能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

延年之舞もう一日つづき

宝生流では割と早い時代に延年の型が失われてしまっていたようなのですが、観世元章ともほぼ同時代である明和年間に、他家から養子に入った宝生太夫(幼名丹次郎)が、座付笛方の一噌又六と申談して「延年之舞」を作ったという資料があるそうです。

宝生流の十一代友精(トモキヨ)と十二代友通(トモミチ)はいずれも幼名が丹次郎で、友精は金剛家から、友通は宝生の別家から養子に入っているので、この二人のいずれか。一方一噌又六の方は、友精の時であれば一噌政邑か政香、友通であれば次の代の一噌又六郎ということのようです。
山中さんは、おそらく十一代友精と一噌政邑ないし政香の協同作業だったのではないか、と述べておられます。

このときに、他流の型などをふまえつつ、全く新しい演出として宝生の「延年之舞」が作られたようで、当時記録された型と現在行われている型は、ほとんど変わっていないそうです。
様々な「延年」の集大成的に作られたため、最初から大変重い扱いの演出だったようです。そして、そのように重い扱いだったため、その後200年以上経っても、その内容にほとんど変化がないということなのでしょうね。

このあたりは山中さんが指摘されていますが、一方で他流ではむしろ古い延年の形を残したような演出であるため、延年ノ手が入る位置が違ったり、宝生流ほど重い扱いでなかったりということのようです。
山中さんご自身は、宝生の延年之舞が、大変重い扱いなので、その源流を調べてみたかったと書いておられますが、このような演出の変遷なども調べると面白そうですね。
まあ、私は研究者ではないので、書かれたものを読んで感心しているだけですが・・・

ところで、十一代宝生友精ですが、金剛家から養子に入ったと書きました。
実は以前にも触れた坂戸金剛家最後の当主、金剛右京さんには跡継ぎがありませんでした。この右京さんと、明治の大名人と言われた十六世宝生九郎知栄は仲が良かったのだそうです。
あるときの話で、かつて金剛家から宝生宗家に養子が出ているので、自分も宝生家から養子を迎えたいと右京さんが言い、九郎さんもこれに応じたということがあったそうです。この金剛家から宝生家に行った養子というのが、十一代友精のことのようですね。
さてその養子話がもし実現していれば、坂戸金剛家が今でも続いていたかもしれませんが、歴史にもしもは無いので、これはまあお話ということで・・・
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乱の舞囃子 高橋章・・・ほか

昨日は諸般あり、ブログ更新をお休みしました。
さて今日は、先日の大坪さんの会での舞囃子・仕舞について、少しばかり書いてみます。

この大坪喜美雄さんの五十周年記念能では、当日の記事にも書いたように、高橋章さんの舞囃子や、三長老の仕舞など、見所満載でした。

乱は猩々と鷺にありますが、もちろんこれは猩々乱の舞囃子。安福建雄さんと曽和正博さんの大小に、観世元伯さんの太鼓、そして一噌仙幸さんの笛と安定感ある囃子です。
舞囃子ですので、シテを頂点に地謡五人が雁行に並ぶ形。宗家和英さんの地頭です。

乱を舞囃子で拝見したことはあったかなあ、観世流でずっと以前に見たことはあるように思うのですが、装束を着けない分だけ、型がよく分かります。なるほど、こんな風に動いているのかといった感じです。
乱というと、見る方も身構えてしまうのですが、高橋章さんの舞はそうした重さを感じさせない、軽味のある舞。ああ、めでたく現れた猩々ってこんな雰囲気なんだろうなあと思わせます。

一方、仕舞三番。観世流で三クセというと、白鬚・花筺・歌占の三番を言いますが、白鬚(白髭とも)は現在は観世、金春の二流にしか現行曲にしていないため、宝生流では白鬚の代わりに山姥を入れるようですね。観世流でも山姥をとる場合もあるようですが、ともかくいずれも難しい曲です。
近藤乾之助さんの歌占、これは地獄の曲舞と言われる一番ですが、なんだかおどろおどろしい雰囲気を感じる一番でした。
続いて今井泰男さんが花筺。こちらは李夫人の曲舞と言われる一番ですね。このところ老女物に力を入れておられる今井さんですが、また違った味わいを感じたところ。
三番目は三川泉さんの山姥。これは山めぐりの曲舞ですが、私「仏法あれば世法あり 煩悩あれば菩提あり 仏あれば衆生あり 衆生あれば山姥もあり」という一節が好きでして、引き込まれる一番でした。

各曲とも、よくぞまあこんな重い曲をという感じですが、記念能らしい雰囲気を盛り上げたかなあと思います。
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奈須与市語 野村萬

昨年の1月に、観世流松木千俊さんの屋島を拝見しましたが、このときに屋島が弓流、奈須与市語の小書付で萬斎さんの奈須与市語を堪能させていただいたところです。(鑑賞記
その時も書きましたが、奈須与市語は弓流や大事の小書とセットでつけられるもので、いわゆる替間として演じられるものです。
しかし、語り物としての完成度も高いため、狂言の会などで独立して演じられることも多いのが実態です。

屋島の間狂言は、本来は義経の弓流しの話を語るのですが、弓流や大事の小書が付くと、弓流しの故事自体をシテが演じる形になるので、間狂言では那須与一が扇の的を射抜いた話を演じるのでしょうね。

屋島の戦いに際して、平家方から漕ぎ出された一艘の舟には十七、八の遊君が乗り、扇を的にして、射てみよとばかりに招きます。
これを見て義経が後藤実基にその意を尋ね、那須与一に扇の的を射させるという話。見事に与一は的を射抜くのですが、この義経、実基、与一を演じ分けるところが見せ所でもあります。

萬さんがなさるのは、もちろん万作さんや萬斎さんと同じ芸系のものですが、萬斎さんとはまた大きく雰囲気が異なります。やはりそこは年輪とでも言ったらよいのでしょうか、年齢を重ねた分の枯れた味わいのようなものを感じます。
どちらが良いかというものではなく、芸はそれぞれに良いのだとしみじみ思う語でした。
さて能の他にはもう一番、桜間金記さんと久田舜一郎さんで、一調一声「三井寺」。
これも味わい深い曲でした。久田さんは関西でご活躍のため、初めて聞かせていただきましたが、良い雰囲気の小鼓でした。
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鼓の家

