能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

大原御幸さらにつづき

シテが引廻しの内から「山里はものの淋しき事こそあれ、世の憂きよりはなかなかに」と謡い出します。見所まで悲しみが伝わってくる物寂しい謡です。次の「住みよかりける柴の樞」からは観世流では内侍、局と三人で謡いますが、この日はサシ全部をシテ一人で謡いきりました。
強く感情を込めるという訳ではなく、むしろ淡々と、それでいて泣き出しそうな悲しみの伝わってくる謡が引廻しの中から聞こえてきます。しかもこのサシの謡まで、一切囃子が入りません。ワキツレの登場も名乗り笛はありませんでしたので、実に静かな舞台が続いています。

シテの謡を地謡が受け「折々に心なけれど訪ふものは」と下歌を謡い、ここで初めて囃子がアシライます。上歌の「雨原憲が樞とも」あたりで引廻しが下ろされて、床几にかかったシテが姿を現しました。引廻しの中でシテが謡い出すというのは宝生流のみの形のようで、他流ではアイが下がるとそこで引廻しを下ろしシテが姿を現すようです。大藁屋だと三人が並んでいますから、引廻しを下ろすところ自体が一つの見せ場になりますね。

さて現れたシテは純白の花帽子に面を包み、紫の水衣を着けて水晶の数珠を持っています。シテは左方の局に向いて「いかに大納言の局、後の山に上り樒を摘み候ふべし」と言葉をかけます。
これに局が「わらはも御供申し・・・」と答え、地謡の「仙人に仕へさせ給ひて」あたりで局が地謡から差し出されていた花籠を左手に取り、立ち上がってシテに寄り「御花筺とりどり」で花籠を手渡します。

シテは花籠を左手に持ち右手で柱を掴んで作り物を出ます。そのまま大納言局を従えて、大小でのオクリ込みで中入りです。大変風情ある後ろ姿で感じるところ多々あったのですが、ただ、考えてみれば大原御幸は壇ノ浦の戦いの翌々年と言われていて、まだ女院は三十代初めだったはず。それにしては運びが老女のようで、そう考えると違和感があるのですが、全体の動きの中に上手く溶け込んでしまっているような感じでした。
さてこのつづきはまた明日に
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大原御幸さらにさらにつづき

シテと局が幕に入ってしまうと、アシライから一声に囃子が変わり、法皇が先頭に立って輿舁を従え、ワキの萬里小路中納言を従えて登場してきます。
法皇は直面で花帽子を着け、白綾に指貫込大口、水衣に掛絡をかけています。花帽子が濃い褐色のような色で、これは今まで見たことがありませんが、宝生流だけの形でしょうか。

法皇は舞台に入り、正先に立って輿舁が少し横から輿を差し掛ける形になります。ワキの中納言はその右後ろ、見所から見ると左後ろになりますが、法皇に従う感じに立って、輿舁とともに一セイを謡い、続いて「分けゆく露もふかみ草、分けゆく露もふかみ草、大原の御幸急がん」と次第を謡います。

謡いつつ徐々に歩みを進め、地取りのうちに法皇は橋掛りへ進んで一ノ松あたりに立ちます。ワキは常座で法皇に向かって座し、平伏して大原に着いた旨を告げた後、立ち上がって正面に向き直り、ワキの謡になりますが、ここは平家物語の原文を引いた聞かせどころです。どう謡っているのか捉えられないような複雑な節付けがされていて、「池の浮き草波にゆられて」あたりは、池の水面が静かに揺れているような謡です。
面を上げて遠くを見やったり、寂光院の有様を見渡すように謡って「君の御幸を、待ち顔なり」と橋掛りの法皇に向き平伏します。

これに法皇が「法皇池の汀を叡覧あつて」と謡い出し、地謡になると「水の音さへ由ありて」とワキは下居のまま中正面奥の方を見やる感じ。これに法皇も合わせて、名所教えのように二人で景色を眺めるような雰囲気です。

輿に乗った法皇が道中を進んでいく様なので、この辺りは法皇は輿の中という設定。ワキは「甍破れては霧不断の香をたき」で立ち上がり、ゆっくりと向きを変えながら地謡いっぱいに作り物に向いて、「これなるこそ女院の御庵室にてありげに候」と言って寂光院に着いた形になります。
ワキと阿波内侍の問答になりますが、このつづきはまた明日に
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大原御幸もっとつづき

ワキの問いに阿波内侍は女院が局を伴って花摘みに出掛けた旨を答え、法皇は舞台に入ってワキ座で床几にかかります。
内侍が立ち上がって女院の帰りを確かめるように正中へ行きかかると、法皇が内侍に何者かと問いかけますが、これに内侍が信西の娘と答えてシオルところも風情があります。金井雄資さんらしい深みのある謡。田崎さんの法皇はさすがに貫禄があって、独特の謡が雰囲気を盛り上げる感じです。

後シテはアシライ出。大納言局を伴い杖をついての登場です。
ワキ座で床几にかかった法皇と、座したワキ中納言。藁屋のところに阿波内侍、橋掛りに後シテと大納言局。法皇、女院、局と内侍、四人が花帽子の姿で舞台に展開しますが、それぞれの装束が微妙に異なり、一幅の絵を見るような感じです。

シテは静かに橋掛りで謡い、我が子である安徳天皇や、母である二位尼、その他平家一門の成仏を祈って「南無阿弥陀仏」と謡いますが、徐々に面を伏せてつぶやくような謡でした。
「や」と正中の方を見て穏やかに声を発し、舞台の方を聞くような感じで「庵室のあたりに人音の聞え候」と局に言い、局がシテと向き合います。この間に内侍と法皇が立ち上がりますが、内侍はシテと局の姿を確認し下居して法皇に向かい、女院が戻った旨を告げます。
法皇は橋掛りを見やって、内侍にいずれが女院、大納言の局かと問いかけます。一方のシテは二ノ松で床几にかかって待つ形。
内侍が橋掛りに向かい一ノ松で下居して女院に法皇の御幸を告げます。シテの詠嘆から地謡の下歌、上歌となり「一念の窓の前に」で内侍が立ってシテに寄り花籠を受け取って舞台に戻ります。笛座前に籠を置いて内侍が下居すると「なほ思い出の涙かな」とシオったシテが立ち上がり、ゆっくりと大納言局ともどもに橋掛りを歩みます。
上歌の謡いっぱいにシテは静かに常座に出、大納言局はそのまま舞台を進んで地謡前に着座します。
いよいよ女院と法皇の対面となりますが、このあともう一日明日につづきます。
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大原御幸もう一日だけつづき

ロンギとなり、謡に合わせる形での所作の後「あるべき住居なるべし」と法皇に向かって正中へ出、杖を後見に渡して着座します。

シテはこの奥山の住まいまで御幸あったことに感謝し「返すがへすもありがたう候」とゆっくり合掌します。
法皇は、ある人の言うに女院は六道の有様をまさにご覧になったとか、それはいかなることかと問いかけます。
これにシテが答えてクリ・サシ・クセと一門の都落ちがさながら六道の巷に迷う姿であると謡われます。クセは居グセで特に型はありませんが趣深いところで、微妙にシテが揺れている動きが、泣いている姿を思わせます。

