能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

薩摩守 大藏千太郎(国立能楽堂定例公演)

大藏流 国立能楽堂 2008.10.17
 シテ 大藏千太郎
  アド 善竹忠一郎 大藏彌太郎

薩摩守と言えば平忠度ですが、一方で無賃乗車・・・ただ乗りを意味する隠語としても薩摩守が用いられることがあります。最近では滅多に使われないようで、用例を聞いたことがありませんが、昔の漫才のネタなどで耳にした記憶があります。
この「薩摩守=ただ乗り」というしゃれが、たいへん昔からあったのだという実例になる狂言。天正本にも見られるそうですから、少なくとも戦国時代には一般に使われていた“しゃれ”のようです。

舞台はシテの僧が笠を被って登場し、アドの茶屋と船頭が続いて出て茶屋は大小前に、船頭はワキ座に着座します。
シテの僧は常座に立ち笠を取って、遠国の出家だが天王寺へ参詣しようとする旨を述べますが、このときに金を持たずに人々の厚意で旅ができるのは有り難いと語ります。後々の伏線になりますね。再び笠を被り旅を続ける風で舞台を回り天王寺へと向かいます。

舞台を一回りして常座に戻ると、のどの渇きを覚えたと言います。すると大小前に座したアド茶屋の主人が立ち、シテに茶を勧めます。アドの善竹忠一郎さんは関西在住であまり東京の会ではお見かけしませんが、なかなか渋い味わい。彌太郎さんとは従兄弟同士の間柄ですね。茶を飲むというシテに、立ち上がって扇で茶碗をあおぎながら「さあ参れ」と勧めます。シテ「ここへ下され」アド「心得ました」と茶碗を受け取ったシテは茶を飲み干します。本物の茶碗を使っているところが印象的。

も一つと勧められてシテは二服のみ、三度目は断って立ち去ろうとすると、当然ながら茶屋は「代わりを置いておこさしめ」と代金を求めます。しかし出家は全く金を持っていないので払えないという問答になり、親切な茶屋の主人は茶の代金を取らないことにしたうえに、その先の神崎の渡の船賃をやろうと言います。
さてこのつづきはまた明日に
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薩摩守のつづき

天王寺に参るには、神崎の渡を通らなければなりません。茶屋は「かくれもない大河」なので舟でなければ渡れないが十町の渡し賃がかかると言います。
この十町、国立能楽堂の企画公演では字幕表示があり、前の席の方の画面をふと見ると(私は表示しておりませんでしたので)「十町」の表記がされていました。しかしどんな単位なのか見当がつきません。

狂言ではよく「疋」という単位が出てきますね。太郎冠者が宝物を手に入れて、売り主に値段を問うと「万疋でおりゃる」などと使われます。疋は十文にあたるんだそうで、万疋なら十万文ですが、銭千文が一貫文ですから百貫文ということになります。江戸時代には百疋で金一分という話もあったようです。たしか銭四貫文が金一両に相当したはずで、一両が四分ですから一分が千文、つまり百疋という計算でしょうね。金、銀、銭の換算は実際は相場によるので必ずしも固定的ではありません。目安ということです。

鎌倉時代の終わり頃には一疋が米一升だったという話もあり、もしそうなら今の値段ではどうでしょう、米もピンキリですが1000円くらいでしょうか。
一方で江戸時代には団子一串が四文だったという話もあります。実はもともと団子は一串に団子が五個で五文だったのだけれども、四文銭が出来たときに団子四個を一串にして四文に値下げしたのだという話です。たしか甲子夜話かなんかにあった話と思いますが、今は団子って一串100円から200円くらいですかね。それから計算すると一文が25円から50円くらい。その十倍なら250円から500円くらいということになります。
もっともこうした換算はあまり意味がないのはご理解いただけるとおりで、なにぶん物価以前に生活内容が全然違うわけですから、例えばこんな仮定を置けばという程度の話です。(でも万疋って上から計算すると250万から1000万くらい。家来一、二人を使っている主人が宝を求める値段としては、案外いい線いってるかもなぁと思えますが)

さて話が妙な方にずれてしまいました。十町という単位がよく分からなかったという話を書きたかったのですが・・・ともかく、全く持ち合わせのない出家は払うことが出来ません。それでは舟に乗れないので、ここから伏し拝んで帰るとばかりに、座り込んで合掌します。
さてこのつづきはまた明日に
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薩摩守さらにつづき

いささか妙な脱線をしたため、また続くことになりました。

さて茶屋は船賃の代わりとして、神崎の渡し守は秀句が好きなので舟にただで乗る秀句を教えてやろうと言い、船頭に「船賃は薩摩守」、その心はと問われたら「ただのり」と答えるように教えます。
これに感謝したシテは早速神崎に向かうことにして茶屋を離れ、アドは幕に退場します。
さてシテは再び笠を被って舞台を回り、常座に戻って「何かと申すうち大きな川へ出た」と神崎の渡しにやってきます。舟がないので探し、ワキ座に船頭を見つけます。
さっそく「さらば呼ぼう」と「ホーイホーイ」と声をかけますが、一度立った船頭は客が一人と見ると座り込んでしまいます。再び呼びかけると、船頭はここは大事の渡しなので一人二人では乗せないのだと答えます。

そこで思案をしたシテは、出家に妄語はいけないことと思うものの、この場はやむを得ないと、道者はあまたあると船頭に呼びかけてしまいます。たしか和泉流では、この導者はあまたあるという言い訳も茶屋から教えられたと思いますが、出家が嘘を言うのを迷うという展開はちょっと面白いですね。

さてこれを聞いた船頭が漕ぎ寄せてきますが、舟渡聟のようにワキ座から大小前に向けて竿を使いつつ下がってきます。そしてシテを乗せて漕ぎ出しますが、途中で船賃を払うように求めます。これに出家は「船賃は薩摩守」と答え、船頭はそれは秀句かと喜びます。船頭は自分が秀句好きとどうして分かったかとも問いますが、シテは神崎の渡し守の秀句好きは唐土、天竺、我が朝三国に隠れもないことだなどとおだて、船頭はすっかり気をよくしてしまいます。

そうこうするうちに舟が岸に着き、舟から下りたシテはそのまま立ち去ろうとしますが、船頭は薩摩守の心は何かと問います。しかし、忠度をすっかり忘れてしまったシテは答えることが出来ません。薩摩守の心は薩摩守などと答えて船頭を怒らせてしまいます。船頭に問い詰められたシテは、最後に「青のりの引きぼし」と答え、怒った船頭が「やくたいもなし、とっととおりやれ」と言い放って、シテが「面目もござらぬ」と留になりました。
(26分:当日の上演時間を記しておきます)
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柏崎 武田志房(国立能楽堂定例公演)

観世流 国立能楽堂 2008.10.17
 シテ 武田志房、子方 藤波重紀
  ワキ 福王茂十郎
   大鼓 國川純、小鼓 幸正昭
   笛 藤田六郎兵衛

夏に訴訟を巡る能の話を書きましたが、この柏崎も主人が訴訟あって鎌倉に長期の滞在をしているうちに病死してしまうというのが発端になっています。しかし訴訟を巡る話はそれだけで、要は夫の長期不在の理由になっているだけですが、この夫を亡くした思い、さらに夫に同行していた息子花若が遁世し行方が分からなくなってしまったという、二つの離別から物狂いとなってしまう女を描いています。
離別による物狂いにはいくつかの曲がありますが、二つが重なっての物狂いというのは珍しい形。榎並左衛門が作り、世阿弥が改作したと由来のはっきりしている曲です。

