能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

蝸牛 吉住講(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2009.4.18
 シテ 吉住講
  アド 野村万蔵 野村扇丞

蝸牛は良く演じられる狂言の一つですね。このブログでは昨年2月の式能で、大藏吉次郎さんが演じられた際の鑑賞記1を載せています。
この曲、あまり流儀による違いは無いようですが、ともかく今回は和泉流ということで、鑑賞記を書いてみることにしました。

まず舞台にはシテの羽黒山から出た山伏が登場してきます。
式能の際は、能から引き続いて囃子が残り、シテの出では次第を奏する形でしたが、省略されることの多い狂言の囃子ということで、この日は囃子が省略されて、抜き足のような独特の足使いで山伏が登場しました。

括り袴に水衣、篠懸をかけて兜巾を戴いた姿で常座に出、次第を謡います。能と同じく鏡板の方を向いて「大峰かけて葛城や 大峰かけて葛城や 我本山に帰らん」と言う詞章を謡いますが、吉次郎さんの時のものとは違います。
後見が「帰らん」のみを繰り返し、正面に向き直ったシテは、大峰葛城から本山への下向道であると語って、舞台を廻ります。

歩みつつ、山伏狂言の良くある形ですが「まず山伏というものは、野に伏し 山に伏し あるいは岩城を枕とし」と、山伏の修行の様を語り、さらに常座に戻ったところで「目の前を飛ぶ鳥も祈り落とす」と足拍子を踏みます。吉次郎さんの常座から正先へと祈り落とすように進み出て足拍子を踏む形とは異なります。

さて、そうこうするうちに疲れたので休みたいと見ると、大きな藪があるのでここで休んでいこうと、大小前から正中へと藪に入る所作。藪は広いという設定でワキ座あたりに横になります。吉次郎さんの時は笛座あたりでしたね。

代わってアドの主万蔵さんが常座に出て名乗った後、「御寿命目出度い祖父御」を持っているが、人の言うには「蝸牛は寿命の薬」ということなので、太郎冠者を呼び出して取りに行かせようと言って、太郎冠者を呼び出します。
このつづきはまた明日に
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蝸牛のつづき

主は早速、太郎冠者に蝸牛を捕ってくるように命じますが、太郎冠者は「蝸牛と申す物は何処許にあるものやら またどの様な物じゃも存じ」ていないという始末。これが騒動の種ですが、主人は、蝸牛は藪にたくさんある物で、頭が黒く、腰に貝を附けて、折々は角を出すものと教えます。太郎冠者に命じた主人はいったん下がります。

命じられた太郎冠者は舞台を廻って藪へと至り、大小前から正中へ藪に入る形になります。藪の中でワキ座に寝ているシテに行き当たり「なにやら頭の黒い者が寝ている 大方あれであろう」とシテを起こし、「蝸牛殿ではござらぬか」と間の抜けた問いかけをします。
山伏はどうして自分を蝸牛と思ったのかと聞き返しますが、太郎冠者は蝸牛が頭の黒いものと聞いていて、頭が黒いので蝸牛と思ったという、これまた間の抜けた答えをします。
山伏の独り言、狂言らしい、心の中で思ったことを台詞としてしゃべる形ですが「世にはうつけた者がござる。山伏を見て蝸牛ではないかと申す。ろしすがら嬲って参ろうと存ずる」と言い、蝸牛のふりをすることにします。
太郎冠者が聞いてきた蝸牛の特徴、頭が黒く、腰に貝を附け、折々は角を出す、を法螺貝を示したり、篠懸を両手で持ち上げたりなどして示す形。

太郎冠者はすっかり蝸牛と信じて、一緒に来てくれるように頼みますが、山伏は歩いては行けないので背負っていけと求めます。しかしこれは無理と太郎冠者が言い、それならば囃子物で行こうということになります。

囃子物も大藏流と同じ・・・というか、どうもこの曲は大藏流の古い本には無いらしく、和泉流の残している形が原曲なのかもしれませんが・・・ともかく、太郎冠者に「雨も風も吹かぬにでざ釜打ち割ろう、でざ釜打ち割ろう」と囃させ、山伏は「でんでんむしむし でんでんむしむし」と囃しながら舞う形になります。

この曲、要はこの囃子物を見せるための曲ではないかと思うくらいインパクトの強い囃子物です。ただし大藏流では、太郎冠者を迎えに来た主人までもが、囃子物に取り込まれてしまいます。一方、和泉流の形では、主人が太郎冠者に蝸牛ではなく「山伏の売僧」だと何度か諭し、主人と太郎冠者が山伏を打擲しようとしますが、隠形の術でも使ったか、山伏の姿を見失った態になります。主人と太郎冠者が探していると、山伏が二人を驚かして逃げ、二人後から追い込んで留となりました。
(27分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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大坪喜美雄舞台生活五十周年記念会を観に行く

この時期、我が家のあたりでは田植えの時期となりまして、昨日は手伝いをしていた関係で更新をお休みしました。忙しい毎日なのですが、今日はそんな中、作業手順の関係もあって田植えがお休み。

というわけで、前々から楽しみにしておりました大坪喜美雄さんの五十周年記念会、安宅の演能を観に宝生能楽堂まで行ってきました。そもそも宝生流では安宅の上演が少ないのですが、今回は延年之舞の小書付。いずれ鑑賞記の中でも触れるつもりですが、前回宝生流で延年之舞が出たのは、五年ほど前に高橋章さんがなさった時以来とか。その際は、たしか亀井広忠さんが大鼓を打たれたはずなのですが、今回は父上の忠雄さんの大鼓。「宝生の延年は死ぬ気で打て」という話がありますが、まさにそういう気迫ある舞台でした。

曲の詳細はいずれ鑑賞記で。また小書延年之舞をめぐる話も、別途に書いてみようかと思っています。

本日の番組は、まず高橋章さんの舞囃子「乱」。本当に充実した舞でした。
続いて、金春流、桜間金記さんの一調一声で「三井寺」。小鼓を久田舜一郎さんが打たれましたが、関西中心に活動されているため、私は初めて拝聴しました。
さらに仕舞が三番。宝生流長老の三仕舞ということで、近藤乾之助さんの「歌占クセ」に今井泰男さんの「花筺クセ」、そして三川泉さんの「山姥クセ」と、まあよくぞこんな重厚なクセを三番も集めたものだという三番でした。
そして野村萬さんの「奈須与市語」これまた重厚な演技でした。
それぞれについても、一言書きたいところですが、これまたいずれ鑑賞記の頃にと思っています。

そうそう、会場でおなじみ佐藤先生にお目にかかれたのは良かったのですが、帰りの混雑でお話も出来ず失礼してしまいました。ちょうど前後の席だったとは、まさに奇遇です。
明日また手伝いのため、本日はこの辺で

田村 内藤飛能(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2009.4.18
 シテ 内藤飛能
  ワキ 梅村昌功、アイ 高部恭史
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 住駒俊介
   笛 成田寛人

このブログを書き始めて以来、田村は三番見ているのですが、たまたまと言えばたまたま、すべて下掛り。18年に金春の本田光洋さんがなさった白式の小書付(鑑賞記は)、19年には喜多流中村邦生さんの白田村(鑑賞記は)、そして20年に同じく喜多流大村定さんの小書無しの演能(鑑賞記は)ということで、上掛りの田村は本ブログでは初登場です。

流儀による違いがそれほど大きい曲ではありませんが、気付いたことなどを含めて書いてみようと思います。

まず舞台には次第でワキ東国方の僧の梅村さんと、ワキツレの従僧、舘田善博さんと森常太さんの二人が登場し、舞台中央で向き合っての次第。ワキの名のりで、この度都へ上ろうとすることが語られて道行、そして着きゼリフとなります。
角帽子に水衣の着流し僧ですが、人待つ形でワキ座に着座します。

ここに一声の囃子で前シテの童子が登場してきます。
白式系の小書がつくと前シテも白の水衣になりますが、常の形では緑系の水衣が多いようです。この日も縫箔に緑の水衣。童子の姿で、右手に箒を持っての登場です。
シテの内藤飛能さん、実はツレやトモとしては何度も拝見しているのですが、シテはこの日が初めてです。たしか昨年に初シテをされたと思うのですが、ともかくお若いシテで、どの様になさるのか興味を持って拝見しました。