宝生の延年というと、一つ思い出すテレビ番組があります。もう四年以上前のNHKスペシャルで「鼓の家」という題でした。

ご存じの方も少なくないと思うのですが、大坪さんの会で大鼓を打たれた亀井忠雄さんの夫人である令子さんは、歌舞伎囃子田中流の田中佐太郎さん。ご子息三人は、長男が亀井広忠さん(葛野流大鼓)、次男、三男は歌舞伎囃子で田中傳左衛門さん(小鼓)と田中傳次郎さん(太鼓)というご一家です。

佐太郎さんのお父様が十一世田中傳左衛門、人間国宝となった方ですが、この芸を継ぐ男の方がなかったため、三女の令子さんが後継者となられたのだそうです。しかしながら、能は女性のシテ方も囃子方もプロとして舞台で活動していますが、歌舞伎では舞台に上がることが認められず、芸の中継役のような形で十二世の家元をされ、最近、めでたく次男傳左衛門さんが十三世を継がれた訳です。

この十一世から芸を継がれる際のすさまじい稽古と、さらにそれを次代に伝えていくための稽古の厳しさをドキュメンタリーとしてまとめた番組です。

もうずいぶんと前のことになってしまったので、内容はあまり覚えていないのですが、ともかく芸の厳しさをしみじみと感じさせられた番組でした。

親子五人の一家ですが、日常の親子である一方で、師匠が二人に弟子が三人という師弟関係が厳に存在しています。正直、すごいなあと思った次第です。

さてこの番組の中で、広忠さんが宝生の延年を勤めることになり、その稽古をする場面がありました。忠雄さんが、宝生の延年は命をかけて打てというようなことをおっしゃっていたのが大変印象に残っています。
もう少しつづけます
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潤星会を観に行く

金剛流、潤星会を観に国立能楽堂へ行ってきました。
東京で活躍されている数少ない金剛流の能楽師、山田純夫さんの会です。お一人の会で、ずっと能一番、狂言一番でやってこられたのが、たぶん昨年の会から夏樹さんの能と二番出すようになられたように思います。・・・とは言え、昨年、一昨年と潤星会は観に行けませんでしたので、このあたりの事情が今ひとつはっきりしません。

で、今年で第21回となる潤星会は、山田純夫さんの落葉と、夏樹さんの小鍛冶。狂言が東次郎さんの樋の酒という番組。
金剛流のみに伝わる落葉は初見ですが、なかなか情趣深い曲と感じました。他流に伝わる「落葉」は同じ題材を元にしているものの、陀羅尼を読むうちに序ノ舞を舞う別曲です。宝生流の古い本には陀羅尼落葉として掲載されていますね。
序ノ舞、破ノ舞と舞のある三番目物は久しぶりに観た感じで、三番目物としてはちょっと趣向の変わった点はありますが、能らしい能を観たなあと感じています。

樋の酒はこのブログにも二度ほど出てきていますが、いずれも和泉流。今回は大藏流ですので、基本は同じであるものの、演出がけっこう違います。いずれ鑑賞記で触れておきたいと思います。

小鍛冶は本当に久しぶりに観ました。まとまりの良い曲で楽しめますが、お若い夏樹さんが元気よく演じられて良い雰囲気でした。
このところ京都で修行をされておられるのか、基礎をしっかりと身につけられて来ている感を受けました。

いずれ鑑賞記を書くつもりでいます。
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鼓の家のつづき

宝生の延年は、今回、いろいろと書きましたが、ともかく練りに練り上げられた極めて重い演出であることは間違いありません。
そして、それが亀井家のような、厳しい伝統継承の中で作り上げられていくことに、正直のところ感動を覚えます。

これは何も亀井家だけに限ったことではありませんで、能にせよ歌舞伎にせよ、あるいはそれ以外の様々な芸能、芸術にせよ、こうした営みによって継承され、折々の花を咲かせていくのだろうと思います。

ところで、鼓の家の三兄弟、亀井広忠、田中傳左衛門、田中傳次郎の三方は、三響會という会を作り、様々な打楽器や、能楽、歌舞伎の役者を迎えて、意欲的な公演を行っておられます。なかなか拝見する機会がありませんが、できればその芸に触れてみたいものと思っています。
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翁 千歳と三番三(吉次郎狂言会)

金春流 大藏流 国立能楽堂 2009.5.31
 翁 高橋忍
  三番三 榎本元、千歳 宮本昇
   大鼓 安福光雄、小鼓頭取 古賀裕己
   脇鼓 田邊恭資 飯富孔明、笛 寺井久八郎

翁については、鑑賞記を書くのはそろそろやめにしようかなと思っていたところですが、今回は狂言会で、そもそもは三番三と千歳を披露しようという趣旨だと思いますので、いささか視点を変えて書いてみようと思っています。

今回は榎本さんの三番三のお披き。先日も書きましたが、学生時代のサークルを指導されている吉次郎さんに卒業後も弟子入りし、プロを目指された榎本さん、先輩の宮本さんのお二人。その宮本さんにも、そして榎本さんにも、三番三を伝えていこうという吉次郎さんの姿勢にも、共感を覚えるところです。

大藏流といえば、やはり翁は金春流なんでしょうね。たまたまですが、今年三度目の金春流の翁です。

まずは開演五分ほど前に切り火の音が聞こえ、緊張の高まるところ。
幕が上がると千歳兼面箱の宮本さんが、面箱を捧げ持って登場してきます。緊張しておられる様子を感じます。続いて翁の高橋忍さん、そして三番三の榎本さんと順に進みます。
今回は三番三をメインにということで、いつもは翁の所作を中心に見ているところですが、千歳、三番三の動きを注視。千歳が目付まで出て座した後、翁が正先で深く拝礼し、笛座前に着座します。この際に、袴を取りトンと音を立てて座しますが、これって面箱を捧げ持っている千歳に、着座したことを知らせる意味かも知れないな、とふと思いました。
正面、やや左寄りの席でしたが、翁の前で千歳が面の紐を捌く様子がよく見えました。なるほどあんな風にしているのか、と興味深く拝見した次第。

常の如くに翁の謡い出しから、千歳之舞。翁が面を着けて翁之舞へと進みます。翁と見合ってから後見座にクツロイだ三番三はじっと待つ形になります。
さてこのつづき、また明日に
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千歳と三番三のつづき

