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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

船弁慶のつづき

・・・昨夜から今日の日中にかけて、なぜかFC2のブログに書き込みが出来ませんで、一日間があきました・・・
ワキ弁慶は静の部屋へ行こうと述べ、橋掛りに入って幕に向かって呼び掛けます。
この詞のうちに「お幕」の声があって、前シテ静御前が登場してきます。
ここのやり取りも省略があり、弁慶が都へ帰るようにと述べると、シテワキのやり取りが省略されて、シテの「よくよく物を案ずるに」へと飛びました。
まあこの間の部分は無くても話は十分わかるので、話がサラサラと進んでいる感じです。
義経に直接返事をしようというシテの詞で、ワキは舞台へ入り子方に静の参上を告げ、シテは橋掛りを進んでワキとの問答の後に正中に下居します。ワキはこの間に笛座前に進んで下居。

シテと子方の対面となりますが、義経は静に都へ上るよう諭し、シテは弁慶に疑ったことを詫びます。ワキがシテに気にせぬようにと言うと、シテ、地謡の謡が省略され、子方の「いかに弁慶、静に酒を勧め候へ」の詞になります。
この後のワキ、シテの詞の後は、まずワキが烏帽子を取り出して、静に烏帽子を着けてひとさし舞うように進め、正中で笛座方向に向きを変えたシテが烏帽子を着けます。
烏帽子を着け終えたシテは立ち上がって正面を向き「その時静は立ち上がり、時の調子をとりあへず・・・」と謡う形です。
観世流だと「その時静は・・・」の謡の後、ワキが烏帽子を勧め、シテは笛座前に進んで物着をする形になります。烏帽子だけでなく長絹も着ける場合もありますね。

さてこのあと、サシ、クセになります。
実はお恥ずかしい話ですが、この越王勾践の臣下陶朱公の故事を引いて舞うクセの部分、大変好きなところではあるのですが、今回、ふと気付くまで何十年かの間、なぜ陶朱公の故事が引かれているのか考えないままに、観ておりました。

シテサシのところは各流、様々に型付けされていますが、基本はシテがワキを向くこと。今回の演出では「終に呉王を亡ぼして」で扇を広げたシテが、ワキに向かって片ユウケンをします。
ここで初めて、ああ弁慶を陶朱公になぞらえているのだと気付きました。

越王勾践の臣下范蠡が後に陶朱公と名を変えた話は以前にも書きましたが、呉王夫差に破れた勾践に再び勝利をもたらせたのは范蠡の力。素直に読めば、義経を勾践に、弁慶を范蠡になぞらえていることは直ぐ分かりそうなものなのですが、これに気付くのに何十年という時間を費やしてしまいました。お恥ずかしい限りであります。
というわけで、このつづきはまた明日に
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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