能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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寝音曲 善竹十郎(秀麗会)

大藏流 国立能楽堂 2010.03.21
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹富太郎

このブログでは、和泉流野村萬さんがシテをされたものと、野村万作さんがシテをされたもの、都合二度ほど寝音曲を取り上げています。
野村萬さんシテの鑑賞記
野村万作さんシテの鑑賞記
一方今回は大藏流で、全体的にシンプルな展開になっています。

アドの主人が登場して常座で名乗り、控えている太郎冠者を呼び出すのは同じですが、その後のやり取りなど、野村家の形の方が展開が細かくなっています。主人は、夕べの迎えに次郎冠者が来ていたが太郎冠者はどうしたのかと尋ねたりしますし、太郎冠者も、謡を謡っていただろうと問いただされても、それは聞き間違いでしょうと否定したりなど、問答が複雑です。

一方この日の形では、夕べ謡っていたではないかと問われた太郎冠者は「しかと聞かされてか」とあっさり認めてしまいます。酒を勧められても、一つ呑み、二つ呑んで、さあ謡えと求められて「数良う三献いただきましょう」と三杯目を呑むと「もはや納めされられて下されい」と盃を返してしまいます。
主人に勧めたり、良い酒だと一々感心したりといった部分はありませんでした。試しに謡うのもほんの一句程度です。

こうしたことから上演時間も12分ほど。野村家のほぼ半分程度の上演時間です。
最後は放下僧小歌を謡い、「川柳は水に揉まるる」のところで、声が出る出ないが逆転して調子よく謡い舞いしてしまう形。
しかも謡い舞い終えた太郎冠者を、主人は「声もよう出て面白かった」と褒めます。太郎冠者は「お、忘れました」と笑ってごまかし、主人は面白かったと繰り返して、もっと謡うように求めますが、太郎冠者が許してくれと逃げて、主の追い込み。
主人が太郎冠者を叱る和泉流とは、だいぶん感じの違う一曲でした。
(12分:当日の上演時間を記しておきます)
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邯鄲 本田布由樹(秀麗会)

金春流 国立能楽堂 2010.03.21
 シテ 本田布由樹、子方 玉井亮多
  ワキ 村瀬堤、ワキツレ 中村宣成
   輿舁 村瀬慧 中村弘、アイ 善竹大二郎
   大鼓 佃良勝、小鼓 亀井俊一
   太鼓 金春國和、笛 一噌庸二

邯鄲はこれまで、観世流関根祥人さんの藁屋の小書付(鑑賞記初日月リンク)と、喜多流粟谷明生さんの傘之出の小書付(鑑賞記初日月リンク)の上演について、鑑賞記を書いています。今回は金春流の小書無しということで、若干展開に違いがあります。
実は「金春流の」ということで、飛び込みをなさるのではと期待するものがあったのですが、残念ながら当日は櫻間系の「飛び込み」の型はされませんでした。全体として布由樹さんの能を十分に楽しむことが出来、たいへん良い舞台だったと思うのですが、この点はちょっと残念です。
この「飛び込み」を巡る話は、鑑賞記の後に少しばかり書いてみようと思っています。

さて囃子方、地謡が着座すると、後見がワキ座前に引立大宮を出してきます。一畳台の上に赤い屋根の大宮が立てられます。
続いて狂言口開。アイの善竹大二郎さんが松葉色のような装束に側次を着けて、大事そうに枕を捧げて登場します。常座に出ると仙人からもらった枕の由来を述べて狂言座に着座しました。関根さんの時は、お兄さんの富太郎さんがアイを勤めましたが、こちらは常座での詞の後、笛座前に着座しました。

さて狂言口開の後は次第の囃子。シテ盧生の登場です。緑の半切、袷法被。黒頭で掛絡をかけ、右手に唐団扇、左手に数珠を提げて舞台に入り、常座での次第謡になります。
関根さんの藁屋、粟谷さんの傘之出、いずれもシテの次第は橋掛りで謡われ、アイは宿屋に設定された舞台で先に待っている形。しかし一般的な形としては、今回のようにシテが舞台で次第、サシ、道行と謡って、狂言座に座して待っているアイに案内を乞うようです。
このつづきはまた明日に
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邯鄲のつづき

シテが案内を乞うのに対して、アイが一ノ松に出て問答となります。一夜の宿を貸して欲しいというシテに、アイは「こうこうお通り候え」とシテを誘い、シテがゆっくりと大小前に進みます。アイが床几を整え「まずこれへお腰を召され候え」と床几を使うように勧めます。

シテが床几に腰を下ろすと、アイは目付に正座してシテに向かい、どこからどこへ行くのかと尋ね、シテが答えると何故かと重ねて問います。
シテが楚の国羊飛山に尊き知識者がいるというので訪ねるところと答えると、アイは枕の方を見つつ、仙人からもらった不思議の枕であることを説明します。

問答が続き、シテはその枕で一眠りすることにし、アイが「粟のおだいを拵え候べし」と言って床几を外すと、シテは一畳台へと上がります。
アイは床几を持って後見座に行き、床几を置いてから常座へと出ます。粟の粥を作るようにと幕に向かって声をかけ、狂言座へと着座します。

さてシテの方は台上の舞台側に置かれた枕を前にして、正面を向いて下居し、「げにげにこれは聞き及びし邯鄲の枕なるべし」と謡い出します。
シテが「一村雨の雨宿り」と謡い、地謡が受けますが、ここでワキの出となり。白大口に朱色の厚板でしょうか、上に紺系の側次を着たワキ勅使が、輿舁を従えて登場してきます。途中、輿舁が一ノ松に控え、ワキ勅使だけが舞台へと入ってきます。

シテは地謡のうちに横になって枕を使う形となり、最後の「邯鄲の枕に臥しにけり」でワキが扇で一畳台を叩き、下がって「如何に盧生に申すべき事の候」と声をかけます。シテが起き上がって「そもいかなる者ぞ」と問いますが、ここからがシテの見る夢の内という設定です。
この日のシテ布由樹さん、田村や紅葉狩など、何番かシテを拝見していますが、今回の邯鄲は大変良い雰囲気です。所作も謡も堂々として、盧生が帝の位に就いていくのが自然に感じられました。
このつづきはまた明日に
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邯鄲さらにつづき

