能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

三輪さらにつづき

シテが作り物の前を過ぎかけたあたりでワキが声をかけ、住処を尋ねるのですが、シテは「妾が住家は三輪の里」と言い「なほも不審に思し召さば。訪ひ来ませ」と謡って、地謡のうちに作り物に中入りとなります。


ここで後見が先ほどのワキの衣を作り物の引廻しの正面に掛けます。これが後へつながる鍵という次第。


アイの三輪の里人が狂言座から立ち上がり、一ノ松で名乗り、三輪の明神へ参詣すると述べて舞台へ入ります。舞台を廻り三輪明神への道すがら、明神のことを語りますが「いや独り言を申すうちに、早御前にて候」と目付あたりに座して作り物の神木に向かって礼拝する形となります。
すると「やら奇特やご神木の二本の杉の一の枝に衣の掛かりて候」と杉の神木に僧都の衣がかかっているのを見つけます。早速に僧都のもとに向かい衣についての問答になります。その後アイはワキに参詣を勧めて退場しますが、アイの語りの中に「伊勢の天照大神と三輪の大神は一体分身」とあって、三輪明神が女の姿でも変ではないことが断られます。天照大神と三輪明神が一体分身というのはキリの地謡にもありますが、アイの語りで先に提示しておくということでしょうか。


さてワキは立ち上がって庵を出、三輪に向かいます。作り物のところまでやって来ると目を止めて、掛かっている衣を見ますが、褄にはなにやら書いてある様子で、よく見てみると「三つの輪は清く浄きぞ唐衣。くると思ふな。取ると思はじ」と歌が記されています。
ここで後シテが作り物の中から謡い出します。引き立てた謡で前場との違いが声にも示されている感じ。シテ、ワキの掛け合いとなり、ワキはシテに姿を現すように求めます。
地謡の「女姿と三輪の神」で後見が引廻しに手をかけ「着すなる烏帽子狩衣」で外し始めて「御影あらたに見え給う」で引廻しが落とされ、後シテが姿を現します。
緋の大口に、白の狩衣を衣紋附けというのでしょうね、襟を狩衣の芯の入った丸い襟ではなく普通に合わせる形につけて、金の烏帽子。大変キレイです。
さてこのつづきはもう一日明日に

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三輪さらにさらにつづき

後シテが登場すると、地謡のクリから、シテのサシ、地謡が続けてさらにクセへと、三輪の神婚説話がかたられます。常の形では引廻しが下ろされるとシテは正中へ進み、クセは舞グセになりますが、神遊の小書のためシテは作り物の中で床几にかかったまま謡が進み、クセの後半「懇ろに語れば」で立ち上がり舞い始める形です。


三輪の大神はご存知の通り男神で、人の姿となって通い婚をしていたわけですが、この曲のシテは女神としています。前々から書いている通り、神が男であるのか女であるのかは、実は微妙な差なのかもしれません。


さらにロンギから天照大神の岩戸隠れの神事をテーマにシテの神楽へと続いていきます。「八百万の神遊、これぞ神楽のはじめなる」と常座へ向かい、正へ向き直って下居し、答拝して扇を捧げる形で「千早振る」と謡って神楽になります。
通常は扇を懐中にして幣を手に神楽を舞いますが、小書のためか扇のままで舞う形。実に綺麗な舞です。


神楽を舞い上げるとワカ「天の岩戸を引き立てて」と謡いながら、角で扇を左手に取り、岩戸を開くように扇を使って作り物に寄り、角へ戻って扇で面を隠して舞台を廻り目付で作り物を向いて下居。「神楽を奏して」と扇を打合せ、立って作り物に入って正面を向き、両手を上げて開く形。さらに「日月光り輝けば」と正先へすすっと出て「人の面白々とみゆる」から破ノ舞となります。


小書のための特殊演出で、通常はここに舞はありませんが、この破ノ舞の途中で橋掛りへ入って幕前まで進んだ後、二ノ松あたりまで戻って左右を崩した流すような型を見せたり、翁のように口元を扇で隠して左袖を被きそのまま舞台へ戻るなど、通常は見られない型が続きます。
これが実に神々しく、ふと西行ではありませんが「かたじけなさに涙こぼれる」と、感動した次第です。


最後は伊勢の神と三輪の神は一体分身であると述べて常座で留拍子を踏んで終曲。いやあ良い能を拝見しました。
(93分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

見物左衛門 野村萬(粟谷能の会)

和泉流 国立能楽堂 2007.10.14
 シテ 野村萬


見物左衛門は先日万之介さんのシテで拝見しましたが、本日は萬さんのシテ。ご兄弟でもあり基本的な形は変わりませんが、そこはそれ表現の仕方も変わりますし、見た後の印象は思いのほか違います。


話の筋は万之介さんの鑑賞記にも記したとおりで、まずは笠を被り括り袴姿の見物左衛門が登場、常座で笠を外して名乗ります。五月五日の賀茂の競べ馬、伏見深草祭を見物に行こうということで、連れにぐづろ左衛門を誘いに行くものの既に出掛けたとの返事。


やむなく一人行こうとすると、途中で福右衛門に逢い、これを誘おうとしますが断られる始末。
祭の刻限に早いと聞いて、九条の古御所の見物をすることにして、厩から御殿へと見て回って感心する様など、一人芝居が続きます。


萬さんらしい、実に表現の豊かな演技で、馬を見る様子、御殿の押し絵に感心する様子など、観ている方も引き込まれるような感じがします。


祭の行列に出る馬子達の装束が出来たというので出て行くと、柿ノ本の渋ヌリ右衛門(たぶんそう言っているのではないかと思うのですが)の乗りようがおかしい、落馬せねば良いが、などと言っているうちに見事に馬から落ちた、と、これまた一人芝居で見せるとことが秀逸。上手いなあ・・・


人だかりに行ってみると相撲を取っているので、見物に割り込んでいくうちに、礫を投げてきた男と相撲を取る羽目になります。
一番目は見事に相手を投げて勝ちます。万之介さんの時は、二番目を取って投げられ、したたかに腰を打って痛がった後「また来年もまいろう」と留めになりましたが、今回の萬さんは二番目に負けた後、「もう一番とろう」と相手の男を追い「やるまいぞ」と追い込む形で留めました。
この最後の留めの形はもともと両方あるようで、どちらにするかは演者の好みというところでしょうか。


ところでDVDの能楽名演集に第二シリーズが出て、最初のシリーズには狂言が入っていませんでしたが、今度のシリーズには狂言もあり、この見物左衛門も1974年の録画で六世野村万蔵さんの演技が収められています。後見が野村万之丞、そう現在の萬さんですね。
(19分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

石橋 粟谷能夫(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2007.10.14
 シテ 粟谷能夫、ワキ 森常好
  アイ 野村万蔵 野村扇丞 山下浩一郎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 金春國和、笛 一噌幸弘


今年四度目の石橋。今回は小書がありませんが、なんと言っても粟谷能夫さんの石橋ですし、さらにアイが三人の仙人が出てきて大騒ぎするという替の形。
通常はアイの出ない宝生流でも、田崎隆三さんのシテで、このアイの形での上演があったそうですが、私としてはこの形は初めてなので興味深く拝見しました。


