能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

風邪を引いてしまいました

このところ、いささか無理をしてるかなあ・・・などと思っていたら、案の定、風邪を引き込んでしまいました。
ちょっと弱気になると、不思議に風邪を引いたりしますね。しかも土日で「休める」と思ったところで引くところがなんとも・・・

そして予想通り、本日日曜日も午後になって少しずつ快方に向かってきました。
明日からはまた仕事も忙しいし「休めない!」って思っているせいなんでしょうね。

そんなわけで、昨日はブログ更新も断念しましたが、今晩はこの後、阿漕の続きを書こうと思っています。
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阿漕のつづき

ワキはこの地が阿漕が浦であることをシテに問い「伊勢の海 阿漕が浦に 引く網も 度重なれば 現れぞする」という古歌を引いての問答になります。

地謡がシテ・ワキの謡を受け「物の名も 処によりてかはりけり」と謡い出してワキはワキ座へ着座します。シテは「難波の芦の浦風も」と四、五足出てサシ込・・・は観世流なのでシカケ、ヒラキ、「藻塩焼く」とワキ柱の方を遠くやや見上げるように眺めやり、左へ廻って常座に向かいワキに向く形になります。

ワキはあらためて「阿漕」というのは、どういう謂われによるのか、とシテに問いかけますが、シテは「阿漕とは人の名にて候」と答え、「詳しく語って申し候べし」と、正中に下居して阿漕の物語を始めます。

昔、この浦は(伊勢)大神宮降臨以来、御膳調進の網を引く処であるため、あたりの漁師達は漁をしたいと望んだものの、神前のおそれにより固く禁じられていたところであった。しかし阿漕という浦人が、夜な夜なこの浦で網を引き、度重なる内に人の知るところとなって捕らえられ、この浦の沖に沈められてしまった。
と語り、地謡が受けて「呵責の責も隙なくて、苦も度重なる罪弔はせ給へや」と謡うに合わせて、ワキに向かって合掌します。

さらに地謡はクセの謡「恥かしや古を・・・」と謡い、シテは座したまま、面を伏せてシオり我が身の悲しみを見せます。
このクセは片グセの居グセ。上げ羽のない短い謡で、シテは下居したままです。

シテが、阿漕という漁師の幽霊であることが現れ、シテは立ち上がって「すはや手繰の「網の綱。繰り返し繰り返し」と竿に綱を回し懸ける所作を何度か繰り返し、やがて「漁の燈消え失せて」と竿を投げ捨てて。送り笛で中入りとなります。

この中入り前はなかなかに趣あり、しみじみと感じ入ったところ。ちょっとしたハプニングはありましたが、山田さんも竿に綱を回し懸けるあたりは自信を持っての所作で、趣ある感じがしました。
このつづきはまた明日に

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阿漕さらにつづき

間狂言は語りアイ。続いてワキの待謡の後、出端で後シテが登場してきます。
黒頭で腰蓑を着けた漁師の霊。一ノ松で謡った後「忍び忍びに引く網の」と後ろを向き、さらに向き直って「沖にも磯にも船は見えず」と船の姿を探すように見廻して橋掛りを進み、地謡の「なほ執心の網置かん」で常座へ進んで角に網を下ろしイロヘ(観世ならイロヱですが金剛ではイロヘと表記するようです。ただし明治時代の古い金剛の謡本にはこの部分にカケリと書かれていますが・・・)になりました。

イロヘでは網を見込みつつ立ち上がった後、後ろを向いて網を離れ橋掛りへと進みます。二ノ松を過ぎて正面方に向き直り、黒頭に手をかけて舞台の方向を見やる型。そこからゆっくりと橋掛りを戻り、一ノ松で手を広げてそのまま舞台へ戻って大小前から、置いた網の方へ寄って綱を取り「伊勢の海、清き渚のたまたまも」と謡い出しました。

シテと地謡の掛け合いの謡で、因果の末の地獄の様が謡われ、シテは網の綱を引く様を見せて、密かに漁をした様子を再現し、さらに謡に合わせ舞う形になります。

綱引く様の後は、仕方話のような具体的な型ではなく、むしろ抽象的な型の連続ですが、それがむしろシテ阿漕の苦しみをよく表すように感じられます。

結局のところは救われないままの終曲で、重い感じが残ります。
中世の人たちはこの能を観てどう感じたのか、まあ、この曲が描く漁師が能を観ることもなかったのかも知れませんし、少なくとも作能した方は卑賤の身を自分たちとは別世界のものとして見ていたのでしょうね。

山田さん、熱演でした。
(89分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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淡路 辻井八郎(円満井会定例能)

金春流 矢来能楽堂 2007.11.23
 シテ 辻井八郎、ツレ 本田芳樹
  ワキ 宝生欣哉、アイ 若松隆
   大鼓 國川順、小鼓 幸信吾
   太鼓 桜井均、笛 栗林祐輔

脇能ですが、現行曲としているのは観世・金春・金剛の三流のみで、上演もあまり多くない様子。以前にも触れた大角さんの観世流演能統計では下から数えて二十数番目、碇潜よりも少ないようです。
ですが、以前から時々書いているとおり、脇能好きの私としては興味深く拝見することが出来ました。

さて舞台は先ず次第の囃子でワキ臣下の一行が登場してきます。
脇能らしいスッキリした囃子。ワキ一行の謡も歯切れ良く舞台中央で向き合っての謡の後、ワキの詞、道行と型通りに進行します。ワキの詞の途中「また良きついでなれば」と左に少し流した感じで目付柱の方を見また戻したのが印象的でした。

一行が着座すると前シテの出になります。
真ノ一声。一転してゆったりとした囃子で、脇能らしさが醸し出されます。なにぶんあまり広くない矢来能楽堂なので、正面左に座っていても、シテの「お幕」というゆったりとした声が聞こえます。
ツレの姥が先に立ち、小格子厚板に白大口のシテ尉が後から橋掛りへ出てきます。

ツレ一ノ松、シテ三ノ松で向き合って謡った後、舞台へ進んでツレが正中、シテが常座に立ってシテのサシ謡。シテはエブリを肩に担いで登場しますが、舞台に入ると肩から外し右手に立てるように持っての謡となります。
観世の本では「千里万里の外までも皆楽しめる時とかや」の後、下歌の「頃しも今は長閑なる」と続きますが、この間に「時とかや」に続いて、良く聞き取れませんでしたが五七五の後に七五の句が四つほどの謡が入りました。