さてこのつづきはまた明日に
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田村のつづき

登場したシテは一セイ、サシ、下歌、上歌と謡い、地主権現の桜を讃えます。素直な感じの謡で、春の長閑な雰囲気が伝わってくる感じです。

地主権現・・・地主神社は清水寺近く、大国主命を主祭神とする神社で、古来桜で有名です。嵯峨天皇が行幸され、地主桜の美しさに三度車を返されて「御車返しの桜」の由来となっています。
もともと地主神社というのは、寺院の境内に地主すなわち土地の神を祀った神社の意味で、地主権現に限ったものではないのですが、あまりに清水の地主神社が有名になってしまったため、地主権現といえばこの清水の神社の固有名詞ともなっているようです。

謡い終えたシテにワキが花守かと問いかけ、当寺の来歴を語ってくれるように求めます。この求めに答えてシテが清水寺の由来、観音の有り難さを語りますが、以前にも書いたように、上掛りでは正身の観世音を拝もうとを川を上った大和の国の沙門が行叡居士という老翁に出会い、この行叡居士が大伽藍を建立すべしと行って東へ飛び去ったという話が語られます。この日のシテの語りもこの形。

一方下掛りの本では、これに加えて行叡居士が七百歳となっていたことや、この話を聞いた坂上田村丸が伽藍を建立し、千手の仏像を作り据えて、都鄙安全の尊容としたことなどが語られる、やや詳しい形です。

続く名所教え。まずは南の塔婆の見えるあたりと、橋掛り、幕の方を見やる形になります。シテは歌の中山清閑寺と答えます。続いてワキが北に当たって入相の・・・と反対にワキ柱側を向き、シテが鷲の尾の寺と答えていきます。
この方角の話は以前にもちょっと触れたことがあるのですが、流儀によって方角の取り方が違うようで、喜多流では笛柱の方を南に目付柱の方を北にとるらしく、まず二人して背を向け笛座の方を向いてしまいます。
金春流はシテ柱の方角を南に、ワキ柱の方を北にとっていて、今回と同じ展開です。(どうも金春流と宝生流って、共通する点が思いのほか多いように思っていますが・・・)
観世流は喜多流とちょうど逆方向なので、喜多流で観るとちょっと違和感があります。金剛流については存じておりません。

さてシテ、ワキの掛け合いから同吟となり、その後クセになりますが、このつづきはまた明日に
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田村さらにつづき

これも以前に書きましたが、この曲、修羅物としては大変異質な曲でして、前シテが一般的な老人ではなく童子だったり、前後にクセがあり、かつ舞グセであることなど、常の修羅物とは相当に違っています。
むしろ観音信仰をベースにした脇能的な曲とも言って良い曲で、全編を通して祝祭性が感じられるところです。

クセを舞終えるとロンギになり、シテはいったん正中に下居します。地謡との掛け合いから、地の「わが行く方を見よやとて」で立ち上がったシテは、田村堂に姿を消したと中入になります。
中入の後は語りアイで、清水寺門前の人がワキの求めに応じて、清水寺の縁起から坂上田村麿の鈴鹿山鬼退治を語る形です。

アイが下がりワキの待謡。桜の木陰で夜通し法華経を読誦します。これを受ける形で一声の囃子で後シテが登場します。

後シテは小書無しの基本の形で、袷法被肩脱ぎに半切、右折の梨打烏帽子に白鉢巻きの姿で、甲冑を帯びた形を表しています。
常座に出て一セイを謡います。ワキの詞に目付に出つつ坂上田村丸の霊であると明かしたシテは、地謡で舞台を廻り、正中に進み出て床几にかかります。

前後にあるクセですが、後場は床几にかかった形で始まります。伊勢の国鈴鹿の悪魔を鎮めよとの命に、田村麿が進軍した様を語る形になっていますが、床几にかかっているのは馬上にあることを示す形。
「弓馬の道も先駆けんと」で立ち上がり、クセの後半は舞グセになりますが、そこは修羅物ですので、戦の形を見せる所作が主体となったところ。

さらにクセを舞上げてのカケリになります。他の修羅物のように修羅道の苦患を表すものではないので、すっきりした感じです。
そして「いかに鬼神もたしかに聞け」とキリの部分に入っていきます。
お若いシテらしい、きりっとした舞で好感が持てました。
(78分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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吉野静 佐野弘宜(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2009.4.18
 シテ 佐野弘宜
  ワキ 御厨誠吾、アイ 野村扇丞 吉住講
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒匡彦
   笛 一噌幸弘

内藤飛能さんと同様に昨年初シテの舞台を踏んだ佐野弘宜さんがシテの吉野静。この能、五流にはあるのですが、あまり上演されませんね。特に金春と喜多の二流は前後二場の現在の能としているのですが、この展開が難しいようで滅多に演じられませんね。
私も宝生流では何度か見ていますが、他流での観能はありません。このブログでは昨年四月の宝生会月並能で高橋章さんがなさった吉野静の鑑賞記を載せています。(鑑賞記1

先にも書いたように、この曲は金春、喜多の二流では前後二場の形になっています。しかしそれ以外の流儀では一場物に整理されていて、前回、高橋章さんの時も書きましたように、宝生流ではワキが登場して次第を謡った後、前場のあらすじに相当するところを語って後場のアイとのやり取りへと展開していきます。

まずはワキ佐藤忠信の御厨さんが次第の囃子で登場してきます。
直垂に白大口、笠を被って常座まで進み、鏡板を向いて次第を謡った後、正を向いて笠を取り、佐藤忠信であると名乗って、前場のあらすじに相当する話を語ります。

続いてアイ二人、扇丞さんと吉住さんの登場。高橋章さんの時と同様、法螺貝を吹く形での登場です。扇丞さんが地謡前あたり、吉住さんがワキ正にに別れて着座し、肩衣を右のみ外し「吉野十八郷乙名衆談合とて」大講堂での集会の態で語り合います。

アイの登場の際に後見座にクツロイでいたワキは、立ち上がるといったん橋掛りへ出た後、笠を被たまま進み出て大小前に座します。
アイがワキを咎めて「何とて衆徒の座敷へ、濡れわらんずにて出でられ候ぞ」と問いただします。ワキは素知らぬふりで、都道者なので衆徒の座敷とも知らずに入ってしまったと言いますが、都の者と聞いてアイが興味を引かれるわけです。

アイは義経がどのくらいの人数を連れて吉野を逃れたのかと問います。これにワキが十二騎と答えると、それならば追い掛けようと二人がはやり立ちます。しかしワキは「暫く」とこれを止め、十二騎とは言っても並の軍勢の百騎にも二百騎にも相当する強者と諭します。この言葉にアイは思い止まり、二人は再び法螺貝を吹く様子で退場していきます。
さてこのつづきはまた明日に
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吉野静のつづき

アイの二人が退場してしまうと、「アシライ出」でシテの静御前が登場してきます。忠信との約束により舞装束となり忠信遅しと待ちかねた様子。
金色の静烏帽子に紫の長絹、緋の大口で登場したシテは常座まで出て「さても静は忠信がその約束を違へじと、舞の装束ふき繕い、忠信遅しと待ち居たり」と謡います。高橋章さんがなさった時は、一ノ松でとどまったように記憶しているのですが、はてこのあたりはどうだったのか。

ともかくもシテの登場に、都道者になりきっているワキは、静に法楽の舞を舞うようにと促します。
シテはワキに都人ならば義経の噂を知っているだろうと問いかけます。舞台上には二人だけですが、演出としては集まった衆徒に聞かせようというところでしょう。まさに能らしい展開です。さらにワキが兄弟仲直りと告げ、衆徒に追跡を思い止まらせようとする形でしょうか。

ワキが再び静に舞を促し、シテの謡、地謡がこれを受けて「衆徒も憤りを忘れけり」で常座で足拍子。ワキはワキ座に向かって着座し「げにこの御代も静が舞」でシテのイロヱになります。

