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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

菊慈童のつづき

次第の囃子でワキ大臣の村瀬さんとワキツレ従臣二人、村瀬慧さんと中村弘さんが登場し、舞台中央で向き合っての次第謡。地取りでワキが正面を向いての名乗りになります。
昨日書いたように魏の文帝に仕える臣下ですが、皇帝から酈(機種制約文字ですので表示されない場合は、麗の右におおざとを書いた字)県山の麓から薬の水が湧いているので水上を見てこいと命じられたことを語ります。

実は喜多流の本を見ていて気付いたのですが、この山の名前、酈県山はテッケンザンと読むようで、これは観世以外の諸流とも同じらしいのですね。観世流ではレッケンザンと読みまして、昔、稽古していたころも仕舞の地謡などで「ところはぁれっけんのぉ」と大声で謡っておりました。ワキ方もテッケンザンと読むらしいのですが、今回は福王流でもあり、ワキ方はシテ方の詞章にあわせるのが普通ですから、村瀬さんは当然レッケンザンと謡っておられました。

さてワキの名乗りから、ワキの一行は目指す山へとやってきて庵を見つけ様子を見ようということになります。

すると作り物の中からシテが謡い出します。力のある謡です。
このシテの謡を受けての地謡。最後に「枕詞ぞ恨みなる」の句を二度繰り返しますが、前側の「恨みなる」で引廻しを下ろしてシテが姿を現します。

黒頭の慈童姿で、右袖を脱いで右手に花のついた菊の枝を持って床几にかかっています。藁屋にも左右と後ろには菊が垣のようにつけられていて綺麗です。

ワキが立ち上がり、こんな孤老野干の住処のような山中の庵から現れたのは、いったい何者かと問いかけます。これにシテが答えて、周の穆王に召し使われた慈童と名乗ります。しかし周の穆王の時代は数百年の昔のこと。ワキはそんな昔の人が生きていることなどあるわけがないので、化生の者ではないかと怪しみます。
さてこのつづきはまた明日に
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