能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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しびり 高澤龍之介(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2007.9.15
 シテ 高澤龍之介、アド 高澤祐介


この日の話題として9月15日にも書きましたが、高澤龍之介クンの堂々たるシテが微笑ましかった一曲。
大藏流では痿痢や痿痺、和泉流でも痺と漢字で書かれたりしますが、要は「足の痺れ」のこと。足が痺れて命じられたことができないという太郎冠者の言い訳と、その嘘に対しての主人の機転が見せ所の短い狂言です。


小品であり、またシテの言い訳がいかにも子供じみたものである割に面白いので、シテの太郎冠者を子供に演じさせるのが多い曲でもあります。
初舞台でこの曲のシテを演じるという例も少なからずあるようです。
狂言の初舞台と言えば「猿に始まり狐に終わる」という言葉もあるように、靱猿の小猿を演じることが多いようですが、必ずしも靱猿ばかりではなく、この曲や「以呂波」なども初舞台の曲として選ばれるようです。・・・どちらかというと、大藏流では靱猿よりも痿痢や以呂波が選ばれる方が多く、和泉流では靱猿の方が多いそうですが、とりたてて決まりがあるわけでもなさそうです。


さて舞台の方は、アドの主人が先に立ち、シテの太郎冠者を従えて登場してきます。
主人は、このところ方々で振る舞いが盛んに行われていると述べ、さらに急なことだが、明日振る舞いをすることになったので、準備をしなければならないと語って、太郎冠者を呼び出します。


呼ばれた太郎冠者「路地の掃除などをしておりました」などと気の利くところをアピールしますが、主人から振る舞いのため和泉の堺へ行って肴を求めてこいと命じられてしまいます。
「これは迷惑なことを言い付けられた」これでは「身も骨も続くことではない」と、行きたくない太郎冠者は作病を起こして(仮病を使って)使いを免れようとします。
さてこのつづきはまた明日に

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しびりのつづき

太郎冠者は突然に「あー痛、あ痛」と痛がる声を出し痛さをこらえかねる風。
聞きつけた主人が太郎冠者にどうしたのかと尋ねると「しびりが切れました」という返事。主人は「どれどれ治してやろう」と、何やら拾った所作をし、その拾ったものを太郎冠者の額につける様子を見せます。


これは何で?と太郎冠者が問いますが、主人はしびりのまじないに、額に塵をつければ治るというのでつけたという答え。当時はそんなまじないがあったのかどうか知りませんが、足の痺れが額につけた塵で治るとも思えませんね。


いずれにしても太郎冠者は、この痺は親譲りのしびりで、塵どころか藁の一駄や二駄つけても治るものではないなどと言いつのります。
親が、田や家財などを兄に譲り、自分には他にないのでこの「しびり」を譲ってくれたものだけに、ちょっとでは治らないという主張。


主人は一計を案じて、俄に誰か尋ねてきた風をよそおい、その使いに返事する風で、伯父からの酒肴の誘いに、太郎冠者はしびりで出掛けられないので、自分だけが行くと返事します。


これを聞いていた太郎冠者は、供に行くと言い出します。
龍之介クン、子供らしい言い方ではあるものの、なかなか良い間で舞台を勤めます。
優しく言って宣命を含めれば大丈夫と言い、しびりを諭すような物言いで治まるように話しかけ、主人に「治った」と申し出ますが、これを受けた主人が伯父御のことは嘘と明かし、叱り留めとなります。


短い時間でしたが、見所からも楽しげな笑い声が多々起こって、良い雰囲気の狂言でした。
(11分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

禅師曽我 和久荘太郎(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.9.15
 シテ 和久荘太郎、立衆 金森良充 金井賢郎
   朝倉大輔 藤井秋雅 金井泰大
  ワキ 大日向寛、アイ 三宅右矩
   大鼓 高野彰、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 三島卓、笛 藤田太郎


曽我兄弟の仇討ちが如何なる話なのかについては、五雲会の小袖曽我の鑑賞記を書いた際に簡単に書いてみました。


この禅師曽我は、兄弟の仇討ちの後日談なのですが、現在では観世、宝生、喜多の三流にしか残っていない曲で、しかも観世流ではほとんど上演がありません。
宝生流ではもう少し上演回数が多いように思いますが、とは言っても毎年あるいは隔年で演じられるほど近い曲ではありませんね。


また私もよく知らなかったのですが、そこそこに上演があるとは言うものの、宝生流の場合は後場のみ演じるのだそうです。
観世・喜多では前後を演じるようですが、それぞれにかなり詞章が違っています。さらに宝生流の場合は後場だけなので、その分だけ詞章の相違も大きくなっている様子です。


もともと前後の形になっているというものの、珍しい構成の能で、シテもワキも後場だけで前場には登場せず、前場はツレだけで話が展開して中入りとなってしまいます。
しかも、後場で登場したシテも、僧形ながら闘うものの結局は捕らえられてしまった、と、そこでいきなり終曲になってしまいます。なんだか不思議な形で、本当はもっと別な展開の能の一部分が残ってしまったのではないの?と思いたくなるような曲です。


宝生流では省略される前場では、次第で前ツレの団三郎と鬼王が登場してきて次第を謡います。
明日はこの前場の話をかいつまんで触れた後、当日の鑑賞記に進みたいと思います。

禅師曽我のつづき

団三郎と鬼王は小袖曽我の時にも書いた通り、曽我の十郎、五郎兄弟に仕えていた従者で、敵討ちの直前に曽我兄弟から形見の品を持って故郷へ下れと命ぜられた者たちです。
次第の後、団三郎はこうした子細を語り、曽我の里へと向かいます。


曽我の里に着いた二人は、早速に曽我兄弟の母を訪ね、形見の品を渡します。
母は兄弟が亡くなったという知らせに嘆きますが、鬼王は嘆きはもっともながら急ぎ箱根の国上(クガミ)の寺へ人をつかわすようにと言上します。実は国上の寺には兄弟の末弟が出家しており、その身を案じたわけです。


早速に子細を書き送ったとの地謡で中入り。団三郎、鬼王と曽我兄弟の母は退場します。
ここまでが省略された前場で、前後のときは中入りの後、舞台に一畳台の護摩壇が出されてきますが、宝生流では前場が省略されているので、当然のことながらまず一畳台が運び出されてきてワキ座に設えられます。


後場はまずシテが登場して始まります。登場したシテは国上の禅師と名のり、百座の護摩を焚くと言って、正中へ出てアイを呼び出し護摩堂の扉を開くように命じます。アイは一畳台に近寄って扇を使い、扉を開く所作をし、これを受けてシテが一畳台に上ります。
このアイとのやりとりは観世の本では省略されていて、シテが護摩を焚くと言ってそのまま一畳台に上る形になっていますが、おそらくは観世流だけが直したものでしょうね。