さてまずは囃子無しでシテ柏崎の女が登場してきます。下掛りではまずワキが出たのちに案内を乞い、シテが登場する形だそうですが、残念ながら観ておりません。

登場したシテは、無紅唐織着流しで橋掛りから舞台へ入り、地謡前で床几にかかって目付柱の方を向く形になります。
すると笛のヒシギで次第の囃子となり、ワキの小太郎が登場してきます。白大口に掛け素袍、守り袋を首から掛け笠を被っての出ですが、黒地の素袍がなんだか福王流らしいデザインです。

次第「夢路も添いて故郷に、夢路も添いて故郷に、帰るや現なるらん」と謡って地取り。この地取りに笛のアシライが入りましたが、地取りでアシライが入るのはちょっと記憶がありません。藤田流だからなんでしょうかね。
謡い終えたワキは笠を外し、越後の国柏崎殿に仕える小太郎という者だが、主人が病で亡くなり、子息花若殿も遁世してしまったため、花若殿の文に形見の品を添えて故郷へ急ぐ旨を語ります。
続いて再び笠を被って道行きを謡い、越後に着いたと笠を外して正面を向きます。
さてこのつづきはまた明日に
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柏崎のつづき

ワキは案内を乞うたあと、一度後見座に笠を置きに行き、改めて常座に出て「あらいたわしや」と寂しげな家の様子を嘆いた後、「いかに申し候」と声をかける形になっています。(謡本では案内を乞うた後すぐに声をかけます)

ワキの声にシテは夫が戻ったかと問いますが、両手を突いたワキは、なんとお答えして良いかと返事もままならない様子です。シテは花若がどうかしたのかと問いますが、これにワキは花若殿はご遁世と答えます。
遁世したのは父が叱ったからか、と重ねて問うシテに、ワキは様々の形見の品を持ってきたと答え、この答えでシテは夫が亡くなり息子も遁世してしまったことを悟ります。このあたりのシテの語りは思いを込めたところで、最初はワキとちょうど向き合う形だったシテが、クドキ「この程は其方の風も懐かしく」からは、やや正面の方に向きをずらしてワキと対面しつつも思いに沈み込んでしまう風を見せます。

ワキはシテに寄って、形見の守り袋を渡して下居します。シテは受け取った守り袋を右手に持ち、地謡の「形見を見るからに進む涙は堰きあへず」で静かに守り袋を面に寄せて思いを込め、上げた手を下ろしてシオリます。

ワキはさらに花若の文を出し、シテに渡して下がります。
シテは文をひろげ右の端から読む形でゆっくりと面を左へと動かしながら、文を謡います。地の下歌で一度文を下ろし「子ほどの形見あるべきか」で再び文を面前に上げて思いを込め、上歌に入ると文をまとめて右手に持ちます。
「などや生きてある、母に姿を見みえんと、思ふ心のなかるらん」と地謡もテンポを速め、シテは文持つ手で強く膝を打って我が子を恨む気持ちを表します。

そして文を懐中にして立ち上がり「守らせ給へ神仏と」と合掌してたらたらと下がりシオリ。橋掛りを向いてさらにシオリして大小のアシライで中入りとなりました。
ワキもシテに従っての退場です。
さてこの続きはまた明日に
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柏崎さらにつづき

中入り後は子方とワキツレの登場になります。ワキツレとはいっても、後場はワキツレ善光寺の僧が実質的にワキの役目を果たす感じです。
囃子なく登場した二人ですが、子方は正中に進み、ワキツレが常座で名乗ります。
どこからかやってきた者と師弟の契約をし、毎日如来堂に伴っていると述べ、「まずこう渡り候へ」と子方を促して地謡座前に下居し、子方はワキ座で下居します。

一声の囃子になり、縫箔を腰巻にし薄い浅葱の水衣、肩に笹を担ったシテが登場してきます。一ノ松で立ち止まり「これなる童どもは何を笑うぞ」と詞が続きます。
「忘れ形見と思ふべき」と語った後、一セイ「子の行方をも白糸の」と謡いつつ、笹を肩から下ろして右手に持ち舞台へと進みます。地謡の「乱れ心や狂ふらん」と常座で足拍子を踏んでカケリになります。まさに狂乱の態です。

カケリでは、常座からまず角に出て角取り。ワキ座へ回ってさらに大小前に向かい、正面を向いて足拍子。正中へノリ込んで足拍子を踏み、開いて笹を肩に、再度角に出てから常座へ戻って小回りして開くという、言ってみれば舞台を一周半ほどする程度の所作。狂女物のカケリは基本的に共通の形ですが、この短い中に、狂乱の思いが象徴されます。

カケリを終えたシテはサシを謡い、続く地謡の下歌の終わりで三足ほど出、上歌は謡に合わせて舞う形になります。この上歌の部分は仕舞でも舞われますが、越後から善光寺へ向かう道筋を辿る謡で、「西に向かへば善光寺、生身の弥陀如来、我が狂乱はさて措きぬ、死して分かれし夫を導きおわしませ」と六拍子を踏んで正先へ下居し、笹を置いて合掌します。

このつづきもう一日明日に
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柏崎さらにさらにつづき

シテは笹を置いて合掌し、善光寺内陣で阿弥陀如来を拝している形です。これにワキツレが直ぐに立って声をかけ、急いで出るようにと諭しますが、シテはこの言葉に立ち上がり、「極重悪人無他方便、唯称弥陀得生極楽とこそ見えたれ」と語ります。
この言葉、おそらくは源信の往生要集の一節から持ってきたのだと思うのですが、さすがにこれにはワキツレの善光寺の僧も驚き、そのような言葉をいったい誰が教えたのかと問い質します。

シテは、教えは阿弥陀如来のご誓願であり、この善光寺の如来堂内陣こそ極楽であるのに、女人が参るなとは如来の仰せかと僧に言いつのり、南無阿弥陀仏と合掌します。さらに地謡に合わせて拍子を踏み、舞台を回って、この寺で夜念仏をしようと正中で座し、持った笹で二度ほど舞台を突いて捨てます。

後見がシテに衣を渡し、シテは「この烏帽子直垂は、別れし夫の形見なれども」と両手で衣を持ってワキツレに見せます。そして「祈らばやと思ひ候」で物着となります。
物着は正中に座したまま、物着アシライで長絹と立烏帽子を着ける形。
下掛りの本を見ると、この物着の前に子方が、よくよく物狂いを見れば我が母であると謡うように書かれています。喜多流と、金春流の本で確認しましたが、確かにこの謡があった方が話の流れとしてはわかりやすい感じになりますね。

物着の後はシテの謡。この直垂の主は弓矢、連歌など何事にも明るかったと夫自慢。酒盛りの際にも舞を見せた、と自らも謡に合わせて扇を出して「鳴るは瀧の水」と立ち上がります。クリ、サシから長い二段クセに展開していきます。この長いクセはもともと独立した謡物「善光寺の曲舞」だったと言われていますが見せ所ですね。最後は「南無帰命弥陀尊願を叶へ給へや」と合掌して終わります。
これに合わせてワキツレが立って子方を立ち上がらせます。

