能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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頼政 武田尚浩(研究会)

観世流 観世能楽堂 2009.2.20
 シテ 武田尚浩
  ワキ 村瀬純、アイ 山本則秀
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 寺井久八郎

名ノリ笛でワキが登場してきます。
昨年10月に、金春流本田光洋さんのシテで頼政を観たときも、ワキは村瀬さんでして、力みのない諸国一見の僧らしい雰囲気。

ワキが里人を待とうとしてワキ座へ向かうと、シテの呼掛になります。シテの呼び掛けにワキはワキ座で振り返り、ここに初めてやってきた者なので名所旧跡を教えてほしいと述べます。本田さんの時はこのワキの言葉の初めで幕を出て橋掛りをゆっくりと進みましたが、今回はこの言葉の終わりのところ「名所旧跡残りなく御教え候へ」で橋掛りへと出ました。

その後は、ワキと掛け合いながら橋掛りを進みますが、その後は本田さんの時より早めに舞台に入り「喜撰法師が庵は」で常座に進んでワキに向き合います。
その後の名所教え、槙の島、小島が崎、恵心僧都の寺と、目付から、やや正面寄り、さらに正面と向きを変えつつ名所を見る風情。「旅人、あれご覧ぜよ」とややワキ座の方へ流して朝日山へ上った月を見る形になります。

本田さんの時は、槙の島でワキ正を見、目付、正面と直し、「旅人、あれご覧ぜよ」でワキ正に月を見て正面に直し、ワキに朝日山に月が上った様を語る形でして、方角が微妙に違いますね。
観世流は東西南北、方角の取り方が確か他流と違ったと思うのですが、どうしてなのか興味あるところです。

名所教えから、シテはワキに「平等院と申す御寺の候ふをご覧ぜられて候ふか」と問いかけ、平等院へと誘います。とは言え「此方へ御出で候へ」と二足ツメると平等院へ着いてしまうのが能らしいところですが・・・
このつづきはまた明日に
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頼政のつづき

老人ながら、実は武将である頼政の幽霊という表現でしょうけれども、謡にかなり力の入った感じです。
シテにワキが、扇の形に芝を取り残してあるのはどういうことかと問いかけ、シテはこれには物語があるので語って聞かせようと言って、正中へ下居して物語を始めます。

金春ではワキの問いかけに対して、シテの「物語の候・・・云々」という詞が無く、下居せずに立ったまま「昔この処に宮軍ありしに」と直ぐに物語に入りますが、このあたりも違うところです。

下居しての物語の後、地謡の「夢の浮世の中宿の」で立ち上がり、「我頼政が幽霊と」でワキを振り返り、常座を一回りして中入りとなります。

代わって登場したアイは宇治の里人。平等院へ参ろうと常座から目付に出て、ワキに気付く形です。ワキの求めで頼政の戦の話を語りますが、笛が森田流なので送り笛がない代わりに、アイの語りの終わりにアシライの笛が入ります。常々これはなかなか風情あると思うんですよね。アイ語りってどうしても単調になってしまいがちなので、笛がアシラウとちょっとホッとします。

アイが下がるとワキの詞、頼政の幽霊が言葉をかけてきたのかと、頼政を弔うことにし、待謡。
一声で後シテの出になります。

一ノ松まで進んで一セイの謡。前場では押さえつつも力の入った謡でしたが、後場は頼政の生前の姿だけにさらに力を込めた感じです。
「あら閻浮恋しや」と幕を振り返った型に思いが込められています。

舞台に入ったシテとワキが掛け合いで、読経の功徳で成仏は間違いないと謡いますが、この掛け合い、ワキの「御心やすく思し召せ。五十展転の功力だに成仏まさに疑いなし。ましてやこれは直道に」に対してシテが「弔ひなせる法の力」と進んでいきますが、金春ではワキの句の最後「ましてやこれは直道に」をシテが謡い、「弔ひなせる法の力」はワキの謡になって、この後、シテワキの謡が観世と逆になります。こんなところも注意してみると面白い。
さてこのつづきはまた明日に

頼政さらにつづき

シテは「今は何をかつつむべき、これは源三位頼政」と謡いつつ大小前から常座へ向き小廻りしてワキへ向かってサシヒラキ。大小前から、地謡の「よしなき御謀反を」で正中の床几にかかります。

ここからは床几にかかったまま長大な語りへと続いていく見せ場。
地謡の「共に白旗を靡かしてよする敵を待ち居たり」と左右を見てユウケンし、「さる程に」とシテの語りになります。このあたりの型も、観世・金春と見比べるとなかなかに面白いのですが、詳細はいつか機会があればということで・・・。
地謡の「くつばみを揃へ河水に」からは床几にかかったまま足拍子を踏んで、型にさらに力が入った感じになります。

「弱き馬をば下手に立てて」と左袖を返して左へ流し、「強き水を防がせよ」と右へ向き、手を打ち合わせて足拍子をまた踏んで、と見せ所が続きます。
「我ながら踏みもためず」で立ち上がり、太刀を持って「ここを最期と戦うたり」とワキ座へ向けて太刀を撃つ形。

戦う姿を見せますが、直ぐに「頼政が頼みつる「兄弟の者も討たれければ・・・となり、地謡の「これまでと思ひて」で太刀を捨て、扇を手にして「鎧脱ぎ捨て」と目付に安座。「身のなる果てぞあはれなりけり」とやや面を伏せてから、「跡弔ひ給へ御僧よ」と中腰に左袖返してワキを見、立って地謡前での抱え扇から、常座に進んで下居、立ち上がって留の拍子を踏みました。

老将の最期ですが、力の入った一番でした。
附け祝言は「千秋の秋津州、治まる国ゾ久しき、治まる国ゾ久しき」と淡路の一節。あまり耳にしませんが、嵐山も出ていたし、千秋楽でもないということでしょうか。

実はこの日、インフルエンザを引き込んだようで、この観能の後三日ほど寝込んだ話は前にちょっと書いた通りです。
(76分:当日の上演時間を記しておきます)

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邯鄲 傘之出 粟谷明生(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2009.3.2
 シテ 粟谷明生、子方 狩野佑一
  ワキ 宝生閑、アイ 野村萬斎
   大鼓 柿原弘和、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 観世元伯、笛 松田弘之

下掛りの邯鄲を観よう観ようと思っていてなかなか機会が無く、四年ほど前に金春で観て以来です。
邯鄲自体は、このブログでも昨年秋に観世流、関根祥人さんの藁屋の小書付を観た際の鑑賞記を書いていますが、今回は下掛り、かつ小書も違いますし、なんと言っても関根さん同様に注目している能楽師のお一人、粟谷明生さんのシテですので、期待の高まるところ。
しかも今回はアイが萬斎さんでして、これまた楽しみにしておりました。

舞台は後見が一畳台を出してワキ座に置き、型通り引立大宮を立てます。つづいてアイ宿の女主人が枕を持って登場するわけですが、これがなかなかに大きな枕で担ぐような感じです。
まずは常座で仙人からもらったと枕を示し、この枕で眠ると人生の悟りを開くことが出来ると述べて、一畳台に枕を置き、笛座まで下がりました。

さていよいよシテの出。次第の囃子での登場ですが、傘之出の小書がついているため傘をさし、装束は黒頭に邯鄲男の面、袷法被に半切で掛絡をかけた姿。幕が開いた後、傘をさしたまましばし幕内で佇んでから出てくる感じです。

傘之出の小書は宝生と喜多にあるのですが、今回の傘はやや大きめの番傘のようなもの。これをやや傾けて差しています。傘を舞台上に出すのは、この邯鄲傘之出の小書と蟻通くらいだと思います。宝生の傘之出の小書は観たことがありませんが、宝生の蟻通では他流と違って長柄の傘をさしますので、もしかすると傘之出の小書でも長柄の傘をさすのかも知れません。
ともかくこのつづきはまた明日に

