能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

卒都婆小町さらにつづき

ワキはシテに、腰をかけているのは忝なくも仏体色相の卒都婆ではないか、早く立ち退くようにと諭します。しかしシテは、文字も見えず刻んだ像もなく、ただの朽木と見えると答えます。
ワキは見た目は朽木であろうとも、仏体に刻んだ木であり證がないことなどありえようかと重ねて言い。問答になっていきます。

シテは自分も賤しい埋もれ木ではあるが心の花がまだあると言い、さらに問答が続いていきます「心の花のまだ有れば」に思いを込めた謡でした。祥六さんは呻きのようなおさえた謡でこの問答を続けましたが、真州さんの小町はもう少し若く感情の動きも感じられる印象です。祥人さんの時のほうに近い感じがします。

「さて仏体たるべき謂われは如何に」とシテはワキに向いて問いかけますが、ワキツレが「それ卒都婆は金剛薩捶」と答え出すとワキツレを向いて耳を傾けます。ワキ、ワキツレとの掛け合いから、シテの「臺になし」の謡で後は地謡が引き受ける形になります。
ワキツレはシテの後を回って地謡座前に着座し、「真に悟れる非人なりとて」の謡に合わせて、ワキは下がって下居し、両手を突いてシテを拝する形になります。

シテは「極楽の内ならばこそ悪しからめ そとは何かは苦しかるべき」と戯れの歌を詠みます。地謡の「むつかしの僧の教化や」で杖を取ってすがるようにして立ち上がり、杖突つつ常座へと向かいます。
ワキはワキ正に向かって「これは心ある乞丐人(コツガイニン:乞食)にて候」と思いを述べ、名を尋ねようとシテに向かって「さておことはいかなる人ぞ名を御名のり候へ」と呼びかけます。この声に常座で振り向いて正面へむき直したシテは「恥ずかしながら名を名のり候べし」といいつつ正中へ出て杖にすがって着座し、自らが出羽の郡司、小野の良実の娘、小野小町のなれの果てであるとこを明かします。
明日につづきます
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卒都婆小町さらにさらにつづき

ワキの一行は、小町といえば古は美しき女性であったことを謡います。シテと地謡が、歌を詠み詩を作ってまことに優美な有様だったのが、今は百歳に一つ足りない九十九髪となっている我が身は恥ずかしいと謡い、「有明の影恥ずかしき我が身かな」で笠を上げてワキの方に向け、ワキから身を隠すような形を見せます。

続いてロンギになり、シテは再び杖にすがって立ち上がり、「今日も命は知らねども」と謡い出します。シテと地謡の掛け合いがつづき、シテは「破れ蓑」「破れ笠」で笠を少し上げて見る型。さらに直して杖を突きつつ三、四足出、「袂も袖もあらばこそ」とワキ正で笠を出し、両手で笠を持つと「往来の人に物を乞う」と笠を物乞うように両手で差し出した後、たらたらと下がって杖を落とし「声変わりけしからず」の謡を聞きます

常座から両手で笠を裏返して持ち、「なう物賜べなうお僧なう」とワキに向かって迫ります。いよいよシテの様子が変になってきます。ワキは「何事ぞ」と問いかけ、何者かが憑いた態のシテは「小町が許へ通はうよなう」と言います。
シテは「あら人恋しや」とシオリますが、深草の四位の少将の霊が憑いたことが謡で明かされ、正中へ出て幕を振り返ったシテは、地謡の後の物着アシライで後見座に向かい、緑地の長絹に烏帽子を着けます。

立ち上がったシテは常座に向かい「浄衣の袴かいとって」と謡い出し、右手で持った扇を広げつつ目付へと進み左袖を上げて被く心持ち。「一夜二夜三夜四夜・・・」と指折り数える型などを見せます。

地謡の「胸苦しやと悲しみて」にあわせるように胸に扇をあてて大小前に安座した後、キリの謡で立ち、「花を仏に」で正面に向いてゆっくりと羽根扇、戻しつつ常座で一回りして正を向き「悟りの道に入ろうよ」と扇広げて留。

老女に男の霊が憑くという形は、強さ、弱さの表現が実に難しいところだと思いますが、違和感なく深い思いを残して一曲が終わりました。
(90分:当日の上演時間を記しておきます)
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恋重荷 小早川修(代々木果迢会別会)

観世流 国立能楽堂 2010.02.21
 シテ 小早川修、ツレ 鵜澤久
  ワキ 工藤和哉、アイ 石田幸雄
   大鼓 柿原祟志、小鼓 曽和正博
   太鼓 観世元伯、笛 松田弘之

恋重荷は2008年の6月に、金春流桜間金記さんが演じられた際の鑑賞記を書いています(鑑賞記初日月リンク)。その際にも触れた通り、この恋重荷という能は観世流、金春流のみにあって、一方、宝生流、金剛流、喜多流では同じ主題の綾鼓という曲があります。この綾鼓は同じ年の11月に喜多流の香川靖嗣さんが演じられた際の鑑賞記を載せていますが、喜多流の綾鼓は昭和27年に土岐善麿により改作されたもので宝生流や金剛流の本とはかなり詞章が違います(鑑賞記初日月リンク)。

恋重荷と綾鼓の成り立ちの違いなどについては、金記さんの演能の鑑賞記や、香川さんの演能の鑑賞記の際にも触れていますので、併せてご参照頂ければと思います。

さて今回は観世流の恋重荷です。
舞台上に後見が「重荷」を持ち出してきて正先に置きます。金春の金記さんの時はリンゴ箱くらいの大きさの箱のようなものを朱の地の金襴緞子で包み、濃紺の布を縄にしてかけたものでした。今回、後見の武田尚浩さんが持ち出してきたのも、同じような様子の箱です。
続いて出し置きの形でツレの女御、鵜澤久さんが緋の大口に紅入唐織を打ち掛けにして、天冠を着けた姿で登場し、ワキ座で床几にかかって準備が整います。

名乗り笛でワキの廷臣がアイを従えて登場してきます。実は当初の予定ではワキ廷臣を村瀬純さんが勤めることになっていました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、村瀬さんは今年1月早々に公演先のシンガポールで急逝され、今回は工藤さんとなりました。
ただでさえ少ない東京の福王流ですが、その中心であった村瀬さんが60歳を前に亡くなったのは誠に残念な次第です。ご冥福をお祈りします。
さて曲の方は明日につづきます
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恋重荷のつづき

金春流の恋重荷では、ワキはアイを伴わずに登場し、名乗りの後に自ら橋掛りを進んでシテの老人と問答する形になっています。
一方、観世流ではワキがアイに老人を連れてくるように命じ、シテはアイに導かれて舞台へと進んでワキとの問答になる形です。