ロンギとなって、花若と再会が果たされ、シテは子方を橋掛りの方へ促して留。
武田さんらしい、深い思いを込めた終曲でした。
(93分:当日の上演時間を記しておきます)
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呉服 小倉健太郎(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.10.18
 シテ 小倉健太郎、ツレ 高橋憲正
  ワキ 大日向寛、アイ 石田幸雄
   大鼓 原岡一之、小鼓 古賀裕己
   太鼓 小寺真佐人、笛 小野寺竜一

クレハと読みます。「ゴフク」ではないだろうなとは思っても、それなら「クレハトリ」の方がありそうに思えます。クレハだったら呉羽の方が思い浮かびますが、この読みは謡の中にあるとおり「呉服の里(クレハのさと)」の地名に基づくようです。
呉服の里は現在の大阪府池田市にあり、呉服神社(もちろんクレハジンジャ)が鎮座しています。

日本書紀の応神天皇三十七年の記事に、機織りなどの技術者を求めて呉の国に使いを出し「呉王於是与工女兄媛、弟媛、呉織、穴織、四婦女」と四人の女性が使わされたとあります。このうちの呉織、穴織の二人が住んだ地が呉服の里で、呉服神社は応神天皇と呉織媛を祭神としているそうです。

さてこの能ですが、脇能として作られています。後場で神が来臨し国土を祝福したり、寺社の縁起を物語るという脇能の形に添って作られているのですが、そうは言っても、前場でシテツレが若い女性二人として登場し、後場のシテが中ノ舞を舞うというのは、脇能としては珍しい部類でしょうね。

舞台はまず脇能らしく、真ノ次第でワキ、ワキツレが登場してきます。いわゆる大臣ワキですので、紺系の狩衣を着けたワキ大日向さんに、赤系の狩衣のワキツレ、梅村さんと高井さんが登場してきます。脇能前場のワキの出って、なんだかすっきりした感じがして私は好きですが、大日向さんの雰囲気はこうした曲に合っているように思っています。
ワキの一行は住吉明神に参詣し、これから浦伝いに西宮に参ると言い、道行きを謡って呉服の里へとやってきます。
さてこの続きはまた明日に
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金春会を観に行く

一年ぶりで金春会を観に行きました。
高橋忍さんの井筒、金春安明さんの三井寺、そして山中一馬さんの融、これは笏ノ舞の小書きがついています。山中一馬さんは、桜間右陣さんや桜間金記さんのツレで何度か拝見したことはあるのですが、シテは初めて。大変良い印象でした。融が好きな曲だからというのもありますが、前場の謡、後場の笏を持って舞う姿、いずれも良い雰囲気です。機会あれば、また拝見したいものと思っています。

それにつけても金春の能自体は、秀麗会や轍の会、座・SQUARE公演と、今年もけっこう見たのですが、定例会はスケジュールが合いませんで、昨年10月以来。ちょうど宗家安明さんの芭蕉が出た会でした。
あのときは、見所があまり入っていなくてもったいない感じがしたのですが、本日は正面は満席。脇正面、中正面もそこそこの入りで、これまで金春会を観に行った中では、見所に活気があるほうだったように思います。とは言えいつものことながら、三曲目になるとさすがに帰る方がいて、やや空席が目立ちます。山中さん熱演でしたのに、ちょっと残念。

狂言は東次郎さんの鱸包丁。このところ万作家の鱸包丁が続きましたので、ちょっと雰囲気が違うのが面白かったかというところです。

いずれ鑑賞記を書くつもりですが、帰りに総武線に乗ると水道橋の駅で「お帰りは混雑しますので」とアナウンス。日本シリーズ第七戦でしたね。
西武が逆王手から優勝したようですが、ドームで西武優勝というのは、巨人ファンにはつらいかも・・・
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呉服のつづき

ワキの一行が着座すると、真ノ一声でシテ、ツレが登場してきます。
先にツレが出て一ノ松まで進み、シテは三ノ松まで出て二人向き合って一声の謡になります。先に出たツレは紅入唐織に金地の側次、シテは紅入唐織に朱地の側次を着けています。

この側次ですが、ソバツギと読んで、どうやら袷法被の袖を取った形のようなんですが、これを着けていると唐人服という決めのようなんですね。別に昔の中国にこんな服装があったという訳ではなかろうと思うのですが、あまり見かけない不思議な格好なので、異国の人なのかなあと思ってしまう効果を狙ったのかもしれません。

高橋憲正さん、なかなか拝見する機会がなくて残念なのですが、四月の夜討曽我のシテに続き今回のツレで、東京でのご出演はとりあえずおさえたところです。金沢まで行けばいいのですが、ちょっと遠いですね。一ノ松に立った印象は、上背もありすっとした感じです。
一方のシテ小倉健太郎さんは、小柄ですがシテらしく気力を漂わせている感じで、シテとツレの対比が面白いところ。

シテのサシになるところで、二人舞台に進み、ツレが正中、シテは常座でサシ「これは津の国呉服の里に」と謡い出します。
そして下歌、上歌と謡い、上歌の最後で立ち位置を入れ替わって、シテが正中に出てツレは目付に進み、これに合わせるようにワキも立ち上がって二人に向かいます。

ワキは二人が機織り、糸取り引きしているのを不審がり、いったいどういう方達なのかと問いかけます。この曲では機台が出される事があり、これが出るとこのワキの物言いがしっくりするのですが、今回は機台が出ませんでしたので、ちょっと妙な問いかけになってしまいます。この機台、なかなか見かける機会のないもので、たしかこの前呉服を観た際も機台は出なかったと記憶しています。
さてこのつづきはまた明日に
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呉服さらにつづき

ワキの問いかけに、シテは、応神天皇の御宇に御衣を織った、呉織、漢織という二人の者で、今また目出度い御代となったので現れ出たのだと語ります。
この「呉織、漢織」を観世流は「くれはとり、あやはとり」と清音で読みますが、同じ上掛リでも宝生流は「くれはどり、あやはどり」と濁音で謡います。私の調べた限りでは金剛流も濁音で謡うようですが、一方で金春流は観世流と同様に清音のようです。喜多流は現行曲としていません。普通、四流では上掛リと下掛リで分かれるか、そうでないときは観世・金剛と宝生・金春がそれぞれ割と似た形になるように思うのですが、この組み合わせは珍しいのではないかと思っています。

シテ、ツレの二人はこのくれはどり、あやはどりの名の謂われなどを掛け合いで謡いますが、小倉さんの格のある謡と高橋さんのサラッとした謡の対比が興をそそります。
この掛け合いの最後を地謡が受け、この謡のうちにツレは笛座前に、ワキはワキ座に着座し、シテは正先に出てワキに向いた後に常座に移ってワキを見る形になります。

さらにシテは大小前に進んで地のクリを聞く形。サシからクセへと続いていきますが、それにつけても宝生流の地謡というのは揃っているというか、メンバーがどう変わってもあまり違わない感じがするのは不思議なところで、流儀としての芸が徹底されているということなのでしょうか。

地のクリの途中でシテは正中に下居し、クセは居グセになります。とは言え、脇能だからということなのかもしれませんが、クセの謡は割とノリが良く長文でもないので聞いていて飽きません。じっと座ったシテも、気力が充実している感じで良い雰囲気です。

ロンギになり、地謡の「丑三つの時過ぎ」とシテはワキの方を向き「さらばと言ひて呉織」で立ち上がって正中から常座へ向かい、「夜長と待ち給へ」で振り返ります。これを受けてツレも立ち上がり、二人は送り笛で中入りしていきます。
このつづき、もう一日明日に
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呉服さらにさらにつづき

