能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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半蔀さらにつづき

ちょっと間があいてしまいましたが、高橋憲正さんの半蔀の続きを・・・
ワキは夕顔の花の主は誰かと問いますが、シテは名をはぐらかし、地謡の「五条あたりと夕顔の」の謡に暗示させるように舞台を一回りすると「立花の蔭に隠れけり」と中入になります。一噌流なのでここは送り笛で退場。趣きある後ろ姿です。
前場は凝縮されて短く、シテ、ワキのやり取りも簡単です。

中入ではアイの居語りで、光源氏と夕顔の話を述べ、さらにワキ僧に五条あたりに行ってみるようにと勧めますが、アイの竹山さん最近ちょっと太られたかなあ、などと思いつつ聞いておりました。

アイが狂言座に下がると作り物の半蔀屋が持ち出され、常座に据えられました。
半蔀というくらいで、正面の部分は半分から上だけになっており、夕顔の蔓が絡み小さな金銀の瓢箪様のものが付けられています。

以前、金春の半蔀の鑑賞記を書きましたが、金春流では引廻しを掛け、中にシテが入った形で作り物を出します。金剛流も引廻しを掛け、シテが中に入って出す形で、喜多流も確か引廻しを掛けて出したと思います。
引廻しが掛かっていると、一声の囃子で引廻しが下ろされた時、見所は夕顔の蔓が絡んだ半蔀越しにシテの姿を認識することになります。見えるようで見えない半蔀越しのシテには、深い風情を感じるところです。

一方、この日は半蔀屋が先に出されているため、一声の囃子で後シテが橋掛りを進み、作り物に後ろからはいるかたちになります。この形だと、見所はシテの全身を先に見てしまう訳で、引廻しが下ろされた時のような「ホーッ」という感じは無くなりますが、これはこれで能らしい演出かなあなどと思ったりもします。
上掛りはこの形が普通と思いますが、それぞれに主張があるのでしょうね。

ともかくシテは一声の囃子で揚げ幕から浅葱の長絹、緋の大口の姿を現し、舞台を静かに進んで作り物に入り一セイを謡いました。地との掛け合いから地謡の下歌となりシテは作り物の中で床几にかかります。
さてこのつづきはまた明日に
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半蔀さらにさらにつづき

ロンギでシテと地謡の掛け合いとなり、シテ「さらばと思ひ夕顔の 地「草の半蔀押し上げて」で、後見が突竹で蔀戸を押し上げます。この突竹にシテが左手を添え、あたかもシテ自身が蔀戸を突き上げたように見えるところが興趣をそそるところです。
これは各流とも共通のようですが、まあこの曲の見せ所の一つということでしょう。

半蔀を突き上げるように立ち上がったシテは、そのまま作り物を出て目付から大小前へと舞台を廻ります。
大小前に戻ってクセ。舞グセで、曲舞の基本の形をなぞりますが、光源氏との馴れ初め、その喜びの思いを舞う形。優美な見せ所です。

クセの終わりに大小前左右、打ち込んで「折りてこそ」と扇閉じつつ後見を向いて装束直し、序ノ舞へと入っていきます。
シテの高橋憲正さん、本当に舞上手と思うんですよね。長いはずの序ノ舞が時間の経過も怪しくなる感じです。特に激しい感情のある曲でもなく、ここは昔を懐かしむ、しかも昔を振り返ることからの苦しみのようなものはありませんから、穏やかで優美な序ノ舞らしい序ノ舞を堪能することになりました。

舞上げると、源氏の返歌「折りてこそ それかとも見め 黄昏に」と謡っての上げ扇。さらに、過ぎし日を思う心で舞いますが、「鐘も頻りに 告げ渡る東雲」と目付へ向かって雲扇。明け方近い時刻に、目付へ出て扇を左に取り、舞台を廻って正中から作り物に向かい、振り返ってワキにハネ扇。そこから「また半蔀の内に入りて」と作り物に前から入り、正面へ向き直って戸を下ろす形で留となりました。優美な一曲でした。

なおこの曲、作者は内藤左衛門という室町時代の素人と言われていますが、構成といい詞章といい、なかなかに作能に長けた方のようです。なお曲名半蔀は半分の「蔀戸:しとみど」で「はしとみ」ですが、観世流のみ「はじとみ」と濁ります。
(82分:当日の上演時間を記しておきます)
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萬狂言水戸公演を観に行く

毎年せっかく水戸まで来ていただける機会なので積極的に観に行けばよいのですが、何かと用事と重なったり、はたまた昨年のようにチケットを買い込んでおきながらインフルエンザで寝込んでしまったりと、遠ざかっている萬狂言水戸公演。18年の秋以来ですが、今日は久しぶりに観に行ってみました。

曲は寝音曲と禰宜山伏。寝音曲は萬さんや万作さんのシテでも何度も見たことのある曲で、このブログでも昨年3月の万作さんシテの鑑賞記を載せています(鑑賞記1)。また禰宜山伏の方も、こちらは大藏流ですが大藏千太郎さんのシテで拝見したものの鑑賞記を載せています(鑑賞記1)。いずれも珍しい曲という訳ではありませんが、そうは言っても萬さんの寝音曲に万蔵さんの禰宜山伏というのは、やはり興味あるところ。禰宜山伏では眞之介クンが登場、虎之介、拳之介、眞之介の万蔵さんのお子さん三兄弟の三番目、6歳の子方であります。
という訳で、二曲楽しく拝見したところです。鑑賞記はいずれ・・・

以前にも書いたような気はするのですが、水戸の芸術館はなかなか素敵な舞台です。
ACM劇場とATMコンサートホール、それに現代美術ギャラリーが複合されていて、20年前にこの芸術館が完成したときは、地元民としては正直言ってビックリしたものです。地方に良くある万能ホールではなく、あえて小規模の、しかもACM劇場はシェークスピア時代のグローブ座にも通じるようなデザイン。
これは当時の佐川一信市長の情熱の産物でもあるのですが、このあたりの事情は芸術館のホームページを御覧いただけると幸いです。

さて繰り返しになりますが、グローブ座にも通じるこのACM劇場の舞台が、また能狂言にもフィットするんですね。正規の能楽堂でない舞台で、こんなに能狂言がしっくりおさまる舞台も珍しいと密かに思っています。
もう一日、芸術館を巡って書いてみようと思います。
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水戸芸術館の話

昨日に引き続いて水戸芸術館の話をもう少し。つい先日はここで松坂慶子さんの天守物語を観ました。朗読劇という趣向で、松坂さんがライフワークにされている作品ですが、この作品の構成に故五世万之丞さんが関わっておられたのも何やら因縁めいて感じられたところです。

このブログは能狂言に絞っているので、その他の話は基本的に書かないことにしています。そのため、時々水戸芸術館で見ている演劇の話などは触れないで来たのですが、今回の天守物語は万之丞さん(八世万蔵を追贈)が関わっていたことでもあり、少しだけ書いておきたいと思います。

