能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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貰聟さらにつづき

親元に戻ると舞台を一巡りした妻は、常座から家の内に呼び掛けて、戻ってきたと正中へ出て泣きます。
さて舅の千作さん、立つ際には後見の手助けが少しばかり必要の様子ですが、演技となればお元気で、戻ってきた自らの娘に「またか」と一言。このひとことが大変に面白い。今までの大騒ぎが、実は何回も繰り返されてきたことで、親もいい加減あきれていることなのだと、一瞬で伝わります。

聟が悪いのではない、酒が悪いのだと舅が諭し、聟の所へ帰そうとしますが、娘は帰るくらいなら淵川に身を投げると言い出す始末で、それならば奥へ行って休み絶対に出てくるな、と舅が命じて、娘は後見座にクツロギます。

代わって意気消沈した風情で聟が登場。「世に酒ほど恐ろしいものはござらぬ」と悔恨を述べながら一ノ松へ出、「度々で面目もござらぬが」などと言いながら橋掛りを進んで「敷居も高うござる」と舞台へ入るところで敷居をまたぐ所作。
中へ入ったという形で正中へ座して舅に弁解をします。

舅は娘は来ていないと、聟が何を言っても取り合いません。しかし聟が「今朝からかな法師が、かか様かか様と言って呼びまする」と語ると、橋掛りへ出て様子をうかがっていた娘が「おう、それそれ」と思わず大声を出してしまいます。

舅がごまかしますが、聟が語る内に橋掛りから舅の後に回った娘は、舅の袖を度々引き、その度に舅がたしなめますが、とうとう聟が気付いて連れて行こうとします。
これを舅が止めて、腕ずくでもと取っ組み合いになるわけです。

ここからは水掛聟と同断で、舅の足を取れ、親の足を取る者があるか聟の足を取れ、と舅と聟が娘に言うものの、結局、娘は親の足を取り、舅をぐるぐると回して娘が先に橋掛りへ。一ノ松から「恋しい人」と聟を呼び、二人が幕に。
残された舅は「来年から祭には呼ばぬぞよ」と留になりました。

この曲、演出は家によってかなり違うようですが、茂山家千五郎家の形はなかなかに面白いですね。
(29分:当日の上演時間を記しておきます)
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六地蔵 野村万作(新春名作狂言の会)

和泉流 文京シビックホール 2008.1.25
 シテ 野村万作
  アド 野村萬斎、石田幸雄、深田博治、高野和憲

狂言の二曲目は六地蔵。
このブログでは一昨年の夏に大蔵吉次郎さんのシテで拝見した際の鑑賞記を載せています(このブログを始めた頃なので狂言についてはあまり詳しい記載をしていませんが)。
今回は和泉流ですので演出に若干の違いがあります。最大の違いは登場人数で、大藏流ではシテの仲間は二人で、シテを含めて三人が田舎者を欺す形ですが、和泉流ではシテの仲間が三人出るのが通常の形。二人ないし三人ということのようですが、少なくとも野村家では三人が基本のようです。

この曲、基本は「仏師」と同じで、と書いたところで気付いたのですが、このブログでは仏師の鑑賞記を書いていません。ということは二年近く仏師を見ていないということですね。上演回数の多い曲ですが、なるほど。

さて仏師と同様と書きましたが、そのあたりをふまえつつ曲の様子を書いていきたいと思います。
まずはアドの萬斎さん、田舎者が登場します。
常座で「このあたりの者」と名乗った後、在所の老若心を合わせて六地蔵堂を建立したが、まだ仏がないので都へ上って六地蔵を安置しようと思う旨を述べて、舞台を一巡りして都へ向かいます。

都へ近づき、にぎやかな様子に驚いたり、仏師がどこにいるか確かめずに来てしまったと困った末に「仏買おう、仏買いす」と呼ばわり歩くのは仏師と同様で、先日の宝の槌とも同様です。
例の通り、シテのすっぱが現れ田舎者を欺してやろうと近づくことにします。
田舎者とすっぱのやり取りも最初は先日の宝の槌と同様ですが、仏師を探しているというところからこの曲や仏師独特の展開となってきます。
さてこのつづきはまた明日に

六地蔵のつづき

仏師を探しているという田舎者に、身共は真仏師(まぶっし)だとすっぱが言うと、田舎者は生まれついてまむしが嫌いだと大騒ぎ。まむしではなく、まぶっしだとすっぱが正しますが、まぶっしとはなんだと問われて、すっぱは運慶、丹慶、安阿弥と仏師の流れがあるうち、運慶、丹慶の流れは絶え、安阿弥の流れも自分だけなので真仏師というのだと田舎者を欺します。

なるほどもっとも、と思った田舎者が早速に六地蔵を依頼します。
シテのすっぱは巧妙に、六地蔵とはどのような子細なのかと、田舎者が知っていることを聞き出します。
一体は妙悲地蔵といって錫杖を持って無間の苦を救い、一体は数珠を持ち、また一体は夢二地蔵といって宝珠を以て餓鬼道の苦しみを救い、一体は鉾を持ち、一体は手を合わせ、さらに一体は衣を持つ、と田舎者は知っていることを語ります。

永いことを奇特にも良く覚えたとすっぱは褒めて、六つとも作ってやろうと言います。
ところが、田舎者がいつ頃出来るかと問うと三年三月九十日かかろうか、という返事。それでは時間がかかりすぎるので早くならないかと再度尋ねると、急ぎならば明日の今時分とすっぱが返事します。
自分が一人で作れば三年三月九十日かかるが、弟子が沢山居るので部品ごとに作らせて自分が全体の組み立てをすれば一日で出来るという説明です。
このあたりは、三年三月九十日だったかどうかは忘れてしまいましたが、大藏流もほとんど同じですね。

