能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

縄綯 山本泰太郎(花祥會)

大藏流 観世能楽堂 2009.07.18
 シテ 山本泰太郎
  アド 山本則重 山本則俊

縄綯(ナワナイ)というこの曲、縄を綯いながらの仕方話が最大の見せ場になっています。太郎冠者が舞台上で縄を綯うというのは、以前このブログでも取り上げた真奪(鑑賞記1)や太刀奪(鑑賞記1)などのようにいくつかの曲にありますが、この曲は誰かをつかまえるために縄を綯うというのと、いささか趣向が違い、場面展開もやや複雑で狂言としては長めの曲になっています。

さて舞台にはまずアドの主、則重さんが長上下で登場してきます。
常座に出た主はまずは名乗り、この度は「則俊殿」と博奕をし「散々に仕合わせが悪しうして金銀どころか太郎冠者まで打ち込んで」しまった次第を語ります。
さてその借金のかたに太郎冠者を差し遣わさなくてはならないのですが、太郎冠者には子細を告げず、文を持たせて遣わすことにし、太郎冠者を呼び出します。

アドはシテに文を持って行くように命じ、正中でシテに文を渡すと笛座前に下がります。受け取ったシテ太郎冠者は、文を持って歩む形で、右手に文を持って舞台を廻り常座へと向かいます。

シテは、主人が度毎に負けるけれども、あんなに負けて何が楽しいのだろうなどと言いつつ、小アド何某殿・・・この日は則俊殿と則俊さんの名前を用いていましたが、何某の屋敷にやって来ます。
太郎冠者が案内を乞うと、何某は大変喜んで迎え入れます。早速、太郎冠者が文を渡し何某が読んで、今日からは自分のうちの者だと太郎冠者に言います。

太郎冠者が驚いていると、何某はこの度は仕合わせ良く、金銀は言うに及ばず太郎冠者まで打ち勝ったという子細を話しますが、太郎冠者は信じません。帰って主に聞いてくると言い張りますが、小アドが「頼うだ人の手跡を覚えて居ろう」と太郎冠者に文を見せ、太郎冠者は納得して、何某の家の者となることになります。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
スポンサーサイト

縄綯のつづき

何某は早速太郎冠者に、山一つあなたへ使いに行ってこいと命じます。しかし太郎冠者は自分は脚気が出たのでとても行くことは出来ないと断ります。それでは縄を綯えと命じますが、縄など綯ったことがないとこれも断ります。何某は主から、太郎冠者は縄を綯うのが得意と聞いていると言いますが、これにも太郎冠者は自分の綯う縄は左縄で役に立たないと断ります。
業を煮やした何某は、それでは水を汲めと命じますが、太郎冠者は「何じゃ水を汲め」とくってかかり、自分は今まで水を汲むような仕事はさせられたことがないと怒ります。

何某も立腹し「すっこんで居よ」と太郎冠者に命じます。太郎冠者が狂言座に下がると、何某は舞台を廻って主の処に向かいます。

何某は、太郎冠者は役に立たないし「金銀をもってきっと算用させよう」などと言いつつ主の処にやってきますが、主は太郎冠者がすねているのだろうから一度こちらに戻して欲しい。自分が良いように使ってお見せすると言い、太郎冠者には、今度はこなたの仕合わせが悪しうして金銀は言うに及ばず、太郎冠者まで打ち戻されたと言って帰してくれと頼みます。

何某は不服ながらも仕方ないと家に戻り太郎冠者を呼び出して、主に言われたように、今度は自分が博奕に負けて太郎冠者まで打ち戻されたので帰すと言って、太郎冠者に帰るように話します。

太郎冠者は大喜びで、挨拶も早々に主のもとへ戻ります。何某は下がって舞台は再び主の屋敷という設定。
戻ってきた太郎冠者は、何某に遣わすなら遣わすと言ってくれなかったのはどうしてだなどと、ひとしきり主人に恨み言を言いますが、いずれにしても戻ってこられたので機嫌を良くしている様子。

そこで主が太郎冠者に縄を綯うように命じます。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

縄綯さらにつづき

主人から縄を綯うように命じられた太郎冠者は、何某の時とは打って変わっていそいそと縄を綯う支度をします。
後見が白い布を細く裂いて、途中まで縄のように綯ったものを出してきます。これを太郎冠者が正中に安座して、続きを綯う形。和泉流では布ではなく稻藁を用いることになっているようで、たしか真奪でもそうだっと記憶しています。

さて、縄を綯うことにした太郎冠者ですが、主に後で縄の端を持っていてくれるように頼んで、綯い始めます。そして、綯いながら何某の家でのことを話し始めるのですが、この縄を綯いながらの仕方話がこの曲の眼目。泰太郎さんの熱演です。

まずは何某のことを「見かけによらず根性の悪しい人」と評した後、命ぜられた仕事を断ったところ、何某が怒って出て行ってしまったことなどを話し始めます。一区切り話すと、大笑いをするという形で話を続けていきます。

何某が出て行った後、台所に控えていると、子供達が何人も出てきて、湯をくれい茶をくれいとそれぞれに言い、大変ながらそれぞれに湯茶を渡すと、熱いのぬるいのとうるさいことであったとか、お内儀が出てきたがこれがたいへんな悪女であったなどと話を続けます。

お内儀から子守をするように言われ、赤ん坊をあやす羽目になったが、お内儀がいなくなると子供を叩いたりして、泣くとあやす。あやすと笑う。笑うとまた叩いたりなどで、物陰で「にぎりこぶしで頭をかっし 太ももをつねり」など散々にした様を仕方で話します。

この間に主と何某が入れ代わって、縄の端は何某が持っています。
夢中になって仕方話をしているうちに、ふと太郎冠者は振り返って後にいるのが何某と気付きます。
慌てて話を取り繕いますが、何某が怒って太郎冠者を追い込み、留となりました。
この悪口のあたりは、流儀によって、また家によってだいぶん異なった形があるようです。
(42分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

道成寺 赤頭 関根祥人(花祥會)

観世流 観世能楽堂 2009.7.18
 シテ 関根祥人
  ワキ 宝生閑
  アイ 山本東次郎 山本則俊
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 亀井俊一
   太鼓 助川治、笛 一噌庸二

道成寺はこのブログでは二度目。今年3月の秀麗会、金春流の本田芳樹さんの鑑賞記()に続いての登場です。表題には赤頭とのみ記載しましたが、実際は赤頭、中之段数躙(ナカノダンカズビョウシ:中之段数拍子とも)、無拍子之崩(ヒョウシナシノクヅシ:クヅレ)、五段之舞と、現行の観世流大成版にみえる四つの小書すべてを付けての上演です。
私はこの四つが全部付いた形は初めて拝見しましたが、観世会では割と上演される機会が多いようで、毎年とは言わないまでも隔年程度には別会の番組に上がっているのを見かけます。

