能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

望月のつづき

シテは「近江の国 守山の宿、甲屋の亭主である」と名乗りますが「さる子細あって」というだけで、子細を語らずに、地謡前に座してツレ・子方の出を待ちます。

18年11月に金剛流工藤寛さんの望月を観た際の鑑賞記にも書きましたが、観世流以外の各流では、この名乗りの中で、シテは自ら信濃の国の住人、安田友春に仕えていた小沢刑部友房であると語り、たまたま都に出ていた折に、友春が従兄弟の望月に討たれてしまい、本国へ帰ることも出来ず、近江の国守山宿で宿の亭主となった旨を語ります。

観世流はいつかの時点で詞章や演出を直したらしく、名乗りでは詳しいことを明かさず、次第の囃子でツレ(友治の妻)と子方(友治の遺児 花若)の登場となります。

子方を先に立たせて登場したツレは、一ノ松と二ノ松で向かい合って次第を謡い、地取りで正面を向いてサシ。故郷の信濃の国を離れた身の上を謡い、さらに二人同吟で守山の宿に着いたと謡って、ツレの詞。宿を借りようと思う旨を述べて、子方、ツレの立ち位置を入れ替わり、舞台に入り常座から案内を乞います。

シテが立ってツレに向かい合います。
シテは二人を招じ入れますが、地謡前にツレ、子方が下居する一方で、シテは一ノ松へ出て、独り言の風で、二人が『亡き主君の北の方と、遺児花若』と述べ、名乗って二人を力づけようと、小沢の刑部友房であることを伝えます。
たまたま宿屋の主人になっていると、そこへ亡くなった主君の妻子が泊まるというのも、随分上手くできた話ではあります。

ツレは古くからの家臣との再会に、涙にむせぶとシオリ、子方は父に会いたる心地と、立ってシテに寄って膝をつき、「主従手に手を取り交わし」と謡う子方と、シテは向かい合います。
地謡で、子方が立って笛座前に戻り、シテは両人に部屋に入って休むようにと言い、一同が立って、ツレと子方は笛座の横を抜けて、鏡板の前に向き合ってクツログ形。一方、シテは後見座にクツロイで、ワキの出となります。
このつづきはまた明日に
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望月さらにつづき

ワキ望月とアイの従者が次第の囃子で登場します。
先に出たワキは白大口に掛素袍、笠を被り一ノ松へ、続いた太刀持ちのアイが二ノ松に立って向かい合い、次第の謡。地取りの後、ワキは安田友治と争ったため取り上げられた領地を、ようやく本領安堵してもらい故郷に帰る途中で、守山の宿にやって来たと語ります。

ワキはアイに宿を取るように命じますが、ワキからは子細あって自分の名を明かすなと念を押されます。ワキ、アイが入れ代わってワキが二ノ松に下がり、アイは一ノ松であらためて望月の本領安堵を目出度いことと語ってから舞台に入り、良さそうな宿ということで兜屋に決め、亭主に案内を乞います。
しかしアイはシテに主人の名を聞かれて「望月の秋長」と言ってしまい、あわてて「・・・では御座ないぞ」と打ち消します。

シテがいったん後見座にクツログ間に、ワキとアイが舞台に入り、ワキ座に着座します。するとシテが立って橋掛りを幕前まで進み、「言語道断のこと・・・」と驚きます。亡き主人の妻子に加え、敵までもが同じ日に泊まりに来るという偶然。さっそく主人の妻子に報告におもむきます。

この独白の間に、鏡板の前にクツロイでいたツレと子方が立って、後見座側から一ノ松に出ます。この二人の姿を認め、シテは望月がやってきたことを告げることになります。

金剛の工藤さんの時は、先に登場してきていたツレと子方は地謡前に座しています。一方でワキとアイはシテに案内される形でワキ座に座します。つまりワキ、アイ、ツレ、子方の順に並んだ形になるわけですが、あくまでもワキ一行と、ツレ・子方は別の部屋に通されているという設定です。鏡板にクツログのは、このあたりを気にして直した形かも知れませんね。

シテの話に子方が勢い込んで、望月がやって来たのかと問い返しますが、シテはこれを静め、謀って、ツレが盲御前に扮して望月に近づくことにします。
ここでツレ、子方は後見座での物着になり、シテは狂言座あたりに寄って下居して待つ形になります。ツレは浅葱の水衣を着け、手に杖を持って盲御前の形。子方は鞨鼓をつけ一ノ松へ出ます。
さてこのつづきはまた明日に
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望月さらにさらにつづき

三人は望月の部屋を訪ね、酒を供し、盲御前の謡を聞かせることにします。ツレは曾我物語の一節を謡おうとしますが、まさに敵討ちの話であり、差し障りがあるとアイは止めようとします。しかしワキがこれを許して謡が始まります。
この謡で、弟の箱王が、本尊の不動を工藤と聞き違え、仏の御首をうち落とそうというのを、兄一万が聞きとがめて諭し、「ゆるさせ給へ南無仏 敵を討たせたまへや」と地謡が謡うところに、重ねるように子方が「いざ討とう」と叫びます。

すかさずワキとアイが刀に手を掛け身構えますが、シテは扇で子方を留めます。活劇としても見せ所の場面。この緊張を取りなそうと、シテが「八撥を打とうということ」言い、今度は子方が鞨鼓の舞を見せることになり、「亭主は何か能はないのか」とのワキの問いかけで、シテは獅子舞を見せることになります。

シテは立って中入りし、一方、子方はツレの手を引いて後見座に進みます。ツレは子方に導かれた後、そのまま橋掛りへと進み、一ノ松までゆっくり進んで行きますが、ここで杖を落とし、やや歩みを早めて退場します。
長山耕三さん、きちんとした芸をなさる方ですが、このツレも落ち着いた動き、謡で、良い雰囲気でした。

さて二人が中入りすると、アイ太刀持ちは立ち上がって常座前で立ちシャベリとなります。短いシャベリですが、この中で、主人望月の秋長が、安田友治を討って都に上ってから十三年、皆暇乞いしていったなかで、自分一人はお側に仕えてきた。ようやく本領安堵となり、目出度いこととあらためて語ります。
短い中に、なかなかに趣きある則孝さんのアイ語りです。

さてこの後に、アイが子方に呼び掛けてワキ座隣に着座すると、直ぐに地謡の「獅子団乱旋は時を知る」の謡となり、子方が立って舞台を一回りし鞨鼓の舞になります。
子方、小早川康充クンは、清経のシテ小早川修さんの、たぶん御次男だと思うのですが、大変しっかりしたお子さんで、これまでも橋弁慶や船弁慶などの子方で拝見していますが、将来が楽しみです。
このつづきはもう一日、明日に
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望月もう一日のつづき

