能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

SHIN狂言鑑賞会を観に行く

本日は、割と家から近い那珂市のホールに大藏流若手狂言SHINの公演を観に行ってきました。那珂市とはいうものの、ここは元の瓜連町公民館でして、体育館に勾配のある観客席を仮設置したような、ちょっと不思議なホールなんですが、360席ほどある座席はほぼ満席。予想以上に観客が入っていてビックリしたというのが正直なところです。
しかも開会に際して市長さんのご挨拶なんかがありまして、いやなかなか。

さてこの大藏流若手狂言SHINですが、千太郎さんと基誠さんの兄弟に、従兄弟の教義さんが主たるメンバーということのようで、地方での公演もなさっている様子。茨城県内でも何度かの公演がありました。

今回は教義さんは参加せず、代わりといっては何ですが、ご兄弟のお父様、彌太郎さんが特別出演ということで出ておられました。
会のはじめに千太郎さんの解説があり、会場は狂言を観るのは初めてという方が多数だったので、極々基礎的なお話などから、吉田信海さんを相手に実演を交えつつ説明をされました。
既に次の狂言「二九十八」のアド御夢想の妻の装束を着けての登場でしたが、話をするのに客席がよく見えないので、と途中で眼鏡をかけられまして、千太郎さんが近眼というのは初めて知りました。通常の舞台では、当然ながら眼鏡をかけてはいないので、見所の様子などは見えないままに演じておられるということなんでしょうね。

基誠さんのシテに千太郎さんのアドで二九十八の後、休憩をはさんで、今度は基誠さんがお話で登場。話をするとは聞いていなかった、などと言いながら禰宜山伏の話を簡単に紹介して、次の狂言、禰宜山伏となりました。

こちらは千太郎さんのシテ山伏に、吉田信海さんがアドの禰宜。大藏彌太郎さんがアド茶屋、そしてアド大黒を小梶直人さんという配役です。

狂言はいずれも面白い曲でもあり、観客席も良い雰囲気でした。
二曲ともまだこのブログの鑑賞記には登場していない曲でもあり、いずれ鑑賞記を載せたいと思います。
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翁さらにつづき

翁之舞は大小前で半身に構えたところから始まり、右手の扇を横に上げた形で目付に向き十四足ほどで目付まで出て角取りをし扇を一度下ろします。再び横に扇を上げ足拍子を三つ。扇を下ろしてからワキ座を向き、再び扇を持つ手を上げて十四足かけてワキ座前まで進みます。
ここで扇を下ろして正面に向きを変え、扇を上げて足拍子を三つ。扇を下ろして常座へ、といった形で、扇を持つ右手を横に広げた形を基本とし、所作の切れ目では一度手を下ろした後、再び手を上げて舞を続けるという形になります。
この間に半身になる型があり、このあたりも宝生の翁之舞の特徴的なところでしょう。

舞終えた翁は「千秋万歳の歓の舞なれば 一差舞おう万歳楽」と謡い、地謡と「万歳楽」と謡合って、笛座前に面箱の方を向いて下居し、面を外します。それから正先に出て深く一礼をし翁還りとなります。
昨年の観能記の際も書きましたが、宗家を継承されるにあたっては相当のご覚悟と修練をされたように思えます。そうした中からの自信が感じられるような翁でした。

さて翁還りの後は三番三です。
吉次郎さんが小豆色のような直垂で出、まずは揉之段を舞います。先日の善竹十郎さんと基本形は同じはずなのですが、印象はずいぶんと違う感じです。演じ手が変わると違う舞のように感じられるのは不思議なところです。

揉之段を舞上げると後見座で黒式尉の面を着けて出、面箱とのやり取りになります。型の通りに鈴を受け取って鈴之段。
かなり低く沈み込んだ形での答拝から舞出しとなりました。
鈴之段は徐々にテンポが速くなるなかで鈴が振られる訳ですが、遠い時代のシャーマンの呪術の様なものを源流としているのかも知れません。不思議な高揚感があります。

鈴之段を舞上げると三番三と面箱が退場します。この日の会を始めるにあたっての重要な儀式を終えた充実感がありました。
(70分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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西王母 田崎隆三(第49回式能)

宝生流 国立能楽堂 2009.2.15
 シテ 田崎隆三、ツレ 佐野登
  ワキ 村瀬純、アイ 善竹富太郎
   大鼓 國川純、小鼓 曾和正博
   太鼓 観世元伯、笛 藤田朝太郎

西王母(セイオウボ)というのは中国で古くから信仰されている神様だそうで、道教では女仙人を束ねる偉い神様なんだとか。この能も、そうした見方の上にできあがっていて、帝の威徳によって西王母が来臨し、長寿を約束する桃の実を捧げて舞を舞うという、脇能らしい目出度い作りになっています。

この西王母の桃を盗んで食べてしまったのが孫悟空ですね。
桃は古来から邪気を払って不老長寿をもたらす植物とされているようで、中華料理などでお目にかかる桃饅頭も、そんな意味を込めたもののようです。

日本でも、黄泉の国に伊邪那美命を訪ねた伊邪那岐命が、変わり果てた妻の姿に驚いて逃げ帰る途中、追ってくる伊邪那美命や黄泉醜女たちに桃の実を投げつけて難を逃れた話が、古事記や日本書紀にみられますね。
中国の思想が入り込んだのか、あるいは日本でも独自にそうした思想があったのか、そのあたりは分かりかねますが、ともかく桃が尊ばれていたことはうかがえます。

ただし、西王母が女仙人を束ねる偉い神様として奉られるようになったのは、道教が成立してからのことで、もっと古くはだいぶん話が違っていたようです。
山海経(センガイキョウ)という、戦国時代・・・もちろん中国の戦国時代ですから紀元前のことですが、この頃から書かれ始めた地理書があり、私は本文にあたったことはありませんが、この中に出てくる西王母は人頭獣身、おそらく体は虎のようで、しかも尾は蛇だとかいう恐ろしい鬼神だそうです。非業の死を司る恐ろしい鬼神だったのが、敬えば非業の死を避けられるのではないかと崇敬されるようになり、道教の偉い神様になったと、そんな説を見かけます。
話が逆転してしまうという、そのあたりが伝説の面白いところかも知れません。

さて能のほうは、明日につづきます
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西王母のつづき

まずは舞台上に一畳台が持ち出されて、ワキ座前に据えられます。さらに引立大宮がその上に立てられて準備が整います。

まずアイの官人、善竹富太郎さんが登場してきます。側次に括り袴を着け官人頭巾を被った唐官人出立で出ますが官人頭巾がなんだかかわいらしい感じです。常座で周の穆公に仕える官人と名乗り、帝の仁政をたたえ宮殿に行幸がある旨を触れて狂言座に下がります。すると囃子が真ノ来序を奏し、ワキの帝王とワキツレ従臣が登場してきます。

太鼓が入った囃子の中を、白大口に袷狩衣、唐冠を着けたワキが舞台を進んで一畳台に上って大宮の中に座し、いわゆる赤大臣姿のワキツレが地謡前に居並ぶ形になります。
ワキの帝王がまず「有り難や三皇五帝の昔より今のこの御代に至るまで」と謡い出し、ワキとワキツレ、地謡との掛け合いで、今の帝の威光によって世は治まり、栄える様が謡われます。

一連の謡が終わると一声の囃子になり、ツレの女を先にしてシテが登場してきます。先に出たツレは金地の側次を、後から出たシテは赤系の側次を着けて、肩に桃の枝を担っています。シテ・ツレともに紅入唐織着流しで出る場合が多いようですし、またツレを出さないこともあるようですが、今回は側次を着けた二人が登場し華やかな感じです。

