能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

久しぶりに更新

二月はじめにパソコンの調子が悪くなり、なんとか復旧しようと試みたのですが、結局どうしようもないということが判明しました。そこで思い切って新しくパソコンを買い込んだのですが、さて使おうという段になると、いままでとかなり環境が違います。
そこで、慣れ親しんだソフトを使えるようにインストールしたり、バックアップしておいたデータを元に戻したりなどして、ようやく環境が整ってきました。(幸いなことに、ほんの数ヶ月前に外付けのHDDを購入して、そちらにバックアップを取っておいたという次第)

というわけで、本日から久しぶりに観能記の更新をします。
一月以上、間があいてしまいました。
再びよろしくお願いします
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巻絹 友枝昭世(能楽座ひたち公演)

喜多流 日立シビックセンター 2010.02.11
 シテ 友枝昭世、ツレ 内田成信
  ワキ 宝生閑、アイ 高部恭史
   大鼓 柿原祟志、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 松田弘之

巻絹は好きな曲だ、と以前にも書きましたが、このブログ四度目の登場です。
観世流関根祥人さんの神楽留の小書付(鑑賞記初日月リンク
同じく観世流浅見真州さんで、こちらは諸神楽の小書付(鑑賞記初日月リンク
さらに金剛流工藤寛さんの演能(鑑賞記初日月リンク
と以上三番の鑑賞記を載せています。
同じ曲について、ああだこうだと書いても仕方ないような気もしているのですが、一方で同じ曲だからこそ流儀や演者による違いが際だって来るようにも思います。ましてや今回は友枝さんの巻絹ですし、喜多の巻絹は初見でもあり、全体の印象や気付いたことなどを書いておこうと思います。

まずは松田さんの吹く名宣笛でワキの宝生閑さんとアイの高部さんが登場してきます。ワキが常座に出て名乗り、アイは後に控える形。千疋の巻絹を三熊野に納めよとの宣旨により、国々から巻絹を集めているが、都からの巻絹が遅くなっている由を語ります。
ワキは名乗り終えると「いかに誰かある」とアイを呼び出し、都からの巻絹が着いたならば報告するようにと命じて、ワキ座へと着座します。アイも地謡座前に着座して待つ形です。

次第の囃子でツレ、都の男が登場します。観世流も金剛流も白大口に水衣の形でしたが、今回は素袍上下で右肩に巻絹を担った形。旅姿で素袍上下というのは、おさまりが悪い感じがしないでもないのですが、ともかく舞台に進むと次第を謡い、サシ、下歌、上歌と謡って三熊野にやって来ます。
このつづきはまた明日に。
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巻絹のつづき

工藤さんの観能記で書いたように、梅の香に気付く「や」の使い方は観世流と金剛流では異なりましたが、喜多流も金剛流と同様の形で「冬梅の匂いの聞こえ候、いづくにか候らん」と言ってから「や」と一声あって、「これなる梅にて候」と「や」の声は梅の木を見つけて発する声になっています。

続いて正先へ出て下居して合掌したツレは「南無天満天神、心中の願叶えて給わり候え」さらに「言いもあえねば言の葉を」と謡って立ち上がり、謡いつつ常座に進み、正面に向き直って案内を乞います。
このあたりも流儀によって微妙に違います。以前の観能記と比べて頂くと面白いかと思います。

アイとのやり取りがあり、ワキにアイが取り次ぎますが、ワキはツレを詰問する形になり、地謡の上歌でアイがツレに縄を掛けて「とったぞ」と声を出します。
遅参の科で縛られてしまったという次第です。ここでシテの出となりますが、アイの「とったぞ」の声で幕が上がり、呼び掛け「のうのう その下人をば何しに縛め給うぞ」と言いつつシテが登場してきます。

シテは紅入唐織着流しに白の長絹、いわゆる静烏帽子なんでしょうか、金色の小ぶりの烏帽子を着けて鬢を垂らしたような形にしています。珍しい装束付けだと思いますが、なかなかに風情があります。喜多流でも大口、水衣の写真を見たことがありますので、今回の装束は友枝さんなりの試みなのかもしれません。
シテは「我に手向けし者なれば」までで一ノ松に至って正面を向き、「納受あれば神慮・・・」と謡って最後は「その縄解けとこそ」とキメます。

「解けや手櫛のみだれ髪」からの大ノリの謡で舞台に向かい、「引き立て解かんと」とツレを見込みますが、「心強くも岩代の松の」とツレから面を外してワキ座へ向き「何とか結びしなさけなや」で下がって正面へ直します。ここではシオリの型はありませんで、シオる観世流や金剛流とは、シテの心情の捉え方が違ってくる感じがします。
さてこのつづきはまた明日に
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巻絹さらにつづき

ワキが、これはどうしたことかと問うと、シテはこの男が昨日音無の天神で、一首の歌を詠んで自分に手向けた者なので、急いで縄を解くようにと求めます。

ワキはこのような下賤の者が歌を詠むなど思いもよらないことと否定しますが、シテはツレに上の句を詠むように促し、ツレの詠んだ上の句に下の句を続け、男が歌を詠んだことを証明します。
そして続く地謡で、ワキ座に向かって正中辺りまで出、常座へと戻ってツレを見込み、後に行って「打ち解けこの縄を」と縄を解いてしまいます。
ツレは立って笛座前に進み、シテは「とくとく許し給えや」とワキに向かって左手を延べ、許しを乞う形になります。