昨日は出張で泊まってしまったため、更新をお休みしました。
さて「望月」の最終回です。

子方は鞨鼓の終わりで撥を捨て、乱序の囃子となって半幕でシテが姿を見せます。

他流では、子方が「吉野龍田の花紅葉」と一句謡い、「更科越路の月雲」と地謡が受けてって鞨鼓になり、鞨鼓を舞上げた子方が「獅子団乱旋は時を知る」と謡って幕を見込み、地謡が受けて乱序の囃子の囃子になる形。微妙に違いますね。

観世流の形では、乱序の囃子で半幕となり子方は目付に下居します。
乱序の激しい囃子で、衣を被いたシテが登場し、一ノ松で一度欄干に左足をかけて舞台をうかがい、下がってから、衣を被いたまま正中に出て獅子の舞になります。
石橋の獅子とは違って、扇二枚に短めの赤頭で獅子頭の形です。期待に違わず、慈一さんの獅子は見応えある舞で、緊張感が高まります。石橋の獅子と基本的には同様の形ですが、途中、ワキの様子をうかがうような所作が入ります。

この獅子の間にワキは寝入った形になり、アイは切戸口から退場してしまいます。獅子の終わりで衣を被いたシテは正中に伏せた形になり、衣の下で獅子頭を外して白鉢巻きの姿になります。

ワキは地謡の「余りに秘曲の面白さに・・・」の謡の終わり「眠もきたる ばかりなり」で笠を置いて切戸口から退場してしまいます。
これも他流だと、ワキは寝入った形のまま座し、準備の整ったシテと子方がワキを襲って胸倉を取る形になります。その後、ワキは笠を残して退場、シテと子方が笠に斬りつけ敵討ちの成就で留めになります。
観世流も古式の小書きが付くと、ワキがすぐには退場せずに他流と同じ形になるようですが、古式というくらいですから、こちらがもとの形でしょう。

ともかく、シテは衣を被いたまま「さる程に」と謡い出し、地謡の「目を引き袖を振り」で立ち上がり、子方を伴ってワキ座に寄って、ワキの替わりの笠を刺し、本懐を遂げます。
キリになり、子方を立たせて橋掛りへと送り出し、ユウケンして留となりました。
盛り沢山の曲ですが、慈一さんの熱演で、興味深く拝見しました。
(93分:当日の上演時間を記しておきます)
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翁 山中一馬(金春会)

金春流 国立能楽堂 2009.1.18
 翁 山中一馬
  三番三 善竹十郎、千歳 善竹大二郎
   大鼓 佃良勝、小鼓頭取 鵜澤洋太郎
   脇鼓 田邊恭資 古賀裕己、笛 藤田次郎

金春の翁としては、当ブログ二度目の登場。一昨年7月の座・SQUARE第10回公演で、辻井八郎さんが、翁をされた時の鑑賞記以来です。

昨年11月の金春会で、山中一馬さんの融、笏之舞の小書付を拝見して大変良い印象だった話を書きましたが、山中さんに謡と仕舞を習っておられるという方から、一月の金春会で翁をされるとお知らせいただいたこともあり、これは一つ拝見してみようと出かけた次第です。

下掛りなので・・・これまでも翁に関して、何回か豆知識のようなことを書いていますが、整理の意味を兼ねて念のために、いくつか書いておきたいと思います。
上掛りの二流、観世流と宝生流では千歳をシテ方が舞います。一方、下掛りの三流、金春流、金剛流、喜多流では、千歳を狂言方が勤めて、面箱持ちを兼ねます。上掛りでも狂言方の面箱持ちが登場しますが、面箱を持って出た後はずっと控えていて、三番叟との問答まで出番がありません。
また、三番叟(サンバソウ)は、大藏流では三番三、和泉流では三番叟と表記されます。この日は大藏流の善竹十郎さんが三番叟を勤められたため三番三と表記されていますね。歌舞伎では三番叟ですが・・・

翁には太鼓が入りません。その代わりといっては何ですが、小鼓が三人。翁だけの特別な形です。私はこの小鼓三人というのが大変好きでして、打ち鳴らす音を聞くとなんだか身が引き締まる感じがします。
この日は大倉流でしたので、鵜澤洋太郎さんが頭取を勤め、残るお二人が脇鼓となっています。一般的には頭取の向かって右側を上級の方が勤めるようですが、大倉流では必ずしも決まりがあるわけではないようです。幸流では右側を胴脇、左側を手先と役名をつけていて、頭取、胴脇、手先の順位になっているそうですが、これは幸流だけのことのようですね。
明日につづきます
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翁のつづき

さて幕が上がると、面箱を持った千歳、翁、三番三と登場。
大二郎さんの千歳ですが、常の狂言とは違った緊張感を感じます。目付柱のあたりまで進んで座し、山中さんの翁が正中から正先へ出て片膝を付き深く礼をしました。
辻井さんのときも思いましたが、翁烏帽子の先端が舞台に着くほどの深い礼です。これは金春流の特徴でしょうかね。

翁が笛座前に座し、千歳が面箱を翁の前に据えて箱の蓋を開け、翁自らが白式尉の面を袋から取り出して箱の上に置きます。千歳が立ち上がり、橋掛りに並んで座していた一同も立って舞台に入り、それぞれに着座します。

笛の座着キから小鼓の打ち出しとなり、笛、鼓が一度切れて、翁の謡い出しです。山中さんの緊張が伝わってくるようです。観世流のみ「とうとうたらり」と清音で謡いますが、もともとは「どうどうたらり」と濁音になっています。意味のわからない謡なので、チベットの言葉だとか様々な説がありますが、案外単純に瀧の水が滔々と流れる表現あたりではないでしょうか。

以前にも書いたとおり、観世流では初日の式、二日の式、三日の式、四日の式、さらには法会の式と、謡も微妙に変わる形がありますが、金春流をはじめ他流ではそうした形にはなっていないようで、観世流で通常演じられる四日の式と同じ形を演じるようです。
ただし、若干の違いはあって、千歳の一度目の舞の後、観世の四日の式では千歳が「君の千歳を経ん事も天つ少女の羽衣よ 鳴るは瀧の水日は照るとも」と謡い掛けますが、ここは「所千代までおはしませ 我等も千秋さむらはう 鳴るは瀧の水日は照るとも」と謡って地謡になり、二度目の千歳之舞になりました。

千歳が二度目の舞に入るところで、白式尉の面を着けた翁が、千歳之舞が終わると「総角やとんどや」と謡い出し、やがて立ち上がって翁之舞へと続く部分になっていきます。

このつづきもう一日明日に
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索引の更新

昨年の11月来、能の鑑賞記索引狂言鑑賞記索引を更新していないことに気付きました。
案外忘れているものですね。

そこで、久しぶりに更新し、能18番、狂言8番の索引を追加しました。
これで索引に記載した曲は能が188番、狂言が95番になります。まとまってくるとけっこうな量になりますね。このブログの記事数もいつの間にか1000を越えました。
しかし重複している曲があるため、能の曲数としては128曲、狂言は68曲ということで、能の方は現行曲のおおよそ半分くらい、狂言に至っては4分の一くらいといったところです。