この天守物語は泉鏡花の戯曲ですが、朗読劇という設定の通り、まさに詞章は泉鏡花の書いたまま。とおりゃんせの歌を歌いながら、松坂さんが客席を通って舞台に上がり、舞台上の三宝に置かれた本を取り上げて、物語の世界が展開していくという趣向です。

上演の度に少しずつ演出を変えているそうで、前回までは松坂さん以外の登場人物も本を読みながら演技するという形を取っていたのだそうですが、今回は、松坂さんだけが本を読み上げながら演技をし、他の役者さん達は、通常の劇のような形で普通に演技して展開しました。

興味深かったのが音楽。二人の演奏家が舞台上で様々な楽器を奏して、劇の進行を助けます。風の音、登場楽、擬音、様々な音が、見たこともないような不思議な楽器を含めた、いろんな楽器で奏でられます。上演後のトークショーで紹介があり、これまた興味深く拝見したところです。自作のものも少なくないとか。

劇の最後は大田楽という趣向で、子供達も登場してのフィナーレ。この演出が亡くなった万之丞さんのものだそうです。お若いのに、本当にもったいないことだったなあと、しみじみ思う次第です。

ともかくACM劇場の空間は舞台と客席に一体感があり、トークショーも含めて、劇場全体が一つの時間を共有しているような感じに包まれます。しかも市の負担などもあって、チケットも割安の設定です。地方都市に文化を花開かせたいという、熱い思いの結果ですが、市の財政負担は重くて運営が難しいようですね。いつぞや市村正親さんの一人芝居をテアトル銀座に観に行って感心して帰ってきたところ、水戸芸術館でも同じ公演があり、しかもチケットが割安だったことがありました。あれは驚きでしたが・・・

再来週は鹿賀丈史さん主演の錦繍、来月は梅若玄祥さんの新作能花供養の再演を観に行く予定です。
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索引の更新

この夏以来、鑑賞記の索引を更新していなかったので、久しぶりに更新をしました。
今回は「能の鑑賞記 索引」に、7月に観た金春流山中一馬さんの葵上から、9月に観た宝生流高橋憲正さんの半蔀までの九番。「狂言鑑賞記 索引」には、4月の和泉流吉住講さんの蝸牛から、9月の和泉流月崎晴夫さんの因幡堂まで十六番を追加しています。

狂言鑑賞記の索引の方は半年以上更新していなかったようで、いささか番数が多くなっておりますね。
索引に転記しつつ鑑賞記を振り返ってみると、それぞれに記憶がよみがえってくる感じです。

今回の更新に際しては、曲を追加したほかに、曲毎のリンクの右端に「月リンク」という項目を設けてみました。
私のブログの設定では、新しい記事には最下段に「次のページ≫」とか「≪前のページ」といったナビゲーションが出ています。前後の記事に移る時に便利なのですが、ある程度古くなった記事では、このナビゲーションが出なくなってしまいます。

索引では、曲毎に鑑賞記初日の記事の「永続的アドレス」にリンクをはってありますが、これだと古い記事では、ナビゲーションが表示されません。このため二日目以降の記事に移るためには、アドレスを直打ちするなどの必要が出てしまいます。

このため、その初日の記事が含まれる月の一覧画面を呼び出すリンクを「月リンク」として記載してみました。
一月分が新しい順に一画面で表示されるため、その中のどこに目的の記事があるのか探す必要はありますが、二日目以降の記事も同じ画面のスクロールで見つけることができます。月をまたいでしまっている時は、左側の「月ごとに」の欄から、次の月を選ぶことで表示させることができます。
本当はブログの設定自体を変えれば良いのですが、この設定方法が今一つ理解できませんので、やむなくこんな形を取りました。よろしくお願いします。
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舟ふな 破石晋照(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2009.9.19
 シテ 破石晋照
  アド 竹山悠樹

この曲、19年6月五雲会の際の鑑賞記をブログに載せています。シテ太郎冠者が高部恭史さん、アドの主人が野村万蔵さんですので、今回の和泉流野村万作一門とは基本的に同じ形です。

まずはアドの主人が先に立って登場し、しばらく物見遊山に出かけていないのでどこかに出かけようと思うがどこへ行こうか、と太郎冠者を呼び出して相談します。

太郎冠者はしっかり者の雰囲気で、西の宮に行かれたことがないだろうか、西の宮に行ってはどうかと答えます。
この曲、とぼけた主人としっかり者の太郎冠者というタイプの設定で、この逆の曲もありますが、萩大名など好まれる曲が多いパターン。しかし私思うに、どちらかというと竹山さんが真面目な雰囲気の芸風ですし、破石さんの方が剽げた感じがあり、配役としては逆の方が落ち着きが良い様な感じです。もっともそれで固定してしまっては芸域が広がりませんから、これまた有りということなのでしょうね。

ともかく二人は早速に舞台を廻って西の宮へ向かいます。
舞台を一回りすると、主が「大きな川へ出た」と言って驚きます。これにシテ太郎冠者はいささか呆れた風で、この川をご存知ないかと問います。知らぬと言うアドに、これは神崎の渡しという有名な川だと教える太郎冠者。このあとの展開が想像されるところです。
さて川を渡らねばなりませんが、まずは主人が徒渡り(カチワタリ)に出来まいか、と問います。これにシテが徒渡りで渡れるような川ではないと答えると、それならば「なんぞ乗る物が有るか」とアドが問いかけます。
いよいよ舟が登場してきますが、このつづきはまた明日に
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舟ふなのつづき

アドが向こうに物が見えるのであれを急いで呼べと言い、これを受けてシテが扇を広げて招く形で「ほーい ふなやーい」と呼びます。
これを聞きとがめたアドが、「ふな」ではなく「ふね」と呼べと言って論争になる訳です。

シテ太郎冠者は、近い例として、向こう岸とこちらの岸を何というかと主人に問います。もちろん船着き、フナツキで、主人は太郎冠者に言い負かされてしまいます。しかし「船着き」は仕方ないとしても、あれは「ふね」だと言い張る主人に、太郎冠者は「ふなきをふ 堀江の川のみなぎはに きいつつなくは都鳥かも」と歌を示し、「ふね」であろうというわけです。

この後、太郎冠者があと二首、都合三首の歌を示しますが、主人の方は「ほのぼのと 明石の浦の朝ぎりに 島かくれゆくふねおしぞ思ふ」というただ一首の歌を、早口で繰り返したりして、対抗するというのが見せ所。
太郎冠者の示す三首は流儀によって、家によって、出てくる順序も違うようだという話は以前にも書きましたが、この日は次の通りでした
まず最初の「ふなきをふ 堀江の川のみなぎはに きいつつなくは都鳥かも」
次に「ふな人も 誰をこふとか大島の 浦かなしげに声ぞ聞こふる」
三首目は「ふな出して跡はいつしか遠ざかる 須磨の上野に秋風ぞ吹く」

