能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

狐塚 三宅右近(宝生会月並能)

和泉流 宝生能楽堂 2008.4.13
 シテ 三宅右近
  アド 三宅近成 前田晃一

狐塚の田を鳥が荒らすというので、鳥を追いに遣わされた太郎冠者が、後ほど見回りに来た次郎冠者と主人を狐と思い込んでしまうというのがテーマ。
この曲、大藏、和泉両流にありますが、若干の違いがあって、今回の和泉流では太郎冠者一人が田に遣わされますが、大藏流では太郎冠者、次郎冠者二人が鳥追いに出掛けて二人して主人を狐と思い込む形です。

さて舞台はまずアド主人の近成さんが登場し、常座で名乗るところから始まります。
ことのほかの豊作に目出度いことと喜びますが、それにつけても狐塚の田を鳥が荒らすのが気がかりなので、太郎冠者を遣わそうと呼び出します。

呼び出された太郎冠者の右近さん「狐塚には狐がだいぶん居て、人をばかすと」というので、行きたくないと断ります。しかし主人は「それは処の名でこそあれ、何も狐は居ぬ」ので行ってくれと重ねて命じ、太郎冠者は渋々出掛けることになります。

主人から鳴子を渡された太郎冠者、舞台を一巡りして狐塚の田にやってきます。
ワキ柱に鳴子の縄を結び、鳥を追いながら時を過ごしますが、やがて日が暮れてきます。「はあこれはいこう暗うなったが、もはや日が暮るるかしらぬ。しきりに暗うなった。あれあれ、ほ、ほ、ほ南無三宝、こりゃ日がずんぶりと暮れた」と見る間に暗くなってきた様子が、狂言らしい言葉使いで表現されます。

暗くなった中で、いよいよ狐がばかしに来るかと身構えている太郎冠者のもとを、次郎冠者が見舞いにやってきます。
このつづきはまた明日に
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狐塚のつづき

次郎冠者が一ノ松あたりから呼び掛けると、狐が次郎冠者に化けてきたと思い込んだ太郎冠者は、次郎冠者を声を頼りにおびき寄せ、暗い中で探り寄って鳴子の綱で縛り上げてしまいます。

すると今度は主人がやって来ます。
主人も臆病な太郎冠者を見舞いにやってきたのですが、太郎冠者は狐がばけたものと決めていますので、暗がりの中で声を頼りに主人もまた縛り上げてしまいます。

二人を縛り上げた太郎冠者は、青松葉でふすべて正体を出させようという算段。二人を順番にいぶします。「こんこん」と言えなどと、やり放題の太郎冠者。鎌を持ってきて皮を剥いでやろう、と言って中入りします。

暗がりの中なので、次郎冠者と主人は互いに気付いていないという設定。太郎冠者が中入りしてしまうと、ようやく二人は互いに気付いて、なんとかしようということになります。
次郎冠者の縄がとけ、主人の縄も解いて、鎌を取りに行った太郎冠者を待ちかまえます。
太郎冠者が戻ってくると、二人は鎌を取り上げ、太郎冠者を打ち倒して退場。

太郎冠者は「ふる狐共がよって縄だらしをしおった。やるまいぞ、やるまいぞ」と二人を追い込みますが、要は最後まで狐と信じて追い込む形になっています。

夜になっても様々な灯りがある現代とは違い、月のない夜には本当に真っ暗だったのでしょうから、狐に化かされるといった騒ぎも納得できる感じがしますね。
(27分:当日の上演時間を記しておきます)

吉野静 高橋章(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.13
 シテ 高橋章、ワキ 工藤和哉
  アイ 高澤祐介 金田弘明
   大鼓 安福建雄、小鼓 幸清次郎
   笛 藤田朝太郎

いずれの曲でも流儀によって多少の相違はあるものですが、この吉野静は金春流と喜多流では前後二場の現在能として演じる一方、他の三流では前場を省いているために、大分違った構成になっているようです。

前場ではワキの佐藤忠信が次第で登場して、吉野の衆徒の裏切りによって義経が吉野山を落ちた後、一人山に残った思いを謡います。
シテ静御前が登場し忠信になぜ山に残ったのかと問いかけ、忠信は義経から「防き矢射よ」と命ぜられ、弓取ってこその面目と感じて山に残ったことを明かします。

忠信と静が言葉を交わしていると法螺貝や鐘の音が聞こえてきます。道行く人に聞いてみると、吉野の衆徒が義経を追い掛けようと集会をする知らせとのこと。

一計を案じた忠信は、自らは都道者の真似をして集会の座敷へ出て義経兄弟が仲直りしたと皆に伝えて時間稼ぎをし、また静が法楽の舞を舞ってさらに時間を引き延ばして義経を安全に落とそうとします。
この約束をしてシテ、ワキが中入りするというのが前場の構成。

宝生流ではワキが登場して次第を謡った後、前場のあらすじに相当するところを語って後場のアイとのやり取りへと展開していきます。
このつづきはまた明日に

吉野静のつづき

都道者(みやこどうしゃ)というのは、熊野など有名寺社を巡る都からの参拝客のことのようで、忠信はこの都道者のふりをして衆徒が集まっている大講堂に入っていくことにするわけです。

次第で登場したワキ工藤さん、直垂に白大口、笠を被った姿です。次第を謡った後、正を向いて笠を取り、佐藤忠信であると名乗って、昨日書いたように前場のあらすじに相当するところを語ります。

さて続いてアイ二人が法螺貝を吹く形で登場してきます。
二人は義経が落ちて行ったことから、大講堂で集会をしようと言い合い、ワキ座と常座に別れて着座して語り合います。
ワキは笠を被って大小前に座しますが、アイがワキを咎めて「何とて衆徒の座敷へ、濡れわらんずにて出でられ候ぞ」と問いただします。ワキは素知らぬふりで、都道者なので衆徒の座敷とも知らずに入ってしまったと言いますが、都の者と聞いてアイは興味を引かれます。
都では義経の噂はどうなっているのか、と問うアイに、ワキは頼朝、義経の兄弟はついには仲直りしたと嘘の情報を伝えます。

アイは続けて、義経がどのくらいの人数を連れて吉野を逃れたのかと問います。
これにワキが十二騎と答えると、それならば追い掛けようとアイがはやり立ちます。しかしワキは「暫く」とこれを止め、十二騎とは言っても並の軍勢の百騎にも二百騎にも相当する強者と諭します。
この言葉にアイは思い止まり、二人は再び法螺貝を吹く様子で退場します。

するとアシライ出でシテの静御前が登場してきます。忠信との約束により舞装束となり忠信遅しと待ちかねた風情。
さてこのつづきはまた明日に

吉野静さらにつづき

静烏帽子に紫の長絹、緋の大口で登場したシテは一ノ松にとどまり、「さても静は忠信がその約束を違へじと、舞の装束ふき繕い、忠信遅しと待ち居たり」と謡います。

あくまでも都道者を真似たワキは、現れ出でた静に法楽の舞を舞うように促します。
シテはワキに都人ならば義経の噂を知っているだろうと問いかけます。集まった衆徒に聞かせようという心。これを受けワキが兄弟仲直りと告げ、衆徒が追跡を思い止まろうとする様子。

ワキはあまり問答を長引かせるのもまずかろうと静に舞を促します。「勝手しらすな静にはやせや、静が舞」でシテは舞台に入ります。
地謡の「衆徒も憤りを忘れけり」で常座へ出、「げにこの御代も静が舞」でイロヱ。

さらに、義経は神道を重んじ、朝廷を敬って忠勤、私心無かった。人が讒言をしようとも神は正直の頭に宿る、とシテと地謡の掛け合いで謡い、クセに入っていきます。

クセは舞グセ。梶原景時の讒言に追われたものの、義経の真に頼朝と仲直りの話。衆徒もいたずらに義経を追って不忠をなし給うなと謡が進みます。
シテの上げ羽から、義経の郎党は精鋭と説き、これを聞いて衆徒は誰一人義経を追おうとはしなかったと謡い舞います。