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邯鄲のつづき

シテの次第。橋掛りでの謡で「浮世の旅に迷ひきて・・・」と謡いますが、いつぞやの盛久の時などとは打って変わって、なんともぼわーっとした定まらない感じの謡です。「ただ茫然と明かし暮らすばかりなり」というシテの詞を聞くまでもなく、謡自体がそのシテの有り様を示している感じを受けます。

道行を謡い「やうやう急ぎ候ほどに、これは早邯鄲の里に着きて候」と詞の後、一足すっと引いて「また村雨の・・・」と雨のために宿を取ろうと述べます。ここはもともと「未だ日は高く候へども・・・」と続くところで、傘之出の小書のために詞章が変わるのでしょうね。

シテは舞台に入りアイに一夜の宿を乞います。アイは傘を受け取り、シテを正中で床几にかけさせて自分は目付に。ここで着座して、シテに邯鄲の枕で一眠りすることを勧めます。

アイはシテ盧生が一眠りする間に粟飯を作っておくと言って狂言座に下がります。シテは一畳台に上がって着座し「げにげにこれなるが聞き及びし邯鄲の枕なるかや」と枕を見「一村雨の雨宿り」と謡います。地謡がこれを受けて「一村雨の雨宿り」と謡い出し、ここで既に幕が開いてワキの一行が静かに橋掛りを進んできます。

「日はまだ残る中宿に」とシテは脇柱の上方に日輪を見る形から枕へ視線を移し、「仮寝の夢を見るやと邯鄲の枕に伏しけり」と横になって寝る形になります。

この間も橋掛りから舞台へと進んでいたワキの勅使とワキツレの輿舁一行。この謡が終わるのに合わせて、ワキがスッとシテに近より、膝をついてシテの枕元を扇で叩いて「如何に盧生に申すべきことの候」とシテを起こします。
シテは茫然と驚いた風で「そもいかなる者ゾ」とワキに問い返しますが、これはもはやシテの夢の中の世界。枕に横になると既に夢の世界が始まっていたわけです。

ワキが正中に下がり手をついて盧生が楚の国の帝になったと告げ、シテは「思いよらず王位にはそも何故にそなわるべき」と問いますが、ここは先ほどより少し声が晴れた感じになりました。
シテは「光り輝く玉の輿」と右手を上げて指し示す形。ワキの「かかるべきとは思わずして」に続けてシテ「天にもあがる」ワキ「心地して」と謡いが続き、シテは立って台を下りますが、「天にも上がる」は先ほどよりもさらに声を張った感じになり、シテの心理の移り変わりが謡の声にさながら現れているような感じです。
さてこのつづきはまた明日に

邯鄲さらにつづき

台を下りたシテに輿舁が輿を差し掛け、ワキが後に従った形から真ノ来序になります。

真ノ来序が奏されると、シテはゆっくりと一畳台に上がって着座し、ワキは笛座前から切戸口へと進んで退場。輿舁も切戸口から退場してしまいます。
代わって子方とワキツレの廷臣が登場してワキ正側に並びます。帝となった盧生の宮廷が出現する趣向で、既に盧生は帝として絶頂期を迎えようとしています。

地謡が宮殿の荘厳な様子、栄華の様を謡います。「白金の山を築かせては、黄金の日輪を出されたり」で、シテは幕の方へ右手を上げて日輪を指す形。一畳台の緋毛氈の赤が法被に映えてきらめくようです。
「長正殿の内には春秋をとどめたり」と目付柱の方へ面を伏せ「不老門の前には日月遅しという心をまなばれたり」で両手を上げる型。この両手を高く上げる形は帝としての歓喜を示す意味なのか、各流ともここにこの型を置くようですね。

ワキツレ廷臣がシテの前に両手をつき、即位されてからもはや五十年であると告げ、仙境の酒を勧めます。子方がシテに酌をして子方の舞。狩野佑一くんは狩野了一さんのご長男の由。なかなかしっかりした舞でした。
地謡にあわせて子方が舞っている間に、シテは台上で後を向き、後見が掛絡を外し右袖を脱いで背に織り込みます。楽を舞うための準備ということですね。

「栄華にも栄耀にもげに此上やあるべき」で楽になり、唐団扇を持った右手を一度上げ、ゆっくり下ろしてから答拝して立ち上がります。
観世の藁屋も楽は盤渉でしたが、この傘之出の小書でも楽が盤渉となるのが基本の形とか。ただしこの日は黄鐘のままで奏されました。台上での舞は狭い空間をどう活かすかが鍵なのでしょうけれども、空間的な制約を感じさせない広がりのある舞でした。

この楽で特に見せ場ともなる空下りのところ、観世の関根さんは大きく足を出し、また大きく上げて戻しましたが、明生さんは唐団扇を左手に取り、左後ろ側の柱につかまって、足を台からそろそろという感じで下げ、ビックリしたように上げた足をしばしそのままに保ちました。あまり大きな所作ではありませんが、なんだか何かを試すような雰囲気がありました。

さらに四段で台の後方から舞台に下り、台の前をすり抜けるようにして正中へ進み出て楽がつづきます。
このつづきはまた明日に

邯鄲さらにさらにつづき

楽を舞い上げると、シテの謡「月人男の舞なれば、雲の羽袖を・・・」と謡い、地謡に合わせて舞います。
何度観ても、この邯鄲という曲、このあたりからの展開は見事だと思うんですね。時が目まぐるしく移り変わり、超現実的な世界が展開します。謡の詞章も不思議な詞が続きますが、謡の調子も時間の揺れる夢と現実の狭間を演出します。

「皆消え消えと失せ果てて」で、子方やワキツレが、まさに脱兎のように切戸口へ姿を消し、シテは橋掛りに進んで一ノ松あたりから「ありつる邯鄲の枕の上に眠りの夢は覚めにけり」というたたみかけるような急テンポの地謡の中で、すすーっと一畳台に近づいてトンと飛んで台上に飛び寝します。
謡が終わると同時にアイがシテの枕元を扇で叩き、粟飯が出来たと告げて、一瞬のうちに夢が覚める訳です。

この台の外から台上に飛び寝するという形は下掛りだけで、上掛りの場合はワキ正あたりから一畳台にさーっと寄るものの、台に上がってからトンと踏んで飛び寝するか、あるいはすっと静かに横になるかというところ。
観世も藁屋の小書がつくと常のワキ正からではなく、下掛りのように一ノ松から一畳台に寄ってきますが、台の外から飛び込んで寝るという形は観世では見ませんね。

金春の飛び込みは、離れたところから台上に飛び込んで臥す見事な形ですが、喜多流の形もなかなかに面白い。
さてこの息の詰まるような一瞬の後は、シテは茫洋と起きあがって「盧生は夢覚めて」と謡い出し、夢の中でのことを思い出して、栄華も一炊の間の夢であると悟ります。
「五十年の歓楽も王位になればこれまでなりげに何事も一炊の夢」と少しずつ少しずつ伸び上がるように体を起こし、ハタと力を抜いて安座した型で「ああ悟りが開けたのか」という感じ。続くシテの「南無三宝南無三宝」の謡は声が晴れやかに聞こえました。

