能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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蟻通 本田光洋(秀麗会)

金春流 国立能楽堂 2009.3.15
 シテ 本田光洋
  ワキ 宝生閑
   大鼓 柿原崇志、小鼓 亀井俊一
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌庸二

蟻通は19年5月の宝生流五雲会で、朝倉俊樹さんが舞われた際の鑑賞記()を載せています。
その際にも書きましたが、シテが傘を持って出るという、能としては珍しい曲です。宝生流は長柄の傘という、文字通り柄の長い特殊な傘を差しますが、他流は通常の傘のようで、この日の本田さんも後ほど書くように通常の傘でした。

一場物の現在能なのですが、宝生では脇能の扱いにするのが基本のようで、四番目にもするということのようです。金剛流も同様ですが、観世流、喜多流は四番目を基本に初番にも用い、金春流では主として五番目として扱い、初番、四番にもするという、各流それぞれにいささか扱いが異なる様子。
この初番ないし五番とするか、四番とするかは、シテの老人が神の化身なのか、たまたま神が乗り移ったにすぎないと見るかの違いであろうと推測しますが、このあたりの違いは微妙に演出に現れるように思います。

さてシテにまつわる話ばかり書きましたが、まず舞台には次第の囃子でワキとワキツレの一行が登場してきます。
ワキは紀貫之で、正中で向かい合って次第を謡い、正面に向き直ったワキが「これは紀貫之にて候」と名乗ります。
後々書いていきますが、この曲はワキが重要な役所になっています。この日は閑さんのワキということで、実は大変期待しておりました。

さてその閑さんの風雅なワキ、白大口に薄青の単衣狩衣、風折烏帽子を着けた貴人の姿で、紀貫之と名乗るせいか、一層風雅な感じが漂います。ワキツレは素袍男、大日向さんが太刀を持ち、御厨さんと二人で貫之に従う形です。

さて道行の謡が終わるとワキツレはワキ座へと着座し、ワキ一人が正中に進みます。
なにやら不思議な展開になってきますが、このつづきはまた明日に
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蟻通のつづき

「あら笑止や。俄に日暮れ雨降りて」と急に雨が降り出した様子ですが、さらに「乗りたる駒さへ臥して」と下を見回す型で、倒れた馬を見回すようにして正中へ座してしまいます。いかにも馬が倒れて投げ出され、さらに「前後をわきまへず候はいかに」と困り果てた風です。

アシライの囃子となり、ワキは立ち上がってワキ座へと下がります。先の道行の終わり「里近げなる鐘の声」で既に幕が上がっていますが、このアシライでシテ老宮守が登場してきます。深い緑系の色大口に薄い緑系の厚板、ヨリの狩衣を肩上げにし、左手に傘、右手に松明を持っています。

右手にもった松明を一度振って差し出した形にしたまま、橋掛りを進んで一ノ松手前で立ち止まり、「瀟湘の夜の雨しきりに降って」とサシの謡になります。
「社頭を見れば灯もなく」と舞台、正中の方向を見やり、雨の中の社殿を見る風です。一度戻した後に、「宮守一人も見えぬ」で舞台の方に向きを変えて歩み出し、橋掛りを進んで「あら無沙汰の宮守どもや」の言葉いっぱいまで舞台へ入り、常座に止まりました。

ワキはこれに合わせるように立ち上がり、シテに呼び掛け問答になります。
この問答でシテの宮守は、ここが蟻通の明神であり下馬しなければならぬところ、ワキが気付かずに通り過ぎようとしたので物咎めを受けたのだと諭します。
ワキ「さて御社は」に、シテは「この森のうち」と社殿を照らすように松明を上げて示し、語りつつ常座に向かい「糸もて繋ぐ駒」で傘を後見に渡して扇に持ち替えます。

「神前を恐れざるこそはかなけれ」とシテは大小前に進んで下居し、ワキも着座して合掌します。シテはワキに名を問い、ワキが紀貫之と答えると、貫之ならば歌を詠んで神に捧げるようにと言います。ワキは驚きつつも「雨雲の立ち重なれる夜半なれば。ありとほしとも思うべきかは」と即興の歌を詠みます。

「ありとほしと」は、雨雲で見えぬけれども星は在るということと、蟻通をかけている訳ですが、この歌を繰り返すと、シテは「面白し、面白し」と二人向き合う形になり、ワキとの掛け合いで謡います。
このつづきはまた明日に
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蟻通さらにつづき

シテの謡を受けて地謡となり、「君が代の直なる道を現せり」とシテはワキを向いて思いを伝える風を見せた後、正へ直してクセになります。宝生の朝倉さんのときはこのクセに入るところで着座しましたが、いささか展開が違いますね。

クセは通常、地謡が謡を進め、途中シテが上端を謡って地謡が続ける形ですが、この曲ではワキが「かかる奇特に逢坂の」と謡って立ち上がり、ワキの仕舞の形になります。正面に向き直って倒れている馬を引き立てる所作。馬が立ち上がったとして「誰か神慮のまことを仰がざるべき」と下居して両手をついての拝礼になります。

平伏から直ったワキはシテに向かって祝詞を上げるように求めます。
二人立ち上がり、ワキがワキ座へと下がって着座する一方で、シテは常座へ向かい後を向いて肩上げを下ろし、幣を受け取って正中に下居するとノットの囃子になります。シテは「いでいで祝詞を申さんと」と謡い出します。
このノット、何度も書いてますが不思議な高揚感があって私は好きです。

シテはやや腰を浮かせて答拝し幣を振って「謹上」と謡い、地謡が「再拝」と受けます。さらにシテが幣を膝に立て「敬ってもうす神司」と謡い出します。祝詞を奏上する形ですが、この途中「そもそも神慮をすずしむること」あたりから太鼓が入ります。朝倉さんのときはノットから太鼓が入ったように記憶していますが・・・

シテは謡の最後「思ひ出でられて」で立ち上がって立廻をみせ、さらに謡い舞いしますが「仮に姿を見ゆるぞとて」とワキを見込むと、さっと向きを替え後ろ向きに御幣を捨てて、すすっと歩を早めて一ノ松まで進み、そのままゆっくりと退場します。
これに代わってワキが立ちあがりユウケンをして、留めの拍子。
大変趣深く、味わいのある能でした。

この日、本田さんは小尉の面でした。後援会通信に書かれたお話では、以前からお持ちのこの小尉を蟻通に用いようとお考えだったそうです。この面、小尉としての形式化が進む前からのリアルな形を残したものとのことで、ある意味、人間らしい感じと、同時に眉根あたりに皺が刻まれ、これが神の憑物を表しているようにも感じられるところ。面に寄せる能楽師の思いを、様々に想像したところです。
(57分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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文相撲 山本則直(秀麗会)

大藏流 国立能楽堂 2009.3.15
 シテ 山本則直
  アド 山本泰太郎 山本則孝

相撲の文に記憶があるので、たしか初見ではないと思うのですが、さて前回はいつ見たのか、やはり記録しておかないと忘れてしまうものですね。

この曲では「今参}と同様、まず舞台には素袍上下に洞烏帽子の大名が登場し「遙か遠国の大名です」と名乗った後、召し使うものが唯ひとりなので「新参の者もあまた抱えようと存ずる」と述べます。
呼び出した太郎冠者に「いかほど置こうぞ」と問いかけ、「一度にどっと置こう」と「三千ばかりも置こうか」と言います。「もそっと減させられたら」と太郎冠者に言われ「五百ばかり」と修正しますが、太郎冠者には「堪忍が続きますまい」と言われてしまいます。非常識な大名と、割合常識のある太郎冠者という組み合わせですね。

さらに大名は「堪忍と言ふは彼らが食み物のことか」と問いかけ、水を飲ませておけばよいなどと無茶苦茶なことを言いますが、太郎冠者にたしなめられて「二人置こう」とさらに大きく減らします。
常識人の太郎冠者は「とてものことに今一人減させられませい」と言いますが、大名は「汝ともども二人」つまり、新参は一人と答える形でした。

大名と太郎冠者という組み合わせは狂言の基本的な形でもあり、多くの曲を見かけます。しかし漫才のボケとツッコミではありませんが、どちらが非常識かは曲によって分かれるところで、この文相撲をはじめとして大名がボケの曲と、成上りなどのように太郎冠者がボケの曲がありますね。
狂言の分類などには詳しくありませんが、大名がボケの曲は大名をシテとするいわゆる大名狂言に多いようで、一方で太郎冠者がボケる曲は太郎冠者がシテの太郎冠者物、小名狂言に多いように思います。もちろん多々例外もあるようですし、ツッコミの方もなかなかに常識外れだったりするので、綺麗に分かれるわけではありません。