下歌のうちにシテは大小前へ、ツレは目付へと移動し、ワキが立ちあがって言葉をかけます。
このつづきはまた明日に

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淡路のつづき

ワキはシテに「水口に幣帛を立てて田を耕しているが、ここは御神田か」と問います。
シテは斎串として五十の幣帛を立てて神を祭っている由を述べ、さらにこの御田は当社二の宮の御供田であると語ります。

ワキは、当社が二の宮であるならば、この国の一の宮はどこなのかと重ねて問いますが、シテとツレはこれに対して、国の一の宮、二の宮の話ではなく、当社自体が二つの宮居を二の宮と崇め奉っているのであって、これすなわち伊弉諾・伊弉冊の二柱の神を祭るのだと答えます。

これは淡路国一の宮「伊弉諾神社」現在の伊弉諾神宮のことなのでしょう。当社は伊弉諾・伊弉冊の二柱を祭り、その起源は奈良時代以前に遡り、平安末期には淡路一の宮とされていた由緒ある神社。伊弉諾命が群神を生み終えて淡路国に幽宮(かくりのみや:当社)を建てて隠れたのが起源とされています。

さてシテ、ツレはさらに「伊弉諾と書いては種蒔くと読み」「伊弉冊と書いては種を収む」ということだと語り、地謡の「種を蒔き、種を収めて苗代の」でワキがワキ座へ着座するに合わせて、ツレが地謡前へ。シテは正中へと出て、謡に合わせるように左へ廻り大小前で開いてワキへ二足ほど詰め「ありがたの誓やな」と大小前に下居します。

ワキが当社の神秘を物語るように促し、シテが答えてクリとなります。後見が寄ってシテの肩上げを下ろしますが、この肩上げを下ろすというのは脇能の前シテ尉によく見られる形。どうも肩上げを下ろして形を変えることで、ただの老人ではないということをさりげなく暗示する狙いもあるようですね。

シテのサシを経てクセへと展開しますが、居グセでシテは下居のまま謡だけが進行します。木火土金水の五行が陰陽に分かれ、木火土が伊弉諾に、金水が伊弉冊と顕れたと始まり、国生みから今の世に繋がるまでをクセの謡にまとめています。

ロンギとなり、地謡の「結び定めよ小夜の手枕」でシテが立ち上がり「天の戸を渡り失せにけり」と中入りになります。中入りは囃子無く、無音の中を静かにシテ、ツレが退場します。
このつづきはまた明日に

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淡路さらにつづき

ワキはワキツレを呼び、淡路の所の者を呼ぶように申しつけます。これに答えてアイの所の者が登場。いわゆる語りアイで「伊弉諾と書いては種蒔くと読み、伊弉冊と書いては種を収む」のくだりなどを繰り返し、当社の縁起などを語ります。

アイが下がると、ワキの一行が立ちあがり待謡。後シテの出の囃子は出端ですが、神能らしくテンポの速い囃子に、期待が高まります。
颯爽と登場した後シテは、一ノ松で謡い、地謡が受けると舞台へ入って常座へと進みます。

高砂の後シテと同装ですが、面は天神の様子。高砂同様に邯鄲男を用いる場合もあるようですが、伊弉諾命には天神の方が似つかわしいかも知れません。

「御末は今に」とシテは謡いながら六拍子、ヒライて、地の「和光守護神の扶桑の御国に」に合わせて舞台を一回りし、大小前の左右から神舞へと入ります。

颯爽と神舞を舞い、舞い上げると地謡の「げにありがたき御誓・・・」からロンギ。謡い舞いしつつ「国富み民もゆたかに万歳をうたふ」と両袖を巻き上げる特徴的な型を見せ、「治まる国ぞ久しき」と留拍子を踏みました。

スッキリとした神能らしい神能だったと思います。
ところで前ツレは姥で金剛流と同じでしたが、観世流では男が出ます。実は明治時代の古い金春の謡本を見ると「ツレ男」と明記されているのですが、いつからか変わったのか、そのあたりは残念ながらわかりません。
伊弉諾・伊弉冊の二柱が仮に現れたと考えれば、尉と姥の方が落ち着く感じがしますし、社前の翁に神が懸かったと考えればツレが男でも納得いくところでしょうか。

そういえば笛の栗林さん。松田弘之さんの笛と良く似た味わいだなあ、としみじみ思った次第。
(88分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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鐘の音 山本則孝(円満井会定例能)

大藏流 矢来能楽堂 2007.11.23
 シテ 山本則孝
  アド 山本則秀、遠藤博義

鐘の音は、このブログでは和泉流野村萬さんのシテと、大藏流大藏彌太郎さんのシテの際の鑑賞記を載せていますが、もちろん同じ大藏流なので彌太郎さんのときと基本形は同じです。が、そこはそれ家の違いもあって微妙に印象は違います。

まずはアドの主人、シテ太郎冠者、仲裁人の三人が登場してきますが、これは彌太郎さんの時と同じ。
主人が常座で名のり、息子の成人の祝いに太刀を黄金の熨斗附けにして差させようと思うと言い、太郎冠者を鎌倉に行かせ付け金の値を聞いてこさせようと言って、ワキ座へ動きつつ太郎冠者を呼び出します。

言い付けられた太郎冠者は出掛ける前に「つき鐘」の音(ネ)が何の役に立つのか、といぶかる形になっていますが、これは彌太郎さんの時と同じですね。
そしてどの寺から参ろうぞ、と考えまずは「五大堂が入り口でござった」と五大堂の鐘の音を聞きに行きます。

正を見廻して撞楼を探し目付柱を撞楼に見立てて鐘を撞くことにします。
五大堂、次が寿福寺、三番目が極楽寺で最後が建長寺と基本は彌太郎さんと同じですが、五大堂の鐘の音を則孝さんは「やっとなガーン」もひとつ「やっとなガーン」と表して「破鐘じゃ」と表現。彌太郎さんの時は「グワン」という音で表していました。
以前書いたように、和泉流だとそもそも寺の名前も音も違ってきますね。

次の寿福寺に向かい撞楼を探して、目付柱を撞楼に見立て「撞木が結い付けてある」と、礫を撃って鐘の音を聞くのも彌太郎さんと同じです。
さてこのつづきはまた明日に

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鐘の音の続き

寿福寺の鐘の音は、礫を撃ったものの小さなチーンという音。大振りの礫を探して撃っても同じく音は小さいままです。

それではと次に向かったのが極楽寺。撞楼を探すと山の頂上にあります。彌太郎さんの時は鏡板の方向に山があるという設定で、正中に座して鏡板の方を向き、山を登って鐘を撞きに行く僧の姿を目で追いました。
則孝さんは目付に立ち、笛柱を見やって撞楼を見つけた形。人を探すとワキ柱の方向に僧を見つけ「山を登って鐘を撞きに行く」と、ワキ柱から笛柱の方へ顔を上げつつ目で僧を追う形でした。