さて一声の囃子でワキの伊東祐宗、ツレの疋田小三郎に立衆が登場してきます。
伊東祐宗は宝生流ではワキ方が演じますが、観世流はワキを出さずツレが演じる形になっています。このあたりも観世流だけなんでしょうね。
この伊東祐宗がいかなる人物なのかわかりませんが、ともかく曽我兄弟の父である河津三郎の死後、兄弟の末弟を養子として出家させていたため、鎌倉から出家した国上の禅師を捕らえてくるように命じられて、国上寺までやって来たという次第を語ります。


一行は早速、護摩を焚いている国上の禅師に案内を乞います。
このつづきはまた明日に

禅師曽我さらにつづき

さて祐宗がやって来たとの案内から、観世の本ではシテが直ちに何故に来たのかと尋ねます。ワキはこれに対して、鎌倉殿から国上の禅師を捕らえてくるように命じられたと答えるわけです。


しかし宝生流では、アイが案内を取り次ぐ際に文を持って出て、祐宗の来訪を告げるとともに曽我の里からの文が来たとシテに手紙を渡します。
どうも、もともとは前ツレの団三郎がこの場面で文を持って出てシテに文を渡し、シテが読んで祐宗の来意を悟るという流れだったようなのですが、観世流ではこのあたりをバッサリと切り捨てて、いきなりシテ禅師の物着へと展開してしまい、一方、前場を省略した宝生流では団三郎を出す必然性が弱くなってしまったため、アイが代わって文を差し出す流れになったということではないでしょうか。


さて禅師は覚悟を決め、ここで物着。
長刀を携えた形となり、討ち死に覚悟で戦いに出てきます。


長刀を上段に構えてきめた後、長刀を下げてワキを見込みます。ここの謡も観世流では「心得給え祐宗と城戸を開いて切って出れば」と短く切りつめられていますが、宝生の謡の方がもともとの形のようです。


ワキは橋掛りに並んだ立衆の先頭に立っていますが、この間に一番後の幕前まで下がり、立衆の先頭に出た疋田の小三郎とシテの斬り組になります。
ここではシテが切り捨てた形で、笛座前で飛び安座して斬られた形を表した小三郎は切戸口から退場しますが、多勢に無勢のシテは護摩壇を表す一畳台に追いつめられます。

最後は護摩壇の壇上から、隠しておいた剣をのんで自害しようとしますが、衆に生け捕りにされてしまい、両手を押さえられた形でそのまま橋掛りから幕へと走り込み「鎌倉へ送られた」と地謡が謡って留。
シテの和久さんは熱演で格好良かったし、ワキの大日向さんも登場の際に長刀を振ったりなど活躍で、私としては楽しめましたが、でもねっ・・・なんだか腑に落ちない能でしょ。
(26分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

金春会を観に行く

いささか事情があって急な用事が入るかもしれないため、前もって予定を立て指定席を予約しておくことが難しい状況が続いています。そんなわけで用事が無かった本日は「全席自由で当日券あり」の金春会に行ってみました。


いささか疲れが溜まっていることもあって、朝早く出かけて長時間並ぶのは避けたのですが、それでもチケットを買う都合もあって開場5分ほど前に到着。あぁやっぱり金春会はあまり混んでいない様子です。


開演までに正面席は埋まりましたが、全体でみれば半分強、三分の二未満ってところでしょうか。ちょっともったいないなあ、金春会なかなか面白いんですけどねぇ。上がったり下がったりの不思議な金春の謡もクセになります。


さて曲は本田光洋さんのシテで頼政、宗家安明さんの芭蕉、山井綱雄さんの天鼓は盤渉の小書き付きという三曲。それに狂言は山本則俊さんの鎌腹でした。


能の方はどちらかというと大曲揃いで、これは時間がかかりそうと思っていたのですが、書き出してある予定は五時半終演。「案外早いなあ」と思ったわけですが、実際は各曲とも予定をオーバーし、芭蕉は二時間を越える上演となりました。全体では四十分ほど延びて、最後の附祝言は六時十分を過ぎていましたね。さすがにお尻が痛くなりました。


三曲目の天鼓までいくと、途中で帰られた方もいたようでかなり空席が目立ちました。返す返すももったいないことです。
それぞれ長時間の観能でしたが、内容としては面白かったと思います。狂言も、この鎌腹という曲、大蔵流と和泉流ではちょっと違いのある曲なので、そうした意味でも面白く拝見しました。
予約をとっておきにくい状況が続きそうなので、機会あればまた金春の会を観に行ってみようかと思っています。

班女 波吉雅之(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.9.15
 シテ 波吉雅之、ワキ 工藤和哉
  アイ 高澤祐介
   大鼓 上條芳暉、小鼓 曽和正博
   笛 藤田朝太郎


あれ?っと思ったのは、班女の鑑賞記をこのブログでまだ書いていなかったこと。
なんだかしょっちゅう見ている曲のような気がしていたのですが、いささか間があいてしまっていたようです。


もっとも昨年秋の宝生会別会で波吉さんの班女の仕舞を見ているので、その辺の記憶があったのかもしれません。


班女というのは前漢の成帝の寵姫であった班婕(ハンショウジョ:フォントの制約で表示されない場合は、真ん中の字ショウは女偏に捷の旁)のこと。彼女が帝の愛を失った我が身を扇にたとえた詩を作ったことから、これにちなんでシテ花子のあだ名となっています。
余談ですが班婕の一族から、後漢になって漢書を著した班固が出ているとか。


さて舞台はまず美濃の国、野上の宿の長であるアイが登場し、遊女花子が吉田の少将と契を交わして以来、交換した扇を眺めてばかりで勤めを怠っているので、皆からは班女と呼ばれており、差し障りもあるので追い出そうと思うと語ります。


語り終えたアイは橋掛りへ向かい、一ノ松で班女を呼び出し、速く出でよと急かしたりしますが、ようやく大小前に着座したシテに対して追放すると言い切って、シテの扇を取り上げて叩きつけ、「腹立ちや、腹立ちや」と言いながら退場してしまいす。
いつぞや善竹十郎さんのアイで、身をよじるような腹立たしいしぐさが印象に残りましたが、高澤さんのアイもなかなかの激昂ぶりで印象深いものでした。
このつづきはまた明日に

班女のつづき

シテはサシの謡で我が身の悲しみを謡い、地謡の上歌の「野上の里を立ち出でて」で立ち上がってシオり、中入りとなります。


短い前場の後は、シテが幕に入ると入れ替わるように次第の囃子でワキの吉田の少将とワキツレの従者が登場してきます。
正先で向き合っての次第の謡。東国より都に戻る途次、野上の里へとやって来たわけです。
工藤さんの少将に、高井さんと野口能弘さんの従者。吉田の少将は花子を狂うほど恋い焦がれさせている色男・・・なんでしょうけれど、工藤さんの一種超然とした雰囲気がある意味大変に能らしい。ドロドロとしたものを描きながら、なんだかどこかで悟りを開いてしまっているような雰囲気を醸し出している感じです。