翁の所作、舞については省略させていただきますが、翁之舞を舞い終えると翁還りになり、翁太夫が静かに退場します。三番三は士烏帽子を剣先烏帽子に着け代えて座し、翁の退場、さらに揉み出しの手が打たれ始めるのを聞く形になりますが、榎本さんの緊張がこちらまで伝わってきます。披き、それも三番三の披きではさぞや緊張されたことでしょう。
やがて三番三が立ち上がり「おーさえ おーさえ」と謡い出し、揉ノ段となります。
声を出し始めたら落ち着かれたように感じましたが、ともかく大変に元気のある揉ノ段で、まさに式三番にふさわしい舞でした。
なんだか、実に良かったなあと、観ている方も嬉しくなるような、感じるところのある揉ノ段でしたが、烏飛びのところは、吉次郎さんのときもそう思ったのですが、両足を揃えて跳ぶのではない形で、これはこの家の形なんですね。ちょっと軽めの感じになります。
揉ノ段に続いて、今度は黒式尉の面を着けて、面箱との問答になります。
宮本さんも榎本さんも、いつも狂言で拝見する時は、概ね人の良さそうな雰囲気の役柄が多くて、柔らかい印象を受けていますが、この日は大仕事をしているというような、力強い雰囲気でした。

さて面箱から鈴が渡されて鈴ノ段になります。
さすがに揉ノ段で相当なパワーを使った様子で、さらに面を着けての舞ですので、かなり体力的に厳しかったような印象を受けましたが、無事鈴ノ段を舞上げて退場となりました。

とにもかくにも、おめでとうございます。お疲れ様でした・・・という次第。
(64分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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筑紫奥 善竹十郎(吉次郎狂言会)

大藏流 国立能楽堂 2009.5.31
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹富太郎 善竹忠一郎

いくつかある脇狂言のパターンのうち、お百姓が登場する類型の一曲。このブログでは、昆布柿1や、若干異質ではありますが佐渡狐(式能の佐渡狐1東京金剛会の佐渡狐1)などについて触れてきました。
どちらかというとあまり面白くない曲が多く、上演の少ないお百姓ものですが、十郎さん、富太郎さん親子の雰囲気と、奏者役にはまった感じの忠一郎さんのコントラストもあり、思いの外楽しく拝見しました。
ちなみに忠一郎さんは十郎さんとは従兄弟にあたりますが、関西にお住まいなので、東京ではあまり拝見する機会がありませんね。

さてお百姓ものの常として、まずはアドのお百姓、この曲では筑紫の百姓、富太郎さんが登場してきます。半袴に掛け素袍の決まりの形で、右手に持った扇を肩に当て、荷を担った風で常座での名乗りです。
「罷り出でたる者は筑紫の奥のお百姓でござる」と名乗った後、毎年の年貢として唐物の数を揃えて捧げる旨を語ります。

そののち型の如く舞台を廻り、正中で「くたびれた」ので休むことにし、誰か来たなら連れにしようと言って地謡座に着座します。

これを受けてシテ丹波の百姓の十郎さんが登場します。
こちらも半袴に掛け素袍の姿ですが、こちらは扇ではなく、藁苞のようなものに木の葉をつけたものを棒の先に下げて肩に担っています。

常座に出ると、丹波の国のお百姓だが、毎年の年貢として柑物(コウモノ)の数を揃えて捧げると語ります。こちらも舞台を廻りますが、連れが欲しくなったと言いながら歩きます。
ちょうど良いところに人が来た、とアドが声をかけて二人の問答になります。
さてこのつづきはまた明日に
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筑紫奥のつづき

アドはシテに、どれからどれへ行くのかと問いますが、シテは「用を前に当てて後から前へ参る者でござる」と、これもこうした曲の決まり文句ですが、妙な返事をします。
アドが重ねて真実はどこからどこへ行くのだと問い直し、シテは上頭(ウエトウ)に年貢を納めに上がるところであることを明かして、二人ともに都へ向かうことにします。

シテはアドにどこから上らせられるのか、と問いかけます。
アドは奥筑紫のお百姓であると答えますが、これを聞いたシテは場を外し、一人「これはいかなこと」と思うところを語る形になります。
筑紫のお百姓は、上頭にけっこうな物を捧げるが、自分の年貢は柑物で見劣りするため、これを見られてはならないとばかりに、肩に担っていた藁苞のような物も背に隠してしまいます。

一方、アドのお百姓も、シテにどこの者かと問いかけますが、シテはこれを「ま、ここの者じゃ」とはぐらかします。しかし、さらに問われて、やむなく丹波の国と答えます。
アドは続けて「何を捧げる」のか問いますが、シテはこの問いには、自分は皆から年貢を納めに行ってこいと選ばれて来ただけなので、年貢が何なのかは御館(ミタチ)に着いて見ないと分からないと答えてしまいます。

もう少し突っ込んでも良さそうな感じもしますが、アドはこれに納得したのか、二人して都に向かうことにして舞台を廻ります。

たしか和泉流では、声をかけたアドに、シテがまずそちらはどこからどこへ行くのかと問いかけて、これにシテが筑紫の奥のお百姓と答え、年貢に唐物を捧げることも語ります。シテがその唐物はどうしたのかと重ねて問うと、シテは二百駄ばかり馬に附けて先に上らせたと答えます。
これに対抗してか、シテは自分は丹波の国のお百姓だが、毎年年貢に柑物を捧げる。その荷物はと問われ、二百駄ばかり牛に附けて先に上らせたと、出任せを言う形で、今回の形とはいささか異なりますね。
今回の形では、奥筑紫の百姓と聞いて、いきなりシテが独り言で自分の年貢を隠そうとするのが、今ひとつ分かりにくい感じでしたが、まあ、話は知っているので説明が長いよりも、これはこれで良いのかなという感じもします。
このつづき、また明日に
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筑紫奥さらにつづき

さて二人は都への道を進む形で橋掛りへと入り、二ノ松あたりまで進んでから引き返し、アドが一ノ松で都に上り着いたと語ります。
シテは二ノ松で都の様子に感心した後、さて「それがしの納むる御館はずっと上でござる」ので、これでお暇と、二人「さらば さらば」と別れの挨拶を懇ろに交わしますが、と申したものの、実は自分が年貢を納める御館も同じこの館と明かし、二人して年貢を納める事になります。

アドが先に納めることになり、後見座にいったん控えると小アド奏者の忠一郎さんが出て着座します。
常座で扇を両手に捧げ、佐渡狐同様に常座あたりで「こちらではない」と問答の風を見せてから、奏者に寄って年貢を納めに来たことを言上します。