あらためて大小前に下居し、鐘の音を聞くあたりからは彌太郎さんと同じ形です。
さらに「建長寺へ参らなんだ。鎌倉一の大寺でござるによって」と最後は建長寺に向かいます。
彌太郎さんは一度橋掛りへ入り、一ノ松あたりから建長寺に着いた風でシテ柱を門に見立てて寺内へ入りましたが、今回は大小前で見廻して門を越え、正中へ出て正面上下を見廻して、しきりに立派な寺と感心する形。
ワキ柱を撞楼に擬して余韻のある音を演ずるのは同じですね。

さてこの四つの鐘の音を聞いて、太郎冠者は帰途につき、主人に声をかけます。
この後、太郎冠者の報告に主人が怒り、仲裁人が取りなすのは彌太郎さんの時と同じですが、ここはもう一度仕方を交えて鐘の音を太郎冠者が演じ分け、これに主人があきれるという和泉流の形の方が面白いように思います。

仲裁人の取りなしで、太郎冠者は仕方で鐘の音を聞き回った様子とお見せしようと、謡いつつ一ノ松から正先へと進み「東門 五大堂の鐘これなり」と目付へ出、扇を開いて廻り「南門にあっては寿福寺の鐘・・・」とシテ柱へ。「西門ハ極楽寺」とさらに廻り「建長寺」では鐘の音が「寂滅為楽」と響き渡った様子を謡い舞いします。

最後は「これも鐘の威徳でござる」と言い、「何でもないこと」と主人の叱り留め。太郎冠者の謡い舞いに機嫌を良くして「いて休め」と声をかける大藏家の形とはちょっと違った印象です。
(32分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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蝉丸 高橋忍(円満井会定例能)

金春流 矢来能楽堂 2007.11.23
 シテ 高橋忍、ツレ 中村昌弘
  ワキ 野口敦弘、アイ 山本則重
   大鼓 高野彰、小鼓 観世新九郎
   笛 槻宅聡

蝉丸を直近で観たのは昨年三月の金春会ですから、金春流で続けての鑑賞ということになります。
前回のシテは金春欣三さんでツレがご子息の康之さんでしたが、この曲のツレ蝉丸は重い役で技量の試されるところ。今回の中村さん、お若いながら師匠高橋忍さんの相手として熱演でした。

さて舞台は先ず後見によって作り物の藁屋が運び出されてきます。ただしこの藁屋は後ほどアイが出て話題にするまでは「無い」ことになっているのも能の表現上の面白いところです。

次第の囃子が奏されてツレ、ワキの一行が登場します。先頭にはツレ蝉丸。狩衣に指貫、初冠の姿で面は蝉丸ですね。他流では喝食鬘での登場が通常の形に思いますが、金春の初冠は蝉丸の身分の高さをより強調しているのかも知れません。
後からワキツレの輿舁が輿を差し掛ける形になり、ワキの清貫が後から付き従います。

次第の謡の後、ワキが「これは延喜第四の御子、蝉丸の宮にておはします」とツレの身を明かします。生まれながらに盲目の皇子ですが、帝の命で逢坂山に捨て置き、髪を下ろすこととなった次第を謡い、逢坂山に着いたとの設定でツレは笛座前に着座し、ワキは常座に控えます。

ツレが「清貫」とワキに呼び掛け問答になりますが、ワキが「山に捨て置くように」との勅命は思いもよらぬものである旨を述べると、ツレは前世のゆえに盲目に生まれついたので今世でその業障を果すために帝がそのように命じたのだと、現代ではいささか理解し難い解釈を示して、ワキを諫めます。

さらに髪を下ろすことになりますが、ワキの「御髪をおろし奉り候」から物着となり、笛座前に着座したまま初冠を取って沙門帽子に替え、狩衣を水衣にと着替えます。
その後、ツレは「これは何といいたる事ぞ」と問いかけ、ワキが「これは御出家とて・・・」と答えますが、観世流ではこのツレ、ワキのやり取りの後で物着になっています。
物着をこの問答の前後どちらに置くかで、実は思いのほか印象が異なることに気付きました。
さてこのつづきはまた明日に

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蝉丸のつづき

ワキは笠をとってツレに渡し、さらに杖を取らせます。別れを惜しんでツレがシオり「早帰るさになりぬれば」とワキは橋掛りへ。ツレは立って杖を手に橋掛りを見送る風から「琵琶を抱きて」と下がりつつ笛座前に座してモロシオリ「臥しまろびてぞ泣き給う」という場面。

するとアイ博雅の三位が出て常座で名のり、身分の高い方が逢坂山に捨て置かれたというので、雨露をしのげるよう「藁屋を設え入れ申そうと存ずる」とツレに付き添い、笠を藁屋に立てかけて戸を開け、ツレを藁屋へと導き入れます。

シテ逆髪は一声での出。逆髪の面は十寸髪(増髪:ますかみ)ないし専用面の逆髪が用いられますが、いずれの面も様々な表現があるようで眉間に皺を寄せた形のものもあり、今回はそうした面。かなり強く眉間に皺が刻まれ苦悩が現れた感じがします。これに左右に垂らした鬘が逆髪を象徴します。髪の毛が逆立っているとされていますが、さすがにそのままの形には出来ませんものね。

シテは一ノ松で一セイ。肩に担いで登場した笹を下ろして謡います。
この後の詞「いかにあれなる童どもは何を笑うぞ」からが、この曲のポイントの一つ。身分の低い童たちが皇子たる逆髪を笑うのもまた逆さまであろう。髪が逆立つ姿も、いずれを順と見、逆と見るのか。実は順逆は相対的なものに過ぎないのではないかという、壮大な主張のゆえに狂気と見られることを謡うもの。色々な解釈が可能かとは思うのですが、ともかく考えされられる一節で、その思いが極まってかカケリに続きます。これを趣深く忍さんが演じました。

この後「花の都を立ち出でて」と道行になりますが、ここは舞があり仕舞でも好んで演じられる部分。思いを込めながら、美しく舞が続きました。世の常識とは順逆、別の世界にいる逆髪も、その世界においては美しいことが示されるような舞。
「現なの我が姿や」と舞終えると、後見座へクツロいでツレのサシ謡となります。
このつづきはまた明日に

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蝉丸さらにつづき

ツレは「第一第二の絃は索々として秋の風」と琵琶弾くことを暗示する謡。この謡のうちにシテは立ち上がり、常座へと進んで「不思議やなこれなる藁屋の内よりも」と琵琶の聞こえることを述べ、藁屋に寄って密かに音を聞きます。