ワキは早速、ワキツレに花子の消息を尋ねさせますが、長と不和があってこの宿にはいないことがわかります。
このため「もしも花子が帰ってきたら都へ伝えよ」と言い置いて、そのまま都に上り、糺へ参詣します。糺は下鴨神社のこと。下鴨神社一帯の森が糺の森ですね。
ワキはワキ座で床几にかかり、シテの出を待つ形になります。


すると一声で後シテが登場してきます。唐織を脱下げにして狂女の態です。狂女をさらに強調する意図か、笹を持って出る小書もありますね。


登場してきたシテは一ノ松でサシ「春日野の雪間を分けて生い出で来る」と謡い出し、男女の語らいを守る神々に祈誓すれば、きっと願いも叶うだろうと謡いながら舞台に入り、カケリを舞います。思いが募って狂態を示したというところでしょうね。


観世流では「謹上再拝。恋すてふ、我が名はまだき立ちにけり。」とシテの謡に続けて地が「人知れずこそ、思いそめしか」と謡ってカケリになりますが、宝生流ではシテの「謹上」を地が「再拝」と受けて直ぐにカケリに入ります。この位置の違いも微妙に印象が変わりますね。


カケリの後は一セイからサシ、下歌、上歌と恋の思いを語り、これにワキツレが声をかけます。
このつづきはまた明日に

班女さらにつづき

ワキツレはシテに対して、「なにとて今日は狂わぬぞ」とか「さて例の班女の扇は」などと声をかけ、シテがこれに答えながら能が展開していきますが、吉田の少将の従者であり、つい先ほど糺の森に着いたばかりのワキツレにしては妙な台詞です。
なんだかしっくりしませんが、昔は他に登場人物が居たのかもしれませんね。


さてその後はクリ、サシ、クセと扇をモチーフにしながら我が身を嘆き舞う場面が続きます。「しばし枕に残らずして、また独り寝になりぬるぞや」と面を伏せた型が大変印象的でした。さらにその次の「翠帳紅閨に枕ならぶる」と上半身を起こした形が凛とした風情があり、これまた趣あります。


クセの終わりで扇にちなむ形で中ノ舞になります。


中ノ舞を舞い上げると、再会を約しながら果たされなかった悲しみに「扇とは虚言や」と地謡が謡い、シテは嘆きつつ舞う形。「扇とはそらごとや逢はでぞ恋は添ふものを」は思いの募るところですが、角へすすっと出たところからタラタラと下がって常座で安座しシオル型に深い悲しみが感じられたところです。


ここでワキがシテの持つ扇を見たいと言い出します。ワキツレが伝えますが、シテはある人の形見なので見せられないと答えてロンギになります。


しかし最後にはワキツレに扇を渡し、一方、ワキの持つ扇もワキツレを介してシテに渡されて、双方が扇を開いて形見の扇であることを確認し、留になります。
狂女物などでは、どうしてお互いに探し求める相手と気付かないのか、腑に落ちないことが多いのですが、この曲では少将が輿の内にと明示されていますので、それならわかるよなあ、という感じです。・・・他の曲でも貴人は輿の内なんでしょうね。
(88分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

梟山伏 三宅右矩(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2007.9.15
 シテ 三宅右矩、アド 三宅近成 志賀秀瑠


舞台にはまずアドの男が登場してきます。
所の者ということなのですが、弟が一人いて、山から帰ったところ何やらが憑いたものか具合が良くないので、山伏に加持祈祷を頼もうと思うと語り、山伏のもとへ向かいます。
舞台を回って橋掛りに向かい幕に向かって案内を乞います。


これに答えてシテの山伏が登場してきます。
山伏独特の足を高く上げる運びですが、偉そうというよりなんだか可笑しい。一ノ松までやってくると「九識の窓の前、十乗の床のほとりに、三密の月を・・・」という、葵上のワキ横川の小聖が謡うサシ謡を堂々と謡いますが、「案内申さんと言うは」の後は「誰そ」とつけてアドの男の方を見ます。


男が「私でござる」と返事するのに大仰に驚いて、山伏は後にひっくり返る始末。この重々しい謡と、倒れる所作の対比が面白いところですね。
総じて狂言の山伏は、ある程度の法力はあるものの、失敗をしでかしたり、盗みに入って懲らしめられたりと、お笑いのタネにされています。大名狂言の大名達も同様ですが、おそらくは実社会で結構威張っていて権威もあり、大衆としては随わなければならないところが多かったために、逆に笑いのタネにしたということなのでしょうね。
葵上の謡を持ってきたのも、そうしたパロディの一環ですね。


さて男は弟に何やらが憑いた子細を語り、山伏に加持祈祷を頼みます。
山伏は「別行の子細あっていづかたへも出でねども」そういうことなら行ってやろうと、勿体をつけたものの加持祈祷をしてくれることになり、男を先に立たせて家に向かうことになります。
さてこのつづきはまた明日に

梟山伏のつづき

男を先に立たせて舞台を廻り、家に着いたと山伏はワキ座に座します。男は弟の太郎を連れてくると言って一度幕に入り、白い着物に白鉢巻という病人姿の太郎を連れて登場してきます。
そのまま正中まで進み、太郎は床几にかかってうなだれるような形で病気の姿。


山伏は「まず脈を診よう」と太郎の首を回します。これも妙な話ですが、男に問われて「物の怪の憑いたものは頭脈(ズミャク)といって頭に脈がある」などと言い、物の怪の正体を探ります。


シテは「それ山伏と言っぱ」と力を入れて語り出しますが、「役の優婆塞の行儀を受け、その身は不動明王の尊容をかたどり・・・」と安宅のような詞章が続くかと思いきや「山伏なり」と拍子抜けするような一句。さらにその後も兜巾などについて語りますが、これも布地をまとめただけのものだなどと、偉いのか偉くないのかわからないような語りが続きます。まさにこのあたりはパロディの真骨頂で、シテが妙な文句を真面目に語る面白さ。なかなかの名調子です。


山伏が祈ると、太郎は手を羽ばたき、両手で目の形を作ってホーホーと声を出します。これは梟が憑いたものと山伏が見破り、烏の印(カラスノイン)を結んで祈れば簡単に治ると祈り始めます。


しかし祈っているうちに、兄の男も手を羽ばたき、目の形を作ってホーホーと声を出し始めてしまいます。兄、弟がフラフラと立ち上がり山伏の両側からホーホーと迫る形。
山伏がうずくまってしまうと、兄弟はホーホーと言いながら退場しますが、さて正先にうずくまった山伏も起きあがると、これまたホーホーと声を出し、梟が憑いてしまった形で退場します。