それはさておき、新たに人を抱えるため、大名は太郎冠者に上下の街道へ行き適当な者を探してこいと命じます。
さてこのつづきはまた明日に
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文相撲のつづき

こういう曲のならいなのでしょうし、山本家だけに余計にそんな感じになりますが、命ずる大名と命を受ける太郎冠者のやり取りは極めて様式的です。
「えーい」「はー」と何度かやり取りをすると、大名が「もう戻ったか」と問いかけ、太郎冠者はまだ出かけてもいないと答えます。大名は油断させぬために言ったのだなどと言ってから、さらに「えーい」「はー」と繰り返す形になっています。

ようやくこのやり取りが終わり、太郎冠者は舞台を廻り街道へ出ると、人が通るのを待とうとワキ座に着座して待つ形になります。
一方、アドの男則孝さんが括り袴の身軽な形で登場してきて、常座で名乗ります。

舞台に入った男を太郎冠者が呼び止め、「身共の頼うだお方はかっとお大名じゃ」と言って、奉公するように誘います。男が「同心でござる」と承知し、早速に太郎冠者は男を伴って歩き出すわけです。
しかし太郎冠者は「ちとお待ちゃれ」と足を止め、男に国を尋ねます。さらに太郎冠者は、大名から何か芸のある者を探してこいと言われていたので、男に芸があるかと尋ねます。男はこれに「弓、鞠、包丁、碁、双六、馬の伏せ起こし、やっと参ったをいたします」と答えます。最後の芸はなんだかわかりませんが、ともかく芸だくさんの様子に喜んだ太郎冠者は、男を連れて屋敷に戻ります。

二人は橋掛りへと進み、一ノ松、二ノ松に立ったところでお屋敷に着いた形になります。大名の屋敷という設定なので、舞台が屋敷となり、屋敷外となる橋掛りに二人が控えることで、空間的な広がりが出ます。先日の佐渡狐でも書きましたが、狂言のこうした空間設定の面白さはなかなかのものです。

さて男を連れて太郎冠者が戻ってきた形から「今参」と同様に、太郎冠者は男を外に待たせたまま、舞台に入り大名に報告をします。
大名は先々のため男に聞こえるようにと、大声で太郎冠者に過を言い、太郎冠者がこれに答えます。さらに太郎冠者に床几を持たせて、大名らしく男に対面することにします。
さてこのつづきはまた明日に
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文相撲さらにつづき

大名は、馬を引けとか、若党に矢ノ根を磨かせよなど太郎冠者に命じたりします。このあたりは、あまり奉公人の多くなさそうの大名が、精一杯大身の様子を見せて新参者に威厳を示そうというところで、歴史的な意味でも興味深いところです。

太郎冠者が案内して男が舞台に入り、目付に出て大名に向かう形になりますが、男は「新参の者」と言ったまま、走り逃れて一ノ松に立ちます。その素早い動きに、これは使い物になると思ったのか、大名は眼で使ってみようと言い、太郎冠者に男を再度案内させます。

男が出ると、大名は男を眼で使い、目付、ワキ座、常座、目付、近く、遠くと何度か男を動かすよう繰り返し、大名が満足して笑い出し男は一ノ松に戻って佇みます。この大名が男を眼で使う部分は演じない場合もあるそうですが、この曲では割に大きな部分を占めている感じがします。
さて舞台では、太郎冠者が大名に男の芸が多様であることを報告しますが、ボケ風の大名はそのなかにいらぬ芸があると「馬は持たぬ、ゑのころかなどの伏せ起こし」と訳の分からぬことを言い出し、太郎冠者にたしなめられます。

大名は男を呼び、何が一番得意かと尋ねますが、男は相撲が得手だと答えます。実は大名も相撲好きで、早速に相撲を見たいので男にこれに出て相撲を見せるようにと命じます。これに対して、男は相手を出して欲しいとこれまた当然のことを頼みます。

大名は、一人ではとれないのかなどととぼけたことを言います。さすがに一人ではとれまいと、男にも、太郎冠者にも言われて、それでは風呂を焚く『どうきん』と取らせようかなどと言い出します。どうきんは人の名なのでしょうね。

しかしこれは年寄りで、それでは太郎冠者にと言うものの、太郎冠者はついぞ相撲を取ったことがないという次第。結局はどうしても相撲を見たい大名自身が相撲の相手をすることになります。
身ごしらえをして相撲を取ろうということで、男は狂言座に行って肩衣を外し、大名は笛座で太郎冠者に手伝わせて素袍、熨斗目を脱いで白練・下袴の姿になります。大名がこうした姿になるのは、同じ相撲を取る蚊相撲はもちろんですが、靭猿などにもありますね。このつづきもう一日明日に
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文相撲さらにさらにつづき

大名は太郎冠者に行司を命じて、男と手合いの形になり「いやあ」と声を掛け合います。相撲の形は、二人ともに体は正面を向き、両手を挙げて「いやあ」「いやあ」と声をかけながら両手を上げ下げする形ですが、極めて様式的で、古い時代の相撲がこのような形だったのかなどと、種々考えてしまうところですね。

さて手合いをしようとすると、男が大名に寄り、大名の目の前で二つ、パチパチと手を叩きます。これに驚いて大名が目を回してしまい、男が勝ちを収めます。
大名は太郎冠者に今のは何という手だと尋ねさせ、男は自分の国許で流行る『まがくし』という手だと答えます。(和泉流では板東方に流行ると言うようです)

聞いたことがない大名は、伯父が以前にくれた相撲の書があることを思い出し、太郎冠者にとって来させます。これが文相撲の曲名の由来。
さて持ってきた相撲の書、読めないところがあったりで一笑いさせた後、大名が「ひとつまがくし」と『まがくし』の記事を見つけます。「ひとつまがくし 丁ちゃうと打つべし」と書かれていて、これは相撲に有る手だと分かります。続けて「その時 ちゃっと顔をひくべし」とあり、今は顔をひけば良かったのだと納得した大名、「引くべし うつびらき 左を取って右へ回し」と手を調べたうえで、もう一番とろうと太郎冠者に言わせます。

再び男が出て手合いになり、まがくしをしようとする男を大名がかわし、張り手をしたりで大名が勝ちます。男は大名と同様に、今のは何の手かと問い、太郎冠者が大名の言う通りにここもとに流行る張り相撲と伝えると、もう一番取りたいと申し出ます。

大名はもう一番取るならば、地へ三尺打ち込もうと勇ましいことを行ってもう一番取ることになります。
しかし男の方が上手で、大名が張りに来ると、この手をとって引廻し、大名を打ち倒してしまいます。
男はそのまま退場してしまいますが、残された大名は立ち上がって文を引き裂いて捨て、太郎冠者に何をしていると詰問します。太郎冠者が見物していると答えると、太郎冠者の手を取って引廻し、打ち倒して「お手」とそのまま退場して行きます。
なんとも悔しい大名の気分を、最後にもう一段の笑いにしての留。なかなか面白い展開です。この留の部分は他にもいくつかの演じ方があるようです。
(52分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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道成寺 本田芳樹(秀麗会)

金春流 国立能楽堂 2009.3.15
 シテ 本田芳樹
  ワキ 森常好、アイ 山本東次郎 山本則重
   大鼓 亀井広忠、小鼓 曾和正博
   太鼓 金春國和、笛 藤田朝太郎

ようやくこのブログでも道成寺を書く時がやってきました。ここのところ道成寺を観る機会がなく、このブログを開始してからは初になります。
道成寺は大変重要な曲とされ、この曲を披いてやっと一人前の能楽師と認められるという流儀もありますし、もっと重い曲の扱いで、一人前の能楽師として十分活動して初めて許されるという流儀もあるようです。
鐘入り、乱拍子をはじめ、秘伝、口伝の類も多いようで、そうした興味も尽きないところです。

今回はこのブログでの初登場ですので、道成寺という曲自体をめぐっても、気付いたことなど書いていこうと思います。なおシテの本田芳樹さんはお披キではなく、二度目の演能と聞いていますが、深みのある道成寺でした。