シテ・ワキの問答から、シテの「天にもあがるここちして」でシテに平伏していたワキが体を起こして輿舁を振り返り、続く地謡でシテが立って台を降り正先へ向かうと、輿舁が後から輿を差し掛けます。
シテ、輿舁、後に控えたワキ勅使が、いったん下居し、真ノ来序の囃子。この囃子で一同は直ぐに立ち上がり、そのまま一畳台に向かってシテが台に上ります。輿舁が切戸口に姿を消し、ワキもその後から切戸口向かって退場します。

シテは台上で脇正面の反対側を向いたまま掛絡を外しますが、これで帝の位に就いたことが形の上でも明らかになります。一方、白大口に朱の直垂姿の子方と、いわゆる赤大臣のワキツレが登場してワキ正にシテの方を向いて着座します。
この間も地謡が阿房殿、喜見城の荘厳な様を謡います。

シテは「東に三十余丈に」と前を見つつ謡い、地謡の後、今度は片膝を立て後ろを振り返って「西に三十余丈に」と謡います。舞台向かって左が東、右が西の設定ですから、見所は北を背に南を見ている形になります。以前、何かの鑑賞記にも書いたように思うのですが、観世流では東西の設定が逆なので、見所は北を向いている設定になります。

西に三十余丈と振り向いたシテの謡を地謡が受け「不老門の前には日月遅しという心をまなばれたり」でシテは両手を大きく合わせるような型をして下ろします。帝としての歓喜を示すという意味なのか、各流ともここには手を上げるような型を置いていて、万歳のように両手を高く上げたりといった形もあります。

立ち上がって正中へ出、あらためて下居したワキツレが、シテに即位五十年になったことを告げ、千年までも生きられるという仙薬を飲むように勧めます。シテとの掛け合いになり、ワキツレは立ち上がって扇を広げ、子方の広げた扇を盃に見立て酒を注ぐ形を見せます。さらに子方が立ち上がってシテに酌をする形となり、地謡に合わせて子方の舞いになります。
このつづきはまた明日に
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邯鄲さらにさらにつづき

子方の舞の途中、子方が「わが宿の」と謡って上げ扇から大左右の型になりますが、シテは肩脱ぎして装束を整えます。
「栄耀もげにこの上やあるべき」との地謡に、子方が舞を納めて目付に退き、シテの楽になります。

邯鄲の楽は台上で舞われるのが最大の特徴。あの狭い一畳台の上で、いかに広がりのある舞を見せるかがシテの腕ということになりますが、正直のところ予想以上の出来で舞を楽しませていただきました。五段に舞われますが三段になると見所から見て奥、ワキ正に向かって前側の柱につかまり空下りの型。夢の中での舞が覚めそうになる意味があると言われますが、踏み出した足を高く上げてしばらくその形で止まりました。各流、それぞれに型に違いがありますが、舞の途中で片足を高く上げ続けるのは結構大変なのでは、と想像しています。しかし、この型も違和感なく舞の中に織り込まれている感じです。

シテは台の後側、見所から見て右側に腰を掛け、後見の芳樹さんが装束を直します。
やがて立ち上がったシテは台の横を通って舞台へ出て四段。さらに五段と舞台上で舞い続けます。

楽の後は仕舞でも舞われる部分ですが、時間の経過が怪しくなるような不思議な詞章がシテと地謡の掛け合いで謡われ、「四季おりおりは目の前にて」と地謡が謡って、いよいよ夢が怪しくなってきます。シテは大小前から正先、目付へと舞い「皆消え消えと失せ果てて」橋掛りへと進みます。子方とワキツレが切戸口に姿を消し、一ノ松でサシたシテは「有りつる邯鄲の枕の上に、眠りの夢はさめにけり」というたたみかけるような地謡の中、一畳台に歩み寄ると足拍子を踏んで、飛び寝の形になりました。
もしかして飛び込みをされるかと期待していたのですが、下掛り他流でも観られる形でした。しかし見事に枕に横たわった形となり、アイが台を叩いてシテを起こします。

さて粟飯一炊の間の夢と覚った盧生は台を下り、宿を後にしたと留になります。なんだか清々しい気持ちになった一曲でした。附祝言は千秋楽。
(79分:当日の上演時間を記しておきます)
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邯鄲の飛び込みを巡って

邯鄲の鑑賞記の後で、少しだけ書いておこうと思う旨を述べた飛び込みの話です。
この邯鄲の飛び込みというのは金春流の櫻間家が伝える独特の型です。金春流も喜多流も台の前で足拍子を踏んで飛び上がり横になった形で台上に落ちるという型が基本で、これも飛び込みといわれるようですが、櫻間家の型ではワキ正側から台に向かって走り寄りざまに飛び寝するという、さらに大胆な形です。初めて観た時は本当に驚きました。

櫻間家は、道成寺でも斜入という独特の鐘入りの型を持っていまして、継承される方は少ないのですが、なかなかに魅力ある演出です。
単にアクロバティックなだけなら飽きられてしまうと思うのですが、飛び込みにしても斜入にしても、アクロバティックで驚くというだけでなく、さらに曲の持つ意味を深める効果も持っているように思います。

六平太芸談には、櫻間左陣が邯鄲でたいそう評判を取り、しかもその飛込みが素晴らしかったので、十四世喜多六平太がどうしても自分でもやってみたくなったという話が出てきます。喜多流には飛込みの型がないので、やれば流儀の老人達に叱られるにきまっているのだが、それでもやりたくてある日思い切ってやってしまった。そうしたら案の定、お目玉をくらい、以後一切まかりならぬと言い渡されてしまったという話です。
「近来は猫も杓子もやるようになったが、本来流儀には無い型だし」とあり、現在、喜多流などで見られる台の側まで寄ってから足拍子を踏んで飛び寝するという形も、もともとは無かったのかも知れません。

本田芳樹さんはまさに飛び込んだ形で邯鄲を演じていますから、もしかして布由樹さんもと思ったのですが、なかなかハードルの高い演技のようです。
地蔵倒れなど、能にも驚くような型があります。それが目的という訳でもありませんし、六平太芸談に「又あれだけが器用にやれても・・・(中略)・・・なんにもならない。それよりは狭い一畳台の上で舞う楽がうまく舞えなけりゃ駄目なんだ」とあるように、それだけでは駄目だろうと思います。しかしきちんとした芸の上に、こうしたダイナミックな型が加わると、能の面白さが倍増するような気がしています。
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志賀 辰巳孝弥(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2010.04.17
 シテ 辰巳孝弥、ツレ 川瀬隆士
  ワキ 大日向寛、アイ 善竹富太郎
   大鼓 内田輝幸、小鼓 鳥山直也
   太鼓 林雄一郎、笛 藤田貴覚