この日はホーホーという声でしたが、ホホンと印象的な声を出す方が多いような気がします。太郎が弟ではなく、兄という設定の場合もあったやに記憶しています。


ちなみにこの日太郎を演じた志賀秀瑠クン、近成さんが教えている一般の小学生の方だったのではないかと思います。なかなかしっかりと演じていて感心しました。
(16分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

鵺 小倉健太郎(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2007.9.15
 シテ 小倉健太郎、ワキ 則久英志
  アイ 前田晃一
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 住駒充彦
   太鼓 麦谷暁夫、笛 関川順一郎


鵺(ヌエ)というのは頭は猿、尾は蛇、手足は虎のようで、鳥の鵺に似た声で鳴く不思議な生き物。話の素材は平家物語にある源頼政の鵺退治ですが、鵺退治の武勇譚ではなく、退治された鵺からみた物語になっています。もしかすると被征服者や社会的敗者といった歴史的背景が埋め込まれているのかも知れません。


舞台は次第でのワキ諸国一見の僧の登場から始まります。則久さんのワキですが橋掛りを進む運びは割合に速く感じます。
常座で次第を謡いますが、この「世を捨て人の旅の空、世を捨て人の旅の空、来し方何処なるらん」もよく考えると、全編を暗示するような深さがある感じがします。


ワキ僧は三熊野に参り都に上る途中ですが住吉から蘆屋の里にやって来ます。一夜の宿を借りようとアイを呼び出しますが、旅の者には宿を貸さない掟と言われ、州崎の御堂で一夜を明かすことにします。


すると一声でシテの出。手に水棹を持った舟人姿で登場してきます。
ワキの謡で、これはうつほ舟に乗った不思議な人物であることがわかります。うつほ舟は木をくり抜いて作った舟で、遠目にはただの埋もれ木にも見えてしまいます。


この怪しい舟人とワキの問答は、また明日につづきます

粟谷能の会を観に行く

事情あって先の予定が立ち難い状況なので、このところ指定席の予約は基本的にしていないのですが、この会は発売開始日当日に即申し込んだもの。無事観に行けて良かった、とそれだけでもホッとしています。
この会、菊生さんの一周忌追善ということ。昨年の秋に日立で能夫さんの花月と明生さんの黒塚の会があった際に、地謡を勤められていたのを拝見したすぐ後に「亡くなった」という話を聞きたいへん驚いたものでした。


さて明生さんの能は、その時の黒塚を拝見したのが初めてでしたが、「ああ、このシテの能をまた観てみたい」と強く思った次第で、それ以前にも拝見して「いいなあ」と思っていた能夫さんの能と併せ、機会ある度にこのお二方の能は観ようと思っています。
明生さんの能はその後、喜多流職分会の自主公演能で「盛久」を観て、またまた魅了されました。


さて今日は明生さんが三輪(神遊の小書付き)、能夫さんが石橋という能二番に、野村萬さんの見物左衛門という一周忌追善らしい重い番組。


私、かなり期待をしておりましてテンションが上がっていたことは否定しませんが、しかし三輪で涙が出るほど感動するとは思っておりませんでした。正直、この能でそんなに感心したことはなかったのですが・・・


神遊の小書は観世の誓納や白式神神楽などと同様に神事的な要素が強まる小書で、かなり重い扱いがされているようです。が、それにつけても神楽から破ノ舞へと盛り上がりが素晴らしく、なんだか神々しい有難さに「かたじけなさに涙こぼれる」ではありませんが、思わず涙してしまった次第です。


一方の石橋は今年四回目。ちょっと他流との比較などに気持ちが行ってしまいまして、感じるよりも分析するような見方になってしまいました。
それにつけても石橋は前後と観ると、なかなか面白い。今年は四回のうち二回が宝生流ということもあり、いずれも前後で観ていますが、後場だけの半能ではもったいないという思いを強くしています。
今回はアイが三人の仙人が出てくる替のアイでしたし、実は喜多の石橋を観るのは初めてだったので、うわさのカーリーヘアーを見ることができたりなど、興味深く拝見しました。


見物左衛門も、ご兄弟とは言いながら、この間拝見した万之介さんとはまた違った印象で楽しく拝見しました。
今回の鑑賞記はいずれアップしますが、ちょっと力が入っちゃいそうです・・・

鵺のつづき

一日あきましたが、鵺の続きです。

ワキはシテを怪しいと訝りますが、蘆屋の灘の潮焼く海士人の類などと答えて正体を明かしません。それでいながら上歌は「海士人の心の闇を弔い給え」とつながり、実は正体を知らせて救済を受けたいシテの心情がうかがわれるところ。
「法の力を頼むなり」と常座で持っていた水棹を放し、正中で合掌して下居します。水棹が舞台に倒れてコトンと音がするのがなにかのきっかけのような感じがしますね。


ワキはさらに「何と見申せども更に人間とは見えず候」と重ねてシテに正体を尋ね、シテは鵺の亡心であると明かします。


ここからクリ、サシ、クセと、頼政の鵺退治の話が語られます。
近衛院の時に夜な夜な御悩あって、高僧貴僧に調伏させようとしたもののしるしがなく、都東三条の森の方から黒雲がやって来ると、必ず帝が御悩の態になってしまいます。そこで頼政が呼ばれてこれを撃ち落とし、郎等の猪の早太が斬りつけたという話が展開します。
クセの前半までは下居のまま「黒雲一村立ち来たり、御殿の上を覆いたり」とやや右に受け、「頼政きっと見上ぐれば」と正へ面を切って見上げる形。面を戻し「矢を取って打ちつがい」と弓矢を構える形から「南無八幡大菩薩」と両手を打合せ、矢を打ち放します。


「落つるところを猪の早太」と立ち上がり、語り舞うように「愚かなる形なりけり」とワキへ詰める形で正中へ下居します。
語り終えるとシテの舟人は棹を取り直して立ち上がり、うつほ舟に乗って姿を消してしまいます。中入り前は「恐ろしや凄ましや」と両手を上げて棹を捨て、そのまま退場。小倉さんの前シテ、怪しい、不思議な雰囲気を醸し出して後場への期待が高まります。


この中入りではアイが頼政の鵺退治を語ります。
このつづきはまた明日に

鵺さらにつづき

ワキの待謡にひかれて、出端の囃子で後シテ鵺が登場してきます。
後シテの登場にワキは立ち上がり「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏」と謡います。これに続き、シテも一セイで「有情非情、皆倶成仏道」とワキに合掌します。


