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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

花供養さらにつづき

ワキの男の問いかけに、シテは自らを「壽椿尼」というべきか、または知らずともいうべきかとはぐらかし、「今の世の名は知らずとも 名乗るも恥ずかしや」と「白州」を重ねて暗示しながら、続く地謡で塚に中入りします。

中入になるとワキが、このあたりの人に詳しく話を聞こうと言って、間狂言に代わる「語り」の真野響子さんの登場となります。

実はこの「花供養」については、この日も地謡に入っていた銕仙会の柴田稔さんが、ご自身のブログで2008年の初演時の様子などを書いておられます。
この中で、真野さんを責めるという趣旨ではないことを断ったうえで、能楽の役者は「構え」という形を作って舞台に出てくるが、この「構え」なしに歩くことになるので、能の舞台が受け付けてくれず、浮いてしまう感じがすると書いておられます。

この印象はよく分かります。
確かに橋掛りを進む姿が、なんだか様(サマ)にならないんですね。そこはそれ経験ある女優さんですから、女性らしい立ち姿、和服もきちんと着こなしておられるのですが、なんだか収まりが悪い感じです。

ただ私としては、むしろこの違和感は演出の効果としては正解だったのではないか、と思っています。語りが「口語」で分かりやすいということもあり、そのためには能楽の役者でない演者が必要だったのかも知れません。
けれども、この能の主題は、長年能に親しみ自らも舞った白州正子が、ある時からふっつりと止めてしまい、それが「女性が能を演じることの無理」を悟ったからだという、そのあたりにあるのだろうと思います。
その「女性の演じることの無理さ」が、柴田さんのいう構えを持たない女優の登場で、感覚的にも理解されるように思えます。
語りの中で明らかにされるように、白州さんはこの日のシテ玄祥さんの祖父梅若実、父梅若六郎、そして玄祥さんと深い親交があり、数々の能も演じられたそうですが、ある時、激しい演技で蝉丸を演じて酷評を受け、それ以後、能を舞うことを止めてしまったということです。
逆髪を演じるには、その女性の激情をねじ伏せて、静かなうちに力強い舞台を作れる男の力が必要だと悟った・・・ということのようです。
この場面に本物の「女性らしい」女性が登場することで、視覚的にもこのあたりを感じさせるように思えました。
明日につづきます
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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