実はこの後、代金はいくらかというやり取り、三条の大黒屋で代金を渡すというやりとりがあるはずなのですが、今回は省略されていました。先日の宝の槌と同断です。

明日の今時分と約束し「さらばさらば」と別れて、田舎者は後見座にクツロギます。
実は楊枝一本削ったことのないシテは、いたづら者の同類が居るのでこれを呼び出して相談しようと声をかけます。
さてこのつづきはまた明日に

六地蔵さらにつづき

シテの同類が三人登場してきます。石田さん、深田さん、高野さんとお馴染みの皆さんですが、出てきただけで面白い。

シテは早速に相談ということで、三人に六地蔵を請け負ったことを説明し、皆が地蔵の真似をして代物を受け取って逃げてしまおうと語り合います。
仲間の一人は(石田さんが演じましたが)六地蔵だというのに三人では済まないだろう、仲間を語らってこようと言いだし、探しに行こうと言います。
しかしシテはこれを止め、仲間が大勢になっては分け前が減ってしまうので、先ず三体を拝ませ、「残りの三体は」と田舎者が言ったら、別の所にあると所を変えてまた三体を拝ませようと説得します。

そして田舎者から聞いておいた通りに準備をし、ワキ座から笛座あたりにかけて面を着け錫杖などを持った三人がならび、シテは大小前に着座します。

田舎者が約束の頃合いと後見座から常座に出、三体の地蔵を見つけ目付に座して拝します。しかし六地蔵というのに三体しかないと、仏師を探すとシテが登場して正中へ。
残りはどうしたという田舎者の問いに、思いのほかに大きい仏なので、場所が狭くて一緒には置けないため撞楼堂の脇に置いてあると言い、橋掛りの方へ田舎者を案内します。

田舎者がゆっくりと歩いてくる間に、仲間三人を誘導して別の三体の印相をさせて準備しますが、三体を拝した田舎者は先の三体と見比べたい、と元のうしろ堂に戻ります。
三人は大騒ぎで元に戻りますが、だんだん印相や持ち物が怪しくなってきます。

さらに撞楼堂へ、うしろ堂へと田舎者が行き来し、最後は移動中の一行と田舎者が鉢合わせしてしまい、田舎者が追い込んで留。
新春名作狂言と銘打った会でしたが、二番とも文句なしに楽しめる曲でした。

私はこの会は初めてですが、新宿文化センター主催で開催されてきた人気ある会なんだそうで、今回はたまたま新宿文化センターが改修工事中なので文京シビックセンターで開催されたのだとか。今回は特に、野村万作さんの人間国宝認定記念と銘打った会で、楽しい晩を過ごしました。
(28分:当日の上演時間を記しておきます)

屋島 弓流 奈須与市語 松木千俊(檀の会)

観世流 観世能楽堂 2008.1.27
 シテ 松木千俊、ツレ 武田文志
  ワキ 殿田謙吉、アイ 野村萬斎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 曽和正博
   笛 一噌仙幸

屋島は各流にありますが、現在は観世流だけが屋島の表記を用い他流は八島です。(もっとも観世も明治時代の本は八島の表記ですから、現在の大成版あたりで屋島に変えたようなのですが)
今回は特に弓流の小書付きで、この小書は観世流と喜多流にあります。

いずれも通常は床几にかかったままで語られるクリ・サシ・クセの部分を立って演ずる演出ですが、ここで語られるのがで「弓流」の故事のため「弓流」という小書名になったのでしょう。喜多流ではあまり所作はなく床几を立って少し出、扇を弓に見立てて左手に持ち替えて元に戻るという形とか。(残念ながらまだ観る機会がありません)
一方、今回の観世流ではもう少し所作が複雑になります。このあたりは後ほど書いてみたいと思います。
また観世の弓流に際しては、床几は常の鬘桶ではなく小鼓方の床几を使うことになっていますが、このあたりも後ほど・・・

観世流にはこの弓流に加え、さらに素働の入る「大事」という小書もありますが、観世・喜多両流の弓流、そして大事の際には、今回のように間狂言が替の奈須与市語になります。これも今回楽しみにしていたところですが、後ほど、これについても少し詳しく書かせて頂きます。

何はともあれ、まずは常の形同様に次第でワキの旅僧とワキツレ従僧が登場してきます。このつづきはまた明日に

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屋島のつづき

登場してきたワキ・ワキツレは舞台中央で向き合って次第を謡い、ワキが「四国に行ったことがないので西国行脚を志した」旨を述べて道行。「屋島の浦に着きにけり」と謡ってワキ座に着します。
そう言えば殿田さんのワキは昨年四月の西行桜以来です。なんとなくふんわりした雰囲気で好きなワキ方の一人。ワキツレは梅村さんと野口能弘さん、三人息の合った謡でした。

一声の囃子でシテ、ツレの登場。屋島のツレは直面の若い漁夫ですので、演者も若手ということになります。この日は武田文志さん、たしか三十才を越えたばかりだったかと思います。
先に出たツレが一ノ松、シテは三ノ松で月が海上に浮かんで波に映る様を謡います。夜になって漁師達が塩屋に戻ってきたという風。アシライで舞台に入り、ツレが正中、シテが常座で上歌、下歌と謡います。
塩屋に帰って休もうとシテは大鼓の前あたり、ツレは向かって左奥のシテ柱に近い方に、二人とも下居します。普通はシテが蔓桶に腰を下ろし、ツレがその横に控えて下居するのですが、弓流の小書だと前場は床几を使わないんですよね。

さてこの二人の登場に、塩屋の主が戻ったので宿を借りようとワキが問いかけ、ツレがこれをシテにつなぎます。松風などと同様に塩屋が余りに見苦しいので宿は貸せないと断りますが、ワキが都から来た者というのを聞いて「都の人」ならばと宿を貸すことになります。
ワキを招じ入れたシテは、都を懐かしんで「我等も元はとて」涙にむせんだとシオリます。