小書なども考えると、まだまだカバーしていない方がずっと多いのですが、それでも、これから能をご覧になる際に少しは参考になるかなあ、と思っています。
いつまで続くかわかりませんが、観たものを順に記載していこうという趣旨で、のんびり続けていくつもりでいます。よろしくお願いします。

それと、私は漢字変換にATOKを使用しているのですが、今日に至るまで「文語」変換モードがあることに気づきませんでした。もう何年使っているのか忘れてしまったくらいお馴染みのソフトですが、マニュアルなどほとんど読まずに使っているので、こんなことも起こるんですね。
これで、鑑賞記の記載がずいぶん楽になりそうです・・・

翁さらにつづき

地謡との掛け合いから、翁之舞となっていきますが、辻井さんの時に書いたように、大小前で目付を見込み、ゆっくりと一足出しては爪先を上げ静かに下ろす、という形で角まで進みます。金春流独特の型でしょうね。

左袖を被いて扇で口元を隠す形のまま舞台を一巡りし、今度は左の袖を巻き上げ面を上げてやや上方を見上げる形で扇を胸に当てる形、これで舞台を一巡りするという所作も特徴的です。

翁が舞を終え、翁還りとなると、今度は三番三の舞。
辻井さんの時には東次郎さんの三番三で、これが大変良かったという話を書きました。今回の善竹十郎さんの三番三も、実に良い舞でした。
「おーさえ」と進み出てくるところから、気合いが感じられます。この方のどこにこんな気力が秘められていたのだろうと思うくらい。

揉之段は力のこもった舞で、地に潜む悪鬼を踏みしめて大地を清めるような力強さがありました。ただし、烏飛びのところは、予想に反して軽々と飛ばれました。
そう言えば、万蔵さんや萬斎さんなど、和泉流の三番叟では褐色(かちんいろ:ほとんど黒に近い濃紺)の直垂で舞われるのを見かけますが、十郎さんは青系の直垂でしたね。

揉之段の後、いったん後見座で黒式尉の面をつけてから、面箱との問答になり、鈴を受け取って鈴之段になります。ゆっくりとした鈴之段の舞が、段々テンポを上げていく感には不思議な高揚感があって、いつもながら宗教的な意味を感じます。

一時間を越える翁でしたが、今年最初の能会のスタートとして、良い一番でした。

ところで、今回翁を勤められた山中さんですが、櫻間金太郎師の最後のお弟子さんだそうで、櫻間家の芸を伝える数少ない能楽師。櫻間家といえば、もう三十年以上も前に観た櫻間道雄さんの自然居士が今でも強く心に残っています。
道成寺の斜入や邯鄲の飛び込みなど、息をのむような型もあり、金春宗家とはまた違った芸風です。喜多流の友枝家とともに、熊本藩細川家に仕えていた家柄ですが、恐るべし熊本って感じがしますね。山中さんの一層のご活躍をお祈りしています。
(72分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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高砂 金春憲和(金春会)

金春流 国立能楽堂 2009.1.18
 シテ 金春憲和、ツレ 中村昌弘
  ワキ 村瀬純、アイ 大藏吉次郎
   大鼓 佃良勝、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 藤田次郎

金春の高砂も何度か拝見していますが、このブログではお父様の宗家安明さんの演能について鑑賞記を書いています。

今回は、翁に続いての上演ですので・・・翁付の形で、ホントは翁太夫がシテを演じられるともっと良いようにも思うのですが、そのあたりはあきらめるとして・・・同じ高砂とはいえ、雰囲気が一段重くなるような感じがします。

以前にも書いたかとは思うのですが、翁付の形について少し触れておこうと思います。
江戸時代に幕府の式楽として能狂言が様式化されていく中で、五番立ての形に整理されてきた訳ですが、五番立ては翁に続いて初番は脇能、続いて脇狂言。次が二番目の修羅能・・・といった風に続いていく形です。
このうち、翁から脇能、脇狂言までは続けて演じられます。脇能は独立しても上演される・・・というよりも、現代では独立して演じられるのが普通ですが、この翁に続いて演じられる形を特に「翁付」と呼んでいます。

翁付の場合、金春会当日の記事にも書いたように、翁太夫がそのまま初番のシテも勤めるのが本来の形なのでしょうけれども、これまた現在では、ほとんどの場合は別の役者が勤めています。ここ数年の梅若研能会一月の会で、万三郎さんが翁と脇能のシテを演じる形を何度かなさいましたが、昨年、一昨年は別の方が脇能のシテを勤めています。

とは言え、脇能のシテは別な方であっても翁付の形ではあるので、翁のために侍烏帽子に素袍上下の姿で登場してきた囃子方や地謡は、そのままの姿で脇能も演じます。
翁が終わり、三番三と面箱が退場すると、続いて脇鼓の二人も幕から退場します。翁に限った形で、鏡板の前の後座に着座していた地謡が、常の地謡座の方に移り、脇能へと入っていきます。
このつづきはまた明日に
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高砂のつづき

地謡が着座すると、直ぐに笛の吹き出しになり、笛の音取の後で小鼓の置鼓。さらに小鼓の手に笛があしらう形になって、幕が開きます。ここまで、大鼓方は床に座したままで動きません。
この音取置鼓で始まる形は翁付に限ったもので、ワキの出方も特別な形になります。
幕が上がると大鼓が床几にかかって、直ぐにワキの出となります。三ノ松で伸び上がって両袖を広げる型をするのは常と同じですが、この日はそのままするすると常座まで進んで着座し、両手を突いて拝礼する形でした。この間、ワキツレは橋掛りに着座して控えています。大鼓が打ち出し、ワキは立ち上がって足拍子を一つ踏み、舞台を進んでワキツレと向き合う形になって次第謡となりました。

この翁付のときのワキの出方は流儀などによって区々のようですが、ともかく普通とは違う出方になるようです。
翁ではワキが登場しないので、次の脇能で登場する際に儀式的な形を取るということなのかもしれませんね。

その後は、常の高砂と変わりませんので、ワキ・ワキツレの次第、名乗り、道行の後に、ワキ一行がワキ座に着座すると、杉箒を持ったツレとシテが真ノ一声で登場してきます。
ツレの中村昌弘さんの声が良く通ってなかなか良い感じでしたが、ふと聞いていると高橋忍さんの謡と良く似ておられる感じです。師弟だからということでしょうか。そう言えばこの日は全席自由だったので、かなり早めに能楽堂に向かったのですが、千駄ヶ谷の駅前でキャリーケースを引いて出勤途中の高橋さんをお見かけしました。すてきなモスグリーンのジャケット姿で、おそらくケースの中は紋付きとか入っていたのでしょうけれども、ちょっと能楽師とは気付きませんね。