これに対して同じ歌を繰り返す主人は、最初の歌は柿ノ本の人丸の歌、二度目は僧正遍正の歌、三度目は小野小町の歌と言います。

負け続けの主人は次は仕方で、と「山田矢ばせの渡し舟の夜は通ふ人なくとも 月のさそはばおのづから ふねもこがれていづらん」まで調子よく謡い舞いますが、そのつぎの「ふな・・・」と謡って慌てて口に手を当てて押さえます。
しかしその後を知っている太郎冠者が「ふな人もこがれいづらん」と謡い、主人が「時々は主にも負けていよ」と叱って留。
入門的な狂言ですが、楽しく拝見しました。
(12分:当日の上演時間を記しておきます)
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黒塚 大友順(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2009.9.19
 シテ 大友順
  ワキ 殿田謙吉、アイ 月崎晴夫
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 金春國和、笛 寺井宏明

九月五雲会の最後は黒塚。日頃、地謡や後見などで拝見する大友さんの雰囲気からすると、怒りを募らせる黒塚の鬼女・・・というのはちょっと想像しがたい感じもあるところ。むしろ独り住む鬼女の悲しみの方に力点が行きそうな思いを持ちつつ拝見しました。

ところで黒塚ですが、このブログではブログを始めて間もない18年秋に、喜多流粟谷明生さんと金春流中村昌弘さんの黒塚の演能について鑑賞記を書いています。(鑑賞記を含む月の記事一覧へのリンク・・・いずれも18年9月)
その際も書きましたが、この曲、いろいろと考えさせられるところのある曲です。またその時にも書きましたが、観世流だけは安達ヶ原の名になっています。

さて舞台の方は、囃子方、地謡が着座すると、後見が紫の引廻しを掛けた萩小屋の作り物を持ち出してきて大小前に据えます。後見が下がると次第の囃子。ワキの出になります。ワキ殿田さんは紺地の水衣に篠懸をかけ、白大口を穿き兜巾を着けて山伏姿での登場。ワキツレは御厨さんで、こちらも山伏姿ですが、柿渋のような色目のヨレの水衣で白大口、兜巾の姿です。
二人は向かい合って次第「旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の 露けき袖やしほるらん」を謡い、ワキがサシ謡で那智の東光坊の阿闍梨祐慶であると名乗ります。
さらに祐慶が廻国行脚を志し、本山を立ち出でてはるばる陸奥は安達ヶ原にやって来たことを謡います。

謡い終えたワキは、日が暮れてしまい近くに人里もないことを語り、火の光が見えるので立ち寄って宿を借りようと言って、ワキツレともどもワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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黒塚のつづき

ワキ、ワキツレが着座すると、引廻しが下ろされて萩小屋の中のシテが姿を現します。
まずはシテのサシ謡。独り詫び住まいする自らの身上の悲しみを謡います。大友さんの謡は、やはり大変優しい雰囲気で、これが悲しみを誘う感じです。

シテの謡が終わると、ワキは小屋の内に案内を乞います。シテが如何なる人かと問いかけ、ワキはこれに答えて名乗り一夜の宿を乞います。シテはこれを断りますが、今度はワキツレが陸奥、安達ヶ原に行き暮れてしまい宿を借りる伝もない、どうか泊めて欲しいと頼みます。
これにもシテは、こんな草庵にはとても泊めることはできないと重ねて断りますが、ワキがさらに宿を乞い、そのワキとシテの掛け合いから、地謡が「さらばととまり給へとて」と謡います。シテはこの地謡の最初のところで膝を立て、さらに立ち上がって「枢を開き立ち出づる」と戸を開きつつ作り物の萩小屋から出てきます。

シテは「異草も混じる茅筵」で正中へ出て下居し、ワキはワキ座に下がります。またこの地謡のうちに、後見が枠かせ輪(ワクカセワ。カセは木偏に上下、峠や裃の山偏・衣偏の代わりに木偏を書いた字)を持ち出してきて目付に置きます。

この枠かせ輪を置く位置、以前の鑑賞記に書いたように、今回のように目付にする場合と正先に置く場合と両方ありますが、見た目のバランスからすると、目付に置いた方がおさまりが良いように思います。
しかし、枠かせ輪の前から立ち上がり退場する時に、萩小屋に対してどのあたりを通るかを考えると、また違いがあります。目付よりも正先に置いた場合の方が、萩小屋の直ぐ側を通る形になるので、これはまた格別な意味を持つように思います。

ともかくシテの謡が終わると、ワキが枠かせ輪を見て問いかけます。
このつづきはまた明日に
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黒塚さらにつづき

ワキが枠かせ輪を見て、何というものかと問いかけます。シテは「わくかせわ」というものだと答え、これにワキは今宵のもてなしに営うで見せて欲しいと頼みます。

アシライでシテは立ち上がり、目付に進んで枠かせ輪の前に座して謡い出し、ワキとの掛け合いから地次第、サシ、クセへと、シテは糸繰るように枠かせ輪を廻し、生死輪廻をめぐり謡が続きます。

クセの終わりでシオリの後、ロンギ。シテは輪を廻し「月に夜をや待ちぬらん」と一度少しばかり面を上げて、再び直して輪を廻しますが、地謡の「長き命のつれなさを」で輪を廻す手が早くなり、「音をのみひとり泣き明かす」と輪から手を外してモロシオリとなります。
この輪を廻す速さ、手の延べ方など、演者によって様々に仕様のあるところですが、大友さんはあまり激情に触れるような感じではなく、全体的にはゆっくりと、静かな様子を見せました。

さてモロシオリから直したシテは、気を変えて「あまりに夜寒に候ふ程に・・・」と山に木を取りに行って焚き火を当てようと申し出ます。
ワキは止めようとしますが、シテは大丈夫だと言って山に上ることにし、ワキが「さらば、やがて御帰り候へ」と言うと、シテが立ち上がって目付で後ろを向き、ワキ正側を常座に向かいます。
しかし常座で振り返ったシテは「なうなう 妾が帰らんまでこの閨の内ばしご覧じ候ふな」と念を押します。ワキは「言語道断」と否定しますが、シテはさらにワキツレに対しても「此方の客僧もご覧じ候ふな」と念押しをしてから静かに退場します。

このあたりも割合サラッとした感じで、異様な恐ろしさのようなものは、あまり感じませんでした。シテのキャラクターもあるところでしょうね。
変わってアイの能力が常座に出てシャベリます。
このつづきはまた明日に
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黒塚さらにさらにつづき

黒塚のアイ、大藏流と和泉流での違いを以前書きましたが、月崎さんのアイは吉住さんの時と基本的には同じ形。やけに閨の中が気になってしまい、見たくてたまらないという形です。
しばらくあれやこれやとしていますが、結局部屋の中を見てしまい、驚いてワキに「見てござる」と報告する訳です。

ワキはアイを咎めますが、とは言え早速に閨の内を見ることとして立ち上がり、ワキが目付、ワキツレがワキ正にたって作り物に向かい謡い出します。
閨の中は死屍累々とし、これは音に聞く安達が原の黒塚に籠もる鬼の住まいであると気付いたワキ、ワキツレは逃げ出すこととし、二人向かい合って「心も惑ひ肝を消し」と謡い「足に任せて逃げて行く」とワキ座へ歩みます。