志賀の鑑賞記は十八年三月の五雲会以来(鑑賞記初日月リンク)。宝生では良く演じられる曲ですが、観世ではまずお目にかかれない稀曲の類。以前にもご紹介した大角さんの「観世流上演回数」の統計によれば、昭和25年から平成11年までの50年間に、全国の観世流でたった11回しか上演がありません。関寺小町よりも少なく、以前観た現在七面と比べても上演回数は3分の1以下です。流儀によってかくも違うか、というところ。

この曲、いわゆる脇能で、前シテ樵夫の翁とツレの若い樵夫が、ワキの臣下一行の前に現れ、やがて自らの身を明かして姿を消すと、志賀の明神となって現れ神舞を舞うという次第です。

前シテが現れるのは、山桜が今を盛りと咲き誇る江州志賀の山路。
春三月の曲ということになりますか。三月だと嵐山と重なるので、観世では上演回数が少ないのかもしれません。
世阿弥作と言われていて、脇能らしい綺麗な構成だと思います。春らしい曲ですし、悪くないと思うのですが・・・

それはともかくとして、舞台に囃子方、地謡が登場。いやあ皆さんお若い。このところ若手の会から少し遠ざかっていましたが、こういう雰囲気も悪くない。
曲の流れは明日につづきます
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志賀のつづき

次第の囃子で、ワキ臣下とワキツレ従臣が登場します。
一月の金春会の高砂では、ワキが宝生欣哉さんでしたが、あの勅使や神官のワキに特有の伸び上がるような型が面白いですね。
今回は紺地狩衣のワキ臣下大日向さん、赤大臣の従臣が梅村さんと森常太郎さん。脇能の常で、次第を三遍返しに謡いワキの名乗り、さらに道行と謡います。

近江の国、志賀の山路に、山桜が今を盛りに咲いているというので、一行は都を出て桜見物にやって来たという設定です。

着きゼリフで一行がワキ座に着座すると、真ノ一声の囃子になり、登場してくるのが樵夫の翁と、若い樵夫の男。なにやらあやしげです。養老の前場も尉と若い男が登場しますが、似たような設定ですね。養老同様に、ツレの若い男が白大口にヨレの水衣を着けて先に立ち、後から着流しに水衣を肩上げした老人が出てきます。

大変ゆったりとした謡で気品ある老人の風。ただの樵夫とは思われません。しかも薪に花の枝を添え、背に担って左手で薪を結わえた紐を持っています。右手には杖を突きつつの登場です。お若いシテ、ツレですが、いかにも宝生流らしいと感じさせる謡です。

一セイ、二ノ句、さらに二人同吟で「身にも情けの 残るらん」までを橋掛りで謡い、大小のアシライで舞台に入ります。先に立ったツレが正中へと進み、シテが常座に出てサシの謡。下歌、上歌と謡いますが、「実にや誤って半日の客たりしも」で、シテ・ツレの立ち位置が入れ替わり、シテが正中、ツレが目付にと動き、ワキが立ち上がります。
二人をワキが見とがめて問いかける形です。
このつづきはまた明日に
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志賀さらにつづき

ワキは、老人が薪に花の枝を折り添え、さらに花の蔭に休んだことから、何かの由来があるのか、それとも唯、薪の重さに休んだのかと問いかけます。

これに対して花の陰に休んだシテとツレは、古歌を引いたりしながら返答をしますが、その中で大伴黒主の名を出し、なにやら黒主との関わりを暗示します。
この能、本によっては「古今集仮名序からの着想か」などと書かれていますが「着想か」どころか、まさにそのままというところ。仮名序には「おほとものくろぬしはそのさまいやし。いはばたきぎおへる山人の花のかげにやすめるがごとし」とあって、まるでそのままを劇化したというところです。

ワキ、シテの問答から地謡になりますが、ワキは下がってワキ座に着座し、ツレも地謡前へと着座します。シテは舞台を廻って、地謡の「言葉の玉のおのずから、古今の道とかや」で常座に移ります。
さらにシテは常座から正中へと進み、地のクリで正中に下居して杖を置き、背に担った薪を外すと、後見が肩上げを下ろして、シテのサシ謡になります。シテが和歌の徳を述べる形です。

この後のサシ・クセと、脇能らしくシテはジッと正中に座したままで、地謡が続いていきます。
古今集真名序、仮名序を下敷きにして和歌の徳を連ねた謡。花の陰に座した樵夫の翁が、臣下に語るという風情ですが、この長い謡を動きのないままに見せるのはシテも技量必要なところ。お若いシテですが充実感がありました。
さてこのつづきはまた明日に
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志賀さらにさらにつづき

おおよそ脇能では、前場はシテが老人の姿で登場しゆっくりと時間が展開する感じ。あまり動きもなく、長いクセもシテがずっと座ったままの居グセというのが普通です。謡を楽しめば良いのですが、劇として観ようとすると眠さをさそうところです。
この前場の展開と、後場で神が登場して颯爽と舞うところの落差が、脇能の魅力なのかなあ、などと考えたりもします。

長い前場の終わりは、花の陰に長休みしてしまった・・・と夕暮れの雲に隠れるように志賀の宮路に帰っていったと、シテ、ツレが姿を消して中入りとなります。送り笛に送られて二人が姿を消すと、ワキがワキツレを呼んで山家の者を呼び出せと命じ、ワキツレに呼ばれて間狂言が出てきます。
ワキは志賀の山桜の謂われを語って聞かせと乞いますが、これに答えてアイは山桜の話から、志賀の都のこと、大伴の黒主がこの山桜を愛したらしく、この志賀の大明神に奉ぜられた旨を語ります。草紙洗小町では悪人役の黒主が、神様になっている訳です。

アイの語りが終えるとワキ、ワキツレの待謡。そして出端の囃子で颯爽と後シテが登場します。中世では大伴黒主が志賀の明神になったという説が一般的に広まっていたらしく、後シテは黒主すなわち志賀の明神。装束は高砂と同様ですね。

