能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

和布刈 橋亘(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.12.20
 シテ 橋亘、ツレ 澤田宏司、天女 今井基
  ワキ 森常好、アイ 遠藤博義
   大鼓 佃良太郎、小鼓 森澤勇司
   太鼓 徳田宗久、笛 寺井宏明

新年は十二月五雲会の鑑賞記からというわけで、高橋亘さんのシテで和布刈、メカリと読みます。金春以外の四流が現行曲としている脇能ですが、珍しい曲というほどではないものの、あまり上演を見かけない気がします。私が気付かないだけかもしれませんが・・・
ワカメを刈るからメカリなんですが、これは早鞆の浦で行われる和布刈の神事をもとにしています。

この曲の舞台となる神社ですが、和布刈神事は北九州市門司区にある和布刈神社、別名「速門社」あるいは「早鞆明神」の祭事として有名で、この和布刈神社を能の舞台として紹介している例が多いようです。

和布刈神社の社伝では、仲哀天皇九年の創建とされているそうですが、神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って、この神社のある早鞆の瀬戸のワカメを神前に捧げたことにちなんで和布刈神事が行われているそうで、旧暦元日の早朝に、三人の神官が海に入り松明の灯りでワカメを刈り取る行事が行われます。

しかしワキの名乗りには「長門の国 早鞆の明神」とありますから、長門の国の神社であるべきと思い調べてみると、壇ノ浦を挟んだ対岸の、山口県下関市にある住吉神社でも旧暦元日の早朝に和布刈祭が行われていまして、どうもこちらの方が「長門の国 早鞆の明神」にしっくりくる感じがします。
創建も神功皇后の三韓征伐の際とされているようです。

さて能の方は明日につづきます
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
スポンサーサイト

和布刈のつづき

まず後見が一畳台と宮を出してきて大小前に据えます。
準備が整うと、この和布刈神事を行う神職のワキ、ワキツレが登場してきます。ワキツレは舘田善博さんと、森常太さんでした。

真ノ次第が奏されて、白大口に縷狩衣、風折烏帽子のワキと素袍上下のワキツレの出になります。
他流では登場したワキ・ワキツレは次第「今日早鞆の神祭、今日早鞆の神祭、尽きせぬ御代ぞめでたき(金剛流、喜多流は久しき)」と謡い、ワキの詞が続く形になっていますが、宝生流はこの謡を欠いているようで、ワキの常好さんだけが舞台正中に出る一方、ワキツレ二人は一ノ松と二ノ松に控え、ワキの詞を聞く形でした。

ワキは十二月大晦日の和布刈神事のあらましを語り、今年は特に奇特なことがあるので心して神事を行うと言って「有り難や、今日早鞆の神の祭」と謡い出します。この謡で橋掛りに控えていたワキツレが立ち上がって舞台に入り、三人向かい合っての上歌となります。

上歌を謡い終えると、ワキが「いよいよ信心を致し、御神事を執り行はばやと存じ候」と言い、ワキツレが「然るべう候」と受けて、一同はワキ座から地謡前にかけて着座し、シテの出を待つ形になります。
すると囃子は真ノ一声を奏し、前シテ漁翁と前ツレ海女が登場してきます。先に立ったツレは紅入唐織着流しの若い女、シテは白大口に小格子厚板、水衣という脇能前場の典型的な老翁の姿。水衣を肩上げにし、右肩には釣り竿を担って漁翁を表しています。

脇能前場らしく、二人は橋掛り一ノ松と三ノ松に立ち、一声からの謡が続きます。高橋亘さんの能は、ここ数年、毎年一、二番ほど拝見していますが、老人は初めて。これがなかなかに良い感じで、以前にも書いたかと思うのですが、宝生らしい味わいある謡が前シテの雰囲気に良く合っていた感じがしたところです。
一声、二ノ句、同吟と謡って二人は舞台に入り、ツレが大小前、シテが常座でサシ「それ秋津洲のうちに於いて」を謡い、下歌、上歌と謡って、立ち位置を替え、シテが大小前に、ツレが目付に出ます。
これにワキが「いかなる人やらん」と声を掛けます。

さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

和布刈さらにつづき

ワキの問いにツレとシテがそれぞれ、海女少女、漁翁であると答え、地の上歌の終わりでシテは大小前から正中に出て下居し、クリ、サシ、クセと、火々出見の尊と豊玉姫の物語が謡われます。

豊玉姫の物語は、古事記と日本書紀では神名を含めて若干違いがありますが、古事記をベースに簡単に述べてみます。高千穂峰に天下った天孫・邇邇芸命と木花之開耶姫の間に生まれた三人の子、火照命、火須勢理命、火遠理命のうち、長兄の火照命と、末弟の火遠理命またの名を天津日高日子穂穂手見命(火々出見の尊)の兄弟が中心人物です。

海幸、山幸の話と言えばおわかりになる方も多いと思いますが、兄の火照命は海の獲物を捕る漁夫となって海幸彦と呼ばれ、一方、弟の火遠理命は山幸彦と呼ばれ、様々な獣を捕っています。

山幸は海幸と各々の仕事を取り替えようと持ちかけ、渋る海幸を説得して仕事を代えてもらいますが、さっぱり魚が釣れないばかりか、兄から借りた大切な釣り針を海に落としてしまいます。怒った海幸は釣り針を返せと求めて許してくれません。
このため山幸は鹽椎神の勧めで海神の宮を尋ねます。ここで海神の娘の豊玉姫と見染合って結ばれ、海神になくした釣り針を探してもらったうえに、鹽盈珠、鹽乾珠の二つの宝珠まで授けられて戻ってきます。

地上の世界に戻った山幸こと火遠理命は、海神の助けと宝珠の力で兄火照命を服従させてしまいます。

さてその後、豊玉姫は懐妊し出産の時を迎えると、鵜の羽を葺草(カヤ)にして産屋を作り、夫火遠理命に見るなと告げて産屋に入ります。しかし見るなと言われれば見るのが常で、産屋を覗いてみると豊玉姫は八尋の鮫(ワニ)の姿となっています。
見られたことに気付いた豊玉姫は、産み落とした御子、鵜葺草葺不合命を残し海に帰ってしまいます。豊玉姫の妹、玉依姫が地上に残り、鵜葺草葺不合命を養育しますが、やがて叔母、甥の間柄になるこの二人が結ばれて、生まれた四人の御子の末弟が神倭伊波禮毘古命、すなわち神武天皇とされています。

この曲のクセでは豊玉姫の出産から龍宮に戻ってしまった姫の話が謡われ、人の世と龍宮との間にある境が、この早鞆の神事の時は隔て無くなるとも謡われます。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

和布刈さらにさらにつづき

クセに続くロンギでシテ、ツレは、龍宮に住む者と自らの身をあかし、海女は雲に乗り、翁は波に隠れて姿を消してしまいます。来序での中入です。先に「天津少女は雲にのれば」でツレが橋掛りへと進み、「翁は老の波に隠れ」でシテが立ってツレに続いて橋掛りを進みます。

シテが中入で姿を消すと、囃子が狂言来序に替わり、アイ海藻の精がが登場してきます。遠藤博義さんのアイですが、海藻の精を表す形か緑の縷水衣での登場です。
常座で立ちシャベリ。和布刈神事に際して、龍神、龍女が、姿を変えて現れたと前場の子細をまとめて語り、こうした目出度い出来事に添えて、自らも舞を舞おうと三段ノ舞を舞います。
舞上げるとさらに「やらやら目出度や目出度やな」と謡い舞し「また海中にぞ入りにける」と留めて退場します。