赤頭はもちろんその名の通りに、後シテが通常の黒頭の代わりに赤頭で出るもので、鐘の中で面だけでなく頭も換えることになるので、それだけ難易度が増しますね。もっとも金春流では常の形が赤頭なので、その点では小書が付いて一緒ということになります。
とは言え、この赤頭の小書では、単に赤頭にするだけでなく鐘から出る時の装束の扱いなども変わってきまして、道成寺の印象も変わるところですが、そのあたりは追々鑑賞記の中で触れてみようと思います。

また中之段数躙、無拍子之崩は乱拍子での足使いなどに関する小書で、五段之舞は乱拍子に続いて常は三段で舞われる急ノ舞を五段で舞うという小書です。といっても、五段之舞は良いとして、乱拍子の足使いは細かいところまで覚えているほどに道成寺を見込んでいるわけでもないので、正直のところどこがどうと詳しく述べるほどではありません。足の使いそのものは、不思議な足使いがあって常の形と随分印象が変わっていましたが、はたしてこれがどの小書のためなのか不明です。

ともかく道成寺ですし、しかもこうした曲を勤めるには、まさに能楽師としても絶頂の年代を迎えつつある祥人さんの、七度目の道成寺上演ということで、いやが上にも期待が高まるところです。
さてその様子は明日につづきます
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

道成寺のつづき

道成寺ともなると登場人物も多く、鐘後見なども出るために舞台後方が狭く感じられるところですが、ともかく一同着座すると鐘吊りとなります。上掛りのため、鐘は前もって狂言方の後見など四人が持ち出してきて吊る形です。

太い竹に鐘を下げ、前後を高く捧げたうえに鐘の両側に一人ずつ付く形になります。下掛りだと劇中で鐘を吊るので、先にワキ、ワキツレとオモアイが登場してのやり取りから始まりますが、上掛りはまだ準備中というところ。
運び出された鐘には太い吊り縄が巻き付けられていて、これを外して竹の先に挟み、滑車を通してから先端に鍵の手の付いた竹で引っ張るという要領で縄を引きますが、いつぞやこれがなかなか通らなくて何度もやり直したのを見たことがあります。

今回は一度で綺麗に縄を通し終わり、鐘を引き上げました。
鐘が吊り上げられるとまさに道成寺らしい雰囲気になってきます。たしかに天井の滑車はこの道成寺一曲のためにだけあるわけですし、一種独特の雰囲気が漂いますね。

さて鐘を吊り終えて狂言方が下がると、名宣笛にてワキ、ワキツレの一行が登場してきます。閑さんのワキは重々しいだけでなく風格を感じます。ワキツレは高井松男さんともうお一方、時日が経ってしまったためどうしても思い出せません。いや申し訳ないことですが、なぜかメモし忘れまして書いておかないとこんなもの・・・というところですね。

ワキの重々しい名乗りの後、オモアイを呼び問答になります。ワキはアイに女人禁制を告げ、アイがこれを触れて下がるといよいよシテの出。習ノ次第が奏されて幕が上がります。
幕から三ノ松あたりまでは、割とスルスルと進んだ感じでしたが、ここから一足ずつゆっくりと橋掛りを進んで常座へと出ます。
シテの次第謡「作りし罪も消えぬべし 作りし罪も消えぬべし 鐘の供養に参らむ」は、抑えて力が込められまさに凄みを感じる謡でした。次第の地取りは三編返しで、これは小書付のためかも知れません。

このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

道成寺さらにつづき

次第に続いてサシから詞。高めの音をとって絞り出すような謡です。「只今参らばやと思ひ候」から道行の「月は程なく入汐の」は、間を開けずに続けるような感じで謡いましたが、いよいよ凄みを増すようで、「急ぐ心かまだ暮れぬ」と高音で引き立てるように謡い、左手で唐織をつかんだ感じが、急ぐ心を表すようです。「日高の寺に着きにけり」と繰り返していよいよ寺にやってきました。

道成寺にやってきたシテは「やがて供養を拝まうずるにて候」と、鐘供養に向かう気配ですが、この詞にオモアイが立ち上がり、アイ、シテの問答になります。
アイはワキ住僧から命じられたとおり女人禁制である旨を述べますが、シテが舞を舞って供養しようというのを受けて、一存で許可を与えてしまいます。

これに喜んだシテは早速舞を舞うことにし、物着となります。
物着の手のうちに黒烏帽子を着けて舞の準備が整うと、シテは立ち上がり、いったん橋掛りに進んで一ノ松で正面に向き、そこから一度鐘を見上げます。執心を示す形でしょうか。「嬉しやさらば舞はんとて」の謡で舞台へ入り、「既に拍子を進めけり」と力を込めて引き立てて謡った後「花の外には松ばかり 花の外には松ばかり 暮れ初めて鐘や響くらん」と、抑えて次第を謡い、乱拍子となります。

左の褄を取り左足で音を立てずに拍子を一つ踏んで、左に足を開きます。戻した足で足拍子を一つ。身をかがめて右へ開いて戻し、左右と足を進めて左足を開き、戻して足拍子を踏むといった形で、足拍子一つに思いを込めつつ舞台を廻ります。
左足を上げながら左右すすっと詰める形は、これまで見た記憶がありません。小書のためかと思いますが、ぴんと上げたつま先を鼓の音で下ろす常の形とは随分と印象が異なります。

この足拍子一つを踏む形を七度ほど繰り返し、そこから形が変わって足拍子をいくつか音無く踏んで、扇を左手にとって右の褄を取り「道成の卿」と謡い出しました。

私、長いこと道成というのは道長からの連想で、藤原氏と決めてかかっていたのですが、どうも伝承ではこの道成寺を創建したのは紀道成という方だったとか。まあこれも伝承で、そもそも紀道成などという人は実在しなかったという話もあります。
良くは分かりませんが、舞台の方は乱拍子から急ノ舞へと展開します。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

道成寺さらにさらにつづき

乱拍子から急ノ舞への展開は、いつもながら息を詰めるような場面の連続になりますが、五段の急ノ舞を舞終えたシテは「春の夕暮れ」と上げ扇、さらに常座からワキ座へと進み目付へと回って、テンポを速める謡のなか目付で鐘を見込みます。扇で烏帽子を飛ばし「思へばこの鐘恨めしやとて」と鐘に寄って下に入り、両手を挙げて足拍子を踏むと、落ち始めた鐘にまさに吸い込まれるように飛び上がり、鐘に姿を消しました。
道成寺も何度か観ていますが、この鐘入りは出色の出来の一つだったように感じました。

さて鐘が落ちるとオモアイ、アドアイが例によって「くわばら くわばら」「揺りなおせ 揺りなおせ」と雷、地震それぞれのとらえ方で登場し、鐘の落ちているのに気付きます。どちらが報告するかで一騒ぎの後、アドアイが退場し、オモアイがワキに報告して退場すると、ワキの語り。閑さんらしい風格のある語りです。

さて、いよいよ鐘を引き上げようということになり、ワキ、ワキツレが数珠を揉んで「東方に降三世明王」から五大明王に祈り、消災呪陀羅尼を唱えて鐘を上げようとします。
「すはすは動くぞ祈れただ」で鐘後見が少しだけ鐘を上げ、静かに下ろします。続く謡のうちに「この鐘響き出で」と鐘の中からはシンバルのような音が聞こえます。お寺で使う鐃鉢(ニョウハチ:またはニョウバツ)の類なんでしょうね。