そしてなぜかこののち法皇は「先帝の御最期の有様、何とか渡り候ひつる御物語り候へ」と女院に求めます。これに答えてシテの語。割と速めにスラスラと謡う感じですが、よくよく聞くと実に深い謡で、丁寧に謡われていました。
この語の最後は、二位の尼が安徳帝の手を取って舷に臨み、波の下にも極楽世界があると言って入水する場面になりますが、「今ぞ知る御裳濯川の流れには波の底にも都ありとは」という歌を残して入水された後を追って、自らも身を投げたものを、源氏の武士にすくい上げられてこうして法皇にお目にかかり、不覚の涙を流すのが恥ずかしいと安座して合掌します。ここは思わず涙が出そうになったところ。

さてこののち法皇は還御することになり、橋掛りへと進んでいきます。これをシテ女院が藁屋の柱に右手をかけ、局と内侍がその右に立って見送りますが、法皇一行が橋掛りを進んでいくと、シテは目付方に向かって深く面を伏せ、内侍と局の二人がシオリする形。この最後の形は大変に趣深いものでした。シテの女院までシオってはくどくなったと思います。一曲の雰囲気をまとめた留でした。

いつも以上に細々と型の展開など書きましたが、長い上演時間の間、それだけ集中して観ていたということですネ。
(102分:当日の上演時間を記しておきます)
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蜘盗人 井上菊次郎(国立能楽堂開場記念公演)

和泉流 国立能楽堂 2008.9.13
 シテ 井上菊次郎
  アド 佐藤友彦

いわゆる盗人物の類ということになりましょうか。目的の家に忍び込むあたりは子盗人と共通する点も多いのですが、この曲、蜘蛛の巣にかかるという、まあ他には見られない珍しい展開があり興味深いところ。
しかも今回は狂言共同社の井上さんと佐藤さんの上演ですが、和泉流の通常の形とは構成が大きく違っています。

手元の和泉流の資料にある形(以下、資料と略します)では、まずアドの主人が登場し、連歌初心講の頭に当たったので人寄せの準備をしている旨を述べて着座します。主が小アド太郎冠者を呼び出すと、太郎冠者が客人の到着を告げ、準備ができていることを確認し二人が下がってシテの出になるという流れです。
しかしこの日は、シテの盗人とアドの主人二人しか登場しませんし、しかもシテの盗人がいきなり登場してきます。様々に違いがありますが、そのあたりは追々に。

まず舞台へは引廻しをかけた作り物が出され、ワキ座前あたりにやや目付柱の方を向けて据えられます。狂言でこういう作り物が出されてくるのは珍しい形ですね。後ろの席の奥様達が「次は能なのかしら」「狂言のはずよ」などと話しているのが耳に入ってきます。確かに作り物が出ると知らなければ混乱しますね。

さて、なにはともあれシテの男が登場してきます。男は連歌の初心講の頭に当たったのだけれども、手元が寂しくて頭が勤められないので、有徳人の友彦殿の家に忍び込んで案内無しに何か借りてこようと思う旨を述べて、有徳人の家に向かいます。
資料ではアド、小アドが退場した後、シテが登場して、子供の頃からの連歌好きにもかかわらず、勝手不如意のため連歌の会に出ることもかなわずにいる。今晩、ここに連歌の会があるようなので立ち聞きしようと庭に忍び込むことにしたと語ります。
今回の上演のように、初心講の頭に当たったので盗みに入るという設定は、大藏流と同様のようですが、名古屋の和泉流に古くからある形なのかどうか、興味あるところです。
さてこのつづきはまた明日に
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蜘盗人のつづき

有徳人の家は門構えも立派ですが、男は塀を乗り越えようと裏に回ります。案の定、裏は垣も一重なのでこれさえ越せば大丈夫と、用意したのこぎりを取り出し垣を切る所作。「ズカズカズカズッカリ」と一カ所、さらにもう一カ所切って、メリメリメリと垣を引き広げ常座へ転がりながら耳をふさいで座り込みます。子盗人が垣を越えるのと同じ展開ですね。

さらに両脇の植栽を押さえるようにして乗り越え、サラサラサラと戸を開け座敷に入ろうとしますが、南無三宝、灯りが見えると一ノ松まで逃げていきます。資料の形だと、垣を切る音を聞きつけて直ぐに太郎冠者が登場してきますが、一ノ松まで逃げたシテは、有徳人は用心深い人なので有明の灯火をつけたままにして寝たのだと合点し、再び座敷に忍び込む形で正中へ出ます。

シテが座敷の様子を見ていると、盗人が入ったという知らせを聞いたとアドの主人が登場し、一ノ松で肩衣を外して太刀を抜き、正中へ出ます。
一方で逃げようとした男は庭の蜘蛛の巣にかかってしまいます。笛座側から作り物の中に入ってしまう形です。

資料の形では、主人をはじめ連歌の客人達である立衆などが男を追い、蜘蛛の巣にかかったシテを見つけます。また大藏流では太郎冠者と次郎冠者が出て、松明と棒を持って男を捜し、蜘蛛の巣にかかったところを見つける形のようですが、この日は主人だけしか出ませんので、正中から引廻しのかかった蜘蛛の巣を見つけて「まずそこを出よ」と声をかけます。
これに対してシテは、蜘蛛の巣にかかって出られないと述べ、古歌をひいて「蜘の家に荒れたる駒はつなぐとも二道かくる人は頼まじ」というように、馬でさえかかるのだから、人が蜘蛛の巣にかかることに何の不思議があろうかと言います。この古歌、能の鉄輪にも出てきますよね。後見が引廻しを下ろし、やや幅広の紙テープのようなものが蜘蛛の巣の形に張られ、シテが中に入った姿を現します。
このつづき、もう一日明日へ
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蜘盗人さらにつづき

男の言葉に感心した主は、連歌の付け合いをして見事付けたならば許そうと言って「蜘蛛の巣にかかるやさしき盗人を」と詠み掛けます。これに男は「きるもきられぬささがにの糸」と付け感心した主が男を許します。資料では「やさしき忍び妻」となっており、男の返しも「きるにきられぬ」とありますが、微妙に違います。

主人は連歌のおもしろさに、命を助けるので蜘蛛の巣を出るようにと男に言いますが、シテは巣にまとわれて動けないので助けてくれと頼み、アドが太刀で蜘蛛の巣を切り払います。太郎冠者が出ていれば箒ではらって助けるところです。

助けられたシテがそっと巣を出てそのまま立ち去ろうとすると、アドが「菊次郎殿」と呼びかけます。かねてからの顔見知りに気付いたという設定ですが、資料の形ではたまたまやって来た男ですので顔見知りではありません。アドはシテを引き留め酒盛りになります。
肴に一つ謡おうとアドが酒をつぎながら謡い、シテが小歌節のようなものを謡い、さらにアドが謡ってから、小袖を肴におますぞと小袖を持ち出してきてシテに渡します。資料でも小袖を渡す形になっていますが、着古しの小袖だが夜寒をしのぐようにと主人が贈ります。この日の上演では、着古しの小袖だがこれを使って初心講の頭を勤めるようにとアドが勧める形になっていて、シテもいったんは遠慮するもののありがたく小袖を受け取りました。

シテはさらに受け取った小袖を腕に掛け、狂言千鳥の謡「浜千鳥の友呼ぶ声は、チリチリやチリチリ・・・」と謡い舞います。最初のアドの謡も、謡曲松虫の「いつまでも変わらぬ友こそ買ひ得たる市の宝なれ」だったと思うのですが、やけに「友」が出てきまして、これがその後の伏線になっています。
資料の形では主人が男にまた来るようにと言うだけですが、この日は帰ろうとするシテを呼び止めたアドが、自分には連歌の友がない、友としてまた来るようにと求める形になっています。この展開はなかなかしゃれていますね。