シテ、ツレが中入りすると、ワキがワキツレを呼び「ところの者を呼び出だいて」と命じます。これにこたえてワキツレがアイを呼び出し、出てきたアイが正中に座してワキと向かい合うことになります。

アイは神功皇后の三韓征伐から説き起こし、呉織、漢織は呉の人で人皇十六代応神天皇の御代、応神天皇三十七年に呉の国から織姫がやってきて、初めて山鳩色の御衣を織った。それは上代のことであるが、今日また目出度き御代なので、姿を現したのであろうと語ります。

アイが語りを終えて狂言座に下がると待謡。ワキとワキツレは立ち上がって向き合い、謡った後にワキはワキ座に着座し、太鼓が入って出端の囃子になります。

後シテは呉服の神ということで、緋の大口に紫の長絹、天冠を着けた天女の姿で登場してきます。囃子に乗って常座まで進み、まずサシを謡いますが、前場よりも声の調子が高くなって神の来臨を思わせます。
続く謡に常座から目付、地ノ頭から正中と回り、地謡との掛け合いから地謡の「げに織姫の翳しの袖」と答拝して中ノ舞になります。

脇能の中ノ舞なので割とノリが良く、「想いを込める」といったところがないせいか、流れるような雰囲気で、軽やかに神が舞い遊ぶといった雰囲気です。
中ノ舞を舞上げると、さらに大ノリの地謡の謡に乗って、大左右からサシ開いてワキに向かい、常座に回って左袖を返しユウケン。「宝の綾を織り立て」と招き扇し、目付へ出てから常座にと戻り、羽根扇して正先へ。さらに目付から常座に戻って「御調物供ふる」と小回りし、開いて留拍子を踏みました。
なかなか面白い一曲でした。
(84分:当日の上演時間を記しておきます)
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因幡堂 深田博治(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2008.10.18
 シテ 深田博治
  アド 岡聡史

京都市下京区松原通烏丸東入上ル因幡堂町、ここにある真言宗平等寺がこの曲名となった五条の因幡堂で、橘行平(なんだか行平といえば在原・・・と思ってしまうのですが)の邸宅跡だそうです。なんでも行平が因幡の国に代参して得た薬師如来にちなんだとか。
大変信仰を集めていたようで、鬼瓦や仏師といった曲も因幡堂が舞台になっていますよね。

さて登場したシテの男、常座で妻への不満を述べます。
というのも、朝寝坊で縫い物はせず、苧をうむ(苧:カラムシから繊維をとって織物を作るが、この苧をつむぐこと)も一さきもしない。このあたりはまだ堪忍しようもあるが、女の身であろうことか大酒を呑み、酔狂(文字通り酒に酔って取り乱すこと。こちらが原義でしょうね)をいたす次第。
なんとか離縁しようとしてきたが、なにかと口が達者で離縁を言い出すことも出来なかったと嘆きます。深田さん、例によってまじめな雰囲気で割とゆっくり目に語るので、大酒飲みの女房との生活の大変さが妙にリアルに伝わってくる感じがします。

幸い妻が親里に帰ったので、これを機会と暇状を届けさせた。
が、いざ独り身になってみると世帯のことが不自由でしょうがないので、五条の因幡堂へ妻乞いに行こうと言って、舞台を回り因幡堂へと向かいます。
どうやら当時は妻乞いにお参りするという風習もあったようですね
このつづきはまた明日に
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因幡堂のつづき

さてシテは「因幡堂に着いた」と正中へ出て、ジャガジャガと鈴を鳴らす所作をして着座し「唯今までの妻は殊の外のならず者で大酒ばかりたべて役に立ちませぬに寄って離別致してござる」と薬師如来にうったえかけ、似合わしい妻を与えて欲しいと「南無薬師瑠璃光如来」と合掌、誓願して、一晩籠もることにします。

シテが寝入ってしまうと妻が登場し、一ノ松で「のうのう腹立ちや腹立ちや」と夫が里へ帰っている間に離縁状をよこし、因幡堂へ申し妻に籠もっていると聞いての怒りを述べます。
さらに「あれへ参って致し様がござる」と言って舞台に入り、一度目付に出て眠っている男を見つけます。常座に戻って思案し自ら「お薬師様になって示現をおろそう」と再び目付に出、薬師如来であるかのように男に対して「西門の一のきざはしに立ったを汝が妻に定めい、エイ」と言って中入りします。(中入りせずに後見座へ行って座る場合もあるようです)

シテは目を覚まし、ご霊夢を蒙ったと言って西門に向かい探していると、衣を被いた女が一ノ松に立ち、男が声をかけて霊夢の人と思い込んで我が家に連れて帰ることにします。シテが橋掛りに入って女を後ろから支えるようにし、送り込みのような形で舞台へ入ってきます。
歩きながら、シテは女に以前の妻はひどかったという話を語り、我が家に着いたという設定でワキ座に二人して座します。まず祝儀の盃事をしようと女から飲ませたところ、女は盃を返そうとせず二度も三度も注がせます。シテが無理に盃を取り上げて盃事を済ませ、被きを取れというと女がいやがり、無理に取るとなんともとの妻。

妻は、夫になぜ暇状を出したと詰めより、夫が遁世して独り身になろうと暇を出したと苦し紛れの嘘を言うと、因幡堂へはなぜ籠もったとさらに詰め寄ります。
夫は妻の息災を願ったと言いますが、妻が腹を立てて夫を追い込んで留になりました。
実際にはこんなことはなかろうと思うのですが、ついつい笑ってしまいますね。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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大仏供養 東川尚史(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.10.18
 シテ 東川尚史、子方 植島幹登、母 佐野玄宜
  立衆 藪克徳 内藤飛能 金森晋 金野泰大
  ワキ 館田善博、アイ 高野和憲
   大鼓 柿原光博、小鼓 住駒俊介
   笛 藤田太郎

若手中心の曲が多い五雲会ですが、この曲は特に昨年四月初シテをされた東川尚史さんがシテということで、ツレも同年代の方が勤められ、囃子方もお若い皆さん。生きの良い舞台となりました。

この大仏供養って、観世流だと初心者用五番綴謡本の上巻に、鶴亀、橋弁慶、吉野天人そして土蜘蛛とともに収録されていて、謡曲の稽古をされた方にはおなじみの一番だろうと思うのですが、能として演じられるのはそれほどポピュラーではないように思います。
久しぶりに、大橋さんの観世流上演回数の統計を拝見したところ、大瓶猩々とならんで148位になっていました。鸚鵡小町の一つ上・・・確かにそんな感じです。

舞台は出し置きでツレの母が登場してきます。無紅唐織、まあ母ですから当然の衣装なんですが、それにしてもここまで色のない感じの装束も珍しいかと思ったくらい地味な印象です。ワキ座に座してシテの出を待つ形になります。

ヒシギから次第の囃子でシテが登場します。白大口を着け、段熨斗目に掛け素袍、笠を被ってなんとなく世を忍ぶ雰囲気です。形通り次第を謡い笠を外して詞になります。いやあお若いなあ。地謡などでも何度かお見かけしていますが、直面のシテだと若さが強調されるような感じがします。