囃子が出端となり、急な調子の中、鬼女の姿となった後シテが姿を現して一ノ松に立ちます。背には負柴、左手にその綱を持ち「いかにあれなる客僧 止まれとこそ」と、ワキを止めようとします。
「胸を焦がす炎 咸陽宮の煙」と綱解いて柴を落とし、地謡との掛け合いから「ふりあぐる鉄杖のいきほひ」と笞振り上げ、ワキは橋掛りに入りますが、シテが進んでワキが舞台に戻り、シテは常座まで進んで祈りとなります。

常座に出たシテは、ワキに祈られて橋掛りへと下がり、ワキが追って幕前まで進みます。シテが盛り返して今度はワキが下がります。シテ柱まで来るとシテが柱に巻き付く形。一度下がって舞台に入り、常座で足拍子を踏んだシテは、ワキをワキ座まで追い込んで、作り物に寄り、戸を抑える形で祈りが終わります。

ワキが「東方に降三世明王」と謡って、以下掛け合いで五大明王を下ろし、祈ることでシテを追い詰めていきます。最後は橋掛りへと進み、幕前で「夜嵐の音に 立ち紛れ 失せにけり」と扇かざして飛び返って膝を着き、立ち上がって留となりました。
(68分:当日の上演時間を記しておきます)
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通小町 粟谷明生(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2009.10.11
 シテ 粟谷明生、ツレ 長島茂
  ワキ 宝生閑
   大鼓 亀井広忠、小鼓 大倉源次郎
   笛 槻宅聡

通小町は昨年9月に観世流山本順之さんのシテで雨夜之伝の小書が付いた上演の鑑賞記を書きました(鑑賞記1)。その時も書きましたが、この曲は私の好きな能の一つです。前回は上掛りで小書付、今回は下掛りで小書がありませんが、明生さんがどんな能を見せて下さるのか、期待を持って拝見したところです。

この通小町、古くは「四位の少将」と呼ばれた曲で、申楽談義には「小町」、「自然居士」とともに観阿弥の作った能として記載されています。元々は大和(比叡山か)の唱導師が作った曲で、(金春禅竹の祖父に当たる)金春権守が多武峰(談山神社)で演じたものを観阿弥が書き直したと書かれています。まあ、おそらくは世阿弥もそれなりに手を入れているのでしょうね。なお「小町」という曲は、このあいだ観能記に書いたように卒都婆小町と比定されています。

小町にまつわる「深草の四位の少将」の話。百夜に一夜足りない九十九夜通いながら思いを遂げられなかった訳ですが、卒都婆小町とこの通小町と、さらには歌舞伎などにも取り入れられているところを見ると、広く好まれた題材だったのでしょうね。
本来、少将は五位相当の役職ですが、四位の者などが就く場合もあり、わざわざそれと知らせる意味で「四位の少将」と言われる高位の貴族なわけです。その高い身分の男が、百夜通うように求められて従ったうえに、果たせず憤死する。こりゃあその報いがあるだろうということでしょう。
さて能の方は明日につづきます
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通小町のつづき

まず舞台にはワキ僧が名宣笛で登場してきます。無地熨斗目に水衣、角帽子の着流し僧ですが、閑さんのワキは風格があって「尊き人」の雰囲気が漂います。
常座にたったワキは八瀬の山里に一夏を送る僧と名乗り、誰とも知れぬ女が毎日木の実、妻木を持ってくるので、今日も来たなら木の実の数を問おうと述べて、ワキ座に着座します。(上掛りの本では名を問おうと書かれているのですが・・・)

囃子が次第を奏し、ツレの登場。以前の鑑賞記にも書きましたが、このツレは現代では若い女の形で出て、そのまま終曲まで舞台に居るのが通常になっています。しかし古くは老婆の形で出て中入りしたらしく、観世流山本さんの時もツレの鵜澤久さんは姥の姿で出て中入をしました。

今回のツレ長島さんは姥ではなく、無紅唐織着流しの中年女性として登場でした。面は深井あたりでしょうか、あまり能面に詳しくないので遠目で特定するのは難しく、深井のような感じを受けたというところです。また左手には木葉の入った手籠を持っています。
これが喜多流本来の形なのか、粟谷能の会での工夫なのかは分からないのですが、ともかく若い女で出たまま、ツレが終曲まで出ているという演出には違和感が残るため、一つの答えと言うことだろうと思います。
本来の謡に合わせるなら、鵜澤さんのように姥にすべきだと思うのですが、それだと後場の登場までの短時間に鬘も変えなくてはなりません。そうした理由もあって、これまでも前場を中年女性として出す演出も試みられているようなので、その一環かも知れません。

さて登場した前ツレは次第を謡い、地取りで正面を向くと「これは市原野のあたりに住む女にて候」と謡い、八瀬の山里に尊き人が居るので毎日木の実、妻木を持ってくる由を述べます。
そしてワキの方に向きを変え、十足ほどで正中に進み出て下居し、手籠を前に置いてあらてめて「また参りて候へ」とワキに告げる形です。
さてこのつづきはまた明日に
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通小町さらにつづき

ワキはゆったりと礼を述べ、さらに今日は木の実の数を承りたく候と問いかけます。この「木の実の数」ワキの名乗りにもありましたが、いささか分かりにくい表現。「数」は「数々」の意味であることは推測できるのですが、観世の本では「木の実の数々、御物語候へ」となっていて、こちらの方が分かりやすい。後々直したのかもしれませんね。

シテはこれに答える形で「忝なき御たとへなれども悉多太子は浄飯王の都を出、檀特山の険しき道」とサシを謡い出します。
悉多太子すなわち釈迦が、都を出て檀特山中に水、薪を集め修行の日々を送ったことを引き、賤しき身ながら薪を集め持ち来ることを謡い、さらに続けて「拾ふ木の実は何々ぞ」と謡って、地謡との掛け合いで木の実尽くしの謡になります。

この木の実尽くしの前のサシの部分は上掛リ二流にはありませんで、ワキがいつも来る人かと問いかけると、直ぐに「拾ふ木の実は何々ぞ」の謡に入ってしまいます。
このサシの部分は世阿弥が追加したとも言われていますが、趣き深い謡ではあるものの、その前の「木の実の数を承りたく」というワキの詞との繋がりは今一つの感じがしますね。

また木の実尽くしの謡は、これまた以前にも書きましたが、桃や梨、柑子など柔らかい物も謡い込まれていて、確かに木に生る実ですが、現代語の「木の実」とはいささか趣を異にする感じです。

木の実尽くしの謡が終わるとワキがツレに名を問います。
ツレは「恥ずかしや己が名を」と謡い、続く地謡「市原野辺に住む姥ぞ」とワキに向かって語りかけるような雰囲気を示した後、「跡とひ給へ」で立ち上がります。
「かき消すように失せにけり」とワキを向いたまま六足ほど退ってから向きを変え、繰り返しの「かき消すように失せにけり」の謡いっぱいにシテ柱まで進んで、そのまま橋掛りを歩んでの中入。
さてこのつづきはまた明日に
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通小町さらにさらにつづき