二人は橋掛りを進み、型通りにツレが一ノ松、シテが三ノ松で一セイを同吟。さらに舞台に入り、ツレが大小前、シテが常座でサシ、下歌、上歌と謡います。シテが持つ桃の枝を帝王に捧げる喜びが謡われます。
上歌の最後「君君たれば誰とても」で立ち位置を替え、シテが正中、ツレはワキ正に立つ形になります。

シテはワキに「いかに奏聞申すべき事の候」と声をかけ、三千年に一度花を咲かせ実をつける桃が、この御代に至って花を咲かせたことは帝王の威徳なので、捧げようととやって来たことを告げ、桃花の枝を捧げてワキ座に寄り、ワキの座す一畳台、ワキの前に枝を置きました。

このつづきはまた明日に
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満三年・・・ではないのですが

このブログの最初の記事「能の楽しみ」の日付は、2006年3月5日、ちょうど3年前の今日になっています。
というわけで、満3周年・・・かというとそうでもなくて、このブログのスタートは同じ年の6月。
3月5日に別なブログで「能の花 狂言の花」を始めたのですが、どうも使い勝手が気に入らなかったため、6月にお引っ越しをして、このFC2にブログを書き始め、3月から6月の間の記事もアップし直したという次第です。

このため、一番古い記事は3月5日付けになっていますが、アクセスカウンターの開始は6月というわけです。そのアクセスカウンターも9万2千を越えまして、このまま行くと、6月の3周年では10万アクセスを越えるかなあ、というところ。
これも、ご来訪の皆様のおかげと感謝しております。

この先も、また淡々と観能記を書いて行ければと思っています。
本当は、観能記以外にも能楽を廻るあれこれを書いてみたいと思うのですが、仕事もけっこう忙しくなかなか時間がとれないため、まだしばらくはこんな感じで続けていくつもりです。
過去の記事も、出来れば整理し直して、ブログではなくホームページに掲載しようと思っているのですが、これまたいつになる事やら・・・

まだ二月の式能の観能記が続いています。
また明日から書き続けていくつもりでおりますので、よろしくお願いいたします。

西王母さらにつづき

捧げられた桃花の枝を受け取ったワキは、三千年に一度花咲くとは、それは西王母の園の桃かと問います。しかしシテはここでは「桃李ものいはず」と答えをはぐらかし、桃花のめでたさのみを謡います。

一セイ「桃李ものいはず 下おのづから市をなし」を繰り返してはぐらかす感じですが、この句、史記の「桃李不言 下自成蹊(桃李物もの言わざれども下おのずから蹊を成なす)」が典拠でしょうね。地謡の上歌「三千年になるてふ桃の今年より」の打切で、ワキツレが桃の枝をそっと下げ、ツレは目付から笛座前に向かって着座して、シテ・ワキのやり取りにスポットが当たる形になりました。

シテ・ワキのやり取りからロンギになり、天人と思えるシテの不思議さが謡われ、シテは舞台を廻りつつ、地謡の謡で自ら西王母の分身であることを明かし、やがてその身を表そうと、常座で一度振り向いた形から中入となります。
一噌流の笛ですので、送り笛が吹かれる中をシテが静かに橋掛りを進み、ツレもこれに従って退場します。

シテが中入りすると、最初に登場した後、狂言座に控えていたアイが進み出て、前場の出来事をまとめる形での立ちシャベリになります。
さらにこのシャベリでは桃実のいわれも語られ、西王母を迎えるための管弦を奏すると触れて、橋掛りから本幕で退場します。

代わってワキ、ワキツレが座したまま待謡「糸竹呂律の声々に しらべをなして音楽の」と謡い出し、後シテの出を待つ形になります。
期待の高まるところです。

このつづきもう一日明日に
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西王母さらにさらにつづき

待謡の後、囃子方が下り端を奏します。
猩々の出にもつかわれる囃子ですが、なんだか楽しくなるようなリズム感があります。

囃子のうちに後シテ西王母が、後ツレ侍女を連れて登場し橋掛りに立ちます。緋の大口に舞衣、天冠を着けた天女の姿ですが、太刀を佩いています。これがただの天女ではない、西王母のしるしのようなものでしょうね。この曲に独特の雰囲気を醸し出す要因の一つにもなっているような感じがします。
同装のツレは先に舞台に入り正中に立ちますが、手には葉の付いた桃の実を載せた盆のようなものを持っています。(たしか観世ではシテが先に立って、ツレが盆を持って橋掛りに残る形だったように思います)
翁付の場合、後シテの天冠・黒垂に換えて長鬘をかけ、唐団扇を持つという話も聞いたことがありますが、今回は通常の天冠を着けた姿でした。

下り端に続いて、地謡が「面白や 面白や」と謡い出しますが、これも猩々と同様に「渡り拍子」の独特のリズムになっていて、浮き立つような感じです。シテは「孔雀鳳凰迦陵頻伽」が飛び回る様を見回し、地謡の「いろいろの捧げ物の中に妙に見えたるは」で舞台に進み、「光庭宇をかがやかし」と常座に出ます。

この項の最初に書いた山海経に出てくる西王母は、大黎、小黎、青鳥という三羽の猛禽を従え、生け贄を捧げる役目をさせていたのだそうです。しかし西王母自体が道教の偉い神様になる課程で、この猛禽たちも「お使い」に昇格していったようで、「孔雀鳳凰迦陵頻伽」の表現も、西王母が鳥を従えていたというところから、立派な極楽の鳥たちの名前が持ち出されてきたのでしょう。
なんでもこの西王母の古い演出では、青鳥役の三人の子方を出した時代もあるという話を読んだことがあります。

さてシテは、常座に寄ってきたツレから桃実の盆を受け取り「君に捧ぐる桃実の」と謡ってワキにこれを捧げた後、答拝して中ノ舞に入ります。
太鼓入りの中ノ舞は伸びやかな感じで、浮き立つようです。

舞上げた後、大ノリの地謡に会わせて、舞遊ぶ様を見せ、最後は常座で左袖を返して留拍子を踏みました。脇能らしい目出度い一曲でした。
(72分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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佐渡狐 大藏彌太郎(第49回式能)

大藏流 国立能楽堂 2009.2.15
 シテ 大藏彌太郎
  アド 大藏千太郎 善竹十郎

佐渡狐も良く演じられる狂言の一つで、たしか教科書などにも取り上げられていたように思います。
この曲、脇狂言の中でも百姓物とでも言ったらよいのか、お百姓さんが出てきて無事に年貢を納めて目出度いな、という類の曲の一つで、昨年の式能で脇狂言として演じられた昆布柿の鑑賞記にも、このあたりの事情を書きました。

とは言え、筑紫奥や餅酒をはじめたくさんある類曲のうちで、この佐渡狐だけやや異色の部分があり、そのためか、他の曲が滅多に上演されないのに対して、この曲だけが割と良く演じられるようです。
というのも、各曲で登場する二人のお百姓は、戯れ言を言ったりなどするものの、結局は二人揃って無事に年貢を納め、奏者と三人で笑って留めるといった形が通例なのに対して、この曲では、二人のお百姓が争った上に、奏者を巻き込んでの騒動になるという形で、様式的でない面白さがあるからでしょう。