このシテは平家の侍、悪七兵衛景清。西国で敗れ、宿願あって京に上ってきています。頼朝の南大仏供養の話を聞き、若草辺に母も居るので貴賤に紛れて会いに行こうと思う趣旨を述べます。
語り終えると再び笠を被ってサシ謡。
さてこのつづきはまた明日に
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大仏供養のつづき

シテはサシから、下歌、上歌と謡い、春日の里にやってきます。上歌の終わりで笠を取り、南若草辺に着いたので母の行方を尋ねようと語って、後見座にクツロギます。
シテがクツログと同時にツレ母の謡い出し。我が子の景清は何処に行ったのか、もう一度会わせてほしいと神仏に祈ります。

シテは立ち上がって常座に出「いかに案内申し候」と声をかけます。
この声にツレは立ち「わが子の声と聞くよりも・・・」と待ちかねた様子で謡い出しますが「景清なるかと喜べば」と言う詞に、シテが「暫く」と留めにます。
世をはばかる身であり、母はシテを邸内に招じ入れ、シテが正中に両手着いて座し、ツレはワキ座に着座します。

ツレの問いに、シテはこれまで西国方に居たが宿願あって清水に一七日籠もり、大仏供養があると聞いたのでやってきた由を語ります。
ツレはこれを喜びますが、一方、世の人が言うには景清が頼朝を狙っているというが、これは本当かと問いかけます。

シテは「思いも寄らぬこと」と、はぐらかしつつも、西海に散った一門の弔いになるならばと意味深長な言葉を返します。これにツレは老いの身を見届けてほしいと述べますが、これを受けて地謡が、西海に没した教経の供も出来ず、身を隠さねばならぬ自分の心の内も察してほしいと景清の心を謡います。

さらに上歌になりますが、この「一門の舟のうち」で始まる上歌は、お気づきの方も多いと思うのですが「景清」で謡われるのと同じもの。全く同じ謡が別な曲に入っているというのもあまり聞かないのですが、上歌の終わり「麒麟も老いぬれば駑馬におとるが如くなり」は印象的な謡です。

シテはツレを向き暇乞いをして、地謡の「柞の森の雨露の」で笠を持って立ち上がり、常座から後見座に至り、笠を被って橋掛りへと向かいます。「悲しむ母の門送り」でツレも立って見送る形。シテは一ノ松で一度振り返り、シオリつつ橋掛りを進みます。
ツレ母はワキ座でシオリ、アシライでシテは歩みを速めて幕に入り、ツレも退場します。このつづきはまた明日に
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大仏供養さらにつづき

母が幕に入ると、代わってアイが登場し常座で立ちシャベリになります。東大寺の大仏供養の由を語り、これに姿を見せる頼朝を討とうとする向きがあり、一同に油断するなと触れて退場します。

一声で白大口に掛け直垂、金烏帽子を着けた子方を先頭に、素袍上下、梨打烏帽子に白鉢巻きのワキ、白大口に法被、梨打烏帽子に白鉢巻きの立衆、都合六人が登場し、舞台中央に向き合っての謡になります。子方の「抑もこれは源家の官軍、右大将頼朝とは我がことなり」ふと学生時代の稽古を懐かしく思い出しました。
一同の「大伽藍の御供養」からの謡、最後に全員が向きを変えて、子方はワキ座で床几にかかり、ワキから、立衆が笛座前にかけてならびます。

いよいよ後シテの出、シテは白大口に茶の狩衣を肩上げにし立烏帽子。右手に箒を持って一ノ松に立ちサシを謡います。宮人に姿を変えて頼朝一行に近づく形で「官人の、姿を暫し狩衣」と謡って舞台に入ります。

シテは「人なとがめそ神だにも」と言いつつ常座へ出、地謡にあわせて箒を両手で取り、ワキ座につつっと寄って箒で掃くように回り、常座からワキ座に再度寄ると、ワキが立って「こは何者なれば御前間近く参るぞ」と咎めます。なかなか緊張感の漂うところ。

シテは常座に下がってワキに向かい場を清めの役人と騙りますが、ワキは片袖を脱ぎ、シテの浄衣の中に具足が見えたと、太刀の柄に手を掛けシテにツメ寄って正中へ出ます。
これにシテは後見座に向かい物着。狩衣、立烏帽子を取って法被姿になります。

ワキは常座で、悪七兵衛景清と見破ったことを述べ、一同にはや討ち取って参らせよと下知。子方が立ってワキが従い切戸口から退場するうちに、立衆が烏帽子を取りワキ座から四人並びます。

ここで太刀を抜いての斬組になりますが、あまり派手な立ち会いではなく、二人は直ぐに切戸口へ。続く一人も直ぐ切戸口から退場し、残る一人が「忽ち勝負を見せにけり」で飛び安座して退場。
シテは「霧立ち隠すや春日山」と橋掛りに向かい、一ノ松で飛んで三ノ松へ進み、幕前で一度太刀を担いで戻し、留拍子を踏みました。まさに若手の能という感じの一番でした。
(56分:当日の上演時間を記しておきます)
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六浦 佐野登(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.10.18
 シテ 佐野登
  ワキ 高井松男、アイ 深田博治
   大鼓 高野彰、小鼓 幸信吾
   太鼓 金春國和、笛 藤田朝太郎

六浦は、昨年11月に東京金剛会での大川隆雄さんの演能の記録を書きました。当日は研修能ということでしたので、金剛流ではこんな風にするのかという見方をしましたが、今回はこの曲のおもしろさを味わった感じがしています。
佐野登さんの演能では、昨年の五雲会での杜若の鑑賞記を書きましたが、そのときも大変良い印象でした。

ワキは高井松男さん、この日の一曲目「呉服」では大日向さんがワキを勤め、ワキツレに梅村さんと高井さんが入っていましたが、この曲では高井さんがワキを勤め、梅村さんと大日向さんがワキツレということで、役を入れ替えた形になっています。
三人の僧は次第で登場し「思ひやるさへ遙かなる」と次第を謡い出します。

型の如くワキの詞から道行、ワキの着き台詞となり、一行は称名寺の紅葉を見ます。しかし本堂の庭の楓が一葉も紅葉していないことに気付き、人が来たなら子細を尋ねようと言ってワキ座へと向かいます。
するとシテの呼掛。ワキが答えて楓の一葉も紅葉していないことを不審に思っていたのだと言ううちにシテは幕を出て「これはいにしへ鎌倉の中納言為相の卿と申しし人」と謂われを語りつつ、橋掛りを進みます。

大川さんの記録を書いたときにも触れましたが、この曲、楓が紅葉していないことにちなんで、シテは無紅唐織で出ます。この日の装束は青地と金地の段になった唐織で、大変綺麗な装束です。無紅とはいいますが、単に中年の女ということではなく、そう言う意味合いを表しているようなすてきな装束です。

シテは為相の詠んだ歌を示し、ワキ僧はこれに「朽ち残るこの一本の陰にきて袖の時雨は山に先だつ」と歌を詠みます。前回の記録で「一本の跡」ではなく「陰」と謡ったように聞こえたと書きましたが、やはり下掛り宝生では陰になっているようですね。
このつづきはまた明日に
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六浦つづき

シテ、ワキの問答から、シテは自らがこの木の精であると明かします。そして地謡の「夕の空も冷ましく」の謡で一度四、五足前に出てワキ正方から常座へ戻り、振り返ってからあらためて送り笛で中入りとなりました。