これにツレが博雅の三位が来たのかと問いかけ、姉弟の再会の場面となります。
ツレは自ら戸をいっぱいに開き、シテは藁屋によって下居し左手を伸ばして再会。二人してシオリます。

地謡のクリで立ちあがったシテは大小前から正中へと下居。サシからクセへと謡が進みます。
クセは舞グセで「王氏を出でてかくばかり」で立って舞います。クセの基本的な形に沿ってはいますが、上げ端の前「これぞ古の錦の褥なるべし」でシオり、「たまたまこと訪うものとては」とシテの謡では扇を広げて開キから左右。「雨だにも音せぬ藁屋の軒の・・・」と開くときの扇を横に寝せてやや上げた感じは藁屋の軒の風情でしょうか。

ロンギとなり、シテ、ツレが名残を惜しみながらも別れの時となります。
「立ちやすらいで泣き居たり」とシテがワキ座へ向けてシオり、ツレは立ちあがって「別路とめよ逢坂の」と藁屋を出てシテを追う気持ち。シテは「関の杉村過ぎ行けば」と橋掛りへ進み、地謡の「互いにさらばよ常には訪わせ給え」と一ノ松で向き直ってなおも名残を惜しみます。

「幽かに声のする程聞き送り」と正へ直し、シオって留めとなりました。
実に味わい深い一曲でして、せめてシテが姿を消し、ツレがこれを追って幕に入るまで、拍手をせずにこの余韻に浸っていたいと思うのですが、前回の金春会同様、シテの退場、ツレの退場、ワキの退場、地謡、囃子方、それぞれに丁寧な拍手。金春の見所はいつもこうなので「そういうもの」とは思っているのですが、でも、あの余韻は勿体なかったなあ・・・
(90分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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国立能楽堂特別企画公演を観る

昨晩は国立能楽堂に特別企画公演を観に行きました。
今回の特別企画公演は、新作狂言「夢てふものは(ゆめちょうものは)」と復曲能「実方(さねかた)」という番組。満席の盛況でしたが、それぞれに興味深い曲でした。

狂言の方は全くの新作で、通常の狂言にはないような舞台の使い方、表現方法も見られたところです。
また実方は平成5年に故観世栄夫さんが復曲試演したものの再演で、観世栄夫さん自身が再演しようと考えておられたようですが、今年6月に急逝されたため果たせなかったという次第。梅若六郎さんと大槻文蔵さんが、12日、13日の二日間の公演のシテをダブルキャストで勤められています。

実は昨日、今日と出張でして、先日出張が決まった際に、もしかしてまだ空いているかなあと能楽堂に問い合わせてみたら、少しだけ空きがありました。
ただし席はずっと後の方でしたが、その距離感を埋めるだけの演者の力量に魅了された次第です。

鑑賞記は明日以降に整理したいと思っています。

夢てふものは 茂山千之丞/茂山忠三郎(特別企画公演)

新作狂言 国立能楽堂 2007.12.12
 黍団子売り 茂山千之丞、吉備真備 茂山忠三郎
  夢合せ 茂山あきら
  太郎の君 野村小三郎、下道真備 茂山良暢

新作狂言ということで興味深く拝見しました。題材は宇治拾遺物語の巻十三にある「夢買ふ人の事」の話で森田流笛方の帆足正規さんが狂言化し、黍団子売りとしても登場する茂山千之丞さんが演出しています。

宇治拾遺は随分以前に読んだので、残念ながらこの「夢買人事」は覚えていませんでして、出掛ける前に念のため読み返して行ったのですが・・・うーん覚えてないなあ。能楽堂で買ったパンフレットにも丁寧にこの「夢買ふ人の事」が掲載されていましたが・・・
ともかくも吉備真備が夢を買って立身出世したという話です。もっとも宇治拾遺では備中国の郡司子「ひのきまき人(ひきのまき人とも)」です。

さて舞台はまず太郎の君の野村小三郎さんと下道真備の茂山良暢さんが静かに登場して、太郎の君がちょうど目付柱と笛柱を結んだ線上の目付柱寄りに座し、その後に下道真備が座す形になりました。
なんだか二人とも目を閉じている様子で、どうしたことかと見ていると後見が作り物の舟を持ち出してきて、二人の上から被せるようにして置き、ちょうど二人が舟に乗ったような具合。舟は骨組みだけではなく、引廻しのような布がかけられていささか立派な感じです。
すると切戸口から黒髭の男が登場し「さてこれでよかろう」などと言いながら、舟の後に乗り込みました。

こんな形で始まる狂言は、確かにこれまで観たことがありません。という訳で、このつづきはまた後ほど・・・
ところでこの狂言を観た12日、小三郎さんの父上である十二世野村又三郎さんが亡くなりました。そんなこととはつゆ知らず楽しく狂言を拝見しましたが・・・ご冥福をお祈りします。

花祥會を観に行く

今年最後の観能ということで、観世能楽堂に花祥會を観に行ってきました。関根祥人さんとご子息祥丸さんがそれぞれ砧と合浦(がっぽ)のシテを勤められ、祥六先生は勧進帳の一調でご出演。
最初にまず宗家清和さんの仕舞「箱崎」があり、砧そして三宅右近さんのシテで狂言「隠し狸」、休憩を挟んで勧進帳と合浦という番組です。

清和さんの仕舞は今年も何番か拝見しましたが、今日の箱崎はとても良かった。ああ、宗家としての自信があふれるような舞だなあと感じたところです。元正(二十五世左近)さんに風格が似てこられたような気がしますが、とは言え元正さんの舞台はほんの数度しか観ていないので、ちょっと記憶が怪しいかなあ・・・

正直のところ祥人さんの能には惚れ込んでおりまして、いささか観方にバランスを欠いているかも・・・と思わないでもありませんが、ともかく今回の砧もすっかり堪能させていただきました。
前シテの出で、幕が開いて姿が見えたところですでに悲しさが伝わってきます。思い切ってチケット発売日の朝から電話をかけて正面前方の席を取って良かったとしみじみ思った次第。

ご子息祥丸さんも、いよいよ子方の時代を終えてシテとして着実に歩みを進めておられる様子。面はまだですが、大変凛々しいシテ振り。子方の時から評判の上手さでしたが、今日のシテも「只者ではない」と思わせる出来でした。将来が楽しみです。