この曲では「鐘」が大きな意味を占めています。この鐘をめぐる話は「安珍清姫伝説」に基づいているのですが、せっかくですから道成寺のホームページの記事をもとに、安珍清姫の話を書いてみようと思います。

安珍清姫の話は11世紀頃に著された法華験記に見られるということですが、もともと紀州地方に古くからあった伝説なのでしょう。
延長六年(929)、奥州から熊野詣に来た修行僧の安珍は、真砂庄司の娘である清姫に一目惚れされます。清姫の情熱を断りきれない安珍は、熊野からの帰りに再び立ち寄ると約束しますが、約束の日に安珍はやって来ません。

清姫は安珍を追い求め、やっと安珍に追いつきますが、人違いと言われて激怒してしまいます。安珍が祈ると、祈りの力で目がくらんだ清姫は安珍を見失ってしまいます。
日高川まで逃げた安珍は、船で川を渡りますが船頭は追ってきた清姫を渡そうとしません。清姫は思いの末に毒蛇となって川を渡り、安珍は道成寺に逃げ込みます。
毒蛇は安珍が隠れた道成寺の鐘を巻き、火炎が燃え上がって安珍は焼死してしまいます。そして清姫は入水自殺してしまったという話です。
さて能の方は明日につづきます
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道成寺のつづき

安珍清姫伝説は昨日書いたとおりですが、この伝説を観世小次郎信光が能作したといわれるのが「鐘巻」です。この曲の原型はもはや分からなくなっていますが、1992年に法政大学能楽研究所の創立四十周年を記念して復曲され、2005年にも梅若六郎さん(現玄祥さん)が再演をされています。

能の道成寺はこの鐘巻を原曲とし、乱拍子を中心に再構成したと言われています。この安珍清姫伝説は能以外でも取り上げられ、琉球組踊の執心鐘入、歌舞伎の京鹿子娘道成寺、文楽の日高川入相花王など、有名な曲が多々あります。

繰り返しになりますが、能の道成寺も「鐘」が大きな位置を占めています。能舞台には天井に滑車、笛柱には金属の環が取り付けられていますが、いずれも鐘をつり上げるため、すなわちこの道成寺一曲のためにしつらえてある造作です。
したがって、能の道成寺もまず狂言方が鐘を吊るところから始まります。

しかしここが上掛りの観世・宝生両流と、下掛りの金春・金剛・喜多三流の異なるところで、上掛りでは演技に先立ってまず鐘が吊られます。一方の下掛りでは、劇中の一場面として鐘が吊られるという違いがあります。
この日は下掛り、金春流の道成寺でしたので、まず舞台にはワキの道成寺の住僧と従僧二人、オモアイの能力が登場してきます。

ワキ僧の森常好さん、白大口に白練、紫の水衣で角帽子を着け、堂々たる姿です。正中まで進み、紺地の無地熨斗目に薄茶の水衣を着けた従僧の舘田さんと常太さん、能力の東次郎さんが橋掛りに控える形になります。
ワキは、道成寺では子細があって久しく撞鐘が無かったが、この程再興し、鐘を鋳させたので、吉日である今日、鐘の供養をしようと思う旨をゆったりと述べ、能力を呼んで鐘を吊るようにと命じます。
このワキの詞のうちに鐘後見五人が切戸口から登場してきます。本田光洋さんと布由樹さんの二人は長上下、残る三人は上下姿で、笛柱の両側に分かれて控えます。

ワキの詞を受けて能力が一度退場し、狂言方の後見四名と、都合六人で鐘を運んできます。ワキ、ワキツレはワキ座に下がって鐘楼から遠いところにいる形になります。
さてこのつづきはまた明日に
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道成寺さらにつづき

先頭に立ったオモアイと一番後のアドアイ、二人の能力以外は紋付き袴姿ですが、太い竹につるした鐘を伸び上がるようにして四人で運び、両側からさらに二人が鐘を押さえる形です。舞台中央まで進んで鐘を置くと、竹竿の先に鐘を吊る綱をかけ、舞台天井の滑車に引っかけます。なかなかうまく引っかからない時もあってはらはらしますが、この日は見事に一度で綱をかけました。

さて鐘の綱が滑車に引っかかると、シテ方の鐘後見が鐘を引き上げ、笛柱の環に綱を結んで固定し準備が整います。
準備が整い、アドアイは狂言座に下がり、オモアイが目付から鐘が吊り上がったことをワキに報告すると、ワキは本日鐘の供養をするが、子細有って女人禁制なので女を近づけてはならないと命じます。オモアイは常座に立って触れをして、ゆっくり舞台を目付、ワキ座前、笛座と廻って着座し、笛のヒシギになります。

囃子方は習ノ次第を奏し、前シテ白拍子の登場となります。葵上などと同様に、鱗箔に黒地の紋尽しの縫箔を腰巻にし、唐織を壺折りに着けています。上掛りでは若い女として出るので、若女などの面をかけ唐織が紅入となりますが、下掛りは葵上同様の無紅でやや年のいった感じです。

常座まで出たシテは次第「作りし罪も消えぬべき 作りし罪も消えぬべき 鐘の供養を拝まん」と謡います。この「作りし罪も消えぬべし」というのも意味深な章句です。シテは地取りで正面にむき直し、この国に住む白拍子であると我が身を明かし、道成寺の鐘供養に向かう旨を語り、道行を謡って道成寺へとやって来た態になります。「日高の寺」は日高川にほど近い道成寺の意味ですね。

シテは鐘供養を拝もうと言い、鐘楼に近づこうとしますが、女人禁制を命じられているアイの能力に留められてしまいます。
このやり取りも面白いところですが、アイは結局、鐘の供養の舞を舞うというシテの言い分を聞き入れて、自分の一存でシテを通し、喜んだシテは後見座で烏帽子を着けて舞の姿を整えます。物着アシライで烏帽子を着け、その間にアイは狂言座へと下がります。
このつづきはまた明日に
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道成寺さらにさらにつづき

物着アシライは途中から小鼓が打つのをやめ、大鼓だけの囃子が続く中を烏帽子を着けたシテは立ち上がります。床几から降りていた小鼓方が、これに合わせるようにやや斜め、正中に合わせるような向きで床几にかかります。シテは橋掛りに入って一ノ松から鐘を見やり、大鼓の鋭い音にのって舞台に入りワキ正で「あれにまします宮人の・・・既に拍子を進めけり」と謡って次第になります。観世流だと、気が急く思いが垣間見えるような謡になりますが、割と抑えめの感じです。

このあたりの順序は流儀によって微妙に違いますが、シテの「花の外には松ばかり 花の外には松ばかり 暮れ初めて鐘や響くらむ」とかみしめる様な謡の後、地頭のみの地取り。地頭安明さんしか謡っていなかったと思います。この地取りが終わるか終わらないかのうちに小鼓が気合いの入った掛け声をかけて乱拍子が始まります。

この乱拍子は鐘楼への階段を上る白拍子の姿を示しているとも言われますが、長い間を置いて繰り返される小鼓の掛け声と打音、シテの独特の足使い、笛のアシライ、そして途切れ途切れに謡われる「道成の卿、承り、初めて伽藍・・・」という乱拍子謡。他曲に例のない独特の世界が展開します。
この日の小鼓は幸流の曽和さんでしたので、短い掛け声が長い間合いを強調する感じ。あの間合いを取るのはシテも難しいところだろうと想像します。
ちなみに大倉流だと掛け声が長く引かれ、高く、低く変化もあって、これはまた独特の世界が開ける感じがします。観世流、幸清流は中間くらいの印象でしょうか。

乱拍子謡の最後「山寺のや」から急調子の囃子となり、鐘を見上げたシテが急ノ舞を舞います。乱拍子の息を詰めるような緊張感、じっとりと時間が粘度を増すような世界から、一転してこれまた他曲にないような早い調子の舞。舞終えるとシテのワカ「春の夕暮れ 来てみれば」から地謡のノリ地へと続き、「撞かんとせしが」と鐘を見上げ撞く型を見せたシテは、烏帽子をワキ座方向へ払い落とすと、目付側から鐘の外に立って縁に左手をかけ、足拍子を踏むと、落ち始めた鐘の中にまさに飛びいります。この型が斜入と言われる金春、というか櫻間系の独特の鐘入です。