さて一同着座すると、まず牡丹の花をつけた一畳台が運ばれてきます。
前後で間狂言のある形の時は、前場が終わってから一畳台が出されるのが普通ですが、最初に出す場合もあるということで、今回はこの形。


一畳台は正先、正面を少し左に外した形で赤の花を左端につけた一畳台が置かれ、それに接するように奥に並べて白花を右端につけた一畳台が置かれます。流儀によって、小書によって、一畳台の置き方は様々ですが、今回の形は私の座った正面目付柱寄りの方向から見ると、赤花と白花が重なり、その中に獅子が紛れ舞うような感じになり、これはこれでなかなか趣あるものでした。


さてワキの森常好さんが名宣リ笛で堂々と登場して大小前に進み、名乗りの後は地謡の前にやや正面を向いて着座し、シテの出、一声の囃子が始まります。
前シテは童子ですが、一ノ松で一セイ「松風の花を薪に折り添えて雪をも運ぶ山路かな」を謡うと、サシから下歌、上歌を省略して、ワキが声をかけます。替え間のために省略されたのかどうか不明ですが、ワキの問いかけにシテが答えて問答が続きます。
このつづきはまた明日に

石橋のつづき

ワキは石橋を渡ろうとしますが「暫く候」とシテがこれを止め、石橋を渡る難しさを語りながら橋掛りを進んで、常座に立ちます。地謡の「上の空なる石の橋」はふわーっと入ってきた感じですが、全体として大変ゆっくりとした謡。石橋の前場らしい重々しい雰囲気です。


ワキが橋の謂われをさらに詳しく語るように求め、シテは「語って聞かせ申そうずるにて候」と床几にかかります。このシテの一句は観世、宝生にはありませんね。


この後、クリ、サシ、クセと石橋の由来、その様が謡われますがシテは床几にかかったまま謡だけで進行する形。「向かいは文殊の浄土にて」で立って、送り笛で中入りします。確か、太鼓が観世流の時は来序を打たないのだそうで、送り笛または囃子無しでの中入りとなるようです。もっとも宝生流では前場がツレのせいなのか、観世流の太鼓も宝生流の石橋のときは来序、乱序と打つとか。


さて中入りの後、ゆっくりと幕が上がって仙人が謡いながら登場してきます。来序が無いので狂言来序も無いということですね。老人の面をつけた万蔵さんが、瓢箪をつけた短い杖のようなものを肩に担いで橋掛りを進み、常座まで謡って到着すると名乗りとなります。日本から大江定基出家して寂昭法師がやって来たので話をしようと出てきたという訳です。


さらに橋掛りへ向かい幕に呼び掛けると、面をつけたアドアイの仙人が二人登場してきます。立ち位置が入れ替わって二名が先に舞台に入りアドアイは地謡の前に立ち、オモアイは常座での語りとなります。
寂昭法師が文殊浄土を目指していると、大聖文殊が「山がつ」となって現れ石橋を渡る難しさを説いて寂昭を思い止まらせたが、その心中を察して獅子団乱旋(シシトラデン)の舞楽を見せようと思い、見物に出でよと仙人達にも呼び掛けたという次第を語ります。


三人は何かと話ながら舞台を廻り、常座、正中、地ノ頭と三人が広がって、舞楽まで時間があるので酒を飲もうという算段になります。
このつづきはまた明日に

石橋さらにつづき

三人は酒を飲み「ちと謡おうか」と謡ってまた酒。肴に一指し舞えということで、舞っては酒。代わって別の仙人が舞い、また酒。と酒宴が続きます。


オモアイが舞う段になり、瓢箪の舞を舞い終えると「獅子が出るというか」と、獅子の出が告げられた様子を見せ、舞楽は見たいものの足が立たないほどに酔っていて怪我をしても仕方がないので、ここは帰ろうと、三人で謡い舞いながら退場となります。


にぎやかな間狂言が退場すると、直ぐに乱序となり太鼓方はやや幕の方へ向いた形で激しい序奏となります。すぐさま幕が巻き上げられて、獅子の下半身のみが見せられます。
太鼓方が正面に向き直って露の手。
緊張感が高まり、大鼓と笛が加わっての囃子の内にいったん下ろした幕が勢いよく上げられて、後シテの登場となります。


幕前で型を見せ、一ノ松まで進んで所作があり、そこから舞台中央に進んで獅子の舞になります。
一畳台が接して置かれていることもあるのか、余り派手な型ではありませんが、獅子らしい豪放さを感じさせる舞。一噌幸弘さんの笛が印象的でした。


最後は小廻りしつつ大小前に下がり、両手を半切りに添えて少し持ち上げる形にしての飛び安座。残る囃子で留めになりました。


実は噂に聞いてはいたのですが、喜多流の獅子は赤頭の毛がカールしています。話に聞いたときはちょっと驚いたのですが、実際に見てみるとこれはこれなりで、そんな変な印象ではありません。
むしろ日本画の獅子やライオンのたてがみを想像すると、真っ直ぐ長い赤頭よりも雰囲気が近いかも知れませんね。
(74分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

船渡聟 山本則孝(銕仙会青山能)

大藏流 銕仙会能楽研修所 2007.10.24
 シテ 山本則孝
  アド 山本則直 遠藤博義 山本東次郎


この狂言、大藏流と和泉流ではかなり構成が違います。
シテは両流とも聟で、婿入りの挨拶にと酒樽を持って登場しますが、この酒を船頭に求められて空けてしまうという基本は一緒です。しかし和泉流では、無理にと酒を呑んだ船頭が実は婿入り先の舅だったという設定のため、ことが露見したあとの舅の恐縮振りをめぐるおかしさが主眼となります。一方大藏流では、船頭に求められたというものの、自らも酒を呑んでしまった聟が、舅に空樽を差し出し、これが分かってしまったために逃げ込むという形で、聟の方にフォーカスがあたる感じです。


もっとも大藏流の場合も船頭の占める位置は重要で、なんとか聟に酒樽を開けさせようと様々に迫ったり、聟と船中で酒盛りになったりと、一曲の中でこの船頭と聟とのやり取りが占める割合は、かなり大きくなっています。
和泉流では、舅が実は酒を呑んでしまった船頭であると判明してからのおかしさが主眼ですから、聟が婚家を尋ねてからの場面の占める割合が、時間的にもずっと大きくなっていますね。


さて、この日は大藏流ですので、まずはアドの舅と太郎冠者が舞台に登場してきます。
則直さんの舅は長上下。「本日は日が良く聟が来ることになっているので掃除などを言い付けよう」と、太郎冠者を呼び出します。
呼ばれて出てきた遠藤さんの太郎冠者と、聟が来るというやり取りをした後、二人は笛座前に座して、場面は渡し場へと変わります。
この続きはまた明日に

船渡聟のつづき

烏帽子をつけ、掛素袍姿のシテ聟が小振りの蔓桶を持って登場してきます。続いて登場してきたアドの船頭はそのままワキ座へ着座しますが、一方のシテは常座で「最上吉日なので婿入りする」旨を述べて舞台を廻り、橋掛りへ入って一ノ松あたりへ。


