能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

明けましておめでとうございます

昨日、元日は更新をお休みしましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年も観能、ブログ更新に励みたいのですが、昨年来、公私ともに多忙でして、無理しない程度・・・楽しくやれる範囲で、と考えております。
応援頂ければ幸いです。

今年も一月中旬にならないと観能に出掛けられないため、本日からしばらくの間、以前から書こう、書こうと思っていた「謡の話」のつづきを書くつもりでおります。

それでは後ほど
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謡の話・・・語、キリ

昨年11月に、謡の部分毎の解説をしようとして上歌と一声について書きましたが、その後、またまた鑑賞記を続けていたので間が開いてしまいました。
ちょうど観能もちょっと間があきそうなので、前回からの続きということで、また謡の部分の解説を書いてみようと思います。

語(カタリ):物語の略と言われていますが、事件や伝説などをシテ、ワキ、ツレなどが改まった口調で物語る部分を言います。例えば、屋島や実盛、朝長(このあたりは皆修羅能ですね)などや大原御幸などではシテの「語」があります。またワキの「語」としては道成寺や隅田川など。ツレの「語」は私は放下僧しか存じませんが、外にあるかもしれません。
シテの語は後半では節がついていますが、ワキは全体が詞で節はつきませんね。ツレが語をする放下僧はワキと同様、最後まで詞になっています。
いずれにしても、緩急をつけたり、抑揚を効かせたり、聞かせどころとして演じられます。

キリ(切):一曲の最後の部分を言います。そう言う意味では、どんな曲も最後はキリということになってしまいます。羽衣のように、仕舞でクセの部分と最後の部分が取り上げられるような場合、区別のために羽衣クセ、羽衣キリといった表記がされます。田村なども同様ですね。
ただし少なくとも観世流大成版謡本では、一曲の最後の部分が大ノリや中ノリの場合は「キリ」という表記をしていません。羽衣の場合は大ノリなので「ノル」と書いてあるだけですし、田村は中ノリ地なので特段の表記はありません。(宝生流の羽衣には「キリ」の表記がありますが・・・)
キリと表記されているのは平ノリで、地謡がそれ以前の部分と一区切りつけて謡う場合ということのようです。

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謡の話・・・クセ

昨日に続いて本日はクセ。
クセは室町時代に流行った曲舞(クセマイ)が、観阿弥によって能に取り入れられたものと言われています。
曲舞は室町時代の十四世紀中頃に流行してきた芸能のようで、それ以前は静御前などで知られる白拍子の舞が流行っており、この分派のような形で出てきたのではないかと思われます。

白拍子の舞が単に歌にあわせて舞うだけのものなのに対して、一つの筋だった物語を基本にしていて、後にこの曲舞から幸若舞が生まれてきますが、幸若舞を読み物として読むために刊行された、いわゆる「舞の本」と言われる本があり、古典文学全集などに収められています。
「人間五十年・・・」で有名な、織田信長が舞った言われる「敦盛」は、能ではなく幸若ですね。

ここでは曲舞や幸若舞の解説が目的ではないので、これ以上は書きませんが、ともかく当時流行していた曲舞を、観阿弥が能に取り入れて大好評を博したようで、現在の「百万」は中でも観阿弥が得意とした曲のようで、当時「嵯峨の大念仏の女物狂」として知られた人気曲だったとか。

クセは、この曲舞の形を基礎に置き、平ノリの拍子で下音で始まって上音にいたり、旋律の面白さを聞かせつつ、最後は下音で終わるのが基本的な形。大小鼓に笛がアシライます。途中、アゲハ(上端・上げ端・上羽・上げ羽などと書きますが)といって、シテなどが一句謡う部分があり、これが二カ所あるものを二段グセ、逆に無いものを片グセといいます。

シテが舞わずに座ったままのものを居グセ、舞うものを舞グセといいますが、舞グセは若干のバリエーションはあるものの、基本は定型的な形で出来上がっています。

クセは、次第、クリ、サシと続いた後に置かれ、さらに次第が続くのが基本的な形ですが、必ずしもこの形になっていないものも少なくありません。また一曲の能に、クセが二回出てくるものもあります。

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謡の話・・・クドキ、クリ

謡の話をつづけます

クドキ:「口説く」という言葉からきているのだと思われますが、今では「人を説得する」とか「異性に言い寄る」といった意味が強いこの「口説く」も、古くは「くどくどと繰り返して言う」という文字通り「くどくど」の意味だったようです。
そこから「しきりに嘆きの言葉を言う」といった意味が出てきた訳ですね。
したがってこのクドキの部分は、まさに恨み辛みをくどくど謡う部分ということになります。昨年の暮れに観た砧では、シテは砧の段でツレと供に砧を打ち思いを届けようとしますが、ツレが都から人が来たことを知らせ「この年の暮にも御下りあるまじきにて候」と伝えます。これを受けてシテが「怨めしやせめては年の暮をこそ・・・」とまさに嘆きを謡う部分がクドキになっています。
俊寛などでもシテが取り残される嘆きを謡いますが、シテばかりではなく、烏帽子折ではツレの烏帽子屋の妻がクドキを謡います。
いずれも拍不合の、いわゆるサシ調の謡で、囃子がないのが通常の形です。

クリ:サシ・クセの前に置かれるのが普通の形。クセへの導入部という意味で「序」とも言われていて、喜多流の謡本では序と表記されています。拍不合の短めの謡ですが、上音を中心とした華やかな印象の部分で、さらにクリ音という上音の上に位置する高い音を使うためにクリという名があります。囃子はアシラう形になりますが、私はこのクリの部分になると、なんだかふわーっと風が吹いてきたような感じを受けることが少なくありません。クセに向かって場面が大きく展開していくような印象です。