常の形では「夢の世ぞと悟り得て、望み叶えて帰りけり」という地謡で、常座で留拍子を踏んで終曲ですが、傘之出の小書がつくと、謡の後、アイが「いや早御出にて候や、さあらばお傘を参らせ候」とシテに傘を渡し、シテは「近頃祝着申して候」と傘を広げて橋掛りへ。アイが常座で「また重ねて御参り候へや」とシテに声をかける場面が残ります。
不思議な演出ですが、味がある展開です。萬斎さんのアイ、大変に趣深いところでした。
盧生という青年の内面の変化が、押さえた演出の中に十二分に込められ時間を忘れた一曲でした。
(94分:当日の上演時間を記しておきます)
***追記***
傘之出の最後、和泉流の本来の形は、シテが「祝着申して候」と言うと、直ぐに「また重ねて御参り候へや」と言って、狂言座に戻ってしまうのだそうです。
それを明生さんが、大藏流同様にシテが橋掛り二ノ松あたりに行くまで見送ってから声をかけてほしいと萬斎さんに依頼されたのだとか。「阿吽(粟谷能の会通信)」の明生さんの文で拝読しました。
実に趣深い終わり方だったと、あらためて思い起こした次第です。
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鶯 野村万作(粟谷能の会)

和泉流 国立能楽堂 2009.3.2
 シテ 野村万作、アド 石田幸雄

和泉流にしかない曲ですが、古くは蓮如上人がこの狂言を好んだという話も伝わっているようで、室町期の時代背景を感じさせる狂言です。

まずはアドの男が登場してきます。この男、右手に鶯籠を持っていて、籠の中には作り物の鶯が入って揺れています。赤い竹、赤い紐かけで、緑色の鶯が映える感じです。
常座で名ノリ、「この中、世間に小鳥の流行るは夥しいことでござる」と言い、子供の頃からの小鳥好きと語ります。この鶯は雛の時から飼い育てた子飼いの鶯。野辺に連れて行ってさえずらせようと言い、舞台を回って野辺に到着します。
男は籠を正先に置いて、大小前あたりに下がります。

代わって登場したのがシテの男。熨斗目に長袴、羽織を着けて笠をかぶっているのですが、この笠がなんだか妙な形です。さらに右肩にサシ棹を担いでの登場です。七尺ほどの棹で先の方二尺半ほどには銀箔を巻いて鳥もちのように見せています。

この男、常座で大内に隠れもない、梅若殿という少人に仕える者と名ノリます。内裏の稚児に仕えているという訳ですが、この主人の梅若殿は殊の外の鶯好き。方々から鶯が献上されるので、自分も差し上げたいのだが、いかんせん鶯を買うほどの金がありません。
人が言うには野辺に出て自分で取ってはどうか、ということで棹まで貸してくれたので、鶯取りに出掛けてきたわけです。
梅若殿って、千満殿などと同様に少人の名として良くある名前なのかもしれませんが、梅に鶯か・・・などと考えてみたり。

舞台を回って野辺に着き「春の野の景色は青々として美しいことじゃ」などと感心していますが、鶯の声が聞こえてきて、ふと見れば籠に入った鶯。これはよい鶯と早速取って帰ろうとします。すると持ち主が声をかけます。
このつづきはまた明日に

鶯のつづき

飼い主は呼び止めて男を咎めます。最初は「籠に入ったまま放れてきた鳥かと思った」などと戯れ言を言っていた男も、実は梅若殿に鶯を差し上げたいが金は無し、野辺で取るのも難しいので、この鶯をくれまいか、と飼い主に頼みます。

しかし飼い主には秘蔵の鳥だからやれないときっぱり断られてしまいます。
飼い主からは、金がなければ腰の物でも当座の印に置いていけば考えてもよいようなことを言われますが、男はそれなら勝負しようと持ちかけます。

勝負というのは籠の外から鶯を棹でさすので、うまくいったら鶯をもらう。失敗したら一腰をやろうということ。しぶしぶ飼い主も応じますが、あろうことか男は籠の外から鶯をさすという簡単なことに失敗してしまいます。

かけものの刀を取られてしまった男、今度は主人から預かっている太刀をかけて鶯をさそうとしますが、またまた失敗。
とうとう、刀も太刀も飼い主にとられてしまいます。

男は待ってくれ、もう一度させてくれてと懇願しますが、飼い主は太刀、刀まで持って退場してしまいます。

残された男、昔大和の国高間の寺の少人梅若が死んで鶯になり、寺の軒端の梅にやってきて「初春の、あしたごとには来たれども逢はでぞかへる元の住家に」と歌を詠んだという故事を語ります。
これにちなんでか「初春の、太刀もかたなも鶯も、ささでそ帰る元の住家に」と我が身を歌に詠んで「南無三宝 しないたり」と棹を捨てて留になります。

おかしくて笑うというよりも、なんとないやるせなさの様なものを感じるところです。
(26分:当日の上演時間を記しておきます)

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隅田川 粟谷能夫(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2009.3.2
 シテ 粟谷能夫、子方 内田貴成
  ワキ 森常好
   大鼓 佃良勝、小鼓 観世新九郎
   笛 一噌隆之

昨年10月に銕仙会の柴田稔さんのシテで観た隅田川の鑑賞記を書きましたが、今回は喜多流。流儀の違いというのはさほど感じないところで、むしろこの曲をどう捉えるかという、シテの捉え方の方が印象を左右するような気がします。

まずは作り物が出ますが、小ぶりの塚には水色と言ったらいいのか、薄青の引廻しがかけられています。

準備が整うと名ノリ笛でワキの渡守が登場してきます。
今回のワキは森常好さん、堂々たる渡し守ですが名宣リの後、旅人を待って舟を出そうということで地謡前に着座します。

続いて次第の囃子が奏されて、ワキツレの東国の商人が登場し、型通り常座で鏡板を向いて次第を謡った後、正面を向き、都での商いを終えて東国に帰るところと述べて道行。隅田川にやって来ます。
ワキツレは「急ぎ候ほどに、これは早隅田川の渡にて候」と言った後、目付近くからワキに向かって「如何に船頭殿」と船に乗せてくれるよう声をかけます。

ワキツレとワキの応対となりますが、ワキが物騒ぎがあるのは何かと問い、ワキツレが女物狂いがやって来るのだと答えます。ワキは暫く舟を留めて物狂いを待とうと言って、ワキが地ノ頭、ワキツレがワキ座に着座してシテの出を待つ形になります。

さてこのつづきはまた明日に

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隅田川のつづき

一声で、練絹に濃い紺地の摺箔を腰巻に着け、浅葱の水衣に笠を被り、笹を右肩にしたシテが登場してきます。
一ノ松で「実にや人の親の心は闇にあらねども、子を思う道に迷うとは」と謡いますが、常の拍不合の謡と比べると余り引かず、むしろ思いを内に籠めた感じです。さらに「聞くやいかに上の空なる風だにも」と謡って向き直り舞台へと進みます。

地謡が「松に音する習いあり」と謡ってカケリ。
正中から目付に出、左へ廻って地ノ頭から大小前、小廻りして拍子を踏み、正先から右へ回って目付へ。ここから大小前へ小廻りするという、舞台を一周半する程度の短い動きですが、子を探す母の思いを内に秘めた所作。

カケリの後、シテは都北白河の女と名乗り、我がひとり子を人商人に拐かされ、その行方を尋ねて東国まで下ってきたと謡います。
「思子の、跡を重ねて、迷うなり」という謡に、一足出、さらにもう一足出た形が印象的でした。

地謡がシテの謡を受けて、下歌、上歌と続け「隅田川にも着きにけり」と謡うところで、大小前で塚に向かい、そこから常座へと行きつつ「なうなう我をも舟に乗せて賜り候へ」と呼び掛け、常座でワキの方を向きます。

シテ・ワキの問答になりますが、詞章と所作が微妙に絡み合って趣深いところ。
「なう舟人、あれに白き鳥の見えたるは、都にては見馴れぬ鳥なり」言うところも、一度ワキを見「白き鳥」で目付に向いて、遠く鳥を見る心。一呼吸置いてワキを見る形になっています。