シテは救いを求めて僧のもとに姿を現したわけですが、さてその形は面は猿、足手は虎の恐ろしい姿。ワキがその姿を謡うと、シテは頼政鵺退治の話を再び仕方に始めます。


間語りを含め三度、鵺退治の話が語られるわけですが、その展開がそれぞれに違います。
この最後の仕方話は、良く仕舞でも演じられますが「東三条の林頭に暫く飛行し」と、鵺自身の立場からの語りになっています。
しかし頼政の矢に当たり地に落ちて「君の天罰を當りけるよと今こそ思い知られたれ」の後は気を変えて、「その時主上御感あって」と帝の心。さらに「宇治の大臣賜りて」と大臣の立場になり、「頼政右の膝をついて」からは頼政となっての仕方話になっていきます。


「頼政は名を揚げて」から「我は名を流すうつほ舟に」で再び鵺自身に戻って、暗き世界に入っていきます。舞の所作も苦しみを表すような型が続きます。
キリの「月日も見えず冥きより冥き道にぞ入りにける」からの詞章は謡曲の名文の一つと思いますが、なんとも悲しい世界がぽっかりと口を開けたような気分です。
この曲の気分を小倉さんが良く演じておられた感じがしました。則久さんのワキも、ワキらしい整理の仕方で好感が持てました。


ところでこの曲が始まる前に、隣席の方からふと「この鵺はなんの面を使うのですか」と聞かれて「アレ!?」と思ったら、もういけません、すっかり混乱してしまいました。
「小飛出とかそういうのですか?」と重ねて聞かれたのですが、そうだったような気もするし、もっとおどろおどろしいものだったような気もするし・・・
曲が始まる前に、隣の方は席を替わられてしまったのでそのままになってしまいましたが、後場を見てみれば一目瞭然の小飛出。いやはやですが、ちょうど考え事をしていた時だったので一瞬虚を突かれたような感じで、考えも言葉もまとまらなくなってしまいました。ちょっとしたお笑い。
(77分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

頼政 本田光洋(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2007.10.7
 シテ 本田光洋、ワキ 村瀬純
  アイ 若松隆
   大鼓 安福建雄、小鼓 曽和正博
   笛 中谷明


ランダムに能を観ていて、たまたま鵺の鑑賞記の次に、頼政の鑑賞記を書くというのも、偶然とはいえいささか感じるところがありますね。


とは言ってもこちらは頼政が名をあげた鵺退治の話ではなく、以仁王を奉じて挙兵したものの、遂に敗れて自害した頼政の幽霊が現れる典型的な修羅能です。


名ノリ笛でワキの旅僧が登場し、宇治の里へとやって来ます。村瀬さんらしい不思議な声ですが、力みのない趣ある謡。里人は来ないものかと待っていると、シテの尉が呼び掛けで登場してきます。
本田光洋さんの謡は、美声という訳ではありませんが不思議と良く通る味のある声で、橋掛りの長い国立能楽堂での呼掛でも、明瞭に情趣まで伝わってきます。


宇治の里は名所旧跡の数々あるところ、ワキ僧は老人に残りなく教えてほしいと頼みます。老人は、宇治には住んでいても賤しき里人なので名所旧跡など知らないと一度は断りますが、ワキの重ねての頼みから、いわゆる名所教えとなります。


融などもそうですが、この名所教えというのはなかなかに風情のある場面。
シテとワキが交わす言葉と、二人の遠くを見やる姿から、様々な名所旧跡が浮かび上がってくるのは能の醍醐味かもしれません。ワキ正、目付から正面へと二人向を合わせながら掛け合いに名所を数え上げます。
月が出てくるのは、いよいよ霊的な世界が開く象徴なんでしょうね。


シテは平等院を見たことがあるかとワキに問います。
ワキは見たことがないと答えますが、シテはそんなワキを導いて平等院までやって来ます。
このつづきはまた明日に

頼政のつづき

平等院の庭で、ワキは芝が扇の形に取り残されているところに気付きます。これをシテに問うと、シテは昔、源三位頼政が敗戦の末に、この場所に扇を敷き自害して果てたために、芝を扇の形に取り残してあるのだと語ります。


しかも今日は、その戦のあった日と同じ月、同じ日であったと述べ、自らはその頼政の幽霊であると言って姿を消してしまいます。


このシテの謡「かように申せば我ながら、よそにはあらず旅人の」で始まる一節になかなか趣深いものがありました。「現とな思い給いそとよ」とわざわざことわって、徐々に自らの正体の核心に触れ、続く地謡の謡で「我頼政が幽霊よ」と正体が明らかになります。「名のりもあえず失せにけり」と謡が止まった後、囃子もないしんと静まりかえった中を静かに退場していくわけですが、後ろ姿に気力の充実が感じられたところです。


中入りではアイの宇治の里人が、頼政挙兵のいきさつや宇治橋の合戦の様を語ります。


里人が帰っていくと、ワキは頼政の幽霊が現れ言葉を交わしたことに感じ、弔いの上で夢で再び遭おうと待謡に謡ってシテの出を待ちます。


後シテは一声で登場し、一ノ松でサシを謡い「あら閻浮恋しや」と現世への執念を明らかにします。
後シテはこの曲専用の面「頼政」に「頼政頭巾」を着け半切に法被で、法体の鎧武者を象徴した姿です。


シテはワキに対して、さらに読経を促し、これに答えて、ワキは源三位頼政の幽霊かと問いかけます。
シテは名乗る前から頼政とわかってしまった事を恥ずかしがるものの、さらに経文を読誦するようワキに頼みます。


ワキは読経の功徳に成仏は間違いないと力づけ、シテの昔語りへと続きます
その昔語りの有様はまた明日に

頼政さらにつづき

シテはまず「これは源三位頼政」とあらためて名乗り、正中の床几にかかって治承年間の以仁王の乱を語り始めます。


シテは床几にかかったまま、宇治川の橋合戦や、平家方の武将、田原の又太郎忠綱の活躍などを語ります。クセでは、平家の軍勢がやってくると伝え聞く中を大和路さして急ぐ中に、宮が六度まで落馬したため平等院に寄ることにしたと語りますが、「平等院にして暫く御座を構えつつ」から「宇治橋の」と一度立ち上がり、「中の間、引き離し」と橋板を引きはがす所作を見せ、再び床几にかかって「白旗を靡かして」とユウケン。


忠綱の先陣争いの段では、自らが忠綱となって仕方に合戦の様子を語り、地謡の「さばかりの大河なれども」で立って扇を左に取り、「喚いて上がれば」と正先へ出て「我ながら踏みもためず」と下がって太刀を抜いて戦いの様を見せます。


この床几にかかったままでの長大な仕方話が、この頼政という曲の白眉ということでしょうね。


シテはさらに頼政の最後に話を進め、扇を敷いて「埋れ木の花咲くこともなかりしに、身のなる果はあわれなりけり」と歌を詠んで自害した様を語ります。
そしてワキに跡を弔ってほしいと頼みつつ扇の芝の草の陰に姿を消したと留になります。
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

鎌腹 山本則俊(金春会定期能)