颯爽と神舞が舞われます。若さのある舞でした。
長い前場の老人姿と、後の男神の神舞の対比。そこに桜の風情が加わって、なんだかとても有り難い気分になりました。
(77分:当日の上演時間を記しておきます)
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魚説法 宮本昇(五雲会)

大藏流 宝生能楽堂 2010.04.17
 シテ 宮本昇、アド 大藏教義

以前、ブログに鑑賞記を書いたはずと思い込んでいたのですが、いざ探してみると見あたりません。何を勘違いしたのか不思議ですが、ともかくそんなわけでこのブログ初登場。
まずはシテの出家が舞台に登場してきます。十徳出立ということで、角頭巾に十徳、狂言袴の形です。常座で名乗りますが、元は兵庫の浦の漁師だったのが出家して都に上り、名所旧跡見物をすると説明し、舞台を廻って上下の海道へ出ます。人を待って案内を乞おうと笛前に座す形になります。

そこにアド檀那の教義さんが登場します。アドは常座で、持仏堂を建立したので似つかわしい出家を見つけて住持に頼もうと述べて、舞台を廻り上下の海道へと出ます。このアドの通りかかった姿に、シテが声をかけて都への道案内を頼むわけです。

アドはシテに同道することにし、二人連れだって都へ向かうという態で舞台を廻りますが、道々アドの檀那は持仏堂を建立したので住持を迎えようとしている旨を語ります。
シテ・アドのやり取りから、シテの出家が住持を勤める事になり、アドの檀那が案内して家へと向かいます。

家に着いた態で、シテが地謡前に着座。アドは大小前に着座すると早速にシテに説法を頼みます。しかしなにぶん漁師が出家したばかりという次第で、困ったシテは立ち上がってワキ座に出て後の方を向き、知っている魚の名を用いて説経をしようと独りごちしてから、向き直って下居。懐から袈裟を出して支度をします。
このつづきはまた明日に
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魚説法のつづき

さてシテの説経となりますが、シテ出家は舞台中央やや地謡よりに置いた葛桶に座し「いでいで鰆説法を述べんと、烏賊にも鱸にすすけたる黒鯛の衣に乾鮭色の袈裟を着し、鰐口を泥鰌泥鰌と打ち鳴らし、まず説法を鯣なり」と説法を始めます。

要はこの魚の名を読み込んだ説経の面白さというのが、この曲の眼目なのですが、なかなか良くできているというところ。
この後も魚の名前が次々と出てくるのですが、とてもに書き取れませんでした。 阿耨多羅三藐三菩提( アノクタラサンミャクサンボダイ ) を、「あのくタコ、三百三文にて・・・」などとしゃれるわけです。

説経の途中で、なんだか魚の名ばかりを並べ立てる出家を怪しんだ檀那が立ち上がり、さだめて売僧であろうと独白して、また元の座に戻ります。

説法が終わると、怒った檀那が立ち上がり、シテにツメ寄ります。これまた「それそれまた平家ガニ」のようだとか、魚の名前を持ちだしては檀那をさらに怒らせるようなことを言い、最後は「太刀魚でなりとも斬らしめ」と言って出家が逃げます。これを檀那が追い込んで留となりました。

和泉流にもありますが、アドの檀那が先に登場して、堂を建立したのでその供養の説法を頼むために、寺へ住持を迎えに行くところから始まります。経緯は異なりますが、説法を始めてからの展開は、両流基本的に同じ形になります。ただし、説法の中身は流儀や家によって様々のようですね。
曲名を魚説経とすることもあるようです。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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祇王 高橋憲正(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2010.04.17
 シテ 高橋憲正、ツレ 澤田宏司
  ワキ 安田登、アイ 大藏基誠
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒匡彦
   笛 藤田次郎

祇王という曲名ですがシテは祇王ではなく佛御前でして、祇王はツレとして登場します。佛御前が登場する能としては、観世、金剛の二流が現行曲としている佛原がありまして、こちらは観世流遠藤六郎さんの演能の鑑賞記を書いています。(鑑賞記初日月リンク

その遠藤さんの観能記にも書きましたが、祇王と祇女(妓王・妓女とも)姉妹、それに佛御前の三人の白拍子をめぐる物語は平家物語巻一にみえる話です。
白拍子の祇王は清盛に気に入られ、妹の祇女ともどもに寵愛を受けています。その頃、加賀の国から都に上り人気を博するようになった若い白拍子佛御前は、時の権力者清盛に目通りを願い出ますが、清盛はこの願いを撥ねつけてしまいます。

祇王はこのことを聞きつけ、清盛に取りなして佛御前の目通りを叶えさせますが、佛御前の芸を見た清盛の寵愛が、今度は佛御前の方に移ってしまいます。
祇王、祇女の姉妹は清盛から追放され、母の刀自ともども嵯峨野に身を隠しますが、ある日、その祇王を佛御前が訪ねてきます。祇王・祇女をみて明日は我が身、と思った佛御前は清盛のもとを離れ、祇王達とともに出家して尼となるという話です。

観世・金剛の佛原は夢幻能で、佛御前の幽霊が登場し、昔を思って序ノ舞を舞います。一方この祇王という能は三番目物の現在能で、佛御前と祇王の細やかな友情が、二人の舞を交えつつ表現された曲です。
宝生流と金剛流が現行曲に、喜多流が参考曲(曲名は二人祇王)としていますが、いずれにしてもあまり上演の多い曲ではありません。
曲の展開は明日からということで
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14万ヒット御礼

ふと気がついたら数日前に14万ヒットを越えておりました。
このブログも開設して間もなく4年になろうというところですが、途中、お休みを挟みながらもなんとか続けています。
当初の目論見から少しだけスライスして、だんだん自分自身の記録としての観能記がメインになっています。このため、型や装束など「いささか細かい記録が多くなってしまったかなあ」と反省もあるのですが、後々、比較したりすることを考えると、ついついこういうスタイルになってしまいます。
そのあたりは、個人のブログということでご容赦いただければと思う次第です。

昨日は諸般あって更新をお休みしましたが、現在は先月の五雲会での祇王について観能記を書いています。
高橋憲正さんのシテで楽しみにしていた一番でしたし、実際、素敵な舞を見せていただきました。能を観る楽しみをしみじみと感じています。
ツレで出ておられた澤田宏司さんは、最近ご結婚された様子。お目出度い話で、ますますのご活躍をお祈りいたします。

