能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

石橋 連獅子 粟谷明生(粟谷能の会)

喜多流 国立能楽堂 2009.10.11
 シテ 粟谷明生、ツレ 粟谷浩之
  ワキ 殿田謙吉
   大鼓 柿原光博、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌幸弘

石橋はこのブログでは五度目の登場になります。そういう意味で目新しいことはありませんが、これまでのおさらいを含めて、少しばかり書いておこうと思います。

これまでブログに取り上げたのは、宝生流高橋憲正さん(鑑賞記1)、金春流山井綱雄さんでこちらは古式の小書付(鑑賞記1)、宝生流田崎隆三さんの連獅子の小書付(鑑賞記1)、そして喜多流粟谷能夫さん(鑑賞記1)と、以上の通りです。
この石橋という曲、これまでも何度か書いていますが、一度廃曲になり江戸時代に復活したため、流儀によって演出にかなりの違いがあります。
また復曲以後は好んで上演された様子で、各流とも様々な演出を試み、小書も数多く存在します。特に複数の獅子が登場する形が受けたようで、これまでの鑑賞記でも金春の古式、宝生の連獅子、そしてこの日の喜多の連獅子は赤、白二頭の獅子が登場する形です。同じ名前の連獅子の小書は金春流にもあるようです。

今回は半能でしたので、ワキが登場して名乗りをすると間もなく露の手。獅子の登場となってしまいます。
石橋は半能形式で上演されることの多い曲で、金春流では前場も演じる場合をわざわざ丸能と言っているという話を以前書きました。私も観世流では半能でしか観たことがありません。

もっとも宝生流は前場がツレの扱いで、獅子とは別の役者が演じるため半能にすることは少ないようで、アイも登場しません。
いろいろとありますが、ともかく明日につづきます。
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石橋のつづき

昨日、宝生流ではアイが出ないという話を書きました。もちろん半能の場合もアイが出ません。ものの本によると、そもそもこの廃曲になっていた石橋を江戸時代初期に復興した際に、アイの扱いで狂言方と囃子方の間に争いが起きたという話があり、そのあたりの問題を避けることもあって、宝生の形や半能が好んで演じられるのでは、という話があります。

なるほど、そういうこともあるのかと思いますが、この曲の前場はまたそれなりに面白いと言えば面白いので、もったいない話でもあります。また前回、粟谷能夫さんのシテで拝見した時のように、和泉流では三人の仙人が登場する替間があり、これまたなかなか面白い趣向になっています。

くどくど書きましたが、そういう訳で半能はちょっともったいないものの、やはり後場の面白さは格別。連獅子のように二人以上の役者が登場して舞うのは豪華でもあります。

繰り返しますが、この日は半能。舞台にはまず一畳台が運び込まれてきます。
見所から見て台の右端に白の花を付けた台がまず運び出されてきて、正先の中央を左端にして、階からワキ座にかけて置かれました。続いて台の左端に赤花を付けた台が出され、こちらは白花の台に接して、階から目付側に置かれました。二つの台をぴったりと並べて置いた形です。
能夫さんが小書無し、一人でなさった時は、見所から見て右側白花の付いた台の方を奥にし、手前階側に置かれた赤花の付いた台と一部が重なるように並べられました。二つの台は、前後にずらしたり片方を少し斜めにしたりなど、変化をつけて置かれる方が普通のように思いますが、今回は全く前後にはずらさず横に並べた形。珍しい方の置き方ではないでしょうか。

準備が整うと直ぐに名宣笛。ワキの出、殿田さんの登場です。
紫の水衣に白大口、掛絡をかけ銀の沙門帽子を着けています。常座で名乗り終えるとワキ座に下がって、いよいよ獅子の出になります。
さてこのつづきもう一日明日に
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石橋さらにつづき

笛のヒシギで半幕となり、途中まで巻き上げられた幕からシテ白獅子の姿が窺えます。
露の手が奏されると幕が下ろされ、暫し囃子が続いて、いよいよシテ、ツレの出になります。

まずシテ明生さんの白獅子が堂々と出ます。三ノ松で乗り込んで足拍子を踏んだ後、一ノ松へと進む形。後からツレ浩之さんの赤獅子が出ます。シテは一ノ松で左右に乗り込み拍子を踏み、赤獅子を促すような型を見せます。
ここはなかなかの見せ所でした。

ツレ赤獅子の方はシテに比べると動きが軽快です。
一度後ろを向いた形になったところから、囃子が流す間に舞台へと進み、白、赤と台に突き当たるまで進んで一度下がり、獅子になります。

獅子は扇を使わず、両袖を広げて舞う独特の形です。
白獅子が大きくゆったりと舞い、赤獅子は素早くキレを見せます。

白獅子が親、赤獅子が子と言われていますが、宝生の連獅子や金春の古式などの鑑賞記に書いたように、このブログで取り上げてきた白、赤二頭の獅子が出る形では、それぞれの舞の違いはあまり見られず、対等と言っても良いような舞でした、
今回は明確に親子を感じさせる形で、舞の世界が広がったような印象を受けました。

シテ、ツレの動きの面白さに見とれてしまいまして、獅子の型はメモを取っておりません。ちょっと残念ではありますが、メモを取る余裕もないほどに舞台に惹きつけられたという証左でもあります。
(21分:当日の上演時間を記しておきます)
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附子 高澤祐介(ユネスコ記念能)

和泉流 国立能楽堂 2009.10.28
 シテ 高澤祐介
  アド 前田晃一、三宅右近

附子(ブス)というのは猛毒のこと。カラトリカブトなどの根の塊を言いますが、漢方で生薬として用いる時はブシと読むようですね。実は私、高校生の頃は生物部に入っておりまして、山にある薬用植物の採集などをしておりました。キンポウゲ科トリカブト属の仲間はどれも毒性がありますが、案外、山に入ると見つかるもので、ヤマトリカブトを採集してきたこともありました。
たしかアコニチンという神経毒の成分が入っていて、呼吸困難を起こして死に至ることがあるという代物。根が一番毒性が高いものの、葉や茎など全草に毒性の成分が含まれていたと記憶しています。
このトリカブトの汁を矢先に塗って狩猟に用いていた例もあるようですね。

それはさておき、この附子という曲は教科書などにも取り上げられることが多く、狂言としては大変有名な一曲だろうと思います。ブスという音もあって、子供も好んでこの名前を口にしたがったり、といったこともあるようです。