シテを伴って舞台に進んだアイはワキに戻った旨を告げ、シテが常座へと出るとワキが立ち上がります。一方、シテは下居して畏まった形。ワキはシテに何故に最近はお庭を掃き清めないのかと問います。シテは所労のためにと申し開きをしますが、ワキは重ねて恋をしているのかと問いかけます。
シテの山科の荘司は菊の世話をする老人。

シテはどうして恋をしていると知ったのか、と恋することを認めた言い振りで返しますが、ワキは「はや色に出てあるぞ」と言い、さらにその話を当の女御が聞かれて「この荷を持ちて御庭を百度千度めぐるならば、その間におん姿を拝ませ給うべき」との事だと伝えます。

シテは重荷を見たいと言い、ワキが「こなたへ来たり候へ」言って二人ともに立ちあがり、二、三足出て正先の重荷を見る形になります。
地次第「重荷なりともあふまでの、重荷なりともあふまでの、恋の持夫にならうよ」で物着となり、物着アシライのうちにシテは後見座で水衣の肩を上げます。

装束を調えたシテは常座に出て「誰踏み初めて恋の路」と謡い、地謡が地「巷に人の迷ふらん」と謡い、シテと地謡との掛け合いのうちに前へ出て、重荷を持とうとします。
金春流ではこの地謡からシテとの掛け合いの前にイロヱが入りますが、観世流では直ぐに掛け合いとなり、謡いつつ重荷に両手をかけたシテは「げに持ちかぬるこの身かな」と、手を放しシオリます。
このつづきはまた明日に
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恋重荷さらにつづき

シテはサシ謡「それ及び難きは高き山、思の深きはわたつ海の如し」と謡い、地謡が受けての謡。左手でシオリつつ、立ち上がったシテは常座へと向かって正に向き直り、ロンギとなります。

ロンギでは「由なき恋を菅筵」でワキ正へ二足ほど出て下居し、「我が手枕の肩替えて」で重荷を見込んで立ち上がると「持てども」と荷に寄って持ち上げようとしますが持ち上がらず、「持たれぬそも恋はなにの重荷ぞ」と荷から手を放し、安座してモロシオリの形になります。

シテは「哀(アハレ)てふ、言だになくは何をさて・・・」と謡い、地謡が受けて「報はばそれぞ人心」で立ち上がり「乱恋になして思ひ知らせ申さん」と力を入れて一度振り向いた後、足早に中入りします。

シテが中入りするとアイが立ち上がって常座に進みます。
アイの立ちシャベリですが、荘司の死を悼み、重荷をとうとう持ち上げることが出来ず、恨み死してしまったことを述べ、ワキ座に近づきワキに荘司の死を報告します。

アイの報告を聞いたワキは「総じて恋と申すことは、高き賤しき隔てぬことにて候えども」と何故、荘司に重荷を持たせようとしたのか、そのゆえを語ります。
老人の叶わぬ恋を思い止まらせようとして、重い荷物を綾羅錦繍を以て美しく包み、いかにも軽げに見せたのだということ。軽そうに見える荷が持ち上がらないのは恋が叶わぬゆえだと気付かせようとしたのに、本人が憤死してしまったのは不憫なことだと語るわけです。

そしてツレの女御の前に進み、荘司の死を伝えるとともに「かの者の姿を一目御覧ぜられ候へ」と勧めます。
このつづきはまた明日に
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恋重荷さらにさらにつづき

ツレは床几から立ち上がって二、三足出て「恋よ恋、我が中空になすな恋。恋には人の、死なぬものかは。無慙の者の心やな」と謡います。ツレとワキは供に下居し、ツレがシオリ、ワキはツレを拝する形になります。

ワキはツレに「立つように」と促しますが、ツレは立ち上がることが出来ません。盤石におされて立つことが出来ないとツレが答え、地謡が「報は常の世のならひ」と謡って、いよいよ後シテの出となっていきます。

出端の囃子から後シテの出。シテは法被、半切の装束に白頭。右手に鹿背杖を突きつつ登場し一ノ松まで進んで「吉野川岩切り通し行く水の 音には立てじ恋い死にし」と謡い出します。
金春流ではシテは小袖を被き、ツレの謡の途中で橋掛りに姿を現します。その後、地謡の謡いっぱいに一ノ松まで出て佇む形となり、あらためて出端の囃子。シテは「吉野川・・・」と謡って被いていた小袖を外して立ちます。いささか展開が違います。
さらに謡いつつ橋掛りを舞台へ進み、地謡の「げにもよしなき心かな」から立廻となりますが、観世流では「言い寄せ妻の空頼め」で一ノ松から舞台に向かい、「げにもよしなき心かな」で常座。さらに「浮き寝のみ、三世の契りの満ちてこそ・・・」と謡い、「あら恨めしや」と両手で杖を持つ形になります。「葛の葉の」と謡って足拍子を踏んだ後に立廻です。
立廻の後はツレに向いて恨みを謡いシオって下居した後に、地謡との掛け合いの謡から「さて懲りたまへや懲りたまへ」とツレに面を切って見込む形になります。

しかしここから場面は一転し、シテが立つとツレも立ち上がってワキ座に戻り、シテは「立ち別れ」と足拍子二つ。左袖を被いて七つ拍子。左へ回って正中で回り「霜か雪か霰か」と見廻します。

「ついには後も消えぬべしや」と杖を落とし、「葉守の神となりて」と常座でツレに向き、「千代の影を守らん」と左袖を返して留拍子を踏みました。
(65分:当日の上演時間を記しておきます)
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竹生島 粟谷充雄(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 十四世喜多六平太記念能楽堂 2010.02.28
 シテ 粟谷充雄、ツレ 佐々木多門
  ワキ 舘田善博、アイ 山本則秀
   大鼓 高野彰、小鼓 幸信吾
   太鼓 小寺真佐人、笛 小野寺竜一

竹生島は、昨年4月の宝生流五雲会での高橋憲正さんシテの上演について、鑑賞記を書いています(鑑賞記初日月リンク)。今回は喜多流ですので、そのあたりの違いなどを意識しつつ書いてみようと思います。

舞台の様子に入る前に一つ。なんとなくお調べを聞いていると、なんだか笛の音がイイ感じ。「一噌流のようだがどなただろう」などと、番組を見れば済む話を、無精してパンフレットを開きもせずにぼーっとしておりました。囃子方、地謡の出になり、おや小野寺さん・・・実は昨年の竹生島の時も、笛は小野寺竜一さんでした。偶然にしても面白いなどと思った次第です。
さて舞台にはまず一畳台が運ばれてきて、大小前に据えられます。続いて宮の作り物が出されてきて一畳台の上に載せられますが、引廻しは萌黄、春らしい緑色です。

まずは真ノ次第の囃子。脇能らしい独特の雰囲気が醸し出されます。白大口に紺地の袷狩衣、風折烏帽子のワキ舘田さんの臣下が先に立ち、いわゆる赤大臣のワキツレ従者二人、大日向さんと梅村さん登場してきます。