さらに、義経は神道を重んじ、朝廷を敬って忠勤、私心無かった。人が讒言をしようとも神は正直の頭に宿る、とシテと地謡の掛け合いで謡いがつづき、シテは正中に進み出て下居し合掌します。

続くクセは舞グセ。梶原景時の讒言に追われたものの、義経の真に頼朝と仲直りの話。「よも順義にては候わじ」とワキに向いたシテは「されば義経は」で立って、衆徒もいたずらに義経を追って不忠をなし給うなと、進む謡に合わせての舞になります。
シテの上げ羽から、義経の郎党は精鋭と説き、これを聞いて衆徒は誰一人義経を追おうとはしなかったと謡い舞います。

そして「賎やしづ」の拍不合の謡から中ノ舞。落ち着いた安定感のある舞で、お若いシテとしては堂々とした感じです。
舞い上げたシテは「賎やしづ。賎の苧環。繰り返し」と謡い、地謡が受けて、衆徒が静の舞の面白さに時を過ごしてしまったり、義経主従の武勇を恐れて思い止まったり、忠信の謀通りにことが進み、義経は無事に落ち延びた。静も願いが叶って都へ帰ったと留拍子になりました。
(51分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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鬼瓦 山下浩一郎(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2009.4.18
 シテ 山下浩一郎
  アド 小笠原匡

鬼瓦は、このブログではこれまで二度、善竹十郎さんがシテをなさったもの(鑑賞記)と山本則直さんがシテをなさったもの(鑑賞記1)を載せていますが、いずれも大藏流です。

この曲も蝸牛と同様に、流儀による違いがそれほど大きいものではありませんが、和泉流の鬼瓦ということで、気付いたことなど書いてみようと思います。

舞台にはまず素袍上下に烏帽子を着けたシテが登場し「遙か遠国の大名」と名乗ります。実は以前にも書いたように、大藏流ではこの日のように烏帽子をつけ、素袍上下の大名が登場し遠国の大名と名乗りますが、和泉流ではシテが長上下で出る「遙か遠国の者」とされているのが通常の形だと思います。もちろん狂言の場合、流儀よりも家々によっての違いが大きいので、野村家では大名姿にするのかも知れません。
とは言え大名でも主でも、違うのは設定だけで、その後の話は同じ展開です。

大名は常の如くに太郎冠者を呼び出し、訴訟叶って安堵の御教書をいただき、新知を拝領、さらに御暇までいただいたので、近日、本国へ帰る旨を話します。そして、これも因幡堂の薬師如来を信仰するおかげだろうから、お礼かたがた御暇乞いがてら参詣しようと思うが、どうかと太郎冠者に問いかけます。

そして二人して因幡堂に参詣することにし、舞台を廻ります。
因幡堂に到着した二人は「まず御前に向かおう」と、シテはワキ座に座し「ぢゃがぢゃが」と、本堂で打ち鳴らして拝む形。太郎冠者は常座に控えます。

さらに故郷にこの御薬師を勧請しようと思う旨を述べます。
このつづきはまた明日に
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鬼瓦のつづき

大名は、いずれ自分の領地に因幡堂の薬師如来を勧請するため、堂の様子をとくとく見覚えて行こうと、太郎冠者と堂のそこかしこを眺めます。

古、飛騨の匠が建てた堂ということで、天井を見上げたり、御厨子を見ようと少し遠くを見たりします。さらに太郎冠者を伴って後ろ堂へ参ると、ワキ座を立ったシテは正中から目付を見上げ、太郎冠者もこれについて常座を立って舞台を廻りつつ、後ろ堂の見事な建築を褒めていきます。
この褒め詞は、流儀によって異同があるようですが、なんだか立派な御堂を見ているような気がしてきます。

破風を褒めた後に、大名はワキ座に戻って上を見上げ「あのつぅっと空に黒い物がある、あれは何じゃ。あのつぅっと」と突然に言い出します。これに太郎冠者が、あれは鬼瓦だと答え、大名も「まことに鬼瓦じゃ」と納得します。

しかしその後、その鬼瓦が誰かに似ていると思案していたシテ大名は、いきなり泣き出してしまいます。ここがこの曲の上手くできたところでしょう。

太郎冠者は不審に思い問いかけますが、大名は鬼瓦が国元の女共(つまり自分の妻)とそっくりだと言って泣きます。「口の耳せせまで引き裂けたところ」や「首筋に苔の生えたところ」など、そっくりだと言いだし、この荒唐無稽さに見所も笑いが出るところです。
この例えの部分も流儀や家によってバリエーションがあるようですが、いずれにしても鬼瓦そっくりの妻が居たら、やはり大変でしょうね。

故郷を思い出して泣いている大名を、太郎冠者はすぐに帰れるからと慰め、二人して笑って留になります。
あり得ないばかばかしさではあるのですが、ただおかしいだけではなく、なんだか大名の心情に、優しい気持ちを感じてしまう不思議な曲です。
(14分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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おかげさまで10万アクセス

このFC2でブログを開設して以来、もう少しで3年というところですが、今朝、というよりも夜中12時過ぎ頃に、10万アクセスに到達したようです。
これも、ご来訪いただいた皆様のおかげと思っています。

能狂言の話題のみで運営しているブログですので、同好の方でないと、なかなか訪問いただけないと思いますが、よろしかったら時々覗いて下さい。
あまり多くはありませんが、月一度くらいは観能に出かけていますので、記事も増えているかと思います。

引きつづき、よろしくお願いします。

善知鳥について

先ほど「10万アクセスの御礼」を書きましたが、今日はもう一つ。先月の五雲会、最後の曲に関して、少し書いておこうと思います。

今回は時間の都合で善知鳥を最後まで観られませんでしたので、鑑賞記という形では記載しませんが、思ったことなど少しだけ書いておこうと思います。なおこの曲に関しては、観世流武田尚浩さんの演能について鑑賞記()を書いています。善知鳥という鳥をめぐる話はそちらで触れていますので、ご参照いただければと思います。

前場、舞台上にはまず出し置きでツレと子方が登場しワキ座に着座します。
子方は高橋希クン。地謡で出ておられた高橋亘さんのご子息ですが、なかなか堂々としたもの。将来楽しみなお子さんです。こうして芸って、伝えられていくんだなあとしみじみ思った次第。

ワキは森常好さんでしたので、名乗り笛で堂々と登場されました。
笛は栗林祐輔さんですが、目を閉じて聞いていると本当に松田弘之さんの笛と似ています。弟子が師匠の芸に似るのは当たり前・・・かもしれませんが、同質の良い雰囲気が漂っている感じがします。
おそらくは相当な稽古をされたのでしょうね。まだ三十そこそこのお若い笛方ですので、これからだんだんと、ご自分なりの方向に進んで行かれるのでしょうけれども、それはそれで楽しみに思っています。

この日のシテは今井泰行さん。正直、呼び掛けで出てこられて、橋掛りでワキとの問答になっただけで、上手いなあ・・・としみじみ思った次第です。
陸奥に下るワキ僧に、蓑笠手向けて欲しいと頼んだものの、ワキから何かの印を求められて「実に確かなるしるしなくては」の後の「や」の一声、一ノ松にふと立ち止まった形での一声が実に趣き深く聞こえました。

本来ならば、一曲全部見たかったのですが、やむなく時間の都合もあり途中で失礼しました。できるだけ見所の迷惑にならないよう、一番後のドア側の席で中入まで見た後、そっとおもてに出て、時間のある限り、ロビーのモニターで拝見しました。
やっぱり掛け持ちなどと、あまり大胆なことを考えない方が良かったかもしれません。
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文荷 丸石やすし(春狂言)

大藏流 国立能楽堂 2009.4.18
 シテ 丸石やすし
  アド 茂山七五三 茂山あきら

大好きな狂言の一つ、文荷。このブログでも何度も登場していますが、茂山家の狂言としては初めてでもあり、自分自身の鑑賞記録ということで少々書いておこうと思います。

丸石やすしさんは千之丞さんのお弟子さんにあたるのだそうですが、なんでもお若い頃に落語家になろうと志して、米朝師匠に弟子入りしようと思っていたところが、千之丞さんの狂言を見て感動し、とうとう狂言師になってしまった、という経歴の方なんだそうです。
昨年夏の納涼祭では、鬮罪人の町内の衆代表として安定感のある舞台を拝見しています。(鑑賞記は
今回は文荷ですので、また違った味わいですね。