渡しに着いたのですが、船頭が見あたりません。遠く見やると船頭が居る様子なので「ホーイホーイ」とワキ座の方へ向けて船を呼びます。
呼ばれた船頭も立ち上がり、客が来たとみて「ホーイホーイ」と呼びながら棹を取り、船を漕ぐ様を見せながらシテに寄せていきます。
東次郎さんの船頭、上手いなあ。乗り手がやって来たので船を寄せてやろうと、いささか勢いが付いた感じで棹を動かし、漕ぎ寄せる感じでワキ座から大小前へと下がります。
一方の聟は常座から大小前へ進み、二人が出会う感じになりますが、舞台が立体的に広がる感じです。


シテの聟は、船に廻りながら飛んで乗り込む感じで船頭の前に座します。
船頭は「このあたりでは見慣れぬお方」などと声をかけ、それにつけても立派な身なりをしているのに、何故自分で荷物を持っているのか、などと尋ねます。
聟は本当は使用人が居ないのですが、見栄を張るのか「人はあまた使うも、方々へ差し遣わした」うえ、留守居も必要なので自ら持っているなどと答えますが、さてその荷物が酒樽であることに目をつけた船頭、「今日は何と寒いことではござらぬか」と船を漕ぎながら聟になぞを掛けます。


ちと願いがござると、船頭は聟に酒を所望しますが、当然のことながら聟は断ります。どうしても駄目かと何度か迫っても、聟が断ると不満げな返事をした船頭は「寒さに手が凍えて漕げませぬ」と棹を落として、座り込んでしまいます。
聟は左右へ体を揺らし、船が流されて揺れる様。船頭は酒を呑めば体が温まって漕げるようになると、重ねて所望し、とうとう聟が酒樽を開けることになります。
このつづきはまた明日に

船渡聟さらにつづき

一杯呑んだ船頭に、どんな味だったかと聟が尋ねますが、ただ胸のあたりがヒィヤリとしただけで味が分からなかったので、もう一杯と船頭は重ねて所望。このあたりのやりとりは、山本則俊さんのシテで観た素袍落の太郎冠者と良く似ています。
結局、二杯目を注ぐことになり、この船頭の呑み振りに、酒好きなのか聟も呑みたくなってしまい、結局は二人して船中で酒盛り。謡ったり、舞ったりの騒ぎの末に、とうとう酒樽は空になってしまいます。
東次郎さんの船頭が何とも言えず良い味。川面を見やる風情で謡い出すあたりは見事。


ともかく船を岸に着け、船頭は帰りにも乗るようにと聟を誘い、聟もそうしようなどと答えます。和泉流では一方的に船頭が酒を呑んでしまい、腹を立てている聟は、船頭が帰りも乗るように誘うものの「のりとうおりない」と断ります。


聟は空樽を持ち、船頭には酒を詰め直して行くようにと勧められたものの、酔った勢いか「直ぐには開けないだろう」などと、そのまま婿入り先を尋ねます。


太郎冠者が立って応対をし、聟を招き入れて舅との対面となります。
舅はお祝いだからと、早速お持たせの酒樽を開けるように太郎冠者に命じます。慌てた聟は、いや今日はこの家の酒を戴きたいと言い張りますが、舅に急かされた太郎冠者が橋掛りで樽を振ってみると空ということに気付きます。


「これはモノでござる」と太郎冠者が言い、空の酒樽を転がしますが、これを恥じた聟は「面目ない」と逃げ入ります。
この逃げる聟を「苦しうないことでござる、まず待たせられい」と舅が言い、太郎冠者共々に逃げる聟を追いかけての留め。
いや、なかなかに面白い一番でした。
(30分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

隅田川 柴田稔(銕仙会青山能)

観世流 銕仙会能楽研修所 2007.10.24
 シテ 柴田稔、子方 後藤真琴
  ワキ 宝生欣哉、ワキツレ 大日向寛
   大鼓 國川純、小鼓 大倉源次郎
   笛 内潟慶三


隅田川は大変有名な曲ですが、私自身にとっても、国語の教科書に載っていたこの隅田川が、謡曲、さらには能への感心を持つきっかけとなった、記念すべき曲でもあります。
何度か観ていますが、能の構成としても良くできた曲で、観世十郎元雅の傑作ですね。もっとも子方を出すか出さないかで、世阿弥と元雅の間に意見の違いがあったようで、世阿弥は子方を出すべきでないとの主張だったようです。
そうしたことからか、子方を出さない演出もありますが、確かに子方によって雰囲気が盛り上がる場合と、崩されてしまう場合とあり、子方を出さないという形にも一理あるように思います。


さて舞台は一同着座すると、後見が塚の作り物を持ち出してきます。通常の塚に比べるといささか小ぶりな感じ。この日の後見は山本順之さんと西村高夫さんでしたが、塚は西村さんと鵜澤久さんが持って出ました。・・・鵜澤久さんの能もしばらく観てませんね。確か安達ヶ原以来。それはさておき、塚が大小前に据え付けられると名宣リ笛でワキの出となります。


ワキは宝生欣哉さん、常座で隅田川の渡し守である旨を名のり、一人二人では渡さず人を待って舟を出そうと述べて、地ノ頭あたりに着座します。
囃子方が次第を奏し、ワキツレの男が登場してきます。常座で次第を謡った後、正面を向いて名のりますが、観世の本だと大口に掛け素袍、笠を被った都の者で、東国に知る人のあって下るところとなっているのですが、下掛り宝生だと東国方の商人で都で商いを終えて東国に戻るところという設定。大日向さん長上下での登場でした。
道行で隅田川の渡しまでやってきたと謡い、角へ出てワキに如何に舟頭殿と呼び掛けます
この続きはまた明日に

隅田川のつづき

ワキツレは舟に乗せてくれるように頼みますが、これを受けたワキは、幕の方を見やる風にて、なんだか騒ぎがあるようだが何だろうと商人に問いかけます。
ワキツレは、都から女物狂が下ってきたので、その狂う様を皆が見て騒いでいると答え、ワキは「それではその女物狂を待ってから船を出そう」と述べて、ワキツレがワキ座に控えます。


囃子は一声。シテの出になります。無紅縫箔腰巻に浅葱の水衣、女笠を被り笹を持って狂女の態です。「子を思ふ道に迷う」のあたりの謡は思いが入ったところ。「聞くや如何に」と肩に担いだ笹を下ろして舞台に進み常座に立って、地謡の「松に音する習いあり」からカケリになります。


舞台を廻り狂態を見せた後、「都北白河に年経て住める女なるが、思わざる外に一人子を人商人に誘われて」と自らの身の上を謡い、隅田川までやって来たと、常座でワキに向く形になります。


シテはワキに船に乗せてくれと呼び掛け、立ち上がったワキは「面白く狂うて見せ候へ。狂はずはこの舟には乗せまじいぞとよ」と、シテに狂って見せるように求めます。
これに答えてのシテ、ワキの問答から地謡へと繋がっていく一連の部分は大変好きなところで、昨日も書いたとおり、このあたりの詞章の展開は、私が謡曲、能楽に興味を持つきっかけともなったところです。
伊勢物語九段の東下りを下地に置いているわけですが、これを当然の前提として白い鳥を鴎と教えた舟頭をなじり、都鳥の名を引き出して「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」の歌を「我もまたいざ言問はん都鳥、我が思子は東路に」と、恋人を思う歌を、子を思う気持ちへと展開していきます。