アドが下がるとシテの番になり、同様に奏者に年貢を納めに来たことを言上しますが、こちらは常座あたりでの問答の様はありませんでした。

さてシテが橋掛りに戻って、アドと二人話しあっていると、小アドは上頭から何か言われているようなやり取りをし、帰ろうとする二人に「召す」と呼び掛けます。
呼ばれた二人に、小アドは銘々のお年貢の品と数を言えと命じます。

奥筑紫の百姓は、唐物、金襴緞子、どんきんなどなど、珍しいものの名を上げ、百駄ばかり納めたことを言上します。
小アドは次にシテに対して言上するように命じますが、シテは毎年もってくるものなので上頭もご存じだからと、言上するのを許してもらおうとします。
しかし小アドの再度の命令に「とてものことに拍子にかかって申しましょう」と囃子物にして「丹波の国より登るもの のんぼる物とて登る物 これらはみな柑物 柚子柑子 橘 ありの見 石榴 けんの実・・・このあとちょっと怪しいのですが、たぶん・・・さては栗の枝折、ところなども参りた野老なんども参りた」と囃します。

奏者はよくでかしたと二人を褒めますが、問答はさらにつづきます。
この鑑賞記ももう一日
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筑紫奥さらにさらにつづき

奏者は二人に「田畑いかほど作るものじゃ」と問いかけます。
これにアド奥筑紫の百姓は二反と答え、シテ丹波の百姓は一反ときたなか作ると答えます。この「きたなか」というのがよくわかりませんが、ともかく一反だけではないが二反まではないということなのでしょう。

小アドはさらに、上頭となにがしかのやり取りをしているような風の後、二人に万ぞう公事を免ぜられることになったと伝えます。
これに二人は大喜びで、心が「くゎっとする」などと言い、ユウケンのような型をみせたりします。

しかしこの大喜びに、上頭が機嫌を悪くしたと小アドが二人を止め、一反について一笑いするようにと命じます。
そこでアドはふた笑いしますが、シテは「なんぞおかしいことを思い出さねば笑えますまい」などといい、何とかおかしいことを思いだして、一笑いした後、半端に笑います。
奏者がその笑いは何かと問い、後のは「きたなか」の分とシテが答える形です。

さて何とか笑った二人は許されて帰ることになり、一度は橋掛りまで下がりますが、どうも奏者の様子が気に入らない。笑えと言ったのは上頭としても、一反に一笑いなどというのは奏者の心得だろう、くすみかえっていて面の憎い人などと話ながら、舞台に戻ってきます。

奏者の忠一郎さん、ずっと面白くもなさそうな表情で演じていまして、この二人の指摘になるほどと思わせる雰囲気。
奏者のことろまでやって来た二人は、奏者も笑うようにと求めます。
しかし奏者は、朝から冷え板を暖めていて笑うような機嫌ではないと断ります。そこで二人は「笑う門には福来たる」「おっつけ御加増もありましょう」などと言い、さらに「こそぐりましょう」と奏者に迫ります。

奏者も観念して三人一緒に笑おうということになり、三人めでたく笑って留になりました。二百駄の部分のほかにも、和泉流とは細かな違いがありますが、総じて楽しい狂言だったように思います。
(38分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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狸腹鼓 大藏吉次郎(吉次郎狂言会)

大藏流 国立能楽堂 2009.5.31
 シテ 大藏吉次郎
  アド 大藏教義
   大鼓 安福光雄、小鼓 古賀裕己
   太鼓 金春國和、笛 寺井久八郎

この日のメインの曲ということになろうかと思いますが、吉次郎さんの狸腹鼓。釣狐の翻案のような作りの曲です。
この狸腹鼓は、大藏流でも和泉流でも、釣狐同様に極めて重い曲とされていて、和泉流では一子相伝ともいわれ、大藏流では釣狐、花子とこの狸腹鼓の三曲が極重習とされているとか。

ところが、その演出となると様々なのだそうです。これには諸事情があるようで、極めて重い曲とされたために上演が希であったことにも原因があるとの説もあります。
この曲については、彦根狸あるいは加賀狸という演出上の違いがいわれますが、彦根狸は大藏流の茂山千五郎正虎が幕末に型付けをしたらしく、また加賀狸といわれるのは和泉流三宅派が伝えたものなのだそうです。

一方、今回の上演は、吉次郎さんのお父様にあたる二十四世大藏彌右衛門が演じた型だそうで、二十年ぶりに上演の運びになったそうです。その二十年前の上演の際は、アドの猟師を吉次郎さんが勤められています。
繰り返しになりますが、彦根狸、加賀狸とは別演出のため、基本の話は同様であるものの、細かい違いが多々あります。そのあたりは、狂言の展開に合わせて触れてみたいと思います。

まず舞台にはアド教義さんの猟師が登場してきます。右手に弓、左手に矢を持ち、常座に進み出て名乗ります。自分は大内山の麓に住む狩人だが、山一つあなたに「うだの」という野があり、夜な夜な大きな狸が餌をかけに出てくるというので、行ってみようと舞台を廻り、「うだの」に着いたと笛座前に座ります。
囃子方が次第を奏してシテの出となりますが、このつづきはまた明日に
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狸腹鼓のつづき

次第の囃子、小鼓がこころなし緩めにして音を低く打っているような感じで、狸の出にふさわしい雰囲気です。
幕を出ると幕前で次第を謡います。残念ながら聞き取れませんで、次第を謡っているんだなと思った程度の話です。後見の彌太郎さんと千太郎さんが後見座に控えましたが、彌太郎さんは橋掛りの入り口へ出て、橋掛りを見る形に座しています。

シテは次第を謡い終えると向きを変え、「まことに子を持って親の」気持ちが分かるものなどと言いながら橋掛りを歩み始めます。向きを変える時には釣狐のように素早く音を立てる杖使いを見せます。
装束は朱のような色の水衣で、狸の面を深緑の花帽子で包んでいます。いやはや怪しい雰囲気ですが、尼の姿ということで「子を持って親の・・・」の言葉の通り、雌狸という次第です。
同じ大藏流でも、茂山千五郎家のいわゆる彦根狸では、狸の面に重ねて尼の面をかけますが、この日の面の扱いは加賀狸と同様ですね。

さて橋掛りを進んできたシテですが、一ノ松あたりで「いや来るほどに、いつもの野へ参った」と、“うだの”にやって来た様子です。「月も冴え」と後に月を見上げ愛でる様は狸も風流を解するということでしょうか。