祇王のつづき

舞台にはまずワキ瀬尾太郎が、アイの太刀持ち基誠さんを従えて登場してきます。安田さんのワキを拝見するのは久しぶりですが、例によって堂々たるワキで、黒の素袍上下に梨打ち烏帽子、白鉢巻きを締めた武将の姿。常座に立ったワキは、自分は入道相国に仕える瀬尾太郎と名乗り、加賀の国より佛御前が上り、浄海(清盛の出家名)に目通りしたいと申し出たいきさつを語ります。

清盛は寵愛する祇王がある限りは、神だろうが仏だろうが目通りは叶わないとおっしゃったが、これを祇王が取りなした。そこで清盛が今日佛御前に対面しようということになり、祇王、佛両名して出仕するようにとの仰せなので、祇王を迎えに行くところだと語ります。

ワキの語りは宝生の謡本に比べると随分簡単になっています。念のため、喜多の二人祇王を見てみると、どうもこちらの方が近い感じです。名乗りも宝生の謡本では「瀬尾の太郎何某」となっているところ、「瀬尾の何某」で、これは喜多の本と同じでした。
いつぞや下掛り宝生の詞章は、喜多の本が一番近いという書き込みをいただきましたが、成る程とあらためて思った次第です。

さてワキは一度正中へ出、戻って橋掛りに向かい一ノ松に立つと、幕に向かって「祇王の渡り候か」と呼び掛け、来意を告げてワキ座に向かいます。

続いて囃子無しでツレ祇王が先に立ち、シテ佛御前が登場してきてます。二人とも唐織着流しですが、ツレは赤が勝った装束、シテは白が勝った装束で、自ずとシテツレの位が感じられるところ。
さてこのつづきはまた明日に
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祇王さらにつづき

登場したツレは目付に、シテは大小前に下居します。ワキはツレに向かい、何故この間は出仕しなかったのかと問いかけます。
これに対してツレは、今もまさにその佛御前のことでやって来たのだと答えます。

ワキは既に佛御前の目通りは許された旨をあらためて述べ、シテに「只今のご出仕おめでとう候」と述べます。

これを受けてシテの謡。憚り多いことながら目通りを願い出た心の内を謡い「かかる恨みは身ひとりかや」とシオリます。さらに下歌、上歌と自らの心情を謡います。

ワキは、清盛が佛御前に舞うようにと命じたことを伝えます。
これにシテは立ち上がり、祇王とともに舞いたいとツレに声をかける形。ツレ、シテの掛け合いから、ワキの謡。ワキは立ち上がり地謡の中、ツレに向かって歩み寄り、ツレを立たせる形になります。ツレが立ち上がり、シテ、ツレ二人は立ち向かいあった後、大小アシライで中入です。

ワキは中入りする二人を見送ると「いかに誰かある」と呼び、アイが「御前に候」と出ると、祇王御前、佛御前の舞の衣装が整ってきたら舞うようにと言いつけてワキ座へと下がって着座します。
アイは常座へ出ると太刀を持った形のまま、立ちシャベリです。佛御前のことをまず語りますが、若くして加賀の国佛原から都に上り、人気を博したことなどが語られて、見所も話の整理が出来ようというところです。
語りを終えたアイが、幕に呼び掛けて二人を呼び出す形になり、大小アシライでツレ、シテの出になります。箔を腰巻に紫の長絹、静烏帽子を着けた同装で登場し、ツレが一ノ松、シテが二ノ松にたっての謡になります。
このつづきはまた明日に
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祇王さらにさらにつづき

ツレの謡から、二人がともに舞うことが謡われて、シテ、ツレの一セイ。二人は舞台へと進み、地謡が「巷にうたう和歌の声」と謡って、中ノ舞の相舞になります。

相舞はシテ、ツレの二人の息がどのくらい合っているかが見せ所の一つ。二人静の相舞が有名ですが、この曲もなかなかの見せ所です。佛御前、祇王それぞれが舞の上手という設定ですから、息を合わせつつもシテとツレの位がそれぞれに示されるのが良いのではないかと思います。
舞を観ていると、足拍子は大左右や後半の一部を除いて、基本的にシテのみが踏むようで、そのあたりが表現されているのかも知れません。それにつけてもシテ高橋憲正さんの舞いは、何度観てもほれぼれするような舞です。天性なんですかねぇ。もちろんツレの澤田さんの舞もツレの位に合った素敵な舞でしたが、シテの舞は本当に見事でした。

舞い上げると二人同吟でのクリ、サシからクセとなり、クセも二人の舞が続きます。
クセの舞も二人が微妙に交錯しておもしろみを増す感じです。
地謡は清盛の色好みを謡い、二人揃っての上げ端から清盛の心変わりが謡われます。

地謡に合わせての舞が終えるとワキの詞。祇王は休んで、佛一人が舞うようにとの清盛の詞を伝えます。
ツレは、それならば自分は家に帰ろうと言い出しますが、ワキはこれを止めて、重ねて佛に一人で舞うようにと勧めます。このやり取りから、とうとうシテ一人が舞うことになり、破ノ舞が舞われます。

短い破ノ舞ですが、これまたシテの心情がうかがえるような舞でした。
最後はシテが一句謡い、地謡が謡う中、シテが心を込めた舞を見せ、ツレによって下居してユウケンするなど、祇王を思う佛の心情が表現されつつ留となりました。
(64分:当日の上演時間を記しておきます)
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桜川 朝倉俊樹(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2010.04.17
 シテ 朝倉俊樹、子方 鶴田航己
  ワキ 則久英志
   大鼓 柿原弘和、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 成田寛人

たしか現行曲で茨城県が舞台となるのはこの桜川一曲だったのではないか、と思います。(学生時代に、茨城県出身というので網ノ段の仕舞をさせてもらったことがあります)
桜川は、現在では桜川市になっている旧岩瀬町磯部の磯部稲村神社の伝説をもとに作られたと言われていますが、現在の謡曲では磯辺寺と表記されています。