砧はシテ、ワキが幕に入り、囃子方が立つまで拍手が出ず、一方、合浦は附祝言の「千秋楽」が謡い終わったところで(まだワキは橋掛りの途中)一斉に拍手。この二番の拍手の具合は私の理想とするところで、砧では深い余韻を感じ、合浦ではいかにも一日の観能を終えたという充実感、満足感が広がりました。

今年の観能も三十回弱で、ブログで拝見する方たちと比べると決して多い方ではありませんが、私としては今年も能楽と良い関係にあったなあ、としみじみ思っています。今日の附祝言は今年一年の観能全体への祝言だったような気がします。
「颯々の声ぞ楽しむ」

夢てふものはのつづき

準備が整うと真ん中の男「下道真備」が、備中国の国司の世継ぎ太郎君が唐土へ出立すると述べて、船出となります。
といってももちろん船中の一同はそのままで、前の二人が座ったまま、舟頭が漕ぐ形をとるだけですね。

太郎の君と下道真備の珍妙な問答が狂言らしさを出していますが、一方、舟頭はなんだか民謡のような舟歌を歌って漕ぎ続けます。普通ならなにかの謡、小歌を謡うところでしょうけれど、どう聞いても民謡風。

さてそのうちに舟が大揺れになります。
乗った二人が右に左に大きく体を揺らして舟の揺れを表現。唐土へ渡る途中で嵐に遭ったということでしょうが、そんな大騒ぎの中で夕餉の支度が出来たなどというやり取りでまた笑わせるところ。

散々舟が大揺れの騒ぎの後に、舟頭が二人にともかくも眠った方がよいと呼び掛け、太郎の君と下道真備は寝入る形になります。この間に舟頭は笛座前に下がって物着。身に着けていた舟頭の装束を外し、神官のような形になります。
また後見が出て舟を片付けると、二人が目を覚ましますが、臆病な太郎の君は目が覚めても一騒ぎ。しかし何やら様子が違うことに気付きます。

下道真備が「太郎の君がうち続き妙な夢を見るので、吉備津の宮の門前に夢合わせをする者のところにやって来た」という状況を説明して、観客も「なるほど」となった次第。
いわゆる狂言としては、通常用いない手法で前半が展開した感じです。

夢合わせが、太郎の君の夢を判じて、唐土へ渡って勉学に励めば立身出世の正夢と説明しますが、太郎の君は船旅で恐ろしい目に遭うのも嫌だし、勉学も嫌だというので、この夢を下道真備が変わって取ることになって、二人の相談が出来、切戸口から退場します。
もう一日つづきます

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夢てふものはさらにつづき

夢合わせの男は後見座に下がって、今度は舟頭役の時から付けていた黒髭を白髭に替えます。
夢合わせは正中へ進み出て、二人が夢を取り替えての後、下道真備は立身出世して右大臣の位に昇り、本日は故郷に錦を飾り、この吉備津の宮にもお礼参りにやって来る旨を語ります。

すると幕から黍団子売り千之丞さんが登場。犬、猿、雉まで一つ欲しいと言うくらいうまい黍団子などと、どこかで聞いたような文句を並べてひとしきり語った後、ワキ座に座して待つ形になります。
続いて吉備真備の忠三郎さんが登場してきますが、こちらは大臣らしく立派な身なり。

さて真備は正中へ出て参拝しますが、ここに団子売りが「団子を買わないか」と声をかけます。
真備は団子など下賤なものはいらないと断りますが、重ねて団子売りが迫るので、起こった真備は太刀を抜こうとします。
ここで夢合わせが仲裁に入り、真備に団子売りをよく見るように言います。
気付けば団子売りこそ、かの太郎の君のなれの果てですが、ここから太郎の君と真備のやり取りとなります。

今は悠々自適の身である団子売りと、位は高く上ったものの窮屈な毎日の真備。真備は今の身が窮屈でいっそ死んでしまいたいくらいだ、と泣きます。

そこで夢合わせと団子売りが示し合わせて「それならば乞食になったら良かろう」と真備に言い、二人して真備を乞食にしてやろうと迫ります。これに真備が立って逃げ出し、二人が追い込んで留。

夢を替えて立身出世したものの、さて人間の幸せはどこにあるのか、とちょっと考えさせる展開だったのですが、それにつけては留がいささか無理に笑わせようと、そんな印象を持ちました。
(48分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

実方 梅若六郎(特別企画公演)

復曲能 国立能楽堂 2007.12.12
 シテ 梅若六郎、ワキ 宝生閑
  アイ 野村万作
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 金春惣右衛門、笛 松田弘之

今回の国立能楽堂特別企画公演は新作狂言と復曲能の組み合わせという意欲的なもの。能は復曲能の実方です。この曲、世阿弥の作と言われているのですが、いつの頃からか上演されなくなってしまっていたのを、昭和63年に金春流の金春信高師が復曲。さらに平成5年に観世栄夫師が復曲試演したものです。

今回の上演は観世栄夫さんの試演を元にしたもので、私が観た12日は梅若六郎さんのシテ、13日は大槻文蔵さんのシテで上演されました。

舞台は先ずワキの西行が名ノリ笛で登場してきます。西行は陸奥行脚の旅の途中で。塩竈、松島と過ぎ行く景色を道行に謡い、陸奥の国にやって来ます。
とあるところに由ありげな塚を見つけ、子細に見てみるとこれは実方中将の旧跡。世に名を留める歌人の跡とて、西行は「朽ちもせぬ その名ばかりを残し置きて 枯野の薄 形見とぞなる」と歌を手向けます。

すると一人の老人が現れ、ワキに「西行」と声をかけてきます。
初めてまみえる人に名を呼ばれて不審がる西行に、シテ老人は和歌を手向け弔ってくれる喜びに出でたのだと、自ら実方の幽霊であることをほのめかします。

さてこのつづきはまた明日に

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実方のつづき

実方の中将は歴史上の人物。左大臣藤原師尹の孫で、若くして歌の才能を認められ円融、花山両院の寵愛を受けたうえ、清少納言との恋歌のやり取りなど恋愛の面でも有名。光源氏のモデルの一人ともされています。

勅撰集にも多くの歌を残し家集「実方朝臣集」も編んでいます。百人一首に入っている「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」は清少納言に送った歌として有名。

ところが伝説では、ある時、藤原行成とふとしたことから口論になり、行成の冠を取って投げ捨てたことから帝の怒りを買って「歌枕見てまいれ」との命で陸奥の守として左遷されたと言われています。(このあたりは諸説あって本当のところは分かりませんが)