小歌を謡っていこうと、小歌節を謡い出します。
このあたりでアドが立ち上がり、舞台上から橋掛りの様子をしきりにうかがいます。

三ノ松あたりまで戻ったりしつつ、月に照らされて浮かれた様子のシテは、やがて舞台に入り常座へと出ます。

するとしきりに不審がっていたアドがシテに声をかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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狸腹鼓さらにつづき

声をかけたアドは「狩人でござるが」と言います。
これにシテは怯えた様を見せ、ものの命をとる営みをする人のあるとはおそろしや、と避けるように橋掛りへ進み、一ノ松あたりにとどまります。

この様子を怪しんだアドは、これは目指す狸に違いないと、矢をつがえ射殺してやろうと凄みます。
彦根狸も加賀狸も釣狐同様に、狸の化けた尼が猟師に殺生をやめるように諭すところが眼目と思いますが、この日の形では、狸に違いないとアドが矢をつがえるまでは、ほとんどそうしたやり取りはありません。

射殺してやろうとアドが狙うと、尼の狸が命乞いをしてここでやり取りがあります。
「ここはよう聞いて下され」とシテが語り出し、最近子をもうけたが、自分は射殺されるのも仕方ないとしても、子が残されるのがあわれで、なにとぞ命を助けて欲しいと哀願する形です。
助けてくれる代わりに、猟師の家を末永く守ろうと言い、また「ものの哀れを知らぬは木石に異ならず」と口説きます。

これに猟師も同情して、狸を助けてやることにします。

しかしただでは助けない。狸は腹鼓が得意だというので、その狸の腹鼓を打ってみよと求めます。
狸は、自分は「腹鼓は不調法でござる。許いて下され」と許しを乞いますが、アドの猟師は許さず、狸は腹鼓を打つことになります。
さてこのつづきはまた明日に
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狸腹鼓さらにさらにつづき

腹鼓を打つように求められたシテは、橋掛りへと入り座します。
後見の彌太郎さんが手伝って、衣の準備を行い、前回りで舞台に向けて転がるうちに、水衣や花帽子を取って、狸の着ぐるみの姿になります。

常座あたりから腹鼓の形となり、猟師も立って正中へ進み出、腹鼓が始まります。

囃子は独特の感じです。
加賀狸では太鼓が入らず、大小と笛が奏する形。一方、彦根狸は太鼓が入りますが、この日の形は太鼓は入るものの、囃子は違うようです。

狸が腹鼓を打っているうちに、正中に座した狩人も、興に乗って自らも腹鼓を打ったりして大笑いします。
このうちに、狸がそっと寄ってきて、狩人の弓矢を取って狩人を狙います。
しかしアドに脅されて弓矢を捨て、幕に逃げ入るところを、アドが追い込んで留となりました。

加賀狸、彦根狸、いずれとも異なる形ですが、全体的にシンプルな演出です。彦根狸では猟師に喜惣太(キソウダ)、尼には妙寸(ミョウスン)という名があるようですが、特にそうした設定もなく、また加賀狸のように一畳台を出したりといった趣向もありません。上演時間も30分を切っています。

釣狐の重々しい感じと比べると、軽さ、楽しさが出ている感じの曲。最後に弓矢を捨てて幕に逃げ入るところも、なんだか愛らしい感じさえします。

釣狐同様に、体力的、技術的に高度なものを要する感じですが、さらに「大変な曲だなあ」と感じさせない、軽さが重要なのかな、と思った次第。
そういう意味で、吉次郎さんの芸が凝縮した一曲だったように思います。
(26分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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釣針 大藏彌太郎(吉次郎狂言会)

大藏流 国立能楽堂 2009.5.31
 シテ 大藏彌太郎
  主人 大藏千太郎 姫 大藏綾乃
   女房 大藏教義 善竹大二郎 宮本昇 榎本元
      吉田信海 善竹富太郎 大藏基誠

大藏流にも和泉流にもある曲で、霊夢を蒙って手に入れた釣り針で人を釣るという設定は変わりません。さらにシテ太郎冠者が、釣り上げた女を妻にしようとして対面し、その醜女ぶりに驚くところで笑わせるという、ある意味で大変にわかりやすい狂言です。
しかし、多数の登場人物が出てくることもあり、演出は流儀によって、家によって様々のようです。

さて、まず舞台にはアドの主人とシテ太郎冠者が登場し、主人は宿願あって毎日西ノ宮に参詣しているので、今日も出かけると言って太郎冠者を呼びます。
罷り出た太郎冠者とともに西ノ宮に向かって歩き出し、歩くうちに、このように歩みを運んでいるならば験もあろうなどと話します。
大藏、和泉いずれでも、登場したアドは「定まった妻がいない」ので、西ノ宮の夷様に申し妻を致そうと思う旨を述べる演出があるようですが、この日はそうした話はなく、宿願とのみ述べて西ノ宮に向かいます。
舞台を廻って西ノ宮に着いた、とアドが地謡座側、シテがワキ正側に並んで座し、いざ拝をしようと、神前に拝する形となります。

「何時参詣しても殊勝なる御前ではないか」などと語り合い、二人は通夜をすることにします。例によって座したまま扇を構えて寝入った形になりますが、アドは寝入った形になるとまもなく正座し直し、拝をして「新たな御霊夢を蒙った」と言い、やがて「夜が明けた」と太郎冠者を起こして、二人立ち上がります。

さてこのつづきはまた明日に
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釣針のつづき

さて、アドはシテに霊夢のことを話します。眠っていると御殿のうちが振動し、妙なる声で、釣り針を与えるとお告げがあった。なんなりとも望みのものを釣らしてやろう。西門の一ノ階に釣り針があるとのお告げだったと、太郎冠者に語ります。

二人は早速、西門に向かうことにし舞台を廻りますが、その間に後見が竿に紐を巻き付け先端に大きな釣り針を付けた物を、目付に出します。

まずはアドの主人が釣り針を有り難くいただき、「汝もいただけ」と太郎冠者に渡します。太郎冠者も常座で有り難くいただき、さて急いで浜辺に行こうとの主人の言葉で、先に主人が立ち、後から太郎冠者が釣り針の竿を肩に担って、二人は橋掛りに進みます。

幕前から戻り、アドが一ノ松、シテが二ノ松で「打出浜に着いた」と、浜に着いたことを示して舞台に入り、舞台は先ほどの西門から、今度は浜辺にと変わります。

和泉流の形などでは、そもそも申し妻をすることになっているので、早速に妻を釣ろうという次第になりますが、この日の形では宿願としか言っていませんので、何を釣るか、主人と太郎冠者が相談する形になっています。

