能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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しばらくお休みしております

勤め人には人事異動という有り難い仕組みがありまして、久しぶりに・・・四年ぶりですが・・・仕事が変わりました。そんな訳で、ここ一月以上、ブログの更新をお休みしています。
引っ越しをするような異動ではありませんでしたが、仕事の内容が大きく変わってしまったため、やはり右往左往の状況。挨拶状を出すのも一仕事でした。

そんな訳で、ちょっとお休みしています。
最初はほんの一、二週間お休みの後、再開するつもりだったのですが、思いの外、いろんなことに時間をとられていて、8月に入ってしまいました。
土日にも新たなスケジュールが入ったりですが、まあそれはそれで楽しい部分もあり、新しい出会いとか楽しんでいる毎日です。

そんな訳でしばらくは観能の機会も減りそうですが、異動の後も前々から予定していた二つの公演を観てきていますので、このあたりの話から再開しようと思っています。
もう少し、お待ち下さい・・・
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二つの会

予告してから、またまた時間が経ってしまいました。ちょうどお盆もありまして、これまたけっこう慌ただしい。
何はともあれ、本日より再開したいと思います。

さてしばらく更新をお休みしている間に、二つの公演を観たという話を前回書きました。その二つの公演の話から再開しようと思っています。

二つの公演のうち、はじめは牛久市民能楽鑑賞会。
茨城県牛久市にお住まいの金春流能楽師、山中一馬さんが、牛久の市民向けに主催された会です。おそらく牛久で能楽の会が催されたのは初めてではないでしょうか。
会場は牛久市中央学習センターの大ホール、私も初めて行きましたが、なかなか立派なホールであります。

山中さんはこの牛久と、近くの土浦市でも指導をされているようです。
今回は牛久でお稽古を受けている方のご紹介で、チケットをとっていただいたもの。
昨年11月の金春会で、山中さんが舞った笏之舞の小書付の「融」を観て、なかなか良かったという話をブログに書いたのがきっかけです。

山中さんはその後、今年一月の金春会で翁を勤められ、これも拝見しました。
数少ない櫻間系の演者として、今後の活躍が期待されるところです。

牛久市民能楽鑑賞会ということで牛久市文化協会が主催・・・ほー、牛久市にはそんな協会があるんですね。大きなホールでして2階席は中・高生の鑑賞のため無料になっていました。能楽に触れる機会を広げていこうという趣旨なんでしょうね。

曲は万作さんが登場されての佐渡狐、休憩をはさんで山中さんのシテで葵上という番組です。明日からそれぞれの曲について、鑑賞記録を・・・メモをもとに思い出しながら書いてみようと思います。
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佐渡狐 野村万作(牛久市民能楽鑑賞会)

和泉流 牛久市中央学習センター 2009.7.4
 シテ 野村万作
  アド 高野和憲 深田博治

今回、頂いたチラシやパンフレットの表記通りに配役を書きましたが、万作さんが奏者役で、高野さんが越後のお百姓、深田さんが佐渡のお百姓でした。
和泉流の本来の扱いだと、深田さんがシテ、高野さんがアド、万作さんが小アドになると思うのですが、このあたりは何かお考えがあっての記載なのかも知れません。
他の会などでも、重鎮の先生がもともとの小アドの役をされる際に、番組のシテの場所にお名前を書く例もよく見かけますね。

さて佐渡狐。このブログでも今年2月と3月の二度にわたって取り上げていますが、いずれも大藏流で、しかも大藏彌太郎さんと善竹十郎さんご一家の上演。今回は和泉流ですので、いささか違いもあり、そのあたりを含めて、触れてみようと思います。

まず舞台には越後の国のお百姓の高野さんが登場してきます。段熨斗目に掛け素袍という、脇狂言のうち百姓の類にお決まりの装束です。毎年の嘉例として上頭に年貢を持って上がることを述べ、似つかわしい者と同道しようと一休みする形でワキ座前に座します。