前シテの中入で、両袖を広げ「追風にまかせつつ」と風を受けるように退場する形や、後シテの神舞の前「二月の雪衣に落つ」と左袖を広げて面を切り、雪を袖に受ける形など、金春らしい風情ある型、面白く拝見しました。

またこの日のアイは大藏吉次郎さん。切れ、テンポの良い間語りで「いやご覧候へ」と風をみる型も切れ良く決まりました。脇能って、ワキの謡にしても、後シテの舞にしても、案外、ノリが良くて退屈しません。吉次郎さんのアイも良い雰囲気でした。
(84分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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観世会荒磯能を覗く

覗くと書きましたが、実は所用あって東京に出たものの、午後の時間にちょっと空きが出来てしまいまして、この時間を利用して荒磯能を覗いてみたという次第です。このため、冒頭の仕舞三番の途中から入場し、能と狂言各一番を観たところで中座してきました。最後の巴は坂口貴信さんのシテで、いつぞやツレで拝見して大変印象に残っている方なので、本当はぜひとも拝見したかったのですが、時間の都合でやむなく能楽堂を後にしました。

荒磯能は観世会に所属する若手の会ですが、年六回のこの会は平日日中の開催なので、まずもって観る機会がありません。今回はまったくたまたま時間が合ったからという訳です。ホントにお若い方ばかりで、囃子方も若い方が多いですね。

能が坂井音雅さんのシテで淡路。淡路はあまり上演されない曲ですが、すっきりした神能で好印象でした。観世らしい運びの早い展開で、退屈する暇がない感じです。

狂言は萬斎さんのシテで成上り。やっぱり面白いなあ。楽しく鑑賞しました。妙に真面目な印象の深田さんとの取り合わせは絶妙です。

鑑賞記は、書きかけの金春会の鑑賞記が終わりましたら、更新したいと思っています。

そうそう、今日のロビーで林望先生をお見かけしました。なんだかサイン会かなんかをロビーでされていたようなのですが、こちらは遅れてやって来て、そっと途中で入り、休憩時間にそのまま退出してしまったので、状況がよく分かりませんでした。
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気付いたら

アクセス数が9万を超えていました。
ご来訪いただきありがとうございます。

取り立ててキリ番祝いのようなものはしておりませんが、また懲りずにご来訪いただければと思います。

末広かり 大藏吉次郎(金春会)

大藏流 国立能楽堂 2009.1.18
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹富太郎 大藏吉次郎
   大鼓 佃良勝、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 藤田次郎

翁付の形ですので囃子も入って、一段と目出度い感じの末広かり。三番三を舞った十郎さんが再びシテで登場します。

高砂が終わり、囃子方は向き合って着座する形になり、地謡が切戸口から退場すると、シテの十郎さんが紅白段に素袍上下、折烏帽子の姿で登場し、そのまま勢いよく正中に進み出て「このあたりに隠れもない、大果報の者でござる」と名乗ります。

末広がりの話自体は、教科書などにもよく取り上げられているため、ご存じの方も多いと思いますので、詳しくは書きませんが、ともかく宿老方に末広がりを進上したい果報者が、太郎冠者に末広がりを求めに行かせるという話。

果報者は呼び出した太郎冠者に、道具の内に末広がりはあるかと問います。太郎冠者は無いと答え、早速これを求めに都へ上ることにするわけですが、冠者は末広がりとは何なのかを知らないというのが鍵。

都へ上ろうと舞台を廻り、都に着いたものの、どこに売っているのか分からない太郎冠者は「末広がり買おう、末広がり買いす」と呼ばわりながら歩き回ります。

太郎冠者の富太郎さんは、通常の狂言出立。いかにも使用人という感じになります。呼ばわって歩いていると、素袍上下姿で登場してくるのが都のすっぱ、高砂でアイを勤めた吉次郎さんの登場です。
田舎者をだましてやろうと太郎冠者に近づきます。
このつづきはまた明日に
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末広かりのつづき

末広がりを買おうと呼ばわっている太郎冠者を呼び止め、すっぱは唐傘を太郎冠者に売りつけます。末広がりがなんだか知らない太郎冠者に、唐傘を「それ、それ」と徐々に開いて末広がりになったと示して、見事にだましてしまうわけです。

この際に、果報者が末広がりに好みがあると言っていたことを、こじつけるところが見せ所の一つ。「地紙よう、骨に磨きをあて、要元しっととして、ざれえざっとした」という好みに、傘の地紙を弾いて見せたり、傘の骨を示したり、さらに傘の要を示したりします。最後の「ざれえざっとした」は、人にこの末広がりを渡す時に、柄で戯れることだと、無理矢理こじつけて、売るわけですね。

代金は五百疋と、かなりの高額のようですが、ともかく買った太郎冠者は早速に帰ろうとしますが、すっぱが呼び止めて囃子物を冠者に教えます。

さて太郎冠者が帰って果報者に報告するわけですが、末広がりは扇ですから、当然に果報者は立腹し、太郎冠者を追い出してしまいます。

ここですっぱに教えられた囃子物を思い出した太郎冠者が、囃すうちに、機嫌を直した果報者も一緒に囃子物に加わり、シャギリ留めになる形です。

脇狂言独特の、目出度さを表す形ですが、「傘を差すなる春日山、傘を差すなる春日山、これもかみのちかひとて、人が傘を差すなら、我も傘を差そうよ、げにもさあり やようがりもさうよの」と囃子が入って謡舞うのは実に楽しい感じです。

傘を開いた太郎冠者が、立ち上がった果報者に傘を差し掛ける形になり、二人片足跳びで謡いつつ舞台を廻ります。
十郎さんの所作なかなか軽快で、冠者を追い出した時も地謡座前に座す形になりますが、このときは飛び安座での着座でした。
目出度い儀式的な狂言ですが、思いの外に笑いが出て、面白く拝見しました。
(36分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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式能を観に行く

本日は第49回式能の日。全部見るのは大変なので、どうしようかと毎回迷っていますが、今回は第1部のみにしました。第2部の冒頭が喜多流友枝昭世さんの羽衣、舞込の小書付でして、これを観ないでどうするんだ、という声が聞こえてきそうですが、1部2部通して観るのはやはり大変。家を7時前に出かけて、帰りは夜の9時過ぎになってしまいそうですし、第1部のチケットだけを取って出かけたところです。

これがまた、昨日の暖かさの中でボランティア活動などに出かけたせいか、花粉を吸い込んだらしく、本日はすこぶる不調。頭痛はするし、気持ちは悪いしで、第1部だけにした上に、最後の狂言、樋の酒はパスして帰ってきました。
帰りの電車も起きていられず、家に帰っても寝ていまして、今、ようやく起き出してブログ更新をしているところです。