この上歌の終わり「さりとては渡守、舟こぞりて狭くとも、乗せさせ給へ渡守、さりとては乗せてたび給へ」と正中へ下居して合掌し、笹で舞台を叩いてワキへ迫るところは見せ場となっています。
このシテの態にワキは舟に誘い、シテが正先でやや目付の方を見る形で座し右隣にワキツレが座す形で、後に舟頭が立って舟が出発することになります。ワキツレとシテが横に並ぶ形に近いのですが、シテが前で斜め後にワキツレと縦に並ぶ形の方がよく見かけるような気がします。
ともかく、このつづきはまた明日に

隅田川さらにつづき

さて舟を出すと、ワキツレが向こうに人が集まっている謂われを問い、これにワキが答えての語になります。
「さても去年三月十五日、や、しかも今日にて候ひしよ」この「や」の一声が、趣深いところ。観世の謡本にはこの「や」は無く下掛り宝生の型ですが、欣哉さんの謡、実に趣深く語られたところです。
都より拐かされてきた十二歳になる子が、ちょうど一年前のこの日に、この地で亡くなったために、この地の者が念仏して弔っているのだという話をしみじみと語ります。


シテはこの語をじっと聞き、やがてシオって泣く姿を見せます。ワキが語り終えるとワキツレは「今日はここに留まって念仏しよう」と舟を下りる風にワキ座へ着し、ワキはシテに問いかけます。
シテ、ワキの問答となり、ここでその子がシテの探していた子であることが明らかになります。


ワキの勧めでシテも鉦を叩き念仏に加わりますが、その念仏の内に子供の声が混じります。塚の内から子方が謡いますが、さらにシテが塚に向かって下居して念仏すると、子方が姿を現します。
シテは子方に手を触れようとしますが、子方は塚の中に戻り「我が子と見えしは塚の上の草茫々として」いるのみ。静かに留めとなります。


ワキの語りの部分もこの曲の白眉。もう何十年も前の事になってしまいましたが、初めてこの曲を同じ観世流の津村禮次郎先生のシテで観たときに、このワキの語りの内に、少しずつ、ほんの少しずつ、目付を向いていたシテが正面に向かって向きを変えるように演出されて、それがワキの語りに我が子のことかと思いを募らせるシテの心情を表すようで、深く心に響いたことを記憶しています。


あの頃観た能は、ほとんど記憶の彼方になってしまいましたが、あの一番は今も強い印象が残っています。津村先生がまだ三十代の若手だった頃。ワキは欣哉さんのお祖父様、宝生弥一さん、ワキツレが閑さんだったのではないかと思うのですが、このあたりは怪しくなってしまいました。ああ、何かに書いておけば良かったと思うのですが、その反省が今、こうしたブログを書くきっかけにもなっています・・・
(74分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

察化と咲嘩、口真似

大藏流では察化、和泉流では咲嘩と書くわけですが、表記だけでなく微妙なところで違いがありますね。ただし、狂言の場合は能と違って流儀の違いばかりでなく、演ずる家での違いが大変大きいので、一般論では言いにくいところです。
今回は、このブログに鑑賞記を書いた大藏流山本則直さんの察化と、和泉流野村万作さんの咲嘩、そして良く似た口真似は大藏流大藏彌太郎さんと和泉流は野村万之介さんのものを材料に、このあたりの違いを書いてみようかと思います。

狂言は、古くは現代の声帯模写のような感じで、何か面白そうな物真似を見せて笑わせていた芸能だったようです。そう言う意味では「さっか」も、口真似の部分、要するに使用人が主人の口真似をして客を翻弄するところを見せて笑いを取るというのが、もともとの形だったのでしょう。
それにもっともらしい前置きなどがついて、狂言として整理されてきたのだろうと思いますが、もっともらしいと言いながらも、どうして太郎冠者が主人の口真似をしつこくし続けるのか、このあたりの説明は頭を使うところ。

口真似では台本上このあたりの説明が今ひとつ上手くできていない感じで、なんだか妙な話だなあ、という印象です。
「さっか」では、さっかの相手をしているように言われた太郎冠者が、とんちんかんな話をして主人に恥をかかせるので、主人が口真似を命ずることになり、ずっと話が整理されています。
とは言っても、どう考えてもおかしな口真似をし続ける理不尽さをどうするのか。

則直さんの察化では、せっかく察化の相手をしているのに主人に度々注意され、そのうえ裁量で話をすると恥をかくから口真似をせよ、と言われて、太郎冠者が腹を立てたという感じに整理していました。
主人に口真似を命じられての太郎冠者の返事が、いかにも憤懣やるかたないといった風に聞こえたところ。

では万作さんは、ということで、このつづきはまた明日に

察化と咲嘩、口真似の話のつづき

一方、万作さんの咲嘩では、太郎冠者がそもそもおかしな人物だという色彩が濃い感じがしました。
たしかに伯父の家も顔も知らずに都へ上り、物売りのように伯父の家はどこかと呼ばわって歩くなどというのは、ずいぶんととんちんかんな人物ではありますが、万作さんの咲嘩では、さらに主人から「あれはみごいのさっかという大盗人」と聞かされると、当の咲嘩に「汝はみごいのさっかという盗人だそうな」とか「後が面倒なので振る舞いをして返すことにした」などと、ぺらぺらとしゃべってしまう形になっています。

その後も咲嘩の相手をしながら、鶯をぐいすと言ったりするのは則直さんの場合と同じではあるのですが、咲嘩自身に「みごいのさっかという盗人」などと言ってしまう場面が入ることで、その後のやり取りも太郎冠者の妙な人物振りが強調されるように思います。

そのため、口真似をするようにと主人に命じられたところでは、特別に腹を立てたという演じ方はされなかったように思います。
ちょっとした場面のありなしと、演じ方の違いで、人物設定が随分と変わってしまうものと感じました。

口真似でも、万之介さんの太郎冠者は妙な人物として描かれていた感じでしたが、彌太郎さんの太郎冠者は、連れてきた男を追い返せという主人に「それでは後日会ったときに言葉がまずかろう」ととりなす常識人振りを見せます。
このため、主人は太郎冠者を「腰の高い者」だから勝手なことをしゃべらないように口真似をせよと命じ、太郎冠者が不満一杯の雰囲気で「あー」と返事をする演出でした。

こうして比較してみると、なかなかに面白いものです。

なお和泉流の「さっか」では、主人が太郎冠者に「あれはみごいのさっか」という大盗人で「世の常の盗人は、人の目顔を忍うで取る。きゃつは見た物は乞うてでも取るようなものじゃによって見乞い、咲嘩とは盗人の異名」と教えます。

この後段の「世の常の盗人は」からは、大藏流にはありません。
とは言え「咲嘩とは盗人の異名」というのも、どうも聞いたことのない話です。大藏流山本則直さんの察化について書いた際には、「さっか」は「目」の訓という話を書きました。四等官の「さかん」の読みが転じたという説です。

そうだとすると、「見乞い」だから「目(さっか)」となるのでしょうけれど、さてどうなのでしょうか。

謡の話・・・ツヨ吟とヨワ吟

久しぶりに能狂言のイロハ的な話を書いてみようと思っています。
今回は併せて、このブログを始めた頃に書いたものを含めて、能楽の知識といったテーマの記事をへのリンクを作りました。少しずつ充実させていこうと思っていますのでよろしくお願いします。