さてその古の歌人、実方中将の霊が西行のもとに現れたわけです。霊は西行に新古今集の事を尋ねます。
そこから歌談義が展開し、シテは常座から大小前、正中へと進んで床几にかかります。
続くクセでは古今集仮名序を引き、業平、喜撰法師、小野小町そして大伴黒主の一節を謡に展開します。この謡の終わり近く「これらは和歌の言葉にて」でシテは立ち上がり常座へ進んで杖を手に佇む形となります。
そして都、賀茂の臨時祭の舞をご覧ぜよと言い置いて、シテは姿を消してしまいます。

中入り後はアイの登場。
アイは里の男ですが、もともと残されていた間狂言の詞章だけではシテの装束着けに間に合わないのだそうで、本幕から小歌を謡いながら登場するという形を創作されたのだそうです。

右手に鎌を持ったアイの万作さんが謡いながら橋掛りを進み、一ノ松で「いつも草刈りをしているが実方の塚が特に草が伸びる」などと語って舞台に入り、たぶん大江山の一節のような小歌を謡いつつ草を刈るうちにワキ僧西行に気付きます。
ワキが寝入っているので、アイはワキを起こし、これまでのことはワキの夢の中のことであると明かされます。
後場が夢というのが復式能の基本的な形でしょうけれど、前場も後場もワキの夢というのは珍しい形です。

さらなる奇特を求めて西行は再び眠りにつき、後場へと移っていきます。
このつづきはまた明日に

実方さらにつづき

アイが下がると、ワキの詞から謡になり「草の枕に伏しにけり」と再びワキが眠りについたことが明らかにされて、後シテの出になります。

現れ出でた実方は栄花の昔を偲ばせる狩衣、指貫、巻嬰の冠に老懸を着けていますが、白垂に尉面。古、賀茂の臨時の祭の際に、帝の命で臨時の舞を舞ったことを語ります。
実方はその時に、あたりにあった竹葉をとって冠に挿したことを謡い、この竹を踏まえてクセとなります。

翌日13日の会では大槻文蔵さんのシテで、後場は白垂に中将の面で出られたそうで、これはまた印象が変わっただろうと思います。
老いの身と若き日の姿をフラッシュさせるような独特の展開の曲なので、どんな面を着けるかは大事なところ。

さてこの曲は前後にクセがありますが、後場のクセでは、竹が即身成仏の粧い正直の相をあらわして、賀茂の祭に舞う実方は帝の寵愛を得て絶頂にあり、その姿は水に映しては自ら見ても美しいと謡い舞う舞グセになっており、さらに太鼓序ノ舞に展開していきます。
思いのほかにテンポの速い舞で中ノ舞の位かと思うくらいですが、二段で目付に座り込みワカ「みたらしに 映れる影を よく見れば」から一気に若き絶頂の姿から老醜の姿へと変化します。
装束を替える訳ではないので、ここはシテの技量のみが頼りのところ。

老人らしい謡い舞いが続いて、後ノ舞。序ノ舞の二段目以降を舞った感じですが、盤渉にとり、まさに老人の舞です。
その老の姿に「枯野の薄かたみとぞなる 跡とひ給へや西行よ」と実方は西行に弔いを頼んで姿を消したと留めになります。

この実方、15種ほどの謡本が現存しているそうで、私が事前に見たテキストは「跡とひ給へや西行よ」で終わっていますが、当日は「跡弔ひ給へや西行よ 跡弔ひ給へ西行 西行」と繰り返し、12日はシテが二度振り返って、最後の「西行」で左手をワキにのべて思いを強く見せた形でした。
(93分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

砧 関根祥人(花祥会)

観世流 観世能楽堂 2007.12.15
 シテ 関根祥人、ツレ 藤波重孝
  ワキ 宝生閑、アイ 高澤祐介
   大鼓 安福建雄、小鼓 曽和正博
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌仙幸

申楽談儀には「かようの能の味はひは末の世に知人あるまじければ・・・」と世阿弥が語った由が書かれていますが、確かにその予想通りに、この曲は一頃全く上演されなくなってしまっていたのですが、江戸時代も中頃になってから復曲されたもの。
現代では人気曲の一つになっていて、日本人の感性の変化もうかがえるところです。

さて舞台はまず名ノリ笛でワキ芦屋の何某がツレを伴って登場してきます。
何某は訴訟のために故郷九州芦屋を離れて都に上ったものの、早三年が経ってしまい、故郷が心にかかるゆえにツレ夕霧を芦屋に使わそうと述べます。

閑さんの謡、実にゆったりと柔らかく趣深い感じです。数日前の実方で西行として謡ったのとは、また全然違った味わい。
そしてツレを呼び、自らもこの年の暮には下る旨を伝えるように述べて中入りします。
夕霧に向かっての「余りにふるさと心許なく候ほどに」の「心」のあたりは実に丁寧に、思いを込めた謡でした。

ツレ夕霧は何某に仕える女ですが、この伝言を持って九州に下ることになり、道行を謡って「芦屋の里に着きにけり」と芦屋に到着し、一ノ松から案内を乞い後見座へとクツロギます。だいぶんに高めの声で張った感じで、曲調としてどうかと思ったのですが、これがシテとの対比でむしろ効果的と気付いたのは後ほどのこと。

囃子のアシライで前シテの出。三ノ松で「それ鴛鴦の衾の下には・・・」と夫婦の疎遠なことをサシに謡います。幕が開いて姿が見えたところで、既に悲しみが伝わってくるような感じです。謡も悲しみ、憂いを湛えています。
これに重ねてツレが一ノ松まで進んで案内を乞い、シテ・ツレの問答になります。
このつづきはまた明日に

砧のつづき

シテ、ツレは橋掛りで入れ違いになり、シテが先に立って舞台に入って、シテは地謡前、ツレは太鼓前に着座しての問答ですが、何故に三年も音信がなかったのかと、シテはツレをとがめます。謡も詰問するような調子。

これに対してツレは「心より外に三年まで。都にこそは候ひしか」と宮仕えの忙しさに便りをしなかった由を述べますが、シテは「にぎやかな都の住まいを心の外というか」と、遠く鄙の地に待つ身のさびしさを嘆きます。聴いているだけで涙が出そうな謡。

この夕霧、実は何某との仲を疑わせるという解釈もあり、そう考えるとこの何某の妻の恨み辛みも一層奥深いものが感じられるのですが、定説というわけではありませんので一つの見方というところ。

さてシテは何やら遠く物音がするのに気付き、ツレに問いかけます。ツレは里人の打つ砧の音であると答えます。
砧は布を打ち柔らかくして衣類を着やすくするために行われるもので、かつては女性の手によって広く行われていました。民衆の着る麻や、楮、藤、葛など樹皮からとった繊維で織ったものはもちろん、木綿でも粗い糸を用いる手紡ぎ、手織りの場合は、洗濯した際の仕上げに砧打ちをしていたようです。