太郎冠者は「武具馬具を釣りましょう」と言いますが、一通りあれば十分なもので武具馬具はいらないと主人が言い、それでは「こなたはお妻がいらっしゃらぬので、おかみさまを釣りましょう」と太郎冠者が提案します。
別な形では、まず太郎冠者が腰の物を釣ろうと言い、最初に小さ刀を釣り上げ、続いて太刀を釣り上げていく演出もあるようです。

ともかくこの日は最初から主人の妻をつろうということで、左右に拍子にかかって釣れと主人に言われたシテは「釣ろよ 釣ろよ おかみさまを 釣ろよ。釣ろよ 釣ろよ おかみさまを 釣ろよ」と繰り返しつつ橋掛りを進んで、幕の下に釣り針を投げ入れます。
さてこのつづきはまた明日に
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今日が満三周年

本日、このブログを開設して満三年になりました。
記事はもう少し前、3月分から掲載していますが、3月から6月の間の記事は別ブログに載せていたものを引っ越ししてきたものです。

ご来訪いただいて、本当にありがとうございます。
アクセス数も10万を超え、あまりメジャーとは言い難い能楽のみを取り上げているブログとしては、よくぞこんなにアクセスしていただいたものと感謝しています。
また、良かったらおいで下さい。

それにつけても三年。長いような、短いような・・・
全くの趣味で書いているものなので、私の自己満足に過ぎませんが、面倒だなあと思うこともあるものの、やはり書くことが楽しいから続いてるんでしょうね。

そんなわけで、時々お休みしたりなどあるかも知れませんが、能楽に興味が続く限りは、なにがしかの記録を書き続けていこうと思っています。

どうぞ引きつづき、よろしくお願いします・・・
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釣針さらにつづき

太郎冠者が幕の下に投げ入れた釣り針を引くと、小袖を被いた姫が引かれて登場してきます。アド千太郎さんのお子さんですが、橋掛りの途中まで引いてくると、太郎冠者は主人に報告のため舞台に戻り、あらためて姫を舞台まで連れてきます。

太郎冠者は、今度はおはしたをを釣りましょうと言い、主人も大勢釣れと応じます。太郎冠者は「私にもちとお願いがござる」と言いだし、自分も今に至るまで妻がいないので、釣り上げたうちの一人を自分の妻にしたいと申し出ます。
主人はこれを許し、気をよくした太郎冠者は「釣ろよ 釣ろよ おはしたを 釣ろよ。釣ろよ 釣ろよ 見目の良いのを 釣ろよ」と繰り返しつつ橋掛りを進み、幕の下に釣り針を投げ入れます。
今度は女が、やはり小袖を被いて釣られてきます。

さらに釣ろうと、再び拍子にかかって橋掛りを進み、釣り針を幕の下に投げ入れますが、三ノ松あたりまで引かれて出てきた女が、引きが強く、針を外して幕に戻ってしまったり、場所を変えようと切戸口から釣り上げたり、二人、三人と同時に釣り上げたりなど、趣向を懲らしつつ、釣を続けます。

七人の女房達が釣り上げられると、主人は先に戻ると言って、姫を背負って退場してしまいます。
残った女達のうち一人を自分の妻にしようということで、いざ対面をしようと太郎冠者が言い出します。女房の一人に被き物を取るように言いますが、いやがる女。しかし太郎冠者が繰り返して対面するように求め、被き物を取ると乙面を着けた醜女です。

驚いた太郎冠者は気を取り直して、次の女房と対面しますが、こちらも負けず劣らずの醜女。次、次、とどれもこれも醜女ぞろいに驚いた太郎冠者は、腹が痛いなどと言って逃げだそうとします。このあたりは先日の二九十八と同様ですね。
結局は逃げようとする太郎冠者を女達が追い込んで留になりますが、賑やかで楽しい狂言でした。
(38分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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落葉 山田純夫(潤星会)

金剛流 国立能楽堂 2009.6.6
 シテ 山田純夫
  ワキ 工藤和哉、アイ 山本則重
   大鼓 柿原弘和、小鼓 幸信吾
   笛 寺井久八郎

潤星会の当日も書きましたが、この落葉は金剛流独特の形で、陀羅尼経を読みつつ序ノ舞に入り、その功徳の有り難さを破ノ舞に示す他流の形とは違っています。他流と言っても現在、時々演じられるのは喜多流くらいでしょうか。
ともかく他流にない形ですが、なかなかに趣き深い一曲です。

さて舞台には、次第の囃子でワキの僧侶が登場してきます。無地熨斗目着流しに茶の水衣、角帽子を着け右手に数珠を持っています。
登場してきたワキは、常座で型通りに斜め後ろを向き「波と草とに変われども 波と草とに変われども 枕や同じかるらむ」と次第を謡い、向き直って北国方より出でたる僧と名乗ります。流儀によって違うかも知れませんが、いわゆる陀羅尼落葉ではワキはワキツレを伴って出「月を都のしるべにて 月を都のしるべにて 越路の旅に出でうよ」という次第を謡います。「おお、ここから違うか」という感じです。

ともかくワキ僧は、北国から若狭路を通り、都に上る旨を述べて道行の謡。都も近い浅茅生(アサジウ)の小野に着きにけりと謡って、山城の国小野の里にやって来ます。
この小野の里は、源氏物語の最後の部分、宇治十帖で重要な役回りとなる浮舟が住んだ故地であり、僧はこれを思い出して成仏を祈りつつ、ワキ座へと進みます。

すると幕が上がり、シテが呼び掛けで、手習の君すなわち浮舟しか供養しないのかと問いかけます。ワキは立ち止まり、ふと思い出し回向していることを答えますが、シテは橋掛りを歩みつつ、この地は同じ源氏物語に登場する落葉の宮の旧跡もあることを告げます。
落葉の宮は源氏の兄、朱雀院の第二皇女。源氏の親友である頭中将(後の太政大臣)の長男である柏木は、朱雀院の第三皇女、女三の宮を愛していますが、女三の宮は源氏に降嫁したため果たせず、第二皇女の落葉の宮を正妻としています。
しかし女三の宮を忘れられない柏木は宮と密通し、子をもうけてしまいます。柏木はやがて病を得て亡くなりますが、その際に親友であり、源氏の息子でもある夕霧に落葉の宮を託します。
この運命に弄ばれる女二の宮がこの曲の主人公で、これは陀羅尼落葉も同様なのですが、どちらかというと源氏物語では地味な登場人物。
さてこのつづきはまた明日に
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落葉のつづき