さて舞台には、まずアド主人の前田さんが長上下で先に立って進み、シテ太郎冠者の高澤さんと、小アド次郎冠者の右近さんが後から半上下出立で進みます。
シテの装束は薄緑地の狂言袴に柿色の肩衣で、肩衣の背には大きな伊勢海老が白抜きに染められています。次郎冠者の方は青緑地の狂言袴で、肩衣は黒地に大鯰が描かれたもの。いつも思うところですが、狂言の肩衣を見ていると、中世日本人の美意識の大胆さに驚くばかりです。

アド主が常座に出て名乗り、シテと小アドは大小前に、シテが見所から見て左、小アドが右に並んで控えます。
さてこのつづきはまた明日に
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附子のつづき

主は太郎冠者と次郎冠者の二人を呼び出し、用事があって山一つむこうへ出かけるので、二人して留守居をするように命じます。二人は、いつものように二人のうちどちらかがお供しましょうと言うのですが、子細あって供を連れずに行くという主人の言葉で、二人して留守居をすることになります。

主人は笛座辺りに用意された小ぶりの葛桶を正先へと持ち出して、あそこに附子があるので気をつけるようにと命じます。これに太郎冠者は、それならば「両人ともお供に参りましょう」と訳の分からないことを言い出します。次郎冠者との問答で「あなたに留守がある」と聞き違えたことが分かりますが、留守ではなく附子。附子の方から吹く風にあたってさえ滅却する大毒だと主人に聞かされます。

主人は出かけてしまい、二人は留守番。シテ太郎冠者がワキ座あたり、小アド次郎冠者はワキ正あたりに座して雑談を始めます。太郎冠者が「きょうはゆるりと話そう」と言うと、突然に次郎冠者が両手で舞台を叩き「そりゃ」と大きな声を出すと、急いで橋掛りへと走ります。太郎冠者も遅れじと走り、二人一ノ松まで逃げた形。
シテがどうしたのかと問うと、小アドは附子の方から風が吹いたとの答え。附子の方から吹く風に当たってさえ滅却する毒ということで、あわてて逃げたことが判明します。

太郎冠者は次郎冠者を良いところに気がついたと褒め、「つっとのいて話そう」と今度はシテが地謡前、小アドが常座あたりと、最前より一つずつ後方に下がったあたりに座して話をすることにします。

さて落ち着くと、シテが附子を見てみたいと言い出します。よその人から附子とはどのような物だと聞かれた時に、自分のところにありながら知らないとも言われないので、見ておこうという妙な理屈をこねます。こういう分かったような分からないような理屈は、狂言に良く出てきますが、こういう屁理屈を言うヤツって、いるよなあと思うとそれだけでちょっと可笑しい。

これに小アドが、吹いてくる風にあたってさえ滅却する程というのにどうやって見るのかと常識的な問いかけをし、こちらから煽いでいけば大丈夫だ太郎冠者が言い返します。
そして不承不承の次郎冠者ともども、二人で扇を出し「煽げ煽げ」「煽ぐぞ煽ぐぞ」と附子に向かっていくことになります。
このつづきはまた明日に
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附子さらにつづき

この「煽げ煽げ」「煽ぐぞ煽ぐぞ」のあたりは、分かりやすいし面白いところなので、古典の授業で習ったりすると、ついつい口まねでやってみたりするお調子者が出てきます。そんな形で古典に親しみが持てれば、それもまた悪くないかと思います。

さて二人は扇で煽ぎつつ、まずは紐を解いただけで逃げ、また寄っては蓋を外して逃げ、三度目は中を見て逃げます。とうとう中を見た太郎冠者ですが、なんだか美味そうなものだったので食ってみたいと言い出します。
当然ながら次郎冠者はこれを止めますが、太郎冠者は「名残の袖を振り切って 附子のそばへぞ歩み行く」と謡い、正先の葛桶まで寄って扇を箸代わりの形で中の物を食べてみます。太郎冠者が一口食べて気を失ったような風を見せ、次郎冠者が滅却したかと走り寄りますが、太郎冠者は「砂糖じゃ」と笑い出します。

主人が奉公人に食べられてしまわないように、砂糖を大毒の附子だと言っていたことが露見したわけで、その後は太郎冠者と次郎冠者が、二人して取り合いしつつ、すっかり砂糖を食べてしまいます。

しっかり食べてしまったのは良いのですが、さて主人にどう言い訳しようかという段になり、今度は二人して主人の大切な掛け物を破ったり、台天目を壊したりと散々なことをします。
太郎冠者は次郎冠者にけしかけるようなことを言い、次郎冠者が怒ると「戯れ言じゃ」と言う形を何度か繰り返します。このやり取りって必要なのだろうか、と前々から思うところではあるのですが、ストレートに筋だけが展開していくよりも、こうしたやり取りを挟んで行った方が劇の展開に深みが出るということなのかも知れません。

掛け物は正先にある風で、次郎冠者が「ざらりざらり」と引き破る所作をします。また台天目は大きな物という設定で、二人して持ち上げ「がらり、ちーん」と落として割る形です。

後は例によって帰ってきた主人に咎められ、大事な留守番で寝てはならじと二人で相撲をとり、掛け物、台天目を壊してしまったので、附子を食って死のうとしたけれども死ねないと言い訳。主人が怒って二人を追い込んでの留になります。

私、何年か前に鎌腹を拝見して以来、高澤さんの狂言が大変気に入っておりますが、この日の太郎冠者もしっかりした芸で楽しませていただきました。
(23分:当日の上演時間を記しておきます)
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黒塚 今井克紀(ユネスコ記念能)

金剛流 国立能楽堂 2009.10.28
 シテ 今井克紀
  ワキ 宝生欣哉、アイ 三宅右矩
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸正昭
   太鼓 金春國和、笛 寺井宏明

安達ヶ原の鬼婆伝説、観世流では安達ヶ原の曲名で、残る四流は黒塚。これまでこのブログでは喜多流粟谷明生さん、金春流中村昌弘さん、宝生流大友順さんと鑑賞記を書いてきましたが、今回の今井克紀さん、金剛流の黒塚で各流の黒塚について一通り鑑賞記を書いたことになります。

金剛流では、このユネスコ能の数日前に同じ国立能楽堂で今井清隆の会があり、克紀さんのお父様である清隆さんが、蝋燭能で黒塚の白頭を演じられたばかり。この会、拝見したかったのですが諸般の事情で断念したものです。どんな感じだったのでしょうね。
この白頭では克紀さんが後見で出ておられましたが、舞台上でどんな思いで観られたのかふと想像してしまうところです。