どうもあまり古い曲ではなく、むしろ江戸時代に流行った「佐渡に狐がいるかどうか」という話をドタバタ劇に仕立て、脇狂言のお百姓物にまとめたというのが真相ではないかという説を読んだことがあります。さもありなんという感じもしますね。

さて舞台にはアドの越後の百姓とシテ佐渡の百姓が登場してきます。この日は式能の脇狂言ですので、装束は狂言袴に掛け素袍という脇狂言のお百姓さん定番の形。まず先にアド越後のお百姓である千太郎さんが、例年の通り上頭(ウエトウ:荘園領主で、現地に住む地頭に対し都に住む領主のことを指すようです)に年貢を納めに行くのは目出度いことと言いながら舞台を廻り、疲れたので一休みし誰か来るのを待つことにします。
続いてシテ佐渡のお百姓である彌太郎さんが舞台を廻りますが、このつづきはまた明日に
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佐渡狐のつづき

後からやって来た佐渡のお百姓と、越後のお百姓が出会い、二人同行することになるところまでは、他の曲と同様の展開です。しかしこの道々の話の中で、越後のお百姓が佐渡のお百姓に佐渡は島国なので不自由だろうと言い、佐渡のお百姓が否定するものの、さらに佐渡には狐はいないだろうとたたみかけます。

佐渡のお百姓は、狐がいると言い張り、両者は一腰を懸けて奏者に判定してもらうことにして舞台を廻り、一度橋掛りへ出て二ノ松あたりまで進んでから戻ってきます。上頭の屋敷にやってきたという表現。一方、舞台では座して控えていたアド奏者の善竹十郎さんが立って出、ワキ座で本日の奏者である旨を威張った雰囲気で名乗ります。
金春会での三番三もそうでしたし時々思うのですが、善竹十郎さんのキャラクターというか、実にパワフルで、あのお体のどこにこんなパワーがあるのかと思う次第です。この日の奏者なども、まさに適役の感じです。

舞台は橋掛りに立った二人と、屋敷の中で待ち構える奏者という形になりますが、屋敷が大変広いということを示すためか、二人が橋掛りで控える形。誰かの家を訪ねるならば、二人は常座に立つ形と思いますが、このあたりの空間の使い方も狂言を見る面白さの一つですね。

お百姓二人の相談で、まず佐渡のお百姓が年貢を納めることになりますが、進み出て年貢を納めたシテは「えーさて、お奏者にちとお願いがござる」と、判定を頼む形になりますが、ここで「これは私の寸志でござる」となにがしかを奏者に渡そうとします。
奏者は「持って下がれ」と、そうした賄を受け取らない姿勢を示し、大声で「持って下がれ」と言い続けますが、左手を右袖の下に忍ばせ、佐渡のお百姓から、まさに袖の下を受け取ってしまいます。この演技がまた面白いところで、見所も大笑いです。
結局は賄を受け取った奏者が、狐を見たこともないという佐渡のお百姓に、狐の様を教えます。
このつづき、もう一日明日に
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佐渡狐さらにつづき

佐渡のお百姓が一度下がり、代わって越後のお百姓が年貢を納めることになります。
シテと同様に、一度常座あたりで声をかけて「違う」と言われたような一人芝居から、奥へ進んで奏者に呼び止められる形です。
無事に蔵に年貢を納めた後、越後のお百姓も奏者に判定を頼みます。

奏者が判定を請け負い、お百姓が二人して奏者の前に出て判定を受ける形になります。
奏者は何を争っているのかと問い、佐渡に狐がいるかどうかと問われて「佐渡には狐がおる」と答えます。

越後のお百姓は納得いきませんが、奏者が「いる」というので、それなら狐はどんな様子なのかと佐渡のお百姓に迫ります。ここから佐渡のお百姓のとんちんかんぶりが示されるのですが、奏者に狐の特徴を聞いて大方覚えたと言っていた割には、うまく答えられません。
舞台前方に、目付柱の方から佐渡のお百姓、中央に越後のお百姓、ワキ座側に奏者が座していますが、奏者が真ん中の越後のお百姓越しに、越後のお百姓の問いの答えを佐渡のお百姓に伝えようと苦戦するところが笑いを誘います。

なんとかその場をしのぐと、勝負あったと奏者は本幕で退場してしまいます。

さて収まらないのが越後のお百姓で、懸けものの一腰を奪われて、ふと最前は狐の鳴き声を尋ねなかったことを思い出します。
早速に佐渡のお百姓に狐を鳴き声を尋ねますが、奏者が教えてくれた狐の特徴には鳴き声が含まれていません。そこで佐渡のお百姓は、犬より小さいとか、尾はふっさりとしているなどと、奏者から聞いた狐の特徴を繰り返しますが、それは鳴き声ではないと越後のお百姓にツメ寄られます。

とうとう困って鶏の鳴き声をしてしまい、それは鶏の声と越後のお百姓にやり込められて、腰の物を二本とも持って行かれてしまいます。
喜び勇んで退場していく越後のお百姓を、自分の一腰は返せと佐渡のお百姓が追い込んで留になります。囃子も入って最後は謡舞などで留める形の多い脇狂言とはいささか異質ですが、たしかに愛される狂言ではありますね。
(35分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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花月 廣田幸稔(第49回式能)

金剛流 国立能楽堂 2009.2.15
 シテ 廣田幸稔
  ワキ 福王茂十郎、アイ 井上菊次郎
   大鼓 山本孝、小鼓 大倉源次郎
   笛 松田弘之

今年の式能の鑑賞記、最後は金剛流の花月です。当日の夜にも書いたとおり、今年は第一部だけにしておいたのですが、それでも頭痛などに悩まされ、結局は最後の樋の酒を断念して、この花月までで帰ってきました。どうもこの日今年の花粉症が発症したのではないかと思うのですが、それはさておき・・・

花月はこのブログでは、18年秋に喜多流粟谷能夫さんの演能、19年春には金剛流熊谷伸一さんの演能について、それぞれ鑑賞記を書いています。
今回は19年と同じ金剛流で基本は同じですが、金剛流では定評のある廣田幸稔さんのシテに、アイが狂言共同社の井上菊次郎さん。廣田さんも井上さんも東京ではなかなか拝見できませんが、特に井上さんは昨年秋に蜘盗人を拝見して以来、気になっている狂言方でして、今回も楽しみに拝見させていただきました。

さてまずはワキ僧の茂十郎さんが次第の囃子で登場。紺地の無地熨斗目に水衣、角帽子の姿で常の形通りに鏡板に向かっての次第謡の後、筑紫彦山の麓に住む僧であると名乗り、我が子が七歳の時に行方知れずとなってしまったことを語ります。
続いて道行を謡い清水寺へと向かう形になりますが、この謡でアイが出て狂言座に控えます。井上菊次郎さんの登場ですが、なんとない味わいがあります。

清水寺に着いたと述べたワキは、常座から「門前の人」と呼び、狂言座から前に進み出たアイと向かい合う形になります。
ワキは何か面白いものを見たいと所望しますが、これに答えてアイは花月を招く形になります。井上さんのアイはこの花月について「自然居士のお弟子に花月と申して」と語りましたが、これ今まで気付かなかったのですが、他の方も言われるんでしょうかね。
この曲は自然居士同様にアイが大変重い役回りになっていますが、アイの詞章がきちんと書かれたものは普通手に入りませんから、不明なままです。
とまれ、このつづきはまた明日に
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花月のつづき