続く地のクリのうちにシテは常座から大小前へ進みます。シテがサシを謡い、これを受けた地謡の「寂然閑静の床の上には」で扇を広げると「眠はるかに眼を去る」とユウケン。
そもそもこれまで観た巻絹では、シテが御幣やそれに換えての梅の枝などを持って出ていましたが、今回は装束も唐織着流しで、御幣も持たないという珍しい形なので、ここで扇を広げてユウケンという展開にもなっているのだろうと思います。

さてシテの謡を地謡が受けてクセへと進んで行きます。「よろずの悪念を遠ざかり」とサシ込み、開キ(型は観世流の名称で記載しています)。基本的な曲舞の展開で左右、打込から扇広げ、上げ端「さらば天竺の」で上げ扇の後「婆羅門僧正は 行基菩薩の御手をとり」で、角へ出て扇左に取り、左へ回って正中から常座へと回って正先へ向かい、「詠歌あれば御返歌に」とハネ扇の型などを見せます。

さらにクセの舞がつづき、「神のしめゆう糸桜の」六拍子を踏んで左右から打込んでクセを舞上げ、ワキを向きます。
もう一日、明日につづきます
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巻絹もう一日のつづき

ワキが祝詞をあげるように勧めると、シテは常座に向かい後見から幣を受け取り右手に持ちます。そのまま正先へ進んで下居し、幣を上げつつ「謹上再拝」と謡い出して幣を振ります。
そして両手で幣を捧げるような形になって「そもそも当山は・・・」と謡い出します。幣は左手に取って、膝に立てる形です。

地謡と掛け合いの形で金剛山の霊光が熊野に飛んで霊地となり、御嶽は金剛界、熊野は胎蔵界であると謡います。そして地謡の「密厳浄土有り難や」で、シテは立ち上がり幣を右手に持って、答拝から神楽へと入っていきます。

巻絹の「神楽」の話は、前回、金剛流工藤さんの鑑賞記でもいろいろと書きましたが、喜多流の巻絹も金剛流と同様に五段の神楽です。やはり神憑ったまま神楽を舞上げて、キリの「神は上がらせ給う」で神が離れる形を大切にしたということでしょうね。
神楽の段が進むにつれてノリが良くなり、神憑りの不思議な神々しさが強まってきます。笛が松田弘之さんということもあり、気分の盛り上がるところ。

神楽を舞上げると地謡が「不思議や祝詞の神子物狂」と謡い出し、シテは正先へ出、地謡との掛け合いで謡いつつ舞う形です。
このあたりの型は流儀、シテによって色々と違いがありますが、今回の友枝さんの舞いは神憑りとなったシテの高揚感がさらに強まる感じでした。

そして「神はあがらせ給う」と一度ワキに寄りますが、下がりつつ万歳をするように両手を挙げ、その挙げる勢いのままに幣を捨てて安座しました。
「声のうちより狂い覚めて」と立ち上がり、扇を出して留。神が離れたとはっきり感じられるところでした。
素敵な巻絹だったと思います。
(64分:当日の上演時間を記しておきます)
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二人大名 野村萬(能楽座ひたち公演)

和泉流 日立シビックセンター 2010.02.11
 シテ 野村扇丞
  アド 吉住講 野村萬

たしか5、6年前に石田さんのシテ、萬斎さんのアドで観て大変面白かった記憶があります。二人の大名が連れだって出かけることにしますが、二人とも供を連れていません。そこで道すがら通りかかった男を脅して太刀を持たせることにします。ここから展開するドタバタですが、和泉、大藏両流にあり、好まれる狂言のためか演出も家々で様々の様子です。
また今回の鑑賞記では、シテ、アドの別を和泉流の本に依り、先の大名をシテ、後の大名をアド、往来人を小アドとしました。しかし以前にも度々書いているように、狂言のシテ、アドは融通無碍のところがあり、当日の番組には上段に往来人として野村萬さんの名前が書かれ、下段に大名として扇丞さんと吉住さんの名前が書かれています。
能のシテ、ワキのように、役柄によって演じ手が分化しているのと違い、狂言ではシテ、アドといっても、その時々で同じ狂言方が交互に演じるので、事前の配役と異なったりといったことも起こりがちです。あまり気にするものでもないと思いますが、鑑賞記だと一々役名を書くのも面倒な時が多いため、シテ、アドの別を用いていますのでご了承ください。

まずはシテの大名が登場し「隠れもない大名」と名乗った後、長閑な天気なので、かねて約束のお方を誘って野遊びに行こうと言って、アドの大名を訪ねます。家によって、野遊びではなく都に上るという演出もあるようです。

二人の大名は連れ立って野遊びに出かけます。
このつづきはまた明日に
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二人大名のつづき

シテはアドに、召し遣う者を方々に遣わしてしまったので、一人も家におらず自ら太刀を持って出てきたと語ります。アドは家を出る前に言ってくれれば、誰かに持たせたのにと悔やみますが、シテは通りかかった者に持たせようと思うなどと言い、二人して野に腰を下ろして休むことにします。

野に座った態でワキ座にシテとアドが前後して座していると、小アド往来人が登場してきます。
往来人は急ぎの使いに行く者と言い、人に使われていると毎日毎日忙しいなどと愚痴を言いながら舞台を廻ります。