出端の囃子が奏されて、後ツレの天女が登場します。緋の大口に紫の舞衣、天冠を付けた天女の姿で現れた天女は、地謡の「かへすも立ち舞う袖かな」の謡で天女ノ舞を舞います。舞上げたツレは「さる程に」と謡い、招き扇をしてシテを待つ形。

早笛の囃子で後シテ龍神が登場します。豪放に現れたシテは、舞働を舞います。
さてこの間に後見が一畳台の真ん中に据えてあった小宮を左にずらし、先に肩上げの姿になっていたワキが、右手に松明、左手に鎌を持って「神主松明振り立てて」と謡いつつ、松明を振って一畳台に上ります。

ワキが神事の様を見せる形で舞い、シテは橋掛りへ進んで舞台をワキに明け渡すような形です。鎌で和布を刈った様を見せたワキはワキ座に下がり、シテが舞台に戻って舞い、さらに橋掛りへと進んで「龍宮に飛んでぞ入りにける」と幕前で袖被いて膝を着き、最後に立って留拍子を踏みました。ワキが所作を見せる曲は珍しいし、シテとの舞台上での動きがなかなかに面白いところでした。
なんだか脇能らしく、とても「有り難い」気持ちになりました・

さて、途中でいささか長く豊玉姫の物語を解説しましたが、この曲の他に豊玉姫の物語を取り上げている曲としては、玉井と、1991年に三百年ぶりで復曲された鵜羽ぐらいでしょうか。
玉井では、ワキ彦火々出見尊が釣り針を探しに龍宮に赴き、シテ豊玉姫と見染合う話がテーマとなっており、また鵜羽ではシテ豊玉姫が、ワキ当今に仕える臣下に鵜羽で葺いた産屋の謂われを語る展開になっています。
(87分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

鬼瓦 山本則直(五雲会)

大藏流 宝生能楽堂 2008.12.20
 シテ 山本則直
  アド 山本則秀

このブログでは、2年半程前の善竹十郎さんの鬼瓦について鑑賞記を書いています。同じ大蔵流ですし、基本的な違いはありませんが、私、この曲も割と好きな狂言ですので、曲の流れなど、また書いてみようと思っています。

さて、舞台にはまず烏帽子、素袍上下姿の大名が登場し、正中で遠国の大名と名乗ります。後から付いて出たアドの太郎冠者は後ろに控えて、着座しています。
大名は久しく続いた訴訟も叶って安堵の御教書をいただき、新知を拝領した上に暇まで貰ったと喜びを述べ、近日、本国に帰るので太郎冠者を喜ばせようと言って、太郎冠者を呼びます。

大蔵流はシテが大名で、烏帽子、素袍で登場しますが、和泉流では主とするか、役名上は大名としても、いずれも長上下が基本のようです。従って名乗りも「はるか遠国の者で御座る」となりますが、設定の違いだけで、それ以上に大きな違いはないようです。

さて太郎冠者を呼び出してワキ座に立った大名は、常座に出た太郎冠者に訴訟叶って帰国できる旨を話し、これも因幡堂の薬師如来を信仰する故だろうから、暇乞いがてら参詣しようと思う旨を語ります。
因幡堂については、10月の五雲会の際、深田さんの上演の鑑賞記で触れていますが、当時は大変信仰を集めたようです。

二人は早速参詣に向かうことにし、舞台をめぐって因幡堂へとやって来ます。
シテがワキ座、アドが常座に立って、因幡堂に着いた形。シテの大名が「汝もこれへ寄って拝め」と太郎冠者に言葉をかけ、舞台前方まで進み出た二人は、着座して扇を広げ、合掌します。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

鬼瓦のつづき

二人並んで拝礼の後、大名は国元に帰ると因幡堂に参詣できなくなってしまうので、故郷にこの御薬師を勧請しようと思う旨を述べます。
実際にも、こんな風にして地方に分社とかが広がっていったのでしょうね。

さて勧請するにあたっては、この御堂をよく見て覚えておけと太郎冠者にも言い、大名は御堂を様々に眺めます。

まずは欄間の彫り物を褒め、太郎冠者を伴って後ろ堂へ参ると舞台を廻り、後ろ堂では虹梁、蛙又、破風と、見事な建築を褒めていきます。
この褒め詞は、流儀によって異同があるようですが、なんだか立派な御堂を見ているような気がしてきますね。

大名は破風の上に、なにやら見つけて太郎冠者に問います。
和泉流では、破風を褒めた後に、つっと空に黒い物が見えるというようですが、ともかく何かに気付いて太郎冠者に問うわけです。これに太郎冠者が、あれは鬼瓦だと答え、和泉流では大名も『あれは鬼瓦』と納得する形だったと思うのですが、この日の形では、大名は鬼瓦を知らない様子で、太郎冠者に「こなたはあれをご存知ないか」と呆れられてしまいます。

しかし、大名はそんなことにはかまわず、その鬼瓦が誰かに似ていると思案しています。
そしていきなり泣き出してしまうというのがこの曲の上手くできたところ。

太郎冠者は不審に思い問いかけますが、大名は鬼瓦が国元の女共(つまり自分の妻)とそっくりだと言って泣きます。「目のくりくりとしたところ」「鼻のいかったところ」「口の耳せせまで引き裂けたところ」など、そっくりだと言いだし、この荒唐無稽さに見所も笑いが出るところです。
このたとえの部分も流儀や家によってバリエーションがあるようですが、、いずれにしても鬼瓦そっくりの妻が居たら、やはり大変でしょうね。

故郷を思い出して泣いている大名を、太郎冠者はすぐに帰れるからと慰め、二人して笑って留になります。
あり得ないばかばかしさではあるのですが、ただおかしいだけではなく、なんだか大名の心情に、優しい気持ちを感じてしまう不思議な曲です。
(14分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

春栄 藤井雅之(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.12.20
 シテ 藤井雅之、子方 波吉敏信、ツレ 山内崇生
  ワキ 宝生欣哉、アイ 山本則重
   大鼓 大倉正之助、小鼓 住駒幸英
   笛 成田寛人

和布刈に続いては春栄、これは観世流では滅多に出ない曲の一つなのですが、宝生では割と上演されているようです。上掛ということで共通点も多い両流ですが、観世流で滅多に演じられない曲が、宝生流では普通に演じられるというのも不思議な感じがします。この曲の他にも、呉服、志賀、禅師曽我などもそうですね。
さてこの春栄、子方がシテの弟という珍しい設定のためか、子方の技量が求められるところです。

まず囃子無しで子方を先頭にワキ、アイの一行が登場し、子方がワキ座へと進む一方で、ワキとアイは一度鏡板を向いてクツロギます。その後あらためてワキが常座に進み、アイが後ろに控える形で、ワキは「高橋権の頭」と名乗ります。
本来であれば名乗り笛で登場するところでしょうけれども、子方が先頭に立つため名乗り笛が吹けず、囃子無しの出となるわけです。聞いたところでは、昔は、鏡板にクツロイだ後に常座へ出るときに、名宣笛の一部を吹いたとかいう話もあるそうです。

ワキの言葉で、宇治橋の合戦に勝利した際に多数の捕虜を捕らえたが、自分も春栄という幼い人を生け捕りにした。その旨を報告したところ処刑せよと命ぜられたことが示されます。
宇治橋の合戦というと、源三位頼政が平家に敗れて近くの平等院で自害した戦いを思い浮かべますが、このあとで登場するシテが春栄を探して伊豆の国府へ向かうという設定ですので、頼政の話では辻褄が合いません。