今回の式能は、宝生流が翁と脇能の番で、昨年二十代宗家となられた和英さんが翁を勤められました。昨年10月の東京での宗家継承披露能は平日でもあり拝見できませんでしたので、今回はぜひと思って第1部から観に行った次第です。東京の後、九州や金沢などでも宗家継承披露をされていて、その都度、翁を舞っておられることもあってか、堂々とした翁でした。
ついでながらこのブログの鑑賞記、翁は宝生流がまだ登場していませんでしたが、今回の鑑賞記を書くと、一応、五流をカバーすることになります。

翁に続いては、田崎隆三さんのシテで西王母。シテが太鼓入り中ノ舞を舞う脇能です。仕舞はよく観るのですが、能としてはあまり見かけませんね。
脇狂言は大藏彌太郎さんのシテで佐渡狐。これは良く出る狂言ですが、このブログではまだ鑑賞記がありません。
能の二番目は金剛流、廣田幸稔さんのシテで花月。アイが狂言共同社の井上菊次郎さんで、興味拝見しました。

とここまで観たところでリタイア。
まあなんとかメモも取ってきたので、いずれ鑑賞記を記載したいと思います。
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景清 吉場廣明(金春会)

金春流 国立能楽堂 2009.1.18
 シテ 吉場廣明、ツレ 井上貴覚
  ワキ 工藤和哉
   大鼓 柿原弘和、小鼓 幸清次郎
   笛 中谷明

景清は平家方の武将で、昨年鑑賞記を書いた大仏供養の主人公でもあります。
前回の鑑賞記では景清自身については、詳しいことを書きませんでしたが、今回はまずそのあたりから。

平景清とも藤原景清とも言われる景清は、上総介忠清の七男で、兵衛尉まで上ったことから悪七兵衛の異名があります。「悪」は悪源太などの名にもあるように、悪いという意味ではなく強い、勇ましいの意味だと思うのですが、叔父を殺したからという説もあるようです。

藤原というのは、百足退治の伝説で有名な俵藤太、藤原秀郷の子孫と伝えられているためで、数多い藤原秀郷流の各家のうち、伊勢に勢力をはった一族、伊勢の藤原で伊藤を名乗った伊藤基影の子孫です。
基影の孫である景綱、その子忠清は清盛を助けて保元の乱や平治の乱で活躍しており、平家の重要な武将であったことから、忠清も平忠清とも呼ばれていたようです。

というわけで、景清は実在の人物ではあるのですが、その生涯はよく分かっていません。平家物語でも、この曲でも語られる「錣引き」の話に登場するくらいです。

よく分からないだけに想像を広げる余地があると言うことなのか、様々な伝説の主人公になっているようで、能だけでなく、歌舞伎や浄瑠璃にも取り上げられている人物です。
この曲では、景清は自ら盲目となっていますが、一説には平曲語りの盲目の琵琶法師達から、自分たちの祖とされていたという話もあり、平家物語の原作者の一人であるとする説もあるようです。
さて能の方は、明日につづきます
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景清のつづき

舞台には、まず紫の引廻しを掛けた藁屋が運び出され、大小前に据えられます。
次第の囃子でツレとワキツレが登場してきます。ツレは景清の娘ですが、ワキツレは従者の設定で殿田謙吉さんの登場です。
この従者、観世流や宝生流ではシテ方の演じるトモとして登場しますが、下掛りではワキツレが演じるのが通常の形のようです。

ツレを先に立てて登場した二人は、舞台正中で向かい合っての次第。ここはワキツレのみが謡います。観世流ではツレ、トモ同吟です。
地取りの後、ツレは景清の娘、人丸であると謡い、父が日向の国宮崎に流されて月日を送っていることを嘆きます。ワキツレが下歌、上歌と二人して宮崎に向かい旅することを謡います。

ワキツレの詞で、宮崎にたどり着き父の行方を捜すことにして、ツレ、ワキツレはワキ座に着座します。
すると作り物中からシテの謡が始まります。
大変難しい、深い謡で、この後明かされる景清の苦悩が凝縮されたような謡です。

これを地謡が受け「とても世を 背くとならば墨にこそ」と謡ううちに引廻しが下ろされ、二度目の「背くとならば墨にこそ」でシテが姿を現します。
藁屋の中で床几にかかり、薄く黄色味を帯びた大口に紺地の水衣、角帽子を沙門着けにして、杖を藁屋に立てかけています。

シテの深い謡のうちに、ツレとワキツレが立ち上がり藁屋を向きます。
ツレの謡で、誰も住んでいないと思った草の庵から人の声がする不思議が述べられ、これにシテが答えてツレとの掛け合い。さらにワキツレが藁屋のうちに声をかけます。

ワキツレは、平家の侍悪七兵衛景清という人がこの地に流されているはずだが、行方を知らないかと問いかけます。
しかしシテは盲目なので見たことはないと答え、他をあたるようにと促します。
ツレとワキツレはやむなく立ち去る形で後見座にくつろぎます。
さてこのつづきはまた明日に
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景清さらにつづき

ツレ、ワキツレが後見座にクツログと、やや間を置いて、シテの詞になります。
シテはもちろん悪七兵衛景清その人ですから、尋ねてきた女が自らの娘であることに驚きます。景清は、あるとき尾張の国熱田で遊女との間に女の子をもうけ、鎌倉亀が江の谷の長に預けていたわけです。
このシテの詞に続けて、地謡が名乗らずにやり過ごした景清の心を謡います。この謡のうちに、後見座にクツロイでいたツレが立ち上がって常座へ進む一方、ワキツレは橋掛りに入り一ノ松に立って幕に向かいます。

ワキツレがこのあたりの里人と呼ぶと、ワキ里人が登場してきます。
ワキツレが平家の侍悪七兵衛景清を尋ねているのだが知らないか問うと、ワキはここへ来る途中の山陰に藁屋があるのだが人はいなかったかと問いかけます。ワキによって、最前の盲目の人こそ、悪七兵衛景清であることが明かされるわけです。

ワキツレの求めで、ワキは人丸を景清に引き合わせることとし、ツレとワキツレは向きを変えてワキ座に立ち、作り物の藁屋を見る形になります。
ワキが常座に立って「景清の渡り候か」と声をかけ、扇を打って音を立て目付に座します。

これに対してシテは「かしましかしまし」と押し止めるように声を出し、故郷の者が尋ねてきたのに我が身を恥じて名乗らずに帰した思いを語り、謡います。小刻みに手が震えるのが、景清の思いの丈を表すようです。