通常の形ではこのシンバルのような音のあと鐘を揺らしたりなどしますが、ここは静かに鐘を少し上げてから下ろし、いよいよ「程なく鐘楼に引き上げたり」と鐘を引き上げると、白練を引き被いてうずくまったシテが姿を現します。

続く祈では、白練を体に巻き付けつつ立ち上がったシテが、目付へ進みワキをワキ座に追い込んで鐘を見上げます。さらにシテ柱で白練を音して橋掛りに進み、ワキがこれを追いますが、幕前から笞を振りつつシテが戻し、シテ柱に橋掛りから左手を背に巻き付くように鐘を見上げます。さらに柱に巻き付くように回り込んで舞台へと進み、目付からワキ座へとワキを追い込みますが、戻されて大小前に安座してキリとなります。

「また起き上がって忽ちに」と立ち上がって橋掛りへ進み、一ノ松で鐘を見上げた後「深淵に飛んでぞ入りにける」と幕に飛び込み、最後はワキが留拍子を踏みました。
期待通りの、というかそれを上回るような一曲でした。観に行って良かったとしみじみ思った次第。附け祝言は淡路でした。
(105分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

勧進帳の一調と姨捨の仕舞(花祥會)

ああ、良い舞台だったなあとしみじみ思い返す花祥會ですが、能二番、狂言一番に加えて、宗家清和さんに亀井忠雄さんの大鼓で勧進帳の一調、祥六さんの姨捨の仕舞が添えられていて、これまた味わい深い番組でした。

勧進帳はご存じの通り、安宅の中で、シテ弁慶がただの往来物の巻物を取り出して、ありもしない勧進帳のように高らかに読み上げる部分で、安宅の中でも盛り上がるところ。勧進帳自体も、正尊の起請文、木曾の願書とともに、三読み物として尊重されますが、なかでもやはり勧進帳が最も有名。

さてこの宗家の勧進帳、これまた良かったんですワ。清和さんってどちらかというと、お顔立ちもあって繊細で華奢な印象があるのですが、これがまた堂々とした勧進帳でして、まさに「帰命稽首敬って白すと 天もひびけと読み上げたり」という謡。
亀井忠雄さんの気迫の籠もった大鼓と合って、力強い一番でした。

一方、姨捨の仕舞。
祥六さんの芸の力ということなんでしょうね、老女の抑えた悲しみのようなものがじんわりと伝わってくる一番。老親を持つ身としては、しみじみと考えてしまうような深い物を感じた舞でした。

能一番に比べると、軽い物と捉えてしまうことの多い一調や仕舞ですが、逆に凝縮されたものがあり、深い感動を覚えた次第です。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

宗論 茂山逸平(納涼狂言祭2009)

大藏流 国立能楽堂 2009.08.29
 シテ 茂山逸平
  アド 茂山茂 島田洋海

宗論は上演の多い演目の一つですが、このところ遠ざかっていましてブログ初登場。記録を遡っても、もう五年以上観てませんでした。
この宗論という曲、浄土僧と法華僧の宗論争いを茶化したものですが、平安時代末期から鎌倉時代にかけて続々と誕生した仏教宗派のうち、特に浄土宗と法華宗の間では勢力争いも相当にあったようで、教義やその解釈について議論されることも多かったようです。

宗論として有名なのは、かの織田信長がしかけたと言われる安土宗論で、浄土宗の僧である貞安・霊誉などと、法華宗の日・日諦・日雄などが争ったものです。
まあ、仏教宗派について詳しいわけでもないので、安土宗論について細かく触れるつもりもありませんが、ともかく浄土僧と法華僧の宗論というのは、当時は日常的にあり得る話だったということでしょうね。

この曲では浄土僧と法華僧がそれぞれ性格付けて描かれていて、おそらくは当時の人々がこの両宗に抱いていた印象が反映されているということなのでしょう。

そうそう、浄土宗は法然上人が開祖の宗派ですが、法華宗というのが何を指すのかは微妙なところです。伝教大師最澄が開いた天台宗は法華経を尊重し法華宗とも呼ばれます。一方、日蓮上人の流れである日蓮宗も当然に法華宗ですね。安土宗論の法華僧は法号に日の字が入っているので日蓮宗のように思えますが、実は天台系で日蓮宗とは一線を画しているという話もあるようです。

ともかくも、舞台にはアド法華僧の茂さんが登場してきます。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

宗論のつづき

舞台に登場したアドはまず「南無妙法蓮華経 蓮華経の経の字を きゃうせんと人や思ふらん」という次第を謡います。
本来は囃子方が出て次第を奏しての登場となるのでしょうけれども、囃子はこの次第だけなので略する方が普通ですね。水衣に括り袴で頭巾の上から笠を被っての登場です。

昨日、法華僧というのが天台宗か日蓮宗か微妙という話を書きましたが、この曲では法華僧が次第の謡、地取に続いて「都六条本国寺の出家」と名乗りましたので、日蓮宗ということが明らかです。
本圀寺(なんでも水戸黄門光圀の一字を受けて本國寺から本圀寺となったんだそうで、現在は本圀寺と表記しているようですが)は、日蓮宗六条門流の総本山です。さらに法華僧は甲斐の身延山へ参詣した帰りであると述べ、身延山のありがたい様子などを語りながら舞台を廻ります。

常座に戻ると「上下の街道に参った」と言い、連れが欲しいものだとワキ座に座して人待つ形となります。

すると今度はシテの浄土僧、逸平さんが登場してきます。
常座に出ると法華僧同様に次第を謡います。こちらは「南無阿弥陀仏の六つの字を 南無阿弥陀仏の六つの字を むつかしと人や思ふらん」です。

続いて黒谷の出家であると名乗り、信濃善光寺へ参詣しての下向道であるといって、善光寺の有り難さなどを語りつつ舞台を廻ります。
黒谷は、京都黒谷にある金戒光明寺、浄土宗大本山のことですね。浄土僧の装束は緑系の色の十徳に狂言袴、こちらも旅帰りの僧ですが、装束のせいもあるのかなんだか気楽な感じがします。

浄土僧が舞台を廻っていると、これに気付いた法華僧が浄土僧に声をかけます。
どちらからどちらへ、用を前にあてて後から前へ、とお馴染みのやり取りもあり、二人とも都へ向かうことが明らかになって、同道していこうということになります。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

宗論さらにつづき

「牛は牛連れ、馬は馬連れ」などと言いつつ、同道することになった二人ですが、法華僧は思い込みが激しく直情的、浄土僧の方はなんとなく余裕含みの感じです。法華僧は、同道したからには必ず都までご一緒しましょう、などと念を押したりします。
このあたりのやり取り、流儀によって微妙に違いますが、直情的な法華僧と、なんとなく一癖ありそうな浄土僧という取り合わせを、いかに感じさせるか、それぞれの工夫ということでしょうか。