このあと、もう一日だけつづけます。
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蜘盗人もう一日のつづき

資料の形では、アドが小袖を渡した後に「案内無しに夜裏からは無用じゃ、案内を乞うて表から来さしめ」と言い、これに対してシテが「いや私よりほかに、無左と参る者もござるまい、裏も表も明け放して置かせられい」と答えます。
アドがもっと酒を飲まぬかと勧め、シテはこれを断った後に、「げに誠や実正や、盗人に負うという言葉を今こそしられたれ・・・云々」と謡い舞って「お暇申しまする」と言い、アドが「ようおりあった」と声をかけて、最後にシテが「はあ」と留める形になっています。

一方、この日の形はアドの所望でシテの千鳥の謡い舞いがあって、その後で「表から来い」のやりとりがあり、「はあ」と常座でシテが下居するとアドは切戸口から退場してしまいました。

その後、シテは急いで帰ろうと立ち上がりますが、また蜘蛛の巣にかかろうとした、と蜘蛛の巣にかかってこれを払う仕草を見せてから退場しました。

シテ、アドの二人だけで進行しますが、友を巡っての人情話的な味付けがされていて、資料の形とはまた味わいが違ってきます。
作り物を持ち出したり、太郎冠者や立衆が騒いだりなど、資料の形だと盗人を巡るおかしさの方が強調されているように感じますが、この日の形はなんだか優しい気持ちになった感じがしました。

しかしどちらが元の形に近いんでしょうね・・・
(34分:当日の上演時間を記しておきます)
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泰山府君 金剛永謹(国立能楽堂開場記念公演)

金剛流 国立能楽堂 2008.9.13
 シテ 金剛永謹、ツレ 豊嶋晃嗣
  ワキ 高安勝久、アイ 松田高義
   大鼓 柿原崇志、小鼓 幸清次郎
   太鼓 三島元太郎、笛 一噌庸二

この曲、泰山府君(タイザンプクン)は現在金剛流のみが演じるようで、しかも長く廃曲の扱いになっていたものを、昭和30年代に復曲したのだそうです。
前シテは天女として登場しますが、中入りの後はツレが天女を演じ、後シテは泰山府君として登場するという、いささか変則的な形です。

まずは正先に桜立台が出されます。この桜が一曲のテーマになっているもの。

続いて名ノリ笛でワキの桜町中納言が登場してきます。烏帽子狩衣に白大口姿のワキ高安さんが常座に進んで名乗ります。東京ではあまりお見かけしないので、式能などで二、三度拝見したくらいでしょうか。

桜の花が七日で散ってしまうのを惜しみ、泰山府君の祭を執り行い、花の命を延ばしてもらおうと思う旨を述べ、サシ謡の後、地謡が「花の命をのばへんと」と謡い出すと常座に下居、合掌して祈る形から立ち上がってワキ座に向かい着座します。
この地謡の謡のうちに前シテ天女が登場してきて「花の祭りをなしにけり」の謡いっぱいで常座へ出ます。

シテは紅入唐織着流しの姿で、一セイ、サシと謡い、「霞の衣きて見れば」と作り物の桜を見、「妙なる花の景色かな」と花に二足ほどツメて心を込めた感じです。

天女は天上に帰ると正面へ直し、さらに「花一枝を手折らんと」で花へ二、三足近寄りますが、ワキが「春宵一時値千金」と謡い出して、シテ・ワキの掛け合いとなります。
このつづきはまた明日に
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泰山府君のつづき

シテの天女は天上に帰るにあたって桜の一枝を折っていこうとしているのですが、「げにげに見れば木の本に」と花台を見込めば、花には人を寄せぬように花垣が作られているのに気付きます。

シテは地謡の「何と手折らん花心」で花に寄りますが、月の光が照り添いて明るさに枝を折ることもできぬ様子で、「月の夜桜の影」と右ウケしてやや面を照らし月を見る心。
「あさまなり恥かしや」と正中へ下がって一度ワキ正へ出て常座へと戻り、鏡板の方を見たまま、続くロンギの地謡「実に有難や此春の」を聞きます。

「花の祭りの時過ぎば」で正面へ向き直り、シテ、地謡によって謡が進みますが、謡は掛け合いとなっているものの、後の展開からするとワキはシテの姿を見咎めているわけではなく、それぞれが別の心で桜を眺める様子になっています。
この辺りは不思議なところで、ワキがシテの姿に気付いていないならば、掛け合いの謡にしなくても良さそうな感じがするのですが、ここがまた能の能らしいところかも知れません。

シテは続く謡の「ここも千本の花の影」で出、目付に進んで「花の色」と桜台を見やります。一度、常座に戻って左袖をさし出しつつ桜台に寄り「月をもともに眺めばやの望は残れり」と桜を抱くようにしますが、そのまま大小前に下がって下居。

シテは、あまりに月が清かで花を手折ることもできず、さらに夜を過ごしていると謡い、いささかの時の経過を感じさせます。しかし地謡の「うれしや月も入りたりや」と目付に月が隠れたのを見上げて扇を胸元に入れ、立って桜に寄り一枝を折り取るようにして下がり、大小前で取った桜の枝を左袖に抱え込むようにして中入りとなりました。

いささか所作を詳しく書きましたが、月に照らされた桜を眺める心持ちから、陰ったのを幸いと一枝折り取って天上に帰る天女の姿が丁寧に演じられて、見応えのある前場でした。さてこのつづきはまた明日に
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泰山府君さらにつづき

中入りではアイの花守が「花の枝を折る音がした」と狂言座から立ち上がり、舞台に入って花が折り取られているのを見つけます。

アイの松田さんも狂言共同社の方のようで、初めて拝見しました。常座での立ちシャベリの後、花が折られていることを中納言に告げようと正中に出、ワキと向かい合います。
花垣も壊されておらず、人が立ち入った跡もないので、もしや天人の仕業かもしれないと述べ、泰山府君に祈願することを勧めて退場します。

出端の囃子になり、後シテ泰山府君が登場。黒頭に唐冠、袷狩衣を衣紋附けにし半切の姿で一ノ松に立ちます。堂々とした姿。
「そもそもこれは五道の冥官、泰山府君なり」と名乗り、「佐国まさに身を捨てて、後の春を待たず」と謡いながら舞台に入って常座に立ちます。

「手折れる者は何者ぞ」と左袖を返して桜を見込み、神通力をもって桜を手折ったのは天人の仕業と見極めます。シテと地謡が掛け合いの謡となるうちに、ツレの天人が幕を出ます。緋の大口に白の舞衣、天冠を着けて手には桜の一枝を持っています。前場で手折った桜を抱きかかえるようにして中入りしていますので、その天人が本来の姿で現れたというしるしですね。

ツレが姿を現すとシテは橋掛りに向かい、一ノ松あたりで唐扇をもって招き扇し、シテは舞台へと戻り、これにしたがってツレも一ノ松へと進みます。

地謡の「花実の種も中空の」でシテは力強く足拍子を踏み、笛座前の床几にかかりますが、ツレは地謡の「天人忽ち現れたり」に合わせて舞台へと進み、正中で答拝して天女ノ舞となります。
このつづきはもう一日、明日に
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関根祥六喜寿記念 三代能を観に行く