古来、磯部稲村神社付近の桜は名勝として有名だったようで、後撰集にある紀貫之の「つねよりも春べになればさくら川 波の花こそまなくよすらめ」をはじめ、多くの歌人に歌われています。
ご承知の通り、現代では桜といえばソメイヨシノが主流ですが、ソメイヨシノは江戸時代に作られた品種ですから、本来の吉野の桜も桜川の桜もソメイヨシノではない訳です。
桜川の桜はもともとシロヤマザクラが中心で、古来「磯部の百色桜」と言われてきたように様々な品種が混在しています。
ですが、現在では古木が枯れてきているためソメイヨシノやヤマザクラが植えられているそうです。

磯部稲村神社には花見噺「桜児物語」が伝えられていて、伝承ではこの物語が将軍足利義教の目にとまり、世阿弥に桜川を作らせたという話があるそうですが、真偽の程はわかりません。

さて話はこの日の能、桜川に戻りまして、まずはワキツレの人商人が登場してきます。
この人商人とシテのやり取りが前場になっています。
さてこのつづきはまた明日に
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桜川のつづき

ワキツレの工藤和哉さんが、柿色のような素袍上下で胸に文を入れた形で登場してきます。常座に出ると、昨日、幼い人を買い取ったところ、その買い取った桜子から母に身代金と手紙を届けて欲しいと頼まれたので、母を訪ねて届けるところと語ります。

ワキツレは橋掛りに入り、一ノ松から幕に向かってシテ桜子の母を呼び出します。呼ばれてシテが登場してきますが、無紅唐織着流しで深緑のような色。シテが三ノ松に出るとワキツレは手紙を渡し、シテが手紙を読んでいる間に退場してしまいます。

シテは手紙を読んで、我が子が身売りをしたことを知り嘆き悲しみます。シテの文を受けて地謡の下歌。上歌とつづき「独り伏屋の草の戸を」でシテは文を袂に入れ、舞台へと進み始めます。
「我が頼む神も木花咲耶姫の」と一ノ松で立ち止まり、自らの氏神である木花咲耶姫に我が子の無事を祈って手を合わせ、さらに「泣く泣く迷い出でて行く」とシオって、大小アシライで中入りとなります。
短い前場ですが、この後の展開を暗示する重要な場面です。

この後、次第の囃子で子方、ワキの磯辺寺住僧、ワキツレ従僧が登場してきます。観世流ではこの一行に先立ってワキツレの里人を出して、ワキの一行と相対させますが、今回は里人は登場しない形。

子方が先頭に立ち、ワキ僧の則久さんが鼠系のシケの水衣に角帽子、ワキツレ住僧の野口能弘さん、琢弘さんが浅葱のヨレの水衣での登場です。
このつづきはまた明日に
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桜川さらにつづき

昨日更新をお休みしました。

さて、登場してきた一行は正先で向き合って次第を謡い、ワキが常陸の国磯辺寺の住僧であること、どこの者とも知れぬ幼い人と約束をして預かっているが、近くに桜川といって花の名所があるので、この子を連れて桜川へと急ぐところと述べます。
さらに一同で道行を謡って桜川にやってきた態になり、ワキ座へと着座します。

観世ではここで里人が待ちかまえてワキとの問答になり、女物狂を呼び出しますが、今回は里人は出ないため一声で後シテの出となります。
一声で登場した後シテは、掬い網を肩にし薄い浅葱の水衣姿です。一ノ松に立って、桜の花が散り散りとなっていくことを惜しみ、「花にや疎く雪の色」で舞台に入り、常座で足拍子を踏むと、狂乱の態でカケリとなります。

常座から目付、ワキ座前から大小前と舞台を廻り、小回りして掬い網を両手に持ちます。拍子を踏んで網を扇で打ち込むように差し出しつつ正先へ出、再び掬い網を肩に担って目付から大小前へと進み、小回りして開き「桜川 散りにし風の名残には」と謡ってカケリを終えます。

地謡との掛け合いの後、サシ謡で筑紫日向の者であるが、わが子を思って箱崎、須磨の浦、駿河の海と尋ね、遙々常陸までやって来たと謡います。
桜川という名所に来て、わが子の名も桜子というのもなにかの縁と語ってシオリ、地謡の上歌で目付に出て開く型から左へ回り、正中から常座へと戻り「我が子の花など咲かぬ」とシオリます。

この狂乱の態にワキはその理由を問いかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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桜川さらにさらにつづき

狂乱の理由を問いかけるワキに、シテは一人子に生き別れて、思いが乱れてしまったと答えます。さらにワキはシテが掬い網を持って流れる花を掬うのはどうしたことかと問いかけます。

シテはこれに答えて、故郷の氏神木花咲耶姫のことや御神体が桜であること。子の名は桜子、この地が桜川ということを、徒や疎かにはしないと語ります。
さらに紀貫之の歌を引いて正中へ出、一度下がってから大小前へと向かい、替えの拍子を踏んで、「浮かべ浮かべ水の花」と下を見回しながら目付へと進み、ワキ正から常座へと戻ります。さらに橋掛りへ入ってクツロぐ形になります。

ワキツレが、にわかに山颪が吹いて桜川に花が散ってしまったと言い、シテは一ノ松でこれに答え、ワキが受けて掛け合になると再び舞台へと戻ります。山颪に桜が散り桜川に浮かんでいく様を謡い、常座からワキ正へと出ます。
地次第を聞いて地取りで後見に網を渡し、扇に持ち替えてイロヱになります。

イロヱは常座を起点に目付、角トリして地謡前から大小前、小回りして正面を向き左右打込と、舞台を一回りするだけですが、なかなかに味のあるところです。

イロヱを舞い上げるとシテのクリ「それ水流花落ちて春、とこしなへにあり」が謡われ、サシからクセへと展開していきます。
このつづきはもう一日明日に
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喜多流職分会自主公演能を観に行く

本日は目黒の喜多六平太記念能楽堂へ行ってみました。喜多流職分会の5月自主公演ですが、小雨交じりだったこともあるのか、少し見所の入りが少なかったような感じがしました。

番組はいつも通り能が三番と狂言一番に、今日は仕舞が一番。曲目は次の通りです。

  高野物狂  高林白牛口二
  吉野静   粟谷能夫
  舎利    金子敬一郎
狂言
  佐渡狐   野村萬
仕舞
  八島    佐々木多門

このところ、ちょっと疲れていたので、もしかして寝てしまうかもと思っていたのですが、最後まで無事鑑賞。それぞれなかなかに良かったと思います。
能夫さんの舞は本当に素敵だなあ・・・