ワキは、この浦が源平両家の合戦の跡と聞いているので、その物語をして欲しいと求め、これにこたえて屋島の合戦の語になります。まずシテが義経の出で立ちを語り、ツレが加わって錣引きの話を語ります。
この話が余りに詳しいので、ロンギ「あまりに詳しき物語 その名を名のり給へや」と地謡がワキに代わって謡い、「よし常の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ」という意味ありげな謡を残してシテの中入りとなります。
このつづきはまた明日に

屋島さらにつづき

中入りでアイの浦の者が常座に出てきます。実はこの塩屋の本当の主で、塩屋に休むワキ達を見咎めて問いただしますが、ワキの話に義経の霊が現れたことを覚り、錣引きの話をアイの語りで繰り返す、というのうが常の形です。

今回の奈須与市語の小書では、この錣引きの話に替えて奈須与一が扇の的を射落とした話が語られます。この奈須与市語は、狂言尽くしの会などで、独立した狂言の語としても演じられることがあります。

萬斎さんの奈須与市語は以前にも拝見したことがありますが、父であり師匠でもある万作さんの語と基本的には同じなのですが、そこはそれ演じ手によって印象は変わってくるもので、万作さんの語が磨かれた職人芸のような味わいであるのに対して、萬斎さんは天才のキレのようなものを感じたところでした。
今回は、そうしたキレのような感じから、さらに余裕を持って風格が高まったように感じました。

さてアイはまず常の間狂言の通りに常座へ出て名乗り、塩屋の見回りをすると言って目付に出てワキ僧を見つけ問いただします。塩屋は主に借りた、主は自分だ、というお馴染みの問答の後、ワキがこの地で扇の的を射たという奈須与一の話をしてほしいとアイに持ちかけます。
これに答えてアイが「そもそも四国の兵」と語りだします。

単なる語りではなく、判官義経・後藤兵衛実基・奈須与一宗高の三人を仕方話に演じ分ける面白さは、残念ながら文章には書き表せません。一度ご覧になってみればわかる、ということでご容赦を。

さて語り終えたアイはワキに義経の供養を促し下がります。ちなみに和泉流では奈須与市語ですが、大藏流では那須語または単に那須と呼ぶようです。
このつづきはまた明日に

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屋島さらにさらにつづき

息もつかせぬ語り物を堪能すると、ワキが中入り前の霊の言葉を繰り返し、ワキツレと供に待謡。一声での後シテの出となります。

後シテは法被、半切で甲冑姿を表し、常座で「落花枝に帰らず、破鏡再び照らされず・・・」とサシを謡います。大変に美しい法被姿です。
ワキが「もし判官にてましますか」と問いかけ、シテが「われ義経の幽霊なるが」と我が身を明かしてワキとの掛け合いの謡。地謡の上歌で夢物語をしようとシテは床几にかかります。

数日前に書いたとおり、弓流の小書がつくと、観世流ではここでの床几を常の鬘桶に代えて小鼓方の床几にし、小鼓方は鬘桶に座します。言い伝えでは、ある時、後見が鬘桶を出すのを忘れてしまい、機転を利かせた小鼓方が自らの床几を出してシテに座らせたとか。小鼓方は後見が遅れて持ち出した鬘桶に座して演奏したのが、小書として定着したのだと聞いたことがあります。
翁の打掛りのように、遅参した大鼓方が大鼓を打ちながら登場したのを小書として定着させたというものもあるので、弓流の床几もそんなきっかけだったのかも知れませんが、勝修羅として尊重されている屋島で、シテが床几にかかって采配する姿を見せるのが武家の時代に好評だったということなのでしょうね。
なお、小鼓方はこの際の鬘桶として、シテ方の通常のものではなく、自分用の特注品を持っている方が少なくないとか。前場は通常の床几を使い、後場で鬘桶に替えます。

さて床几にかかるとクリの謡。以前、謡の話で書きましたが、私はクリの謡が一陣の風の様な感じがして、場面の展開を感じて好きなのですが、この日の地謡も良い感じでした。

シテの謡から地謡の「元の渚はこれなれや」となりますが「足並にクツバミを浸して攻め戦ふ」で囃子が入りシテが立ち歩き始めます。常の形ではこの跡のクセの前半まではシテは床几にかかったままですが、ここが弓流の小書の主たる中身ということになります。
長くなりますので、この項、もう一日つづきます

屋島もう一日つづき

立ちあがったシテはワキ座あたりで立ち止まり、弓に見立てた扇を落とします。
シテの謡「その時、何とかしたりけん 判官弓を取り落とし」とまさに言葉のままの場面。小鼓の手に合わせての所作ですが、小鼓方の重い習いになっている部分。

さらに落とした弓を探す風で常座まで向かい、「駒を波間におよがせて」で馬に乗った型から、二、三足正中へ寄り、「終に弓を取り返し」とワキ座近くの扇を取り上げ、「元の渚に打ち上がれば」と再び床几にかかってクセになります。

クセの前半は型通りに床几に座したままで聞きますが、「小兵なりと言はれんは、無念の次第なるべしと」で少し面を伏せた形が、何とも悔しげな顔に見えたのは不思議なところ。上げ羽の後「惜しまぬは一命なれば」で立ちあがり、舞台を回る形になります。

修羅の鬨の声が聞こえ、修羅道の有様を見せる形で「矢叫びの音、震動せり」とアイ拍子を踏みカケリへ。弓流や大事の小書がつくと省略されるのが一般的ですが、この日はカケリが入り、舞台を廻り橋掛りへと入って一ノ松で開き「今日の修羅の敵は誰そ」と謡いました。