今日は観世能楽堂まで出かけ、関根祥六先生の喜寿を記念する三代能と銘打った会を観に行ってきました。
祥丸さんが子方を卒業しシテ方として本格的な活動を始めたので、関根家三代でシテを勤めるという試みも、たしか前々回の桃々会でもなさったと思います。そういう意味では「初めて」ではありませんが、本日は祥六さんの喜寿をお祝いしてということで、祥丸さんが鷺、祥人さんが卒都婆小町という重い曲。さらに宗家清和さん父子による橋弁慶の舞囃子や、銕之丞さん、喜之さん、六郎さん、万三郎さんなどなど、流儀の名だたる先生方の仕舞や独吟、連吟といった盛り沢山な会でした。そうそう祥六さんとはかねて親交のある宝生の近藤乾之助さんが、養老の独吟をされてさらに花を添えられた感じです。

心して各流の演能を観ていますが、もともと観世流を少しばかり稽古していたこともありまして、私としてはやはり観世流が一番しっくりすることは否定できません。とくに仕舞ではそうした思いを余計強く感じます。
まあ午後半日ではありましたが、すっかり良い気分になって帰ってきました。
それぞれの鑑賞記は明後日あたりから、またまた少しずつアップしていきたいと思います。

それにつけても渋谷って、なんでまたあんなに人がいっぱいいるんでしょうねぇ・・・
ヤマダ電機が開店してからは初めてですが、夕方はあの通り全体が人混みになってしまった感じで、電車に遅れそうになるし、いやはやでありました。
まあ、あの人混みがまた楽しいってこともあるんでしょうけどネ
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泰山府君さらにさらにつづき

天女ノ舞はサラサラとした動きで、特に思いを込めるといったものではありませんが、それが天女らしいということかも知れません。

天女ノ舞を舞い上げたツレは、さらに「天女はふたたび天降り」の大ノリの謡に合わせて舞い、「散りくる花を慕いゆけば」と正先の花に寄ります。

するとシテが「天上にてこそ栄花の桜」と謡い、右手の唐扇で花を指し示し「残りの雪の消えせしものを」と立ち上がってツレに寄り添い、ツレに枝を戻すように促す形になります。こういう形は珍しいと思います。

ツレが枝を桜台に戻し「あつぱれ奇特の花盛」と地謡が謡って、シテは両袖を巻き上げて桜台を見込んで舞働となります。ツレは笛座前に着座し、シテの豪快な舞が続きます。

舞働を舞い上げると、大ノリの地謡でさらに舞台を回りつつ舞い、「七日に限る桜の盛、三七日まで残りけり」と桜の命を二十一日に延ばし、常座で左袖を捲いて留拍子を踏みました。

切能ではあるのですが、脇能にも通じる何やら目出度い感じのする一曲。唯一現行曲としている金剛流では、正月など節目の会で割合よく演じられるようですが、納得できる感じがします。
なお後シテは、ツレを舞台に導いた後、笛座前ではなく橋掛りで床几にかかる演出もあるそうです。
(65分:当日の上演時間を記しておきます)
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鷺 関根祥丸(関根祥六喜寿記念三代能)

観世流 観世能楽堂 2008.10.12
 シテ 関根祥丸、王 観世芳伸
  ワキ 宝生閑、アイ 三宅右近
   大鼓 安福建雄、小鼓 観世新九郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌庸二

鷺ってあんまり観たことはないのですが、シテは直面で鷺の立物をつけた冠を着けて舞う独特の形の能です。
直面で、と書きましたが、この曲は少年(16歳までという説がありますが)か還暦を過ぎた役者が舞うとされていて、その場合は直面という意味です。観世流の装束付けを見ると延命冠者の面を着けることもあると書いてありまして、これはどうやらこの年齢制限外の青年や中年の役者が演ずるときのようです。また、還暦ではなく古希からだという説もありますが、このあたりはよく分かりません。
(当日いただいたパンフレットを見ていましたら、横浜能楽堂の山崎有一郎さんが解説をされていまして、上記と同様の趣旨が書かれていました。そうそう当日も帰りがけに山崎さんらしきお姿を見かけたのですが、通路がえらく混んでいて確認できぬままに山崎さんらしき人影が遠ざかってしまいました。今年の式能でもお見かけしたのですが、お元気で何よりです)

さて舞台はまずアイが登場します。狂言口開ですが、登場したアイの官人右近さんが常座で、延喜の帝が池に御幸なさると述べて退場します。
いささか腑に落ちなかったのはアイが唐官人出立であったことと、「神泉苑に御幸」ではなく「シンニョウ(潯陽でしょうか?)の池のほとりに御幸」と言っていたこと。名乗りで確かに「延喜」とは聞き取れたのですが、その後なんと言ったのかも聞き取れませんでした。帝ではなかったように思います。どうして唐人なんでしょうねえ・・・
今まで見た鷺の時はどうだったんだろうと思い起こしてみたのですが、残念ながら全く覚えていません。記録しておこうと思わないと見ていても記憶に残らないものですね。

さてアイが退場するとツレやワキの一行が登場してきますが、このつづきはまた明日に
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鷺のつづき

一声の囃子で、ツレの王にワキツレの輿舁二人が輿を差し掛け、大臣と従臣が従い、さらにワキの蔵人が随行して、一同が登場してきます。

一瞬ビックリしたのは、輿を差し掛けられて幕を出てきたツレ王の芳伸さんが、清和さんと遠目には驚くほど似ていたこと。もちろん正面から見れば全く違う顔立ちではあるのですが、やや斜めから見た遠いシルエットは「ああご兄弟なんだなあ」と思わせるものでした。(ちなみにこの日の私の席は正面左寄りのかなり前の方。この会のご案内をいただいて直ぐに申し込んだためか、ずいぶんと良い席でした)

ツレを子方で出す場合もあるようなのですが、少なくとも観世流で子方が出るのはちょっと記憶にありません。シテが少年の場合も還暦を過ぎた役者の場合も、いずれもけっこう上演されていますが、ツレの王は相応の格の役者が演じているのが普通と思います。
一方、宝生流では、このところでは近藤乾之助さんや高橋章さん、佐野萌さんなどが演じていますが、いずれもツレの王は子方が演じています。少年がシテのときはツレは大人なんだろうと想像しますが、このあたりは流儀の決めなのかもしれませんね。

一行は正先に進み、ワキ、ワキツレの同吟で一セイ。強く力の入った、豊かな感じの謡です。
ワキ、ワキツレの一セイから、ワキツレ大臣のサシ謡。続いてツレとワキツレとの掛け合いになっていきます。

この一行、ワキの蔵人とワキツレの大臣、輿舁二名のほかは、従臣二、三人ということになっています。この日は、先頭のツレに寄り添う形で出た輿舁の高井さんと館田さんのほかは、登場した順に、洞烏帽子に白大口、紺地の袷狩衣を着けた大臣の工藤さん、同じく洞烏帽子に白大口、赤地の袷狩衣を着けた従臣の井藤さんと大日向さん、野口能弘さんと梅村さんは従者ということで立烏帽子に白大口、掛直垂。最後にワキ蔵人の閑さん。こちらは士烏帽子に白大口、掛素袍という出で立ちですが、この一行がツレを先頭に正先から雁行のような形で並んで謡うところはなかなかに壮観。ワキの活躍する能といってもよいかもしれません。

このつづきはまた明日に
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鷺さらにつづき

一セイからツレとワキ・ワキツレとの掛け合いの謡、一同の上歌と続いて「神泉苑に着きにけり」と御幸の一行が神泉苑に到着したことが謡われて、ツレはワキ座で床几にかかり、工藤さんから順に従者役の梅村さんまでが、ワキ座から笛座前にかけて並びます。ワキの閑さんが少し離れて太鼓と大鼓の前あたりに着座して、神泉苑での場面です。