アイは一度太鼓の前あたりまで出てから下がって橋掛りに向かい、花月を呼び出します。シテ花月は喝食の面に烏帽子を着け、左手に弓、右手には矢を持って正中まで進み出て、我が名を名乗り、その謂われを語ります。
「月は常住にして言ふに及ばず さて花(くゎ)の字をはと問へば、春は花、夏は瓜、秋は果、冬は火」と数え上げます。以前にも書いたように、この花月という能はシテ花月の様々な芸尽くしが見せ所で、この「くゎ」を数え上げることから既に芸のうち。

語り終えたシテに、目付まで進み出たアイとシテとのやり取りとなり、アイが「こしかたより」と謡い出して小歌になります。これまた以前にも書いたように、観世流ではこの「来し方より」をシテが謡います。どうも観世流以外は間狂言が謡い出すようですね。
小歌では、アイは一度目付へ出てからシテのところに戻り、シテの斜め前にアイが立って二人寄り添うような感じになります。二人して目付を向き、舞台を廻って正中に戻り、シテがアイを目付の方へ押し出すような形になります。

何度も書いていますが、この小歌の部分は男色趣味を匂わせるもので、どういう意味でここに入っているのかと前々から疑問に思っています。単に男色を表すためならば、少年であるシテ花月の方に、アイ門前の男が後から寄り添う形の方が素直だと思うのですが、ここの形は逆ですし、かつ小歌の最後でシテがアイを目付に押しやるという、不思議な形になっています。どうも男色を表すというよりも、男色趣味を風刺して芸にしているようなそんな感じがするのですが、本当はどうなのでしょうか。

ともかく、目付に押し放されたアイがよろよろと角で膝をつき、目付柱を見上げて「あら不思議や 花に目がある」と騒ぎ出します。花に目があると思えばこれは鶯で、花を散らしてしまうから、手に持つ弓矢で早く鶯を射てほしいとシテに求めます。
これをうけてシテが弓矢をつがえる弓の段になります。

狂言はともかく、能で弓矢をつがえる型は珍しいところですが、廣田さんの花月はすっきりした形で、喝食らしい雰囲気です。この弓の段では結局のところ矢を放つことはせず、「仏の戒め給ふ殺生戒をば破るまじ」と正中で弓矢を捨ててしまいますが、これを受けてアイが進み出て、自分が殺生を勧めるような誤ったことを言ってしまったと、悔いるようなことを述べて、次の曲舞へと導きました。この殺生を勧めた誤りというような詞章も、あまり聞いたことがなかったように思います。
実は昨日の「自然居士のお弟子に花月と申して」については、萬斎さんのアイでも聞いたというご連絡をいただきました。たしかに今日書いた「花」を数え上げる場面の後の、アイとシテのやり取りの詞章に「雲居寺に候ひしが」とありますから、辻褄は合いますね。

さてこのつづきもう一日明日に
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花月さらにつづき

アイの勧めで曲舞へと進みますが、まずシテは「さればにや大慈大悲の春の花」とサシを謡い、扇を広げてユウケンしたのち、直ってクセになります。
この花月のクセも仕舞でも舞われることが多いのですが、清水寺の縁起が謡われて、曲舞の基本的な型がなぞられますが、なかなかに面白いところです。

クセの後、ワキが「あら不思議や、これなる花月を良く良く見候へば 某が失ひし子にて候はいかに」と花月が我が子であることに気付きます。
親子再会の部分は、直ぐには名のらない形の曲の方が多いように思いますが、花月では早速にワキはシテに問いかけます。
親子の再会とはなりますが、「瓜を二つに割ったるよう」というアイの詞は、常の通りでした。

アイがいつものように八撥を打ち、連れだって故郷へ帰るようにと勧めて、シテの物着から鞨鼓になります。物着は囃子のアシライがありません。八撥を打つようにと勧めたアイのシャベリがあり、シテの用意が出来る頃を見計らってアイは正中に出て「いかに花月に・・」と声をかけて切戸口から退場します。

このアイの呼び掛けを受けて、シテが立って常座に進み「七つの年天狗に」と謡い、地謡が「取られて行きし山々を思ひやるこそかなしけれ」と謡って鞨鼓になります。
この鞨鼓、瑞々しい雰囲気があって気持ちの良い舞でした。そもそもこの花月という曲自体、少年の形でもあり、どちらかというと若いシテがなさることが多い曲の様に思うのですが、廣田さんのような熟練のシテがなさると、また奥行きが出るように思います。
松田さんの笛、魅了されることが多いのですが、この鞨鼓もなんだか終わってしまうのがもったいないような感じでした。

鞨鼓の後は山廻りの謡。以前にも書きましたが、この謡とても好きなんです。が「讃岐には松山降り積む雪の白峰」で「しらみね」と謡ったような気がしたのですが、さて勘違いだったのか。観世では「しろみね」と謡いますし、他流も「しろみね」だったと思うのですが・・・
ともかく謡と舞の面白さに引き込まれて終曲になりました。
(最後に当日の上演時間を記載していますが、この日はメモし損ないまして正確な時間が不明です。50分内外だったと記憶しています)
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しばし休日

久しぶりの荒天で、我が家の小さなビニール温室が倒れてしまい、鉢植えが散乱。ちょっと驚きです。
さて、このところ、ちょっと根を詰めて書き物・・・といっても仕事関係ですが、いろいろと書きまくっていたために、肩凝りがひどくなってしまいました。

と言うわけで、本日の更新はお休みします。

FC2のブログでは「mail to」の機能が使えないので、メールホームを組み込んでみました。何かご要望のある際など、ご利用ください。右カラムの一番下にあります。

秀麗会を観に行く

本日は金春流本田光洋さんの会「秀麗会」の公演を観に、国立能楽堂まで出かけてきました。この時期は花粉症だとちょっとつらいところですが・・・

曲は光洋さんの「蟻通」と、ご子息芳樹さんの「道成寺」。狂言は山本則直さんのシテで「文相撲」。外に仕舞が五番ほど。

いずれも面白かったですね。
蟻通って不思議な味わいのある能で、この宮守は神なのか、人なのか・・・と考えてしまうところ。ワキの閑さんが、また良かった一曲でした。

道成寺、芳樹さんはお披キではないそうですが、たしかに堂々とした道成寺でした。そう言えば、金春は小書きがつかなくても赤頭でしたね。鐘が上がって、一瞬「あれっ!?」と思ってしまいました。

それぞれに気付いたことなど、様々にありますが、いずれ鑑賞記の中で触れていこうと思います。

そうそう、文相撲もなかなかに面白い一番でした。山本家らしい雰囲気でしたね。

ちょっと花粉症のせいか、眼がつらい感じなので、本日はこれにて・・・

蝉丸 替之型 鵜澤久・梅若玄祥(能楽座ひたち公演)

観世流 日立シビックセンター 2009.2.21
 逆髪 鵜澤久、蝉丸 梅若玄祥
  ワキ 宝生閑、アイ 野村萬
   大鼓 安福光雄、小鼓 大倉源次郎
   笛 松田弘之

本日から「能楽座ひたち公演」の鑑賞記です。
会の当日のブログに書いたとおり、六郎さんが玄祥を名乗られてからは初めての観能。しかし事前に見ていたチラシでは、小書無しで逆髪を六郎さん、蝉丸を久さんの配役になっていたのですが、当日パンフレットを見ると替之型の小書きが付き、逆髪が久さん、蝉丸が玄祥さんとなっていました。これは正直ビックリしたのですが、とはいえ替之型の小書では両シテの扱いになることもあり、これはこれで納得いく配役と思った次第です。