例によって、観能記はそのうち書きます。

桜川もう一日のつづき

クセは舞グセで曲舞の基本の形に沿った展開ですが、散る桜に子供への思いを込め、シオル型が入るなど、軟らかい感情表現ながら思いの深さをそこはかとなく感じさせる形になっています。

さらにクセを舞い上げるとシテの狂いが昂じた風情で、再び網を持って網ノ段になります。シテの「あたら桜の」という謡から、桜川に流れる花びらを網を持って掬うことに興じますが、それは木々の花、自らの尋ねる桜子が恋しいと、掬った花を捨てる形から網を落とし、常座へタラタラと下がって安座しモロシオリとなります。

ロンギに入り、地謡が「いかにやいかに狂人の、言の葉聞けば不思議やな。若しも筑紫の人やらん」と謡い、いよいよ親子の再会の場面。
ワキが子方を立たせ、シテは招き扇して子方に近づき、抱きかかえてシオリます。

最後は地謡で、母子ともに帰郷して仏門に帰依し、二世安楽を得たことが謡われて、先に子方を幕に入らせたシテが常座で留拍子を踏みます。
朝倉さんがシテをされるのは、あまり拝見していないのですが、子への愛情が感じられるしみじみした一曲でした。

なお余談ですが、桜川市ではこの謡曲桜川にちなんで能楽愛好の会があり、子供達も含めて謡や仕舞を稽古されています。たしか桜川謡曲最中とかいうお菓子もあったような。
また能楽とは関係ありませんが、磯部神社の近くにある雨引観音 雨引山楽法寺のマダラ鬼神祭は京都太秦広隆寺の摩多羅祭と共に、日本二大鬼祭と言われていて、珍しいお祭です。駐車場の関係などで暫く中断していたのですが、平成二十年四月に八年振りで催行され、二十一年も催行されました。今年は残念ながら本坊の工事のため中止されたようですね。
(78分:当日の上演時間を記しておきます)
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舎弟 榎本元(五雲会)

大藏流 宝生能楽堂 2010.04.17
 シテ 榎本元
  アド 大藏吉次郎 大藏彌太郎

両流にある狂言で、舎弟という言葉の意味をめぐっての話が発端になります。もちろん舎弟は弟のことで、転じて実の弟でない「弟分」のことも指し、むしろ現代では裏社会の弟分を指す使い方の方が一般的になっているかも知れません。

さて、このなんでもない舎弟という言葉ですが、漢語に馴染みの無かった中世の庶民には聞き慣れない言葉だったのかも知れません。

舞台にはまずシテ弟の榎本さんが狂言袴に肩衣の常の形で登場してきます。シテは、実の兄が自分のことを常々「舎弟」と呼ぶが意味が分からないと語ります。
この意味を聞きたいものと、小アド物知りの男を尋ねていくことにして舞台を廻ります。
一回りして男の家に着いた態になり、案内を乞うと小アドが出てきてシテに向かいます。小アド彌太郎さんとアド兄の吉次郎さんは、いずれも長上下姿でシテに続いて登場し、笛座前に並んで控えています。
シテの案内に答えて小アド彌太郎さんが立ち、吉次郎さんは座したままということです。
このつづきはまた明日に
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舎弟のつづき

シテが舎弟の意味を問うと、小アドは難しい問いなので書き付けた物があるから見てみようと言っていったん横を向き、独白の形で、世の中にはものを知らない男が居るものだ、一つ嬲ってやろうと言います。
そしてシテの方を向くと、悪い意味なので聞かない方が良い、などと思わせぶりなことを言った上で、舎弟とは盗人の意味だと教えます。

これを聞いたシテは、兄のことを許せないと憤り、兄の所へ向かいます。
舞台を廻って兄の所へやって来たシテは、早速に、自分のことを舎弟と呼ばないようにと主張します。
何のことか分からないシテは、父は親父(シンプ)、母はお袋、兄は舎兄で弟が舎弟というのは世間では普通の言葉と説明しますが、弟はいっこうに聞き入れません。

さらに舎弟とは盗人のことで、兄こそ舎弟したことがあると兄の不行跡を並べ立てます。振る舞いの座敷にあった台天目を舎弟したとか、隣の在所からまだらな毛並みの牛を引いてきて、白いところを墨で塗り、よその市で売ったことなどを言いつのります。

兄はこれに腹を立て、二人喧嘩になります。
すったもんだの末に、弟が兄を倒して退場し、これを兄が追い込んで留になります。
ものを知らない人物が、だまされたのも知らずに大騒ぎするという、ある意味、狂言らしい狂言の一曲でした。
(13分:当日の上演時間を記しておきます)
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舎利 和久壮太郎(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2010.04.17
 シテ 和久壮太郎、ツレ 金井賢郎
  ワキ 舘田善博、アイ 大藏千太郎
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 住駒充彦
   太鼓 大川典良、笛 栗林祐輔

舎利は20年1月の檀の会で、松木崇俊さんの演能を観て観能記を書いています。(鑑賞記初日月リンク
その際も書きましたが、太平記の巻八、谷堂炎上事に、捷疾鬼という足の速い鬼が釈迦入滅の時に犬歯を一本盗み取って須弥山の中腹四天王界まで逃げたところ、韋駄天がこれを追い掛けて取り戻し、この牙舎利が中国を経て我が国に伝わって浄住寺にあったという話が出ています。この話などをもとに能化した曲のようです。

その折は観世流でしたが、今回は宝生流。和久壮太郎さんのシテを拝見するのは19年の禅師曽我以来ですが、こういう動きのある曲がお得意なのかもしれません。

まず後見が一畳台を持ち出し、正先に据えて舎利塔という設定で小さな台の上に宝珠を載せたものを置きます。

名ノリ笛でワキの登場、常座へと進みます。アイが続いて出て狂言座に控えます。
ワキは出雲の国、美保関の僧と名のり、道行を謡って都に着いたということで、仏舎利を伝える泉涌寺にやって来ます。寺に着いた僧は、まず仏舎利を拝もうとし、アイ寺の能力に舎利を拝ませてもらいたいとの問答になります。
このつづきはまた明日に
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舎利のつづき

ワキがアイを呼び出し、呼ばれたアイと問答になります。
仏舎利を拝みたいというワキに、アイは叶わぬ事と断ります。しかし問答を重ねてどうしても拝みたいというワキに、その心ばせなら自分の一存で拝ませようとアイが請け負い、結局、仏舎利を拝ませることになります。