そして「賎やしづ」の拍不合の謡から中ノ舞。金春流などでは序ノ舞を舞うようですが、宝生では中ノ舞を舞いますね。
舞い上げたシテは「賎やしづ。賎の苧環。繰り返し」と謡い、地謡が受けて、衆徒が静の舞の面白さに時を過ごしてしまったり、義経主従の武勇を恐れて思い止まったり、忠信の謀通りにことが進み、義経は無事に落ち延びた。静も願いが叶って都へ帰ったと留拍子になります。
(54分:当日の上演時間を記しておきます)

春日龍神 宝生和英(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.13
 シテ 宝生和英
  ワキ 宝生欣哉、アイ 高澤祐介
   大鼓 亀井広忠、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 金春國直、笛 寺井宏明

春日龍神は各流とも割と上演の多い曲です。昨年は金剛流の龍神揃を拝見しましたが、東京では金剛の龍神揃を観る機会はまず無いと言っても良いところです。
宝生流にも龍神揃と同様に、後場にシテのほか多くの龍女や龍神が登場する小書がありますが、今回は小書無しですのでシンプルな形です。

そういえばこのブログでは昨年の金剛流龍神揃のほか、金春流の山井綱雄さんシテの鑑賞記も書いていますが、上掛りはありませんね。というわけで、そのあたりの違いを含めて書いてみようと思います。

まず型通り次第でワキの明恵上人がワキツレの従僧を従えて登場し、正先で向き合って次第を謡い、入唐渡天の暇乞いのために春日明神へ参詣すると述べて道行、栂尾から春日の里に着いたと謡って、ワキ座に着座します。
ワキは宝生欣哉さん、ワキツレは梅村昌功さんと則久英志さん。個人的には好きなワキ方の皆さんです。

すると一声で深緑の狩衣を肩上げにし、白大口に翁烏帽子をつけて右手に萩箒を持ったシテの老宮守が登場して、常座で一セイ「晴れたる空に向へば、和光の光あらたなり」と謡い、サシ、下歌、上歌と春日大社の様子を讃えます。
和英さんのシテを拝見するのは二度目だったと思いますが、お若いのに前シテ老人としての、運びも謡いも安定感があります。だいぶん精進されておられるような。
さてこのつづきはまた明日に

春日龍神のつづき

ワキが立ち上がってシテに呼び掛けますが、シテは「や、これは栂尾の明恵上人にて御座候ふぞや」と、ワキを明恵上人と見知ったような返答。本日の参詣は春日大社の神も嬉しく思われるだろうと述べます。

ワキは入唐渡天の志あって、本日は暇乞いのために参詣したのだと告げますが、これに対してシテは「年始より四季折々の御参詣の、時節の少しの遅速をだに、待ち兼ね給ふ神慮」と明神の神慮がいかに明恵上人に対して厚いかを述べ、上人を太郎、笠置の解脱上人を次郎として、左右の眼、両手の如く思っておられるのに、入唐渡天とは神慮に叶うまいと、上人に翻意を迫ります。
そして、仏在世の時ならば渡天して仏の姿を拝む意味もあろうが、今の世となってはこの春日山こそすなわち霊鷲山であるなどと説きます。

続く地謡でワキはワキ座に着座し、シテは舞台を一巡して正中に下居。シテの物語となります。

下掛りではシテが「それ仏法東漸とて、五五の時代に至りつつ」とクリを謡い、ワキがこれを受けて「然るに入唐渡天といつぱ、仏法流布の名を留めし」と謡って地謡に続きますが、上掛りの本ではクリが無く、シテが「然るに入唐渡天といつぱ・・・」を謡って地謡になります。
続くクセは居グセで、四諦の法が説かれた鹿野苑もこの春日野に他ならぬ、春日野春の長閑さよと謡われます。
居クセはシテの気力が充実していないと、なんだか間の抜けた時間になってしまいますが、ここも安定感あるクセでした。

ワキはこのシテの語りを受けて、これをご神託と思い定め、入唐を思い止まろうと語ります。
さてこのつづきはまた明日に

春日龍神さらにつづき

入唐を思い止まったワキがシテに名を問うと、三笠山に五天竺を写し、摩耶の誕生から伽耶の成道、鷲峰の説法、双林の入滅まで悉く見せよう「我は時風秀行ぞ」と言って姿を消してしまいます。

中入りは来序、シテが幕にはいると狂言来序になって面を着けた末社の神が登場して立ちシャベリになります。
アイは前場の流れをまとめ、明神が五天竺を三笠山に写すので山河大地も震動するから、皆々心を静めて拝むようにと触れて退場。
事前の番組ではアイは河路さんになっていたのですが、どうも声を聞いていると高澤祐介さんのような感じ。そこで当日配られた番組を見直してみると、アイが高澤さんになっています。おうおう、本日は高澤さんのアイをはからずも二番観ることが出来たという、これまたラッキーなことでした。

さてワキ、ワキツレが「神託まさにあらたなる、声の内より光さし・・・」と待謡を謡い、早笛が奏されて後シテの出となります。
一度、三ノ松まで出て幕内に下がり、再び出て常座へと進みます。

シテが登場すると地謡が「時に大地震動するは、下界の龍神の参会か」と龍神の出現を謡います。下掛りではワキの待謡が無く、地謡の「時に大地震動するは・・・」の謡が謡われてから早笛になってシテが登場しますね。

シテ地謡と掛け合いの謡で八大竜王の名を連ねつつ、舞台を回って正先に下居。「御法を聴聞する」と、やや面を伏せて聞く形。さらに「そのほか妙法緊那羅王」と立ち上がり、百千眷属を連れて出現したことを示します。
「恒砂の眷属引き連れ引き連れ、これも同じく座列せり」と飛び安座して、迫力を示します。
龍神揃ではこれをツレの龍女、龍神によって見せようという趣向ですが、シテの龍神一人で眷属を連れた様を表そうというのも、能らしい表現です。

さらに舞働の後、ワキに「さて入唐は」と迫り、ワキが「止まるべし」と答えると、威勢を示す舞を舞い、最後は橋掛りを進んで幕前で袖を被き、立ち上がって留拍子を踏みました。
当日のブログにも書きましたが、龍戴がなんだか前にずれてきたなあと思っていたら、最後に落ちてしまったのはいささか残念でしたが、逆にそれだけ力のある舞で、前後を通して楽しむことが出来ました。
正直のところ、後見で出ておられるのは良く拝見して、こんなお若い宗家で大丈夫かと失礼ながら思うことも少なくなかったのですが、シテをなさると舞台上で何倍も大きくなられる感じがしました。
(65分:当日の上演時間を記しておきます)

金札 亀井雄二(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.19
 シテ 亀井雄二
  ワキ 大日向寛、アイ 高澤祐介
   大鼓 原岡一之、小鼓 坂田正博
   太鼓 桜井均、笛 栗林祐輔

この曲、観世流では前場が失われていて、ワキが次第で登場し名乗りをした後、待謡となります。岩船と同様で、どうもこういう曲の前半を省略して祝言能としてしまうのは観世流独特のようなのですが、天から金札が降る不思議の話は前場にしかなく、前場を省略してしまうと金札という曲名が意味のないものになってしまうような気がしますね。
今回は前後で演じるのを基本としている宝生流なので、そのあたりは心配いりませんでした。

まずは後見が一畳台と宮の作り物を出してきて、大小前に据えます。

次第の囃子が奏されて、ワキ大日向さんの桓武天皇の臣下と、ワキツレ舘田善博さん、則久英志さんの従臣が登場、正先へ進んで向かい合い次第を謡って名ノリとなります。
栗林さんの笛は松田弘之さんの笛と似た印象で、私は好きな笛方のお一人。次第の囃子は栗林さんのヒシギから始まりますが、曲調もあって、この日は快調に飛ばした感じ。
脇能で臣下のワキの出というのは、勢いがあって好きな場面です。