すると代わって佐渡のお百姓の深田さんが登場してきます。こちらも段熨斗目に掛け素袍の同装ですが、二人とも文様は同じで松竹梅と折り鶴の目出度い柄。高野さんの方は茶の地に松竹梅とネズミ地に折り鶴の組み合わせで、一方の深田さんは緑の地に松竹梅と朱の地に折り鶴が組み合わされた柄。こうした取り合わせもちょっとしゃれています。
余談ですが、狂言の装束というのは見ているとなかなか面白いもの。肩衣の背に大きく蜻蛉が描かれていたり、大変斬新なデザインに驚くことが少なくありません。
そんなところを見てみるのも、ちょっとした楽しみです。

さて後から出た佐渡のお百姓に、越後のお百姓が声をかけて、同道することになります。さてこのつづきはまた明日に
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佐渡狐のつづき

越後のお百姓は佐渡のお百姓に「そなたはどれからどれへお行きある」と問いかけますが、佐渡のお百姓は「身共は用を前にあてて、後から先へ行く者でおりある」と答えます。これは大藏流でも同じですが、こうしたお百姓ものの決まりのギャグのようで、他の曲でも出てきますね。

さらにこの曲では、越後の国の者と名乗ったアドに、佐渡のお百姓が「向いの者」だと言い、見たことがないと不審がる越後のお百姓に、国向いの佐渡の者と名乗るやり取りもあります。

結局二人は同道することになり、語り合いつつ舞台を廻り道を進むことになりますが、この中で、佐渡には狐がいるかいないかで言い合いになる展開です。
この狐、大藏流では能と同様に「ツ」の音を含んで発音しますが、この日ははっきりと「キツネ」と発音していました。
たしかにあまりたくさん観ている訳ではありませんが、野村家の狂言で「ツ」を含んで発音するのを聞いた記憶はありませんね。うーん、このあたりはどうなんでしょうね。
ちなみに「ツ」を含むというのは、唇を閉じて鼻に「クン」と抜くような音を出す発音です。

言い合いの末に、かけろくにしようという次第になり、批判を奏者に頼もうと話が決まるのは大藏流同様です。

ともかく騒ぎつつも、二人は上頭の屋敷にやって、まずは年貢を上げることにします。
段熨斗目に素袍上下、士烏帽子を着けた奏者の万作さんが進み出て、二人を待つ形になります。
越後のお百姓が佐渡のお百姓に、時のお奏者で上げるか、それとも引付があるかと問いかけ、佐渡のお百姓は引付があるので自分から上げようと言って、先に年貢を持って奏者のもとへ罷り出ます。

型の通り受け答えがあった後、佐渡のお百姓は佐渡に狐があるか無いかをかけろくにしたことを語り、批判をお願いしたいとして、奏者に文字通り袖の下を渡そうとします。
大藏流同様の展開ですが、万作さんの演技がまた面白い。佐渡のお百姓を叱りつけつつ、辺りをうかがい、扇と袖で隠すようにして袖の下を受け取ってしまいます。

さてこのつづきはもう一日、明日に
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佐渡狐さらにつづき

袖の下を受け取ってしまうところが、この曲の第一の見せ場。すると急に奏者は親切になり、佐渡に狐はいないだろうと佐渡のお百姓に問いかけ、狐の格好も知らぬだろうからと、様々に狐の様子を教えます。
犬より少し小さいとか、目がたつに切れているとか、尾はふっさりしているなど、狐の様子を語るのは大藏流も同じです。

さて越後のお百姓の年貢納めも済み、二人揃ってかけものの判断を奏者に頼むことになります。
奏者が地謡座前に、佐渡のお百姓はワキ正側に、越後のお百姓は大小前に控えます。さっそく批判することになり、奏者は佐渡に狐は・・・と気を持たせた後に「居る」と言い切ります。

これに不服な越後のお百姓は、それでは狐の様子はどうだと佐渡のお百姓に問います。先ほど教えてもらった話を忘れてしまった佐渡のお百姓に、奏者が教えようとしますが、越後のお百姓は二人の間に入って両手を広げ、教えようとするのを邪魔するような形になります。このあたりは大藏流の演出とは微妙に異なる感じです。

ともかくなんとか佐渡のお百姓が狐の様子を答え、奏者は退場してしまいます。
佐渡のお百姓が懸けものの一腰を持ち去ろうとしますが、ここで越後のお百姓が、先ほどは狐の鳴き声のことを聞き忘れたと思い出します。