さてこの日の黒塚ですが、基本的な形は各流共通ですから、別に驚くような展開があった訳でもないのですが、前場から随分と力のこもった演技と感じました。開演ギリギリの到着だったため脇正の席しかなく橋掛り近くでしたが、中入の際にはシテの息遣いが聞こえてくるような、力の入った感じ。
今井克紀さんは初見でして、京都の方でもあり、大友順さんのようないささか優しい雰囲気を想像していたのですが、全く違った印象で驚いたというのが実のところです。

ともかく、流れに沿って曲の全体を書いておこうと思います。

まずは舞台上、大小前に紫の引廻しをかけた萩小屋の作り物が出されます。
次第の囃子が奏されて、ワキ欣哉さんが縞熨斗目に黒か褐色(カチンイロ)なのか、水衣に白大口。ワキツレ大日向さんは茶のヨレの水衣で登場し次第を謡います。
このつづきはまた明日に
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黒塚のつづき

なにぶん下掛り宝生流がほとんどの東京のワキ方ですので、黒塚の鑑賞記ではこの一番を含めてワキはすべて下掛り宝生。という訳で、これまでの鑑賞記と、型・展開特に変わるところはありませんが、しかし宝生欣哉さんお上手ですよね。四十歳台前半というのは最早若手ではないのかも知れませんが、一本、凛とした筋が通っているような芸風。登場されただけで舞台が締まる感じがします。

さて、ワキとワキツレの次第から、ワキのサシで那智東光坊の阿闍梨祐慶一行であることが述べられ、道行で安達ヶ原に着いたと、ワキ、ワキツレはワキ座へと着座します。

ここで引廻しが下ろされて萩小屋の中に座したシテが姿を現し、サシ謡。ああ、良いお声をされてますね、克紀さん。「まどろむ夜半ぞ涙なる、あら定めなの生涯やな」とシオリます。

シテの謡が終わるとワキが案内を乞います。シテの返答を受けてワキが宿を借りたいと申し出ますが、シテが断ります。さらにワキツレが繰り返して宿を貸して欲しいと申し出、シテが「人里遠きこの野辺の松風寒き柴の庵に、いかでお宿を参らすべき」と重ねて断ると、ワキの謡、シテの謡と続き、シテは萩小屋の中でワキの方に向きを変え「さすがに思へば痛はしさに」と謡って地謡。
「さらばとどまり給へとて」の最初の句でシテは立ち上がって「枢を開き立ち出ずる」と戸を開いて出て下居します。ワキ、ワキツレも下居して、庵に招じ入れられた形。舞台は庵の中となります。この辺り各流とも同じ展開で、謡の詞章に合わせての所作が続きます。

地謡の最後「旅寝の床ぞ物憂き」でシテは片シオリ。この地謡の間に後見が枠かせ輪を持ち出して目付に出します。これまで鑑賞記を書いた中では、粟谷明生さんのときだけ枠かせ輪が正先に置かれ、あとは目付に置かれました。どちらに置くかで、以前にも書いたように、思いのほか印象に違いが出るのですが、このあたりも能の面白いところかも知れません。
地謡が終わるとワキがこの枠かせ輪のことを尋ねます。
このつづきはまた明日に
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黒塚さらにつづき

ワキの問いに、シテはそれが枠かせ輪という物であるといい、ワキが今宵のおもてなしに使って見せて欲しいと頼みます。
シテが「さらば夜もすがら営うで御見せ申し候べし」と答えて囃子のアシライ。シテは立ってワキ正に出、正面を向いて目付にある枠かせ輪に向かい、下居して枠かせ輪を回す形になります。
各流同じ形のところで特に変化はありませんが、脇正から観ておりまして、ふとこちらに向けたシテの面がなかなかに品のあるお顔。
金剛流は舞金剛といわれるように舞の華麗さを特徴としているそうですが、数々の素晴らしい面を所蔵していることでも有名。この日の面がどういう由来のものかは存じませんが、品の良さを感じさせるものでした。

シテ、ワキ掛け合い、シテが「月も差し入る閨の内に」とやや面を上げて月を見る形から面を直してワキを向き、地次第。この地謡でシテは輪に手をかけてゆっくりと回します。シテ「賤が績苧の夜までも」の謡で輪から手を放し、地謡との掛け合いから地の「身を苦しむる悲しさよ」とシテはシオリます。

ワキ、ワキツレのサシ謡となり、地謡がこれを受けますが割にテンポの良い謡。さらにクセとなりますが、クセの終わりで再びシテがシオリます。それにつけてもクセの謡を聞いていると、割と淡々とした運びですが、ああ金剛流らしい節付けと思うところ。以前はほとんど拝見したことのなかった金剛流ですが、ここ数年、意識して観るようにしておりまして、少し慣れてきたのかなと我ながら思った次第です。

ロンギになり、シテは再び枠かせ輪に手をかけて左手で糸を取り、また手を放し、さらに手をかけと、謡の進行に沿って所作に変化を見せます。
「月に夜をや待ちぬらん」と面を上げて月を見る形。地謡が受けて面を伏せると、枠かせ輪に手をかけて地謡に合わせてゆっくり回しだし、回す手を早めるとぱっと手を放してワキに向いてモロシオリとなります。手を放された輪が少しの間動き続け余韻が残る感じです。
さてこのつづきはまた明日に
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黒塚さらにさらにつづき

モロシオリから気を変えて薪取りに行く話になりますが、ワキとのやり取りから立ち上がったシテは小屋を一度見てシテ柱の方へと歩みます。小屋を過ぎたあたりで立ち止まり「なうなうかまへて妾が閨の内ばし御覧じ候な」と念を押し、ワキが返事をするうちに、橋掛りから中入となります。

宝生の形では、ワキに閨の内を見るなと言った後、ワキツレにも念を押すようになっています。これは安達ヶ原の曲名にしている観世も同様で上掛リの本ではワキツレとの問答が入るのですが、下掛りの本にはワキにのみ「のうのう妾が閨のうちばし御覧候な」と念を押し、ワキが見ない旨を述べるとワキツレには声をかけずに退場する形が基本のようです。
ただし粟谷明生さんがなさった際は、シテが「や」と声を発して立ち止まる上掛りと同様の形を取りました。古い喜多流の謡本では「のうのう」と声をかけていますので、どこかで喜多流に上掛リの形が取り入れられたのかも知れません。

シテの中入は大変力が入っていて、所作そのものはゆっくりとしていますが、振り返る時の足袋の音、橋掛りを進む際の息遣いなど、相当に力を込めて演じておられる感じでした。先日の大友さんの前シテと比べると相当に印象が違います。
この演出が金剛流の普通の形なのか、今井克紀さん独特の物なのか、ともかく金剛流初見でして分かりませんが、強い印象だったことは間違いありません。