さて舞台上にはまず作り物の藁屋が運び出されてきます。
後見は運び出した藁屋を、笛座前あたりに戸口を目付柱の方へ向けて、斜めになる形で据え付けます。この置き方は替之型の特有の形で、観世流では通常はワキ座に置きます。

まずは次第で蝉丸一行の登場になります。蝉丸の玄祥さんは薄青のような色の指貫に紺地の狩衣。装束附には単狩衣または直衣になっているのですが、形としては狩衣だったと思います。ただし、後述のように出家の形になるため水衣を着込んでいるので、いささか形が違うような印象です。後からワキツレ輿舁の則久さんと御厨さんが輿を差し掛ける形。一方で白大口に茶系の、あれは長絹ですかね、一行の斜め後ろにつくような形でワキの閑さんが登場します。

正中というよりは、やや舞台左寄り。ワキ正に少し寄った形で一行が立っての次第謡です。藁屋の位置との関係でしょうか。ワキが延喜第四の御子、蝉丸の宮であることを名乗りで明かし、逢坂山へと向かいます。
道行の謡の後に着きゼリフがあり、ツレ蝉丸は地謡座の前で目付柱の方を向いた形で床几にかかります。

ツレ蝉丸がワキの廷臣清貫(キヨツラ)に、自分をこの逢坂山に捨て置くのかと問いかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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出張で

ちょっと帰りが遅くなってしまいました。
昨日から、能楽座ひたち公演の鑑賞記に入ったのですが、本日はとりあえずお休みします。

ところで、いつぞやお便りをいただいた、春藤流を伝えているという三神さんから、またお便りをいただきました。春藤流の研究をされている方が来訪された由。末永く、伝統が守られていくことをお祈りしたいと思います。

蝉丸のつづき

蝉丸に問われた清貫は、常座に下居したままで心ならずも捨て置くこととなった旨を述べて両手を突き、恐縮の意を示すような形です。
しかし蝉丸は、自らが盲目なのは前世の報いであるとし、過去の業の償いをさせようと父帝がこの山野に捨てさせ給うのだと語ります。

しかしワキはさらに、宣旨なので「御髪を下ろし奉り候」と蝉丸に出家を迫る形になります。この詞、閑さんの物言いが実にゆっくりとかつ悲しい感じで、感情をふんわりと包んだ能らしい表現と感じました。

物着になり、蝉丸は一度床几を立って座し、狩衣を外して水衣の姿になります。さらに喝食鬘から角帽子を着けて出家の姿となるわけです。
装束を着け終わると蝉丸が謡い出し、後見がワキの後にそっと笠と杖を置きます。

ワキは蓑を差し上げようと言い、またツレとのやり取りで笠も差し上げようと言って、立ち上がって笠を取り蝉丸に渡します。さらに常座に戻って今度は杖を取り「またこの杖は御道しるべ」と杖を蝉丸に渡します。

蝉丸と清貫の掛け合いの謡となり、地謡が受けて謡う中、後座、鏡板の前にクツロイでいたワキツレ輿舁が立ち上がって狂言座に出、「さりとてはいつを限りに有り明けの」とワキがツレに両手を突いて別れを告げる形になり、「早帰るさになりぬれば」と立ち上がって橋掛りへと向かいます。
蝉丸は「皇子はあとに唯ひとり」で立ち、正中へ杖突きつつ出ますが、タラタラと下がりつつ笠、杖を捨て、座してモロシオリになります。

ワキ、ワキツレが退場するとアイ博雅の三位が登場してきます。括り袴に水衣、洞烏帽子で常座に出て名乗り。博雅(ハクガ)の三位は源博雅で、十訓抄に名笛「葉二つ」を手に入れた話があると以前書きました。萬さんの博雅は陰陽師に出てくる博雅のような颯爽とした雰囲気ではありませんが、他人の身の上まで心配しそうな、いかにも人の良さそうな雰囲気が出ています。
さてその博雅の三位の様子はまた明日につづきます
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蝉丸さらにつづき

アイ博雅の三位はいったん目付まで出て蝉丸を見つけ、常座に戻って藁屋に案内しようと思う旨を述べて作り物に寄ります。藁屋の戸を開けた後、角に下居してツレ蝉丸に語りかけます。
蝉丸はシオリの形を続けていますが、この声がかかるとシオリを下ろし、アイが蝉丸に寄って藁屋へと導く形になります。送り込みのように後から送る感じですが、藁屋の中に導き、蝉丸は中で床几にかかります。普通は床几を使わないと思うのですが、ここは替之型のせいか、と思うところ。

アイ博雅の三位が藁屋の戸を閉め、退場していくとシテ逆髪の出になります。
一声の囃子でモギドウに緋の長袴を着け、肩に笹を担ったシテが登場し、一ノ松でサシを謡います。
この形は替之型の装束で、常の形の着流しと比べるとずいぶんと雰囲気が変わります。

狂乱の末に髪が空さまに生い上がると自ら言うように、髪が持ち上がったような鬘になっているのは常の形と同様です。
右に流して幕の方を見、童たちが身分の高い自分を笑うことから、いずれが順逆かは相対的なものに過ぎないという主張を語ります。この哲学的な香りのある詞章を謡いつつ、笹持つ手を上げ下ろしし橋掛りから舞台へ進んで常座で足拍子。ワキ正まで出てから常座に戻りカケリとなりました。
思いの丈がこみ上げて動きになったようなカケリで、盛り上がる場面です。

カケリ自体は舞台を一回り半する程度の簡単なものですが、思いが募った形で謡に戻り、柳の髪が風にも解かれず「手にも分けられず」と髪を手に取りつつ目付で小回りし、常座へ戻ってシオリから開いて、道行「花の都を立ち出でて」となりました。

この道行は以前にも書いたように仕舞でも好んで舞われる部分です。
この日はさらに替之型の小書で形も変化していました。
さてこの様子はまた明日に
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蝉丸さらにさらにつづき

道行の前半は常のように舞台を廻り「狂女なれど心は清滝川と知るべし」と六拍子を踏んで打込の型ですが「逢坂の 関の清水に影見えて」と笹持つ手で上げ扇の型から、笹を逆手に持ち替え、常座から「駒の歩みも近づくか」と橋掛りへ進み、一ノ松で「水も走井の」とノリ込んで水を見る形。「我ながら浅ましや」とハッと気付いた風に笹を上げ、さらに幕前まで進んで「水を鏡と」と水を覗く型から二三足下がってシオリました。思いのこもった場面です。

シテ、ツレ同吟で「第一 第二の弦は策々として秋の風」と謡い出し「我蝉丸が調べも四の」でシテが橋掛りを戻り始めます。一ノ松で佇み、あたりの様子を感じるさまになると、蝉丸が扇を広げて左手に取り「世の中は とにもかくにも有りぬべし」と琵琶弾く型を見せます。笛のアシライが入り、琵琶の音が聞こえるようです。

常座まで進んだシテは「不思議やなこれなる藁屋の内よりも撥音気高き琵琶の音聞こゆ」とゆっくりと藁屋を見る形になります。
シテ、ツレの掛け合いで、お互いが姉弟と気付くところですが、お二人とも見事。「なに逆髪とは姉宮かと 驚き藁屋の戸をあくれば」で蝉丸が戸を開いて藁屋を出ます。
二人手を取り、そのまま下居してシオリます。