地謡の「我もまた、いざ言問はん都鳥」から「乗せさせ給へ渡し守、さりとては乗せてたび給へ」とワキに迫るところは前半の見せ場でもありますが、所作も良し、またここは友枝昭世さん地頭の地謡が聞かせるところ。「乗せさせ給へ」と笹で一つ打ち「乗せてたび給へ」と合掌する形が胸に迫ります。
さてこのつづきはまた明日に

隅田川さらにつづき

ここからワキの語になりますが、下掛り宝生のこの隅田川の語は聞かせどころ。前回の鑑賞記でも書きましたが「さても去年三月十五日」の後に「や」と入る声は、その三月十五日が一年後の今日に当たることにふと気付いたワキの驚き、思いを表すものですが、森さんの「や」も、実に思いのこもった声。

この長いワキの語りの間、シテはひたすらこの物語に聞き入る訳ですが、どこをどう動かしたものか、じっと聞き入るシテがなんとなく揺れているように見え、思いが揺れているのが形に表れたような印象を持ちました。

ワキがシテの落涙に気付き、声をかけると、シテとの問答になりますが、「父の名字は「吉田の何某「さてその後は」と続く謡に、徐々にシテは右へ向いて、ワキの方に振り返って尋ねる形になります。

ワキの語る亡くなった子供が、我が子であると気付いたシテがシオリ、ワキはその子の墓所を見せようと言ってシテを塚に誘います。「彼の人の墓所を見せ申し候ふべし」で舟を操る棹を落とし、シテの後から立たせるように導いて、ワキはそのまま塚に向かい、シテは塚を行き過ぎてから戻る形で塚に向かいます。

シテは地謡の「この土を返して今一度」で塚へ寄り、土を掘り返そうとする形から、下がってワキに迫り、タラタラと下がって、塚に向かって下居します。さらに「げに目の前の浮世かな」で安座して諸シオリ。悲しみの極致という表現。

ここでワキが鉦鼓を打って念仏するように勧め、シテ・ワキ二人立って鉦を叩きながら、南無阿弥陀仏と念仏を唱えます。

さてこの曲、世阿弥の昔から、子方を出すべきか出さざるべきか議論が分かれ、全く出さない、声だけ聞かせる、姿も見せるとまあ三つの選択肢があるわけです。
この日はシテ、ワキの念仏からシテの謡、そして地謡の声に混じって子方の声が聞こえてきました。これがなかなかうまくおさまった感じで、違和感がありません。

やがてシテのみが念仏を唱え、子方が姿を現しての最後の場面となっていきます。
手を伸ばしても届かないもどかしさが表現され、深い思いのこもった留となりました。
子方、内田貴成クン。二年ほど前に、お父さんの成信さんがシテの自然居士に子方で出たのを観たときは、いささか大変だなあと思ったのですが、この二年の成長はとても大きいようです。将来、期待したいですね。
(83分:当日の上演時間を記しておきます)

宝生会を観に行く

このところ宝生流を見ていませんで、唯一の機会だった2月の式能も体調不良のために最終曲だった宝生の車僧をパス。
そんなわけで久しぶりに水道橋に出掛けてみました。考えてみれば昨年9月の五雲会以来です。

本日は高橋亘さんシテの藤栄、高橋章さんシテの吉野静、そして宝生和英さんシテの春日龍神と、能がいつもどおり三番。狂言は三宅右近さんのシテで狐塚でした。

藤栄は高橋亘さんのご子息、希クンが子方で出まして、しっかりしたお子さんだなあという印象。端正な面立ちで将来が楽しみです。
実は吉野静が終わった後のロビーに、ジーンズ姿の亘さんと奥様、上のお嬢ちゃんと希クン一家が出ておられまして、私服に戻るとやっぱり今時のお子さんなんだなあと、感心した次第。
高橋亘さんには、このブログにも時々書き込みをいただいたりするので、余程に声をかけてお礼とお祝いでも申し上げようか、と思ったのですが、やはり野に置けすみれ草・・・ではありませんが、匿名希望のZAGZAGさんとしては、ここは密かに応援していよう、とまあそんなわけで、ご一家の様子を横に見つつトイレへ急いだところです。

吉野静は亘さんの伯父様章さんのシテで、しっとりとした中ノ舞を堪能いたしました。
この曲、金春と喜多ではシテ静御前と、ワキ佐藤忠信が謀をめぐらす前場があるそうで、一度観てみたいと思っているのですが、残念ながら金春では遠い曲のようでなかなか機会がありません。宝生流では割に良く演じられるような気がします。
前場を欠くため、一時間ほどの短い曲ですが、緊張感と優美さが並立しているような構成で、楽しめる感じがします。

今回は、高橋さんご一家そろい踏みの藤栄、吉野静に加えて、宝生和英さんの春日龍神という番組で「これは久しぶりの水道橋か!」と出掛けたわけですが、春日龍神も満足した一番でした。
和英さんの能はあまり拝見したことが無く、どちらかというと後見でお見かけすることが多くて、さてシテとしては如何かと思っていたのですが、前シテも実に安定感ある演技。後シテは地味な宝生(というと失礼ですが)にしては、闊達な舞で好感が持てました。
龍戴が途中で前に下がってしまい、舞働の後で龍の部分が取れて飛んでしまったのは、いささか残念でしたが、それだけ舞にスピード感があったということでもありますね。

右近さん一座の狂言も面白く、見所も爆笑でした。
私的にはお気に入りの高澤祐介さんのアイが二番も観られたのがラッキーでした。春日龍神のアイは事前にいただいた番組表では河路雅義さんになっていたのですが、面をかけた末社の神の声を聞いていると、これはどう考えても高澤祐介さんだなあ・・・と、当日の番組を確認したところ、変更になっていた様子でした。

各曲の鑑賞記は、秀麗会の鑑賞記の後に書くつもりです。

実盛 本田光洋(秀麗会能)

金春流 国立能楽堂 2009.3.16
 シテ 本田光洋
  ワキ 宝生閑、アイ 石田幸雄
   大鼓 安福建雄、小鼓 曽和正博
   太鼓 金春国和、笛 寺井宏明
   

世阿弥作という曲は沢山ありますが、本当に世阿弥作なのかどうか怪しい曲が少なくないのも事実です。しかしこの曲は申楽談義に世阿弥自身が言及した部分があって、しかもそれがまあ自作の自慢的な発言になっているという次第で、間違いなく世阿弥の作といえる数少ない曲の一つ。
しかも、いささか異色な部分のある曲なのですが、その話は追々。

さてまずは舞台にワキの他阿弥上人とワキツレ従僧が登場し、ワキはワキ座で床几にかかり、ワキツレは地謡前に下居。いわゆる出し置きの形。
ただ音もない中を静かに登場してくるだけなのですが、ワキ閑さんの存在感の大きさ。舞台に向かって空気を切り開いてくるような感じがしました。
ワキツレは則久さんと大日向さんのお二人。

するとアイの篠原の里の住人が登場して常座に立ち、遊行十六代、他阿弥という聖が連日辻説法を行っていると触れて狂言座に下がります。

石田さんのシャベリ、遊行十六代と言っておられたと思うのですが、この遊行何代というのは、詳しいことは分かりませんが、一遍上人に始まる時宗の法主の事を言うようです。一遍上人の高弟で他阿弥陀仏と称した真教上人が遊行二代とされ、その後は三代他阿、四代他阿、と尊称された様子。

さて応永二十一年(1414年)に、十四代他阿の太空上人が加賀の国で布教をしていた際に、斎藤別当実盛の幽霊が現れたという話があり、これが都でも話題になったと言われています。世阿弥はこの頃は将軍義持に仕えていた時期で、この噂話をもとに実盛を書いたという話があります。