ツレの退場前「恥ずかしや己が名を」「をのとはいはじ薄生いたる市原野辺に住む姥ぞ」という謡から、ワキは「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ 小野とは言はじ薄生ひけり」という歌を思いだし、小野小町の墓前へと向かうことにします。

「この草庵を立ち出でて」と待謡の最初の一句を謡い終えると立ち上がり、正先に出ると膝をついて数珠を手に合掌し「出離生死頓證菩提」と謡ってシテを待つ形になります。

一声の囃子で後ツレの出。
若い女の姿、紅入唐織着流しの後ツレ小町が登場し常座まで進みます。この間にワキはワキ座へと戻って着座しています。

これまで観た通小町では、この後ツレ小町の後から、衣を引き被いたシテ少将が登場し、ツレが常座に進む一方で、シテは一ノ松に怪しく佇んでいるという形でしたが、今回はツレだけの登場。シテは姿を現しません。

常座に進み出たツレは「うれしの御僧の弔いやな」と高く引き立てた、クリのような感じの謡。戒を授けて欲しいと続けます。

しかしここでワキを止めるように、幕の内からシテの謡が聞こえ「戒授け給はば恨み申そう」と謡い、さらに「早帰り給へや御僧」とワキに立ち去るように求めます。
ツレは「うらめしや偶々かかる法に逢えば・・・」と謡い、シテの声に恨みをもって幕の方を振り返ります。シテ、ツレの掛け合いの謡になっていきますが、まだシテは幕内にあって、幕を隔てて声だけの掛け合い。
衣を引き被いて姿を現している演出でも、衣を被いている限りはシテの姿は見えないという約束でしょうけれども、いっそ幕内にいて姿を現さない方が、より怪しの声という雰囲気になるようにも思えます。いずれにしても、あくまで仏道成就を願うツレと、それを押し止めようとするシテのやり取りにはなかなかに深いものがあります。
このつづきはまた明日に
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通小町またつづき

シテ、ツレのやり取りが続き、シテの「包めども我も穂に出でて」の最初で幕が上がって、一句謡い終えたあたりからシテの姿が見えてきます。
痩男に黒頭、水衣を肩上げにし紫の色大口。三ノ松で扇を広げ、橋掛りを進みつつ「招かば留まれかし」と二ノ松あたりで招き扇。地謡が「思いは山のかせきにて」と謡い継ぐ間も橋掛りを進んで「さらば煩悩の犬となって 打たれると離れじ」という、この曲でも特に記憶に残る一句を一ノ松で謡って、手を打ち合わせてツレを見込みます。

地謡が「恐ろしの姿や」(この句は観世ではツレが謡いますが)と謡ううちに、ワキに向かって進もうとするツレに、シテはすっと寄り、「袂を取って引き留むる」と左の手でツレの右袖を抑える形になります。

地謡との掛け合いのうちに、足拍子を踏んだシテは袂を放し、二足ほど下がってツレともどもにワキに向かう形です。
ワキは二人が小野小町と四位の少将であると認め、百夜通いの様を見せるようにと求めます。これを受けて二人の謡。

ツレは「もとより我は白雲の」と軽く謡いつつワキ座に向かい着座しますが、シテは常座で正面を向き思いを込めて、通う毎に車の榻に印を付けていった思いを謡います。車の榻(シジ)は、牛車から牛を外した時に轅(ナガエ)を置く台のこと。車への乗り降りにも使うのだそうです。

ツレが、最初は車で通っていたものを人目にも立つので姿を変えて欲しいと求めたことを謡い、シテが受けて、輿車ではなく馬、徒跣足で通ったと謡って後見から笠を受け取り、その姿も笠に蓑、杖をついての百夜通いとなった様を続けて謡います。
ツレはワキにならんで着座し、シテが二人に語るような形。

さらに「身一人に降る涙の雨か」とシテが謡い、三、四足出でから下がりつつ笠を両手に持って頭上に上げカケリになります。
このつづきもう一日明日に
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通小町またまたのつづき

カケリですが、立廻、イロヱなど、流儀によってこの部分の言い方は様々ですが、喜多流はカケリと言うようです。ただ、呼び方はいずれとしても、修羅物のカケリや鬘物のイロヱなどとは異なり、百夜通いの様を見せる独特の物になっています。

カケリでは足拍子して角に出て、左へ回り正中から下がって笛座の方へ向きざまに両手を挙げて笠を後に落として正へ直します。両の手を左の方へ出して下居し、直ぐに立ち上がると笠を探す形から笠取り上げて構え、空を見るようにして「あら暗の夜や」と謡い出しました。
各流のカケリ、立廻、イロヱ、いずれもの舞台を一廻りする程度の簡単なものですが、思いを込める部分です。

地謡の「一方ならぬ思いかな」で立ち上がったシテは「月は待つらん」から笠を使いつつ舞台を廻り、「鐘もただ鳴れ 夜も明けよ」と大小前で幕の方へ向いて雲扇の型。「獨寝ならばつらからじ」と安座。左手の指を折って九十九夜なりとかぞえ「今は一夜よ」と小指を伸ばして示し、立ち上がって正中へ出、笠を捨てて扇を出して上扇、左右打込開キと型が続きます。

そののち飲酒戒を守って悟りを開いたと突然の展開になるのですが、ここはなんだか納得いかないところ。この部分には古くは省略された場面があったという説がありますが、さもありなんという感じがします。
いささか唐突な感じで「小野小町も少将も、ともに仏道なりにけり」シテツレ二人共に並んでワキに合掌し終曲となりました。このあたりは曲自体の問題なので仕方ないところです。

良岑宗貞出家し僧正遍昭、あるいは深草少将義宣がモデルとも言われますが、全くの想像の話なのか、あるいはモデルがあってのことなのか、などと考えてみるのもまた興味深いところです。
(66分:当日の上演時間を記しておきます)
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葛城 岩戸之舞 粟谷能夫(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2009.10.11
 シテ 粟谷能夫
  ワキ 森常好、アイ 野村扇丞
   大鼓 國川純、小鼓 曾和正博
   太鼓 金春國和、笛 一噌仙幸

葛城は19年の式能の際に、金春流本田光洋さんがなさった大和舞の小書付の鑑賞記を載せています(鑑賞記1)。その際にも書きましたが、この葛城は割合好まれているようで上演も多い部類の曲です。小書付で演じられることも多く、観世、宝生、金春の三流にある大和舞の小書をよく見かけます。いずれも後場でシテの舞う序ノ舞を神楽にかえての演出です。

今回の岩戸之舞はこの序ノ舞を、文字通り岩戸之舞というのか、特殊な舞にかえる訳ですが、大和舞の小書で序ノ舞を神楽に変えるのと同様、舞の初めという姿を舞台上に現そうという趣向でしょう。