越後のお百姓は佐渡のお百姓に、狐の鳴き声を答えるように迫りますが、狐を見たこともない佐渡のお百姓は答えることが出来ません。犬より少し小さいとか、尾はふっさりしているとか、先ほど答えた狐の姿形を様々に言いますが、どうでも鳴き声を言えという越後のお百姓の詰問に「月星日となく」と答えてしまいます。

この「月星日」は、古い時代に鶯の鳴き声を表す言い方で、今で言えば「ホーホケキョ」といった感じでしょうか。「それは鶯のことじゃわいやい」と越後のお百姓が強く言い、一腰を取り返して退場してしまいます。
せめて自分の物は返して欲しいと佐渡のお百姓が追い込んで留。

形の基本は一緒ですが、最後の鳴き声を、大藏流では鶏の鳴き声にしていましたが、このあたりは流儀によって違うということなんでしょうね。
いずれにしても万作さんの奏者、味わい深い演技でした。
(29分:当日の上演時間を記しておきます)
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葵上 山中一馬(牛久市民能楽鑑賞会)

金春流 牛久市中央学習センター 2009.7.4
 シテ 山中一馬、ツレ 柴山暁
  ワキ 森常好、ワキツレ 則久英志
  アイ 月崎晴夫
   大鼓 安福光雄、小鼓 曽和正博
   太鼓 金春國和、笛 藤田朝太郎

葵上は、一昨年に金剛流の種田道一さんと観世流の岡庭祥大さんの上演について、ブログに鑑賞記を書いています。種田さんの演能(鑑賞記1)は梓之出の小書付。岡庭さんの方(鑑賞記1)は小書無しです。

今回、小書は付いていないのですが、実際の演能は梓之出の小書付の形だと思います。
金春流の葵上で小書が付いている番組を見た記憶がないので、金春には梓之出の小書は無いのかと思っていましたが、調べてみると金春の謡曲名寄には梓之出の記載があるようです。演能の際に小書を表記しなくとも、実際は演じているということなのかも知れませんね。

さて舞台にはまず後見の守屋さんが小袖を持って出て正先に広げます。病床に伏せる葵上を表す訳です。そう言えば守屋さんの能は、一昨年に弱法師を観て以来拝見していませんが、あれはなかなかに良い能でした。

準備が整うと出し置きのツレが、朱地に紅葉の文様の唐織に白水衣の装束で登場し、ワキ座に着座します。するとワキツレ臣下の出になり、則久さんが白大口に紺地の袷狩衣、洞烏帽子の装束で橋掛りを進み、常座に出て名乗りとなりました。
以前にも書いたような気がするのですが、則久さんの端正な芸風には好感を持っています。国立劇場「伝統芸能伝承者育成」のご出身ですね。

ワキツレは名乗りの後、ツレ照日の神子に、梓に生霊死霊を梓にかけ明らかにするように促します。
さてこのつづきはまた明日に
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葵上のつづき

ツレは柴山暁さん。桜間金記さんのところの方のようですが、お若い様子。
大小が梓ノ手を打ち、これを受けて「天清浄地清浄・・・」と謡い出します。随分と低い音程の謡ですが、いつぞや同じ金春流山井綱雄さんがツレをされたのを拝見した時も、低い音程の謡でした。金春の節付け自体が低く付いているんでしょうね。お二人の声の調子もあるかとは思うのですが・・・

観世流だとこの照日の神子の謡はかなり高めの音程で謡います。霊を引き寄せる意味で高く謡うのだと思いますが、同時に、このあとのシテの一セイ「三つの車にのりの道」が低く抑えた謡になるので、ここを高く謡っておくと、シテの出がより暗く印象づけられる効果があるように思います。

さて昨日書きましたように、この日は小書が付いていなかったのですが、ツレの謡のうちに幕が上がり、「今ぞよりくる長浜の」でシテの出となりました。
ツレの謡いっぱいまでにシテは一ノ松まで出、正を向いて一セイを謡い出します。
二の句「夕顔の宿の破れ車 やるかたなきこそ悲しけれ」を謡うと、笛のアシライが入り、シテは舞台に進みます。