大藏流 国立能楽堂 2007.10.7
 シテ 山本則俊
  アド 山本則重 若松隆


狂言上下姿のシテの男「太郎」が、鎌をつけた棒を持った女に追われて、誰か止めてくれと逃げながら登場し、後から長上下姿の仲裁人が出てきます。


狂言にしても、やけに騒々しい幕開きですが、男は逃げながら舞台を一回りして一ノ松あたりへ。女はワキ座へ立ち、仲裁人が正中へ進みます。
女は太郎の女房で、太郎が夜泊まり日泊まりして家に帰って来ず、今日はたまたま帰ってきたので山へ薪を取りに行けと言ったが行かないと言う。何の役にも立たないので棒を持って追うのだ、と言いつのります。
則重さんの女房、なかなかに似合っております。


さて女房の話を聞いた仲裁人は、次に太郎の言い分を聞きます。
太郎は夜泊まり日泊まりの訳を言い、さらに山へは行かないという訳ではなく、一休みしてから行こうと思ったのだが、ともかくも棒と鎌を取ってくれれば薪取りに行くと言い、仲裁人はこの太郎の言い分を伝えて女房から棒と鎌を受け取り太郎に渡します。


女房は太郎に対してさらに「早く行け」などと言いつのりますが、仲裁人が「ウチへ入って休め」とこれをなだめつつ、女房・仲裁人が中入りします。
女房と仲裁人は、橋掛りに立っている太郎の前を通り過ぎていく形になりますが、太郎が腰を引いてこれを避ける形がなかなか面白いところ。
山本家の狂言は発声が独特で、台詞も写実的な感じではなく様式的な感が強いのですが、逆にちょっとした所作が妙に写実的で興味深いものだったりしますね。


騒々しい幕開きから一転して、今度はシテ太郎の一人芝居となります。太郎がどうするのか、このつづきはまた明日に

鎌腹のつづき

さて一人になった太郎は「男に生まれ女に討ち殺されるとは近頃残念なことでござる」と言い、討ち殺されるくらいなら自ら死んでしまおうと思い立ちます。


和泉流では、女房が仲裁人に棒と鎌を渡し、これを受け取った太郎がその場で鎌で腹を切ろうとしますが、女房は「切りたいように切りおれ」などと冷たくあしらって、仲裁人とともに中入りしてしまう形になっています。
和泉流の女房の方が一段と恐ろしい感じですね。


さて話は戻って、自ら死んでしまおうと思った太郎は、ちょうどあの先に堀があるので身を投げて死のうとしますが、身を投げておぼれ死んだのでは潔くないと思ったのか、「百姓に似合ったようなけなげな死にようはある」かと再び考え、思いついたのが鎌腹・・・鎌で腹を切って死のうというわけです。


腹を切れば「はらわたががらがらがら、目がくるくるくる」となって簡単に死ねると一人大笑いし、まずは触れてから死のうと「地下の衆も他郷の衆もようお聞きやれ」と大声で鎌腹することを告げますが、誰もやって来る気配がありません。


やむなく正中で腹を切ることにしますが、さて鎌を腹に突き立てたところ、痛い、痛いと大騒ぎ。これでは死ぬどころではありませんね。


そこで今度は首に鎌をかけてエイと引いたならば、首が落ちて簡単に・・・と思いつき、またまた一人で大笑いしします。
早速、今度は鎌首にいたそうとまた触れ直して、鎌を首にあてエイと引こうとしますが、ぐるっと回しただけで刃を首に当てることが出来ません。「とかく臆病じゃによって、鎌が回った」という次第。
さてこのあとどうなるのか、もう一日明日につづきます

鎌腹さらにつづき

鎌首も失敗した太郎、次は鎌を草むらに突き立てておいて、走りかかって鎌の上に転べば良かろうとワキ座近くに鎌を立て、橋掛りを一ノ松あたりまで行ってから、走ってきますが鎌を避けてしまいます。


「目が臆病じゃによって目を塞いでやろう」と、またまた触れ直し、今度は「盲腹の走り腹」などと言って、再び一ノ松あたりから目を塞いで走ってきますが、またもや失敗。


さて冷静になって考えてみると「今から山へ行って木を切り女どもの機嫌を取れば良いことだ」と気付き、気を取り直して山に向かおうとします。


ところがこの時になって、太郎の触れを人づてに聞きつけたらしい女房があわてて登場してきます。
太郎が死ぬのを止めようというわけですが、このため太郎はやむなく腹に鎌を当て「今が最後じゃ」などと死ぬふりをします。


女房は必死で留めますが、太郎がどうしても腹を切るというと、それならば自分は川に身を投げると言います。
これを聞いた太郎、死ぬことは思い止まりますが、女房のいさぎよさに、自分は臆病で死ぬことが出来なかったが、それならば「某の名代に、この鎌で腹を切ってくれさしめ」と無茶苦茶な申し出をし、これを女房が追い込んで留めとなります。


いやなかなかに面白い一番でした。
和泉流は先に書いたように、女房と仲裁人がいるうちに太郎は腹を切ると言い出すわけですが、かまわず女房、仲裁人が退場してしまいます。
一人になった太郎は、鎌腹、走り腹と死のうとしますが果たせず、見物もないのに死ぬのは犬死だと、我慢して柴刈りに行くことにし、女房が登場しないままに留となる形です。高澤祐介さんの熱演が記憶に残っています。
(27分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

芭蕉 金春安明(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2007.10.7
 シテ 金春安明、ワキ 高井松男
  アイ 山本則重
   大鼓 佃良勝、小鼓 大倉源次郎
   笛 一噌庸二


これは難しい曲ですね。
大体が草木の精が主人公という能は、それだけで分かり難いのが普通。それが、この曲では草木の身ながら成仏したいという願いを持っているうえに、さらに舞台設定が中国の楚の国とされているため仏教用語や漢詩がちりばめられていて、謡曲を読んでも分かり難い。


なんでも金春禅竹が中国の怪奇譚をもとに作能したらしいのですが、原話は芭蕉の精が人間に化けて男を誑かそうとする割と下世話な話とか。
それを仏教を基本において、こんな抽象劇にしてしまったのは、まさに禅竹の力量ということなんでしょう。
けれどもこの曲を本当に趣深く演じるのは余程のシテでなければ難しいのではないかと思うところです。


さて舞台はまず名宣リ笛でワキの僧が登場してきます。
この僧、唐土は楚国の小水(観世流では湘水と書きますが)に山住まいしています。法華経僧で日夜法華経を読誦していますが、夜な夜な読経をしていると人の気配がする様子。
今宵こそは何者かと問うてみようと語り、法華経読誦を始めます。
このつづきはまた明日に

銕仙会青山能を観に行く

青山能は二、三年ぶりでしょうか。なにぶん銕仙会定期公演は金曜日、青山能は水曜日が基本なので、うまい具合に出張でもないと、なかなか観ることができません。というわけで、本日はたまたま午後から出張する用事ができまして、久しぶりの青山となったわけです。