さてお互い都に上るとして、一体どこの者なのか明かそうという流れになります。
法華僧が本国寺の出家でござると名乗ると、浄土僧は向きを変え、例の情強者(ジョウコワモノ)だから道々なぶってやろうと独り言を言います。情強者という表現がいかにも法華僧を上手く表している感じがします。ともかく浄土僧の方がワルのような感じを受けますね。

浄土僧の方も、法華僧の求めに答えて、都ずっと辺土、東山黒谷の僧と名乗ります。これを聞いた法華僧も横を向き、例の黒豆数えだが致しようがあると独白します。
この黒豆数えというのは、当時は浄土僧を表すに分かりやすい表現だったのでしょうけれども、どういう意味なのか諸説あるようです。この話は後ほど。

さて、浄土僧と同道したくない法華僧は、寄るところがあるからと言って別れようとしますが、浄土僧は「一年が二年でも待ちましょう」とくっついて離れません。
さらに法華僧に意見があるとして、世上情が強いと言われているぞなどと言い、法華経二十八品などという長い経を読めなどと言うよりも、浄土宗は南無阿弥陀仏の六字を唱えれば極楽往生疑いないので、宗旨替えをするようにと勧めます。
そして、この数珠は法然上人から伝えられたもので、これをいただけと法華僧の頭上にふりかざしてワキ座へ追い込み、うずくまった法華僧の笠の上から、数珠を振りつつ六字の名号を唱えてやり込めます。

さていよいよ宗論が始まりそうな気配になってきましたが、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

関能会別会を観に行く

昨日12日は、観世能楽堂に閑能会の別会を観に行ってきました。雨の降る中でしたが、出かけていった甲斐はありました。
番組は梨良一さんのシテで養老、水波之伝の小書付。関根祥六さんのシテで卒都婆小町、こちらは一度之次第の小書付です。そして最後に関根祥人さんのシテで鵺の白頭。別会らしい豪華な番組です。
狂言は善竹十郎さん、富太郎さんによる瓜盗人。そのほか連吟二番と仕舞が七番。盛り沢山の舞台でした。

例によって鑑賞記は後ほど書くつもりですが、能三番いずれも小書が付いて見応えのある舞台でした。
養老の水波之伝はいかにも観世流らしい華やかな演出の小書です。間狂言が省略される一方で、天女が登場して舞い、後シテの神舞も緩急がつき、イロヱが入るなど大きく変わります。装束も常とは随分違います。
卒都婆小町は、老女物の入門曲のように言われることが多い曲ですが、ワキとの理知に富んだ問答や、深草の少将の亡魂が憑依するところもあり、いささか解釈に迷う曲。これを祥六さんが見事にまとめ上げていた感じです。一度之次第の小書により、常には先に次第で登場するワキ、ワキツレが、シテの出の後に登場する形になります。ワキとシテと二度、次第で登場するのを整理した形ですが、流れがすっきりするように思います。
鵺も白頭の小書により、位が重くなり後シテの舞もだいぶん変化しています。鵺という曲自体、単なる妖怪譚ではなく、どうも深い思いが秘められているような曲で、演じ手の能楽師の方もこの曲に思い入れを持っている方が少なくないようです。なにやら、鵺の言いようのない悲しみが伝わってくるような一曲です。

ところでこの日頂いたプログラム、解説を横浜能楽堂の山崎有一郎さんが書いています。その山崎さん、開演前にロビーでお見かけしたので、関係者席でご覧になるのかなと思っていたところ、見所後方の席にお着きになりました。しかも、仕舞・狂言を昼食時間にあてて離席される方が多い中、最初の連吟から、仕舞、能、狂言、すべて一番も外さずご覧になっていました。
私も全曲を拝見しましたが、正直のところかなり疲れました。たしか九十歳代半ばを過ぎておられると思うのですが、真摯な鑑賞姿勢としみじみ思った次第です。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

宗論さらにさらにつづき

浄土僧にやり込められた法華僧は、今度は自分もとばかりに立ち上がり、世上では浄土僧を愚鈍というなどと言い、先へも行かぬ黒豆を数え、と数珠を数える型を見せます。

黒豆数えについては、六字の名号を黒豆と言っているのだとか、数珠を言うのだなど、いくつかの説があるようなのですが、この日の演出だと、明確に数珠を数えつつ念仏を唱えることを指しているようですね。

法華僧は、自らの数珠を高祖日蓮上人の数珠であり、これを頂かしめと法華僧に迫りますが、一方の浄土僧は「日輪とやら、また月輪とやら」などと茶化したうえに、またまた数珠を振り回して、法華僧を追い込んでしまいます。

浄土僧から逃げようと、法華僧は浄土僧が調子に乗っている間に宿屋を見つけて、宿に入ってしまいます。小アド宿の主人の島田さんが立ち、法華僧とのやり取りになりますが、早速泊めましょうということになり、法華僧が部屋に入った形で地謡座に座します。

一方、浄土僧の方はふと気付くと法華僧が居ません。これはどうしたことかと舞台を見回しますが、大方宿を取ったのだろうと探し、宿屋の主人に案内を乞います。
小アドとのやり取りで法華僧が泊まっていること明らかになり、浄土僧は連れの者なので一緒の間に泊めて下されと願います。これを受けて主人は法華僧の居る部屋に浄土僧を案内する形になります。

驚いたのは法華僧で、別の部屋にしてくれと騒ぎますが、出家同士同じ部屋でよいでしょうと諭されてしまいます。また浄土僧は主人に、ほかに部屋はないのだろうと念を押し、法華僧はしぶしぶ同じ部屋で一晩を過ごすことになります。

すると早速に宗論となり、法華僧が自らの宗旨の法文を説きます。
さてこのつづき、もう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

宗論もう一日のつづき

法華僧の説く法文は随喜の功徳として、芋を植えて育てた後に料理して食えば、そのうまさに涙が出るという話をします。しかし浄土僧から、釈迦が芋茎(ズイキ)を料理して召し上がったなどということがあるものかと笑われてしまいます。

一方の浄土僧も一念弥陀仏即滅無量罪の法文を説きますが、こちらもお斎(オトキ)を頂く際に、何もなくとも南無一念弥陀仏即滅無量罪と唱えれば、ごぼう、はべんなど様々な食材があるかの如く観じられて斎をいただくことができると説きます。

これまた無茶苦茶な話で、今度は法華僧が浄土僧をなじります。
しかし法華僧が、様々に浄土僧を責めて言いつのっている間に、浄土僧は寝てしまいます。これに腹を立てた法華僧は自分も寝るといって横になりますが、浄土僧が静かに横になるのに対して、法華僧は飛び上がって一気に横になり、それぞれの性格付けがより強く表される感じです。

さて法華僧も寝てしまうと、朝になった態で浄土僧が起き出し、この度は踊り念仏を始めて法華僧を嬲ってやろうと、立ち上がり笠を叩きつつ南無阿弥陀と唱え始めます。

やがてこの騒ぎに起き出した法華僧も、負けじとばかりに南無妙法蓮華経と笠を叩きつつ唱え始め、二人で唱え合いになります。
いずれも負けじと大騒ぎしているうちに、途中で相手の言葉を言ってしまうという次第で、あっと気付いて二人とも口を押さえて下がります。