なおこの曲の小書を見ると、神楽という小書が宝生、金剛そして喜多流にあり、これらも序ノ舞を神楽にかえて舞うもののようです。

阿吽に(阿吽は粟谷能の会の小冊子)連載されている「我流『年来稽古条々』」の23、昨年の阿吽26に掲載されたものですが、これに三輪の岩戸之舞の話が出てきて、それに関して能夫さんが、来年『葛城』を勤めるけれどそれにも「岩戸之舞」があるということ、観世流の「大和舞」という小書には憧れてしまうが、それに匹敵しないまでも同じような舞であることを語っておられて、「岩戸の前で舞った原始の舞」と表現されていました。
単に神楽というのではなく、まさに「原始の舞」なんでしょうね。
これを読んだこともあって、今回も粟谷能の会に出かけようと思った・・・のも大きいですね。
さて能の方は明日につづきます
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葛城のつづき

まず舞台には次第の囃子でワキ森常好さんとワキツレ舘田善博さん、森常太郎さんが登場してきます。山伏の設定ですので、ワキは白地に緑の縞目の水衣に白大口、篠懸をかけ兜巾を着けての登場。ワキツレ二人は紺地のヨレの水衣に白大口。やはり篠懸、兜巾の山伏姿です。
登場した三人は向かい合って次第を謡い、続いてワキの名乗り。出羽、羽黒山の山伏が宿願の子細あって、葛城の明神に参ろうという次第。道行で大和路を進み葛城山へとやって来ます。

さて一同が葛城山につくと、雪が降り出してしまったとワキがやや上を見上げるように言い、岩陰に雨宿りならぬ雪宿りをしようと、ワキ座に進みかけます。

すると幕から呼び掛けの形でシテが登場してきます。
シテは白地の摺泊に濃い青地の縫箔を腰巻にし、これまた白地の唐織を壺折に着けて雪を置いた笠をかぶり、右手には雪のついた木の枝を持った姿です。雪降る中を進み出た形で、腰巻にした縫箔の色が強いアクセントになっています。杖を持って出る形が多いようですが、杖は持たずに登場しました。

語りつつ橋掛りを進み、雪の山道で難儀しているワキ山伏達に同情し、自分の庵で一夜を過ごすようにと勧めて、二ノ松あたりに佇みます。

ワキは親切な申し出に感謝し「さて御宿はいづくぞや」と問いかけます。
これにシテは「この岨づたひのあなた」に谷の下庵があり、雪の晴間まで御身を休めるようにと答えます。このシテの謡の最後「御身を休めおわしませ(観世では休め給ふべし)」からワキとの掛け合いになり、シテは舞台へと進み常座に立ち、二人一緒に「笠はおもし呉天(観世は呉山)の雪 靴は香ばし楚地の花」と謡います。
この一節は「笠重呉天雪 鞋香楚地花」という漢詩をもとにしたもの。禅語として良く取り上げられる詩のようですが、南宋の魏慶之が著した「詩人玉屑」に収録されている可士という僧の詩とか。行脚する僧の思いを述べた詩のようですが、趣き深い一句です。
このつづきはまた明日に
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葛城さらにつづき

シテ、ワキの謡から、地謡がこれを受けて「肩上の笠には」と謡い出し道行の態。
シテは少し前に出て小枝を差し出し、手を下ろしつつ角に出ます。角トリして、笠の前を掴み「谷の道をたどりたどり」とワキ正の方へ少し眺める形から、左に回って常座に向かい、「柴の庵につきにけり」と後見座で笠を取って、一行が女の草庵へとやって来た形になります。

ワキがワキ座に着座し、笠を外したシテは「これに標(しもと)の候」と小枝を持って常座に出、湿った篠懸を干すようにと言いますが、これに対してワキは「しもと」とは木の名前かと尋ねます。
答えてシテが語るには、「しもと」は葛城山に縁のあることであり、さらに古歌を引用しつつワキをもてなします。

地謡が「しもと結う葛城山に降る雪は」と謡い出し、この謡でシテは常座から少しずつ出てサシ込み開キの型。目付で角トリして左に回り、常座に戻ってからワキの前まで進んで膝をつき、枝を置いて扇を広げ「松が枝そへて焼こうよ」と煽ぐ形。ワキと見合った後、立ち上がってクセに入ります。

能によっては前場を切り詰めて、ワキとシテとの邂逅のみを描き、後は後場に託してしまう曲もありますが、この葛城では前場のやり取りがなかなかに深く、面白いところ。地謡が謡う古歌「しもと結う葛城山に降る雪は間なく時なく思ほゆるかな」からの謡は、趣き深く展開していきます。

この歌は古今集巻二十に「古き大和舞の歌」とされている歌ですが、これに続けて「よそにのみ見し白雲や高間山の」と、これは新古今巻十一の「よそにのみ見てややみなむ葛城や 高間の山のみねのしら雲」を引いたものでしょうけれども、詞を織りなしつつ謡が進み、クセになります。

クセは舞グセ。曲舞の基本の型をなぞりつつ、最後は「御身を休め給えや」と招き扇をして正中へ出て下居します。
このつづきはまた明日に
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葛城さらにさらにつづき

クセを舞上げてシテがクツログと、ワキが山伏らしく勤めをしようと言います。
するとシテは蔦葛で身を縛られていて三熱の苦しみがあると訴え、加持祈祷を乞います。そしてシテ、ワキの掛け合いから二人向き合っての謡、地謡が受けて「神に五衰の苦あり」と謡う中、ワキに向いたシテは立ち上がり、常座へと進んで一度正面を向いた後「神がくれにぞなりにける」と中入りとなります。
静かに橋掛りを進むシテを仙幸さんの送り笛が優しく包む感じです。

アイ、所の者が呼ばれ、岩橋伝説を語り、さらなる供養を勧めて退場します。
間狂言は扇丞さんですが、こういう曲の語りアイというのは難しいだろうなあと想像するところ。型通りに岩橋の言い伝えを告げる訳ですが、見所はふっと緊張のゆるむ時間ですし、出過ぎずそれでいて存在感が感じられるような微妙なバランスが必要でしょうね。

続いてワキ、ワキツレが夜を徹して読経するうちに、出端で後シテの出となります。
ワキの一行が立ち上がり、舞台上で向き合っての待謡。「かの葛城の神慮」と謡うとワキのみが階の方を向き、「夜の行声すみて」まで謡うとワキツレは地謡前に下がって着座。ワキは数珠を両手に合掌し一人「一心敬礼」とゆったりと謡います。

出端の囃子が奏し出され謡い終えたワキがワキ座に下がります。出端は、この曲の位ということなのでしょうが、ゆったりとした荘重な感じです。この囃子で後シテの登場です。

後シテの装束は、おそらく小書による替えの装束なのでしょうけれども、白地に雅楽の大太鼓の文様をあしらった、大変きれいな舞衣に、下は緋の指貫でしょうか。あんな装束は見たことがありませんが、大和の舞の初め、原始の姿を表そうという趣向なのでしょう。鮮烈な色です。それに花をあしらった天冠を着けての登場です。
大和舞の小書付で演じられた本田光洋さんの時は、天冠に若紫の色大口、浅葱の舞衣という大変綺麗な装束でした。これとの対比も面白いところです。
このつづきもう一日明日に
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葛城もう一日のつづき