地謡とシテの掛け合いになり、地謡の「さてまた浦は荒磯に」と立ち上がり、藁屋の柱にすがりつつ杖を取り、「さすがに我も平家なり」で作り物を出て正中へ進み、下居して杖を置き、感情の高ぶりを抑えてワキとの問答に入ります。
このあともう一日つづきます
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景清さらにさらにつづき

ワキはシテに、自分以前に誰か尋ねてこなかったかと問いますが、シテは誰も来なかったと返事します。
しかしワキは、景清の娘がやって来たことをどうして隠すのかと問いただし、ツレを促す形でシテと対面させようとします。

ツレが立ち上がり、シテによって思いの丈を語りかけてシオルと、シテは自分の名が出てはまずかろうと名乗らなかった思いを述べ、ツレに寄り添います。
地謡の下歌で二人はもとの下居の形に戻り、シテは「正しき子にだにも訪はれじと思う悲しさよ」と正面に直ってモロシオリになります。

地謡は「一門の船のうち」と上歌を謡いますが、この謡、大仏供養の鑑賞記にも書いたように、両曲に出てくる謡で、最後の「麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなり」という一節は深い思いのこもるところです。

この後、いささか唐突感はあるのですが、ワキは娘の所望だからと、屋島の戦いの様子を語るように求め、これに答えてシテの語になります。
シテは一度立ち上がって床几にかかり「いでその頃は寿永三年三月下旬の事なりしに」と語り出します。

平家物語にも書かれている景清の錣引きが語られる訳ですが、この曲の後段の見せ場ということになります。
途中から地謡になり、三保谷の錣を「取り外し取り外し」と引く形を見せ、「思う敵なれば遁さじと」で立ち上がって冑を両手でつかんだ形。「えいやと引くほどに錣は切れて」と引き切った形で床几に腰を落とします。

地謡が「昔忘れぬ物語」と調子を変え、シテは杖を取って床几を立って下居、ツレを向いて思いのほどを語る形。さらに立ち上がり、ツレ、ワキツレが常座から橋掛りへと向かう中を、見送る形で常座手前まで進んで立ち止まります。
ツレが「さらばよ止まる行くぞとの」で一ノ松で一度振り返ると、シテ、ツレともにシオって名残を惜しむ姿となり、「これぞ親子の形見なる」と地謡が繰り返すなかをツレは橋掛りを再び歩み出し、シテが再度シオって留となりました。
(82分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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日立シビックセンターに能楽座ひたち公演を観に行く

本日は日立で「能楽座ひたち公演」と題して、梅若六郎改め玄祥さんと鵜澤久さんの蝉丸、観世銕之丞さんの天鼓、それに野村萬さんの清水という番組の会がありまして、観て帰ってきたところです。

能楽座の公演は年に数度、全国で行われているようですが、日立では初めての様子。実は昨年の初秋、日立に能を観に行った際にチラシをいただきまして、これは観なくちゃ・・・と11月のチケット発売日に再度日立まで行って手に入れてきた会であります。

ただね、チラシでは蝉丸のシテである逆髪は六郎さんで、蝉丸を鵜澤久さんがなさることになっていたはずだったのですが、席について会場の入り口で配られた番組を広げてみると「蝉丸 梅若玄祥、逆髪 鵜澤久」となってまして「え!?」とビックリ。しかもよく見ると「替之型」の小書が付いています。
観世の「替之型」では両シテの扱いになり、逆髪の装束も常の唐織脱下から、緋の大口ないし緋の長袴を着け笹を持つ形に変わります。まあ六郎さんの・・・いや玄祥さんの蝉丸に久さんの逆髪というのも、素直な配役のような気もしますし、珍しい形でもあるので、これはこれで良かったなあという次第です。(帰ってきてからチラシを再度見てみると、小書の記載はなく、配役は六郎さんの逆髪に久さんの蝉丸になっているのですが、写真の逆髪は緋の長袴を着け笹を持っています。これは見落としておりました)

ところで、六郎さんが昨年秋に数百年ぶりで二代目の玄祥を名乗られてから、拝見するのは初めて。別に名前が変わったからどうだという訳ではありませんが、今日の舞台も素晴らしいものでした。蝉丸もそうですが、天鼓の地頭も勤められていて、この地謡がまた良かったんですね。たしか10年間だけ玄祥を名乗られると聞いておりますが、一層のご活躍を祈る次第です。

休憩の後の狂言「清水」は良く出る曲ですが、面白かったなあ。見所、というよりもホールなのでやはり観客席という雰囲気ですが、けっこう笑いが出てました。

天鼓は、昨年9月の銕仙会で柴田稔さんがなさったのと同じ弄鼓之舞の小書付き。柴田さんの際は、申し訳ないことに時間の都合で前場だけで失礼してしまったのですが、今回は最後まで拝見できました。(その柴田さんは本日の後見でした)
これがなあ、楽から最後までなんだか夢の世界に連れて行かれたようで、ああ、私ゃホントに能、わけても舞が好きなんだとしみじみ思った次第です。
ホール能でしたが、良い会でした。小書付でもあり、いずれ鑑賞記で詳しいところを書いてみたいと思います。
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淡路 坂井音雅(観世会荒磯能)

観世流 観世能楽堂 2009.2.12
 シテ 坂井音雅、ツレ 金子聡哉
  ワキ 野口能弘、アイ 高野和憲
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 桜井均、笛 杉信太朗

淡路は、金春流辻井八郎さんの演能について鑑賞記を書いています。その際にも書きましたが、現行曲としているのは観世・金春・金剛の三流のみで、あまり見かけない曲の一つです。
観世会荒磯能は観世宗家系の会、観世会に所属する若手の皆さんによる演能会ですが、この日のシテ、坂井音雅さんは、かの坂井音重さんのご長男で、まだ三十代半ばの若手能楽師。ツレの金子さんもほぼ同年代でしょうか。

舞台は脇能らしく、先ず真ノ次第の囃子でワキ臣下の一行が登場してきます。
こうした曲独特の形で、ワキの野口さんが三ノ松で伸び上がるような所作を見せつつ、ワキツレを従えて舞台へと進み、ワキ座へ進んで再び伸び上がって戻り、舞台中央で向き合っての次第謡。次第謡は地謡が低く繰り返す「地取り」の後にさらにワキ・ワキツレが同じ謡を繰り返す「三遍返し」と、脇能の形式に従っての展開です。
さらにワキの名ノリ、道行と型通りに進行します。道行の謡の後はワキの着ゼリフとなり、一行は淡路の国に着いたとの設定で、ワキ座に着座します。

一行が着座すると真ノ一声で前シテの出です。囃子が一転して長閑な雰囲気です。
紺の無地熨斗目に白大口、緑の縷(ヨレ)の水衣を着け、直面のツレ男が先に立ち、小格子厚板に白大口、茶シケの水衣を着けたシテ尉が後から橋掛りへ出てきます。
二人ともにエブリを肩に担っての登場です。エブリは以前にも書きましたが田を均したりするための道具です。