ここは、木曾義仲と、鎌倉の頼朝に遣わされた範頼・義経とが戦った宇治川の戦いを想定しているようで、春栄は義仲方、高橋権の頭は鎌倉方の奉行ということでしょうね。

さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

春栄のつづき

ワキの名乗り後、子方がワキ座、ワキ、ワキツレがその横に並んで着座すると、次第の囃子でシテ増尾太郎種直がツレの従者を従えて登場してきます。
登場したシテ、ツレの次第謡の後、シテが武蔵の国の住人増尾太郎種直と名乗り、生け捕りになった弟の春栄を救おうと、春栄のもとに向かう旨を述べます。
シテ、ツレ同吟での道行で、二人は伊豆の国府がある三島へとやって来たと謡います。

シテはツレに命じて、囚人の奉行が高橋権の頭と聞いているので対面を求めさせ、ツレとアイとの問答があって、ワキ高橋権の頭に話が取り次がれます。
ワキは春栄の身寄りの者と聞いて、本来は許されない縁者との対面を許そうとします。権の頭が春栄のことを大変気に掛けている様子がうかがえるところです。
太刀、刀を預けてシテはワキに対面し、春栄の兄であると名乗り、春栄が処刑されるならば自分も一緒にと思い罷り出たことを語ります。

ワキは、早速春栄に兄が来たことを告げ対面させようとします。
しかし子方の春栄は、兄は宇治の合戦で深手を負い生死不明となった由、兄のはずがないと言い、物陰から見てみるようにとワキに勧められてシテを見ると、あれは家人なので追い返してくれと言いつのります。

ワキはシテに、春栄が追い返してくれと言っていることを伝えますが、シテは、家人が兄と名乗って来るなどあろうはずも無かろうと言い、春栄との対面をさらに求めます。
流儀によっては、ここは「家人が一緒に処刑されようとするなどあり得まい」とシテが言う形になっていて、この方がさらに説得力はあるようにも思いますが、ともかくシテに言われてワキは納得し、シテと春栄を対面させることにします。

ワキは子方に向かって膝をつき、やって来た者を追い返したものの、不憫なので後ろ姿をご覧になってほしいと、子方を立たせてシテの方へと送り出します。
春栄はシテのそばまで寄りますが、立ち帰ろうとするところに、シテが春栄の肩に手を置いて留めます。
春栄は、なおも兄を家人と言いつのりますが、それは兄の命を守ろうという春栄の思いやりであり、二人の掛け合いの謡で、その春栄の心持ちが示されます。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

春栄さらにつづき

シテと春栄の掛け合いの謡から、地謡が二人の心情、さらにその場の人々も感じ入った様子を謡います。
ワキも感激し、宇治橋の合戦で亡くなった自分の子と春栄が生き写しであり、春栄に自分の跡を継がせたいと語ります。しかし「や、何と申すぞ」と幕を向いて立ち、鎌倉から急の知らせがあった様子で、囚人は全て処刑せよとの命があったことを伝えます。

これにシテは、春栄の代わりに自分を処刑してくれと言いますが、それは許されないことであり、ならば春栄とともに自らも処刑に臨むとして、ツレに故郷への使いに発つよう命じます。

こうした活劇主体の曲の常として言葉でつないでいく形のため、観能記も「言った」「伝えた」ばかりになってしまいますがご容赦を。また言葉主体の曲では流儀による詞章の違いが大きくなりがちですが、この曲も昨日もちょっと触れたように各流でずいぶんと詞章が違っています。

クドキでは詞章に沿って、シテが守を懐中から出してツレに渡し、子方は文をツレに渡します。これらを預かったツレは、そのまま橋掛りを進んで幕に入ります。

クリ、サシ、クセと謡が続き、死を覚悟したシテの心中、人の生死と仏法の教えなどが謡われます。
クリ、サシからクセの前半までは、仏法を基礎に置いて、生きとし生けるものすべて生死流転を繰り返す様から、人間界に生まれれば八つの苦しみを逃れないと、無常観が謡われています。

クセは居グセですが、生きとし生けるものの輪廻の苦しみに続いて、仏法は東に伝わると言い、その東路の三島明神は本地は大通智勝仏、なにとぞ自分たちを照らし給えと謡われます。シテの上げ端「処を思ふも頼もしや」の後、「伊豆の国府、南無や三島の明神」からのところは、いわゆる蘭曲の「東国下」の最後の部分です。
このあたりの話はもう一日つづきます。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

昨日は旅行のため更新を中止しました

土、日かけての旅行ということで、ご近所の皆さんと出かけて参りました。
このため、昨日の更新はお休みです。

本日はこの後、十二月五雲会、春栄の観能記のつづきを更新する予定です

春栄さらにさらにつづき

蘭曲(現行の観世流では乱曲と表記します)は、廃曲となった能の一部などで、謡い手の技法を聞かせるように独吟の謡に仕立てたもの。観世流では乱曲の中でも特に重い習い事のある三曲として「初瀬六代」「東国下」「西国下」をかかげます。「東国下」は捕らえられた盛久が、都から伊豆に下る道々を謡ったもので、同様の部分は能「盛久」にもありますが、「東国下」では、はるかに多くの地名が謡い込まれています。

「東国下」は、現在の宝生流が蘭曲としている十五曲には含まれていませんが、大変古い時代の謡なんだそうで、世阿弥が将軍の前で謡ったという記録もあるとか。その最後の部分がこの曲のクセに取り入れられています。

クセの終わりでワキは子方を正先に下居させ、シテは目付に出て、二人並んで合掌する形になります。謡が終わると、早打が登場してきます。

ワキ方の井藤さんが早打を勤め、幕内から「静まり給へ高橋殿」と声をかけながら登場すると、ワキは太刀を抜いて、早く斬れとの使いかと身構えます。しかし橋掛りを進む早打は囚人七人の赦免の使いと語ります。ワキは早速に春栄はどうかと尋ねますが、一ノ松に立った早打が、七人のうちにあることを告げ、ワキは常座に出て早打から文を受け取って読み上げます。
文には春栄の名が三番目にあり、目出度く赦免となります。

喜んだワキは、春栄に自らの跡を継がせたいと申し出、シテが同意すると、太刀を取って子方の横に置き、高橋家に伝わる太刀を贈ろうと言って、子方に扇を広げて盃事をします。さらにシテにも酌に立ち、子方、シテと立って酌をする形で酒宴となり、喜びのうちにシテの男舞になります。
藤井さんの舞は、すっきりとした舞で、武士の舞う男性的な喜びの舞の雰囲気が良く表されていたように感じました。

終曲はシテのワカから、三島の宮を拝するシテ、子方二人して合掌し、ワキが子方を連れて先に退場するなか、シテが鎌倉に向かうと拍子を踏んで留になりました。
なかなかに面白い能だったと思います。
(78分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

玉葛 宝生和英(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.12.20
 シテ 宝生和英
  ワキ 則久英志、アイ 山本則秀
   大鼓 柿原弘和、小鼓 田邊恭資
   笛 槻宅聡

ちょっとわかりにくい能だと思います。たしかに話としては、恋の妄執に闇路を迷う玉葛(タマカズラ)の亡霊が成仏していくという、複式夢幻能らしい展開になっていますが、さてその妄執はどういうことなのか、特に語られることがありません。ただただ妄執に迷うというのみです。