銕仙会の青山の研修所は、コンクリート打ち放しの内装で街の雰囲気とマッチした建物。そこにしつらえられた能舞台が、和と洋のコラボ風で良い雰囲気を醸し出しています。これをずいぶん昔に建てた感覚は、極めて斬新と思いますね。
見所は階段状になっていて、ここに座布団を置いて観る形も風情があります。能楽の公演がある舞台で、座布団に座って観るというのは、私はここの他には山本家の杉並能楽堂くらいしか行ったことがありませんが、あとは代々木の能舞台くらいでしょうか。ただ、ちょっと窮屈といえば窮屈ですが・・・


青山能は狂言一番、能一番と終演後に短時間ですが解説があるという構成が基本で、本日のように仕舞などが入ることもあるというところ。この解説がなかなか興味深く、本日は次回の青山能で三輪を舞うことになっている馬野さんが、三輪の装束について説明するらしかったのですが、この後、家まで帰る道のりを考えると・・・というわけで今回は失礼しました。


本日の番組は西村高夫さんの仕舞で道明寺、山本則孝さんのシテで狂言「船渡聟」、そして柴田稔さんシテの「隅田川」という構成でした。
私、なぜか西村さんと清水寛二さんを取り違えておりまして、仕舞が始まって「おや?」っと思った次第。それはさておき大変しっかりした舞でして、仕舞の中にきちんと世界を作っておられたのが印象的
船渡聟は大変面白い狂言なのですが、アドの船頭で出た東次郎さんが、これまた実にいい味を出しておられて、キチンとした芸風の則孝さんとの対比で、面白く拝見しました。
柴田稔さんはブログも書いておられて時々拝見していますし、地謡などでは何度かお見かけしているのですがが、演能は初めて拝見しました。隅田川は趣深い能で、何度観てもその度に感じるところがありますが、やはりホロッとさせられますね。
鑑賞記はいずれそのうち

芭蕉のつづき

僧が法華経の読誦を始めると次第の囃子で前シテが登場。この囃子がまた秋の深さ、淋しさを感じさせるような雰囲気。
無紅唐織着流しの里女ですが、秋の草花をあしらった文様で、左手には緑の葉の付いた小枝を持っての登場です。小面を使って若い女にする演出もあるようですが、ここは中年の女の方が流れとしてはスムーズな感じがしますね。


シテは次第を謡った後、正面を向いてサシから下歌、上歌と山里の秋のさびしさを謡い、下居して手に持った小枝を置き、立ち上がります。
安明さんのぼわーっと謡に入っていく独特の謡い方が、秋風の吹くような不思議な感じを出して曲調にあっているように思います。


秋風の吹く夜、現れた女にワキ僧が声をかけます。女は法華読誦の声に花を捧げて礼をなし、結縁のため草庵に入れてほしいと言います。


僧は結縁は良いとしても、女人を庵室に入れることはできないと一度は断りますが、この小水の地に住む者であり他生の縁もあろうかと、女にさらに求められて庵の中に招じ入れます。


ワキは経典の巻物を広げて読誦の様子。シテは法華経読誦を聞くうちに、女人、草木の類まで悉く成仏とは有り難いと薬草喩品をめぐってワキと語り合いますが、その仏法を解する様子にワキは驚き、シテは芭蕉の精であることを暗示しながら中入りとなります。
このつづきはまた明日に

芭蕉さらにつづき

中入りでは間狂言が雪中の芭蕉について語り、これを受け、ワキは芭蕉の精が女として現れたのだと覚り、待謡を謡って芭蕉の精の再来を待ちます。


一声で後シテの出。長絹に大口の姿は三番目物の草木の精としては一般的な形ですが、萌葱のような色目の大口が芭蕉の精らしい雰囲気を醸し出しています。
「あらものすごの庭の面やな」と、安明さんらしいふわっとした謡でしたが、続く「有り難や妙なる法の数には」からは引き立てて、サラサラと謡う感じです。


現れ出でた後シテにワキが何者かと問い、シテは非情の精、芭蕉が女として現れたのだと語ります。


ワキは何故、芭蕉が女の姿で現れたのかと問いますが、シテは法華経を拠り所にそれは愚問と言い、さらにクリ、サシ、クセとゆったりと舞ながら、法華経の教えを語り、芭蕉葉が嵐にもろくも落ちてしまう身を恥ずかしく思うと語ります。


そして序ノ舞。思ったよりも重くない、草木の精だからかもしれませんが、どこかさらっとしたところを感じさせる舞でした。


最後は茫々と吹く秋風に、花も千草もちりぢりになり、芭蕉が破れて残ったと、留になります。
それにつけてもこの世界は、観る方も難しいし、演じる方も難しいですよねぇ
(122分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

天鼓 盤渉 山井綱雄(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2007.10.7
 シテ 山井綱雄、ワキ 工藤和哉
  アイ 山本則俊
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 古屋潔、笛 槻宅聡


天鼓は好きな能の一つで、よく演じられる能でもあるのですが、このブログでは初登場です。仕舞でもよく演じられるし後場のシテの舞は見所。
前シテは我が子を殺された父親、後シテはその亡くなった子という、同一人物ではない形ですが、不思議なのは後シテになんの恨みの心もないこと。


皇帝の命令で、ということだからなのかもしれませんが、なんだかしっくりしない感じがします。そうしたことからか、前シテも悲しみは示すものの恨みや怒りは見せません。


後場ではまさに天から下った少年の、鼓に戯れ、舞う姿が示されて暗さがありません。話としてはしっくり来ないのですが、これはこの時代の人たちの「帝」に対する感覚と割り切ってしまえば、後場の少年、天鼓の舞姿が実に楽しい能です。
仕舞でも好んで舞われますね。


舞台上には、まず後見によって一畳台と作り物の鞨鼓台とが出され、目付近くに置かれます。下掛りは一畳台も出すんですね。考えてみると下掛りの天鼓は初めて。観世流、宝生流とも正先へ鞨鼓台を出すだけなので、一瞬「あれ!?」と思ったのですが、案外この形も悪くありません。


続いて名宣リ笛で登場してきたワキの勅使は、後漢の皇帝に仕えている臣下と名のります。「王伯の子の天鼓が持っていた天から降り下った鼓を帝が召し上げようとしたが、天鼓が拒んだため呂水に沈められ、鼓は内裏に据えられたものの鼓が鳴らない。このため王伯に打たせよとの勅命により、王伯のもとへ行くところ」と語ります。
このつづきはまた明日に

天鼓のつづき

ワキが着座すると一声で前シテの王伯が登場してきます。無地熨斗目着流しにシケの水衣、唐頭巾の老人の姿。二ノ松あたりで一セイを謡いシオリます。老いの身で我が子を失った悲しみをということですね。