さて本日は謡についてということで、以前に「拍合と拍不合」、「平ノリ、中ノリ、大ノリ」などの話を書きましたが、この続きとして、まずツヨ吟とヨワ吟という話を書いてみようと思います。


能の謡には元々は現在のヨワ吟に相当するものしかなく、元禄頃になってツヨ吟のような謡方が出来てきたといわれています。ヨワ吟は上・中・下の三音を基本として、それぞれが西洋音楽でいう4度の幅になっています。ただし相対的な音階なので「上音ってハ長調でいえば何?」と聞かれても答えようがありません。私は「普通に張って出した声が上」と習いましたが、大体そんな感じですかね。


この上・中・下に加えて、上の上ににクリ音、下の下に呂音があり、また上と中の間に「中のウキ」、上とクリの間に「上のウキ」がある、とまあこんな形になっています。
さらに宝生流ではクリの上に甲グリ(カングリ)という音があるのですが、観世流ではヨワ吟には甲グリがなく「昔はあったが宝生に置いてきた」とかなんという話を聞いたことがあります。
ヨワ吟と書きましたが弱吟の意味ですね。金春流では和吟というようで、喜多流も謡本の表記に「和」とありますので和吟というのかもしれません。


一方のツヨ吟、強吟あるいは剛吟とも書かれますが、こちらは単に音階が違うだけではなく、発声そのものから違います。しかも現在の音階が固まってきたのは江戸末期かららしく、流儀によっての違いも少なくありません。
観世流では一応、ヨワ吟の上音と中音が一緒になって、下音と二つが基本と習いますし、実際、ある程度音階を追いかけることも可能ですが、他流だとそもそも音階という考え方が馴染まないという流儀もあります。


このツヨ吟とヨワ吟を曲によって、部分によって使い分けることで、謡に深みを出しています。それともう一つ、ヨワ吟の拍不合の謡では「サシ調音階」という特別な謡い方がされますが、このあたりは実際に聞いて頂くのが一番ですね。


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謡の話・・・上歌、一声

謡の話をつづけようと思います。
謡本をご覧になると分かるのですが、上歌(アゲウタ)とか下歌(サゲウタ)、あるいはクリ、サシなどといった表記が書かれています。これは一曲のうちのある部分に付けられた名前、形式なのですが、これまでの鑑賞記の中では特にことわり無く、こうした名称を用いてきました。
これらについて、どんなことなのか最低限のところを書いておこうというのが今回の趣旨です。


これらの部分は、概ね出てくる順番が決まっているので、その順に書こうかとも思ったのですが、例外も多いので逆に混乱のもとになりそうにも思いまして、五十音順に並べてみました。
まずは


上歌(アゲウタ):上音を中心に謡われる七五調の詞章で、平ノリで謡われます。
上音で始まり下音で終わること、最初の七五の句を繰り返すのが一般的特徴です。最初が五七五の時も、初めの五を除いて七五を繰り返します。
私の鑑賞記の中では道行、初同、待謡などといった名称も出てきますが、これらも上歌で、用いられる場所や内容によって、こうした名称で呼ばれる場合もあるというところです。


一声(イッセイ):シテやワキなどの役が登場して最初に謡われたり、舞事に入る際や場面が大きく変わるときに謡われたりする五七五七五を基本とする謡。
上音を中心としていますが拍不合で謡われます。多くは一声の登場楽で出たシテなどが最初に謡いますが、この区別をつけるためか、観世流大成版の謡本では登場楽を一声、謡を一セイと記載しています。他の流儀の謡本では宝生、金春が一セイ、金剛、喜多が一声の表記にしているようです。


この項、しばらく続きますので、機会を見ながら書いていきたいと思います


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東京金剛会を観に行く

今年最後の東京金剛会を観に行ってきました。金剛流は宗家がお住まいの京都に自流の能楽堂があり、こちらでは毎月定例会が催されていますが、東京では年四回。東京在住の方々をベースに、京都から宗家金剛永謹さんや松野さん、今井さん、宇高さんなどが入られての会になっています。


坂戸金剛家最後の当主、金剛右京さんが亡くなった後に、東京での金剛流の火は消えかけてしまったのですが、右京さんに近かった奥野達也さんの尽力で、なんとか東京の金剛流が続いてきたのだそうで、奥野さんが東京金剛会を作り上げたとか。その東京金剛会が来年は七十周年にあたるそうで、来年の例会は意欲的な番組が組まれているようです。


私自身は金剛流を習ったわけでもなく、本の知識以上に詳しいことも知りませんが、それでもなんとなく金剛流には惹かれるものを感じています。京都の方たちになってしまいますが、今井清隆さんや宇高通成さんの能は素晴らしいと思います。


さて今日はいつもの東京金剛会と同じく、午前中が研修能一番で、午後は例会として能二番と狂言一番、それに連吟と仕舞三番という、いかにも例会らしい構成です。研修能は大川隆雄さんの六浦。午後の例会は見越文夫さんの班女と山田純夫さんの阿漕。狂言は三宅右近さんのご一家で鈍太郎でした。


連吟は松虫。宗家永謹さんも雨月の仕舞で登場。
例会の能二番は宇高さんと松野さんが地頭で、安心して地謡を楽しめたところです。
研修能はまさに研修ですから鑑賞というにはちょっとあたりませんが、六浦という曲の解説という意味で、これを含めて後ほど鑑賞記をアップしていきたいと思います。


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附祝言

昨日の東京金剛会ですが、鑑賞記の前に一つ気になることがありました。というのが表題の附祝言。


附祝言(ツケシュウゲン)というのは、一日の会の最後に地謡が残って祝言の小謡を謡うもの。多くは高砂のキリ「千秋楽は民を撫で。万歳楽には命を延ぶ。相生の松風。颯々の声ぞ楽しむ。颯々の声ぞ楽しむ」を謡います。
「多くは」というのは、高砂が当日演じられた場合などには、他の曲が用いられることもあるからなのですが、さて昨日の金剛会。「酔ひも進めば東雲早く」という謡い出しに「???」こりゃあなんだろう?と聞いていると、その後は「醒むると思へば泉はそのまま尽きせぬ宿こそめでたけれ」となって猩々と同じ。


いったいこれは何なのだろうかと疑問だったのですが、なんでも金剛流の場合「乱」になると「猩々」のキリの詞章がこのように替わるのだそうで、それを附祝言として謡うことがあるのだそうです。
金剛流も常の猩々は他流と同じで、これは古い謡本でも確認したのですが、乱で詞章が替わるというのは知りませんでした。


さて附祝言にもどりますが、もともと江戸時代に五番立てが成立し、その最後の五番目が祝言性の無い曲の場合に、神能や鬼畜物で祝言性のある曲の後半だけを祝言能として演じたのが起こりだそうです。
それが明治以降になると、五番立てそのものが少なくなる中で、祝言能ではなく、そうした曲の最後の部分だけを地謡が謡う形になってきたとか。この話は昨年にも、このブログで「祝言」として書いていますが、附祝言は私の学生時代には、けっこう普通に見られたように記憶しています。


ですが最近は各流の会を観に行っても、あまり出会うことが無いような気がします。
まあ見所の方も最後の曲になると、まだシテが幕に入るか入らないかのうちに席を立つ方もいますし、忙しくなったということかもしれませんね。