「その船戦今は早」から能登守教経との激しい戦いの有様となり「海山一同に震動して」で再び舞台に戻ります。常の形では最後に雲扇で夜が明けたことを示し「朝嵐とぞなりにける」で留の拍子を踏みますが、今回は「浮き沈むとせしほどに」でまた橋掛りを進んで一ノ松で止まり、「波より明けて、敵と見えしは」から謡のテンポが急に速まる中、一度目の「浦風なりけり高松の」でシテは幕に走り込み、いわゆるワキ留の形で、ワキがその後ろ姿を見送る形で立って留の拍子を踏みました。

松木さんのシテは初めて拝見しましたが、緩急ある気持ちの良い演技で、古の義経もかくあったかと思う一番でした。
(111分:当日の上演時間を記しておきます)

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文荷 野村万作(檀の会)

和泉流 観世能楽堂 2008.1.27
 シテ 野村万作
  アド 高野和憲 野村万之介

文荷(フミニナイ)も能の会などで良く演じられる狂言なので、度々拝見していまして、万作さんがシテを勤められたものも観ていますが、このブログでは大藏流善竹富太郎さんの文担の鑑賞記を書いたのみですので、そのあたりの違いなどを交えて書いてみようと思います。

さて登場してきたアドの主人、千満(センミツ)殿という少人と遊んだが「また今宵参るように」と手紙が来たので返事をしよう思うと述べて、早速に太郎冠者と次郎冠者を呼んで文を千満殿のところへ持って行くように言い付けます。
善竹富太郎さんの時は「彼の人」と名前を出しませんでしたが、ほかに左近三郎殿といった名前にする場合もありますね。

続狂言記などでは、主人と太郎冠者、次郎冠者のやり取りは単に押しつけあうだけの形で、富太郎さんのときも基本的にそんな流れだったと記憶していますが、和泉流ではこのあたりが詳しく説明されています。文を持っていけと言われた太郎冠者が、このことが内儀様に知れたら大変だと断り、これに対して主人は、別に女にやる文ではなし少人に使わす文だから良かろうと答えます。
では次郎冠者にと言うと「お所を存じませぬ」と言うし、さらに行くの行かぬので押し問答となり、主がとうとう小刀に手をかけて、二人は使いに行くことになるという次第。
随分とこのやり取りが詳しく描かれています。

大藏流の形では、この後で文を担った太郎冠者、次郎冠者のやり取りから、衆道の相手に対する恋の文と知れる流れですが、和泉流の形では最初から文の相手との関係が明らかにされているわけです。

さて主は笛座前に下がり、太郎冠者と次郎冠者の二人が預かった文を持って出かけることになります。例によってどちらが持つかで揉めあった後、竹の棒の中間に結び付けるのですが、この結び付ける形は家によって若干の違いがあるようで、今回は竹に紐をかけこれに文を結び付ける形です。これを二人で担いで行くわけですが、このつづきはまた明日に

文荷のつづき

さて文をつけた竹の棒を担いだ二人ですが、太郎冠者が文を次郎冠者の方に寄せると、次郎冠者が重くなったと騒ぎ出します。次郎冠者が自分の方に文が寄っていることに気付き、真ん中に置けということで、また二人で担いで歩きます。
それにしても、ただ文を担っていくのもつまらないので、その様を謡にして謡いながら行こうということになり、恋重荷の一節を謡いますが、やがて文を下ろして二人座り込んでしまいます。

すると太郎冠者が文を見たいと言いだし、次郎冠者が止めるのも聞かずに開いて読み上げます。この内容でまた大騒ぎ。「恋し、恋し」と小石が沢山書いてあるから重いとか、「お懐かしさは富士の山にて」と富士山まで書いてあるので重いはず、などと打ち興じているうちに、二人で手紙の取り合いになり、文を破ってしまいます。

さてどちらのせいだとしばらく言い合いしていたものの、これはきっと叱られるので文を捨てて逃げてしまおうということになり、「志賀の浦を通るとて、文を落いた 浜松の風の便りに」と扇を出して二人で文を扇ぎます。富太郎さんのときは扇いで先方に文をやることにしようという算段であおぐ形でしたが、微妙に違いますね。

さて二人が文を扇いでいる主人が登場し、二人を追い込む形で留になります。
富太郎さんの時は、次郎冠者は先に逃げて幕に入り、シテの太郎冠者が破れた文を「お返事でござる」と差し出す形でしたが、この日はまず次郎冠者が「お返事でござる」と差し出して逃げ、その後、さらに太郎冠者が文をたたんで「お返事でござる」と差し出して追い込まれる形でした。

何度も観ている狂言ですが、万作さんと万之介さんの息の合った芸のせいか、とりわけ面白かったように感じました。
(23分:当日の上演時間を記しておきます)

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舎利 松木祟俊(檀の会)

観世流 観世能楽堂 2008.1.27
 シテ 松木祟俊、ツレ 関根祥丸
  ワキ 大日方寛、アイ 竹山悠樹
   大鼓 柿原弘和、小鼓 森澤勇司
   太鼓 大川典良、笛 一噌隆之

太平記の巻八、谷堂炎上事に、捷疾鬼という足の速い鬼が釈迦入滅の時に犬歯を一本盗み取って須弥山の中腹四天王界まで逃げたところ、韋駄天がこれを追い掛けて取り戻し、この牙舎利が中国を経て我が国に伝わって浄住寺にあったという話が出ています。
この話などをもとに能に仕立てたということでしょうね。

動きの速い能で観て面白い曲ですし、今回はお若いシテとツレで元気いっぱいの舞台でした。

まず後見が一畳台を持ち出し、正先に据えて舎利塔という設定で小さな台の上に火焔玉を載せたものを置きます。

名ノリ笛でワキの登場。ワキは出雲の国、美保関の僧と名のり、常座で道行を謡い都に着いたということで、仏舎利を伝える泉涌寺にやって来ます。
寺に着いた僧は、まず仏舎利を拝もうとし、アイ寺の能力に舎利を拝ませてもらいたいとの問答になります。
舞台常座から、シテ柱越しに狂言座のアイに呼び掛ける形です。呼ばれたアイはそのまま狂言座から応対します。