向かい合っての次第謡で「竹に生まるる鶯の」と謡い出し、竹生島に参詣することが謡われます。脇能の型通りに三遍返しで次第を謡って、ワキの詞。さらに三人での道行となり、鳰の浦にやって来たことになります。ワキは釣り船に乗って浦を眺めようと述べてシテの出を待つ形です。
このつづきはまた明日に
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竹生島のつづき

ワキが語り終え、ワキツレの「然るべう候」で一同はワキ座に着座します。笛方がヒシギを吹き一声の囃子になりますが、直ぐに後見、内田安信さんが舟の作り物を持って出てきます。例によって枠だけの船ですが、ワキ正あたりに据えて後見が退場します。

やがてツレの若い女が先に立ち、シテの老人が後から続いて登場します。ツレは黄色系の唐織着流し、シテは小格子厚板着流しに水衣を肩上げにしています。舞台に進んだ二人は船に向かい、肩に釣り竿を担ったツレが船の真ん中の部分に立ちます。
シテは船の奥側の部分に立ち、後見が櫂棹を渡してシテが左手に持ちます
ツレが釣り竿を持たない演出や、シテが幕から櫂棹を持って出る演出もありますが、今回の形は、昨年の宝生流と同じです。

二人が乗り込むと、シテのサシ「おもしろや頃は弥生のなかばなれば」から謡い出され、ツレの二の句、シテツレ同吟での一セイ、さらにシテのサシ、ツレとの同吟から下歌、上歌と春の琵琶湖に進む船の長閑な様が謡われます。
同吟となるところは、他の脇能などでは橋掛りにツレとシテがと立って、向き合う形になりますが、この曲では二人とも舟に乗った変則的な形です。
この謡の展開も宝生流と同様でした。

二人の謡う上歌に合わせて、ワキは船が近づいてくることを認めて立ち上がり、シテ、ツレの乗る船に「便船申そう」と呼び掛けます。
シテは、この船は渡し船ではなく釣り船だと諭しますが、ワキは釣り船なのは分かっていて便船と言ったのであって、初めて竹生島に参詣するので是非とも乗せて欲しいと求めます。
さてこのつづきはまた明日に
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竹生島さらにつづき

ワキの申し出に、シテは「この島は霊地なので否と言うのも神意に違うか」とワキを船に乗せることにし「さらばお船を参らせん」と謡います。

昨年の竹生島の鑑賞記では、この辺りの謡について、同じ上掛りでも観世流と宝生流ではシテ、ツレの謡の配分が違うことを書きましたが、喜多流の配分は基本的に宝生流と同様です。良くあることですが「観世流だけが異なっている」のかも知れません。

さて下歌の間に、ワキは船に向かって進み前の部分に乗り込んで着座します。ツレも下居し、船中に落ち着いた形になります。
上歌の詞章に合わせて、シテはやや右へ流したり、また正面へ向き直ったり、船中でもあり押さえた動きながら、湖上の景色を眺める風を見せます。「比良の根おろし吹くとても 沖漕ぐ船はよも尽きじ」の謡に、左手に持つ棹に右手を添えて船漕ぐ形を見せます。
「同じ船になれ衣」でやや面を伏せ、「竹生島もみえたりや」とワキ座の先の方に竹生島を見る心。「月海上に浮かんでは」と再び船漕ぐ形になります。。

シテの「船が着いて候 御上がり候へ」で船が竹生島に着いたことになり、ワキの「心得申し候」で一同が船を下りて、ワキはワキ座に進んで立ち、ツレは笛座前に立ちます。
一方、シテは船を下りると正中に出て立ちます。手に持った棹は落として後見が片付けます。

ワキは「不思議やな此島は 女人禁制とこそ承りて候に・・・」と、ツレの若い女が上陸したことについての不審を述べます。

これに対してシテが(弁財天は)九生如来の御再誕なので、特に女人こそ参るべきと答え、ツレの謡から地謡が受けて、弁財天は女体であって、その神徳もあらたに天女の姿と現じる神であるから、女人が参詣するのも当然のことと謡います。この謡の終わりにシテはツレともども下居します。
このつづきはまた明日に
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竹生島さらにさらにつづき

クセとなり、シテの上げ端の後、「あら磯島の松陰を」とツレが立ち上がってシテの後を抜け、ワキ正へ出ます。左袖の褄を取ってワキに向き「社壇の 扉をおし開き」と右へ回って「御殿に入らせ給いければ」と宮の作り物に中入りします。

続いて「翁も水中に」でシテも立ち上がって常座に向かい「我はこの海の主」とワキに振り返った後「波に入らせ給ひけり」と常座で正面を向いて、来序で中入となります。

シテが幕に入ると、囃子が狂言来序に代わりアイが登場してきます。
昨年の宝生流の竹生島では和泉流の小笠原匡さんのアイでしたが、今回は大藏流山本則秀さん。神に仕える者という設定など基本的な部分は同じですが、やはり流儀の違いで微妙に形が異なっています。

小笠原さんは常座に立って、竹生島の天部に仕えるものと名乗りましたが、今回は竹生島の天女に使える者と名乗り、安芸の宮島、江ノ島、竹生島は隠れもなき天女の霊地と、竹生島の目出度さなどを立ちシャベリします。
さらに参詣の御礼を申そうと言って正中へ下居し、ワキに向かいます。

アイは、お宝物を拝ませ申そうと言い、後見座に向かって後見から葛桶のふたになにやら入ったものを受け取って再び正中に出てきます。
まず取り出したのは、宝蔵の御鍵ということで鍵のような形を作ったもの。続いて天女が朝夕看経(と言ったのだと思うのですが)せらるる時のお数珠と言って数珠を取り出し、「いただかせられい」とワキ、ワキツレの頭上で数珠を動かしてお祓いをするような形を見せます。

次には二股の竹と言って、緑の竹を二本組み合わせたような物を取り出して見せます。お宝物は以上ですが、小笠原さんの時は、黒い棒のようなものを示して馬の角、宝珠のようなものを出して牛の玉、さらには一束の毛のようなものを取り出して何かの脇毛など、他にも妙な物を出しました。和泉流の方が凝っていますね。
このつづきはまた明日に
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竹生島またつづき

続いてアイは、岩跳びと申して岩を跳んでお見せしようと言い、後見に怪しい宝物を返して、水衣を肩上げすると大小前で下居して岩跳びを始めます。

今回は聞き書きした訳ではないので、謡の内容は怪しいのですが、昨年聞き書きしたものとおそらく同じ詞章だったように思いました。
「いでいで岩跳び始めんとて いでいで岩跳び始めんとて 高きところに走り上がり 東を見れば日輪月輪照り輝けり 西を見れば入り日を招き あぶなそうなる巌の上より あぶなそうなる巌の上より 水底にずっぷと入りにけり」
これは昨年、小笠原さんの時に聞き書きしたものです。これに囃子が入っての謡い舞いです。「東を見れば日輪月輪」でワキ座の方へ向かって雲扇。ワキ座の方角が東という設定ですね。