盤渉の小書のためか、この後のサシ、下歌、上歌が省略されて、一ノ松あたりからワキが呼び掛け、天鼓の鼓が鳴らないので参内して打つようにと帝からの宣旨を伝えます。
シテは、子に続いて自らも刑を受けるのか、それも老いの身としては望むところと言いますが。ワキはただ鼓を打てとだけの命であると説明し、王伯を誘って橋掛りを進み舞台へ入ります。
シテの運びは遅く、気持ちが沈む感じがします。


ワキはワキ座に、シテは常座に立ち、内裏に着いたという設定になりますが、シテはあらためて「勅諚なのでこれまでは来たものの、このまま許してほしい」と申し出ます。が、ワキは、ともかく鼓を打つようにと求め、シテは正中に下居します。
クリからクセへと子を失った悲しみを語る風ですが、クセも居グセで、シテはじっと座したまま。これが余計にシテの心情を際だたせるような感じがします。


ロンギになり「打つや打たずや老波の」で立ち上がり、シテは常座に向かいます。「老の歩も足弱く」と一畳台に上り、鼓に寄って二度打つと鼓が鳴り、帝もこれに感じて涙を流したとの謡のうちに、シテは下がって正中で安座しモロシオリします。


鼓が鳴ったことに、帝は数々の宝を下されることになり、さらに天鼓を管弦講で弔うとの勅が出されます。とは言え、帝は登場せずすべて勅使のワキが語る言葉でこうしたことが明らかにされるというところが、能の能らしいところですね。


シテはこの勅にありがたいと家に帰ることにし、アイがこれを送って中入り
このつづきはまた明日に

天鼓さらにつづき

アイはシテを幕まで送り込むと、常座に戻ってこれまでの経緯を語り、ワキに報告。さらにワキに命じられて、管弦講の役者に参るようにと触れをして下がります。


ワキの謡で管弦講が行われる様が謡われると、一声で後シテの出になります。
シテは黒頭の童子姿、半切に唐織壺折のきらびやかな衣装です。
後シテはサラサラとした謡で、前場の老人との対比が感じられるところ。前場は老人の悲しみを強調したゆっくりとした展開で、中入りまでで55分かかっていますが、それだけにこの変化で、余計に後場の明るさが強調される感じがします。


登場したシテは管弦講の弔いにより浮かばれたと喜び、さらに鼓を打てと勅使の命を受けて鞨鼓台に寄って打つ形。「うれしやさては勅諚ぞり、夕日かがやく玉座のあたり」とシテは一畳台に上り、手に持った唐扇を置いて撥を取り「同じく打つなり天の鼓」と大鼓、小鼓に合わせるように、三つほど鼓を打つ形を見せます。


地謡のうちに撥を置き、一畳台の後の端の方に立って答拝から楽へと入ります。


天鼓の楽は通常は太鼓が入りませんが、盤渉の小書のため太鼓が入り、さらに調子も盤渉に上がって晴れやかな感じ。
ああ、山井さんの舞はいつ見ても本当に優雅だなあと、しみじみ思った次第です。


楽を舞い上げると、仕舞でも良く取り上げられるキリの部分。「面白や時もげに」から中ノリの歯切れの良い詞章に、シテは舞い、戯れ、幻とこそなりにけれで立って留拍子をふみます。
(95分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

三輪 神遊 粟谷明生(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2007.10.14
 シテ 粟谷明生、ワキ 宝生欣哉
  アイ 野村萬
   大鼓 柿原弘和、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 槻宅聡


あれぇ? 三輪も鑑賞記を書いていませんでしたねえ。
このブログ、書き出したのが昨年三月、確かに続けて何番か三輪を観たのはその前の年でした。
というわけで先日の粟谷能の会、まずは三輪ですが、今回は神遊の小書がついて大変重い扱い、期待の高まるところです。観世流の誓納や白式神神楽、金春流の三光、金剛流の神道といった小書も、この喜多流の神遊と同様に、神話的な要素を強調した重い小書なんだそうです。
浅井文義さんのシテで見た、白式神神楽はなかなか良かった記憶があります。


ですが今回は、三輪という曲、あるいは小書がどうこうという前に、ともかく粟谷明生さんの能を観ようというのがスタートであります。
今回の粟谷能の会は、昨年他界された粟谷菊生師の一周忌追善ということで、明生さんの三輪と能夫さんの石橋という、素敵な番組。


この昂奮は当日、いささか書いておきましたが、ともかく黒塚、盛久と、明生さんの見事な能を堪能しておりまして、今回の三輪もまた期待の高まるところ。


さて舞台の方は宮の作り物に引廻しをかけ、正面左右の上端に杉の葉をつけて杉の神木としたものを据えます。
それからの能の展開は明日につづきます

三輪のつづき

まず名宣リ笛でワキの玄賓僧都が登場します。
欣哉さんのワキ、国立能楽堂の長い橋掛りをゆったりとした運びで進みます。槻宅さんの笛が、これに合わせてゆっくりと趣深く吹かれて、情趣が増す感じ。


常座まで出ると「毎日、樒と閼伽の水を供えに来る不思議な女がいるので、今日もやって来たなら名を尋ねよう」と言ってワキ座に着座します。
この日は、申し込んだときに既にあまり空きが無くて最前列の席を取ったのですが、ちょうど常座が目付柱の陰になって見えないことに、この時気付きました・・・


次第で前シテの出。小鼓の源次郎さんの掛け声が重く深く、味わいがあります。
里の女ですが無紅唐織着流、なんとなく寂しげに見える面、右手には数珠、左手に小枝を持っての登場です。唐織はこの季節らしく秋の草花の文様。
次第からサシを謡った後、三輪に住む女と名のって、ワキの僧都のもとへ近づいていきます。


上掛りではワキが一人秋深き中に心境を謡い、そこにシテが案内を乞いますが、下掛りではまずシテが「いかにこの内に案内申し候」と声をかけ、その後にワキが謡って、さらにシテが案内を乞う形になっています。ここは上掛りの本の方がスッキリしている感じがします。
さて庵の内外での問答の後、地謡の「柴の編戸を押し開き」に、シテは左手で戸を開く形から庵に入って正中に小枝を置き、下居して「罪を助けてたび給へ」と地謡に合わせてワキに向かって合掌します。
「下樋の水音も」とほんの少し面を伏せる風から「苔に聞こえて静かなるこの山住まいぞ淋しき」と気持ち面を上げる風へ、微妙な所作が風情あります。


シテは「罪を助けて」と言ったものの、その罪が何かを明かさないままに、ワキに衣を所望します。
妙な話ではあるのですが、ワキは快くシテの望みに応じて衣を渡し、シテは衣を両手に受け取ると、さらばお暇申し候わん、と立ち上がって常座へ行きかかります。
このつづきはまた明日に

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