玉葛は、源氏物語の中でも重要な登場人物である玉鬘その人で、第二十二帖玉鬘から第三十一帖真木柱までの十帖は玉鬘十帖と呼ばれ、玉鬘をめぐる人々の話が展開しています。
玉鬘は、なにがしの院で物の怪にあって命を落としてしまった夕顔の娘。父親は頭中将です。
夕顔が亡くなった後、乳母に連れられて九州に赴き、その地で成長しましたが、美しい姫君として育つにつれて多くの求婚者が現れ、中でも肥後の太夫の監は強引に玉鬘を求めます。これに耐えかねて、乳母は玉鬘を連れ早船を仕立てて都へと逃げてきますが、大和の長谷寺で夕顔の女房だった右近と再会します。
右近は夕顔の死後、源氏のもとに身を寄せていたことから、玉鬘は源氏に引き取られ養女となります。そして玉鬘の美しさに、当の光源氏をはじめ多くの男達が思いを寄せるのですが、玉鬘は髭黒大将を選び、やがて髭黒大将との間に子供達をもうけたことが書かれています。

たしかに玉鬘はその美しさの故に多くの男達から求婚され、九州から都に逃げる程の事態に巻き込まれているのですが、さて玉鬘自身が恋の妄執に迷ったという話は、源氏物語自体には見えません。
能の中でも妄執の子細は語られず、また原典となる源氏物語にも具体的な話が見あたらないため、この玉鬘がどんな妄執に苛まれているのか、具体的に思い浮かべることが出来ません。これがこの能を、なんとなくわかりにくくしている理由と思います。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

玉葛のつづき

さて、いささか分かりにくい感のある玉葛ですが、舞台の方は、まず名宣笛でワキ諸国一見の僧が登場してきます。この日だけなのか、宝生流はいつもそうなのか、確認できませんが、ワキツレは出さずにワキ一人だけです。

ワキは、奈良の社寺にことごとく参詣したので、これから初瀬詣に向かおうと思う旨を述べて道行を謡います。則久さんのワキですが、一人旅の僧のような、そこはかとない風情があって良い感じです。
石上寺から三輪、そして初瀬と謡込み、長谷寺へとやって来た僧は、心静かに参詣しようとワキ座に着座します。

一声の囃子が奏されて前シテの出。
縫箔腰巻に白の水衣を着け、右手に棹を持って舟を漕ぐ風情で一セイ「程もなき、舟の泊や初瀬川・・・」と謡い、サシ、下歌、上歌と一人舟を漕ぐよるべのない身を嘆きます。上歌では、なにやら思いがある風に気を込めた感じに謡いかけ、終わりの「綱手かなしき類かな」で棹を出して右手を添え、艪を漕ぐ形を見せます。

これにワキが声を掛け、いかなる人かと問いかけると、シテは初瀬寺に詣でる者だと答えます。和英さんの丁寧な謡が印象的なところ。
続く地謡で、シテは常座から目付に出て「川音聞こえて里つづき」と面を伏せて川音を聞きながら歩む形で舞台を廻ります。棹を後見に渡して中啓に持ち替え「かくて御堂に参りつつ」と正中へ座して合掌し、「補陀落山も目のあたり」とワキ共々に立って舞台を廻り、シテは常座に、ワキはワキ座に立って「二本杉に着きにけり」と鏡板の方に二本杉を見る形となります。

シテは「これこそ二本の杉にて候へ。よくよくご覧候へ」とワキを二本杉へ導いた様子です。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

玉葛さらにつづき

ワキは「二本(フタモト)の杉の立所(タチド)を尋ねずは 古川野辺に君を見ましや」と古歌をあげ、これはどういう歌かとシテに問いかけます。
シテは、玉葛の内侍がこの初瀬に詣でた際に右近が詠んだ歌であると答え、あとをよくよく弔うようにと求めます。

シテは正中に進んで下居。ワキはワキ座に下がり、クリ、サシ、クセと謡が続いて、九州から都へと戻り、初瀬で右近と出会った話が、心細い思いとともに謡われます。
クセは居グセで特段の所作はありませんが、しみじみとした思いを見せるところ。

クセのあとはロンギとなり、シテはワキに自らを弔ってくれるようにと頼み「涙の露の玉の名」と名を明かしかけて姿を消してしまいます。いささかひやっとしたところでしたが、無事に乗り越えての中入。森田流ですので送り笛はなく、シテは静かに中入となり、アイが常座に出ます。

アイ初瀬の門前の者は、常座で名乗った後に目付へ出てワキを見つけ、ワキとの問答の後に正中に着座して、玉葛の物語を居語りします。やや長い語りになりますが、山本家のアイらしい、武家風の感じを漂わせるアイです。
終わり近くから笛のアシライが入りますが、アイは語り終えると、ワキに玉葛を弔うように勧めて退場し、ワキの待謡となります。

「照らさざらめや日の光」と、ワキが謡い出し、亡き影をいざや弔おうと謡って後シテの出を待つ形です。

後シテは一声の囃子で登場し、常座に発って一セイ「恋ひわたる身はそれならで 玉葛」と謡い出します。唐織脱下げで、鬘を左に一筋、ちょうど髪をたらしたようにしています。
このつづき、もう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

玉葛さらにさらにつづき

シテは「乱るる色は恥ずかしや つくも髪」と謡ってカケリ。
舞台を一周半ほど廻る程度のものですが、妄執に惑う姿を現しているということでしょう。

カケリのあと、シテ、地謡の掛け合いから、地謡の「立つやあだなる塵の身は」と扇広げつつ常座へ戻って、正向いて「はらへどはらへど執心の」とユウケンして執心を払う気持ちを所作に表します。
地謡「ながき闇路や」と聞いて、左手に髪を取りつつ「黒髪の」と謡ったシテは、目付から大小前へと回り、「むすぼれゆく思いかな」とシオリます。
後見の中村孝太郎さんが出て左に垂らした髪を直し、「げに妄執の雲霧の」と地謡の中ノリ地となって、これに合わせてシテの舞になります。

このキリの部分は仕舞としても良く演じられるところ。最後は「心は真如の玉葛 長き夢路はさめにけり」と、シテが常座で留拍子を踏み、妄執から解放された態で終曲となりました。
きりっとした舞で美しく、とくに足許が綺麗でした。宗家の重責ってあるんだろうと思いますが、よく頑張っておられるなあと思う次第です。

さて、葛も鬘も、同義ではあるらしいのですが、とはいえ源氏物語は玉鬘と表記されるのが普通なのに、わざわざ観世以外の各流が葛の字を使っているのも、なにがしかの意味を込めたものかもしれません。
初瀬といえば、長谷寺を訪ねたのはもう三十年ほど前になってしまいましたが、奈良の町とはまた違った、深い味わいのある地であったと記憶しています。

この曲の描きたかった世界も、初瀬の土地柄と無縁ではないように思えます。
(75分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

太刀奪 山本則俊(五雲会)

大藏流 宝生能楽堂 2008.12.20
 シテ 山本則俊
  アド 山本則重 若松隆

タチバイと読みます。このブログでも以前に取り上げた、真奪と同様に、奪われた太刀を取り返そうとしてのドタバタが見せ所の曲。泥縄の言葉をそのままに、主人が羽交い締めにした男を縛ろうと、太郎冠者が慌てて縄をなったり、後半は見所も大笑いの曲。また、成上りにも、和泉流では同様の部分があり、これも以前ブログで取り上げています。