この往来人を見つけ、シテはちょうど良いとばかりに声をかけます。
例によって小アド往来人に声をかけたシテの大名、どこからどこへ行くのかと問いかけますが、往来人は急の使いで山一つ向こうに行くところと答えます。

シテは、是非とも自分たちと同道するようにと、往来人に求めます。どういう魂胆か怪しいところですが、是非にと求められて往来人は同道することにし、シテの大名、アドの大名、そして小アド往来人と三人連れだって舞台を廻ります。

シテはその道すがら、往来人に無心したいことがあると言い出します。
さてその無心というのは太刀を持ってくれという次第。当然ながら往来人は断りますが、シテは太刀に手をかけて往来人を脅し、結局は往来人が太刀を持って同道することになります。
このつづきはまた明日に
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二人大名さらにつづき

受け取った太刀を往来人は左手に持ちますが、左には持たぬものなので是非とも右に持つようにと大名が求めます。小アドが太刀を右に持つと、いかにも持ちぶりが良いなどと大名達が褒め、往来人も身内の者のように太郎冠者と呼んでくれなどと言って、大名達を喜ばせます。

実は私、前々からこの段が今一つ腑に落ちません。この後、往来人の仕返しに場面が展開していくのですが、いきなり脅かされて太刀を持たされたことに腹に据えかねているなら、わざわざ頼まれもしないのに「太郎冠者と呼んでくれ」などと余計なことを言い出さなくても良い様に思います。何か私の解釈に不足している部分でもあるのではないかと、気になるところです。

とまれ、すっかり上機嫌の大名達ですが、面白くないのは往来人。
二人の後から着いていくと「がっきめ、やらぬぞ」と大声を出し、太刀を抜いて構えます。これに驚いたのが大名達。その太刀を返せと言いますが、往来人は大名達の一腰を取り上げてしまいます。

そもそも太刀で脅して太刀持ちをさせるというのが自己矛盾な訳ですが、それに気付かずまんまと往来人に脅される羽目になる大名達の間抜け振りが笑いを誘うところです。
さらに往来人は、二人の大名に着ている小袖を脱いでよこすようにと命じます。
一度は渋る大名ですが、太刀で脅されて二人とも小袖を取り上げられてしまいます。
さてこのつづきは、もう一日明日に
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二人大名さらにさらにつづき

小袖を脱いだ二人に対し、今度は犬の噛み合う真似をしろと往来人が命じます。
これまた抵抗するも、太刀で脅された二人は犬の噛み合う真似。正中へ出て二人が向き合い、「うー」と犬の鳴き声の真似をしつつ前後に動きあい、最後は立ち上がって「びょうびょう」と手を回して、噛み合いの形を示します。

続いて小アドは、大名達の着けている烏帽子が鶏の鶏冠に似ているので、今度は鶏の蹴り合う真似をするようにと命じます。これまた二人して鶏の蹴り合いの真似をすることになるわけです。
この鶏の蹴り合いと犬の噛み合いは逆順となる演出もあるようです。

いよいよかさにかかった小アドは、今度は京の町にはやる「起き上がり小法師」の真似をするように命じ
「京に京にはやる おきあがり小法師 とのだに見れば とのだに見れば ついころぶ ついころぶ(『とのだに見れば ついころぶ』とする形もあるようです)合点か 合点じゃ(『合点か 合点か』とする形もあるようです)合点合点合点じゃ」
という小歌を謡って浮きに浮いて面白くするようにと言います。

大名達はやむを得ず、この小歌を謡って拍子を取ります。起き上がり小坊師よろしく、体を揺すったりで、拍子を取りつつ謡いますが、これを楽しんで大笑いした往来人「最前から色々のことをさしたれども 太刀も刀も返すことはならぬぞ」と言い置いて退場してしまいます。
シテアド二人の大名が、やるまいぞとこれを追って型通りの留となりました。

いつもながら小アド萬さんの味のある芸に見入った次第です。
(27分:当日の上演時間を記しておきます)
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青野守 粟谷明生(能楽座ひたち公演)

喜多流 日立シビックセンター 2010.02.11
 シテ 粟谷明生
  ワキ 宝生欣哉、アイ 山下浩一郎
   大鼓 柿原祟志、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 松田弘之

喜多流には白田村や白是界、そしてこの青野守のように色で始まる曲名があります。
他流で言えば、いずれも田村や是界、そして野守の小書付のようなもので、白田村は金春の田村白式とよく似た形であることなど、以前このブログでも記載しました。(白田村の鑑賞記初日月リンク)しかし小書付ではなく、あえて曲名自体を変えているのは、能の位が重くなる・・・形や型だけの違いではないことを明らかにする意図では無かろうかと思います。

この青野守は平成17年に高林白牛口二さんが二百年ぶりに上演し、その翌年、この日のシテ粟谷明生さんが演じています。この辺りの事情や、演出についての演者としての考え方などは、明生さんが粟谷能の会のホームページにくわしく記載されていますので、ご参照頂ければと思います。
私としてはこうした演者の思いを踏まえつつ、さて見所からはどう見えたのか、そういう視点で、見たこと、感じたことなどを書いてみようと思っています。
なお野守については、このブログでは18年に金剛流工藤寛さんの小書無しの上演(鑑賞記初日月リンク)、20年に観世流梅若万佐晴さんの白頭・天地之声の小書付の上演(鑑賞記初日月リンク)について、鑑賞記を書いています。あわせてご参照頂ければと思います。