登場したシテは、常座で謡い、最後にワキに向かって「よくよく勤めおはしませ」と謡いかけます。これにワキが山の常蔭から女体の神が蔦葛這いまとはるる姿で現れたことを謡います。はいまとわるる「小忌衣」とイロ。

ワキとの掛け合いから地謡「葛城山の岩橋の」と謡う中、シテは三足ほど出て左袖を返してワキに向き、ワキの方へと六、七足出ると正へ直し、袖を直して目付へ。角トリから左へ回り「高天の原はこれなれや」と大小前で正面を向き、さらに左右打込の後、正に構えた形のまま「降る雪の」の謡を謡って、岩戸之舞に入りました。

大左右なんでしょうけれども、両手を使ういささか変わった型でして、右に進んで目付に至り、左袖を被いて扇を面の前に・・・そうですね、翁のあの独特の形です。その形で沈み込むように膝を曲げ、戻して左へ回り、扇を直して地ノ頭から大小前へ。音をたてない足拍子も踏んでいたようで、これも珍しい形。正先へ出てさらに足拍子を踏んで、左袖を巻き上げ、手を下ろしつつ右に回って大小前へ。左右打ち込んで、地の「高天原の岩戸の舞」の謡となりました。

イロヱを複雑にしたような感じなのですかね、序ノ舞や中ノ舞などのいわゆる舞事、神楽などの類とは異なった、翁之舞に通じるような雰囲気です。なるほど能夫さんが書かれていた「岩戸の前で舞った原始の舞」というのはこのようなことか、と納得した次第です。素朴な、そして神に通じる雰囲気を持った舞でした。

この後は地謡に乗って舞い続け「名に負う葛城の」と扇を左手に取り、常座でワキを向いて正中まで出ると「恥ずかしやあさましや」と目付の方を向いて、枕扇のように左手の扇を上げて顔を隠すような形。ここから向きを変えて「あけぬ先にと葛城の」と、舞台から橋掛りに進んで。そのまま「岩戸にぞ入り給う」で幕に入り、送るように立ち上がったワキが座してその消える姿に合掌。二句目の「入り給う」で立ち上がったワキ、ワキツレが目付方に二足ツメて留となりました。
いやあ素敵な能でした。
(91分:当日の上演時間を記しておきます)
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天地人之会を観に行く

本日は三連休の最終日。昨日とは打って変わって関東地方は良い天気で、「行楽日和」の言葉がふさわしい一日でした。
そんな中、国立能楽堂に金剛流、工藤寛さんの主催する天地人之会を観に出かけたのですが、三連休の混み具合などには無頓着だったため、久しぶりに高速バスに乗って散々な目に遭ってきました。

とは言え、能二番、狂言一番の番組は興味深いもので「ああ、能楽を観るのは良いものだ」としみじみ楽しんだところです。天地人之会では、毎回、武蔵野大学講師をされている三浦裕子先生の解説があり、三番それぞれについて簡単なお話がありましたが、こうしたお話を少し聞いてから実際の能楽を観ると、また新たな発見があります。

おりしも六本木の国立新美術館では第41回の日展が開かれていまして、午前中はこちらへ。これまた興味深いものでしたが、さらに能楽堂ではドイツから来たという老人に話しかけられたり、能楽以外でも何かと面白い一日でした。
帰りのバスで疲れてしまいまして、とりあえず今晩は「天地人之会を観てきた」というだけを記して、終了とします。
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天地人之会観能を巡って

昨日も書いた通り、金剛流、工藤寛さん主催の天地人之会を観に行ってきたわけです。
工藤さんのシテで巻絹と、萬斎さんの萩大名、最後に金剛永謹さんのシテで融、こちらは遊曲の小書付です。
番組に先立って三浦裕子先生の解説があったのも昨日書いた通りですが、今回の三番は「和歌」を巡っての曲というとらえ方で話をされ、興味深く拝聴しました。それぞれの曲の展開の中で、和歌がどんな役割を果たしているのかなど、その辺はいずれ鑑賞記の中で触れていきたいと思いますが、こうした解説を事前に仕込んで能楽を観るというのも、なかなかに面白いところです。
ちなみに三浦さんの書かれた「能・狂言の音楽入門」は、能楽の「音楽」の部分にスポットを当て、かつ素人でも読みやすくまとめられた本で、拝読して随分と参考にさせて頂いています。
(なお三浦裕子さん、画家をされている方やお菓子の教室をされている方、お医者様など、ネット上で同姓同名の方を何人かお見かけします。有名な方が出やすいお名前なのかもしれません)

また今回の能二番は、工藤さんが金剛流らしい曲を見せたいという思いで選ばれたとか。
「舞金剛」とはいいますが、たしかに両曲ともに舞が見せ所で、さらに舞の手数が多いという金剛らしい舞の特徴を色濃く感じさせるところです。動きを追っていても、記憶に留められないくらい細かな動き、技巧があって、舞の面白さが強調されています。舞の流れについても、いずれそれぞれの鑑賞記の中で触れていきたいと思います。

本日もいささか立て込んで帰りも遅くなったため、この辺で・・・
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ドイツから来た人

天地人之会を巡っての四方山話ですが・・・
ドイツから来たという老人に話しかけられたという話は、一昨日書いた通りです。

この日は六本木で日展を見て、能楽堂には開場の30分くらい前に着いたのですが、まだ時間が早いために入り口前には若い女性が一人立っているだけ。後は広場に置かれたベンチに腰を掛けた方が数名というところでした。私は、さてどうしようかと思ったのですが、自由席のチケットでしたので、ここは並んでおこうかと若い女性の後に立っておりました。

しばらくすると、私達より入り口に近いところにヨーロッパ系と思しき老人がやって来て立ちました。
「おや、割り込みか・・・」とも思いましたが、別にこの人一人が入ったところでたいした影響もないので、そのまま待っておりました。
その老人は、何やら小さな本を出して読んでいる様子でしたが、やがてこちらを向いて
「私は11時頃ここに来ました。向こうのベンチに座っていました」と、日本語で話し始めました。
読んでいた本の表題はJapanese Grammarだったようで、割り込みではなく、早くから来ていたので一番前に入ることを納得して欲しいと、日本語で話したかったようでした。

「分かりますか?」と尋ねられたので、「分かります」と答え、先ほど読んでいたのは日本語の文法ですねと問いかけたのですが、今度は意味がとれないようで、英語は話せますかと逆に問われ「少し分かります」と日本人らしく答えてみました。
すると色々と言いたいことがあったようで、次々と老人の話が続きました。

なんでも50年前から日本に来たいと思っていて、今回ようやくドイツからやってきたのだそうで、前日は歌舞伎座で忠臣蔵を観て大変感動したとか。翌日には文楽を観に行くとも言っていました。
日本人はPoliteであるが、これは250年も続いた将軍の時代の影響が残っているからだと思う・・・とか、ちょっとした日本人より日本に詳しい感じです。
私もあまり英会話が得意ではありませんで、なかなか口が挟めず、また彼も話したいことがいっぱいあるようで、次々と話が続きます。