ワキは桓武天皇の臣下であると名乗り、桓武天皇が山城の国愛宕郡に平安京を造営し、国土安全の地としたこと、さらに伏見に大宮を造ろうとし、ワキの臣下を遣わした旨を述べます。
さらにサシ、上歌と謡って伏見に到着し、ワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に

金札のつづき

ワキが着座するとアシライ出で前シテの老人が杖をついて登場してきます。
焦げ茶のような単狩衣に白の大口、翁烏帽子を着けて右手に杖を持った姿、登場したシテは常座に立ち、社の造営を褒め称え、このような時代に逢う我が身の長生を喜びます。

亀井雄二さんは亀井保雄さんのご子息で、おそらくは五雲会などでは初シテではないかと思うのですが、これまではツレや地謡でお見かけした程度。三十前でしょうか、大変お若いシテです。
さすがに前シテの老人はいささか大変のご様子で、謡も老人らしさを出そうと工夫されている感じはうかがえますが、緊張が見所にも伝わってくる感じです。

さてこのシテの姿に不審を持ったワキが、どこから参詣に来た人かと問いますが、シテは伊勢のあこぎが浦に住む者で、この伏見の大造営は天も納受し地も潤うもの、王法を尊んで来たのだと答えます。
「王法を尊む」とはどういうことかとワキが重ねて問いますが、シテはこれに長生の身で伏見の宮を拝むことこそ朝恩を知ることであると述べ、地謡の下歌で常座から三・四足進み出て、作り物の宮に向き直って下居、合掌します。
さらに「春は花山の木を伐れば」からの上歌で立ち上がり、「車を作る椎の木」からのロンギの切る物尽し、木尽しに合わせて舞台を一巡りします。

ロンギの終わりでシテは宮ノ前に下居します。
ここで後見がシテの後から寄って、シテの置いた杖を去り、将棋の駒のような形に作った金札を置きます。
「あら不思議や、天より金札の降り下りて候。すなはち金色の文字すわれり読み上げ給へ」とシテが立ち上がって金札をワキに渡し、読み上げるようにワキを促します。
ワキも「取り上げ読みて見れば何々」と受け、ノットの囃子に続いて「そもそも我が国は、真如法身の玉垣の、内に住めるや御裳濯川の、流絶えせず守らんために、伏見に住まんと誓をなす」と金札の文字を読み上げます。
さてこのつづきはまた明日に

九皐会を観に行く

久しぶりに九皐会を観に矢来の能楽堂まで出かけました。久しぶりということもあって、飯田橋の駅で降りて神楽坂通りを歩いてみましたが、休日は歩行者専用になっているので、雨上がりの肌寒い日の割になかなかの人出です。この十分の一でも人出があれば、地方都市も賑わうんですけどねえ、などと思いつつ、街を散歩気分。

本当は表通りだけでなく、路地へ入った方が神楽坂を楽しめるんですが、時間の制約があるときにこれをやると大変なことになる場合も・・・というのも、神楽坂の裏道は昔ながらの街筋なので、縦横に整理された道路網とは大違い。道がなんとなくカーブしているところが多々あるので、いつの間にか元いた場所に戻ってしまったり、などということが起こります。

一度、矢来に能を観に来て、あまり天気が良かったのでちょっと裏道を散策し、結局、能のほうは大幅に遅刻したという一件がありました。

さて本日は、とある方のご好意でチケットをいただいた次第。
長沼範夫さんのシテに、観世喜正さんのツレで通盛。長山禮三郎さんと耕三さんによる熊野、こちらは村雨留の小書き付きという、能二番。狂言が万蔵さんシテで口真似と、仕舞三番の番組でした。

通盛は、なかなかに情趣の深い能ですが、ツレで出られた喜正さんの熱演もあり、しみじみと拝見しました。休憩時間に、大変良い能だったと話しておられる老紳士をお見かけしました。
熊野は上演回数も多いし、ある意味、見慣れた曲ではあるのですが、今回の禮三郎さんの能はとても良かったと思います。いつもながら、ちょっとしたメモをとりつつ観ているのですが、思わず「うまい!」と書き込んでしまったものです。

もっとも、矢来の能楽堂のサイズっていうのもあると思うんですよね。舞台の近さが全然違うし、見所も狭いので、なんだか空気が濃密な感じがするんです。
江戸時代でも、勧進能などはとてつもなく大きな見所を作ったようなので(宝生能楽堂に模型がありますが、けっこうビックリします)、昔は良かった的な発言をするつもりはありませんが、この雰囲気は捨てがたいと思います。
鑑賞記はいずれそのうち

金札さらにつづき

シテはワキに金札にある「伏見とは何だと思うか」と問い、ワキは「(伏見とは)この御社の事なるべし」と答えますが、シテは「あら愚や伏見とは、総じて日本の名なり」と述べ、伊奘諾伊奘册が天の磐座に臥して見いだした国だから伏見なのだと言って立ち上がり、ワキに寄って手から金札を取りあげ「かき消すやうに失せけるが」と一ノ松へ向かい、「しばし虚空に声ありて」の地謡に続いて正を向き「これは伊勢大神宮の御つかはしめ天津太玉の神なり」と名のって、地謡のうちに舞台に戻り、来序で宮の作り物に中入りします。

シテが中入りすると直ぐに幕が開き、狂言来序で末社の神が登場して常座での立ちシャベリ。さらに舞台目付に出て「さてかの客人は」とワキの臣下を探します。
ワキを認めて一度常座に戻ってから、再び目付に出て下居し、金札が降り下がったこととあらたな社殿の造営を告げ、さらに三段之舞。
先日の月並に続いて今回も狂言が右近さんのご一家。高澤祐介さんのアイが続いていまして、これはちょっと嬉しい。高澤さん舞には余裕が感じられます。

さて出端が奏されて、シテが作り物の中から「守るべし、我が国なれば皇の万代いつと限らまし」と謡い出します。さらに地謡の「扉も金の御札の神体光もあらたに見え給ふ」で引廻しが下ろされ、天神の面をつけ法被半切りのきらびやかな後シテが、床几にかかった姿を現します。

シテは「悪魔降伏の真如のつき弓」で立って作り物から出、拍子を踏んで正先へ出てから「悪魔を射払い清をなすも」と常座と正中の中間あたりの位置で矢をつがえ、一ノ松の方に向けて矢を射放ちます。舞台上で実際に矢を射るというのは他の曲では見かけない型と思います。しかも結構、矢が飛んだのでビックリ。

続く舞働から、さらに「弓をはづし剣を収め」の地謡に合わせて角に下居して弓の弦を外した型、雲扇して宮を見上げ、「玉簾のゆるがぬ御代とぞなりにける」と目出度く留拍子を踏みました。
(60分:当日の上演時間を記しておきます)

盛久 佐野由於(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.19
 シテ 佐野由於
  ワキ 工藤和哉、アイ 三宅近成
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 幸信吾
   笛 成田寛人

当日のブログにも書きましたが、金札に続く狂言口真似はパスいたしました。どうも体調不良が続いておりまして、あまり無理せずということで。

さて次の盛久ですが、昨年七月の喜多流粟谷明生さんの演能について、このブログでも鑑賞記を書きました。今回は宝生流ですが、この盛久という曲、直面の能の面白さが特に感じられるような気がします。
直面といえば、佐野由於さんの能では放下僧も観ていますが、盛久もシテの技量が問われる曲で、楽しみなところ。