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謡の話・・・詞、下歌、サシ

昨晩は泊まりで出掛けておりまして、ブログ更新はお休み。

さて本日は引き続き謡の話です。

詞(コトバ):全般に節のついていない部分を言います。謡本を見るとすぐ分かるのですが、節のある部分は謡の詞章の右横に色々な記号が書かれています。胡麻のような点が多いのでゴマ節などと呼ばれますが、この記号がある部分が節のある、狭い意味での謡で、ない部分が詞ということになります。しかし詞の部分も節がないとは言え広い意味で謡ですので、もちろん普通に話すような台詞使いではありません。
流儀によって表記の仕方に違いはありますが、詞の部分には句の終わり近くに「レ」あるいは「く」のような記号が書かれたところがあります。これはヒラキとかオコシとか言われる箇所で、次の音を上げて発声します。高低アクセントをつけるのですが、これって古い時代の関西弁のアクセントなのかなあ・・・などと想像しています。

下歌(サゲウタ):七五調の低音域の謡で二句ないし四句程度の短い拍合の謡です。中音で始まり下音で終わるのが一般的な形だと思いますが、次に来る謡を引き立たせるように静かに謡われることが多い部分です。下歌の次には上歌が来る場合が多いのですが、詞が来る場合もあり、一定してはいません。

サシ:七五調の高音域の謡で拍不合で謡われます。語るような謡い方でサシ調と言われる謡です。クリ・サシ・クセとつづく部分に用いられますが、シテが登場しての冒頭、一ノ松あたりで謡われたり、次第などに続けて謡われることもあります。金春流の謡本では「サシコエ」と表記されています。

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謡の話・・・次第

さらにつづきますが、本日は次第(シダイ)について。
次第は一般的には登場楽「次第」の囃子で登場したシテやワキが最初に謡う部分です。ただし例外もあって、三井寺や草紙洗小町などのように地謡が謡う場合もあり、このときは地次第と呼ばれます。
次第は七五、七五、七四の三句から出来ていて、二句は一句目の繰り返しの形。上音で始まって下音で終わる拍合の謡です。

次第に関してはいくつかの決まり事があるのですが、能を観ているうちに「あれはなんなのかなあ?」と思われた方もあるかもしれません。

その一つが「地取り」。次第を謡い終えると、地謡が低い声で二句目と三句目を繰り返します。この間に次第を謡ったシテやワキが正面に向き直ったりしますが、謡本や能楽堂で配られる「当日の詞章」などといったパンフレットには地取りの部分は記載されていません。さらに脇能で登場楽「真ノ次第」で登場したワキ・ワキツレの次第では、地取りも三句全部を謡い、さらにワキもう一度次第を繰り返します。高砂だと「今を始めの旅衣 今を始めの旅衣 日も行く末ぞ久しき」が3回繰り返されるわけで、これを三遍返といいます。

もう一つが謡う時の立ち方。一人で登場してきたシテやワキが次第を謡う場合は、常座で後ろ向き・・・鏡板の方をやや斜めに向く形で立って謡います。どうして後ろを向いて謡うのか不思議ですが、そういう決まり。またワキツレを伴って登場してきたワキのように、複数名で次第を謡う場合は、舞台中央で向き合って謡います。
先ほどの高砂のワキなどが典型的な形ですが、ワキが見所から見て右側ワキ座に近い方、ワキツレがワキ正側で、ワキとワキツレが向き合って立ち、まず次第を謡い、ワキが正面に向き直って名ノリ。さらに向き合って道行を謡う形ですね。

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謡の話・・・待謡、道行

またまたつづきます。本日は道謡と道行。形式からいうとどちらも上歌で、こうした区分を書かない場合もあるようなのですが、一応、触れておきたいと思います。

待謡(マチウタイ):ワキが後シテの出を待つ時に謡う上歌を言います。すべての複式能にある訳ではありませんが、シテの中入りの後にアイが登場し、ワキとの問答でシテの性格が語られ、それでは「なおも奇特を見よう」とワキがシテの出を待つという一連のつながりの中で謡われる訳です。ワキが謡い出し、途中から囃子が加わって、後シテの登場楽へと繋がっていきます。例外としては単式能の猩々にも待謡がありますが、これはもともと猩々が前後からなる複式能だったためでしょうね。

道行:道行も多くの場合はワキが謡います。次第で登場したワキが、名ノリの後、道行で目的地に到着するというのが基本的な形。ワキは道行の最後で正面に数足出、後ろに向き直って数足戻り「着きにけり」と正面を向くのが一般的な形です。ワキツレを伴って出た場合は、向き合って道行を謡い、最後の部分でワキだけが一人の時のように動作します。ほかに、蝉丸のようにシテが旅する場面もあり、この場合は地謡が謡ってシテはこれにあわせて舞を見せる形になります。

ほかに初同(ショドウ)というのもあって、これは一曲で地謡が初めて同吟する部分ですが、基本は上歌で、待謡や道行と同じグループということになります。

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謡の話・・・ロンギ、ワカなど

本日も謡の話のつづき

ロンギ:問答の形で謡が進む部分なので、おそらくは「論議」という意味なんでしょうね。
ただし意味合いから言えばシテ・ワキの問答なのでしょうけれども、シテ・ワキが掛け合いで謡う場合ばかりではなく、地謡がワキを代弁するような形で謡う場合が少なくありません。
七五調の平ノリの謡で、中入り前に謡われる場合が多いようですが、朝長や兼平のようにキリの前に置かれる場合もあります。熊野は道行がロンギになっていますが、気の進まないままに花見へと向かう熊野の心情を謡う聞かせどころの謡です。

ワカ:三十一文字の謡が基本の形ですから「和歌」なんだろうと思いますが、必ず三十一文字の和歌の形かというとそうでもなくて、例えば江口だと「実相無漏の大海に五塵六欲の風は吹かねども」となっています。
ほとんどの場合、舞を終えた後にシテが謡う拍不合の謡で、江口のワカも字数の違いを除けばこの形。序ノ舞を舞い上げたところで、囃子が残るうちにシテがワカを謡い出すのは趣があります。
ツレが天女ノ舞を舞い上げてワカを謡うといった形もありますが、同様の趣旨でしょうね。

謡の話、一応の締めということで最後に一つ、小歌について。
小歌は以前にも書いたとおり、室町時代に流行った俗謡の小歌をそのまま取り込んだものと言われていて、能としては放下僧と花月にあります。独特の拍子当たりで面白い部分です。
また室町小歌は狂言の小歌に多大な影響を与えているようなのですが、このあたりの詳しいことは存じておりません。今後の課題ということで・・・