最後に「水底にずっぷと入」ったという次第で「はあクッサメ」と留めて退場します。
アイの社人が退場すると、一呼吸置いて囃子が出端を奏し始めます。
いよいよ後場になりますが、出端の囃子に続いて地謡が「御殿しきりに鳴動して」と謡い出します。後見が立って引廻しに手をかけて緩め始めるところ。

「山ノ端出づる如くにて」と後見二人が引廻しを広げ「現れ給ふぞかたじけなき」の謡に合わせて引廻しを下ろすと、中には後ツレ天女が床几にかかっています。
白大口に紫の長絹、天冠を着けて「そもそもこれは此島に住んで」と謡い出しますが、これこそこの竹生島の弁財天。

地謡の「その時虚空に音楽聞こえ」でツレは立ち上がって台を降り、「月にかかやく」で袖の露を取って「乙女の袂 かへすがへすも」と台の前に戻り、答拝して天女ノ舞を舞い始めます。
佐々木多門さんの舞は安定感のある素敵な舞でした。この日一番印象に残っています。
このつづき、もう一日明日に
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竹生島もう一日の続き

さてツレは天女ノ舞を舞い上げると、さらに地謡が「夜遊の舞楽も時すぎて」と謡う謡に合わせて舞い、正中から「下界の龍神 現れたり」で常座に進んで、幕の方を見て雲扇の型をして龍神を招き、ワキ座へと着座します。

囃子が早笛になり、後シテの出。赤頭で法被半切に大龍戴をいただき、宝珠を両手に捧げての登場です。
「龍神湖上に出現して」と一ノ松で足拍子を踏んだ後、舞台に入ってワキに寄り宝珠を渡します。

「ありがたかりける 奇特かな」で舞働。豪放に舞上げます。
天女が現れて女性らしい舞を舞い、続いて龍神の出現と、昔の人はこういう展開に神々しい物を感じ、有り難い気持ちになったのでしょうね。高砂などとはまた違った趣ですが、脇能の祝祭的な意味は十分に伝わってきます。

「天女は宮中に入らせ給へば」でツレは立ち上がって幕に入りますが、シテはこれを見送った後、「波を蹴立て 水を返して」と所作を見せ、「天地に群がる大蛇のかたち」で橋掛りに進み、幕前で足拍子を踏んで膝を突き、あらためて立って留となりました。
脇能らしい、有り難さを感じた舞台でした。
(76分:当日の上演時間を記しておきます)
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柑子 山本東次郎(喜多流職分会自主公演能)

大藏流 十四世喜多六平太記念能楽堂 2010.02.28
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則俊

柑子(コウジ)、まあ蜜柑の一種とでも言ったらよいでしょうか、酸っぱいだけの橘と何かの雑種だとか。ともかくも古い時代にはよく食べられていたようです。
その三つ生りの柑子を預けられた太郎冠者が、三つとも食べてしまって言い訳をするという、他愛もないと言えば実に他愛のない話であります。

しかし、案外趣のある小品でして、シテの力量が問われる曲でもあります。
平成18年に野村萬さんのシテで拝見して、簡単にブログでも触れています(鑑賞記初日月リンク)。この日は東次郎さん。こういう方達がシテを勤めると引き立つ・・・というところ。

さて舞台には例の如く長上下のアド主、山本則俊さんが常座へ出、夜前ある人の所へ振る舞いに行き何かをもらって太郎冠者に預けたのだが、忘れてしまったと独白し、太郎冠者を呼び出して尋ねてみようと冠者を呼びます。

呼ばれて進み出た太郎冠者に、主は「大酒のうえで何やらもろうて汝に預けたがあれは何であったか」と問いかけます。
太郎冠者も忘れてしまったと言いますが、実は三つ生りの柑子を預かっていたものの、もらったものだと思い全部食べてしまっていたという次第で、横を向いてその子細を独白します。。
問答の内に主が三つ生りの柑子と思い出し、さてあれを出せと太郎冠者に求めます。
さてこのつづきはまた明日に
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柑子のつづき

太郎冠者は、世間には「二つ生り」でさえまれなのに、まして三つ生りの柑子は珍しいものだと、手に提げてお供をしていたと語ります。
ところが、その三つのうち一つのほぞが抜けて(ヘタがとれて)門外へ転がってしまったので「こうじ(柑子に好事をかけたのでしょうね)門を出ず」と声をかけたところ、柑子にも心があるようで、木の葉のところで留まった。それで食べたと語ります。

三つのうち一つを食べたという太郎冠者ですが、ほぞが抜けてしまったので、今度はそのようなことが無いようにと、柑子を懐に入れてお供をしていたと話します。

しかし歩いていると「懐の中がひいやり」としたので、手を入れてみると、長柄の大鍔に押されて一つがつぶれていた。そこで今度は皮をむかずにそのまま食べたと話します。

主人はいささか呆れ気味ですが、まあ食ってしまったものは仕方がないので、残りの一つを出せと言います。
これに太郎冠者は「それにつき哀れな物語がござる」と言って、俊寛の話を始めます。

「さても平相国の御時」と語り出し、鬼界が島に流された三人のうち、成経と康頼は赦免されたが、一人俊寛は島に残されてしまったと語り、このように三つあった柑子も、一つはほぞ抜け、一つはつぶれ、一つは残る。人と柑子は変われども思いは同じ涙かな、と謡って一泣きします。

主は、それは俊寛の物語であろう、残った柑子を寄越せと太郎冠者に命じますが、太郎冠者は「太郎冠者が六波羅へ納めました」と六波羅と腹のうちをかけて答え、主が「しさりをれ」と叱って留になりました。
本当に簡単な小品ですが、東次郎さんの味わいある演技で、良い気持ちになりました。
(11分:当日の上演時間を記しておきます)
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雲林院 狩野秀鵬(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 十四世喜多六平太記念能楽堂 2010.02.28
 シテ 狩野秀鵬
  ワキ 工藤和哉、アイ 山本泰太郎
   大鼓 安福光雄、小鼓 観世新九郎
   太鼓 観世元伯、笛 中谷明

雲林院はこのブログ初登場です。そんなに珍しい曲ではありませんが、私自身としては久しぶりの観能です。小塩と同様に在原業平を主人公とし、王朝の優美さを感じさせる曲で、後シテは太鼓入り序ノ舞を舞う三番目物の佳曲です。

雲林院というのは京都紫野にある古刹で、もともと淳和天皇の離宮紫野院だったものが代々伝えられて、かの僧正遍昭のものとなったとか。そののち天台宗の官寺として栄え、桜の名所としても有名だったらしいのですが、次第に衰えて応仁の乱の際に焼失してしまったようです。
臨済宗の大本山大徳寺は、もともとこの雲林院の敷地に建てられたという話ですが、今では後に再建された観音堂を残すのみとなっています。
お寺の名前、あるいは地名としては「うりんいん」とも呼ばれるようですが、能の曲名としては「うんりんいん」と読みます。

