掛直垂に梨打烏帽子の凛々しい姿で、大小前から正中で下居、クリ、サシ、クセと謡が続きます。居グセで動きはありませんが、晴れがましい雰囲気が漂います。
さらに頼朝の求めで一指舞うことになり「有り難し、有り難し」と晴れ晴れとした謡から男舞。スッキリとした舞でこの曲の気分を見事に表現しています。
早起きして出掛けた甲斐があった一曲でした。
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

樋の酒 三宅右近(喜多流職分会自主公演)

和泉流 喜多六平太記念能楽堂 2007.7.22
 シテ 三宅右近、アド 三宅右矩 三宅近成


この樋の酒は、昨年11月に万作さんのシテで観ていますが、大藏流では廃曲扱いになっていて公式には演じられないので、基本的には和泉流でのみ演じられることになります。万作さんとはご親戚筋でもあり、概ね同じような構成でしたが、微妙な違いもあるようです。


まずはアドの主人が長上下姿で常座に立ち、用事が出来たので太郎冠者と次郎冠者を呼び留守を言い付けて出掛けようとします。
両名は留守を言い付けられたものの不服そう。というのも、いつもならどちらかがお供し、どちらかが留守をするというのが常の形だったから。


二人それぞれにそうした思いを述べ「なあ次郎冠者」「なあ太郎冠者」と言い合いますが、主人はいつもと違って今日はどちらも連れて行かないと宣言。
太郎冠者には米蔵を、次郎冠者には酒蔵を任せて、それぞれ番をしているようにと言い付けて出掛けていきます。


太郎冠者は橋掛りに進んで一ノ松あたり、次郎冠者は正中で、一緒に蔵の戸を開ける所作。鍵を外して重そうな扉を引き開けます。


蔵にはいると太郎冠者はたくさんの米が収蔵された様を、次郎冠者は同様に多くの酒が蓄えられた様を語ります。
太郎冠者はさっそく、これだけ沢山あるのだから少し持って行ってもわかるまい、次郎冠者に米を持たしてやろう、と、蔵の窓越しに親切?な申し出をする始末。
さてこのつづきはまた明日に

樋の酒のつづき

一方の次郎冠者、酒蔵に入ると大変に良い匂い。酒好きには堪えられませんね。一人になったので「いこう寂しくなった、一つ飲もう」と早速に酒を飲み出してしまいます。


さて太郎冠者にも・・・と思ったものの、それぞれ別の蔵に居ては酒は飲めません。
次郎冠者は、太郎冠者にこちらの蔵へ来いと呼び掛けますが、素面の太郎冠者は度胸がなくて蔵を離れられません。


しばし考えた次郎冠者が持ち出したのが樋。太竹を半分に断ち割って節を除いたものですが、これを取り出して酒蔵の窓から米蔵の窓へと渡す算段です。
実際にはシテ柱のあたりを蔵の境に見立てて、常座あたりから橋掛りの太郎冠者に樋を延ばし、これを使って酒を飲ませる形。


注ぎ方が早いなどと騒ぎますが、右近さんの太郎冠者の樋から酒を飲む姿が面白い。
二三度注いでもらっているうちに酔ってしまい、最初の決心はどこへやら、太郎冠者も酒蔵の方にやって来ます。


結局は二人で酒盛りになり、交互に謡ったりしながら飲み続ける形。
ここで謡った章句はメモできませんでしたが、万作さんの時とは微妙に違っていたようです。万作さんのときは、例の「ざざんざ浜松の音はざざんざ」という謡などがありましたが、今回は違っていましたね。


そうこうするうちに主人が帰ってきて大騒動になります。
逃げ際に次郎冠者が一杯。さらに太郎冠者も主人が次郎冠者を追う隙に「この間にもう一杯」と飲もうとし、主人に見つかったものの、何のかんのと理屈を言いながら一杯飲んで逃げ去ります。
まあ何度見ても面白い狂言ですね。


ところでこの日は太郎冠者の肩衣の文様がなまず、一方の次郎冠者が蛍。狂言の肩衣は面白い文様が多いものですが、この日のものも目を引きました。
(16分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

楊貴妃 友枝雄人(喜多流職分会自主公演)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2007.7.22
 シテ 友枝雄人、ワキ 村瀬提
  アイ 三宅右矩
   大鼓 佃良勝、小鼓 観世新九郎
   笛 一噌庸二


楊貴妃は7月初めに万三郎さんのシテで観たばかり。あまり間があいていないので、比較する感じになりますね。


まずは一同着座すると引廻しをかけた宮の作り物が出されます。前回の観世会では柿色というか朱系統の色のものが用いられましたが、今回は屋根は赤系統であるものの、引廻しは緑系。屋根との対比が映えますね。


続いて次第の囃子でワキが登場してきます。
ワキは福王流の村瀬提さん。かなり力が入っておられたのか、謡ううちに汗が滴るほどでした。謡自体は割にサラリめに謡っている感じだったのですが・・・


道行を謡ううちに常座から数歩出てまた常座へ戻る型で、これで常世の国に着いたという次第。少し前へ出、後ろを向いて狂言座へ呼び掛けてアイを呼び出します。


呼び出されたアイと楊貴妃を知っているかという問答。
太真殿にそれらしい女性が居ると聞いたワキは作り物に向かい様子をうかがうことにします。
このつづきはまた明日に

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