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六浦 大川隆雄(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2007.11.17
 シテ 大川隆雄、ワキ 大日方寛
  アイ 三宅近成
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 梶谷英樹、笛 寺井宏明


六浦(ムツラ)というのは相模の国、今は横浜市内の地名です。京浜急行の金沢八景の隣に六浦(ムツウラ)という駅がありますが、金沢文庫にほど近い称名寺からこの一帯が昔の六浦ということでしょうか。


この能、五流にある三番目物ですが、そんなに頻繁に見かける能ではないように思います。草木の精が現れて序ノ舞を舞うというジャンルの一曲で、本曲では楓の精が登場するという趣向。


さて一同着座すると旅僧が従僧を従えて登場してきます。
向かい合って次第を謡った後、東国へ下り陸奥の果てまでも修行に行こうと述べて道行の謡。逢坂の関を越えて鎌倉山から六浦の里に着いたと謡って、ワキの言葉になります。


実は今回は手元に半魚文庫さんに載っている六浦のコピーを持って行ったのですが、これは名著全集本『謡曲三百五十番集』と、赤尾照文堂番『謡曲二百五十番集』を底本としたもので、観世流の本文とほとんど同じになっています。(観世の百番集を持って行っても良いのですが、ちょっと書き込みをするのに便利なので半魚文庫さんからダウンロードして印刷しています)


ところが、これと今回のワキ大日向さんの謡が相当に違うんですね。金剛流の現行の謡本は見ていないのですが、古い金剛の謡本を見ても全然違います。道行の後、観世と金剛と多少の違いはありますが「千里の行も一歩より起こるとかや・・・云々」という句が謡本にはあるのですが、ここはいきなり「急ぎ候ほどに」とつなぎました。
またワキは相模の国、六浦の里に着き、ここから安房の清澄寺へ渡ろうとする話のはずですが清澄寺のくだりもありません。


このあたり下掛り宝生流はもともとこうなのか、研修能なので多少カットしたのか、どうなのかと興味のわいたところです。
ともかくもワキ一行は由ありげな寺に気付き、聞けば六浦の称名寺という名刹。立ち寄り一見しようと称名寺へ赴く形になります。
このつづきはまた明日に


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六浦のつづき

ワキの一行が称名寺に来てみると、山々の紅葉が今を盛りとなっています。ところが本堂の庭に、なぜか紅葉しないままに青々とした葉を茂らせる楓があることに気付きます。
これはどうしたことか、きっと謂われがあるに違いないと思っているところに、呼掛で前シテの若い女が登場してきます。


登場してきた女、面は小面の様子で若い設定です。金剛流ではこの装束を無紅唐織着流とするのが正式な形(山田純夫さんの潤星会のページにそのような記載がありました)とか。無紅は本来は若い女には用いませんが、これがその後の展開の伏線になるということです。ですが当日の大川さんの装束は無紅というにはいささか華やかだったようです。少なくとも中年の女に使う無紅の装束とは全く違った印象でした。
観世流では無紅の装束を着けるためか、中年の面である深井が基本で増や若女を用いても良いということのようですが、ともかく若い女の面で無紅の装束というのが本来はこの曲の装束での鍵なのでしょうね。


女は旅僧にどうしたのかと尋ねます。
ワキは山々が紅葉の盛りなのに、一葉も赤くなっていない楓があるのはどうしたことかと不審に思っていたところだと答えます。


女は良く気付いたと言い、中納言為相と紅葉の謂われを語り出します。
為相がある日、この地に紅葉を見ようとやって来ると、山々の紅葉はまだなのに、この一本の楓のみが見事に紅葉していた。そこで為相は「いかにして此一本に時雨れけん山に先立つ庭のもみじ葉」と歌に詠んだところ、今に紅葉をとどめているのだという話。


これを聞いた旅僧は手向けにと「朽ち残るこの一本の跡とへば袖の時雨ぞ山に先だつ」と歌を詠みます。上掛りでは最初の五文字が「古り果つる」となっていますが、それは良いとして、どうもここでワキが「朽ち残るこの一本の陰に来て」と謡ったように思うのですよね。聞き違いかも知れませんが、おやっと思った次第。


さて女はいよいよこの木の面目と喜びますが、一方の旅僧は為相の歌に紅葉を褒められたのに、なぜ紅葉することを止めてしまったのだろうかと疑問を呈します。
このつづきはまた明日に


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六浦さらにつづき

女はこれに答えて、この木の思うには先んじて紅葉したために為相卿に歌を手向けられるという栄誉に浴したうえは「功なり名遂げて身退くは天の道」という言葉のとおり、もはや紅葉せず常磐木のようになったのだと説明します。

旅僧はどうして木の心まで分かるのかと不審がりますが、シテは実はこの楓の木の精であると明かして姿を消してしまいます。(中入り)
間狂言が登場し、この謂われを再び語った後、ワキは待謡を謡ってシテの出を待つ形になります。

一声の囃子で後シテが登場してきます。色大口に長絹の優美な姿ですが、装束は無紅で、色大口も浅葱。常磐木のように紅葉するのを止めてしまった楓の緑にちなんだ装束ですね。

登場したシテはサシで「あらありがたの御法やな、妙なる値遇の縁に引かれてふたたびここに来たりたり。夢ばし覚まし給ふなよ」と謡い、読経する僧の夢の中に現れたことを示します。

三番目物らしく、クリ・サシ・クセと草木は四季折々にそれぞれの時を得て咲いていくものと、謡い舞が続きます。
シテは「更けゆく月の夜遊をなし」と謡い、地が「色無き袖を返さまし」と謡い序ノ舞になりますが、まさに無紅の装束がこの一句にかかってきます。

序ノ舞を舞い上げると大ノリの謡の中に、明け方の空に残る月の光に薄れて姿を消したと留めになります。なかなかに趣深い一曲ではあります。
ところでこの曲に出てくる為相ですが、かの十六夜日記の著者阿仏尼の息子で冷泉家の祖。所領についての訴訟で鎌倉を度々訪れたようで、六浦もそんな事情から尋ねる機会があったのでしょうね。
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます。予定では90分でしたが予想外に短い印象でした)

班女 見越文夫(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2007.11.17
 シテ 見越文夫、ワキ 安田登
  アイ 三宅右矩
   大鼓 亀井実、小鼓 幸信吾
   笛 槻宅聡

九月の宝生流、波吉さんのシテで拝見してまだ時日が経っていませんが、今回は金剛流。とは言っても、ワキは前回と同じ下掛り宝生流で、アイも和泉流ですのでそんなに大きな違いはありません。

まずアイ野上の宿の長が登場してきます。吉田の少将と契って以来、取り交わした扇を眺めてばかりいる花子を追い出してしまおうと考えます。
実は私の勘違いかも知れませんが、本来は「扇を眺めてばかりいるので(我が身を扇にたとえた詩を作った班女にちなんで)班女と皆が呼ぶようになった」と記憶していたのですが、右矩さんのアイは「子細あって花子を班女という」と述べた後に、吉田の少将と扇を取り交わした話が続いたように聞きました。・・・聞き違いですかねえ・・・