さて気分を変えて、仏の功徳を謡い舞し「今より後は二人の名を 妙、阿弥陀仏と申しける」と謡って止めになります。

狂言としてはなかなかの構成ですが、茂さんと逸平さんの技量もあり、楽しく拝見したところです。
(49分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

居杭 茂山千之丞(納涼狂言祭2009)

大藏流 国立能楽堂 2009.08.29
 シテ 茂山千之丞
  アド 茂山童司 茂山宗彦

この居杭(イグイ)という曲、シテ居杭の役を子供がするのが普通ですが、今回は八十歳代も半ばを過ぎた千之丞さんが勤めました。子供が演じる居杭はこれまでも観たことがありますが、私も大人の居杭は初めてです。

宗彦さんの解説などを聞いていると、子供か、あるいは老人が演ずる曲という決まりのようで、能でいえば鷺のような感じでしょうか。ともかく珍しい配役でした。

まず舞台にはシテ居杭が登場し、常座で名乗ります。いわゆる狂言出立です。この居杭、とある方に目をかけてもらっていて、それは大変有り難いのだけれども、呼ばれる度に頭を叩かれるので困っていると語ります。
そこで清水の観世音に祈誓したところ、頭巾を下されたといって、唐頭巾のようなものを取り出します。どの様な奇特があるのか、まだ分からない様子ですが、ともかくこれをもって、何某の家に行くことにします。

さて舞台を廻って何某の家にやってくると、シテは常座で案内を乞います。
長上下姿で控えていたアド何某が立ち上がってワキ座に出、居杭を迎える形になります。
何某は居杭がやってきたことを喜び、早速、良く来たななどと言いながら居杭の頭を叩きます。これを居杭は扇を持つ手を上げて受けますが、その後も何某との話が続く中で、度々何某が居杭の頭を叩きます。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

居杭のつづき

居杭というのは随分変わった名前ですね。
室町、戦国の頃、一般庶民が実際にどんな名前だったのか分かりませんが、おそらくこれはあだ名のようなものなのでしょう。
解説本などにあるように、出る杭は打たれるのことわざと頭を叩かれるということの連想からついた名前かも知れません。天正本では居杭は何某の従者という設定だそうで、家に居て食べさせてもらっているという意味で居食をかけているのでは、などという話も見かけます。

ともかく度々頭を叩かれた居杭は、清水の観世音から授かった頭巾を取り出して被ってみます。すると何某には居杭が見えなくなってしまいます。
何某が居杭は何処に行ったのかと探し、居杭は頭巾を外して姿を現します。

このやり取りで、頭巾を被ると自分の姿が見えなくなってしまうのだということに、居杭も気付きます。そこで何某との問答を続けるうちにまた頭巾を被り姿を消してしまう訳です。

居杭が姿を消してしまったために、何某は舞台を廻り、あちこち居杭を探す態になります。しかしいくら探しても見つかりません。
そこに登場するのがアドの算置。羽織に長袴、大髭をつけて頭巾を被り「占や算、占いの御用、しかも上手」と呼ばわりながら橋掛りを進んできます。

何某は早速この算置に声をかけて呼び入れ、居杭の行方を占ってもらうことにしますが、さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

居杭さらにつづき

算置は屋敷に招じ入れられた風で舞台に入り、五百八十年、万々年までご子孫ご繁栄の相などと追従を言って、何某を喜ばせます。
何某は失せものを占って欲しいと言います。算置はまず手占を置こうと言って左手を上げ、指を折って数えて失せものは生類かと言います。

何某は生類であると感心し、どこにいるか占ってくれと頼みます。算置はこれを受けて懐から本と算木を取り出し、本を広げ算木を置いて占いを始めます。

シテ居杭の千之丞さん、実にかわいらしい感じを出しています。子供と老人は一緒かも知れないと思うところで、この曲を成年の役者がやらないというのも理解できます。
一方、何某の童司さんは千之丞さんのお孫さんですから、さてやり難いのではと思わないでもないのですが、そこはそれ楽しい舞台が展開します。

算置の宗彦さん、いかにももっともらしい所作で算を置き、捜し物はこの家の内から出ていないと宣言。しかしどこにも見えないので、何某はどこにいるかを占ってくれと頼みます。件の居杭は地謡座にちょこんと座っています。

算置が占い、居場所を当てますが、何某が立って居杭を押さえようとすると、居杭は上手くかわして場所を変え、今度は二人の間に立ちます。
算置は再び占って居杭の場所を当てますが、居杭は再び場所を変えて橋掛りまで逃げてしまいます。

逃げた居杭は二人を喧嘩させてやろうと、算木を盗み、本を乱してしまいます。これを何某の仕業と思った算置と、言いがかりに腹を立てた何某が喧嘩になり、居杭はこれをあおるように、二人の耳を引っ張ったりなど悪戯をしかけます。
二人の喧嘩が激しくなってくると、頭巾を外して居杭が姿を現し、二人が居杭を追い込んで留になるという一曲。
よく観る狂言ではありますが、子供がシテだと、その所作のかわいらしさなどに目がいってしまい、あまり筋立ての面白さなどに気付かないでしまいますが、今回はなるほどこういう曲だったのかと、いささか感心して拝見しました。
(26分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

五雲会を観に行く

本日は宝生流五雲会に出かけました。能四番、狂言二番と番数の多い会ですが、若手中心の会だけに、いろいろと発見もあり楽しめることの多い会です。
本日、能四番は
 咸陽宮 シテ 朝倉俊樹
 敦盛  シテ 東川尚史
 半蔀  シテ 高橋憲正
 黒塚  シテ 大友順
また狂言二番は
 因幡堂 シテ 月崎晴夫
 舟ふな シテ 破石晋照
という番組です。

咸陽宮は金春流を除く四流が現行曲にしていますが、宝生流以外ではあまり上演されないようで、前回観たのも五雲会でした。他流の上演は観たことがありません。宝生流では二、三年に一度くらい、五雲会や夜能などにかかっているようです。ワキ方が活躍する珍しい曲で、短い能ですが、活劇としては面白いかな、というところです。

敦盛は割と良く演じられる修羅能。ワキが単なる僧侶ではなく、敦盛を討ったがために出家した熊谷次郎直実、出家し蓮生法師というのがちょっと凝っているところですね。このブログではまだ登場していませんでした。ちなみにこの蓮生法師、観世流では「れんせいほうし」と謡いますが、宝生では「れんしょうほっし」です。

半蔀、今回も高橋憲正さんがシテをなさるというので、吸い寄せられるように五雲会に出かけてしまったというのが真相です。今年は4月五雲会での竹生島も拝見していますが、序ノ舞を舞うような曲は3年ほど前の胡蝶以来。素人の私が言うのもなんですが、なんだか一段と上手くなられたように感じました。半蔀は英照さんがお元気な頃に拝見し感銘を受けた曲でもあります。