結局、仏舎利を拝ませようということになり「こう御座候へ」とアイが正中へ出て戸を開ける形。ワキが仏舎利を拝めるようにします。
このつづきはまた明日に

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舎利のつづき

前シテの出は地謡の上歌のうちになっています。登場楽で出る形ではなく、なんとなく紛れて出てくるというのが、シテの怪しさを強調するような気がします。

里人となっているのですが、黒頭の異様な姿で怪しい雰囲気を醸し出します。今回のシテは松木千俊さんのご長男崇俊さん。たしか高校生で昨年が初面だったやに聞いております。子方時代の謡から大人の謡に変わっていく途中という感じでしょうか。

さてシテは常座で、仏在世の時は法の声に接した身で、この末世に舎利を拝する喜びをサシに謡います。もうここで「怪しいです」と宣言しているような謡ですが、ワキは知ってか知らずか、このシテに声をかけ、供に舎利を拝することになります。

地謡が上歌「月雪の古き寺井は水澄みて」と謡ううちに、シテは舞台を一巡りして正中に下居します。

クリ・サシ・クセと謡がつづきますが、居グセでシテはじっと座したまま。
謡はこの末法の世になって、仏法が東漸とて唐土を経て日本に伝わり興隆にある証として、仏舎利がこの寺にあり目前に拝することが出来るのは尊いこと、と謡います。

クセが終わるとあたりの景色が一変した風で、ワキが突然の稲光の様子を告げ、シテは立ちあがって自らが古の足疾鬼の霊であることを明かします。
さらに中ノリの「栴檀沈瑞香・・・」という切れの良い地謡に足拍子を踏み、橋掛りへ進んで一ノ松まで走ります、ここで舞台を見やってから足早に舞台へ戻り、一畳台に飛び上がって火焔玉を取って台を踏みつぶし、幕へ走り込んで中入りとなります。

シテの歩みがいささか安定しないかなあと思っていたのですが、この速い動きになって逆に安定した感じでキレも良く、息を詰めるような中入りでした。
このつづきはまた明日に

舎利さらにつづき

シテが中入りするとアイが「くわばらくわばら、揺り直せ揺り直せ」と橋掛りで転がります。道成寺のアイ能力が、一人は雷が落ちたかと「くわばらくわばら」と言い、もう一人は地震だったかと「揺り直せ揺り直せ」と転がり出てくるのを、一人で演じるような感じですね。

舞台に入ったアイは舎利が無くなっていることに気付いてワキを問いつめます。
ワキは怪しい里人が足疾鬼の霊だった事情を語り、アイはこれを受けて正中に着座して舎利の謂われを語ります。さらに一畳台の前に片膝をついて数珠を揉み「南無韋駄天」と祈って狂言座に下がります。

舞台は天上界という設定になり、イロヱ出端で後シテが舎利を持って登場。シテが常座へ進んで幕の方を振り返ると、囃子が早笛になってツレの登場となります。
シテは一畳台の笛座側に右袖を被いて隠れた形。

ツレ韋駄天は早笛で走り出て、常座で名ノリます。祥丸さん、昨年暮れの合浦もきりっとした舞でしたが、今回も凛々しい。まだ面は着けませんが、将来が楽しみです。

さてシテはツレの登場に「いや叶ふまじとよ」と謡って立ち、シテ・ツレが足拍子を踏み重ねて舞働となります。

さらに大ノリの謡のうちに一畳台からシテが追い落とされて、韋駄天が追い掛ける型を見せるイロヱ。
さらに大ノリの謡にのって、シテ・ツレの争いが演じられ、一畳台に上がったツレが台の下に安座したシテを打ち、シテが差し上げた舎利を取って幕へ走り込みます。
シテは台に飛び上がり、後に降りて橋掛りへと進み、三ノ松で飛び返って袖を被き立って留拍子。
若いシテとツレで、小気味よい舞台でした。
なお附祝言は猩々。高砂の仕舞が出ていたからでしょうね。
(57分:当日の上演時間を記しておきます)

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古態の翁の話

先日触れた古態の翁の話を書いてみようと思います。
前回書いたとおり、この試みは昨年五月に横浜能楽堂で演じられたものを、あらためて宝生能楽堂で録画し直したものだそうですが、配役は前回と全く同じで以下の通りになっています。

観世権守(翁・父尉) 観世銕之丞
宝生権守(翁) 田崎隆三
 観世方千歳(面箱・三番三) 山本東次郎
 宝生方千歳(面箱・延命冠者) 山本則重
  笛 一幸弘
 小鼓 曾和正博、曾和尚靖、住駒充彦
  大鼓 柿原崇志
 観世方後見・地謡 浅井文義、柴田 稔、馬野正基
 観世方後見・地謡 小倉敏克、武田孝史、宝生和英
 三番三後見    山本則直、山本則俊

前回書いたように、秀吉の催した会での四座立合の翁では四つの舞台を組み、囃子方も四組登場した様子なのですが、現代の能楽堂では無理な話で、囃子方は一組ですね。

権守は観阿弥以前の古い時代に、座の大夫が名乗っていた官職名風の芸名といったところでしょうか。そうそう、観世というのは観阿弥が名乗った芸名のようなもので、世阿弥も観世を名乗っていたらしいという話を、以前、このブログにも書きました。

ともかくも、これだけの人数が登場したわけで、生で観たかったというのが正直なところです。
さてこのつづきはまた明日に

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第48回式能を観に行く

今回、実はかなり迷ったんですね。
昨年、一昨年と式能を通して観てますが、相当キツイ。今年はやめようか、せめて第一部だけにしようかと考えていたのですが、せっかく出掛けるのにもったいないような気がして、一部二部通しでチケットをとりました。