鐘入りの型は各流様々で、観世流のように正面を向いたシテが鐘の真下に入り、万歳するように両手を鐘にかけて足拍子を踏んで鐘入りとなる型もあり、また宝生流のように笛柱の方へ斜め後ろを向く形で鐘の下に入り鐘入りとなる型など様々です。

この片手をかけたところから飛び入る斜入ですが、櫻間家に伝わる独特の型だそうで、同じ金春流でも櫻間系の先生方しかなさいません。本田家は光洋先生のお父様、名人といわれた本田秀男師が櫻間系の重鎮であり、そうした経緯から斜入を伝えられているようです。
このつづきはまた明日に
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道成寺またつづき

鐘が落ち、見所から思わず拍手が出ましたが、舞台の方はアイの能力が驚いて舞台上と幕前へと進み出ます。二人それぞれに「くわばらくわばら」と「揺りなおせ揺りなおせ」と繰り返しますが、オモアイは雷が落ちたと思い、雷除けのまじない「くわばらくわばら(天神菅原道真の領地が桑原にあり、ここは雷が落ちないと言われたからという説があります)」を唱えます。一方、アドアイは地震かと思い「揺りなおせ揺りなおせ」と地震が収まるように唱えながら出てくるわけです。

山本家の能力はどちらかというと重々しい感じ。たしか野村家だともう少し大騒ぎの感じになったような記憶があります。ともかく二人は語り合ううちに、鐘がどうなったか見てみようということになり、鐘が落ちていることに気づきます。
どちらが住僧に報告に行くかでひと揉めします。このやり取りは面白いところで、こんな時のために日頃気安くしているのだから、などとオモアイはアドアイになんとか報告に行ってくれるように頼みますが、アドアイは白拍子を通したのは自分ではないと、結局は退場してしまいます。やむなく残されたオモアイがワキの前に出て「落ちてござる」と報告する形になります。

ワキは「落ちたるとは」と問い返し、アイが鐘楼から鐘が落ちたと言うと何か変わったことは無かったかとさらに問います。アイは白拍子がやってきたことを答え、ワキはだから固く女人禁制と言いつけただろうと叱りますが、ともかく鐘を見ようとワキツレともども立ち上がり、オモアイは「助かりや 助かりや」と言いながら退場してしまいます。

ワキ、ワキツレは鐘楼に赴き、ワキツレが鐘に寄って「はやバックンに煮え入って候」と落ちた鐘が高温になっていることを報告します。
これをふまえる形でワキが安珍清姫伝説を語ります。山伏と庄司の娘ということで名前は出てきませんが、ここで初めて道成寺伝説が語られて、その時に失われた鐘を今日再興することになっていたことが明らかになるわけです。

ワキ、ワキツレは祈祷の力で鐘を鐘楼に上げようとし、ノットの囃子から数珠を揉んで祈り始めます。
さてこのつづきもう一日明日に
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道成寺またまたつづき

ワキ、ワキツレは数珠を揉みつつ、東方降三世明王、南方軍荼利夜叉明王、西方大威徳明王、北方金剛夜叉明王、そして中央に大聖不動明王の五大尊明王を請じ、「曩謨三曼陀・・・」と不動明王慈救咒を唱えて鐘を上げようとします。

地謡が「すはすは動くぞ 祈れただ」と謡ううちに、鐘後見が綱を緩めて鐘を少し上げ、しばらく止めた後にいったん鐘を下ろします。

鐘の中からシンバルのような音が聞こえますが、これは無事準備が出来ているという合図の意味があると聞いたことがあります。舞台上で装束を直したりすることを物着といいますが、通常は後見が整える物着を、この道成寺では鐘の中に入ったシテ一人でしなければなりません。
また鐘に飛び入る際に、落ちてくる鐘の天井に頭を打ちつけて脳震盪を起こしてしまったなどという話もあり、本当に鐘を上げても大丈夫だという確認のために、少し鐘をあげたり、シンバルのような音を立てたりすると、まあそんな話のようです。

さていよいよ鐘がつり上げられると、蛇体に変身したシテが姿を現します。面を般若にかけ替え、唐織を脱いでいます。他流ではこの脱いだ唐織を腰に巻き付けて立ち上がり、橋掛りにかかるところで蛇が脱皮するように唐織を落としますが、金春流では鐘の中、座したところにそのまま唐織を脱ぎ捨てて立ち上がります。これまたなんだか生々しい感じで、他流とは違った独特の印象があります。
また他流は通常は黒頭で、前シテで出た際の鬘を乱すだけで、赤頭など小書きがついた時のみ頭を換えますが、金春流は小書無しの常の形が赤頭なので、それだけシテも負担が大きいと思います。

ワキとの対決になり、打杖を振り、シテ柱に巻き付く型を見せたりなどしつつ、シテはワキに迫りますが、結局は祈り伏せられた姿を飛び安座で示し、鐘を見上げると立ち上がり、橋掛りに走って「深淵に飛んでぞ入りにける」で幕に飛び入ります。

ワキは「望み足りぬと験者たちは」の謡に、常座でユウケンし、留拍子を踏んで終曲となりました。
いささか詳細に書いてみましたが、久しぶりの道成寺で、月並みではありますが「面白かった」としみじみ思った次第。芳樹さんのお人柄か、怒りの中に優しさも窺えるような一曲でした。
(111分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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雪 雪踏之拍子 金剛永謹(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2009.3.21
 シテ 金剛永謹
  ワキ 宝生欣哉
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 亀井俊一
   笛 中谷明

この雪という曲は金剛流のみが現行曲としています。雪の精が現れて舞を舞って姿を消すという、言ってみればそれだけの曲ですが、それだけに深い情趣を出せるかどうかがシテの力量にかかってくるという次第。一場物の小品ですが、金剛流ではこの曲を大変大事にしているのだそうです。
こうした植物や自然現象などの精、天人が現れて舞を舞うという趣向の曲は様々にあり、胡蝶や西行桜、遊行柳など五流に共通する曲も多いのですが、この雪のように特定の流儀だけが演じるという曲も少なくありません。
同じ金剛流では墨染桜、観世流の吉野天人や梅、以前にも取り上げた観世・宝生・金剛の三流が伝える藤などがありますね。

今回はこの雪に、雪踏之拍子という小書きがついての上演です。この小書きの内容については、追々、曲の展開に沿って書いてみようと思います。

さて舞台にはまず作り物の山が運び出され大小前に置かれます。紫の引廻しがかけられ、榊のような葉の上には雪がかけられています。
準備が整うと次第の囃子でワキ旅僧が登場してきます。無地熨斗目着流しにに濃紺の水衣、角帽子の上から笠を被った欣也さんが橋掛りを進んで、常座へと出ます。
常座に立つと型通りに鏡板を向いて「末の松山はるばると 末の松山はるばると 行方やいづくなるらん」と次第を謡い、地取りの間に正面に向き直って、名乗りになります。
諸国一見の僧ですが、しばし奥州にいたところ、津の国天王寺へ参ろうと思い立ち歩みを進める途中です。

道行の謡になり、野に伏し山を分けてはるばると旅路を進み、摂津の国、野田の渡しに着いたことが謡われます。
おりしも晴れた空が俄に曇り、雪が舞ってきます。ワキ僧はここで雪がやむのを待とうと述べてワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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雪のつづき

ワキ僧が座に着くとシテの出になります。後見が作り物に寄って引廻しを下ろします。
中では浅葱の大口に、白練、白の長絹を着けたシテが床几にかかっています。雪を表す意味で白基調の装束ですが、当日いただいた解説には「袴だけは白一色ですと変化を欠きますので」とあります。大口と、長絹の胸の紐、露が浅葱で、しかも大口の色が長絹に透けています。雪も降り積むと青く見えることもあり、また氷になった部分は青く見えます。白一色としなかった色彩感覚には、自然をよく観ていた昔の日本人の感性が窺える感じがします。

姿を現したシテは、高く引き立てて「あら面白の雪の中やな」と謡い、続けて「暁梁王の園に入れば 雪群山に満てり 夜庾公(真ん中の文字は機種依存文字のため表示されない場合はご容赦ください。麻垂の中に臾を書いた字でユと読みます)が樓に上れば 月千里に明らかなり」と謡います。