さて舞台にはまず後見が、緑の引廻しを掛けて榊のような葉を上に付けた塚の作り物を持ち出してきて大小前に据えます。天地之声は幕に中入することもあって作り物を出しませんが、通常は流儀を問わず大小前に塚を出すようです。
さてこのつづきはまた明日に
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青野守のつづき

舞台が落ち着くと次第の囃子。ワキ羽黒山の山伏が登場してきます。白大口に褐色でしょうか黒っぽい水衣、篠懸に兜巾姿で、修行を積んだ法力の高い山伏という風。

なにぶん特設舞台のため橋掛りも短いので、次第の囃子も短めですが、ワキ山伏は常座に立ち次第謡。正面に向き直って、羽黒山より出た山伏だが大峯葛城の修行を志し大和路を辿る旨を述べて道行の謡になります。

「子に伏し寅に起き馴れし」と、寝る間を惜しんで修行の旅を続ける様を謡いつつ、大和の国へとやって来ます。(子の刻は午後十二時頃、寅の刻は午前四時頃ですね)
和州南の、このあたりは春日野というところかと、人を待ち名所などを尋ねようとワキ座に着座します。

代わって囃子が一声を奏し前シテの出になります。
小格子厚板なのだろうと思うのですが、よく見る小格子ではなく、かなり大振りの格子柄で、渋さの中に大胆さを感じる装束。これにシケの水衣、杖を右手に持った老人の姿で舞台に登場し、常座で一セイ「春日野の 飛火の野守出でて見れば 今幾程ぞ若菜摘む」を謡います。

この後のサシ、下歌、上歌は省略されました。天地之声の時もそうでしたが、小書が付くと省略される場合が多いようです。
明生さんは、以前の演能記で、この上歌の「昔仲麿が 我が日の本を思いやり」という謡がお好きだと書いておられて、かつて青野守を演じた際には省略されなかったとのこと。今回はどうされるのか興味を持っていたところですが、今回は略されました。

たしかに百人一首にも取られている阿倍仲麻呂の歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を読み込んだ謡で、趣き深いところですが、地方での公演で、しかも能楽が初めてという方も少なくない状況では、略される方が良いのかも知れません。
このつづきはまた明日に
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青野守さらにつづき

謡い終えたシテに、ワキが「如何にこれなる尉殿 御身はこの辺りの人にてましますか」と問いかけます。ワキシテの問答が始まりますが、ワキは由有りげな水を指し何というのかと尋ねます。

これにシテは「野守の鏡」と答え、自分たちのような野守が姿を写すので野守の鏡というのだが、誠の野守の鏡というのは昔鬼神が持っていた鏡を言うのだと聞いていると語ります。水鏡と鬼神の鏡の話になりますが、ワキは「はしたかの野守の鏡」と古歌に詠まれたのは、この水のことかと問いかけます。
「はしたか」に喜多流では「敏鷹」の字をあてるようですが、観世の大成版では「箸鷹」としています。この後で地謡の謡に出てくる、新古今和歌集巻十五にある歌「はし鷹の野守の鏡えてしがな思ひ思はずよそながら見む」を下敷きにしたやり取りです。

シテ老人はその謂われを語って聞かせようと、正中に下居して語になります。

昔、この春日野に帝の御狩があった時、鷹が行方知れずとなってしまった。彼方此方と探したが、一人の野守がやって来て鷹の行方を知っていると申し出た。
さっそく問いただすと、水の底に鷹がいるという話。水底に鷹がいるわけは無いと狩人達が水にばっと寄ってみると、まさしく水底に白斑の鷹がいる。水底の鷹を良く良く見てみれば、木の枝に留まった鷹の姿が水に映っていたことだ・・・と語り、新古今の歌が示されます。

この語の後半でシテは立ち上がり「狩人ばっと寄りて」で、正先に出て水底を覗く型を見せます。「ばっと寄り」ですから素早い動きを見せたいところですが、シテは老人。どう演じるかは工夫のいるところで、明生さんの演能記にもこの話が出てきます。
当日の印象としては、すっと正先に出た感じで、早めの動きではあるものの、老人である前提をけっして崩さない範囲と感じました。
さてこのつづきはまた明日に
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野守さらにさらにつづき

昨晩は久しぶりに帰りが遅くなり、更新を断念しました。というわけで本日は青野守の鑑賞記、18日更新分の続きです。

シテの語から地の上歌となり、「老の思出の世話を申せばすすむ涙かな」とシテは正中へ出て下居してシオり、ロンギとなります。ロンギでは、ワキ山伏がその真の野守の鏡を見てみたいと所望したことが謡われます。

「鬼の持ちたる鏡ならば 見ては恐れやし給はん 真の鏡を見ん事は叶ふ真白の鷹を見し 水鏡を見給へ」と地謡が謡い、真の野守の鏡は鬼の持つ鏡なので、恐ろしいことになるかも知れず、水鏡を見るようにと言い捨てて老人が姿を消してしまう展開です。