この砧を打つ音にシテは昔からの言い伝えを思い出します。唐土の蘇武という人は胡国に捨て置かれて年月が経ったが、その妻子が蘇武の身を思って高楼に上り砧を打ったところその音が万里の彼方にいる蘇武に届いたという話です。
この話にちなみ、シテは砧を打って夫に思いを届けようとし、ツレも下賤の業とはいいながら妻の心が安らぐならと、二人砧を打つことにします。

このつづきはまた明日に

砧さらにつづき

「砧を拵へて参らせ候べし」でシテは後見座にクツロイで物着となり、後見がワキ座前に砧を出してきます。
この後の砧の段は一曲の聞かせどころ、見せどころです。

シテは常座に出て「いざいざ砧うたんとて」と謡い出し、「怨みの砧」「うつとかや」でツレと砧を挟んで向かい合う形になります。シテは砧を見込みますが、面を上げてツレを見込む風もあり、このあたりも微妙な解釈がありそう。
「空すさまじき月影の」と目付柱の先を遠く月影を見るように面を上げたりしつつ、シテの謡い舞いが続きます。

地謡の一セイ「宮漏高く立ちて風北にめぐり」は高く引き立てた謡で、唐土の蘇武の故事へと展開するきっかけを感じさせます。サシ込みや左右など、抽象的な型の連続ですが、そこに思いが込められた感じ。
シテの「文月七日の暁や」で上扇の後、大左右から打込開キといった型の連続のあと、大小前からすーっと砧に寄り、「ほろほろ、はらはらはらと いづれ砧の音やらん」とツレと砧をうつ形になります。

するとツレが正中に回って砧に向かうシテの背後から声をかける形で「いかに申し候。都より人の参りて候ふが。この年の暮にも御下りあるまじきにて候」と追い打ちをかけるように、何某の下向が無いことを告げます。

これにシテは年の暮と思って待っていたのに、それも変わり果てたのかと安座してモロシオリ嘆きます。地謡は「病の床に伏し沈み。遂に空しくなりにけり」と謡い、ツレがシテを支えるように付き従い中入りとなります。

さてこのつづきはもう一日、明日へとつづきます

砧さらにさらにつづき

間狂言の何某の家来が登場、これにあわせて後見がワキ座前に置いた砧を正先へ移します。
アイは何某が夕霧を使わしたこと、年末には何某が戻るかと妻が喜んだものの、結局帰れないとの知らせに悲嘆して亡くなった旨を述べます。さらにその悲報に何某が下向し、砧を手向けて弔うので弔問に参られるように触れます。

これを受けてワキ、ワキツレが登場し、ワキが二ノ松あたりに差し掛かったところで、アイがワキに報告。これを受けてワキは砧の前に着座して悲しみを謡い、ワキツレは常座に控えますが、待謡を謡い終えるとワキ座へと移ります。

出端で後シテ、妻の幽霊が杖をついて登場してきます。面のせいもあるのかもしれませんが、前場は悲しみの強さと同時に人としての息遣いを感じたのですが、後場ではこの世を離れ異界の者となってしまった・・・人としての温もりを失ってしまったような感じを受けました。出端の太鼓の刻みが、より異界からの到来を感じさせるのかもしれません。
一ノ松で「三瀬川沈み 果てにしうたかたの 哀はかなき身の行くへかな」と謡い出し、舞台に入って常座で地獄の苦しみを示します。

さらに地謡の「羊のあゆみ隙の駒」から謡に合わせて舞い、蘇武の思いは届いたのに、我が砧の音が届かなかったのは夫の不実と「思ひ知らずや怨めしや」とワキを責めます。
これに対してワキは合掌し、法華経読誦の功徳に、さしものシテも成仏したと留めになります。
大曲といわれる砧ですが、前後を通して夢中で見てしまった感じです。

さて実は蘇武の話ですが、漢の武帝に使わされた蘇武が、十九年の後に囚われた匈奴の地で故郷を思い雁の足に帛を付けたところ、武帝の次の皇帝昭帝が上林苑で捕らえた雁がたまたまその雁であり、蘇武を救いに軍勢を向けたという話は、確かに漢書に見えます。
しかし砧の話はどこにあるのか、残念ながら私、この砧という曲の解説以外に蘇武と砧の関わりを書いたものを見たことがありません。不思議な話であります。
(98分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

隠し狸 三宅右近(花祥会)

和泉流 観世能楽堂 2007.12.15
 シテ 三宅右近、アド 三宅右矩

今年四月に萬斎さんのシテで観た隠狸。同じ和泉流三宅派でもあり、基本は変わりませんが、ともかく面白い狂言でもあり、またまた鑑賞記として書いてみようと思います。

アドの主人、後からシテ太郎冠者が登場して、太郎冠者は後に控え、長上下姿の主人が常座で名のります。使用人の太郎冠者が狸を釣るというので呼び出して様子を聞こうという趣旨。
早速に太郎冠者を呼び出して問いただしますが、太郎冠者は知らぬといい、既に狸汁をふるまうと人に言ってしまった主人は、やむなく太郎冠者に市場へ行って狸を求めてこいと命じます。
太郎冠者は行き渋りますが、「それならば次郎冠者なりとも、やろう迄よ」と主人が言い切ったため、自分が市に行くことにし中入りします。

主人が常座に出、太郎冠者に酒を呑ませて本当のことを聞き出すことにして舞台を廻り、市場へ先回りします。
すると太郎冠者が狸のぬいぐるみを持って登場。萬斎さんのときもそうでしたが、あまりリアルでないところがご愛敬で、このぬいぐるみで笑ってしまいます。

この後、太郎冠者が狸を隠していることを明かそうと、主人が太郎冠者に酒を呑ませたり、舞を舞わせたり、このやり取りの面白さがこの曲のテーマでしょうね。

右近さんの太郎冠者、実に酒好きな雰囲気を出していて、一献を美味しそうに呑みます。台本自体は同じものを用いているのでしょうから、萬斎さんの時と違いはありませんが、同じく面白いのに、やはり萬斎さんと右近さんでは面白さの質に違いがあります。

右近さんの方が、まさに見慣れた古くからの狂言の形を演じている雰囲気なのに対し、萬斎さんの太郎冠者はどこか現代演劇風。微妙な違いですが、それぞれに面白く拝見しました。
(26分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

合浦 関根祥丸(花祥会)