この詩は和漢朗詠集におさめられた謝観の「雪の賦」だそうで、大変有名な朗詠なんだそうです。私、この方面は知識がないのでよく分かりませんが、藤原公任が編纂した和漢朗詠集の中でも大変好まれた様子。「漢の梁王の兎園から山々の雪を望み、庾亮(ユリョウ)が南楼に登って月を賞翫した故事にならって白々と照りわたる月を見る」とまあそんな詩です。枕草子にもこの詩への言及があるようです。ちなみに庾亮は三国時代に続く西晋末に生まれ、東晋の時代に政治家として活躍した人物です。(ユの字が表示されない場合はご容赦ください)

旅僧は不思議に思い、女の素性を尋ねますが、シテは「誰とはいかで白雪の 唯おのづから現れたり」と言い、ワキがさらに雪の精ではないかと問いかけても、「いやさればこそ我が姿 知らぬ迷を晴らし給へ」と、自分が何者であるかも分からず迷っており、この迷いを晴らしてくれるよう頼むわけです。

このあたりのやり取りは、別に難しいものではありませんが、不思議と趣があります。雪だからこそ自分自身も捉え難くて迷うのか、ちょっと考えさせられるところ。

ワキは女が雪の精である見抜き、仏の功徳を信じて「とくとく成道なり給へ」と諭します。これを受けてシテはワキに合掌し、さらに地謡の掛け合いの後クセの謡になります。

このつづきはまた明日に
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雪さらにつづき

シテの謡を地謡が受けると、シテは立ち上がって作り物を出、ワキを向いて思いを述べる形になってクセの謡に入ります。
クセは源氏物語の浮舟に出てくる匂宮の歌「峰の雪みぎはの氷踏み分けて 君にぞ惑ふ道は惑はず」を本歌としたのでしょう。

自らが何者であるのかも分からないという雪の精の迷いを象徴するのに、この歌を持ってきたのでしょうけれども、この歌は匂宮が浮舟に贈った恋の歌であるため、この引用は凡作の象徴でもある、とまあそんな評価もあるようです。クセは舞グセですが、短い詞章のため、上扇から大左右、打込開きと、極々基本的な型を続けるのみになります。

クセの終わりは「月にひるがへす花衣 実に廻雪の袖ならん」と謡われます。「廻雪の袖」は舞の意味で、雪が風に吹き上げられてきらめくような袖の動き、から「舞」が想起されるようですが、この曲自体が雪の精を登場させているので、その雪の精の舞は二重の意味で「廻雪の袖」となりましょう。

地謡の拍不合の謡「朝ほらけ」で序ノ舞となります。
廻雪の舞を眼前に現そうという次第ですが、この日は雪踏之拍子の小書きがついているため、序ノ舞が盤渉になります。
黄鐘で始まった後、途中から調子が盤渉に上がり、型も替の型になっていきます。

舞の途中で踏む足拍子は、雪踏の詞通りに、雪を踏むように音を立てません。上げた足をふわっと下ろすような感覚の拍子でした。

序ノ舞を舞上げるとキリ。「また消え消えとぞなりにける」の謡で作り物の中に下居した後、謡が終えて囃子だけとなり、立ち上がったシテが作り物を出て常座に佇む形で留。短い詞章にむしろ雪の消えるはかなさのようなものが感じられところでした。

小品であるが故に、大変良いできの曲だという評価と、凡作だという評価、いずれもがあるそうですが、こんな曲もまた能楽らしいよなあと思った次第。
初日に書いたように、この曲は金剛流にだけある曲ですが、作者は不詳だそうで、いつの成立かも分からないとか。雪そのもののような、とらえどころのない曲でもありました。
(55分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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佐渡狐 善竹富太郎(東京金剛会)

佐渡狐は今年の式能で観たばかり。しかも同じ大藏流で、十郎さんも出ておられまして、今回も基本は全く同じです。
そう言う意味では、あらためて記載するところも少ないのですが、そこはそれ、人が変わると微妙に印象が違うもの。気付いたことなど、いくつか記載しておこうと思います。

なお当日いただいた番組ではシテ・アドの別や役名などの記載が無く、佐渡狐の曲名の下に善竹十郎さんのお名前、その下、左に富太郎さん、右に大二郎さんが記載されていました。この形だと十郎さんがシテの佐渡のお百姓になると思うのですが、実際の配役では十郎さんは式能と同じ奏者で、富太郎さんが佐渡のお百姓、大二郎さんが越後のお百姓でしたので、それに従った形で上記のシテ、アドの別を書かせていただきました。

さて舞台上には越後のお百姓、大二郎さんが狂言袴に掛け素袍の出で立ちで登場。続いて出た長上下姿の奏者役十郎さんは笛座に控える形になります。大二郎さんは扇を右肩に当てる形で、これは年貢の荷を担っているという形でしょう。地謡座前に着座して人を待つことにすると、佐渡のお百姓富太郎さんが、やはり狂言袴に掛け素袍、右肩に扇を当てて登場してきます。

二人同行しようということになり、さて「同心か」と一方が問い、もう片方が「同心でござる」とのやり取りがあります。時代劇で奉行所の役人として出てくる同心が、もともとはこういう使われ方をした言葉だったというのも面白いところ。
また、佐渡に狐がいるかどうかの言い合いのうちに、一腰(ヒトコシ)を賭け禄にすることになります。「一腰」は一ふりの腰の刀。また「賭け禄(カケロク)」は金品をかけて勝負すること、また、そのものを言いますが、こんな話に大切な刀をかけてしまうところが狂言らしいところでしょう。
この話、もう一日つづきます
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五雲会と春狂言を観に行く

昨日はちょっと欲張りまして、12時開演の宝生流五雲会から、さらに国立能楽堂で茂山家の春狂言、第一日の夜の部を観てきました。

やはりいささか欲張りすぎで、五雲会の最後の曲、今井泰行さんの善知鳥は緊張感のある充実した前場だったのですが途中で移動の時間になってしまい、帰りも電車の時刻がうまく合わなかったりで、結局のところ家に着いたのが11時近く。いささか疲れてしまったこともあって、昨晩のブログ更新は断念しました。

ですが、能三番と狂言が都合五番。いずれも集中して拝見し楽しむことが出来ました。

五雲会は、なんと言っても高橋憲正さんの竹生島が出るので、そもそもはこれを観るため五雲会に行くことにしたのですが、期待に違わず気持ちの良い舞台でした。
番組は、まず高橋憲正さんのシテに當山敦司さんのツレで「竹生島」、吉住講さんシテで狂言「蝸牛」。休憩をはさんで内藤飛能さんシテの能「田村」、さらに佐野弘宜さんシテで能「吉野静」。狂言で、山下浩一郎さんシテの「鬼瓦」、そして、残念ながら最後まで観られなかった能「善知鳥」、これは今井泰行さんのシテにツレが亀井雄二さん、そして子方に高橋希クンが出ていました。地謡前列には希クンのお父さん高橋亘さんが出ていて、きっと気になるんだろうなあと想像しつつ拝見しました。

さて5時55分頃終演という予定時刻をにらみつつ、国立能楽堂で6時開演の春狂言へ。
最初は宗彦さんのお話なので、最悪、遅刻してもと思ったのですが、これがなかなかに面白い話で、狂言一曲に値するかも、などと思いつつ、続く三曲を鑑賞。

最初が丸石やすしさんの主人で文荷。二曲目は茂さんの釣狐で、まあ今回の東京公演の目玉ということなんでしょうね。大阪公演では千三郎さんが狸腹鼓を勤められていて、極重習の二曲がそれぞれの目玉という構成。最後は宗彦さんがすっぱをされた六地蔵でした。

釣狐は初見ではないのですが、やはり家によって違いもありますね。ただ私個人としては、すごく難しくて大変そうな曲とは思うものの、狂言ってああいう曲でなくとも良いのでは・・・と思うところがあり、むしろ、文荷と六地蔵で抱腹絶倒でしたが、こうした曲の方が好きです。いやホントに、文荷も六地蔵も、よく観る曲ではありますが、茂山家だとさらに面白い。楽しかったなあ・・・
というわけで、鑑賞記はいずれそのうちに。
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佐渡狐のつづき

出てくる言葉の中でちょっと分からなかったのが「ぞうたん」。和泉流では道々「物事話し合いしますうちに」と言うように思いますが、雑譚とでも書くのでしょうか、四方山話くらいの意味なのかと想像しています。
その「ぞうたん」の最中に、佐渡に狐がいるかどうかという言い合いになった訳です。