さて常座で名のったアイは橋掛りに向かい、花子を呼び出すわけですが、先日の高澤さんは一ノ松あたりまで橋掛りに入ったように記憶していますが、右矩さんは後座と橋掛りの境目あたりで呼び掛けました。シテの花子は登場しても大変ゆっくりした運びでなかなか橋掛りを進んできません。

高澤祐介さんは右矩さんと一緒に狂言をやっておられるくらいなので、基本的には同じ演出で、シテ花子が三ノ松あたりまで出ると、散々に厳しい言葉を発しますが、その後は舞台に戻ってシテが舞台に入るのを待つ形になります。
大藏流だと、登場したシテのところまでおもむいて、やれ早く歩めなどと言いつのる形。善竹十郎さんのアイで拝見したときはこの形でした。

ようやくシテが大小前に着座すると、アイは追放すると言い捨て、扇を取り上げて打ち付けるように舞台に置いて退場してしまいます。残されたシテはサシで我が身の悲しみを謡い、地謡で立ち上がってシオリ、中入りとなります。短い前場ですが、緊張感のあるところ。
さてこのつづきはまた明日に

金春円満井会を観に行く

久しぶりに東京メトロの神楽坂駅を使って、矢来能楽堂まで金春円満井会を観に行ってきました。久しぶり・・・というのは矢来にも円満井会にも、さらには神楽坂の駅というのにもかかっていまして、このところ矢来能楽堂へは飯田橋から歩いていたので神楽坂の駅で降りたのは一年以上前。といっても神楽坂駅前は東京駅のような大変貌を遂げてはいませんが・・・

さて円満井会は女流能楽師の多い金春流らしく、昨年までは年四回の公演のうち一回が女性だけの会だったのですが、今年からは毎回三番の能のうち一番は女性の能という形になっています。これはこれで良い試みではないか、と思っているのですが、本日は所用があって最後まで観ることができず、三曲目、大澤久美子さんシテの舟弁慶は失礼させていただきました。

例によって田舎から出かけていくため、なかなか都合の良い時刻に着くというのは難しく、能楽堂には開演のほぼ一時間ほど前に着きましたが、早く行くとこの能楽堂ならではですが、ご出演の皆さんの出勤姿を拝見することができます。
本日はたまたま宗家、安明さんをお見かけしましたが、サラリーマンのような黒いコート姿で、一瞬「どこかで見たことのある人だけどどこの会社だったかなあ」などと思った次第。まあ直に気づきましたけど。

曲は辻井八郎さんの淡路と高橋忍さんの蝉丸。狂言が山本則孝さんの鐘の音。それに女性の仕舞が三番、経政・井筒・松虫。本当はこのほかに大澤さんの舟弁慶と、安明さんやご子息憲和さんなどの仕舞三番があるのですが、時間の都合でこれらを断念したのは先に書いた通りです。

能はどちらもなかなか良かったという印象です。淡路を観ていて、私ゃ本当に神能というジャンルが好きなんだなあ、としみじみ思いました。蝉丸はシテが逆髪で蝉丸はツレになりますが、ツレもかなり重い役。中村昌弘さんがこの蝉丸を熱演で、良い雰囲気だったと思います。

鑑賞記はいずれそのうち

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班女のつづき

中入りの後は、ワキの吉田の少将がワキツレの従者を伴って登場してきます。
安田さんのワキ、いつもながら堂々とした感じ。工藤さんの少将とはまた随分に印象が変わりますね。

一行は野上の宿にやってきた設定で、次第、ワキの詞、道行と、常のとおりの形で進行し宿に到着となります。
ワキは早速に花子(班女)の所在を尋ねさせますが、ワキツレは尋ねたとの設定の元に、花子は長と不和のためにもはやこの宿には居ないと答えます。ワキツレは誰かに尋ねるような所作もなく直ちに返事をするわけで、このあたりの割り切りは能の能らしいところでしょうか。

もし花子が戻ったら都へ伝えるようにと言い置いて、一行は都へと向かいます。
都に着くと、ワキは宿願の子細があって直ちに糺の社に参詣すると言って、ワキ座に向かい糺の森で待つ形になります。床几にかかって堂々とした形。

一声の囃子で後シテの登場。唐織脱ぎ下げの狂女姿ですが一ノ松で謡った後、舞台に入ってきます。
宝生流では「此神神に祈誓せば、などか験のなかるべき」の後、「謹上」とシテが謡い、地が「再拝」と謡ってカケリになりましたが、金剛流は他の流儀同様、謹上再拝までシテが謡ってカケリになります。
なぜか観世流ではシテが「恋すてふ、我が名はまだき立ちにけり」まで謡って、地が「人知れずこそ、思ひそめしか」と続けてからカケリになります。
いずれにしても狂女の態が極まったというところ。

さらに「あら恨めしの心や」から謡の連続によってシテの心情が明らかにされてきます
さてこのつづきはまた明日に

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班女さらにつづき

ワキツレの従者が、シテに「なにとて今日は狂わぬぞ」と問うのは変だという話は以前にも書きました。おそらく古い時代には、別にツレの下賀茂あたりの人が出てシテに呼び掛けたのだろうと想像しています。

その後、クリ、サシからクセに入ります。
クリ、サシからクセの前半までは下居のまま、途中シオル姿を見せていますが「さるにても我が夫の」で立ち上がり常座から「頼めて来ぬ夜は」と橋掛りへ進んで一ノ松あたりへ向かい「欄干に立ちつくして」と一ノ松の欄干に寄ってまさに立ちつくす型。
ここは各流様々の型を見せるところですが、金剛はこういう形なんですね。

「そなたの空よ」とワキ柱を遠く見やる感じから正面に向き直り、たらたらと下がるように開いて揚幕の方へ流したり、と思いを込めた型が続きます。上げ羽で扇を広げ、再び舞台に戻っての舞が続きます。さらに地謡の「絵にかける」から中ノ舞となります。
喜多流ではこれを序ノ舞にするらしいので、金剛ではどうなのか興味あるところでしたがこれは中ノ舞でしたね。

舞アトは仕舞でもよく舞われる部分。特別な型はありませんが、趣のあるところ。地頭の宇高さんの声が良く通り、緩急、抑揚の面白さに引き込まれます。「扇とは空言や」からは思いが募った感じの謡になり、シテは正先へ詰めて面を上げたところから、たらたらと下がって大小前に下居してシオリ、思いが極まった感じを見せます。

そしてワキとシテが扇を交換して見る場面へと繋がります。
「輿の内より「取り出せば」とシテが立ち上がり、ワキに寄って扇を替え、正中で下居して左手に扇を広げ、同じく扇を広げたワキと扇を見せ合う形になります。

趣ある一曲でした。
(76分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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鈍太郎 三宅近成(東京金剛会)

和泉流 国立能楽堂 2007.11.17
 シテ 三宅近成、アド 三宅右近 前田晃一

三連休が明けたとたんにあわただしく、夕べも仕事を終えて帰ってきたのが10時近くだったため、ブログ更新を断念しました。というわけで、本日から再び東京金剛会の鑑賞記の続きです。

この「鈍太郎」いくら狂言だからといって「こんなうまい話があるものか」と思うような曲です。登場するのはシテの鈍太郎(ドンダロウ:ドンタロウと濁らずに読むこともありますが、この日はドンダロウと発音していました)という男。西国に訴訟のために下ったまま三年が経ち、ようやく訴訟も片付いたために都へ戻ってきたという設定です。