しかし! 結局、途中で頭が痛くなってしまいまして、最後の能一番を断念。
翁の後、能四番、狂言四番を観たところまでで帰ってきました。・・・来年は第一部だけにしよう・・・

さて今回は翁が金剛流で、宗家永謹さんの迫力ある翁。三番叟は万蔵さん、千歳は小笠原匡さんでした。
脇能は同じく金剛流で、松野恭憲さんのシテで鶴亀。上演が少ないわけではないのですが、私はあまり観ていない曲でして、いずれその辺の事情も鑑賞記に書きたいと思います。
脇狂言は野村萬さんのシテで昆布柿。囃子が入ってめでたくしめた感じです。

二番目は喜多流大村定さんのシテで田村。香川靖嗣さんの地頭で中村邦生さんなど安定した地謡でした。
続く大蔵吉次郎さんシテの蝸牛は、吉次郎さんらしい暖かみのある面白さで見所が沸きました。

三番目は観世喜之さんのシテで胡蝶。・・・地謡が宗家系の先生方中心の混成でビックリ。事前のチラシでは地謡の記載がなかったので、てっきり九皐会の先生方と思っていたのですが、武田志房さんの地頭で武田宗和さんや関根祥人さん、浅井文義さんなどが後列。
それから、先月も観たばかりの野村万作さんのシテで文荷。万之介さんがアドに回って、良い味を出していました。

続いて金春流、櫻間金記さんのシテで小督。こちらの地謡は本田光洋さんの地頭で、吉場さんや忍さん、八郎さんといったお馴染みのメンバーが地謡。観世の小督との違いが面白い一曲でした。シテの装束が綺麗でしたね。
そして東次郎さんのシテで呼声。何度観ても面白い狂言ですが、またまた東次郎さんの面白さが前面に出た感じ。和泉流や、同じ大藏流でも茂山家とはまた違った演出もあって興味深く拝見しました。

と、ここまで頑張ったのですが、最後の宝生流、車僧を断念。いや残念でした。そういえば、ここ何ヶ月か宝生の能を観てませんね。四月あたりは宝生の月にしようかしらん・・

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古態の翁つづき

間が空きましたが、テレビで観た「古態の翁」の話を続けます。

橋掛りから演者が登場してくるのは一緒ですが、残念ながらここはテレビでは放映されませんでした。登場の場面などはテレビ的には映す価値がないということなのか、単にカットされてしまうか、あるいは能舞台の屋根の映像が映って、場面が変わるともう着座した後というのがよく見かける形です。
私としてはいささか残念なところで、特に翁の場合など舞台への入り方なども気になるのですが、今回は一同がほぼ着座し、地謡が座に着こうとしているところからの録画でした。

まずは笛の吹き出し。翁に特徴的な笛の音から、小鼓三挺取りの打ち出しです。
このあたりは常の翁と変わりませんが、何回聞いてもこの小鼓の音は心に響くものがあります。神を下ろす意味があるのかもしれません。
謡の詞章は観世の「とうとうたらり」ではなく「どうどうたらり」と謡い出していました。その他の部分も微妙に現在の形とは違うようです。
いずれにしても「どうどうたらりたらりら」と翁二人が謡うのは聞いたことがない形です。

つづいて千歳の舞になりますが、まずは観世方千歳の東次郎さんが舞い始め、中間の千歳の謡では宝生方千歳の則重さんとの同吟。後半の舞では途中まで東次郎さんと則重さんが相舞で舞い、先に東次郎さんが下がって則重さんが舞収める形です。

通常の翁では千歳が舞う間に翁が白式尉の面をつけ、立ちあがって三番叟と向き合った後、翁の舞となります。今回は千歳と三番叟が兼ねた形ですので、面をつけた観世権守と宝生権守はその場で立ちあがり、舞終えて脇正面側に戻った千歳二人と向き合う形。
その後千歳二人は観世方千歳は後見座へ、宝生方千歳は笛座へと別れて座しました。
このつづきはまた明日に

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古態の翁さらにつづき

立ちあがった翁二人は正面を向き、十二月往来となります。
十二月往来の実演はこれまで観たことがないのですが、翁が二人出て掛け合いで謡い、千歳之舞の後、睦月から師走まで目出度い言葉を掛け合いで言祝ぎ、翁之舞を相舞するというもの。
これを観世、宝生の異流で行う形だったようです。

ようです・・・というのも、詞章が観世の神歌とは異なっているからで、観世の本にある十二月往来では
「睦月の松の風 「八絃(ヤヲ)の琴をしらべたり
「如月の霞は 「天つ少女の羽衣よ
「彌生の桃の花 「三千歳(ミチトセ)もなほ栄うる
などとなっていますが、今回の詞章では
「正月の松の風 「きんの琴を調む
「二月の燕は 「疾(ト)う成り祝いをはやむ
「三月の霞は 「四方の山にたな引く
といった感じです。

この最初の問いかけを観世権守が謡い、これに宝生権守が答えつつ一指し舞うという形。なかなかに面白いものです。

そしてこの後は翁之舞の相舞。これは観世、宝生がそれぞれの翁之舞をそれぞれに舞う形で、微妙な違いが面白いところでした。
さらにつづきます

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研究会を観に行く

出張帰りに研究会に寄ってみました。
五時半の開演直前に観世能楽堂に到着。渋谷の駅から小走りに急いで、やっとという感じです。突然思い立ったので、チケットは当日券。
入ってみると正面はほぼ満席ですが、ワキ正、中正はけっこう空いていて、中正の前の方に陣取りました。