この中入でシテは塚の中に姿を消しますが、この際に手に持った杖を捨てて塚へと入りました。
梅若万佐晴さんの天地之声の時は、塚を出しませんので中入は幕でしたが、橋掛りを進んで一ノ松で立ち止まり、ワキに左手を延べるようにして杖を捨てました。この時の形もなかなかに趣きがありました。

さてシテが中入りすると型通りにアイの里人が舞台に入り、ワキとの問答の形から居語りで池の謂われを語ります。そしてノットの囃子からワキの待謡。このような奇特に逢うのも、自分が積んできた行徳のお陰と、鬼神の明鏡くもらず奇特を見せて頂きたいと謡います。

明生さんの演能記に触れられているところですが、この野守、後シテは鬼神となっています。鬼神とは何なのか、いわゆる地獄の鬼・・・とは異なるということです。
鬼神をキジンと濁って読むか、キシンと濁らずに読むかで違うのだという説もあるようですが、ともかくこの曲の鬼神は「神」の性格が強く感じられます。

徳を積んだ行者であって初めて、その鬼神に出会う奇特を得ることが出来るという次第です。このワキの待謡はそうした事情を示し、かつまた自分自身がそういう徳を得たことを誇らしく思う気分が伝わってくるものになっています。
このつづきは、また明日に
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青野守またつづき

ワキは待謡の最後に「南無帰依佛」と謡い、これを受けて作り物の中から後シテの謡「有り難や 天地を動かし鬼神を感ぜしめ」が聞こえてきます。地謡となり後見が引廻しを広げ、「野守の鏡は現れたり」で引廻しを下ろします。すると緑がかった大べし見の面を着け、袷法被に半切も、やはり緑系のものとした後シテが、床几にかかった姿を現します。

この後シテの出、通常は作り物の引廻しを下ろさず、シテは作り物の後から回り出てきます。金剛流工藤さんの観能記でもそうした様子を書いておきました。
しかし明生さんは様々に考えられたうえで、あえて引廻しを下ろす形を選ばれたようです。
演出の意図通りかどうかは分かりませんが、私は一般的に引廻しが下ろされる形が好きです。岩戸開きではありませんが、強い力、それも正しきものの力が出現する時は、隠れているものの内側から突き破るような形に惹かれます。後から回り出るのでは、そうした力強さが表現しきれないように感じています。

ただし、この曲の場合、引廻しを下ろすといささか難しい問題が生じます。シテの出現にワキは「恐ろしや打火かがやく鏡の面に写る鬼神の眼の光 面を向くべきようぞなき」と恐れおののきます。これに対してシテは「恐れ給はば帰らんと」と一度塚に戻ろうとします。回り出ていれば一度戻る形で良いわけですが、引廻しを下ろしてしまうと対処が難しくなります。
明生さんは作り物の中で床几から下り、膝をトンと突く形でこれを表現しました。なかなかの表現と思います。
さてこのつづきもう一日明日に
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秀麗会を観に行く

本日は金春流本田光洋さんの秀麗会を観に、国立能楽堂に出かけました。
昨日は大変な風で、電車も止まったりの大騒ぎ。昨日だったら観に行けませんでしたネ

さてその秀麗会。光洋先生の砧と、布由樹さんの邯鄲という番組。狂言は善竹十郎さんと富太郎さんで寝音曲。他に仕舞が五番という次第。なかなかに良い番組だったのですが、金春の会の常として見所は空席が目だつところ。お彼岸の最中でもあり仕方ないのかも知れませんが、なんだかもったいないなあと思いました。

金春の砧は戦後の復曲だそうで初見です。特に他流とそれほど大きく違う感じはしませんでした。実は前もって戴いたチラシにも、当日入り口に置いてあった解説にも、いずれもツレの記載がありません。
しかしこの曲、ツレを欠いたら成り立たないだろうと思って舞台を観ておりましたら、何のことはない、囃子方、地謡が着座すると直ぐに「お幕」の声が聞こえ、紅入唐織着流しのツレが登場して、出し置きの形でワキ座に着座しました。
声や背格好から、辻井八郎さんだろうと思うのですが、さて何故番組に記載しなかったのか、いささか気になるところです。
いつもながら光洋先生の深い演技に感じるところがありましたが、観能記はいずれ後ほど

布由樹さんの邯鄲は、正直、なかなかに良かったという印象です。謡も堂に入った感じで、青年らしい盧生の表現。飛び込みをされるか、と期待したのですが、他流同様に台際まで寄って跳び寝する形でした。まあ、それはそれとして、本当に気持ちの良い舞台でした。
帰り際、どなたか見知らぬ老紳士二人の会話「例えば夢から覚めて茫洋とするところなど、光洋さんのそれには及ぶ物ではないが、それでも大変良かった。何か彼の行く先が見えてきたような気がする・・・」と概ねそんな話をされていました。全く同感であります。

今回は珍しく、お誘いして数人で観に行きましたが、いつもの一人きりの鑑賞とはまた違って、楽しい一日でありました。
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青野守もう一日のつづき

さて塚の中に姿を現した後シテですが、青野守の名前の通り萌黄法被に萌黄半切の姿です。面は大べし見で黒頭でした。青の姿なので「青鬼」と捉える向きもありそうですが、この青は春の心ということのようです。