さて舞台はまず次第の囃子でワキ、ワキツレの登場です。小塩も、この雲林院も、もともとは桜の立木を正先に出す形が広く行われていたようなのですが、昨今は作り物を出さない方が多くなっているようで、今回も作り物のない形でした。

ワキは芦屋の公光、白大口に黒色系の掛素袍の姿で笠を被り、巻物の両端に紐を結んで首から掛けています。ワキツレは則久さんと野口琢弘さんで、素袍上下での登場です。
型通り舞台中央に進み、向かい合っての次第謡。
さてこのつづきはまた明日に
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五雲会を観に行く

昨年九月以来の五雲会。遅く雪が降ったタイ記録という日に宝生能楽堂まで出かけてみました。もっとも雪は朝のうちだけで、家を出る頃には雨。東京は昼過ぎに晴れてきましたが・・・

五雲会は能四番、狂言二番の番組ですが、若手主体の会で楽しめます。
本日は上演順に
能  志賀  シテ 辰巳孝弥
狂言 魚説法 シテ 宮本昇
能  祇王  シテ 高橋憲正
能  桜川  シテ 朝倉俊樹
狂言 舎弟  シテ 榎本元
能  舎利  シテ 和久壮太郎
という次第です。正午の開演から休憩をはさみつつ、午後6時少し前まで、すっかり楽しませていただきました。

能は祇王と桜川の二曲、狂言は魚説法と舎弟の両方ともが、このブログでは初登場の曲です。また志賀は平成18年に一度触れていますが、宝生流以外では滅多に上演されないようで、珍しい曲のうちだろうと思います。宝生では少なくとも二年に一度くらいは、月次か五雲会にかかっているようですが・・・

今回も高橋憲正さんがシテを勤められるというので、楽しみにしておりました。期待通りの出来で、中ノ舞、破ノ舞と堪能させていただきました。

観能記はいずれそのうち書きたいと思っています。
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雲林院のつづき

地取りでワキは笠を取り正面を向いて、津の国芦屋の里の公光であると名乗ります。
この公光が実在の人物かどうかは分かりませんが、ともかくこの曲では幼少の頃より伊勢物語を愛した人物という設定で、ある夜、不思議な夢を見たため都に上るところと名乗ります。

ワキのサシ、下歌、上歌と謡って、一同は芦屋の里から尼崎、難波津と進んで都、雲林院にやって来ます。雲林院は花の名所。ワキとワキツレは花を手折ろうというやり取りをします。
ワキは笠を後見座に置いて正中に出て立ち、遙かに人家を見ると花があるので、木陰に立ち寄り一枝花を手折ります。

するとシテが幕から姿を現して橋掛りを進みつつ、嵐山とはいうものの、風も吹かぬのに花が散るのは鶯の羽風かそれとも人かと言い、一ノ松で佇む形になります。
シテは無地熨斗目に水衣の老人の姿。肩上げはしていません。「や、さればこそ人の候」と公光に気付いた風で舞台に向かいます。

ワキは、花を乞うも盗むも心あってのこと、散ってしまう花を惜しみ給うなと言いますが、常座に進んだシテは、風が花を散らすのも憂きものだが、枝ながら折ってしまうのはなお憂きことと咎めます。
シテ、ワキの問答が続きますが、古歌を引きつつ花を巡る思い、情趣を語るところ。動きはほとんどありませんが、能らしい趣きある場面です。

地謡のうちに、シテは常座から七、八足ほどシカケの風に出て開キワキに向かったのち、正中から大小前へと回ります。
シテはワキにどこから来た者かと問いかけますが、このつづきはまた明日に
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雲林院さらにつづき

シテに問われたワキは、津の国芦屋の里の公光という者だが、幼少の頃より伊勢物語に親しんでいた。ある夜の夢に紅の袴を着けた女性と束帯の男が現れ、伊勢物語の草紙を持って佇んでいるので、そのあたりの翁に問うと、あれこそ伊勢物語の根本、在原業平と二条の后、場所は都北山蔭、紫の雲の林と翁が語るのを聞いて眼が覚めた。その夢を頼りにここまでやって来たと答えます。

これにシテは、あなたの心を感じつつ伊勢物語を授けよう、今宵はここに寝て夢を待つようにという不思議な言葉を語ります。ワキはその詞に従うことにしますが、さてそんな詞を語るあなたはどういう人なのかとシテに問いかけます。

シテは「その様年の古びよう 昔男となど知らぬ」と実にしゃれた返事をし、これに業平の霊と気付いたワキを残し、地謡のうちに舞台を一回りして中入となります。

シテが姿を消すとアイ都北山辺に住まいする者が、長上下の姿で登場してきます。常座で名乗った後、目付に出てワキに気付き、正中に座して在原業平と二条の后の古を語ります。
実はこのやり取りの中で、ワキの工藤さんは雲林院を「うんりいん」と発音し、アイの山本泰太郎さんは「うんりんいん」と発音していました。この鑑賞記の初日、雲林院を能では「うんりんいん」と読むと書きましたが、宝生流では「うんりいん」と読むとの話もあります。地名で読む「うりんいん」ではなく「うんりいん」というところが不思議なところです。

さて間語りが終わるとワキ、ワキツレの待謡になります。「袖を片敷き臥しにけり」と謡って眠りに入り夢を待つ形です。一声の囃子が奏されて後シテの出、銀色の狩衣に紫の色大口、巻嬰に老懸のついた冠を着けた後シテが登場し、一ノ松で謡い始めます。
このつづきはもう一日
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雲林院さらにさらにつづき

一ノ松で「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ」と謡い出したシテは、ワキの謡を聞きつつ橋掛りを進み、「今はなにをか包むべき 昔男の古を 語らんために来たりたり」と言って常座に出ます。

ワキが、それでは夢中に伊勢物語の品々を語るようにと求め、シテが語り出す形でクリ、サシ、クセと謡が展開していきます。
型通りに、地のクリでシテは舞台を進んで大小前に立ちます。サシを謡い、地謡がクセを謡いますが舞グセです。仕舞でもよく見かけるところですが、「二月(きさらぎ)や まだ宵なれど月は入り 我等は出ずる恋路かな」という印象的な詞章。

曲舞の基本的な型に沿って舞が展開します。「信濃路や」と上げ扇、地謡が受けて「木賊色の狩衣の袖を」と謡うところ、左の袖を被いて目付に出ます。
「二月の 黄昏月も早入りて」とワキ座の方に月の入りを見、舞台を廻って扇をかざし、大小前で左右打込。
「思い出でたり夜遊の曲」とシテが謡い、地謡が受けて謡ううちにシテは後ろを向いて常座へ向かい、答拝して序ノ舞に入ります。