舞台はまず出し置きの形でシテの盛久が登場し、笛座前で床几にかかります。
ワキの土屋の何某とワキツレの太刀取りと輿舁も続いて登場してきますが、ワキは一度後見座にクツロぎ、ワキツレ太刀取りが二ノ松あたり、輿舁は一ノ松あたりと橋掛りに控える形です。
ワキはあらためて立ち上がり、常座まで進んで名乗る形になります。

これは明生さんの盛久の際にも書きましたが、宝生、金剛、喜多三流に共通の形。一方、観世、金春ではシテとワキが問答をしながら登場してきます。こちらの形が現存する世阿弥の盛久自筆本と同じ格好です。

ともかくワキの名乗りで物語が始まったところで、このつづきはまた明日に

盛久のつづき

「これは鎌倉殿の御内に土屋の何某にて候」と常座でワキが名乗ります。主馬の判官盛久が丹後の国成合寺に忍んでいるところを、案内する者があって生け捕りにし、関東へ供するところと説明します。ワキ工藤さんの語りは淡々とした感じで、物語の幕開けとして相応しいように思いました。

これに対してワキ座に出ていたシテが「如何に土屋殿に申すべき事の候」と呼び掛けて、観世流などと同様のシテ、ワキの問答になります。

シテは、関東に下ってしまえばこれが最後になってしまおうから、清水に向けて輿を立てて欲しいと頼みます。ワキが易きことと答えて清水に寄る形になり、ワキは橋掛りへ向かって「東山の方へ輿を立てられ候へ」と呼び掛け、輿舁は常座へ進み、ワキと太刀取りは後見座にクツロギます。

シテのサシ謡「南無や大慈大悲の観世音・・」一度、観世音と称え念じても頼りあるものを、長年信仰を深めてきたこの清水寺とも最後かと、名残を惜しむ風情。
佐野さんの謡も愁いを含んだ感じですが、諦念を感じさせるしみじみとした味わいがありました。

一セイで「いつかまた、清水寺の花盛り」とシテが立ち上がり、ワキ、ワキツレの一行も立ち上がって輿舁が後から差し掛けて輿に乗った形。

ここから音羽山、松坂、逢坂の関から勢田の長橋を渡り、鏡山と地名を織り込んだ長い道行、海道下りになります。
先頭にシテ盛久、後からワキツレ輿舁の野口能弘さんが向かって左側、梅村昌功さんが向かって右側から輿を差し掛け、野口さんの左斜め後ろにワキの工藤さん、さらにその左斜め後ろに太刀取りの殿田謙吉さんという形で、一団になって舞台を廻ります。
「早鎌倉に着きにけり」で輿を外して地ノ頭あたりでシテは床几にかかりました。
このつづきはまた明日に

凡例

能を観ようと思っているんだけど、この曲はどんな内容なんだろう?
どのくらい時間がかかるのかな?
小書がついているけど、何が変わるんだろう?

能を観るようになって随分年数が経ちましたが、今でも良くこんなことを思います。
そんなとき、簡単な解説とか、データ集のようなものがあると便利なんだけど、と思っていたのですが、ならばいっそ自分で作ってみようか・・・というのが、このブログを書いている理由の一つです。

このブログのスタンス」に書いたように、要は「どちらかというと、これから能・狂言を観てみようかと思っている方、あるいは最近観始めた方が読むのに適したような話題が多く・・・鑑賞記録も・・・これから同じ曲を観るときに、ちょっと参考にしていただければと思っています」という次第です。

私自身「研究者というわけでもなく、稽古していたのもずっと昔のことで、要は単なる一観客」ですから、その範囲内で、書けるところを書いています。
したがって、曲の進行、実際の時間や展開など、目で観、耳で聞いたものが中心ですが、ちょっとした情報も触れられれば触れてみる、という書き方です。

上のような趣旨の“ブログ”であって、研究者の論文ではありませんので、資料の扱いなど、いささかいい加減なところもありますが、そこは“ブログ”というチャネルの性格上、ご容赦いただける範囲と考えています。

とは言え、私なりにはルールを決めて書いていますので、ここに記しておきます。
個々の鑑賞記などお読みになる際に、留意いただければ幸いです。

謡曲の文章ですが、観世流については概ね二十四世観世左近著、二十五世観世左近・二十六世観世清和改訂の大成版観世流謡曲百番集、続百番集を使用しています。一部、二十五世が改訂される前の古い版も用いる場合があります。
観世流以外の各流については、基本的には半魚文庫さんに掲載されている謡曲三百五十番を用いています。半魚文庫さんは名著全集本『謡曲三百五十番集』と、赤尾照文堂版『謡曲二百五十番集』を底本にされています。
ただし各流についても、手持ちの謡本があるものについては、これに寄っている場合もありますが、特に注記はしておりません。
また「古い謡本に当たってみましたが」等と注記している場合は、概ね国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに収録されている明治期の各流謡本を参照していますが、一部手持ちのものがある場合、特に注記なしにこれを参照している場合もあります。

明らかなる事実、歴史的な事実、常識的に事実といえるもの等については、出典等を示すことなく断定して記述しています。例えば「シテ方には五流あります」あるいは「五番立ての最初は神能ですが」などといったものです。
一方、特定の書物からの引用によるものなどについては、何らかの形で一次資料を確認した際のみ「○○に××とありますが」等の記載を用いています。
一次資料が確認できず、他の書物からの孫引きになる場合や伝聞になる場合には「○○に××とあるようですが」「○○に××とあるとか・・・」など、伝聞を想定させる表現としています。
例えば、平成18年8月に観世芳伸さんの千手について書いた鑑賞記を載せていますが、ここで吾妻鏡の記述について「記事があります」「書かれています」と書いています。これは吾妻鏡の原文を確認した上で記載しました。原文を確認していない場合は「記事があるようです」とか「書かれているとか・・・」など伝聞を想定させる書き方になります。
ただし“ブログ”という性格上、100%この原則に従っていない場合もありますので、留意ください。
また、原文をあたった場合、論文であれば当然にその版など詳細を記すべきですが、これもこのブログの性格上、注記を行っておりません。そのため、古典にありがちですが、ある本には記載があるのに、他の諸本にはその記載がないといった問題が生じる場合もあります。とは言え、そうした事例が頻発しないように、古い時代のものでは原文を参照しても伝聞形式で記載している場合があります。

所要時間ですが、平成19年7月14日分以前の鑑賞記では5分単位、7月15日分以降では1分単位で記載していますが、いずれも、笛方が半幕から姿を現したところから、終演して大鼓方ないし太鼓方が幕に入るまでの時間を記載しています。
何らかの演技が始まってから、留までであれば、もう少し短くなります。また、国立能楽堂のように橋掛りの長い能楽堂と、劇場などの仮設舞台で橋掛りが極端に短い場合などとを比較すると、囃子方の出入りまでを含めるかどうかで時間が数分単位で違います。しかし私としては、囃子方の出から全員が退場するまでを「能」ととらえたいので、このような記載方法をとっています。

舞などの型については、かつて観世流を稽古していた関係から、観世流での言い方を基本に記載しています。他の流儀での言い方が分かる場合は、できるだけその流儀の呼び方で記載するように心がけていますが、なにぶん習ったわけではありませんので、取違いなどあった節はご容赦ください。

ブログを書くということ・・・Li Zhitianさんのコメントから

昨晩は出張帰りに国立能楽堂の定例公演を観てきました。茂山忠三郎さんのシテで子盗人と、観世流岡久広さんのシテで碇潜(イカリカヅキ)の二曲です。案外、というと失礼ですが、面白い二曲でした。
このところ仕事に追われていて、朝も早出を続けていたのですが、ようやく一区切りついてきたところで、ホッとした観能になりました。ただ、なにぶん田舎住まいなので帰ってくるのが大変で、昨晩のブログ更新は断念しました。
この定例公演の話は、またいずれ・・・