シテが中入するとアイが立ってまずは立ちシャベリ。
さてもさてもこの家の主のような心優しい人はござあるまい、と行き暮れた阿闍梨一行に宿を貸してくれ、さらに薪を取りに出かけた主に感謝する様を語り、あれへ参り御物語申そうずるにて候と、正中に進み出てワキに語る形になります。
ここから閨の内を覗きたいのにワキに咎められて寝付けず閨を覗こうとする、お決まりの形になりますが、一度目は「恐ろしい夢をみました」と弁解し、二度目は「高いところから落ちた夢をみました」と弁解。そして三度目に閨の内を見て驚き、「見て御座る」とワキに報告し、恐ろしやと退場します。ちょっとかたい感じでこなれていないかな、というところでしたが、このつづきもう一日明日に
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黒塚もう一日のつづき

アイが退場するとワキが立って正中へ、ワキツレは常座に進んで作り物に向かい「ふしぎや主の閨の内を」と謡い出します。二人「行くべき方は知らねども足に任せて逃げて行く」と謡い、ワキ座に立って逃げる形。

すると早笛の囃子で後シテの出となります。後シテの出は出端または早笛となっていますが、早笛だと余計に慌ただしく阿闍梨一行が逃げ、これを鬼が夢中で追い掛ける感じになりそうです。

後シテは背に負い柴、その紐を左手にして右手に打ち杖、一ノ松まで出て欄干に身を寄せ阿闍梨一行を逃してはならじと留める心。「胸を焦がす炎」と下がって面伏せ「咸陽宮の煙」と面上げてサシ開キ。
地謡で、二ノ松まで回り「鳴神稲妻天地に満ちて」と自らの謡に合わせて天を見、地を見回して、「鬼一口に食はんとて」で舞台に入ってきます。
「歩み寄る足音」と拍子を踏み、地謡から祈に。

祈では、正中で手を下げて目付に進み、ワキに向かって打ち杖を振り、ワキ座に追い込んで振り返り大小前へと移ります。一度ワキに振り返った後橋掛りへと向かい、途中で負い柴を落として幕前まで進みます。
追い掛けてきたワキに向かい打ち杖を振って一ノ松まで出、シテ柱に巻き付く形で二度ほど打ち杖を振り上げて威嚇する形。二ノ松まで下がった後、ワキを押し戻しつつ常座へ出て足拍子を踏み、目付に出て打ち杖を振りつつワキをワキ座へと追い込みます。
ここから作り物へと向かい、萩小屋の戸を守るような形になって祈の留。
かなりはっきりした動きで、今まで能ではあまり見たことのないような印象を受けたところです。

ワキが「東方に降三世明王」と謡い出し、数珠を揉んで祈り伏せようとするワキに対して、足拍子、踏み返しと、闘う姿を見せますが「祈り伏せにけり さて懲りよ」と祈られて常座で伏せる形。

「今まではさしも実に」と一声謡って立ち上がり、地謡に合わせて舞いつつ、「夜嵐の音に立ち紛れ」と橋掛りに進んで、二ノ松で足拍子を二つ、「夜嵐の音に失せにけり」と飛び回った後、立ち上がって留となりました。
はっきりした演技で、外国人の方がかなり多数見えていた見所には良かったのではないか、と思った次第。
附け祝言は猩々でした
(75分:当日の上演時間を記しておきます)
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寝音曲 野村萬(萬狂言)

和泉流 水戸芸術館 2009.11.03
 シテ 野村萬
  アド 野村扇丞

先日も書いたように、この寝音曲は万作さんシテの上演を鑑賞記に書いています(鑑賞記1)。さすがご兄弟ですので基本は一緒ですし、雰囲気も似た感じです。

アド主人の扇丞さんが段熨斗目に長上下で、続いてシテ太郎冠者の萬さんが半上下で登場し、アドが常座に立ちシテは控える形。アドは夕べ太郎冠者の部屋の前を通った際に謡が聞こえたので、呼び出して聞こうと思う旨を述べて太郎冠者を呼び出し、ワキ座へと移ります。
型の如く呼ばれた太郎冠者が常座に立ち、主人と向き合います。

主人は早速に、夕べはどこへ行ったと太郎冠者に問い、これに太郎冠者は友達のところへ出かけていたと答えます。前夜は主人の迎えに次郎冠者がやって来たので、太郎冠者はどうしたのかと問いかけたわけです。
太郎冠者の答えに主人は、たしかに次郎冠者が迎えに来たが、その帰り道に太郎冠者の部屋の前を通ると謡の声が聞こえたと言います。

太郎冠者はそれは自分ではないと言下に否定しますが、長年召し使う太郎冠者の声を聞き間違えるはずがない、と主人が言い、太郎冠者も夕べは友達のところでしたたかに酒を飲んで帰り、女房の膝を枕に謡ったので、さだめてそれがお耳に入ったのだろうと認めます。これがこの曲の発端になるわけです。

主人はなかなか面白かったので、謡って聞かせよと命じますが、太郎冠者は酒を飲んでのことで、とてもにお聞かせするようなものではないと断ります。しかし主人はなんとしても謡が聞きたいので、酒を持ってきて飲ませるから謡うようにと言い出します。

太郎冠者はいかにも迷惑そうな雰囲気を見せますが、その辺を解しないところが狂言の主人の面白いところ。
早速台所から酒を持ってきます。
このつづきはまた明日に
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寝音曲のつづき

主人自ら台所へ行き、酒を持ってきたという設定で葛桶の蓋を持って出てきます。
二人はて正中で向き合い、主人が酒をのませようという次第。太郎冠者は酒好きの様子で「例の大盃が出ました」となんだか嬉しそうな感じを見せます。この酒好きな雰囲気が、萬さんの狂言の見せ所の一つと、実は前々から思っております。

早速シテは、一杯、もう一杯と呑みます。調子に乗った太郎冠者は主人に酒を勧めますが「身共は下戸じゃ」と主人の返事。それならばさらに「も一つ」と四杯目を求めると、さすがに主人は怒って早く謡えと叱責し、盃代わりの葛桶の蓋を太郎冠者から取り返すと、笛座に出た後見に渡します。

酒に酔った太郎冠者は、謡えと求める主人に、自分は悪いクセがあって「子持ち(子持ちは自分の女房のこと)が膝を枕にいたいて横になって寝」ないと謡えないと主張します。主人が、そんなことを言わずに早く謡えと急かしますが、太郎冠者は近日夫婦連れで上がりまして、その節に謡いましょうなどとのんびりとしたことを言います。