男のシテが舞う序ノ舞というのは、あまり多い形ではありませんが、在原業平だからこそ、その王朝の優美さを表す意味で序ノ舞なのでしょうね。趣きある舞でした。

序ノ舞を舞上げてキリ。時が過ぎて「名残の月も 山藍の羽袖」とワキ座側斜めに雲扇の型で、夜が明けつつあることを示し、「覚むる夢となりにけりや 覚むる夢となりにけり」で留になりました。
狩野秀鵬さんは以前羽衣の霞留を拝見しましたが、小柄な方なのに舞姿を拝見しているとそうしたことを忘れてしまいます。十四世喜多六平太も小柄な方だったそうですが、かくやありけるかと思う次第です。
(94分:当日の上演時間を記しておきます)
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大会 大島輝久(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 十四世喜多六平太記念能楽堂 2010.02.28
 シテ 大島輝久、ツレ 佐藤寛泰
  ワキ 則久英志
  アイ 山本泰太郎 遠藤博義 若松隆
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 森貴史
   太鼓 桜井均、笛 寺井義明

大会と書いて「だいえ」と読みます。このブログでは宝生流小林晋也さんの大会について鑑賞記を載せています(鑑賞記初日月リンク)が今回は喜多流。実は喜多流の大会を前々から観ようと思っていて機会が無く、ようやく今回拝見することが出来たという次第です。なぜそう思っていたかという、そのあたりの事情は後ほど鑑賞記の中で。

さて舞台には囃子無しでワキが登場してきます。小格子厚板に白大口、掛絡をかけ、金の角帽子を沙門着けにした則久さん、いつもより偉そうな感じです。
ワキ座まで進んで着座するとサシを謡い出します。

ワキの謡から地謡が「鷲の御山をうつすなる」と謡い出すと、直ぐに幕が上がってシテの出となります。白大口に縞目の水衣、篠懸をかけ兜巾を着けた山伏姿で橋掛を進み、「風常楽と音づるる」で常座まで出て、地謡の「げに類なき深山かな」の謡いっぱいにシカケ、開キと型を見せます。

シテはサシを謡い、この庵室の内へ案内申し候と案内を乞います。舞台はワキ僧の庵室という設定になっている訳です。
ワキはこれに重々しく答えますが、いかなる者かと問われたシテは、このあたりに住居する客僧だが、あなたに命を助けられたので礼を言いに来たと語ります。
ワキは思いも寄らぬことと驚きますが、シテは重ねて都東北院の辺りのことなので、覚えておられるだろう。その報恩に、望むことがあれば直ぐに叶えようと言います。
不思議な話ですが、このつづきはまた明日に
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大会のつづき

さて、不思議なシテの申し出に、ワキは「げにさる事のありしなり」と思い出した風を見せますが、具体的に何があったかはシテとワキの謡では示されません。

宝生流小林さんの時の鑑賞記にも書きましたが、この曲は十訓抄第一「人に恵を施すこと」に出ている古鳶を助けた僧の話が原典になっており、ほとんどそのまま能化されています。古鳶に化けて空を飛んでいた天狗が、蜘蛛の巣に引っかかって落ちてしまい、悪童達に捕らえられてしまった時に、僧に助けられたという話です。
この子細は間語りで明らかにされますが、ここでは何かあったらしいというままに、舞台が進行します。

シテはその時のお礼として望むことがあれば叶えようと言うわけですが、それに対してワキは、望みは特にないが釈尊が霊鷲山で説法した様が見たいと言い出します。

ワキの望みに、シテは容易いことと言いますが、ただし釈尊の霊鷲山説法の様は拝ませるが、貴いと思ってはならない・・・と妙なことを言い、続く地謡で、返す返すも貴いと思うなと言い、あの杉に立ち寄って目をふさいで待ち、仏の声が聞こえたら両眼を開いて見るようにと言い置いて、姿を消してしまいます。

シテは正中まで出てから六拍子を踏んで正先へ出、扇を出し、手を上げて木の葉を「さっと吹きあげる」形。常座へ小回りして開き「かき消すように失せにけり」の謡で、来序の囃子に乗って退場します。囃子が変わって狂言来序となり、アイの木の葉天狗が登場してきます。
小林さんの時は、間狂言は和泉流の竹山悠樹さんで、一人で登場し立ちシャベリとなりましたが、今回は大藏流で三人が登場してきます。
いささか賑やかになりますが、このつづきはまた明日に
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大会さらにつづき

三人の木の葉天狗ですが、一人が常座に、残る二人は地謡座前に立ち、常座の天狗が二人に子細を語るような形で、立ちシャベリになります。
話す内容は竹山さんの時と基本的に同じで、自分は愛宕山太郎坊に仕える木の葉天狗だが、あるとき大天狗が鳥に姿を変えて飛んでいると、誤って蜘蛛の巣にかかってしまった。子供達に捕らえられてあわや命を失おうとしたときに、とある僧に助けられた。その僧に恩返しをしようとしたところ、霊鷲山説法の様が見たいというので、これからその様を見せるという話を語ります。

竹山さんの時はその話まででしたが、今回はその先があり、霊鷲山説法の様を見せるのに駆り出されて何かの仏の真似をすることになったのだが、何の真似をするのかという話になります。
「身共は仁王になろうと思う」と一人が言うと、「身共は天の邪鬼になろうと思う」と別の天狗が言います。これに先の天狗が、仏達に踏まれた窮屈な姿ではないのか、とツッコミを入れます。三人目は「身共は賓頭盧(びんずる)になろうと思う」と言い、謡い舞いになります。

聞き書きなので違っている点あろうかと思いますが「おかしき天狗は寄り合いて おかしき天狗は寄り合いて 何仏にかなろうやらと談合するこそおかしけれ。愛宕の地蔵に えなるまじ。大峯 葛城のコオリ菩薩 これまた大事の菩薩なり。よくよく物を案ずるに 堂の隅なる賓頭盧にならんと皆狩衣を拵えて みな狩衣を着て のそりのそりと帰りける」と謡って退場しました。

アイが退場すると、一畳台が運び出されてきて大小前に据えられます。さらに椅子の作り物がその上に置かれますが、椅子と言っても外枠だけですので、中には鬘桶が置かれてこれに腰をかけることになります。
このつづきはまた明日に
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大会さらにさらにつづき

準備が整うと出端が奏され、いよいよ後シテの出です。
赤の半切に紫の水衣。沙門帽子を一回り大きくしたような頭巾を被って掛絡をかけています。左手には教典を持ち、重みのある登場ですが、なんといっても眼を引くのはその面。金色に輝く仏像のようですが、これがまたでかい。釈尊の霊鷲山説法を見せるということで、天狗が釈迦の姿になって現れてきたという設定です。