明生さんの演能記には、粟谷家に伝わる伝書に野守は春の能であり、地獄の鬼ではない旨が記されていると書かれています。春日野の陽精、春神という位置づけです。
昨日触れたワキの待謡からも窺えるように、たしかに地獄の鬼というだけではしっくりしない曲になっています。その春神的な面を強調した演出がこの青野守ということなのでしょう。
自分の姿が恐ろしければ帰ろう、と言う鬼神には、行者が祈り伏せるべき鬼と全く違う性格が見とれます。

作り物を出たシテは鏡を使って舞いますが、その鏡には天部の諸伸から地獄の有様まで、あらゆる事が映し出されます。その明鏡をシテはワキに捧げます。
観世、宝生では鏡を持ったまま終曲となり「奈落の底にぞ入りにける」となりますが、金剛の工藤さんは鏡を渡した後、両袖を巻き上げたところから飛び安座で終曲となりました。
今回は大きく広げた両手で半切の裾を持ち、飛び安座とされました。

毎回、明生さんの演能では、様々な工夫を拝見します。常にどのように演じるべきかを求めておられる姿勢に、惹かれるところです。
(60分:当日の上演時間を記しておきます)
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屋島 弓流・奈須与一語 浅見慈一(代々木果迢会別会)

観世流 国立能楽堂 2010.02.21
 シテ 浅見慈一、ツレ 武田友志
  ワキ 森常好、アイ 野村萬斎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 大倉源次郎
   笛 一噌隆之

屋島の弓流は、一昨年の檀の会での松木千俊さんの演能(鑑賞記初日月リンク)以来です。このときも間狂言は萬斎さんでして、奈須与一語を堪能させて頂きました。
今回の代々木果迢会別会は、これまでこのブログでも取り上げてきた曲ばかりではあるのですが、果迢会の皆さんがこれをどう演じられるのか興味深いところであり、是非にと思って早くにチケットを申し込んだものです。

さて屋島の展開自体は果迢会だからといって変わるものでもありませんが、流れに沿って書いていこうと思います。

まず舞台には囃子方と地謡が登場してきますが、囃子方は長上下姿で、重い扱いの演出であることがうかがえるところ。また小鼓の源次郎さんが、金の蒔絵を施した特別な床几を持って出ました。弓流ゆえのことだろうと思いますが、その辺りはまた後ほど。

さてなんだか長閑な感じのする次第の囃子で、ワキの旅僧とワキツレ従僧が登場してきます。角帽子に着流しのワキ僧森さんに、館田さんと森常太郎さんの二人が従僧としてしたがいます。
登場してきた三人はは舞台中央で向き合って次第を謡い、ワキが「四国に行ったことがないので西国行脚を志した」旨を述べて道行。
「屋島の浦に着きにけり」と謡ってワキの着きゼリフ、ワキツレが「もっともにて候」と答えてワキ座に着します。
さてこのつづきはまた明日に
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屋島のつづき

次に一声の囃子でシテとツレの登場。ツレの武田友志さん、武田志房さんのご長男ですが檀の会ではツレが弟に当たる武田文志さんでした。ご兄弟の同じ役を拝見するのも何かの縁かも知れません。

先に出たツレは段熨斗目に水衣、腰蓑を着けて右肩に釣り竿を担った若い漁師の姿で、一ノ松まですすんで振り返ります、
シテは漁師の老人ですが、こちらは釣り竿を右手に持って三ノ松に進みシテサシ、月が海上に浮かんで波に映る様を謡います。夜になって漁師達が塩屋に戻ってきたという風。アシライで舞台に入り、ツレが正中、シテが常座で上歌、下歌と謡います。

塩屋に帰って休もうとシテは大小前、ツレはその向かって左側の大鼓側に少し下がって、二人とも下居します。常の形ではシテが鬘桶に腰を下ろし、ツレがその横に控えて下居しますが、弓流の小書ため前場は床几を使いません。

さてこの二人の登場に、塩屋の主が戻ったので宿を借りようとワキが問いかけ、ツレがこれをシテにつなぎます。松風などと同様に塩屋が余りに見苦しいので宿は貸せないと断りますが、ワキが都から来た者というのを聞いて「都の人」ならばと宿を貸すことになります。「屋島に立てる高松の」とシテは立ち上がり、「苔の筵は痛わしや」とワキに向かって左手を延べ、正中に下居します。続く地謡でシテが正面に体を直し、ワキがワキ座に、ツレが地謡前におさまって、一同が塩屋の中に落ち着いた形です。

シテは都を懐かしんで「我等も元はとて やがて涙にむせびけり」とシオリ。ワキはそのシテに、この浦が源平両家の合戦の跡と聞いているので、その物語をして欲しいと求めます。
これにこたえて屋島の合戦の語になりますが、このつづきはまた明日に
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屋島さらにつづき

シテが背中から中啓を取り出して構え、義経の出で立ちを語り始めます。ツレが加わって錏(シコロ:錣)引きの話となりますが、シテは「着たる兜の錏をつかんで」と扇を左手に取って前へ出し、互いに引き合って「鉢付の板より引きちぎって」と、扇をさっと下げて、錏が引きちぎられた様を仕方で語る形です。いつもながらシテ慈一さんの力のこもった演技で、「この老人はただ者ではない」と思わせます。