番組は、津田和忠さんのシテで嵐山。いや春らしい良い雰囲気の能でした。
狂言が山本則直さんのシテで雁礫。同じ大藏流でも大蔵吉次郎さんのシテで観たのとは、けっこう印象が違います。
仕舞三番を挟んで、清和さんの舞囃子で求塚。これは見事でした。
最後に武田尚浩さんのシテで頼政。力の入った演技でした。
附祝言は淡路だったと思うのですが、ちょっと珍しいですね。

それにしても9時終演まで観ていると、さすがに帰ってきたら日付が変わるところでした。
鑑賞記は式能の後になるので、暫く先になりそうです・・・

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古態の翁さらにさらにつづき

翁の相舞が終わると三番三の舞になります。

観世方千歳の東次郎さんが三番三を兼ねているため、舞台に進み出てまずは揉ノ段を舞います。揉ノ段の途中で橋掛りへと進みましたが、これは常の形にはありませんね。
舞い上げると三番三は後見座にクツロぎ、後見に助けられて黒式尉の面をつけます。このあたりは常の形と変わらないところ。(ま、テレビの中継らしく、ここは舞台の屋根の映像になっちまったんですけど)

黒式尉の面をつけた三番三は、舞台に進み出てアドの大夫との問答になります。
ここでは宝生方千歳の則重さんがアドになり、三番三と問答を行います。
この問答はいささか通常とは違う形。通常は三番三がアドの大夫に座に戻るように求め、アドが戻るのは容易いので先に三番三に舞うようと返し、この押し問答の末に、アドが三番三に鈴を渡して鈴ノ段になるわけですが、今回は押し問答はあるものの微妙に詞章が違っています。書き取ったので記載してみます。

三番三「ものに心得たるアドの大夫殿に、きと見参申そう。
アド「ちょうど参って候
三番三「誰がお立ち候ぞ
アド「年頃の傍輩づれ、おんみアドの役にまかり立ちて候。三番猿楽さっと舞うて御入候へ
三番三「三番猿楽の舞わうずることは易う候、まづアドの大夫殿おん直り候へ
アド「それがしが直ろうずることは易う候、はやおん舞ひ候へ
三番三「まづお直り候へ
三番三「いや (これはどちらが声を出したのか、実は良くわかりませんでした)
アド「雉の尾は、笙の笛にぞ似たりける
地謡「似たりける、笙に合はせて音をぞ鳴く

と謡って鈴ノ段になりました。
このアドと三番三の問答はいくつかのバリエーションがあるらしく、秀句尽くしのようなものを観た方の鑑賞記を読んだことがありますが、今回のはそれとも違うようです。

さて鈴ノ段を舞い上げると、今度は宝生方千歳が延命冠者として現れ、父尉(観世権守が兼ねた)を呼び出します。舞台に進み出た父尉がカケリのような舞を舞って、今回の翁が終了しました。

いわゆる翁還りはありませんので、最後は千歳、囃子方、地謡、権守という順番で退場。実に珍しい形ではありましたが、古い時代の儀式ということなのでしょう。

ところで両権守は、常の翁の蜀江錦ではなく白の狩衣に白の指貫という姿。これ金春流からの借り物だそうで、この話は宗家安明さんのブログで拝読しました。確かに春日大社の御祭や、夏の金春祭の際の翁は白装束でしたね。

インフルエンザでダウン

21日の夕方「あれ、なんだか急にからだが重くなったぞ」と思ったのが始まりで、翌日は朝から不調。仕事も早退して寝ていたのですが、夕方には38度を越える熱。この時に医者にかかっていれば良かったのでしょうけれども「風邪は寝て直す。熱は出す」主義でして、そのまま寝苦しい夜を過ごして翌朝になってみるとさらに熱が上がって39度を越えています。
これは変だと、ようやく近所の内科医院で診察を受けたところA型のインフルエンザとの診断。例の曰く付きのタミフルを処方してもらって寝込むこと数日。ようやくものを書くところまで復活しました。
途中、仕事上の引き継ぎ事項などをメールしましたが、書くって思っていた以上にパワーを使うんですね。メール一通でクタクタになってしまい、こちらブログの方はずっとお休み状態となりました。

さて、ようやく復活しまして、明日からは先日の式能の鑑賞記を書こうと思っています。この間、24日には水戸で萬狂言水戸公演があり、実はチケットも持っていたのですが断念しました。実に残念。

ところでダウンする前には四日ほどかけて、テレビで放映された古態の翁の話を書きました。正直のところ、テレビやDVDなど、いわゆる映像を通しては、本当の意味での能楽は楽しめないというのが本音です。

まず「気」というか、雰囲気というか、生でないと絶対に伝わらないものがありますし、さらに全体を観てるのに突然シテのアップになってしまったり、カメラワークによって自分の捉えたいものと違うものを無理矢理見せられてしまうような感じもします。

その一方で、今回の古態の翁のような珍しい取組については、やはり映像の記録性という点は評価できるところです。

そんな訳で私も、時々はテレビ放映されたものや、市販のDVDなどで能楽を観ることもあります。

翁に関しては、亡くなった観世栄夫さんが大夫を勤められた打掛りの小書付きのものも記録としては得難いものでした。この話は、式能の翁の鑑賞記を書いた後にでも、触れてみたいと思います。

翁 金剛永謹(第48回式能)

金剛流 国立能楽堂 2008.2.17
 翁 金剛永謹
  三番叟 野村万蔵、千歳 小笠原匡
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 大倉源次郎
   脇鼓 古賀裕己 田辺恭資
   太鼓 金春國和、笛 一噌隆之

金剛の翁というのは初見です。坂戸金剛家が右京師を最後に廃絶して以来、金剛流の中心地は京都になってしまいましたので、東京で翁が勤められるのは式能の際だけではないでしょうか。そうなると五年に一度観られるだけということになりますね。

翁って儀式だし別に何流でも同じじゃないのか、とかつては思っていたのですが、たしかに基本は同じものの、微妙な違いがあって案外面白いものです。
今回も、ちょっとした所作の違いなど、気付いたところをレポートしておこうと思います。