二人が舞台を廻った末に橋掛りへ出ると、それまで街道筋だった舞台は一瞬にして上頭の屋敷になります。このあたりの空間展開は狂言の面白さの一つですね。

お屋敷にと設定が変わるので、ここで初めて笛座に控えていた奏者、十郎さんが立ち上がり名乗りを上げることになります。「お奏者です」と、相当に武張った言い方なのでしょう。

この奏者に対して、まずは佐渡のお百姓、富太郎さんが年貢を取り次いでもらい、その後で「お奏者にちとお願いがござる」と、賭の判断を願い出るわけです。奏者は、朝から冷え板を暖めて云々と言い、そんな判断などしている暇はないと一度断ります。冷え板を暖めるというのも、なんだか納得のいく表現で、畳が敷かれた座敷が当たり前になってしまった現代から考えると、こんな表現も面白いところ。

佐渡のお百姓は扇を広げて置き、懐から紙包みを出して載せると「えー、これは私の寸志でござる」と扇ごと持って、奏者に近づきます。これに奏者は「上頭のお奏者所」という場所を弁えるよう叱りつけます。ですが、叱りつつ結局は袖の下から受け取ってしまう訳で、これがこの曲の面白さの一つですね。十郎さんの周囲を気にする形がなかなかに面白いところ。

狐の様子を教えるあたりからは前回記したとおりですが、狐の特徴を忘れてしまう佐渡のお百姓に、越後のお百姓越しになんとか特徴を伝えようとする奏者の動きは、何度観ても面白いところです。

それにつけても富太郎さんって実にインパクトの強い方で、富太郎さんの会「SOROEI」にも行ってみようと前々から思ってはいるのですが、平日でもありなかなか都合がつきません。この四月の会では鈍太郎をされるようで、妻と愛人役の基誠さん、大二郎さんも大変だろうと想像しています・・・
(37分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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鞍馬天狗 工藤寛(東京金剛会)

金剛流 国立能楽堂 2009.3.21
 シテ 工藤寛、牛若 山根あおい
  花見 加藤愛花 城尾祐衣 田崎智子 辻井穂実 町田遼 辻井祐輝
  ワキ 野口敦弘、ワキツレ 野口能弘 野口琢弘
  アイ能力 大藏吉次郎、木葉天狗 大藏教義 宮本昇 榎本元
   大鼓 安福光雄、小鼓 古賀裕己
   太鼓 観世元伯、笛 内潟慶三

鞍馬天狗というと、その昔は嵐寛寿郎、間近くは萬斎さんがなさった幕末の時代劇をふと思い出してしまいますが、もちろんこちらは本家本元、幼少の義経が剣術を習ったという鞍馬山の天狗の話です。

囃子方、地謡が着座すると、舞台にはまず前シテ山伏が登場してきます。白大口に黒と緑の縞の水衣、篠懸をかけて兜巾を載せた典型的な山伏の姿です。常座まで出たシテは、鞍馬の奥僧正が谷に住む客僧と名乗り、当山で花見の会がある由を聞いたので、出かけてよそながら花を眺めようと言って、後見座にクツロギます。

このシテの詞の途中で幕が上がりアイの能力が登場してきます。橋掛りを進んだアイは常座で名乗ります。アイは鞍馬寺西谷に使えている能力で、毎年当山で花見があるが、今年は一段と見事なので、案内の使者として東谷に行くところと語ります。
この間に、子方牛若を先頭に、花見六人の子供達とワキの東谷の僧とワキツレの住僧が登場し、橋掛りに並んでいます。着飾った子供達が橋掛りに並ぶのはかわいらしいところ。この子方の役、花見の稚児は、特段の所作もないため能楽師の子供達の初舞台となる例も少なくないようです。
能楽師の方のプロフィールなどで「初舞台は鞍馬天狗」と有れば、まずはこういう事ですね。

さてアイは子供達の後を通って幕前近くに立つワキに文を渡します。西谷からの花見の誘いの文をワキが読み上げ、地謡が受けて「花さかば 告げんと言ひし山里の」と謡う中、一同が舞台に入り、牛若がワキ座に立ち、順に稚児達が並んでワキがちょうど大小前に至る形で着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗のつづき

一同が着座し花見の形になります。
ワキはアイを呼び出して舞を舞うように命じ、これを受けてアイが出て「いたいけしたるものあり」と小舞を謡いながら舞います。この小舞、大藏流では「いたいけしたるもの」と題されていますが、和泉流では「小弓」とか「風車」といった題でよばれるようです。

この舞の途中で、後見座にクツロイでいたシテが立ち上がって常座に出、暫くこの様子を見た後に大小前、ワキ・ワキツレの前に出て安座します。
舞終えたアイは見知らぬ山伏が現れたことを見とがめて、ワキに狼藉者なので追い立てようと申し出ます。

しかしワキはこれを押し止め、そうこう言うよりも、花を見るのは明日でも良いので自分たちが立ち去ろうと言います。ワキが源平両家の子供達が居並ぶこの席に他人が入るべき事ではないが、という説明をする場合もあるようですが、この日は割とあっさりしたやり取り。アイはどうでも山伏を追い出そうと言いますが、重ねてワキはアイを押し止めて、子供達を連れて立ち去ってしまいます。

ワキ、子方が退場すると、アイはシテに「これをいただかさたいなあ」と拳を振りかざしますが、結局は「腹立ちや 腹立ちや」と言いつつ走るように退場してしまい、舞台にはシテと、牛若だけが残されます。

シテは舞台が静かになると、「言語道断のことにて候」と語り出し、皆が座敷を立ってしまったことを述べてサシ謡「遥に人家を見て花あれば即ち入る」と謡い出します。鞍馬山の本尊は大悲多門天、貴賤や親しさの度合いなどで差別せぬのが大悲の心だろうにと嘆きます。
これに対して牛若が「げにや花の下の半日の客」と謡い出し、こちらによって花を見るようにとシテに声をかけます。山根あおいさん、大きな声ではっきりと謡い子方の謡としては好感持てるところ。

この心映えにシテは優しさを感じるところですが、地謡の上歌では「馴れは増らで恋のまさらん悔しさよ」と、「恋」と表現されています。
シテは稚児達がみな帰ってしまったのに、なぜ一人残ったのかと牛若に問いかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにつづき

シテの問に対して牛若は、先ほどの稚児達は平家の一門、清盛の子達であるのに、同じ山にいても自分は異なる身「月にも花にも捨てられて候」と境涯を嘆きます。
これに対してシテは「あら痛はしや候」と同情を示し、「御身と申すは源氏の棟梁 常磐腹には三男 毘沙門の沙の字をかたどり 御名をも沙那王殿とは申すぞや」と語りかけます。
これってちょっと「あれ?」って思いますね。どうしてこの山伏は牛若の名前まで知っているんでしょう。かと言って牛若が驚く様子もなく、地謡も淡々と「あらいたはしの御事や」などと謡います。山伏と見えて実は・・・ということを暗示する能らしい表現なのかなあと思うものの、私としてはちょっと腑に落ちないところです。

ですが、気にしていても仕方ないので先へ進みます。続く地謡で「夕を残す花のあたり」と二人は花を見上げ、「鐘は聞えて夜ぞ遅き」と鐘の音を聞きます。シテはワキ座に向かい牛若を立たせ、一度常座に伴った後、子方にはワキ座に戻らせます。二人花見に出た形。向き合った二人は「愛宕高雄の初桜」で二人して笛座方を見、「比良や横川の遅桜」と目付方を、さらに「吉野初瀬の名所」では正面方を向いて、それぞれの桜を見る形になります。「見残す方もあらばこそ」と向き合ってロンギへ。

ロンギでは、まずは子方牛若が、一体如何なる人かとシテに名を問います。シテはこの山に年経たる大天狗と名のり、平家を滅ぼすために兵法の大事を伝えようと、両手をついて牛若に礼をし、明日また会うことを約して姿を消してしまいます。
来序での中入になりますが、最初は極めてゆっくりと一足ずつを出す形で橋掛りに向かい、橋掛りに入ったあたりからやや歩みを早めて幕へと入ります。シテに続いて子方牛若も中入します。

来序で橋掛りを進むシテと子方が幕に入ってしまうと、囃子が狂言来序に替わり、アイの木の葉天狗が登場してきます。

最初に登場する木の葉天狗、教義さんは、厚板に括り袴、黒のヨリの水衣の出立で、鳶のような面を着けていわゆる末社頭巾を被っています。右手には杖を持った姿。間狂言の小天狗の基本形ですね。橋掛りを進み出て常座で立ったまま前場の出来事を語る立ちシャベリの形です。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにつづき

この立ちシャベリのうちに、残る二人の木の葉天狗、宮本さんと榎本さんが、こちらは基本的に教義さんと同装ではあるのですが、水衣は着けず、面は賢徳でしょうかね、一人がワキ座に、もう一人が笛座あたりに立ちます。

教義さんの立ちシャベリが終わり、三人向かい合って、紗那王の打ち太刀の相手をするには稽古をしなければならないと言い合います。そして教義さんと宮本さんが杖を打ち合い稽古をはじめ、榎本さんの木の葉天狗は一人目付に出て柱に向かっての稽古を続けます。
暫く稽古をしていると、教義さんが宮本さんを打ち負かしてしまい、倒れた宮本さんはもう帰ると言って幕に入ってしまいます。
このため、今度は教義さんと榎本さんが打ち合いの稽古になり、暫く打ち合いしている打ちに、またしても教義さんが榎本さんを打ち負かした形になり、榎本さんも幕に入ってしまいます。
残った教義さんの木の葉天狗は、一人では稽古も出来ないので、ここまで出たしるしに紗那王を呼んで帰ろうと言い、常座から「沙那王」と、牛若を呼び出して退場します。
この木の葉天狗ですが、この日は最初に一人、その後二人が登場し都合三人となりましたが、一人だけ、あるいは二人などバリエーションがあるようです。

木の葉天狗の呼び声を受ける形で後子方の出となります。一声の囃子で白大口なんでしょうけれども、白地に紅葉などの柄の入った綺麗な袴に、上は子方の着る赤系の小袖の上に白の水衣を背中で縛って肩上げにし、白鉢巻きに長刀を持っての登場です。常座で長刀を突いて一セイを謡った後、続く地謡で長刀構えてワキ座に進みます。

すると大ベシの囃子で後シテ大天狗が登場となります。赤地の半切に紺地の袷狩衣、赤頭に大兜巾を載せ、大べし見の面を着けて、手には羽団扇を持っています。ゆっくり一足ずつ進みますが、力の入るところ。

一ノ松で名のり、彦山の豊前坊、白峯の相模坊など諸山の天狗を引き連れている様子が地謡との掛け合いで謡われます。地謡が「飯綱の三郎富士太郎」と謡い出すと舞台へと進み、常座から目付に出、舞台を大きく廻って大小前に立ちます。
いよいよ盛り上がってきましたが、このつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにさらにつづき

「我慢高雄の峯に住んで」とゆったり動き、「霞たなびき雲となって」で左袖を被いて下居してから立ち上がり、続く「谷に満ち満ち峯を動かし」から急に早くなった地謡に合わせて、両袖を巻き上げて橋掛りへ走り、「天狗だふしはおびただしや」で舞台に戻って両袖を下ろし、常座で子方に向き合います。

シテは「いかに紗那王殿」と牛若に声をかけ、木の葉天狗の稽古を見たかと問いかけます。これに子方が殊勝に答えると「ゆゆしゆゆし」と満足げに団扇を大きく動かしてユウケンの型を見せます。
そして物語を語って聞かせようと大小前で床几にかかります。シテの物語は張良と黄石公の話で、黄石公がわざと落とした履を張良が何度も取って履かせ、一大事の相伝を受けたという話です。(この話については張良の鑑賞記でも触れています)

これに習って「そのごとくに和上臈も さも花やかなる御有様にて姿も心も荒天狗を 師匠や坊主と御賞翫は」と自らを師匠として兵法を会得し、平家を討とうという牛若の志に感銘し、兵法の大事を残さず伝えようと謡い舞います。
このあたりからの中ノリの謡は大変調子も良く、好きな部分。
「そのごとくに和上臈も」で団扇を背にさし、「いかにも大事を残さず伝えて」で立ち上がって子方により、長刀を受け取って常座へと向かいます。

「そもそも武略の誉の道」の地謡でサシヒラキ、六拍子を踏んで舞働になります。
実は初めて囃子を習った頃にさせていただいたのが、この鞍馬天狗の舞働で、もうずーっと昔のことなのに、良く覚えています。
シテは長刀を振り豪放に舞働を舞い上げると、六拍子踏んで正先へ出、目付から舞台を大きく廻って「清和天皇の後胤として」と大小前で小回り。さらに六拍子踏んで「驕れる平家を西海に」と橋掛りへ入って二ノ松まで進みます。
ここから舞台に戻り「会稽を雪がん」と子方に長刀を戻し、正中で両手をついて「お暇申し」子方に一礼。常座にと向かいます。

「牛若袂にすがり給へば」と子方がシテを追って袖に手をかけ、シテは引き返して舞台を廻り、子方がワキ座に戻る一方で「頼めやたのめ」と橋掛りへと進んで、二ノ松で膝を突いて袖を被き、姿を消した形。さらに「失せにけり」で立って留となりました。
工藤さんらしい、切れの良い一曲で楽しめました。

附け祝言は嵐山。鞍馬天狗に嵐山とは春らしい選曲です。
(78分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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竹生島 高橋憲正(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2009.4.18
 シテ 高橋憲正、ツレ 當山淳司
  ワキ 大日向寛、アイ 小笠原匡
   大鼓 高野彰、小鼓 田邊恭資
   太鼓 桜井均、笛 小野寺竜一

「竹に生まるる鶯の」と、ワキ、ワキツレの次第で始まるこの曲ですが、この「竹に生まるる」が妙に記憶に残っています。一体どこで覚えたのか、別に稽古して覚えたという訳でもないのですが、我ながら不思議です。

さてこの竹生島という曲、脇能ではあるのですが、以前から書いているように脇能にはいくつかのパターンというか、系統があるようで、この竹生島は嵐山や賀茂などと似た構成です。私の好きな高砂や弓八幡などの神舞を舞う曲とは、いささか感じが違うところ。

とは言え、今回はなんと言っても高橋憲正さんのシテなので、東京では年に一度か二度しか拝見できない憲正さんのシテを楽しみに観能したところです。会場で同じく憲正さんファンの方とも久しぶりにお目にかかりました。

さて舞台にはまず一畳台が運ばれてきて、大小前に据えられます。ふと見ると台掛けが波の文様になっています。竹生島だからなのか、気が利いた感じがするところです。
続いて宮の作り物が出されてきて一畳台の上に載せられると準備が整った形。冒頭に書いたように、ワキ、ワキツレが登場して次第を謡います。

小野寺さんの笛がなかなか良いなあと思いつつ、真ノ次第の囃子を聞き、脇能らしい雰囲気が醸し出されました。
白大口に紺地の袷狩衣、風折烏帽子のワキ大日向さんの臣下が先に立ち、いわゆる赤大臣のワキツレ従者二人、則久さんと御厨さん登場してきます。

向かい合っての次第謡で「竹に生まるる鶯の」と謡い出し、竹生島に参詣することが謡われます。次第から、ワキの詞、三人での道行となり、鳰の浦にやって来たことになります。ワキは釣り船に乗って浦を眺めようと述べてシテの出を待つ形になります。
このつづきはまた明日に
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竹生島のつづき

ワキが語り終えてワキ座に着くと、後見が舟の作り物を持って出てきます。宗家和英さんは、後見としてお見かけすることが多いのですが、この日も金井さんとお二人で宮の作り物を出された後、ここでは舟を持って登場、常座あたりから舟を据えます。例によって枠だけの舟ですが、見慣れると舟という感じがしてくるから面白いところ。

囃子が一声を奏し、ツレの若い女が先に立ち、シテの老人が後から続いて登場して舟に乗り込みます。シテは小格子厚板着流しに水衣を肩上げにしています。本来は神の化身の老人ですから、白大口を着けても良さそうな気がしますが、舟に乗り降りするためなのか、着流しとなっていて、舟の奥側に立ちます。
何も持たずに登場しますが、舟に乗ったところで後見の金井さんが櫂棹を渡し、シテは左手に持ちました。幕から櫂棹を持って出ることもありますね。