地のクリでシテ逆髪が立ち、ツレ蝉丸は藁屋前に座し、逆髪はワキ正まで出て下居します。シテ、ツレの掛け合いの後、本来はクセの謡がありますが、この日は省略。この謡が省略されるのが小書のためなのかどうか、実はこのあたりはよく分かりません。おそらくは関係あると思うのですが、詞章の省略は小書が無くても行われることもあり、特に地方のホールでの公演などではそう言う場合が多いように思います。
ともかくこの日はクセが略されましたが、むしろここは緊張感が高まったまま終曲に向かった感じで、蝉丸が「たまたまこと訪うものとては」と扇を広げて再び琵琶を弾く形。シテは「藁屋の起臥を思ひやられていたはしや」とツレを見てシオリます。

ロンギでシテは別れを告げて都へ戻ることとなり、「きょうだいの宮の御わかれ」と立ち上がって後ろを向きますが、一度ツレを見てからワキ正方へ向きを変えてシオリ。静かに橋掛りへと進みます。
「関の杉村過ぎ行けば」と三ノ松で再びシオリ、ツレは杖を突いて立ち上がり常座まで出ます。
名残が尽きぬ景色の中、シテは幕に入り、ツレが常座に二足ツメて留となりました。
深い思いを感じた一曲です。
(74分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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東京金剛会を観に行く

本日も先週に引き続き国立能楽堂へ。
と言っても今回は、ひっさしぶりの東京金剛会です。五雲会と重なることが多いこともあって、なかなか観られない東京金剛会ですが、本日は宗家の「雪」と工藤寛さんの「鞍馬天狗」に、狂言は善竹十郎ご一家の「佐渡狐」という番組。仕舞も六番ほどあって、まさに「流儀の定例会」を観ましたという雰囲気です。

今回はいつもよりさらに京都からの皆さんが多いような感じで、式能でも花月を拝見した廣田幸稔さんの「田村キリ」と、豊嶋三千春さんの「求塚」の仕舞を続けて拝見しましたが、なんだか仕舞だけでも満足感がありました。
そのお二人が、宗家の雪では地謡をまとめられ、また鞍馬天狗は宇高通成さんの地頭と、いずれも安心して、地謡を楽しめた感じです。

「雪」は金剛流のみの曲で初見ですが、小品ながら風情のある曲でした。
今年はやけに暖冬で、このところ二十度を越えるような日もあるため、今ひとつ「雪」という風情が感じにくいのですが、そこはかとない雰囲気がありました。

「鞍馬天狗」は観て楽しい曲ですし、工藤さんがシテでもあり、面白く拝見しました。牛若の山根あおいさんも熱演でしたね。以前、工藤さんが望月をされた時も子方で出ていましたが、しっかりしたお子さんです。

佐渡狐は十郎さんの名前が上にあったので、佐渡のお百姓をされるのかと思ったのですが、式能と同じく奏者役で、佐渡のお百姓を富太郎さん、越後のお百姓を大二郎さんという配役でした。最近観たばかりの曲ではありますが、楽しく拝見したところです。

能二番と狂言一番くらいだと、体力的には楽ですね。
来月はちょっと大胆な構想を立てているのですが、体力が持つかしらん。

ともあれ、観能記はいずれそのうち。
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清水 野村萬(能楽座ひたち公演)

和泉流 日立シビックセンター 2009.2.21
 シテ 野村萬
  アド 野村扇丞

清水は18年の秋にも、この日立シビックセンターで見ておりまして、その際の鑑賞記も載せています。シテは万蔵さんにアドが小笠原匡さんでしたから、今回の清水も基本的には変わりません。

とは言えなかなかに面白い狂言ですので、前回の鑑賞記を補う形で少し書いておこうと思います。
まず登場してきたアドの主人は、此の中、方々のお茶の湯は夥しいことで、明日の準備に水を汲んでこさせようと太郎冠者を呼び出します。
まかり出でた太郎冠者に、主人がどこの水が良かろうと問いかけ、太郎冠者が野中の清水が良かろうかと答えますが、さてその水を汲みに行くように命じられると、自分は忙しいので次郎冠者を使わしてくれるように求めます。

しかし主人は、次郎冠者には別の用事もあるのでどうでも太郎冠者が行くようにと命じ、後見から葛桶を受け取って正先に置いて、太郎冠者に水の汲み方を知っているかと問いかけます。
要は浮いている木の葉や、沈んでいるものを除けて真ん中から汲んでこいという訳ですが、そんなことは知っていると太郎冠者は不満げに答えます。萬さんのこの返事の雰囲気が面白いところで、見所からもここで既に笑いが出たところ。

太郎冠者は正先の桶を持つと常座に行きますが、行ってこいという主人の命に「へっ」と不承不承の声を出し、主人がきっとなってキツく命じて下がります。この不承不承加減がまた面白いところです。

さてアドが笛座前に下がってしまうと、シテ太郎冠者の独白になりますが、例によって「さてもさても 迷惑なことを言いつけられた」と忌々しげに言いますが、これまた常の形で「致しようがござる」と桶を後座に置き、突然に「なうかなしや あいたあいた」と痛がりつつ屋敷に戻る形になります。
さてこのつづきはまた明日に
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清水のつづき

主人が出てきてどうしたのだと問いかけると、太郎冠者は清水に行ったが向こうの山がどどどどと鳴って鬼が出、取って噛もうと襲ってきたと報告します。
主人は秘蔵の桶を気にして、手桶はどうしたと聞きますが、覚えがないと太郎冠者が答えます。しかし重ねて問われ、逃げる時に鬼のつらに手桶を投げたら、がりがりと音がしたので鬼が食ったと答えますが、主人は納得しません。

秘蔵の手桶なので、太郎冠者の命にも代えられるものではないと主人が言い、そんな言い様はなかろうと太郎冠者が憤慨しますが、どうでも手桶の惜しい主人は自ら清水へ行くと太郎冠者を押しのけて舞台を廻り清水へと向かいます。

そこで先回りすることにした太郎冠者、鬼の面を着けて、やって来た主人を「とってかまう」と脅かします。
これには驚いた主人が命乞いすると、調子に乗った太郎冠者は、「召し使っている太郎冠者に酒を飲ませろ」とか「蚊帳を吊ってやれ」などと言い出して、主人に約束させます。このあたりは前回の鑑賞記にも書いたとおりですが、うまく聞き取れなかったのがそのあとの「給分の残りを算用せぬげな これも早々帰って算用しようか」というやり取り。給金の残りを払っていないという意味でしょうか。このあたりのやり取りの詞もなかなかに面白いものです。

さて約束をさせた太郎冠者は「総じて鬼の行く姿を見ぬものじゃ」と主人に見ないように命じて、姿を消しますが、ここも他の曲にもありますが「見るな見るな」と繰り返し、主人がそっと顔を上げると脅すという次第で、笑いの出るところです。

主人は戻ってくると、急いで先回りした太郎冠者が主人を捜す風で歩いているのと出くわします。
主人と太郎冠者が鬼の出た様子を語り合う形になりますが、鬼が「汝のことをいこうひいきしていた」と主人が言うのに、太郎冠者は自分の先祖があの清水に身を投げたので、子孫のみを案じて鬼に言ったものでしょうなどとごまかすところも面白いところです。

結局は、太郎冠者が鬼の真似をしたところ、声がそっくりなのを主人が怪しみ、再び清水に向かって、結局は太郎冠者が鬼に扮していたことを暴いて追い込むという形。楽しい一曲でした。
(21分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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天鼓 弄鼓之舞 観世銕之丞(能楽座ひたち公演)