主人はやむなく自分の膝を枕にして謡えと言い、二人は正中あたりで寄り添って主人は右膝の上に両掌を重ねて置き、太郎冠者がその掌の上に左の肘を載せて頬を支える形になります。さすがにいわゆる膝枕という形ではありませんが、後々の鍵になる形です。

太郎冠者が「女ども、女ども」などと言いながら主人の顔を撫で、主人はビックリして立ち上がってワキ座に離れます。太郎冠者も常座に下がりますが、「これは酔って子持ちに戯れついたところでござる」と説明し、再び膝を枕に寝ながら謡う形になります。

「きこし きこし 小原木召され候へ 小原 静原 芹生の里 おぼろの清水に 影は八瀬の里人 知られぬ梅の匂ふや 知られぬ梅の匂ふや 此の藪里の春風に 松ヶ崎 散る花までも 雪に凍りて 春寒し 小原木召されや 小原木召され候へ」と謡いました。
万作さんの鑑賞記の際も書いたように、残念ながらこの謡がなんだか分かりません。
前回は綾子舞の小原木踊の歌と同じだったようなので、そちらをもとに書いてみたのですが、今回、聞き取ってみた限りではほんの少しですが違っているようでした。前回の鑑賞記と比べて頂ければと思います。
このつづき、もう一日明日に
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寝音曲さらにつづき

寝たまま謡う小謡は、何を謡うと決まっている訳ではないようなのですが、まずは寝た形のままで一つキチンと謡ったという形。

主人は、起きても謡えそうだ、と太郎冠者に試させるのですが、太郎冠者は声が出ない振り。「千秋万歳の・・・この玉をたてまつる」と息も絶え絶えの様子で謡いますが、ちゃんとした声は出ません。
しかし主人はさらに立って謡えと命じます。

起き上がって出ない声が、立って出る訳がないと太郎冠者は抵抗しますが、いいから謡えと主人に言われ、やむなく「きみは千代まで 八千代」と謡おうとしたところで、「あ、痛」と声が出ずに腰の痛みが出たという次第。

やむなく、もう一度、今度はもっと長いものを謡えということになり、再び膝を枕にした形になって、太郎冠者が今度は玉ノ段を謡います。
この間に主人は両掌を上げたり下げたり。上げると太郎冠者の声が出なくなり、下げると謡えるということを繰り返します。
「その外悪魚鰐の口」まで謡い、「逃れ難しや我が命」のところで、主人が上げ下げを途中で逆転させ、この後からは主人が太郎冠者を起こすと声が出、下げると声が出なくなるという、太郎冠者の主張とは逆の形になってしまいます。

そのうち、謡に調子付いた太郎冠者は「さるにてもこのままに」で立ち上がり、ついには謡い舞いする始末。アド主人がワキ座に下がって見ているのにも気付かず「玉は知らず、海士人は海上に浮かみ出でたり」まで舞い上げていきます。この最後で主人が叱って追い込みの留。
お馴染みの曲でしたが、楽しく拝見しました。
以前も書いた通り、この最後のところ主人が褒める形もあり、また和泉流では玉ノ段、大藏流では放下僧小歌を謡うのが普通であるものの、必ずしもこれだけにきまったものではないようで、他の謡とすることもあるようです。
(27分:当日の上演時間を記しておきます)
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禰宜山伏 野村万蔵(萬狂言)

和泉流 水戸芸術館 2009.11.03
 シテ 野村万蔵
  アド 吉住講 野村萬 野村眞之介

禰宜山伏ですが、このブログでは今年3月に大藏千太郎さんのシテで拝見したものの鑑賞記を載せています。(鑑賞記1)禰宜と山伏が大黒の影向を祈るという基本の形は変わりませんが、そこはそれ、微妙なところに違いがあります。

まずは禰宜が半袴に掛素袍、士烏帽子の姿で幣を肩に担って登場し、常座で名乗ります。伊勢の御師と名乗り、毎年都に旦那参りをするが、今年も相変わらず参ろうと思う旨を述べて、型どおりに舞台を廻ります。

この御師ですが「御祈祷師」を略したものらしく、平安時代ごろからあった呼び名のようです。それが室町時代には神社の参詣の世話をする下級神官についても用いられるようになっていたようで、熊野三山をはじめ有名な神社に所属して、信者が参詣する際に祈祷や宿泊の世話をするのを仕事としていたとか。

次第に御師を「師」と呼び、参詣者を「檀那」と呼ぶ恒常的な「師檀関係」が結ばれるようになり、中でも伊勢御師は全国各地に派遣されて、現地の伊勢講の世話を行うとともに、講中が伊勢参りに訪れた際には自らの宿坊でこれを迎え入れて参拝の便宜を図ったりなどしたようです。
この日の禰宜出立では狂言袴ですが、全国を回り歩くという意味もあってか、括り袴で出る場合もあり、また烏帽子も士烏帽子ではなく折烏帽子とすることもあるようです。

さて舞台を一回りし、アドはのどが渇いたと茶屋を探します。
禰宜に続いて出て、大小前に控えていた茶屋の萬さんが立って出、禰宜を招じ入れる形でワキ座に出されていた床几にかからせます。茶屋の主人は段熨斗目に長上下の姿です。
さてこのつづきはまた明日に
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禰宜山伏のつづき

茶屋は茶を進じましょうと、茶碗を両手でもって大小前からワキ座の禰宜へと、直ぐに茶を供します。千太郎さんの禰宜山伏の時は、茶屋の主人彌太郎さんが、小振りの椀に茶を注いだ形で、扇で煽ぎながらアド吉田信海さんに勧めました。

吉田さんの禰宜は、飲み干すともう一杯所望し主人が二つ目を差し出しましたが、和泉流の本では一杯飲んだアドは二杯目を勧められても、これを断る形になっています。この日も吉住さんの禰宜は「最早食べますまい」と茶を断り、茶屋は茶碗を大小前に持って帰ります。

さてこの段が終わると、肩箱を担いだシテ山伏の万蔵さんが登場してきます。括り袴に黒か褐色の水衣、篠懸をかけて兜巾を着けた典型的山伏姿です。篠懸が紫色だったのが印象的でした。この曲のシテの出では次第を謡う形になっていますが、この日は次第を省き、登場したシテは常座で「出羽の羽黒山より出でたる山伏」と威張って名乗り、大峯葛城からの下向道と、舞台を一回りした後、常座で「その奇特には、今目の前を飛ぶ鳥も」と上を見回し「祈り落とすほどの行力じゃ」と強く足拍子を踏みます。
千太郎さんは空飛ぶ鳥も祈り落とす、と正先まで鳥を落とすように進み出て足拍子を踏みましたが、そこまでのオーバーさはありませんでした。