シテの中入りでアイが出て、常座で「称名寺の門前に住まいする者」と名乗ります。目付に出たアイはワキ一行を見つけ型の如く問答になります。為相と楓の話をアイが整理して退場するとワキの待謡。

待謡の最後に笛のヒシギがあって一声の囃子に。後シテの出になります。
後シテは紫の大口に薄い浅葱の長絹。面はやや歳のいった雰囲気になりますが、草木の精ということか、生々しさがありません。
常座で「あらありがたの御弔いやな」と謡い出します。ワキ僧の一行の夢に現れたということなのでしょう。夢を覚ますなと謡います。このあたりの感覚は中世の人たちのものなのでしょうけれども、夢と現実とが一体となった不思議な世界が現前に示されるような感じがします。

クリから地謡にあわせてシテはゆっくりと大小前に進み、掛け合いの謡から地謡の「千本の花に如くはなし」で扇広げてユウケンし、クセになります。舞グセで、曲舞の基本的な形をなぞりますが、「仏果を得しめ給へや」ち大小前でワキを向き、太鼓が入って、シテ「更けゆく月の夜遊をなし 地「色なき袖をや、返さまし と序ノ舞に入っていきます。

なんだか久しぶりにすてきな序ノ舞を観た感じがしています。こういう雰囲気が私は好きなのかもしれないと思った次第。
序ノ舞を舞い上げると、シテのワカ、地謡が受けて最後の部分。「明け方の空の」と目付で雲扇。「散るもみじ葉の」で常座から羽根扇と、優しい型が続きます。最後は常座で左袖を返して留め拍子。草木の精ものは、あまり好きではないと自分で思い込んでいたのですが、そんなことはないなあと思った一曲でした。
(79分:当日の上演時間を記しておきます)
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竹生嶋参 高野和憲(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2008.10.18
 シテ 高野和憲
  アド 月崎晴夫

アドの主人が長上下で登場してきます。シテ太郎冠者は常の如く狂言上下で、大小前に控えます。
主人は常座で、一人召し使っている太郎冠者が、自分に断りもなくどこかへ出かけてしまった。帰ってきたようなのだが挨拶にも来ないので、折檻を加えようと言って、太郎冠者の家に向かいます。

この始まりどこかで聞いたような、と思えば先日の富士松と同じですね。
この、一人召し使っている太郎冠者が、断りもなくどこかに出かけてしまい、これを叱りに主人が太郎冠者の私宅に趣くという形は、文蔵や二千石、富士松など、皆共通になっています。

太郎冠者の家に着いたという設定でワキ座に立った主人は、扇で顔を隠すようにして案内を乞います。太郎冠者は常座に出て、夕べ帰ってきたばかりなのに早くも誰かが尋ねてきたようだと返事をします。

ここからのやりとりは、アド「物もう」シテ「どなたでござる」と正中あたりまで出ます。アド「しさりをれ」と扇でシテ太郎冠者を指し、シテは驚いて「はあ」と常座まで下がって平伏します。
アド「俄の慇懃迷惑いたす、ちとお手をあげられい」シテ「これは何とも迷惑に存じまする」アド「おのれは此中、誰に暇を乞うて何方へいた」シテ「さればのことでござる、お暇の義を申上うと存じてはござれども、一人召し使わるる下人のことでござるによって、申上げたりともやはか下されまいと存じて、忍うで○○を致してござる(○○は曲によって竹生嶋詣や富士詣など)」
これにアドは気色ばんで「やら珍しや、一人召し使ふ下人が○○すれば、主に暇を乞はぬが法ですか」と、小刀の柄に手をかけ斬ろうとする形になります。

しかし「憎いやつの、きっと折檻を加へようと思うて、これまでは来たれども、○○したいとは××(曲によって)このたびはゆるす。そこを立て」と一転して許すことにします。これにシテは「夫れはジョウでござるか」アド「弓矢八幡助くるぞ」と確認すると
シテ「やら心易や」と両手で舞台を叩いて安心した様になります。
アドは「なんと今の間は窮屈にあったか」とシテに問い、シテは「いつものご気色とは違いまして、しはお手討ちにも合いましょうかと存じて、身の毛をつめて居りました」と返します。
若干の違いはあろうかと思いますが、和泉流だと概ね各曲ともこんな展開のようです。
このつづきはまた明日に
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竹生嶋参のつづき

さて一昨日書いたように、型どおりに太郎冠者は許されます。実は主人が竹生嶋詣の話を聞きたいからで、このあたりも富士松や文蔵など、他の曲も同じですね。

主人は竹生嶋に詣でる際に何か変わったことはなかったかと太郎冠者に問います。すると太郎冠者、雀と烏は別の鳥と思っていたのだけれど、親子だったという話をします。
主人が訳を聞くと、雀が烏の側に行って「ちち、ちちと鳴く」すると烏が「こーかー、こーかー」と鳴くのであれは親子に違いないと太郎冠者が言います。

さすがに主人もあきれて、別な話はないのかと問い直します。
そこで太郎冠者は神前の傍らに大きな芝があって、龍(たつ)、犬、猿、蛙、蛇(くちなわ)が集まっていたという話を始めます。龍が言うには、身共は所用ござるによってこのお座敷をタツです、と話します。
これを聞いて主人は龍の秀句になっていると大喜び。次の犬はどうだったかと尋ねます。
これに太郎冠者は、犬は、お座敷をいぬるです、とまた秀句で返します。
さらに猿はお座敷を去るです、蛙はお座敷をかいるですと続けます。

主人はさらに喜んで、さて次は何だったかと太郎冠者に問います。すると太郎冠者は「いやもうござらぬ」と答えますが、主人がそんなことはあるまいと思いだし、蛇(くちなわ)はなんだったかと問います」

しかし太郎冠者は、人の話を聞いてふと言ってみただけなので、くちなわの秀句に詰まってしまっています。主人に催促されて「先ずくるりくるりと輪になって」とやむなく話し出し、「鎌首もっ立てて、先ずお座敷を立です」と答えますが、これは龍の秀句だろうと主人は許してくれません。
困った太郎冠者「石蔵の中へぬらぬらです」と答え、主人が叱って留。

前段の部分は多くの曲と共通ですが、後段の秀句のばかばかしさは、他曲にない形ですね。
(17分:当日の上演時間を記しておきます)
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喜多流職分会自主公演能を観に行く

喜多の職分会自主公演は昨年の7月以来です。
今回は諸般の事情もあって早くから並ぶのも難しいかなと思い、指定席券を取っていきましたので時間ぎりぎりでも安心でしたが、見所は満席でした。

佐々木多門さんの浮舟、井上真也さんの玉之段、若手お二人の仕舞に始まり、能は梅津忠弘さんのシテで松虫。萬さん、万蔵さんの狂言で酢薑。休憩を挟んで、粟谷充雄さんの龍田。
さらに休憩があって、谷大作さんの融の仕舞、そして最後は香川靖嗣さんのシテで綾鼓という番組でした。

盛り沢山ですが、最後まで飽きずに拝見しました。中でも最後の綾鼓、いずれ鑑賞記には書きたいと思いますが、喜多流の綾鼓は昭和になってから改作されただけあって古典を基礎に置きながらよく練られた構成となっています。シテ香川さんの力量も加わり大変深い能となりました。
予想外のハプニングもいくつかありましたが、附祝言の高砂を聞きながら今日は収穫あったなと振り返った次第です。