ツレ王のサシ謡から地謡の上歌になりますが、この地謡の途中「或いは詩歌の舟を浮かめ」の前で幕が開き、この句のあたりでシテが姿を現してきます。
白大口に白練を壺折りにつけ、まさに白一色での登場で、そのまま橋掛りを進んで最初の「あら面白の池水や」あたりで一ノ松に止まり、正面を向いてたたずむ形。

ツレが「いかに誰かある」と隣の大臣工藤さんに声をかけ、誰かあの州崎の鷺を捕ってこいと命じます。これを受けて大臣がワキ蔵人に命じますが、最初は両手を突いて承っていたワキも「かれは鳥類飛行の翼」あたりで、そもそも鳥をどうやって捕らえるのかと困った感じでしょうか、両手を突いた平伏の形から下居した形に変わります。

ともかくも大臣に励まされるように立ち上がったワキは、橋掛りに進んで一ノ松のシテを捕らえようとしますが、シテはするすると三ノ松あたりまで逃げてしまいます。しかし「汝よ聞け勅諚ぞや」とワキが橋掛りの入り口から声をかけ招き扇すると、シテは一ノ松に戻って下居。これにワキが近寄り、中入りの送り込みと同じような形でシテを導いて正中に出、シテは正中に下居し、ワキは常座で平伏する形になります。

「なほなほ君の御恵」で大臣が立ち、扇を広げて常座のワキに酒を勧め、ワキは立ち上がって「召し出され」でワキ正に両手を突いて爵を受ける形になります。六位の蔵人、鷺ともに五位の位を授けられたという次第。

この地謡の最後でシテが立ち「州崎の鷺の羽を垂れて」と謡って常座に向かい、続く地謡「松も磯馴るる景色かな」で正面に向き直って舞になります。
これが鷺の舞で鷺乱といわれるもの。基本的には猩々の乱と同様に中ノ舞で始まり、乱の部分があって最後にまた中ノ舞で終わる形になっています。
このつづき、もう一日
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国立定例公演と五雲会

昨晩は国立能楽堂の10月定例公演を観ておりまして、家に戻ってきたのは11時になっておりましたか。
さらに本日は朝から一仕事片付けて、そののち久しぶりに五雲会を覗いてみました。

国立はほぼ満員に近かったと思うのですが、大藏千太郎さんの薩摩守と、武田志房さんの柏崎という番組。薩摩守ではアドに善竹忠一郎さんが出てまして、あまり東京の会にはお出にならないので、興味深く拝見しました。柏崎もなかなかに見応えのある能ですが、今回は武田志房さんのシテだけに武田同門会の先生方が多数ご出演の中、地頭・副地頭に浅見真州さんと浅井文義さんが入ってなかなか良い雰囲気でした。

一方、本日の五雲会。久しぶりに観に行ったので、能四番と狂言二番という番組はちょっとハードかなと思ったのですが、最後まで集中して観ることができて良かったかな、と思っています。(最初の曲で隣に座った方がどうやら興味がないのに誘われて見に来たという感じで、もぞもぞ動いたりしていて落ち着かなかったのですが、幸い一曲で帰られたようで、後は落ち着いて鑑賞できました)
能は小倉健太郎さんのシテに高橋憲正さんのツレで呉服、東川尚史さん以下若手の皆さんによる大仏供養、佐野登さんのシテで六浦、そして小林晋也さんのシテで大会。
狂言は深田博治さんの因幡堂と、高野和憲さんのシテで竹生嶋参の二曲。

それぞれに面白かったのですが、やけに見所が寂しい。最初の一番、正面はまあまあ座っているのですが、脇正面や中正面はガラガラ。試みに163席ある脇正面の観客を数えてみたらわずか18名でした。もったいないようですね。
たぶん、今月とかに使わなかった年間券が十二月の大混雑につながるんでしょうね。

関根家三代能のあとで、鑑賞記を書いてみようと思っています。
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間違っちまいました・・・

風呂につかってのんびりとすると、ついつい鼻歌なんかが出てきてしまうのですが、今夜はふと謡曲が浮かんできて「げにや蜘蛛のいへに荒れたる駒はつなぐとも、二道かくる・・・」で
「あれ!?」
そう言えば、先日、蜘盗人の鑑賞記を書いたときに、もしやこの古歌は「土蜘蛛」に出てくるって書かなかったかな!?と急に気になりました。

というわけで、風呂上がりに早速たしかめてみると・・・やはり「土蜘蛛に」と書いてあります。
ご存じの方は「何書いてんだか!」って思われたでしょうけど、この歌、実は土蜘蛛ではなくて「鉄輪」に出てきます。二道かくる、の後は「あだ人を」と続いて、別の女をこしらえた夫への嫉妬の思いに繋げていく謡です。

最近、土蜘蛛を観たせいかもしれませんが、何気なく、蜘蛛だから「土蜘蛛にあります」って書いてしまったようですね。もっとも、よく思い出したというか、自分でも不思議なんですが、土蜘蛛と書いたことをよく覚えていたなあと、我ながら驚いています。

というわけで、先日の記事は早速修正いたしました。
この調子だと、けっこう他にも間違いがありそうですが、もし気付かれた方がおいででしたら、そっと教えて下さいまし・・・
管理人敬白

鷺さらにさらにつづき

ちょっと間が空いてしまいましたが、鷺の鑑賞記の最後のところ、まだ書いていませんでしたので今日は仕上げです。

鷺乱は猩々乱よりもちょっと軽めの感じ。酔っ払いの妖精と飛ぶ鳥の違いという程度です。抜き足をして片足でしばらく立つという、鳥の鷺を模した型が何度も出てきます。さらに途中では、目付に寄って波を蹴立てる足を四足、一度戻してまた一足と見せるなど、なかなかに見せ所の多い舞。

祥丸さんの舞を観るたびに思いますが、本当にこの方の将来は楽しみで、この安定感と充実感のままに年功を重ねて行かれたら、いったいどんな素晴らしい能楽師になられるのかと思うところです。来年の桃々会・花祥会の案内がパンフレットに挟み込まれていましたが、車僧と俊成忠度をなさる由。変声期の途中という感じでもあり、謡はこれから大人の謡に変わっていくまでまだ少し時間がかかるかと思いますが、それもまた楽しみに拝見させていただきたいと思っています。

舞の後は「畏き恵は君道の」と謡い足拍子。実はここまで音のする足拍子を踏んでいないのですが、鷺の軽やかさを表しているのでしょうね。
さらに舞台を回り「勅に従ふこの鷺は」と正中に下居。ツレ王がワキを向いて右手を上げ「神妙神妙放せや放せ」と鷺を放すように命ずる型から、ワキがシテに寄って後ろから支えて放す様子を見せ、そのままシテは「心嬉しく飛び上がり」と三ノ松まで進んで幕前を一回りし、留となりました。

ところでツレの王はアイの口開で延喜の帝すなわち醍醐天皇とされています。
平家物語巻五「朝敵揃」に、延喜の帝が神泉苑に御幸あったときに、池の汀に鷺を見つけ、六位を召して鷺を捕るように命じた話が出ています。この話をひいて能に仕立てたということなのでしょう。