観世流 日立シビックセンター 2009.2.21
 シテ 観世銕之丞
  ワキ 宝生閑、アイ 野村扇丞
   大鼓 安福光雄、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 松田弘之

銕之丞さんの弄鼓之舞。昨年秋の銕仙会の際に、時間の都合で弄鼓之舞の小書付を前場だけで失礼してしまったのですが、その時のシテ柴田さんが後見で出ておられるのも何かの縁。興味深く拝見しました。
なにぶん地方公演なので、囃子方は皆さん蝉丸に続いての登場ですが、源次郎さんの袴が蝉丸の時と違うのに気付きました。他の方はどうだったのか、蝉丸の時が割と印象に残る袴でしたので気付いたのですが、なにか深いわけでもあるのでしょうか。

それはともかく、まず舞台には鞨鼓台が出されてきて正先に置かれます。
天鼓の鑑賞記は、以前に金春流山井綱雄さんの盤渉の小書付を観た際のものを書いていますが、その時も書いたように、下掛りでは鞨鼓台と一畳台を出すようで、それはそれでまた面白いのですが、鞨鼓台だけの形を見慣れているといささか驚きます。

後見が下がると名宣笛でワキの出になります。白大口に黒地の袷法被で、後漢の帝に仕える臣下という出で立ちです。常座で名乗りますが、ここで王伯王母という夫婦の子、天鼓の物語が語られます。
王母が天から鼓が下る夢を見て身籠もった天鼓ですが、その後本当に天から鼓が下り、これを天鼓が打つと聞く人々を感じ入らせた。しかし帝がこれを聞いて鼓を召し上げられようとし、天鼓がこれを拒んだので呂水に沈められてしまった。しかし内裏に据えられた鼓が鳴らないので、父の王伯を召して鼓を打たせようという勅命であるという話です。

閑さんが趣き深く語り終えると、橋掛りへ向かい、一ノ松まで出て呼び掛け「誰にて渡り候ぞ」シテが橋掛りへ出て三ノ松に立ち、宣旨と聞いて下居します。
常の型では、前シテが一声で出て、一セイ、サシ、下歌、上歌と謡ってからワキが呼び掛けますが、この小書ではワキの詞のあとは、一セイから上歌までが省略されて、シテワキの問答になります。山井さんの盤渉の際は、一声で出て一セイの謡のみ謡った後、サシからは省略されましたが、ちょっと似た感じですね。
さてこのつづきはまた明日に
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天鼓のつづき

実はどうも記憶がはっきりしないのですが、柴田さんが銕仙会で弄鼓之舞をされた時は、一セイを謡ったような気がするんですね。あのときブログに書いたように、時間がなかったので最後列に立って観ていたためメモも取っていませんから、確認のしようはないのですが、前シテが一ノ松あたりで謡っていた姿の記憶があります。あれはどうだったのでしょうねぇ。

ともかくこの日はワキが一ノ松あたりまで出て、前シテを呼び出し、シテが三ノ松に下居して宣旨を畏まって承る形になりました。小格子厚板に茶の水衣、唐頭巾に白垂の姿で、まさに唐土の老人という形です。

シテは子が勅命に背いたのだから、その父も刑を受けるのであろうと覚悟の様を見せますが、ワキはこれを否定し、鼓を打たせるのだから急いで参るようにと促します。
シテの謡「仮令罪には沈むとも」を地謡が受けての謡でシテは立ち上がり、ワキに従って舞台に進みます。ワキはそのままワキ座へと進み、地謡いっぱいにシテは常座に立ちます。

ワキは内裏にやって来たので急いで鼓を打つようにと促しますが、シテはここまでは来たけれども老人故にゆるして欲しいと下居して合掌します。謡も力なく謡う感じで、老人の苦悩が表されるところ。
けれども再度のワキの勧めに「さては辞すとも叶ふまじ」と思い切り、詞からカカル謡へと謡いつつゆっくりと立ち上がります。

地次第「生きてある身は久方の生きてある身は久方の 天の鼓を打たうよ」で鼓に向き、地取りで後見を向いて装束を整え、ワキはワキ座に着座します。

続く地のクリで常座から大小前に進んで正へ向き「玉渕を窺はざるは」で正中に下居します。「げにや世々毎の仮の親子に生まれ来て」とシテのサシ。地謡との掛け合いになりアイが登場してきます。

このあとクセになるのですが、これも省略されてロンギへと続きました。
このつづきはまた明日に
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天鼓さらにつづき

クセを省いて、地謡が「鼓の時も移るなり 涙を止めて老人よ 急いで鼓打つべし」とロンギを謡い出します。クセの直前は謡が低い音で終わっているため、上音からの謡い出しに、ちょっとつながりが悪い感じはしますが、気分を変えてといった雰囲気ですね。

シテは「急いで鼓打たうよ」と謡うと、地謡で立ち上がり「老の歩みも足弱く」で一足ずつゆっくりと鞨鼓台に近づきはじめ、撥を取って「打てば不思議やその声の」に合わせて鼓を打つ型を見せます。鳴らぬ鼓が鳴ったような気分です。
「君も哀れと思し召して」で足拍子を二つ踏み、手に持った撥を一本ずつ落として、正中に座しモロシオリとなりました。

鼓が目出度く鳴ったことから、天鼓を管弦講で弔うとの勅諚があった旨をワキが述べ、老人を私宅へ送るようにとアイを呼びます。
呼ばれたアイが出て「まずお立ちゃれ」と声をかけて、シテの後から立たせる形になりますが、シテが立ち上がる時に、ふと鼓に目をやったように見受けました。

アイはシテの後から支えるように送り込み、シテが幕に入ってしまうと常座に戻って、立ちシャベリでこれまでの経緯を語ります。さらに正中でワキに向かい報告すると、ワキから管弦講の触れをするように命じられ、常座で触れてからワキに報告して、切戸口から退場しました。

ワキは立ち上がり、地謡座の前で「さても天鼓が身を沈めし 呂水の堤に」と謡い出し、待謡へと謡っていきます。謡い終えたワキは、ワキ座に戻って着座し、一声の囃子で後シテの出となります。
黒頭に半切、袷法被を脱下げて唐団扇を持った後して天鼓が登場してきます。
いよいよ舞台は盛り上がってきましたが、さてこのつづきはまた明日に
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天鼓さらにさらにつづき

現れ出でた後シテは、一ノ松でサシ「あらありがたの御弔ひやな」を謡い出し、管弦講で弔いを受ける有り難さを謡います。
ワキ、シテの掛け合いで、天鼓の亡霊が現れたことが明らかにされ、ワキは「はやはや鼓を仕れ」と天鼓に鼓を打つように促します。

シテは「うれしやさては勅諚ぞと」と謡いつつ舞台へ入り、常座からワキ正へ出ます。シテ、ワキの掛け合いになり、この間にシテは唐団扇を後見に渡し、鼓に寄って撥を取り「打ち鳴らすその声の」と鼓を打つ型になります。
さらに舞台を廻って数拍子を踏み、再び鼓に寄って「手向けの舞楽はありがたや」と打つ型を見せますが、この打つ形にちょうど太鼓が合わせて、さながら天鼓が鼓を打った様です。そしてここから楽に入っていきます。

楽は、通常では太鼓が入りませんが、この弄鼓之舞の小書きがつくと、太鼓が入った盤渉楽になります。この太鼓が入った盤渉楽というのは、金春の盤渉の小書も同じですが、途中から調子が上がることで、鼓を打つ天鼓の歓びがより鮮明に表されるような気がします。
段が変わって調子が盤渉調に上がると、舞がいよいよ華麗になっていく感じです。さらに四段では橋掛りへと入り、二ノ松まで進んでから戻り、一ノ松で袖を被いて再び舞台へと戻ってきます。
太鼓を撥で打つ型もあり、見応えのある舞でした。

