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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

野守さらにさらにつづき

昨晩は久しぶりに帰りが遅くなり、更新を断念しました。というわけで本日は青野守の鑑賞記、18日更新分の続きです。

シテの語から地の上歌となり、「老の思出の世話を申せばすすむ涙かな」とシテは正中へ出て下居してシオり、ロンギとなります。ロンギでは、ワキ山伏がその真の野守の鏡を見てみたいと所望したことが謡われます。

「鬼の持ちたる鏡ならば 見ては恐れやし給はん 真の鏡を見ん事は叶ふ真白の鷹を見し 水鏡を見給へ」と地謡が謡い、真の野守の鏡は鬼の持つ鏡なので、恐ろしいことになるかも知れず、水鏡を見るようにと言い捨てて老人が姿を消してしまう展開です。

この中入でシテは塚の中に姿を消しますが、この際に手に持った杖を捨てて塚へと入りました。
梅若万佐晴さんの天地之声の時は、塚を出しませんので中入は幕でしたが、橋掛りを進んで一ノ松で立ち止まり、ワキに左手を延べるようにして杖を捨てました。この時の形もなかなかに趣きがありました。

さてシテが中入りすると型通りにアイの里人が舞台に入り、ワキとの問答の形から居語りで池の謂われを語ります。そしてノットの囃子からワキの待謡。このような奇特に逢うのも、自分が積んできた行徳のお陰と、鬼神の明鏡くもらず奇特を見せて頂きたいと謡います。

明生さんの演能記に触れられているところですが、この野守、後シテは鬼神となっています。鬼神とは何なのか、いわゆる地獄の鬼・・・とは異なるということです。
鬼神をキジンと濁って読むか、キシンと濁らずに読むかで違うのだという説もあるようですが、ともかくこの曲の鬼神は「神」の性格が強く感じられます。

徳を積んだ行者であって初めて、その鬼神に出会う奇特を得ることが出来るという次第です。このワキの待謡はそうした事情を示し、かつまた自分自身がそういう徳を得たことを誇らしく思う気分が伝わってくるものになっています。
このつづきは、また明日に
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