五位鷺という鳥がいます。サギ科の鳥ですから広い意味で鷺なのですが、いわゆる白鷺ではなくて、成鳥は背中が黒っぽいのが特徴です。この五位鷺という名は、延喜帝が神泉苑に御幸されたときの故事からつけられたという説があります。これを含めて能化したともいわれますが、そうなると純白の装束で演じられるこの鷺とはちょっと合わない気もします。とはいえ能としてみるにはやはり白だけの装束であることに意味がありそうですね。
そうそう、五位鷺の名の由来について調べてみると、この延喜帝の故事が大鏡にあるという記載をよく見かけるのですが、大鏡を見ても私にはこの記事が見あたりません。これはまたどういうことなのでしょうねぇ・・・
(44分:当日の上演時間を記しておきます)
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鶏聟 三宅近成(関根祥六喜寿記念三代能)

和泉流 観世能楽堂 2008.10.12
 シテ 三宅近成
  アド 三宅右近 三宅右矩 高澤祐介

何曲かある聟物の一つですが、この種の狂言は概ね聟の無知な様子などを笑いに仕立てているので「おかしい」タイプの狂言です。この曲もそうした聟の無知ぶりを笑いの種にしていますが、一方で聟に恥をかかせまいとする舅の気遣いが祝儀の気分をもり立てて良い味わいになっています。このように舅が聟の失敗を取りなす形の聟物は、めでたさの漂う演出となるため脇狂言に準ずる扱いをされるようで、和泉流の本でもこの曲を脇狂言に分類しているのを見かけました。

さてまずはアドの舅が太郎冠者を従えて登場してきます。三のアドの教え手も一緒に登場してきて笛座前に控え、太郎冠者が大小前に控えて、常座に立った舅が名乗ります。

右近さん、鷺の口開に続いての登場ですが、こちらでは士烏帽子に素袍上下の出で立ち。本日は最上吉日で、聟殿がやってくる事になっている旨を述べて太郎冠者を呼び出します。舅は太郎冠者に、聟殿がやってきたら知らせるように言いつけて奥へ入ったという設定で地謡前に着座します。太郎冠者も同様に大小前に着座して、舞台上は別な場面に切り替わったことになります。

さて幕が上がって聟の近成さんが登場してきます。こちらも舅同様に士烏帽子に素袍上下ですが、中に着た段熨斗目が目出度く紅白段になっています。素袍も青地に桜の花のようなものが随所に描かれていて、まさに晴れ着という感じ。
常座で「舅にかあいがらるる花聟でござる」と名乗りますが、なんとなく見所の笑いを誘ったところです。

さて初めて聟入りすることになったものの、ことのほか辞儀作法が難しいと聞いているので、何某殿といって何事につけ御巧者がいるので辞儀作法を習って聟入りしようと述べて教え手のところに向かいます。
舞台を一回りするとどこへでも行けるのが狂言の良いところ、といつぞや茂山家の狂言の際に解説で言っておられましたが、まさに常座に戻ると何某殿の家ということで、案内を乞います。
このつづきはまた明日に
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鶏聟のつづき

何某に案内を乞うと、三のアド高澤祐介さんが笛座前から立ち上がり迎えに出ます。何某はシテの出で立ちを綺麗だと褒め、シテが今日は聟入りをすると答えてやりとりになります。

シテは、自分はいまだかつて聟入りしたことがないが、聟入りの辞儀作法は難しいそうで、あなた様は節々聟入りして御巧者であろうからどうぞ辞儀作法を教えてほしいと頼みます。これに対して教え手は、人聞きの悪いことを言う、自分がいつ節々聟入りしたかと問い直します。

聟入りというのはどうやら当時の風習で、嫁取りをして最初に聟が舅のところに挨拶に行くことをいうらしいのですが、これが分からないと、この話いささか混乱しそうです。

さて案の定、シテは舅のところに行くことがすべて聟入りと思い込んでいたようで、教え手に、度々舅のところへ行くとおっしゃるではないかと返します。
もちろんこれは折節の見舞いであって、聟入りというのは一代一度のものだと教え手は聟に諭し、シテは「すれば私は粗忽なことを申しました」と詫びて、教え手がシテに聟入りの辞儀作法を教えることになります。

書き付けを見ないと教えられないのでそのまま待っているように、とシテを待たせた三のアドは「世にはうつけた者があればあるものでござる」と独りごちし、さんざんなぶってやろうと言ってシテに向かいます。

教え手は、聟入りの辞儀作法には大昔、中昔、当世様と三つあるがどれがよいかと問い、シテが当世様がよいと答えると「わごりょは聟入りをすれば、分別までが上がっておりある」とシテを持ち上げて、当世様の聟入りを教えることにします。

舅の登場から、大昔、中昔、当世様の三つの作法のうちでどれを教えるというところまでは、音曲聟や懐中聟と全く同じ展開ですね。
さてこのつづきはもう一日
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鶏聟さらにつづき

当世様を教えると言った教え手ですが、シテに突然、鶏を飼ったことがあるかと問います。シテが子供の頃に飼ったことがあると答えると、それならば簡単で、舅のところに行ったら鶏の鳴く真似や蹴合う真似さえすれば良いのだと教えます。さらに鶏のとさかに似た烏帽子があるから貸してやろうと言って、聟の士烏帽子を外して洞烏帽子を代わりに着けてやります。

シテは舅のところへ向かうと言って出かけ橋掛りまで進み、この間に三のアドは切戸口から退場してしまいます。
さてシテは一ノ松で舅の家に着いたので鶏の真似をしようと言い、くうくうくうくう、こーけーと、両手をばたつかせながら二度ほど鶏の鳴き真似をします。

これに太郎冠者が、いこう表が騒がしいと見に出て聟を見つけ、どなたかと尋ねます。聟は本日聟入りに来た旨を述べて中に通されますが、ここから節をつけて「聟は舅の家に行き・・・」と謡いつつ常座へ出てくうくうくうくう、こーけーと再び鶏の真似。

これに舅と太郎冠者は大笑いしますが、舅は直ぐに「聟殿はつっとりちぎ者と聞いた。誰ぞなぶっておこしたものであろう」と推察し、聟の恥は舅の恥、舅の恥は聟の恥というので、自分も聟と同じようにするから下々までけっして笑わぬようにと太郎冠者に言いつけます。
そして自分もまた士烏帽子を外して洞烏帽子に着け替え、節をつけて謡いつつ聟の前に出ます。
この後、二人で舞台を回ったりしつつ、鶏の鳴き真似を見せ、「舅はうちに入りければ」と舅が先に退場。残ったシテは「聟は聟入りしすまして。とき作って帰りけり」と留になりました。
ばかばかしいと言えばばかばかしいのですが、なんとも良い味わいの一曲でした。
(24分:当日の上演時間を記しておきます)
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卒都婆小町 関根祥人(関根祥六喜寿記念三代能)

観世流 観世能楽堂 2008.10.12
 シテ 関根祥人、ワキ 福王茂十郎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 寺井宏明

卒都婆小町は観世流では「そとわこまち」と読んで老女物の入門編のような扱いをされています。このあたりの事情は他流でも似ていて、まず卒都婆を演じてから老女物の世界を広げていくということのようです。
余談ですがウィキペディア(Wikipedia)には金剛流のみ「卒塔婆小町」と表記すると記載があり、以前、豊嶋三千春さんの鸚鵡小町の話を書いたときもこれに従う形で「卒塔婆小町」と表記したのですが、どうもこれはちょっと怪しいようです。現行の金剛流謡本は他流と同じ卒都婆の表記がされていますし、明治初年に金剛唯一の刊行した謡本も表紙こそ「卒塔婆小町」と書かれているのですが、本文では草書のため読みにくいものの「塔」ではなく「都」と書かれています。