ところで、様々な会でお見かけする若い女性の方を本日も見かけました。お友達といらっしゃっているようですが、数年前の金剛宗家の会でご一緒した際に、たまたま列に並んだ順でちょっとお話ししたことがあります。その後、国立能楽堂の会はもちろん、観世能楽堂でも関根さんの会などでお見かけしましたし、宝生能楽堂でもお見かけします。
私も割と流儀に関わりなく観ている方だとは思うのですが、本当に幅広く観ておられるようです。今日の会の印象はどうだったのでしょうね。

予定通りの五時終演でしたので、帰りも余裕を持って帰ってきました。
さて三連休もあと一日。明日は天気もさえないようなので、家でのんびりしてみますかね
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大会 小林晋也(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.10.18
 シテ 小林晋也、ツレ 當山淳司
  ワキ 安田登、アイ 竹山悠樹
   大鼓 内田輝幸、小鼓 森澤勇司
   太鼓 大川典良、笛 寺井宏明

大会・・・タイカイではなくダイエと読みます。この話、十訓抄第一「人に恵を施すこと」に古鳶を助けた僧の話があり、ほとんどそのままが能になっています。最後は十訓抄のオチの方がなんだかペーソスがあって良い感じなのですが、それはさておき・・・

舞台はまずワキの登場となります。
安田さんのワキは一年ぶりに拝見します。昨年、一昨年あたりは年に三、四番拝見していたのですが、最近ちょっとお見かけしておりませんでした。

ワキは囃子無しで登場し、静かに橋掛りを進んでワキ座で床几にかかると、直ぐにサシを謡い出します。角帽子を沙門着けにし常よりもちょっと偉そうな感じの僧。安田さんが堂々たる体躯ですから、余計そう感じるのかもしれません。
「一代の教法は、五時八教をけづり、教内教外を分かれたり。五時と云っぱ華厳阿含方等般若法華・・・」となんだか難しい内容を謡います。

ワキの謡を受けて地謡になりますが、直ぐに幕が上がってシテの出となります。
シテは直面に兜巾をつけ、白大口に水衣、篠懸をかけた山伏姿。地謡が霊鷲山の有り難さを謡ううちに橋掛りを進み、「げに類なき深山かな」という上歌の終わりいっぱいに、常座まで出てきます。
常座でシテはサシを謡い、この庵室の内へ案内申し候と案内を乞います。

これにワキが重々しく答えますが、いかなる者かとワキに問われたシテは、このあたりに住居する客僧だが、あなたに命を助けられたので礼を言いに来たと語ります。ワキは思いも寄らぬことを言うものだと驚きますが、シテは重ねて都東北院の辺りのことなので、覚えておられるだろう。その報恩に、望むことがあれば直ぐに叶えようと言います。

このつづきはまた明日に
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大会のつづき

シテ、小林さんの謡は細かく切れるようで、ちょっと不思議な感じがしますが、ああ宝生流の謡ってこんな風にできあがっているんだなと思わせるような感じ。
そう言えば今年は三月の別会で道成寺を披かれた小林さんですが、当日は残念ながら拝見できませんでした。今後ますます活躍されることと思います。五月の別会での正尊で、舞台から橋掛りへと欄干を飛び越えたのは見事でしたが、この日のシテもなかなかに力が入っています。

さて、不思議なシテの申し出に、ワキはそう言えばそんなことがあったと思い出します。(具体的に何があったかは、シテ・ワキの謡では出てきません)
そして望みは特にないが、釈尊が霊鷲山で説法した様が見たいと言い出します。

このワキの望みに、シテは容易いことと言いますが、ただし釈尊の霊鷲山説法の様は拝ませようけれども、貴いと思ってはならない・・・と妙なことを言い、続く地謡で、返す返すも貴いと思うなと言い、あの杉に立ち寄って目をふさいで待ち、仏の声が聞こえたら両眼を開いて見るようにと言い置いて、姿を消してしまいます。

シテが雲扇の型を見せ「かき消すように失せにけり」の謡で、来序の囃子に乗って退場すると、狂言来序でアイの木の葉天狗が登場してきます。
愛宕山太郎坊に仕えるという天狗は常座で立ちシャベリ。大天狗があるとき鳥に姿を変えて飛んでいるときに誤って蜘蛛の巣にかかり、子供達に捕らえられてあわや命を失おうとしたときに、とある僧に助けられた。その僧に恩返しをしようとしたところ、霊鷲山説法の様が見たいというので、これからその様を見せる旨を語って退場します。

アイが退場すると、一畳台が運び出されてきて大小前に据えられます。さらに椅子の作り物がその上に置かれますが、椅子と言っても外枠だけですので、中には鬘桶が置かれてこれに腰をかけることになります。

準備が整うといよいよ後シテの出です。
さてこのつづきはまた明日に
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大会さらにつづき

後シテは赤の半切に袷狩衣のきらびやかな装束。大会頭巾という、沙門帽子を一回り大きくしたような頭巾を被って掛絡をかけています。左手には教典を持ち、重みのある登場です。釈尊の霊鷲山説法を見せるということで、天狗が釈迦の姿になって現れてきたという設定。

頭巾に包まれた面は大べし見ですが、喜多流などでは釈迦という仏像のような面を掛けて出るようです。残念ながら喜多流の大会は機会なくて観たことがないのですが、実はこの釈迦の面の下には大べし見の面を重ねています。

甲子夜話に、将軍家宣の時に喜多七太夫が大会を舞うよう命ぜられて大べし見と釈迦の面を賜ったという話が出ているようですが、このあたりが起こりなのかもしれません。もともとは単に面を重ねたのでしょうけれども、そのうち工夫する人がいて、大べし見にぴったり合うように仏面を作ったようで、現在はこの形のもの、つまり目の位置もきちんと合う様になっているものを用いるそうです。大べし見ではなく、釈迦の面に合わせて作られた面なので釈迦下と呼ぶのだという話も聞いたことがあります。

面を重ねるという意味では、現在七面も面を重ねて出ますが、こちらは小面に般若を重ねて登場します。このブログでも、昨年観世芳伸さんが舞われた際の鑑賞記を書いていますが、こちらは目の位置も合わないので、シテはほとんど見えないままに舞うことになるようです。

さて話は戻って、後シテは立派な頭巾にきらびやかな装束で堂々と橋掛りを進み一ノ松で謡い出しますが、今回は宝生流ですので面は大べし見。最初から、釈迦の出現というには怪しさいっぱいです。
地謡とシテの掛け合いで、霊鷲山に仏が現れた様が謡われ、地謡の「釈迦如来獅子の座に」でシテは一ノ松から橋掛りを歩み始めて舞台に入り、一畳台に寄って「砂の上には竜神八部」で台に乗って床几にかかります。
さてこのつづきはまた明日に
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大会さらにさらにつづき

シテが「迦葉阿難の大声聞」と謡い、地謡が受けて釈迦の説法の様が謡われます。シテは「如来肝心の法文を説き給ふ」で教典を広げ、読む形になります。
この様子にワキは「僧正そのときたちまちに」と謡って立ち上がり、台上のシテを向いて座し「随喜の涙、目に浮かび、一心に合掌し」と合掌をしてシテの姿を拝む形になります。

しかし「俄に台嶺、ひびき振動し」と謡が調子を速め、シテは面を切って目付、幕と見て立ち上がって台を飛び降ります。目付から大小前へと足早に回って大小前で足拍子したのちイロヱとなり、ゆっくりと正先へ出て幕の方を見ると歩みを速めて舞台を回ります。
早笛の囃子になり、シテは笛座で掛絡や頭巾、狩衣を外します。頭巾の下には赤頭が包み込まれ、また狩衣の下には水衣を着けていますので、大天狗が姿を現した形です。

