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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

邯鄲さらにさらにつづき

楽を舞い上げると、シテの謡「月人男の舞なれば、雲の羽袖を・・・」と謡い、地謡に合わせて舞います。
何度観ても、この邯鄲という曲、このあたりからの展開は見事だと思うんですね。時が目まぐるしく移り変わり、超現実的な世界が展開します。謡の詞章も不思議な詞が続きますが、謡の調子も時間の揺れる夢と現実の狭間を演出します。

「皆消え消えと失せ果てて」で、子方やワキツレが、まさに脱兎のように切戸口へ姿を消し、シテは橋掛りに進んで一ノ松あたりから「ありつる邯鄲の枕の上に眠りの夢は覚めにけり」というたたみかけるような急テンポの地謡の中で、すすーっと一畳台に近づいてトンと飛んで台上に飛び寝します。
謡が終わると同時にアイがシテの枕元を扇で叩き、粟飯が出来たと告げて、一瞬のうちに夢が覚める訳です。

この台の外から台上に飛び寝するという形は下掛りだけで、上掛りの場合はワキ正あたりから一畳台にさーっと寄るものの、台に上がってからトンと踏んで飛び寝するか、あるいはすっと静かに横になるかというところ。
観世も藁屋の小書がつくと常のワキ正からではなく、下掛りのように一ノ松から一畳台に寄ってきますが、台の外から飛び込んで寝るという形は観世では見ませんね。

金春の飛び込みは、離れたところから台上に飛び込んで臥す見事な形ですが、喜多流の形もなかなかに面白い。
さてこの息の詰まるような一瞬の後は、シテは茫洋と起きあがって「盧生は夢覚めて」と謡い出し、夢の中でのことを思い出して、栄華も一炊の間の夢であると悟ります。
「五十年の歓楽も王位になればこれまでなりげに何事も一炊の夢」と少しずつ少しずつ伸び上がるように体を起こし、ハタと力を抜いて安座した型で「ああ悟りが開けたのか」という感じ。続くシテの「南無三宝南無三宝」の謡は声が晴れやかに聞こえました。

常の形では「夢の世ぞと悟り得て、望み叶えて帰りけり」という地謡で、常座で留拍子を踏んで終曲ですが、傘之出の小書がつくと、謡の後、アイが「いや早御出にて候や、さあらばお傘を参らせ候」とシテに傘を渡し、シテは「近頃祝着申して候」と傘を広げて橋掛りへ。アイが常座で「また重ねて御参り候へや」とシテに声をかける場面が残ります。
不思議な演出ですが、味がある展開です。萬斎さんのアイ、大変に趣深いところでした。
盧生という青年の内面の変化が、押さえた演出の中に十二分に込められ時間を忘れた一曲でした。
(94分:当日の上演時間を記しておきます)
***追記***
傘之出の最後、和泉流の本来の形は、シテが「祝着申して候」と言うと、直ぐに「また重ねて御参り候へや」と言って、狂言座に戻ってしまうのだそうです。
それを明生さんが、大藏流同様にシテが橋掛り二ノ松あたりに行くまで見送ってから声をかけてほしいと萬斎さんに依頼されたのだとか。「阿吽(粟谷能の会通信)」の明生さんの文で拝読しました。
実に趣深い終わり方だったと、あらためて思い起こした次第です。
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