舞台に入ったシテは、このあとの次第、サシ、下歌、上歌を省略して、常座で「梓の弓の音はいずくぞ」と謡います。この、ツレの謡のうちに登場して次第、サシなどを省き「梓の弓の音はいずくぞ」と謡い掛けるのは、梓之出の小書の形ですね。流儀や演者によっては一セイも省く場合があるようです。
以前にも書いたことがありますが、この次第、サシ、下歌、上歌は、なかなかに趣き深い部分で、この謡を省いてしまうのはもったいない感じもします。しかし一方で、シテが佇んで謡うだけの場面が続く形になるため、思い切って省略してしまった方が緊張感が高まる感じもあります。
常の形、この梓之出の形、いずれもそれぞれに魅力がありますが、この日の会では初めて能を観る方が多いだろうということで、この形を選ばれたのかも知れませんね。

さてシテの謡に、ツレが「東屋の母屋の妻戸にいたれども」と謡い、シテが「姿無ければ問う人もなし」と続けます。これを受けてツレが、生霊の様子を謡い、ワキツレ臣下に様子を告げる形になります。
さてこのつづきはまた明日に
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葵上さらにつづき

ツレの謡では「誰とも知らぬ上臈の破れ車に召されたる」のと「青女房と思しき人の牛も無き車の長柄にとりつきさめざめと泣き給う」と、二人の人物が登場している様子が謡われています。古い時代にはこの青女房も舞台に登場したらしいという話を、以前、書いた記憶があります。
この前の部分の謡も、ツレの「東屋の母屋の・・・」の部分は青女房が謡った方が、辻褄が合う感じがします。

この後は、シテの思いのこもった謡から、ツレとの掛け合いになり、後妻打ちの場面へと続いていきます。シテの山中さんも相当に迫力のある演技で、思いのこもった風を見せていただきました。梓之出の形になっていることもあり、能の展開が締まって感じられました。

特に変わった演出等はなく、後妻打ちから地謡が受けて恨みを謡う形になり、「昔語りになりぬれば」でシテが壺折りにした唐織を広げて、「うち乗せ隠れ行こうよ」と被いて後見座にクツログ形になります。

場面は一転してワキツレがアイを呼び、横川の小聖を呼んでくるように命じます。
これを受けて、アイの月崎さんが一ノ松から幕に向かい、案内を乞います。
答えて登場したのがワキ横川小聖の森常好さん。例によって堂々たる行者の姿です。アイとの問答から葵上の屋敷に伺候することになります。

舞台に入ったワキは、ワキツレとの問答の後、正先に出て邪気が強いことを述べ、加持を行うことにします。ノットの囃子から「行者は加持に参らんと」と謡い出します。

装束を変えたシテは、ワキの謡のうちに唐織を引き被いたままワキ正に出て再び伏せます。ワキが「なまくさまんだばさらだ」と謡い終えると唐織を外して姿を現し、祈となります。山中さんのシテはなかなかに強い思いを表して、ワキと渡り合う形。
祈の後もワキ、シテの争いが続きますが、最後は教典読誦の功徳で成仏したと姿を消します。能としては短い時間の中に展開が凝縮された感じで、面白く拝見しました。
(49分:当日の上演時間を記しておきます)
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七月の花祥會

観世流関根祥人さんの主催される花祥會は、平成八年の開始以来今回が15回目。
記念会ということでしょうか、祥丸さんの「俊成忠度」に祥人さんの「道成寺赤頭」の能二番という番組。これに狂言「縄綯」に加えて、宗家清和さんの勧進帳の一調と、祥六さんの姨捨の仕舞という豪華なものです。
スケジュールはちょっとキツかったのですが、なんとかして観に行きたいと思い、チケットを入手しておいた会。無事に観に行くことがで来てホッとしました。

ご子息の祥丸さんは十六歳、今回の俊成忠度が初面です。
また祥人さんの道成寺は七度目の上演だそうですが、今回は赤頭ほかすべての小書付で、これまた15回という節目の会を記念する演目ですね。