黒塚は観世流では安達ヶ原ですが、実は宝生流の黒塚は初めてです。このブログでは喜多流の粟谷明生さんと金春流の中村昌弘さんがなさったものの鑑賞記を載せていますが、やはり流儀、演者によって印象が違ってきます。大友さんの雰囲気からして、怒りよりも悲しみの能かなあ、と想像していましたが、本体は鬼女であるのに、悲しさに美しさが隠されているような印象でした。

狂言は、これまたよく見かける曲で、それぞれに面白く拝見しました。「舟ふな」は番組では竹山悠樹さんのお名前が上に書かれていたのですが、竹山さんが主人で、破石さんが太郎冠者でしたので、ここでは破石さんをシテと記載してみました。
鑑賞記はいずれ載せる予定です。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

死神 茂山千五郎(納涼狂言祭2009)

新作狂言 国立能楽堂 2009.08.29
 シテ 茂山千五郎
  アド 茂山あきら 丸石やすし 茂山千三郎
     鈴木実 増田浩紀

この死神は新作狂言で帆足正規さんの作。演出は千之丞さんです。帆足正規さんは森田流の笛方で、能、狂言の新作も数多く作られています。一昨年は「宇治拾遺物語」の「夢買ふ人の事」に題材を取った新作狂言「夢てふものは」を発表されて、私も国立能楽堂の舞台で拝見しました。(鑑賞記1

この死神はいわずと知れた落語「死神」とほぼ同じ展開ですので、落語に想を得て帆足さんが狂言化されたのだと思います。茂山家では機会ある度に繰り返し上演されているようで、新作としては人気曲ということのようです。

ところでその落語「死神」ですが、もともとの話はグリム童話だとか。どういう経緯かは分かりませんが、三遊亭圓朝が翻案して落語に仕立てたのだそうです。その後、落語でも定着して様々な落語家が演じていますが、それだけにサゲにも数多くのバリュエーションがあるようです。

それはさておき、ともかくこの日の狂言。
まずはシテの男、千五郎さんがうらぶれた様子で登場してきます。橋掛りをとぼとぼと歩く感じで進みながら、仕合わせが悪しうして、すっかりお金もなくなってしまったなどと苦しい様子を語ります。
こんなことでは死ぬしかないと、舞台に入ってもどうやって死のうかと様々に考える様子。このあたりは鎌腹とも通じるところです。
さらに橋掛りへと出て、こうなれば身を投げるしかないと欄干に寄ったところで、後に人影。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

死神のつづき

死神はあきらさん。白装束に面をかけて見事に死神になりきっています。
橋掛りの欄干に寄って身を投げようとするシテにそっと寄り添っていますが、気配に気付いた男が振り返ってビックリするという趣向。

男は身を持ち崩してもはや死ぬしかないと思うものの、死にたくはないという素直なところを明かします。
ところが死神が言うには、まだ男の寿命が尽きていないので、死のうとしても死ぬことは出来ないという話。仮に川に身を投げてもたまたま舟が通りかかって助かってしまうとか、寿命が尽きるまではどうしようもないという話です。

しかし、ただ生きていなければならないと言っても、それでは暮らしが苦しかろうと死神はやけに同情的です。なんでも男のことが気に入っているとかいうことで、暮らしのために助けてやろうと言い出します。

死神は男に、死神を見えるようにしてやろうと言います。
大病を患っているような人には死神が憑いているが、その死神が枕元にいるようなら命は助からない。しかし足許にいるならば、呪文を唱えると死神は去らなければならず、するとその人の命は助かるのだという話。
そして妙な呪文を教えてくれます。

本当にそんな呪文で役に立つのかと半信半疑の男ですが、一度で覚えられたか不安なので、これで間違いなかったか死神に聞こうと試しに呪文を唱えると、死神はくるくる回って姿を消してしまいます。
死神は切戸口から退場し、男もこれで何とかなると橋掛りを幕に走り入り、中入となります。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

死神さらにつづき

後場になると、とある金持ちの身内の者たち三人が登場してきます。こういう従者の長のような役は丸石さんにぴったりでありますね。

さて登場してきた男達は、主人の命が尽きそうなので名医を探すことにします。ちなみに主人は葵上と同じく正先に広げた小袖です。

男達が探し当てた風で橋掛りに入り、幕に向かって呼び掛けると、後シテが羽織姿で登場してきます。シテは「九尺の長屋のうちに・・・」と、葵上のワキの謡のパロディを謡う形。「三尺の越中を洗うところに 案内申さんとは どなたでござる」と笑いを誘います。

実は死神に教えてもらった方法で、一度は大金持ちとなったものの、運が離れてしまったのか、その後は病人を診る度に、死神が枕元に居て呪文を唱えることができず、男はすっかり落魄しています。そんな訳で、使用人達の申し出に、早速に金持ちの屋敷に向かうことにします。

さて屋敷に来てみると、小袖の足許には妻の千三郎さん、そして枕元には面を換えた死神Bが座っています。この曲、死神がA、Bと二人出てきますが、どちらもあきらさんが演じていました。
ともかく死神が枕元にいては呪文を使っても、助けることはで来ません。
男はがっくりしてしまい、妻が何とか助けてくれと言っても、寿命なので仕方ないと説明します。

何とか主人の命を助けたい妻は、ともかく何か療法をして欲しい。もし治ったならば千金を差し上げようと言います。
男は例え千金でも・・・と言いかけて、千金に驚き、なんとかこの金が欲しくなってしまいます。
さてこのつづきもう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

死神さらにさらにつづき

さて千金の金が欲しくてたまらないシテの男、橋掛りに退いてしばし一計を案じます。
やがてなにやら思いついた風の男は、身内の男を呼んで指図をします。その指示というのは、自分が療法をしている際に合図をしたら、急いで寝ている病人を持ち上げて頭と足を入れ替えよということ。
枕元に座っている死神を足許にしてしまおうという魂胆です。

男は病床によってムニャムニャと経文を唱える風。しばらくそうしていると、死神が眠そうな様子になってきます。
男が様子を見ながら唱え続けていると、やがて死神が寝入ってしまいますが、男はこのときとばかりに合図をし、当家の男達が急いで病人・・・実は小袖ですが・・・を持ち上げて向きを反対にします。

寝入っていた死神が目を覚まし、自分が病人の足許側に座っているのに気付いて驚いているところに、男が件の呪文を唱え、死神は姿を消してしまう、というわけで切戸口から退場してしまいます。

まんまと千金を得た男、急いで家に帰ろうと橋掛りに進むと、そこに最初の死神が登場。男の仕業を咎めるという次第です。
死神は自分についてくるようにと言って舞台に入り、男がついていくと明るいところに出たという設定。たくさんのろうそくが燃えている場所に出ます。

男が聞くと、その一本一本のろうそくが人の命で、男のろうそくは消えかかっています。なんとか助けてくれとすがる男に、死神は間違って死んでしまった人物の燃え残りのろうそくを渡し、それに上手く火が移せれば助かるといいます。
男はろうそくを受け取って、なんとか火を移そうとしますが、死神がそんなに手が震えていると消えてしまうぞと脅し、最後に本当に火が消えて男は死んでしまうという話。