一ノ松まで進んだシテは「さらば伴ひ申すべし」と、落葉の宮の旧跡にワキを誘い、地謡のうちに橋掛りを進んで常座へと出ます。「落葉に埋もれて後は残らず」と地謡が謡うに合わせて面を伏せた後、面を上げて目付から舞台を廻って、地謡いっぱいに常座へと戻って開きます。

シテはワキに向かって落葉の宮の旧跡に着いたことを告げ、ここから名所教えの形になります。シテが常座からまっすぐ前を、ワキはワキ座から正面を目付の方に外して、ちょうど二人して見所の真ん中、やや目付寄りあたりに落葉の宮の旧跡を見る形から始まります。
ワキが惟喬親王の皇居の場所を問い、シテは「これより北に当たって、松の一むら木高き所こそ」と笛座方を二人見やります。
続いて二人は地裏の方を向き、ワキが「又これより東に当たって、杉一むらの見えたる山は」と問いかけます。シテは「横川の峰」と謡い、ワキはシテを振り返って「げに面白や名所とて、なお奥深き細道を」と謡い、シテが「分けつつ行けば末絶えて」と受けて、ワキは目付の方を、シテもワキ正の方を向き、目付柱のずっと先の方角に炭焼く煙を見つけます。

地謡が「炭竈に薪とり焼く夕暮れは」と掛け合いの謡いを受け、さらに「落葉の宮はわれなりと」とシテが落葉の宮の霊であることを明かし、シテの中入となります。
唐織着流しですが、なかなかに素敵な文様の装束のシテが、静かに退場して、アイの語りになります。

アイは長上下で、常座にて小野の里に住む者と名乗り、薪を取らない日が続いたので、今日は山に入って薪を取ろうと言いつつ目付に出て、ワキ僧に気付きます。
ワキ僧との問答から、アイは落葉の宮、夕霧のことなどを語り、ワキはこれを受けて経文を読んで供養をすることにします。

ワキの待謡から一声の囃子で後シテの出。緋の大口に紫の長絹、長絹には檜扇に花の文様が入っていて、これまた素敵な装束です。常座まで進み出たシテが「あら淋しの深山の秋の夜や」と謡い出し、秋の夜の淋しい山里の様子を謡います。
さてこのつづきはまた明日に
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落葉さらにつづき

シテ、ワキ掛け合いの謡から、地の次第「落葉の積もる罪科を 落葉の積もる罪科を 払ひて塵となさうよ」が謡われ、サシ込み開キの型の後、地取りでシテは一度後ろを向いて後見が装束を直します。地取りのうちにシテが正面に向き直って、地のクリからシテのサシ、そしてクセへと謡が展開していきます。

夫である柏木は女三の宮を思う気持ちから離れられず、一方で夕霧が忍んでくるという中で、揺れ動く落葉の宮の心情が謡われます。クセは舞グセで、型としては特別ものはありませんが、そうしたシテの心情を表すような、しっとりとした舞です。

さらに、地謡の「横笛の」から、シテは昔のことを回想しつつ序ノ舞へと入っていきます。昔を回想するシテの揺れる気持ちが、そこはかとなく感じられるように舞上げると、シテは「横笛の、しらめはいとど 変わらねど」と謡い、妄執の思いが強まって、シオリつつ大小前へ下がって破ノ舞へと続いていきます。

妄執の思いにとらわれたシテの舞ですが、舞の終わりに正中に下居して、ワキに向かって合掌し「されども逆縁の御法を受けて」と謡い出します。
ここでようやくワキ僧の回向により成仏に向かうというところで、シテ「落葉の音は」地「ほろほろはらはらと時雨に交じりて」と謡ううちに、扇を逆手にとって下を見つつゆっくりと舞台を廻り、大小前から「山より明け渡れば」とワキに向けて雲扇。さらに舞台を廻って常座へ戻り、小回り開キの後、「山風ばかりや残るらん」と留拍子を踏みました。
陀羅尼落葉では、後場はワキ、ワキツレの待謡で既にシテの成仏が約束された様子で、後シテの一声は「あら有難の御経やな」で始まります。
既に僧達の読経で成仏したシテが、さらに陀羅尼経の声を受けて序ノ舞を舞い、天女の伎楽の声を聞きつつ、破ノ舞を舞います。
同じ題材ではあるものの、この落葉では昔の思いのままに現れたシテが、序ノ舞・破ノ舞と舞って最後に成仏する形で、これは確かに別曲という扱いに納得がいきます。

三番目物で、序ノ舞・破ノ舞とある曲は久しぶりですが、なかなかに興味深く拝見しました。
(103分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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樋の酒 山本東次郎(潤星会)

大藏流 国立能楽堂 2009.6.6
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則俊 山本則秀

樋の酒はこのブログでもこれまでに二度ほど取り上げています。一度目は18年の万作さんの舞台(鑑賞記は)、それから19年に三宅右近さんのシテで舞台(鑑賞記は)です。
三度目の樋の酒を記録しておこうかどうか、ちょっと迷ったのですが、前二回はいずれも和泉流三宅派ですので、大藏流山本家での違いを主に少し書いておきます。

以前にも書いたのですが、大藏流では明治以降廃曲の扱いになっていたはずですが、時々は演じられていたようで、山本家では割と上演記録を見かけます。
和泉流との最大の違いは、留守番の太郎冠者と次郎冠者が別々の蔵に閉じ込められてしまうことですね。和泉流では米蔵と酒蔵の番が、それぞれ太郎冠者、次郎冠者に命じられますが、それぞれ番をしているだけなので、樋を通して酒を飲んでいるうちに、すっかり出来上がった二人が合流して酒盛りになります。
一方、この山本家の形では、二人は別々の蔵の中でそれぞれに酔っていくということで、主人が戻るまで合流できません。これはなかなか面白い設定です。

さて舞台には小アド主人の則秀さんが登場し、後ろには続いて出たシテ太郎冠者の東次郎さんが控えます。アド次郎冠者の則俊さんは狂言座に控えています。
主人は、留守にする度に太郎冠者が酒を盗んで飲み、飲めもせぬ次郎冠者に酒を飲ませて困ると言います。今日も出かけるので一つ算段をして出かけようということで、まず太郎冠者を呼び出します。