以前の鑑賞記にも書いたのですが、喜多流ではこの後シテ、仏像のような釈迦の面を掛けて出てきます。今回の鑑賞記の初日に「実は喜多流の大会を前々から観ようと思っていて機会が無く」と書きましたが、この釈迦の面を掛けて出てくる後シテを観てみたいと、前々から思っていた次第です。

前回の宝生流もそうですし、観世流などでも、後シテは大べし見を大会頭巾に包んで登場しますが、喜多流では大べし見の上に釈迦を重ねて出るという特別な形です。他流でもこうした例はあるらしいのですが、二つの面を重ねるというのは喜多流が本家の様子。
甲子夜話に、将軍家宣の時に喜多七太夫が大会を舞うよう命ぜられて大べし見と釈迦の面を賜ったという話が出ているようで、このあたりが起こりなのかもしれません。

もともとは単に面を重ねたのでしょうけれども、そのうち工夫する人がいて、大べし見にぴったり合うように仏面を作ったようで、現在はこの形のもの、つまり目の位置もきちんと合う様になっているものを用いるそうです。下側の面は常の大べし見ではなく、釈迦の面に合わせて作られたものなので釈迦下と呼ぶとも。

さて話は戻って、後シテは立派な頭巾にきらびやかな装束で堂々と橋掛りを進み一ノ松で謡い出します。
このつづき、もう一日明日に
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大会もう一日のつづき

シテの謡を受け、地謡が大ノリの地で、虚空に音楽が響き仏の声が響き渡る様を謡います。シテは「山はすなわち霊山となり」と教典を持った左手を下ろし、山を見上げる景色。地謡とシテの掛け合いから、地謡の「釈迦如来獅子の座に」で舞台に入り、正中に進んでから一畳台に寄って「砂の上には竜神八部」で台に乗って床几にかかります。

釈迦の説法の様が謡われ、シテが「如来肝心の法文を説き給ふ」で教典を広げ、読む形になります。この様子にワキは立って進み出、台上のシテを向いて座し「随喜の涙、目に浮かび」と合掌をしてシテの姿を拝む形になります。

ここで「俄に台嶺、ひびき振動し」と謡が調子を速め、シテは右上を見上げて幕の方を見、立ち上がって台を降ります。正中へ出て幕の方をゆっくりと向きますが、その時半幕で帝釈天の姿が見えます。シテは常座へ出てから笛座前へと移り物着。なにぶん面を二つ重ねているため動作はゆっくりです。
早笛の囃子になり、シテは笛座で掛絡や頭巾などを外し、大天狗の姿になります。

ツレ帝釈天が登場し足早に橋掛りを進んできて常座で足拍子を踏むと、地謡に乗って帝釈天とシテが争う様となり、舞働。争う形からシテは橋掛りに逃げ、帝釈天がこれを追って、シテが三ノ松、ツレが一ノ松に立ち、双方から寄って二ノ松で争ったところから、シテは舞台に戻ってワキ座へ。ツレ帝釈天も舞台に戻り、双方が見合った形から、ツレが常座で「帝釈この時いかり給ひ」と謡って最後の戦いになっていきます。

ツレがワキ座のシテに寄り笞でシテを打つ形。シテは「羽風をたてて」と大団扇で招き扇し風を立てる様を見せますが、飛び返りして「おそれ奉り」とかしこまります。
「帝釈すなわち雲路を指して」とツレが幕へ退場していくと、シテは立ち上がり「岩根を伝い」の謡に、一畳台の端の方に飛び乗り飛び降りて橋掛りへと進みます。幕前まで進んで袖を被いて下居したのち、立ち上がって留となりました。
大島さんのキビキビした動きに見入った一曲。楽しく拝見しました。
附祝言は千秋楽。
(62分:当日の上演時間を記しておきます)
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砧 本田光洋(秀麗会)

金春流 国立能楽堂 2010.03.21
 シテ 本田光洋
  ワキ 工藤和哉、アイ 善竹十郎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌隆之

砧は、19年の冬に観世流関根祥人さんの演能について鑑賞記を書きました(鑑賞記初日月リンク)。それ以来の砧ですが、今回は金春流。

この曲は世阿弥の作で大変人気があります。世阿弥自身よほど自信があったようで、「申楽談義」には「この砧のような良し悪しを超えた深い曲は、後の世の人には理解できまいから、何かを言い残すのも意味がない」という旨を世阿弥が語ったと書かれています。

まさに世阿弥が予言した通り、砧はやがて上演されなくなり、謡だけの曲として長く伝えられてきました。この曲が能として復活したのは江戸時代も後期になってからで、各流が順次復曲したらしいのですが、このために流儀によって解釈が異なり、他の曲よりも流儀による演出の違いが大きくなっているようです。

金春流の砧はさらに復曲が遅く、第二次世界大戦後になって先代宗家金春信高さんにより復曲されたものです。念のため金春流の一番本にあたってみましたが、詞章自体は他流とそれほど大きな違いがありません。

なお事前のチラシにも当日いただいたパンフレットにもツレの役の記載がありませんでした。この曲のツレ夕霧は大変重要な役で、金春流の謡本にもしっかり登場するツレが省かれることはないと思いつつ開演を待ちましたが、囃子方、地謡に続いて、直ぐに出し置きでツレが登場。やはり省略はあり得ませんね。
お声や立ち姿から、辻井八郎さんだろうと思うのですが、なにぶん能楽堂でも何の記載もされませんでしたので、このブログでも配役にはあえて記載しませんでした。
さて舞台の方は明日につづきます
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砧のつづき

出し置きで上品な紅入唐織着流しのツレ夕霧が登場しワキ座に着座すると、ワキ九州芦屋の何某の登場になります。名宣笛で素袍姿のワキ工藤さんが登場してきます。観世ではワキに従ってツレが登場しますが、出し置きだと、舞台上が芦屋何某の都の仮住まいであるという設定がよりはっきりとするように思えます。
今回、正面の席を取ったのですが、ツレ、ワキの「お幕」の声が聞こえて、なかなか良い感じです。

常座に出たワキの名乗り。訴訟のために在京したが、早三年にもなってしまった。故郷のことが気にかかるので、召し遣う夕霧を故郷へ下そうと思う旨を述べ、ツレに向かって「いかに夕霧」と呼び掛けます。
呼ばれたツレが立ち上がると、故郷に下向し、この年の暮には必ず下ると伝えるように命じます。

ツレが答えて囃子が入るとワキはそのまま退場し、ツレはワキを追うように常座まで進んで道行の謡となります。
道行を謡い終えると着きゼリフとなり、常座から橋掛りへと入り、一ノ松へと進んだツレは幕に向かって「いかに誰かおん入り候」と呼び掛けます。

囃子のアシライで無紅唐織着流しの前シテが登場。三ノ松で「それ鴛鴦の衾の下には・・・」と夫婦の疎遠なことをサシに謡い、「袖にあまれる涙の雨の」とシオリます。
ツレはあらためて「夕霧が参りたるよしそれそれおん申し候え」と案内を乞い、シテ・ツレの問答になります。