さて曲のつづきはまた明日に

実盛のつづき

狂言に続いて、ワキの上人が着座のままに「それ西方は十万億土、遠く生るゝ道ながら、こゝも己心の弥陀の国、貴賎群集の称名の声」と謡い出し、ワキツレとともに念仏の功徳を謡います。

この謡のにうちに前シテの老人が静かに一ノ松まで登場してきます。
ワキの謡が終わると、シテのサシ謡から詞になり、シテの老人は念仏の声に引かれてやって来た旨を述べつつ常座まで進み、南無阿弥陀仏と念仏を唱え、ワキに向かって合掌して下居します。

当日のパンフレットに、シテ光洋さんが、亡くなられた父上秀男師の実盛に軽さがあったことを書いておられました。この文章は終演後に読んだのですが、なるほど「軽さ」か、と納得した次第です。この最初のサシ謡から、弱々しいわけではないけれど、力みの抜けた軽めの謡だなあと思っていたのですが、そのあたりを意識されていたということなのでしょうね。

さてこのシテにワキが「いかに翁」と言葉をかけ、シテは「御前に候」と答えます。ワキはさらに「さても毎日の称名に一日怠る事なし。されば志の人と見る所に、翁の姿余人の見る事なし」と、毎日念仏にやってくる老人の姿は上人以外の者には見えず、上人が声をかけるために独り言を言っていると不審がられていることを説明します。
そして老人に名を明かすように迫ります。

シテは、せっかく念仏の功徳で成仏できようかと思うのに、この世での名を改めて名乗らねばならないとは口惜しい、と訴えますが、ワキにどうしても名乗るように求められて、人払いをするよう求めます。

ワキの上人は、そもそも余人には姿が見えないのだからこのままでもよかろうものだが、たっての望みならばと人払いをします。シテは一度立って正中まで出て、再び下居。
昔、長井の斎藤別当実盛が、この篠原の合戦で討たれたと語ります。

ワキは、それは平家の侍の話であり、そんなことより自分の名を名乗るようにと促しますが、シテは、その実盛がこの御前にある池で鬢髭を洗い、その執心が残るのか、今もこのあたりの人には幻のように見えるようだと語ります。
そうして、続くシテ、ワキの問答から、ワキはシテが実盛の幽霊であると悟ります。
このつづきはまた明日に

実盛さらにつづき

シテは自らも実盛の幽霊であると語り、二百年に余る時が経てもなお執心のゆえに魄はこの世にとどまっているとワキに告げます。シテ、ワキの掛け合いの謡から地謡となり、「人な咎めそ仮初に」でシテは立ち上がってワキに「実盛の名を洩らさないでほしい」と迫るようにツメ、舞台を回って中入りします。

口開の後、下がっていたアイが常座に出て、上人は説法のたびに独り言をするが、本日もまた独り言していたので、そのわけを尋ねようと言い、正中へ出て正座し、ワキに向かって問いかけます。
ワキはこの問いには答えずに、長井の斎藤別当実盛のことを語って聞かせてほしいとアイに求め、アイは「独り言の由を伺っているのに、それには答えず実盛のことを尋ねる」と不審がるものの、問いに答えて実盛の生前を居語りします。

実はこの実盛の間狂言について、解説書などでは、狂言口開のところでアイが他阿弥上人の独り言についての不審を述べ、そのわけを尋ねようと言って狂言座に下がり、中入後に再び登場してワキと語り合うのだと説明されているのがほとんどです。
しかし今回の石田さんのアイでは、私の聞き違いでなければ、口開では単に他阿弥上人が説法すると触れるだけで、この独り言についての不審は中入後にはじめて述べられました。このあたりは何がしかの演出の意図があったのか、それとも和泉流野村家ではこうするのか不明ですが、口開で独り言の不審を述べた方が、登場した前シテが、実はワキにしか見えない幽霊であると、最初から理解できるように思います。かつて実盛を見た際には、アイの口開がどうだったかまで気を止めていなかったので、比較できないのが残念です。
実は狂言口開というのは現在能に用いられる演出であって、夢幻能では用いられないもの。当然ながら修羅能でも狂言口開があるのは、この実盛一曲です。もしかして、一昨日書いたように、この実盛の幽霊事件が世阿弥の同時代に起きたことと関係があるのかもしれません。

さて話は戻ってアイは尋ねに応じて実盛の話を語り、ワキがこれにこたえて別時(べちじ)の踊り念仏で弔おう、と言うと、アイは立ってその旨を触れて切戸口より退場します。

ワキ、ワキツレは立ち上がり「篠原の池のほとりの法の水」と待謡を謡い出します。待謡に続けてワキが「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ・・・」と謡うと出端の囃子。後シテの出となります。
このつづきはまた明日に

実盛さらにさらにつづき

後シテは法被、半切に白垂の老鎧武者姿です。出端の太鼓の刻むリズムが異界からの到来を知らせます。
まずは一ノ松でのシテの謡。前場同様に余分な力が抜けて、死を覚悟して戦いに向かいながらも、何か悲壮感を超越した老武者なりの境地が感じられるような気がします。
念仏の功徳を讃えてシテは常座からワキに向かって合掌します。

ワキは「不思議やな白みあひたる池の面に、幽に浮み寄る者を、見ればありつる翁なるが・・・」とシテの姿を認めて声をかける様子。シテがこれに応えての謡、と掛け合いになります。
鬢髭白き老武者ですが、その出で立ちは華やかに粧っています。

クリの謡から場面が展開し、シテは大小前に進んで床几にかかり、シテの長大な慚愧懺悔の物語となっていきます。
大方の場合、こうした修羅物でのシテの物語は、語に集約するか、あるいはクリ・サシ・クセと展開するか、いずれかの形でしょうけれども、この曲では語があり、これに上歌が続いた後にクセ、さらにロンギから中ノリの最終部へと続いていきます。

最初に書いたとおり、申楽談義に世阿弥のこの曲への言及がありますが、一つの篠原合戦の話を、語と、ロンギ、中ノリの部分の二つにわけ、さらにその間に「また実盛が錦の直垂を着ること」と錦の直垂にまつわる話をクセで書き入れた構成について、自賛しています。

その語、下居したまま語る演出もありますが、今回は語りの最後で「洗わせて御覧候へと、申しもあへず首を持ち」で扇を開いて両手ですくい上げる型から立ち上がるまで、じっと床几に腰を下ろしたままで語りが続きました。

正先へ出て下居し左の袖を巻いて、扇で水を掬い手に持った首に水をかけるような所作を見せ、立ち上がって大小前で手を合わせ、クセへと入っていきます。
クセは舞グセで、基本的に曲舞の型をなぞりますが、最後は「名は末代に有明の、月の夜すがら懺悔物語申さん」と大小前で抱え扇、月を見る風情。

さらにロンギで手塚の太郎と組んだ実盛の最後を見せ、「影も形も南無阿弥陀仏」とワキに合掌し、「跡弔いてたび給へ」と留になりました。独特の構成の曲ですが、なかなかに味わいのある一曲です。
(98分:当日の上演時間を記しておきます)

寝音曲 野村万作(秀麗会能)

和泉流 国立能楽堂 2009.3.16
 シテ 野村万作、アド 野村万之介

寝音曲はよく見る狂言の一つですし、万作さんのシテでも観ていますが、毎度ながら面白い。寝ると謡えるのに、起きると声が出ないというところは万作さんの得意とされる部分のように思います。