しばらくブログを休んでいたため、一月以上前のことになってしまいましたが、振り返ってみても本当に観に行って良かったと思います。

明日から、それぞれ演目については鑑賞記を書いていこうと思いますが、そう言えばこの会の際にロビーで俳優の佐野史郎さんをお見かけしました。見所にはいらっしゃらなかったようなので、見所後方の関係者ブースででもご覧になっていたのかも知れませんね。
たしか関根さんを取り上げたドキュメンタリー映画「能楽師」で、ナレーションか何かをなさっていたようなので、そのご縁でしょうか。(この映画、見たい見たいと思いつつ、まだ見てません)

という訳で鑑賞記は明日に

俊成忠度 関根祥丸(花祥會)

観世流 観世能楽堂 2009.7.18
 シテ 関根祥丸、ツレ 山科彌右衛門、トモ 清水義也
  ワキ 村瀬純
   大鼓 柿原弘和、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 松田弘之

修羅物の小品で案外面白い曲と思いますが、観世流ではやや上演が少ないような気がします。
宝生流では五雲会で、二年に一度くらいの割合で上演されています。俊成忠度の出ない年は生田敦盛を上演しているようなのですが、何か決まりがあるのかも知れません。このブログでも19年に澤田宏司さんがなさった時の鑑賞記(鑑賞記1)を載せています。

さてこの日の舞台ですが、祥丸さん初面の記念すべき日。お調べから盛り上がるものを感じます。松田さんの笛はお調べを聞いていても、聞き惚れてしまうのですが、この日も見事な音でした。

一同着座すると、いわゆる出し置きの形でツレ俊成がトモ従者を従えて登場し、ワキ座で床几にかかります。この曲の俊成は重要な役所ではありますが、今回は祥丸さんの初面ということもあってか、山科彌右衛門さんが勤められました。さすがに重い扱いですね。

俊成は金茶の水衣に指貫、白花帽子の出で立ちです。トモは素袍上下に太刀を持つ形。俊成の装束は装束付けを見ると、風折烏帽子に大口、長絹の公達の姿とするか、あるいはこの日のように僧形にするか、いずれか選択できるようになっています。史実では、忠度の都落ちの際には、既に俊成は出家していたようなので、僧形の方が合っていることになりますが、公達姿でも趣きある気がします。
僧形とする際も、花帽子とするか角帽子とするか、色大口か指貫込大口か、どちらにするかで雰囲気が変わってきます。花帽子に指貫というこの日の形は、高貴な方の出家姿という感じで、彌右衛門さんがなさる位置づけからも、それにふさわしい装束の選択だったように思います。
ちなみに宝生の澤田さんの際は、お若い亀井雄二さんが俊成を勤め角帽子の沙門姿でした。こちらもまたそれらしい装束という感じです。

準備が整うと、ワキ岡部六弥太の村瀬さんが登場してきますが、このつづきはまた明日に
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納涼狂言祭2009を観に行く

いよいよ総選挙前日。関東はこのところ涼しい日が続いていたのに、久しぶりに気温が上がって暑い一日になりました。
そんな中、千駄ヶ谷の国立能楽堂へ「納涼茂山狂言祭2009」を観に行ってきました。

千駄ヶ谷の駅を出ると大変な人だかり。これは一体どうしたことかと見れば「チケットゆずって下さい」の文字を記した手製のボードなどを掲げたお嬢さん達がいっぱい。
なんと昨日からの三日間、連続で開催される「嵐」の国立競技場コンサートに詰めかけてるんですね。
開演は17時30分なんだそうですが、昼過ぎには驚くほどの盛り上がりになってました。

さて狂言祭ですが、リクエスト狂言ということで、昨年から募集していたリクエストに応えての選曲。本日は昼の部と夜の部、そして明日30日に昼の部と都合3公演あります。
私は昼の部を観に行ったのですが、曲は「宗論」「居杭」そして新作狂言「死神」。さらに冒頭に宗彦さんの解説というか漫談というか・・・その中に、嵐のコンサートの話をうまく織り込んで、このお話だけで一笑いでした。

狂言はリクエストで選ばれただけあって、大変面白かったですね。
居杭のシテを大人が演じるのは初めて観ましたが、千之丞さんの居杭は味があって楽しい一番でした。
宗論、死神も楽しく拝見しましたが、さて死神のシテ千五郎さんが、後場で出てこられた時に、一瞬「千作さん」かいな、と思ったほど似ておられてビックリしました。装束のせいとは思いますが、たしかにこのご一家、顔立ちなど良く似ておられますよね。