その中でも、彼がどうしても言いたい様子だったのは、日本語の「ありがとう」は「thank you」とは語感が違うということのようでした。「ありがとうございます」は、有り難いですから、滅多にないとかいうのが原義でしょうけれども、その辺をちゃんと踏まえていて、「much obliged」とか「debt of you」とか言う方が好ましいと力説していました。
確かに「much obliged」は辞書を引いてみると、恩に着るとでも訳すのか、お礼を言う時のフォーマルな表現と書いてあります。「obligation」に繋がる言葉ですし、そうすると「Noblesse oblige」なんていう言葉も連想されますね。

そうこうしているうちに開場となり、この老人がどんな人生を送って今日本に来ているのかなど、興味を覚えつつもそのままになっていしまいました。
私としては興味深いことでしたので、鑑賞記をお休みして、少しばかり書いてみたところです。

子盗人 野村萬(粟谷能の会)

和泉流 国立能楽堂 2009.10.11
 シテ 野村萬
  アド 吉住講 野村扇丞

子盗人は昨年、大藏流茂山忠三郎さんがシテを勤められたものの鑑賞記を書きました(鑑賞記1)。今回は和泉流ですの、若干の違いがあります。

まず舞台にはアドの乳母が登場します。箔を壺折りにして裾の部分で人形を抱いています。忠三郎さんの時は、アドの良暢さんが初宮参りのような形に箔を肩から掛けて出ましたが、形が違いますね。
アドは常座で、この子のような「わわしい」子はいないと嘆きます。縫い仕事がさっぱり出来ないで困ったものだが、今宵はようやく寝そうなので奥の間で寝かそう、と言ってワキ柱のあたりに抱えてきた人形・・・まあ、これが子供の見立てですが、これを寝かせる形になります。
ようやく寝かしつけた乳母は、この間に自分の用を足そうと喜んで別室に行く風で、笛座あたりに控えます。

良暢さんの詞では、乳母は特段子供の手を焼いている風はなくて、子供を寝かしつけると「茶を飲んでくる」と、こちらは幕に入りました。微妙に感じが違ってきます。

代わって登場するのがシテの盗人。人の意見も聞かずにひたすら勝負事をしていたために、不仕合わせ続きで、金銀から家財まで打ち込んで「はらりさん」になってしまった。今一勝負しようにも元手もないので、近所の有徳人のところに忍び込んで道具を案内無しに借りてこようと思う旨を述べます。

相撲の果ては喧嘩、勝負事の果ては盗みなどと、忠三郎さんの時も同じような説明ですが、どちらかというと忠三郎さんは勝負事が好きでたまらない雰囲気を出していたのに対して、今回はむしろ負けに負けて尾羽打ち枯らした切ない雰囲気がより強かったような感じです。
瓜盗人で、大藏の方が図らずも盗みに手を染めることになってしまったことへの後悔を色濃く出しているのに対し、和泉の方は盗みをおもしろがっている雰囲気になっているのと、ちょうど逆の印象ですね。

ともかくも、有徳の人の屋敷に忍び込もうという次第。このつづきはまた明日に
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子盗人のつづき

屋敷にやって来た盗人は、裏に回ると垣を破ろうとしますが、ちょうど良さそうな大きさの穴があるのを見つけて、腹ばいでくぐり抜けた形になります。
忠三郎さんは、こんなこともあろうかと鋸を用意してきたと言って「ズカ、ズカ、ズカ」と垣を切り、「メリメリ」と引き捲って垣を破り、空いたところをくぐったうえに、次の塀を飛び越えて表の座敷に出る形でした。このあたりは随分と違います。

さて垣をくぐり抜けると、この戸を開ければ座敷だと、戸を開ける所作。灯がともっているのを見つけてひとしきり驚き「南無三宝」と一ノ松まで逃げます。しかし誰もいない様子に、再び舞台に進み座敷へと入った形になります。

宵に客があったと見えて道具が取り散らかしてあるなどと言いながら、目付柱のあたりで茶の湯の道具、風呂釜茶碗茶入れなど道具を拝見する様子。さらに正先に床の間の掛け物を見て感心し、ワキ柱近くの小袖に気付きます。

女房の衣類まで勝負に打ち込んでしまったため機嫌が悪いから、この小袖はは土産にしようなどと言いながら小袖を取り上げると、寝ている形の人形に気付きます。
さだめて乳母が自分の用を足そうと寝させておいたものだろうと言いつつ覗き込みますが、色白な鼻筋の通った美しい子と感心していると、子供が目を覚ました様子。
「のうのう怖いものでは御座らぬ 伯父じゃぞや伯父じゃぞや」などとあやそうとします。

さらに「伯父がちと抱いて進ぜようか」と子供を抱き上げ、子供が笑う様子に大喜び。
「塩の目はならぬか」「かぶりかぶりはならぬか」「あわあわ見ましょう」などとあやしますが、大きい声を出したために子供の機嫌が悪くなったと、こんどは「こすぐって機嫌を直そう」「ばっくつくつくつ」「ひょろんひょろんひょろん」「れろれろれろや」などと子供をあやします。このあたりも忠三郎さんの時とは微妙にあやし方が違います。

さてこうしてあやしているうちに、乳母が再び登場してきます。
このつづきはまた明日に
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子盗人さらにつづき

その間にアドの乳母が立ち上がり、橋掛りに入って一ノ松で盗人が居るのに気付いた形になり、幕に向かい主人を呼び出します。

呼ばれて登場するのが小アド主人。さっそく、盗人が入ったので裏へも表へも人を回せ、松明を出せ、逃がすななどと声をかけて舞台に入ります。

これに驚いたシテ盗人が逃げようとしますが、主人は太刀を抜いて盗人に対して構えます。盗人は「盗人では御座らぬ」と弁解しますが、夜、夜中に人の家に忍び入って盗人でないはずがなかろうと主人がいきり立ちます。

シテはお座敷が綺麗だというので見物に来たなどと、さらに弁解をしますが、主人は許さず「一討ちにしようぞ」と斬りつけようとします。

これに対してシテは子供を抱き上げて「これはそなたの子ではないか」と示します。
自分を斬れば子供も斬られてしまうだろう、と主人をあきらめさせようとしますが、主人は「子供は切り離してのけようぞ」と言う始末。

乳母が止めに入り、盗人に子を置いて逃げるように言いますが、盗人は「斬ってよくばそりゃお斬りやれ」と子を差し出します。主人が斬ろうとしますが、乳母が止めもみ合っているうちに盗人が逃げ出します。

主人が盗人を追って二人退場すると、残った乳母は、危なかったと思い返しながらも「お子のご寿命は五百八十年万々年を目出度かろう」と言祝いで、子を抱いて退場。留になりました。ここでも五百八十年が出てきましたが、忠三郎さんの時と比較しつつ見てみると、基本的には同じ流れながら、やはり微妙に登場人物の性格付けが違うところが見えて、興味深い一番でした。
(22分:当日の上演時間を記しておきます)
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