ロンギになり「不思議なるとよ海士人の」でシテの肩上げが下ろされて、いよいよ不思議の人物であることが強調されます。「あまりに詳しき物語 その名を名のり給へや」と地謡がワキに代わって謡い、「よし常の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ」という意味ありげな謡を残してシテの中入りとなります。

シテ、ツレが姿を消すとアイの浦の者が常座に進み出てきます。
屋島の通常の形では、登場したアイが中入前に語られた錣引きの話を繰り返すわけですが、奈須与一語の小書が付くと、那須与一の扇の的の話が仕方で語られることになります。弓流の時は間狂言も奈須語になるので、間狂言も楽しみなところです。

萬斎さんの奈須与市語は三度目でしょうか。
前回の檀の会では久しぶりに拝見したので、なんだか余裕を持って演じられているような感じを受けたところです。

アイはまず常の間狂言の通りに常座へ出て名乗り、塩屋の見回りをすると言って目付に出てワキ僧を見つけ問いただします。アイが塩屋の持ち主なのですが、ワキは主に借りたと言い、アイは主は自分だというお馴染みの問答の後、ワキがこの地で扇の的を射たという奈須与一の話をしてほしいとアイに持ちかけます。
これに答えてアイが「そもそも四国の兵」と語りだします。
このつづきはまた明日に
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屋島さらにさらにつづき

間語りは単なる語りではなく、判官義経・後藤兵衛実基・奈須与一宗高の三人を仕方話に演じ分けます。
以前にも書いた通り、この面白さは残念ながら文章には書き表せません。一度ご覧になってみればわかるという次第ですが、見事に与一が扇の的を射落とし、扇が舞う様はさながらその場面を見ているかのような迫力があります。

大いに喜んだ義経が「おことはつっと奥の間へいて 乳吸わい 乳吸わい」と与一をねぎらったと語ります。これってなんだか変な感じですが、要は褒美に奥で女性に甘えてこいと、まあそんな事のようで、当時の戦の有様がリアルに感じられるところでもあります。(大藏流の那須語では「乳吸わせいやい、乳呑ませいやい」と言うようですが)

息もつかせぬ語り物を堪能すると、ワキは老人が夢を覚まさず待っているようにと言ったことを繰り返し、ワキツレと供に待謡。一声での後シテの出となります。

後シテは法被、半切で甲冑姿を表し、常座で「落花枝に帰らず、破鏡再び照らされず・・・」とサシを謡います。大変に美しい法被姿です。
ワキが「もし判官にてましますか」と問いかけ、シテが「われ義経の幽霊なるが」と我が身を明かしてワキとの掛け合いの謡。地謡の上歌で夢物語をしようとシテは床几にかかります。

弓流の小書がつくと、観世流ではここでの床几を常の鬘桶に代えて小鼓方の床几にし、小鼓方は鬘桶に座します。昔、ある時に後見が鬘桶を出すのを忘れてしまい、機転を利かせた小鼓方が自らの床几を出してシテに座らせたのが小書として定着したのだと聞いたことがあります。
この日は中入の間に後見が鬘桶を持ち出してきて、小鼓方の床几と換えており、例の源次郎さんが使っていた金蒔絵の床几にシテが腰を掛けました。
このつづき、もう一日明日に
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屋島もう一日のつづき

クリの謡でシテ床几にかかり、続いてシテのサシ。これを受けての地謡「くつばみを浸して攻め戦う」で弓流の様を見せます。アシライで目付の方へ出てから左へ回ってワキに向かい、ワキ座あたりに弓に見立てた扇を落とし、橋掛りへと進んで二ノ松で「その時、何とかしたりけん 判官弓を取り落とし」と詞。

「駒を波間におよがせて」で馬に乗った型から「敵船近くなりし程に」と一ノ松へ出、さらに地謡で舞台に進んで常座へと出ます。
「されども熊手を切り払い」と面を切って、ワキ座に向かい「終に弓を取り返し」と扇を取り上げ、地謡の「景時が申ししも」と大小前にて再び床几にかかりました。

この弓流の部分の展開は、松木さんの弓流のときとはだいぶん違っています。橋掛りを使って弓が遠く流れてしまった感じを出し、一方で松木さんのときは流レ足を見せたり弓を取ろうとする部分を細かく演じたのに対して、そのあたりはすすっと弓に見立てた扇に寄ったのみとしました。それぞれ主張のあるところでしょうか。

クセでは、松木さんは上げ羽の後「惜しまぬは一命なれば」で立ちましたが、今回はその後の「身を捨ててこそ」まで待って立ち、常座から小回り開キ。
修羅の鬨の声が聞こえ、修羅道の有様を見せる形で「矢叫びの音、震動せり」と拍子を踏みカケリへ。弓流や大事の小書がつくと省略されがちなカケリですが、松木さんと同じくこの日もカケリが入り、舞台を廻り橋掛りへと入って一ノ松で開き「今日の修羅の敵は誰そ」と謡いました。

「その船戦今は早」から能登守教経との激しい戦いの有様となり「海山一同に震動して」で舞台に戻ります。松木さんの時と同様に「浮き沈むとせしほどに」でまた橋掛りを進んで一ノ松で止まってワキを振り返り、「波より明けて、敵と見えしは」から謡のテンポが急に速まる中、一度目の「浦風なりけり高松の」でシテは幕に走り込み、いわゆるワキ留の形となりました。2時間になろうかという長時間の、中身の濃い一曲でした。
(114分:当日の上演時間を記しておきます)
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佐渡狐 野村万作(代々木果迢会別会)