楽を舞上げると、シテの「面白や時もげに」からの謡舞。ここは仕舞でよく舞われる部分ですが、私も大好きなところ。メモ取る手も止めて見入ってしまいました。
このキリの部分もだいぶん変化していて「水に戯れ波を穿ち」も膝をついて、波を打つような常の型から、立ち上がり様に波を蹴立てるような足使いを見せたり、「時の鼓 数は六つの巷の声に」で踏む六拍子も、替の拍子を踏んだり、見所満載の感じでした。

ホールで観る能の時は、能楽堂で観るよりもテンションが下がり気味になりがちですが、すっかり能の世界にはまり込んだ一曲でした。
(60分:最後はすっかり見入ってしまってメモがちょっと怪しいのですが当日の上演時間はほぼ60分でした)
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二九十八 大藏基誠(SHIN狂言鑑賞会)

大藏流 那珂市らぽーる 2009.3.1
 シテ 大藏基誠
  アド 大藏千太郎

いわゆるホールでの上演でして、仮説の舞台も揚げ幕や切戸口の用意はなく、能舞台の大きさの板に橋掛り分が付属した形に、鏡板様の松の絵を吊ったもの。さすがに能ではどうかなあと思うところですが、狂言だと、こんな舞台でもけっこうサマになるから面白いところです。

さて最初の曲「二九十八」ですが、嫁取りにまつわる話で「伊文字」と同様に清水の観世音に妻乞いの祈願をするという話になっています。
まずはシテの男、基誠さんが登場し「これはこのあたりに住まいする者でござる」と名乗り、いまだに定まった妻がいないので、清水の観世音に祈願して申し妻を致そうと、舞台を廻って清水寺へとやって来ます。

正中に出て「さらば拝を致そう」と、正座して扇を置き合掌したのち、通夜をしようと扇を握って右膝に立て、少し体を倒して寝入った形になります。が、直ぐに目覚めた態になって、霊夢を見たので早速に西門へ参ろうと立ち上がります。

舞台を廻るにあわせて、アド女が登場して一ノ松に茶の衣を引き被いて立ちます。シテはこの姿に気付いて、これは御霊夢の妻かと常座によって早速声をかけようとします。
しかし小さな声で声をかけたものの、自分で笑い出してしまい、大声で笑いながら正中に戻ってしまいます。
再び声をかけようと、常座に向かい「もしや御霊夢の、お、つ、つ、つ・・・」と言うものの、恥ずかしくて「妻」と言えず、またまた正中に戻ってしまいます。
これではならじと、意を決して三度目の声かけをすることにし「お妻様ではございませんか」とようやく声をかけます。

和泉流ではなんども声をかけ直すという展開はなかったと思いますが、この先は同じで、妻が「つまぞ無き 我が身一つの狭衣に 袖を片敷き独り寝ぞする」と歌を詠みます。
この歌に喜んだ男は女の家を問うと、女は「我が宿は春の日ながら街のなか 風の当たらぬ里といふべし」と再び歌を詠みます。
さて不思議な話ですが、このつづきはまた明日に
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二九十八のつづき

この二首の歌、今ひとつ聞き取りにくかったので、もしかしたら微妙に違うかも知れません。和泉流の本ともほんの少し違っているような感じですが、まあ大意は異なりませんので、いずれにしても、二首目の歌を判じた男は、女が春日町の室町に住んでいると推量し、返歌で「春日なる 里とは聞けど室町の 角からしてはいくつめの家」と歌で家の場所を問いかけます。

これに対して女は「二九」と答えて姿を消してしまいます。
男は「憎い」と言う意味かなどと想像しますが、これは「二九で十八の意味」と推量し、舞台を廻って室町へ着くと、角から一、二、と数えます。

舞台には再び衣を被いた女が登場し、十八軒目を数えたところで、男が女を見つけて手を引き正中へと連れ出します。

霊夢によって見初めた妻ということで、早速に杯事を行うことにします。酒を飲んだ男はひとつ謡おうかと「聞こし召せ 聞こし召せ 寿命久しかるべし」と謡い、女が「やんややんや」と褒めたので、さらに「ざざんざ 浜松の音は ざざんざ」と謡って、また二人機嫌良く盛り上がります。

さて祝言の杯事も行ったので、被き物をとって姿を見せてくれと男が言いますが、女は恥ずかしいのでこのままで家まで連れて行って欲しいと願います。

何度か衣を取る取らないでもめた後、女の被き物を取ってみると、アドは乙の面を着けていて醜女の態です。
これにビックリした男はそっとその場を離れようとします。大柄の基誠さんが抜き足差し足の感じで、身をつめて立ち去ろうとする所作は笑いを誘ったところ。

女がこれをとがめると「忘れ物をした」というので、それならば人をやろうと女が言います。すると男は「あ、痛 いた 虫腹が痛む」と騒ぎだします。しかし女が問い詰めると、忘れ物も虫腹も嘘だと男が白状します。そして醜女とは添えないと言って逃げ、女が追い込んでの留。なかなかに面白い一曲でした。
(21分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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禰宜山伏 大藏千太郎(SHIN狂言鑑賞会)

大藏流 那珂市らぽーる 2009.3.1
 シテ 大藏千太郎
  アド 吉田信海 大藏彌太郎 小梶直人

二九十八に続いては禰宜山伏。禰宜と山伏が出てくるという話ですが、まずはワキ座に床几が出されて、アド禰宜の吉田信海さんが登場してきます。半袴に掛素袍、士烏帽子を着けて肩に幣を担っています。括り袴で出る形、折烏帽子の場合もあるようですね。
常座で名乗りの後、舞台を一回りし、のどが渇いたと茶屋を探します。

禰宜に続いて出て、大小前に控えていた茶屋の彌太郎さんが立って出、禰宜を招じ入れる形で床几にかからせます。茶屋の主人は長上下の姿で、小振りの椀に茶を注いだ形で扇で煽ぎながら禰宜に勧めます。

禰宜は飲み干すと、もう一杯所望し、主人が二つ目を差し出します。この禰宜山伏という曲は、善玉の禰宜と悪玉の山伏的な対比が面白いところで、いささか優男風の吉田さんが、この禰宜役にはぴったりの感じです。
ゆっくり休むようにと言って主人は大小前に下がり、禰宜は床几にかかったままゆったりと構える感じになります。

するとそこへ肩箱を担いだシテ山伏の千太郎さんが登場してきます。括り袴に縞の水衣、篠懸をかけて兜巾を着けた典型的山伏姿です。
常座で威張って名乗り、さらに空飛ぶ鳥も祈り落とす、と正先まで鳥を落とすように進み出て足拍子。常座に戻ってのどが渇いたと茶屋を探します。

茶屋に気づき茶を所望しますが、尊大な態度で目付に出て、主人が差し出した椀を受け取りますが「熱い うめておこせ」と怒鳴って椀を戻します。主人が水でうめた風で再度椀を差し出すと「おのれ往還で茶屋をしながら 熱いぬるいの加減を知らぬか」と怒鳴ります。
これを床几に休んでいた禰宜が取りなそうとすると「退きおろう」と床几から禰宜を追い出して、自分が床几に腰掛けてしまいます。
さてこの乱暴な山伏がどうなるか、明日につづきます
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