さてシテはのどが渇いたと茶屋を探してワキ正に出、足拍子を踏んで茶屋を見ます。
尊大な態度で茶をくれと言い、茶屋が差し出した椀を受け取りますが「こりゃあ熱い」と怒鳴って椀を戻します。主人は「熱くばうめて進じょう」と茶碗を取り返し、大小前で茶を水でうめた風を見せ、再度椀を差し出します。

すると「むむ、ぬるやのぬるやの」と今度はぬるいと言い、「おのれ街道に茶屋をするほどの者が、茶のぬるい熱いを知り居らぬか」と怒鳴ります。
これを床几に休んでいた禰宜が取りなそうとすると「おのれは憎い奴の」と床几から禰宜を追い出して、自分が床几に腰掛けてしまいます。

禰宜は後見座まで逃れ、茶屋が床几にかかった山伏に茶を勧めます。山伏は二杯目を断り、喉の渇きがやんだと、肩箱を担い出立した風で目付まで進みます。
さてこのつづきはまた明日に
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禰宜山伏さらにつづき

禰宜は常座まで戻り、主人に「さてさて世にはいかつな人があるもので御座るのう」と話しかけ、また床几へと落ち着きます。
しかし山伏は「さてさて憎い奴の、まだ身共がここを立ち去りもせぬうちに、はや高腰をかけ居る」と怒り出し、禰宜を引き摺って正先へと連れ出します。“どうにも禰宜が腹に据えかねる”と肩箱で禰宜を押さえつけ、自分の肩箱を禰宜に持たせるのだと言い張ります。
茶屋が仲裁に入りますが、山伏は自分の行力を力説し、なんとしても禰宜に肩箱を持たせると言ってききません。禰宜は主人に裏道から逃がしてくれと言い、ワキ座の方へ逃れようとしますが、それでは自分が迷惑すると茶屋が止め、理非を明らかにするには二人勝負をしてはどうかと持ちかけます。大藏の形も基本的には同じ流れなのですが、それぞれのやり取りや位置関係などが微妙に違っています。

禰宜も山伏も一度は断りますが、茶屋がうまく持ちかけて、力比べをすることになり、茶屋はいったん退場して大黒の人形に扮した三ノアド眞之介クンを抱きかかえてきます。千太郎さんの時は大黒を小梶直人さんが勤めましたが、和泉流でも三ノアドを大人が演じることも少なくないようです。とはいえ、子供が演じると大変かわいいし、面白い感じがします。

さてこの大黒に祈りを捧げて行力比べをしようというわけです。
まずは禰宜が祈ることになり、幣を振って祝詞を捧げます。なかなかに長い祝詞で、最後に「謹上参迎 再拝再拝」と祈って幣を振ると、大黒がこれに合わせて足を上げます。

茶屋が「是は奇特な事じゃ」と驚き、禰宜の勝ちと言います。禰宜も「私が勝ちで御座る」と喜んで、幣を山伏に持たせようと、正中まで幣持って出ますが、山伏はまだ自分が祈っていないと怒り、数珠をもんでボロンボロンと祈りだします。
しかしこれに大黒はそっぽを向き、さらに山伏が祈ると小槌を振り上げて、山伏に打ってかかろうとします。そっぽを向いてしまう大黒に寄って、山伏が向きを自分の方に変えようとするのは、大黒が子供だからできる、という感じもしますね。

これで勝負が決まったろうと、禰宜が幣を山伏に持たせようとしますが、山伏は納得せず“あい祈り”にしようと言い出します。結局ふたり同時に祈ることになりますが、大黒は禰宜の幣に引かれるように立ち上がり、山伏が祈ると小槌を振り上げて山伏を追います。
しばらく所作を続け、大黒が山伏を追い込み、禰宜と主人がこれを追って留。楽しい一番でした。
(30分:当日の上演時間を記しておきます)
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水戸芸術館で新作能を観る

本日は水戸芸術館に新作能「花供養」を観に行って参りました。
この曲、かの白州正子さんを偲んで多田富雄さんが書かれた曲で、昨年平成20年12月26日、白州さんの没後十年の命日に初演されたものです。
今回は、水戸の開藩四百年を記念して、芸術文化活性化事業の一環として再演されました。

後々あらためて書きますが、私、新作能にはなんとも馴染めない感じがして、これまでよほどのことがない限り拝見しませんでした。特に現代の話を能化するというのは、なんとも釈然としない感じがしていました。
能の謡は七五調を基本とした文語を前提に組み立てられているため、現代の口語ではどうもうまく収まりません。いきおい、現代の話なのに詞章は文語という形になってしまいます。しかも固有名詞などは現代のままですから、これがまた文語と馴染まない感じがします。
また装束も現代の風俗とは当然に合いません。まあ、能装束は必ずしも歴史上の衣装とイコールではありませんから、バーチャルと考えれば良いのかもしれませんが、なんとなくしっくりしない感じが残ります。

せめて古典に典拠を求めて、新解釈で能化したという形でもあればともかくも、現代のものを題材とするのは無理と思っていたわけです。なにも「能」という表現方式を無理に使わなくとも、ほかにいくらでも方策はあるだろうという思いもありました。

ところが、本日の花供養。実際に観てみると思いの外に違和感がなく、我ながら驚いています。

白州さんが能に造詣が深く、そのあたりを踏まえて作られているからなのか、案外、なじむものだなあと思った次第。
シテ梅若玄祥さん、ワキ宝生欣哉さん、さらに囃子方、地謡の力量というのもあるのかもしれません。
間狂言の代わりに登場する女優、真野響子さんも、違和感はあるのですが、その違和感が別な効果も持っているように思えました。このあたりも、いずれまた書いてみたいと思います。

ともかく、興味深い一曲だったと思います。
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国立能楽堂12月特別公演を観る

このところ、仕事の上でいささか忙しい日々が続いていたのですが、昨日ひとくぎりがつきまして、夕べは水戸芸術館で新作能「花供養」を鑑賞。今日は国立能楽堂まで出かけまして、特別公演を観てきました。前々からスケジュールが見えていたので、このあたりで息抜きをしたいなと思い、チケットを手配していたものです。