さて今週は、Li Zhitianさんという方からいくつかの記事にコメントをいただきました。金春安明さんのお近くにお出での方の様子で、プロないし、かなり深くお稽古をされておられるような感じです。(私、ある想像をしておりまして・・・フッフッフ)
今回いただいたコメントはなかなか興味深いものでもあり、一部には私なりの再コメントもつけています。しかし同時に、私としては今回のコメントをきっかけとして二、三考えるところがありました。

一つはこのブログの記載方法の情報です。
熊野の鑑賞記でのコメントと再コメントにまつわる話で、まずはそちらをご覧いただけると幸いです(リンク)。漱石の記述を巡る話自体は面白い話題なのですが、どうもLi Zhitianさんのコメントを読んでいると、私のブログの記事が「原文を確認せずに書かれたもの」という前提で話を進めておられるように読めます。

別にLi Zhitianさんがそう解釈されること自体は、読み方の問題ですからかまわないのですが、「たかがブログ、されどブログ」私も「書かれています」と記事に書く以上は、原文にあたらず適当に書いているわけでもありません。
ほんの一行「○○には××とありますが」という文を書きたいがために、数日かけて図書館で書物を漁るようなこともあります。

そんな訳で、私がこのブログを書く際に、一応ルールとしているものを、あらためて凡例という形でアップしました。
鑑賞記など参照される際に、ご留意いただけると幸いです。

もう一つは記載内容の問題です。
凡例にも書いたように、もともとこのブログの鑑賞記は、どちらかと言えば初心者に近い方が、能を観る際に事前の情報として読んでおかれると便利なもの、程度のレベルを想定して書いていました。
しかし今回のコメントを読んでいると、どうもいささか専門的な書き方になってしまっているかなあ、という反省を感じたところです。

とは言え、鑑賞記を書いているもう一つの目的は、自分自身が後々に「あの時の能はどんな風だったのか」を思い出せるように、ということにありますので、型や囃子の細かいことなど、必ずしも初心者向きでないことも記載してしまっています。

このあたりはいささか反省していますが、どこまでで線を引くか、これまた難しいところです。そんなわけで、「どちらかというと初心者向き」という部分では、出演者やどこの舞台かといった基本的な情報と、ストーリーや主な場面の展開、所要時間などを最低限おさえ、それ以外の部分は私の興味のあるものを記載するという、まあこれまでのやり方を続けていくつもりでおります。

そんなわけで、例えば能の作者など、実はあまり私の興味の深くないところについては、特にこの曲は誰の作と書いておくと話が面白く展開できるといったものでない限り、記載しない、あるいは「○○が作った能だとか」程度の書き方で済ませています。
いずれにしても勤め人の趣味の範疇ですので、あまり多くの手間をかけるわけにもいかず、先に書いた「数日かけて図書館で」といったことは出来るだけしなくて済むような範囲で文章を書く(そうなってしまうようなものは出来るだけ書かない)ようにしています。

そうした意味で、書かれていないことで、こんなことを知っていると面白い、といったお話があれば、コメントいただけるのは有り難いです。

・・・ところで、なぜ作者にあまり興味がないのか、については、いずれ機会があれば記してみたいと思います。

盛久さらにつづき

いささか間が空いてしまいましたが、盛久の鑑賞記の続きです。

床几にかかったシテのサシ謡は、この関東の地まで着き百年の栄華もただ夢、故郷も友人も彼方となり自分一人が鎌倉山に囚われていると、無常の思いを謡い、さらに詞でこのようにして生きながらえていくよりも「天晴疾う斬らればやと思ひ候」と独白します。
シテの独白の謡ですが、力みのない淡々とした謡で、既に未練を断ち切った諦念が感じられます。

このシテの語りにワキが常座に出て盛久への同情を示し、声をかけます。
ワキ土屋の話は、頼朝に下向の由を知らせたところ「急ぎ誅し申せ」との命があったということ。「此暁か」あるいは夜明けか、斬首となる旨が伝えられます。

まだしばらくの時間があることに、シテは清水の観世音を長年信仰し、毎日観音経を読誦していたが、教派まで読誦していない。なにとぞ観音経を読誦することを許して欲しいとワキに頼みます。
ワキがこれを許すとシテが懐中から観音経の巻物を取り出して広げ、祈りの詞を述べて「或遭王様難苦臨刑欲寿終。念彼観音力刀尋段々壌」と観音経を読み上げます。

シテ、ワキの掛け合いの形で観音経の功徳が語られますが、ワキはシテの「実に頼もしやさりながら、全く命のためにこの文を誦するにあらず」の謡のうちに立ち上がってシテの横に寄り添います。
シテがワキに巻物を広げて見せつつ二人で「種々諸悪趣地獄鬼畜生、生老病死苦以漸悉令滅」と経文を読み上げる形。

さらに地謡の下歌、上歌とこれを受けて謡が展開しますが、上歌の「三世の利益同じくは」で太刀持ち、輿舁が立ち上がり、橋掛りへ進んで、太刀取りが二ノ松、輿舁が一ノ松に控えます。

シテが「あら不思議や、少し睡眠の内に新なる霊夢を蒙りて候ふは如何に」と独白し霊夢を見たことが示されます。この「少し睡眠の」のあたりでワキも立ち上がり常座へと進みます。
シテの詞が終わると、ワキは常座で力を入れて「既に八声の鶏鳴いて。御最期の時節唯今なり」といよいよ刑場に向かうことを告げ、輿が差し掛けられて刑場に向かう形。
さてもう一日、明日につづきます

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盛久さらにさらにつづき

シテは正先に出て「盛久やがて座に直り」と下居して観音経を取り出し、開いて捧げます。ワキツレの太刀取りが後ろで刀を振り上げますが、シテの前に落とし「取り落したる太刀を見れば、二つに折れて段々となる」と奇跡が起こったことを述べ、切戸口から退場します。

シテ、ワキの掛け合いで奇跡の様が謡われ、続く地謡が、この奇跡が頼朝の耳にも入り盛久を召したため、鎌倉殿に上がったと謡って、シテは後見座にクツロイで物着となります。

物着ではアイが常座に出て先の奇跡のことを述べ、シテに頼朝の前に出るようにと勧めて退場する形です。

烏帽子、直垂を着けたシテが正中に出、ワキが霊夢の内容を聞きたいという頼朝の命を伝えます。頼朝は登場せず、シテが正面に向かって両手を突いたり、ワキとのやり取りなどで頼朝が居ることを暗示するという能らしい展開。

クリ、サシ、クセとこの霊夢が語られます。クセは居グセですが、なんとなしにシテの気力が充実してくる感じです。
実は頼朝も同じ夢を見ていたと明かされ、盛久を許して盃を与える旨がロンギに謡われます。シテは「その時盛久は、夢の覚めたる心地して」と謡いつつ、シオリながら立ち上がり、一ノ松まで逃げるように進みますが、頼朝に呼び返されたと、正中に戻って下居します。

ワキがシテに舞を勧め、男舞へ。
舞い上げたシテはさらにキリの謡に合わせて舞い、最後は正中で正面に向かって両手をついて礼をした後、立ち上がって常座でユウケンして留拍子を踏みました。
(77分:当日の上演時間を記しておきます)
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加茂物狂 東川光夫(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.19
 シテ 東川光夫
  ワキ 宝生欣哉
   大鼓 高野彰、小鼓 森澤勇司
   笛 寺井義明

昨日は諸般の事情で帰ってきたのが夜12時近く。というわけで、一日あいて、五雲会の鑑賞記を続けます。

この曲、宝生、金剛、喜多の三流にしか無いのであまりお目にかかる機会がありませんが、夫に離れて物狂いになった女が加茂の葵祭で夫と再会するという、狂女物としては珍しい形の曲。
宝生流は加茂、賀茂の書き分けと同様に加茂物狂と表記しますが、金剛、喜多の両流では賀茂物狂ですね。しかも宝生流は一場物として演じますが、喜多流では前後二場の現在能になっています。・・・金剛流は確認できなかったのでどちらの形かわかりませんが、おそらくは喜多と同じではないかと想像しています。