落語と同じ展開ですが、正直のところ、せっかく狂言にするのなら最後の所は原作と違っても、もう少し工夫しても良かったのでは、と思った次第。一人で演じる落語と違い、男と死神と二人が出ているので、狂言の留らしい終わり方もできたように思うところですが、なんにつけても全体としては面白い舞台でした。
(45分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

養老 水波之伝 梨良一(閑能会別会)

観世流 観世能楽堂 2009.9.12
 シテ 高梨良一
  ツレ 関根祥丸、天女 長宗敦子
  ワキ 宝生欣哉
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌隆之

養老も割と上演の多い曲で、久しぶりに大角さんの観世流上演回数調べを見てみると52位、脇能としては高砂に次いで2番目に上演の多い曲になっています。

後場で神が出現し神舞を舞うという基本は、いわゆる本脇能の曲と同じながら、高砂や弓八幡などと比べると、いささか破格の所があります。前場にクセを欠いているといった構造的な問題もありますが、本脇能であれば前場で登場する老人が神の化身であり、後場でその本体を現すという設定になるところ、この曲の前シテ、前ツレの老人と若者はあくまでの生身の人間で、後シテと別人格になっています。このあたりのいささか型を破った具合と、長寿を言祝ぐ気分などが好まれたところかも知れません。

さらに言えば、後場の詞章では「君は船 臣は水 水よく船を 浮べ浮べて」と、君臣の道が謡われているように、能楽の式楽としての側面を考えると、これは人気があっても当然と思われるテーマ設定になっています。

この日はさらに水波之伝の小書が付いており、いかにも観世流らしい華やかな演出でした。興趣をそそる小書のため、むしろこの小書を付けて演じられる方が、小書無しよりも多いくらいです。もっともこの水波之伝では間狂言が省略されてしまいますが、この曲には和泉流の替間「薬水」があり、これもなかなか面白いので「薬水」が観たければ水波之伝の小書は付けない形ということになりますね。

何はともあれ一同着座すると、真ノ次第が奏されてワキの一行が登場してきます。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

養老のつづき

真ノ次第でワキ宝生欣哉さんを先頭に、ワキツレ館田さんと御厨さんが登場してきます。ワキの狩衣は褐色(かちんいろ)でしょうか、欣也さんの装束でこの色はこれまで見た記憶が無いのですが、これに白の大口を付けた大臣姿。ワキツレのお二人は、いわゆる赤大臣です。

登場した一行は、舞台上で向き合って型通りに三遍返しの次第を謡い、雄略天皇に仕える臣下と名乗った後、道行を謡って美濃の国養老の滝にやって来た形になります。次第の地取りもいささかテンポが速く、小気味よい感じです。
着きゼリフがあり、館田さんが「然るべう候」と答えて、一同ワキ座へ向かい着座します。

代わって囃子は真ノ一声となり、シテ、ツレの登場となります。
まず先にツレ祥丸さんの登場。段熨斗目に草色の水衣、白大口を着けて、左手には背に負った柴の綱を持ち、右手には小さな桶を持っています。常の形では持ち物を持たずに登場しますが、負柴に桶は小書のためか替の形ですね。

後から小格子厚板に水衣、白大口に右手に杖を持ったシテが登場してきます。こちらは常の形に変わりませんが、脇能の前シテとしては一般的な形ながら、私としては前々から気になっているところが一つ。実はこの前シテ、肩上げをしていません。脇能の前シテは大口に水衣の老人姿というのが多い訳ですが、普通は水衣の袖を少し持ち上げて肩のところで糸でとめてあります。前場の途中で正中に座し、いわゆる居グセの形になるところで、この肩上げを下ろすのが普通です。
ところがこの養老では、シテが最初から肩上げをしない形で登場してきます。昨日も書いたように、この曲はクセがありませんで、いささか形が他の本脇能とは異なっています。そのためということもあろうかと思います。
また、この曲の前シテは生身の人間で、神の化身ではありません。肩上げをして登場し、途中で肩上げを下ろすのは、普通の人ではないことを表しているという話がありますが、そう考えると、生身の人間だから肩上げをしないのかも知れません。いずれにしても細かい装束の取り扱いですが、気にして観てみるとなかなか興味深いものがあります。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

養老さらにつづき

登場したツレとシテは、一ノ松と三ノ松に立って向かい合い。一セイを謡います。続いてツレの二の句、祥丸さんは7月の花祥會で拝見して二月足らずですが、謡の声がさらに安定されたような感じを受けました。

ツレの二の句から二人「行くこと易き心かな」と謡って舞台へと進みます。ツレが正中に、シテが常座に出てシテのサシ「故人眠り早く覚めて夢は六十の花に過ぎ」から、二人の謡が続きます。笛のアシライが趣きあるところ。

小謡でも謡われる上歌「長生の家にこそ・・・」をシテ、ツレが謡い、その終わりに立ち位置を換えて、シテが正中へ、ツレが目付へと進みます。ワキは立ち上がり、二人の上歌が終わると「いかにこれなる老人に尋ぬべき事の候」と問いかけます。ワキは養老の滝を親子が見つけた話を知っており、その親子かと問いかける訳です。
二人がその通りと答えると、ワキが帝よりの勅使であると名乗り、二人は退って下居します。

さてワキの勅使は、泉を養老と名付けた謂われを詳しく述べるようにと促し、シテがこれを受けて、ツレとの掛け合いの形で、泉を見つけた息子が家に水を汲んで帰り、父母に飲ませた子細を語ります。
ワキはその泉はどこかと尋ね、シテが「御覧候へこの滝壺の少し此方の岩間より、出で来る水の泉なり」と示し、ワキはワキ座から階の先の方を見ます。ちょうど合わせるように、シテは正中から前方を、ツレは目付から階の先の方を見やる形になり、三人の視線の先に滝が現れる訳です。

シテ、ワキの掛け合いから、地謡がこれを受けて上歌「老をだに養はば」と謡い出し、ツレが地謡前に下がる一方で、シテは一度目付へ出てから正中へ戻り、常座に下がって開いた後、正中へ進み出て下居します。シテの動きはサラサラとした感じで、謡も流れるような小気味よい運びです。
地のクリからシテのサシ。本来の形式なら次はクセになるところ、地謡、シテの掛け合いから、地の下歌、上歌と続いていきます。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

養老さらにさらにつづき

地の下歌「曲水に浮かむ鸚鵡は」でシテが杖を取って立ち上がり、常座へと進んでロンギになります。地との掛け合いで謡いながら、シテは舞台を廻り大小前へと進んで下居します。
ワキが「実にありがたき薬の水・・・」と言い、シテ、ワキと詞から謡に展開して、中入前の地謡の上歌「言ひもあへねば不思議やな・・・」となります。シテはこの謡に杖取って立ち上がり、そのまま橋掛りへと進みます。