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囃子の話・・・登場と退場

これまで謡の部分について何度かにわけて書いてきましたが、囃子についても書いておきたいと思うものの、こちらはなかなかやっかいです。謡と違って「詞章」のように説明できる手がかりがないので、いきおい「○○のような感じ」といった解説になってしまいます。
これは装束も同様で、写真でも掲載すれば良いのですが、著作権の関係でブログに写真集の写真は貼れないし、かといって撮影も出来ないし、素人としては難しいところ。いずれこれも何とか考えようと思っていますが・・・

とりあえずここでは、登場や退場の時に奏される囃子の種類などを簡単に書いておこうと思いますが、まずは登場楽から。

シテやワキが登場するときの囃子として最もシンプルなのは名ノリ笛。ワキの出の際に用いられますが、笛だけが奏する中をワキが幕から出て舞台へ進む形になります。シンプルですが、なかなか趣あるもの。
名ノリ笛で登場したワキは名ノリを謡うのが通常の形。名ノリは節がついていない詞です。

シテやワキの登場楽としてよく用いられるものに次第と一声があります。
次第も一声も大小の鼓が主体で笛がアシラう形です。次第は最初に笛のヒシギといって、鋭く高い音が入ります。しかしながら文章では「こんな音楽」とはなかなか説明し難いところ。さらに、曲によって登場する人物によって、奏し方・・・いわゆる位が変わってきます。荘重に奏される場合もあれば、軽快に奏される場合もあるといったところです。

一声も大小が主体ですが、次第よりはリズミカルな感じ。一声で登場した人物は通常は一セイを謡います。

脇能の場合は、前シテ・ツレの出に真ノ一声、ワキの出に真ノ次第という特殊な囃子が奏されます。

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囃子の話・・・出端など

後シテの登場の際に、太鼓が入って奏されるいくつかの囃子があります。
太鼓が入った囃子は生身の人間の登場には用いられません。これらの囃子で出てくるのは神仏や鬼畜、精霊、妖精などと決まっています。以前に書いたような気がするのですが、中世の日本人にとって、規則正しく刻まれるリズムは、人間のものではなく、異界からの到来を示したのだとか。

このため太鼓が入って規則的なリズムが刻まれる囃子は、それだけで異界からの出現を示すことになるわけです、
出端はこのなかでも一般的な囃子で、ノリの良い囃子を大小鼓と太鼓が奏し、笛がアシラう形です。神、鬼、霊、精、天女などに広く用いられます。太鼓の入った一声と言っても良いかもしれません。

早笛は神や竜神、鬼畜などに用いられますが、非常にテンポの速い囃子で、笛が主体となって大小鼓と太鼓が囃す形です。後場のシテやツレが、この囃子で走り出てくると気持ちが高揚しますね。船弁慶の後シテの出などは、早笛の魅力が特に感じられるところです。
この囃子は直面の武士の登場などでも奏されることがありますが、この場合は太鼓が入りません。

大ベシというのは早笛と基本的に同じような構造をした囃子ですが、テンポはずっとゆっくりになり、力強く奏されます。大ベシ見の面をつけた天狗の登場などで奏されます。
確か是界の鑑賞記か何かで書いたような気がするのですが、大ベシはゆっくり奏するけれども、のんびり奏しては駄目で、高速で飛行するジェット機を地上から見るとゆっくり見えるように、高速で飛ぶ天狗を遠く見るような気持ちなのだとか・・・

登場の囃子、もう一日つづけます

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囃子の話・・・登場の囃子

出端や早笛、大ベシなどと同様の囃子にはもう一つ、下リ端があります。これは神霊や妖精などの登場の際に奏されることが多い囃子ですが、例外的に大勢の人間が浮かれ出るような際に奏されることもあります。
のびやかなノリの良い囃子で、この囃子で登場すると、渡リ拍子の謡がつづくというのが通常の形です。

そのほかの登場楽として忘れてならないのが乱序。石橋や望月の後シテ、獅子の登場の際に奏されます。内外詣もそうなんだろうと思うのですが、これは確かめておりません。
ともかく獅子の到来を期待させる激しい囃子で太鼓が入ります。
また、唐土の皇帝などの登場に用いられる真ノ来序などというものもあります。

こうしたもののほか、小書が付いた際に用いられる特殊なものがあり、清経の「音取」や朝長の「懺法」、経政の「烏手」などが知られています。
音取は笛の名手と伝えられる清経にちなんで、後シテが笛の音に引かれるように登場します。各流にある小書ですが、断続して吹かれる笛に合わせて、シテが橋掛りを進み、留まる情趣深い演出です。

朝長の懺法(センポウ)は太鼓方の重い習いで、本来は出端で登場する後シテですが、この出端が懺法の出端に変わります。能の太鼓は通常は締め上げた高い調子ですが、これを低く響く調子に締め、太鼓の低い音を響かせて特殊な効果を出します。

経政の烏手は喜多流のみの小書で、登場した後シテが笛の音に聞き入る形になります。この笛は、実は琵琶の名手だった経政にちなんで琵琶の音を表しているのだそうで、烏手は琵琶の弾き方のこととか。この場合、笛は森田流と決まっているそうです。

そのほか、アシライ出といって大小の簡単なアシライのうちにシテが登場する場合もありますね。

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囃子の話・・・退場の囃子など

退場するときの囃子というのは、あまり多くありません。純粋に退場楽といえるのは「送リ笛」と「アシライ」中入くらいではないでしょうか。

そもそも一曲の能が終了するときは留めの拍子が踏まれ、後は無音の中を諸役、地謡が静かに退場しますし、アイのように切戸口から静かに退場してしまうことも少なくありません。退場するとき囃子が奏されるというのは、シテの中入りくらいですから、種類が少ないのもうなずけるところ。

送リ笛は文字通り、笛のみが吹かれて、これに送られるようにシテが中入りします。
ただし森田流には送リ笛が無いので、笛方が森田流の場合は、シテは囃子無しで退場することになります。
アシライ中入も、文字通りアシライで中入りするということです。

とは言え、退場で囃子が奏されるのはこれだけではありませんで、実は来序と早鼓があります。ただしこれらは退場と登場にまたがっていて、送リ笛やアシライ中入とはいささか性格を異にします。

来序は、まず神や天狗などの化身である前シテの中入りに際して、ゆったりと奏されますが、シテが幕に入ってしまうと一転してテンポが軽快になり、末社の神や小天狗など間狂言の登場楽・・・狂言来序となります。

また早鼓は武士などが退場し、代わって別の者が急ぎ登場するような場合に奏されます。例えば土蜘蛛では、前シテ土蜘蛛の精が頼光に糸をかけ「形は消えて失せにけり」と中入りするところで早鼓が奏され、シテが幕に入るとテンポが速くなって、代わってワキの独武者が急ぎ登場してきます。

囃子については、そのほかにもいくつか話がありますが、とりあえず今回はこのあたりで。

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梅若研能会を観に行く

今年初めての能楽鑑賞は梅若研能会、曇りがちでやけに寒い中を観世能楽堂まで行ってきました。そうなんですネ、一昨日の雨以来気温が下がってきまして、今日は日差しも少なくて東京でも寒い一日でした。

さて梅若研能会ですが、前々から行こう行こうと思っていてなかなか機会のなかった会。毎月定例会はあるのですが、休日に当たるのは年に三、四度しかないため、地方在住の勤め人としてはつらいところです。
今回はうまくスケジュールも合ったので、今年の鑑賞始めの会に選びました。

曲は翁と三輪を万三郎さんが勤められ、萬斎さんの宝の槌を挟んで、万佐晴さんの野守という番組。三輪は素囃子の小書付、野守も白頭と天地之声の小書付です。

事前にいただいた番組では、翁のところには翁の万三郎さんに千歳の泰志さん、三番叟の月崎さんと面箱の破石さん、都合四人の名前が書いてあるだけでして、囃子方や地謡、後見などは三輪の方に書いてあるので、いわゆる翁付きの形だと思い込んでいました。
ですが、翁では太鼓方の助川さんが登場せず、結局は翁が終わって全員が退場し、15分ほどの休憩の後に囃子方、地謡ともに裃姿で再登場となりました。

たしかに三輪で翁付きってどうなのよ、と思わないでもなかったのですが、時に脇能扱いとなる曲でもあり、そんなもんかなあと思っていた次第です。
まあ、脇能に準ずる扱いなんでしょうね。ただし、三輪のような曲を脇能として出すときは、次第を三遍返しにすると聞いていたのですが、特にそういうことはありませんでした。

今年はじめての観能ですが、いずれも面白く拝見しました。
本日はチケットを予約するのが遅くてワキ正だったのですが、翁をワキ正から観たことはあまりないので、面白い経験だったと思います。
曲ごとの鑑賞記は明日からおいおい書いて行こうと思っています。

翁 梅若万三郎(梅若研能会)

観世流 観世能楽堂 2008.1.14
 翁 梅若万三郎
  千歳 梅若泰志、三番叟 月崎晴夫
  面箱 破石晋照
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎
   脇鼓 幸正昭、森澤勇司
   笛 一噌幸弘

今回、チケット予約の関係で、ワキ正しか席が残っていなかったために、ワキ正方向から翁を観ることになりました。
何も正面だけにこだわっているわけではないし、ワキ正も中正もそれぞれに面白みがあるのですが、翁に限ってはワキ正から観たことがほとんどないので、今回はちょっと面白い体験・・・でもありました。

事前にもらった番組表では、翁のところには「翁 梅若万三郎」と書かれた下に、三番叟、面箱、千歳の役名と演者の記載があるだけで、囃子方や地謡などは次の三輪の方にだけ書いてあるので、てっきり翁付きの形で演じられると思い込んでいたのですが、翁が終わると、全員が素速く退場して15分ほどの休憩。
その後、あらためて同じメンバーが、今度は裃姿で登場しました。どうしてなんでしょうね、三輪だからですかねえ。

それはさておき、万三郎さんの翁ははじめて拝見しましたが、実に上品な翁でした。もともと観世流を習っていたこともあって、翁も数としては観世流が一番多く観ていますが、これまで見た中でもとりわけ上品な印象です。
ワキ正から観ていたため、正先で広げた扇で面を隠しやや見上げる型が、思いのほか後ろに反っているのだと初めてわかりました。

ところで私、観能の際は謡曲の詞章をプリントして携行しています。別に演者が間違うかどうかを確認しているわけでもありませんで、ちょっと気付いたことなどをメモするのに、詞章の形になっていた方が便利だからなのですが、翁を観ていて「あれ?詞章が違う」そうなんです。何を勘違いしたか初日之式をプリントしてしまいまして、「千早振る」と万三郎さんの素敵な謡を聞いて、四日之式であることを確認しました。
明日も気付いたことなど、少し書いてみようと思います。

翁のつづき

このブログで翁の鑑賞記・・・翁の性格から言って「鑑賞」というのはどうかなあ、と思いますがとりあえず・・・を三度書いていますが、たまたま三度続けて三番三が大藏流山本家でして、和泉流の三番叟についてはまだ触れていませんでしたので、今回はこのあたりについて。

そもそも三番叟(大藏流では三番三)は揉ノ段と鈴ノ段を舞いますが、翁の舞よりも長く変化に富んでいて、この翁という儀式の大きな部分を占めています。こうした基本形は大藏でも和泉でもさほど変わるわけではありませんが、やはり流儀の違いから舞の形にも違いがあり、見た印象は結構違うという感じがします。
特に揉ノ段で舞いながら「ヤオハンハ」と鼓の掛け声と同じ声を出すのは、大藏流でも同じではあるのですが、和泉流の方がずーっと声をかけ続けている印象があります。
あれは実際にはかなり大変だろうと思います。

和泉流では萬斎さんや万蔵さんの三番叟を拝見したことがありますが、この日の月崎さんも熱演でした。低く高く、掛け声を掛け続けての舞、なかなかに面白いものです。
もっとも、月崎さんの常の狂言は大変面白いこともあり、どうも舞を観ていてもコミカルな感じのような気がして・・・それはそれで良かったのですが、ご本人には失礼と思うのですが、どうも月崎さんに俳優の小倉久寛さんのイメージが重なってしまって・・・

それともう一つ、実は揉ノ段からだったのか鈴ノ段からだったのか、記憶が怪しいのですが、小鼓が妙にボコボコとなっているなあと思い、気をつけて見てみると、枠に手のひらをつけたまま指先だけで、皮の震動を止めるように打つところがあります。
今まで気付かなかったのですが、幸清流だからなんでしょうか。そういえば幸清流で翁を観るのは初めてかも知れません。他流の翁、三番叟では気になったことがなかったのですが・・・
(72分:三番叟が終了し全員が舞台から退場するまでの時間です)

翁の古態・・・テレビ放映から

次へ行く前に、翁に関連して元日にテレビで放映された「翁~古態~」の話を少しばかり書いておこうと思います。
この企画はもともと昨年五月に横浜能楽堂で上演されたもので、大変興味をそそられたのですが、横浜まで出掛ける気力もなく断念した件。それを、今回のテレビ放映にあたって宝生能楽堂で観客を入れずに撮影し直したとか。・・・観客入れて見せてくれれば行ったのに、などと思うところですが・・・

古態というのは、観阿弥・世阿弥以前の古い翁の形を復元しようという試みなので、こういう表現にしたとか。
現在の翁は、千歳、翁、三番叟(三番三)と三人が舞う形になっていますが、観阿弥以前には稚児(露払。後に千歳)、翁、三番猿楽、父尉、延命冠者の五人が出る形だったようで、今回はこれを再現し、かつ観世・宝生の立合の形としています。
本来なら四座立合とすべきところ、能楽堂というスペースを考え二流の立合としたとか。
立合については、記憶が怪しいのですが、醍醐の花見かなにかの際に秀吉が四座立合能を命じ、その冒頭の翁では四座十二丁の小鼓が鳴り響き天地も割れんばかりだったという記事をどこかで読んだことがあります。
たしか絵図も見た記憶があって、屋外に設えられた四つの舞台で同時に翁が勤められている情景が描かれていました。
そういう意味では、立合の形は観阿弥以前のものという訳ではないと思うのですが、ともかく古い時代のものを再現しようという意欲的な試みであることは間違いありません。

この古態の内容については、いずれ機会を見て、少し詳しくレポートしてみようと思います。

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三輪 素囃子 梅若万三郎(梅若研能会)

観世流 観世能楽堂 2008.1.14
 シテ 梅若万三郎、ワキ 森常好
  アイ 石田幸雄
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎
   太鼓 助川治、笛 一噌幸弘

このブログでは、三輪の鑑賞記は喜多流粟谷明生さんの神遊の小書付の際のものを掲載しています。三輪は割と良く演じられる曲ですが、本来は四番目に置かれますが、三番目にも、あるいは初番にも置かれるという曲。
なにぶん、後シテは女性の姿ではあるものの、本来は男神である三輪明神ですから、初番神能と同等に扱われても、それはそれで納得できるところです。

しかもそうした神性を強調するためか、観世の誓納や金剛の神道、喜多の神遊といった重い小書があって、戦前から戦後にかけて能評などに大きく貢献された三宅襄さんの解説によれば、吉田神道の影響でこうした特殊演出が出来てきたのだとか。

観世流では、誓納がもともと宗家の一子相伝だったため、京都の片山家がこれに相当する演出として作ったといわれる白式神神楽という素敵な小書もあります。今では流儀の小書として割合よく演じられているようで、先日は宗家清和さんも上演されたようです。(もっとも現宗家と片山家は縁続きですから、そういう関係からかもしれませんが)

さてこの日の素囃子(シラハヤシ)は非常に重い扱いの小書で、誓納よりも重く扱われるのだとか。そのため滅多に演じられないようです。
どこがどうだったかについては、いずれ・・・ということで
明日につづきます

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三輪のつづき

まずは作り物出し。後見が大小前に運んできますが、これは常の形です。
つづいて名ノリ笛でワキが登場してきます。森さんの重々しい玄賓僧都です。小格子厚板の着流し僧姿。

ワキがワキ座に着座すると前シテの登場となります。
次第で出たシテは一ノ松で次第を謡います。型通り一ノ松から鏡板の方を見ての謡なので、ほとんど横を向いて謡うような感じになります。三輪を脇能の扱いで演ずるときは、次第を三遍返しにすると聞いたことがあるのですが、今回は特にそういうこともなく、普通に地取りが二句を謡っただけでした。

一ノ松で正面に向き直ってサシの謡。右手に水晶の数珠、左手には小さな水桶と榊の小枝を持っています。玄賓僧都のもとへ今日も参ろうというところです。

続くワキの謡、静かに心境を謡う感じです。「山頭には夜孤輪の月を戴き・・・」と、大変柔らかい謡。「雲を吐く」にはイロがついていますが、柔らかく包み込むような感じで音程を上げながら謡った感じです。

この謡の内に舞台に入ったシテがシテが案内を乞い、庵の内と外での問答となります。玄賓僧都の許しに、シテは地謡の「柴の網戸を押し開き」で常座から正中へ出て庵の中に入った設定、下居して「罪を助けて賜び給へ」とワキに向かって合掌します。

つづく地謡の上歌では静かな秋の情景が謡われ、シテは正面に向き直って静に水音に耳を澄ます風情です。。
謡が終わると、シテはワキに衣を所望します。秋も夜寒なので衣が欲しいというのですが妙な話ではあります。さてこのつづきはまた明日に

三輪さらにつづき

衣が欲しいというシテの頼みに、ワキは「易きこと」と応じ、シテが立ってワキに寄り衣を押し戴いて「さらば御暇申し候はん」と立ち上がります。
衣を左手に持ち不思議な情趣を残したままシテが立ち去ろうとすると、作り物を過ぎた辺りで「暫く」とワキが呼び止め住処を尋ねます。
シテは「わらはが住処は三輪の里」と言い、杉立てる門をしるしにお出でなさいませと言い残して、作り物に中入りします。

アイは常の如く三輪の里人。常座で三輪の明神に参詣すると述べて歩き出し、道すがら「総じて三輪の明神と申すは、昔よりいかなることに候や、鳥居もなく・・」と明神のことを語ります。
シャベリながら目付からワキ座前、ワキ座前から直線に常座へと進み、四、五足ほど出たところで「いや独り言もうすうちに早御前にて候」と、ワキ正に着座して作り物に向かい拝む形になります。

「あら奇特や」と杉に僧都の衣が掛かっていることに気付いて立ちあがり、あらためて正中でワキに向かい、参詣するように勧めて退場します。

ワキは着座のままに「この草庵を立ち出でて」と謡い、次の「この草庵を」の繰り返しで立ち上がって歩みだし、地ノ頭あたりで正面に向き直り道行の形。庵を出て三輪の山に尋ね行くと謡いつつワキ座まで出て作り物に向き直ります。

ワキ座から作り物を見ると自らの衣が掛かっており、さらに衣の褄には文字があります。この文字を読んでの謡の後、ワキ座に座してシテの出を待つ形になります。
このつづきはもう一日明日に

三輪さらにさらにつづき

後シテは作り物の中から謡い出し、常の通りシテ、ワキの掛け合いは作り物の内外で謡う形です。地謡の上歌「烏帽子狩衣」あたりで作り物の後から姿を現し、謡いっぱいに常座に進んで立ち、一方ワキは下がって両手をつきシテを拝します。
これも常の形と同様ですが、ただし通常の形では緋の大口に長絹、烏帽子の姿ですが、素囃子の小書では大口を着けず、縫箔を腰巻に着けて長絹を懸け、烏帽子を載せた形です。長絹は黄色の地に金使ったとても綺麗なもの。
「烏帽子狩衣、もすその上に掛け」という謡に従った装束なのかもしれませんね。

正中へ進んだシテは静かに立ち、クリ、サシを聞いて、クセは舞グセ。「かく年月を」から舞い出します。基本的には曲舞の型ですが、苧環に糸を結び付けるといった詞章に合わせての型が織り込まれています。

「八百万の神遊、これぞ神楽の始なる」で扇を木綿(ゆう)付きの榊にかえ、常座で正面を向いて三足ほど出て作り物に寄りつつ「千早振る」と謡って作り物に答拝。太鼓が加わって神楽、と思ったのですがここはイロヱになりました。
舞台を一廻りして、ワカ「天の岩戸を・・・」で大小前から正中へ出て、見所に背を向けて作り物に向かい下居。岩戸の前に座した形ということでしょうか。

「・・・神楽を奏して舞ひ給へば」と謡って、ここで神楽です。小書のため常の形とは神楽の場所が違うんですね。
神楽の最後で、笛座側から作り物に入り、地謡の「天照大神その時に岩戸を少し開き」と下居のまま雲扇、岩戸が開いた感じです。

地謡「一体分身の御事」あたりで橋掛りへ出、一ノ松で一度振り返った後、シテはそのまま幕に入り、その姿を下居合掌して見送ったワキが、最後に立ち上がって正へ詰めて留となりました。

素囃子の小書では、囃子の秘事が多くあるらしいのですが、なにぶん素人のことで「緩急があって面白い・・・」くらいしかわかりませんでした。
ですが今回の三輪、神遊や白式神神楽などとはまた違った奥の深さを感じた次第です。
(95分:当日の上演時間を記しておきます)

宝の槌 野村萬斎(梅若研能会)

和泉流 観世能楽堂 2008.1.14
 シテ 野村萬斎
  アド 高野和憲 野村万之介

この宝の槌は新年などには良く演じられるため、このブログでも善竹十郎さん、山本東次郎さん、大藏千太郎さんと、三人の方の宝の槌について鑑賞記を書いています。ですが、おわかりの通り、お三方とも大藏流でして、和泉流の宝の槌は書いておりませんので、今回も少しばかり書いてみようと思います。

アドの主人が長上下で先に立って登場し、後からシテの太郎冠者が登場して、現奇特のある宝を求めに太郎冠者が都へ上ることになる、という冒頭の部分は、大藏流と特段変わるところはありません。

とは言え、いつもながら萬斎さんらしい表現が随所にあり、都のにぎやかな様子に「ウワー」とも「ウォー」ともいうような頓狂な声を出したり、ついつい笑いに引き込まれます。
都のすっぱ万之介さんが登場し、一ノ松で名乗った後、太郎冠者を欺してやろうと声をかけるのも型通りです。が、持ち出した太鼓の撥が本当に使い古した色の撥でして、これはなかなか面白い。

さて大藏流同様にすっぱは「手は綺麗か」と太郎冠者に問いますが、大藏流では「今朝手水を使って云々」と答えるところ「随分手は綺麗でござる」とあっさり答えてしまいます。これは、後ほど太郎冠者が主人に問うところでも同じですね。
このつづきはまた明日に

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宝の槌のつづき

さてすっぱは太鼓の撥を「鎮西八郎為朝が鬼の島から持ち帰った打出の小槌」と偽り、太郎冠者に売りつけようとしますが、宝を出すための呪文、おおよそは同じなのですが、大藏では「しょりょうむりょうじょうむりょう」と唱えるところ「しょぎょむりょじょう(諸行無量常でしょうね)」というあたりが違いますね。

それよりも、大藏流だと呪文を唱えるときに小刻みに足拍子を踏むところが何度かありますが、こうした型はなく、むしろ舞のような感じです。「打出の小槌」と角で撥を持った手を挙げて決めるところが印象的。

ところで宝の槌の話を聞いた太郎冠者が、では何か打ち出してくれとすっぱに頼むと、すっぱは「宝はぬしを思うもので、わごりょが求めようとおおせあれば、早この宝はそなたにそなわっておる」と太郎冠者に打ち出させます。

また宝の槌の代金が万疋というのは、大藏流とおなじですが、大藏流では代金を決めると急ぐ太郎冠者は「さらばさらば」とすぐに帰ってしまいます。一方、今回の宝の槌では代物は三条の大黒屋で渡しましょうというやり取りになっています。
どうも和泉流の方が細かいところまで台本が出来ているような感じもしますね。

主人の処に戻った太郎冠者が、槌から馬を打ち出そうと、何度もやってみるところは同じですが、先ほどの呪文を唱えながらの舞で、角のところで撥を持つ手を上げる型がこの後効いてきます。
回を重ねるたびに、太郎冠者が上げた手の撥を不安そうに覗き込み、この覗き方が段々甚だしくなってくるところが笑わせるところ。

最後は型通りですが、大藏流では「番匠の音がかったりかったり」と言いますが「鍛冶番匠の音が」と鍛冶も付け加えられています。
(36分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

新春名作狂言の会を観る

出張帰りに寄れそうな、ということで覗いてみた会ですが、あの広い文京シビックホールが満席であります。しかも、思い立ったのがごく最近のために後から五、六列といったあたりで、舞台は遙か遠くでありました。

茂山千作さんシテの貰聟と、野村万作さんシテの六地蔵。
あ、今書いていて気付きましたが、千作・万作ってなんだか漫才のような・・・
ともかくお二人の至芸で、解説が茂さんと萬斎さん。

狂言二番なので、7時開演でもあっという間に終演だろうな、と思っていたら、最初に解説というか対談というかなかなか楽しいお話があって、終演は9時近く。
これだと家に11時には着きません。今、やっとお風呂に入ってきたと思ったら日付が変わるところですね。
というわけで、また明日。
昨日は体調不良で早く寝たのですが、まだいささか不調です・・・

野守 白頭 天地之声 梅若万佐晴(梅若研能会)

観世流 観世能楽堂 2008.1.14
 シテ 梅若万佐晴、ワキ 村瀬純
  アイ 竹山悠樹
   大鼓 原岡一之、小鼓 幸正昭
   太鼓 小寺真佐人、笛 成田寛人

このブログでは、金剛流工藤寛さんの野守について鑑賞記を書いていますが、今回は観世流。しかも白頭、天地之声の小書がついて、だいぶんに重い扱いになっています。

通常は、まず後見が塚の作り物を大小前に据えます。金剛の工藤さんの時もこの形でしたが、小書がつくと塚を出さない場合があり、特に今回の天地之声の小書では中入りの形の違いが見せどころでもあるため、塚が出ないままにワキの登場となります。

ワキは村瀬さん。次第で登場してきますが羽黒山から出た山伏という設定。割合するすると出た感じです。
次第の謡については先日ちょっとした豆知識を書いておきましたので、あわせて参照頂ければと思いますが、型の通り常座で鏡板を向いて次第を謡った後、大峰、葛城に参ったことがないので大和へ行こうと志している旨を述べ、道行を謡って大和の国春日野についたということで、ワキ座に着座します。

すると一声で前シテ、野守の老人が登場してきます。小格子厚板に水衣の老人姿で右手に杖を持って、杖をつきながらの登場です。
このつづきはまた明日に

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檀の会を観に行く

今回初めて、松木千俊さんの主催される檀の会を拝見しました。
松木さんの能は定評があり、一度拝見しようと思っていたのですがなかなか機会無く、歌占のツレで拝見した他は、地謡や後見などでお見かけする程度。

今日の番組は、松木千俊さんシテの「屋島」。弓流と奈須与市語の小書がついていましてアイは萬斎さん。万作さんシテの狂言「文荷」を挟んで、松木さんのご子息、崇俊さんのシテで「舎利」。こちらはツレで、かの祥丸さんが出ています。
他に仕舞が六番ほどでした。

屋島、良かったです。やっぱり松木さんの能は観るだけの価値がありました。謡も味があります。特に前シテの謡に深みを感じました。
萬斎さんの奈須与市語は久しぶりに拝見しましたが、これまた見事な舞台で、以前拝見したときよりも余裕を持たれているというか、風格が出た感じです。

ご子息崇俊さんは昨年が初面だったそうですね。子方時代の雰囲気をいささか残しておられる感じがしますが、速い動きはピシッと決まっていて好感が持てました。ツレで関根祥丸さんが出ていまして、二人の足疾鬼と韋駄天はなかなかの見物でした。

文荷(大藏流は文担)はよく観ている狂言で、万作さんのシテでも観ていますが、今回やけに面白かったような気がしました。気のせいですかねえ・・・

一昨日に続いて、別ブログの方でお世話になっているArabesquさんにお目にかかりました。一昨日も本日も最前列で萬斎さんを観ていらっしゃいましたが、最前列であの那須与市語は迫力あったでしょうね。(私の別ブログの方はもう暫く更新していませんが・・・)

野守のつづき

登場してきた老人は常座で一セイを謡います。
この後、サシ・下歌・上歌と春日の神の神徳や、春日野の春の長閑な景色が謡われるのですが、今回は小書のために省略されて、直接シテとワキの問答になりました。

ワキは立って、由ありげな水について、その謂われを問います。
シテの老人はこれに「野守の鏡」であると答え、自分たちのような野守が朝夕に影を映す故に野守の鏡というのだが、真の野守の鏡というのがあって、昔鬼神が持つ鏡のことであると語ります。

ワキはこの野守の老人に対してさらなる問いかけをし、いわゆるカカルという部分、詞からサシ調の謡で問答をつなげる部分へと展開していきます。
この問答から地謡の上歌へとつながりワキがワキ座に着座する一方で、シテは杖突きつつ常座から正中へ出、正へ向いて正先へと進みます。「老の波は真清水のあはれげに見しままの」と水を覗き込むように面を伏せ水庭が姿を映す風。

「あはれげに見しままの」で二、三足たらたらと下がり、地謡いっぱいに常座へ回ってワキに向かい合います。

ワキが野守の鏡の謂われを語るように所望し、シテは正中に下居して語となります。
前半の重要な部分で、シテは、古の御狩の際に鷹の行方が知れなくなったが、野守の翁が問われて鷹が水底に居ると告げたことを語ります。

「狩人ばっと寄り見れば、げにも正しく水底に」でシテは立ち上がり、正先へ出て水底を覗き込む形。
さらに地謡に合わせて、一度下がってから杖を突きつつ正先へ出て「鷹は木居にありけるぞ」とやや面を上げて樹上の鷹を見上げる風を見せます。樹に留まった鷹の姿を映した水こそ野守の鏡であるとの謡にあわせての所作ですね。
地謡の終わり「申せばすすむ涙かな」で正中に下居してシオリます。
このつづきはまた明日に

野守さらにつづき

続くロンギから中入りとなります。
地謡の「疑はせ給ふかや鬼の持ちたる鏡ならば」で杖を手に立ち上がり、橋掛りへ進んだ後、一ノ松で振り返ってワキに左手を延べて杖を捨て、するすると中入り。
通常の形では作り物の塚の中に中入りするのですが、この日は天地之声の小書のため幕への中入りです。

間狂言は春日の里人。ワキに対して野守の鏡の謂われを再度語ります。アイを野守とする場合もあるようですが、本日は里人での語りアイです。

ワキの謡から、常の形では出端が奏されて塚の中からシテが「ありがたや」と謡い出しますが、天地之声の小書がついてシテは幕内から謡い出します。
さらに地謡とシテの掛け合いになり、地の「鬼神に横道なく」でテンポが急に上がり、シテが走り出る形。白頭の小書がついて装束が変化しています。

この姿にワキは「恐ろしや打火輝く鏡の面に」と謡い、シテの姿をおそれる様を謡います。これに対してシテは「恐れ給はば帰らんと」と立ち去る風を見せますが、ワキが引き留めて「法味にうつり給へとて」シテが「重ねて数珠を」そしてワキが「押し揉んで」と謡い数珠を揉んで祈り続けます。

小書のため舞働キは省略され、シテは中ノリの地にあわせて力強く足拍子を踏み、鬼神の姿を力強く豪快に演じました。
足拍子も小書のためか替の拍子になっているのですが、余りに複雑で囃子の間に合っているのかいないのか、わからなくなるような感じでした。
(63分:当日の上演時間を記しておきます)

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貰聟 茂山千作(新春名作狂言の会)

大藏流 文京シビックホール 2008.1.25
 シテ 茂山千作
  アド 茂山千五郎・茂山茂

狂言の場合、シテとかアドとか書いても意味があるのかなあと、時々思うのですね。同じ「シテ」とはいっても、シテ方が専業で独立しワキとは明確に役の違いがある能とはまた違いますし・・・
この曲も番組表では上段に千作さん、下の段に千五郎さんと茂さんが書かれているので、シテが千作さん、千五郎さんと茂さんをアドとしてみたのですが、番組表をよく見ると「舅 茂山千作」という表記で、下の段も「夫 茂山千五郎」「妻 茂山茂」と書かれています。千作さんはなんといっても茂山家最長老の重鎮ですから上の段に書いたのかなあと思わないでもなし、はたして茂山家の扱いとしてどの役をシテにしているのか、いささか疑問が残りました。

というのも、一般に貰聟では聟をシテにする、というか「○○聟」という狂言は普通は聟をシテとしているはずで、舅をシテというのはあまり聞いたことがないからなのですが、そうしたことをぐだぐだ言っても、狂言の面白さが変わるわけでもないので、そろそろ曲の展開の方に。

舞台にはまず妻と舅が登場してきます。上に書いたような事情のため、今回はシテ・アドではなく役名で記載します。
さて妻がワキ座近くに、舅が笛座のあたりに着座して聟の出を待つ形になると、大声で悪態をつきながら聟が登場してきます。

千五郎さん、フラフラと実にそれらしく酔っぱらった雰囲気で、実際もかなりお好きなのかと思わせるところ。どこかでご馳走になったものの、気に入らない「苦々しいことじゃ」などと言いつつ、橋掛りを進みます。
紅白の段熨斗目を壺折に着けていますが、この点は事前の解説で萬斎さんと茂さんが取り上げ「珍しい形」と言っていました。野村家では紅白段を壺折にするという形はこの曲に限らず無いということで、茂さんに「聟だから目出度いという意味で紅白なんですかね」といった質問をされていました。

一方、茂さんの話では、紅白段の壺折はこの曲しかないそうで「酔っぱらい」という象徴で紅白なのではないか、ということでした。
なるほど、こういう解説を聞けるのは楽しいですね。
さてこのつづきはまた明日に

貰聟のつづき

酔っぱらった聟は、出先での応対に腹を立てていて家に帰って飲み直そうという魂胆。常座から家の内へという風で「帰った」と呼ばわりますが直ぐには返事がありません。
立って出てきた妻が「戻られましたか」というと「なんじゃ、戻られましたかぁ?」などと一々からんで、口論になります。

更に酒を呑むという夫に、妻が止めようとすると「いかほど飲んでも酔うたことのない身共が」飲むというのに、などと怒りながら正中へ出て言い合いの後に、妻に暇をやると言い出します。

妻は「一人ある『かな法師』はいかがします」と問いかけますが、夫が酔った勢いで追い出し、妻は後見座にクツロギます。ここで夫の中入り。奥へ行って休もうと存ずると言い「都なら東山・・・云々」と謡いながら退場します。

このあたりまでは別曲「法師ヶ母」と基本的に同じ形ですね。
茂さんの狂言は初めて拝見しましたが、大変にこなれた演技で女に違和感がありません。解説では、茂山家ではこの貰聟を上演することが多く、女房役を良く演じているとおっしゃっていましたが、さもありなんというところ。

さて夫が退場してしまうと、妻は一度ワキ正へ出て「今日という今日はほとほと呆れ果ててござる」ということで、ふっつりと思い立ち、他に行く当てもないので里へ帰ることにしようと述べます。
そして、ワキ正から幕の方向に向かい、かな法師に元気でいるように呼び掛けて親元へと歩みを進めます。

「かなほうし」は子供のことで、この曲に限らず夫婦の諍いに関係しては「子は鎹(かすがい)」ということで、よく使われる表現。法師ヶ母はもちろん、鈍太郎でも正妻は「かなほうしの母」となります。
これも当日の萬斎さん、茂さんの解説の中で「かなほうし」というのはどうも男の子にしか使わないらしい、とおっしゃっていました。なるほど。
さてこのつづきはまた明日に

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