アイは正中へ出て「さらさらさらさら」と戸を開ける形。ワキが仏舎利を拝めるようにします。この曲のアイは、なかなかに活躍します。千太郎さんの演技は小気味よい感じです。

ワキは一畳台に向かって正中に立ちサシ謡。霊験あらたな仏舎利を拝む貴さを謡い、この仏舎利は足疾鬼が奪い韋駄天が取り返したと謡いつつ座して、「一心頂礼万徳円満釈迦如来」と合掌します。

このワキのサシ謡を受けて地謡の上歌となりますが、地謡になると間もなく幕が上がりシテの出になります。ワキが待ち構える中を登場楽で出るという形ではなく、ワキが一心に仏舎利を拝していることに乗じて、なんとなく紛れて出てくるという怪しい登場です。

ワキは立ち上がってワキ座へと向かい着座。ワキが舞台中央から去った後を埋めるように、シテが舞台に入ってきます。無地熨斗目着流しに柿色の水衣を着、黒頭の姿ですが、なんとも怪しい雰囲気が漂ってきます。

常座に出たシテは、仏在世の時は法の声に接した身で、この末世に舎利を拝する喜びをサシに謡います。
さてこのつづきはまた明日に
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舎利さらにつづき

シテの登場に、ワキは声をかけ、供に舎利を拝することになります。
地謡が上歌「月雪の古き寺井は水澄みて」と謡ううちに、シテは一度右に少しだけ向きを変えた後、目付に出、さらに舞台を一巡りして常座に立ちます。

クリの謡でシテは正中へ出て下居。その後、サシ・クセと謡がつづきますが、居グセでシテはじっと座したまま。
謡はこの末法の世になって、仏法が東漸とて唐土を経て日本に伝わり興隆にある証として、仏舎利がこの寺にあり目前に拝することが出来るのは尊いことと謡います。

クセが終わるとワキの謡。突然の稲光の様子を告げると、シテは自ら足疾鬼の執心であると明かし、シテ、ワキの掛け合いから地謡が中ノリで「栴檀沈瑞香・・・」と謡い出します。
シテはこの一句で立ち上がり「上に立ち上る雲煙」と髪を掴んで見上げる形。目付から地謡前へ、さらに大小前へと素早く廻って小回りし四つ拍子を踏みます。
一畳台に寄ると「舎利殿に飛び上がり」と、詞章そのままに台上に飛び上がり、宝珠を取って台を踏みつぶし、幕へ走り込んで中入りとなります。

観世流だとシテはもう少し前から立ち上がり、一度橋掛りまで行ってから一畳台に戻ってきて、宝珠を盗み取りますが、地謡になるまで動かずに一気に爆発させたような感じの展開でした。

シテが中入りする途中、アイの前を過ぎ去っていくと、その勢いに転ばされたようにアイが「くわばらくわばら、揺り直せ揺り直せ」と橋掛りで転がります。
さてこのつづきはまた明日に
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舎利さらにさらにつづき

舞台に入ったアイは舎利が無くなっていることに気付いてワキを問いつめます。
ワキは怪しい里人が足疾鬼の霊だった事情を語ると、アイはワキを疑ったことを詫び正中に着座して舎利の謂われを語ります。さらに一畳台の前に片膝をついて数珠を揉み「南無韋駄天」と祈って狂言座に下がります。

舞台は天上界という設定になり、イロヱ出端で後シテが舎利を持って登場。シテが正中へ進んで幕の方を振り返ると、囃子が早笛になってツレの登場となります。
シテは一畳台の笛座側に右袖を被いて隠れた形。

ツレ韋駄天は早笛で走り出て、常座で名ノリます。シテはツレの登場に「いや叶ふまじとよ」と謡って立ち、シテ・ツレが足拍子を踏み重ねて舞働となります。
シテは幕前まで逃げ、追ってきた韋駄天と二ノ松で打ち違って再び舞台に戻ります。

さらに大ノリの謡のうちにシテが台上に乗ると、ツレも台に飛び上がり「追っ下す」と一畳台からシテが追い落とされます。ここで韋駄天が追い掛ける型を見せるイロヱ。台を降りて隠れた形のシテを、目付側に台を降りたツレが回り込んで見つけた形を見せます。
さらに大ノリの謡にのって、シテ・ツレの争いが演じられ、一畳台に上がったツレが台の前に座したシテを打ち、シテが差し上げた舎利を取って幕へ走り込みます。
シテは台に飛び上がり、飛び降りて橋掛りへと進み、三ノ松で飛び返って袖を被き立って留拍子。
こういう曲は一日の最後に観るとスッキリした感じになりますね。
(62分:当日の上演時間を記しておきます)
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高野物狂 高林白牛口二(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2010.05.23
 シテ 高林白牛口二、子方 井上大風
  ワキ 福王和幸、アイ 野村扇丞
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 寺井久八郎

以前、何かの観能記に、物狂いというのがどうも感覚的に分からないという話を書いた記憶があります。気が触れて、というのとも違うようだし、能には少なからず物狂の曲がありますが、中世の人達との世界観の違いを感じるところです。

この高野物狂はそうした物狂の曲の内でも、亡き主君の遺児と生き別れ、その行方を尋ね歩く内に物狂になってしまったという、いささか珍しい設定の物狂ものです。

幼君春満を尋ね歩き、最後は高野山で僧の弟子になっている春満と出会うのですが、ワキ僧の諭しもあり、これを機縁にシテも出家するという形です。
・・・って、再会を果たしたシテは春満の供をして、二人古里に帰るという話だったのでは?
そうなんです。観世流では弘法大師の恵か、目出度く春満は古里に帰って平松の苗字を継ぐことになりますが、喜多流ではシテも出家してしまいます。というか、観世以外の各流ともシテが出家する形のようで、例によって観世流だけが結末を直してしまったということのようです。(以前にも書いた元章の明和改正らしいのですが)

というわけで、観世流とはかなり違った印象の曲になりますが、どちらの形も相応に納得感はあります。古里に帰ってハッピーエンドで終わって欲しいというのは、武家の立場を考えればもっとものことでしょうし、一方、物狂が覚めてこれを機縁に出家したというのは、後世を願う中世の感覚からすればもっともな展開と思われます。
というわけで、曲の流はまた明日に
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