この曲の前ツレはなかなか重い役ですが、水波之伝の小書では特にこの中入が重い形になります。シテが橋掛りに歩みを進めていく一方で、正中へ立って正へサシ込み開きした後、既にシテが幕に入ってしまった後を「これただ事と思はれず」と橋掛りへ進み、途中一ノ松あたりからやや歩を早めながら、来序で中入をします。常の型ではシテ、ツレともに来序で中入りし、代わって狂言来序でアイが登場してきますが、小書によって型が変わる訳です。

水波之伝の小書では間狂言は登場せず、ツレが来序で中入りすると、一呼吸置いて出端の囃子が奏されて、後ツレ天女が登場してきます。
白の舞衣に緋の大口、天冠を着けた天女が橋掛りを進み、一ノ松で開きます。
笛が舞の譜、カカリを奏して、天女は天女ノ舞を舞いつつ舞台に入ってきます。なかなかしっかりした舞。

さてツレの舞の途中で幕が巻き上げられ、半幕でシテの姿が現れます。幕は直ぐに下ろされますが、天女ノ舞を舞い上げた後ツレは小鼓の前あたりに立ち「ありがたや治まる御代の習とて 山河草木穏やかに」と、本来は後シテが謡うサシを謡います。
いよいよ気分の盛り上がるところ、このつづきはもう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

養老もう一日のつづき

さてツレがサシを謡い、最後にワキに向かってサシ込み開くと地謡「これとても誓いは同じ法の水」の謡になり、幕が上がって後シテが登場してきます。
後シテは袷狩衣を衣紋付けにし、半切に、芍薬の花をあしらった玉冠を着けています。この玉冠は水波之伝の時にのみ用いられるものとか。面も常の邯鄲男から三日月に変わって、だいぶん印象が違います。

地謡に続いて「我はこの山 山神の宮居」と謡いつつ、シテは橋掛りを進みます。次の「又は楊柳観音菩薩」の句はツレ天女が謡い、シテは一ノ松で「神と云ひ」と受け、ツレが「佛と云ひ」と謡って、シテは舞台に入ります。
後シテの一セイ「ただこれ水波の隔にて」でシテは常座に出て天女と向き合う形になり、地「衆生済度の方便の声」シテ「峰の嵐や谷の水音滔々と」とシテは目付へ行きカカリ、一つ足拍子を踏んで下を見回します.
地謡が気を変えて運びを早める中、ツレが下がり、シテは答拝して神舞となります。

神舞は常の形よりも緩急がつき、さらに四段で盤渉調になります。なかなかに面白い舞を舞上げると、シテのワカで上げ扇。地謡が受け、さらにシテが目付に出て「水滔々として波悠々たり」と謡うとイロヱになります。
目付から舞台を廻って橋掛りへと入り、一ノ松で左袖を被き、戻して再び舞台へ入ると正先へ出ます。短い所作ですが、興趣を深めます。

シテは先ほどの謡のつづき「治まる御代の 君は船」と謡いつつ大小前に進みキリ。最後は「浮き立つ波の 返す返すもよき御代なれや」と正先で袖巻き上げて常座へ進み、直して留拍子を踏みました。
鑑賞記の初日にも書いたように観世流らしい華やかな演出で、これは好まれるだろうなと思うところ。面白く拝見しました。
(80分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

瓜盗人 善竹十郎(閑能会別会)

大藏流 観世能楽堂 2009.9.12
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹富太郎

ふと調べてみると一昨年、平成19年の閑能会別会でも十郎さんの瓜盗人が出ています(鑑賞記1)。昨年は観ていないので分かりませんが、一昨年と同じ曲というのも不思議な感じです。ただし19年はアドに大倉教義さんが出ていましたが、今回は富太郎さんということで、思いのほか雰囲気も違ってきました。

この曲、水掛聟などと同じように、アドとシテが交互に舞台に登場する形で進行するという、いささか複雑な構成のため、上演時間も長めです。
まず舞台上にはアド畑主の富太郎さんが登場してきます。畑に見立てた舞台を見回り、瓜が盗まれているのに気付き、一計を案じて案山子を作ることにします。
昨年の野村狂言座、石田幸雄さんシテの瓜盗人の鑑賞記()にも書きましたが、和泉流の形では最初に畑主が出たところでは、まだ瓜が盗まれていません。畑主は用心のため案山子を作って退場する形です。盗人の性格付けが違うのですが、それぞれの主張があるようで興味深いところです。

さてこの案山子ですが、今回は正面後方の席だったため、作る様子もよく見えました。烏帽子とうそぶきの面をどう組み合わせているのか、今一つよく分からなかったのですが、鞨鼓の側面にうそぶきの面をくくりつけ、烏帽子を被せて、ちょうど人の頭のように作られています。最初に思いついた狂言役者はたいしたもの、と思うような出来です。
鬘桶に割竹を置き、水衣の袖を竹に通して体のような形にし、面と烏帽子を組み合わせた頭部を乗せると、見事に案山子が出来上がりました。

案山子に加えて垣を直そうとあれやこれやの作業をして、アドが退場します。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

瓜盗人のつづき

アドが退場すると代わってシテの盗人が登場してきます。
十郎さんの演じる盗人は、瓜を盗んでしまったことを後ろめたく思っている様子で、たまさかの出来心で盗んだ瓜をさる方に差し上げたところが、さらに所望されてしまったのでやむなくまた盗りに来たと語ります。

和泉流石田さんの盗人では、うち続く不仕合せで困っていたところ、畑に瓜が色よくできていたので「案内無しに瓜を少々物して」商売しようと、夜になるのを待って畑にやって来ます。
並べて書いてみると随分と設定が違いますね。どちらが先なのか分かりませんが、それぞれに考えがあっての設定なのでしょう。同じ曲ですが味わいがだいぶん違ってきます。

さていざ瓜を取ろうとすると枯葉を掴んでしまい、夜目が利かぬ時は転びを打てというのを思い出して、転がって瓜を取るのはいずれも共通です。
この転がって取る際、十郎さんの形では、まずワキ座のあたりから目付に向かって転がり、体の脇に瓜を見つけます。
次は目付からワキ座の方へと転がって、頭の所に瓜を見つけて、これは枕瓜としゃれます。マクワウリにかけた訳ですが、古くから・・・どうも縄文時代からマクワウリは日本にあったようで、美濃の真桑で多く作られたことからこの名があるとか。私が子供の頃までマクワウリは食べられていましたが、マクワウリと西洋メロンを掛け合わせたプリンスメロンが出回ったあたりから、だんだん見られなくなってしまいました。

それはさておき、三度目に常座からワキ座の方へと転がって案山子に行き当たり、人がいたと大騒ぎします。許しを請うたりしますが返事がないので案山子と気付く訳です。
これに腹を立てて、瓜蔓を引き立て、垣を引き抜いて散々に腹いせをして退場するのは常の通りです。帰ろうと橋掛りへ進みかけますが、瓜を忘れたと立ち止まって戻り、懐に瓜を入れる所作を見せてから、あらためて退場となりました。
さてこのつづき、もう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

 | HOME | 

カレンダー

« | 2009-09 | »
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad