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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

実盛さらにつづき

シテは自らも実盛の幽霊であると語り、二百年に余る時が経てもなお執心のゆえに魄はこの世にとどまっているとワキに告げます。シテ、ワキの掛け合いの謡から地謡となり、「人な咎めそ仮初に」でシテは立ち上がってワキに「実盛の名を洩らさないでほしい」と迫るようにツメ、舞台を回って中入りします。

口開の後、下がっていたアイが常座に出て、上人は説法のたびに独り言をするが、本日もまた独り言していたので、そのわけを尋ねようと言い、正中へ出て正座し、ワキに向かって問いかけます。
ワキはこの問いには答えずに、長井の斎藤別当実盛のことを語って聞かせてほしいとアイに求め、アイは「独り言の由を伺っているのに、それには答えず実盛のことを尋ねる」と不審がるものの、問いに答えて実盛の生前を居語りします。

実はこの実盛の間狂言について、解説書などでは、狂言口開のところでアイが他阿弥上人の独り言についての不審を述べ、そのわけを尋ねようと言って狂言座に下がり、中入後に再び登場してワキと語り合うのだと説明されているのがほとんどです。
しかし今回の石田さんのアイでは、私の聞き違いでなければ、口開では単に他阿弥上人が説法すると触れるだけで、この独り言についての不審は中入後にはじめて述べられました。このあたりは何がしかの演出の意図があったのか、それとも和泉流野村家ではこうするのか不明ですが、口開で独り言の不審を述べた方が、登場した前シテが、実はワキにしか見えない幽霊であると、最初から理解できるように思います。かつて実盛を見た際には、アイの口開がどうだったかまで気を止めていなかったので、比較できないのが残念です。
実は狂言口開というのは現在能に用いられる演出であって、夢幻能では用いられないもの。当然ながら修羅能でも狂言口開があるのは、この実盛一曲です。もしかして、一昨日書いたように、この実盛の幽霊事件が世阿弥の同時代に起きたことと関係があるのかもしれません。

さて話は戻ってアイは尋ねに応じて実盛の話を語り、ワキがこれにこたえて別時(べちじ)の踊り念仏で弔おう、と言うと、アイは立ってその旨を触れて切戸口より退場します。

ワキ、ワキツレは立ち上がり「篠原の池のほとりの法の水」と待謡を謡い出します。待謡に続けてワキが「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ・・・」と謡うと出端の囃子。後シテの出となります。
このつづきはまた明日に
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