前後ある喜多の形では、まずワキツレ賀茂の神職が登場してきます。
神職は賀茂の社に常々参詣する女が居り、信心の厚い様子で御手洗川の水面に何かを書いて深く祈っている話を述べます。
さらに、当社では水面に書いて祈る事が験確かであり、そのおかげか、女に短冊を渡すようにとの霊夢を見た。神から短冊を預かったので、女に渡そうと思っていると述べて女を待ちかまえます。

アシライ出で前シテ女が登場し、神職が短冊を渡そうとしますが、女は人違いだろうといったんは断ります。しかし神職が重ねて言葉を尽くして短冊を渡します。
シテ、ワキツレのやり取りの後、思わしい神慮では無かった女は、願かけた人を待とうと社殿を出て行った、と中入りになります。

どうも、あってもなくても、さほど重要な前場とも思われないので、一場物として省略してしまった宝生流の形は納得できるところ。喜多流でも前場を省略して演じることがあるようですが・・・
曲の実際は明日から書きたいと思います
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加茂物狂のつづき

まずはワキの男がワキツレの従者を伴ってが次第で登場し「帰るうれしき都路に雲居ぞのどけかりける」と次第を謡います。宝生欣哉さんのワキに則久英志さんのワキツレ、二人とも素袍上下の姿で、ワキは笠を被っています。

男は「都方の者」だが東国一見のために下ってから早十年、懐かしさに再び都に上ってきたと述べて道行を謡います。宝生の本では「早三年」になっていたと思うのですが、十年の方が重みがあるような感じがしますね。下掛りの本では「早十年」となっているようなので、これも先日の藤栄のように、下掛り宝生流のためということでしょうか。

さて「花の都に着きにけり」とワキが都に到着し、ワキ座に座すとシテの出になります。シテは縫箔を腰巻にし白の水衣、右手に持った笹を肩にかけた狂女姿。一ノ松でサシ「面白や今日は卯月のとりどりに・・・」と謡い、さらに一セイを謡いながら橋掛りを進んで舞台に入り、狂乱の態でカケリを舞います。

カケリは激しいものではありませんが、物狂の情趣が感じられました。面がとても良い感じでしたが、何か謂われのある面なのか・・・

カケリの後、シテのサシ、地の下歌、上歌と春過ぎて夏に向かう賀茂社の景色と人の心の様が謡われます。

ワキは狂女に声をかけ、今日は当社の御神事に日であり、心静めて結縁をなすようにと諭します。しかしシテは、狂もよく思えば聖であり神の前に何の隔てがあろうかと、ワキの男に言い返します。
シテ、ワキの掛け合いとなりますが、賀茂社が舞歌を納受する御社であり、葵祭の臨時の舞ではその妙なる姿を御手洗の池に映す社であることが語られます。

シテが御手洗に姿を映し、地謡が年月に粧いも衰えた様を謡います。これにワキがこの狂女こそ自分の妻であると気付き、人目もあるため、人が少なくなってから名乗ろうと、まずはシテに舞を舞うよう勧めます。これに答えてシテのイロヱとなります。
さてこのつづきはまた明日に
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加茂物狂さらにつづき

ワキの勧めに、シテ「風折烏帽子かりに着て ワキ「手向けの舞を シテ「舞ふとかや と掛け合いで謡い、地の次第「またぬぎかへて夏衣、またぬぎかへて夏衣、花の袖をや返すらん」と謡が展開します。

地の次第の二句目でサシ込からヒラキと型があり、地取りで後見座にクツロイで物着。
物着アシライのうちに、水衣を取り、紫の長絹に烏帽子を着けた姿になります。

物着を終えるとシテは立ち上がり、常座に進んで「山藍に摺れる衣の色添へて」と拍不合の謡。地謡が受けてイロヱになります。

イロヱを舞い上げるとシテのサシ「実にや往昔に祈りし事は忘れじを」からクセに謡が繋がり、東路に下ったままの夫を想う様が謡い舞いで表されます。

クセは舞グセ。基本的に曲舞の型をなぞりますが、「鄙の長路におちぶれて、尋ぬるかひも泣く泣く」と正中から三、四足出てさらに角へ面を左右に見廻すように進み出たり、また「心岡部の宿とかや、蔦の細道分け過ぎて」と正先からタラタラと大小前に下がり、雲扇で蔦を分けつつ進む姿を示す型など、謡を踏まえた型付けがされています、

さらにクセを舞い上げると中ノ舞へと続いていきます。

狂女物の多くは、ここでワキが素性を明かし再会となって目出度し目出度しの形でしょうけれども、この曲では中ノ舞の後は、二人とも下居してシテと地謡の掛け合となり、夫婦がそれぞれ相手を認め気付いたものの、人目をはばかり名乗らぬままに、家路に向かったと謡の中で結末が示される珍しい形になっています。

地謡の「それかあらぬかの」でシテ、ワキ二人が立ち上がり、「神の誓を仰ぎつつ」とワキが正面に合掌、ワキとシテが行き違う形でワキは橋掛りへと進み、シテが常座で留拍子を踏みました。
(74分:当日の上演時間を記しておきます)
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痩松 三宅近成(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2008.4.19
 シテ 三宅近成
  アド 前田晃一

引き続き体調不十分でもあり痩松もパスしたのですが、これはロビーでモニターをちらちらと見ておりました。どうもじっと座っていると体に負担がかかるような感じです。そのため良く見た訳ではないのですが、簡単に曲の解説のみしておこうと思います。

この痩松は和泉流だけの曲で、大藏流では明治以降に廃曲とし、同内容の金藤左衛門を現行曲としている・・・といわれていますが、山本東次郎家では痩松と金藤左衛門いずれも演じますね。現東次郎さんが復活されたのかも知れませんが、大藏流の他家では金藤左衛門のみが上演されているようです。
和泉流でも上演は野村家というか三宅派に偏っているように思いますが、統計を取ったわけではないので、なんとない印象ということでご勘弁下さい。

まずはシテの山賊が長刀を持って登場し、常座で名乗ります。
このあたりに住む心の直にない者ということですが、このところ不仕合わせなので、今日は仕合わせをしようと舞台を回ります。
歩きながら、山賊の合言葉に、仕合わせの良いことを肥松、不仕合わせを痩松というと語ります。これがこの曲の題にもなってくるわけですね。

さて舞台を一回りして「谷間に着いた」ということになり、ワキ座に座って待ち伏せすることにします。
ここに登場してきたのがアドの女。袋を持って登場し親里へ行くと名乗って、舞台を回ります。女は人遠い所へ出た、などと言いますが、ここにシテの山賊が立って長刀で女を脅します。山賊は女の持つ袋を奪い取り、女は橋掛りへ逃げる形。

さて女が逃げた後、山賊は袋を開けて中に入っていた小袖や帯などを取り出し、女共に見せたら喜ぶだろうと独り言します。
女は橋掛りから山賊の様子を見て腹を立てますが、山賊が引き続き鏡や紅などを袋から取り出し、見入っている隙に足音を忍ばせて近づき、置いてあった長刀を奪ってしまいます。
長刀を持った女は、今度は逆に山賊を脅し、自分のものを取り返した上に、山賊の持っていた刀や、着ていたものまで取り上げて立ち去るという次第。
最後は、女が「わらはが行く方を見るな」と山賊を脅し、幕に入る女を山賊が追い込みました。

この留の部分、この日は追い込む形でしたが、女が幕に入った後でシテの山賊が「今日は仕合わせをいたそうと存じてござれば、これはさんざんの痩松になった。ああ、しないたるなりかな」と詠嘆して留になる形もあるようです。