観世では、ツレが案内を乞うとシテが先に立って舞台に入り、シテ・ツレの問答は舞台上で着座して展開されますが、この日の形では二人が橋掛りで対峙したまま問答になります。
地の下歌の終わりで再びシテがシオリ、上歌「三とせの秋の夢ならば」と思いを込めた謡が続きます。この上歌で二人は舞台に向かい、ツレが地謡前に、シテは常座から大小前へと進んで、二人下居して向かい合います。
このつづきはまた明日に
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砧さらにつづき

さてシテは何やら遠く物音がするのに気付き、ツレに問いかけます。ツレは里人の打つ砧の音であると答えます。
砧は布を打ち柔らかくして衣類を着やすくするために行われるものですが、この砧を打つ音にシテは昔からの言い伝えを思い出したと語ります。唐土の蘇武という人は胡国に捨て置かれて年月が経ったが、その妻子が蘇武の身を思って高楼に上り砧を打ったところその音が万里の彼方にいる蘇武に届いたという話です。
この話にちなみ、シテは砧を打って夫に思いを届けようとし、ツレも下賤の業とはいいながら妻の心が安らぐならと、二人砧を打つことにします。

「砧を拵へて参らせ候べし」でシテは後見座にクツロイで物着となり、ツレもそのまま後ろを向いて物着。いずれも襟をとめていた糸を外し、肩脱ぎの姿になります。この間に後見が正先に砧を出して、横向きに置きます。砧の作り物は観世ではワキ座前に置きました。喜多流では作り物を出さないようですが、それぞれ舞台の景色が違ってきますね。

シテは常座に出て「いざいざ砧うたんとて」と謡い出します。ツレと掛け合いの謡になりますが、観世ではこの掛け合いの「恨みの砧打つとかや」で二人が砧を挟んで対座し、砧を打つ形になります。しかしこの日の形ではツレはじっと座ったままで、次の地次第でもシテがサシ込み開きから、大小前へ進み、地謡とシテとの掛け合いで謡を進めながら、シテの所作が展開する形になっています。だいぶん演出が違います。

シテの引き立てた「宮漏高く立って風北にめぐり」の謡を、地謡が「蘇武が旅寝は北の国」と受け、ここでツレが立ち上がり笛座辺りまで下がってあらためて下居します。
シテは「これは東の空なれば」と地謡座の上方に空を見る形。「間遠の衣うとうよ」と砧を見やり、「古里の軒端の待つも心あれ」と謡って、サシ込み開キ、舞台を廻ってと抽象的な型を見せつつ、思いを深めるところです。
クセ前の「いざいざ衣うとうよ」でも砧を見やりますが、砧そのものには近づかずクセの謡い舞いへと続いていきます。砧を十分に意識して舞いつつ砧には寄らぬ演出に、むしろ思いが募る感じがして、金春流なりの解釈がうかがえる気がします。
このつづきはまた明日に
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砧さらにさらにつづき

続くクセ、拍子を踏んでサシ込開キ「水かけ草ならば」と正へ招キ扇して打込から、「文月七日の暁や」の上げ端で上扇の後、大左右から打込開キといった型の連続のあと、「砧の音。夜あらし。悲しみの声」と大小前から、シテツレ二人がようやく砧に寄り、「ほろほろ、はらはらはらと いづれ砧の音やらん」正先に置かれた砧をシテが目付側、ツレがワキ座側から挟む形で着座し、二人して砧をうつ形になります。

一呼吸置く感じでツレが立ち上がり、地謡前まで後ずさって下居し、「いかに申し候。都より人の参りて候が。殿はこの年の暮にもおん下りあるまじき由にて候」と、何某の下向が無いことを告げます。

これにシテは年の暮と思って待っていたのに、それも変わり果てたのかと嘆きます。地謡は「思わじと思う心も弱るかな」と謡い出し、シテはシオリます。
続く地謡に、ツレが立ち上がってシテの後に寄り、一度下居してシテを立たせるような形で二人立ち上がると「病の床にふし沈み。ついにむなしくなりにけり」と地謡が謡うなか、シテが先に退場し、ツレはワキ正に立ってシテを見送るようシオリした後、シテに続いて退場し中入りとなります。

間狂言の何某の家来が登場、これにあわせて後見が正先に横向きに置かれた砧を正面に向け直します。
アイは何某が夕霧を使わしたこと、年末には何某が戻るかと妻が喜んだものの、結局帰れないとの知らせに悲嘆して亡くなった旨を述べます。さらにその悲報に何某が下向し、砧を手向けて弔うので弔問に参られるように触れます。

この触れの内にワキ・ワキツレが登場し、アイが一ノ松に進み、ワキが二ノ松、ワキツレが三ノ松あたりで、アイがワキに報告。これを受けてワキは正中に下居して詞。ワキツレは常座に太刀を持って畏まります。二人の待謡となり謡い終えたワキ・ワキツレはワキ座へと移ります。
このつづきもう一日明日に
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砧もう一日のつづき

出端で紫の色大口に白の唐織を打ち掛けにし、右手に杖を突いた後シテ、妻の幽霊が登場してきます。出端の太鼓の刻みが、異界との境を開くようです。
観世では一ノ松で「三瀬川沈み 果てにしうたかたの 哀はかなき身の行くえかな」と謡い出しますが、今回は出端の囃子で常座まで進んで、謡になりました。

思いを込めたシテの謡から、地謡となり、シテは大小前に進んで「涙は返って火焔となって」と右手で突いた杖に左手を添えて立ち、さらに「胸の煙の炎にむせべば」と杖を両手に捧げるような形となります。妄執に捕らえられた苦しみを表すように、舞台を廻り「呵責の声のみおそろしや」と大小前に安座して杖を落とし、両手を上げて地獄の様を示します。

さらに地謡の「羊のあゆみ隙の駒」で立ち上がり、舞台を廻ると「あじきなの浮世や」と扇に手を打ち合わせ「恨みは葛の葉の」と一声謡います。
ワキに二三足ツメて正中で抱え扇、ゆっくりと右に回って大小前に戻り「末の松山千代までと」と小回りし、ワキを詰問するような風で「あらよしなやそら言や」とツメて「そもかかる人の心か」とシオリます。

なおさらに謡い舞いしつつワキに迫り、「夢ともせめてなど思い知らずや恨めしや」と安座してのシオリ。恨みが募った形です。しかし、これに対してワキが合掌し、一転してキリの謡。「法華読誦の力にて」で立ち上がったシテは舞台を廻り、法華経の功徳に成仏したと留めになります。
細かく比べてみると、観世とは舞台の使い方などだいぶん違っています。キリの謡で、それまでの恨みの相から一転して成仏に至る展開も、すんなりと腑に落ちた感じでした。
(104分:当日の上演時間を記しておきます)
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