まずはアドの主人、万之介さんが長上下で常座に立ち、夜前、太郎冠者の部屋の前を通ると謡が聞こえたので、呼び出して太郎冠者の謡を聞こうと思う旨を述べ、太郎冠者を呼んで、ワキ座あたりに立ちます。
呼ばれて常座に進み出たシテ太郎冠者の万作さんと向き合う形。
寝音曲 野村万作(秀麗会能)
早速に主人は太郎冠者に謡を謡うように求めますが、太郎冠者は謡っていないと言い張ります。主人は幼少から召し使う太郎冠者の声を聞き間違えるはずはないと言い、太郎冠者の方は「それはモノでござる」と言って、前夜は大酒をたべて酔い寝ながら謡ったものであろうと説明します。

どうでも謡が聞きたい主人は、それならば太郎冠者に酒をのませるから謡えと言い、自ら台所に酒を取りに行ってきます。その間に太郎冠者は、迷惑なことになったと独り言。一度謡えば、折々に謡うように求められるのでなにか良い思案はないかと考え、何やら思いついた様子を語ります。

さて主人が盃、狂言ですからお決まりの蔓桶の蓋ですが、これを持って出て正中で向き合い、酒をのませようということになります。太郎冠者は酒好きの様子で「例の大盃が出ました」などと言うも、なんだか嬉しそうな感じ。
早速、一杯、もう一杯とのみます。調子に乗った太郎冠者、それでは私がお酌しましょうと、主人に酒を勧めますが「身共は下戸じゃ」と主人の返事。それならばさらにも一つと四杯目を求めると、さすがに主人は怒って早く謡えと叱責します。
酒飲みの太郎冠者と、下戸の主人という組み合わせは他にも何曲かありますが、この組み合わせだけでなんとなく笑いのもとになりそうですよね。
このつづきはまた明日に

五雲会を観に行く

先週の月並能に続いて、宝生能楽堂まで行って参りました。
正直のところ体調不十分で、しかも前夜来の強風のため常磐線の遅延も予想されたのですが、本日は高橋憲正さんが東京でシテをされる本年唯一の機会のため、これは行かずばなるまいと、ともかく勢いで出掛けた次第です。

案の定、常磐線は遅れたのですが、なにぶん出掛けたのが早かったので一曲目から十分間に合いました。

本日の番組
能 「金札」  亀井雄二
狂言「口真似」 三宅右矩
能 「盛久」  佐野由於
能 「賀茂物狂」東川光夫
狂言「痩松」  三宅近成
能 「夜討曽我」高橋憲正

さすがに体調不十分でもあり、口真似はパスしました。が、漏れ聞こえてくる声からすると、どうもシテが右近さんだったような感じでした。代演とか書いてなかったし、勘違いですかねえ・・・

ともかくも夜討曽我は、これはもう予想通りでして、文句ありませんが、金札、盛久、賀茂物狂と、それぞれに面白かったですね。

亀井さんはお若いんでしょうね。今までツレでしか拝見したことがありません。前シテはいささか苦戦されてる感じがしましたが、後は元気よく脇能らしい目出度い舞台。実際に矢を放つという珍しい型もあり、興味深く拝見した次第。
佐野さん、東川さんはお二方とも安定感ある演技で良い舞台でした。
強い風で、午後には雨も降る天候のためもあってか、ともかく来場者が少なかった様な感じです。ちょっと勿体ないくらい。

久しぶりに、同じく憲正さんファンの方にお目にかかり、近況など楽しくお話しさせていただきました。憲正さん、金沢では二月に巴、十一月に是界と二番のシテを勤められるのですが、既に二月は金沢まで観能に行かれ、十一月も予定されているとか。たしかにそこまでしたい感じはあるんですが、私いささか度胸と根性が不足でして・・・
鑑賞記はいずれまた

寝音曲のつづき

酒に酔った太郎冠者は、謡えと求める主人に、自分は悪いクセがあって「子持ちが膝を枕にいたいて横になって寝」ないと謡えないと主張します。(子持ちは自分の女房のことですね)

主人はやむなく自分の膝を枕にして謡えと言い、二人が正先近くに寄り添って主人は右膝の上に両掌を重ねて置き、太郎冠者がその掌の上に左の肘を載せて頬を支える形になります。さすがにいわゆる膝枕という形ではありません。しかもこの形がこの後の鍵になってきます。

太郎冠者は「女ども、女ども」などと言いながら主人の顔を撫で、主人がビックリしますが、これは酔って子持ちに戯れついたところでござると太郎冠者の説明。
さて再び膝を枕に寝ながら謡う形になります。

「きこし きこし 小原木召され候へ 小原 静原 芹生の里 おぼろ清水に 影は八瀬の里人 知られね梅の 匂ふや匂ふや 此の藪里の春風に 松ヶ崎 散る花までも 雪に残りて 春寒し 小原木召され候へ 小原木召され候へ」と謡ったと思うのですが、狂言の小謡には詳しくないので、残念ながらこれがなんだか分かりません。
実は「小原 静原・・・春寒し」の部分は、綾子舞の小原木踊の歌と同じだったようなので、そちらをもとに書いてみたのですが、もしかして当日の万作さんの謡とは若干違っているかも知れません。

どうもここの小謡は何を謡うと決まっている訳ではないようなのですが、まずは寝た形のままで一つキチンと謡います。

主人は、起きても謡えそうだ、と太郎冠者に試させるのですが、太郎冠者は声が出ない振り。
やむなく、もう一度、今度はもっと長いものを謡えということになり、再び膝を枕にした形になって、太郎冠者が今度は玉ノ段を謡います。この間に主人は両掌を上げたり下げたり。上げると太郎冠者の声が出なくなり、下げると謡えるということを何度か繰り返していますが、そのうちに上げたのと下げたのを取り違えて、起きたまま朗々と謡い出した太郎冠者。ついには立って謡い舞いする始末。「玉は知らず、海士人は海上に浮かみ出でたり」まで舞い上げ、主人が叱って追い込みました。

この最後のところ、主人が褒める形もありますね。また和泉流では玉ノ段、大藏流では放下僧小歌を謡うのが普通ですが、これも必ずしもこれだけにきまったものではないようで、他の謡を謡う場合もあるようです。
(25分:当日の上演時間を記しておきます)

紅葉狩 本田布由樹(秀麗会能)

金春流 国立能楽堂 2009.3.16
 シテ 本田布由樹
  ツレ 中村昌弘 中村一路 大塚龍一郎
  ワキ 村瀬純、アイ 深田博治 竹山悠樹
   大鼓 佃良勝、小鼓 幸信吾
   太鼓 観世元伯、笛 藤田朝太郎
 

山の中の美しい女は、実は鬼神だったという、五番目物の典型のような能。ともかく楽しめます。

まず後見が一畳台を大小前に出します。そしてその上に紺の引廻しをかけた山の作り物を笛座側に寄せて据え付けます。紅葉狩の名の通り山の作り物には紅葉の枝がそれられています。

次第の囃子が奏されて、前シテの女がツレの女とオモアイの侍女を従えて登場してきます。アイは狂言座に着座し、シテとツレの一行は舞台正先まで出て、型通り向かい合って次第を謡います。
次第の「時雨を急ぐ紅葉狩、深き山路を尋ねん」さらに「あまり淋しき夕まぐれ」といった謡で、シテの一行は夕暮れ時の時雨の中を紅葉狩の様子。そんな時に紅葉狩ってどうなの、という気もするのですが「まづ木の本に立ち寄りて、四方の梢をながめて暫く休み給へや」と、一行はとある木の本に休むことになります。

シテはワキ座で下居、ツレが地謡前に並ぶ形。
狂言座に控えていたアイが常座に出て酒宴を始めようと言い、笛座前に着座して紅葉狩の酒宴という設定です。
さてこのつづきはまた明日に