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宝生会別会を観に行く

先月から、ちょっとした宝生シリーズのようになっていますが、本日は春の別会第二日。能三番は、今井泰行さんのシテで老松、寺井良雄さんのシテで鸚鵡小町、そして小林与志郎さんのシテに、子方、ツレ、立衆が舞台狭しと並んだ正尊。
狂言が万作さんのシテで鱸庖丁。それに仕舞が六番という番組。

12時から6時まで、曲も重い曲が多くて、正直のところ「どうかなあ」と思っていたのですが、いずれもいつになく集中して観ることが出来まして、自分としては満足な会でした。

11時過ぎに、水道橋へ向かおうと秋葉原から総武線の電車に乗り換えると、なんだか知っている人のような・・・って、別に友人ではありませんで、まさにこの会へ出勤途中の石田幸雄さんが乗っておられた次第。小さなメモのような、謡本のようなものをご覧になっている様子。遠目に眺めておりますと、水道橋で降りて、なんとなく飄々とした感じで能楽堂へ向かわれました。
舞台で見るよりも痩せておられるような印象。舞台はお腹のあたりに蒲団のようなものを入れておられるのかも知れませんね。

別会ということで、初番から地謡、囃子方、皆さん裃を着けての登場です。実は前々から気になっているのですが、宝生流の会の場合、地謡方の皆さんの裃はすべて同じ紋所。矢車ですかね、あれは流儀で揃えているんでしょうか。
仕舞の際も、地謡は皆さん同じで、舞う方だけがご自分の紋を付けたものを着用されているようです。

それで実はちょっと気になったのですが・・・
高橋章さんが松風の仕舞をされて、大変趣深い仕舞だったのですが、舞もさることながら肩衣の紋を見て「おっ、もしや我が家と同じ紋所では・・・」と気になりました。
その後の正尊を見ていると、ツレで出られた高橋亘さんの腰帯の紋が、章さんの裃と同じ紋。・・・これはいよいよ高橋家の紋所なんだろうな、と確認する一方、あの腰帯は皆さん自前なんだろうか、と突然気になりました。今まで考えたこともなかったので、装束と割り切って見ていたのですが、正尊のツレの皆さんはそれぞれ違う紋所の腰帯をされています。はて、一体どうなんでしょう。

そうそう、気になったといえば、波吉さんが藤井さんになってまして・・・番組を見ると藤井雅之さんの自然居士の仕舞があります。藤井雅之さん? 宝生の方では藤井さんというお名前に記憶がないので「どんな方なのだろう?」と思っていたところ、波吉さん。
見所で、近くの方が話しているのを聞くともなく聞いていると、由緒ある波吉家の名前を守るため、事情あって名乗っていたけれど、本名の藤井さんを名乗ることにされたんだそうです。
お名前は変わっても、相変わらず、素敵な仕舞でした。

この四月に二十世宗家を継承された和英さんの仕舞も良かったし、それぞれの曲について書きたいことが沢山ありますが、鑑賞記はいずれということで、今晩はこれまで

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夜討曽我 高橋憲正(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.4.19
 シテ 高橋憲正、十郎 渡邊茂人
  団三郎 辰巳孝弥、鬼王 東川尚史、古屋 金森良充
  立衆 金井賢郎 朝倉大輔、五郎丸 辰巳和麿
  アイ 金田弘明
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒匡彦
   笛 槻宅聡

夜討曽我は一昨年三月の、やはり五雲会で高橋亘さんのシテで見ておりまして、その際の鑑賞記もこのブログに掲載しています。動きのある活劇で、ある意味なかなか面白いのですが、他の曽我物同様に、曽我物語の知識無しにこの曲だけを見ると何の話か訳がわからなくなってしまいます。
そのあたりをふまえつつ、鑑賞記を書いてみたいと思います。

曽我兄弟の敵討ちとは、そもそもどういう話なのかについては、昨年六月の五雲会で小袖曽我を観た際の鑑賞記に少し詳しく書いてみましたので、併せて参照頂ければと思います。
父河津三郎祐泰を親類にあたる工藤祐経の郎等に殺されてしまった一萬丸と箱王は、祐経を親の敵と長年にわたってつけ狙っていますが、兄弟の母は河津三郎の死後、豪族の曽我祐信に嫁したため、一萬丸は元服して曽我十郎祐成を名乗ります。
勝手に元服して五郎時致を名乗った箱王を勘当した母に、兄弟共々参上して許しを得、母には告げぬままにいざ敵討ちと出掛けたところは小袖曽我に能化されています。

この兄弟が従者の団三郎、鬼王といよいよ敵討ちの場に向かうところからがこの夜討曽我になっています。
小袖曽我では兄十郎がシテで、五郎を母に取りなすところがテーマですが、夜討曽我は弟五郎がシテで、後場では本懐を遂げた兄弟が離ればなれになり、兄十郎は既に敵の手にかかり討ち死にしています。
曲の展開は明日の鑑賞記に・・・

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夜討曽我のつづき

次第の囃子で、シテの五郎、ツレの兄十郎、そしてトモの団三郎、鬼王の四人が登場し、正先で向かい合っての次第の謡。兄、弟の関係でツレの十郎が先に立ち、ワキ座側に十郎、五郎、ワキ正側に団三郎、鬼王が立っての謡。
謡い終えるとツレの十郎が名乗り、富士の巻狩が催されることになり、兄弟も富士の裾野へ急ぐところと述べて、四人の謡。富士の裾野についたと謡います。
どうもこの曲、前場はツレの十郎の方が目立つ感じです。そんな訳からか、シテよりも年長の方がツレをなさる感じですね。たしか憲正さんより、渡邊さんの方がいくつか上でいらっしゃると思います。

十郎が然るべき処に幕を打たせよと言い、宿所を設営することになって、シテ、ツレともに弓を置き、シテは正中に下居、ツレはワキ座で床几にかかります。トモの二人は後見座に正面を向いて着座します。
実は、当日能楽堂でお目にかかった憲正さんファンの方も、ご自身のHPで書いておられるのですが、この正中に下居したシテ憲正さん、なんだかお雛様みたいな感じだったんですよね。・・・男だからお内裏様ですかね、ともかく端正なお顔立ちに烏帽子がとても似合っていて、実に上品でした。

ともかく宿舎の中という設定で、ツレ十郎がシテに語りかけ、今夜、いよいよ夜討ちにて敵祐経を討とうと話し合い、夜討ちを決めます。
しかし話が決まると十郎は「や、思ひ出したる事の候」と母には敵討ちとも告げずに出てしまった故に、形見の物を届けたいと言い出します。団三郎、鬼王は兄弟ですが、このうち一人に形見を持たせて母のもとへ送ろうとシテに問いかけますが、シテ五郎は、一人帰れと言っても帰るまいと、二人ともに帰すよう提案します。

兄弟の相談がまとまり二人を呼び出す形、トモの二人が舞台に入りワキ正に着座して手をつきます。ツレが二人に向かい、工藤を夜討ちにすると告げ、併せて故郷の母に形見を届けるよう二人に命じます。

予想通りに二人は言いつけを拒み、夜討ちに供をすると言いつのります。十郎が重ねて命じますが応じないため、ツレはシテ五郎に説得を頼みます。
さてこのつづきはまた明日に

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夜討曽我さらにつづき

シテの説得に渋々承知したトモの二人ですが、そうは言っても「帰れば本意ではなし、帰らねば御意に背く」と窮地に陥り、とうとう素袍の右肩を脱ぎ互いに相手の胸を左手で押さえて、右手に持った小刀で刺し違えて死のうとします。

これにシテが「あゝ暫く」と声をかけて留め、ツレが心を静めて聞けと言って、敵討ちの後、十郎五郎の兄弟が死んでしまったら、いったい誰が母にその様子を伝えるのか、と諭します。
これにトモの二人も承伏し、涙を流すという地謡に合わせてシオリます。