和泉流 国立能楽堂 2010.02.21
 奏者 野村万作
  越後の百姓 竹山悠樹、佐渡の百姓 野村万之介

万作さんの佐渡狐は、このブログでも取り上げていますのであまりくどくど書いても仕方ないと思いますが、今回また気付いたことなど少しだけ書いておこうと思います。
今回も、当日の番組には万作さんの名前が上段に書かれ、竹山さんと万之介さんが下段に記されていました。
そこでこのブログでも、番組通りに役名をつけて記載してみました。

前回、昨年7月の牛久市民能楽鑑賞会の鑑賞記にも書きましたが、和泉流の本来の扱いだと、佐渡のお百姓がシテ、越後のお百姓がアド、そして奏者が小アドということになろうかと思います。たしかにシテとかアドといった区別よりも、番組を見ただけでも配役がよく分かります。万作さんのお名前が上段にある方がおさまりも良さそうですね。

二人のお百姓は、松竹梅を白抜きにした掛け素袍の姿で、昨年観た時と同じ装束だったように思います。当然ながら、曲の進行は同じですので、前回の鑑賞記を併せてご参照頂ければと思います。

今回は脇正面からの鑑賞でしたので、奏者役の万作さんが、佐渡のお百姓から袖の下を受け取るやり取りや、狐の様子をなんとかしてお百姓に教えようとする所作がよく見えまして、楽しく拝見したところです。袖の下は実際にはやり取りをせず、扇で隠していかにも受け取ったような仕草になります。見事な芸でした。

万之介さんの佐渡のお百姓も、何とも剽げて存在自体が可笑しい感じがします。
何度観ても面白いという、狂言らしい狂言でした。
(31分:当日の上演時間を記しておきます)
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卒都婆小町 一度之次第 浅見真州(代々木果迢会別会)

観世流 国立能楽堂 2010.02.21
 シテ 浅見真州
  ワキ 宝生閑
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 幸清次郎
   笛 一噌仙幸

このブログでは、2008年に観世流関根祥人さんの演能を、2009年にはお父様の関根祥六さんがなさった一度之次第の小書付の演能を取り上げています。どちらもそれぞれに趣き深い上演でした。

今回も同じ観世流ということで、型などに大きな違いはありませんが、関根さんが宗家近くにあるのに対して、真州さんは銕仙会の重鎮でもあり、いささか芸系が違います。
また、祥六さんが1930年生まれ、祥人さんが1959年生まれであるのに対して、真州さんは1941年生まれということで、関根父子の間の世代となり、年代としての違いもあろうかと思いつつ鑑賞したところです。

まずは次第の囃子。ところがやけにゆったりとした感じで「おや?」と思ったまま、しばらく囃子が続き、シテの出となりました。
実は休憩時間にもらったパンフレットには書いてあったのですが、事前のチラシには小書の記載がありませんでした。もらったままパンフレットを開けてもいなかったため、当然に次第の囃子でワキとワキツレが登場するものと思っていたのですが囃子が違います。これは習ノ次第と気付き、結局、一度之次第の小書付に変更になったのだろうと納得したのですが、予想と違う展開に、いささか驚いてしまったところです。

さて、登場したシテは三ノ松で杖を突いて立ち、杖持つ右手に左手を添えて暫し佇む形になります。その後、再び杖を突きつつ一ノ松まで出て斜め後ろを向き次第の謡となりました。
さてこのつづきはまた明日に
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卒都婆小町のつづき

シテは千鳥と思しき文様をあしらった薄い黄色系の縫箔を腰巻に着け、黒地のヨレの水衣を着けて笠を被っています。

次第の後は地取りで正面に向き直り、サシ、下歌と続けます。下歌の最後「もしもそれかと夕まぐれ」を長く、悲しげな感じに引いて上歌。
「雲居百敷や」と向きを変えて舞台へと進みだし、「鳥羽の恋塚秋の山」と常座に出て被った笠の前の方に手を添えます。「漕ぎ行く人は誰やらん」と上歌の最後でワキ正へツメて手を下ろし、杖に両手をかけて立ちます。

「余りに苦しう候ほどに、これなる朽木に腰をかけて休まばやと思ひ候」と笠を取って大小前に下居します。
以前にも書いたように、ここは正中に床几を出し、後見が介添えせずに腰をかけるというのが普通の形でしょうけれども、床几を出さずに、そのまま杖にすがるようにして座る形です。祥六さんの一度之次第も同じ形でした。

この日は脇正面の席でしたので、幕内から「お幕」の声が聞こえ、ワキ僧の宝生閑さんとワキツレ従僧の殿田謙吉さんが登場してきました。
熨斗目着流しに水衣、角帽子の姿ですが、ワキが一ノ松に出て高野山より出たる僧と名乗り、この度は都に上るところだが、急ぐほどに津の国阿倍野の松原にやって来たと言って舞台に進みます。

舞台に進んだワキはシテに気付き、乞食の腰掛けているのは卒都婆に違いないので、教化して立ち退かせようと言います。ワキツレが「もっともにて候」と受けたた後、ワキはワキ座に進んでシテに向き、ワキツレはワキ正に出て共にシテに向かう形になります。
さてこのつづきはまた明日に
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