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紅葉狩のつづき

一声の囃子でワキ平維茂、ワキツレ立衆三人が登場し、橋掛りに立ち並びます。
ワキは幕前でサシヒラキした後、一ノ松まで進みサシ「面白やころは長月廿日あまり四方の梢もいろいろに、錦を色どる夕時雨」と謡い出し、九月二十日頃の夕暮れ時、時雨の中の出来事であることが示されます。

ワキの一行は狩に出て、紅葉深い山に分け入ってきたのですが、夕時雨の景色を堪能しているという謡が続きます。
謡の途中でも景色を見廻すように面を使ったりなど、こういう曲らしくワキも少なからず所作を見せますね。

ひとしきり景色を謡うと、ワキがシテ柱まで出てあらたまってワキツレを呼び、山陰に人影が見えるが何者か尋ねてこいと命じます。これをうけてワキとワキツレが入れ替わり、ワキツレが舞台に入って、常座でアイの侍女に尋ねます。
アイの侍女は、ワキの一行の名を尋ねるものの、自分主人であるシテの名を明かさず、ワキツレはこれをワキに報告します。

名を明かさないことに不審を抱きつつも、地謡の「馬より下りて沓を脱ぎ」で、酒宴を妨げないようにと馬を下りた態でワキの一行は舞台に入り、酒宴の横を通り過ぎる形となります。ワキツレ、アイは切戸口から退場し、ワキのみが舞台に残ります。

ワキに気付いたシテはワキを酒宴に誘います。ワキは断るものの、地謡の「一河の流を汲む酒を」でシテが立ち上がってワキに近づき「袂にすがり留むれば」と面を伏せて、扇でワキの袖を突いて、酒宴に誘う風。

いよいよ怪しくなってきますが、これにはやむなくワキも酒宴に加わることにし、ワキ座に座し、シテは正先で下居します。
さてこのつづきはまた明日に

紅葉狩さらにつづき

考えてみれば、この紅葉狩という曲はなかなか贅沢な作りで、船弁慶などとも共通するのかもしれませんが、前場はシテの女が様々な舞を見せ、後場では一転して鬼神が登場して荒々しい姿を見せるという、一曲で二度美味しい的な曲。
しかも前場のシテはこの後、クセから中ノ舞を舞うのですが、単に妖艶なだけでなく、何とも怪しい雰囲気も醸しだします。

まずは地謡のクリ「げにや虎渓を出でし古も、志をば捨てがたき。人の情の盃の、深き契のためしとかや」で場面が展開し、ワキ維茂を加えた酒宴となるわけですが、ワキの「此世の人とも思はれず」地謡が「胸うち騒ぐばかりなり」と続け、ワキはユウケンして不審がる心情を示しつつ、クセに展開していきます。

このためクセの謡も、止せば良いのに盃に向かえばついつい心も変わり、酒に心も乱れてしまうと、ワキの心情を謡って始まります。このクセの部分は仕舞でも良く舞われるところ。「乱るるふしは竹の葉の」でシテが立ち上がり、「思いしかども盃に」とワキに寄って酌をする形。その後は曲舞の基本をなぞるような型がつづきます。

「かくて時刻も移りゆく」とシテは右一足から正面へサシ込みヒライて気分を変え、常座へ向かって中ノ舞になります。割とゆったりした調子で舞が続きます。

舞の途中でワキが扇を持った手を上げ、上体をやや傾けて寝入った形になります。シテは正先からこれを覗き込むように確かめ、囃子のテンポが代わって急ノ舞の位。
急ノ舞からさらに中ノリの地謡に合わせて、「雨うちそそぐ夜嵐の」と雨を受けるような形を見せ、「山陰に月待つほどのうたた寝に」と台に上がって抱え扇など素速い舞を見せ「夢ばし覚まし給ふなよ」とワキを見込んで作り物に中入りします。
ツレもこの間に、地謡の「堪えず紅葉青苔の地」で立って三人共に切戸口から退場してしまいます。
このつづきはまた明日に

紅葉狩りさらにさらにつづき

シテが作り物に入ってしまうと、囃子が狂言来序になり、アドアイの八幡山八幡宮の末社、武内の神が登場してきます。

いわゆる立ちシャベリですが、平維茂が信濃の国、戸隠山で若い女、実は鬼神に酒宴に誘われて酔い臥してしまったが、八幡神がこれを知り急ぎ告げ知らせよとのことであると述べ、舞台を一回りすると「神通を得たれば刹那が間に戸隠山に着いた」と、戸隠山にやってきます。

さらに角に出て、ワキが寝入っているのを見つけ、女が実は鬼であることを告げ、八幡宮より授けられた太刀をワキの前に置いて、早く目を覚ませと足拍子を踏んで退場します。これではじめて「これは戸隠山での出来事だったのだ」と見所が理解する訳ですね。

ワキは目を覚まして太刀を押し頂き「あらあさましや我ながら、無明の酒の酔い心」と不覚にも酒に酔って寝てしまったものの、夢のお告げを得た」と謡い、地謡がこれを受けて「驚く枕に雷火乱れ」と謡うと天を見上げ、ワキ座で後を向いて着けていた烏帽子、長絹を脱いで、白鉢巻に身支度してシテを待ち受ける形になります。

地謡の「とりどり化生の姿をあらはし」でシテが作り物から出て、台上からワキを見込みます。シテが打杖を振り上げ、ワキが太刀を抱え込んだ形となって、舞働。
シテがワキに挑みかかります。

シテの布由樹さん、お体が大きいのですが、動きはす速くワキとの戦いを見せます。重量級のため、足拍子や台上から飛び降りたときは、ズンと響くような感じ。
地謡に合わせて、シテ・ワキのたたかいが続きますが、最後は切り伏せられてシテは正中で安座、ワキが留の拍子を踏みました。

附け祝言は高砂。金春の千秋楽は何度聞いても不思議な節付けです・・・
(81分:当日の上演時間を記しておきます)

藤栄 高橋亘(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.13
 シテ 高橋亘、子方 高橋希、鳴尾 澤田宏司
  立衆 藪克徳 辰巳大二郎 金森隆晋
  ワキ 野口敦弘、アイ 三宅右矩 三宅近成
   大鼓 大倉正之助、小鼓 幸信吾
   太鼓 大江照夫、笛 一噌幸弘

水戸黄門漫遊記がおそらくは講談師によって作られた幕末以降、身分を隠して諸国を回り世直しをする黄門像がもてはやされ、今に至ってもテレビシリーズが放映中という、根強い人気を誇っています。地元としては有り難い話であります。

ですが、この身分を隠して諸国を回るというのは、実は最明寺入道、北条時頼の廻国伝説の方が古い話で、こちらの方が本家本元というところでしょうか。
実際の時頼が諸国を巡ったのかどうかは、水戸黄門同様に怪しいところですが、名君が民情視察に回り世直しをするというテーマは、よほど日本人のメンタリティーに合っているのでしょうね。

時頼の廻国伝説といえば、能ではまず鉢木を上げるべきでしょうし、こちらでは時頼と常世の関わり、後の所領安堵の話に焦点が当たっています。一方、この藤栄も時頼が登場して事件を解決しますが、能としてのスポットはシテ藤栄の舞尽しにあるようで、自然居士にも通じるところがありそうです。ただしこの曲、観世にはありませんで、私としてはあまり馴染みのない曲。また金春、喜多の二流では藤永と書くようです。

今回は高橋亘さんとご子息希クンの共演ということで、当日のブログにも書いた通り、楽しみにしていた舞台です。
その希クンの演じる子方、月若と、ワキツレ野口能弘さんの家人が出し置きの形で登場してきます。
二人が地謡前に着座すると次第の囃子が奏されます。
さてその後の展開は明日につづきます