さてその文荷。
まずは長上下を着けた主人、丸石やすしさんが登場し常座に出ます。太郎冠者の七五三さんと次郎冠者のあきらさんが控える形。
シテの名乗りで「久しう彼の方へ使いをいたしませぬによって」両人を呼び出し、文を届けさせようと思う旨を述べて、太郎冠者、次郎冠者を呼びます。

早速出た二人に手紙を届けるように命じると、両人は畏まり、早速文を届けに出かけます。万作さんがなさった時の鑑賞記に書きましたが、和泉流の本では、この主人に言いつけに対して、二人が抵抗する形になっています。
少人との文を内儀様が快く思っていないので叱られるということなのですが、今回は特に抵抗なく、むしろこのお使いでは、彼の方のところで「お茶の ご酒のとあって それを楽しみに行くことじゃ」と、両人喜んで出かける形です。

善竹富太郎さんの時はどうだったか、あまり記憶がはっきりしないのですが、芸系としては茂山家と近いので、同じような形だったかもしれません。山本家はどうなんでしょうね。
ともかくも、このつづきはまた明日に
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文荷のつづき

昨日書いたように、主人の「少人狂い」については、特段の批判めいた話も出てこないので、二人仲良く出かけていくのですが、とは言え先に文を預かった太郎冠者の七五三さんが、ほんの少し歩くと、二人で預かったのだからということで「さあ持て」と次郎冠者に文を持たせようとします。

結局、次郎冠者が預かってまたまた歩く訳ですが「彼の方とはずいぶん深い仲とみゆることじゃ」などと話しながら舞台を一回りすると、今度は太郎冠者に「持て」と迫ります。そこで、太郎冠者の提案で竹に文を通して担っていくということになる訳です。

万作さんの時の形だと、この二人で持つ、持たないから、文を担う間も、主人の少人狂いを批判するようなやり取りがあるのですが、そのあたりはさほど触れません。
一方で、文を竹に通して担うということで、見かけた者達は「笑うであろう」と思うものの、要は「とかく両人持ち良いように持てば良い」と、楽しげな雰囲気。
要はとても明るい雰囲気でして、茂山家の皆さんがなさるから余計にそうなのか、見ていて妙に楽しいわけです。

そして、二人で文を担ぎ上げますが「さてもさても重い文ではないか」と文の重さを語り座り込んでしまいます。そしてこれは「恋の重荷」だろうと、二人で笑い合います。

この詞から、太郎冠者が「謡を思いついた」と言い出して、立ち上がった二人は恋重荷の一節を謡い出します。
和泉流の本だと、中入前のシテの謡「しめじが腹立ちや」から地謡の「なにの重荷ぞ」までを謡う形で、万作さんの時もそうだったと思いますが、今回はもっと手前からで
「重くとも心添えて持てや持てや下人。よしとても よしとても 此身は軽し徒らに 恋のやつこに成り果てて 亡き世なりと憂からじ なき世になすもよしなやな。唯頼め しめぢが腹立ちや よしなき恋を菅筵 伏して見れども 寝らればこそ 苦しや独寝の 我が手枕の」で二人「えーいやっとな」と竹を反対の肩へ担い直し「肩かへて 持てども 持たれぬそも恋はなにの重荷ぞ」と謡って、えいえいやっとな、と謡を終える形でした。
いささか長く謡を書きましたたが、この謡の途中で、竹を担い直すのは和泉流も同じで「肩かへて」に合わせた形ですね。

この曲、もう一日つづきを書いてみます
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文荷さらにつづき

恋重荷を謡って、担った文が重いと一騒ぎの後は、常の形通り太郎冠者が中を見てみたいと言い出します。
これも和泉流の形だと、次郎冠者が最初難色を示すようになっていて、太郎冠者が無理矢理読み出してしまうところですが、ここでは次郎冠者もあっさり同調して、文を見ることになってしまいます。
なんとなく、とんとん拍子に話が進んでいくような感じで、その分よけいに明るい感じがするのかもしれません。

太郎冠者が文を読むと、海山、海山と書いてあり、これでは重いという話になります。
そこで次郎冠者が、自分にも見せて欲しいと文を受け取り「ただ明けても暮れても、恋し恋し」と書いてあって「いかに小石でも このように沢山あれば重いはずじゃ」ということになります。

万作さんの時は、たしか太郎冠者が「恋し 恋し」とあって、小石が沢山書かれているので重いと言い、続く次郎冠者は「おなつかしさは富士の山にて候」と、富士山まで書き込んであるので重いという展開になっていたように思います。

ここも、和泉流だと主の字が下手だといったくすぐりがあるようですが、割とあっさりと話が進み、太郎冠者と次郎冠者が文を取り合いして破ってしまうことになります。

最初に文を見ようと太郎冠者が言い出して、次郎冠者が難色を示す形だと、破ってしまったのもどちらが悪いという言い合いになるのは自然ですが、そうしたやり取りがないため、ここも「このように破れた文は届けられまい」としばし考えた後、良いことを思いついたと、二人小謡を謡って、文を扇で煽ぐことになります。

「賀茂の河原を通るとて 文を落といて世の風の便りに伝え 届けかし」とたぶんそんな小謡だったようですが、二人謡ながら扇で文を煽ぎます。
ここに主人がやってきて、二人を叱りつけ、次郎冠者がまず逃げてしまい、太郎冠者が破れた文を折りたたみ「これがお返事でござる」と差し出して、主人が追い込む形。
本当に楽しく拝見しました。
(15分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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釣狐 茂山茂(春狂言)

大藏流 国立能楽堂 2009.4.18
 シテ 茂山茂
  アド 茂山千之丞
   大鼓 亀井広忠、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 藤田六郎兵衛

猿に始まり狐に終わる・・・というその狐。狂言でも最も重く扱われる曲の一つです。ちなみに大藏流で極重習とされるのは、この釣狐と狸腹鼓、そして花子の三曲だそうですが、たしかに見応えのある曲ではあります。

最初に解説で出た宗彦さんのお話では、茂さんはすでにこの日の釣狐で四度目だそうで、舞台としては余裕ある感じなのでしょうけれども、やはりこの曲ならではの緊張感を感じるところです。

まず舞台には切戸口から囃子方が登場してきます。狂言の囃子を奏する際の常として、向かい合う形になり次第を奏します。囃子を入れなくとも演じることは出来ますが、やはり囃子が入ると、それだけ曲の重みが増すような感じがしますね。

囃子に合わせて、前シテ伯蔵主が登場してきます。黒の水衣に角帽子の僧侶姿ですが、足許は狐の着ぐるみがちらりと見える形で、狐の化けた人物であることが示されています。杖をつき、面は伯蔵主、この曲の専用面ですね。常のような足の運びではなく、狐を表す獣足で歩みます。
アドの猟師、千之丞さんは、シテの後から出て笛座前に着座し、シテは常座から斜め後ろ鏡板の方へ向いて次第を謡います。この向きを変える時に、杖を激しく動かして獣らしさを出す形ですね。

次第は「別れの後に鳴く狐 別れの後に鳴く狐 こんかいの涙なるらん」ですが、こんかいのところは狐の鳴き声を真似して謡うため、なんと言っているのか聞き取りにくいところです。たしか後悔と、狐の鳴き声を掛けたと聞いたことがあります。
このあたりまででも、出方の順番や次第の詞章など、家によっても微妙に違いがあるようですが、とりあえず見たままということで。

さてこの怪しい伯蔵主、次第を謡い終えると、またまた杖を激しく動かして正面に向きを直し、名乗りとなります。
このつづきはまた明日に
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釣狐のつづき

シテが次第を終えると、囃子方は切戸口から退場してしまいます。
この間に正面に向き直ったシテは「これはこのあたりに 年久しう住む狐でござる」と正体を明かします。

ここに茂山千之丞という猟師がいて、自分の一族をことごとく釣り上げられてしまったと嘆きます。さてその猟師の伯父に伯蔵主という僧がいて、さすがの男も伯蔵主の言うことなら聞くので、伯蔵主に化けて意見をしに行こうと思う旨を語ります。
前シテは、両腕をぴたりと体につけて杖を構え、身をかがめた窮屈な姿勢で何十分かの長い前場を演じるのですが、これは本当に大変そうです。
しかも語りの間にも、急に上を向いたり、身を捩ったりなど、狐を連想させるような動きが多々あり、これまた体力、気力の上でも大変そうです。

男の家に向かうと言って、常座から目付に出て左へ廻りますが、ワキ座に来たあたりで犬の声を聞いたと大騒ぎをします。狐は犬に弱いと、まあそういうことなのでしょうね。ここでも狐を思わせる独特の動きを多々見せた後、ようやく落ち着いて常座へと戻り、案内を乞います。

既に夜になっているという設定で、まあこれは狐が化けて出るのは夜と相場が決まっているからでしょうけれども、いったい誰だろうと猟師が立って出てきます。
この日は昼の部で三番三を踏んだ千之丞さん、今年86歳とは思えない元気さですが、さすがにお疲れだったか、ちょっと足許が危ないところがありました。が、ともかくお声は凛々と響いて力があります。

その響く声で返事すると「ワン」と言うようにも聞こえる感じで、またまた犬の声ではとシテが怯える様を見せます。
シテは中に入るようにと勧める猟師に、ここでよいと言い、狐釣をやめるようにと意見します。猟師は狐釣などしていないと否定しますが、シテが、寺に来る人びとから甥の狐釣をやめさせるように言われるのだと迫り、狐釣をしていることを認めます。

さてこれを聞いて、シテは狐の執心について恐ろしい物語を聞かせようと語り始めます。「総じて狐は神にて候」と始めて、鳥羽院の時に現れた玉藻の前が狐であって、やがて下野の国那須野の原に逃れたという殺生石の話を語ります。
さてこのつづきはまた明日に
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釣狐さらにつづき

殺生石の物語をあらためて記載することはしませんが・・・そういえば、このブログを書き始めてから、まだ殺生石の鑑賞記を書いていませんね。殺生石も久しく見ていない曲になっています。
ともかく、シテは殺生石の物語を語り、猟師に狐の執心の恐ろしさを伝えようとします。この語り、葛桶に腰を掛けての場合もあるようですが、この日は常座に立ったままで語られました。これまたキツそうな感じです。

シテは長い語りの後、かくも狐の執心は恐ろしいので、狐釣をやめるようにと重ねて猟師に意見します。猟師もそのような恐ろしい話は始めて聞いたと、「ふっつと狐を釣ることではござらぬ」と狐釣をやめる約束をします。
伯蔵主はさらに狐釣の道具を捨てるようにと求めます。後ほど捨てようという猟師に、重ねて愚僧の目の前で捨てて下されとシテが求め、猟師は後見から道具を受け取って伯蔵主の目の前に「これでござる」と突きつけます。

シテはこの道具に「なまぐさや なまぐさや」と身を捩って不快を表し、猟師はワキ座前に道具を捨てます。

さてもくろみ通りに事が運んだ伯蔵主は喜び、寺へ帰ると立ち去る形になります。猟師は笛座前に下がり、シテは、このようなときは「小歌節でもとの古塚へ戻ろうと存ずる」と言って、小歌を謡いつつ舞台を廻ります。

杖をつきつつ舞台を廻りますが、ワキ座あたりで先ほどの道具に杖があたり慌てて飛び退きます。あろうことか、自分の帰り道に罠を捨てておくとは、あの猟師は執心の深い恐ろしいヤツだと、そんなことを述べますが、さてその置かれた道具が気になる様子。
今まで見たことがないので、近寄ってみようと道具に寄り、杖でつついたりします。

若狐どもが罠にかかったのも道理、「上々の若鼠を油揚げにしてある」とえさの様子などを語ります。
さてこのつづきはまた明日に
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釣狐さらにさらにつづき

シテは罠の様子を良く良く見たり、この罠にかかって一族が釣られてしまったと憎しみを込めて道具を杖でつついたりなど、様々な所作を見せます。
さらに一族の敵だから、敵討ちとばかりに飛びかかってえさを食ってしまおうとしますが、寸前のところで思いとどまります。

この直情的に動こうとして思いとどまったりする状況が、またまた狐らしさを感じさせるというか、良くできた曲ではありますね。

この罠をめぐる所作、場面がしばらく続きますが、とうとう思い切って、このまま食ったのでは罠にかかってしまうだろうから、身につけている重いものを脱いで来て一口に食ってしまおう、と言って中入になります。
身につけた重いものとは衣のことでしょうけれども、たしか和泉流では青緑を着ているので重くてかなわぬというようなことを言ったように思います。

さてここまで言うと、衣をまくり上げて下半身の着ぐるみを見せた形になって、シテは幕に走り込みます。しっぽも見えて、とうとう狐の本性が出たというところですね。

ここまでの前場は異様な緊張に包まれた感じで、重々しい不気味な雰囲気で展開します。この緊張感が、シテの走り込みで一気に爆発する感じで、正直のところホッとする感じがします。

さて中入になると、アド猟師が立ち上がり常座に立っての語りとなります。
最前、伯父の拍蔵主が来て意見され、罠を捨てたのだが不審なことがあるので、捨て罠にしておいた。様子を見てこようと言って、舞台を廻ります。今まで伯蔵主が夜やって来たことはない、などと語りながら舞台を廻り、ワキ座の罠の所にやってきますが、散々にいたずらされているのを見つけます。
これはさてこそ、狐が伯蔵主に化けてやって来たのだと気づき、きっとまた罠の所に来るだろうと、罠を組み立てて待つことにします。
ここで罠を組み立てるのですが、なかなか難しそう。シテの装束替えの時間を取る意味もあり、様々に文句を言いながら罠の組み立てをします。
さらにできあがった後も、どこに仕掛けようかと、ワキ座に置き、目付に置き、さらに常座へと試してみますが、結局ここがよいとワキ座に戻して、自身は笛座前まで罠の綱をのばして着座します。
さてこのつづき、もう一日明日に
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釣狐もう一日のつづき

アドが笛座前に下がると、切戸口から笛方のみが再度登場してきます。釣狐はまったく囃子無しで演じることもできますし、次第を奏しないで後場の笛方のみが出る形もありますが、次第も奏し、後場で笛方が出るのが本来の形なのでしょうね。とっても丁寧な感じがします。

さて幕内から狐の鳴く声が聞こえて後シテ狐が這って登場し、一ノ松で一度止まって正面を見て鳴き、舞台へと入ります。
狐の着ぐるみに狐の面、まさに狐の本体という形ですね。

舞台に入り罠に向かいますが、一度罠を飛び越えてワキ座側に行き、戻ったりしつつ罠に手を掛けようとしたり、思いとどまったりと、何度も繰り返します。
このシテの動きに合わせて、猟師が身を縮めたり戻したりの場面が続きます。

前場で動きを凝縮していた分、後場では獣性を表に出した大きな動きで、転げ回ったり、えさをつついたり、さらに鳴いたりなど、様々な所作を見せます。

一度、目付まで遠ざかって様子を見たりした後、また罠に近寄り、何度も手を掛けたりします。
猟師が肩衣を外していよいよと準備を整えるうちに、三度ほど罠に近寄ったり離れたりしたシテが、罠にかかった形になります。

ここで笛がシャギリを吹き出します。シテはツナをつけたまま引き合いになりますが、結局は綱を外して逃げてしまい、猟師が追い込んで留になりました。

1時間を超える大曲(もっと長い演出もありますが)で、見ている方も緊張感が高まるところ。正直、留になってホッとした感じもしました。様々な習事が含まれる大曲でもあり、狂言方自身、とても大事にしていることがよく分かる曲です。
ある意味、狂言が芸術に昇華している曲という感じがしているのですが、ただ、私自身の好みとしては、狂言の持つ飄逸とした感じや、人間のあほらしさ加減を笑い飛ばすようなところに共感を感じています。このため、素晴らしい曲、素晴らしい演技とは思うものの、この日で言えば、むしろ文荷などの方に狂言の面白さを感じるところでもあります。
(62分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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六地蔵 茂山童司(春狂言)