閑話休題。まずは次第でワキの茂十郎さんと、ワキツレ従僧の知登さんが登場してきます。向かい合っての次第謡「山は浅きに隠処の、山は浅きに隠処の、深きや心なるらん」から地取りのうちにワキツレが下居し、ワキは高野山より出でたる僧と名乗ります。これから都に上ると言い、サシ謡、ワキツレが立ち上がって同吟での下歌、上歌とつづき、親も子もなければ野に伏し山に泊まるのも誠の住処だと謡って、鳥羽とやらに着いたとの着きゼリフでワキ座へと向かい着座します。この後につながる孤独感の強い内容の謡ですね。
さてワキが着座すると習ノ次第が奏されてシテの出になります。
これがまた実に深い囃子で、ああ亀井さんも洋太郎さんも本当に深いなあと感じ入った次第です。老女物の出では橋掛りの途中で休む型になるのが普通ですが、やはりゆっくりと橋掛りに出たシテは、三ノ松でしばらく佇み、右手に持った杖に左手を添えて合掌するような型を見せます。やがて左手を外して再び杖を突きつつ歩き出し常座に向かって次第謡となりました。
習ノ次第が始まって少なくとも10分は経っていたと思います。
さてこのつづきはまた明日に
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卒都婆小町のつづき

シテは柿色の赤みがさらに抜けたような縫箔を腰巻に着け、深草色とでも言ったらよいようなヨリの水衣を着けて笠を被っています。あの色味だと紅入になるんでしょうかね。装束付けでは無紅とされていますが、当日の山崎さんの解説にもあるように、この曲では上品な紅入はアリですね。
老女とはいうものの毅然とした感じがかなりあって、けっして歩くのも覚束ない百歳の姥という感じではありません。私が子供の頃、近所に住んでいた明治生まれで女学校出のおばあさんをふと思い出しました。たしかその頃は七十歳代で、なかなか理屈の通る方だったと記憶していますが、なんだかそんな雰囲気です。

次第の後、サシから下歌、上歌と謡っていきますが、大小の掛け声も柔らかく深い趣です。上歌を歌い終えたシテは「余りに苦しう候ほどに、これなる朽木に腰をかけて休まばやと思ひ候」と笠を取って大鼓の前あたりに下居します。

ここは正中に床几を出し、後見が介添えせずに腰をかけるというのが普通の形でしょうけれども、この日は床几を出さずに、そのまま杖にすがるようにして座りました。この形も時折演じられるようなのですが、私は初めてです。

シテが着座するとワキが立って、日が暮れるので道を急ごうといいますが「や」とシテに気付き、乞食の腰掛けているのは卒都婆に違いないので、教化して立ち退かせようと言います。ワキツレはもっともにて候と受けたた後、シテの後ろを回ってワキ正から目付に出、ワキと共にシテに向かう形になります。

ワキはシテに、腰をかけているのは忝なくも仏体色相の卒都婆ではないか、早く立ち退くようにと諭します。しかしシテは忝ないとはいうものの、文字も見えず刻んだ像もなく、ただの朽木と見えると答えます。
ワキは見た目は朽木であろうとも、仏体に刻んだ木であり證がないことなどありえようかと重ねて言い。問答になっていきます。
このつづきはまた明日に
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卒都婆小町さらにつづき

シテは自分も賤しい埋もれ木ではあるが心の花がまだあると言い、さらに問答が続いていきます。このシテ、ワキの問答は仏教を基礎においた難解な物ですが、シテ祥人さんの謡は内面の自信のようなものが溢れてくる感じを出していて、ワキの僧に論戦を構える小町の明晰さがうかがえるところです。

ワキ、ワキツレとの掛け合いから、シテの「臺になし」の謡で後は地謡が引き受ける形になります。「真に悟れる非人なりとて」の謡に合わせるように、ワキ・ワキツレは下居して両手を突き「僧は頭を地につけて」とシテに対して平伏する形になります。
シテは「極楽の内ならばこそ悪しからめ そとは何かは苦しかるべき」と戯れの歌を詠みます。この謡ではいささか力を込めた感じで少し背筋を伸ばしたように感じられました。
シテは杖を支えに立ち上がり、地謡の「むつかしの僧の教化や」で杖突つつ常座へと向かいます。このシテにワキは「さておことはいかなる人ぞ名を御名のり候へ」と呼びかけ、この声に常座で振り向いて正面へむき直したシテは「恥ずかしながら名を名のり候べし」といいつつ杖にすがって着座し、自らが出羽の郡司、小野の良実の娘、小野小町のなれの果てであるとこを明かします。

ワキの一行は、小町といえば古は美しき女性であったことを謡い、さらにシテと地謡が、歌を詠み詩を作ってまことに優美な有様だったのが、今は百歳に一つ足りない九十九髪となっていう我が身は恥ずかしいと謡います。ワキの謡からしばらくは居グセのような形で着座していたシテが、「有明の影恥ずかしき我が身かな」で笠を我が身の左がわに掲げ、ワキから身を隠すような形で、恥じる風情を見せます。

続いてロンギになり、シテは再び杖にすがって立ち上がり、「今日も命は知らねども」と謡いながら常座に向かって杖を突きつつ進み「袋に入れて持ちたるよ」とワキを向いて語りかける風情です。
なんだかシテの様子が怪しくなってきますが、このつづきもう一日
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卒都婆小町さらにさらにつづき

シテと地謡の掛け合いがつづき、シテは「破れ蓑「破れ笠 で笠を少し上げて見る型。さらに直して三、四足出、「袂も袖もあらばこそ」と袂を見るような感じで下を見、目付に面を上げて「往来の人に物を乞う」と笠を物乞うように両手で差し出し、目付からたらたらと下がって杖落とし「声変わりけしからず」の謡を聞きます。

「なう物賜べなうお僧なう」と笠を裏返して両手で持ち、ワキに向かって迫ります。いよいよシテの様子が変になってきます。この後の「いや小町という人は」のところ、私のメモには「憑いた」と書いてあります。まさに何者かが憑いた感じをありありと受けたところです。

思い深草の四位の少々の「恨みの数の廻り来て・・・と深草の少将の恨みを受けての狂乱であることが示されますが、この地謡のうちにゆっくりと後見座に向かって物着になります。
白の長絹に烏帽子を着け、立ち上がったシテは常座に向かい「浄衣の袴かいとって」と謡い出し、右手で持った扇を広げつつ目付へと進み左袖を上げて被く心持ち。「人めしの無の通路」と扇で面を隠す形で左に回って袖を返し、正中で正面を向きます。
「一夜二夜三夜四夜・・・」と指折り数える型。さらに「百夜までと通い往て九十九夜になりたり」と再び左手、指を折って数える型は、通小町を思い出させます。

通小町では死後に至っても深草の少将に悩まされる小町が描かれていますが、生前もこうして深草の少将に悩まされていたのかと思う次第です。

地謡の「胸苦しやと悲しみて」にあわせるように胸に扇をあてて大小前に下居した後、キリの謡で気を変えて立ち、「花を仏に」で正面に向いて羽根扇、戻しつつ常座で一回りして正を向き「悟りの道に入ろうよ」と扇広げて留となりました。
深い思いの残った一曲です。
(100分:当日の上演時間を記しておきます)
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菊慈童 遊舞之楽 関根祥六(関根祥六喜寿記念三代能)

観世流 観世能楽堂 2008.10.12
 シテ 関根祥六、ワキ 村瀬純
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 亀井俊一
   太鼓 金春國和、笛 一噌幸弘