ツレの若い女は紅白段になった唐織着流しで、舟の真ん中の部分に立ちます。こちらは登場の時から釣り竿を左肩に担っていますが、釣り竿を持たない流儀もあります。

二人が乗り込むと、シテのサシ「おもしろや頃は弥生のなかばなれば」から謡い出され、ツレの二の句、シテツレ同吟での一セイ、さらにシテのサシ、ツレとの同吟から下歌、上歌と春の琵琶湖に進む舟の長閑な様が謡われます。
同吟となるところは、他の脇能などでは橋掛りにツレ、シテと立って向き合う形だろうと思いますが、二人とも舟に乗った形のためか、シテが斜め後ろ笛座の方を、ツレが斜め前目付の方を向く形で、このあたりもちょっと面白い。

そもそも脇能の前場は、老人がシテならツレは姥か若い男の形が多かろうと思いますが、この曲では珍しく若い女がツレなので、そうした意味でも面白いところです。
上歌の終わりに「いざ漕ぎ寄せて言問はん」と謡って、シテは棹に手をかけます。

この謡に合わせて、ワキが舟が近づいてくることを認めて立ち上がり、シテ、ツレの乗る舟に「便船申そう」と呼び掛けます。
シテは、この舟は渡し船ではなく釣り船だと諭しますが、ワキは釣り船なのは分かっていて便船と言ったのであって、初めて竹生島に参詣するので是非とも乗せて欲しいと求めます。

さてこのつづきはまた明日に
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竹生島さらにつづき

ワキの申し出に、シテは「この島は霊地なので否と言うのも神意に違うか」とワキを舟に乗せることにし「さらばお舟を参らせん」と謡います。

同じ上掛りでも、シテ、ツレの謡の配分などは微妙に違っていて、ここも、観世流では「さらばお舟を参らせん」はツレが謡い、ワキが「嬉しや・・・」と謡った後、シテが「今日は殊更長閑にて」との詞から「心にかかる風もなし」と謡って、地謡「名こそさざ波や」の下歌、上歌へと繋がります。
一方、宝生流ではワキの謡の後も、「今日は殊更長閑にて」はツレの謡になっています。下歌から上歌の船上の情景を地謡が謡うのは同じですが・・・

下歌の間に、シテは棹に手を掛けて漕ぎ寄せる形。ワキが舟に乗り込み、ツレとワキが下居して、舟中に落ち着いた形になります。
上歌の詞章に合わせて、シテはやや右へ流して二三足出たり、また下がったりなど、舟中でもあり抑えた動きながら、湖上の景色を眺める風です。「月海上に浮かんでは」とゆっくり月を見上げるように面を使い、長閑な風情が感じられます。

シテの「舟が着いて候 御上がり候へ」で舟が竹生島に着いたことになり、一同が舟を下りて、ワキはワキ座に進んで立ち、ツレは地謡座前に立ちます。
一方、シテは一畳台の左端の前あたりから宮を見る形になります。
この間に後見が舟を下げると、シテはワキに「これこそ弁財天にて候へ」と示します。

しかしワキは「不思議やな此島は 女人禁制とこそ承りて候に・・・」と、ツレの若い女が上陸したことについての不審を述べる形になります。

これに対してシテが(弁財天は)九生如来の御再誕なので、特に女人こそ参るべきと答え、ツレの謡から地謡が受けて、弁財天は女体であって、その神徳もあらたに天女の姿と現じる神であるから、女人が参詣するのも当然のことと謡います。
この謡でシテは正中まで進んで、地謡前のツレともども下居します。

クセとなり、シテの上げ端の後、ツレが立ち上がって目付へ進み、ワキを向いた後に「社壇の 扉をおし開き」と宮の作り物に中入りします。
続いてシテも立ち上がり「我はこの海の主」とワキを向き「波に入らせ給ひけり」と常座で正面を向いて、来序で中入となります。

このつづきはまた明日に
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竹生島さらにさらにつづき

シテが幕に入ると、囃子が狂言来序に代わりアイの社人が登場してきます。
社人ということで能力のような形で出ますが、狂言来序だと小天狗や末社の神のように面を掛けた役の場合が多いので、面をつけない社人が狂言来序で出てくるとちょっと不思議な感じがします。

さてこの社人、常座に立って竹生島の天部に仕えるものと名乗り、延喜の帝の臣下が訪れたことを歓び、まずは竹生島の謂われを語ろうと、島の由来を立ちシャベリします。
さらに客人(マレビト)に御礼申す、と言って目付に出て下居し、ワキに向かいます。
このやり取り、なかなか面白く、ちょっと長くなりますが記載しておこうと思います。

アイは、竹生島の宝蔵の鍵を預かっているので見せようと申し出ます。ワキも見せてくれというので、アイは目付から下がって後見から葛桶のふたになにやら入ったものを受け取って再び目付に出てきます。

まず取り出したのは、宝蔵の御鍵ということで鍵のような形を作ったもの。続いて竹を二本組み合わせたようなものを取り出し、一夜に生えた二股竹と示します。
次は黒い棒のようなものを示して、馬の角と説明。さらに宝珠のようなものを出して、牛の玉と言います。
なんだか怪しいものばかりですが、続いて一束の毛のようなものを取り出して、ここは聞き取れなかったのですが、何かの脇毛と説明します。さらに数珠を取り出し、天部の持たせられたお数珠と説明して、頂かせられいと、ワキ、ワキツレの頭上で数珠を動かしお祓いをするような形を見せます。

後見にこれら怪しい宝物を返して目付に戻り、霊宝はかくの如きに候と述べた後、自分は岩飛びをする者なので、飛んでお見せしようと言い、後見が袖を括り上げると常座に立ち岩飛びを始めます。
「いでいで岩飛び始めんとて いでいで岩飛び始めんとて 高きところに走り上がり 東を見れば日輪月輪照り輝けり 西を見れば入り日を招き あぶなそうなる巌の上より あぶなそうなる巌の上より 水底にずっぷと入りにけり」
と囃子が入って謡い舞います。(聞き取りなので詞章はちょっと怪しいですが・・・)

最後に「水底にずっぷと入」ったという次第でか「はあクッサメ」と留めて退場します。この部分、末社の神が出て三段ノ舞を舞う形もあるようですが、この方が面白いですね。
この後は、もう一日明日につづきます
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竹生島もう一日のつづき

アイの社人が退場すると、一呼吸置いて囃子が出端を奏し始めます。
いよいよ後場になりますが、出端の囃子に続いて地謡が「御殿しきりに鳴動して」と謡い出します。
「山ノ端出づる如くにて 現れ給ふぞかたじけなき」の謡に合わせ後見が作り物の引廻しを下ろすと、中には後ツレ天女が床几にかかっています。
緋の大口に紫の長絹、天冠を着けて「そもそもこれは此島に住んで」と謡い出しますが、これこそこの竹生島の弁財天。

地謡の「その時虚空に音楽聞こえ」でツレは袖の露を取り「乙女の袂 かへすがへすも」で立ち上がって作り物を出、常座に向かい答拝して天女ノ舞を舞い始めます。
當山淳司さんは何度かツレで拝見していますが、舞を見るのはこの日が初めて。ツレの舞う天女ノ舞らしい、すっきりした舞です。

さて天女ノ舞を舞い上げると、さらに地謡が「夜遊の舞楽も時すぎて」と謡う謡に合わせて舞い、「下界の龍神 現れたり」でワキ正から幕の方を見て雲扇の型をして龍神を招きワキ座へと着座します。ワキ、ワキツレが一人分横へずれる形になりますね。

囃子が早笛になり、後シテの出。一度三ノ松まで出て幕内に下がり、再び走り出て一ノ松に立ちます。赤頭で法被半切に龍戴をいただき、右手には打杖、火焔珠を載せた銀盤を両手に捧げての登場です。
「龍神湖上に出現して」と足拍子を踏んだ後、手に捧げ持った珠を見込み、ワキに寄って珠を渡します。

さらに打杖を抜き持って舞働。豪放に舞上げます。
やっぱり憲正さんの舞って上手いなあと思います。相当量の稽古もされているんでしょうけれども、一方で、感覚的なものは天性なのかなあ。ともかく舞働から、キリの舞と楽しませていただきました。

「天女は宮中に入らせ給へば」でツレが退場しますが、シテはこれを見送った後、「波を蹴立て 水を返して」と所作を見せ、橋掛りに進んで飛び返り。左袖を披いて留となりました。気持ちの良い舞台でした。
そう言えば、脇正面の奥の方にいらっしゃたのは、もしや憲正さんのお母様では・・・
(76分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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