地謡のクリで樊噲(カイ:表示されないときは口偏に會の字。言わずと知れた漢の高祖の部下で「鴻門の会」での活躍が有名)が母の形見の衣を着て戦ったのが形見の始まりと謡われ、ツレがサシで、今の弓取りが着ける母衣(ホロ)はこれが起源と謡います。

続く地謡、クセでは「皆人の形見には、手跡に勝る物あらじ」と、したためた文を十郎が団三郎に渡し、またシテ五郎は膚の守りを取り出して鬼王に渡して形見とします。

入相の鐘が鳴り、十郎、五郎の兄弟は団三郎と鬼王を促します。
二人は扇を広げて、十郎、五郎に寄り、それぞれに文と膚の守りを預かって下がります。さらに橋掛りに行って退場。
十郎は立って常座で二人を見送り、シテもそれに続いてともにシオリます。

早鼓が奏されて十郎、五郎兄弟も中入りとなります。

昨日も書きましたが、十郎はツレと言いながら前場ではシテの役割を果たす感じで、重要な役所です。後場では登場しないので、シテは五郎になりますが、両シテといっても良いくらいの重さですね。
この曲、もう一日つづけます

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夜討曽我さらにさらにつづき

早鼓でシテ、ツレが幕にはいるとテンポが変わり、代わってアイが登場し立ちシャベリ。曽我兄弟が敵を討った子細を語ります。

実は、私は見たことがないのですが、大藏流の間狂言は、まずオモアイ吉備津の宮の神主大藤内が女物の小袖をまとい、右手に女帯、左手に尺八を持って登場。さらにこれを追い掛けてアドアイ狩り場の男が登場する形なんだそうです。
アドアイの問いに、オモアイは工藤祐経が曽我兄弟に斬られた場からあわてて逃げてきたことを語ります。刀のつもりでつかんできたのは尺八だったという始末。大藤内は男に不安なので同道してくれと頼みますが断られてしまい、アドアイの後から追い掛ける形で退場します。

和泉流では大藤内の小書がついた時のみこの形になり、常は今回のように男が一人で登場し子細を語るか、あるいは男が二人登場して、二人の会話で子細を伝えるか、いずれかの形です。

さて後場はまず一声でツレの古屋五郎、御所の五郎丸と郎等二人が登場し、橋掛りで一セイを謡い出して舞台に入り、ワキ座から地謡前にかけて立ち並びます。

早笛が奏されて後シテ五郎が抜いた太刀を右手に持ち、左手で松明を振りながら走り出ます。一ノ松で「あらおびただしの軍兵やな」と謡い、振り返って幕に「十郎殿」と呼び掛けますが、返事がないことに十郎が討たれたことを悟り、無念の様を見せます。

地の謡「味方の勢はこれを見て」以下で、松明を捨てて舞台に入ったシテは、古屋達と戦います。「何とか切りけん古屋五郎は二つになつてぞ見えたりける」と古屋は五郎に斬られ、飛び安座で斬られた姿を表した後(仏倒れの場合もあります)切戸口より退場します。

シテは後見座にクツロイで烏帽子と上着を脱ぎ鉢巻を締め、一方「かかりける処に御所の五郎丸」と五郎丸が地謡前で太刀を置き、水衣を被いて笛座前に下居。シテが一ノ松へ行って立廻となります。

シテは舞台を回りますが、五郎丸を女と思いそのまま行き過ぎます。五郎丸は水衣を捨てて後からシテに組み付き、郎等が走り寄ってシテの両手を捕らえて幕に連れ去り、五郎丸が留拍子を踏んで終曲となります。
憲正さんの後場の動きは実にシャープで、これまた楽しめました。
(57分:当日の上演時間を記しておきます)

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通盛 長沼範夫(九皐会)

観世流 矢来能楽堂 2008.5.11
 シテ 長沼範夫、ツレ 観世喜正
  ワキ 舘田善博、アイ 野村扇丞
   大鼓 佃良勝、小鼓 森澤勇司
   太鼓 大江照夫、笛 寺井義明

この曲、井阿弥が作った曲を世阿弥が改作したのだそうで、申楽談義には丹後物狂とともに井阿弥の作とハッキリ書かれています。井阿弥がどういう人物だったのか分かりませんが、世阿弥とほぼ同時代に活躍した能役者だったようです。

この通盛という曲は修羅物ではあるのですが、修羅道の苦患よりも情愛に焦点をあてていて、この曲を取り込むことで、世阿弥は修羅物の世界を風雅な方向に広げていくきっかけになったとか。

まずは名宣笛でワキの僧が登場してきます。阿波の鳴門に夏安吾をする僧と従僧という設定ですが、着流しに角帽子の姿。平家一門が果てた場所でもあり、毎夜、磯部に出て読経をしている旨を述べて、楫音がするばかりの静かな浦の様子を謡います。

ワキの謡が終わると、後見が舳に篝火をつけた舟の作り物を出してきます。夕暮れの海に漕ぎ出てくる小舟という風情。
すると一声の囃子で、シテの漁翁とツレの女が登場し、先に出たツレが舳、シテは楫棹を持って真ん中に立ちます。

サシ「すは遠山寺の鐘の声、この磯近く聞こえ」とツレが謡い出し、二人の掛け合いの謡から同吟の一セイとつづき、地謡の上歌になります。
老いの身の憂さと浦の景色を淡々と謡います。

・・・老の身と謡うのですが、さてこのつづきはまた明日に

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通盛のつづき

ツレは若い女の形。喜正さんの能は暫く観ておりませんが、この小宰相という役柄はツレとはいうものの、両シテと言ってもよいような重要な役。思いを込めた演技を見せていただいた感じです。若い女の形ですが、老いの身と謡い、さらにシテ・ツレとワキ僧との問答の謡で、姥と謡われています。

さて、シテとツレの謡で、舟を進めるウチに読経の声が聞こえたので、楫音を静めて聴聞する・・・とワキ僧達の読経の声を聞きつけたことを示します。
ワキは「誰そやこの鳴門の仲に音するは」と、シテ・ツレに声をかけ問答になります。

舟の篝火を頼りに僧が読経し、船中の二人は有り難く聴聞します。謡に随喜功徳品とありますから、ここは法華経第十八品、随喜功徳品を読んだということなのでしょう。
この経文の功徳に、かならずや姥も祖父(オオジ)も成仏出来ようと、二人は歓びを示す形です。

さてワキは話を変え、この磯部に読経するけれども、この浦に果てた平家の人々にはどのような人がいるのか、詳しく聞かせてほしいと問いかけます。
これに答えて、二人は小宰相の局が鳴門の浦に身を投げたさまを謡いますが、自分たちの物語であったかのように、二人も海に姿を消した、と中入りになります。

この中入り。シテは当然退場しますが、ツレは後見座にクツログ形とシテと一緒に中入りする形と両方あります。今回はシテと共に中入りし、後場であらためて登場する形でした。
実は、元々の形では前場では漁翁と姥の形で出て、後場は通盛と小宰相局として登場したのだろうと言われています。先に書いたように、前場の詞章には「老いの身」や「姥」といった言葉があり、漁翁と姥であるほうが納得がいきます。
それがいつの頃か、ツレの中入りを止めて、最初から小宰相局の形のまま出る形に整理されたらしく、確かに謡の上と齟齬が招じてしまう問題はあるものの、この形の方がうるさくない感じがします。

さらに今度は、若い女の形で出て中入りもするという、新しい形が出てきたらしいのですね。こうした変更というのは、他にも結構あるようで、謡の詞章と登場人物の様子が合わないという曲に時々出会いますが、こういうのを見つけるのも一つの楽しみだったりします。
ともかく二人の中入りに代わって登場したアイ浦の者が、ワキの問いに答えて通盛と小宰相を巡って語り、二人の供養を勧めて退場します。
さてこのつづきはまた明日に

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