まずはシテの鈍太郎が登場し、アドの女二人が続いて登場してきます。女二人は狂言座と笛座に座しますが、後ほど明らかになる通り、狂言座に座した方が下京に住む正妻で、笛座の方が上京に住む女です。
鈍太郎はまずは常座で西国から戻った事を語り、妻子に長く便りもしなかったためにさぞかし恨んでいようかと思うものの「仕合わせをいたいたことを聞いたならば、さぞかし悦ぶであろう」などと言いながら正中へ進みます。

「なつかしや、なつかしや」と頻りに都を懐かしんだ後に、さて自分の住まいは「もそっと下じゃ」と下京の正妻の元に戻ることにして、常座からシテ柱を戸のようにして叩く型を見せ、内に呼び掛けるように狂言座の方向へ声をかけます。

呼び掛けられた正妻ですが、突然の男の声に悪者であろうと思い、鈍太郎は西国に下って三年になり音信もないので、さだめし偽物であろうと言い、さらに呼び掛ける鈍太郎に「みとせの留守を待ちかねて、今は棒使いを男に持った」と言い放ちます。

驚いた鈍太郎が詰問しようとすると、家の中で妻は、棒使いに早く不審な男を棒で打って打ち殺してくれと言いながら立ち上がって一ノ松へとツメます。

この迫力に鈍太郎は逃げだし、こんなこともあろうかと「上京に心よしを拵えておいた」と言い、下京の本妻は顔も見たくないと前々から思っていたが「かな法師」の母だと思って我慢をしていたところで、これはちょうど良い機会だ、などと勝手なことを言いながら上京の女の方へと向かいます。
さてこのつづきはまた明日に

鈍太郎のつづき

シテは笛座に向かい、今度は上京の女の内に向かって鈍太郎が戻ったと声をかけます。
しかしこちらの女も座ったままで、鈍太郎を偽物と決めつけたのか、こちらは「長刀使い」を男に持ったと言います。

怒った鈍太郎は、戸を開けよとワキ柱の方を戸として叩きますが、上京の女は正妻同様に、長刀使いに外の男を「長刀に乗せて下されいのう」とけしかける風に大声を出します。
再び逃げ出した鈍太郎、常座まで来て長刀使いを討ち果たそうと思い直し「南無三宝」と刀に手をかけ、ワキ柱に向かって寄っていきます。が、ふとここで思い止まり「これを菩提の種として、髻を切り、かくやに入って後世を願おう」と元結いを切るしぐさをし、しみじみと思いに沈んで中入りとなります。

さて女二人は立ち上がり、ふたりとも同じ口調で、夜前「鈍太郎」といって来た人がいたのを、さだめし近所の若い衆が嬲るのであろうと思って、色々と荒いことを言って追い返してしまったが、今朝聞いてみれば本物の鈍太郎だった様子で、大変残念なことをしてしまったと語ります。

そして下京の正妻は、鈍太郎はきっと上京の女の処へ向かったのだろうと、自分も上京へ行くことにし、一方の上京の女も、きっと鈍太郎は下京に向かったのだろうと、自分も下京へと行くことにして、舞台中央でちょうど出会います。

正妻は「こなたは上京のではござらぬか」と声をかけ、上京の女は「そう仰せらるるは鈍太郎殿のかみ様ではござりませぬか」と、かねがね見知った様子で昨夜からのことを話し合い、出家した鈍太郎がこのあたりを通るかもしれないと、大小前に二人して座し、鈍太郎の出を待つ形になります。
さてこのつづきはもう一日、明日につづきます

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鈍太郎さらにつづき

さて二人の女が大小前に座すと、シテの鈍太郎が出家姿で鉦を叩き念仏しながら登場してきます。橋掛りを進み一ノ松まで出ると、一度止まって「昨日までは、我等如きの態を見ては、あれは世捨て人か、また世に捨てられた人かと思うたに、今は我が身の上に思い当たった」と述べて、しみじみと泣き、再び橋掛りを進んで舞台へ入ってきます。

女二人は「鈍太郎殿が見えました。いざ止めましょう」と相談し、立ち上がって待つところに鈍太郎がやって来ます。鈍太郎を中に、正妻は常座に、上京の女はワキ座に進み。まずは正妻が鈍太郎の袖を引いて、鈍太郎を止めようとします。

しかし鈍太郎がとりあわないので、正妻は上京の女に止めてくれと声をかけ、今度は上京の女が鈍太郎の左の袖を引いて止めようと声をかけますが、鈍太郎はこちらにもとりあいません。

そこで今度は二人して止めようとし、鈍太郎も二人で心を合わせて止めるなら、と態度を和らげます。鈍太郎はそれならば、月の内、下京に五日、上京に二十五日行こうと言いますが、これには下京の正妻が怒り出します。

上京の女も口添えして、上京、下京それぞれに月の内半々とすることで折り合いが付き、さて鈍太郎は「近所への外聞に」二人の手車乗って帰りたいと言い出して、女二人が手車を作り、シテが「これは誰の手車」女二人が「鈍太郎殿の手車」と囃しながら、舞台を廻り、そのまま橋掛りを囃しながら進んで退場します。

なかなかににぎやかな狂言で、以前観たときも「これは誰の手車、鈍太郎殿の手車」という囃し物がしばらく記憶に残りました。

上京、下京半々というところも、上の十五日とこだわり、大の月と小の月があるので、上の十五日の方が長い月がある、という演出もありますが、今回はこのやり取りは無かったようでした。
(28分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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阿漕 山田純夫(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2007.11.17
 シテ 山田純夫、ワキ 宝生閑
  アイ 高澤祐介
   大鼓 柿原弘和、小鼓 古賀裕己
   太鼓 助川治、笛 成田寛人

善知鳥もそうですが、この阿漕もなんともやるせない能ではあります。
鵜飼を含め、これら三曲のシテは殺生を生業とするため、三曲をあわせて三卑賎と呼んだりもしますが、やむにやまれず仏教でいう殺生戒を破らざるを得ない彼らは、一体どうすればよいのかと考えてしまうような曲です。

舞台はまず次第でワキが登場します。
ワキは西国方の旅の僧で伊勢神宮参詣に行く途中です。ワキを日向の国の者とする流儀もありますが、いずれにしても伊勢参詣の途次、伊勢の阿漕が浦にとやって来ます。
道行を謡いますが、この道行、上掛りと下掛りでは全然違っていまして、上掛りでは「日に向ふ国の浦舟漕ぎ出でて」と謡い出し、淡路潟から須磨の浦、関の戸と進んで阿漕が浦に至る道のりを謡う形になっていますが、下掛りでは「船出する八重の潮路を遙々と」と謡い出し、難波の浦に着いて伊勢に向かい阿漕が浦に着いたという形です。

ともかくもワキの一行は阿漕が浦に到着し、ワキは心静かに一見しようとワキ座へ着座します。

すると一声でシテの老人が釣り竿を肩にして登場して常座に進み、漁師という殺生の家に生まれ、それを生業としなければならない身を悔いながらも、また釣に出ると謡います。
このシテの尉にワキが問いかけます。
このつづきはまた明日に

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