ツレが一ノ松、シテは三ノ松で向き合って謡った後、ツレはエブリを担ったまま、シテは肩から下ろしてエブリを右手に持って舞台へ進み、ツレが正中、シテが常座に立ってシテのサシ謡。となります。
このつづきはまた明日に
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淡路のつづき

辻井さんの淡路の時に書きましたが、金剛流と金春流ではツレを姥にしているようで、姥が先に立って出ますが、観世では男になっています。エブリも、金春のツレ姥は持ちませんでしたが、観世ではシテツレともにエブリを担います。

下歌のうちにシテは大小前へ、ツレは目付へと移動し、ワキが立ちあがって言葉をかけます。

ここからはワキとシテ・ツレの問答になりますが、ワキが「水口に幣帛(ミテグラ)を立て 真に信心の景色なり いかさまこれは御神田にて候か」と問うのに答え、シテは斎串(イグシ)として五十の幣帛を立てて神を祭っている由を述べ、さらにこの御田は当社二の宮の御供田(ゴクウデン)であると語ります。

二の宮であるならば、この国の一の宮はどこなのかと重ねて問うワキに対して、シテとツレは、この国の一の宮、二の宮の話ではなく、当社自体が二つの宮居を二の宮と崇め奉っているのであって、これすなわち伊弉諾・伊弉冊の二柱の神を祭るのだと答えます。

辻井さんの時の鑑賞記に、この神社が淡路国一の宮「伊弉諾神社」現在の伊弉諾神宮のことと思わることを書きました。淡路国二の宮は「大和大国魂神社」で、こちらは大和大圀魂命を主神と祀っていますから、話が合いません。しかし大和大圀魂命ってどんな神様なんでしょうね。大国主命のことのようにも思えるのですが、よく分かりません。

シテ、ツレの「伊弉諾と書いては種蒔くと読み」「伊弉冊と書いては種を収む」という詞から謡になり、地謡の「種を蒔き、種を収めて苗代の」でワキがワキ座へ、ツレが地謡前に着座。シテは目付へと出て角トリし、常座へ戻って小回りして開き、正中へ出て下居します。
全体に早めの運びで、この地謡の部分も観世らしいテンポの良い謡です。

正中に下居したシテに、ワキが当社の神秘を物語るように促し、シテが答えて地のクリ。後見が寄ってシテの肩上げを下ろします。
このつづきはまた明日に
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淡路さらにつづき

シテのサシを経てクセへと展開しますが、居グセでシテは下居のまま謡だけが進行します。木火土金水の五行が陰陽に分かれ、木火土が伊弉諾に、金水が伊弉冊と顕れたと始まり、国生みから今の世に繋がるまでをクセの謡にまとめています。

シテの上端の後、地謡の「すべて八十三万 六千八百余歳なり」のところは、二度程甲グリが出てきます。以前に謡の話を少しばかり書いた際に甲グリについても触れましたが、あまり使われない音なので不思議な印象になります。何かこの「八十三万六千八百余歳なり」を取り立てて強調したかったのかもしれませんね。

ロンギとなり、地謡の「結び定めよ小夜の手枕」でシテが立ち上がり「天の戸を渡り失せにけり」と中入りになります。中入りは囃子無く、無音の中を静かにシテ、ツレが退場します。このあたりは辻井さんの時と同じで、笛方も同じ森田流なので、送り笛を吹かずに間狂言の終わりにアシライを吹く形でした。
笛方の杉信太朗さんは杉市和さんのご子息だそうで、東京ではほとんどお見かけしませんが、関西ではお若いのに上手と評判の様子。たしかに、冒頭のヒシギは「いささか音が強すぎないか」と思ったのですが、真ノ次第と真ノ一声では音の感じを全く変え、強くも柔らかくも自在な雰囲気です。将来楽しみな方ですね。

中入では高野和憲さんの間語。テンポ良い語りで、良く聞いてみると伊弉諾・伊弉冊の二柱が浮橋から矛でかき回した雫がオノコロ島となり、まず淡路島から大八洲と国生みをしていった話が語られます。
アイが下がると、ワキの一行が立ちあがり待謡。後シテの出の囃子は出端ですが、神能らしくテンポの速い囃子で、颯爽と後シテの登場。一ノ松で謡い、地謡が受けると舞台へ入って一度正中まで出、常座へ下がって答拝して神舞となりました。

颯爽と神舞を舞い、舞い上げると地謡の「げにありがたき御誓・・・」からロンギ。謡い舞いしつつ「国富み民もゆたかに万歳をうたふ」と両袖を巻き上げる特徴的な型から「治まる国ぞ久しき」と留拍子を踏みました。
音雅さんの舞はスッキリとし神能らしい舞で好感が持てました。神能好きの私としては嬉しい一曲です。

昨日も書いたように、観世らしい全体に早い運びで、辻井さんの時に比べると詞章が一カ所少ない点もありますが、13分ほど短い演能時間でした。
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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成上り 野村萬斎(観世会荒磯能)

和泉流 国立能楽堂 2009.2.15
 シテ 野村萬斎
  アド 深田博治 月崎晴夫

この曲、月崎さんのシテに、石田幸雄さんと破石晋照さんのアドで観た際の鑑賞記を書いています。同じ万作一門の、しかも前回シテの月崎さんがすっぱで出ているのですが、萬斎さんの太郎冠者に深田さんの主人だと、また雰囲気が変わりますね。

長裃の主人深田さんと半袴の太郎冠者萬斎さんが登場。深田さんが「今日は初寅ではないか」と言い、例年通り鞍馬に参詣することにした旨を述べて、「太郎冠者に申し付くることがある」と、控えている太郎冠者の萬斎さんを呼び出します。

主人は、まず太刀を持てと太郎冠者に命じ、シテは後見から太刀を受け取って主人について鞍馬参りに向かう形となります。
二人舞台を廻って、主人がワキ座、シテが常座に立ったところで鞍馬に着いたことになり「まず御前に参ろう」ということになります。主人は「じゃがじゃがじゃが」と鈴を鳴らし、二人合掌して参詣の形です。

御前に参ろうと言って、拝をし両人は通夜をすることになり、それぞれにまどろみます。二人とも正座ですが、アドの主人はワキ座側にやや体を傾け寝た風。シテの太郎冠者は太刀を肩にし手を添えて寝入る形です。

二人が寝入った風になると、アドのすっぱが登場してきます。三ノ松での名乗りの後、一ノ松まで進み、初寅とて参詣の人も多い中で「仕合わせをいたそうと存ずる」と、何か掠めてやろうとの宣言をします。
ここで太郎冠者が太刀を持って寝入っている様子を見つけ、さっそくこれを狙って舞台に入り、太郎冠者に近づいて太刀を奪おうとします。