さて下掛りなので面箱と千歳を兼ねた小笠原さんが、高く面箱を捧げて幕から登場し、翁、三番叟と続きます。(上掛りではシテ方が千歳を勤めるので、狂言方の面箱とシテ方の千歳が登場します。興味のある方はこれまでの鑑賞記もあわせてご参照下さい)
翁の装束は、金春流の弓矢立合や喜多流の白式など、特別な例を除いては、各流とも蜀江錦の袷狩衣に指貫と決まっていますが、そうは言っても文様などは微妙に違うもの。
この日の永謹さんの狩衣は、少し青みがかかった色目で、大柄な永謹さんに似合った美しいものでした。

面箱は目付まで進んで下居。ちょうど翁がシテ柱あたりに来ており、ここから翁は正中へ進んで正面を向き、四足ほど正へ出て、まずワキ座の方向に二足出て両手を開き、今度は目付の方向に二足、再びワキ座の方へ二足、と出ては開く型(観世流で言うと行カヽリのような形なんですが)を繰り返して下がり、下居して両手を付き深く一礼。ここから笛座前に進んで着座します。
基本的な形は各流同様ですが、所作が微妙に違いますね。

このつづきはまた明日に

翁のつづき

翁が着座すると面箱が立ち上がり、翁の前に面箱を置いて蓋を取ります。翁が白式尉の面を取り上げ、押し戴いて戻すと囃子方、後見、地謡などが次々と舞台に入り着座します。
このあたりも特に変わったことはありません。
が、ふと気になったのは、翁が着座すると他の演者たちは橋掛りに並び、正面の方に向いて座しますが、この際に脇鼓は正面の方ではなく、橋掛りの先の舞台の方向を向いたまま着座していたこと。
小鼓頭取の前後二人が他の演者とは違う角度で座しているのは、気にしてみると妙に気になります。いままでどうだったのか、意識したことがなかったのでわかりません。来年は注意してみよう・・・

さて一同着座すると笛が座着きを吹き、小鼓三丁が打ち出して、翁が「どうどうたらり」と謡い出します。「鶴と亀との齢にて」「幸ひ心に任せたり」の後の翁の謡「とうとうたらりたらりら」は、高く声を張り上げた感じで祝祭の謡というイメージ。

地謡の「ちりやたらり」の謡に続いて、千歳が袖褄を取りながら「鳴るは瀧の水」と謡いつつ正中へ出て、正先で両手を広げ、左右を向いてから正へ直して千歳之舞となりました。

小笠原さんの舞らしい舞を見たのは初めてですが、千歳らしい若々しい舞でした。
千歳之舞は二つに分かれていて、間の部分で千歳の謡が入りますが、観世の四日の式では「君の千歳を経ん事も天津乙女の羽衣よ」となっているところを「ところ千代までおわしませ我等も千秋さむらはん」と謡い、「鳴るは瀧の水日は照るとも」と続けて後半の舞に入りました。

千歳之舞に続いて「尋ばかりやとんどや」で翁が面箱を避け「座していたれども」と三番叟ともどもに立ち上がって一度向き合った後、三番叟は直ぐに後見座にクツロぎます。このあたりは他流と同じ。
さらにこの後、続きます

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翁さらにつづき

翁の謡「千早振る、神のひこさの昔より、久しかれぞと祝い
地謡「そよやちりや
に続いて左、右と下がりながら扇を持つ右手と左手をあわせて一礼する形で、翁のワカになりますが「千年の鶴は万歳楽と・・・」と謡い出しが観世流の「凡そ千年の鶴は」と違っていて、「凡そ」が入らない分「千年の」を大きく謡う感じです。
さらに「万代の池の亀は、甲に三極を備へたり」の後は「渚の砂、策々として・・・月鮮やかに浮かんだり」の詞章が無く、「天下泰平国土安穏、今日のご祈祷なり」と続きました。

目付に出て「在原や」と角トリ。余談ですが、全編意味不明の章句の並ぶ神歌ですが、この「在原や」って何なんでしょうね。「林望が能を読む」って本があり不思議な説が出ていますが、さてどうなのか。
林望先生と言えば、私自身は何の面識もありませんが、私が学生時代に能楽のクラブでお世話になった師匠と親交があって、私が卒業して四、五年ほど経ったある年、クラブの学生能で密かに地謡をされていたとか。当時、既に大学の先生をされていたはずですが・・・

さて閑話休題。角トリから左へ廻って正中でサシて足拍子を三つ。永謹さんらしい重々しい足拍子。ズンと深く響く感じで、私はこの方の足拍子が好きですが、翁には大変似つかわしいと思った次第。
大左右から正先へ打込ヒラキ「そよや」と謡って翁之舞になります。

目付を向いて、右一足を出してから爪先をゆっくりと上げて下ろします。左も同様に一足出し、爪先をゆっくり上げて下ろす形。さらに右、左、右と両足を揃え目付あたりで両手を上げて一礼し畏まった形。笛のホーホーの音で足拍子を二つ。さらにも一つ踏んで、今度は左へ廻り、同様の足使いで、左、右、左と出て両足を揃え、ワキ座に向かって両手を上げて一礼し畏まった形。笛に合わせて足拍子二つ、さらに一つ踏んで、今度は右、左と地ノ頭へ進みます。
大小前で大左右。目付で左袖を被き、扇を口元にあてて常座へ。ここから右へ回りつつ袖を直し、大小前から再び目付へ出て、今度は左袖を巻き上げ、左へ廻って地ノ頭で直して大小前左右、打込、足拍子を三つ踏んでヒラキと、いささか怪しいところはありますが、まずこんな感じの舞でした。
翁之舞って流儀によって結構違うんですね。金剛のこの形、なかなか趣ある良い形だったと思います。

もう一日つづきます

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