特別公演は宝生流、近藤乾之助さんの仕舞で「綾鼓」。野村萬さん、扇丞さん、祐丞さんの「咲嘩」。そして観世銕之丞さんのシテで「船弁慶」こちらは重前後之替と早装束の小書がついてまして、早装束は私も初めて。ただでさえ盛り上がる船弁慶ですし、今年最後の観能ということで、楽しみに出かけました。

年の瀬ですが能楽堂はほぼ満席。おそらくはチケット完売だったんでしょうね。
国立能楽堂主催の公演は、番組も質が高いし、料金もリーズナブルなので人気があり、すぐ完売になってしまいます。

能楽は期待通りで、仕舞、狂言、能、と楽しく拝見しました。
咲嘩も二年ぶりくらいで観ましたが、すぐ後ろの席の方達がお話になっていた通り「誰が観ても面白い」一曲です。祐丞さんはしばらくお見かけしていなかったのですが、人の良さそうな“すっぱ”で楽しい舞台でした。

船弁慶も観て面白い曲ですが、各流様々な小書があり、今回は観世流の重前後之替。
前後之替の小書は一昨年観世恭秀さんのシテで拝見した際の鑑賞記を書いています。イロヱが省かれ、後シテが白式になるなど、いずれも似た形ですが、前後之替では前シテが中ノ舞を舞うところ、重前後之替では盤渉序ノ舞となり、全体的に位も重くなる感じです。
もっとも今回は銕仙会の先生方ですので、やや重めに演じておられるのかもしれません。
昨晩の花供養は梅若玄祥さんのシテでしたが、後見や地謡は銕仙会の先生方がちょうど半分。昨晩、水戸でお見かけした方々を、今日も東京で拝見するのはちょっと不思議な感じです。

また「早装束」は和泉流の間狂言の小書ですが、本当に早変わりでビックリ。万蔵さんの熱演でした。
いずれ鑑賞記の中で詳しく書くつもりでいます。
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巻絹 工藤寛(天地人之会)

金剛流 国立能楽堂 2009.11.23
 シテ 工藤寛、ツレ 高橋雪絵
  ワキ 大日向寛、アイ 深田博治
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸信吾
   太鼓 梶谷英樹、笛 栗林祐輔

天地人之会Vol3とされているのですが、天地人之会で工藤さんの望月を拝見したのが平成18年。あれは第1回だったのか、第2回だったのか・・・ともかく工藤寛さん主催の能楽会で、今回は工藤さんの巻絹と金剛宗家の融、さらに萬斎さんの萩大名という番組。
当日のあらましや、ドイツ人のお爺さんに話しかけられたことなどは、先日書いた通りです。

その際にも触れたように、冒頭の解説で三浦裕子さんが「今日の三番はいずれも和歌を巡る曲」として紹介されていましたが、そういう括りで捉えてみると、確かに面白い感じがします。
熊野に諸国から巻絹を奉納せよという宣旨により、各地から巻絹が運ばれますが、都からの巻絹を持参した男は、途中、音無の天神に立ち寄り心中に歌を詠んで天神に手向けます。しかし男は、熊野への到着が遅れたため廷臣に捉えられてしまいます。
ここに現れた巫女が男の縄を解き、廷臣に男を許すようにと求めます。実は和歌に感じた天神が巫女に憑いて託宣を述べている訳で、男が許されると巫女は祝詞を捧げて神楽を舞い、やがて神が上がって本性にかえる、という一曲です。
まあ、それだけの曲と言ってしまえばそれだけの曲ですが、神楽からさらに神憑りになって舞い続け、ふと神が離れて本性に帰るという展開に能らしい面白さがあるところで、上演回数も割と多い方だと思います。

これまでこのブログでも、関根祥人さんの神楽留の小書付と浅見真州さんの諸神楽の小書付のものの鑑賞記を書いています。いずれも観世流ですが、今回は金剛流。当日の解説によりますと金剛流ではこの曲の神楽をたいへん重く扱うのだそうです。そのあたりはいずれ触れるとして、曲の進行は明日へと続きます
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巻絹のつづき

巻絹が金剛流では重い扱いになっているというためなのか、囃子方、地謡ともに半上下で登場し着座します。まずは栗林さんの吹く名宣笛でワキの大日向さんとアイの深田さんが登場してきます。ワキが常座に出て名乗り、アイは後に控える形。千疋の巻絹を三熊野に納めよとの宣旨により、国々から巻絹を集めているが都からの巻絹が遅くなっている由を語ります。
ワキは名乗り終えると「いかに誰かある」とアイを呼び出し、都からの巻絹が着いたならば報告するようにと命じて、ワキ座へと着座します。アイも地謡座前に着座して待つ形です。

次第の囃子でツレ、都の男が登場します。白大口に緑の水衣を着け巻絹を右肩に担っています。舞台に進むと次第を謡い、サシ、下歌、上歌と謡って三熊野にやって来ます。着き台詞から「音無の天神へ参らばやと思い候」と述べた後、観世流などですと「や」と一声あって「冬梅の匂いの聞こえ候」となり、梅の香に「や」と気付いて梅を探す展開ですが、金剛ではまず「冬梅の匂いの聞こえ候」と言ってから「や」と一声あって「これなる梅にて候」と、「や」の声は梅の木を見つけて発する声になっています。ちょっとしたことですが、気にしてみると面白い。ツレは高橋雪絵さん、後見などでは何度かお見かけしていますが、役で拝見するのは初めてです。

目付で下居して合掌したツレは「南無天満天神、心中の願叶えて給わり候え」と謡って立ち上がり、地謡で橋掛りへと進みます。一ノ松まで進んでから地謡一杯に舞台に戻り、常座からワキに向いて案内を乞います。

アイとのやり取りがあり、ワキにアイが取り次ぎますが、ワキはツレを詰問する形になり、地謡の上歌でアイがツレに縄を掛けて「とったぞ」と声を出します。
遅参の科で縛られてしまったという次第です。ここでシテの出となりますが、このつづきはまた明日に。
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巻絹さらにつづき

アイの「とったぞ」の声で直ぐに幕内から呼び掛けとなり「のうのう その下人をば何しに縛め給うぞ」とシテが登場してきます。シテは白の水衣に緋の大口、木綿襷を掛けて烏帽子を着け、右手に幣を持った巫女の姿です。
「人倫心なし」までで一ノ松に至って正面を向き「その縄解けとこそ」とキメます。

「解けや手櫛のみだれ髪」からの大ノリの謡で舞台に向かい、常座からツレの後ろへと回り「引き立て解かんと」とツレを立たせますが、「何とか結びしなさけなや」で下がってシオリ、ツレは再び下居します。