ところが良く寝入ったと見える太郎冠者ですが太刀にちゃんと手を掛けていて、無理に太刀を引くと「うー、うーん」と伸び上がって、今度は安座になりますが、相変わらず太刀に手を掛けたまま寝入っています。この伸び上がってまた寝込むというちょっとした所作も、萬斎さんだと微妙におかしい。不思議な芸であります。
さてこのつづきはまた明日に
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成上りのつづき

思案したすっぱが青竹を手に再び太郎冠者に近づき、太刀の代わりに竹を握らせて太刀を奪います。月崎さんがシテの際の鑑賞記にも書いたように、大藏流ではこのまますっぱが退場してしまいますが、和泉流では後段があるため後見座にクツロギます。

すっぱが下がると主人が目を覚まし「東が白うだ」と太郎冠者を起こし、まだ暗い中を出発します。
二人して舞台を回っているうちに、太郎冠者は太刀が青竹に変わってしまっていることに気付きます。この気付く様がまたまた面白いんですね。そして主人に「世間に成り上がりと申すことがござるがご存知か」と問いかけるわけです。

山の芋が鰻に、蛙がカブト虫に、ツバメが飛び魚に、嫁が姑に成り上がるなどと言い、さらに「熊野の別当のくちなは太刀」の話を続けます。別当の太刀は世の者には蛇と見えたが、家の者が取りに行くと太刀であったなどという話。
いきなり怪しい話をした後で、太郎冠者は主の太刀も「はや成り上がって青竹になりました」と主に竹をみせます。

以前に書いたように、ここで大藏流では主が叱って留になるわけですが、和泉流では主人が即座に、いたづら者が取り換えたものだろうが、人出の多い日はさらにほかの者を狙って徘徊していようと言い、二人してすっぱがやって来るのを待つことになります。

ここで後見座にクツロいでいたアドが立ち上がり、いったん橋掛りへ出て太刀を持って登場してきます。待ち構えていた太郎冠者が男の太刀に気付きますが、このややオーバーアクション気味の気づき方がまたまた面白い。そして、二人してすっぱを捕らえよと声を掛け合った後に、主人がすっぱを捕らえます。

この後は、真奪太刀奪などとも同様の展開で、しっぺいを当てようとして避けられたり、泥縄の言葉通りに縄をなってみたりなど、ドタバタ劇となります。やはり月崎さんの時に書いたように、このこの後半の部分が大変面白いだけに、逆に成り上がりの様々を述べた部分がいささか霞んでしまう感じは否めませんね。
それにつけても萬斎さんの芸は、古くからの狂言にとどまらない、現代劇やパントマイムのような要素も入れ込んだ形で、大変面白いのですが、古典も常に変化すべしということなんでしょうね。
(18分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)
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翁 宝生和英(第49回式能)

宝生流 国立能楽堂 2009.2.15
 翁 宝生和英
  三番三 大藏吉次郎、千歳 東川光夫
   大鼓 國川純、小鼓頭取 曾和正博
   胴脇 住駒充彦、手先 森貴史

このブログで翁を取り上げるのは七度目。この後は、特殊な小書付でもない限り翁について鑑賞記のような形では取り上げないだろうと思うのですが、今回は五流で唯一、翁の鑑賞記を書いていない宝生流ですので、通常の形の翁の最終回のようなことで鑑賞記を書いておこうと思います。

翁の基本的な形式は、各流でそれほど違いません。大きく異なっているのは、上掛りでは千歳をシテ方が舞うのに対して、下掛りでは面箱持ちの狂言方が兼ねることでしょう。

しかし、翁之舞を見比べてみると、各流それぞれに違いがあって興味を引きます。
特に宝生の翁之舞は、唯一半身になる型があります。不思議なことに、他流の翁では半身で開いたりする型が出てきません。
いつぞや、亡くなった観世栄夫さんと、田崎隆三さんのお二人で、古式の翁として翁の相舞を見せる試みがありました。このときは、観世の型と宝生の型がいかに違うかがよくわかりました。

さてその宝生の翁ですが、今回は昨年二十代宗家を継承された宝生和英さんが翁を勤められました。昨年10月の東京での宗家継承披露能以降、九州でも宗家継承披露をされていて、その都度、翁を舞っておられることもあってか、堂々とした翁でした。

お若い宗家の翁だからということなのか、通常では若い能楽師が舞う千歳をこの日は東川光夫さんが舞いました。東京での継承能では武田孝史さん、九州の継承能では辰巳満次郎さんが千歳を勤めておられるということで、流儀をあげて宗家を支えていこうということなのだろうと思います。

さてその翁の実際は明日につづきます
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翁のつづき

時刻ちょうどに幕が上がり、上掛りなので、面箱、翁、千歳、三番三と静かに登場。
面箱の善竹大二郎さんが目付柱のあたりまで進んで座し、翁は正中から正先へ出、千歳が常座に控えます。翁は片膝を付き深く礼をしますが、お若い宗家らしく実に深い一礼でした。

三番三以下は橋掛りに控える形ですが、なんだか人数が少ないような感じです。正先での礼から立ち上がった翁が笛座前に座し、千歳が面箱を翁の前に据えて準備が整うと、面箱が地謡座の前、千歳がワキ座へと進み、囃子方も後座へと進みますが、このとき切戸口から後見や地謡が次々と登場しました。なんだか人数が少ない感じがしたのは地謡や後見が橋掛りに並ばなかったからでした。

笛の座着キ、小鼓の打ち出しから翁の謡い出しへと、型通りに進みますが、翁の謡は堂々としたものです。地の「たらりあがりららりとう」に続いて笛がヒシギを吹き、千歳が立って正中へ進み「鳴るは瀧の水」と謡い出して千歳之舞へと進みます。さすがに東川さんの舞なので安定感があります。千歳之舞はお若い方の舞が普通なのでちょっと印象が変わります。

千歳之舞は、途中に千歳と地の謡が入って前後二節に分かれますが、その地の謡で翁が面をつけ始めました。千歳之舞が終わると、翁は扇を開き「総角やとんどや」と謡いながら、自ら面箱を自分の正面から外して立ち、常座で立った三番三と見合った後に正中へ進んで達拝します。このあたりは各流、ほぼ同じ進行です。

翁は広げた扇を持った右手を横に出して扇面を見せる形になり「千早振る、神のひこさの昔より」と謡い出します。この形が宝生の翁の基本の型のようで、この後もこの型を基本に舞が展開します。
なお宝生流の詞章は観世流の四日の式とほぼ同じですね。下掛りだと翁のワカが微妙に違ったりしますが、このあたりは宝生・観世に差はないようです。

そして地との掛け合いのうちに翁の舞へと進みます。
あまり詳しく書くつもりではありませんが、翁之舞から三番三まで、もう一日書いてみようと思います。
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