さて、舞台には長上下姿の主人役、若松さんと、シテ太郎冠者の則俊さんが登場し、主人が常座で名乗ります。北野の御手水の会に出かけよと思う旨を述べて太郎冠者を呼び出し、二人で北野天神に向かいます。

二人が舞台を廻り北野へ向かうと、アドの太刀を持った男、則重さんが登場し、一ノ松で北野の御手水の会に向かうと名乗って舞台に入ってきます。

ワキ座に立った主人がこの姿を見て、あのような太刀が欲しいものと言い出します。男は舞台を廻りますが、太郎冠者があの太刀を取って参りましょうと申し出て、丸腰だからと主人の腰の物を借りて差し、男の後を追いかけます。

『北野へやって来た』と正先に出た男は、様々な物を見物しては感心する様子を見せます。これにぴったり寄り添った太郎冠者も、男の語りを真似て一所に見物している風を表し、男が持った太刀の鞘を引きます。
何度か繰り返した末に、太刀を持ち去ろうとしますが、しっかりと太刀を持っていた男にとがめられてしまい、さらに男は太刀を抜いて太郎冠者を成敗しようと凄みます。

太郎冠者は慌てて命乞いし、主人に借りた腰の物まで取り上げられてしまいます。
男はさらに、生まれてこの方、生きた物を切ったことがないが、手から切ろうか足から切ろうかなどと太郎冠者を脅し、自分の去った方を見るな、見るなと何度も念を押しながら姿を消してしまいます。

男が立ち去ると、太郎冠者は事の子細を主人に報告しますが、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

太刀奪のつづき

主人は、自分の刀まで取られてしまったと聞いて、太郎冠者を叱りつけ、何とか取り戻すようにと命じます。若松さんは、いつもながら声が大きく迫力があるので、こういう主人役は適役ですね。

太郎冠者は、男が、自分が北野から帰る時までこのあたりにいたら承知しないと言っていたのを思い出し、帰りもこのあたりを通るはずだから待ち伏せしましょうと、主人と二人で男を待つことになります。
ここまでが太刀奪独自の部分で、このあとは真奪や成上りと同様の形になります。

二人が待ち伏せしていると、案の定、太刀を持った男が再び登場してきます。
二人は、互いに先に行けと譲り合いますが、結局は主人が男に後ろから忍び寄り、男を羽交い締めにしてしまいます。

さてここからが見せ所というわけで、主人が、男を押さえているので早く縄をかけよと命じると、太郎冠者はないかけの縄を出してきて座り込んで縄をない始めます。
主人は苛立ちますが、途中では仕方ありません。待っていると、男が力を振り絞り、主人に羽交い締めにされたままで、太郎冠者に寄り、太刀で太郎冠者を転ばします。太郎冠者は縄をなう形のまま舞台を転がるという次第。これを繰り返します。

さんざんな目に遭いつつも、太郎冠者は縄をない終えて、さてこの縄をかけようという段になります。以前ブログに取り上げた真奪や成上りと同様の展開ですが、所作などに微妙に違いがあって面白いところです。

太郎冠者はどうやって縄をかけようかと、縄を円く輪にして、ここへ首を入れよとか、足を入れよとか男に呼び掛けたりします。もちろんそんな馬鹿な話はない訳で、主人が後ろから縄をかけるように命じて、縄を持った太郎冠者が二人の後ろに回ります。

ところが太郎冠者が縄をかけ、それでは放すぞと主人が手を放すと、縄をかけられていたのは主人の方。自由になった男は逃げてしまい、主人と太郎冠者が追って留。能三番の後で、緊張がほぐれる楽しい舞台でした。
(21分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

金春会を観に行く

今年の初観能は金春会。
実は、昨年十一月の金春会で山中一馬さんの融笏ノ舞を拝見しまして、ブログに「山中さんの演能をまた観てみたいもの」と書きましたところ、一月の金春会で翁を勤められる由、ご連絡くださった方がありました。
他流の会では、一月の定例会を翁で始めるのが通例となっていることも多いようですが、金春会では逆に珍しいことと思います。そんなわけで、山中さんの翁、憲和さんの高砂、そして吉場さんの景清という、一月金春会を観に出かけたわけです。

十一月の会に比べると、今ひとつ見所の入りが少なかったような感じで、またまたもったいないなあと思いつつ開演を待ちましたが、翁はとっても良かったと思います。
山中さんも緊張はされていたのでしょうけれども、堂々とした翁でした。辻井八郎さんが勤められた時と、なんだか翁之舞の印象が違っていて、型が違うのかと思ったのですが、帰ってきて記録を探してみると同じ形。うーん、どちらが良いとか悪いとかいう意味ではないのですが、なんだか印象が違うのはやはり個性の違いということでしょうかね。

また、善竹十郎さんの三番三が何ともいえず感動的でして、お若い方の三番叟も良いのですが、いつぞやの東次郎さんといい、今日の十郎さんといい、なんだか深い。揉之段はまるで悪鬼を払うような呪術的な力強さがあって、思わずジーンとしてしまったところです。

きちんと翁付の形で、高砂から末広かりまで演じられて3時間強。翁の後、休憩が入って別途に次の能が演じられる形も少なくない昨今ですが、やっぱり翁付の形の方が良いですね。末広かりも3年ぶりくらいですが、三番三を舞われた十郎さんがシテ果報者で、これまたなかなかに良い印象で、目出度い気持ちになりました。
せっかくの翁付なら、いっそ高砂のシテも山中さんがなさる形だと、もっと良かったかもなあ・・・と勝手な想いに浸っています。(粟谷明生さんが、たしかご自身のブログで、翁から脇能のシテまでを演じて初めて見えてくるものがあると、意味深いことを書いておられました)

景清は、大好きな能とおっしゃる方がけっこういらっしゃいますね。吉場さんの景清、まさに熱演でした。印象深い能でしたが、翁からのこの一日の鑑賞記、二月初旬頃になるかと想いますが、いずれまた・・・
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

乱 小倉伸二郎(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2008.12.20
 シテ 小倉伸二郎
  ワキ 野口敦弘
   大鼓 亀井広忠、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 金春國和、笛 藤田次郎

毎年十二月の五雲会は最後を乱で締める形で、一昨年の暮れは水上優さんの乱を拝見しました。春の別会で道成寺を披いた翌年は、十二月五雲会で乱を勤めるというのが、このところの宝生会のお決まりのようで、今年も昨年道成寺を披いた小倉伸二郎さんが乱を舞われました。
例年は、この五雲会のあとに、その年最後の公式公演になる宝生夜能があるのですが、平成20年は十二月の夜能が3日に上演されたため、この日の乱が一年最後の曲になりました。

曲自体は取り立てて難しい話でもなし、酔っ払いの妖怪が現れ出でて目出度く舞うというだけのものですが、不思議と目出度い気持ちになります。

乱ということで囃子方、地謡、皆さん裃での登場。一同が座につくとワキの登場になります。キンキラの装束を着けた野口さんがゆっくり橋掛りを進んで正中へと出ます。以前書いたとおり、小書き無しの猩々では常座での名乗りのはずですが、乱なのでワキは正中へ出る形。
霊夢に従って酒を売っていたところ、自身、しだいに富貴の身になったと、ユウケンをして語ります。このワキの装束も、酒売りから富貴の身となったことを表しているのでしょうね。