大藏流 国立能楽堂 2009.4.18
 シテ 茂山童司
  アド 茂山宗彦 増田浩紀 山下守之

このブログにも二度ほど登場している六地蔵です。一度目は18年7月に観た大藏吉次郎さんの上演(鑑賞記)、そして二度目は20年1月の野村万作さんの上演です(鑑賞記123

大藏流、和泉流それぞれ一番ずつということで、両流での違いなども記しました。最大の違いは出てくる人数で、大藏流では仏師になりすます“すっぱ”が、自らも地蔵のふりをするため、シテの田舎者とすっぱ、それにすっぱの仲間2人、計4人で舞台を勤めます。一方、和泉流ではすっぱの仲間を3人出す形が多く、万作さんの時も3人出て、都合5人で舞台を勤めました。
たいした違いではないようにも思いますが、すっぱが地蔵を兼ねると、地蔵の格好をする間は仏師が登場できないことになり、田舎者が仏師を探して苛立つような部分がより強調されるように思います。
何はともあれ、緊張と格式で重苦しい舞台だった釣狐から一転して、まさに楽しい狂言。宗彦さん達も意識してそのように演じられた感を持ちました。

さて舞台は常の如くシテの田舎者、童司さんが登場して常座で名乗ります。遠国の者ですが地蔵堂を建立しようと仏師を探している次第。他の曲と同様に、仏師を探して舞台を呼ばわり歩く形になります。
そこにアドすっぱの宗彦さんが登場してきて、一ノ松で、さる寺を追い出された心の直ぐない者でござると名乗ります。このところしあわせがないので何か一稼ぎと思っている訳ですが、舞台を見やり「なにやら田舎者(デンジャモノ)がいる」ので一つ嬲ってやろうと舞台に進みます。
いわゆる十徳出立ですが、角頭巾を着けた宗彦さんがなんだか妙に千作翁に似ておられる感じです。眼のあたりの感じが、頭巾をつけることで強調されたのかも知れませんが、お若い宗彦さんに、いままでそんな感じを抱いたことがなかったので、いささか驚いたところです。

さてすっぱは常のように、田舎者に話しかけて、まんまと地蔵六体を作る約束をします。代金はできあがりを見てからということですが、さてこのつづきはまた明日に
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六地蔵のつづき

この約束するまでは、「仏師」と同様の展開ですね。仏師の流れには運慶、丹慶、安阿弥と三つの流れがあるが、運慶が絶え丹慶も絶え、安阿弥の流れを組むのも自分一人になってしまったなどと言います。
実は茂山家の仏師を観ていないので何ともいえないのですが、和泉流だと「仏師」でも「六地蔵」でも、安阿弥の流れは自分一人なので自分こそ真仏師(まぶっし)だと自慢しますが、真仏師の言葉はありませんでした。

さらに田舎者に仏像は何時出来るかと問われて、お急ぎならば明日の今時分、お急ぎでないならば来年の今時分と言います。野村家などでは三年三月九十日と言ったように思いますが、ちょっとずつ違いのあるところです。

代金もここでは決めず、できあがりを見てからということになります。
万作さんの時は、万疋と決めましたが、先に代金を決める方が一般的な感じがしますね。さらに万作さんの時にも省略されていましたが、代金の受け渡しを三条の大黒屋と決めるやり取りをする場合もあって、よりお金にまつわる部分が明確になる感じです。

ともかくシテ田舎者とアドすっぱとの約束が整い、明日の今時分までに作って、五条の因幡堂で渡しましょうということになります。

シテは後見座にクツロギ、すっぱは橋掛りに進んで、二ノ松から呼び掛けて仲間二人を呼び出します。早速、田舎者をだました話を聞かせて、地蔵の真似をすることにします。この際に、値段を決めなかったのは正解だったろうというようなことを言い、仲間も同意するやり取りがありました。

さて後はこの曲らしいドタバタになるのですが、後ろ堂ということでワキ座から地謡座あたりに三人が並び、次はわき堂ということで橋掛りの一ノ松から二ノ松に掛けて並ぶ形を繰り返します。この際の地蔵のポーズは演者のアドリブの部分が多いようで、それがまた面白いところです。
最後はすっぱたちが地蔵の真似をしているのばれ、田舎者が追い込んで留になりました。
一同が退場すると後見の井口さんが「俵を重ねて面々に 俵を重ねて面々に 楽しうなるこそ目出たけれ」と附祝言を謡って会がお開きとなりました。五雲会から続けて能三番、狂言五番を見ましたが、楽しい一日でした。
(27分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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安宅 延年之舞 大坪喜美雄(五十周年記念会)

宝生流 宝生能楽堂 2009.5.4
 シテ 大坪喜美雄、子方 山内晶生
  ツレ 朝倉俊樹 山内崇生 小倉健太郎 小倉伸二郎
     和久壮太郎 渡邊茂人 野月聡 金井雄資
  ワキ 宝生閑、アイ 山本則直 山本東次郎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 大倉源次郎
   笛 一噌幸弘

安宅はこのブログ初登場です。しかも宝生流で延年之舞の小書付。当日も書きましたが、そもそも宝生流では安宅の上演自体が少ないようです。同山がなかなか揃わないということもあるようですね。私も宝生流は初見です。しかも今回は延年之舞の小書付。
そう言う訳で、ちょっと今回の鑑賞記には力が入ってしまうのですが、なにぶん自分自身の記録としての意味が大きいブログですので、自己満足的色彩が強くなる部分はご容赦下さい。

実際の能の流れの前に、安宅という能自体について少し書いておこうと思うのですが、繰り返しになりますが、今回はさらに延年之舞の小書が付いています。
この小書は各流にあるのですが、宝生の延年は特別と言われていて、たしかに展開が全然違います。メモと記憶を頼りに書ける限りは鑑賞記に残しておこうと思っていますが、小書による能の展開自体とは別に、そもそも延年之舞という小書はどんな意味を持っているのか、宝生の延年はなぜ特別なのか、そのあたりにも興味をそそられるところです。
この点については、法政大学能楽研究所教授の山中玲子さんが興味深い論文を書かれていまして、鑑賞記の後にでも、この論文をふまえつつ、少しばかり書いてみようと思っています。

さて安宅という能、登場人物の多い現在能という特徴もあって観世小次郎信光の作と言われてきましたが、疑問視する声もあって本当のところはよく分からないようです。ともかく源義経をめぐる様々な能の内の一曲で、頼朝の勘気を蒙って奥州へ下ろうとする義経の一行が、加賀の国安宅の関に至り、関守富樫との息詰まるようなやり取りの末に、からくも関を越していくという、極めて劇的な能です。
この富樫とのやり取りの中で、弁慶がありもしない勧進帳を読むところが見せ所となっており、これが歌舞伎に取り入れられていった訳ですね。
勧進帳の場面、義経が関守の従者に見咎められ、弁慶が機転を利かせて金剛杖で打擲する場面、関を逃れ主従しみじみと涙する場面、さらに弁慶が舞を見せる場面と、見所満載の曲です。
曲の展開は明日に
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安宅のつづき

囃子方、地謡が上下姿で登場。一同着座すると名宣笛でワキの出になります。
ワキ宝生閑さんは直垂上下に梨打烏帽子、白鉢巻きの武将姿で、アドアイ従者の山本則直さんを連れて出ます。アドアイは狂言出立で太刀を持ってワキに従い、常座でワキの名乗りになると、後に控える形です。

ワキの名乗りで、加賀の国富樫の何某だが、義経主従十二人が作り山伏となって奥州に下るというので、関を作って山伏を留めている旨を述べ、アドアイを呼んで山伏が来たなら報告するようにと命じます。
ワキはワキ座に下がって着座し、アドアイが常座で触れをして地謡前に下がると、次第の囃子となります。

囃子のうちに、子方義経の山内晶生クンを先頭に、シテ、そしてツレ同山八名、最後にオモアイ強力の東次郎さんと、都合11人が登場してきます。
子方、シテ、同山いずれも山伏姿ですが、シテ弁慶は白大口に地紋が入ったような感じです。よく縞の水衣を着けますが、この日は褐色(かちんいろ)なのか、黒系の水衣で渋い形です。
同山は八名。同行する山伏に一々名前が付いている訳ではないので、何人でも別に問題はないと思うのですが、観世流では通常九人出ます。宝生流はどうも八名が基本のようで、このところの演能記録なども調べてみましたが、ツレ八名が登場しています。
ちなみに、金春流も八名、喜多流は七名、金剛流では六名という演能記録を見つけましたが、それぞれこれがきまりななかどうかは分かりかねます。

まあ、どうでも良いことのようですが、実は同山が奇数なのか偶数なのかによってちょっと見た目が変わってくるんですよね。同山が偶数だと、雁行とでもいうのか、弁慶を扇の要のようにして同山が左右に広がるような立ち方が映えます。奇数だとシテの真後ろに一人が中腰のような形になったりしますね。
一方、謡には十二人とあり、観世の場合、子方義経、シテ弁慶、同山九人とオモアイ強力で十二人になります。強力は別だという感じもしますが、ともかく十二にはなるので、私は長年、安宅というのは謡に合わせて同山九人出すのが正式とばかり思い込んでおりました。

ともかく登場した一同は舞台上で子方がワキ座側、シテが目付側に立ってそれぞれに同山が分かれ、向き合っての次第「旅の衣は篠懸の」を謡います。この謡、地取りの代わりのような形で、オモアイの謡「おれが衣は篠懸の 破れて事や欠きぬらん」が入り、ちょっと空気が和みます。
さてこのつづきはまた明日に
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安宅さらにつづき

次第の後も、一同向かい合ってサシからシテと一同の掛け合い、上歌、下歌、上歌と謡がつづき「花の安宅に着きにけり」と北陸路を進む道すがらが謡われて、安宅へとやって来ます。

シテの詞で一同は一休みすることになり、ワキ座に着座していたワキとアドアイが立ち上がってワキ座の後に下がり、向かい合ってクツロギます。ワキ座では代わって子方義経が床几にかかりますので、ちょうど義経に席を譲ったような形ですね。
同山の朝倉さんから順にワキ座側から笛座、大小前へと並んで着座し、オモアイ強力は笠と金剛杖を後見に渡して狂言座へ、シテは正中へ出て下居します。

子方とシテの問答で、安宅の湊に新関が立てられ、山伏を留めていることが語られます。シテは、これこそ一大事と一計を案じます。義経が目立つので、山伏姿ではなく強力の笈を背負い、笠を深々と被っていかにも疲れた様子で少し遅れて歩くことを提案します。
このやり取りを受けて、オモアイが後見座から笈を持って出、ワキ座に一番近い同山先頭の朝倉さんと、最後の位置で後見座近くに座していた金井さん、それに地謡の佐野由於さんが出て、三人で子方の装束を替えました。
白大口に水衣、篠懸をかけた姿から、水衣を取り、笠を被って笈を背負います。子方、山内晶生クンは同山で出ていた山内崇生さんのご子息でしょうか。大変しっかりしたお子さんで、謡の間など実に堂々としたものでした。

一方で、シテはオモアイに関の様子を見てくるように命じ、オモアイは橋掛りへ出て様子を見る形となります。山伏の首が斬って掛けられていることなどを見て「山伏は貝吹いてこそ逃げにけれ 誰追い掛けてあびらうんけん」と歌を詠み、早速報告に戻ってシテにも一首詠んだとこの歌を披露します。
これに対してシテは「汝は小賢しき者にて候」と評し、後から付いてくるようにと命じて一同に出発を告げます。
こうした緊張感のあるところで、間狂言の役割というのは上手くできているなあと思いますね。道成寺などでもそうですが、シテ方やワキ方の役者だけではこういう進行は出来ないところです。それにつけても東次郎さんの演技は味があります。格式を保って、舞台に柔らかみを持たせるような感じです。

一同立ち上がり、子方は後見座にクツロギます。シテと同山は橋掛りに入り幕前まで進んで順に引き返してきます。その間に、ワキ座後に控えていたワキとアドアイが立ち上がり、橋掛りを戻って常座に立ったシテと対峙する形。橋掛りには朝倉さんから順に金井さんまでの同山が並びます。
さてこのつづきはまた明日に
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安宅さらにさらにつづき

いよいよこの曲最初の見せ所になってきます。
アドアイが正中に出て、ワキに山伏が通ることを知らせます。「心得てある」と答えたワキは、シテに対して関を設けて山伏を留めていることを語ります。
シテは作り山伏を留めているのであって、真の山伏を留めるものではなかろうと主張します。

アドアイが昨日も山伏を三人斬ったと脅しますが「さてその斬ったる山伏は判官殿か」とシテが力を込めます。大坪さんの謡も迫力がさらに増している感じです。

ワキの「一人も通し申すまじ」との言葉に、シテは最後の勤めを始めようと橋掛りの一同に声をかけ、一同は橋掛りに斜め後ろを向いて下居。シテは常座で後ろを向いて下居、数珠の用意をします。
水衣を肩上げにしたシテは立ち上がり、目付に出て足拍子を踏みます。一同はこれを合図に立ち上がり、シテを雁行の要に左右四人ずつが並んで着座します。
囃子のノットからシテの謡、ツレとの掛け合いで謡が進み、地謡の「オン阿毘羅吽欠と数珠さらさらと押し揉めば」で一同激しく数珠を揉みます。

この勢いに、ワキが気を変えた感じで、東大寺の勧進と言うからには定めて勧進帳があるだろうから、読むようにと求めます。
シテはこれを受けて有りもしない勧進帳を読む訳ですが、シテが立つと同山が左右に開きシテは後見座まで向かって巻物を受け取り、目付に戻って座す形になります。
この形は綺麗ですね。

さて目付に下居したシテは朗々と勧進帳を読み上げます。正尊の「起請文」木曽の「願書」とともに三読物と尊ばれる部分です。実に難しい謡ですが、見事に謡い上げました。
この勧進帳の間にワキは少しずつ前に出て、正先近くに下居します。歌舞伎なら勧進帳を覗き込むようにするところですが、むしろ勧進帳に聴き入るような感じです。
勧進帳は観世流も同文ですが、最後の「帰命稽首」観世では「きみょうけっしゅ」とつめて謡います。大坪さんの謡ははっきりと「きみょうけいしゅ」と謡っておられましたね。
シテが謡い終えると、ワキは立ち上がって「関の人々肝を消し」と謡い、山伏一行を通したと、ワキ座に下がって立ちます。これに一同が向き合う形。
ワキはあらためて「急いで御通り候へ」と声をかけ、一同が再び左右に分かれ、シテが先に立って橋掛りへと進み、同山がこれに続く形になります。
一つ山を越えたところですが、さてこのつづきはまた明日に
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安宅またつづき

一難去ってまた一難、一同が橋掛りへと進み、最後に子方が笠を被り金剛杖を持って目付に出ると、アドアイが判官のお通りと見咎め、ワキが留めます。
橋掛りに並んだ同山は数珠を胸にしまい、刀に手を掛けて「一期の浮沈極まりぬと みな一同に立ち帰る」と今にも斬りかかろうとする形。

ここで弁慶が「ああ暫く」と一同を抑えつつ常座に出て、ワキと対峙します。
シテはなぜ留めたのかと問いますが、ワキはその強力が判官に似ているからだと答え、シテ弁慶はこれに対して、杖とって座した子方の笠を打ちます。
子方は立って逃れ、一同が舞台に進んでワキに迫りますがシテが背で制止しワキと一進一退の形になります。
双方の気迫がこもるところですが、この勢いにワキは「誤った」と一同を通すことにして、地謡方の方から回って囃子方の後にアドアイともどもクツロギます。

