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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

巻絹もう一日の続き

神楽を舞上げると地謡が「不思議や祝詞の神子物狂」と謡い出し、シテはシカケ開キ、大左右から正先へ打込、開いて下がり、御幣を捧げて正中で下居します。

「証誠殿は阿弥陀如来」と謡い、地謡が受けて「十悪を導き」と聞いて「五逆をあわれむ」で立ち上がって謡い舞いになります。上掛リとは地謡とシテの謡の切れ目が微妙に違います。

目付へ出て角取りし、左へ回って大小前へ。小回りして幣を差し出し「満山護法」と開いて足拍子を踏みます。さらに「御幣も乱れて」と招き扇の形になり、「空に飛ぶ鳥の」と上を見上げたりしつつ舞い進みます。
そして「神はあがらせ給う」とワキ正に出てゆっくりと幣を上げて捨てる形になり、膝をつきますが、「狂い覚めて」と立ち上がって、最後はユウケンして留となりました。

要は「神はあがらせ給う」で、まさに神が神子から離れ、神憑りが解けたという態です。他流でも同様の展開ですが、ここで神憑りが解けるとすると、神楽は神憑りの状態のまま舞上げるということになります。神楽に直りがあると、そこで神憑りが解けた印象になってしまう可能性があります。
そこで直りのない五段神楽を舞うというのが、一つの主張となってくるのかも知れません。この日の三浦さんの解説はそういう見方でした。

通常の直りのある神楽の場合でも、神憑りが解けるのはこの「神はあがらせ給う」のところですから、「神楽は直りのあるもの」と割り切ってしまえば良いのでしょうけれども、金剛流はそのあたりにこだわりを持って演出して来たのかも知れません。
また、他流でも総神楽を意図した小書が多々あるところをみると、神憑りのまま神楽を舞上げるという形に、納得感を持った人も多かったのかとも思います。
(71分:当日の上演時間を記しておきます)
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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