鑑賞記はいずれ・・・ということで
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俊成忠度のつづき

士烏帽子を着け、白大口に掛直垂、背に短冊を付けた矢を差して登場したワキは、一ノ松で武蔵の国の住人、岡部の六弥太忠澄と名乗ります。
能「忠度」では、後場でシテ忠度の霊が、この岡部の六弥太に討ち取られた場面を仕方で謡い舞いますが、この曲はその後日談的なストーリーで、岡部の六弥太が忠度の尻籠(シコ:矢を入れて持ち運びするための道具で矢壺などとも表記する)に入っていた短冊に気付き、忠度の歌の師である俊成卿にこれを届けようと都に戻ってきたという設定です。

この事情を語ったワキは常座に進み、あらためて案内を乞います。村瀬さんの独特の謡ですが、これを受けてトモの清水義也さんが立ち対面します。清水さんは三十代半ばの若手能楽師で、祥人さんが研究会で巻絹をされた時のツレを拝見しています。すっきりとした雰囲気の方で、この日のトモもキビキビとした良い感じでした。最近は荒磯能などでシテを勤められているようです。

さてワキの案内を受けたトモがツレに取り次ぎ、ワキとツレの問答になりますが、彌右衛門さんの俊成はさすがに風格があります。ワキが背から取り出した短冊の付いた矢を受け取ると、短冊を右手に取り「なになに旅宿の花という題にて・・・行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし」と歌を詠み上げる形になります。

「忠度」でもおなじみの歌ですが、この詞を受けて地謡の上歌「いたはしや忠度は」の謡い出しとなります。ツレは矢を落とし、ワキは切戸口から退場します。
続く謡の「仁義礼智信 五つの道も正しくて」あたりで幕が上がり、梨子打烏帽子に白鉢巻を着け、白大口に長絹を肩脱ぎにしたシテが登場して橋掛りを進みます。この装束も、単法被か長絹か装束付けには両方が記載されていますが、初面の祥丸さんに長絹の選択は貴公子の雰囲気を感じさせて良かったように思いました。

地謡の上歌いっぱいに舞台まで進み、ワキ正へ出つつサシ込み開きと型通りに進んでシテのサシ謡。さすがに十六歳の高校生ですから、声はお若いですね。
サシ謡の後、ツレに向いて「いかに俊成卿、忠度こそこれまで参りて候へ」と語りかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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俊成忠度さらにつづき

ここからシテ、ツレの問答になります。
千載集に歌を入れていただいたお気持ちは嬉しいが、読み人知らずとされたのは心残りだとするシテに、朝敵となった忠度の名を出す訳にはいかないので読み人知らずとしたが、この歌があるなら忠度の名は隠れもないと俊成は語ります。
この二人の問答を受けて、地謡が「さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」という、千載集の歌「故郷の花」を謡い、続く謡のなか、シテは舞台を一回りして常座で小回りした後、正中へ下居してサシ謡「凡そ歌には六儀あり」を謡い出します。

地謡、シテの掛け合いからクセ。クセは居グセですが、シテの姿は清々しい雰囲気が漂っています。「さてもわれ須磨の浦に」で立ち上がり、型通りに上げ扇へと移っていきます。クセの後半は型通りの舞ですが大小前で袖を返して左右、常座へ向かい「あら名残惜しの夜すがらやな」と地謡が観世流らしい高音の華やかな謡を謡う中、サシ込開いて足拍子を踏み、カケリとなります。

祥丸さん、子方の時から何度か拝見していますが、舞の上手は天性のものもあり、また祥六さん、祥人さんの稽古の力もあってのことなのでしょう。足拍子を踏む際の安定感など、将来が楽しみな舞姿でした。

カケリの終わりは、ツレの「不思議や見れば忠度の」の謡が囃子にかぶさるように謡われて、修羅の様が表されます。
剣を抜いて打つ型、舞う姿、一つ一つが丁寧に舞われて好感が持てます。

「ありつる姿は鶏籠の山、木隠れて失せにけり あと木隠れて失せにけり」と留拍子を踏んで終曲となりました。
初面の舞台らしい清々しい一曲でした。
(37分:当日の上演時間を記しておきます)
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