ここで場面は安宅の関を離れた山中へと変わります。
この一瞬の場面展開は、舞台道具をほとんど使わない能ならではの表現ですね。

子方はワキ座で床几にかかり、一同は最前と同様に地謡前から大小前に掛けて並んで座し、シテ弁慶が正中に出て両手をついて、義経に詫びる形になります。
ここがまた見せ所の一つですが、主従の涙の場面ということです。両手突いて義経に向いた弁慶は、地のクリで正面に向き直って下居し、静かに地謡が続きます。
子方のサシから、地謡が受け、さらに子方の「唯さながらに十余人」地謡の「夢の覚めたる心地して 互いに面を合わせつつ 泣くばかりなる有様かな」で、一同がシオルというのが一つのクライマックスになっています。

さてこの最後の地謡のうちに、鏡板の前にクツロイでいたワキとアドアイが立って橋掛りへと進みます。

このあとクセの謡があるのですが、この日は省略されまして・・・これが小書のためかどうかは分かりませんが、橋掛りに立ったワキがアドアイを呼びます。
最前は山伏達に厳しくあたってしまい面目もないので、酒を一つ進上しようと思うので、先に行って留めてこいと命じます。
これを受けてアドアイが一行に声をかけます。なんとも余計なお世話のような話ですが、これが最後のクライマックスへと繋がっていきます。
このつづきはもう一日、明日に
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安宅またまたのつづき

アドアイがオモアイに声をかけ、オモアイが富樫の来意を告げます。子方はワキ座を立って後見座に下がり、シテはワキを迎えて後見座に避ける形でワキを通します。ワキはワキ座に進み、その間にアドアイは切戸口から退場します。

シテは一ノ松に立って「実に実にこれも心得たり」と謡い出します。
一同は腰を浮かせてシテを見ますが、「弁慶に諫められて」の謡で座り直し、シテは扇を開いて「この山陰の一宿りに」で大小前から目付の方に向けて扇を投げ、「さらりと円居して」で扇を拾って「菊の酒を飲もうよ」とワキに酌の形になります。

シテの謡から地謡「おもしろや山水に」でシテは立ち上がり、「流に引かるる曲水の」と正中に座します。「落ちて巌に響くこそ」の後、地謡は「鳴るは瀧の水」の常の詞章に変えて「万歳ましませ 万歳ましませ巌の上 亀は住むなり ありうどうどうどう」と謡い、シテが「鳴るは瀧の水」と謡って延年之舞に入ります。ここの記憶がちょっと怪しいのですが、地謡の「ありうどうどうどう」の後にワキの「先達一差し御舞候え」が入って
、シテの「鳴るは瀧の水」だったように思うのですが、もしかして、ワキと地謡が逆だったかもしれません。

ともかく「鳴るは瀧の水」を聞いて、笛の吹き出しになり、ここでシテが立ち上がって答拝して舞出しとなります。
答拝の時は扇を右手、数珠を左に持っていますが、扇を左手に数珠を右手に持ち替えて左に一足、扇と数珠を逆に持ち替えて右へ一足という変形の左右の型をします。
そのまま七足ほどで目付へ向かい、角取りして左へと、ゆっくりとしたテンポのままカカリを常の型で舞って大小前で初段、上げ扇になります。

宝生の延年は独特で、この初段に延年ノ手という特殊な手組が入ります。もちろん他流も延年ノ手は入るのですが、三段目あたりで急調になった後入るのが多いそうです。宝生ではゆっくりしたテンポのまま延年ノ手が入り、常座に下居したシテは右手に扇を広げて酒を汲む型を見せ、変形のユウケンのような型をします。
ゆっくりとそのまま舞が続きますが、二段目の途中で笛がヒシギを吹き、突然急調になります。型も替えの形が随所にあって、全く通常の男舞とは別物の舞です。

舞上げるとシテのワカ「鳴るは瀧の水」から、急ぐ心で「とくとく立てや」と一同立ち上がり、子方を先頭に立てて同山が幕に走り込みます。
シテは橋掛りに進み、幕前で「陸奥の国へぞ下りける」と留になりました。
実に気持ちの良い舞台でした。
(96分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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延年之舞の小書をめぐって

というわけで、すっかり盛り上がって鑑賞記を六日も続けてしまいました。
繰り返しになりますが、今回は延年之舞という小書がついています。しかも昨日の鑑賞記でもちょっと触れたように、宝生流の延年は独特です。

このあたりに関して、法政大学能楽研究所の紀要「能楽研究」第二十一号に山中玲子さんの書かれた『<安宅>の小書「延年之舞」の成立経緯』という論文があり、大変参考にります。
この論文をふまえて少しばかり書いてみたいと思います。なお「能楽研究」のバックナンバーの一部は一般に公開されていて、国立情報学研究所のサイトから参照することが可能です。

そもそも「延年」というのは何なのか、これがスタートになりますね。安宅の詞章には「もとより弁慶は三塔の遊僧 舞延年の時のわか」とありますが、延年というのは一般的には「寺院で、法会のあと僧侶・稚児たちが行った遊宴の歌舞。平安中期に起こり、鎌倉・室町時代に盛行。曲目は多彩で、現在は数カ所でその面影を伝えるものが行われている。延年の舞(大辞泉)」という次第で、様々な曲目があり、能との関係も濃密だったようです。

平安時代中頃にはあったようですが、ともかく大変流行ったらしく、この延年などを専門にし、遊芸に長けた僧を遊僧、あるいは狂僧などと呼ぶのだそうです。
安宅の詞章通りなら、弁慶はまさにこの遊僧だったということなので、延年の専門家ということになりますね。
延年の舞には大別すると、延暦寺の型と興福寺の型があって、例の飛ぶところは延暦寺の型という話も聞きますが、いずれにしても特別な芸能だったようです。

平安に続く、鎌倉、室町時代には盛んに行われたようなのですが、その後、徐々に廃れてしまい、江戸時代にはほとんど行われなくなったとか。
まあ、武家の式楽として能が保護され、一方庶民の楽しみは歌舞伎となっていく中では、古い時代の芸能として、衰退していったのでしょうね。
それでも有名な平泉の毛越寺(モウツウジ)をはじめ、日光の輪王寺など、現在でも延年が行われている寺社があります。(それぞれのホームページに記載があります)
このつづきはまた明日に
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延年之舞のつづき

さて山中さんの論文ですが、簡単に骨子をまとめると次のようになります。
もともと安宅の舞はいわゆる男舞とはされず、「延年の舞」などと呼ばれた特別な舞だった。おそらくは山伏の遊興の舞という理由のために、この曲独自の短い舞として舞われていたらしいが、山伏の舞とされるため数珠を持って足拍子を踏む程度の型はあったらしい。

その後、時代の変遷の中で、これまた別の舞と見られていた小督の舞を含め、他の曲の男舞と同等のものに変化していき、山伏の舞の特殊な部分がなくなっていった。
その一方で「延年之舞」という特別な演出が生じてきたという展開になっています。

山中さんの説では、古い時代の「延年の舞」の特徴的な部分である、遊僧の「延年の芸」を真似た足拍子を踏む部分。扇の代わりに、あるいは扇とともに数珠も持って舞うという特徴もある、この「延年」の習事は、当初はきちんとした形が決まっておらず、長さも不定だったようです。

安宅の舞は昨日も書いたとおり、当初は短い舞で「破ノ舞」と書いている資料もあるそうですが、ともかくヲロシも無いような短い舞として舞われていたのだそうです。それが、三段の男舞として舞われるようになり、この中に延年の習事が入ったものを「延年之舞」という演出としたらしいのですね。

さらに舞は三段から五段へとなり、延年の習事の扱いが重くなっていったということのようですが、延年の部分の譜が固まっていく一方で、舞のどの部分に入れるかは、割と自由だったようです。
しかも江戸時代になって、古い時代の記憶が廃れていくと、延年の部分に新しい演出も登場し、以前このブログでも触れた観世流十五世宗家の観世元章(18世紀中頃に活躍)が、足拍子の部分に延暦寺の延年に着想した「跳ぶ型」を取り入れ、これが現在の観世流の「延年之舞」の原型となっているのだそうです。

各流儀とも、それぞれの工夫をしていったようですが、その中で特別な動きをしたのが宝生流ということです。
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