気を変えて、ワキが語りを続け、市毎にやって来て酒を求めて飲む者がいて、いくら飲んでも面色も変わらないので、不思議に思い尋ねると、海中に住む猩々と名乗っていったので、今日はその猩々を待っていると語って、待謡になります。

この待謡もなんだか浮き立つような感じがして好きな部分ですが、ワキが謡い終えると下端(サガリハ)の囃子、いよいよシテの登場となります。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

乱のつづき

下端は精霊などの出に用いられる登場楽で、まさに猩々が出るにふさわしい不思議な感じと、陽気な雰囲気を持っています。

シテは幕内で扇を広げます。通常、登場するシテは扇を閉じて出て、橋掛りなり、舞台上なりで扇を広げますが、乱では幕内で扇を広げ、そのまま舞台へと出てきます。この日は私好みの正面左寄りの席でしたので、幕内の様子が見え、扇を広げるところも拝見しました。

このブログでは、五雲会での水上さんの乱と、喜多流自主公演の際の長島さんの置壺を取り上げていますが、長島さんの時に扇を広げず登場した話を書いています。

さて、下端で登場したシテは「老いせぬや」の地謡で舞い始めます。この地謡のリズムは渡り拍子といわれる独特なものですが、良い雰囲気です。

「御酒と聞く」とシテの上扇。地謡の「秋風の」に続けて、シテ「吹けども吹けども」と招き扇。綺麗な型です。「月星は隈もなき」と前髪を取る型から、舞台を廻り、猩々舞を舞おうよ、と開いて「波の鼓どうと打ち」と両手を打ち合わせる型を見せます。

「声澄み渡る浦風の 「秋の調べや残るらん と謡が続いて乱。まずは中ノ舞の形から入ります。初段の上扇あたりから囃子の調子が変わって乱になりますが、伸二郎さんの舞、上手いなあとしみじみ思った次第。

健太郎さんの乱も拝見していますが、ご兄弟ともに将来の宝生流を支える演者となって行かれるんでしょうねぇ。一度だけちょっとバランスを崩しそうになったところがありましたが、全体として力強く、それでいて楽しげな舞で、満足できる舞台でした。

キリも気持ち良く舞がつづき、なんとも厳しい経済状況だった平成二十年の最後を、軽やかに目出度く締めた感じでした。今後の一層のご活躍を期待しています。
(30分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

清経 恋之音取 小早川修(代々木果迢会別会)

観世流 国立能楽堂 2008.12.21
 シテ 小早川修 ツレ 武田友志
  ワキ 野口敦弘
   大鼓 國川純、小鼓 曽和正博
   笛 一噌仙幸

清経の音取(ネトリ)です。シテ清経の亡霊が笛の音だけで登場するという趣ある形。
清経はもともと音取が本来の形で、地謡のうちに登場する現在の通常の形は略式だったのではないかという話があります。

確かに音取の形は各流にあって、観世流は今回の通り恋之音取、金春流も恋ノ音取。宝生流と喜多流は単に音取。金剛流では披講之出端というらしいのですが、いずれも笛の音によってシテが登場するという形を持っているようです。

清経の音取といえば、2007年の6月に二日にわたる「日経能楽鑑賞会」で、浅見真州さんと友枝昭世さんが音取の小書付で清経を演じて話題になりました。
私は残念ながら観に行くことができませんでしたが、第一日目の浅見さんは袷法被肩上げで、二日目の友枝さんは長絹を肩脱ぎにして出られたようで、それぞれに主張するところも違い、二日続けてご覧になった方はきっといろんなことを感じられただろうなあと想像しています。

さて今回の清経ですが、重い小書がついてのためか囃子方、地謡、裃での登場で一同が座に着くと、まずは型通り、ツレ清経の妻が出し置きの形で登場してきます。出し置きが演技の内か外か、取り方によって意見はあろうかとも思いますが、ツレ友志さんの運びはなかなかに良い感じでした。

ツレが着座すると囃子方が次第を奏してワキ淡津の三郎の登場となります。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

清経のつづき

ワキは次第の囃子で登場し、常座で次第謡。白大口に掛素袍、笠を被っていますが、素袍の茶の地が人目を忍んでの旅の様子を強調しているように思えます。

地取りで笠を外し正面に向き直ったワキは、左中将清経に仕える淡津の三郎と名乗り、西国落ちに付き従っていたものの、清経が入水してしまったことを知らせに都へ上ってきたと語ります。笠を被って道行の謡で、秋暮れて都に忍びつつ戻る身の上を謡い、後見座に笠を置いて案内を乞います。

ツレに招じ入れられる形で正中に進み出たワキは、「面目もなき」使いであると言い、ツレはさては遁世かと尋ねます。
しかし清経は戦死でも遁世でもなく、先々を儚んでか、豊前柳ヶ浦の沖で船から身を投げてしまったわけです。ツレは、再会を約した清経が自ら命を絶ったことに、悲嘆と恨みの気持ちを見せますが、清経と妻の思いの深さを示す大事なところです。

ワキが清経の遺髪をツレに渡しますが、ツレは「見る度に心尽しの髪なれば、うさにぞかへす」とワキに遺髪を返す所作を見せます。今では「真心を込めた」の意味で用いられる「心尽くし」ですが、謡曲に出てくる意味では「あれこれ考えさせる・・・心を尽くさせる」の意味の方が普通ですね。地謡が続けて夢になりとも姿を見せて欲しいと泣きながら床に伏すと謡い、ワキは静かに切戸口から退場します。

常の形では、この地謡のうちにシテが登場し、地謡が終わると「聖人に夢なし 誰あつて現と見る」というサシを謡い出しますが、音取の小書きでは地謡の終わりに笛が吹き出し、この笛にひかれるようにシテが登場してきます。

地謡の途中、「寝られぬにかたぶくる」あたりでこの日の笛方、一噌仙幸さんが笛座から前に出て、幕の方に向いて笛を構えました。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

清経さらにつづき

「枕や恋を知らすらむ」と地取りのように低く地謡が繰り返し、笛の吹き出しになります。まずは半幕でしばしシテの姿を見せてからゆっくり幕が下ろされ、再び幕が上がって笛に引かれるように、法被肩上げ、半切に梨打烏帽子姿のシテが橋掛りに姿を現します。

一噌仙幸さんの笛はまさに霊魂を引き寄せるように、静かに深く音が流れて、能楽堂全体に広がっていくようです。仙幸さんが、昨年春には日本芸術院賞・恩賜賞を受賞され、さらに秋には紫綬褒章を受章されたのは記憶に新しいところですが、正直のところ、これまでは、上手とは思うものの、ここまで深い味わいとは感じずに来てしまいました。
この日の音取は能管の奥の深さをしみじみと思い知らされたようで、粟谷明生さんがいつぞやブログに書かれていたように、人間国宝としても・・・と思わせる笛でした。

笛は一定の譜を吹くとしばしの間があり、また吹き出すというように断続的に吹かれます。笛の音に引かれるように橋掛りに姿を現したシテは、笛が止まると歩みを留めて佇みます。再び吹き出された笛に二ノ松まで出て佇み、笛も吹き止めます。

暫しの間の後に吹き出された笛で、今度は一ノ松まで進み、笛が止まるとやや面を伏せて佇み、片シオリの涙を見せる型。このシオリの手を上げる途中から笛が吹き出されて、二度目のシオリの手を上げたところで吹き止め。しばし置いて、さらに笛が吹き出されるとシテは常のような歩みで舞台に入って常座に立ち、音取の笛が終わりました。
見所全体がしんと静まりかえって、笛とシテに神経を集中した時間です。

