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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

邯鄲さらにつづき

ワキは膝をついてシテの枕元を扇で叩いた後、正中に下がって手をついて「楚国の皇帝の位を盧生に譲ることになった」と告げます。


シテは台を下り、輿舁が輿を差し掛けてこれで宮殿に向かう形ですね。真ノ来序が奏されてシテは再び一畳台に上がります。既に舞台にシテが出ているのに登場楽が奏されるのは珍しい形ですが、再び台に上がることで皇帝の位に付き玉座に座ったことを表すわけで、既にシテの性格が変わってしまっているということでしょうね。


シテが台上に座すと、子方とワキツレの廷臣が登場してきます。
地謡では宮殿の壮大な様子などが謡われますが、地謡が終わるとワキツレの廷臣が進み出て、即位してはや五十年が過ぎ去ったと伝えます。五十年が一言で経過するわけですが、この曲の時間の扱い方は本当に不思議。


ワキツレの勧めで、子方は千年の齢を保つ仙境の酒をシテに酌します。さらに子方は地謡に合わせて舞い、栄華が極まる中に、シテの舞となります。
どの曲でもシテの舞は一曲の中心ではありますが、邯鄲では特にその色彩が濃いように思います。


台上で楽を舞うという難しさの問題だけでなく、空下りと言われる所作があり、これは夢が覚めかけたことを表すと言われています。
この空下り、演者によってどう演じるかは裁量の範囲のようで、観世流でも一畳台からホンの少し踏み外してすぐ戻すように演じる方もありますが、祥人さんはかなり大きく一足を踏み出し、また大きな所作で戻して強調されたような印象でした。


この楽、夢の中での舞という不思議さを、台上で舞うという制約で示そうとしてのではないかと思ったりもします。
途中で台から下り、舞台上で舞う形に。通常は黄鐘楽ですが、今回は藁屋の小書のため盤渉です。


楽を舞い上げ、ノリ地の合わせてシテは舞いますが「月人男の舞なれば」からの詞章は、昼夜、四季が眼前に展開する不思議な世界が示されます。夢の気分を言葉にしたと言ったらよいのか、時間の不思議さが示されるようです。
もう一日続きます

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