するとツレ帝釈天が登場し足早に橋掛りを進んできます。
地謡に乗って舞台に進んだ帝釈天とシテが争う様となり、舞働。争う形からシテは橋掛りに逃げ、帝釈天がこれを追って、シテが三ノ松、ツレが一ノ松に立ち、双方から寄って二ノ松で争ったところから、シテは舞台に戻ってワキ座へ。ツレ帝釈天も舞台に戻り、双方が見合った形から、ツレが常座で「帝釈この時いかり給ひ」と謡って最後の戦いになっていきます。

ツレがワキ座にシテに寄り笞でシテを打つ形。シテは「羽風をたてて」と大団扇で招き扇し風を立てる様を見せますが、くるくるっと回って「おそれ奉り」と下居。
「帝釈すなわち雲路を指して」とツレが幕へ退場していくと、シテは立ち上がり「岩根を伝い」の謡に、一畳台の端の方に飛び乗り飛び降りて橋掛りへと進みます。幕前まで進んで袖を被いて下居したのち、立ち上がって留拍子を踏みました。

十訓抄では、僧が霊鷲山説法の有様に感涙を流すと、大会はかき消すように失せてしまい、最前の法師が再び現れてきます。法師は、あれほど約束したのに信心を起こされたので、護法童子や天童が下って散々に責められ、自分も片方の羽根をうたれてしまった、となんだか愚痴のようなことを言って姿を消したと書かれています。この最後、ちょっと気に入っていますが、さてこれは何の教訓なんでしょうねぇ・・・
(51分:当日の上演時間を記しておきます)
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井筒 高橋忍(金春会)

金春流 国立能楽堂 2008.11.09
 シテ 高橋忍
  ワキ 殿田謙吉、アイ 山本則秀
   大鼓 高野彰、小鼓 観世新九郎
   笛 藤田朝太郎

井筒は野宮と並んで三番目ものの名曲といわれますが、曲の風合いは思いのほか違うように感じます。
一般に三番目物のうち、大小序ノ舞が舞われる曲を本三番目物と分類しますが、粟谷明生さんのブログを読むと、井筒は本三番目物ではないと書かれています。緋の大口を着けて高位之序を舞う物を本三番目物というのであって、井筒の後シテは高位之序を舞うものの縫箔腰巻で大口を着けないため本三番目物ではないという話です。
解説書などでは井筒も本三番目物としているのが普通ですので、これが喜多流だけの分類なのか、他流でもそうなのか判然としませんが、確かに野宮などとは少し違う素材なのではと思うところがあります。

室町末期頃の古い資料には、増髪の面を用いるようにとの指定がされているそうですし、女が形見の初冠と長絹を着けて舞い、その姿を井戸の水に映して懐かしむというのは、四番目物にもなりそうな展開です。

さて舞台にはまず作り物の井筒が運び出されてきます。
正先に置かれた井筒は四角い枠組みの一カ所に薄が付けられただけの物ですが、井戸の枠を表しています。井戸の地上の部分は木や石を用いて囲われているのが普通で、丸い形も四角い物もありますが、井筒というからには井桁の形、四角い物を云うのではないかと思います。

作り物が据えられると名乗り笛でワキ一所不住の僧が登場して来ます。殿田さんのワキですが、いつもよりもさらに風情のある感じです。
僧は南の霊所を廻りこれから初瀬に参ろうとするところ、その途中に在原寺にやって来ます。
さてこのつづきはまた明日に
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井筒のつづき

在原寺はかつて天理市にあったのだそうですが、明治を迎える頃に廃寺となり、その場所に現在は在原神社が建っています。(在原寺というお寺が愛知県の八橋にありますが、こちらは大和の在原寺から業平の分骨を受けたという言い伝えはあるものの別の寺。臨済宗でザイゲンジと読むそうです)

大和の在原寺までやって来たと正中へ出たワキ僧は、ここはいにしえ在原の業平と紀有常の娘夫婦が住んだ場所であると下居して偲び、数珠を出して合掌し二人を弔おうと謡ってワキ座に着座します。

すると次第の囃子でシテの里女が登場してきます。
紅白の段になった唐織を着流しに、右手に数珠、左手には木の葉と水桶を持って出、常座で次第を謡います。この後のサシ、下歌、上歌は省略されました。この日は小書きがついていませんでしたが、さてもともと金春ではサシから上歌までを省略するのか、この日の番組の都合なり、シテの考えなりで省略されたのか、その辺りは不明です。
次第を謡い終えたシテは常座に膝をついて木の葉を置き、地取りの間に合掌してから常座へと戻ります。

ワキが古塚に回向すると見えるのは一体誰かと問いかけます。
これにシテは、この辺りに住む者だが、この寺は在原の業平に縁があり、花水を手向けて跡を弔っているのだと答えます。「妾も委しくは知らず候へども」などと妙に言い訳するのも不思議な感じです。

ワキはシテに、業平にゆかりある身かと問いますが、業平は当時でさえ昔男と呼ばれた人なのに、今は遠き世となって故もゆかりもあるはずがなかろうと、シテは実に上手くはぐらかします。
そして続く地謡の上歌で、シテは舞台を一回りし、業平の昔を懐かしむ風情を見せます。
さてこのつづきはまた明日に
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井筒さらにつづき

観世流だと上歌の後に、ワキが業平の物語をさらに詳しく語るように求め、シテは正中に下居して、クリ、サシ、クセと業平の物語が続く形になりますが、この日は上歌の終わり「跡懐かしき景色かな」でシテは大小前でワキの方を向いて、二足ほど下がって下居。囃子が手を打ってクリが謡い出されると、シテは下居したまま正面に向きを変えて、謡が続く形になりました。
クリ、サシでは高安通いの話が謡われ、クセで筒井筒の話が謡われますが、居グセでシテはずっと座したまま謡だけが続きます。

この筒井筒の話は伊勢物語二十三段に出ていて、高安通いの話も井筒の子供達が長じてのこととしてこの段に書かれています。有名な段ですし、古文の教科書にもよく取り上げられる部分ですが(私も最初に読んだのは高校の教科書でした)、なかなか深そうな話です。
ただ高校生の頃から、なんでこの井筒の男と女が業平と有常の女なんでしょうねぇと、なんとなく納得いかない感じがしています・・・二十三段は「昔、ゐなかわたらひしける人のこども」で始まり、これが業平と有常の娘といわれても「はあそうですか」と腑に落ちない感じです。

それはさておきクセの後はロンギになり、シテは自ら有常の娘、井筒の女であると明かして姿を消してしまいます。(中入り)
シテが中入りするとアイが登場します。アイは和州櫟本の者と名乗り、在原寺に日参すると言って目付まで出てワキ僧を見つけます。

アイはワキの尋ねに応じて業平と有常の娘のことを語り、型通りに回向を勧めて退場します。そしてワキが進み出て待謡。
「夢待ちそへて仮枕、苔の莚に。臥しにけり」と夢を待ちつつ眠りに入ります。夢が異界との扉を開くという中世の人たちの思想なのでしょうね。シテがワキに夢を覚ますなと呼び掛ける曲もありますね。
さてこのつづきもう一日明日に
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