罷り出た太郎冠者に、用事があって出かけることを告げると、主人は太郎冠者に蔵の戸を開けさせますが、太郎冠者を押し込めて戸を閉めてしまいます。
続いて次郎冠者も呼び出した主人は、同様に、今度は酒蔵の戸を開けさせて次郎冠者を押し込め、戸を閉めてしまいます。
舞台ワキ座側に太郎冠者、ワキ正側に次郎冠者が並んで、蔵に押し込められた形です。

主人は、太郎冠者は酒を盗むので蔵へ、次郎冠者は下戸なので酒蔵へ閉じ込めたから、用事から戻るまでおとなしく蔵の中で番をしているように言いつけて退場してしまいます。さてこのつづきはまた明日に
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樋の酒のつづき

さて別々の蔵に閉じ込められた二人ですが、次郎冠者は早速に酒壺の覆いをとり飲み始めてしまいます。実は次郎冠者は酒好きで、下戸というのは主人の勝手な思い込み。「下戸じゃと言うて酒蔵に入れられた。頼うだお方は、それがしが酒を飲むことをご存知ないと見えた」という次第です。

この次郎冠者が酒を飲む様子に、太郎冠者も飲みたくてたまりません。次郎冠者も飲ませたいものだと言い、太郎冠者は蔵の中を探して、軒垂れの樋があるのを見つけます。
この樋を次郎冠者のいる酒蔵に渡し、二人で樋になぞらえた太竹を持って、次郎冠者が太郎冠者に酒を飲ませることになる訳です。

和泉流の形だと、酒蔵に入った形の次郎冠者が、シテ柱、欄干越しに、橋掛りの太郎冠者に樋を渡して酒を飲ませる形ですが、山本家の演出だと舞台に二人が並んで樋を持ち合う形です。

さて酒が入ると段々楽しくなる両人。謡っては飲み、舞っては飲み、と盛り上がっていきます。それぞれ別の蔵に押し込められているので、狭いなどと言いながらも、結局は舞まで舞っての宴会。
太郎冠者は七つ子の謡い舞も見せ、すっかり楽しく酔っているところに、ようやく主人が戻ってきます。

二人の様子に怒った主人は、まずは酒蔵を開けて次郎冠者を叱りつけ、次郎冠者は逃げ入ります。
続いて蔵を開けて太郎冠者を叱り、太郎冠者が逃げ、主人が追い込んでの留。

和泉流の形とは違いますが、これはこれでなかなかに面白い一曲でした。
(22分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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小鍛治 山田夏樹(潤星会)

金剛流 国立能楽堂 2009.6.6
 シテ 山田夏樹
  ワキ 宝生閑、アイ 山本則秀
   大鼓 高野彰、小鼓 森澤勇司
   太鼓 大川典良、笛 栗林祐輔

小鍛冶も本当に久しぶりに観た一曲です。
舞台はまずワキツレ、この日は大日向寛さんが勤めまして、白大口に袷狩衣、洞烏帽子の大臣姿。登場すると、常座にて一条院に仕える橘道成であると名乗り、勅諚により三条の小鍛冶宗近に御剣を打たせる使いとして、宗近の私邸へ向かいます。

この橘道成というのは、能の上では例の道成寺を建立した道成卿として登場し、道成寺の名の由来になったという方ですが、どうも実在の人物ではないようです。似た名前の橘通成(こちらはミチシゲですが)は実在ですが、能の作者が気に入った名前なのかも知れません。

さて名乗りの終えたワキツレは、あらためて橋掛りに入り、一ノ松から幕内に声をかけます。
これに応えてワキ三条小鍛冶宗近の宝生閑さんが、白大口に掛け直垂、士烏帽子の姿で登場し、誰かと問いかけます。ワキツレが一条院の勅使である旨を名乗ると、ワキは幕前に着座し両手を突いて勅諚を伺う形になります。
いつもながら閑さんのワキは品格があり、宗近はそうそう重い役ではありませんが、能自体に風格が出るような感じがします。

ワキは、御劔を打てという勅諚を承ったものの、それには相鎚を打つ者がいなくては出来ない、と断ろうとします。しかし、ワキツレは帝が不思議のお告げにより勅諚賜ったものだから、ともかくも承るようにと言ってワキ座へと進みます。

ワキは地謡に合わせて橋掛りを進み、割と軽めの運びで一ノ松あたりまで出ると、その後は歩を緩めて、地謡いっぱいに常座まで出ます。
さてこのつづきはまた明日に
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小鍛治のつづき

常座まで出たワキは、これは一大事になったもので、かくなる上は氏の神である稲荷明神に参詣し祈誓しようと述べてワキ座に歩み出します。

ワキが正中にかかるあたりで、幕が上がってシテの呼び掛けとなります。
前シテは朱地の小袖に浅葱の水衣、黒頭の童子姿です。ワキに、三条の小鍛冶宗近かと問いかけ、ワキはなぜに自分の名を知っているのかといぶかります。

シテ、ワキの問答となり、シテは勅諚の下りたことも語って、ますますワキが訝るうちに、シテは橋掛りを進んで常座まで出ます。
地謡の上歌で、ワキはワキ座に着座し、シテは正中へ進んでワキと見合って語り合う形を示した後、常座へ戻ってワキに対峙します。

地のクリ「それ漢王三尺の剣・・・」が謡い出されると、シテは大小前に進んで下居します。シテと地謡の掛け合いで剣の威徳が謡われて、地謡のクセ。こちらは本朝の、大和武尊の東征の話が謡われます。居グセで謡を聞く形になりますが、「夷四方を囲みつつ」で面を左右に切り、枯野の草に火がかけられ燃え上がる様に、面を伏せ「火焔を放ちてかかりければ」で面を上げて中腰になります。

「尊は剣を抜いて」と謡いつつ、扇を剣に見立てて見込み、立ち上がります。
さらに「四方の草を薙ぎ払へば」と扇で左右を払います。地謡に合わせて面を切り、舞台を廻って「その草薙の故とかや」と大小前からワキを見て、「伝ふる家の宗近よ 心やすく思ひて下向し給へ」の謡いにワキ正からワキを見込んで、大小前に下居します。

ワキは、中国そして我が国の剣の威徳にまつわる話、まさに今の時にあたっては祝言となるが、さてあなたは如何なる人なのかと、シテに問いかけます。
しかしシテは「よし誰とてもただ頼め」と謡い、地謡に乗せて立ち上がると、舞台を小さく廻って常座で小回りし、来序で中入となります。ワキも立ち上がって中入。
さてこのつづきはまた明日に
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