この音取の出は、笛が断続的なゆえに、この日のように吹いているときに進んで笛がやむと止まる出方、逆に笛の間は立ち止まっていて笛がやむと進む出方、さらに一度歩み始めると途中では止まらない出方と、いくつかの出方が考えられます。笛にひかれるのか、その笛に聞き入るのか、演出上の考え方ということになりそうです。

常座に立ったシテは、サシの終わりの部分「仮寝(ウタタネ)に恋しき人を見てしより 夢てふものは たのみ初めてき」を謡います。
さてこのつづきは、また明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

清経さらにさらにつづき

サシ謡は観世流や宝生流ではツヨ吟で謡い出し、このうたた寝のところからヨワ吟になりますが、残した妻への思いを謡う部分で、前の部分を省くことでより恋の思いが深く示される感じです。

ツレは登場したシテに、夢になりとも清経の姿を見るのは有り難いことだが、とは言え自ら身を投げて命を絶ったことに恨みを述べます。

これにシテは、自分の形見である遺髪を妻が返したことに恨みを述べる形になりますが、この部分の謡のやりとりは、シテ・ツレそれぞれに想いを込めた風で聴き応えがあります。さらに地謡がこの掛け合いを引き取って、二人の思いを深く謡います。

さて地謡の後、シテは「古の事ども語って聞かせ申し候べし」と、自らの死の有様を語って妻に恨みを晴らすように言い、床几にかかって西国落ちの様を謡い出します。

ただし、九州山鹿の城に居たと始まるシテの語りの部分が省略され、地謡が受けて「そもそも宇佐八幡に参籠し」と宇佐八幡に参詣する部分に繋がります。

地謡に続いてシテの謡で「世の中の うさには神もなきものを なに祈るらん心づくしに」と宇佐八幡のご託宣が謡われます。
この部分、下掛り各流の形を見るとワキが謡うことになっています。観世、宝生では一昨日書きましたように、シテの出の際にワキは切戸口から退出してしまいますが、下掛りではそのまま舞台に残り、ここで宇佐八幡の神託を謡う形になっています。
このためか、上掛にはないシテの謡「かように聞こえしかば新中納言とりあえず」が入って、地謡「さりともと思ふこころも虫の音も」に続いていきます。

シテは宇佐八幡の神託に落胆した様を謡い、「足弱車のすごすごと」と床几から立ち上がり、二三足出てからタラタラと下がって大小前に下居両手着いた後、クセの謡になります。
このつづきもう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

清経もう一日のつづき

清経のクセは仕舞でもよく取り上げられるため、学生の頃は何度か地謡もさせて頂きましたが、よくできた謡と思います。

クセのはじめ「かかりける所に」で立ったシテは、正中へ出て舞台を廻り、常座から「うつる夢こそ誠なれ」で橋掛りへと進みます。「保元の春」と一ノ松に佇んだ後、歩みを進めて幕前に立ち「一葉の船なれや」と幕前で足拍子を踏みます。「追手がほなる跡の波」とゆっくり二ノ松へと戻り、「源氏の旗をなびかす多勢かと肝を消す」と振り返ります。
再び橋掛りを進んで舞台に入り、常座でシテの上端となります。この「あぢきなや とても消ゆべき露の身を」からは舞の型も見せ場が多く、「腰より横笛抜き出し」と扇を笛の形に取り暫し笛を吹く型を見せたりします。笛のアシライが見事に入って、まさにシテが笛を吹き鳴らす風です。

さらに「西に傾く月を見れば」と幕の方に雲扇して、いよいよ時至った風となり、「南無阿弥陀仏弥陀如来」と下居して合掌し「迎えさせ給へ」と立って目付へ出、「舟よりかっぱと」と足拍子踏んでタラタラと下がり常座で安座して入水した形になります。
クセの型も小書のため、変化していますね。

この仕方話に、常の形ではツレが「聞くに心もくれはとり」謡い出し、思いが募る様を見せますが、この小書では、ツレとのやり取りは省略されて、安座したシテが「さて修羅道にをちこちの」と謡い出します。

シテは立ち上がって舞い、太刀も抜いて修羅道の様を謡に合わせて見せますが「真は最期の十念乱れぬ御法の船に」と、舞台から橋掛りへするすると進み「げにも心は清経が、仏果を得しこそありがたけれ」と幕前で合掌してそのまま幕に入ってしまいます。

地謡も最後を緩めずにそのまま謡いきり、最後は囃子の残り留め。シテの去った舞台に囃子だけが残る形で、大変趣きある舞台でした。

小早川さんのシテを拝見したのは四年程前の小塩以来ですが、そのときは何か気になる点があったようであまり良い印象ではなかったように記憶しています。しかし今回の清経は大変良い舞台だったと思っています。
(72分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

福の神 山本東次郎(代々木果迢会別会)

大藏流 国立能楽堂 2008.12.21
 シテ 山本東次郎
  アド 山本泰太郎、山本則孝

平成20年最後の狂言鑑賞は、東次郎さんの福の神。年末年始には良く上演される曲なので、鑑賞記にも何度か登場・・・と思って調べてみたら、このブログではまだ取り上げていませんでした。ということはもう三年くらい見ていなかったということですね。我ながらちょっとビックリ。

いわゆる太郎冠者もののように、大笑いする狂言ではありませんが、年末年始にふさわしいお目出度い狂言です。
まず登場するのは一人の男、大晦日を迎えて、毎年のように福の神の御前(オマエ)で年を取ろうと連れだって出かけることにし、毎年同道する人の家に誘いに寄ることにします。アドの泰太郎さん、常座で語った後に舞台を廻り、則孝さんが待つ笛座あたりに寄って声をかけます。

さて二人して、福の神の社にやって来た風にて舞台を廻り、正先近くに二人並び、着座して社を拝します。道々、こうして毎年参詣しているうちに、だんだん富貴になってくるようだと先の男が言い、たしかに段々たのしうなるようだと後の男も相づちを打ちます。
たしか和泉流では、毎年の例で出雲の大社に参るとしていて、相変わらず息災で年籠もりするのは目出度い、といったやり取りだったと思います。富貴になるという話はなかったと記憶していますが、微妙に違いがありますね。

さて二人並んでの拝礼の後、先の男、泰太郎さんが、そろそろ豆をはやす時分だが、豆の用意はあるかと問いかけます。年取りで豆をまくという次第ですが、則孝さんの方は用意がないと答え、それならば私に用意があるので豆をはやそうと先の男が言って、豆まきをすることになります。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

福の神のつづき

この狂言、以前から今ひとつ釈然としないのが、この豆まき。大晦日の年取りで豆をまくというのですが、節分ではないのか、となんだかしっくりしない感じです。

そもそも豆まきという行事自体は、中国から伝来した追儺の行事がもとで、当初は宮中で大晦日に行われていたそうですから、大晦日の豆まきというのも別に変な話ではないようです。ところで、旧暦の大晦日は1月から2月頃で月の満ち欠けによって毎年動きますが、太陽の動きをもとにして毎年2月3日頃となる節分と、重なる時もあれば、前に来る時もあり、また後になることもありというところで、豆まきはやがて節分の方に移っていったのかもしれません。立春で一つ年を取るという考え方もあるようですし、微妙なところですね。