十月五日の日本経済新聞に祥六さんのインタビュー記事がありまして、祥人さんと祥丸さんの二人が重い曲なので自分はデザート曲だとおっしゃった後、年を取っても童の心でやっていきたいという思いもあってこの曲を選んだこと、七十七歳の初心をもって軽やかにめでたく舞えればと思う旨を述べておられます。
前の二曲は重い曲のため囃子方も長上下でしたが、この曲では通常の上下姿でして、やや軽い感じになりました。

さてこの曲「菊慈童」ですが、観世流だけの曲名でして、他流では「枕慈童」ですね。ややこしいことに、観世流には枕慈童という別な曲もありまして、基本的には菊慈童と同様の話ですが、菊慈童が周の時代から七百年、魏の文帝の臣下が登場するのに対し、こちらは八百年後と百年多いところがご愛敬。しかもワキは漢の皇帝に仕える臣下と名乗るのですが魏よりも前の王朝。どうも計算が合わないようですが、周の穆王から魏の文帝まではざっと数えても千年以上ですので、このあたりは縁起の良さそうな年数というくらいなのでしょうね。

ともかく菊慈童は他流の枕慈童と同じ曲なのですが、そもそも前後のある曲だったのが前場が省略されてしまったらしく、今ひとつ話が分かりにくいところがあります。さらに流儀によって詞章にかなり違いがあるようで、喜多流では楽の前に「然るに穆王は八疋の駒に召され法の道末かけて・・・」で始まるクセがあります。

舞台の方は、まず菊の垣をつけた一畳台が正先に運び出されてきます。五色の菊が綺麗に取り付けられ、その中央には枕が載せられています。さらに引廻しをかけた藁屋が大小前に出されて準備が整います。
このつづきはまた明日に
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菊慈童のつづき

次第の囃子でワキ大臣の村瀬さんとワキツレ従臣二人、村瀬慧さんと中村弘さんが登場し、舞台中央で向き合っての次第謡。地取りでワキが正面を向いての名乗りになります。
昨日書いたように魏の文帝に仕える臣下ですが、皇帝から酈(機種制約文字ですので表示されない場合は、麗の右におおざとを書いた字)県山の麓から薬の水が湧いているので水上を見てこいと命じられたことを語ります。

実は喜多流の本を見ていて気付いたのですが、この山の名前、酈県山はテッケンザンと読むようで、これは観世以外の諸流とも同じらしいのですね。観世流ではレッケンザンと読みまして、昔、稽古していたころも仕舞の地謡などで「ところはぁれっけんのぉ」と大声で謡っておりました。ワキ方もテッケンザンと読むらしいのですが、今回は福王流でもあり、ワキ方はシテ方の詞章にあわせるのが普通ですから、村瀬さんは当然レッケンザンと謡っておられました。

さてワキの名乗りから、ワキの一行は目指す山へとやってきて庵を見つけ様子を見ようということになります。

すると作り物の中からシテが謡い出します。力のある謡です。
このシテの謡を受けての地謡。最後に「枕詞ぞ恨みなる」の句を二度繰り返しますが、前側の「恨みなる」で引廻しを下ろしてシテが姿を現します。

黒頭の慈童姿で、右袖を脱いで右手に花のついた菊の枝を持って床几にかかっています。藁屋にも左右と後ろには菊が垣のようにつけられていて綺麗です。

ワキが立ち上がり、こんな孤老野干の住処のような山中の庵から現れたのは、いったい何者かと問いかけます。これにシテが答えて、周の穆王に召し使われた慈童と名乗ります。しかし周の穆王の時代は数百年の昔のこと。ワキはそんな昔の人が生きていることなどあるわけがないので、化生の者ではないかと怪しみます。
さてこのつづきはまた明日に
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菊慈童さらにつづき

シテは帝の枕に二句の偈を書き添えて賜ったので、枕を見てみるようにとワキに言い、ワキが二足ほどシテの方に出てから、一畳台に向きを変え二足ほど詰めて遠く枕を見やる形になります。
そしてシテワキ二人で「具一切功徳慈眼視衆生 福寿海無量是故応頂礼」と、法華経の観世音菩薩普門品偈を謡います。そしてシテは地謡の「この妙文を菊の葉に」で立ち上がり、ワキがワキ座に向かう一方で「置く滴や露の身の」と作り物を出ます。そして正中に進み菊を持って答拝して楽になります。

今回は遊舞之楽の小書きがついているため、黄鐘調で始まった楽が初段で盤渉に調子が上がり、菊の枝を捨てて背にさした唐団扇を手に取り、様々な型を見せて舞が続いていきます。
途中、橋掛りへと入り一ノ松で遠くを見やる形から、下を見回して水の流れに菊の花が浮かんで流れていく様を追うような型を見せます。一ノ松から幕前まで進み、ここから橋掛りを早めの運びで戻って舞台上でさらに舞を続けます。
新聞のインタビュー記事でおっしゃっていたように軽やかに、楽しげに舞っておられる感じを受けました。

楽を舞上げた後は「ありがたの妙文やな」と上扇から大左右、よく仕舞でも舞われる部分になります。
最後は「ところは酈(機種制約文字ですので表示されない場合は、麗の右におおざとを書いた字)県の」で雲扇から「山路の菊水」と橋掛りへと入り、「菊かき分けて」と扇で道を開くように幕前に進み、留拍子を踏んで留となりました。

一日の会を締めくくる目出度い気分の一曲でした。
さらに最後に「千秋の秋津洲 治まる国ぞ久しき」と淡路の附祝言。当日は番組の最初が高砂の連吟でしたので、目出度く始まって目出度く終わる。まさに喜寿のお祝いの一日でした。
(44分:当日の上演時間を記しておきます)
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三代能の会 拾遺

能三番、狂言一番の鑑賞記を書きましたが、この日はそのほかにも連吟や独吟、仕舞など盛り沢山の会でした。
口開けは高梨良一さんをはじめとする皆さんの連吟で高砂。「四海波静にて」と目出度い会にふさわしい清々しい謡でした。続いて女性の方々による猩々の連吟。なかなかに凛々しい謡。

鷺の後、宝生の近藤乾之助さんが養老の独吟をされましたが、風格のある宝生らしい謡でした。かねて祥六さんと乾之助さんは親しくされているようで、ご一緒に会をされることも少なくないですね。ちょっと風貌も似てらっしゃるようですが・・・

狂言の後は仕舞が四番。山科彌右衛門さんの田村キリ、梅若吉之丞さんの井筒、観世喜之さんの鵜之段、野村四郎さんの鞍馬天狗です。仕舞は卒都婆小町を挟んでさらに四番。観世銕之丞さんの老松。梅若六郎さんの駒之段、谷村一太郎さんの玉鬘、そして梅若万三郎さんの邯鄲楽アトです。
観世流をある程度ご存じの方ならおわかりいただけると思うのですが、これだけの方々の仕舞を続けて拝見できるだけで、滅多にない経験と思います。しかも皆さん短時間の仕舞できちんとご自分なりの世界を作っておられて見応えあるものでした。

藤波重和さんの独吟、実方も味わいのある一番で、いつぞやの六郎さんの復曲能を思い出したところです。

そして最後に船弁慶、宗家清和さんとご子息三郎太クンによる舞囃子です。三郎太クン堂々とした舞台でした。このところ観世会にも出演が多くなっているようですが、幼いなりにいずれ観世流を背負う立場を自覚してということか、しっかりした舞台でした。
いろいろと複雑な事情があったやには耳にしていますが、まあご先代の時もいろいろと話があったりしたもののそれはそれ、将来を楽しみに拝見していきたいと思います。
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