ワキが何の神託かと問うと、シテはこの男が昨日音無の天神で、一首の歌を詠んで自分に手向けた者なので、急いで縄を解くようにと求めます。「我に手向けし者なれば」と、自らが音無の天神であることを示し、神が巫女に憑いていることが見所にも分かる展開となっています。

ワキはこのような下賤の者が歌など詠む訳がないと否定しますが、シテはツレに上の句を詠むように促し、ツレの詠んだ「音無にかつ咲きそむる梅の花」に「匂わざりせば誰か知るべき」と下の句を続け、男が歌を詠んだことを証明します。
そして続く地謡で、正先あたりまで出てから常座へと戻り、ツレの後に行って縄を解いてしまいます。

ツレが立って地謡座前に進み着座する一方で、地のクリのうちにシテは大小前にて床几にかかり、幣を右手でつまむような形でひざに立ててサシ謡となります。
シテの謡を地謡が受けてクセへと進んで行きます。シテは床几にかかったまま「自性の月 ようやく雲をさまれり」と、目付柱の上方に月を見上げる態。上げ端の後「婆羅門僧正は 行基菩薩の御手をとり」で、右手の幣を左手に取り、右手で扇を広げると、立ち上がってクセの後半を舞います。
さてこのつづきはまた明日に
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巻絹さらにさらにつづき

クセを舞上げて、シテがそのまま下居すると、ワキが祝詞をあげるように勧め、シテは「心得申し候」と言って笛座に向き、扇を懐に差し「謹上再拝」と御幣を振ります。
さらにいったん少し出てから下がって下居し、幣を両手で抱くような形になって「そもそも当山は・・・」と謡い出します。

地謡と掛け合いの形で金剛山の霊光が熊野に飛んで霊地となり、御嶽は金剛界、熊野は胎蔵界であると謡います。そして地謡の「密厳浄土有り難や」で、シテは幣を両手で捧げて常座に向いて立ち、幣を高く捧げて神楽へと入っていきます。

普通「神楽」は序、カカリから、初段、二段までが本来の神楽で、神楽独特の譜で舞い、三段からは直りといって神舞になるという構成で出来上がっています。
一噌流の神楽の唱歌はなんだか「涙の連絡船」に似ている感じがする・・・と以前書いたような記憶がありますが、ともかく独特の旋律で、この囃子に乗って幣を使って舞う訳です。そして三段になると幣から扇に持ち替え、神舞を舞う形になります。(金春流では最初から扇で舞うようですが)

他流の小書が付かない巻絹は、この通常の直りがある神楽を舞いますが、金剛流は五段全部を神楽で舞う形になっています。
しかも、これは金剛流の特徴なんでしょうけれども、舞の手が複雑で流麗な感じがします。この後に観た宗家の融も舞の手が込んで華麗な印象でした。「舞金剛」と言われるのにふさわしい舞だと思います。
段が進むに従って小回りが多く取り入れられ動きが複雑に。四段の終わりでは膝をつくなど型に変化があります。
他流でも総神楽や五段神楽などの小書が付くと、直りのない五段の神楽を舞いますから、この曲では五段の神楽を観たいという声が少なからずあったのだと思います。そのあたりを巡っては、もう一日、明日につづきます
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巻絹もう一日の続き

神楽を舞上げると地謡が「不思議や祝詞の神子物狂」と謡い出し、シテはシカケ開キ、大左右から正先へ打込、開いて下がり、御幣を捧げて正中で下居します。

「証誠殿は阿弥陀如来」と謡い、地謡が受けて「十悪を導き」と聞いて「五逆をあわれむ」で立ち上がって謡い舞いになります。上掛リとは地謡とシテの謡の切れ目が微妙に違います。

目付へ出て角取りし、左へ回って大小前へ。小回りして幣を差し出し「満山護法」と開いて足拍子を踏みます。さらに「御幣も乱れて」と招き扇の形になり、「空に飛ぶ鳥の」と上を見上げたりしつつ舞い進みます。
そして「神はあがらせ給う」とワキ正に出てゆっくりと幣を上げて捨てる形になり、膝をつきますが、「狂い覚めて」と立ち上がって、最後はユウケンして留となりました。

要は「神はあがらせ給う」で、まさに神が神子から離れ、神憑りが解けたという態です。他流でも同様の展開ですが、ここで神憑りが解けるとすると、神楽は神憑りの状態のまま舞上げるということになります。神楽に直りがあると、そこで神憑りが解けた印象になってしまう可能性があります。
そこで直りのない五段神楽を舞うというのが、一つの主張となってくるのかも知れません。この日の三浦さんの解説はそういう見方でした。

通常の直りのある神楽の場合でも、神憑りが解けるのはこの「神はあがらせ給う」のところですから、「神楽は直りのあるもの」と割り切ってしまえば良いのでしょうけれども、金剛流はそのあたりにこだわりを持って演出して来たのかも知れません。
また、他流でも総神楽を意図した小書が多々あるところをみると、神憑りのまま神楽を舞上げるという形に、納得感を持った人も多かったのかとも思います。
(71分:当日の上演時間を記しておきます)
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大晦日にひとこと

今年は転勤もあり、しばらく落ち着かない日々を過ごしました。ほぼ20年ぶりでゴルフを再開したこともあり、観能の機会が減っています。
能三十八番、狂言三十一番を観ましたが、平成18年にこのブログを開始してからでは最も少ない鑑賞曲数。
とは言え、曲数はやや少なくなりましたが、それぞれ記憶に残る曲です。いきおい鑑賞記も細かい記述になりがちで、一曲の分量が増えています。まあこれも、書きたければ書くし、無理には書かないという程度の軽い気持ちで、来年も続けていければと思っています。

ブログのヒット数も10万を超え、12万7千近い数になっています。これもご来訪頂いた皆様のおかげと感謝しています。

11月と12月に更新した鑑賞記の索引をアップしました。
能の鑑賞記では六曲、狂言鑑賞記には四曲を追加しています。今回の更新分は、これまで既に鑑賞記で取り上げた曲ばかりですが、同じ曲も流儀や小書が違えば印象が違ってきますし、シテの演出に対する考え方も大きな影響があります。鑑賞記では、できるだけそのあたりを意識したつもりです。

来年も社会、経済は激動が続きそうです。仕事上もハードな日々になりそうですが、そんな時だからこそ、ゆとりをもって能楽を観、鑑賞記を書いていきたいと思っています。
来年もよろしくお願いします。
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