さてともかく、二人の男が豆をまくことになりますが、福は内、鬼は外と声をかけて豆をまく所作を見せます。大藏流では「福は内へ」と「へ」をつけて声をかけるのが基本のようで、ところどころ「へ」をつけない形ですが、和泉流では「へ」をつけないのが基本のようですね。

二人が豆をはやしていると、幕内から笑い声が聞こえてきます。
面を着けた福の神の登場で、二人は後見座あたりまで迎えに行く形になります。

二人は福の神に床几を勧め、着座して控えると、福の神が例年は御酒をくれるが、なぜに今年はくれないのかと催促します。
両人早速に御酒を差し上げますが、福の神はまずは松の尾の大明神に酒を捧げ、その余りをいただこうと杯を干します。男が、なぜに松尾明神に捧げるのかと問うと、福の神は松尾明神が神々の酒奉行だからと言い、二人に「楽しうなるには元手がいる」と教えます。
元手がないからこうして参詣しているという両人に、福の神は元手とは心の持ちようのことと諭し、謡い舞いで心得を教えます。ここは地謡が出て謡いましたが、朝起きをし、慈悲を持ち、夫婦中では腹を立てず、福の神にお供え、御酒を上げれば、必ずやたのしくなろうという教訓。現代にも通じそうですね。最後は笑って留になります。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

巻絹 諸神楽 浅見真州(代々木果迢会別会)

観世流 国立能楽堂 2008.12.21
 シテ 浅見真州 ツレ 武田文志
  ワキ 高井松男、アイ 山本泰太郎
   大鼓 佃良勝、小鼓 幸正昭
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌庸二

Santalさんのブログに、神楽を舞う曲は思いの外に少ないという話があり、確かに数え上げてみると本当に少ないことに気付きました。
そんな中の一曲。巻絹という曲自体は、以前、関根祥人さんの神楽留の際の鑑賞記にも書きましたが、特段の深い話という訳でもなく、むしろシテの舞を見せるのが目的かと思うような曲ですが、ちょっと事情もあって私は大変好きな曲の一つです。

今回は諸神楽の小書がついているのですが、神楽留とよく似た小書きで、装束なども共通点が多いものです。とは言え五段の神楽は見応えありました。

さて舞台はまずワキの登場。名宣笛で、アイの太刀持ちを伴い登場したワキは、勅命により千疋の巻絹を三熊野に奉納する旨を述べ、到着が遅れている者がいるので着き次第報告するようにとアイに告げてワキ座に着し、アイは笛座前に着座します。

次第の囃子になり、白大口に掛素袍、右肩に巻絹を挟んだ竹を担ったツレが登場します。常座に出て次第謡。型通りに鏡板を向いて次第を謡い、地取りで正面に向き直ってサシ。さらに下歌、上歌と謡い、都からはるばる山々を越えてやって来る様を示します。
三熊野に着いたので、先ずは音無の天神に参詣しますが、冬梅が匂うと、右に流して梅の香に心を奪われる形。さらに目付に出て下居し、合掌して心中の願を叶えて欲しいと祈ります。

地謡で立って常座に戻り、都より巻絹を持ってきたと案内を乞います。
このつづきはまた明日に。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

巻絹のつづき

ツレは巻絹を献上しますが、ワキは遅参を責めてアイにツレを縛り上げさせてしまいます。地謡とかぶる形で、ワキとアイの問答があり、アイが正中に座したツレに縄を掛けます。地謡の一句「その身の科は逃れじと」の後の打切で、ワキとアイの問答が入りますが、ここで同時に幕が上がり、シテの出が待たれる形。
ここまでは小書なしの巻絹と特に変わるところはありません。

さて、ツレに縄を掛けたアイが、地謡の終わり「罪の報いを知らせけり」で「餓鬼め」と声をかけると、すぐにシテの呼び掛けになり、幕内から「なうなう」と声をかけた後、「その下人をば何とて縛め給ふぞ」と言いながら、シテがすすっと幕前に進み出ます。

装束は緋の大口を着けていますから、小書無しの巻絹とぱっと見の印象はあまり変わりませんが、水衣ではなく長絹のようで、鬘も三輪の白式神神楽同様に黒髪を後ろで束ねた形。手には幣ではなく梅の枝を持っているなど、古式な風を感じさせます。
神楽留でも梅の枝を持ちますが、こちらは大口をつけずに腰巻の形なので、見た印象はずいぶん違います。

シテは、縛られている男が音無の天神に参詣し歌を手向けた者であると言いつつ橋掛りを進み「人倫心なし」との謡までに一ノ松まで出て正面を向き、縄を解くようにと求めます。
さらに地謡で舞台に入り、ツレを後ろから見込む形になりますが、「何とか結びし 情けなや」と下がりつつシオリ、常座に立ちます。

シテは音無天神の巫女ということなのでしょうが、不思議の神通力を持っているようで、男が心中に手向けた歌を知っているという設定です。シテ、ワキの問答から、ツレが上の句を詠み、これにシテが直ちに下の句を付け、地謡がこれを受けて、神通力によって心中の歌が明らかになったのだから「とくとく免し給えや」と謡うなか、目付に出てワキ、ツレと見込み、常座に一度戻った後、ツレに寄って縄を解いてしまいます。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

巻絹さらにつづき

さてワキもこの様子に納得せざるを得なくなります。
この後、和歌の徳を巡って、クリ・サシ・クセとシテの謡、舞が進んでいくことになります。

クセの上端で常の型通り上扇、大左右、さらに正先へ打ち込んで開きますが、「文殊の御顔を拝むなり」と下居して、枝を置いて合掌。「和歌の徳にあらずや」と再び枝を持って立ち上がり、「神のしめゆふ」と足拍子して、「風の解けとぞ思はるる」とワキを見込みます。

ワキはシテに祝詞を捧げるように勧め、シテは枝を両手で取って正中に下居します。
「謹上再拝」と謡い、囃子がノットを打ち出すと枝を振ります。さらに枝を左手に持って膝に立て、「そもそも当山は法性国の巽・・・」と謡います。
「華蔵世界 熊野は胎蔵界」と枝を右手にとって立ち上がり、常座に立って、地謡の「密厳浄土有り難や」の謡で答拝して神楽となりました。

常の神楽は狭義の神楽の部分を舞った後、直りとして御幣を扇に持ち替え神舞の型を舞います。これを諸神楽の小書のため五段の神楽で舞う形。これが実に良い。三段、四段と徐々に早くなり、五段に向けて盛り上がっていきます。融の十三段でも真州さんの舞に魅了されましたが、この神楽も見事でした。

神楽の後を地謡が受け、「証誠殿は、阿弥陀如来」とシテの謡からキリに入ります。
「御幣も乱れて 空に飛ぶ鳥の」と正先で枝を上げ、「翔り翔りて」と下居した後は、立ち上がって橋掛りに進み、「これまでなりや」と橋掛りに入るところで後ろに枝を捨てて「神は上がらせ給ふと言い捨つる」と二ノ松で膝をつきます。「声のうちより狂い覚めて」と立って、そのまま幕に入り、謡、囃子が残る形。

橋掛りを使うのは神楽留も似ていますが、最後の処理がまた違います。すぅっと姿を消していくシテに、名残惜しさを感じつつ終曲となるこの形も実に味わい深いものがありました。(祥人さんの神楽留についての鑑賞記と比較していただけると、型の違いがおわかりいただけると思います)
(69分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

 | HOME |  次のページ»

カレンダー

« | 2009-01 | »
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。