観世流 観世能楽堂 2007.12.15
 シテ 関根祥丸、ワキ 村瀬純
  アイ 三宅近成 前田晃一
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 観世新九郎
   太鼓 桜井均、笛 八反田智子

合甫(ガッポ)と書く方が能らしいかもしれませんが、現在の大成版では合浦と書くことになっています。
この曲、観世にしかないのですが、あらためて調べてみるまで気付きませんでした。というのも観世では割とポピュラーな曲で、仕舞も素人の会などで良く舞われるため、各流にあるとなんとなく思っていたんですね。
子方を終えて初シテというときに、この合浦か花月が選ばれることも多く、観世の能楽師の経歴などを見ると初シテにこの曲を上げている方が少なくありません。

というわけで、今回のシテ関根祥丸さんは初シテではありませんが、現行曲で子方の出るものすべての子方を演じ終えて、いよいよシテとして伸びていこうという時期になった由。私も、祥丸クンから祥丸さんへ表記を変えました。

まずはワキが名ノリ笛で登場し、常座で「これは唐土合浦と申す所に住居する者にて候。今日は日もうらゝに候程に。浦に出て釣するを眺めばやと存じ候」と述べて地謡前に目付を向いて下居します。村瀬さんらしい不思議な声の謡。

するとアイの釣り人が登場してきます。
このつづきはまた明日に

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合浦のつづき

登場した釣り人は常座で名ノリ。今日も釣りに出ようという算段です。
正中で「はや浦へまかり出た」言い、正先に出て肩に担いでいた釣り竿の釣り糸をほどいて階に竿を出し、釣り糸を垂らします。

しかし直ぐに魚が食いつかないと言ってワキ正へ向かい、再び釣り糸を垂れますが、今度は程なく魚がかかります。釣り上げて針を外す所作。何という魚か分からないが見たこともない魚なので、持って帰って誰かに聞き、商いにしようと立ち去りかけます。

するとワキが立って声をかけアイを留めます。
アイは持って帰って商いにすると言い張りますが「さような殺生はいたさぬものにて候」とワキは諫め、漁師に代わりを取らせるから魚を放すようにと求めます。
これを受けてアイはワキ正に魚を放して退場。ワキも「やがて我が家に帰ろうずるにて候」と述べてワキ座へと着します。

さて囃子が一声を奏し前シテの出となります。黒頭に童子の面が常の装束附けですが、祥丸さんはまだ面はかけない様子。紅入縫箔の上から緑の水衣を着けた童子の姿です。一セイを謡った後、ワキ座に向けて一夜の宿を貸してほしいと呼び掛けます。

これに対してワキは、日も暮れて戸も閉めた後に宿を借りようとは誰かと問いますが、シテはともかくも村雨の雨宿りに一夜の宿を貸してほしいと、重ねて宿を乞います。
地謡の「雨は降り来ぬ雨宿の 頼む木陰かや」まで聞いて、サシ込み開キから角へ出、舞台を回って正中から常座へと戻り、さらにワキへ向かって進み正中へ下居します。

ワキは「何と見申せども更に人間とは見え給はず候」と不審がり、シテに名を名乗るよう求めます。シテも「今は何をかつつむべき」と自ら「鮫人(コオジン)」という魚の精であることを明かし、最前命を助けられた報謝のために来たことを明かします。
さてこのつづきはまた明日に

合浦さらにつづき

鮫人の涙はそのまま玉の宝となるもの。命の恩にこたえるために涙を流して宝珠となし、これを捧げて白魚となり姿を消してしまいます。

来序での中入りで、代わって狂言来序でアイのウロクズの精が登場してきます。末社の神のような出で立ちで、自らが仕える鮫人が白魚に姿を変えて合浦の浦を泳いでいたところ漁師に捕らえられてしまったが、別の男によって放してもらえたことを語ります。
さらに三段の舞を舞います。舞い上げると、さらに謡い舞いし「合浦の水底に入りにけり」と留めて退場します。

すると早笛で後シテの登場となります。出端とする場合もありますが、この日は早笛。
登場した後シテは白頭、無紅段厚板に半切、法被を着けてきらびやかな登場です。面は通常は小飛出を用いますが、前場同様に祥丸さんはまだ面を着けないので直面での登場。
これこそ鮫人の本来の姿でしょう。

一ノ松で朗々と一セイ「龍女は如意の宝珠を釈尊に捧げ、変成就の法をなし」と謡った後、大ノリの地謡に合わせて橋掛りを進み、「波立ち騒ぎ汐渦巻いて泡沫の上にぞ現れたる」と舞働になります。

舞働の後は、シテの「これこそ真如の玉の緒の」からスッキリとした祝言の舞となり、五番目物らしく目出度い気分の内に留めとなります。

ついこの間まで子方でやっていた若い方とは思えないしっかりした舞。足拍子も姿勢に乱れがありません。子方の時から只者ではないと思わせる技量でしたが、本当に将来が楽しみなシテ方です。

スッキリした気分でシテが退場し、ワキが橋掛りを進むうちに附祝言。「千秋楽は民を撫で」と気分を高揚させる謡で目出度く今年最後の観能を終えました。
(41分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

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大晦日に一言

今年も大晦日がやってきました。
カレンダーの関係で一昨日から休みに入っているため、今年は少しばかり余裕があります。まあ今年は春先からずっとなにかに追い掛けられるように過ごしてきたので、ここでようやく一息というところです。

能楽関係のブログを書いておられる方達と比べて、多くの番数を観た訳でもありませんし、鋭い批評を書いたわけでもありませんでしたが、今年一年、気が向いた能・狂言を、気が向いたように観て、自分なりの文章にまとめてきたのは、自分自身としては楽しいことでした。

鑑賞記の方は、私の「いいの悪いの」という感想を読んでも、その能楽をご覧になっていない方にとってはどうということでもなかろう、と思い、後々、その曲を観るときに参考になればという視点から文章にまとめています。
このため、なんだかあらすじを書いただけといったものも少なくないのですが、そのあたりはご容赦下さい。

今年の観能は能が72番、狂言が35番ということで、昨年より少しだけ多くなっています。今年は前半に宝生流を比較的観ていたせいか、宝生が24番と各流では一番多くなっています。
まあ数はいずれとして、それぞれに楽しい観能でした。

このブログもお陰様で4万以上の来訪をいただいて、今日現在では4万1千ヒットを超えています。
来年も気の向くまま、各流渡り歩きつつ能楽鑑賞していきたいと思っています。
毎日ブログ更新というのはいささかキツイので、そのあたりは無理しない程度と考えていますが、いずれにしても来年もよろしくお願い致します。
皆様、良いお年をお迎え下さい

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