藤栄のつづき

次第の囃子で登場してくるのは笠を被ったワキ最明寺時頼。

この日は大鼓が素手打ちの大倉正之助さん。今まであまり気に留めていなかったのですが、素手打ちだと常の大鼓らしいカーンという金属的な音が、いささか柔らかい感じになりますよね。これが不思議に趣があるんです。
もちろん、あの大鼓独特の音自体に意味があるとは思うのですが、これはこれで常の次第がなんだかしっとりとした印象になった感じです。

さてワキの野口敦弘さん、登場して常座で型通り次第を謡い、諸国一見の修行者と名乗ります。
宝生の本ではワキの次第は「行方定めぬ道なれば、こし方も何処ならまし」と謡い、諸国一見の僧と名乗るのだと思うのですが、野口さんは「夢の世までも驚きて、つつむや現なるらん」といった(聞き間違っているかもしれませんが)詞章を謡っていたようです。
その後、笠を外して西国行脚に出掛けようと思うと述べ、再び笠を被りますが、宝生の本にあるサシ、下歌、上歌と続く一連の謡ではなく「夕べ夕べの旅枕」で始まる道行を謡って芦屋の里に着き、着きゼリフとなりました。
これはどうも金春流の謡本と似ているようで(金春の次第は「夢の世なれば驚きて」と始まります)、やはりワキ宝生が下掛りの流れを組んでいるからということなのでしょうね。興味深いところです。

芦屋の里にやって来たワキは、一夜の宿を借りようと目付に出て塩屋の内に声をかけます。
先に舞台に出ていた子方とワキツレが塩屋の主という設定ですが、このワキの問いかけにワキツレの家人は立ち上がり、余りに見苦しい塩屋なので宿は貸せないと型通り断ります。しかしワキの再度の求めに宿を貸すことになり、地謡のうちにワキはワキ座に着座し、ワキツレは大小前から常座、正中と進んで下居します。

さてこのつづきはまた明日に

藤栄さらにつづき

さて落ち着いてみると、子方がやけに品のある様子。ワキはワキツレに、幼き人が由ありげに見えるがどなたのお子かと問いかけます。
ワキツレはいったんは「名も無き人」と答えますが、実は芦屋の地頭だった亡き藤左衛門の跡取り息子であること、叔父の藤栄に所領を押領されて零落していることを明かします。

ワキは重書(ジュウショ:土地の権利書)を持っていないのかと尋ねますが、重書はワキツレが持っています。ワキは重書を見せてほしいと言い、いったんは「大事のもの」と断ったワキツレも、重ねての所望に胸元から重書を出しつつ、立ち上がってワキに重書を渡し正中へ下がって再び下居します。

重書を見せてもらったワキは、証跡正しいものを持っているのに、なぜに訴訟を起こさないのだと問いかけます。
ワキツレは、運の悪いことに執権の最明寺殿が修行の旅に出てしまっていて訴訟の起こしようもないのだと嘆きます。

ワキは今日の宿のお礼に、三日の内にこの月若を世に立たせてやろうと言い、不審がるワキツレに、世の中には奇特なることもあるのだ、と説き伏せて重書を預かり、藤栄のもとに向かうことにします。

ワキツレは子方を立たせ、ワキの後について、後見座から鏡板の方へ進み囃子方の後にクツログ形になります。

するとシテとアドアイの太刀持ちが登場してきます。士烏帽子に直垂、白大口姿のシテは常座で浦遊びに出掛けると述べて太刀持ちを呼び共を言い付けて出掛けようとしますが、笛太鼓の音が聞こえてくるのでアイに聞いてくるように命じます。

アイは藤栄の浦遊を鳴尾殿が酒迎に来たと告げ、ワキはそれを待つことにしてワキ座で床几にかかります。
さてこのつづきはまた明日に

藤栄さらにさらにつづき

下り端の囃子でツレ鳴尾とツレの従者、さらにオモアイ能力が登場してきます。
鳴尾はシテと同装の直垂、白大口姿。従者は素袍上下を右肩脱いで、笹を肩にした形です。
「川岸の 根白の柳 あらはれにけりやそよの」と小歌になりますが、最初の一句「川岸の」をツレの鳴尾が謡い、あとは地謡とシテの掛け合い。シテの舞はありませんが、面白く聞かせるところです。

シテは扇を広げて立ち上がり、舞台に入って常座に進んだ鳴尾と向かい合います。さらに立ち位置を入れ替わって、シテが大小前に、鳴尾が地謡前に向かい、この間に従者は切戸口から退場します。
鳴尾はシテに酒を勧め、能力に一曲かなで候へと舞を舞わせます。
小舞を舞ったアイがシテにも舞を勧め「さあらば一さし舞うずるにて候」とシテの男舞になります。

シテの高橋亘さん、これまでも何度かシテで拝見していますが、なかなか見応えのある舞をなさいます。この日の男舞もスッキリした舞でした。
笛が一噌幸弘さん。ああ幸弘さんらしい、と思える独特の差し指で男舞がより緊張感を増したように思います。

さらにシテのサシ「ここにまた蚩尤といへる逆臣あり」から「船の曲舞」となって行きます。いわゆる舞クセですが、謡をふまえた所作が組み入れられなかなか面白い。

このクセの後半、シテの上端の後でツレ鳴尾は切戸口から退場し、ワキが笠を被って扇で顔を隠しながらワキ座へ出てきます。場面が少しずつ緊張を高めてきます。

さてさらにもう一日、このつづきはまた明日に

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藤栄もう一日つづき

クセを舞い上げたシテは一ノ松に立ちますが、アイが狂言座から出て傘を肩にして謡います。このアイにワキが呼び掛け、今舞った者が藤栄と確認したワキは、舞が面白いのでもう一度舞って見せよと伝えるようアイに命じます。

ワキの態度が横柄なのでアイは腹を立てますが、シテは騒がず「ああ暫く」とアイを留め、ワキに対して「今度は八撥を打って聞かせよう」と言わせます。アイはこれを告げ、ワキの態度を腹に据えかねる様子で「腹立ちや腹立ちや」と言いつつ、退場してしまいます。

シテはどこの者とも知れぬ修行者に舞を乞われたのは藤栄の面目、と鞨鼓を舞うことにします。「あまりに彼奴が憎さに、わざと鞨鼓の撥を大きにあつらえ」と内心、怒りつつ舞うことにするわけです。
物着で鞨鼓をつけて鞨鼓の舞、自然居士と同じ形ですね。

鞨鼓を舞い上げ、中ノリの地謡にのってシテは舞い、地謡の「天雲まよふ鳴神のとどろとどろと鳴る時は」で常座から橋掛りへ入り、「雨ははらはらはらと」と欄干を打つ型を見せます。さらに「音も八撥もいざ打たういざ打たう」でワキに詰め寄ります。

「この上はさし扇を除けられ候へ」とワキに迫って笠を落としますが、ワキは顔を隠していた扇をのけて「やあこれこそ鎌倉の最明寺実信よ見忘れたるか藤栄」と決めます。これにシテは驚き、下がって平伏しますが、ワキは月若への所業を叱責し子方に呼び掛けて重書を渡し、所領安堵を伝えます。
さらに藤栄に対しても慈悲を持って罪を許し総領を総領と立てよと命じます。

最後は地謡が月若の一族は以後繁栄したと謡って、シテが子方とともに立ち、子方を幕に送って常座で留拍子を踏みます。

勧善懲悪と言いながらも、慈悲を持って藤栄を許したという形で、藤栄の芸尽くしと目出度い気分を重視した作りのような感じですが、なかなか面白い曲と思います。観世流はなんで現行曲にしてないんでしょうかねえ。
(71分:当日の上演時間を記しておきます)

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